1 :
柳成龍:
これから懲ヒ録書かなきゃいけないから、
面白いエピソードとか、
イイ武将とかいたら教えてほしいのう。
2 :
:02/01/10 22:32 ID:vL2Jb741
加藤紘一の虎退治
3 :
>1:02/01/10 22:32 ID:tAAir66Y
日本軍がどこぞの城を攻めた時、夜のうちに城門の前に
孟宗竹にうんこを詰めてトコロテンのように押し出しておいたら
倭人はこんな大男か!と仰天して逃げ出したという話を年寄りから聞いた事がある。
朝鮮のエボシ神話と一緒だな(ワラ
4 :
3:02/01/10 22:35 ID:tAAir66Y
訂正(するほどのものではないがw)
日本軍がどこぞの城を攻めた時、夜のうちに城門の前に
孟宗竹にうんこを詰めてトコロテンのように押し出しておいたら
朝になって巨大なウンコを見た城兵は、倭人はこんな大男か!と仰天して逃げ出した
5 :
太田:02/01/10 22:38 ID:bkl6qEz8
女に抱きかかえられ、そのまま飛び込まれて、溺死した倭人の武将がいたな
6 :
:02/01/10 22:38 ID:vL2Jb741
なんかイエズス会も朝鮮の役について記述してたらしいけど
内容が知りたいな。
7 :
太田:02/01/10 22:39 ID:AiMwE/Mx
加藤晴彦の耳殺ぎ
8 :
名無しさん:02/01/10 22:41 ID:0mxKbOkx
孟宗竹にウンチ詰める役はやりたくねーなー(笑)。
9 :
:02/01/10 22:42 ID:vL2Jb741
加藤アイの建てた耳塚
10 :
太田:02/01/10 22:44 ID:ZQ/GUk6Z
ジャイアント馬場の耳殺ぎチョップ
11 :
柳成龍:02/01/10 22:46 ID:EVYnfXn7
>>4 それは面白いのう。
ウンコも兵法のうちとはな。
>5
論介のことじゃな。死んだ武将は誰かわからぬそうじゃ。
まぁ、通説は毛谷村六助で、ひどい話になると加藤清正や豊臣秀吉になるそうじゃ。
わしのような政治家からすれば、笑い話にしかならぬがのう。
12 :
>5:02/01/10 22:50 ID:tAAir66Y
しかも、マヌケなことに日韓併合まで、そいつが加藤清正と思われてた(ワラ
13 :
:02/01/10 22:52 ID:vL2Jb741
加藤茶のウンコちんちん話はこの時に出来たそうな
もう何度も聞かされて視聴者はうんざりもモード
14 :
九州男児:02/01/10 22:53 ID:qwcO7RnR
政治家?どんな種類の政治家?村会議員?
15 :
:02/01/10 22:56 ID:vL2Jb741
16 :
柳成龍:02/01/10 22:59 ID:EVYnfXn7
>>14
ぬぅ………わしを知らんのか!
当時の領議政(総理大臣)、柳成龍じゃ!
………無実の罪で左遷されたけど。
17 :
九州男児:02/01/10 23:02 ID:qwcO7RnR
そうか村山か・・・あいつ大分出身だったけど、とんだ
腰抜けだったけど・・・家十万円。
18 :
アズマ:02/01/10 23:20 ID:TOEryEus
日本軍は草むらなどからの鉄砲の一斉射撃など、集団戦法には長けていたが
一対一の戦いでは体格の大きな朝鮮兵と華北兵には勝てなかったらしい。
19 :
tenpura ◆UMAIu01k :02/01/10 23:24 ID:J+opiERb
朝鮮へのキリスト教伝来は小西行長配下武将が最初です。
20 :
:02/01/10 23:24 ID:FQ0ge4MN
明軍は、日本軍を油断させるために、朝鮮軍の軍装をしたんだって。
21 :
名無しさん:02/01/10 23:27 ID:uZSQF78x
壬辰倭乱、丁酉再乱
この時の李氏朝鮮の歴史の記録は、漢字で書かれているようだ。
どうしてハングルで記録されてないのだろう?
確か150年前に成立してたはずなのに…
せっかく世界に誇れる偉大なる文字を創字したのに、歴史の記録に使われてないなんて
ハングルを制定した朝鮮王は、きっと悲しんでいるだろうなぁ…
22 :
竹埼委長2 ◆T/zSkROU :02/01/10 23:27 ID:tuZMz7Aj
>>19 セスペデスですな。こりゃあ韓国ではまずいだろうね。
ウリナラに ヤソ教伝えし 秀吉軍 になるからね。
23 :
:02/01/10 23:30 ID:vL2Jb741
>>18そんな逸話聞いた事無いぞ、むしろ白兵戦になると日本刀で槍の穂先折られたりして明朝軍は手を焼いたって話だ
日本軍が陸戦で手を焼いたのは明の装備してた大砲群だよ
大体、体が大きいったってアジア人での差異なんて微々たる物せいぜい2、3cmが良いところ。
24 :
:02/01/10 23:34 ID:eJahyx5J
日本の部将の中では朝鮮の部将はまぬけ揃いということだったらしい。
というか戦術面で100年間も戦争をし続けた国との差が生んだものだと思うけど。
一応こんな話がある。
加藤清正が朝鮮北部に攻め込んだとき、朝鮮軍は峠に陣を張って待ちかまえていた。
しかし待てども現れない。斥候を放っていろいろ探索したら、実は陣を張る前に
すでに峠を越えられて、そのことに朝鮮軍は気が付かなかった。
25 :
:02/01/10 23:35 ID:xcbBD2rf
>>23 そうそう。
朝鮮兵や明兵はサムライの剣術にかなり手を焼いたらしい。
朝鮮なんかは文禄の役の際に捕虜となったサムライから剣術を学んだらしい。
『朝鮮王朝実録』なんかに記されてるらしいよ。
26 :
:02/01/10 23:41 ID:vL2Jb741
話が反れるが大東亜戦争末期に満州にソ連軍が侵攻してきた時
日本の保塁を奪取する際に必然的に白兵戦になるんだけど
ソ連の一般兵では日本兵相手に歯が立たず白兵戦はソ連の空挺師団兵にお任せする有様だったんだとさ。
27 :
おお:02/01/10 23:43 ID:tAAir66Y
こういう明確な罵りあいこそがハン板だな(ワラ
カンハンの本なんか読むと、日本軍はスペシャリストの集まりだから
万巻の兵法書をマスターした名立たる将軍達が敵わなかったと書いてるね。
カンハンは、京の町も勝手に出歩いてやりたい放題してるんだけど
楽しそうな奴だよ。
28 :
柳成龍:02/01/10 23:44 ID:IyPfqG9A
>>19
むふー、それは面白いのう。
キリスト教の驚異的普及は、(なぜか)わが国の誇りじゃからのう。
その第一人者が小西行長であれば、実におもしろいことになるぞい。
>>23
じゃろうな。
体格差があるとも思えぬし、あったとしても戦力に響くほどではないじゃろう。
というか、むしろ日本兵の方が戦闘能力は高かったようじゃ
>>24 戦争中でも体を張ったギャグをかますのか、彼らは(w
>>23 日本刀のあまりの切れ味に驚いた明軍は、日本刀を輸入して、正式装備
として採用したそうです。
また、倭寇討伐に功績をあげた威継光は、日本刀対策として枝の付いた
ままの竹に穂先を付けた槍を発明しました。枝が邪魔をして、穂先を切
り落とされるのを防ぐのに成功しましたが、当然ながら重いので、酷く
扱いが難しい武器になってしまったそうです。
ソースは、「武器と防具 中国編」という本。
30 :
>28:02/01/10 23:48 ID:tAAir66Y
体格は食生活が大きく影響するからなんともいえないな。
日本では、鎌倉以降身長がチジミ始めてる。コメなんか食うから
小さくなったんだろ(ワラ。
鎌倉時代の名刀とか見ると穴が二つ空いているけれど10cm以上
離れてるもんなぁ・・・
31 :
:02/01/10 23:51 ID:vL2Jb741
ていうか、当時の日本人は江戸時代の日本人より随分大柄じゃなかったっけ?
33 :
:02/01/10 23:55 ID:vL2Jb741
戦闘、しかも両者とも凶器持ってる状態では体格での有利不利は余り関係が無くなるみたい
素手での格闘技やボクシングではまた事情が異なってくるけどね。
34 :
>18:02/01/10 23:55 ID:tAAir66Y
実は日本軍を悩ませたのは、「体格の小さい」江南軍だよ。
火砲主体の軍だからね。
35 :
柳成龍:02/01/10 23:56 ID:IyPfqG9A
>>32
なるほど。それを言われると。弱い。
>>21
仕方あるまいて。当時の風潮で、漢字は尊貴だったのじゃ。
ハングルはむしろ女性用。
>>24
ま、まぁ………彼も必死だったんじゃ。
ゆるしてやってくれんか。
36 :
>32:02/01/10 23:57 ID:tAAir66Y
鎌倉時代から較べると大分小さい。江戸から明治が一番小さいけどね。
>>34 そういえば、長江域の人達は元寇でも、日本に情報チクったり、
日本が捕虜にしても、長江域の人だけ助けたり、
いざお互い戦うとタメだったりと、
やっぱ昔から親戚だったんかしら。
38 :
:02/01/10 23:59 ID:vL2Jb741
日本人の体格は平安中期頃からずっと157cm〜160cmの間をキープしてて
これは明治に入るまで基本的には変わらなかった。
まあ藤堂高虎みたいな180cm級の人間もいたそうだけど。
確か宣教師の記録で、
日本人の体格は中程度とあったらしいけど、
これはむしろ連中も小さかったという事かな?
40 :
:02/01/11 00:09 ID:M1SgYdzW
中世ヨーロッパの棺桶の直径が160cm〜170cmだから
今の日本人と欧米人ぐらいの差だったかと
まあポルトガル人はヨーロッパでも小柄でしたし日本人と変わらなかったかもしれませんね。
41 :
:02/01/11 00:10 ID:U2VDdFGh
>>30 体格については全くしらないが日本刀についてはまったくの見当ちがい。
「太刀」と「刀」を比較してもモノがまったく違う別物なので意味がない。
馬上戦を目的として作られたのが太刀で地上戦を目的として作られたのが刀。
身に付け方、使用目的ががまったく違うんだから大きさが違ってもあたりまえ。
鎌倉期は馬上の一騎打ちが中心なので太刀が多用され戦国期は足軽による
地上戦が中心なので刀が多用された。
変わってきたのは体格ではなく戦闘方法。
42 :
:02/01/11 00:14 ID:M1SgYdzW
問題は体格の大きさではなく戦闘能力がどれほどだったかが問題でしょう
日本人は戦国末期には海外でも優秀な傭兵として東南アジアでは重宝されていた
イギリスの東インド会社にも雇われてたぐらいその名を轟かせていました。
43 :
柳成龍:02/01/11 00:18 ID:ycE+6OfS
そうじゃのう。
日本兵の強さは折り紙つきじゃ。
わが国とて朋友李舜臣がおらねば危うかったところじゃ。
44 :
.:02/01/11 00:25 ID:5nwguISx
刃を下に向けて、ヒモを使って腰に吊るすのが太刀。
刃を上に向けて、腰帯に差し込むのが刀(別名:打刀)。
太刀に比べると、刀の方は反り返しが少なく、鞘からスムーズに抜ける。
手首を返した(手のひらを相手の方に向けた)状態で柄を握り、
そのまま振りおろして使うため、もともとは足軽や雑兵などが用いていた。
45 :
:02/01/11 00:26 ID:M1SgYdzW
日本刀が短くなったのは集団での乱戦で使用する為
戦国時代でも人によっては刃渡り180cmという考えられない大きさの
日本刀振り回してた記録もあります(姉川の合戦にて)
それと鎌倉時代の日本人が大きくて戦国、江戸時代になると小さくなったと言うのは
まったくのでたらめです、日本人は古代から近代に入るまで157cm〜160cmの間です。
46 :
柳成龍:02/01/11 00:31 ID:ycE+6OfS
ところで聞きたいのじゃが、
どなたか権慄や郭再祐について詳しい事を知らぬか?
47 :
.:02/01/11 00:37 ID:5nwguISx
>>45 さらに江戸期に入って短くなったのは、幕府がうるさくなったからですねえ。
48 :
tenpura ◆UMAIu01k :02/01/11 00:40 ID:MxeY+/hu
>>47 幕府は定寸といって長さを定めていますね。
ただ、幕末になると守らなれくなったらしく、土佐などでは
長い刀が大流行だったとか。
49 :
:02/01/11 00:44 ID:R/21/x7m
江戸時代の刀はほとんど儀式用といってもいいのでは・・・
黒蝋塗りの鞘に黒糸の拵えって、戦場より床の間が似合う。
50 :
.:02/01/11 01:30 ID:5nwguISx
ウチに白鞘の脇差があるけど、結構重いね。
他にあるのは黒塗りのばっかりだけど、白鞘の脇差が一番気に入ってる。
槍は重い。重すぎる。あんなの振り回してた人は偉すぎる。
ナイショで鎧櫃に入ってた具足も付けてみたことあるけど、
装着方法が分からなかったのと、サイズが合わなくて断念したよ。
51 :
>46:02/01/11 01:38 ID:qacrVzZw
権慄は韓国の稀姓らしいよ。
韓国人の権氏のネーチャンが言ってたぞ。
52 :
:02/01/11 01:38 ID:M1SgYdzW
文禄慶長の役で日本が困った事は軍事的な事よりもむしろ経済的なことが大きい
当時日本の貿易は銀や銅、日本刀や鉄砲などを輸出しその代わり大陸からは
木綿や絹さらに当時の貨幣である銅銭を明から輸入していたのです。
朝鮮戦役で朝鮮相手に戦ってたのは良いものの明軍の介入を招いてしまった事は
当時の日本経済に深刻な危機が訪れるのじゃないかと堺の商人たちは懸念し出しました
そしてその動揺は小西行長ら現場の武将達にも棄戦ムードを漂わせました
かくて戦線は南北に膠着状態を招き秀吉の寿命待ちとなったのです(笑
53 :
名無し@仕事人:02/01/11 01:41 ID:aP2oQQR+
>>30 意味不明。馬鹿?
中子の二つ穴が10cmくらい離れているのは当たり前。
近いのは、装飾が力点の刀。
54 :
名無し@仕事人:02/01/11 01:42 ID:aP2oQQR+
>>48 土佐は居合もあったからね。
長いのが好まれたかも。
55 :
名無し@仕事人:02/01/11 01:50 ID:aP2oQQR+
>>30 失礼。ごめん。
>>53訂正。
居合で使った、試し切り用の刀を基準に考えてた。
これ、現代刀だわ。
56 :
>53:02/01/11 01:50 ID:qacrVzZw
あほう
57 :
◆lQfZlYMk :02/01/11 01:53 ID:/b2ZcVOf
なんか、朝鮮の役でも、薩摩の薩摩次元流みたいな、一刀両断が猛威を振るったってホント?
知ってる日と教えて。
58 :
:02/01/11 01:55 ID:M1SgYdzW
>>50当時の日本人がいかに力持ちだったかを偲ばせますね
背は低くとも現代人と喧嘩したら戦国時代の人が勝つかもしれない。
59 :
名無し@仕事人:02/01/11 01:55 ID:aP2oQQR+
>>56 ごめんねえ。
でも中子が短い刀は怖いよ。
柄割れるから。
60 :
>55:02/01/11 01:57 ID:qacrVzZw
了解
61 :
:02/01/11 02:03 ID:M1SgYdzW
>>57 それ、支那事変でも日本兵が白兵戦時に多用してた戦法だったとか
なんでも上段から振り下ろすと支那兵の頭が簡単にパカッと開くんだそうで。
62 :
名無し@仕事人:02/01/11 02:11 ID:aP2oQQR+
63 :
:02/01/11 02:14 ID:M1SgYdzW
そうそう、白兵戦に持って行かれた支那兵は大抵逃げるか腰抜かすそうで
そこを真っ向から唐竹割りにするんだそうで、従軍日記なんかで呼んだんですけどね。
64 :
>63:02/01/11 02:17 ID:qacrVzZw
それが日本軍の邪悪な証拠(ワラ
銃撃戦と同じで、デカイ口径の銃で吹き飛ばすか、
確実に致命傷を与えない限り、
多少の怪我じゃあ戦闘能力は奪えないから、
結局反撃で殺されるってのと同じじゃないの?
槍で多少突かれようが、太刀で一刀両断にすれば、
有無も言わさず一発昇天なんだから。
66 :
名無し@仕事人:02/01/11 02:19 ID:aP2oQQR+
支那兵はヘルメット被ってなかったのかな。
私が昔聞いた話では、剣道有段者は面を打ちに行くので
ヘルメットにあたってしまい役に立たず、
示現流を習った人達は袈裟切りを第一に行うので
活躍したとか・・・。
67 :
:02/01/11 02:21 ID:R/21/x7m
何だかとってもリアルな話が続いてますが、皆さん御年いくつですかw
68 :
名無し@仕事人:02/01/11 02:23 ID:aP2oQQR+
>>65 刀で一刀両断するのは大変だ・・・。
まあ、それだけの腕前を持っていれば、
白兵戦では活躍できるだろうけど。
69 :
:02/01/11 02:30 ID:M1SgYdzW
>>68だからこそ日本兵が強いと言われてたんじゃないですか
今はもう神話と化してますがね。
それでもPKOで自衛隊が紛争地域に行くとその地域だけは戦闘がぴたりと止むとか(藁
>>66 トンボから袈裟ですね。
剣道の稽古で袈裟の一の太刀が外れると何処を叩かれようと動かなかったという
示現流のじさまを知っております。稽古にならんからおやめ下さいと師範に言われ
ても一向に聞かなかった。
一の太刀が外れると自分は斬られて死んでいるから、二の太刀は無いそうで(笑
しかし、横っ面に食らうと面の上からでも首が折れるかと思いましたです。
じさまの癖にやたら速かったすね。
ホントに頑固なじさまだった。既に亡くなって居られますが...
71 :
74式:02/01/11 02:41 ID:aMhHZR+W
>柳成竜
朝鮮征伐の数年前、使節が日本に来ているけど、
その使節の大使の日本が朝鮮に攻めてくる気配があるって報告を
この人が握りつぶした。(副使は攻め入る気配はないと報告)
これは大使は西人派で柳成竜が東人派(副使も東人派)だったからで、
派閥闘争で国をあやうくしたという例。
これが元で一時、左遷させられる。
のちに、役職に戻って兵站を担当するから、
それなりに優れた政治家なんじゃないかな。
(朝鮮戦争の後どうなったかは私の記憶にありません。たしか、左遷されたような)
ちなみに李舜臣は東人派。元均は西人派。
72 :
名無し@仕事人:02/01/11 02:43 ID:aP2oQQR+
>>69 満州その他で実戦を経験した先生がとある雑誌で書いてた
話だと、腕つかんで刺すそうで。
組太刀にありますが・・・。
>>70 見事な意地ですね。
73 :
:02/01/11 02:48 ID:M1SgYdzW
確か居合道では刺すと同時に即抜くんでしたっけ?
そうじゃないと筋肉の収縮で刀が肉に埋まってしまうとか。
>>73 ボクシングみたいだな。
何だか、昔の日本人は随分合理的に人を殺したもんだなぁ。
中国のカンチガイ拳法とは違い過ぎ。
75 :
◆lQfZlYMk :02/01/11 02:57 ID:/b2ZcVOf
なんか薩摩示現流ってかっこいいすね。
ところで、朝鮮の役での示現流の話はしってるひといないのでしょうか?
76 :
!:02/01/11 02:59 ID:NJskVDKT
>>74 以前、空手家(もちろんフルコンタクト系)と中国の拳法家の試合を
テレビで見ました。
・・・秒殺でした・・・・・。かわいそうな拳法家(涙
77 :
:02/01/11 03:03 ID:M1SgYdzW
居合の形稽古では刺す動作より抜く動作がもっとも厳しく指導される所だそうです。
昔、マス大山が世界を相手に戦えた事について
「連中は空手を知らなかったから出来た」と言ったそうですが、
当時、合理的な格闘技なんてごく限られてた訳ですからね。
そら、好き放題出来たでしょう。
79 :
名無し@仕事人:02/01/11 03:13 ID:aP2oQQR+
>>73 そーいやそうですね。意識したこと無いけど。
>>78は、中国拳法VSフルコンというか、
中国兵VS日本兵というか、
李朝鮮兵VS日本のサムライの構図についてです。
81 :
名無し@仕事人:02/01/11 03:15 ID:aP2oQQR+
>>77 相手の身体から抜くよりも
鞘から抜く型こそ居合の命・・・
82 :
名無し@仕事人:02/01/11 03:17 ID:aP2oQQR+
まあ、居合自体は戦場の剣では無いんですが・・・
83 :
:02/01/11 03:26 ID:M1SgYdzW
そういや18が一対一では体の小さな日本兵は明朝兵より弱かったって
話からここまでレスが伸びたんだよね。
島津が3千人対5万人の戦で勝ったのは何なんだ。
85 :
:02/01/11 03:29 ID:M1SgYdzW
確か明側の兵力は7万じゃなかった?
86 :
:02/01/11 03:30 ID:k6Do+Nnb
この頃を境に、韓国人はキムチと猫を食うようになった。
マジで。
87 :
:02/01/11 03:34 ID:M1SgYdzW
18は鉄砲のおかげで見たいな言い方してるけど
それじゃあ元冠の時の日本武士の奮闘振りはなんだったんだろうか?
しかも単身敵船にまで乗り込んで切りまくったり、
かなり無茶してる武士もいたんだが。
>>87 倭寇でもそうだね。
逆に李舜臣の活躍は亀甲船という対斬り込み戦闘用の船の存在が大きかったと思う。
89 :
:02/01/11 03:41 ID:k6Do+Nnb
元冠の時は上陸させないことが重要だったから、話がまた違ってくるだろう。
壬申の頃の朝鮮はそもそもまともな武器がなかったとも聞いているので、1on1
で勝っていた、なんて事も無いだろう。
90 :
:02/01/11 03:41 ID:M1SgYdzW
亀甲船のあの独特の形は元々日本兵を船上に乗り込ませない為の設計ですしね
大砲頼りの船というか。
91 :
名無し@仕事人:02/01/11 03:41 ID:aP2oQQR+
ちゅーか、身体の大きさで決まるなら、
どこの国でもやってた兵隊の武術訓練は不要ですな。
よく韓国が軍隊格闘技として自慢する
軍隊のテコンドーも、無駄中の無駄と言うことに(w
民兵とか朝鮮人とかは貧しいから体も小さそうなんだが・・・。
例の写真に出てくる朝鮮人は、皆160cmもなさそうだったし。
92 :
名無し@仕事人:02/01/11 03:44 ID:aP2oQQR+
薩摩って白兵戦ではイギリスを圧倒してなかったっけ?
勘違いかな。記憶がおぼろ。
アングロサクソンとの体格差は、朝鮮や中国人とは
比べ物にならないような気が。
93 :
:02/01/11 03:47 ID:M1SgYdzW
まあ18の人はアズマ主義とか言う日本史板でしか通用しない史観の持ち主ですから
秀吉やその他出兵した武将は殆ど西側の大名だったからケチ付けたかった
だけなんでしょうがね。
94 :
:02/01/11 03:48 ID:M1SgYdzW
95 :
名無し@仕事人:02/01/11 03:49 ID:aP2oQQR+
96 :
:02/01/11 03:50 ID:k6Do+Nnb
薩摩の一太刀目は絶対受けるななんていうのは、日本ローカルの常識だからなぁ。
そりゃ酷い目にあったんだろうな、多分。
97 :
:02/01/11 03:53 ID:M1SgYdzW
砲戦で意外と薩摩が善戦したと言う話は聞きますが。
98 :
:02/01/11 04:02 ID:M1SgYdzW
>>89いや、博多とその周辺で市街戦展開してただろ?
それで結局元軍は占領できずに軍船に引き上げちゃったじゃない。
99 :
:02/01/11 06:11 ID:iXk9zmZ6
当時の大砲の威力ってどんな感じ?
日本で大砲が軽視されたのは有効性がいまいちだったからでは?
とか日本史板ででてたけど。当時の日本人は戦争のスペシャリスト
だから不合理なことはしないと思う。
あの丸い球ではスピードが遅いはず。弾道が目に見えるのではいま
ひとつ迫力が…。海戦ならそれでも有効だったろうが…。
>>99 いや、西洋の大砲が先に入ったのが、明で、
西洋の鉄砲が先に入ったのが日本。
ただ、その差。
101 :
:02/01/11 06:36 ID:lcDKq+La
これは、煽りに1が耐えるスレですか?
102 :
:02/01/11 07:38 ID:MRPW2XwH
>>93 アズマの名を借りた関西のチョンだろ。
アズマ主義は板東武者=日本史の主役史観だ、う゛ぉけ。
板東武者=日本史の主役史観つーのは判んなくは無いが…
主義は言い過ぎだろ。
104 :
:02/01/11 08:53 ID:LJZhL7/2
>>75 示現流まで知られたかわからんが、シナ兵からは、島津は石(万)子??漢字忘れた。
読みでは”シーマンズ”って言われて(すまんこのへんもうろ覚え)それは恐れられたらしいよ。
>>104 シーマンかよ。
いや、すまん。忘れてくれ。
106 :
ななし:02/01/11 09:35 ID:r6OpDU09
>>99 大砲は「国崩し」なんて名前が付くくらい恐れられてます。
もっとも国崩しは大砲としての性能は今一つのようですが・・・。
それと球形弾は落ちて地面を転がってる状態でも兵馬を殺傷するんで、
かなり恐ろしいもんです。
まぁ宗リンの国崩しは仏朗機だから駄目でしょう。
優れた発想(後装砲兼カートリッジ)が技術的問題に勝てなかった。
勿論、尾栓も不完全だから弱装薬で発砲。弾も飛ばない。
威力は弱いが脅しに最適。
108 :
:02/01/11 12:28 ID:q7kHuq+1
李氏朝鮮の王族が半島を必死こいて逃げ回っているその頃、
秀吉は優雅に名護屋城で能のお稽古と茶の湯三昧(w
秀吉にとっては、朝鮮征伐より直前の四国征伐、九州征伐の方が大変だったろうね。
>>76 たのむから、あれを中国武術の代表と見ないでくれ。
詳しくは武道板で龍飛雲(リュウヒウンを検索してもらえればわかると思うが。)
110 :
!:02/01/11 12:49 ID:OAxr3T/p
>>109 わかりました。
あれはちょとひど過ぎでしたから。
まるで舞踊のようだった・・・・。
テンプラさんは中国系の武術をやっとられるんですな。
太極拳?
武道板で龍飛雲を検索してみますね。
震天雷って李氏朝鮮の兵器だったっけ?
112 :
ななし:02/01/11 15:15 ID:r6OpDU09
中国発祥のようですねぇ。
大砲だって説と炸裂弾だって説があるようですが。
113 :
:02/01/11 21:13 ID:6yV4yWQq
>>99 当時の大砲は攻城兵器です、只の鉄球を飛ばすだけの大砲はヨーロッパでは城塞都市攻撃に
使用されました。
ただ、日本では城は純然たる軍事拠点であり生半可な大砲では通用しない規模の城塞であったり
大砲の搬入が困難な山城が主流であった為に発達しませんでした。
ヨーロッパで大砲の革命、榴弾砲が登場するまでは大砲は脇役でしかなかったのです。
114 :
:02/01/11 21:56 ID:uptZ660q
明の最強兵器は飛翔震天雷
これは数百個と言う小型爆弾を一気に放出する面制圧兵器です
日本軍は野戦でこれに苦戦したようですね。
18さんが言うような支那兵自身の優秀さが日本兵を苦しめた訳ではありません(藁
115 :
:02/01/11 21:57 ID:M93Q45FH
※ うっとうしい
不動産会社より、催促のメールが来る。鬱陶しいので、「お宅に資料請
求した覚えは無い」、しかしかくかくしかじかで刑事告発する可能性が
あるので、ログは保管しておいて下さい、旨の返信を送る。早速、とあ
る人々より具体的なアドバイスを受ける。深謝<m(__)m>。「捜索差押許
可状の発布を得ていつでもISPの捜査に着手できる」とのこと。
なんでもこういうケースでは、まずメールアドレスの「窃盗罪」が成立
するらしい。20日間ほど不自由な思いをする羽目になるかもしれないか
ら、新聞止めたり、郵便物を止めたり、レンタルしたビデオも返してお
くようにね。顧問弁護士がいるとも思えないから、地元の当番弁護士制
度も調べておいた方が良いよ。私は普段から、くだらないストーカーや
ら民事で警察を頼るな、行政コストを増やすな、その前に自分のコスト
で身を守れと主張している人間だから、心苦しい所はあるけれど。私と
しては、結構辛抱したつもりだし、2チャンで莫迦だのアホだの書かれ
る程度なら所詮はただの有名税、書かれてなんぼのものと割り切れもす
るが、同じくキーボードを叩いてやるにしても、超えちゃならん一線が
あるってことを認識できん相手には、それなりに不愉快な思いをして貰
うしかない。以降の展開に関しては、どうなっても、新聞に載るまで、
私からはもう一切公にはしない。触れない。
116 :
:02/01/11 23:15 ID:6yV4yWQq
>>114 >明の最強兵器は飛翔震天雷
これってロケットだっけ?カタパルトだっけ??
117 :
:02/01/12 00:16 ID:AuhbkUZm
>>116カタパルトです木製の。
簡単に言えば投石器を改造したものみたいですね
爆弾を導火線で連結してあって飛ばす時にタイミングを見計らって着火して
一気に丸ごと飛ばすんだそうです。
うまく行けば半径50mくらいを焼けるそうです
まあその前に導火線に水をぶっ掛けられたらお終いだったそうですが
泗川城の戦いでこれを使われた島津軍は消火するのに大変だったとか。
118 :
アジュマ:02/01/12 00:58 ID:GDc7nj+1
明の華北兵は女真族や蒙古族と戦うために体格がでかかったらしい。
日本人の豪傑でも一騎打ちではデカイ明兵には適わず何人かで襲い掛かってやっと討ち取ったとか。
震天雷ははそうとう威力を発揮したみたい。明軍の提督、李如松は
「倭軍が頼むのは鳥銃のみ、それに引き替え、我が軍には5,6里も飛ぶ大砲がある倭軍など一捻りにしてくれる」
と語ったそうです。
しかし、ペクチェグァンの闘いでは李如松は直属の北方系の騎馬隊に
手柄を立てさせようと平壌に大砲のほとんどおいて、出撃したため、長篠ノ合戦の再現になったとか。
119 :
:02/01/12 01:04 ID:AuhbkUZm
:02/01/10 23:30 ID:vL2Jb741
>>18そんな逸話聞いた事無いぞ、むしろ白兵戦になると日本刀で槍の穂先折られたりして明朝軍は手を焼いたって話だ
日本軍が陸戦で手を焼いたのは明の装備してた大砲群だよ
大体、体が大きいったってアジア人での差異なんて微々たる物せいぜい2、3cmが良いところ。
25 : :02/01/10 23:35 ID:xcbBD2rf
>>23 そうそう。
朝鮮兵や明兵はサムライの剣術にかなり手を焼いたらしい。
朝鮮なんかは文禄の役の際に捕虜となったサムライから剣術を学んだらしい。
『朝鮮王朝実録』なんかに記されてるらしいよ。
120 :
:02/01/12 01:10 ID:AuhbkUZm
>>118もう体格自慢は通用しないぞえチョンチョン
121 :
:02/01/12 01:18 ID:/788oFb+
122 :
名無しさん:02/01/12 01:19 ID:/Jn4zvgX
戦国時代の日本人は現代の我々が漠然と想像するほどは
小さくなかった
小さくなったのは江戸に入ってから
123 :
:02/01/12 01:21 ID:AuhbkUZm
124 :
:02/01/12 01:23 ID:/788oFb+
125 :
コピペ:02/01/12 01:25 ID:AuhbkUZm
34 :>18 :02/01/10 23:55 ID:tAAir66Y
実は日本軍を悩ませたのは、「体格の小さい」江南軍だよ。
火砲主体の軍だからね。
38 : :02/01/10 23:59 ID:vL2Jb741
日本人の体格は平安中期頃からずっと157cm〜160cmの間をキープしてて
これは明治に入るまで基本的には変わらなかった。
まあ藤堂高虎みたいな180cm級の人間もいたそうだけど。
42 : :02/01/11 00:14 ID:M1SgYdzW
問題は体格の大きさではなく戦闘能力がどれほどだったかが問題でしょう
日本人は戦国末期には海外でも優秀な傭兵として東南アジアでは重宝されていた
イギリスの東インド会社にも雇われてたぐらいその名を轟かせていました。
126 :
:02/01/12 01:29 ID:AuhbkUZm
>>124それは統制のとれた集団戦で接近戦時に槍を使ってたって事
もう隊列もバラバラで両者入り乱れての戦闘では当然刀を使っていた。
127 :
そういえば:02/01/12 01:30 ID:7xOPIEjv
元軍の記録にも日本兵は大きかったと書いてあるらしい
128 :
:02/01/12 01:34 ID:/788oFb+
>>126 当然って・・・・本気か?槍ってのはそういう乱戦にも対応できるぞ?
129 :
:02/01/12 01:37 ID:AuhbkUZm
>>128あんた槍術でも習ってたの?
自分は実際の槍を持ってみたことあるけど、かなり重いよ
刀なんかと比べても使いまわし悪いし。
130 :
ほんとか?:02/01/12 01:39 ID:h9HlvoeI
刀は乱戦にむいてないぞ。
刀に血がつくと切れなくなるので、白兵戦では使われてなかったと聞いたが。。
131 :
:02/01/12 01:42 ID:/788oFb+
>>129 重いから使えるんだよ、取りまわしの良いだけの刀なんて、よほどの
熟練者じゃないと使えないよ。
132 :
:02/01/12 01:45 ID:8HMx+hSl
>>130 それネタです。
槍を持った部隊が敵陣に紛れ込んで戦う
河越野戦を想像して笑ってしまった。
133 :
>132:02/01/12 01:48 ID:7xOPIEjv
カンハンは白兵戦で日本軍に歯が立たなかったとかいてるな。
まぁ、倭寇に悩まされるようじゃナ
134 :
:02/01/12 01:48 ID:8HMx+hSl
>>131 それネタです。
武器は短い方が扱いやすいです。
ローマの短剣密集隊形>マケドニアの長槍密集隊形
です。
135 :
:02/01/12 01:50 ID:AuhbkUZm
>>130実戦で使う時は刀の表面を砥石なんかで削って血糊で刃が滑らないように工夫してたの
今美術館なんかで見れる刀は美術ように表面を磨いてるから綺麗に見えるだけ
この一連の作業を「寝刃を起こす」と言われてたんだよ。
136 :
>134:02/01/12 01:50 ID:7xOPIEjv
知ったようなことを(ワラ
>>129 それ、真槍では?
手槍とかは軽くて扱いやすいよ。
138 :
それと:02/01/12 01:54 ID:7xOPIEjv
江戸期には日本人の身長が縮んだからこそ、古い刀は短くしてるのよ
139 :
:02/01/12 01:55 ID:AuhbkUZm
140 :
:02/01/12 01:57 ID:AuhbkUZm
>>138江戸時代には幕府が寸の長い刀を禁止したからやむなく短くしたの
141 :
>139:02/01/12 01:57 ID:7xOPIEjv
白兵戦では日本兵に勝てなかったと当時の記録に残っているぜ.
142 :
:02/01/12 01:58 ID:8HMx+hSl
>>136 混戦時に扱いやいスペイン産短刀グラディウスを
スキピオ・アフリカヌスがローマ軍に導入したのは
本当です。
ネタじゃないです。
143 :
:02/01/12 02:00 ID:AuhbkUZm
>>138 日本人の体格は古代から158センチから160センチの間をうろうろしてただけ。
明治に入って欧米食が入ってきてからじわじわ伸び始めた。
144 :
:02/01/12 02:02 ID:/788oFb+
あの、ローマの槍って恐竜的進化により半端じゃなく長いんですけど・・・
もちろん、ケースバイケースで刀抜く事もあったろうけどね。
145 :
:02/01/12 02:06 ID:8HMx+hSl
>>144 それはグラディウスより以前のものです。
軍団員がグラディウスといっしょに持ったのはピルムという投げ槍です。
146 :
:02/01/12 02:08 ID:8HMx+hSl
いや、グラディウスの前にはとっくに長剣主体になってて
さらにずっと前です...。
147 :
:02/01/12 02:08 ID:AuhbkUZm
ローマの戦術ってまず軽い槍投げて次に重い槍投げて相手の盾を使えなくしたとこにグラディウス持って突撃っていう戦法じゃなかったか。
148 :
:02/01/12 02:10 ID:7xOPIEjv
日本軍の半数以上は鑓足軽なんだよ。
次が鉄砲足軽
149 :
:02/01/12 02:14 ID:AuhbkUZm
いや鉄砲隊が全軍の3分の1で全体の装備からすると一番多い。
150 :
それと:02/01/12 02:16 ID:7xOPIEjv
備辺司堂上の李恒福が、日本軍と戦う時の心構えとして白兵戦を禁じている。
151 :
それと:02/01/12 02:20 ID:7xOPIEjv
備辺司堂上の李恒福が、日本軍と戦う時の心構えとして白兵戦を禁じている。
152 :
:02/01/12 02:22 ID:AuhbkUZm
>>150そうそうそれはほんとの話
接近戦挑もうとすれば先ず鉄砲の餌食にされ
白兵戦では足軽戦術に翻弄され散々だったからな。
それで命を落とした明朝両軍の諸将は数知れず
明軍が誇った華北産の優秀な軍馬も次々と鉄砲の餌食にされそれは悲惨だった。
153 :
>149:02/01/12 02:22 ID:7xOPIEjv
陸軍参謀本部編の資料では
約半数が鑓 1/4が鉄砲となっているが?
154 :
:02/01/12 02:25 ID:AuhbkUZm
>>153雑兵雑記とか読んだことある?戦国も末期の装備率だよ149は。
155 :
>154:02/01/12 02:29 ID:7xOPIEjv
例えば島津は全軍15000で鉄砲は1500丁
立花は鉄砲足軽200
156 :
:02/01/12 02:35 ID:AuhbkUZm
日本の戦は基本的に遠戦指向、これは源平合戦の頃から変わらない
お互い陣盾を置いて盾の隙間から弓矢で狙撃、これが伝統的な日本の戦い方
鉄砲が登場してもこれは変わらなかった、ただ戦闘スピードが増したのと
死傷者の数が倍に増えた、これらの死因の半数が矢玉が致命傷となっていた。
157 :
>155:02/01/12 02:37 ID:0VvUWpey
立花の場合だと 鑓足軽500 歩士150 弓足軽100
158 :
:02/01/12 02:39 ID:AuhbkUZm
>>155先ず軍隊の3分の1が兵糧部隊などの後方支援部隊だった事をお忘れなく。
159 :
ななし:02/01/12 02:42 ID:p5IuPnmD
日本の槍足軽の戦法は、集団で上から叩くように使うものだったはず。
ほとんど殴打に近い。突いたり払ったりはあんあまりしないらしい。
つーか、三間もあったら細かい動作なんて無理だよなぁ・・・
160 :
>158:02/01/12 02:43 ID:0VvUWpey
当然!むしろ貴方は鉄砲隊に非戦闘員の鉄砲小物を入れてるんでしょう。
161 :
:02/01/12 02:44 ID:AuhbkUZm
>>159幾らなんでも止めとしては刺してたでしょ(藁
陣形崩しに叩いてたのならわかるけど。
162 :
:02/01/12 02:54 ID:AuhbkUZm
雑兵雑記ではまず鉄砲の打ち合いが続いて片方の陣形が崩れ出すと
鑓組が出てきてまだ死に切れてない敵兵に止めを刺しその後に刀で首を切る
と、大雑把にいえばこう記述されてる。
163 :
:02/01/12 03:03 ID:AuhbkUZm
だから日本人がとりわけ白兵戦に強かったんじゃなくて
日本人が遠戦指向で白兵戦に持ちこむ前に敵の殆どを殲滅してるか
士気喪失状態にさせていたから白兵戦でやりたい放題の活躍が出来た。
164 :
ななし:02/01/12 03:09 ID:p5IuPnmD
あ、それはもちろんです>突き。
陣形を崩して、有利な体制になったら突くでしょうね。
それに、無茶長い槍の先端についた穂先が降ってくるんで、殴打と
いっても下手すると即致命傷なんですよね。
165 :
>163:02/01/12 03:11 ID:0VvUWpey
カンハンの看羊録によると、日本兵は槍なら槍のエキスパートだから強かったと分析してるな。
166 :
:02/01/12 03:14 ID:AuhbkUZm
>>165すまん、ハンカンて具体的にどんな人物なの?
何人でどんな職業?
167 :
>166:02/01/12 03:23 ID:0VvUWpey
李栗谷の弟子で藤原惺窩の朝鮮朱子学の師匠
捕虜となって京都で暮らしてたんだけど、その間の日本見聞記が「看羊録」
彼にとっては古今の兵学に通じ「武芸に秀でた」朝鮮・明軍の「豪傑」たちが
もろくも敗れ去った事が不思議だったらしい。
168 :
:02/01/12 03:29 ID:AuhbkUZm
>>167その人は実際に朝鮮半島での日本軍と明朝軍の戦闘を目の当たりにしてたの?
風の噂で書いてたとか記述時期と戦役の時間が合ってないとかそういう事はないの?
169 :
>168:02/01/12 04:19 ID:P4OIts2b
戦って捕虜になった
170 :
:02/01/12 04:32 ID:AuhbkUZm
ということは実戦体験が元になって書いたのが看羊録ってこと?
171 :
名無し@仕事人:02/01/12 04:38 ID:eVJB201H
今川義元って、桶狭間で槍に刺されてなかったっけ?
あれは乱戦と違うのか?
172 :
名無し@仕事人:02/01/12 04:41 ID:eVJB201H
真槍は難しいかもしれないが、
薙刀とかは普通の大きさの室内でぶんぶん振り回しても
平気なので、手槍なら問題ないと思う。
刀で鎧武者は倒しにくいと思う。
173 :
>170:02/01/12 04:46 ID:P4OIts2b
基本は日本見聞録だけどね。
ただ、
>>165の事は根底にあるようだね。
174 :
:02/01/12 04:53 ID:ddkEfmSJ
>>171 服部小平太が一番槍をつけるも今川義元に刀で切り返されて
果たせず、毛利新助が首をかき切ったことになってるかも。
175 :
:02/01/12 04:56 ID:AuhbkUZm
戦後に発見された武功夜話は、役後20年以内に書かれた本で、
たいへんに貴重な内容が記してある。
幸州山城の攻めについては、
「これまでの中で、もっとも厳しき取り合いなり」(取り合い=城攻め)
「手負い討ち死に4000人」
と書いている。討ち取る首級4000ヶとも書いているが、城の手兵は
数千といわれているから、死傷者は同数か日本側のほうが多かったかも
しれない。
結局、廓のいくつかを日本側は占拠し、食料庫を奪取した。これが
ひとつの狙いだった節がある。
食料庫を奪取した鍋島かどこかの武将が賞を受けている。
176 :
:02/01/12 05:00 ID:AuhbkUZm
蘇峰徳猪一郎著『近世日本国民史 第九巻 朝鮮役下巻』(時事通信社 昭和三十九年二月十日発行)によれば、
秀吉の死去後、五大老は朝鮮の諸将に撤兵を命を出し、順天、泗川では明軍は敗戦で戦意を失っていたため
早々と講和が締結されたらしいです。順天では提督の劉延が降倭の沙也可を使者として小西行長に和議を
持ちこみ、人質として劉天を差し出しました。朝鮮の資料「宣祖實緑」では順天城の攻防における劉延の
無能ぶりを「(略)提督事を行ふ、正に魂を奪はれたる人の如し。将卒皆軽侮す。適ゝ泗川の敗報を見、(略)
意を決して兵を退く。尤も痛泣を為す。(漢字を一部略字に変更してますので間違いがあればすいません)」
日本軍に手痛く迎撃されられた上に、泗川の敗報に報して日本諸将の撤兵意思を好材料として和を講じたの
でしょう。しかし、明と朝鮮の連合軍はそれを反故にして後に押し寄せることとなります。
177 :
:02/01/12 05:03 ID:AuhbkUZm
泗川での講和
明側の資料、「両朝平攘録」には「(略)中路使督陣茅國科、撫臺の激を持し、金パクを賚して義弘に見え、動すに
大儀を以てし、諭すに利害を以てす。郭國安傍より之を賛す。義弘許諾す。」とあり、
日本側の資料「征韓録」には「十月八日に、徳水式部卿法印壽昌(略)、泗川の新塞に来て、殿下の厳命なりとて
和議の次第、貢税の品、掃陣の行を述らる。その掃陣の期限は、十一月十五日を期として、諸将相倶に釜山浦へ
(略)、然るに十月十三日に、参謀史龍添(略)、此の塞に来り、和議を請ふ。(略)彼の人質を請取(略)和議と相成りて
掃陣の催しあり」
ともかく、泗川の大勝によって明軍を和議に向かわせたのは資料から確実と思われます。
前のレスを補足すると和議を結んだから撤退したのではなく、撤退の過程で和議が結ばれた、という事ですね。
義兵のことですが、彼等の活発な活動が日本軍を苦しめたのは疑いありません。
ただ、支配者層は義兵の反日抗争を自らの階級支配の道具に組み入れようとやっきになったそうです。
178 :
:02/01/12 05:03 ID:AuhbkUZm
金奉鉉著「秀吉の朝鮮侵略と義兵闘争」(彩流社)によれば、戦争初期においては義兵を官軍に引きこむため、
義兵将らにたいして高い職位を授ける措置をとったが、やがて義兵闘争が官軍の補助的役割をするようになると
義兵には厳しい統制と圧力がくわえられ、政府は義兵達が巡察使(道内の軍務を巡察する官職臨時軍司令官)及び
体察使(臨時宰相兼軍司令官)の指揮を受けるようにしたが、それらの指揮官は殆どの者が正確な指揮をなしえなかった。
戦争末期には、為政者たちは義兵の存在を十分留意していた。すなわちかれらは戦闘の経験を有し、武器を多数
備え、権力者にとって恐ろしい存在である事を認識し、義兵にたいする統率と圧力をより一層強化するとともに
迫害を加えた。そのため、義兵達は組織された部隊として機能できなくなった。
しかも、義兵部隊の核心的活動家はほとんどが被圧迫階級で、体を張って貢献したにも関わらず、政府はかれらを
正当に評価せず、戦争が終わると義兵たちはまたもや農奴的身分におとしめ、過酷な収奪を繰り返した。
義兵闘争の過程で官職を授けられた義兵将も、国家権力によって廃履のように捨てられるが、党派の政争に組み込まれて
権力者らの猜忌や謀略により迫害され、はては流配か死刑かの不遇な生涯を送らねばならなかったそうです。
179 :
:02/01/12 05:06 ID:AuhbkUZm
この役が明に与えた影響ですが、少なくなかった様です。
日本軍は慶長3年12月には釜山を引き上げたが、明兵は萬暦27年(慶長4年4月)に一部が撤退を始め、
最後まで残った二万四千の兵が引き上げたのは萬暦28年(慶長5年)でした。
当時明は万暦帝の治世でしたが、1582年の寧夏ボバイの乱に始まり、朝鮮の役、97年の播州の楊応竜の乱は
万暦の三大征と呼ばれ、それぞれ二百余万両、七百余万両、二、三百万両を費やし明の財政に大打撃を与えました。
くわえて1597年に宮中の三殿が焼けると、用材を遠く貴州からも運ばせて造営工事を始め、材木一本9000両、
総工費は朝鮮の役を上回ったそうです。そのため銀がますます必要となり盛んになった商品流通を目当てに商税を
取りたてる事が決まり、宦官が全国に派遣されて税金の取り立てが行われました。これが悪名高い『礦税の禍』です。
明人の詩人は「倭奴朝鮮に逼る。虚費百億萬。竭盡す中國の膏。聞かず隻箭に蹶すを」と詠じ、慶長3年に朝鮮の李恒
福が北京に赴いた時、彼は「東征事起、府庫虚耗」(朝天記聞)と記しています。
慶長の朝鮮再役は日本では不人気でしたが、明にとっても不人気であったと思われます。
日本軍も明と戦う気は無かったのですが、朝鮮の強い要請で両者は再び激突しました。
役が終わって後に明の~宗は朝鮮国王宣祖に向かって、「王、舊物を還すと雖も、實は新造に同じ。凋を振ひ敝を起し、
爲に力倍ゝ艱まむ。宜しく薪に臥し膽を嘗め、前恥を忘るる無かるぺし。」と諭した(明史)。
国力の疲弊した明は1644年に滅亡します。朝鮮の役はその原因とは言わないまでも、様々な要因の一つであるのは
確かなこととおもわれます。
蛇足ですが、以前のレスで明兵が多くの人間を連れかえった事を書きこみましたが原文は「亂中雜録」で
「天兵多く我が國の女子を取り、還えるに及びて皆な率ゐて去る。山海關に至りて入るを得ず。乃ち房子等を與へ、
配と作して奇住せしむ。前後並に數萬人」とあるのを個人的に解釈して書きこんだのですが、間違っていたらすいません。
180 :
:02/01/12 05:08 ID:AuhbkUZm
金奉鉉著「秀吉の朝鮮侵略と義兵闘争」(彩流社)には、朝鮮側が使用した兵器についても説明されています。
官・義軍がもっとも広範かつ一般的に使用した武器は弓箭だったそうです。
朝鮮が鳥銃と呼ぶ鉄砲が初めて朝鮮に伝わったのは、対馬藩の宗義智が1589年、朝鮮政府に献上したのが最初と
ありました。1592年李恒福(イハンボク)は「王朝軍は日本軍と戦うとき、接近して戦ってはいけない。それは
敵の先鋒には鉄砲と刀があるからだ」と警告し、『懲録』には「日本人は戦争に習熟し、しかも機械は精巧である。
昔は鉄砲はなかったが、今はそれを所有している。有効射程や命中率は弓矢に倍する。…弓矢の技は百歩にすぎず、
鉄砲は数百歩におよび。飛んでくるさまは、雨あられのよう。とても抗せるものではない」と鉄砲の威力を示している
とのことです。
その他の武器については「戈垣必備(クワウォンピルビィ)」(李王朝の武器に関する書)に説明があり、火器の種類は
二十余種類がある、とされています。
181 :
:02/01/12 05:10 ID:twkncRVx
朝鮮出兵の手記で日本の長い刀が恐ろしく・・・
みたいなやつを読んだ覚えがある。
遥か昔で記憶も定かではなく、もちろんソースも出せないのだけれど。
182 :
:02/01/12 05:12 ID:AuhbkUZm
飛撃震天雷
昔の火雷砲・地雷砲・衝天雷らの神法によってつくられた。これは敵をだます爆弾であるから大碗口から発射する。
発射するときは煙飛火烈して砲声が天地を震撼させる。よって飛撃震天雷砲という。明の飛空撃賊震雷砲と同様の
ものと思われる。古来から王朝にあったものではなく、軍器寺(兵器を製造する役所)の火砲匠の李長孫(イジャンソン)
が考案したもので、発射すると500歩飛んで地に落ち、しばらくして爆発する。敵はこれをたいそう恐れた、とある。
183 :
:02/01/12 05:12 ID:6L/N1ZyQ
>>181 確か、中国の武器体系内部じゃ、日本で槍に分類されるようなものでも、刀と呼ばれる場合があるんじゃなかった?
俺も、聞きかじりだから、ソースは出せない(藁
184 :
:02/01/12 05:12 ID:AuhbkUZm
震天雷は鉄丸で、中に鉄片を入れて導火線を穴から出し、碗口の薬室に点火して発火する火器である。やや迫撃砲に
似ている。
185 :
:02/01/12 05:14 ID:AuhbkUZm
大碗口は広範に使用された威力ある火砲であった。李瞬臣将軍は熊川浦戦闘において大碗口で震天雷を発射して敵軍を
掃蕩した。
大将軍砲は、大碗口とともに亀甲船や兵船の艦砲として威力を発揮した火砲であった。
虎蹲砲(ホジュンポ)は砲身の全長一尺九寸、重さ三十六斤、発射するとき四斤六両の火薬が必要だった。
佛狼機砲(ブルランキポ)
小説「高麗秘帖」によれば、ヨーロッパ各国で製造された艦載砲を模造した後装式の大火砲だそうです。
また、「車制対策」によれば、飛行機の原始的な形態ともいえる「飛車」が発明され、人が乗り城に入り、また人が
乗って外に出たとある。
186 :
名無し@仕事人:02/01/12 05:17 ID:eVJB201H
しかし、もし朝鮮の役の結果、例えば朝鮮半島の
南端部とかを日本領にしてた場合、今ごろ
ものすごいテロが起ってたんだろうな。IRAみたいに。
それなのに領有する利益の方は無い。
失敗して良かった。
187 :
:02/01/12 05:20 ID:AuhbkUZm
日本軍では加藤清正と黒田長政が晋州城の闘いにおいて亀甲車を考案し、城北面の石壁を崩したと本にあります。
この亀甲車とは、4輪車に櫃を取り付け、その中に兵が入り、轍を前方に回して前進し、退くときは車の後尾に結んだ
綱を後方にひそむ兵が引く仕掛けになっており、牛の生き皮数枚を剥いで裏返しに覆い(毛の部分が内側)火に耐えられる
ようになっていたとのことです。城からは巨岩を落として抵抗したものの、金梃で城壁の数カ所に孔を開け、崩した
らしいです。
188 :
:02/01/12 05:23 ID:AuhbkUZm
朝鮮の兵役
当時は16歳以上60歳までの成年男子が兵役の義務を負っていましたが、木綿二匹(米12斗価格分)を収めると兵役を
免除する「収布代役制」が広く行われ、地方の軍司令官やその官属が自己の私利私欲を満たすため、盛んに布を受け取って
いた。そのため、軍布を負担しえない貧しい者だけが軍人に召集されたので軍隊の質が低下した。
十六世紀後半には軍隊編成の基本というべき軍籍は、実質的にただ軍布を徴収するための「人頭税の台帳」にすぎなくなって
いた。これはこの時期、対内外的にこれという程の大事変が無かったからで、大衆の反乱は頻発したが、闘争が小規模で
分散していたので、政府は過酷な弾圧で十分鎮圧することができたからである。
支配階級は軍隊の訓練より軍布の徴収に血眼になり、人民から搾り取る最重要な方法となった。
当時、軍籍に登録された者は「病弱傭食之人」だけだったと「宣祖實緑」に記録されています。しかも軍布徴収は中央政府
や五軍営だけでなく、地方の官庁や兵営まで独自的に割り当てられた軍布を徴収したため、1人について2重3重に収奪され
る場合が多く、彼等が納める軍布の量はやはり所属によって二匹あるいは3匹とまちまちで、一匹の長さも一定してなかった
特に政府は財政事情が逼迫するにつれ、軍布徴収量を増額配分した結果、いわゆる「黄口簽丁(ファンクチョムチョン、子供
を大人と見なして課税すること)」、「族徴(チョクチン、国家に対する負担を担った者が逃亡した場合、その親族から強制的に
保布を代理徴収すること)、隣徴(リンチン、隣近所から代理徴収すること)」、「白骨徴布(ベルコルチンポ、死者にまで課税
し、軍布を徴収すること)」などの弊害が横行した。
この時酷使されたのは水軍兵士で、水軍の苦役は法令の規定に宮殿の造営とか、他の土木工事のあるごとに徴発して他の用務
に使役されたし、上官が自己の利を営むための塩たき、採藻などをはじめさまざまな仕事に使役されたから、水兵の家族は
積もる怨念の涙で天に叫び地に訴えた。
189 :
:02/01/12 05:27 ID:AuhbkUZm
蘇峰徳猪一郎著『近世日本国民史 第九巻 朝鮮役下巻』(時事通信社 昭和三十九年二月十日発行)
大正十年七月十五日に脱稿された本であり、旧仮名遣いで書かれているためちょっと読みづらいです。
様々な資料から原文をそのまま載せ、解説を加えているのでかなり信頼できると思います。
これをもって再び蔚山、泗川の闘いを見てみますと、
蔚山(ウルサン)の攻防戦について
篭城者の手記や宣祖實緑の原文を提示しながらかなり詳しく書かれてましたが、長過ぎるので経過のみ
・我軍は城普請のみに力を入れて、敵の眼前の來り迫るを知らなかつた。我軍は全く敵情偵察に於いて、缺陷があった。
・12月22日早暁不時に襲撃せられ、苦戦の末退却した。二十三日は城の一部を奪われた。
・蔚山城を守ったのは二千名余(宣祖實緑)、攻撃軍四萬人(両朝平壌録)、朝鮮軍三千五百(宣祖實緑)
・敵死骸数壹萬三百八拾六人(浅野文書)
この戦は大勝利だったと結論づけています。戦前の文書である事を差し引いても、日本が勝利したのは間違い無いでしょう。
泗川(サチヨン)の闘いについて
此の一戦の為に、日本軍の威力は、数百年の後迄も轟いた。
此の一戦の敵にあたへたる打撃は洵に痛快であった。徹底的であった。明人が石曼子の名に恐怖した影響は、恐らくは
明治二十七八年役迄も、計上せねばなるまい。
・島津側に於いては、恒に明軍の来襲に備へ、がうも油断なかった。
・然も敵は大勢也、味方は小勢也。さればその勢力を、泗川新城に集合するに若かずとは義弘の軍略であった。
・明軍は幾許あった乎。あるいは十萬騎といひ(島津家記)、あるいは二十萬騎といひ(征韓録)、又た朝鮮側では
一萬三千五百人(燃(略)室記述)といふ。なほ宣祖實緑には、中路の天兵二萬六千八百、我が(朝鮮)兵二千二百十五名とある。
・流石の文飾的明将も、此の大敗走を誤魔化す訳にはならなかった。
宣祖實緑によれば「國を辱め威を損ず、深く痛恨すべし。、菫一元は級を降して功を立てしめよ」と重々しく書かれています。
190 :
:02/01/12 08:33 ID:2mooEpXL
で、結局日本兵は鉄砲頼りの軟弱君だったの?
白兵戦になったら明兵の人達に蹴散らされてたの?
191 :
名無し@仕事人:02/01/12 08:45 ID:eVJB201H
>>190 白兵戦でも勝ってるでしょ。
ログちゃんと読みなさい。
192 :
.:02/01/12 10:02 ID:eFzFjb+o
>>137 うちには手槍と長槍両方あるけどどっちも重いぜよ。
農具に例えると手槍=鍬・鍬、って感じだね。
長槍は室内じゃ振り回せない。が、質量的にはツルハシくらいかなあ?
大小を腰に帯びて、手槍を持ち、甲冑(といってもウチにあるのは当世具足)つけると
やっぱり重い・・・・
193 :
:02/01/12 21:00 ID:fOBoM8sO
明兵がよく使ってた接近戦武器は半斧という片手で扱える位に柄を短くした手斧だったそうな。
>>181 朝鮮が明の兵器を使っていたならば、刀の長さは40〜60センチほどの
片手刀です。両手持ちの日本刀は2尺3寸でも長く見えると思います。
195 :
まぁ:02/01/12 21:28 ID:P4OIts2b
壱岐・対馬の半漁半海賊に朝鮮沿岸が壊滅したと言ってるぐらいの連中だからな。
196 :
:02/01/12 21:45 ID:fOBoM8sO
日本刀で野太刀ってあるけどめちゃ長いね
南北朝時代から戦国時代にかけて多用されたそうだけど
江戸時代に入って幕府が定寸を定めた事から野太刀が廃れて
今でもその使用方法は分かってないとか。
197 :
あずまんが:02/01/12 23:12 ID:9qymxgT+
朝鮮と組んだ明が勝ったということは
この法則が必ずしも効かないってことだ。
勝ち 負け
唐+新羅 vs 日本+百済 (白村江の戦い)
日本 vs 元 +朝鮮 (元寇)
日本 vs 清 +朝鮮 (日清戦争)
日本 vs 露 +朝鮮 (日露戦争)
米 vs 日本+朝鮮 (太平洋戦争)
ベトナム vs 米+韓国 (ベトナム戦争)
日本+台湾vs 仏+韓国 (高速鉄道)
というか新羅と組んだ唐は勝ってるではないか。
<丶`∀´> と組むと必ず負けるだと?こんな出鱈目な法則思い付いた奴、謝罪しろ。
198 :
>197:02/01/12 23:16 ID:tqD7CHgU
・・・・明はまもなく滅びた・・・・
199 :
d:02/01/12 23:21 ID:ASpJydBl
>>197 あんた・・国土の半分を占領されて別にその軍の司令官も打ちとった
わけじゃなく、やすやすと撤収され、その国の王様はお能のお稽古で忙しいつーのを
日本人がされたらどう思う?
勝ったっていえるキチガイがいたら見てみたいよ。
200 :
:02/01/12 23:29 ID:kUlUco8E
>>197 明は勝ってはいない。秀吉が本土で死去したために日本が戦う理由がなくなり勝手に
退却しただけ。
さらにそのときの国力の疲弊が原因となって、満州族に攻め滅ばされている。
これって朝鮮人と手を組んだ時の最悪パターンじゃないのか?
新羅&唐については百済が疫病神になる。さらに言えば、唐も結局新羅にうまいこと
やられ半島統一に扱き使われたあげく追い出されている。
201 :
:02/01/13 00:14 ID:U/bYUsdQ
そうそう戦術的には日本は明に敗北した事はない
第一次晋州城攻略戦は朝鮮の守備隊に撃退されたがこれに明軍は加わってない
同じく辛州山城攻略戦も数少ない陸戦での朝鮮軍の善戦だったがこれも明軍は介入してない
明軍と日本軍の主力が正面衝突したのが邸碧館の戦い、これで明軍は六千人とも言われる犠牲者を出し大敗した
慶長の役での第一次二次ウルサン城攻防戦でも明は敗北、同じく泗川城、順天城の戦いでも明は敗北
泗川城での敗北にいたっては明の皇帝にまで叱責され順天攻略を指揮した劉延にいたっては部下から笑い者にされる始末。
202 :
:02/01/13 01:22 ID:bFkO8A+M
哀れあずまん。。。。気ぃ落とすなよ
203 :
:02/01/13 02:15 ID:hn5vf2Hi
入力しているうちに話題がずれてるけど、
甲陽軍鑑 原本現代訳より
品第十五
武士諸道具の事
「(略)対座していて、堪忍できず格闘にでもいたる時は小さい脇差しがよ
く、それより遠くは二尺六、七寸の刀、それより遠くは三尺二、三寸の刀、
なお遠くは長刀(なぎなた)、それより遠きは持鑓(もちやり)、それより
遠きは弓・鉄砲というように昔から道具はきまっている。けれども人によっ
て用い方があるといえる。諸道具も一方の側だけから考えてよいとみなす人
は、こまごまとした諸勝負にたちあわなかった侍の言い方だと考える。」
「(略)みなこれは人それぞれの好みを尊重して命じられるのがもっともよ
いかと考えます。そうじて武士の道具というものは、いざ勝負ということに
なると各々が持つ道具でないと戦いにくいはずです。そういうわけで穿さく
し考えもしないで人まねばかりする者は、どれほど厳命なされても用に立つ
ことはあるまいと思われます。」
204 :
ななし:02/01/13 02:22 ID:ZYhrZpq9
>>197 追加きぼーん
金(ヌルハチ) vs 明+朝鮮 (サルフの戦い)
ヌルハチは2万で10万の連合軍を完全撃破しました。
205 :
:02/01/13 02:25 ID:Wh9fm6Ck
プルガサリ=不可殺(プルガサル)+イ
206 :
:02/01/13 03:10 ID:bFkO8A+M
文禄元年(1592)秀吉の朝鮮出兵に際し、水軍総督の命を賜る。
九鬼水軍の陣容は、日本丸を将艦とし、戦艦20艘、快速斥候船2艘、将艦に台所船2艘・水船2艘・馬船1艘・荷船1艘・速船雑船10艘の50余艘を内容とする。
沖島付近にて緒戦を迎え、伊予松山城主・加藤左馬助嘉明(かとう・さまのすけ・よしあきら)・淡路洲本城主・脇坂中務少輔安治(わきさか・なかつかさのしょう・やすはる)と共に敵船300艘を迎撃し、
小船を四散せしめ、家臣の軍大将・越賀隼人(こしが・はやと=佐治隆俊)ならびに青山豊前(あおやま・ぶぜん)の勇敢な働きによって大鑑2艘を撃ち取って緒戦を飾る。
第二戦である熊川(こもがい)沖の決戦でも、朝鮮の軍兵・番船数百艘が日本丸を目がけて攻め来たるとき、越賀と青山とが敵船に乗り込んで敵将を生け捕り、敵船100艘余を捕獲して勝利を得る。
凱旋に際し、秀吉より軍功を賞され、野田・福島の領地を改め、居城のある鳥羽に近い伊勢の地を賜り、三万五千石を与えられる。
ところが、5月に入ると、巨済(コジェ)島東南沖において、全羅左道水使の名将・李舜臣(イ・スンシン)指揮する亀甲船を主体とした80数艘によって藤堂高虎率いる船団が敗れ、
唐浦でも亀井慈矩(かめい・これのり)の船団が敗北を喫する。また、唐項沖では村上水軍が敗れ、閑山島でも脇坂安治の船団も惨敗。
このころ船を降りて上陸していた嘉隆は、その知らせを聞いて駆けつけ、7月8日安骨(あご)浦において決戦に挑む。
充分に敵を引き付け、一斉に石火箭を浴びせ、逃げ惑う敵の船に越賀隼人と浜島豊後が乗り込み、大船2艘を奪う。
越賀隼人の部下・宇仁屋善七が一番乗り、次いで西岡平作、これに続いて九鬼主膳が敵船に乗り移った。
宇仁屋は耳に箭二本をうけ、西岡は右足に鎧通しを突き刺されるが怯まず奮戦。この戦で韓人四官等六名を生捕る。
また、味方をおおいに苦しめた亀甲船を早船にて待ち受け、縄を亀甲船にひっかけ飛び乗っては奪い取る戦法で戦果を挙げる。
しかし、全体的には戦局は不利で(一説には加藤嘉明が嘉隆の指揮に服さなかったことが起因したともいう)、最終的に文禄の役は敗戦に終わった。
なお、李舜臣の亀甲船は、後に第二回の遠征で島津水軍が破っている。
ttp://www.shinjin.co.jp/kuki/suigun/yoshitaka1.htm
208 :
↑:02/01/13 15:02 ID:rYwuywvE
上の方のレスにもあったが、
海戦経験の無い藤堂、脇坂、加藤という部下のくせに「大物」で、「言う事を聞かない」武将達が、
九鬼嘉隆の足を引っ張ってた感がする。秀吉の人選ミスかな。
209 :
:02/01/13 23:23 ID:TnmqSIIm
確か亀甲船の原型って琉球船にあるとか前に聞いた事ある。
それと李瞬臣て本当は陸将出身なんだよね、
既存の朝鮮水軍の諸将達が次々に日本水軍に打ち破られていくのを見過ごせず
自ら独学で水軍の兵法を学んで亀甲船を造ったみたい。
210 :
ジャミロクワイってよく来日するね:02/01/13 23:28 ID:z10KepPB
>>207 知ってる。鬼島津って相当強かったんだな・・・
あの国では絶対じゃない。
で、武班って試験科目も二科目。合格者も桁違いに多い。
つまり、文班の連中にとっては武班って公務員試験中級合格者以下の
存在だったんだろうと思う。
李舜臣って結局ノンキャリの出世頭なんだよ。
彼は死後に顕彰されたっていうけれど、所詮無名だったのは
所詮ノンキャリの英雄であって表に出るべきでない存在だったんだと思う。
212 :
:02/01/13 23:36 ID:JMsMaYOp
昔からの疑問だが、「亀甲船」の一次資料って何処にあるんだろう。
今までの例だと、構造がわかるような資料は日本にしか無いとかそんな気がするんだが。
213 :
:02/01/13 23:46 ID:TnmqSIIm
韓国に復元船がなかったか?
と言う事は韓国のどこかに一次資料があるんでしょう。
214 :
:02/01/13 23:52 ID:duLOGTE+
>>213 復元船=檀君稜と同レベル
アノ国は資料も何も無いところから史実をつくりだしてしまう国であることをお忘れなく
215 :
結局:02/01/14 00:02 ID:Bw7yayj1
李舜臣てさ早稲田大学体育学科なんじゃないの?
だから受験馬鹿にとっては、いくら活躍しても所詮プロ野球選手予備軍なんだよ。
李やその他の外国で評価さえた連中が韓国で評価が低かったのはそこだと思う。
216 :
:02/01/14 00:07 ID:VPNH/EgN
どうでも良いけど
李舜臣の後釜になって折角の亀甲船艦隊全滅させた元均って人は
どんな人物だったの?
217 :
柳成龍:02/01/14 01:38 ID:hxe1fNEd
>>216
凡将。
党争を持ち込んで、私情で李舜臣を弾劾した。
218 :
七誌:02/01/14 02:01 ID:bS9nFSVC
水軍の将としての能力に大差はなかったが、文才のある李舜臣が
自分に都合のいいことばかり書き残したため、元均は後世に愚将
の名を残した・・・
という説もあります、いちおう。
219 :
名無し:02/01/14 03:57 ID:06jAGpBa
李舜臣と柳成龍は親友だったんだよね。
220 :
:02/01/14 04:10 ID:gSkihMD7
>>218 じゃあなんで水軍提督が元均になったとたんに日本水軍に壊滅されたんだ?
しかも本人も討ち死にしてるし。
221 :
_:02/01/14 05:13 ID:iOzfcX3i
>>220 その場合は「対亀甲船戦法を日本軍が考案した。」と言う事になるんじゃない?
222 :
:02/01/14 08:21 ID:VPNH/EgN
確かに207にも書いてるけど九鬼嘉隆水軍が文禄の役の末に亀甲船対策考案してるね。
船体に縄をかけて縄伝いに亀甲船に切り込んで各個撃破してるようだし
元均がやられたのは慶長の役緒戦だしやっぱり亀甲船も早々に役立たずになっちゃったてことか。
朝鮮哀れ
223 :
>222:02/01/14 09:55 ID:Bw7yayj1
九鬼は慶長の役には参加してないんだろ?
一番の敗因だな
224 :
:02/01/14 11:01 ID:Sxh+xkFS
>>213 実は、亀甲船に関する一次資料は無いみたい。
もっとも、それを教えてくれたのは、韓国人だからあまり信用できないかも。(藁
征韓の役の後は、鳥羽に回航され、船倉につながれていたが、
後の寛永10年(1633)から延宝8年(1680)にかけて
鳥羽藩に入封した内藤氏の代になると、
五百石積・六十梃櫓に改造されて大龍丸と改称された。
しかし、しだいに腐朽したため、安政3年(1856)には解体され、
現在は船体の一部が伊勢大湊・市川昭氏によって保存されている。
やっぱり一部分といえどもちゃんと残ってんだ。
226 :
:02/01/15 01:57 ID:V2cI/LQd
>>223敗因て、、、慶長の役では緒戦で亀甲船団壊滅してるんだけど。
しかも日本側は加藤清正かが指揮してたそうだ、彼って生粋の陸将じゃない
そんな奴に惨敗するなんて元均て一体どんな将軍だったんだろうね。
227 :
名無し:02/01/15 02:08 ID:X1ZzQeNx
>>226 ノリャンジン海戦のことだと思われ。
李舜臣は戦死したが日本水軍の80%が撃沈されてたよな。(250隻のうち200隻が撃沈)
228 :
:02/01/15 02:35 ID:suHcdOPJ
>>227 巨済島海戦 元均死亡
1597年7月15,16日
露梁津海戦 李舜臣死亡
1598年10月18日
なんか微妙に話がずれてないか?
229 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/15 02:38 ID:W7MHVtnZ
そういやぁ李舜臣が死んだ戦いでは、
たった六隻で出撃して、300隻を相手に戦って撃退したが、
本人は戦死してしまったっていう電波読んだ事あるぞ。
230 :
名無し:02/01/15 02:41 ID:X1ZzQeNx
>>222
文録の役で、亀甲船は3隻しかなかった。その後5隻が追加されるが、元均のせいで全部なくなってる。
亀甲船の性能より、李舜臣の能力が高かっただけだと思う。
>>228
俺もよくわからん。。。
232 :
名無し:02/01/15 02:43 ID:X1ZzQeNx
>>229
13(12?)隻で130隻を相手して30隻を撃沈したことはあるが、六隻はでたらめだな。
233 :
:02/01/15 02:51 ID:SdvOjW4p
>>227 それ80%壊滅というのは明朝鮮側の誇張だよ、
本当にそこまでやられてたら普通小西行長以下全日本軍は壊滅状態になってるところだ
結局露梁津海戦で明朝鮮軍は島津軍の殴りこみ戦術で日本船団包囲網は壊滅した。
ちなみに元均が討ち死にした後に李舜臣が復帰した時には亀甲船は僅か二、三隻しか残ってなかったんだと。
234 :
:02/01/15 02:54 ID:SdvOjW4p
亀甲船は全部で80隻造船されたんだよ(藁
235 :
名無し:02/01/15 02:58 ID:X1ZzQeNx
236 :
名無し:02/01/15 03:06 ID:X1ZzQeNx
237 :
:02/01/15 03:12 ID:SdvOjW4p
>>235そのサイト泗川城、順天城の戦いの記述が間違ってる
泗川城に攻め寄せてきた明朝軍は7万だったし
順天城は小西軍に手痛い反撃を食らっていた最中に泗川の敗報が飛び込んできて
援軍を恐れた劉延軍が撤退した。
238 :
名無し:02/01/15 03:14 ID:X1ZzQeNx
>>237
じゃあもっと悲惨な負けをしたということか?
239 :
名無し:02/01/15 03:18 ID:X1ZzQeNx
慶長3年晋州城(慶尚道の城塞都市)を占領し、船舶の運航を確保するため、そこに新城を築き、泗川新城と名付けた。
同年明は大軍を朝鮮に派遣し、加藤清正の守る蔚山城を約7万の軍勢で攻め、落城寸前に援軍が到着、9死に1生を得
たほどであった。 <ーー7万と書いてあるが。
240 :
名無し:02/01/15 03:20 ID:X1ZzQeNx
>>237
慶長3年晋州城(慶尚道の城塞都市)を占領し、船舶の運航を確保するため、そこに新城を築き、泗川新城と名付けた。
同年明は大軍を朝鮮に派遣し、加藤清正の守る蔚山城を約7万の軍勢で攻め、落城寸前に援軍が到着、9死に1生を得
たほどであった。 <ーー7万と書いてあるが。
241 :
:02/01/15 03:21 ID:SdvOjW4p
>>238それは知らん明朝側の記録からすると島津軍の勝利とは言えないね
ただ島津軍の捨て身の攻撃で撤退する日本軍の退路は確保された訳だ。
それにしても
>>235のサイトはちょっとデムパが入ってるのは確か(藁
242 :
:02/01/15 03:26 ID:SdvOjW4p
>>239ああそれは第一次蔚山城攻防戦ね日本軍はまだ城の築城途中で
守備兵も僅か2千名しかおらずそこを急襲された戦いだね。
243 :
:02/01/15 03:29 ID:SdvOjW4p
蔚山(ウルサン)の攻防戦について
篭城者の手記や宣祖實緑の原文を提示しながらかなり詳しく書かれてましたが、長過ぎるので経過のみ
・我軍は城普請のみに力を入れて、敵の眼前の來り迫るを知らなかつた。我軍は全く敵情偵察に於いて、缺陷があった。
・12月22日早暁不時に襲撃せられ、苦戦の末退却した。二十三日は城の一部を奪われた。
・蔚山城を守ったのは二千名余(宣祖實緑)、攻撃軍四萬人(両朝平壌録)、朝鮮軍三千五百(宣祖實緑)
・敵死骸数壹萬三百八拾六人(浅野文書)
なお、この戦いは秀吉死去後の明軍の総攻撃とは時期が違います。
244 :
:02/01/15 03:35 ID:SdvOjW4p
>>239 両朝平壌録と宣祖實緑によると蔚山城に攻め寄せたのは4万3千5百の兵力だね
ついでにこの戦いで明朝軍の犠牲者は1万3百8十6人だそうだ。
245 :
:02/01/15 04:05 ID:SdvOjW4p
泗川城に攻めて来たのは7万、20万と言うのは大嘘。
246 :
名無し:02/01/15 06:15 ID:X1ZzQeNx
>>245
日本側の記録が嘘ってこと?
247 :
:02/01/15 07:13 ID:SdvOjW4p
>>246そうだよ、大体半島に派遣された明軍は10万にも満たないと言うのに
20万なんてどこから降って沸いたのか謎、
それに日本側の資料も島津家記では10万と言い征韓禄では20万と言い何が何だか滅茶苦茶です。
最近では明朝側と日本側の資料を合わせて研究され明軍は7万で攻めたと一応の結論に至っています。
まあこれについては諸説あり2万数千というのもあれば5万という説もあるにはある。
明の兵力は延べにした総数にすれば10万規模になるが,個別的な戦闘においてはせいぜい李如松の4万程度が最大。
249 :
:02/01/15 07:47 ID:SdvOjW4p
だから七万という数は明軍からすると最大規模の空前の作戦と言える
これは明の皇帝も注目していた戦いであり結果的に大敗と言う形になり
皇帝もさぞ御怒りだったとか。
250 :
:02/01/15 07:54 ID:SdvOjW4p
なぜこれほどの数を明は泗川城に投入したかは
そこが慶尚道の要衝であり日本軍の半島南部支配の要であったから。
輜重兵入れれば結構な人数になる。戦闘人員7万で輜重兵13万
不思議ではない。
篭城側は誰が戦闘要員かなど分からないから齟齬が生じたんでしょう。
あと、暴徒同然の地元の野次馬(義兵ともいう)。桐の旗と秀吉の人形を燃やして
マンセーしている連中も立派な敵。
252 :
:02/01/15 10:48 ID:vB6IPB+d
253 :
小西:02/01/15 12:18 ID:DjtlHk/K
久々の良スレだな
254 :
小西:02/01/15 12:36 ID:DjtlHk/K
255 :
リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:02/01/15 21:38 ID:mepxGFf8
256 :
:02/01/15 22:54 ID:VAjA9LAf
日本が陸戦で苦戦したのは朝鮮義兵でもなく明軍御自慢の大口径火砲でもない
じゃあ何かというと厳寒の華北で鍛えられた軽装騎兵の機動攻撃に歩兵が主体の日本兵は手を焼いた
鉄砲で狙うにも敵の動きが機敏で中々当たらない、その間に日本軍を包囲し弓矢での飽和攻撃。
257 :
今日も荒すぞ:02/01/15 23:02 ID:3/UWolCI
>>256 >鉄砲で狙うにも敵の動きが機敏で中々当たらない、
>その間に日本軍を包囲し弓矢での飽和攻撃。
なんだ奴等は、にゅうたいぷ だったんだ。 (藁
いっぺん、弓と鉄砲の命中率と射程とかを考えた方が・・・・・
いや、朝鮮半島にまともな機動戦を仕掛けるだけの平地が
沢山あるとは知らなかったのだが・・・
259 :
想像:02/01/15 23:11 ID:iXeZ0diI
弾薬が不足しがちで,明軍の人海戦術を支えきれなかったとか。
後の中共参戦直後のアメリカ軍と同じような。
260 :
:02/01/15 23:24 ID:VAjA9LAf
>>258 倭城攻撃する際に明軍がよく使ってた戦術だよ
軽装騎兵に城の周りをぐるぐる周回させながら火矢を放つ。
>>259むしろ明兵の白兵戦での弱さは邸碧館の戦いで証明されてる
この戦いは天候が雨で両軍共に火砲が役に立たず文字通り血みどろの白兵戦になった
結果は明軍の大敗、董一元は討ち取られる寸前まで日本軍に迫られた。
野戦と攻城戦は根本が違うんだけどな〜〜
>>257は野戦にしか読めないよ。
倭城は敵がグルグル回れるような作りのモノは少なかったよ。
おっとっと。
>軽装騎兵に城の周りをぐるぐる周回させながら火矢を放つ。
これ自体を否定している訳じゃないです。
263 :
:02/01/15 23:41 ID:VAjA9LAf
確かに野戦でも使えるけど
朝鮮戦役の7年間で日本と明が野戦を展開したのは邸碧館の戦いぐらいで
後は双方の城の取り合いが多かった。
確かにぐるぐるという表現は適切じゃなかったかもしれないけど
攻城戦で明は火砲の他に軽装騎兵で火矢をもっての放火戦術が役に立ったのは事実。
ちなみにこの時明軍が使ってた火矢は矢筒の中に火薬を仕込んで着火と同時に放つ火器ともいえる代物。
264 :
:02/01/15 23:54 ID:VAjA9LAf
むしろ大砲の類は大陸式の石煉瓦を積み上げて出来た城壁では活躍できたが
盛土の上に石垣で固めた日本式の城には衝撃が吸収されやすく余り効果を発揮しなかった
これは日本で大砲が普及しなかった原因の一つでもある。
265 :
ななし:02/01/16 00:35 ID:PJBakoqN
え〜と・・・
ソース無いんでアレなんだけど、基本的に騎兵は鉄砲にはすこぶる分が
悪いことになってるようです。
なもんで、ヌルハチは騎兵を下ろして歩兵として突っ込ませ、乱戦に
持ち込んでから騎兵の突撃をして火力に勝る明軍を破ったとか。
前田利益(傾奇者の彼)も、最上との合戦で松風で突撃しようとしたら
「馬では狙い撃ちにされますぞ」と忠告されて徒歩で斬りこんだという
伝説があるようだ。
攻城戦において火矢が「概ね」有効なのは事実
で、あるから、攻城側の弓兵を移動させる手段として馬を使ったというのなら・・・と。
一カ所に止まったら籠城側の鉄砲の餌食。これを防ぐには向城に籠もるか盾を使うか・・・ですから
攻勢点を移動させつつというのは悪くないと思いますよ。(囲いを解かないのが大前提だが・・)
分散させる手もあるが、それでは・・・・・・・無益ですし。
因みに野戦で正面から戦う場合、騎馬は鉄砲の餌食です。
(数や戦術で色々変わるけど)
267 :
:02/01/16 03:37 ID:+ZOR79HM
>>266でもヨーロッパなんかでは18世紀まで胸甲騎兵と言うのがあったし
機会は限定されてたとはいえ騎兵突撃という戦術はWW1の時代まで残っていました
だから騎兵が野戦で全くの無力だと言うのは言い過ぎだと思います
まあアジアの場合は重騎兵で突撃なんて戦法は(そもそも馬体が小さい)稀だったそうだから
もっぱら軽騎兵と言う形になりますが
これも機動しながら矢を放てば当時の火縄銃は有効射程100mで命中率は10中8、9だったそうですし
馬の扱いに慣れていた華北兵なら機動戦に持ち込めばまだまだ有効だと思います。
後、ムガール帝国なんかでは騎兵に鉄砲撃たせてたそうですし。
268 :
:02/01/16 03:40 ID:+ZOR79HM
訂正、266は騎兵について野戦で全く無力とは言ってないですね(汗
まぁ、騎兵(特に軽騎兵)は本来、正面から突進させる兵科じゃ無いッスから
騎兵は機関銃が出現するまで有効な兵科だった訳ですし(使い方が難しいけど)
>ムガール帝国なんかでは騎兵に鉄砲撃たせてたそうですし。
ドイツや伊達家(大阪の陣限定)でもありましたよね。
270 :
>269:02/01/16 14:25 ID:18SpA3rY
博物館で戦国時代の騎兵用の拳銃?(小型の火縄銃)を見た事ある。
271 :
徳島県阿南市:02/01/16 16:53 ID:WAX7sv7f
邸碧館の戦いって3000ばかりの立花宗茂勢に明の大軍が
分断されるという銀英伝ばりの事態が起きたあの戦いですか?
272 :
三谷博:02/01/16 17:44 ID:A88VlgAU
>271
小早川隆景公と立花宗茂公が明軍を大破された碧蹄館の戦いが起こったのは1593
年正月の事。
雪で地面のぬかるんだ山中で明軍(李如松)と立花軍3000が激突し、そこへ小
早川軍が参戦(15000人程)して敵の両側から銃や矢を撃って混乱させ、壊走
させた。これにこりた李如松は進言を聞き入れずに開城に引き上げた。
これ以外にも明には失策が目立った。
273 :
:02/01/17 03:13 ID:D+UhrOQY
>>272邸碧漢の戦いの明軍の数はどれぐらいでしたっけ?
たしか日本軍の方が総勢で多かった筈だけど・・・・
だから勝って当然というかあえて火の中に飛び込んだ李如松が馬鹿だったというか。
274 :
名無し:02/01/17 03:19 ID:i8rXMevh
明の記録によると邸碧館の戦いは明の大勝利。
朝鮮の記録ではほぼ互角な戦い。
日本の記録によると日本の大勝利。しかも武将によって記述が違う。
歴史ってこんなもんですかね。。
275 :
:02/01/17 03:27 ID:D+UhrOQY
日本軍が討ち取った敵の数は遺棄死体も含め6千首
関が原の戦いで東軍西軍の死傷者が両軍合わせて6千人だから
明はこれだけの犠牲者を出したのだから明側の敗北は間違いないでしょう。
所で明側のこの戦いにおける兵数はどれくらいだったの?
276 :
名無し:02/01/17 03:34 ID:i8rXMevh
>>275
それは日本の記録でしょう?
詳しくおぼえてないんですが、明の記録と日本の記録では戦死者に関する記述
に相当な差がありました。
朝鮮の記録では日本と明の戦死者はほぼ同数だったと聞きました。
277 :
:02/01/17 03:35 ID:D+UhrOQY
>>274 明軍は皇帝の顔立てなきゃならないから嘘の戦況報告が多かった
後、戦線が膠着してた時明軍は地元の朝鮮人の首を片っ端からはね
明の皇帝に「大勝利」の報告と共に献上した。
278 :
:02/01/17 03:38 ID:D+UhrOQY
i8rXMevhはなんだか朝鮮の資料だけが評価に課するような言い方だな
日本の将軍達はは嘘吐きばかりとでもいいたげだな。
279 :
名無し:02/01/17 03:41 ID:i8rXMevh
>>278
違いますが。
280 :
:02/01/17 03:42 ID:D+UhrOQY
邸碧漢の戦いの後明軍は開城以南まで南下する事が出来なかった
これは明が邸碧漢の戦いで手痛い敗北を喫した何よりの証拠。
281 :
名無し:02/01/17 03:42 ID:i8rXMevh
>>277
明の将軍達はは嘘吐きばかりとでもいいたげだな
282 :
:02/01/17 03:43 ID:D+UhrOQY
>>279 あんたの文体怪しすぎるよまるで在日か歴史サヨみたいな言い方だ。
283 :
名無し:02/01/17 03:44 ID:i8rXMevh
>>282
私は明の記録が正しいとは言ってませんよ。
284 :
:02/01/17 03:47 ID:D+UhrOQY
>i8rXMevh
で、朝鮮側の資料は正しいわけだ(藁
285 :
名無し:02/01/17 03:50 ID:i8rXMevh
>>278
274をどう読んだら、「朝鮮の資料だけが評価に課する」というような言い方になるんですか?
286 :
:02/01/17 03:56 ID:D+UhrOQY
>>285たとえば276の書き方なんかまるで日本の資料は信用できないみたいな書き方してるじゃなえか
それで最後の行に朝鮮側の資料を出してくるあたりが朝鮮の資料だけが評価に課するように見えるんだよ。
287 :
名無し:02/01/17 03:57 ID:i8rXMevh
>>284
私は別にどの国の記録が正しいとは言ってませんが。
288 :
:02/01/17 03:58 ID:D+UhrOQY
結局この戦いで明軍の南下がストップしたんだから
明が敗北したのは確かだろう。
289 :
名無し:02/01/17 04:01 ID:i8rXMevh
>>286
それはあなたの思い込みでしょ?
じゃあ、これはどうですか?
日本の記録によると日本の大勝利。
朝鮮の記録ではほぼ互角な戦い。
明の記録によると邸碧館の戦いは明の大勝利。しかも武将によって記述が違う。
歴史ってこんなもんですかね。。
290 :
:02/01/17 04:02 ID:D+UhrOQY
>>276「それは日本の記録でしょう?」
この書き方なんか明らかに日本側の資料に嘘があるみたいな言い方じゃねえか
291 :
名無し:02/01/17 04:04 ID:i8rXMevh
>>290
私は日本の記録だけ参考するのは正しくないと思いますが。
292 :
:02/01/17 04:05 ID:D+UhrOQY
結局歴史を相対化してるような振りして日本側の勝利を極力過小評価したいんだな
i8rXMevhは。
293 :
:02/01/17 04:08 ID:D+UhrOQY
さっきから何度も何度も言ってるが
結局この戦いで明軍の南下がストップしたんだから
明軍は開城に引き篭もっちゃったんだから
明が敗北したのは確かだろう。
294 :
名無し:02/01/17 04:08 ID:i8rXMevh
>>292
私は傾いてないだけだと思いますが。
295 :
:02/01/17 04:09 ID:D+UhrOQY
なに?傾いてるってどういう事?わかんないから説明してくれ(藁
296 :
殿 ◆ZIhyuIYo :02/01/17 04:11 ID:S8tm71yo
>>289 明軍がわに互角と出てること自体、日本の勝利を現してると思うが、
では聞くがあなたはどう判断したいのか?戦い。
「それぞれの資料に平等な重み付けをする事=傾いていない」は間違っていますよ。
それぞれの資料の重み付けを合理的に行った上で妥当な考慮を加えて評価をして
初めて傾いていないと主張する(傾いていないとはまだまだ断言できない)のが
許されるのです。
お二方のどちらがどうとか言うつもりはありません。
単に傾いているかどうかのお話に限っての一般論としてのご忠告です。
お読みくだされば幸いです。
298 :
名無し:02/01/17 04:12 ID:i8rXMevh
>>293
戦いに勝っても進撃をやめることもあります。
誤解しないでください。わたしはそういう可能性もありえるというだけですから。
明が勝利したとは言ってませんよ。
299 :
殿 ◆ZIhyuIYo :02/01/17 04:14 ID:S8tm71yo
明らかに日本側の勝利と言うのが通説でしょう。
ここに至って、あなたの言いたいことは、日本が負けたのか?
そんなことはありえないよな。
大体兵力が圧倒的に差があった戦いなのに、互角と苦しい言い訳してる時点で完敗だろうよ。
あなたを、何そうさせてるんだい。血かい?
300 :
:02/01/17 04:15 ID:D+UhrOQY
邸碧館の戦いで明が敗北したからこそ
文禄の役での講和の話が進んだんだよ
この戦いで明が大勝利(藁なんかしてたらわざわざ講和なんてするのか
普通だったらそのまま南下して日本軍を駆逐してると思うんだが(藁
301 :
殿 ◆ZIhyuIYo :02/01/17 04:17 ID:S8tm71yo
>>298 はあ、日本軍を追い詰めてると思ってる奴らがか?
あんた、常識をもちなよ、モンゴルの進撃じゃないんだよ。
とまる理由を教えてくれよ。
302 :
:02/01/17 04:18 ID:D+UhrOQY
>>298 どんな可能性だよあんたは諸葛亮孔明にでもなったつもりかよ(藁
303 :
名無し:02/01/17 04:23 ID:i8rXMevh
>>300
そうとは限りませんよ。
明に早く帰りたかったから、講和の話を進めたかもしりません。
実際に明の水軍の大将は賄賂をもらってますし。
304 :
:02/01/17 04:24 ID:D+UhrOQY
勝ってるのに進撃を止めるなんてのはその国の皇帝なり王様なりが
死んだりした場合だろう、ちょうど日本軍が半島南部から撤退した時のように。
それで邸碧館の戦いの後で明の皇帝が死んだのか?(藁
305 :
:02/01/17 04:28 ID:D+UhrOQY
>>303なんかむちゃくちゃだな(藁
董一元が半島に救援に来て早々に引き上げたくなるってのは
なんの手柄も立ててないのにそれこそ皇帝様の御怒りをかうだろうよ。
306 :
:02/01/17 04:30 ID:D+UhrOQY
なんかどんどん無駄な言い訳ばかりになってきて見苦しいよ
>i8rXMevh
307 :
名無し:02/01/17 04:33 ID:i8rXMevh
>>304
皇帝には有利な条件(あるいは事実上降伏)で講和したと報告しておけばいいんです。
民軍にとっては他国の防衛戦ですし。
308 :
:02/01/17 04:37 ID:D+UhrOQY
なんかどんどん変な話作ってます(藁
これはもはやハン板で有名な「チョンの捏造」とやらになってますな
で、邸碧館の戦いの後で明の皇帝が死んだのか?
309 :
:02/01/17 04:41 ID:D+UhrOQY
>>307そもそも明が半島にやってきた理由は
朝鮮の官軍や義兵と言う名の暴徒だけでは日本軍の破竹の進撃を止められないからなんだよ。
明軍が早々に引き上げてその後どうやって国を守るんだ?
またお決まりの李舜臣がいれば云々て話に持っていくつもり?
310 :
ななし:02/01/17 04:44 ID:Adi9o8Ct
i8rXMevhは、何をもって勝利かがわかってないと思われ。
例え、戦術的に大敗をしても、戦略的に勝てば、その戦いは勝利である。
よって、民軍が撤退をした邸碧館の戦いは、日本軍の勝ちと言える。
311 :
名無し:02/01/17 04:43 ID:i8rXMevh
>>308
私はそういう可能性もあるといってるだけですが。
あなたは「戦いに勝って有利な条件で講和する」とは考えられないんですか?
実際に講和の内容は日本に不利だったし。
もう一度言いますが、私は明が勝利したとは言ってませんよ。
312 :
:02/01/17 04:50 ID:D+UhrOQY
前段で
>あなたは「戦いに勝って有利な条件で講和する」とは考えられないんですか?
と言っときながら
後段で
>もう一度言いますが、私は明が勝利したとは言ってませんよ。
てなんか矛盾した事言ってるんですが(藁
「戦いに勝って有利な条件で講和する」には普通日本軍を敗北せしめなければいけないんだが。
あんたはそれを後段で否定してる、、、、もう無茶苦茶だ(藁
313 :
名無し:02/01/17 04:52 ID:i8rXMevh
>>312
矛盾してませんよ。可能性を語っててると前提してますから。
314 :
名無し:02/01/17 04:54 ID:i8rXMevh
>>312
矛盾してませんよ。可能性を語っていると前提してますから
315 :
:02/01/17 04:56 ID:D+UhrOQY
歴史を語る場合可能性とかは通用しないんだが・・・・
競馬の予想屋じゃあるまいし(藁
で、あんたの口調からすると明の資料に載ってる大勝利を信用してる
あるいは信用したいんだな?>i8rXMevh
316 :
名無し:02/01/17 05:04 ID:i8rXMevh
>>315
史書だけでは歴史を語れません。また、立場によって史書の記述は変わります。
つまり、史書の記述は主観的な記述ですので、「可能性」を語ることは重要です。
私は明の資料を信用しているわけではありませんが。
資料を付き合わせ当時の状況を分析して、妥当な線がどこかを探っていくのなら意味がある。
一般論として可能性があるというだけでは、何の意味もない。
ID:i8rXMevh氏は可能性があるというだけで自分の見解はいっさい示してない。
自説を披露して叩かれるのがいやなのか、人をおちょくって楽しんでるのか不明だが、
要するに茶々を入れてるだけだな。
318 :
:02/01/17 05:10 ID:D+UhrOQY
>>316そんなこと言ってたら歴史自体が成り立たなくなるじゃないか
あんたは神様にでもなったつもりか?
歴史と言うのは各々の立場主観でしか捉えられないんだよ
ようはそれぞれの国のそれぞれの史観があって良いんだよ
現在の韓国中国みたいに己の史観を他国に強要するような事さえしなければ。
319 :
名無し:02/01/17 05:14 ID:i8rXMevh
>>317
「はっきり言えない」のが私の見解です。
320 :
:02/01/17 05:16 ID:D+UhrOQY
でi8rXMevhは明の資料を重視してるところから
中国人(藁
それとも中国をお兄さんと仰いでるバカチョン?
321 :
:02/01/17 05:20 ID:D+UhrOQY
>>319そう言うのは自説を開陳してるとは言わないよ
ただのノーコメントって奴だ、自説も持ってないのなら
わざわざこのスレッドに書きこまないでね、無用な混乱招くから。
322 :
名無し:02/01/17 05:20 ID:i8rXMevh
私は「戦死者の数」に関する、物理的な記述が3国の主観によって
それぞれ違う記述をしていることを皮肉っただけです。
>>319あっそ。
んじゃ、君の見解は提示し終えたということで終了ですね。
それ以上の意見はないんでしょ。ばいばい、ID:i8rXMevh氏。
324 :
:02/01/17 05:26 ID:D+UhrOQY
ただの皮肉屋=荒らしと2chでは言います
もう来るなよi8rXMevh。
325 :
名無し:02/01/17 05:26 ID:i8rXMevh
>>323
>>320
あなたはまず「良識」ある人になってくださいね。
326 :
:02/01/17 05:28 ID:D+UhrOQY
327 :
:02/01/17 05:31 ID:D+UhrOQY
「良識」なるものもまさに主観的なものだ。
328 :
名無し:02/01/17 05:31 ID:i8rXMevh
私は自国の史書の記述だけ信じる人も皮肉ったつもりですが、
嵐とは思いません。歴史の見方に関する意見でもあるんですから。
329 :
名無し:02/01/17 05:34 ID:i8rXMevh
>>327
世間ではこういう発言をする人を「良識ある人」とは言いません。
「それとも中国をお兄さんと仰いでるバカチョン」
330 :
:02/01/17 05:35 ID:D+UhrOQY
>>328帰るんじゃなかったの?それともかまって君?
自説も持ってない人がこれ以上でしゃばられても迷惑なんで来ないで下さい。
331 :
:02/01/17 05:37 ID:D+UhrOQY
332 :
名無し:02/01/17 05:40 ID:MT2hJbda
こういうの見てるとほんとにハングル板のレベル低下を感じる。
ちょっとでも気に入らない発言があると
よってたかって叩きのめす。
ちょっと君達粘着過ぎない?
333 :
名無し:02/01/17 05:42 ID:i8rXMevh
>>330
私の意見は自国の史書だけに頼らず、他国の史書も参考にするべきだということです。
そして、明や朝鮮の記述も参考にして皆さんの意見を聞いてみようとしたんですが、
あなたのような人には期待してません。
では、さようなら。
334 :
:02/01/17 05:42 ID:D+UhrOQY
誰が粘着だよ
だからさっきからもう来るなっていってるじゃない(藁
335 :
:02/01/17 05:44 ID:D+UhrOQY
336 :
名無し:02/01/17 05:46 ID:MT2hJbda
337 :
:02/01/17 05:52 ID:D+UhrOQY
>>336あんたが散々可能性ばかり言って自分の説を一言も言わず
自分の見解は?と問い詰められると「私の見解は分からないです」と逃げを打つ始末
挙句には一方的に勝利宣言、そんな人に粘着だの言う資格はない。
338 :
あんた:02/01/17 06:00 ID:i8rXMevh
>>337
D+UhrOQY 早朝から笑わせてくれてありがとう。
>>337かまうだけ損ですよ。
自説が無いことを表明したんだから、今後は放置でよろしいかと(笑
340 :
:02/01/17 06:05 ID:D+UhrOQY
>ID:i8rXMevh
散々ヴァカを演じてくれた君にも感謝。
341 :
あんた:02/01/17 06:05 ID:i8rXMevh
>>339
D+UhrOQYがなんか勘違いしてると思わないか?
342 :
:02/01/17 06:08 ID:D+UhrOQY
>ID:i8rXMevh
そんなにかまってほしいの?
だったらもう少しマシな事言いなよ。
343 :
:02/01/17 06:09 ID:k53mYlx/
>>341 名無しさん
一回電話を切って掛けなおしたの?
344 :
あんた:02/01/17 06:10 ID:i8rXMevh
>>342
まだ勘違いしてるのか?
345 :
:02/01/17 06:13 ID:D+UhrOQY
>ID:i8rXMevh
自分が散々イジメられたからって俺に粘着されてもなあ
>>341勘違いしてるのは貴方でしょう。わはははは。
347 :
あんた:02/01/17 06:16 ID:i8rXMevh
>>345
誰か、>>345に間違いを教えてください。
348 :
:02/01/17 06:17 ID:D+UhrOQY
ID:i8rXMevhはこのスレを潰したくて仕方がないんだろうなぁ。
349 :
あんた:02/01/17 06:17 ID:i8rXMevh
>>346
あんたも笑わせてくれるのか?
下IDの人は別人? 同じ串使ってるとか? うーん、紛らわしい。
322 名前:名無し 投稿日:02/01/17 05:20 ID:i8rXMevh
私は「戦死者の数」に関する、物理的な記述が3国の主観によって
それぞれ違う記述をしていることを皮肉っただけです。
341 名前:あんた 投稿日:02/01/17 06:05 ID:i8rXMevh
>>339
D+UhrOQYがなんか勘違いしてると思わないか?
351 :
あんた:02/01/17 06:22 ID:i8rXMevh
332、333、336のIDを確認して337を読んでみろ。
352 :
:02/01/17 06:25 ID:D+UhrOQY
おーいID:i8rXMevh正体ばれて引っ込んだのか?
もう俺等をわらかしてくれないのか?
353 :
:02/01/17 06:28 ID:D+UhrOQY
おっ出てきたじゃん、もうフラフラなのか?
書き込み数が減ってきてるぞ。
354 :
そろそろ:02/01/17 06:29 ID:i8rXMevh
>>352
まずは、351を読んでくれ。
あ、確かに
>>337のレスは、
>>336の”名無し”(ID:MT2hJbda)に向けたものだった。
しかし、文面からは
>>337のレスが”名無し”(ID:i8rXMevh)に向けられたものであること
は解る。で、”名無し”(ID:i8rXMevh)氏は、HNを”あんた”に替えたということですか。
スレ違いのレスに荷担してスレ汚しをした事について謝罪しますです。>all
356 :
:02/01/17 06:34 ID:D+UhrOQY
要するに途中で紛らわしいのが割り込んできて俺がID:i8rXMevhと間違えた
そういうことだろ?それがどうしたの?
もしかしてこんなつまらない事で一々突っ込んでたの?あほらし
357 :
名無し:02/01/17 06:35 ID:i8rXMevh
他人に間違えられたくないからね。
358 :
:02/01/17 06:38 ID:D+UhrOQY
それで、自分の見解は言えるのか?
もっと具体的に自説を唱えてくれよ
そうじゃないと誰も相手にしないよ今後は。
文面からは
>>337のレスが”名無し”(ID:i8rXMevh)に向けられたものであることは
明白なんだから、それを笑うほどの事はなかろうよ。
歴史研究においては、立場の違う資料から異なる記述がでてくることは当然だし、
同じ資料からでも違う見解が導かれることさえもままあるというか常識だろう。
今更、「良識」だの偉そうに押しつけられても迷惑だよ。>ID:i8rXMevh
360 :
いったろ?:02/01/17 06:42 ID:i8rXMevh
>>358
俺の言いたいことは333に書いてある。
361 :
:02/01/17 06:47 ID:D+UhrOQY
>>360319 :名無し :02/01/17 05:14 ID:i8rXMevh
>>317
「はっきり言えない」のが私の見解です
これはどうなったのよ?後でいくらでも言い訳が出来るのがネットだからね。
362 :
:02/01/17 06:49 ID:D+UhrOQY
訂正×後でいくらでも言い訳が出来るのがネットだからね
〇後でいくらでも言いつくろいが出来るのがネットだからね。
363 :
今までの流れ :02/01/17 07:13 ID:D+UhrOQY
271 :徳島県阿南市 :02/01/16 16:53 ID:WAX7sv7f
邸碧館の戦いって3000ばかりの立花宗茂勢に明の大軍が
分断されるという銀英伝ばりの事態が起きたあの戦いですか?
272 :三谷博 :02/01/16 17:44 ID:A88VlgAU
>271
小早川隆景公と立花宗茂公が明軍を大破された碧蹄館の戦いが起こったのは1593
年正月の事。
雪で地面のぬかるんだ山中で明軍(李如松)と立花軍3000が激突し、そこへ小
早川軍が参戦(15000人程)して敵の両側から銃や矢を撃って混乱させ、壊走
させた。これにこりた李如松は進言を聞き入れずに開城に引き上げた。
これ以外にも明には失策が目立った。
この後にID:i8rXMevhが訳の分からない抽象論持ち出して議論が中断された。
364 :
ななし:02/01/17 09:29 ID:HatgwePa
とりあえず、両軍の邸碧館の戦までの過程と両軍の
戦略目的から眺めて行くと良く分かる。
それまでの過程
明軍の介入により日本軍、半島の北部戦線崩壊。
小西・宗・黒田軍等、平壌より撤退。
戦線建て直しの為、李氏朝鮮王都京城に集結。
戦略目標
明:日本軍撃破 李氏朝鮮の政治・経済・交通の要衝である京城の奪回。
日本軍を玄界灘に追い落とす事が最終目標
日本:京城防衛 政治:李氏朝鮮王都京城失陥による政治的失点を防ぐ。
軍事:京城前面での地形を利用した防衛で冬季戦を持久する。
(京城を失陥した場合、京畿道・全羅道の平野部において
騎兵を多数擁する明軍相手に撤退戦を行わねばならない。)
明は軍事力による戦略目標の解決にいずれも失敗しているので
仮に朝鮮の史書のとおり戦術的に日・明両軍の損害が互角でも
明軍は戦略的に敗北したのと同義になる。
365 :
ななし:02/01/17 09:39 ID:wp9R9Lu4
歴史群像別冊だと明軍2万に対して日本軍4万以上だったから、この数字が
本当なら明軍が勝てるわきゃ無いわな・・・・。
366 :
:02/01/17 10:15 ID:waUvSv+K
>>364でも結局は、秀吉の逝去で撤退してしまうんだよね。
秀吉は何らかの遺言は残さなかったのだろうか。
彼に忠誠な武将が半島で活躍していたのだから、秀吉の遺志があれば
半島に残って征服していたのではないか。
やはり、日本側の士気も下がっていたんじゃないだろうか。
367 :
test:02/01/17 10:17 ID:b15JcaDp
test
368 :
後日談:02/01/17 10:44 ID:Y9Aq/ucl
明は、この朝鮮への軍事援助で膨大な財政負担を
強いられたことが一因となって、このすぐ後に
滅亡してしまった。
明もまた「例の法則」から逃れることが出来なかった
わけである。
369 :
ななし:02/01/17 11:07 ID:HatgwePa
>>368まぁ冊封体制上、明の威信が大きく損なわれた事は確かだな。
明から日本に使者が行くのは冊封体制下に無いとはいえ
極めて異例だし。
完勝とは程遠い決着は明にとってかなりマズーでしょ。
370 :
:02/01/17 11:25 ID:WqVdSIKk
>>366 少しきつい言い方だがそもそもこの戦いは秀吉の一存で決められた戦役で
もう長年の戦に疲れていた日本人はまだ戦争する気なのか?と言う感じ
経済的にも成熟していた日本があのまま戦争を続ける意味は無かったと思う
確かに明による日本軍の半島からの掃討という明の戦略は邸碧館以後も失敗続きだった訳だが
それは日本にも言えることで明と戦争するより貿易で経済的な潤いを求めていた
大名が少なくなかったのも事実、それに朝鮮に派遣されていた大名での個人間の対立が
もう限界に近づいていた、秀吉の死後を見抜いていた家康が散々出兵拒否していたのも
秀吉政権の内部分裂を狙っていた節がある。
371 :
ななし:02/01/17 11:26 ID:HatgwePa
>>366秀吉の明確な半島経営の指示が無ければ征服しても維持は無理でしょう。
秀吉は文禄の役で九州平定と同じ感覚で攻略を進めようとして躓いている。
所領安堵という封建制社会で通用する手段を中央集権体制国家で行ったの
で、どんな高官が降伏しても役職を失った只のオッサンが一人捕虜になった
に過ぎないということに気づき占領地経営において泥沼にはまっている。
誰も異国侵略の経験が無いのでこの様な状況では発案者が死ねば目標を失う。
372 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/17 12:06 ID:OeHBoEzj
スレ違いかも知れませんが、両役に参加した大名の万石数の合計は当時の日本の総万石数の10分の1未満だったと思うんですが、
日本の諸大名が一致団結したら、どこまで戦線が拡大出来たでしょうか?
373 :
:02/01/17 12:10 ID:W/Twy6lN
もう少し秀吉が長生きしてたらなぁ
補給も続いてて日本軍の士気はそれほど低くなかったわけだし
明軍は倭城に攻めては被害多数で退却してたし
決して日本の半島政策が破綻してたわけではなかった。
374 :
:02/01/17 12:23 ID:W/Twy6lN
375 :
:02/01/17 13:49 ID:06Z1c6lA
376 :
:02/01/17 14:58 ID:d9L2A/k1
>>375満州八旗軍に追い詰められてた南明政府が朝鮮で戦ったよしみで救援を求めてきた
そこで徳川家光公はこれを機会に大陸進出を本気で考えてたらしい
そして先遣隊として先ず二万の兵力を整えようとした時に荒井白石に猛反対され
結局お蔵入りになったとさ。
>>372まぁ戦国の世に、団結して外征は仮定としても無理ではないかと。
パシリとして逝かされる大名にとっては、
出張中に何かあって本国を取られたら元も子もないし、
秀吉自身にも同じ事が言えるわけですからね。
片手間程度の兵力しか裂けないでしょう。
もっとも明も、全兵力を傾けるワケにはいかんかったのですが。
378 :
:02/01/17 15:16 ID:uj2njtxu
>>276そこまで書くのなら、いい加減にそのソースの資料を出してもらわないと。
朝鮮、明、日本の資料を隅から隅まで目を通してらっしゃるのでしょうし。
書名ぐらいは書いていただかないと、単なる印象論にしか過ぎません。
379 :
378:02/01/17 15:19 ID:uj2njtxu
すまん、100番前の番号の所を読んでレスしちまった。
首括ろう。
380 :
:02/01/17 15:44 ID:d9L2A/k1
>>379 あの人は自説の展開も避けてしまうような
ただの臆病者ですから相手にしないほうがいいですよ。
381 :
:02/01/17 15:59 ID:+unui6LP
家光公が大陸進出を本気で考えてたかどうかはともかく
李舜臣が兵を貸してくれって言って来て出兵に備える様
発令されたのは有名でしょ?
一部牢人が渡海し鉄人兵団と恐れられたって話もある
ま、その話しは、あやふやだが・・
白石によって阻止されたってのは聞いて無いな〜
382 :
:02/01/17 16:10 ID:OcRpimLW
>>377新たな領地がもらえるとなったら喜んで行ったと思う。
国内にはもう無主の土地なんてなかったし。
383 :
ななし:02/01/17 16:22 ID:HatgwePa
>>382言葉も通じないDQNどもだらけの領地と領民を
貰って嬉しいとは思えない。
当時の大名も嫌だったと思います。
行く先の無い浪人ならまだ分かりますが
>>382秀吉が日本列島を掌握していて、
自分の領地を安堵してくれている限りにおいては、
短期的にはそうなんですが。
長期に多数の武将と軍勢を引き連れて外征なんぞした日にゃ、
その間に秀吉の天下がどう転ぶかわからない。
秀吉に何かあったら、武将と兵力が半減した自分の領地こそ
他人から見て「新たな領地」になってしまう、くらいの
リアリズムはあったと思うんですがねぇ。
385 :
74式:02/01/17 17:06 ID:P1qC6zR2
チャチャ入れすまん
>>381 李舜臣じゃなくて、鄭成功ですよ。
>>376荒井白石(吉宗の時代の人)も新井白石(1657-1725)も家光(1604‐1651)より
後の世の人なんだけど……
386 :
:02/01/17 20:22 ID:A9nDwM+1
>>385 知識不足ですまん、ただ清に追い詰められた南明政府が日本に救援の使者を送ったのは事実なんだが・・・
まあどうでもいい事だから忘れてくれ(藁
387 :
_:02/01/17 20:30 ID:0XlEE7qB
ソース無しでスマンが、秀吉が諸大名の兵力削減をねらった
策略であるという意見を聞いたことがある。
それじゃ家康放置はなんでよ?とか思ったが。
388 :
ななし:02/01/17 20:34 ID:aoyozLsR
家康は手元に置いて、自らが見張っておいたほうが得策と考えたんじゃないの?
朝鮮に出兵した兵士束ねて、逆上陸されては、たまらんと
389 :
74式:02/01/17 23:49 ID:WuAv+a8M
>>386>南明政府が日本に救援の使者を送ったのは事実
その話は有名ですよね。
若い連中は戦を知らないし、島原の乱くらいでも苦戦しているから
幕府の老中達が拒否したのは正解だったのではないかと。
板違いスレ違いカコワルイ
>>387戦に参加した明、豊臣政権が滅んで、参加しなかった後金、徳川が
200年続くのは解るけど…李朝がこの後200年つづくと言うのは、
半島の政権はたくましいと言うか、なんというか……
390 :
:02/01/18 00:12 ID:6cDiKX17
>>389中国は伝統的に領土拡張欲に乏しいからでないの?
台湾チベットはどうだ?といわれると困るが…。
ロシアのような執念は感じられない。
>>390決して乏しくないよ。
ただ、昔は西域などを除いて中原のほうが
圧倒的に豊かだから、わざわざ瘴気野蛮の地に
攻め入らなかっただけ。
中原の方が貧しくなったり辺境の重要性が
増した今日では、拡大主義。
それに、李朝は清の属国になったから
攻められなかっただけでしょ。既に征服されてる。
392 :
74式:02/01/18 00:23 ID:yv2nBube
>>390そうですね、領土をやたらめったら拡張する君主は喜ばれない伝統があります。
今はどうか知りませんけど。
まあ、わざわざ属国である半島を再侵略する必要はないということもあるでしょうね(w
393 :
:02/01/18 05:01 ID:F3dPibPV
中国の場合、太祖の時代に最盛期を迎えものすごい領土拡張欲に燃え
西域を征服して最後に中央アジアのイスラム国家にアボーンされて
急激に内向きになると言う法則があります、その後に続く時代は腐敗と成熟の時代
古くは漢王朝然り随、唐帝国然り明も清も大体太祖時代にいけるとこまで領土拡張するのです。
394 :
:02/01/18 05:54 ID:Rrhoa1rF
>>390中国の発表している国土面積は、台湾を含めたよりもずっと多いけど。
つまり、台湾以外にも「中華人民共和国の土地である」と主張している、
(何か有ったときも領有権を主張しやすい)と言う事。
例えば、日本の右翼が灯台を建てた島(名前失念)。
中国の地図には1960年代まで自国領としていなかった。
395 :
394:02/01/18 05:56 ID:Rrhoa1rF
板違いでスマソ。
396 :
奈々氏:02/01/18 05:57 ID:keKSkp3d
>>391清(後金)は朝鮮に2回攻めてる。しかも朝鮮の役から30年後。
あの頃の朝鮮人は本当に苦労したと思う。
397 :
:02/01/18 06:02 ID:F3dPibPV
確か後金も鉄砲の大量使用してるね朝鮮を攻めた時。
鉄砲隊で京城を包囲したんだっけ。
398 :
奈々氏:02/01/18 06:10 ID:keKSkp3d
朝鮮が派兵した明救援軍1万人のうち5000人が鉄砲隊だった。
降倭が鉄砲の大量生産と戦法を指導したんだね。
明救援軍には降倭が数百人いたと記録されてるよ。
399 :
:02/01/18 09:29 ID:wzw6iV2K
>>398 その援明軍て結局どうなったの?満州八旗軍に壊滅させられた?
400 :
三谷博:02/01/18 10:21 ID:PTtJv5HP
>394
尖閣諸島こと魚釣島ですか。
401 :
:02/01/18 12:09 ID:jdIfW0cJ
朝鮮の事なんか中国に至る単なる道としか考えてなかったんだろ?
なかなかやるねえ秀吉の爺さんも(藁
402 :
>399:02/01/18 12:49 ID:4hm7Mxoy
ヨワヨワでさっさと降伏した
403 :
:02/01/19 03:45 ID:V8y9nf1j
age
404 :
:02/01/19 04:37 ID:V8y9nf1j
後金が明を征服できた事について
なんか歴史小説家とかってよく満州八旗軍を誉めちぎりまくるんだけど
なんか八旗兵一人に尽き日本兵100人分とか電波飛ばしてる人が多い
でも本当は呉三桂ていう明の反乱軍が満州八旗軍の露払いをしてくれたからなんだよねぇ。
405 :
:02/01/19 09:30 ID:6VAS0KHY
この時に日本軍の捕虜になった朝鮮人が後の豊田佐吉の祖先に当たるそうです。
406 :
>405:02/01/19 09:42 ID:aO/zyMpM
ガイシュツ。
とっくに論破されてる。
407 :
:02/01/19 09:52 ID:6VAS0KHY
へ?そんなの知らないなあ
豊田佐吉の祖先だったのは確実なんだが・・・・
408 :
>407:02/01/19 09:54 ID:aO/zyMpM
ところで李退渓って倭人の子孫だろ?
あの顔は間違いないな。
409 :
:02/01/19 10:01 ID:6VAS0KHY
410 :
>407:02/01/19 10:01 ID:aO/zyMpM
>豊田佐吉の祖先だったのは確実なんだが・・・・
在日社会じゃ有名だってか(w
豊田家は、一度血が絶えてるんだよ。
411 :
>409:02/01/19 10:04 ID:aO/zyMpM
地元の人が博物館で家系図を調べてきたのよ。
412 :
:02/01/19 10:06 ID:6VAS0KHY
>>411あれは家系図じゃないだろ、ただ生家を覗きに行っただけじゃないか。
413 :
:02/01/19 10:52 ID:ZYtbQc4o
>>40510代前に朝鮮人がいたとして、
その血が10代後に受け継がれる量は1/2^10です。
414 :
:02/01/19 11:14 ID:aO/zyMpM
>>412その家系図とやら見せてみな(藁
いつも口だけ・・・ウンザリ
415 :
名無しさん ◆SxNdawsI :02/01/19 11:58 ID:jzJ9C5mg
たとえ豊田家の血が途絶えなかったとしても日本で生まれ育って日本の教育を受けたのである。
半島とは何も関係はない。なぜにそれが分からぬか?
そうでもしないと誇りが持てぬか、哀れよのう。
416 :
:02/01/19 12:21 ID:+nf3sV8O
チョンは諸行無常という言葉の意味がわかりません。
何を言っても屁のツッパリにもならないのに・・・
氏より育ちという言葉を学ぶのに、あと半万年くらいかかりそうだな、彼らは。
418 :
:02/01/19 15:03 ID:QSBNkxUe
明軍の大砲ってどれだけ活躍したんでしょう?
詳しい人教えてくださいな。
むうう。DQN
420 :
:02/01/19 15:39 ID:xjXH/09u
422 :
74式:02/01/19 18:59 ID:1PZ0YfB+
超亀レス
>>46郭再祐(クワクチェウ)1552-1617
慶尚満ち宜寧県で生まれる。
34歳で科挙を受けるが失敗田園生活に入る。
1592年4月朝鮮侵略が始まると、宜寧にも日本軍が迫ってきたが
ここの県藍である呉応昌はいちはやく逃亡。日本軍の前に放置された。
ここに、再祐は抗日の起兵を決意し、村人に対して
「心を合わせて県津にて守らば村は保つべし」と訴えた。
これは日本軍侵入後9日目であり、最初の義兵であった。
再祐軍は洛東江沿岸に出没し、巧みなゲリラ戦を展開し日本軍
にとって重要な軍用路となる漢城(ソウル)から釜山間を遮断した。
また、全羅道侵入を担う安国寺軍を宜寧で阻止した。
再祐は民衆から「天降紅衣将軍」と称され、政府も彼の戦闘能力を高く
評価し、義兵将の称号を与えた。
戦が終わり、宣祖は彼をたびたび招聘したが、そのつど辞退した
光海朝になり漢城左尹などを歴任し、1617に死去。
文集として『忘憂堂集』がある。
>呉応昌
放置すんなよ(w
権慄については詳しいことは判りませんでした。
柳成龍の進言で当用されたこと、元帥級の扱いだったこと
日本軍撃退に活躍したらしいという事くらいです。
423 :
:02/01/20 03:59 ID:ZfH6z/Ol
義兵上げ
424 :
こぴぺ:02/01/20 08:21 ID:7IiYZOuY
\ ∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < いくぞゴルァ!!
/三 √ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,,
,,、,、,,, U(::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
//三/|三|\ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
∪ ∪ ( )( ) ( )( )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( )( )
425 :
:02/01/20 10:08 ID:83iOOfas
義兵だよん
426 :
74式:02/01/20 11:25 ID:0nbV370H
>>422× 慶尚満ち
○ 慶尚道
でした。は、恥かしい。
427 :
石星:02/01/20 13:39 ID:w0Cr89rJ
沈惟敬の話題が出てこないのはどうしてだろう?
428 :
74式:02/01/20 16:36 ID:XW14nG70
>>427明の武将でしたっけ?ハン板だからじゃないでしょうか(w
もうひとり朝鮮側で活躍したという人を
休静 1520-1604
義僧軍の指導者。平安道安州に生まれる。
幼くして両親を亡くし僧門に入り霊観大師に法をうける。
全国の名山で修行し、のち妙香山に僧庵を構えたので西山大師とよばれた。
僧科に合格し禅宗判事、判禅僧宗などを歴任したがそれらを辞して入山した。
朝鮮侵略が始まると、全国に檄を発して1500人の僧を集め義僧軍を編成した。
彼は八道十六宗都総摂に任じられ、弟子とともに戦った。
彼らは平壌、開城の奪回に活躍した。1604年85歳で死去。
朝鮮王朝仏教中興の祖と言われる。
戦国期の本願寺のような人ですね。
昔も朝鮮の坊さんは怖かったらしいです。
>>428あの〜平壌、開城の奪回は明軍の介入のおかげなんですが…
430 :
:02/01/21 11:35 ID:oDxKxTyH
平壌の戦いっていうと黒田長政1万に5万の明軍が押し寄せたんでしたっけ?
朝鮮義勇軍は僕等が想像するようなゲリラ部隊と言うより
明軍の補助部隊的な役割ですね、明の正規軍の中に編成されてますし。
431 :
:02/01/21 11:35 ID:FYE4kkmh
>>429シーッ!
それ言い出したら、半島の立場は頭から無いでしょ。(w
432 :
ななし:02/01/21 11:47 ID:Ik1rbXnQ
あっち系のHPとかだと、碧蹄館の戦いなどの通り、明軍はあまり
アテにならなかった・・とかいけしゃあしゃと書いてるところも
あったり(藁)。
433 :
:02/01/21 11:59 ID:oDxKxTyH
総大将の董一元は朝鮮人部隊(義兵とも言う)の事は余り評価してませんでしたね
彼等は火薬の扱いも知らず戦場での士気も今一つで頼りにならなかったとか。
434 :
すりすりらん:02/01/21 12:29 ID:X2cpCnwd
>>433義兵が果たした主たる役割はむしろ
不正規戦闘(当時はそんな概念はないが)による
日本軍の兵站線の寸断でしょうね。
道路網が未整備のままだったのが
平野部における会戦には初めっから
勝ち目の薄い朝鮮側にとって、かえって幸いしました。
あと日本軍が糧食の現地調達を狙って
検地などを国内政策の延長で実施してくれたのが
民衆を結局敵に回し、その手の義兵を増やした要因ですね。
435 :
:02/01/21 12:52 ID:2MsIi4g7
その義兵の活躍と言うのも日本軍の士気や戦況にどこまで影響及ぼしたのかが判然としない
補給に至っては日頃から行き届いてたし
平壌の戦い以降主な開戦でも明軍に敗れたと言う戦も無い
義兵の活躍が19万もの規模を誇る駐留軍にどこまで打撃を与えたかが不明です。
436 :
:02/01/21 13:28 ID:G+jQalo6
よせばいいのに、世界史板にコリ天が乱入して大荒れ。
で、住人がこんな事をつぶやいてた(w
==
359 :世界@名無史さん :02/01/19 17:25
こういう韓国人がいるから在日は差別されるんだよなぁ。
ハングル板の差別主義者もこの種の半島人へのカウンターとしてなら許容できる。
刃物を持ったキティガイには刃物を持ったキティガイをぶつけるしかないから。
438 :世界@名無史さん :02/01/20 01:39
ハングル板のコテハンたちの気持ちがよくわかるスレだな
あそこの人たちは、日夜、論理が通じない相手と遊んでいるわけだ・・・
437 :
:02/01/21 13:29 ID:G+jQalo6
>>436のつづき
463 :世界@名無史さん :02/01/20 02:26
ハン板が隔離板である理由の一つは、こいつ等所為なんだろうな。
ハン板に隔離しとかないと不味い奴の代表はこいつだ。
514 :世界@名無史さん :02/01/20 21:10
ハングル板ってこういうキチガイに対抗するためにあそこまで過激化したんだね。
必要悪なのかな。
==
ハン板住人は農薬か?(ww
438 :
:02/01/21 13:31 ID:2MsIi4g7
はははっ
ハン板が過激なんじゃなくて、日本の現実が過激なんだな。。
みないだけ。
440 :
:02/01/23 10:38 ID:9ynNWoV5
朝鮮義兵がその士気と巧みな戦術で日本軍を圧倒した。
>>441 仮にもキャデみたいな基地外が日本語喋って日本で暮らしてるんだから、
間違いなく日本の現実は過激でしょう。
442 :
:02/01/23 11:05 ID:9ynNWoV5
脆弱な日本兵に比べ朝鮮義兵の士気は旺盛
戦闘でも日本兵を次々に撃退する活躍振りを示した。
443 :
:02/01/23 11:07 ID:9ynNWoV5
後、体格の大きな明兵にも終始やられまくってた。
444 :
:02/01/23 11:08 ID:bB0ns4QC
夢見るのは自由。
史実はへたれ義兵。
446 :
:02/01/23 11:10 ID:9ynNWoV5
>>444郭再祐(クワクチェウ)1552-1617
慶尚満ち宜寧県で生まれる。
34歳で科挙を受けるが失敗田園生活に入る。
1592年4月朝鮮侵略が始まると、宜寧にも日本軍が迫ってきたが
ここの県藍である呉応昌はいちはやく逃亡。日本軍の前に放置された。
ここに、再祐は抗日の起兵を決意し、村人に対して
「心を合わせて県津にて守らば村は保つべし」と訴えた。
これは日本軍侵入後9日目であり、最初の義兵であった。
再祐軍は洛東江沿岸に出没し、巧みなゲリラ戦を展開し日本軍
にとって重要な軍用路となる漢城(ソウル)から釜山間を遮断した。
また、全羅道侵入を担う安国寺軍を宜寧で阻止した。
再祐は民衆から「天降紅衣将軍」と称され、政府も彼の戦闘能力を高く
評価し、義兵将の称号を与えた。
戦が終わり、宣祖は彼をたびたび招聘したが、そのつど辞退した
光海朝になり漢城左尹などを歴任し、1617に死去。
文集として『忘憂堂集』がある。
休静 1520-1604
義僧軍の指導者。平安道安州に生まれる。
幼くして両親を亡くし僧門に入り霊観大師に法をうける。
全国の名山で修行し、のち妙香山に僧庵を構えたので西山大師とよばれた。
僧科に合格し禅宗判事、判禅僧宗などを歴任したがそれらを辞して入山した。
朝鮮侵略が始まると、全国に檄を発して1500人の僧を集め義僧軍を編成した。
彼は八道十六宗都総摂に任じられ、弟子とともに戦った。
彼らは平壌、開城の奪回に活躍した。1604年85歳で死去。
朝鮮王朝仏教中興の祖と言われる。
447 :
:02/01/23 11:12 ID:bB0ns4QC
448 :
:02/01/23 11:12 ID:9ynNWoV5
>>445 当然、日本兵です当事の日本人はチビで明兵の体の大きさに驚愕したそうです。
449 :
あ:02/01/23 11:14 ID:T0e67fbE
事実として、朝鮮義兵>朝鮮正規兵ということだな。
農民よりも弱い、朝鮮正規兵はどうしようもないヘタレです。
450 :
:02/01/23 11:16 ID:bB0ns4QC
>>446 不正規戦での遮断・阻止で英雄になれる。
へたれ義軍らしいね。
朝鮮人僧兵の話は既出?
452 :
:02/01/23 11:16 ID:9ynNWoV5
農民にやられる日本兵はもっとへたれです
ま、仕方ないですかねアジア人の中でも体の小さな日本人が戦争に弱いのは。
9ynNWoV5はキャデね。
>>448 はぁ、そうですか(藁
きっと明軍の兵士は身の丈10尺はある巨人兵ばかりだっ
たのでしょうね(苦笑
正直、個人の体躯の大小が、部隊としての戦闘能力にど
れだけ影響を与えられるのか、凄く疑問なのですが。
#むしろ訓練や指揮の方が重要だと思うのは自分だけです
か?(苦笑
455 :
:02/01/23 11:25 ID:bB0ns4QC
日本の武将で農民兵に敗走させられたのっていたっけ?(w
もし、朝鮮義兵なり李氏朝鮮正規軍がまともな軍隊だったのなら、
日本軍は各地に倭城なんて造れてなかったろうよ。
457 :
:02/01/23 11:33 ID:JNWrpHiI
>>454 疑問もなにも日本兵は明兵との肉弾戦になるととたんに四散してしまったそうですよ。
鉄砲だけが唯一の拠り所だったそうです。
458 :
:02/01/23 11:37 ID:JNWrpHiI
ちなみに当時の日本人の平均身長は157cm〜160cm
明兵との体格差は10cmはあったそうです。
459 :
:02/01/23 11:45 ID:JNWrpHiI
>>457 >>日本兵は明兵との肉弾戦になるととたんに四散してしまったそうですよ。
いや、まぁそう思い込みたいなら別に構いませんが(藁
>>鉄砲だけが唯一の拠り所だったそうです。
それはつまり、『倭軍が巧く鉄砲を運用した』ってことでしょ?
そうでなかったら、数に勝る明軍に蹂躪されて敗走に次ぐ敗走、講和なん
ぞ夢また夢でしょうね(w
#しかし言う事すべて伝聞調では説得力のかけらもありませんな(´ー`)y-~~
#自分も気を付けないとね。
461 :
:02/01/23 11:53 ID:JNWrpHiI
>>460数に勝っていたのはむしろ日本軍のほうですよ
日本駐留軍19万に対し明の遼東軍10万弱ですから
明の兵隊が体が大きくて白兵戦に強かったのは華北人で構成された部隊だったからです
むしろ数に任せてごり押し戦術を取ってたのは日本軍です。
>>461 あれ? 駐留軍の大半は李朝の文化を破壊するのに忙しかった
んじゃないの?(藁
まぁ冗談はともかく。
倭軍は半島からの撤退戦でも駐留軍が一体となって戦っていた
と? 初耳ですなぁ(´ー`)y-~~
463 :
棄て:02/01/23 12:00 ID:6k4R1div
>>460 はあ?その数字は、理解が間違って居るぞ。
464 :
:02/01/23 12:00 ID:JNWrpHiI
W杯の中国選手見ても日本人より大きい事が判るでしょ。
465 :
:02/01/23 12:04 ID:bB0ns4QC
とうとう中国を引き合いにだして朝鮮義兵なんて言わなくなったな。
虎の衣を・・・・。(w
466 :
:02/01/23 12:05 ID:JNWrpHiI
>>465郭再祐(クワクチェウ)1552-1617
慶尚満ち宜寧県で生まれる。
34歳で科挙を受けるが失敗田園生活に入る。
1592年4月朝鮮侵略が始まると、宜寧にも日本軍が迫ってきたが
ここの県藍である呉応昌はいちはやく逃亡。日本軍の前に放置された。
ここに、再祐は抗日の起兵を決意し、村人に対して
「心を合わせて県津にて守らば村は保つべし」と訴えた。
これは日本軍侵入後9日目であり、最初の義兵であった。
再祐軍は洛東江沿岸に出没し、巧みなゲリラ戦を展開し日本軍
にとって重要な軍用路となる漢城(ソウル)から釜山間を遮断した。
また、全羅道侵入を担う安国寺軍を宜寧で阻止した。
再祐は民衆から「天降紅衣将軍」と称され、政府も彼の戦闘能力を高く
評価し、義兵将の称号を与えた。
戦が終わり、宣祖は彼をたびたび招聘したが、そのつど辞退した
光海朝になり漢城左尹などを歴任し、1617に死去。
文集として『忘憂堂集』がある。
休静 1520-1604
義僧軍の指導者。平安道安州に生まれる。
幼くして両親を亡くし僧門に入り霊観大師に法をうける。
全国の名山で修行し、のち妙香山に僧庵を構えたので西山大師とよばれた。
僧科に合格し禅宗判事、判禅僧宗などを歴任したがそれらを辞して入山した。
朝鮮侵略が始まると、全国に檄を発して1500人の僧を集め義僧軍を編成した。
彼は八道十六宗都総摂に任じられ、弟子とともに戦った。
彼らは平壌、開城の奪回に活躍した。1604年85歳で死去。
朝鮮王朝仏教中興の祖と言われる。
>>463 え? 自分ですか?(汗
つーかどの数字でしょうか?
#まぁ多分
>>461への誤爆と思われるが念のため(w
468 :
:02/01/23 12:09 ID:JNWrpHiI
>>460の言う事を鵜呑みにすると日本軍は量でも質でも負けていたって事ですね。
469 :
:02/01/23 12:11 ID:bB0ns4QC
賎人は壊れたレコードプレーヤー。
キーキー泣きながら同じ言葉を繰り返す。(w
470 :
:02/01/23 12:14 ID:JNWrpHiI
要するに壬申倭乱は日本軍に勝つ見込みは無かったと言う事です。
>>468 何処をどう読んだらそういう結論がでるのか、君のロジック
を小一時間、どころか半日は問い詰めたいぞ(藁
472 :
:02/01/23 12:20 ID:bB0ns4QC
>>469 こんな所で電波飛ばしてないで、戦前賎人が日本で作った
アニメのタイトルを書き込めよ。
473 :
:02/01/23 12:20 ID:CR/YIu04
文禄・慶長の役は「豊臣」vs「明」の戦い。
李氏朝鮮は明の一地方領主でしかないので、一切の交渉から放置されていた。
そこだけ抑えておけID:JNWrpHiI
474 :
:02/01/23 12:21 ID:bB0ns4QC
475 :
:02/01/23 12:23 ID:JNWrpHiI
>>460 >そうでなかったら、数に勝る明軍に蹂躪されて敗走に次ぐ敗走、講和なん
>ぞ夢また夢でしょうね(w
この話と明兵が体格で日本兵を圧倒してた事を総合すると量でも質でも日本軍は負けていたって事です。
476 :
:02/01/23 12:23 ID:L0AQgZHm
>>473 一方の「豊臣」は、その頃はもう「ひひジジイ」状態
>>475 倭軍と明軍は講和してますが、何か?
…もしかして、講和の事実を知らないのか?(汗
478 :
:02/01/23 12:29 ID:bB0ns4QC
>>475 いいからアニメのタイトル書けよ。
ウソ付きすぎて収拾付かなくなったのか?
バックレてんじゃねえぞ。
このへたれ。
479 :
:02/01/23 12:30 ID:JNWrpHiI
秀吉が途中で死のうが生きてようがこの戦役は日本の負けです
日本軍に勝算はありません。
480 :
:02/01/23 12:35 ID:JNWrpHiI
>>477講和するだけでやっとだったと言う事
しかもその内容は日本側に不利な条件ばかり
これ一つ取っても日本に勝ち目があったとは到底思えない。
481 :
:02/01/23 12:36 ID:bB0ns4QC
みんな飽きたみたいだな。
おれも放置しよう。
一人で勝利宣言しててくれ。
じゃあな。
482 :
:02/01/23 12:39 ID:JNWrpHiI
>>481 さようなら、日本軍が弱くて擁護できずにトンズラするのも良いでしょう。
483 :
:02/01/23 12:40 ID:CR/YIu04
豊臣政権はこの戦役中に、
聚楽第破却・方広寺大仏造営・二度の伏見城造営と
かなり大きな事業を立て続けにやっている。
つまり余裕があった。秀吉が生きてりゃ当然続いたね。
ま、「たら」「れば」の話をしてもしょうがないけど。
484 :
:02/01/23 12:44 ID:JNWrpHiI
>>483 勝ち目の無い戦をだらだらとね、、、考えるだけでも諸大名が反乱起こしそうだ。
>484
勝ち目が無い?うーん………。
当時、もう女真族の圧力は始まりかけていた筈だから、
それでも結局講和はしたと思うよ?
486 :
ななし:02/01/23 13:00 ID:FirEgyAs
>>480 講和とは外交上対等な国同士が行うもの。属国朝鮮には参加権すらない。
不利な条件と言われても、領土割譲も賠償金もありませんでしたが何か?
487 :
:02/01/23 13:10 ID:cKAJNjP+
どっちにしろ泥沼になってたんだから
いくら日本兵の武勲を誇ってもぜんぜん意味無し。
>>487 別に日本兵の武勲など誇ってるわけではなく、
単に電波を弄ってるだけですが、何か?(w
489 :
ななし:02/01/23 13:25 ID:hlNKr5gL
つーか、漢城はおろか平壌まで占領されてるのに、日本が弱兵ってのは
どういう理論だ?
>>489 やはり現地の兵が更に弱かった理論では?(w
>>490 その上日本兵より体格が良いなら、
朝鮮兵が弱かったのは頭の方だと思われ。
いや、兵器が時代遅れのものだったとか、敢闘意欲に欠けていたとか。
って、あれ? 頭の方が弱点って事になっちゃうのか−。納得だー。
493 :
@ ◆XuQ7kH8E :02/01/23 14:03 ID:oIrGEyH9
>朝鮮兵が弱かったのは頭の方だと思われ。
正解かもね。。
494 :
しかし:02/01/23 14:12 ID:Lu88a97C
話を戻しちゃうけど亀甲船の一次資料は本当にないんでしょうか?
一次資料がないとなると日本が戦線に投入した鉄甲船を奪ってそれを
朝鮮が自分で開発した事にしちゃったんじゃないか?というあの国の人並みの
電波な事を考えてる自分をハケーンして鬱になるんです…。
495 :
@ ◆XuQ7kH8E :02/01/23 14:14 ID:oIrGEyH9
>>494 織田信長が鉄甲船をつくてますからね。朝鮮の前に。
日本軍がそれをつかわなかったのは、遠洋航海ができなかったからだと
おもってましたが。
496 :
ななし:02/01/23 14:30 ID:hlNKr5gL
週刊で出てる「再現日本史」ってヤツに、資料の断片を集めて
再現したってのが載ってたな、たしか。
今日、昼休みに立ち読んだ本だと
世界初の鉄甲船、船首の首から煙を吐いて煙幕にも使える
大砲と銃を多数装備して、屋根には刃を付けた鉄板を張った。
斬り込み主体の当時において、射撃を主体とした先進的な
考え方の(云々)
世界初の鉄甲船は(以下略)
射撃メインなのに煙幕張ったら照準できません(無煙火薬の発明前は
砲煙が射撃戦の障害の一つだった)
監修は向こう岸の人だけど、歴史はおろか戦史にもうといようで・・・
497 :
:02/01/23 14:34 ID:Y7Dpl5PM
シャーマン号事件の時亀船が出動したという話を昔読んだんだが・・・
東洋文庫にあったんだが思い出せん
498 :
ななし:02/01/23 14:42 ID:FirEgyAs
499 :
>498:02/01/23 15:25 ID:Y7Dpl5PM
昔活躍した亀船を出動させたけれど効果がなかった為に
亀船をロープでつなぎ火をつけて上流から流したとかいう話だったと思う。
その話、誰か知らない?
韓国の留学生が帰国する時に東洋文庫全部あげちゃって持っていないんだよな。
もし正しければ亀船は比較的最近まであったことになるんだが・・
500 :
_:02/01/23 15:31 ID:0q6nPOqP
>499
亀甲船をロープで縛ったら、亀甲縛り船?
スマン、逝ってくる。
501 :
名無しさん:02/01/23 15:34 ID:GjLtbU8N
502 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 15:38 ID:YG2IldiZ
503 :
n:02/01/23 15:38 ID:HgdYPynz
snj
504 :
:02/01/23 16:05 ID:nqTX7Va1
陸戦で日本兵が「強い」とされたのは鉄砲の存在が大きかった
白兵戦では体格に勝る明兵の方が有利であった。
(中世日本史概略)
505 :
:02/01/23 16:35 ID:nqTX7Va1
なんか上の方で日本軍が弱い事にまともに反論できない奴が朝鮮人の頭が弱いとか適当な事言ってるな
これじゃあ朝鮮義兵の活躍を誇張しようとする韓国人の思考回路と変わらない。
>>505 向こうのレベルに合わせてレスしてますからね。
つうか、
>>504で、
>白兵戦では体格に勝る明兵の方が有利であった。
とあるが、この頃の一般的な戦い方は鉄砲と槍を組
みあわせた集団戦であり、体躯の差が出るような接
近戦という状況は、いわゆる乱戦状態だろう。
諸々の記述を見る限りではそのような状況に持ち込
ませないように戦った日本側の作戦勝ちと取れるの
だが。
で、そういうのをひっくるめて
>>504で日本側が強い
という評価を自ら下しているにも関わらず、
>>505で
>日本軍が弱い
といってるのは明らかに矛盾していると思うがどうか?
#そもそも明兵が体格に勝るとしても、素手での殴り
#合いじゃあるまいし。得物を持ってどれだけリーチ
#に影響があるのか聞きたいものだな(藁
507 :
ななし:02/01/23 17:00 ID:hlNKr5gL
明軍が白兵戦で日本軍を蹴散らしたってのはどこの戦いか、詳細が知りたいです。
508 :
:02/01/23 17:03 ID:nqTX7Va1
確かに遠距離からの攻撃が鉄砲と言う威力の強い兵器を使ってるからこそ日本軍が「強い」所以であって
兵隊としての資質は明らかに明兵の方が高かった。
ちょっとした誤解があったかもしれないがようは504と505で言いたかったのは個々の兵隊としての強さを言ってるのだ。
>>508 戦争は個々の兵隊でやるものではありません。
よって兵の個々の質を問うてもまったくの無意味(藁
510 :
:02/01/23 17:11 ID:nqTX7Va1
>>509 >>504にかかれてる白兵戦は当然集団での接近白兵戦術の事を言ってるんですよ?
自分達より体格の良い人間が集団で迫ってきたら士気も下がるし当然白兵戦で有利になるでしょう。
511 :
:02/01/23 17:19 ID:nqTX7Va1
集団白兵戦でも個人の身体能力が物をいうのは古今東西の戦を見ても明らか
確かに戦争と言うのは総合的なものでどんな手段でも最終的に勝利すればそれでいいという考えも分らなくはないが。
>>510 だから、その
>集団での接近白兵戦術
にはどうやって持ち込むんだYO!
その前に鉄砲と槍のお出迎えだっつの。
それとも明軍は縮地の法でも使えたのか?(藁
513 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 17:20 ID:YG2IldiZ
>>510 なんだそりゃ、それならグルカや高砂は超マッチョなんかい(藁
514 :
棄て:02/01/23 17:21 ID:uHxUJ2vr
515 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 17:23 ID:YG2IldiZ
>>511 オイオイ、大丈夫か?
薙刀の女性VS刀の男性で女性が勝つのは珍しい事じゃないぞ。
モンゴルはどうやってロシアを征服したんだ?
明らかにロシア人の方が体格いいだろ。
516 :
:02/01/23 17:25 ID:Inwbh4ID
兵隊としての資質って体格のことなん?
接近白兵戦術ってこれも体格のことを指しているの?
体格は意味がないでしょう。
接近戦でも刀とか持っているわけだし、殴り合うわけではないでしょうが。
なにを必死になってるの?
517 :
:02/01/23 17:27 ID:nqTX7Va1
>>512鑓組みした段階で接近白兵戦してると思うが?
乱戦だけが白兵戦とはいわないよきちんと統制のとれた部隊間での接近戦も当然白兵戦に入る
それらをひっくるめて
>>504では日本軍は白兵戦になると体格に勝る明兵が有利だったと記述してあるのです。
518 :
:02/01/23 17:28 ID:7Ef7Z+7j
>>510 既に書かれているが、集団の規律を保てるかどうかが体格や武装よりはるかに重要、
でなければ単に体格のいい傭兵を雇って戦わせれば済む。
何のために将軍だの軍督だのが有史以来評価されて来たと思っているんだ?
体格や道具で勝てるのはタイマン程度、それは兵士じゃなくて格闘家とか武人とかになる。
519 :
暗黒神 ◆Z0s4MLRU :02/01/23 17:28 ID:OrIheVgd
運用次第でしょう?
よく言う例えに「良将に率いられた弱兵」
と「愚将に率いられた強兵」どちらが勝つってのがあるな。
ああ、田中芳樹かぶれだ・・・。
520 :
ななし:02/01/23 17:33 ID:hlNKr5gL
いや、だからさ
いつ
どこで
日本軍何人と
明軍何人が
白兵戦で激突して蹴散らされたか
教えて下さい。
検索したんだけど、野戦だと碧蹄館の戦いくらいしかかからないし
大概は数の多い方が勝ってる。
521 :
:02/01/23 17:34 ID:nqTX7Va1
>>514なんで島津軍が500になってるんだ?泗川城の戦いは島津6千人対明7万でしょう
島津家記でも10万とされてるのに20万と言うのは後方部隊の数を含めて言ってるんだと思うが、それにしても20万は誇張しすぎだ。
522 :
:02/01/23 17:37 ID:npCnoCb2
>>517 で、白兵戦に持ち込めなかった明の将軍がボンクラだったと
言いたいのですよね?
>>517 何処に記述されてるのよ? その文献名を教えてもらいたいものだ。
つか、当時の日本兵って数を限れば同世代で世界最強クラスだろ
うに。火器充足率や兵及び指揮官の練度を考えればすぐ分かる筈
だが。
524 :
棄て:02/01/23 17:43 ID:uHxUJ2vr
525 :
棄て:02/01/23 17:48 ID:uHxUJ2vr
あり。
川上忠実の奮戦
>この時は、義弘はおとりを泗川古城の城兵たちに課した。明軍は、まづ最初に、兵糧庫のあるこの城におめきかかったのだ。
>だが古城にはたった500人の兵だけのこして、全員泗川新城にひきあげさせたのである。20万に対し500人とはいかにも見殺しの感が否めないが、
>ここがみそで、明軍も、完全に島津軍がおそれをなして泗川新城まで逃げたと思った。寡兵で守る城を落とし、勢いにのりたい明軍であった、
>しかもここには兵糧庫がある。義弘は、歴戦の強者川上忠実を城将に配した。川上は迎え撃つに怠りない。
>まず城の全面に設けた木柵に倚って鉄砲を構えさせた。「まだまだ撃っちゃならん、合図まで待て。」
>当時の鉄砲は殺傷能力の範囲は36メートルとされている。ほんの間近まで引き寄せなければならない。
>大軍相手に、寡兵で守り抜くには、相当剛胆な城将が必要だ。
中略
>朝鮮軍の戦死者は、はや5000を数えていた。が、数にものを言わせる敵はひるまずに攻め続ける。
って、著者の作文かあ。
確かに、トップページにお断りがあったよ。
自衛隊も柔剣道のお陰でアメリカ軍よりもバヨネット戦なら強いとか
前の号のサピオに載ってたような気がします、キミィ。
527 :
:02/01/23 17:51 ID:nqTX7Va1
>>522 520が紹介してるが邸碧館の戦いがまさに白兵戦が展開された戦い
後、泗川城の戦いでも蔚山城の戦いでも戦の後半は白兵戦ですよ。
>>523 504の下に書いてあるじゃないですか(中世日本史概略)と。
528 :
棄て:02/01/23 17:52 ID:uHxUJ2vr
まあ、作文にしてもだ。
島津軍が籠城した兵隊は500人(6000人中)と記述。
で、
>>521のコメントはリンク先を読んでの事かな?
529 :
棄て:02/01/23 17:54 ID:uHxUJ2vr
被った。鬱出汁脳(;´Д`)
532 :
棄て:02/01/23 17:57 ID:uHxUJ2vr
>>531 貴方が女性ならケコーンです。
もしかして、適当にヒットする言葉を作ってみた…ということか?
いや、これはうがった見方ですね。
きっと、なにかタイプミスでしょう。
適切な資料を提示されることを待ちましょう。
533 :
:02/01/23 18:01 ID:hf8vOFLV
>>527 >520が紹介してるが邸碧館の戦いがまさに白兵戦が展開された戦い
>後、泗川城の戦いでも蔚山城の戦いでも戦の後半は白兵戦ですよ
ふ〜ん、白兵戦しても負けたんだね。
数では勝る明軍が・・・どこが白兵戦有利なの?
結局、負けてんじゃん。
てか、白兵戦が有利じゃなかった証拠なんじゃ・・・。
534 :
ななし:02/01/23 18:08 ID:hlNKr5gL
>>527 邸碧館?碧蹄館のこと?。明軍は大敗を喫していますね。
(これは日本軍のほうが数で優勢らしい)
泗川城の戦いは諸説あるけど、島津軍5千が10倍の明軍5万と戦い
3万8千を討ち取ったなんて数字も出てるんで、寡兵の日本軍に明軍が
大敗していますね。
どこら辺で日本軍が弱兵だった証拠になるのでしょう?
535 :
ななし:02/01/23 18:12 ID:hlNKr5gL
それと蔚山城の戦いでも日本の援軍が到着したんで、明軍は引き上げて
いますね。結局蔚山城攻略はならなかった訳なんですが・・・
536 :
:02/01/23 18:15 ID:Y7Dpl5PM
朝鮮の戦争なのに明軍の話か・・・・あわれ
537 :
:02/01/23 18:15 ID:78386wVY
>>528どうやら自分の早とちりだったようですね
泗川城旧城の話だったんですね
確かにこの戦いで五百人中半数が戦死してますね
明も武将クラス二人討ち死にしてますが。
538 :
〜:02/01/23 18:23 ID:EAew4ldl
鬼石曼子(グイシーマンズ)
>>532 >貴方が女性ならケコーンです。
それは性差別では(ヲヒ 謝罪と賠償を…(以下略)
#いや、男ですのでケコーンはご勘弁(滝汗
540 :
:02/01/23 18:31 ID:78386wVY
鬼上漢
541 :
:02/01/23 18:34 ID:78386wVY
(中世日本史概略)は近所の市立図書館にあった資料なんですけど。
542 :
:02/01/23 18:38 ID:7Ef7Z+7j
>>541 なら発行会社と著者・編者は?
出来れば図書コードISBNも。
ウェブ検索が万能とは言わんが、ウェブで言及されない程度にはマイナーなんだから
それぐらいの手がかりはないと。
543 :
:02/01/23 18:46 ID:78386wVY
碧蹄館の戦いは日本側の数が多かったのと
1万5千の鉄砲隊の牽制射撃で明軍を混乱させてから立花隊の接近戦部隊が突入して勝った戦い。
泗川城新城の戦いも島津軍の大筒が明の焔硝壷を貫いて爆発し浮き足立った明軍に突撃して勝てた戦い。
どの戦いも鉄砲や大筒で敵を混乱させてからの白兵戦だから体の脆弱な日本兵でも戦えた
それだけの事でしょ。
544 :
ななし:02/01/23 18:49 ID:hlNKr5gL
>>541 その本に体格に劣る日本軍は白兵戦に弱く、斬り合いになると我先に
逃げ出したと書いてある訳ですね。
ところが我々の知る歴史ではあなたが白兵戦の例として挙げた邸碧館、泗川城
、蔚山城とも日本軍は総崩れになるどころか、明軍を撃退しています。
あなたの知っているこの3戦の経緯と結果を教えていただけないでしょうか?
ひょっとすると我々の知っている歴史と異なるかもしれませんので。
>>543 だからそれが『作戦』でしょ(藁
勝てた、では無くて勝ったといってくれ。
で、日本兵の体が脆弱だったというソースを希望。
546 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 18:53 ID:YG2IldiZ
>>543 そんな理屈立てをすると全ての勝ち試合は偶然の産物にならないか?
アレキサンダーが勝ったのはたまたまダリウス三世がチキンだったからと言うようなものだぞ。
547 :
:02/01/23 18:54 ID:Y7Dpl5PM
誰か、倭人の出身だった李舜臣が出自に悩みながらも談合と裏切りによって
日本水軍を撃滅する小説書かないかな。
かって倭人安東氏が征服した安東を本貫とする安東権氏の権将軍と李提督の
女真政権に対する服従と反発、倭人である二人の祖国に対する反感と郷愁を
テーマにしてさ(ワラ
韓国にはいっぱいあるけれど。
・・・もしかして、斬り合いに弱く我先に逃げ出したって、釣り野伏では?
549 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 18:55 ID:YG2IldiZ
>ひょっとすると我々の知っている歴史と異なるかもしれませんので。
2009ロストメモリーズ?
550 :
:02/01/23 18:57 ID:78386wVY
この本はかなり分厚く借りられない特殊な本で
自分も文禄慶長の役の編はその場で読んだきり、コピーもしてないので
一つ一つの戦いに関する記述は紹介できません。
551 :
ななし:02/01/23 18:57 ID:hlNKr5gL
>>543 ではなぜ白兵戦になると日本軍が弱かったという根拠の戦いに
それらを挙げたのでしょうか?
552 :
紫雲 ◆D2dfwFG6 :02/01/23 19:00 ID:swTBaffb
>550
一つ一つの戦いに関する記述を紹介できない、ならそれでも構わないので、
>542で指摘されている書誌情報を次回ここへ書き込んでもらえると有り難い。
ところで、近ごろの公共図書館は複写サービスも有料ながら行っているはず。
参考図書もコピーできる。
なんで複写できないんだろう?
553 :
:02/01/23 19:00 ID:HawJ/TKY
>>543 じゃあ、結局日本軍の作戦勝ちですね。
それで混乱するぐらいの士気しかなかったと。
泗川城新城の戦いなどは戦力が10倍もいたのに勝てなかった。
お得意の白兵戦で。
やっぱり、明軍の兵の質が劣っていたとも考えられますよね。
白兵戦有利の証拠は無いの?
554 :
:02/01/23 19:04 ID:78386wVY
>>545当時の日本人は157cm〜160cmしかありませんでした。
555 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 19:05 ID:YG2IldiZ
>>548 いくらなんでも、それと誤解したなら破格の馬鹿なんで、
それは無いでしょう。
>>554 だからその説を裏付ける資料の情報を希望って
言っているのだが。
>>542を参考に返答希望。
557 :
ていうか:02/01/23 19:07 ID:Y7Dpl5PM
巡査と赤ん坊一人を殺した後で、村人から金品強奪した事件が
日本軍一個師団を殲滅した「戦闘」にした挙句、記念楽団まで作っちゃう連中だからな。
559 :
紫雲 ◆D2dfwFG6 :02/01/23 19:08 ID:swTBaffb
> 中世日本史概略
「本やタウン」の検索でも引っかからないな。
市販されていないのかな?
560 :
:02/01/23 19:09 ID:78386wVY
>>551 朝鮮出兵の7年間で実際に日明が衝突した戦など数える程しかありません
それらはもうここで全部出されてる戦いばかりです。
561 :
:02/01/23 19:09 ID:TRb1UiBj
誰か当時の日本軍と明軍の体格さの資料とか無い?
日本人と中国人でそこまで明白な体格差があったのか疑問。
562 :
ななし:02/01/23 19:10 ID:hlNKr5gL
>>554 それは判りました。
朝鮮の役で、ほぼ同数の日本軍と明軍が白兵戦で激突し、日本軍が大敗を
喫した戦いを教えて下さい。
もしくは、当時の資料で、斬り合いで日本軍が劣勢だったという記述でも
いいです。
563 :
:02/01/23 19:12 ID:Ehi1OnpI
>>560 では、明が白兵戦有利だと言うのは妄想ですか?
ただの説に過ぎないと思うのですが?
564 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 19:14 ID:YG2IldiZ
色々調べたけど、無い物は無い、なあ。
ここは矢張り言いだしっぺにちゃんとソースの提示をお願いしましょう。
565 :
ていうか:02/01/23 19:14 ID:FmjzJ6Ku
ただのウ・ソ・ツ・キだろ。
朝鮮人って本当に嘘つきだよ!!!
北を見ればわかるよ・・・・南もそうだけど・・・
566 :
朴李だよもん:02/01/23 19:15 ID:1jJ4HIsb
>>563 根拠となる信頼に足るソースがあれば”説”
ただの脳内学説だけならば”妄想”
567 :
紫雲 ◆D2dfwFG6 :02/01/23 19:15 ID:swTBaffb
> 78386wVY
図書館の名前を教えてもらえまいか?
近所なら行くし、うちの市立図書館から貸出依頼をしてみる事も可能ですので。
568 :
X-36:02/01/23 19:16 ID:NYdqFMKK
569 :
ななし:02/01/23 19:16 ID:hlNKr5gL
>>560 つまりあなたは、明と日本の軍が正面切って白兵戦を展開した
ことが無いにもかかわらず、体格の劣る日本軍は白兵戦では弱かった
という説を鵜呑みにしているのですね?
570 :
:02/01/23 19:18 ID:SLhzA9zv
571 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 19:19 ID:YG2IldiZ
それに明軍は大柄な北方系主力なの?
明=北方=大柄?何か変じゃないの?
てか皆容赦無いな(;´Д`)
573 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 19:22 ID:YG2IldiZ
ていうかそもそも白兵戦って何の事だよ。
槍衾同士の衝突は白兵戦じゃないって言ったら殴るぞ。
574 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 19:26 ID:YG2IldiZ
>なんか上の方で日本軍が弱い事にまともに反論できない奴が朝鮮人の頭が弱いとか適当な事言ってるな
>これじゃあ朝鮮義兵の活躍を誇張しようとする韓国人の思考回路と変わらない。
ここまで言ったんだから、是非78386wVY には「適当な事」では無い本当の戦史というものをご教授願いたいね。
575 :
ていうか:02/01/23 19:26 ID:FmjzJ6Ku
朝鮮人が大柄だった証拠は?朝鮮人は決して大きくないと思うが・・・
蒙古が150年支配したとき、済州島や半島の一部で屈強なモンゴル人の
若者と高麗の女を交配させたという事実は確かにあるけどな。
>>575 いや、既に対戦相手が半島の方ではなく、明軍なんですが…
現地人置いてきぼり(;´Д`)
577 :
朴李だよもん:02/01/23 19:31 ID:1jJ4HIsb
根拠となる信頼に足るソース・・・。
まだ根拠として主張している本のデータは出てないよ。
578 :
:02/01/23 19:38 ID:78386wVY
>>569明と日本が正面から接近戦で衝突した戦いは碧蹄館の戦い。
>>571明の遼東軍は華北系の体の大きな兵士で編成されてました、対モンゴルや対女真族との戦いに備えて。
>>573もちろん槍組打ちも接近白兵戦ですよ、というか中国に槍衾の戦術があったかどうか判りませんがね。
579 :
ななし:02/01/23 19:39 ID:hlNKr5gL
その後の経緯を見ると、明軍も朝鮮軍も鉄砲部隊に力を入れる。
で、サルフの戦いでヌルハチは明軍に白兵戦を挑み、勝利している。
580 :
:02/01/23 19:44 ID:78386wVY
>>579 女真族は体が大きいことで有名ですからね
古代から中国の豪傑武将と言えば大概北方出身の男性でした。
581 :
542:02/01/23 19:46 ID:7Ef7Z+7j
>ID:78386wVY
おーい、「中世日本史概略」の発行会社と著者・編者とISBNは?
皆君の主張の部分を実物を見て検証しようと考えているのだから、検証出来るよう挙げてくれないと困るよ。
あれだけ大言を吐いたのだからまさか実在しない空想上の書物なんてことあるわけないし、貸し出し禁止の
書物ならその図書館に行きさえすれば確認出来るんだろう?
客観的な討論のためにも早く頼むよ。
582 :
:02/01/23 19:47 ID:78386wVY
中国には北方大漢という言葉があるくらい伝統的に北方系の人間は体が大きく白兵戦などで活躍してます。
583 :
:02/01/23 19:49 ID:rUYWmvEx
>>578 >中国に槍衾の戦術があったかどうか判りませんがね。
無かったら白兵戦有利ってこと?
面白い解釈ですね。
チョンコと同じ考え方だね。(w
584 :
ななし:02/01/23 19:48 ID:hlNKr5gL
>>578 同勢力、あるいは寡兵の明軍が白兵戦のみの戦いで、日本軍を破らない
かぎり、明軍が日本軍を白兵戦で圧倒した根拠にはなりません。
碧蹄館の戦いはこの条件をあらゆる点で充たしていません。
585 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 19:49 ID:YG2IldiZ
ねえ。サイコの臭いしない?
586 :
:02/01/23 19:49 ID:78386wVY
>>581 今すぐ出せと言われても図書館はしまってるし著者や編者の名前なんて一々覚えていませんよ。
587 :
X-36:02/01/23 19:50 ID:NYdqFMKK
確かに「中世日本史概略」を見た図書館の名前だけでも
教えて欲しいですね。
>>ID:78386wVY
何か見てて可哀相になってきた(゚дÅ)ホロリ
取りあえず明日図書館に行って「中世日本史概略」の書籍データを
取得するまで論議を中断する事をお勧めする。
これ以上やっても話がすれ違うばかりだ。
589 :
紫雲 ◆D2dfwFG6 :02/01/23 19:51 ID:swTBaffb
>586
今が無理なら今すぐにとは言わない。
それより市立図書館の名前を教えていただきたいのですが。
590 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 19:52 ID:YG2IldiZ
>このとき、義弘の申し出に賛同し救出に向かった立花宗茂についても触れて置きたい。
>碧蹄館の戦いで明軍30万人に3千人で斬り入り、敵軍をまっぷたつにしたのは有名。
むしろ日本軍の強さが目立ってるみたいですけど。
591 :
:02/01/23 19:52 ID:lMyEG0ar
NACSISで全国の大学図書館の蔵書を著書に検索したところ、
ひとつもなかったよ。よっぽどレア本らしいな(藁
592 :
朴李だよもん:02/01/23 19:53 ID:1jJ4HIsb
593 :
ななし:02/01/23 19:53 ID:hlNKr5gL
>>590 さすがにそれはデマかと・・・>明軍30万
594 :
591:02/01/23 19:56 ID:lMyEG0ar
>>591 「著書に」は削除
この板って、厨房から研究者までいるから、
アカデミックな話題で煙にまこうとするのは墓穴掘るだけ。
595 :
>586:02/01/23 19:58 ID:FmjzJ6Ku
今じゃなくても良いよ(ワラ
しかし著者名も出版社も知らないで、そこの部分だけは覚えてるんだ(ワラ
でも、そんな解釈があってもおかしくはないよ。
逆に、明軍は倭軍との白兵戦を避けたという記録も沢山あるんだよ。
ていうか中国人は白兵戦を嫌う傾向があるというのは良く聞くな。
596 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 19:58 ID:YG2IldiZ
それに剣術に限定しても、大陸の片手剣術が日本の両手持ちの倭刀に太刀打ち出来なかった訳だから。
これも体格が戦闘を左右するという話にも矛盾する。
597 :
:02/01/23 20:00 ID:78386wVY
>>590 それは征韓禄など日本側の資料だけを当てにしてるから信用できませんよ
それに碧蹄館の戦いに明は30万も出してません。
598 :
朴李だよもん:02/01/23 20:01 ID:1jJ4HIsb
>>ID:78386wVY
あのさ、ごたごた批判にたいしてレスつけてる暇あったら手伝ってくれないか?
大学図書館はおろか国立国会図書館ですら見つからないんだよ・・・。
困った困った、どうしよう。
599 :
:02/01/23 20:06 ID:78386wVY
>>596 戦国期の日本刀は曲がり易くてすぐに切れが鈍る事で有名なんですが
大陸の柳葉刀(俗に青龍刀)の分厚くて頑丈な造りに太刀打ちできたか怪しいですね。
600 :
ななし:02/01/23 20:10 ID:hlNKr5gL
>>597 それはその通りですので、同勢力、あるいは寡兵の明軍が白兵戦のみの戦いで
日本軍を破った戦いを挙げるか、日本側の当時の資料で、斬り合いで明軍が手強
かったという記述のあるものを挙げてください。
601 :
紫雲 ◆D2dfwFG6 :02/01/23 20:10 ID:swTBaffb
>599
数打物ならね。
それよりも図書館名を出していただきたい。
その程度の情報で貴殿の身元が割れるわけではない。
NDLの検索でも引っかからない珍書、私はぜひとも見てみたい。
602 :
朴李だよもん:02/01/23 20:13 ID:1jJ4HIsb
曲がりやすい日本刀があったなんて話、初めて聞いたよ!!
あなた日本刀の作り方知ってる?
603 :
):P:02/01/23 20:13 ID:El9SgCQu
>>78386wVY
とりあえずこのスレははさっきからずっとリロードしてるんだけど、まだ
図書館の名前を教えてくれないの?
604 :
:02/01/23 20:13 ID:PEPPM0la
>>599 刀がどんなによくても使う人がバカなら宝の持ち腐れ。
ところで戦国期の日本刀は曲がり易くてすぐに切れが鈍る事で有名なの?
分厚くて頑丈な造りはもともと切れ味は悪いですが。
605 :
朴李だよもん:02/01/23 20:17 ID:1jJ4HIsb
>>604 製法を考えれば答えはすぐに分かる。いくら数打ちものだろうと基本の製法は変わらない。
折れることはあっても、有名になるほど曲がるわけがない。
切れ味が鈍るのは本当。
いい刀は曲がりますよ、キミィ。
時代劇みたいにぽっきり折れるのは安物。
それと、戦場で使用するのは主に弓と槍です。
刀はサイドアームみたいなもの。
607 :
朴李だよもん:02/01/23 20:19 ID:1jJ4HIsb
>>606 あの〜、今は大量生産の安物の話をしてるんですけど・・・。
608 :
びぎなー:02/01/23 20:19 ID:LSZrKLeV
恐れながら申し上げます。
初期の日本刀は刀のそりがあって、力のベクトルをうまく分散する
構造になっていたんだけど、やっぱり斬るのには限界があって、
すぐにそりが少なく刺すための日本刀に変質したのではないのでしょうか。
また青龍刀も実際は斬るというよりも撲殺するための
武器だったのではないのでしょうか?
実際に日本刀の切れ味はすごいと思う。
剣道の高段者に実演してみせてもらったことがある。
一方青龍刀は重心の位置が今一だとおもうんですが。
609 :
ななし:02/01/23 20:18 ID:hlNKr5gL
戦国時代に「数打物」と呼ばれる刀が粗製濫造されたのは事実です。
610 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 20:22 ID:YG2IldiZ
「柳葉刀」
「柳葉刀」は名前の通り柳の葉っぱのような長く膨らみのある形状です、刀身の両側に二条の血槽
(直線の溝で突き刺したときに血槽がないと刺さったまま刀が抜けにくい)が彫ってあります。
また刀盤(鍔)は楕円形の鉄皿のようで、手で持つの方が底の部分になります、柄はやや湾曲して
下にさがっていて、刀首(グリップエンド)には金属製のキャップが付いています。
刀の大きさを決める基準は刀盤を左手で持ち(ブランデーグラスを持つように?)「刀背」を垂直
に腕に付けた時「刀先」が耳の下にとどく長さが基本となります。
ちなみに私が持っている刀の場合は、刀身が72センチ、刀柄が18センチ、全長が90センチ、重量
が約450グラム(かなり軽い軟弱な刀)です。
http://www.gaopu.com/111T.html
数ウチものは焼きが悪かったりスがはいったりするのでヤハーリ折れます。
逆に再製品とかで鋼じゃなくなっちゃったとかはぐにゃリと根元から曲がります。
612 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 20:24 ID:YG2IldiZ
陣太刀の話
■陣太刀とは
殺るか殺られるかの実戦用の武器なので見るからに丈夫そうです。
長さは2尺〜3尺(60センチ〜90センチ)くらい。
スマートさよりも丈夫さ重視!
かなり乱暴に扱っても壊れにくく、
一般武士の刀でも余計な飾りなど付いていない。
「兜割り」という話が伝わっている。
刀は砂鉄から取り出した鉄を何度も何度も鍛え、
打つことにより強度と粘りが増す。
性能のよい刀が達人の手にかかれば兜も割れるらしい。
まさに、命の最後の砦と言うことだったのでしょう。
曲がるのは事実では?
合戦の時は、刀の峰を踏んで曲げを直しながら戦ったという記述は、
結構ひんぱんに目にします。
ちゃんとした刀は玉鋼という砂鉄を低温還元したものから作りますが
いいかげんなのは鉄くずとか再製したり錬鉄がいい加減だったりするのです。
こういう刀は朝鮮とかシナが沢山輸入してくれました。よかったよかった。
615 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 20:38 ID:YG2IldiZ
>>614 そういえば、朝鮮刀のNET販売をやってるHPの画像に
日本刀そっくりな刀があって、画像File名を見るとirubontou.jpgになってたのは笑いました。
基本的に戦国期の雑兵(実際に戦う方々)にとっての刀は消耗品でもあるます。
実際に使うとしましょう。
弓がひとしきり飛び交った後、白兵戦となるます。
基本は槍で着き合います。(一番槍とかいいますね)
大将を殺した後首を切るのに使うほか組討とかで刀を抜きますが
折れた場合はどうしようもありません、
曲がった場合は直せばまだしばらくは持ちます。
617 :
定住者:02/01/23 20:43 ID:8Kxamxqe
板違いだが、
東北地方に多い苗字の金(コン)や今(コン)は、渤海?(女真族)からの渡来人の金(キン)から派生した
と聞いた事があるが。
どうなんだろう。
>>616 自分は逆だと聞いたよ。
折れた場合はそのぽっきり折れて出来た鋭い面で突き刺して殺すことができるが、
曲がったものは殺傷能力がなくどうにも使い物にならない。、
折れるように作る方が簡単なんですよ。
鋼のばして焼き入れるだけだから。
何も四方詰めにしろ甲臥せにしろ軟鉄を中心に挟むのは折れないようにするためです。
逆に言うとちゃんと作ると折れるわけがないんですね。
軍刀は折れました(w
いちまい板からの削り出しだからね。
刀は多少切れなくったって鉄の棒ですから殺傷能力はかなりなもんです。
峰うちなんかされたって手加減なんかにゃなりません。十分死ねます。
つうか、鎧武者どうしはそんなに切り合いなんかしなかったんですよ。
620 :
:02/01/23 21:08 ID:ZZSaa786
>>616 突くんじゃなくて上からひっぱたくのが当時の槍の使用法でなかったっけ。
雑兵用の槍は柄も穂先も軽めに作ってある。ただし非常に長い。
三間ある槍を持った集団がオウトレンジから槍を振り下ろすのが白兵戦
の実態。刀はそれが終わってから。
621 :
:02/01/23 21:10 ID:ZZSaa786
オウトレンジってなんだ(汗。
622 :
有限会社韓国 ◆KKKfWqzs :02/01/23 21:11 ID:YG2IldiZ
>三間ある槍を持った集団がオウトレンジから槍を振り下ろすのが白兵戦の実態。
で、そのような戦いに体格がどれ位意味を持ったかです。
623 :
棄て:02/01/23 21:12 ID:+iFSX7+N
「中世日本史概略」って、もしかして「裏マニュアル」と同じ意味の言葉になるのかな。
googleで検索したときに、よもやって思ったんだけど。
624 :
:02/01/23 21:14 ID:jxeeTDvG
そう言えば「トヨタは韓国系」とかほざいてた奴も庄屋録とか言う
謎の書物を出してたね。
625 :
):P:02/01/23 21:14 ID:El9SgCQu
>>623 基本です。なにしろ「中世日本史概略」に書いてありましたから。
626 :
棄て:02/01/23 21:24 ID:+iFSX7+N
そろそろ言っても良いかな。
だいたい「概略」なんて書いてある本に。
文禄・慶長役について、そこまで詳細な記述があるのか。
627 :
:02/01/23 21:30 ID:Rc2+OaTk
基本的に鎧武者を殺傷する場合
鎧通しと呼ばれる刃渡り1、2尺の片刃で細長く垂直なのもあれば湾曲したのもある小刀みたいなので止めを刺してました。
後、大陸式の刀剣は一枚鉄板打ち伸ばし方式ですので数打ち日本刀と性能は大差ないです
これはヨーロッパの刀剣にも言えますね
むしろ刀剣と言うものをここまで頑丈に作り上げた日本刀(本来の)が稀なのです。
あや〜、何と言うか、本当に情け容赦無い(汗
ちょっとは手加減して上げてもいいじゃないですか(^^;
>>628 ハン板有志に「容赦」の二文字無し
それがあったら・・・ねぇ(出遅れて悔しい)
630 :
:02/01/23 21:44 ID:CprItA1X
>>620長槍同士での戦では叩き合いでしょうが
乱戦混戦になると素槍が一番使用されたそうです
柄の長さは大体地面から耳の付け根の下部分までで大体150cm
槍穂の長さは20cm〜30cmまでだったそうです
戦国末期になると槍穂と柄の間にくの字形の金具を取り付けた鍵槍が普及しました
槍隊の約8割がこの鍵槍を使用してたそうです。
631 :
:02/01/23 21:47 ID:/pTEDDie
ハーバード大の教授に教えて貰った本だろうか‥
引っ掛けるのハルベルトみたいな使い方したのかねぃ。
そう言えば加藤清正がつかタのは十文字槍・・・
633 :
びぎなー:02/01/23 21:52 ID:LSZrKLeV
槍って刺すんじゃなかったんですか?
nhkの大河ドラマでは刺しまくってるんですけど。
乱戦でもろに刺しちゃうと横からやられちゃうよ。
>>629 >ハン板有志に「容赦」の二文字無し
お、鬼や、あんさんはほんまもんの鬼や!(w
>>ID:78386wVY
明日はもっと打たれ強くなって帰って来るんだよ〜(゚дÅ)ホロリ
636 :
:02/01/23 22:03 ID:+RtonDe+
侍の話、とくに文禄慶長の役の話になると、必ず、ある種の人々が登場して、
1)日本兵は体格が小さかったから白兵戦に弱かった
2)日本刀はもろかった
という二つの煽りを持ち出します。
これらは、ある種の人たちがなんとしても崩したい牙城のようですね。
しかし、
1)はまったく、根拠なし。
2)も単なる、クレーマー的いいがかりにすぎない
ことが明白です。
煽りには乗らないように。
637 :
):P:02/01/23 22:04 ID:El9SgCQu
というか嘘吐きはチョンの始まり。
ID:78386wVYをチョンへの道から救ってやるのです。
>635
銀ちゃ〜ん
1)朝鮮人は気が小さく白兵戦が弱かった。
2)朝鮮兵はもろかった。
コレは事実。少なくとも朝鮮戦争までは。
(米兵の証言あり)
押忍!
640 :
632:02/01/23 22:09 ID:+RtonDe+
1)について、
唯一の文献的根拠は、「カンヨウロク」(字が出ない)の
「戦をすると日本人には負けるが、相撲を取ると朝鮮人のほうが
強い」
という、その一つのみです。
しかし、これは日本でも敗戦直後、幼い皇太子(今上天皇)が
「一人一人の日本兵(人)は米軍よりも優れていたが、物量に
破れた。」
と、述べたような、
誰しもが持ちたがる精神の拠り所として読むべきでしょうね。
641 :
632:02/01/23 22:12 ID:+RtonDe+
2)については、スレの中に
「実践的には短い刀ほど有用だった」
といったリクツが述べられてますが、
論理的には、出刃包丁やナイフが最も効果的ということになります。
長からず、短からずの最良のバランスの武器こそ理想なのであって、
体格、技法、戦術、それらの整合を得た日本刀の実戦力の高さは
韓国人の中でも有能な人は認めています。
刀剣という奴は目的と用途で最適な長さが違うという事が
理解できない人は痛いですねぇ・・・・・(ww
なんで鮮人はあぁなんでしょう?
643 :
−:02/01/23 22:42 ID:MHdzvxKp
閣下、それが鮮人の鮮人たる所以です。
644 :
−:02/01/23 23:03 ID:MHdzvxKp
で、引っかける武器といえば、古代中国に「戈(カ)」という武器がありますね。
まさに、引っかける専用武器で、戦車兵が使用してましたが、戦車が
廃れるとともに衰退していき、代わりに「戟(ゲキ)」が騎兵の登場によって、
主流になっていきます。
645 :
:02/01/24 00:20 ID:haexE0eD
中国の長物として方天戟や月牙という武器がありますね後、蛇矛は6m位の柄がついてたとか
どれも見た目は迫力があるんですがどうも中国人は柄の方には気を使ってなくて
何の強化処理も施してない柄を日本刀でよく切り落とされてたそうで、、、
646 :
:02/01/24 00:33 ID:haexE0eD
朝鮮兵だったかが刃渡りの長い日本刀に恐怖したとか
恐らく陣太刀を見て驚いたのかも、あれは足軽が腰に指してる安物刀とは訳が違いますからね
実戦で乱暴に扱っても大丈夫なほど肉厚や身幅も広く取ってるし。
647 :
ななし:02/01/24 09:47 ID:ln2ONyWT
そういや、当時の明や朝鮮の甲冑ってどんなものなんだろ?
戦争ばっかやってた日本は、この面でも発展が著しく、伊達は家中一党は
おろか、お貸し具足(足軽に配るレンタル武具)に至るまで鉄板使用の重くて
頑丈なのに統一してたそうだが・・・。
648 :
:02/01/24 10:10 ID:h1t7XiBY
>>647中国のは明光冑という鎧があるようですね
これは全身をスプリントメイル(甲板を張り合わせた物)に胸部、腹部に鉄板を使用して防御力を高めたものだそうです
ただこれは武将クラスの装備で。
雑兵クラスには綿を何枚も重ねてキルティングした綿甲鎧とか日本に比べて余り良い防具とは言えませんね
ただ大陸の兵士は盾を使いますし鉄板を張り合わせて鉄釘を打ち込んだ盾など鎧の変わりに盾が発達してたそうですね。
649 :
:02/01/24 10:29 ID:h1t7XiBY
ところで世界史板の朝鮮征伐スレってどんな感じ?
あそこはID制じゃないから在日やサヨの溜り場になってそうだけど。
「中世日本史概略」って稀覯本かなんかか(w
って出遅れたなあ・・・。
>648
日本って「盾」の概念って薄いと思うんだけど。
これは刀の発達しているから?
「剣道の達人には盾はいらない」ってよくいうし。
これは刀を使う際の技術体系による物なのだろうか。
651 :
_:02/01/24 10:51 ID:m0PGn1V4
>>649 あのへんは最低限の知識がないと
あっという間に論破されてor話に加われず終わりなのと
住民の数自体が少ないので基本的に大丈夫です。
ただ該当スレにはコリエンが現れていて
最近ギスギスしてきてます。
652 :
ななし:02/01/24 10:56 ID:ln2ONyWT
>>648 武将クラスは日本とほぼ同じなんですな・・・。
>>650 個人的には戦法の違いかと。
日本では武将が騎馬から弓を射ましたが、西洋では弓は下級の
兵士の武器でした。弓を引くには盾は持てませんが、大鎧は馬上
から弓を引くのに適した作りになっています。
徒歩の兵士は長巻や長刀を持っている絵が残っていますすので、
長柄武器の者が多かったのかもしれません。
653 :
医学生:02/01/24 10:58 ID:pvtusljb
>>650 侍の戦闘方法が弓主導で来たのと関係ないですかね?
射出兵器が発達すると盾って廃れるような。
盾はありますが。
但し手持ちではなく地面に突き立てて使う奴ね。
携帯可能な遮蔽物って感じで。
655 :
暗黒神 ◆Z0s4MLRU :02/01/24 11:03 ID:tVqwW8ak
>652、653
そうか・・・。
考えてみれば剣道が発達したのは戦国末期〜江戸初期、江戸末期ですものね。
ちょっと集団戦と個人戦を混同していたようです。
>654
ガンパレの展開式増加装甲の元ネタ?
657 :
:02/01/24 11:12 ID:h1t7XiBY
>>650日本の場合武器や鎧に盾の役割が吸収されたんだと思います
大鎧の場合、大袖や脇盾それに草摺といった部分に吸収され
日本刀は組打ちしても折れ難い構造になり
薙刀の柄全体に金属板を螺旋状に巻いた構造になってるし
槍には大抵柄先の下部に物打ちという金属板を巻いた部分で敵の攻撃を払ったり打ち据えたり出来ます。
>>656 >>展開式増加装甲
まぁそんな感じで。てかWeb上に適当な資料が無くて鬱。
>658
あ、失礼しました。
とあるロボットシミュレーションゲームに
全く同様の説明の武装があるんですわ。
それで今なるほど、と合点がいったんでつい。
今思えば、武道板か軍事板で聞けば良かったかなと(汗
>>659 いや、別に気になさらずに(w
ただ一つコメントするならば、アレは防御用の武装ではなく
味方の行動力を下げるための重しです(ぉ
661 :
:02/01/24 11:29 ID:h1t7XiBY
>>655 最近の研究では
源平の時代でも一騎討ちは珍しく徒武者同士の集団戦も多く行われていたとされる説が出ています
だから元冠で元高麗軍の集団戦術に苦戦した云々という在り来りな話も見直されつつあります。
662 :
医学生:02/01/24 11:40 ID:pvtusljb
日本刀は剣(つるぎ)というよりは、ナイフ(短刀)の延長のような気がするのですが。
663 :
暗黒神 ◆Z0s4MLRU :02/01/24 12:03 ID:bkaNNews
>662
そうかな?
剣と云えば諸刃なんで刀とは系統が違うと思いますが・・・。
剣→重さで叩ききる、突き刺す
刀→刃を利用して切り裂く
という用法のちがいもありますし。
664 :
:02/01/24 12:04 ID:bJfjYGyK
>>662 そう?用途的には鉈とか山刀とかの気もするけど。
多種類の刀剣の融合・分化の果てに生まれた戦闘用の刀剣、というのは間違いないだろうけど。
ナイフはむしろ苦無(くない)のほうじゃないかな、多目的で片手持ちで投げてよし振ってよし、
というジャンルからは。
665 :
暗黒神 ◆Z0s4MLRU :02/01/24 12:05 ID:bkaNNews
違う!だから
>>662で正解なんじゃねえか。
なにいってんだ俺は・・・。
666 :
暗黒神 ◆Z0s4MLRU :02/01/24 12:08 ID:tVqwW8ak
あと、厳密に云うとナイフと短刀も違う(らしい)し。
667 :
研究?:02/01/24 12:16 ID:/gii2/ZQ
>>661 そういうのを「研究」と言うのでしょうか。
一騎打ちを四角四面にとらえるなんて、これまでの日本人もしていなかったと
思いますよ。
太平記や平家物語を読んだ小生など厨房の頃からイメージとしては
集団戦があり、儀式的に、また語り部的に一騎打ちがあったと。
いまさら「新説」として出す学者がいたとしたら、売名意識からでしょう。
横レススマソ。
戦国の実戦用の刀は、切れ味よりむしろ叩き衝けるように切る事と
突き刺す事に重点が置かれていて、重い物が多かったと記憶してます、
合戦の時、切れ味の良すぎる物は、筋肉で止まってしまい衝撃を
与えられず、出陣の際に丸い石で刃を少し落とすと言われています
この石は昔の武家の家の前庭なんかに名残として、今も置いて有る
所有ります、戦闘が無くなってから、軽く切れ味の良い今のスタイル
に変化して行ったはずです。
669 :
ななし:02/01/24 14:04 ID:ln2ONyWT
といいますか、刀は荒研ぎの方が斬れるのです・・・
刀が鈍器扱いなのはその通りですが。
670 :
:02/01/25 04:02 ID:kDCT4zKK
泣き喚き、悲鳴をあげながら逃げ惑う朝鮮人兵士たちの姿がまず眼に浮かびます。
671 :
:02/01/25 04:49 ID:kFO4qv49
>>669 寝刃を起こすって言うんでしたっけ?
荒石でわざと刃の表面を削って血糊で切れが鈍るのを防ぐとか
これで多少の切れが悪くとも長持ちするので戦場ではよくやってたそうですね。
672 :
:02/01/25 05:00 ID:kFO4qv49
>>670 兵農分離が進んでた当時の倭軍は戦のプロ集団でしたから
刀より長槍を用いた陣形戦術で敵軍の陣形崩しが主だったと思いますが
むしろ刀を実戦で扱うのは野武士のような遊撃集団だと思います。
673 :
日ノ本:02/01/25 05:05 ID:a2ejSk78
>>刀すれ
俺剣術今やってるんすけど(名はあげたくない。愛洲陰流の名残とだけ)
今の刀(新刀)って基本的に江戸とかに入ってからなんですよね
古刀とかは、鎌倉とか、あずち桃山とか、その時代が有名ですね。
理由は、やはり戦場では刀より、槍等の方が効果があったからです。
674 :
:02/01/25 05:06 ID:kFO4qv49
>>667 それにしても元冠で一騎討ち主体の武士団は大陸の集団戦に苦戦した、、、
とか言ってる自称歴史作家は多いですよね(w
675 :
日ノ本:02/01/25 05:08 ID:a2ejSk78
>>673つずき
だから、刀を使う場合、多くは馬上、すなわち騎馬侍達ですね。
その時使う古刀は、刀を時代劇などで見るのとは逆に、
紐でよろいから下げるのですよね。
剣術などはこの時代まだ生まれてなく、切り方等無い為、
反り(カーブ)もすごいあるのですね。
676 :
:02/01/25 05:14 ID:kFO4qv49
>>673 恐らく戦国期に入って具足が急激に進化した為
刀での斬撃が余り有効では無くなってきたからではないでしょうか。
677 :
日ノ本:02/01/25 05:19 ID:a2ejSk78
>>676
江戸に入ってから、戦場が無くなり、着物に袴を着た時の小争いになった為です。
甲冑を着ないため、上から下に切る抜刀が盛んになったのです。
それ以前は、一応ある抜刀は、下から上、又は横に切るのが主流でした。
狙うは脇、首、又。一応そういう理由で刀の種類が変わったのです。
678 :
、:02/01/25 07:43 ID:eJlosSkJ
>>676 正確には、今われわれが「カタナ」と呼んでいるモノは「ウチガタナ」といいます。
太刀は
>>677さんもおっしゃってますが横に薙いで使い、
刀は抜き打ちに振りおろしてつかいますね〜。
679 :
名無し:02/01/25 11:09 ID:6rAvujfa
朝鮮兵だったかが刃渡りの長い日本刀に恐怖したとか
恐らく陣太刀を見て驚いたのかも、あれは足軽が腰に指してる安物刀とは訳が違いますからね
実戦で乱暴に扱っても大丈夫なほど肉厚や身幅も広く取ってるし。
680 :
...:02/01/25 11:40 ID:122jACwh
朝鮮出兵のゲームって無いの?
ちゃんと日本語でやりたいな〜
681 :
:02/01/25 11:53 ID:hTI6pKCb
戦国時代に足軽が指してた刀は打刀ですね、反りが浅いので刺しても使えたからだろうか。
戦国時代でも豪傑や達人が使う刀と言えば長大な太刀だったそうですね
そう言えば室町時代に描かれた合戦絵図では胴丸ごと体を真っ二つにしてる絵があって
ああいった豪胆な事が出来るのは野太刀しか出来ないと思う。
でも野太刀の用法は江戸時代に廃れて今は現存してないとか。。。
682 :
:02/01/25 11:54 ID:hTI6pKCb
683 :
:02/01/25 12:00 ID:hTI6pKCb
朝鮮征伐のゲームなんてバランスが悪すぎだと思うんだが(藁
日本側は秀吉が死ぬまでに唐入りを果さなければ
ゲームオーバーとか何かしらのハンデを付ける必要があると思う。
684 :
>683:02/01/25 12:06 ID:+D2ff9MI
ていうか、朝鮮編はWCで言えば予選でしょ?
本選は明・金とのリーグ戦。
685 :
:02/01/25 12:20 ID:W9QV9mrQ
まず、予選で李舜臣を早めに倒す必要がありますね
明は火砲にさえ気を付ければ勝てそうだし
後金は未知数だけど騎馬兵主体だから鉄砲で対処すれば規模自体は小さいし。
>>681 石川県の白山姫神社の宝物殿に、真柄の大太刀が置いて有りますが、実物
見ると、マジでこんなのあつかっとったんかと思う位、長い太刀です、
当時の大名は、今のプロレスラークラスのガタイの大男を集めて、格闘
集団作るのが趣味だったみたいですね。
687 :
JKC:02/01/25 12:41 ID:c5gpHS2O
>>680 > 朝鮮出兵のゲームって無いの?
>ちゃんと日本語でやりたいな〜
韓国ではその手の歴史シミュレーションゲーム(もちろんプレイヤーが朝鮮軍を操作し、
にっくき侵略者である秀吉軍を撃退するというパターン)はかなり出ているようです。
しかも、その人気作の続編では
「秀吉軍の撃退に成功した朝鮮軍が、逆に日本へ侵攻する」
と言う設定になっているそうです・・・。 戦乱と飢餓で荒廃しきった当時の朝鮮の
どこにそんな余力があるんだ?。 と、問いつめたい。 小一時間問いつめたい(藁。
ま、さすがにこのゲームの作者も朝鮮単独で日本の全力と戦うのは不可能と言う事は
分かっているようで、1600年の関ヶ原の戦いの前後に、豊臣家と対立する徳川家と
手を組んで、親豊臣家の大名の多い西国の手薄な地域に上陸を仕掛けるという設定だっ
たはずです。 よって、豊臣家とその臣下の大名達を東西から挟み撃ちにして滅亡に追
い込めば「朝鮮の勝利」というエンディングになるはずですが。
ま、それにしたって当時の朝鮮の国力を10倍ぐらいに水増ししない限り、当時の
朝鮮の疲弊しきった国力では、例え徳川家と手を組んでも日本本土への大規模な渡洋
作戦など不可能でしょう(藁。
688 :
:02/01/25 12:42 ID:hTI6pKCb
姉川の合戦でも刃渡り6尺の大太刀を馬上から振り回して敵を薙ぎ倒してた人がいましたね。
その人が、真柄ですよ。
690 :
:02/01/25 12:46 ID:hTI6pKCb
>>687 後日談として朝鮮軍が家康に後ろからブスッっと、、、、
こうして江戸の太平が訪れたとさ。
691 :
元道民:02/01/25 12:48 ID:8eWu1Nfa
692 :
:02/01/25 12:53 ID:hTI6pKCb
>>689彦根城行ったときにもデカイ陣太刀が置いてました。
>>688 実物は刃渡り、1.8m位、全長で2.4m位有りますね、重量にして
50k近いと思います、通常は小姓4人で持っていたらしいですから。
694 :
:02/01/25 12:55 ID:Db/MVpZT
>>687 マジでそんなゲームが実在するのなら、
日本が朝鮮出兵もののゲームつくっても抗議してほしくないね
695 :
:02/01/25 12:57 ID:hTI6pKCb
戦場太刀は抜き身で右?肩に背負うようにしては斬ると言ったスタイルで
一度抜いたら鞘に戻したらいけないんですよね。
>695
そんな感じですね、けど当時は騎馬武者一騎でも、サポートの小姓最低
4人が付いていて下で槍とか長巻でサポートしてたみたいです。
文禄慶長の役の頃は信長、秀吉の戦闘専門部隊の錬度が一番上がって
居た頃だから、白兵戦に弱いなどと言う事は到底信じられません。
697 :
:02/01/25 13:11 ID:hTI6pKCb
AOEの朝鮮はつかえねぇー
698 :
:02/01/25 13:49 ID:lEG1tCQI
>>698 あんなの、振り回す奴の傍には自分だったら寄りたくない。
700 :
:02/01/25 13:58 ID:kDCT4zKK
>>696 2chのK電波はそうでも言わないことには気持ちが収まらないの
でしょうね>白兵戦(w
701 :
棄て:02/01/25 14:03 ID:6Ox7Uui9
いやいや、「中世日本史概略」に書いてあることですから。
>>696 騎馬武者一騎=最低戦闘単位って奴ですな。
実質一個分隊〜一個小隊ぐらいで運用してそう。
>>702 歴史の表に出て来るのは、騎馬武者の名前ですが、荷駄、食事、等などの
下働きの連中が居たそうです、ガンダムがホワイトベースのクルーが
居なければ運用出来ないのと同じですね。
704 :
ななし:02/01/25 14:59 ID:/cup+P0G
といいますか、軍役で何石取りなら何人出すって決まっているのです。
本人の他に徒武者何人、足軽何人、荷駄何人とか・・・。
そんな訳で、総兵力20万と言っても、戦闘員は半分かと。
705 :
:02/01/25 18:36 ID:CLyYs/oa
「中世日本史概略」って日本語の本なの?
706 :
中2:02/01/25 18:39 ID:saXN8juR
先日韓国行って来ました。いろいろ歴史勉強しましたが、ワタシ日本人
であることが是ほどはつかしいとおもた事ありません。韓国人怒るのも
無理ありません。
アナタ方コノ言葉わかりますか?
「ハンイルトゥギ、マンセー」
素敵な言葉です。
「ハンイルトゥギ マンセー」
707 :
@ ◆XuQ7kH8E :02/01/25 18:43 ID:c3o7LSG5
>>706 あなた、日本人じゃないですね〜。日本語2点。
勉強してね。
708 :
ダ:02/01/25 18:44 ID:er2u9UQm
>>706 日本語下手。より一層の奮励努力を期待する。3点。
709 :
中2:02/01/25 18:45 ID:saXN8juR
↑江戸時代中期の歴史家、日下忠兵衛が言った言葉だそうです。
韓国では有名な話。
710 :
@ ◆XuQ7kH8E :02/01/25 18:46 ID:c3o7LSG5
711 :
ところで:02/01/25 18:46 ID:saXN8juR
ハンイルトゥギマンセーって何?>韓国人or在日さん
712 :
ダ:02/01/25 18:46 ID:er2u9UQm
日下忠兵衛なる人物がGoogle検索でヒットしない人物である事は分かった。
713 :
その他:02/01/25 18:52 ID:fkI+rCXp
日本軍が朝鮮を征伐して明に入るって、兵站の問題が大きいと
思うのだが・・・
文禄の役時に兵糧の供給は西日本一帯からの輸送と現地調達で
賄う計画だったらしいけど、輸送は朝鮮側のゲリラ(山賊?)
によって滞りがちだったり、そもそも長距離の輸送は消耗が
大きい(輸送にかかわる兵員の食料に消たりする)。
現地調達は、現地が貧しすぎてほとんど無理だったみたいで、
徳間の参謀本部編朝鮮の役を読んでるとナポレオンのロシア
遠征を連想したよ。
両班政治って普段から「焦土」やってるみたいだよなぁ。
714 :
訂正:02/01/25 18:54 ID:saXN8juR
先日、韓国に旅行する機会が、ありました。韓国では、いろいろと韓日の
歴史について学ぶ機会がありました。けれども、知れば知るほどなんと
日本の歴史は罪深いのだと愕然としました。これほど、日本人であることを
恥ずかしいと思ったことありません。韓国人が怒るのも無理は無いはず!
このスレで未だに反省をしない高慢な貴方たちに良い言葉を贈ります。
「ハンイルトゥギ マンセー」
良い言葉です!これで韓国とも仲良くなれます。
「ハンイルトゥギ マンセー」
715 :
ダ?:02/01/25 18:56 ID:er2u9UQm
反日主義万歳、ってか?
716 :
デウ:02/01/25 18:56 ID:saXN8juR
717 :
ダァ〜:02/01/25 18:58 ID:er2u9UQm
>716
ナルホド。
718 :
二打:02/01/25 18:59 ID:XPh0W1ld
↑自演スレにマジレスするチョパーリハケーン
719 :
@ ◆XuQ7kH8E :02/01/25 18:59 ID:c3o7LSG5
720 :
@ ◆XuQ7kH8E :02/01/25 19:02 ID:c3o7LSG5
721 :
ダ:02/01/25 19:02 ID:er2u9UQm
ネタとしても今ひとつダ……。
722 :
@ ◆XuQ7kH8E :02/01/25 19:02 ID:c3o7LSG5
723 :
ダ?:02/01/25 19:06 ID:er2u9UQm
>>722 ジサクジエンにナットクしたウリはチョパーリ……。
逝っちゃうニダ〜ッ!
724 :
まぁ:02/01/25 19:08 ID:93v+Qkhr
ネタだろうけれど、ネタじゃないとすると「本当の歴史」を知ったら
韓国人の嘘に怒りがこみ上げるよ。
馬鹿チョンの由来を見せてくれたんじゃないの?
726 :
@ ◆XuQ7kH8E :02/01/25 19:08 ID:c3o7LSG5
いや、そうじゃなくて、 ID:saXN8juR
このひと。
>>723
727 :
ななし:02/01/25 19:11 ID:/cup+P0G
江戸時代中期には韓国は分断されていたんですねぇ(しみじみ)
728 :
ダッ?:02/01/25 19:13 ID:er2u9UQm
>>726 アヤシイんじゃないかと思いますのだ。
1.工作(ハングックまたはチョソン)
2.リアル厨房(チョパーリまたはハングックまたはチョソン)
3.ネタ(チョパーリ)
ってところじゃないかと。
729 :
74式:02/01/25 19:13 ID:QiIhV8Yz
自作自演するなら、串ぐらい変えましょう。ID:saXN8juR さん
ところで、「論介」っていう当時のキーセンの愛国的行為がたたえられて、
毎年6月に盛大な祭事が行われているってものの本に
かいてありましたけど、誰か詳しいこと知りませんか?
730 :
けどさ:02/01/25 19:16 ID:93v+Qkhr
ここにいる全員が
1.工作(ハングックまたはチョソン)
2.リアル厨房(ハングックまたはチョソン)
だったら笑うな
1vs2
731 :
ななし:02/01/25 19:17 ID:/cup+P0G
>>729 ノンゲ。倭軍の武将を誘いだし、抱きついて川に飛び込んでもろとも
水死したそうだ。
732 :
74式:02/01/25 19:23 ID:QiIhV8Yz
>>731 レスありがとうございます。
なるほど、李舜臣みたいに最近まで忘れられていたと
邪推しているのですが、そんなことはないでしょうかね。
733 :
ななし:02/01/25 19:26 ID:/cup+P0G
そのうち、日本の教科書に書けとか言ってくるかもね・・・
734 :
>732:02/01/25 19:36 ID:93v+Qkhr
でも抱きつかれて水死したのが毛谷村六助でなくて加藤清正だったりする>伝説
735 :
74式:02/01/25 19:44 ID:QiIhV8Yz
レスありがとうございます
>>733 ありえるところが彼の国の彼の国である所以ですね(^^;
>>734 水死した人の名前まで判ってるんですか。ハン板ってすごいな…
どんどん誇張されて行ったんでしょうね。
その手のことは良くありそうです。
736 :
留学生:02/01/25 20:19 ID:Bv9htoPE
>>728 先ず韓国人ではありえない。「ハンイルトゥギマンセー」などという適当な韓国語は、
存在しないし、日下忠兵衛なる人物も韓国の学校教育で教えられてない。このような
あからさまに韓国人を装う自作自演レスによって、いったい今までどれほどの
韓国同朋達が貶められ傷つけられたものか。反省を促したい。
737 :
@ ◆XuQ7kH8E :02/01/25 20:23 ID:c3o7LSG5
>>736 韓国人の方ですか?
自作自演はどんどん暴いちゃってください。
たぶん、すごい多いと思う。
しかし、本物もすごいので、本物の電波もなんとかなると
一番いいんですが。
738 :
ななっしゅ:02/01/25 22:44 ID:OojfpFZJ
上げてみたりする
739 :
ななし:02/01/25 23:08 ID:yTyRQbOt
740 :
厨房:02/01/26 20:17 ID:BRsguuTh
当時の朝鮮はポルトガルやスペインと交易してなかったの?
741 :
ち:02/01/26 20:34 ID:07n3ou+J
>>736 君の日本語?なんか変
もう少し勉強しろ
何しに日本に来ている?
742 :
:02/01/26 22:42 ID:ZxX1Qeo5
「ハンイルトゥギ=反日主義」?
743 :
:02/01/27 12:17 ID:SffPOW6/
>1600年の関ヶ原の戦いの前後に、豊臣家と対立する徳川家と手を組んで、
>親豊臣家の大名の多い西国の手薄な地域に上陸を仕掛けるという設定だった
>はずです。
豪快な設定&歴史解釈。さすが半島人。
しかし、関ヶ原は「東軍=豊臣家主力軍」vs「西軍=豊臣家官僚にのせられた西国大名」
という面もあり、どちら側も半島で大暴れした連中だから李氏朝鮮にとっては敵になるはず。
しかも、上のような状況の中で、家康が「朝鮮と組んで秀頼を討つ」なんて言い出したら、
徳川家は天下の公敵にされてボコボコにされちゃうだろう。
まぁ夢の中で生きている半島人にはびったりのゲームではある。
744 :
:02/01/27 12:50 ID:/dZOLt6g
今でもそうだが中世の日本人となると滅茶苦茶小さいね、
確かに在日君が体のでかい明兵に白兵戦で苦戦したと言いたくなるのも分る気もする
ただ白兵戦は武器をもって戦うんだし殆ど技術の差で勝負が決まるんでしょうな。
日本が兵糧で困った戦いと言うと辛山州城攻略戦だね、日本は苦戦の末幾つかの櫓郭を奪取し鍋島氏が勲章貰ってたね
後、蔚山城の戦いなんか日本軍は飲まず食わずで1週間戦い抜いたそうな
正にガダルカナル状態、でも最終的には日本軍が勝っちゃったんだよな、敵の遺棄死体1万数千というから激戦だったんでしょう。
> 1600年の関ヶ原の戦いの前後に、豊臣家と対立する徳川家と手を組んで、
東軍に「加藤清正」がいるということをつっこんじゃ駄目?
746 :
:02/01/27 12:54 ID:/dZOLt6g
>>743日本が本当に明を攻略するとなると後金と同盟結ぶしかありませんな。
747 :
JKC:02/01/27 13:10 ID:02T54hA4
>745
>> 1600年の関ヶ原の戦いの前後に、豊臣家と対立する徳川家と手を組んで、
>東軍に「加藤清正」がいるということをつっこんじゃ駄目?
私もそのゲームをやった訳ではありませんから、詳しい事は知りません。
まあ、基本設定そのものにかなり無理があるゲームなので、にっくき加藤
清正を、さりげなく東軍では無く「西軍」に配置換えをする・・・。
ぐらいはやっているかもしれませんね。
何しろ「加藤清正と朝鮮軍の同盟」など、愛国的な韓国人にとっては
「ゲームの中の設定」であっても許される事では無いでしょうし(藁。
748 :
その他:02/01/27 19:01 ID:eptRxcpn
日本って数え切れないくらい内戦してるけど、
その際に外国の軍隊を引き込んで戦おうとした奴は
いないんじゃないかなぁ。
>>748 卑弥呼と狗奴国との間の戦争、磐井の乱、伊達政宗
このくらいでしょう。後はこっちから出向くケースと倭寇、元寇くらいですし
750 :
消防:02/01/27 22:02 ID:JqNRfTM6
>>740 明が外国との交易規制してたからな
南蛮船が貿易を要求しても勝手にはできんのよ
もっとも倭寇のせいで高麗人は外人不信に陥ってたから西洋人が朝鮮にいっても殺されかねない
ある意味倭奴のおかげで西洋文明が朝鮮に伝来せず日本に比べ大幅に近代化が遅れたと思われる
751 :
:02/01/27 22:09 ID:6oBcENMu
>>744 日本人だけではなく、当時はどこも今より、うんと体位は小さかったのです。
相対的には変わりはありません。
>715
当事の日本人はでかくて海外からは「ウタマロ」と呼ばれていたという歴史的が。
753 :
@ ◆XuQ7kH8E :02/01/27 23:32 ID:qDUHs+Z9
>>750 朝鮮の鎖国は倭寇のせい?
外交権がなかったからじゃないの?
754 :
名無し:02/01/28 00:04 ID:3fTV0hKB
>>749 なるほど、そういうケースがありますね。
まぁ卑弥呼や磐井の時代はどこからどこまでが倭で外国か
はっきりしていなかったような気もしますが。
朝鮮の役についてゲームを作ろうとしてたときがあって、
そのときに考えていた日本軍の戦略に関して言うと、
日本軍が採るべき戦略は、文禄の役のような電撃戦的な
機動によって敵軍の壊滅を狙うような戦略ではなく、
慶長の役のように抵抗拠点を端からつぶしていく消耗戦的
な戦略で行うべきだったのではないかなぁ。後知恵だけど。
秀吉は(そして日本の諸将は)朝鮮での戦闘を日本国内で
の戦争の作法にのっとって行われると考えていたのではな
いかな。朝鮮の民衆は戦争とは無関係、朝鮮王は野戦に出
るか漢城に立てこもり篭城するかで相手を降伏させれば勝
ちと考えていたのでは。ところが、朝鮮王はずるずると都
城を放棄して撤退するは、朝鮮民衆はゲリラに出るは、朝
鮮野戦軍主力は出てこないは(まさか数千人の部隊が主力
だとは・・・)で、戦線(当時は線じゃないけど)は拡大
し兵站が破綻したと。
それであれば、小西軍が漢城で朝鮮王を取り逃がした後、
加藤軍は北上しないで、後詰の軍と共に慶尚道、忠清道、
全羅道の制圧に注力し、制圧後に北上して朝鮮王の捕捉
或いは朝鮮・明連合軍との野戦を狙うべきであったかな
と思う。
755 :
その他:02/01/28 00:15 ID:T0QNIB1+
>>754 ハンドルが違ってた・・・。
追記すると、明は日本の朝鮮侵攻に関してなかなか
態度を明確にできないでしょうから、明軍の到着ま
でに半島南部を制圧する事は可能であったろうと思
います。また、野戦で日本軍主力と連合軍主力が戦
った場合、日本軍側がかなり有利であろう事も十分
期待できます。ただし、朝鮮半島を制圧する場合、
朝鮮王を捕虜として恭順させるか(でもいつ裏切る
かわからんが)、朝鮮王を明に追い出し、半島を
完全に制圧するしかないでしょう。こちらはなかな
か大変でしょうね。
さらに明征服となると兵站がもたないと思いますね。
>>755 対朝鮮ならそれでもいいけど対中華帝国だと電撃戦で
一気に殲滅しないと駄目でしょうなぁ・・・
王朝交代や簒奪、侵略は歯車が回ってから終わるまで
あっという間ですし
757 :
:02/01/28 10:06 ID:5571kHPB
朝鮮兵や義兵の装備ってどんなもんだったんだろうか。
758 :
:02/01/28 10:11 ID:5571kHPB
日本が明を攻略するなら
後金みたいに明軍内の反乱分子と手を組んで明攻略の手引きをしてもらう
満州八旗軍も明との戦争ではサルフの戦い以後は殆ど明軍の呉三桂に戦わせてたぐらいだし。
759 :
ななし:02/01/28 14:35 ID:kUcfyvvR
んで、日本軍が白兵戦で明軍に負けた戦いの例か、資料本の提示はまだかな?
760 :
:02/01/29 12:38 ID:FZS0QQXz
秀吉は、明の王族・半島領主の大坂出頭にこだわっていたが、
これは後に徳川幕府が「朝鮮通信使」という形で実現させた。
朝鮮通信使って、朝鮮征伐を止めてくれた将軍家へのご機嫌伺いということなんだな。
そうとも知らずに、半島のバ○学生どもがW杯に絡め朝鮮通信使いに扮して(以下略
761 :
:02/01/29 13:04 ID:QzzLPWU8
>>759泗川旧城の戦いは?最後は白兵戦で日本軍の半数が討ち死にしたそうだけど。
762 :
:02/01/29 13:08 ID:QzzLPWU8
>>760 井沢元彦によると朝鮮通信使に対する当時の日本側の感覚は来ていただくという感じだったそうな。。。。
763 :
:02/01/29 13:14 ID:MvIHCm8N
>>762 華夷秩序では目下が目上にご挨拶に伺うもんだろ。
そんなことより「中世日本史概略」はまだですか。みんな待ってます。
764 :
ななし:02/01/29 13:24 ID:WNEH3hYL
>>761 本人が兵力差がありすぎるのはダメって言ってますので・・・
765 :
ななし:02/01/29 14:40 ID:3hJejtLE
>>760 まぁ日本も答礼の使者出しますよって言ってたみたいだから
対等な関係だったと考えても良いと思います。
766 :
:02/01/29 15:14 ID:LM23h5E/
>>761 少数の出先おとり部隊がね。
多勢に無勢。明はそそのかされて逃げる部隊を深追い、
新城に猪突したところが壊滅。
何と寄せ手に対して場内から島津が白刃をかざして突入。
四散した明は、司令部が奥地の陣屋まで逃走。
打ち取る首級3万8000余というのはオーバーにしても、
それに等しい数の寄せ手が敗退したのは確実。
と、こんな話が残されていますが。
767 :
ななし:02/01/29 15:28 ID:WNEH3hYL
「中世日本史概略」に載ってるだけに概出・・・とか
768 :
:02/01/29 20:35 ID:oZoaP3As
朝鮮出兵後、日本の戦闘に劇的な変化ってある?
何か新兵器なりで苦しめられたのなら日本はその後それを導入してるはず。
亀甲船を日本が真似した話くらいあって当然だと思う。
中国ですら日本から多少の影響を受けた。
769 :
74式:02/01/29 20:59 ID:EpJ7z7RJ
>>768 歴史群像シリーズに書いてあったのですが、九鬼氏が
大阪の陣で河口から城に近づくために覆船という
亀甲船に似た船を造ったらしいです。
と言っても、時間も大分たってからの話ですし、
本当に真似したかどうかは分からないそうです。
770 :
:02/01/30 16:27 ID:nveYi1zO
>>768 その後の日本国内の戦闘では関が原で東西両軍共に大砲の大量使用してますね
これは朝鮮征伐時に明軍の火砲に苦戦した教訓だと言われてます。
まあ後になって、大砲より大筒の方が持ち運びがしやすく便利だったとして
家康は大阪冬の陣夏の陣では大筒の使用に切り替えたそうですが
これはヨーロッパのドイツ30年戦争でも小型の大砲の大量使用でそれまでのテルシオ戦術を破りましたから
家康の判断は間違ってなかったと思う。
771 :
関連スレへどうぞ:02/01/30 16:46 ID:4b8jH1pV
772 :
:02/01/30 16:59 ID:ZvbYG7Xv
>大阪の陣で河口から城に近づくために覆船という
>亀甲船に似た船を造ったらしいです。
亀甲船は軍艦としてはあまり実用的ではなかったという話もあるし、
九鬼は甲鉄船〜鬼宿と革新的な造船技術を持っていたのでどうなんだろう?
内海で使用したなら甲鉄船の改良タイプのような気がする。
773 :
:02/01/31 22:51 ID:6mYtYSdJ
この時に日本に連行された朝鮮人捕虜が本田宗一郎の先祖に当たるんだそうだ。
774 :
@ ◆XuQ7kH8E :02/01/31 22:53 ID:DEbI8fQ0
775 :
:02/01/31 22:54 ID:Hg4WMxZu
776 :
:02/01/31 23:50 ID:+OiMT2cN
>>772 亀甲船の実用性、あるいは弱点とは何だったのかな。
欠点があったから有名になりきれず終わり、細かいことがわからんのだと思う。
777 :
:02/02/01 01:07 ID:mInagHPJ
中世日本史概略をみたいよ〜〜〜。
778 :
:02/02/01 02:08 ID:bl2c5cg5
秀吉の朝鮮出兵の理由として、ハン板的に面白いのがありました。
それによると朝鮮半島はただの通り道だったことになります。
> 秀吉の朝鮮出兵の動機については諸説あるが、最近では、ス
>ペインやポルトガルのシナ征服への対抗策であったという説が
>出されている。スペインがメキシコやフィリピンのように明を
>征服したら、その武力と大陸の経済力が結びついて、次は元寇
>の時を上回る強力な大艦隊で日本を侵略してくるだろう。
(中略)
>シナ海を一気に渡る大船がないので、朝鮮半島経由で行かざる
>をえなかったのである。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog154.html #朝鮮半島は文化、人、物、全ての「通過点」でしかないようだ。
779 :
:02/02/01 02:40 ID:XvgSko6M
>778
これはちょっと考えにくいと思うなあ。
中国の巨大な人口を征服するにはスペインやポルトガルは遠すぎると思うし。
宣教師処刑時にも結局、ポルトガルは遠征軍の派遣さえ出来ずに講義するのが精一杯。
スペインは1588のアルマダ海戦の敗北ですでに下り坂で入って、
オランダやイギリスのインド洋での活動も活発化し始めてるしねえ。
後の大英帝国も清の直接植民地化は出来るとは考えてもいなかったしねえ。
インドの植民地化の成功はインドが封建社会で分裂してたのが原因だと思うし。
イエズス会の誇大妄想的宗教意識が秀吉を恫喝した原因じゃないかなあ。
>>778 そういう説を唱えている人がいるという事は記憶しておきます。
781 :
:02/02/01 02:54 ID:tH5aX/b2
>>780 秀吉は明を平定して北京に遷都しようとしてたのは常識ですが・・・
782 :
:02/02/01 04:42 ID:Q0POdsTK
>>778 一種のトンデモ説ですな。
何かのゾッキ本で読んだ記憶もある。
783 :
:02/02/01 16:18 ID:eD2kNhxK
スペインやポルトガルが東南アジアで行った、
侵略→要塞を築く→そこを貿易基地にする
みたいなことを秀吉は半島でやろうとしていたのでは。
秀吉はかつて足利幕府が日明貿易で大儲けしていたことを知っていたはずだし、
半島南部に拠点を持っていれば、危険な海路よりも、安全な半島経由で確実にシナと貿易ができる。
慶長の役なんて、文禄とはまるっきり様変わりし日本軍は半島南部に腰を据えていたし、
開墾までしていた。つまり「日本の朝鮮半島南部領有を明に認めさせる」という戦いだった。
結局秀吉の死を機に、豊臣政府大老の家康がタオルを投げてTKO負け。もうちょっと粘ればどうなったことやら。
日本側にとっての収穫は
「華夷秩序なんて日本に通用しないぜ」ということを明に思い知らせたことのみ、の戦いになってしまった。
784 :
778:02/02/01 17:19 ID:bl2c5cg5
>779
私の中略で文意が変わってしまったようです。考えは近いと思います。
以下引用し直し。
> 秀吉の朝鮮出兵の動機については諸説あるが、最近では、ス
>ペインやポルトガルのシナ征服への対抗策であったという説が
>出されている。スペインがメキシコやフィリピンのように明を
>征服したら、その武力と大陸の経済力が結びついて、次は元寇
>の時を上回る強力な大艦隊で日本を侵略してくるだろう。
>
> そこで、はじめはコエリョの提案のように、スペインに船を
>出させ、共同で明を征服して機先を制しよう、と考えた。しか
>し、コエリョが逆に秀吉を恫喝するような態度に出たので、独
>力での大陸征服に乗り出した。その際、シナ海を一気に渡る大
>船がないので、朝鮮半島経由で行かざるをえなかったのである。
>
> 文禄3(1593)年、朝鮮出兵中の秀吉は、マニラ総督府あてに
>手紙を送り、日本軍が「シナに至ればルソンはすぐ近く予の指
>下にある」と脅している。[3,p372]
>
> 慶長2(1597)年、秀吉は追放令に従わずに京都で布教活動を
>行っていたフランシスコ会の宣教師と日本人信徒26名をわざ
>わざ長崎に連れて行って処刑した。これはキリシタン勢力に対
>するデモンストレーションであった。一方、イエズス会とマニ
>ラ総督府も、すかさずこの26人を聖人にする、という対抗手
>段をとった。丁々発止の外交戦である。
785 :
778:02/02/01 17:22 ID:bl2c5cg5
>780
盲進されては私が困ります。あくまで歴史の解釈ですから。
本当の理由は当事者にしか分かりません。
ただ、「秀吉が欲ボケで朝鮮を侵略した」なんて言われた時の
反論の一つとして、いかがでしょう。
目的は明であって朝鮮半島は大陸への橋でしかなかったと。
ページの参考図書に
>「国民の歴史」、西尾幹二、産経新聞社、H11.11
とありますがトンデモ説なのですかねぇ。
『新しい歴史教科書』(扶桑社)では朝鮮出兵をどのように
書かれているか、どなたか知りませんか?
#私の所は田舎なので本屋がありません(泣
786 :
:02/02/01 17:39 ID:uuA1Dd2W
分ってる事は日本は朝鮮で敗北したと言う事だ
大体朝鮮北部に明軍が張り付いてたのにどうやって貿易の通り道にするんだよ。
787 :
:02/02/01 17:56 ID:jjxZ1uvC
肥川の戦いは?
中国軍20万人を島津の八千人が打ち破るやつ。
788 :
ななし:02/02/01 18:05 ID:4X1Zgi18
>>785 >ただ、「秀吉が欲ボケで朝鮮を侵略した」なんて言われた時の
>反論の一つとして、いかがでしょう。
>目的は明であって朝鮮半島は大陸への橋でしかなかったと。
つーか、これが通常の説のはずですが・・・。秀吉の目的は明ですよ。
講和の交渉も明と行ってますし。
>分ってる事は日本は朝鮮で敗北したと言う事だ
>大体朝鮮北部に明軍が張り付いてたのにどうやって貿易の通り道にするんだよ。
日本軍は充分に余力があるうちに撤退しているということ。
だいたい朝鮮が
>>786のように勝利を誇るなら
なぜ、自慢の水軍は小西や島津が撤退した後を追ってこなかったんだ?
あと、当時の日本の銀の産出量からいえば、日本は相当裕福な国だ。
明は日本と貿易することが国益になっただろうから、
講和後には相手が豊臣家といえども交易した可能性が高い。
790 :
@ ◆BI2EKkq. :02/02/02 09:31 ID:7Z3osLac
あげ
791 :
_:02/02/02 09:35 ID:h7TxANNh
朝鮮=総力戦、滅亡寸前
日本=片手間、暇つぶし
792 :
朝本人:02/02/02 09:55 ID:qVJE16by
その時の日本は本国に男の働き手がいないから田畑が荒廃し、
朝鮮から10万人の人を働き手としてさらってきたらしいね
793 :
朝本人:02/02/02 09:57 ID:qVJE16by
晩年の秀吉は被害妄想の傾向があって相当判断が鈍ってたらしいよ
794 :
:02/02/02 10:08 ID:RryrzBVg
>>792 朝鮮人奴隷売買は有名な話だが、農業分野の補充労働力として
朝鮮人捕虜を使役したという記録は見当たらないね。
国内では、女性が機織の工人として移住した伝承が各地に残って
いるくらいで、男性については陶磁器製作以外の分野での労働力
とした事実は見当たらない。
彼らはむしろ海外・東南アジア向けに売買された「輸出用商品」。
このあたりについては、当時の宣教師等が詳しく記述している。
795 :
朝本人:02/02/02 10:14 ID:qVJE16by
>794 イタリアのアンドレイキムは有名な話だが大部分が
農業労働者だったらしですよ
796 :
:02/02/02 10:18 ID:RryrzBVg
797 :
朝本人:02/02/02 10:25 ID:qVJE16by
>796 歴史シリーズ 文禄慶長の役
798 :
-R-:02/02/02 10:25 ID:Mk8/M+FD
10万人分の耳なら送られてきたような(W
799 :
コリアンエンジェル ◆YvZEd3qU :02/02/02 10:29 ID:l6uXZhM0
800 :
朝本人:02/02/02 10:30 ID:qVJE16by
それも事実だがそれとはべつに特に負担の多かった西国大名の間で
行われてたらしい
801 :
名無しさん:02/02/02 10:30 ID:31VpC434
>>792 仕官できない浪人が余ってた時代に、労働力として朝鮮人を?
802 :
朝本人:02/02/02 10:38 ID:qVJE16by
>801
それは秀吉方の大名が崩壊した関が原以後の話ではないか?
後藤又兵衛なんかはその類ですね
803 :
名無しさん:02/02/02 10:52 ID:FybykpZ0
>>802 唐入り中の話なのか?
それなら動機は有るね。
804 :
-R-:02/02/02 10:56 ID:Mk8/M+FD
日本兵16万の拠出で国土が荒廃しているのに
10万人の朝鮮人を連れかえると言うのは、おかしくないか?
第一、その頃の日本の兵隊って武家の一族郎党でしょう?
純粋な農民は入らないんじゃ?
805 :
おいおい:02/02/02 11:02 ID:J/elyIcN
>朝鮮から10万人の人を働き手としてさらってきたらしいね
朝本人さんが完全に倭寇と秀吉の半島征伐を勘違いしていたというオチに1デジュン。
太閤検地って知ってる?
806 :
:02/02/02 11:08 ID:H0UsT4IE
>>792 あの当時、だれがどうやって10万人もの余剰人員を半島から日本まで運んだんですか?
たかがそれだけの理由で倍の回数分、船を往復させるんですか?
海を渡ることはそれだけで非常に手間がかかることを失念してませんか?
ましてやいつ反乱を起こすかわからない捕虜ですよ。監視人員も必要となるでしょうね。
どれだけのムダになることやら・・・。
あと農村での使役もありえない話です。既に惣のような共同体が出来上がっている処に
言葉もろくに通じない余所者が入る余地があると思いますか?
>>799 以下がHP製作者の略歴だそうだが、それを見て何を理解しろというのだ(w
略歴 京都朝鮮第二初中級学校卒業
京都朝鮮中高級学校卒業
朝鮮大学校 理学部卒業
京都朝鮮中高級学校 教員
京都朝鮮第二初中級学校 教員
京都朝鮮中高級学校 教員
807 :
朝本人:02/02/02 11:09 ID:qVJE16by
太閤検地は石田三成が秀吉の命を受け実施しましたね。ご存知ですか?
808 :
コリアンエンジェル ◆YvZEd3qU :02/02/02 11:12 ID:l6uXZhM0
>806
嘘が書いてあるのかね。指摘してくれ。
809 :
朝本人:02/02/02 11:18 ID:qVJE16by
>804 文禄慶長の役は総力戦です、戦力のほとんどが農民ですよ。
まあ 戦国時代の特徴として農民=足軽ですよ
810 :
おいおい:02/02/02 11:19 ID:J/elyIcN
>>807 当時都市に流入してきた農村出身者を秀吉は帰村させ、
農業に従事させた。
そして検地通りの年貢を出させた。
つまり朝鮮出兵時の食糧の確保ということもちゃんと念頭において検地をやっていた。
だいたい太閤検地の後
>その時の日本は本国に男の働き手がいないから田畑が荒廃し、
>朝鮮から10万人の人を働き手としてさらってきたらしいね
のような状態になるはずが無いだろう。
811 :
朝本人:02/02/02 11:30 ID:qVJE16by
>810
西国、九州の薩摩や肥後の田畑の荒廃ははなはだしいものが
あったらしいよ、まあ君も暇があればもっと文献に目を通すべきだな
812 :
:02/02/02 11:30 ID:H0UsT4IE
>>808 これは”資料”ではなく”物語り”だね。意味のない台詞まわしに過剰な形容詞、実体のない
義兵の大活躍。縮地法を同じ香りがするね。
>>811 じゃ、10万人の朝鮮人の強制連行のソースくれ。
>決起された義兵たちが日本軍に打撃を与えました。
所謂、「よくがんばった史観」というやつですね。
815 :
朝本人:02/02/02 11:33 ID:qVJE16by
薩摩の島津なんかは陶工とは関係ない、その頃拉致された朝鮮系の
子孫が結構いるよ。し
>>809 その頃には地方の一部を除き、兵農分離が進んでいましたが…?
>>815 有無で言えば、有るだろう。
義兵の打撃というのも、そう。有無で言えば有るだろう。
しかし、10万人連行されたというのは?
それに日本軍に対して「打撃」といえるほどの損害を与えたのか?
818 :
朝本人:02/02/02 11:37 ID:qVJE16by
学研の歴史シリーズ 文禄慶長の役
まあこの本を読めば大観は飲み込めるが、さらに詳しく知りたければ
この本を制作するにあたっての文献が示されてるので、興味が
あれば目をとうしてください
>>818 1)しかし、10万人連行されたというのは?
2)それに日本軍に対して「打撃」といえるほどの損害を与えたのか?
上の二つを証明する部分の引用を軽くで構わないので、お願いします。
820 :
朝本人:02/02/02 11:45 ID:qVJE16by
814>
そのときの朝鮮の被害は相当ひどかったらしいよね。
戸籍上人口は半減し耕作面積は結局戦争前の3分の2までしか
回復しなかったらしいよ
821 :
朝本人:02/02/02 11:47 ID:qVJE16by
>819
あなたは理論家と言うよりは感情家ですね
822 :
:02/02/02 11:46 ID:XcI0zgz2
>九州の薩摩や肥後の田畑の荒廃ははなはだしいものが
ここは石田三成が奉行として検地しているところだぞ。
それに豊臣政権は六十六カ国人掃い令という身分別戸籍調査をしている。
太閤検地と戸籍調査を経た上で
10万人の人夫不足になるんなら、朝鮮征伐なんてやってないと思うぞ。
>>820 それって奴婢などの下級階層の人間がそれを記した
書類を焼き払ったのが原因じゃないの?
>>821 お願いしているだけですが、何か不都合でもありましたか?
825 :
:02/02/02 11:55 ID:XcI0zgz2
すいません朝本人さん。
これは触れてはいけないお約束なのかも知れませんが、あえてお伺いいたします。
『学研の歴史シリーズ 文禄慶長の役』についてを詳しく教えてください。
アマゾンでヒットしないもので。
あとついでに『中世日本史概略』も…
826 :
朝本人:02/02/02 11:57 ID:qVJE16by
823,824はかくれ在日とみた
828 :
:02/02/02 11:58 ID:iKZHt6kT
>九州の薩摩や肥後の田畑の荒廃ははなはだしいものが
荒廃するほど兵を派遣してないはずだが…
薩摩は1万人出しただけだったはず…。
しかも兵農分離が進んでるのに…
829 :
...:02/02/02 12:00 ID:hC604t9a
へい!
誰か朝鮮の人、このスレ見てるかい?
感想を聞かせてくれよ。
830 :
:02/02/02 12:00 ID:H0UsT4IE
>>朝本人さん
学研の歴史シリーズって何?劇画チックなA4版、歴史群像シリーズのことですか?
(まさか”まんが日本の歴史”ではないと思うが・・・)
午後から都内にあそびに行くから、もう少し本の正確な情報とどの辺に記述されているか
教えてくれないかな?青山ブックセンターとか帰り際にでも寄ってみるよ!
831 :
朝本人:02/02/02 12:00 ID:qVJE16by
825>学研歴史群像シリーズ35巻目ですね
832 :
朝本人:02/02/02 12:02 ID:qVJE16by
>830
はい おもしろいので是非読んでみてください。
833 :
朝本人:02/02/02 12:04 ID:qVJE16by
10万人のことについては後ろの方にのっていたとおもいます
http://www1.jca.apc.org/aml/200107/22558.html 前作「拉致 朝鮮人陶工たちの記録」は、「文禄・慶長の役」で朝鮮
から拉致された陶工たちの追跡調査を行ったが、途中から不思議なこと
に気がついた。それは、「文禄・慶長の役」で日本に拉致された朝鮮人
は10万人ともいわれているが、陶工たちだけでは絶対的に数が少ない
のである。そこで全国の陶器の産地に分散されたと思った。しかし、そ
れでも陶工だけで約2万人位と思われる。後の8万人はどこに行ったの
か。印刷・織物の技術者、外国に奴隷として売られたなどあるが、それ
でも少ない。
「文禄・慶長の役」の頃の安土・桃山時代、日本は金・銀・銅などの
大産出があり、それが日本の輸出品の主なものとなった。これを支える
労働者はだれだったのかを考えたとき、拉致された朝鮮人が使われたの
ではないかとの考えに至った。確証は無い。しかし、第2次世界大戦時、
日本の鉱山・炭坑における朝鮮・中国人などの強制連行・強制労働を思
うとき、あながち妄想でもないと思う。
======================================
↑妄想だと思う(ワラ
数万人が奴隷として東南アジアに売られたことはあったらしいぞ。
ルーベンスの絵(以前総督府にレンブラントと書いてしまった)にも
コリア人奴隷が出てくる.
>>835 これっすね。
2. 長崎の奴隷市場
文禄、慶長の役の時、拉致されて日本に連れてこられた朝鮮人は、およそ6万人と推定されます。
その頃長崎には奴隷市場があり、拉致された朝鮮人の一部はここでポルトガル人に奴隷として売られました。
また、陶工など、腕に職のあるものは日本で働かされました。有田焼、萩焼などは、この時に強制連行された朝鮮人が祖になります。
837 :
:02/02/02 12:13 ID:XcI0zgz2
>確証は無い。
ワラタ。燦然と輝いております。この言葉。
>朝本人さん
本が実在することはわかったので、「10万人」の部分は誰が執筆したか教えてくださいませんか。
839 :
:02/02/02 12:34 ID:Wj6ekqaC
そこまで調べたら「10万人ともいわれている」の方を疑うと思うんだがなんでそこで
「・・・ではないかとの考えに至った」って妄想に入っちゃうかな。
調査して事実を積み上げた意味がないぢゃん。(笑
840 :
:02/02/02 12:38 ID:VEWntG6c
>>785 そんなのを反論の一つとして出した途端、
アフォあつかいされるのがオチ。
あげくは「捏造」ってなことに。
朝鮮出兵の理由は、
秀吉の配下に与える国内に領地が少なくなったこと、
明征服の可能性を信じきっていたこと、
それで十分。
841 :
:02/02/02 12:51 ID:VEWntG6c
学研の歴史群像、知ってるし読んだが、あんなものをハナから信じるのも
どうかね。
明らかに、アチラさんへ迎合した内容でしょう。
最終ページには、韓国ツアー(戦跡)の宣伝もありましたね。
842 :
:02/02/02 12:53 ID:b4uQCNzT
半島人を拉致して、これを様々な物品と交換するというのは倭寇が盛んにやっていたことだが、
これを秀吉が「朝鮮出兵で国内が空になったから、朝鮮から10万人連れてきて農奴にした」っていうのはあまりに荒唐無稽だな。
843 :
:02/02/02 13:25 ID:0RgcYhZz
あの当時の日本って農奴って成立したの?
小作人ならまだわかるけど…。
844 :
_:02/02/02 14:19 ID:aP8AiokN
「農奴」をどのように定義するかによるでしょうが…
移動や職業選択の自由はないわけだから、
小作人は地主のもとで農業に従事するしかない。
取り分はほぼ地主の側に決定権がある。
ほぼ、奴隷に近いといっていいんじゃない?
小作人が村内の自治に参与できなければ実質的には所有されているのと同じ
845 :
ところで:02/02/02 14:34 ID:whUkCUMk
その10万人というのは、どこに載っているの?見当たらないんだけど・・・
846 :
薩摩隼人:02/02/02 14:39 ID:bRdMTEKb
薩摩の場合、そもそもシラス土壌で稲作に向く場所はすくなく、畑作をするにしても、なかなか生産性が伸びなかったのだから、何もしなくていても、他の領国ほどの田畑の生産性はなかったと思われ。
だから、田畑が荒廃するも何もはじめからそういうものだと思われ。
それに島津家の野心は、朝鮮なんかよりも琉球王国に向いていたと。
847 :
:02/02/02 14:45 ID:8XmBAt+L
本当に文禄、慶長の役後に朝鮮から
10万単位で人がいなくなったとしたら、
明が戦費代わりに拉致したとしか思えないのだが・・・・・・
848 :
_:02/02/02 15:01 ID:aP8AiokN
>>846 >何もしなくていても、他の領国ほどの田畑の生産性はなかったと思われ。
>だから、田畑が荒廃するも何もはじめからそういうものだと思われ。
つまり薩摩では農業をしなくても食っていけたわけですね(w
849 :
薩摩隼人:02/02/02 15:10 ID:bRdMTEKb
稲作は薩摩だと、シラス土壌でない、日置郡や川内川地域、南薩摩でやっていましたが、国の広さの割には大して生産性がなかったということですが、何か?
もちろん、地道に開墾していったものの、島津家の金づるはやっぱり砂糖だったのでは?
850 :
ところで:02/02/02 15:13 ID:whUkCUMk
秀吉時代の捕虜って家康の時に返したんじゃないの?
851 :
コリアンエンジェル ◆YvZEd3qU :02/02/02 16:01 ID:l6uXZhM0
みんないいかな。
もうちょっとアカデミックな会話できないのか。
だったらしいとかコピペの受け売りとか思われるとかなになにではとか
内容に全く信憑性がないじゃないか。
井戸端会議ならそれはそれでいいがな。
俺は退散する。しょうもないからな。
852 :
縞々なトイレット博士 ◆aTOiLETw :02/02/02 16:03 ID:nIRxykoA
>>851 うむ、グレ天の出したソースは君の言う「らしい」などと信憑性の無いものばかりだったな。
グレ天はもっとアカデミックな会話をしてくれ。頼む。
853 :
コリアソ晒しあげ:02/02/02 16:07 ID:1Wt42HW0
854 :
:02/02/02 16:12 ID:bRdMTEKb
一番理論的でないDQNにアカデミックな会話を・・とは(w
855 :
_:02/02/02 16:12 ID:aP8AiokN
>>849 「もとから生産性が低いんだからこれ以上荒廃しない」って言い方は乱暴。
といってるんだけど。
856 :
中華人:02/02/02 17:01 ID:xp1biN/U
倭人はモンゴルよりも野蛮アルネ、歴史的に見ても周囲の国に
迷惑ばかりかけるアルヨ。それを非難すると今度は開き直って
逆切れするアルヨ。中華人の寛容ももう限界アルネ。
何故中華人が賠償金とらなかったかきずいた頃にはもう遅いアルヨ
857 :
>856:02/02/02 17:23 ID:whUkCUMk
ホント何もしらねえな(藁
確かに、論理展開が稚拙だった。
正直、すまんかった。
まあ意図は汲んでくだされ。
859 :
薩摩隼人:02/02/02 18:07 ID:bRdMTEKb
↑別スレのHNで書き込んでもうた。
鬱だ。逝ってきます。
860 :
新田:02/02/02 18:09 ID:+po4oovr
中華人は偉い
861 :
有限会社韓国:02/02/02 19:03 ID:8NfQsesm
しかし、朝鮮人は自分を棚に置きさえすれば良い事言うな。
862 :
新田:02/02/02 19:06 ID:+po4oovr
>>861
よう隠れ在日、姿をあらわせい
864 :
新田:02/02/02 19:20 ID:+po4oovr
君の顔知ってるよ
>>862 君のIDコレクションを止めたわけじゃないよ。
およびじゃ無いから消えなさい。
866 :
名無しさん:02/02/02 19:32 ID:Lu3L5s3K
今日は新人さんが多いな。
867 :
新田:02/02/02 19:34 ID:+po4oovr
僕の名は義貞
868 :
@ ◆BI2EKkq. :02/02/02 22:05 ID:7Z3osLac
あげとこ
いまごろだけど、亀甲船の弱点というのは沿岸から離れられない
耐波航性が低い(乾舷が低い)なにより、帆柱がたたない。
ということと推測している。あと、船足も速くはなかったようだ。
外洋船ではないのだろう。
ちなみに、外洋にでるとふらふらするという伝統は、いまでも
きちんとKDX2とか広開土大王がひきついでます。
つまり、防御は強いけれども、沿岸防衛にしか使えないということ。
この性格と李瞬臣の戦術がマッチして戦果を上げたんだと思う。
個人的には、九鬼じゃなくて向井(別名:大砲基地害)とかが参戦していれば
どうだったろうとか思うんだけどね。
870 :
:02/02/04 01:58 ID:jTkSJkfv
「この時に朝鮮から10万人が連行され奴隷として売り飛ばすか日本各地の農村に小作人として散らばった
そしてこれらの子孫が後に盛田昭夫や本田宗一郎という偉人を生み出しました」
871 :
新田:02/02/04 02:01 ID:Wx71fvzJ
870>>
そのとおり
872 :
新田:02/02/04 02:01 ID:Wx71fvzJ
日露戦争の東郷も
873 :
:02/02/04 02:02 ID:TXgtCe0M
つまんねえキャラクターだな>新田
氏ねよ
874 :
nanashi:02/02/04 02:04 ID:oP1JbF6M
>>870-871 性懲りもなく涌いてでるなあ、こういう輩が。
だから朝鮮人は馬鹿にされる。いい加減に理解せーよ。
ネタのつもりなら、お前らウザイだけよ。
捻りの一つも利かせてくれや。
875 :
:02/02/04 02:05 ID:jTkSJkfv
「この時に朝鮮から10万人が連行され奴隷として売り飛ばすか日本各地の農村に小作人として散らばった
そしてこれらの子孫が後に盛田昭夫や本田宗一郎という偉人を生み出しました」
「発見、日本の歴史」 翔文社出版
876 :
nanashi:02/02/04 02:07 ID:oP1JbF6M
877 :
:02/02/04 02:08 ID:jTkSJkfv
「この時に朝鮮から10万人が連行され奴隷として売り飛ばすか日本各地の農村に小作人として散らばった
そしてこれらの子孫が後に盛田昭夫や本田宗一郎という偉人を生み出しました」
「発見、日本の歴史」全10巻 翔文社出版
878 :
ななし:02/02/04 02:11 ID:QhQyVCHM
879 :
新田:02/02/04 02:13 ID:Wx71fvzJ
877>>
バカそんなこと言ったらホンダ車の売れ行き減るじゃん、
所詮こんな国なんだよここは
880 :
:02/02/04 02:15 ID:jTkSJkfv
「その当時で最も活躍した朝鮮人は陶工でした
後、印刷機や機織機の技術なども彼等によってもたらされたのです」
「発見、日本の歴史」全10巻 翔文社出版
881 :
名無しさん:02/02/04 02:17 ID:jQPfOm3G
>>878 無視する事ですな。
対応するからさらに喜ぶと思うよ。
882 :
新田:02/02/04 02:18 ID:Wx71fvzJ
880>>
そんなこといったら今活躍してる陶工が迷惑するから
やめてあげようよ
883 :
新田:02/02/04 02:20 ID:Wx71fvzJ
ジメジメ系の嫌味地獄に陥るじゃん
884 :
:02/02/04 02:21 ID:jTkSJkfv
「この時に朝鮮から10万人が連行され奴隷として売り飛ばすか日本各地の農村に小作人として散らばった
そしてこれらの子孫が後に盛田昭夫や本田宗一郎という偉人を生み出しました」
「その当時で最も活躍した朝鮮人は陶工でした
後、印刷機や機織機の技術なども彼等によってもたらされたのです」
「発見、日本の歴史」全10巻 翔文社出版
本当の事言ったらいけないのね、、、日本人らしいね。
885 :
新田:02/02/04 02:23 ID:Wx71fvzJ
884>>
ここ発言の自由が基本的にないから北のこといえないよ
886 :
興味深いのですが:02/02/04 02:24 ID:k7LsLRML
>>884 その本に書いてあるからといって何故に本当のことだと言えるのですか?
あなたは本当に真実だと思っているんですか?
887 :
:02/02/04 02:24 ID:TXgtCe0M
マジ帰化人てホント臭いよね(w
888 :
:02/02/04 02:25 ID:TXgtCe0M
人肉ステーキの味はどうだったのよ?>マジ帰化人sage
889 :
:02/02/04 02:27 ID:jTkSJkfv
少しでも朝鮮人が日本で活躍してる話をするとすぐに叩こうとする
やめた方が良いよ、日本の歴史や文化の栄光は日本人だけで築き上げた物でもないんだから。
890 :
新田:02/02/04 02:28 ID:Wx71fvzJ
これだけでこんなリアクション、差別が並ならないことが
一目瞭然だね
891 :
新田:02/02/04 02:30 ID:Wx71fvzJ
お前らサザンの曲聴くなよ
892 :
:02/02/04 02:31 ID:gamzNFaQ
>890
スレ違いって事もわからんのか?
マジで劣等なのか?
>891
お前は日本の空気吸うなよ
引用するなら、何巻の何ページって書け。>>880
894 :
>184:02/02/04 02:32 ID:wWNbA5uZ
翔文社出版ってどこにあるんだよ(笑)
著者は?あんたか?総連か?
895 :
:02/02/04 02:33 ID:k7LsLRML
>>889 日本は昔から諸外国の文化を取り入れており、日本単独の文化だと思っている
人はいません。
逆に中国しか見れなかった朝鮮を哀れに思います。もっと広い視野に立って
いれば朝鮮半島はもっと大きい存在になっていたでしょう。
896 :
新田:02/02/04 02:33 ID:Wx71fvzJ
894>>
出た~~倭人の必殺玉砕
897 :
:02/02/04 02:34 ID:jTkSJkfv
「この時に朝鮮から10万人が連行され奴隷として売り飛ばすか日本各地の農村に小作人として散らばった
そしてこれらの子孫が後に盛田昭夫や本田宗一郎という偉人を生み出しました」
「その当時で最も活躍した朝鮮人は陶工でした
後、印刷機や機織機の技術なども彼等によってもたらされたのです」
「発見、日本の歴史」全10巻 翔文社出版
たったこれだけの事を認めるのも怖いのか?
日本人てそんなに精神的に弱いのか?
898 :
新田:02/02/04 02:35 ID:Wx71fvzJ
この国の差別の奥深さを垣間見るような一こまでした。完
(BBC)
899 :
:02/02/04 02:36 ID:jTkSJkfv
>>895なら朝鮮人の日本での活躍も素直に認めましょう。
900 :
新田:02/02/04 02:37 ID:Wx71fvzJ
がんばれ倭人百人切りだ〜〜
googleですら、引っかからない出版社って・・・一体・・・。
902 :
:02/02/04 02:37 ID:jTkSJkfv
ヨーロッパなんかはその辺り平気で認めてるね。
903 :
はぽねす:02/02/04 02:39 ID:galDxhOm
脳内書籍じゃなぁ(笑)。
904 :
:02/02/04 02:40 ID:jTkSJkfv
「この時に朝鮮から10万人が連行され奴隷として売り飛ばすか日本各地の農村に小作人として散らばった
そしてこれらの子孫が後に盛田昭夫や本田宗一郎という偉人を生み出しました」
「その当時で最も活躍した朝鮮人は陶工でした
後、印刷機や機織機の技術なども彼等によってもたらされたのです」
「発見、日本の歴史」全10巻 翔文社出版
たったこれだけの事を認めるのも怖いのか?
日本人てそんなに精神的に弱いのか?
905 :
レッド:02/02/04 02:40 ID:khHNdMCn
>>902 どの辺りで認めているかソースキボソ〜。
906 :
新田:02/02/04 02:40 ID:Wx71fvzJ
映画パールハーバー感動しましただって。あれって悪者は
日本だったよね確か?あの二人華僑か在日韓国人?
907 :
>886:02/02/04 02:40 ID:gBZDnra2
あんた朝鮮人の事がわかってないな。そんなことじゃ従軍慰安婦が20万人居た事を
信じさせられるぞ。
基本的に嘘つきなんだから--->朝鮮人
なんだ、タダの基地外か、寝よう。
909 :
895:02/02/04 02:41 ID:k7LsLRML
>>899 事実ならば朝鮮人の活躍を認めるのに抵抗はない。孫正義を応援する日本人は
多いし。ただ、朝鮮人は真実でない話を本気にしている人が多い。
もしあなたが朝鮮人で偉大な人だったらおいらは認めるけどおそらくあなたは
使いものにもならない人間だと思う。
910 :
ははは:02/02/04 02:42 ID:1XAOoIJM
「神々の指紋」なみの電波本の存在を信じろと言われてもね
911 :
:02/02/04 02:42 ID:jTkSJkfv
事実を突き付けられて遁走しました。
912 :
新田:02/02/04 02:42 ID:Wx71fvzJ
908>>
むかついてねむれないんじゃないの?(笑)
913 :
>909:02/02/04 02:42 ID:gBZDnra2
孫正義は中国人だけどね
914 :
新田:02/02/04 02:43 ID:Wx71fvzJ
913>>
君寝た方がいいよ。
915 :
うらぁ:02/02/04 02:43 ID:aiSeD/MN
うおおおおおお
電波だ・・・
韓国の報道って中田を朝鮮人ナリって騒いで中田からクレームが付くと
「噂で書きました」
って言う奴等でしょう。
電波おそろしや・・・
916 :
ナナオ:02/02/04 02:44 ID:jQPfOm3G
俺もばかばかしいから寝よう。
917 :
>911:02/02/04 02:44 ID:gBZDnra2
そのおもろい本の著者名を挙げてご覧(wara
どうせ嘘をつくならちゃんとやれよ
918 :
中国人:02/02/04 02:45 ID:Wx71fvzJ
倭人はクーニャン狩りしたから仕返ししてやるアル
919 :
895:02/02/04 02:45 ID:k7LsLRML
孫正義は中国系朝鮮人。
920 :
はぽねす:02/02/04 02:45 ID:galDxhOm
中国人というよりは、華僑。
王仁といっしょね。
921 :
アメリカ人:02/02/04 02:45 ID:Wx71fvzJ
ジャップ
922 :
韓国人:02/02/04 02:46 ID:Wx71fvzJ
チョッパリ
923 :
:02/02/04 02:46 ID:0UmgIsbv
こういうのは面倒でもその都度きちんと論破しておかないと、こいつら図に乗っちゃうよ。
盛田昭夫は愛知県の老舗、盛田酒造の息子で海軍の技術将校だ。
盛田酒造で検索かけてみれ。
>>880 「ソニーが挑んだ復讐戦(郡山史郎著、プラネット出版)」にも軍服姿の盛田の写真と、
NYで星条旗と日の丸を掲げて営業しているソニーショールームの写真が掲載されてるぞ。
大体ソニーといっても、盛田氏しか知らねーんだろ?
925 :
:02/02/04 02:47 ID:jTkSJkfv
>>909 あなたが立派でなくとも寛容な人間ならば904で書かれた事ぐらい認めましょう
それが良心と言うものだ、ただ唾を吐きかけるだけの人間にはならないで下さい。
926 :
ドイツ人:02/02/04 02:47 ID:vOHp+J/Y
927 :
新田:02/02/04 02:48 ID:Wx71fvzJ
日本って人気者だったんだ。
2大大国にすかれてるのは羨ましいね。ワラタ?
928 :
はぽねす:02/02/04 02:48 ID:galDxhOm
これが、これが朝鮮人の妄想だ! ドッギャーンッ!
929 :
ユダヤ人:02/02/04 02:48 ID:OmsjBKzs
930 :
はぽねす:02/02/04 02:48 ID:galDxhOm
とっとと1000まで書いてつぶすにかぎるね。
931 :
>914:02/02/04 02:48 ID:gBZDnra2
君、目が細くないんだろ?倭人の子孫だよ(ワラ
族譜って秀吉の頃に初めて出来たんだよ。秀吉の時、農民達が
全土の書庫を燃したからな。李舜臣が倭人の子孫なのは当時から有名だったけど
いつのまにか朝鮮人になったんだよね。
933 :
あう:02/02/04 02:50 ID:arHc13xL
934 :
アメリカ人:02/02/04 02:50 ID:mdCrK/rG
キル グック!
935 :
名無し@仕事人:02/02/04 02:51 ID:fSQok1qS
翔文社出版ってのは民明書房の韓国での子会社ですよ。
主に「ウリナラ塾」向けの電波書籍を出版しています。
常識ですよ。皆さん。そんなことも知らないのですか?
936 :
新田:02/02/04 02:51 ID:Wx71fvzJ
931>>
寝ないの?
937 :
895:02/02/04 02:51 ID:k7LsLRML
>>925 自分が立派な人間だと思われなくてもいいんだけど、単に真実だけを信じて
いるに過ぎません。何故にあなたがそれを信じているのかも理解できません。
938 :
:02/02/04 02:52 ID:jTkSJkfv
>>923知ってますよ井深勝と盛田昭夫でしょ
盛田家の祖先は朝鮮の役で連行された朝鮮人の子孫です。
939 :
フランス人:02/02/04 02:52 ID:Wx71fvzJ
ノン ジャポネ
940 :
オランダ人:02/02/04 02:53 ID:Wx71fvzJ
オランダ人慰安婦問題
941 :
895:02/02/04 02:53 ID:k7LsLRML
>>935 なんだやっと理解できた。おいらは知らなかった。あの国ならどうでもいい。
942 :
帰れ:02/02/04 02:53 ID:1XAOoIJM
>>938 あのさ 何度もやってきて そういう電波とばすのやめなよ。
半年ぐらい経ったからほとぼりが冷めたとでも思ってんの
943 :
はぽねす:02/02/04 02:53 ID:galDxhOm
944 :
で:02/02/04 02:54 ID:bA0Kd1iJ
>盛田家の祖先は朝鮮の役で連行された朝鮮人の子孫です。
ソースは?
945 :
新田:02/02/04 02:54 ID:Wx71fvzJ
倭人危うし。これだから在日帰化しないの これ本音
946 :
はぽねす:02/02/04 02:54 ID:galDxhOm
あれでしょ、同胞としての自尊心が満たされるってバカでしょ。
947 :
インドネシア人:02/02/04 02:55 ID:PUXjCP43
>>940 植民地支配に対する謝罪と賠償を(以下略)
948 :
:02/02/04 02:55 ID:jTkSJkfv
>>944 「この時に朝鮮から10万人が連行され奴隷として売り飛ばすか日本各地の農村に小作人として散らばった
そしてこれらの子孫が後に盛田昭夫や本田宗一郎という偉人を生み出しました」
「発見、日本の歴史」全10巻 翔文社出版
949 :
895:02/02/04 02:56 ID:k7LsLRML
950 :
そういえば:02/02/04 02:56 ID:gBZDnra2
学研の「文禄・慶長の役」の引用だとか言って10万人の朝鮮人が云々と
言ってた奴本当の事ばれて出てこなくなった。
今度は足のつかない出版社(存在しないからな)で勝負をかけてきた(ワラ
それを真に受けた馬鹿が舞い上がってるがな>新田
そろそろ高校入試だろ?もう寝たら?朝高にしか入れないぞ。
951 :
895:02/02/04 02:56 ID:k7LsLRML
952 :
で:02/02/04 02:56 ID:1XAOoIJM
953 :
新田:02/02/04 02:57 ID:Wx71fvzJ
悔しいかい?ワラた?
954 :
うらぁ:02/02/04 02:56 ID:aiSeD/MN
921,922と新田は同一人物じゃん
またまた朝鮮人の偽装及びウソが始まった
955 :
895:02/02/04 02:58 ID:k7LsLRML
>>953 自信がない人間なんだろうな。少し可哀想に思える。
956 :
レッド:02/02/04 02:58 ID:khHNdMCn
>>945 素晴らしい故国(朝鮮半島)にお戻り下さって、日本とは関係のない生活に
お入り下さい。
957 :
新田:02/02/04 02:58 ID:Wx71fvzJ
アメリカ、中国、韓国、オランダ、包囲網
958 :
名無し@仕事人:02/02/04 02:59 ID:fSQok1qS
>>950 翔文社出版ってのは民明書房の韓国での子会社ですよ。
主に「ウリナラ塾」向けの電波書籍を出版しています。
959 :
ななし:02/02/04 02:59 ID:OOOblpRz
>>948 民明書房は4.540件見つかったのに翔文社出版は一件も見つかんなかったよう。
960 :
新田:02/02/04 02:59 ID:Wx71fvzJ
このときにかえるよ
961 :
:02/02/04 03:00 ID:jTkSJkfv
「発見、日本の歴史」全10巻 翔文社出版
著者名 戸田誠人、久坂成彦
>>All
細川出羽守孝基でござる。この度は新田義貞がご迷惑をおかけしもうし
た。まもなく灯明寺畷にて、討ち取る所存ですので、もうしばらくお待
ちくだされ。
963 :
ロシア人:02/02/04 03:01 ID:Wx71fvzJ
だれだシベリアに出兵したのは.ハラショ ヤポンスキー
964 :
>960:02/02/04 03:01 ID:gBZDnra2
ぶっしゅのを見てると帰国は早まりそうだね(ワラ
そういえば君が使っているコンピュータ(cpu)は日本人の嶋さんが発明したんだがな。
>>961 googleで引っかからない著者って、やっぱり脳内ですか?
966 :
名無し@仕事人:02/02/04 03:02 ID:fSQok1qS
>>959 マイナーなんですよ。何せ資本金が(変造)500ウォンですから。
967 :
923:02/02/04 03:02 ID:0UmgIsbv
>>938 井深勝じゃねえ、井深大だ。
大体、封建社会で異国から連行された農奴が酒屋開けるわけねーだろ。
盛田家が朝鮮系って言い張るんなら、まず
>「発見、日本の歴史」全10巻 翔文社出版
とやらの著者とISBNでも書いてもらおうか?
968 :
源:02/02/04 03:03 ID:Wx71fvzJ
私 静
969 :
源:02/02/04 03:03 ID:Wx71fvzJ
ノビタさん
970 :
:02/02/04 03:03 ID:jTkSJkfv
「この時に朝鮮から10万人が連行され奴隷として売り飛ばすか日本各地の農村に小作人として散らばった
そしてこれらの子孫が後に盛田昭夫や本田宗一郎という偉人を生み出しました」
「その当時で最も活躍した朝鮮人は陶工でした
後、印刷機や機織機の技術なども彼等によってもたらされたのです」
「発見、日本の歴史」全10巻 翔文社出版 著者名 戸田誠人、久坂成彦
971 :
ななし:02/02/04 03:04 ID:OOOblpRz
>>961 戸田誠人、久坂成彦両人ともgoogleじゃヒットしなかったよう。
・・・ウソを100回ついても、ここではホントにならないからね。
973 :
>961:02/02/04 03:05 ID:gBZDnra2
おいおい全10巻を二人で書いたのね。
職業は?ウソを積み重ねると又本国人に「恥ずかしいです、あの人たちは」って
言われるぞ(笑
974 :
名無し@仕事人:02/02/04 03:05 ID:fSQok1qS
ついでにいうと、民明書房の韓国での子会社「翔文社出版」は
株式会社でも有限会社でもありません。無(責任)会社です。
975 :
新田:02/02/04 03:05 ID:Wx71fvzJ
970>>
倭人達の啓蒙ご苦労
976 :
good!:02/02/04 03:05 ID:1XAOoIJM
脳内出版社の脳内著者が生まれていく、まさにその過程を
見せてくれているわけですね
いやぁそんな素晴らしい瞬間を目の当たりにできるなんて
私たちは幸せだ
977 :
新田:02/02/04 03:07 ID:Wx71fvzJ
でもここの倭人質悪いからあきらめよう
978 :
名無し@仕事人:02/02/04 03:07 ID:fSQok1qS
「翔文社出版」の本店所在地は「脳内」と登記されています。
979 :
新田:02/02/04 03:09 ID:Wx71fvzJ
啓蒙不可。ワラた?
980 :
:02/02/04 03:09 ID:jTkSJkfv
とりあえず盛田昭夫や本田宗一郎の祖先が朝鮮人である事は分ったね。
981 :
でも:02/02/04 03:10 ID:gBZDnra2
こういう奴って日常生活では何をしてるんだろう?
ウソが仕事か、引篭もりのノイローゼかどっちだろうね。
前者なら、闇金の取り立て屋で「オレのバックには・・・」とかやってるんだろうし
後者なら、正に「強制連行」の子孫の17歳やテルクやバイオモドキの同類なんだろうな。
982 :
ははは:02/02/04 03:10 ID:1XAOoIJM
全10巻の、何巻目に書いてあるか教えてヨ!
図書館で調べるから。
983 :
レッド:02/02/04 03:11 ID:khHNdMCn
何だ、マジ帰化人の自作自演か・・・・・・・手間掛かってるな(w
984 :
うらぁ:02/02/04 03:10 ID:aiSeD/MN
ねえねえ。ネタでしょう?
倭人って言ってるけど何で日本語喋れるの?
985 :
ななし:02/02/04 03:11 ID:OOOblpRz
>>980 うん、わかった。どうもありがとう。
ところで、ぜひ翔文社出版に就職したいんだけど、どこの会社かな?
986 :
923:02/02/04 03:11 ID:0UmgIsbv
でた!勝利宣言!!
取りあえずオレは寝る。後は任せたよ>>all
987 :
>975:02/02/04 03:11 ID:gBZDnra2
だから君も倭人なんだって(ワラ
988 :
新田:02/02/04 03:13 ID:Wx71fvzJ
986>>
ねれないでしょ啓蒙啓蒙
989 :
ななし:02/02/04 03:14 ID:OOOblpRz
啓蒙啓蒙ってしぶたんの電波でも受信したの?大丈夫?
990 :
つぎは:02/02/04 03:15 ID:gBZDnra2
著者の略歴なんだけどさすがにウソがバレルので勝利宣言だろうと
思っていたらやっぱりね。
オレだったら東亜同文書院出身の中学教師とか書き込むな(ワラ
991 :
:02/02/04 03:15 ID:jTkSJkfv
ソースはもうとっくに出てるんですけど
「発見、日本の歴史」全10巻 翔文社出版 著者名 戸田誠人、久坂成彦
これだけ分かってて盛田昭夫や本田宗一郎の祖先が朝鮮人である事に疑問の余地はないでしょう。
992 :
ははは:02/02/04 03:16 ID:1XAOoIJM
だから、全10巻もの大著の、何巻目か教えてヨ
993 :
76:02/02/04 03:16 ID:k7LsLRML
>>991 それだけではソースとは言わない。あなたが少し可哀想。
994 :
923 :02/02/04 03:16 ID:0UmgIsbv
>>988 貴様にはこれが仕事なのかもしれないが、オレには全うな仕事があるんだよ!
995 :
新田:02/02/04 03:16 ID:Wx71fvzJ
啓蒙啓蒙、平常心平常心(笑
996 :
はぽねす:02/02/04 03:16 ID:galDxhOm
「この時に朝鮮から半万人が連行され奴隷として売り飛ばされました。しかし、民族の
伝統である強姦によって、奴隷として売り飛ばされる前に日本に遺伝子を残しました。
そしてこれらの子孫が後に金嬉老や織原城二という偉人を生み出しました」
「その当時で最も活躍した朝鮮人は陶工でした。京セラのような陶器による日本の伝統は、朝鮮を元にするのです。
「発見ドキュン、日本の歴史」 全半万巻 民明書房 著者名 把花苧素
997 :
はぽねす:02/02/04 03:17 ID:galDxhOm
ソースってこんな感じでいい?
998 :
新田:02/02/04 03:17 ID:Wx71fvzJ
994>>
その嘘本当?
999 :
はぽねす:02/02/04 03:17 ID:galDxhOm
よし、1000に間に合った(笑)。
1000 :
それと:02/02/04 03:18 ID:1XAOoIJM
全10巻もの大著を、ネット上で引用して紹介している人が
全くゼロだという奇跡についても、その理由を教えてもらえ
ないかな。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。