KBS「プロジェクトK〜朝鮮者たち〜」 PART4
「最強格闘技を復活させよ!」 〜テコンドー復活物語〜
1988年9月、史上最大規模のオリンピック「ソウルオリンピック」が開催された。この歴史的な
オリンピックの中、ある格闘技が示範競技種目に選ばれた。それは、世界152ヶ国、5000万人の
競技人口を誇る最強格闘技テコンドーであった。
テコンドーの歴史は、約2000年前の朝鮮三国統治の時代、高句麗の花郎にまで溯ることができる。
しかし連綿たるテコンドーの歴史は、日帝36年の植民地支配によって、その他多くの文化芸術と
同様に消滅させられてしまった。
これは、日帝支配により歴史から抹消された最強格闘技テコンドーを現代に蘇らせた一人の男の物語で
ある。
動乱の朝鮮。その真っ只中の1918年、朝鮮半島北部の寒村で崔泓熙(チェ・ホンヒ)は誕生した。
崔少年は人一倍愛国心と正義感が強かったがその反面、体が弱かった。愛国心が強いあまり12歳の
時には日帝政権に反抗し国民学校から無期停学処分にされてしまった。しかし、その事件をきっかけ
とし、著名な書道家であり、古武術、テッキョンにも造詣の深いハン・イルドンに師事することと
なった。
ハンは、崔少年に書道とテッキョンを教える合間に、日帝の大罪の数々と日帝によって歴史から抹消
された最強格闘技テコンドーの伝説に関して教えた。こうして崔少年の愛国心はより一層強いものと
なった。
1937年、18歳となった崔は日本へ渡ることを決意する。日帝支配に喘ぐ朝鮮半島の人々を救う
ためには、日本の近代教育を学ぶ必要を感じたためであった。また、崔には、もう一つの野望があった。
それは、愚劣な日帝によって歴史から抹消された最強格闘技テコンドーを復活させることであった。
日本はその全ての文化、芸術を朝鮮半島から学び、愚かしくも日本人流の解釈による歪曲を行なって
いた。もちろん、それは相撲や剣道など格闘技にも当てはまった。
つまり、テコンドーの型や精神は歪曲された形で日本に残っている可能性があった。
日本に渡った崔は松涛館空手を習い始めた。威力の強い空手の蹴り技は在りし日のテコンドーを連想
させるのに十分であった。しかし、その打撃技は、痛かった。
体格は大きくなり、腕力もついた崔であったが、殴られることは嫌いだった。
崔は気が付いた。平和を愛する朝鮮民族が相手が痛がる打撃技を使うわけが無い。本来のテコンドーには
打撃技は無く、優雅に舞う蹴り技を中心としたものに違いなかった。つまり、相手の胸部や腹部への
打撃は暴力的な日本人による歪曲であることは明白であった。
1945年、36年続いた日帝による朝鮮半島支配は、朝鮮民族の強い抵抗の元、打ち砕かれた。崔は
韓国建国後、韓国国軍創立メンバーとなった。そして翌1946年、韓国陸軍少尉となり、軍隊に武術を
教え始めた。
しかし、軍隊の一部には蹴り技中心のテコンドーの格闘技としての強さに疑問を抱く者もいた。そこで
崔は、蹴り技を行なう際に相手を威嚇するために口で「シュッ」と音を鳴らすことを思いついた。
こうしてテコンドーの蹴り技の威力は実際の2倍あるいは3倍以上に増幅した。
1955年4月11日、テコンドーの名称は、名称制定委員会により正式に認定された。そしてそれは、
2000年の歴史を持つ最強格闘技「テコンドー」が復活した瞬間であった。