北朝鮮に経済制裁反対の阪神ファンの集い

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1はふはふ名無しさん

 信じられない!たかが拉致の一人や二人で経済制裁?
 日本人が行った一千万の強制連行という蛮行を忘れ 
 この様な事を行うのは遺憾の至りである
 
 日本における軍国主義者及び反社会主義の人間に対し
 我々は強く反対し、日本を真の平和国として導いて行かなければならない
 経済制裁を行えば苦しむのは共和国の人民であることを忘れてはならない
2はふはふ名無しさん:04/12/16 19:38:00 ID:z8yIS3z9
逃げと
3はふはふ名無しさん:04/12/16 21:02:46 ID:VzCFOnF+
禿同。
経済制裁とは、相手の国の底辺の庶民に食料や医薬品が行き届きにくくなるということである。
拉致問題の解決のために経済制裁をというが、制裁をやったために海の向こうの拉致被害者が
餓死するという事態があったら、何のための制裁だったのかということになる。
庶民にはダメージを与えず、金○日をはじめとする政府関係者だけにダメージを与える制裁方法って、ないものか。
4はふはふ名無しさん:04/12/16 21:08:08 ID:VzCFOnF+
1973年に日本でトイレットペーパーを買い求める行列ができたのも、
第4次中東戦争でアメリカの味方をした国々(日本を含む)が相次いで
石油輸出停止の経済制裁を受けたからである。犠牲を被るのは、いつも庶民である。
5はふはふ名無しさん:04/12/16 21:43:50 ID:i8ojW6ZX
工作員乙

ここの板でいくら喚いても効果無いんだけどな・・・
6はふはふ名無しさん:04/12/16 21:52:11 ID:bl6H4F/F
板違いだろ。大事な話だろうけど、ここでは駄目だ。
ただ、たこ焼きが好きなだけ。頭痛くなる。
7はふはふ名無しさん:04/12/17 12:15:46 ID:ss6ZXpNY
1
工作員乙。在日の八割は連行前に金欲しさに自分で来てんだよ。
二割の人たちには悪いと思うが、同調してる貴様等みたいな金の亡者は市ね
8はふはふ名無しさん:04/12/17 13:52:48 ID:GU88ILTP
あまりいうと、本当にホンモノ骨出てきたらどうすの。
9はふはふ名無しさん:04/12/17 20:21:46 ID:2WhmMDoF
在日はたこ焼き食べる資格なし!
キムチ食べてなさい、キムチを!!
10はふはふ名無しさん:04/12/17 20:28:35 ID:4Tsl0n+o
>>8
本物の骨が出てこないからこうなってるわけで・・・・
その他もろもろあるけど
逆を言うと、本物の骨(有るなら)出せってことだから。
11はふはふ名無しさん:04/12/18 00:24:32 ID:kzDWOP5N
在日朝鮮人が強制連行で連れてこられたと思い込む理由

呉:在日の人たちにしても、植民地時代に自分の意志で積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃ
  ないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
  わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も植民地のときに強制的につれて
  こられたのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は強制されてきたのではなくても、我々は強制されてきたんだという、そういう物語をつ
  くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合のかなり大
  きなポイントです。(中略)それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。

呉善花、崔吉城『これでは困る韓国』1997年より
12はふはふ名無しさん
鄭大均『在日・強制連行の神話』(文春新書)

強制連行というと、どうしても奴隷狩りを髣髴させる。のどかな村落に、突如武装
した者たちがトラックで乗り込み、無理矢理人手を奪い取っていくようなイメージ。
戦前の日本は労務動員計画の名の下、朝鮮人を強制連行した。奴隷狩りを思わせる
野蛮な手口で駆り集め、内地で苛酷な労働に従事させた。その子孫こそが今日の在日
コリアンである。

多くの日本人がそう信じている。韓国人でこの「史実」に疑を挟む者はまずいない。
然るに、これらは客観的事実とはいえない。本書は強制連行論の成立ちを調べ、そ
の問題点を洗い出す。

例えば、在日一世たちの生の証言を集めた記録には、自らの意志で渡日したという
声が数多く見出せる。

著者の鄭大均はそれを当然のことだとする。一世の立場からすれば、自分が日本に
いる理由をすべて日本人のせいにするには「みずからを客体的存在におとしめるよう
な態度」であり、「心と体に刻み込まれた記憶とは別のものであった」からだ。
では何故、強制連行が在日コリアンの経験談として流布されることになったのか。
それをよく語ったのは一世自身ではなく、幼少期に親とともに渡日した一・五世の方
だった。子が親の世代の苦難の物語を代弁したのだ。だが、その証言は一世の記憶や
実感とは懸け離れた「神話」であった。

 さらに強制連行という言葉をはじめて使用し、この通説化に貢献した朴慶植『朝鮮
人強制連行の記録』(未来社)が俎上に載せられる。北朝鮮寄りの政治的性格や統計
データの恣意的な処理が剔抉される。鄭は「被害者アイデンティティに人生の
根拠と動機を見いだしている人間には、自己責任の感覚がない」と述べている。けだ
し至言であろう。最終章では、金嬉老という凶悪犯罪者に、自らの被害者アイデンテ
ィティを投影し、後向きの「対抗」の闘士に祭り上げた在日文化人たち―梁石日、
姜尚中、辛淑玉の自己責任意識の失調ぶりが批判されている。

宮崎哲弥 評