■地政学とは?

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373名無しさん@お腹いっぱい。
中国関連の話題でよく出てくる、軍閥って何でしょう。

わかりやすくいうと、戦国大名の中国版です。
皇帝や党中央が天皇や征夷大将軍と思うと分かりやすいでしょう。
それぞれの地方を牛耳っていて、農作物を作って、兵隊を養って、兵器を作って、工場を作って、と色々手広くやっています。
ただ、日本の戦国大名と違うのは、集団指導制で、必ずしも特定の家系が跡を継ぐ訳ではありません。
それぞれの軍閥で有力な人物が指導的な立場に立つことになります。
しかし、それぞれの地方の人脈や有力な一族の関係とは無縁ではいられません。
力を持つ家系との結びつきはどうしても強くなっていきます。

人民公社と人民解放軍は切っても切れない関係です。
軍閥の両輪と言っても良い。経済力によって軍事が支えられるという構造になっていて、党中央への影響力にも軍事力の大きさが物をいったりします。
北京で学生デモが起きたりしたとき、各地方からバスで動員がかかったりしますが、あれは騒ぎに乗じて自らの影響力を誇示する絶好の機会だからです。
人民解放軍を動かしたりして軍事的に圧力をかけたりもします。


人民解放軍が国家の軍でなく、党の軍隊だ、などと言って批判されていますが、実態は以上のとおり私軍の連合体です。
374名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/30(月) 16:31
文化大革命って結局は何だったの?

上記のような軍閥の跋扈、群雄割拠の状態から強力な中央集権の制度に改めようとして行われた宮廷革命と思えばほぼ正確かと思います。
軍閥は構成者同士の利害関係や家族関係による影響を受けやすく、自らの利害に敏感です。
儒教の廟堂や仏教寺院はこうした「古い体質」を持つ勢力と結合したり、利用したりされたりの関係だったので攻撃の対象とされました。
古い体質:地方軍閥、既得権の確保
新しい体質:党中央、中央集権体制の確立
毛沢東は自分の軍閥は持っていなかったため、周り中が敵に見えていたでしょう。
密植農法の失敗による国中からの批判、経済改革を訴えるケ小平など。

ケ小平は一旦は失脚しましたが、後に復活しました。
密植農法は復活しなかったので少々解説を。

密植深耕農法とは、従来農法よりも深く耕し、より稠密に稲を植えて収量を増やそうという農法。
当然、単位面積辺りの養分は少なくなるので化学肥料によってこれを補う。
一見うまく行きそうですが、数年で地力が無くなって却って凶作になりました。
日本だと休田とか転作とか豆を植えるとかでこうしたことには対処していたのですが、最近は日本もちょっとおかしなことになってますね。
当時、この農法でギュウギュウに生えた稲の上に、赤ん坊が座った写真とかが流布されてましたな。
ナウシカが王蟲の触覚の野原を歩くシーンの元ネタです。