●絶句、中国人による日本人虐殺写真●

このエントリーをはてなブックマークに追加
190タイは親日国
>>166

 大東亜戦争勃発後、ピブン首相は日本との同盟条約を結ぶと同時
に、蒋介石に対して、「同じアジア人として日本と和を結び、米・
英の帝国主義的植民地政策を駆逐すべきだ」という勧告電報を打っ
ている。さらにタイ国内のインド人、ビルマ人にそれぞれの祖国の
独立運動を奨励している。ボース率いる自由インド独立連盟も、オ
ン・サン率いるビルマ独立軍も、バンコックで編成される。

 昭和17年1月8日、米英はタイが日本と同盟したというので、
タイの地方都市の空襲を始めた。そこでピブン政権は、米英両国に
宣戦布告する。

 東条首相が開いた大東亜会議には、王族であるワンワイタヤコン
殿下が出席され、その返礼もあって、昭和18年7月に東条首相は
バンコックを訪れ、イギリスやフランスにもぎ取られた旧領地をタ
イに戻した。タイ国民は躍り上がって喜んだという。

P238 「東南アジアの歴史」、永積昭東、講談社現代新書