>>240 故郷に帰りたいという思いは、(ウサマ・)ビンラディンも同じだった。だが、彼の場合、母親や一族のものたちと
再会するには、国王陛下の名代がハルツームまでやってきて、帰国せよとの命令を伝達してもらう以外に方法は
なかった。そして、ファハド国王は、忠誠の義務を一向に果たさぬビンラディンにいまだ怒り心頭だった。
アルジェリア、イエメン両国政府もサウジ政府に対し、あの男の行動をなんとか止めてほしいと迫っていた。
両国からすれば、ビンラディンこそ叛乱の首魁だった。だが、“放蕩息子”と善隣友好外交のどちらを選ぶべきか、
王国に最終的に決断させたのはエジプトだった。エジプトはスーダンから溢れでる暴力の奔流にもう沢山だと
いう気分になっており、その背後にはビンラディンがいると何度もくり返し抗議していた。最終的に、1994年
3月5日、ファハド国王自身の決定により、ビンラディンはサウジ国籍を剥奪された。
サウジアラビア王国は、親類縁者におよぶ大家族とそれぞれの所属部族が複雑にいりくんだ、人間関係主体の
国柄である。その国から追放されるということは、あらゆるサウジ人にとって、自己の存在を支えている
重層的人間関係から断絶されることを意味した。サウジ国籍とは、門外不出の家宝みたいなもので、外国人に
与えられることはめったになかった。隣国イエメンに起源をもつにもかかわらず、ビンラディン家がサウジ
社会で100%の身内として認知されているという事実は、まさにビンラディン一族が、多少の難はあるものの、
この王国で名誉ある地位を保っている証拠であった。それゆえ、ファハド国王がウサマの国籍剥奪を決めると、
長兄のバクル・ビンラディンはすぐさまウサマを公然と非難してみせ、また一族をあげて彼に背を向けてしまった。
ビンラディンの同国人に聞いてみると、多くのものが同じことを言った。
「倒壊する巨塔」(上)ローレンス・ライト著 (2007年ピュリッツァー賞受賞作)
P352〜353
上記引用の通り、94年の段階で、オサマ・ビンラディンはビンラディン一族から縁を切られている。
ビンラディン一族はサウジ国内でもかなり著名な財閥一家でもあるから、
オイルビジネス等を通じてブッシュ家とも関わりを持ってはいるが、
オサマ本人と繋がりがあるかのように言うのは事実に反する。