9.11はアメリカ政府の内部犯行@国際14

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306smac
 最近あちこちで「陰謀論(に対する)懐疑派」という言葉を聞く。
 例の山本氏や南雲氏、あるいは誠ちゃんらがよく使うカテゴライズだが、これは基本的におかしい。

 そもそも「陰謀論」は「(公式説に対する)懐疑論」である。
 公式説に矛盾点が多く、ブッシュ政権の内部犯行が「疑わしい」ゆえに再調査をせよ…と言っているのが、いわゆるトゥルーサーだ。
 それに対して、「公式説に矛盾などない」「内部犯行を疑ういささかの根拠もない」から、再調査など無用だ…と言っているのがデブンカーである。

 普通にカテゴライズすれば、前者が「懐疑派」で、後者が「断定派」となるだろう。
 これを「ブッシュの内部犯行である」と断定する派と、「アルカイダによる犯行である」と断定する派の「断定派どおしの議論」に相対化してしまうと、議論はあらぬ方向へ脱線する。

 「内部犯行である」と断定している陰謀論者は、オレの知ってる限り皆無だ。
 従って、トゥルーサー対デブンカーの議論は「懐疑論」対「断定論」の議論であり、前述のような「断定論」どおしの相対的議論はどこにも存在しない。
 ところが「陰謀論」を「断定論」だと勘違いしているデブンカー達は、自分たちこそが「怪しげな言説に騙さないために、あらゆるものを疑ってかかる懐疑派だ」と自己主張したがる。

 なんのことはない。怪しげな公式説を「疑うな」と言い、「事実は明白なのだから再調査など不要」と強く【断定】している者たちが、こともあろうに「懐疑派」を自称するのである。

 そして彼ら「エセ懐疑派」たちは「陰謀論」を故意に「断定論」だと解釈し、証明を迫る。いわく、
 「陰謀だったという明確な証拠を示せ」…と言うものだ。

 そんなものが存在するのであれば、陰謀論者たちは「トゥルーサー」などと名乗らない。
 再調査を要求するのではなく、ブッシュやチェイニーらの拘束、処刑を要求しているはずではないか。
(つづく)