1 :
momo:
Choには実在の彼女はいなかったが
> 想像上の彼女がいた
> 名前はジェリー
> スーパーモデルということだった
> 彼女は自分のことをスパンキーと呼んでいると話してくれたことがある
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 23:22:03 ID:+Lv13WLq
::::::::::::::::::::::::::::: ,.-ヽ
:::::::::::::::::::::: ____,;' ,;- i
:::::::::::::::::: ,;;'" i i ・i;
::::::::::::::: ,;'":;;,,,,,, ;!, `'''i; / ̄ ̄ ̄ ̄\,, VVV
::::::::::: ,/'" '''',,,,''''--i / __ヽ /=/
::::::::: ;/ .,,,,,,,,,,,,,,,,, ;i'⌒i; | | |、 γ  ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ
::::::: i;" ___,,,,,,, `i". | ∩─| | γ ,−、 −、 ヽ. __
::::::: i; ,,;'""" `';,,, "`i; | ∪ `l l | ・|・ | l. | 次 |
::::::: | ''''''i ,,,,,,,,,, `'--''''" ヽ __/ _.ノ l `-●−′ l. .| 世 |
::::::: |. i'" "; |――― 、". i (___ .,l | 代 |
::::::: |; `-、.,;''" /  ̄ ̄ ̄ ̄^ヽ∞=、 \ ,ノ | 機 |
:::::::: i; `'-----j | | | |っ:::::) |~● ̄● ̄~| |___|
戦争における勝利は少しばかりの重要拠点を奪取することによって得られるのではなく、
全体的な力関係で相手を圧倒することによって得られる、
というのがアメリカ人の考え方なのである。
彼らの言葉を使えば、戦争は収支勘定(Pay Off)によって決まる。
つまり、戦争の損害に耐え切れなくなった方が負けなのである。
それは余りあざやかな勝ち方ではない。
世界地図の中で考える 高坂正尭著
ルドルフ・シュタイナー教育講座I ルドルフ・シタイナー著 高橋巌訳
人類の歴史はここ数百年の間に、大きな誤謬を犯してしまいました。
存在を思考と同一視したのです。
コギト・エルゴ・スム=「私は思考する、それ故、私は存在する」というのは、
近代世界観の最大の誤謬です。
なぜなら、コギト=「私は思考する」の射程距離全体の中には、
スム=「私は存在する」ではなく、ノン・スム=「私は存在しない」が含まれているからです。
言いかえますと、私の認識が働いている範囲内では、私は存在しておらず、像があるにすぎないのです。
魂の隠れた深み ルドルフ・シュタイナー著 冥王まさ子/西川隆範訳
P126
外界の邪悪な存在や善良な存在はわたしたちがヴィジョンやイマジネーション
あるいはその他潜在意識である明晰さをもって知覚したものが得られたとき、
つまりわたしたちの眼前に立っているのが見えたときにのみ、影響されることが可能です。
そうしてはじめて共感や反感が魔法のようにある種の力を喚起し、
この力がこの世界で活発に働くのです。
ただし、図に示したような事柄で組成されているわたしたちの内的組織への影響という点では、
潜在意識においてそのような明瞭な像が魂の前に現われる必要はありません。
どの想像がどの共感に対応するか知っていようといまいと、
共感はわたしたちの血液循環、呼吸系統、そしてエーテル体に影響をおよぼします。
ある人物がある期間、嘔吐間に悩まされていると仮定しましょう。
もしこの人物が幻視者であるかイマジネーション認識をもっているかするなら、
この人物はわたしが一昨日お話ししたように、
自分自身の存在の真の知覚であるようなヴィジョンやイマジネーションを見るでしょう。
それは空間へと投影されますが、それにもかかわらずその人物の内面の所産です。
これらのヴィジョンやイマジネーションはその人の内部で生きている嘔吐作用を表わします。
たとえその人物がこの種の自己認識を実践することができず、
たんに嘔吐感は血温とその人の呼吸作用に影響します。
そこで、わたしたちが潜在意識内でどんな経験をするかによって呼吸が健康なものであるか、
また血液循環が健康なものであるかどうかが決まる、というのが真実です。
エーテル体の活動はその全過程をふくめ、
わたしたち内部で生きている感情世界にとくに依存しています。
しかしながら、無意識の心の内容が魂によって実際に経験されると明らかになるように、
たんにこのようなつながりがあるだけでなく、
このつながりをとおして無意識の存在は人間の条件一般に絶えず影響を与えているのです。
いいかえれば、ある種の感情や情緒が無意識に侵入し、
そこで血温、呼吸力、エーテル体のある状態を作り出し、
その結果有機体に利益をもたらすなり個人の全生活を抑制するなりする、ということです。
となると、意識下に何かが入り込む結果、
個人の内部で何かがつねに生まれるか死に絶えるかの過程をたどっているわけです。
意識から意識下へと送り込むものをとおして、
わたしたちは自分の生命力を奪っているか、増強しているかのどちらかなのです。
たとえば、もし嘘をついたことを喜んでいて、それを恐れていないとします。
嫌悪感を持つのが嘘に関する正常な感情なのですが、
そうではなくてそれに耽ったり、満足さえ感じたりすると、
わたしたちが嘘に付与した感情は意識下に送られます。
するとこれは循環、呼吸、エーテル体の働きを害ねます。
その結果、死の門を通ったあともとどめているものすべてに関して、
わたしたちはいきづまり、自分の力をなくしてしまうのです。
嘘に対して正常な嫌悪を抱いていれば生き残ったであろうものが
わたしたちの内部で死んでしまったのです。
嘘に対する嫌悪の感情は下降していって、図に示したような力の働きに影響をおよぼしただろうし、
わたしたちは有機体の恩恵つまり創造力を送ることもできたのです。
潜在意識は絶えず上部、つまり通常の意識から力を受け取っているために、
わたしたちは現に潜在意識のなかで生れたりそこから死に去ったりすることに
力を貸していることになります。
現在の条件では人間は血液循環、呼吸、それにエーテル体をのぞく有機体の他の部分を
魂の活動をとおして傷めるだけの力をまだそなえていません。
身体器官のそれ以上に粗雑で堅固な部分を害ねることはできません。
いってみれば有機体のほんの一部を傷めることができるだけです。
エーテル体の残った部分――これは血温および呼吸の状態と絶えず相互作用しています――
がこんなふうに影響されると、何が害なわれたかをとくにはっきり見ることができます。
それは悪い感情のせいで萎縮するのです。
同じ理由で、それは善良で、正常で、真執手な感情をとおして、
鼓舞し、強化し、利益をもたらしてくれる力の働きを受けるのです。
ですから、意識下のプロセスをとおして人間は成長と死滅、
つまり有機体の真のプロセス、現実そのものに直接働きかけるのです。
人間は通常の意識における無力の領域から下降して、自分自身の魂の内部で、
ひいては人間の有機体全体で何ものかが生起したり死に果てたりするような領域にいたるのです。
意識下は多かれ少なかれ魂によって経験されうるのだから、
それについては何ほどかを知ることもでき、
またそれは中世を通じて用いられた表現で、
元素界と命名しうる世界の次元に影響をおよぼすこともできる、
ということをわたしたちは見てきました。
この元素界と直接の関係を持つことはできません。
それは、有機体への潜在意識の影響から生じる内部経験によって間接的にできるだけです。
いつか、自分自身をよく知るようになって、
「何かを感じ、自分の行為の結果であるあれこれの感情を意識下に送り込めば、
ある種のものを破壊したり害ねたりするが、
他のことを経験してちがう感情を送れば自分のためになる」といえるときが来たら、
つまり、破壊的な力と有益な力のいわば満ち引きを自分の内部である期間経験したら、
自己認識においてわたしたちはいっそう成熟するでしょう。
これが真の自己認識なのです。
これはアナロジーによってのみ説明されえます。
このようにして得られた自己認識はちょうど、わたしたちが嘘をついたり、
こういういいかたができるなら、蠍がわたしたちの足指の一本を噛みちぎるようなものです。
嘘をついた報いがそんなものであると真に感じれば、
人は今ほど頻繁に嘘をつかなくなることは疑えません。
物質界で自分の生きた身体を害ねることは、ふつうそのことに気づかないとはいえ、
意識下の心にわたしたちが送り込む日常経験を通じて実際に起きることに較べられます。
嘘に対するゆるがせな態度のせいで意識下に送られたるものは、
それがわたしたちから何かを噛みちぎって、取り去ってしまうほどのもので、
その喪失はわたしたちを身動きできなくさせます。
未来のカルマでわたしたちは失ったものを取り戻さねばなりません。
もし正しい感情を意識下の心に送り込めば――
当然ながら下降する感情にはほとんど無限の幅があります――、
わたしたちは成長し、身体内に新しい生命力を創造することができるのです。
わたしたち自身の生き死にを観察することが真の自己認識の第一段階です。
ルドルフ・シュタイナー教育講座I ルドルフ・シタイナー著 高橋巌訳
P184
頭は人間の形姿に関わっています。
しかし、一体頭が私たちの形姿を作りあげるのでしょうか。
そうではありません。
頭は絶えずひそかに、皆さんを別なものに変えようとしているのです。
そのように考えなければなりません。
頭は皆さんを狼のような姿にしようとする瞬間もあります。
また羊のようにしようとする瞬間も、さらにはおろち、もしくは竜にしようとする瞬間もあります。
そもそも皆さんの頭が皆さんを作り変えようとするそのすべての形姿は、
外なる自然のさまざまな動物形態の中に含まれているものです。
動物界を前にして、皆さんは次のように言うことができるでしょう。
「これも私自身なのだ、ただ私の胸部系と肢体系とが絶えず働きかけて、頭がたとえば狼の形姿を生み出そうとする時、それを抑えて、人間の形姿を維持しているのだ」
つまり皆さんは自分の内部で絶えず動物への傾向を克服しているのです。
皆さんは動物への傾向を統御して、それを完全には存在させず、それを変化させているのです。
人間は頭部組織によって周囲の動物界と結びついているのですが、
身体形成の過程で、同時にこの動物界から抜け出ていくのです。
それでは一体皆さんの中の何がそのようにしているのでしょうか。
どうぞ人間の姿を眺めて下さい。
あるいは思い出して下さい。
人間は上の方に頭を持っています。
その部分では狼が蠢動しています。
しかし狼は現われません。
それはただちに胸部と肢体とによって消されます。
別な時には羊が蠢いています。
それも胸部と肢体とによって消されます。
そのようにして絶えず超感覚的に、動物形態が人間の中で蠢き、そして解消させられます。
もし超感覚的な映写機がこのプロセスをフィルムに写しとったらどうなるでしょうか。
人間の思考内容を皆さんはそこにご覧になるでしょう。
それは可視的な姿で現われてこなかったものの超感覚的な対応物なのです。
頭から下の方へ流れていくこの動物形態の絶えざるメタモルフォーゼは感覚的には現われてきませんが、
超感覚的には思考内容の営みとして、人間の中で働いています。
超感覚的な現実のプロセスとして、それははっきりと存在しています。
皆さんの頭は肩の上であぐらをかいている存在であるでけでなく、
皆さんを好んで動物界に引き止めたがっている存在でもあるのです。
皆さんに動物界全体の諸形態を与え、皆さんの中に絶えず動物界を出現させたがっているのです。
けれども皆さんの胸部や肢体のおかげでそうはならず皆さんはこの動物界を思考内容に留めています。
このような仕方で、私たちは動物界と関係しています。
私たちはこの動物界を私たちの内部で超感覚的に発生させます。
そしてそれを物質的な現実にもたらすことなく、超感覚的なものの中に閉じこめておきます。
このようにして生じる動物たちを、胸部と肢体とは自分の領域の中に入ることを禁じます。
頭が動物的なものを生み出そうとする傾向を過度に強く持つ時は、
残りの人体組織がそれを受け入れるのを拒み、頭はそれを根絶するために、
偏頭痛やそれに類した症状を生じさせざるを得なくなります。
今日では、消費を願慮しないままに、市場のための生産が続けられています。
私が論文「霊学と社会問題」において述べた意味においてではなく、
生産された商品は全部、市場の仲介を通して倉庫に集められ、
そして買われるのを待っています。
この傾向はますます顕著になっていくでしょう。
そして――なぜ今私がこんなことを言うのか、
すぐにわかっていただけると思いますが――この傾向は自己を破滅させるまではやまないでしょう。
社会生活の中にこのような生産方式が導入されますと、
それによって人類社会の秩序の中に、
生体に癌が発生するときとまったく同じことが生じるのです。
まったく同じ癌が、文化癌が人類社会に発生するのです。
今日の社会生活を霊視する人は、そこに癌への傾向を発見します。
今、いたるところに社会的潰瘍形成への恐ろしい素地が作られつつあるのです。
これは現実を直視する者にとって、とても憂慮すべき状況なのです。
それを実感する者にとっては、心を締めつけられるほどの恐ろしい事実です。
私たちがたとえ霊学への感動を抑えることができ、
霊学についての発現を差し控えることができたとしても、
すでに始まっており、ますますその傾向を顕著にしつつあるこの事実に対しては、
世界救済を求めて絶叫せざるをえないくらいに恐ろしいことなのです。
自然という創造の場においてはなくてはならないものが、
今述べたような仕方で社会の中へ入ってくるときには、それは癌を発生させるのです。
ルドルフ・シュタイナー