【アメリカ】 「米軍」の「従軍慰安婦施設」

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1945年の終わりまでに、35万人の米兵が日本に駐留していた。この間、
RAAは最大で7万人の売春婦を米兵のために雇用していた、とカブラギは
書いている。可能性は必ずしも否定されていないが、日本人以外の女性が
海外からこのRAAシステムのために集められたという明確な証拠は存在しない。

広島平和研究所の歴史学教授であるタナカトシユキは、カブラギの残した数字を
立証することは困難だと警告している。しかし、タナカ氏は同時にRAAというのは
この時期に存在した売春宿の一部に過ぎず、私的な売春宿の数はこれらを大きく
上回るだろうとも付け加えた。

田中の発見した史料によれば、アメリカの占領当局は、米兵を客とする慰安婦の
ためのペニシリンを日本政府に供与し、RAAの売春宿の近くに予防施設を設営し、
当初は、米兵がそれらの施設を利用することを容認していた。

占領当局は、このGI向けの慰安婦システムが、日本軍兵士のためのそれに
類似していることを理解していた。

1945年12月6日、GHQ厚生保険局のシニアオフィサーであったマクドナルド中佐のメモによれば、
アメリカの占領軍は日本の慰安婦が多くの場合強制されていたことを認識していた。

「その少女は、彼女の両親の経済的困窮とその両親らの懇請、そして彼女自身の
「自分が犠牲になっても家族を助けたい」という思いのために、売春宿と契約せざるを
得なかったのだ」と彼は書いている。「しかしながら、われわれの情報提供者は、
以前ほどではないにせよ都会部には奴隷として売春を強制される例がまだ存在する、と信じていた。」

従軍牧師からの警告(文句)と、この慰安婦問題が米国本土に伝わることへの懸念から、
1946年3月25日に、マッカーサーは全ての売春宿を非合法化した。RAAはすぐに解散した。

マッカーサーの懸念はモラルの問題にとどまらなかった。タナカによれば、この時点までに
米兵の4分の1以上が性病に罹患していたのである。