【アメリカ】 「米軍」の「従軍慰安婦施設」

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文民政府と警察によって作られ、かつ管理されていたにもかかわらず、
そのシステムは日本軍がアジアに作り上げた慰安婦のそれと同じだった。

カブラギによれば、アメリカのGIは料金を先払いしてチケットとコンドームを
受け取った。最初のRAA売春宿であるコマチエンは38人の女性を擁していたが、
余りの需要に直ちに100人まで増員した。それぞれの女性が1日に15人から
60人の兵士の相手をした。

アメリカの歴史家ジョン・ダワーは、彼の著作「敗北を抱きしめて:
第2次大戦の日本の軌跡」の中で、1セッション(短いもの)で15円、
タバコひと箱の半分ほどの値段だったと記している。

カブラギは、これらの需要の急増によって、ライセンスされた売春婦以外の
女性に対してまでも募集をかけざるを得なくなったと記している。

コマチエンで働いていた19歳の女性(親族を戦争で失っていた)、
タキタナツエは、事務員募集の広告を見て応募した。彼女はそこで慰安婦
以外の仕事の空きは無いと聞かされ、その仕事を受けるよう説得された。

占領軍が撤退した1952年以降に書かれたカブラギの回顧録によれば、
タキタは売春宿での仕事を始めた数日後、列車に身を投げたという。

「最も悲劇的な被害者は、『新しき日本の女性』を求む、という公募に
応えてやってきた、何の経験も無い女性達だった」と彼は書いている。

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