【アメリカ】 「米軍」の「従軍慰安婦施設」

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茨城県警は直ちに作業に取り掛かった。適当な施設は県警の独身寮しかなく、
急遽これが売春宿へと改装され、海軍からベッドなどが用意された。
20人の女性が集められ、9月20日に開業した。

「予想されたとおり、開業と同時に売春宿は大盛況となった(elbow to elbow)。
慰安婦は当初昨日まで敵であり、言語も人種も異なる人間を相手にすることに
抵抗を示し、また大きな不安を感じていた。しかし彼女らの給料は高く、
次第にかつ平和に彼らは仕事を受け入れていった。」

政府(訳注:どちらの政府かは不明、恐らく日本)の資金で運営されていた
RAA(娯楽保養組合)の援助の下、警察当局と東京のビジネスマンは売春宿の
ネットワークを設立した。45年8月28日には厚木に占領軍の先遣隊が到着し、
その日の夕方までには先遣隊の兵士はRAAの売春宿を見つけていた。

「私は2〜3人のRAAの上役とその売春宿へ駆けつけ、そこに500人から600人の
列が出来ていることに驚きました」と、RAAの広報担当主任のカブラギ
セイイチは1972年の回顧録に書き残している。アメリカの憲兵はこれら
兵士の統制をするのに必死だった。