> 1909年の 「鬱陵島全図」韓国水産誌には、竹嶼・鼠項島(観音島)と記載されてるが、鼠項島が「sokto」の
> 当て字であり、この地図が1882年の鬱陵島検察使・李奎遠の報告にある鬱陵島外図を元に地名表記された際、
> 竹島を竹嶼に変更(既に竹島が存在する)、ソコトの発音の島「島項」を「鼠項島」と変更(日本式の島の名前は
> ○○島)されたと考えられ、1900年勅令41号の石島(sokto)=鼠項島(ソコト)=観音島が成立する。
大韓帝国勅令41号
鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に改正するの件
第一条
鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、官制に編入し、郡等級は5等にすること
第二条
郡守は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること
1904年の勅令で、なぜ「鬱陵島」を「鬱島」に改称しなきゃいけないのか分からないが、
それなら「島項」→(島名らしく)「鼠項島」になってたものも、更に二字に改称する必要が出てくる
それで「鼠項島(ソコト)」→「石島(sokto)」になってのではないか?
地名の字数統一というのは、日本史上もあって、
飛鳥時代、律令上、地名を二字に統一する際に、元明天皇が、
倭(やまと)→大倭 と、二字に変更している(のちに倭→和で「大和」になった)