【フリーメーソン】ユダヤの陰謀【イルミナティ】

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687名無しさん@お腹いっぱい。
舊唐書−東夷傳−百濟条(旧唐書−百済伝)
百濟國、本亦扶餘之別種、嘗爲馬韓故地
在京師東六千二百里、處大海之北、小海之南。
東北至新羅、西渡海至越州、南渡海至倭國。北渡海至高麗。・・・
劉仁軌之辭也。歃訖、埋幣帛於壇下之吉地、藏其盟書於新羅之廟。
仁願、仁軌等既遣、隆懼新羅、尋歸京師。・・・
儀鳳二年、拜光禄大夫、太常員外卿
兼熊津都督、帯方郡王、令歸本蕃、安輯餘衆。
時百濟本地荒毀、漸爲新羅所據、隆竟不敢還舊國而率。
其孫敬、則天朝襲封帯方郡王、授衛尉卿。
其地自此爲新羅及渤海靺鞨所分、百濟之種遂絶。
688名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 13:23:23 ID:8cUeM9Td
>其地 自此 為 新羅 及 渤海靺鞨 所分 百濟之種 遂絶

その地 これより 新羅および渤海靺鞨の所分なる為 百済の種ついに絶す
百済の領地は 新羅人と渤海人の所領となった為に ついに百済の種族は絶滅した
しばらく新羅の進駐によって国が壊され荒れ果て(胤:王族子息 種:民族・族種)
新羅を懼れた渤海部靺鞨族(渤海人)の扶余隆が 京師(長安)に帰り尋ねた結果
旧領に敢えて帰らず卒する(死ぬる)が 名目上は不在地主で唐から任命されて
「郡王として帯方郡(漢江流域[京畿道・忠清道・江原道])」を支配した。
熊津都督(百済王都の都督)の唐将の劉仁願の盟約により
百済の地は実質 帯方郡王「孫敬」あるいは「扶余隆」の
「孫の扶余敬(在地で新羅の人質)」の所領となった。旧唐書−百済伝の
記述を察すると、残りの全羅道は新羅の所領となったと思われる。
新羅によって百済の地が併合されたのではなく、渤海人と新羅人に分割吸収された。
「新羅」の生活言語と習慣と
「渤海」の生活言語と習慣に所属するように人民がなった為に
百済としての生活言語と習慣を行う者が居なくなったので民族として滅亡してしまった。

>その孫の扶余敬は、すなわち天朝より帯方郡王を襲名せられ封じられ、衛尉卿を授かる。

渤海部靺鞨族(渤海人)が、帯方郡(漢江流域:京畿道・忠清道・江原道)に
””民族大移動””して、大量定住した結果。その領袖の扶余氏で
扶余隆の孫の『扶余敬』が唐王朝の目には領地をまとめるに適任とみなされ
地元有力者としては『帯方郡王』を襲名させ
 宮廷における『衛尉卿』の地位を授けた。
689名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 13:24:29 ID:8cUeM9Td
百濟國は また扶餘本国とは別の種族なり かつて、いにしえの馬韓の地にあり
長安(京師)より東へ6200里のところで 大海が北にあり、小海が南にあり。
東北は新羅にいたり、西は海を渡れば越州にいたる、
南は海を渡れば倭國(日本)にいたり。
北は海を渡れば高麗(高句麗)にいたる。・・・
劉仁軌の辞職した役務の領地(熊津都督、ようは百済王都の鎮守職)にあり。
歃訖、壇下の吉地(風水の良き竜孔)において幣帛(埋蔵金と土地証文)を埋める
その盟書(百済と新羅の白馬の誓いの公正証書)を新羅の廟に所藏すと。


_______北(高麗 ようは高句麗の事)
_______大海(百家済海[百姓が海を渡る] ようは百済の事)
_______↑(渤海靺鞨)
長安→東へ6200里___東北(新羅・劉仁軌が仲介の盟書を新羅廟に埋藏)
西(越州)海←百濟國_東
_______↓(かつての馬韓の故地・扶餘と別の種族・壇下の吉地に幣帛を埋藏)
_______小海
_______南(倭國 ようは日本の事)


契丹_−−高句麗(高麗)
___遼東半島(高句麗の支配下の渤海人)−−−渤海靺鞨
燕雲16州↓−−−−−渤海靺鞨−−−渤海靺鞨−−−
___−大海−−渤海人の居住地(帯方郡・漢江の流域・忠州)
___−↓−−新羅(熊津(公州)へ←清州←秋風嶺・太白山脈←尚州・洛東江)
唐水軍→百済(熊津(公州)が王都・唐将で都督の劉仁顔・水軍は唐将の蘇定芳)
___−↑(熊津の町を流れるのは錦江)
___−小海(島伝いの海に海峡の海・白村江(錦江の河口)に倭の水軍)
____倭国
690名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 13:24:59 ID:8cUeM9Td
中国というか北方異民族に従属だね。

前漢武帝 楽浪郡・玄菟郡の郡県を設置
後漢明帝 楽浪郡太守劉茂・帯方郡太守弓遵の討伐を受ける、韓の臣智が滅ぶ
三国志魏 毋丘倹の討伐を受ける、ワイ侯フジ(不而)が服属する
北朝前秦 符堅(五胡十六国を統一のテイ族)に馬韓・辰韓が朝貢
北朝魏(鮮卑族)の討伐を受ける・高句麗が朝貢
隋(漢化鮮卑族)の高句麗遠征
唐(漢化鮮卑族)の攻撃により百済・高句麗滅亡
渤海族が全羅道−慶尚道以北を支配・渤海と契丹により新羅滅亡
契丹族の侵略・江原道−慶尚道を女真族刀伊が支配
女真族の侵略・金国の藩鎮(高麗藩・斉藩)となる。
蒙古族の侵略・斉国となり
 斉国−大長公主(てチャン グムちゅ)という蒙古姫を王妃として
 ブダシリなど蒙古名で王を名乗る
明の燕王(王弟)が靖康の変で
 南京より北京で皇帝(明の太宗)となり高麗王を冊封
満州族の侵略・三田渡の受降檀で朝鮮国王に冊封・1年に4朝貢し、満州元号使用
 紙幣金銀の禁止を受ける、中国銅銭(鋳造禁止)と唐辛子(製塩禁止)のみとなる。

明(北京)・三国志魏(許昌)・漢(長安・洛陽)の他は
すべて、遼東以北の異民族の侵略支配。
宋は、契丹主や金国を主として従属しており高麗藩を認識していない。
中国人に従属したとはっきり自覚があるのは「明主」と呼ぶ明国だけ。

蒙古・満州(女真・渤海)・遼東(鮮卑・契丹)に対する恐怖感がある。
691名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 13:25:43 ID:8cUeM9Td
高麗名: 淵蓋蘇文(泉蓋蘇文[せんがいそ ぶん]・いりかすみ)
渤海名: 扶余隆(ぷよ りゅう)
蒙古名: ブダシリ
日本名: 梨本 など、など。。。

明(王弟の太宗は「燕王」に、こだわる)
三国志魏(曹丕の景福宮[キョンポックン]と同じ名前で、王宮を造営)
漢(長安は節度使安禄山の「大燕」皇帝・ 洛陽は石像などに、こだわる)

安禄山の出身胡族である奚族の慶州(遼河の西へ折れた上流山間地)にも、
こだわるね。遼河の中流から西に折れる上流域が、契丹族
遼東半島から遼河下流域は、慕容部鮮卑族
高句麗は、白山部マッカツ(白長山から沃阻の山間地の扶余)だろう。たぶん。
満州は、黒水部マッカツ(完顔部女真族・黒龍江の支流域)だよ。
渤海は、粟末部マッカツ(渤海族・沿海州から豆満江下流域)だよ。

マッカツは勿吉で、吉林平原を中心とした周辺の各部族の総称。

後に唐の後に勃興する、契丹(遼)は
室韋(完顔部女真族・エホナラ西太后)・
奚(遼河上流)・東丹(渤海・帯方郡)を従えたという
安禄山は河北2節度使と河東節度使を兼ねたが
その本来の任務は、この
契丹(きたい・遼)と蒙古高原にいた突厥(トルコ)の
唐への南侵を防ぐのが役割だった。