超国家勢力、ユダヤ、アメリカ、聖書 part 2

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837名無しさん@お腹いっぱい。
ラビ(ユダヤの教師)は祈って、神に呼ばまわった(シェム・エル)。
神は生きておられる(エリ・ヤー)。彼らを救って下さい(エル・イシュアテーヌ)。
すると 聖書のある箇所に目が止まり 神は一つの聖句(ロゴス)を示された[神の啓示]
聖句から前後してヒントが与えられ アイディアを生かして努力し 彼らは救われた[神の救済]

始めにコトバ(ロゴス)があった。神はコトバと共にあった。コトバは神であった。
コトバの内に愛があった。
コトバ(ロゴス)に愛があって、神は愛であった。聖霊は神の霊である。

聖霊の内(なか)で生きるように、愛の内で生きるようになった。
平和の内(うち)に過ごせる様になった。

聖霊に”よって”という
外から他人に聞かされて(魔が差すように)他人が身体に入ってくるのではなく
聖霊の”なかで”という
愛・コトバ(アガペー・ロゴス)に包まれて身体の内側から呼ばれるのである。

人間には聖霊があるし聖霊を持っているし聖霊のうちにいる。
人間には愛があるし愛を持っているし愛のうちにいる。
しかし人間は不完全で愛が働かず良心の痛みや理性を失い
その時その時に必要な物が判らないし知る事が出来ない[事が多い]。

トルストイの民話(モルモンのHP)・ヨハネ福音書・聖ワシリー(聖バシレウス)の説教などから。