【竹島】韓国が国際裁判を拒む理由を想像しよう

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310名無しさん@お腹いっぱい。
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/takesima1.htmの反論2
>A1905年以前の明治政府の認識
>明治政府は成立早々の1869年、内情調査のため左田白芽ら三人の外務官僚を朝鮮へ派遣した。
> 翌年、左田は報告書『朝鮮国交際始末 内探書』を作成。そこには明確に
>「松島は竹島の属島であり、朝鮮に附属することにあい成り候」と記された。

問題はこの文書の竹島・松島が現在の竹島であるかだ。
詳しくはhttp://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/に書かれているが
概略を説明するすると、18世紀後半にフランスの教授が鬱陵島をダージュレー島として発見、
イギリスの探検家が同じ鬱陵島をアルゴノート島として発見し不正確な経緯度で報告した為、
西洋の地図に2つの鬱陵島が描かれてしまった。現在の竹島は1849年にフランス船、
1855年にイギリス船により発見されイギリスでは「Hornet Rocks」と呼ばれる。
その後西洋の地図が逆輸入され、それまで正確に竹島(鬱陵島)・松島(竹島)の位置を
把握していた日本は混乱する事になる。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/t-heine1855.gif
結果、存在しないアルゴノート島が竹島、ダージュレー島が松島へと名前が移動してしまった。
1869年の『朝鮮国交際始末 内探書』はこの時点の地名で報告されているので、
文章中の竹島・松島は架空の島と鬱陵島の事を指す。
地図の件は、記載と領有権はなんの関係もない。
朝鮮政府の1900年勅令41号の件は>>114で論破済み。

全て論破できてしまったのでこのサイトに削除要求を出しましょう。