パラオにかかる橋 高山正之──週刊新潮2002年8月1日号
日韓に友好はないと、この前、書いたら随分と抗議がきた。「民団に言いつけて国際
問題にする」とどこかの新聞みたいな脅しもあった。抗議も外圧を使う時代らしい。
しかし公務員に倫理観がないのと同じに、国家同士の付き合いにおよそ友好という
概念は昔からなかった。
例えばイタリアだ。日独の手を取り、菊花の契りみたいな篤い友好を誓ったのにさっ
さと連合軍に寝返った。
そこまでは許せるが、この国は戦後になると最初から連合国の一員みたいな顔して
日本に戦時賠償を請求し、百二十万ドルも取っていった。
ドイツも同じだ。日本がシンガポールの英軍を破ると、白人同士の連帯感は強い、ヒ
トラーは「できればわが機甲師団を送って黄色い日本をやっつけたい」と語っている。
友好の代名詞みたいな日米関係だってどうか。先代のクリントンは北朝鮮の核保有
を懸念して軽水炉型を二基もただでやると言い出した。
いわゆるKEDOだが、その費用は自腹ではなかった。米国が決めた結論は、この
計画に口出しも許されなかった日本に建設費の七割を出せと言うものだった。要する
に国家とはカネのためなら嘘もつき、騙し、結婚詐欺みたいなこともする。友好や恩義
などとは無縁の存在なのだ。
しかし世界にはそういう尺度で測れない国もある。西太平洋の小国パラオだ。英国
を始め五つの国が領有してきたが、その中で「最も印象深いのが日本だった」と同国
上院議員ピーター氏は言う。
というのも日本はここにコメと野菜を持ってきてタロイモと魚の食生活を変え、電気を
引き、道路も舗装した。鰹節工場を置いて、今で言う雇用創出もやった。
近代化の仕上げに戸籍も作った。島民には姓がなかったので「地名や日本人の名
を借りたりした」。ピーター氏はスギヤマ姓で秘書のジュリアはマツタロウ、JICA議員
はクニコが姓だ。(続く)
その日本統治のあとに米国がきた。かれらが最初にやったことは発電所を壊し道路
の舗装を剥がすことだった。「まるで日本の存在をすべて消すための作業に見えた」。
何の目的なのか記録はないが、その少し前にコーデル・ハルがルーズベルトにこう
忠告している。「このままでは日本は敗れ去った解放の戦士になってしまう」(大統領
文書44年10月5日)。
実際ここでも舗装を剥がしたあと、「日本は世界侵略を目指す悪い国」だと教えられ、
ついで道路が米国によって再舗装され、首都コロールと本島を結ぶ橋も米国の発注で
韓国企業が建設した。
ところが数年前、その橋の中央がへこんできた。米国は施工した韓国企業に補修を
要請したが、返事はない。
調べてみたら同じころソウルの漢江にかかる聖水大橋が落ちて何十人かが死んだ。
それが実は同じ企業の施工だったと分かった。
しょうがないから米企業が代わってへこんだ部分を下から持ち上げたら、なんとは橋
全体が崩れてしまった。
これがパラオ独立の後だったから米国はもうカネを出さなかった。困ったパラオが日
本に助けを求め、総額三十億円のODAが決まった。
「日本がまたやってくる。もう橋は落ちないとマツタロウもクニコも大喜びだった」とピ
ーター氏は語る。
全長四百メートル余りの橋は一月に完成した。その後5月に下関で開かれた国際捕
鯨委にパラオが初めて代表を送り、日本の数少ない味方になってくれた。五十年間統
治した米国より、その前に三十年統治した日本をこの国は選択した。
米紙はODAで票を買ったと批判したが、何をいう。パラオの何十倍もの援助にすが
るロシア、ブラジルは反日に撤し、中韓は過去、棄権ばかりで傍観を決め込んできた。
友好は口先だけのウソで固めた世界で、恩義を忘れない国もあったのだ。
今度からODAの采配が経産省官僚に任せられる。いい機会だからパラオを基準に
配分を決めたらいい。