ぼやき「809」に見られる副島の意識の退行、思考力が衰退している様子を述べてみよう。
副島の「リンゴとミカン」という発言が示すように、思考力の劣った人間がする典型的な過ちは深刻である。
何故、「リンゴとミカンが足せない」という発想が誤りであるか説明すると、この「リンゴ」「ミカン」というのは
表面上の属性概念に過ぎないからだ。属性にとらわれて実体を認識できないのは、劣等生の特徴でもある。
頭の悪い人間はどうしても表面上の属性概念しかみれずに、ここに矛盾を感じて思考障害を起こしてしまう。
大切なのは実体の認識であって、フッサールの現象学的還元ができないのだ。
もうひとつの重大な過ちは、科学論争を決闘のように考えている点だ。
ビックバンを裏付ける観測結果ある。この時点でビックバン理論は肯定されることが確定する。
その後に、ビックバン理論と矛盾する観測結果が得られた。この時、科学者ならビックバン理論は正しいが、
矛盾点があるのだから、別の理論が必要だと考える。矛盾が発見されたからといって全否定しない。
そして、インフレーション理論によってビックバン理論で説明困難な現象が解消された。
つまり、ビックバン理論を包含するかたちでインフレーション理論が起こり、発展的解消を遂げたのだ。
ところが副島は感情的に反応して安易に全否定してしまう。このような態度をとるのは論理を全く理解してないからだろう。
ヘーゲルの弁証法で説明すれば、定立がありこれと矛盾する反定立があっても、より高次の認識に到達すれば、
低次の矛盾点は解消され、高次で綜合定立するのである。ビックバンという定立があり、
この理論と矛盾する観測結果が反定立となるが、インフレーション理論という高次認識において綜合定立となったのだ。
副島は感情のみで即断する人間なので、ある理論の矛盾点が発見されたというだけで、短絡的に全否定してしまうが
定立と反定立の間に矛盾が生じても、高次では解消されることをしらない、止揚という概念や知の発展過程を理解できない。
ひたすら感情のみで反応するだけだ。だから副島の言葉は安易で浅はかであり思索不能の、
感情至上主義者となってしまう。そして感情主義者、浪花節論者、では論理を理解できない。言葉を理解できないのだ。
一見すると矛盾するようにみえて、実は矛盾しないといことはある。現象学的還元や止揚を理解するためには、
言葉の一言一句に包含される概念を正確に理解することが必要だろう、この能力がないと文意や文脈が正確に
掴めなくなり、誤解ばかりすることになる。感情で論理を理解するのは不可能なのだ。
副島はそれなりに知識があるにもかかわらず、彼の感情的で粗雑な思考を見ると、本当に勉強したのか疑問だ。
サラリーマン向けの通俗本ばかりで、日々の発言も通俗的であって学問としての水準に達してないのはいかがなものか。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < sage。
(つ旦と)
と_)_)
ネタにマジレスする恥ずかしいやつ
副島が数学と理論物理学を混同して、これを区別できてないのはおかしい。
この副島の認識は、数学とサイエンスの違いを認識出来ていない事を意味するからだ。
俺は高校生のときに素朴に「数学、神学、哲学は三位一体をなす」という認識をもっていた。
その後、専門的な研究を続け、数学史、哲学史、神学史を検討していくうちに、持論が確信となった。
学者の中では、明晰に真理の追究をする数学と哲学を、観念的な神学と同列に論じる事に違和感がある人もいるだろう、
前者と後者は明確に区別すべきと考える研究者が多数だろう、哲学は神学の下女とスコラ哲学で言われたが、
しかし、俺は数学が知の最高値にあると考えている、何故ならば思惟の根源を与え万学の基礎を与える言葉の根源が数学であるからだ。
そして言葉の根源である数学は万学に基礎を与える存在であり、三位一体でありながら哲学と神学を底辺とする三角形の頂点にあると考えている。
始めに言葉あり、言葉は神と共にあった、言葉は神であった。万物は言葉によって成った、成ったもので
言葉によらず成ったものは何一つなかった。全宇宙を統べる自然法則を数学という普遍文法によって記述する。
数学より神の栄光が反映している学問はなく、数学は神が宇宙の記述に用いた言葉である。
神学的解釈で数学を説明するとこんな感じになると思うが、数学は言葉そのものであるので理論物理学と同列に語る
副島の認識に同意する事は出来ない。トマスアクィナスの法四段階説を用いて法哲学的に喩えるならば、
永久法lex aeterna 、神法lex divina 、自然法lex naturalis、人定法lex humanaのうち、
数学は神法、物理学は自然法、工学が人定法といえば理解が得やすいだろうか。
人類誕生以前から存在し人為が及ばない法則を発見するのが数学、人為の創造が工学で、両者を取り持つのが物理学といえよう。
地球は太陽の周りを公転しているが、この事実は人類誕生以前からであり、人類滅亡後も公転するのである。
このことから公転運動という真実は、人間の意識と無関係であると判る。この人間の意識に左右されない事象を科学では真実といい、
人類誕生以前から存在し人の意識などに左右されない法則、真の真実を発見する学問を数学という。
副島は真実は人間の意識によって決定されるというが、この認識は真実という言葉を、
人為によって左右される下等概念として使っている。しかし、自然科学で真実とは高等概念であり
人間の意識で左右されない事象を真実または真理と呼ぶのである。
天動説のように全人類が嘘を信じても、それは「皆が嘘を信じた」という現象でしかなく、真実になるわけではない。
厳密にいえば数学はサイエンスに属さない、言葉の根源でありメタ中のメタ学問である。
言葉の支配者であり思惟の根源をなす数学は、哲学や神学より頂点にあるのである。
そして数学と理論物理の区別が出来ない副島は、数学とサイエンスの違いを本当は理解できてないのである。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < sage。
(つ旦と)
と_)_)
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 22:48:50 ID:aC6jLsyW
数学は所詮、計測と記録の道具でしかないという、
俺の勝手な思いつきはどうよ?
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 00:05:36 ID:NxNszzqX
大手メディアよりはマシかな
本物のポストモダン革命家という感じ
地球って回ってなかったのか!
本物のヴァカって感じ
副島が粗雑な思考で誤解し、感情のみで決め付けて稚拙な錯誤を犯す理由を明らかにしよう。
彼はドイツ観念論の影響を受け、これを思考の基盤としているために、
人間の意識が真実を決定付ける、と考えているからである。
意識によって構成される純粋自我が、真実を決定すると考えているが、この超越的主観性は
自我による創造であって、独我論の地獄へ落ちる危険性を孕んでいる。
フッサールは純粋体験は心的体験とは異なると考えている故に、現象学は心理学ではない。
ところが副島は、心的体験や心証が真実を決定すると考えており、この思考は心理学的であるから、
副島は現象学を本当は理解できてなく、従って本当はハイデガーも理解してないと考えるのが妥当だろう。
近年、日本が右傾化したといわれるが、共産党が善導と称して、大衆扇動や欺くことばかり考えた結果、
自分たちが信じる正義のためなら、善導であればたとえ嘘をついても方便として許されるとする運動方針を掲げ、
この価値観が他の左翼党派にまで浸透し、活動家がこの狂った価値観を抱えたままマスコミ業界へ進出して、
世論操作のためなら嘘を付いてもいいという、誤った考えを実践した結果、国民に左翼=嘘つきとの意識が浸透し、
左翼の言説が「狼少年」的現象を引き起こし、一般に信用されなくなったのが、右傾化の一要因だろう。
何故、このような事態を招いたかといえば、ドイツ観念論をメタ知識としたためで、この思想を基盤においたために、
「意識が真実を作る」と考え、これが高じて「嘘をついて誘導しても真実となる」という考えを生み、
間違いを語ることに抵抗感がなくなり、嘘を付くことに罪悪感がなくなる心理を生んだのだ。
副島があのような粗雑な思考で、感情の赴くまま短絡的に決め付ける人間となったのも、
間違いを語ることに抵抗感がなく、結果として嘘を付くことに罪悪感がなくなったのも、ドイツ観念論の影響である。
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 16:40:46 ID:yoSyVlBJ
factとは文系学問で使用されることが多い言葉で、事実という意味だが裁判官の心証のような意味が強い。
factitiousは人為的、故意の、という意味であり、factitive verbは作為動詞であり、
factionは党派、派閥という意味である。factは「申し立てられた事実」という意味合いが強い言葉で、
この言葉にはドイツ観念論の影響が潜んでいる。
truthは自然科学で使用されることが多い言葉で、真理、真実という意味である。
truth setは真理集合という意味であり、truth valueは真理値という意味である。
この言葉には主観を排した客観的で科学的な、人為の意識に左右されない真理という意味が強い。
副島は真実factが意識で決定されると考えているので、思い込みだけで断定しても真実になると考えてる。
だから平然と粗雑な発言を繰り返せるのだ。間違ったことを言うことに罪悪感がないのはこのためである。
自然法則は人類誕生以前から存在し、人為の意識で生み出されたものではない。
数学を道具というとき、この認識は数学を道具存在と見る物理学や工学の立場に立った「見かけ上」の認識であって、
数学の本質を説明したことにならない。数学を道具存在だと主張するのは、物理学や工学についての説明になっており、
数学の実体を説明したことにならない。「本来の現存在」としての数学の説明になっていない。
これは論理的に考えれば理解してもらえると思う。
数学は言葉そのものであって、存在を存在たらしめている存在であり、在りて在るものを獲得する行為を数学という。
自然法則は人類誕生以前から存在し、これを発見する行為が数学である。
既知の法則の発見はごく少数で、大部分はいまだ発見されない未知に在る。これを発見獲得する学問が数学である。
断じて人為の創造ではない。数式の記述形式は人の発案だが、法則それ自体は人為の外に存在している。
副島は真実が人為の意識で決定されるというが、俺はこの考えを断固拒否する。
真実は、人為の意識とは無関係に存在する存在であると考えている。
副島に人類誕生以前に地球が公転していたか問いたいところだ、人類が存在せず意識が存在しない世界でも、
公転するのではないのか。副島のことだから「人間がいなければ認識できず無意味である」などと、
禅問答的解釈に遁走してしまうのだろうな。意識によって決定されるという、下等概念として
真実という言葉を使っているのだから。このような考えだから、自我による物語の創作に明け暮れ、虚言癖となるのだよ。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < sage。
(つ旦と)
と_)_)
しっまった。何故だか判らんが途中で上げて投稿している。
真性電波や真性の精神障害者に絡まれたくないので、
下げ進行するつもりだったのに…
>>880 君の問いは以前に書いた文
>>878-879に答えが書いてあるぞ、
論理的に丹念に読めば、君の疑問が既に答えられていることに気づくだろう。
感情で理解しようとしてもだめなんだ、これは純然たる理屈の世界の話だからね。
「数学は道具でしかない」といった時点で、物理学や工学の立場から見た数学の姿を語っていることになり、
物理や工学の説明となってしまうんだ。数学の説明にはならないんだよ。
でもね君の認識が間違っているわけじゃないんだ、立場によって存在の評価が変わるということなんだ。
だから「数学は道具である」というのは「あり」なんだ。でもね数学自体の説明としては不適切なんだな。
俺の説明が専門的で難しいかい?禅問答的に精神的に解釈すると誤解するよ。
今回の投稿でも君への答えが書かれてある。
こんなに懇切丁寧に説明しても判らないようなら、俺も匙を投げるしかないよ。
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ オロオロ…
.(; ・∀・) < アワワワ…
( つ つ
と__)__)
890 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 21:20:04 ID:PJZWA1ld
>>886 >近年、日本が右傾化したといわれるが、共産党が善導と称して、大衆扇動や欺くことばかり考えた結果、
>自分たちが信じる正義のためなら、善導であればたとえ嘘をついても方便として許されるとする運動方針を掲げ、
>この価値観が他の左翼党派にまで浸透し、活動家がこの狂った価値観を抱えたままマスコミ業界へ進出して、
>世論操作のためなら嘘を付いてもいいという、誤った考えを実践した結果、国民に左翼=嘘つきとの意識が浸透し、
>左翼の言説が「狼少年」的現象を引き起こし、一般に信用されなくなったのが、右傾化の一要因だろう。
何で、日本共産党が観念論なんだよw
共産党こそ唯物論だろうが。
そして観念論こそ自民党や公明党のような宗教組織を支持基盤に持つ連中の行うことだ。
マスコミが共産党の味方をしたことなど一度もない。
日本は経営資本主義だったのであり、経営者たちが力を持った社会だった。
だから自民党が力を持ち続けた。
そして株主資本主義になった今も、マスコミを支配しているのは外資や大企業の役員などだ。
右傾化が進んだのは単純にマスコミによる世論操作だよ。
わかったかい?
891 :
飛蝗屋:2006/12/10(日) 01:16:58 ID:ETN0UtT6
>>右傾化が進んだのは単純にマスコミによる世論操作だよ。
「新編日本史」や「新しい歴史教科書」への対応を見れば
そうとは言えないと思うが。
それに新聞社ではけっこう組合の力が強くて、経営者の
意のままにならないことも多いと聞いている。
>>890 君はつまらない誤解をしているようだね。
ドイツ観念論の完成者がヘーゲルであり、ヘーゲル学派からマルクスとエンゲルスが
現われていることを知っていれば、君のように低質な突込みはしないはずだ。あまりにも低レベルなので驚いたよ。
マルクスの弁証法的唯物論は、ヘーゲルの弁証法に依拠していた。さらにこれを史的唯物論に転用して、
下部構造の形態によって上部構造も変化するとして、生産形式と所有形態との間に矛盾が生じ、
革命を伴って社会発展すると説き、これを唯物史観と呼んだ。
君が引用している俺の発言部分について、君にも理解できるように丁寧に説明しよう。
文脈を読み取ってほしいが、俺が述べたのは、左翼全体に見られる傾向は共産党を発信源としている
と言っているだけで、共産党に限定した話をしているわけではない。左翼全体に見られる傾向を指摘しているのだ。
「マスコミ業界に進出〜」というのも共産党に限定した話ではなく、マルクス主義者という意味で読んでほしい。
文脈を見れば前述の「共産党の価値観が他の左翼党派にまで浸透し」という文は、左翼全体の傾向という意味であり
マルクス主義者一般を指していると理解できるだろう。何故、誤読が生じるのか理解に苦しむ。
全学連や全共闘世代の左翼、これらに扇動される構成員は途方もなく低水準であった。
彼らの言動を見ればとても唯物論を理解していたとは思えない。唯物論を宗教否定論と考える程度の理解がせいぜいで、
理論の中身、理論の構造を理解していたとは思えない。彼ら老人世代の稚拙な言動を見れば明らかだろう。
感情のみであり浪花節的な情念論を好み、空想的な理想主義ばかりであって、情熱的な言動に明け暮れている。
彼らが真に唯物論者ならこのような感情至上主義者とはならない。この直情的傾向は観念論者のそれだ。
この事実は、旧来左翼は本当はマルクスよりもヘーゲルの影響の方が大きいことを示しているのではないのか。
ヘーゲルに依拠することで観念論者となったインチキ左翼が、馬鹿左翼の正体だろう。
俺は老人世代の旧型左翼が唯物論者とは思えない。
あれほど情熱的で感情至上主義者である事実、空疎な理想論を振り回し
観念的な空想しか語れない馬鹿左翼が、唯物論を理解しているとは思えない。
真に唯物論を理解しているなら、観念的で空想的な理想主義者とはならないはずだ。
彼らの語る情緒的で空疎な言論が、唯物論者でない証拠となるのではないかな。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < 文意をよく見てほしい。
(つ旦と)
と_)_)
重掲「418」で小室の数学本を読んで、全ては仮説であると気付き驚愕したと述べているが、
俺の方こそ、この副島の程度の低い発言を見て驚愕した「お前はそんな事も知らんかったのか!」と。
小室の数学本は、中学生や無学な高齢者向けに書かれた通俗本であって、理科系学問の得意な子供なら
大学入学前に知っている事ばかりであるし、理学部の学生には参考にならず、特に数学科では全く評価されないしろものだ。
理科系なら知ってて当然の、当たり前の事ばかり書かれてあり、内容が余りにも通俗的すぎて参考にならないからだ。
ところが副島の発言を見るに、内容を理解しないまま、理論を消化し血肉として会得することなく、
表面的な言葉だけに感情的に過剰反応して、浅薄な解釈をしているようだ。
小室本での公理批判は、通俗本である事を考慮し、ポパーの反証可能性を尊重する意味で書かれたと考えるのが正しい。
そして、ユークリッド幾何学を否定するような解釈で読むのは誤りで、公理をも反証可能性を認めなければならず、
これが科学の正しい姿勢である。科学とは教条化する事なく絶え間ない改革と改訂と発展であって、
この点が科学と宗教を分ける決定的な差異であろう。
さらに重要な点を指摘しておこう。「科学は仮説であり絶対に正しいとはいえない」といったとき、
「『科学は仮説であり絶対に正しいとはいえない』という主張も仮説であり、絶対に正しいとはいえない」と主張したこととなり、
これはパラドクスに陥ってしまうのだ。
そして、科学が仮説であるという事を副島が真に理解できているのなら、社会や人文の分野、すなわち
政治評論や時事評論も仮説である事を、認めなければならないのだ。(本当は文系分野は仮説ですらない)
「科学は仮説である、しかし副島の政治評論は真実である」このような論法が認められないと判るだろう。
副島はこう言い直さなければならない「科学は仮説である、従って副島の言説も仮説である」と。
科学が仮説であると理解できるなら、安易に「真実」という言葉を使ってはならない事を理解できるはずだ。
そして、「真実言論派」という自称は誤りであると素直に認め、最低でも「仮説言論派」と
改めなければならない事を理解するだろう。
もう一つ留意点がある。科学で仮説という場合、証明された事柄に対して科学仮説と認められるということである。
証明は科学仮説の要件であって、証明されない説は仮説にも認められないという事を知っておく必要がある。
地球が球体であるのは完璧に証明できるが、証明できて始めて仮説として認められるのである。
したがって、日々繰り返される副島のいい加減な評論、証明されない副島の言説は、仮説とすら認められないのだ。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < 。
副島の科学批判で明らかになったように、彼の思考力の貧弱さ理解力のなさが厳然と示され、
無知に基づく誤解と無理解からくる誤った認識に、俺は驚愕している。
そして、仮説という言葉を「証明されない、いいかげんな説」と解釈しているようなのだ。
この誤った認識で、オカルトや宗教を正当化しようと目論んでいるらしい。
ふじむら板「5606」において、副島がマッハを支持すると述べたのは驚きだ。
マッハという学者は、実証主義の開祖的存在であって、形而上学を排斥する活動に生涯を費やした人物だからだ。
反形而上学の意識が先鋭的で、これを否定したいあまりに感覚的経験のみに認識を求め、
経験的実証主義の極致に達した人物であり、宗教的解釈を全否定して、形而上学の撲滅を目指した人物だ。
だから、オカルティストである副島がマッハを支持するなど、あり得ない背理であって、とてもマッハを理解しているとは思えない。
マッハはその感覚要素一元論によって、形而上学を否定しようとしたが、この理念が強すぎたため
感覚を絶対視するあまり、当時の技術で観測不能だった原子の存在を否定したことは有名である。
このマッハの誤りは、感覚を絶対視したためである。もしマッハが認知科学の知識を得て、人間の感覚が錯誤に満ち
信頼のおけないものである事を知っていたならば、感覚に頼っては絶対に真理に到達できない事を認めていただろう。
科学技術が未熟な時代であった世代に生きたことが、彼の錯誤の原因であるので責めれないが、
当時の時代背景を考慮した上で、マッハを評価しなければいけないだろう。
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∧_∧ カタカタカタ…
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∧_∧ アァーン
(; ・∀・)_____
−二三 ( つ || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
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(;・∀・) −二三 '\,,|==========|
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901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 23:39:53 ID:u4BY1qRm
いや、ここまで来ると、なんかもう、どうでもいいと思う。
申し訳ないけれど、まともな人は誰も相手にしないよ。
ここまで阿呆だとは思っていなかった。
ていうか、副島ってここまで阿呆だったっけ?
正直、アポロ以前はこうではなかったと思う。
なにやら「凄み」があったのにな。
それでも本を買う人はいるんだし。
そういう人たちのために生きるって決意したんだろうね。
副島さん、ここ読んでいるのなら、さようなら。
なにもそこまで落ちなくても良かったんじゃないの?
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 01:33:05 ID:bYsZ37cm
副島さん、結局政府、自民党に拾ってもらえなかったんで自分で商売する
しかなくなっちゃったんだな。かわいそうに。
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 01:35:42 ID:bYsZ37cm
>理論を消化し血肉として会得
どーでもいいけど、気持ワリい言い方。
>正直、アポロ以前はこうではなかったと思う。
つ『欠陥英和辞典の研究』
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 15:15:19 ID:hajIwpMz
あの病的な句読点の打ち方をどうにかしろよ
細かい話を突っ込む以前の問題だ
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 18:39:17 ID:6+kwOcsm
>>901 最近になってボケたんじゃないよ。最初から阿呆だったんだ、と思う。
思考力の貧弱さや、稚拙な誤解を繰り返しているのは、以前から判かっていたよ。
対象となった原著論文のいい加減な評論、浅薄で未熟な理解などが厳然と示されているからね。
解析学に置き換えて、論点を切り分けられない人だしね。
政治評論や時事評論も、論証はなく空想だけで真実と断定したり、
結論のみしかなく、憶測だけで、妥当な根拠も論拠から検証した形跡もないよ。
孫引きばかりだから、一次資料に当たって研究した形跡もない。
アポロ以前は、粗雑な内容であってもまだ許容できたよ。
でも「凄み」というより、ハッタリだけで世渡りしてきた人だろうね。
貴方は真面目な人みたいだから、sage進行に協力お願いしたい。
専門的で深い話をおちついてするには、人が少ない方が向ている。
ageると直ちに、中身のない一行レスや、低レベルなゴミレスの山になる。
宣伝コピペを繰り返す馬鹿や、誘導リンクする阿呆が来るなど、
これ以上、真性電波が来たら困るからね。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < sage。
(つ旦と)
と_)_)
副島が弟子や支持者に、出鱈目な考えを吹聴しているのはいただけない。
仮説という言葉の意味を誤って教えているようだ。その結果シンパどもが、「仮説=証明されてない、いい加減な説」と
思い込み、「仮説なんだから、何を言ってもいい」と考える痴れ者が続出する、と懸念される。
疑似科学が馬鹿にされ否定されるのは、客観事実を根拠とした論証もなく、証明もされてないからであって、
証明されなければ、仮説ですらないのだ。客観事実を前提とせず、論証のないまま空想だけで構成された世界観で、
事実の提示と是認される要素のない、虚構体系の創作だからだ。
陰謀論が馬鹿にされ否定されるのも、事実認定に瑕疵があり、
検証不十分で妥当な論証もなく、恣意的な空想と憶測だけで飛躍した論理展開をするからだ。
陰謀の研究発表も、客観的で強固な証拠郡に支えられ、恣意的な主観を排した厳密な論証によって、
十分に検証された仮説なら、事実の提示といい陰謀論とはいわない。
この「事実の提示か陰謀論か」の違いの目安となるのは、刑事裁判に耐えうる精度を念頭に置けばいい。
当然のことながら、作家気取りで小説のような空想的な記述や、ジャーナリストが書く記事のような水準の、
論証もない扇情的で杜撰な代物では、正当な論述と認められず、事実の提示とは認定されない。
憶測で飛躍した物語の創作でしかない、仮定の陰謀論とみなされる。
もう一度確認しておこう「仮説とは、論証され証明された説」の事である。
論証もなく証明もされないものは、仮説とはいわず、単なる説であり放言の類と認定されるのだ。
仮説と仮定を混同してはならない。この二つは全く意味が異なり、言葉が指し示す概念が全く異なるからだ。
そして妥当な論証もないまま「仮説だから何を言ってもいい」と考えるのは誤りだと再認識しておこう。
さらに、仮定は真偽とは無関係な仮想という意味であるが、だからと言って稚拙で支離滅裂な論法は認められない。
論理性が担保されずに、感情のみの説は放言という。
もちろん疑似科学や低質な陰謀論は、仮説でも仮定でもなく、たんなる放言である。
そして、副島によって学問に偽装された新興宗教が、独断によって不当な解釈で
独自の用語体系を作り上げ、無知蒙昧なシンパに偽りの知識を吹き込み、検証の無い
オカルトと疑似科学の正当化を目論むのは、学者としての職業倫理に悖る行為といわざるを得ない。
事実、学問道場には検証の無い疑似科学や、検証不要のオカルトに関する投稿であふれている。
まさに副島一派は、検証の意志すら持ち合わせてない痴れ者の集まりであり、
本気でオカルトと疑似科学の総本山を目指すつもりのようである。遺憾である。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < もちろん副島の言説は、仮説ですらない。 検証する意志も能力も無いよ。
仮説はあくまでも仮の知識。副島の思いつきだろうと何だろうと「仮説」。
実験や観測で実証された仮説については「科学的知識」と呼ぶべき。
科学仮説なんていう勝手な用語をでっち上げるあたりが実に信者っぽい。
ちなみに、調査や実験に着手するために、とりあえず適当に推定した
というだけの仮説は作業仮説 (working hypothesis) と呼ぶことがある。
みんなは副島や茶飲みのヨタ話に惑わされず、きちんと勉強しようね。
客観事実を前提とし根拠として、妥当な論証があり「その論理体系内」で証明された説が仮説であり、
俺が述べているのは、「その場しのぎの仮説ad hoc hypothesis」ではなく、
仮説演繹法hypothetico-deductive methodによる見解としての、仮説なのだ。
明晰に証明された理論であっても、実験や観測で実証されても、科学理論はすべからく暫定的であって、
この意味において、科学は仮説である。この認識が科学に発展をもたらす要因であり、
この点が科学と宗教を分ける決定的な差異となる。反証可能性が高いほどその仮説は科学性が高いとみなされる。
カルナップは仮説の信頼性を「確証の度合」といったが、フレーゲは固有名には指示対象だけでなく意義もあるといい、
クーンはパラダイム間に「共約不可能性」が存在すると述べた。
ニュートンはプリンキピアにおいて「絶対時間」を定義したが、この定義は仮定であって論理体系は仮説である。
ホーキングは無境界仮説を示したが、論証され証明されても仮説である。
科学理論はすべからく暫定的なものであるので、実験や観測で実証された科学的知識も、仮の知識である。
俺と君
>>910の認識に、大きな差異はないと思う。
「仮説はあくまでも仮の知識」という指摘は、860以下の俺の主張する科学的認識と同じだろう。
「実験や観測で実証された仮説については「科学的知識」と呼ぶべき。」という意見は理解できるが、
「思いつきだろうと何だろうと「仮説」。」という解釈には同意できない。
なぜならば、君は「仮説」という言葉を 、subjunctive moodの意味で使っているからだ。
「調査や実験に着手するために、とりあえず適当に推定しただけ」の行為を「作業仮説」と呼ぶことがあっても、
その説は「作業のための仮定subjunctive行為」か「その場しのぎの仮説ad hoc hypothesis」と考えるのが妥当だろう。
論証もない思いつきのみの説は、放言というのが妥当だと思う。
仮説という言葉は多義的であるが、俺と君の意見の違いは、科学哲学の知識の差だと思う。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < sage。
(つ旦と)
と_)_)
912 :
仮説バカ:2006/12/21(木) 17:38:39 ID:TK/tvim+
911
すべからくは、べし で受けることばです。
すべて の意味を すべからく で使い続けていませんか。
知能の程度とお里が知れますよ。
このことは呉智英が指摘している。
>912
「すべからく」はその通りで、かなりの人でも誤用していることが多い。
でもまあ、だから知能が…というのは言い過ぎで、揚げ足取りだな。
オレは読者のみんなに、「仮説」あるいは "hypothesis" という言葉を、
辞書にちゃんと定義されている通りの意味で理解し使いましょう、と言いたいだけ。
例えば、小学館の国語辞典にはこう書いてある。
仮説
1. いろいろな事柄の間の関係が実際には確かめられていない場合、それを統一的に
説明するための理論的な仮定。また、一般に、ある事柄を理由づけるための仮の見解。
2.=かせつ(仮設)3
仮設
1. 必要な期間だけ、仮に建てたり、設備したりすること。「仮設工事」
2. 事実ではなく、想像などによって仮に作り出すこと。
3. 数学や論理学で、ある結論が成り立つための前提条件。仮定。仮説。
4.=かせつ(仮説)1
だから、定義通りに考えれば、論証もない思いつきだけの説でも、仮説になる。
さらに "the subjunctive mood"(仮定法)の意味で使っていると言うならその通り。
逆に「仮説」を「仮定」の意味で解釈するのが気に入らんと言われるとガックリくる。
茶飲みとオレの意見の違いが「科学哲学の知識の差」にあると言うなら、
ほー、そうかい、つーか、おいおい、本当かよ、うげえ、もういいや、それで結構。
とにかく、オレは、言葉の定義を勝手にひねくり回すことには興味はないんだ。
読者のみなさん、何か言う前に、ちゃんと辞書ぐらいは引いておきましょう。
>>914 仮説というのは辞書にあるように「統一的に説明するための理論性」が大切だと思う。
君は辞書定義にある「統一的」という意味を判かっているの。
辞書に定義されている言葉の中身を理解しているかい。
「仮説」を「仮定」の意味で解釈するのが気に入らないよ、hypothesisとsubjunctiveは違うもの。
科学おいて、言葉が指し示す概念(真の意味)が異なるからね。
君は学術的な意味概念を無視してhypothesisという言葉を、subjunctiveの意味で使うのが、正しい言葉使いだと主張するのだね。
君の意見は「理解」できるが、学術用語technical termを使用禁止にしなくてはいけない、という主張には同意できない。
俺は言葉が指し示す概念を理解し使いましょう、と言いたいだけ。
なぜなら、宗教家やオカルティストが、疑似科学や神秘主義を正当化する目的でこの言葉を弄び、
科学否定論に利用する横暴を、目の当たりにしたからなんだ。
言葉は多義的であるが、文脈から辞書定義の意味を判断するべきだろう。
文意を汲んで定義を判断するのが正しく、文意と異なる辞書定義を勝手にひねくり回すのは誤りだと思う。
>>912 「すべからく」は絶対に「べし」で受けなければならない、と定められているわけではないよ。
俺は科学は仮説であると「当然、妥当」として「理解する必要がある」という意味で使用しているから、
誤用とは思っていないよ。君は「すべからく」の意味と用法を誤解してないかい。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < sage。
「統一的」という意味は知ってるし、辞書に定義されている言葉の中身も
理解してるつもり。「統一的に説明するための理論的な仮定」というのが大切、
という気持ちも分かる。でもさ、オレはね、かせつ(仮説)1 の後半にある
「また、一般に、ある事柄を理由づけるための仮の見解」
という方だって、同じぐらい大事だと思うんだ。それだけの話さ。
「hypothesisとsubjunctiveは違う」という主張も、確かに間違いじゃない。
それでもさ、一度くらい辞書を引いてみたらどうだい。勉強になるよ。
subjunctive
Of, relating to, or being a mood of a verb used in some languages
for contingent or hypothetical action, action viewed subjectively,
or grammatically subordinate statements.
hypothetical
1. Of, relating to, or based on a hypothesis: a hypothetical situation.
See synonyms at theoretical.
2. a. Suppositional; uncertain. See synonyms at supposed.
b. Conditional; contingent.
それからね、オレは「文意を汲んで定義を判断」するのが苦手なんだ。
まず定義して、その定義を使って文章を書く、という暮らしが長いもんで。
だから、定義と文意が合っていないと、書き手がアホに見えるんだよ。
まあ、気にしないでくれ。オレみたいな奴は世の中では少数派だからね。
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 14:36:29 ID:prU9g5uM
長文投稿者諸子ごくろうさま。 興味深いけど、読んでません。
重掲433をみて、副島さん、なんとか精神のバランスを自分で取れてきて
いるなと思った。とにかく、思考というものが誤りやすいということを、
謙虚に自覚して、多くの人が共感できるような言論活動を行っていって
もらいたいと思う。
>>916 君の意見は理解しているし、真意は伝わっているよ。君が善意の助言として言葉の指導をしているのは判るし、
意識に俺に対する悪意は見当たらないので、不快に思っているわけではないよ。
ただ君の主張が論理的に見て疑問に感じるので、納得のいかない事はその理由を誠実に示して、説明するしかないんだ。
真理は未知に在り、誰も知らない。それ故に仮説を立て暗中模索して試行錯誤を繰り返しながら、
改訂を続け発展するしかなく、この行為を科学というんだ。そしてこれを要約すると
「仮説とは、いろいろな事柄の間の関係が実際には確かめられていない場合、それを『統一的に説明するための』『理論的な仮定』」
となり上記の文を要約すると「ある事柄を理由づけるための仮の見解」となるんだよ。つまり同じ意味なの。
第一義を軽視して二義的を重視する、という君の主張には同意できない。定義を重視する君らしくもない発言だ。
定義にこだわる人が本義を軽視せよと主張しているのだから。
辞書の末に書かれている記述は、定義というより一般的な用例の提示と考えるのが妥当じゃなかろうか。
もし、どこへ行っても「善導ごっこ」のつもりで、辞書のみを乱暴に振り回す愚行をしているのなら止めた方がいい、アホみたいに見えるから。
本当に勉強している人なら、辞書にある個々の記述は情報量が少なく、辞書を読んだだけで全てを判ったように考えるのは
誤った発想だと、中学生ぐらいで気づくものだから。
hypothesisという言葉も、仮言命題という意味を含むから、論理学用語であることを理解した上で,
君の引用した英文を読む事を勧めたい。君が本義を軽視し意味を汲むのが苦手なのは判っているけど、
仮言命題は非論理的な仮定という意味ではないよ。
俺は持論に自信を持っているから、君の意見に同意する事は出来ない。でも心情は理解できる。
それにもう一つ重大な指摘をしておくよ。辞書の定義を「真に」定めているのは学者であって、編集者じゃないよ。
そして辞書は改訂される事を知ってなければならない。なぜ改訂されるかといえば辞書定義に誤りが有るからなんだ。
どうしてこのような現象が起きるかといえば、学術研究の最新見解が辞書に反映されるのにタイムラグがあるからだ。
研究に辞書改訂が追いつかず、定義に齟齬が生じてしまうんだ。だから辞書を絶対視してはいけない。
辞書は暫定的である、という事実を理解するべきだ。研究者の間では広辞苑ですら評判悪いぞ。
最近流行のウィキペディアはもっと評判悪い。研究者が訂正を試みるものの、追いつかない。
このような事実を知らずに、辞書を盲目的に絶対視してはいけない。時間が経てば改善されると思うが、
概念を理解しない者が投稿し、その訂正に疲労困憊し、学術研究者が匙を投げる事態が発生している。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp〜kikuchi/weblog/index.php?UID=1118228222
2ちゃんの投稿文を、時間をかけて推敲し校正するほど暇じゃないし、2ちゃんなど書きなぐり文で十分だと思っている。
だから、誤字脱字は多いし助詞の間違いなど頻繁で、不明瞭な文となる事も多い。
本気になれば数学の文章問題のような文体となるが、普段はそうでもない。
文系じゃないから文章技術に無頓着だし、拙い文になる事も多い。長文でも30分以上書く時間をかけないしな。
その結果、君が俺の事をアホだと思うのならそれでもいい。今後も2ちゃんの投稿文に、推敲する意思は持たないから。
そして、極論や暴論も許される場であるから、「副島や茶飲みのヨタ話に惑わされず、きちんと勉強しよう」という君の意見には同意できる。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < sage。
確かに、ここは2ちゃんだな。では、意見を提示して終わりにする。
辞書の定義として、
[ことば]
(定義A)。また、一般に、(定義B)。
とある場合、定義Aの方が「狭義」、つまり、より限定した意味を表し、
定義Bの方が「広義」、つまり、より一般性のある広い意味を表す。
なるべく「狭義」の意味で言葉を使う方が、明快で紛れのない文になる。
ただし「広義」の意味で使われる場合もあるから、それも知っておいた方がいい。
辞書が改訂される理由として、辞書定義に誤りがある場合も確かにあるが、
多く場合は、正しい定義を知らない人が誤って使った用法が、
何らかの理由で広まり、本来の意味よりも頻繁に使われるようになったため、
辞書の語義を変更しないと実情に合わなくなってしまったことによる。
922 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 06:44:15 ID:yVROJqqy
なぜ俺は副島を叩きたくなるんだろう。
かつて俺は、真実を知るためになら死ぬことなどまったく怖くないと思っていた。
散々働いてそれなりの立場を手にした今でも、それで本当に真実に手が届くなら、
すべての財産を投げ出してもいいと思う。
家族を捨てて、野垂れ死んでもいい。
死ぬ間際に真実が見える実験があれば、喜んで自分の体を差し出す。
社会がどうこうという表層の話じゃない。
宇宙の真理を知る以上に価値あることなどないと思う。
ところが副島は、社会がどうこうという上っ面の話から、宇宙の真理までを侮辱しようとしている。
真実とは何かが理解不能な頭脳の持ち主であるにもかかわらず。
それが、どうしても許せない。
副島が特異な能力を持つとしてもそれはごく限定された範囲内だけに通用するものであることを、
弟子の皆さんは注進すべきだと思う。
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 09:23:15 ID:4h4hW38e
なぜ俺は副島を叩きたくなるんだろう。
かつて俺は、真実を知るためになら死ぬことなどまったく怖くないと思っていた。
散々働いてそれなりの立場を手にした今でも、それで本当に真実に手が届くなら、
すべての財産を投げ出してもいいと思う。
家族を捨てて、野垂れ死んでもいい。
死ぬ間際に真実が見える実験があれば、喜んで自分の体を差し出す。
社会がどうこうという表層の話じゃない。
宇宙の真理を知る以上に価値あることなどないと思う。
ところが副島は、社会がどうこうという上っ面の話から、宇宙の真理までを侮辱しようとしている。
真実とは何かが理解不能な頭脳の持ち主であるにもかかわらず。
それが、どうしても許せない。
副島が特異な能力を持つとしてもそれはごく限定された範囲内だけに通用するものであることを、
弟子の皆さんは注進すべきだと思う。
______ ___________
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/二__,--、r'"___、 ヾト、.ヽ
レ'"~,-,、 ! ! ' '" ̄ .ノ\ヾ:、
K/ー'~^~_/ ヽミ:ー‐‐'" ヽ i
!〉ー―'"( o ⊂! ' ヽ ∪ Y」_
i ∪ ,.:::二二ニ:::.、. l 、...
! :r'エ┴┴'ーダ ∪ ! !l
.i、 . ヾ=、__./ ト=.
ヽ 、∪ ― .ノ .,!
924 :
m:2006/12/25(月) 13:58:44 ID:0gv3zz1o
堤清二はD.ロックフエラー家に近いと聞きましたけど
アポロ捏造もふくめ科学=仮説論など
副島一派らは感覚的にわかること以外には
人間にわかることは何もないと言いたいんだろう
やっぱりアポロ捏造説のほうが怪しいのではないか
あまりにも人間の力を信じていないようだし
人間不信が背後にあるんだろう
俺の偽物が発生して、他所で暴れているような気がする…
俺の言葉じゃないのに、俺の言葉になっている・・・
しばらく投稿を控えた方がいいかも
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ オロオロ…
.(; ・∀・) < アワワワ…
( つ つ
と__)__)
恐惶謹言、よって件の如し。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < ストレス発散のため、ネコの着ぐるみを所望…
(つ旦と)
と_)_)
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ぶほw
中国人の顔で道教を説く副島先生ってなんだか中国が送り込んだ対日洗脳要員みたい
本当には日本人を近代人にしたくないみたい
でその隙に中国が近代化www
今日のぼやき「818」で、「自分が宗教的人間になっても構わない。厳しい宗教を自分の中に築き上げていく」と
述べているが、もっと明確に紛れなく「副島の言説は宗教である」と明言すべきなのだ。
科学と宗教を分けることに疑問を持ち、科学と宗教を融合させるべきだと主張しているのであるから、
科学に神を持ち込むことが不可避である。これが副島一派の目指す方向であることは
明示的であるので、副島一派は宗教団体である、と判断するのは妥当である。
副島は重大な錯誤に陥っている。例えば、錬金術が廃止された経緯を考えてみたらいい。
弾圧などの外部圧力によって、錬金術が廃れたわけではない。敬虔な信仰心による知的誠実さによって、
内発的に廃れたのである。真摯な信仰心を持つ者が自然法則を神の創造であると考え、
自然法則こそが啓示であり、この解明こそが真の福音を理解することであると考えた者が、
誠実に研究した結果、真理への到達は科学的方法でしかなし得ず、宗教では真理に辿り着けない、
と内発的に結論したのである。
科学と宗教を分け、神という仮定を持ち込まない、という結論は大昔に終わった議論であるのに、
副島は今頃になって蒸し返そうとしているが、ヒュームが明解に答えてくれている。
「いま、我々が一巻の書を手にとったとしよう。 例えば神学とか、あるいはスコラ哲学とかの本を手にとったとする。
そこで我々は尋ねよう。それは量ないし数についての抽象的な推論を含むか。 否。
それは事実と存在についての実験的な推論を何か含むか。否。
それならその本を火の中に投げ込んでしまえ。
何故ならその本には、詭弁とまやかし以外の何物も書かれていないからである」
ヒュームは人間知性論の中で、数学と経験主義科学の他は捨ててしまえ、という結論に達しているが、
今更、この議論を蒸し返すのは不毛なだけである。
しかし、副島は「大脳皮質による想像でしかない」という。自然法則それ自体は、人体の外に存在する
現象であることが判っていない。法則の実在する場と、理論構築の違いを判っていないのだ。
それゆえ副島は、数学とサイエンスと分ける理由も、本当は判っていないのである。
副島の弟子の中にも、この問題提起に関心をよせている者がいるようだ。
ジョーなどは重掲「445」で、「神の法則(divine law または eternal law)」と書いているから、
このスレの俺の書き込み
>>878を、見ているのではないかな。何故ならトマスを読んでいれば、
自然法則を永久法に分類するのが自然だからだ。ではなぜ俺がトマスを知っていながら「神法」に喩えたかというと、
数学の研究は究極的には、直観であるからだ。この数学の直観性を「啓示」に見立てて強調したくて、
あえて「神法」に喩えたのだ。(俺の場合、あくまで説明のための比喩的表現としてだが)
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < sage。
これもいろいろ凄かったので貼っておく。つーかますますトンデモの定番コースをたどってるな。
76 名前:ご冗談でしょう?名無しさん 投稿日:2007/01/08(月) 17:31:07 ID:sX7KTqSS
「809」 副島隆彦の「ミネルバの梟(ふくろう)は夜、飛び立つ」論。
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200611.html#2301 おなじく、アルバート・アインシュタインが、それを発展して作った、「相対性原理」である(そうだと言い切って構わないだろう)
「f = mc の2乗」(力の大きさ f は、質量 m かける光速度c の2乗) というのも、宇宙の果てまで通用するということはない。
このことを、私は、「会員ページの「808」番で書いた。アインシュタインが作った「光速度一定の原理」は崩れつつある。光速度
よりも早いものはない、ということになっていた。ところが、近年、光速度の1.7倍の速さの物質が観測されている。アインシュタ
インが、今のビックバン宇宙論体制派の生みの親である。「宇宙項」というような、失策アイデアを出したのも彼だから。1964年
に電波望遠鏡(でんぱぼうえんきょう)の観測からビッグバン宇宙論が出て来た。背景放射(はいけいほうしゃ)とか、ビッグ・
ウォール(大きな壁)とか、反物質(はんぶっしつ)とか、暗黒物質(ダーク・マター)とか、「ブラックホール」とか、「ゆらぎ」
とか、訳の分からない専門用語を、ビッグバン派は、たくさん作って、そして、世界中の人々を、煙(けむり)に巻いた。
(中略)
だから、これも、「808」番でも少し触れたが、私は、彼ら、愚劣なるビッグバン宇宙論」(宇宙進化論) に対して、それと
敢然と対決する「定常宇宙論(ていじょううちゅうろん)」を支持する。 定常宇宙論 Static State Universe は、はやくも
1951年に、ケンブリッジ大学のフレッド・ホイル Fred Hoyle らが、提唱したものだ。今も、ずっと生き延びている。こっちが
正しいだろう。
(中略)
ビックバン宇宙論のような嘘くささが、量子力学(りょうしりきがく、quantum mechanics クオンタム・メカニックス)には
あまりない。アインシュタインが、量子論、量子力学を馬鹿にして、嫌(きら)ったそうだが、私は、だからこそ量子力学は
正しいだろうと肩をもつ。
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 20:15:49 ID:imUMqT7g
これ笑ってる場合じゃない。
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 23:07:01 ID:Xi8pm16A
>「f = mc の2乗」(力の大きさ f は、質量 m かける光速度c の2乗)
物体の質量エネルギー E=mc^2 の式と
ニュートンの第二法則をゴチャ混ぜにしたような式だな
運動エネルギーと物体の質量エネルギーの区別をよく理解してないのだろう
物理学の基本も分かってないくせに、何が「定常宇宙論を支持する」だ
これだからゆとり世代は手が焼ける
馬鹿同士が低レベルな議論して、頭がいいつもりになってんだろーな
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 15:14:51 ID:s1QhMHYa
最後の二行の意味が分からない件について
2ちゃんが閉鎖されるって聞いたけど、一時的なものなのかな。
今まで副島批判をしてきたけど、あと二つ書きたいものがあったんだ。
副島のレイシオ定義とこの理解についての批判と、911陰謀説の流布が及ぼす社会的影響と帰着についてだ。
折りを見て書こうと思っていたけども、でも本格的に閉鎖されるようなら、もう書けないね。
しばらく2ちゃんの様子を見てみるよ。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < どうなるのかな
(つ旦と)
と_)_)
副島はゆとり世代じゃないだろ。。
i i
i i
i i
i i
ミヽ, r⊂⊃ ミヽ
ミ ̄ヽ∧_∧ '彡 宗教的な雰囲気がする…
ソ ̄`(; ・∀・) ̄シ
'ノ ̄( つ つ ̄ヾ
リリ''''と__)__)'''ヘ)
(・∀・ )
━━━
941 :
虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/01/18(木) 14:51:32 ID:dNXimjO5
ふじむら板のバードに見られるように、副島派は陰謀論に傾倒するあまりに、低質なユダヤ陰謀論が蔓延しているのだろう。
副島を始め高弟の面々も、ユダヤ人全体を同一視するような、低質なユダヤ陰謀論に陥らないように、
注意を促してきたと記憶しているが、船井と関係を深めたことによって、低質なオカルト主義者が流入していると思われる。
ユダヤ思想の中で危険視できるのはシオニズムであって、これに批判的なユダヤ人も少なからずいるのであるが、
ユダヤ全体を敵視する、悪性のユダヤ陰謀論に陥っているようだ。
副島一派の中には、宗教団体を渡り歩いたような者や、オカルト主義者やスピリチュアリズムの愛好家が、
多数集まり受け皿として機能している。俺は、宗教家は信仰の概念枠の外から考察できない故に、
宗教の本質が見えないと考えているが、人類史を俯瞰して宗教の伝承や伝播を見なければ、教義の歪みに気づかずに、
教えが真に示唆する意味を汲み取れないまま、奇形していくだろう。
中央アジアに発祥したアーリア人が南下し、インドと中東に分かれて移住していったけども、
その後、ゾロアスター教、ミトラ教、マニ教、グノーシス主義がシルクロードの交易を通じて中国に伝来し、
中国国内で広く布教していったことを重く見るべきだ。光明信仰が洋の東西で広まったのは偶然ではない。
弾圧から逃れるために、マニ教は仏教や道教に偽装しながら、布教しつつ習合していき、
ミトラ教は弥勒信仰に変化しながら仏教と習合し、白蓮教の基礎となりながら、マニ教と習合していく。
仏教を装いながら、原始仏教とは異なる極端な呪術性は、人類史を俯瞰した伝来を見なければ判らないだろう。
宗教家は自分が属する宗教に内向するために、概念枠外から見れないので、各宗教の相互関係性に無頓着な者が多い上に、
所属宗教の礼賛と美化に奔走するので、宗教の客観的比較評価が不能となる。
光明信仰は古くから、世界規模で展開してきたのであって、副島一派のように低質な陰謀論本や、
宇野正美や山本七平などの通俗本を読んで、判った気になってもらっては困るな。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < 。
>>941 君は自分のHPの宣伝を、熱心に繰り返している人みたいだね。あまりに酷すぎると思うのでマジレスするよ。
肉体は物理的な実在であるから、人間は物理世界にしか存在することができない。
この重大な事実を忘却して現実逃避し、空想の世界で妄想を繰り返しても、そこには何も実在しないのだぞ。
君のしていることは、現実社会から逃避して、実社会から遁走しているだけだ。
そのような思考では、最終的には廃人となり、人生を破滅してしまうだけだろう。
物理的な実在である肉体を忘却して、空想の精神世界に生きることができると、本気で考えているのなら、
物理的な肉体を消滅させる他なく、自殺するしか選択肢がなくなってしまうんだぞ。
「信じるか、信じないか」という思考は間違っている。「事実か、事実でないか」が大切なんじゃないか。
科学は現実の事象の真実性を追究する学問であるが、君は始めから真実性を放棄している点が、間違っているんだよ。
空想に溺れ現実から逃げようとしても、人は物理存在であるゆえに、精神世界に生存することができないんだよ。
独我論の地獄に落ち、こんな簡単なことまで君は忘れている。人が生きれる世界は物理世界だけだ。
君のように勉強が嫌いで読書が苦手な人間に、哲学を思索することはできない。
論理学では事実を前提としなければならないという原則があり、空想を前提とした命題は無意味であって無効である。
君のしていることは無駄であり無意味であるが、論理学の基本すら判らずに初歩的な段階で躓いている。
不勉強で無教養の上に科学的思考を持たず、真実性を軽視する姿勢で哲学などできるわけがない。
物事には順序というものがあって、幅広い教養を身につけるのが先だ。君の知識は偏向して教養も浅い。
完全性定理を学んだ後に不完全性定理を学ぶがごとく、知的鍛錬をする際には手順が重要なのだよ。
入門書や通俗本だけでは駄目でネット上の読み物も駄目だ、学術論文を多数読みこなす必要がある。
君は最も哲学に向かないタイプなんだ。これを素直に認めて、もっと気楽に生きたらどうだ。
このままでは君が悲劇的な最後を迎えることが目に見えている、健全な社会生活を営めなくなり、
廃人となって人生を破滅させ、最後には自殺してしまうだろう。取り返しがつかなくなる前に、適切な治療を受けろ。
今、君に必要なのは精神科医である。これは嫌味や皮肉ではないぞ、善意の助言として本心から言っている。
そして俺はカウンセラーではないから、これ以上真性の病人の相手はしたくない。
これが最初で最後の、君宛のレスになるだろう。もうここには来ないでくれよ。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < HPを全文読んでみたけど、君ねマジでヤバいよ
>HPを全文読んでみたけど、君ねマジでヤバいよ
HPを全文読んでみる君も十分ヤバいよ
いい加減ブログでも立ち上げてそっちでやれ
ここはお前のチラシの裏ではない
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 23:27:35 ID:1XGK6f6f
>947
こんなに内容のある書き込みはそうないんだが。
副島系のどの掲示板でも読めないよ。こういうのは。
あなた、ちゃんと読んでる?
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 01:50:46 ID:Hz0Kqe/W
中身がないんだからさ
せめて要点をまとめた簡素な文にしろよ
同意。長文うざすぎ。
ブログでも作って勝手にそこでやれよ。
951 :
名無しさん@お腹いっぱい:2007/01/22(月) 17:47:36 ID:R12Rb5ZB
最近、数冊の彼の著作を読んだけど、世界史の知識が無い。
グアムはスペイン領だったのがアメリカに渡ったのだが、
グアム・サイパンを一緒にして南洋諸島扱いしてる。
がっかり。
952 :
名無しさん@お腹いっぱい:2007/01/22(月) 19:06:01 ID:R12Rb5ZB
最近、数冊の彼の著作を読んだけど、世界史の知識が無い。
グアムはスペイン領だったのがアメリカに渡ったのだが、
グアム・サイパンを一緒にして南洋諸島扱いしてる。
がっかり。
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 19:20:01 ID:ioAPOBKo
>>952 そんなの大した問題じゃない
もっと重要な間違いがいっぱいあるだろ?
基礎知識が無くてもこいつの胡散臭さは分かる
言葉には上手く言い現せられないが直観で
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 21:47:34 ID:9z+M0WdN
>>954 言い現す→言い表す
直観→直感
誤字の多さはそえじと同じだな
”直観”は”直観”で合ってますよw
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 00:55:13 ID:72MD7Pyr
合ってますか 失礼
958 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 04:04:00 ID:tYCTI2yC
人は哲学を学ぶことはできず、哲学することを学ぶ
神秘主義には文系的なものと理系的なものとがあるが、副島が神秘主義的傾向を強めたのは、
理系的神秘主義の影響を受けたからかもしれない。弟子の一人に崎谷博征がいるが、
副島が科学と宗教の融合を志向したのも、理系神秘主義が注入されたことが影響しているのだろう。
もともと自然哲学が根本となっているのだが、神秘主義傾向を強め、宗教的で呪術性が強い思想体系をもち、
理学的に理論武装されているのが、理系神秘主義の特徴である。自然哲学自体は古来からあり、
哲学的原理として研究されてきたが、現在では強い宗教性で哲学からも逸脱している者が少なくない。
日本ではラマルクの影響を受けた、生物学者や医学者によって、ネオラマルキズムが提唱されている。
これが科学に基盤を置いて、自然哲学の範囲で研究されているうちはいいが、これの影響を受けた医学者は
中国伝統医療の漢方と、インド伝統医療のアーユルヴェーダ、と結合することも多く、
さらに道教や易教などの思想影響を持つ者も少なくなく、神秘主義傾向が一層強まっている。
千島喜久男が起こした学派が、三木成夫、西原克成、などに引き継がれ、日本におけるネオラマルキズムの系譜である。
特に、吉本隆明が三木成夫を高く評価し、吉本が幾度も言及したことから、副島もかなり以前から、
この学派の系譜を好意的に見てきたと思われる。俺が懸念するのは、楢崎皐月の「建設医学」に関心を持った者が、
彼の提唱するカタカムナの影響を受け、悪性の神秘主義者となることだ。
自然哲学に傾倒する過程で神秘主義者となり、哲学から逸脱するするほど宗教性を強めていったと思うが、
千島、三木、西原の系譜の学派にも、部分的にだが着眼点などに光るものがあると認めつつ、
我田引水の循環論法など、研究方法と論述に問題があり、学説が流産してしまっている。
西原などは、人工臓器などの専門分野で良い功績を残していると思うが、専門から離れると神秘主義を
前面に押し出す論述をしてしまう。
正統科学で不適当な部分を破棄し学説を洗練させれば、彼らの学説の一部でも救済する余地があるかもしれないが、
正統科学での救済を自ら拒み、彼ら自身が神秘主義へ向かい、学説を流産させてしまうのだ。なんて愚かなんだ。
日本におけるラマルキズムの系譜は、宗教的性格が強く呪術的であり、自然哲学から逸脱しているのだ。
文系的神秘主義ならば理論化もされず、稚拙な論理によって、子供だましの情緒的な言説を吐くだけであるから、
たいしたことはないが、理科系神秘主義は学際的な論理体系を持ち、理論化されている。
ト学会や科学オタク程度の知性では、彼らに歯が立たないだろう、太刀打ちできないだろう。
なぜなら、自然哲学の系譜には人類史に名を残す碩学が、背後に控えているからである。
ラマルクだけではない、かの文豪ゲーテも背後にいるのだ。ゲーテの解剖学、植物学、色彩論、などの
形而上学的な思弁哲学は影響も大きい。日本の理系神秘主義の指導者層は、東大医学部で講師をしていた西原など、
高学歴者も多く、知性の劣った科学オタク風情が「トンデモ」などと罵倒しても無力であり、対抗できないだろう。
批判するにしても、本当に学問を積んだ者でなければ、到底無理だといっておく。
俺は、彼らが安易に宗教化するのが残念でならない。自然科学を基礎におき、科学的方法で自然哲学を
研究すれば、神秘主義的傾向があっても、思想の一つとして尊重してもいい、文句はない。
しかしながら、彼らは呪術的であって、疑似科学性が強すぎて、認めることはできない。
自然哲学からも、逸脱していると思えるのだ。波動などは典型的な疑似科学であるが、副島一派はこれと結託している。
理系神秘主義で宗教性の強い、カタカムナなどの影響を受けた者も、副島派には少なくないはずだ。
事実でないものを認めるわけにはいかない。「信じる」という思考は間違いだ。
無いものは無い、と言えなければいけないだろう。疑似科学を認めるわけにはいかないのだ
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < 。
(つ旦と)
と_)_)
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 19:42:52 ID:UtRHW95U
質問
「形而上学」から科学へ進むことはできるが、科学から「形而上学」へ進むことはできないと説いたベルクソンの説をどう思いますか?
ヴィトゲンシュタインの影響から発展していった論理実証主義について
ヴィトゲンシュタイン自身は、学派と距離をとりつづけ、フィジカルサイエンスでは説明できない部分の存在を認めていたことについてどう思いますか?
「無いものは無い」と判断する基準を、あなたはどのように考えていますか?
また、その方法によって、すべて事象を断定することが可能でしょうか?
宗教と科学の融合は必然だしこれからのトレンドでもある
副島はいち早くこの流れをキャッチしたんだろう
そういうセンスだけは白人すら越えてるかも
最新刊を読んだ人いる?感想を聞かせてください。
>962
自然科学から宗教的形而上学へ向った者などいくらでもいるよ。
信念をもった神秘主義者に、自然科学を強制することはでないし、
精神の自律は尊重され、自由意志は保証される。
しかし、事実認定に瑕疵があり、検証不十分で空想的な記述や、妥当な検証のない説は、
正当な論述と認められず、事実の提示とは認定されなくなるだろう。
真実性を放棄して現実逃避し、空想の世界で物語の創作をしながら、
「真実」と強弁すれば、非難を免れないだろう。
信仰と結びついた観念であっても、公私を区別して個人としてならよいが、
個人幻想と対立しないまま組織化し、集団幻想へ向かうと危険だろう。
「信じるか、信じないか」という思考は間違っていて、「事実か、事実でないか」
「実在するか、実在しないか」という、検証を積み重ねていく営みが大切なんだよ。
神秘主義者の方が、生起する原因を自由連想によって、安易に断定してしまう傾向が強いが、
「無いものは無い」と判断する基準は、実在性だ。
厳密な検証による因果関係の解明が、実在性を保証する。
科学は未熟であって真理は遥かに遠く、科学理論は暫定的である。
仮説を立て暗中模索して、試行錯誤を繰り返しながら、発展するしかない。
それ故にすべて事象を、現在の自然科学で断定することはできないが、
未来に自然科学によって、解明できる可能性は忘れてはならないよ。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < もうずっと人大杉w
哲学板に移ってきやがったか…。
968 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/08(木) 05:17:17 ID:ZFIMVUgk
重掲462で読者からのメールを転載しているけども、副島の世界観の代弁者だと評価して、
自己と一致していると見なしているからである。この言明を副島の価値観と同一だと見なして、考察してみよう。
副島と支持者の、文学的解釈思想と感情至上主義について述べてみたいが、その前におさらいしておこう。
始め、哲学は真実についての探究であったのに、実は真実性を放棄する方向へ発展してきた経緯がある。
本質存在を認識する行為として、意識に表れた象のことを、現象としている。そして存在は、
存在者の存在として存在するしかなく、現実存在としての実存が、いつのまにか意識に表れた現象しての意味しか無く、
もはや哲学においては、現象、存在、実存、という言葉が、現実と空想との区別無く
使用されている事実に、留意しなければいけない。
観念的主観主義が主流となり、ここに至って哲学は、真実性の保証を放棄することを前提として、構築されているのである。
観念的主観主義が流行するのは、脳科学が基礎を与えているからである。
ペンフィールドが生きている人間の脳に、頭蓋骨を開けて直接電極を刺し、様々な実験をした結果、
電極からの人為的な刺激、錯覚でしかないのに、人は実感を持って実存を体験した。
ヒラリーパトナムが、身体から脳だけを取り出して、培養液で満たされた水槽の中に脳を入れても、
その脳は外界と自己を区別できず、実感を伴った意識も実在性を保証できない、と問題提起したが、
ニューロンが現実存在を作り出すことを確認し、実存が電気的な単なる脳内活動にすぎないことを確認したのである。
そして実感を持った感覚や心や意識も、細胞の電気活動に由来することを、人体の真実として理解したのだ。
副島は、数学は脳の産物にすぎないというが、それならば心や意識も、単なる脳の産物だと認めなければならないだろう。
近代科学が人を物扱いしている、という感情的な反発は、文学的解釈によった幻想であって、
事象の実在を認知したくないという、無根拠な感情的抵抗でしか無く、科学に反発する理由は、
「真実を直視したら幻想から覚める」「夢を壊されると虚無主義になる」というだけだある。
覚醒を拒み、現実逃避し幻想の継続を望んでいるのは、文学趣味の感情至上主義者の方なのだ。
科学は実在を明らかにすることに喜びがあり、このワクワク感がある限り、科学は虚無主義とはならないが、
幻想の世界内の存在でしかない副島派は、感情的反発をするだけで、現実を告げられることを拒んでいるだけなのだ。
彼らが望んでいるのは真実ではなく、幻想だけなのだ。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧
( ・∀・) < 。
副島は数学が脳の産物にすぎないと言うが、数学の記述形式は人間の発案であったとしても、
自然法則それ自体は、人体の外に実在している。この事実を忘却して文学的解釈で世界を理解しようとするが、
人間が実感を持った感覚や体験的認識、観念的思惟から得られる現象は、とても狭く特殊な世界観しか得られず、
全体の一部しか知覚できないことを理解していない。文学的見地からの感覚的知見は、
理性による科学的認識より、遥かに認知領域が狭いのだ。
例えば、人間が感覚だけに頼っていたら、光も可視光線しか理解できなかったろう。
文学的思惟では、目に見えない電磁波が可視光線の両側に、実在していることを認識できなかったろう。
数学も脳の産物にすぎないという副島が、相対論を否定する一方で、量子論を認めているのは不可解だ。
そもそも、相対論を含めた物理学は古典物理であって、量子論以降を現代物理とするが、
今回は、コペンハーゲン解釈に従って、量子力学を例示しながら数学と物質について述べてみよう。
二重スリット実験が示すのは、物質である電子が波と粒の二面性を持ち、かつ、
一つの物質が複数の場に同時に存在する、という結果であった。
ここでいう波とは物質の振動のことではなく、確率の波つまり数学の波であるが、この確率の波と干渉していると考える。
そして、これを比喩的表現や言葉遊びではなく、物質は確率こそが存在であり、物質が数学に「相転移」して、
実在を持った物性として数学存在に還元され、これを実験によって確認した、と解釈したとき量子論に活が入り、
古典物理で説明困難だった事象が解明され、多大の恩恵をもたらした。そして科学思想に革命が起き、
諸科学の基礎を与える近代科学へと発展したのである。
もちろん、シュレーディンガーの猫はパラドクスであり、量子力学は観測問題など未解決の部分があるとはいえ、
道具主義に徹して使用すれば、優れた実用性を認めることができる。
ここで問われているのは、物質とは何かである。素粒子が二重性を持って多重存在するのは、
数学の確率こそが存在である、という言明であって、波動関数の持つ物性は宇宙の果てまで届くのだ、という言明である。
副島一派にできることと言えば、実体を伴わない空疎な言葉、感情に訴える言葉を無根拠に羅列するだけだが、
文学趣味の浪花節思考では、認識領域が狭すぎるだろう。副島派は知の奈落に落ち思考停止しする、
夢想世界内の存在となり、副島は堕落した知の暗黒の坩堝へ人を導く者なのだ。
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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( ・∀・) < 。
(つ旦と)
と_)_)
お前投稿やめるかコテハンつけろ。非表示にするから。