アメリカの最大の悪事と汚点

このエントリーをはてなブックマークに追加
557名無しさん@お腹いっぱい。
ルーズベルト大統領(当時)の主席補佐官ウイリアム・レーヒー提督は、開戦後間もない
昭和十七年(1942年)一月に出した覚え書きの中で

日本の野蛮人と戦う際は、かつて戦争ルールとして認められていたことを全て放棄しな
ければならい。

という当時米国内で言われていた言葉を引用しました。


トルーマン米大統領はポツダムにおける対日戦争終結のための会議に出席中に
原爆実験成功を知り、それを日本に対して使用することを直ちに決断しましたが、
その際の日記に

このことは遺憾であるが必要なことなのだ。なぜなら日本人は野蛮人であり、無慈悲、
残酷、狂信的だから

と記していました。相手を野蛮人と見なせば、又そういう理由にすれば
何をしても許されるという、人種差別、蔑視、偏見に基づく一方的な考え方でした。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/genbaku-1.htm
558名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 19:54:34 ID:O0/gNKIV
『オレンジ計画―アメリカの対日侵攻50年戦略』 エドワード ミラー
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4105284010/503-5820896-0529509?v=glance&n=465392
559名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 20:59:39 ID:cF5fp2Ll
サン・クリークの虐殺(1864年11月29日)における証言
「増補 米国先住民の歴史」
インディアンと呼ばれた人びとの苦難・抵抗・希望より引用

ジェームズ・D・コナー大尉の証言

「われわれがインディアンの宿営地の見える地点に着いたのは、11月29日の夜明けで
した。シビングトン大佐が攻撃を命じ、命令は実行されました。大佐の連隊は約1000人
でした。インディアンの村には100から130のテントがあり、私の見るところ、500人から
600人のインディアンがいて、その大半は女と子供でした。翌日現場に行ってみますと、
男、女、子供の死体は、どれもこれもみな頭の皮をはがされていました。死体の多くは、
これ以上むごたらしくはできないほど切り刻まれ、男女、子供の見境なしに生殖器が切り
とられていました。兵士の一人が、自分は女の生殖器を切りとって、棒に突きさしてみん
なに見せてまわったといっているのを私は聞きました。・・・・・・・私の知っている限りでは、
こうした残虐行為はJ・M・シビングトン大佐もご承知の上でなされたものですし、大佐が
残虐行為を押しとどめようとしたとは聞いておりません。次のようなことも耳にしました。
生後数ヶ月の赤ん坊が馬車のまぐさ桶に投げこまれ、そのまま引いていかれ地面に放り
だされて死んだそうですし、兵士たちが女性の生殖器を切りとり、鞍の全部においたり、
帽子の上に乗せたりして行軍したなどの話はいくつも聞きました。」
http://www.aritearu.com/Influence/Native/Nativeword/GhostDance.htm#1
560名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 21:01:20 ID:cF5fp2Ll
これが手始めとなり、その後の太平洋各地での戦場からベトナム戦争に至るまで、
米軍兵士による敵の遺体を冒涜する行為は、各地で続けられましたが、いずれも
人種的偏見、蔑視に基づく行為でした。
(その一)
ルーズベルト大統領の息子で海兵隊大尉のジェームズ・ルーズベルトも加わっていた
カールソン襲撃隊は、戦死した日本兵の死体を切り刻み、男根と睾丸とを日本兵の
口中に詰め込んだ。

日本兵を自分達と同じ人間とは見なさない連合国兵士による、死体や死にかけた
日本兵から金歯、耳、骨、頭皮、頭蓋骨などを収集し、戦果の証とする堕落した行為が
広く行われていたことも、米国民の間で戦時中からよく知られていた。

(その六)
ベトナム戦争においてもかなりの数のアメリカ軍兵士がベトナム人の頭蓋骨を収集して
いたが、アジア人がアメリカ人兵士の死体に対してこのようなことをすれば、アメリカでは
どんな反応が起きるかは、考えてみる価値があるだろう。
(米英にとっての太平洋戦争、下巻)
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/genbaku-1a.htm