米軍が最前線に慰安婦を騙して強制的に移送した実例
「仁川上陸作戦直前、博多キャンプにメイドとして勤務していた証言者は、飯塚京子
ら仲間のメイド七人とともに労務担当の中尉から「将校宿舎のメイドが足りず出動部隊
が困っている。朝鮮人メイドが見つかるまで手伝ってほしい、戦争はクリスマスまでに
終わる。ペイは三倍だ」と朝鮮行きを求められ、高級の魅力、断って解雇される不安の
ため、決心した。
秘密保持のためとして当日はキャンプに足止めされ、翌日、板付空軍基地からダグラス
輸送機で佐世保海軍基地へ、そこからLST輸送船で朝鮮へと出航した。船中で不安と
なった女性たちが日本に帰りたいと泣き出したところ、米兵は怒鳴りつけ嘲笑した。
船中から米兵は性的虐待に及んだ。仁川に上陸した米兵は俄かづくりのRRセンターに
彼女たちを収容した。そこに横田基地からのメイド一二人もだまされて連行されてきた。仁川の
朝鮮人女性たちも連れてこられていた。
米軍部隊のソウル侵攻にあたり朝鮮人女性はそのまま仁川に残され、日本女性は部隊に随行する
ように強制された。横田からきた女性二人は脱走しようとしてMPに拳銃で撃たれ、無残な死に
方をした。博多からきた女性八人は第七海兵隊第三連隊の「慰安婦」として夜も昼も虐待されて
いたがソウル攻撃の最中に三人が砲弾を浴びて死亡した(以下省略)」
「女性・戦争・人権」第二号「藤目ゆき」