『戦後五十年日本の死角 十大謀略を読み切る』 宇野正美/著
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/19459832 P76
そのシオニスト・ユダヤが、実はナチス・ドイツと関係していたのである。
悪名高きナチ親衛隊で、ユダヤ人問題を担当したアイヒマンを例に取り上げよう。
アイヒマンはあるとき中東を訪れている。彼を中東、すなわちのちのイスラエルが建国される
パレスチナに案内したのはシオニスト・ユダヤ人たちだったのである。
シオニスト・ユダヤの首脳部とアイヒマンは密接につながっていた。彼らはイスラエル建国を
果たしたいがゆえに、パレスチナの地に大勢のユダヤ人たちをどうしても必要としていたので
ある。ナチス・ドイツがユダヤ人を迫害すればするほど、シオニスト・ユダヤにとってはありがた
いことだった。彼らはその受け入れ先として、のちのイスラエルの地すなわちパレスチナを
定義したのだ。
アイヒマンはユダヤ人を送りつけるための下見にパレスチナを訪問したのであった。
「ニュー・アメリカン・ビュー」誌(1994年11月15日号)のロシア情報では、その歴史的事実の
裏づけが述べられている。 《続く》
>>98 《続き》
「シオニスト・ユダヤは亡命に関することだけではなく、諜報活動の面でもナチス・ドイツと協力
していた。
1937年2月末、パレスチナにおけるユダヤ人武装集団ハガナの代表、ファイフェル・ポルケス
がベルリンを訪れた。彼はドイツでもっとも有名なユダヤ問題専門家であるアドルフ・アイヒマン
と会った。その話し合いの中で、ポルケスはドイツにいるユダヤ人のパレスチナへの亡命を
促進するようにと依頼し、その全費用はできるだけ早くドイツ側に支払うことを約束した。そして
さらにアイヒマンをパレスチナに招待したのであった。
シオニスト団体の中でも超過激派の『レヒ』もナチス・ドイツと密接な関係にあった。その組織
のリーダーの一人がのちにイスラエル首相となるイツハク・シャミルだったのである。イギリス
諜報機関は、戦争中にシャミルが駐トルコ・ドイツ大使館に宛てた手紙を横取りして読んだ。
その手紙の内容は、シオニスト・ユダヤとナチス・ドイツの考え方は同じである。だから両者は
協力していかざるをえない、というものであった。
シャミルのほかにも、イスラエル首相であったベン・グリオン、モセ・シャレット、メナヘム・
ベギン、レビ・エシコルたちもナチスと協力した。たとえばドイツ軍諜報局のカナリス局長の
命令で、ベギンがエルサレムのキング・デービッド・ホテルを爆破したことは周知の事実で
ある。(これによって多くのイギリス将校が死傷した)。
第二次世界大戦後、イスラエルの諜報機関は戦争中のナチス・ドイツとの汚ない取引の
証拠を隠滅しようと、多くの目撃者を殺害した。スウェーデンのフォルケ・ベルナドット伯爵は、
ヒムラーやシェレンベルグとシオニスト・ユダヤたちの会談に参加し、そのことを日記に記して
いた。しかし伯爵がその日記を発表しようとしたので、その前に彼らはイスラエルの『STERIV』
組織のテロリストによって殺害された。
このような例は少なくない。しかしナチス・ドイツと協力したユダヤ人でその事実に口をつぐん
でいる者たちは生き残り、イスラエルにおいて高いポストに就いている」
『ユダヤと闘って世界が見えた―白人支配の崩壊と「二つのユダヤ人」』
宇野正美【著】 (光文社)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9930100970 P167
ユダヤの暗い過去、ナチス・ドイツとの裏取引
(前略)
簡単に言えばナチス・ドイツがアシュケナジー・ユダヤのうち年老いた者、病気の者、子供
などを殺してくれれば殺してくれるほどイスラエル建国は可能になると、シオニストの指導者
たちは考えていた。彼らはそのために裏取引をした。
その取引とは、自分たちにとって無益なユダヤ人を差し出し、献身的にシオニストとなった
アシュケナジー・ユダヤ人たち、イスラエル建国のための労働力になると申し出たものたちを
受け取るというものであった。
シャミルといえば長期にわたってイスラエルの首相を務めた人物である。このシャミルこそ、
ナチス・ドイツと裏取引をしていた人物だということは、イスラエルの歴史家には既知の事実
である。
1989年3月7日付の「エルサレム・ポスト」が、このタブーを真正面から取り上げた。
シャミルがイスラエル建国のためにナチス・ドイツを利用しようとしていたという事実である。
アドルフ・アイヒマンは、ナチス親衛隊中佐でユダヤ人虐殺の最高責任者とまで言われて
いる。彼がイスラエルで裁判にかけられたとき、シオニスト・ユダヤのルドルフ・カストナーとの
関係を述べている。
ルドルフ・カストナーはハンガリーにいたシオニスト組織の最高幹部であった。(中略)
《続く》
>>100 《続き》
アドルフ・アイヒマンは証言した。
「カストナー博士の一番の関心は、ハンガリーのユダヤ人の中にある選ばれたグループを
イスラエルに移住させるということであった。SSにいた私たちの見解と、これらの遠大な
理想主義を持つシオニスト・ユダヤの指導者たちとの見解は、非常に似たものであった。
カストナーは自らの政治目標を成し遂げるために、何千何万の同胞を犠牲にするだろうと
私は思っていた。彼は年老いたユダヤ人、さらにはハンガリー社会に同化してしまった
ユダヤ人たちには関心がなかった。
それに対して生物学的に価値あるユダヤ人の血と言おうか、再生と重労働に耐える力を持つ
ユダヤ人たちには大きな関心を持っていた。(後略)」