>>177 (続き)
こうして1947年から52年までのあいだにこのCIA職員は、パリとウィーンの街頭で86人の少年を
狩り集めた。ホテルの部屋に少年たちを残して立ち去ったあと、ふたたび少年たちの誰とも彼が会わ
なかったのは奇妙なことに思えたに相違ないのだが、彼はこの少年たちのその後の消息を耳にする
ことはなかった。
1963年に、ワシントンのCIA本部にいるユダヤ人工作員が、この職員の以前の特技を聞き及んで
いて、自分にも少年を一人調達してくれないかともちかけた。このときまでに、非ユダヤ人である職員
はCIAの権力機構の中で長官補佐に出世していた。それで被は、そういう活動にたずさわる必要は
もうないのだといって断った。
すると、そのユダヤ人は次のようにいって、被をびっくり仰天させたのだった。
「おまえさんはすでに八六人も殺して気がとがめているんだから、あと一人ぐらい殺したって、
どうってことないじゃないか」
非ユダヤ人であるこのCIA職員が、少年たちはすべてユダヤ儀式殺人の犠牲に供されたことを知ら
なかったとは、ユダヤ人工作員には信じられないことだった。
そこで、ユダヤ人は儀式の全貌を彼に描いてみせた。ユダヤ人は最後に「まもなくはじまる過越祭の
儀式に用いる少年を入手してくれないと、おまえさんの正体を暴露してやるぞ」と脅迫した。
夕刻、自宅にもどった非ユダヤ人は、神経が完全にやられてまいってしまい、二度と回復することは
なかった。・・・・そして数カ月後、彼は自殺した。