チョンは何故非常識なのか?   

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55名無しさん@お腹いっぱい。
投稿者:bosintang (41歳/男性/在ソウル) 2002/ 9/24 13:10
メッセージ: 219 / 453
本邦初公開(かな?)
金完燮『親日派のための弁明』の未翻訳部分です。

 私は生粋の韓国人だ。でも,韓国人というものがあまりにも情けなく,えい
っと殺してしまいたいときがある。なぜ日本の蛮行は暴くのに,自分たちの
汚い利己心と低劣な鍋根性には目をつぶるのか?
 日帝時代,朝鮮に移り住んだ日本人の中には,明らかに立派な人々も多
かった。ところが,和夫一家殺害事件のように,韓国人は自分たちの間違い
を,日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し,事件を矮小化,
隠蔽しようと躍起になっている。和夫の亡骸は,釜山に大切に移葬され,
毎年,日本人の墓参りが絶えない。
以下は,和夫夫婦が死んだ日,ふだん彼から深い恩を受けていた金ソンス
君が見聞きしたことを記録した証言だ。
56名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/20 00:39 ID:KKH2j+RC
事件当時,金ソンス君も加害者だったが,殺害行為には同調しなかったそうだ。
 和夫氏は,日帝時代によく見られた,慶尚道地方の日本人地主だった。
地主とはいうものの,和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって,
乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。公務員だった和夫は,政府
の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。そのころの日本は,一種
の軍事独裁体制で,政府の命令に従わなければすぐに売国奴として排斥
されそうな雰囲気があったという。
当時,朝鮮にいた日本人地主のなかには,朝鮮人の小作人たちから,法
の規定以上の小作料を取り立てる,怪しからぬ人々もいたが,ふだんから
人情味の厚かった和夫は,小作料を収穫全体の十分の一とし,村人たちを
家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。自分たちの生活が困らな
かったので,総督府の法令にしたがって,やむをえず受け取らなければなら
ない最小限の小作料だけをとったのだった。貧しい小作人が食料がないと
泣きつけば,喜んで食べるものを分けてやったし,村で誰かの葬礼があれば,
家族総出で駆けつけ,食事の支度はもちろん,自ら慟哭して,悲しみを分か
ちあうこともあった。このように,和夫は人間への温かい愛情をもった,真の
人間だった。
57名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/20 00:40 ID:KKH2j+RC
また,和夫は近くに行き場のない孤児がいると,連れ帰って面倒を見てい
たが,その数は,一人,二人と増え,四,五年たつといつのまにか私設孤児
院規模にまで増えてしまった。けれども,和夫夫婦はこれら孤児たちを家族
のように愛し,自ら喜んで彼らの父,母を称した。和夫の家族は,ふだん,
このように朝鮮人を愛し,日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。
しかし,彼らは,日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日,自分たち
が育てた朝鮮人孤児たちにより,凄惨に殺害されたのだ。
その日,まさに万歳の声とともに,太極旗が波のように風になびきつつ,
朝鮮人の世がやって来た。神は,自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りし
たと,和夫君に嫉妬したのか?
 彼がわが子のように育て,東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に,
彼の家で教育を受け,育ち,成人した青年たちが,斧と鍬,スコップを手に,
和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は,次のように
証言している。
58名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/20 00:40 ID:KKH2j+RC
和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを,子どもたちよ。
A:チョッパリ! 日本へ失せろ,失せちまえ。
和夫:(怒ったような声で)私が,お前たちにどんな間違いをしたというんだ。
お前たち,みなが私の息子だ。私はこの家の家長であり,お前たちの親だ。
お前たちの祖国が解放されたことは,私もふだんから待ち望んできたことだ。
踊りでも踊りたい気分の日に,なんだって凶器をもって私の所に詰めかけ
たりするんだ。私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。
(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け,
育ててきた結果は,つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということ
なのか。お前たちが望むなら,帰ってやるわ。
A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら,おれ
たちはどうやって食っていくんだ?)
B:死ね,チョッパリ,シッパルノマ。
59名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/20 00:41 ID:KKH2j+RC
間髪入れず鍬が,和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に,数多くの
スコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。このとき,和夫の妻が
我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは,和夫の妻を見て,
彼女の長い髪をつかみ,庭の奥まったところに引きずっていった。そして
なんと13人がかりで,ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えてい
た彼女を,強姦しはじめた。(金ソンス君は,この期に及んで自分が止めに
入ったら,自分も殺されただろうと言った)。強姦に耐えられなかった彼女は,
行為の途中で死亡し,Dは,ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を
滅多刺しにするだけでは足りず,内臓をひきずり出して,まき散らした。
60名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/20 00:44 ID:ffWDvrjX
和夫には,一人の幼い娘がいた。
ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは,放課後,家に帰ってきて,両親
の身に起こった惨状を見,気が触れてしまった。ヒミコが何日間も慟哭する
声に,近隣住民たちは眠れなかったそうだ。その後,孤児になったヒミコは,
食べ物を乞おうと,その付近をさまよったが,朝鮮人は誰一人彼女に目も
くれず,知らないふりをした。結局,彼女は9日後,村の橋の下でやせ衰え
た死体となって発見された。当時,ヒミコは小学校6年生の幼子だった。
和夫の財産は,勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり
渡り,この事件は村人たちの沈黙の中,しだいに忘れられて行った。
61名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/20 00:45 ID:ffWDvrjX
 この文章は,ある読者からの手紙にあったものだが,冒頭,韓国人が
反省し作成したものと書かれているものの,
「和夫君」,「和夫さん」などの日本的な呼び方が混じっており,
最後の部分に朝鮮人に対する軽蔑に満ちた文章(削除した)が含まれ
ていたことなどを勘案すれば,韓国語ができる日本人が書いたものでは
ないかと思う。いずれにせよ,この事件について聞いたことがあるという
韓国人も多いことを見れば,実際に釜山地方で発生した事件のようであり,
また韓国による植民地被害の主張に対する,日本人の対抗論理をかい
まみることのできる珍しい例として,決して重みが失われない文だといえよう。
62名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/20 00:45 ID:ffWDvrjX
振り返って考えてみれば,日本の敗戦後朝鮮半島では,このような殺害
劇がたくさん発生しただろうと思われる。日本の無条件降伏以後,北韓地域
にはソ連軍がすばやく進駐し,軍政を敷いたが,南韓に米軍が上陸したのは
9月中旬だった。したがって,約1カ月程度,南韓地域には無政府状態が
続いた期間があった。韓半島には,さまざまな理由で日本人とそれに加担
した者たちに恨みを抱く朝鮮人たちが多かったろうし,彼らは日本人を殺し,
財産を強奪し,日本女性を強姦しただろうと思われる。
 そして,朝鮮人たちが8月15日,日本の降伏を喜んだいちばん大きな理由は,
おそらく,日本の一部として敗戦国の暗澹たる未来をともにするのが嫌だった
ためではなかろうか。日本統治の最後の期間,特に大東亜戦争が始まった,
最後の4年間は,日本人はもちろん,日本の統治を受けていた地域の住民
たちも,大きな苦痛に見舞われた時期だ。それゆえ,朝鮮人たちにとって
8月15日は,忌まわしい戦争の苦痛から脱することのできたという点で,
また日本人たちを殺し,財産を奪える機会が与えられたという点で,とても
喜ばしいことだっただろう。
63名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/20 00:46 ID:ffWDvrjX
問題は,韓国社会において,朝鮮人によってほしいままにされたこのような
虐殺と残酷な行為はまったく知られておらず,また調査されたこともなく,
われわれが受けた被害だけは,繰り返し強調されているという点だ。
そして日帝統治の期間に受けたとされる被害なるものも,事実よりずっと
膨らまされているだろうことは,容易に想像がつく。
 朝鮮は日本の統治を受け,未開な農業社会から短期間に資本主義工業国
へ発展し,高い生活水準を享受してきた。しかし,日本が戦争に負けるや
いなや,素知らぬ顔で,まるで自分たちが戦勝国にでもなったかのごとく,
日本を呪詛し,彼らの財産を奪い,虐殺した行為は,明らかに人倫に悖る
犯罪行為にほかならない。このようにして日本人をすべて追放したあと,
南韓国と北韓国の政府は,強奪した日本人の土地と工場を「敵産」と呼び,
堂々と山分けした。
64名無しさん@お腹いっぱい。:02/10/20 00:46 ID:ffWDvrjX
もし日本が戦争で勝利したり,少なくとも領土を保全され,休戦にでも
なったなら,はたして朝鮮人たちはこのように振る舞えただろうか。
おそらく,前よりもっと自発的に日本人であることを主張しつつ,忠誠を尽
くしただろう。ところが,戦争に負け,くっついていても別にいいことがないと
判断した瞬間,彼らは態度を急変させ,日本に仇として接し始めたのだ。


金完燮『親日派のための弁明』の未翻訳部分
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