322 :
タクアン ◆jGWD0WcBiw :
結局、宗教はその経典の原理を究極の物として、
その先へ進む事を禁忌とするから
進歩よりも、かなり保守側になるわけだ。
それゆえに、時代の流れに取り残される事がままある。
しかし、「人間は自分を律して、尊くあらねばならぬ……」と倫理を作り出すのはやはり「聖」の概念だな。
「聖」(戒律、原理)に寄り過ぎてたのがタリバンで、
「俗」(自由、合理)に寄り過ぎてるのがアメリカなわけだ。
無論、日本も俗にかなり寄っている。
「人間は戒律を持って、尊くあらねばならぬ」という「聖」を支えるのは
日本人の場合「お天道様が見ているから悪い事をしてはいけない。まじめに働かないといけない」という道徳だった。
この勤勉さのおかげで日本は経済大国になったわけだが…
今は完全に失われてるよな……
政教分離なんて捨てて、「教師は聖職」として
道徳教育を取り戻す必要があるんじゃなかろーか…
323 :
タクアン ◆jGWD0WcBiw :03/03/10 23:28 ID:GnAhdmcv
あと、根本的に、宗教は争いや殺生を禁忌としてる事が多いね。
この部分が、やはり「生きる事(争う事)の罪から逃れたい」と思う弱い人間を惹きつける最大のポイントだろうな。
そして、「戒律(教科書)に従ってさえいれば、自分は尊くなる」と、逃避する。
本当は「その罪を背負って、その上で生き続ける、尊い人間を目指して坂を登り続ける」事が出来なきゃならんのだが……
全ての人間がそこまで強くなれるわけじゃない…
全ての人間が哲学者になれるわけじゃない……
強い人になれない、弱い人をどう救うか……それが宗教の始まりなんだと思う。