619 :
コピペ@急進的外人原理主義者 ◆CByzlSeA0w :
OK!
| Title:捕鯨問題に関する国内世論の喚起
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| 実施企業 日本捕鯨協会
| PR会社 国際ピーアール(株)
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| ◆はじめに
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| 捕鯨問題が国際論争の的になってから久しい。だが、捕鯨国と反捕鯨国
| との対立は、一層烈しさを見せるばかりだ。まさに“クジラ戦争”といっ
| てよい。ひとつの野生生物の捕殺をめぐって、関係国がこれほど烈しく対
| 立したのは、史上にかつて例を見ないのではないだろうか。
|
| “クジラ戦争”がなぜほのように激化したのか。それは、その背景に深
| 刻な問題が複雑にからみあっているからだ。資源問題以外に、政治、外交
| 上の陰謀、環境問題、人種偏見、さらには人類がクジラを捕殺することの
| 倫理性という、宗教的な面まではいり込んでいるのである。
| 強大な反捕鯨勢力、圧倒的な反捕鯨の国際世論を相手に、日本は孤立気
| 味であり、形勢は悪い。しかし日本は、捕鯨を自ら放棄する考えはない。
| 捕鯨の維持、存続を、政府は国会で明確に表明し、業界は徹底抗戦の決意
| を固めている。
|
| わが国の外交、通商問題の観点から見ると、捕鯨の継続はデメリットと
| いえるかも知れない。それにも拘らず、政府が捕鯨の維持、存続の方針を
| 買えないのはなぜか。その大きなバックボーンとなっているのが、強固な
| 国内世論である。“クジラ戦争”が激化するにつれて、「捕鯨中止の理由
| は筋が通らない。不当な圧力をはねのけて、日本人の伝統的な食習慣を守
| れ」との主張は強まる一方である。
|
| 本稿においては、捕鯨存続のための国内世論をいかにして[8文字判読
| 不能]について述べてみたい。
620 :
コピペ@急進的外人原理主義者 ◆CByzlSeA0w :03/02/26 04:06 ID:IO7ePcWN
| ◆荒海への出航――PR活動の開始
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| 捕鯨論争が火を噴いたのは、1972年5月、ストックホルムで開かれた国
| 連人間環境会議において、商業捕鯨の十年間モラトリアム(停止)が採択
| されてからだ。
|
| (ここに反捕鯨運動の展開についての説明。略)
|
| ・・・・・・・・だが、欧米の反捕鯨の嵐を手をこまねいて見ていると、そのうち
| IWCでのモラトリアム採択が実現するかもしれないという不安が深まっ
| たのである。
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| 1974年1月、日本捕鯨協会内に、プロジェクト・チームが置かれた。「
| 捕鯨問題対策協議会」という名のもとに、大洋漁業、日本水産、極洋三社
| の各捕鯨部から一人づつ、それに日本捕鯨、日東捕鯨からそれぞれ一人、
| 合わせて五人のメンバーが加わった。
|
| 国際PRが起用されたのは同年3月であった。これより1カ月前に、国
| 際PR・カナダの社長、ディーン・ミラーから、東京に手紙が届いていた。
| グリーンピースの動きを伝え、効果的なPR活動の必要性を指摘した内容
| だった。われわれはこれを参考にPRプロポーザルを作成、「捕鯨問題対
| 策協議会」に提出した。これが先方のニーズとぴたり合、契約締結となっ
| た。捕鯨については孤立無縁の日本の主張を背負い、国際世論の荒海へ出
| 航したのである。
621 :
コピペ@急進的外人原理主義者 ◆CByzlSeA0w :03/02/26 04:06 ID:IO7ePcWN
| ◆海外PR成功せず
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| われわれがまず実施したのは、IWC加盟国における捕鯨問題の実状調
| 査であった。国際PRの海外ネットワークを通事、ソビエトを除く13カ国
| の実状把握にあたった。
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| 調査ポイントは、(イ) 各国政府の捕鯨に対する方針、(ロ) 反捕鯨グルー
| プの動きと狙い、(ハ) マスコミ、オピニオンリーダオの考え、(ニ) 日本側
| のアプローチの可能性――などが中心。
|
| 3〜4週間後に各国から届いた調査レポートを検討の結果、米国、カナ
| ダ、英国の3カ国でPR活動を開始することになった。
|
| 3カ国におけるPR活動の要点は次のとおり。
|
| 1.PR活動のねらい
|
| 捕鯨の実体並びに日本人とクジラの古い深い関係を認識させ、中立的
| なオピニオンを醸成、それぞれの政府の捕鯨政策に反映させる。
622 :
コピペ@急進的外人原理主義者 ◆CByzlSeA0w :03/02/26 04:07 ID:IO7ePcWN
| 2.訴求ポイント
|
| (ア) クジラ資源はふえている
| クジラ資源が絶滅に向かっているということは誤解。1960年代から
| IWCが採用した科学的資源管理方式により、捕鯨枠は毎年の増加
| 量以下に抑えられている。シロナガス、ザトウ、ナガスなど、資源
| 状態の悪い鯨種はすでにモラトリアム措置が取られている。現状の
| まま捕鯨を続けても、全鯨種の資源はふえこそすれ、減少に向かう
| ことはない。
|
| (イ) クジラは日本の蛋白源
| 日本人は1500年も前からクジラを貴重な蛋白現として食用にしてき
| た。この点は欧米の捕鯨が油だけを目的としていたのと違う。現在
| は鯨肉の摂取量は少なくなったが、畜産国ではない日本にとって依
| 然として重要な動物蛋白食糧である。とくに学校給食や低所得層に
| とっては、貴重な蛋白源である。
|
| (ウ) 尊重すべき他民族の食習慣
| 民族の嗜好、食習慣は気候風土、国土環境、宗教など、その民族の
| 生存基盤から自然に形勢されたものだ。インド人は牛を神聖化し、
| 回教国の人々は豚肉をタブー視して食用にしない。日本人は仏教の
| 思想から四つ足動物を食べない時代があったが、クジラは海の幸の
| ひとつとして食べてきた。それぞれの民族の食習慣は固有の文化と
| もいうべきもので、相互に尊重すべきである。
623 :
コピペ@急進的外人原理主義者 ◆CByzlSeA0w :03/02/26 04:16 ID:SKvL4Dxf
| ◆PR活動の対象者
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| 政府関係者、関係国会議員、プレス関係者(エディタ、コラムニスト)、
| オピニオン・リーダーを主な対象者とし、反捕鯨団体へはアプローチしな
| い。
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| ◆展開方法
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| (PRの具体的方法についての説明。略)
|
| 結果はどうであったか。投入した活動量に比べ、収穫できた果実は微々
| たるものだった。わずかに情報収集面で、日本政府や業界が評価するもの
| があっただけで、中立的な世論を醸成することなどは、まったく不可能で
| あった。反捕鯨思想は感情的なものではあるが、事実を指摘すれば少しは
| 緩和するのでは・・・・・・という考えは甘かった。ポジション・ペーパーなど
| の資料に目を通した人の中には、事実を認識した人がいたかもしれない。
| だが、これらの人たちの声を健在化させることはできなかった。
|
| (失敗の具体例の説明。略)
624 :
コピペ@急進的外人原理主義者 ◆CByzlSeA0w :03/02/26 04:18 ID:SKvL4Dxf
| ◆国内PRに全力投入
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| (その後、共同捕鯨の設立に至る経過と、PR母体の移動などについての
| 説明。略)
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| 日本の捕鯨の維持、存続を計るために、どのようなPR活動が有効か。
| クライアントの担当者と検討した項目の中で、全員が再優先の印をつけた
| のが、国内の世論固めだった。
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| ふたつの戦術を練った。ひとつは論説委員対策、もうひとつはオピニオ
| ン・リーダーのグループ化である。
|
| 一般紙論説委員とは、海外PRを開始した時点からコンタクトは続けて
| いたが、密ではなかった。平均的な論調は「自然造かの範囲内で秩序正し
| い捕鯨を」というものだった。軍配は一応日本の主張にあげるが、捕鯨の
| 存続に積極的な支持を示すというものではなかった。この論調を「日本に
| とって捕鯨は必要」という方向にリードする必要があった。
625 :
コピペ@急進的外人原理主義者 ◆CByzlSeA0w :03/02/26 04:19 ID:SKvL4Dxf
| 農林水産担当の論説委員は捕鯨の実体や資源管理の実状には明るい。I
| WCが厳しい資源診断のもとに、増加頭数以下の捕鯨枠を決めている点や、
| 資源減少の恐れがないのに、日本が捕鯨をやめる理由はない点を訴えたと
| ころで、全面的な同意は得られなかった。一般の日本人が日常口にするこ
| とのなくなった鯨肉を、国をあげてまで守る必要があるのか、という疑問
| が浮かぶのだろう。
|
| 論説委員のほとんどが積極支持に傾いたのは、捕鯨問題の背後にひそむ
| 陰謀ともいうべき事実を指摘したときからだった。
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| (以下、ストックホルム会議で捕鯨問題が扱われた理由として、核廃棄物
| 問題から目を反らさせるための陰謀・人種偏見に基づくもの、なる謀略
| 史観に基づく説を列挙。略)
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| [そ]れ以降、各紙の社説が日本の立場を強く支持する内容に変わって
| きた。
|
| (以下、各紙の記事の紹介。略)
626 :
コピペ@急進的外人原理主義者 ◆CByzlSeA0w :03/02/26 04:19 ID:SKvL4Dxf
| ◆[機]能を発揮した「捕鯨懇」
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| 論説委員対策と並行して、われわれはオピニオン・リーダーのグループ
| 化をすすめた。そのねらいは、捕鯨の重要性について、国内世論を喚起す
| るための核をつくることだった。
|
| 名称は当初、「日本の捕鯨を守る会」という案を考えたが、いかにも業
| 界のお先棒をかつぐという印象を与えるため、「捕鯨問題懇談会」とした。
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| 「捕鯨懇」の設立趣意書には一応次のような目的をうたった。「国際的
| 論争となっている捕鯨問題について、客観的立場から検討し、解決に資す
| る意見を出す」――。しかし、これはあくまで建前であり、本音は、捕鯨
| のシンパサイザーを発掘し、養成することであった。
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| 果してどれだけの人の賛同を得られるか。不安はあったが、ともかく当
| たってみることにした。行動を開始したのは77年の年明け早々であった。
| 1〜2月にかけて、作家、文化人、学者を対象に約30人の著名人とコンタ
| クトした。
627 :
コピペ@急進的外人原理主義者 ◆CByzlSeA0w :03/02/26 04:19 ID:SKvL4Dxf
| 反応は良好だった。ほとんどの人が反捕鯨の主張に疑問を抱いていたの
| である。もちろん日本の捕鯨に否定的な考えを漏っている人もいた。「反
| 捕鯨団体の主張を入れて、いったん中止してみたらどうか」「獲るだけで
| なく養殖技術の開発を研究すべき」などの意見がそうだ。
|
| 結局、次の15人が捕鯨懇のメンバーとなることに同意した。これらの人
| 々に共通していた点は、当然のことではあるが、大の鯨肉愛好家というこ
| とであった。
|
| 秋山庄太郎(写真家)、阿刀田高(作家)、宇田道隆(水産学者)、岡
| 部冬彦(漫画家)、影山裕子(総理府婦人問題企画推進本部・参与)、
| 木本正次(作家)、清宮竜(政治評論家)、小松錬平(ニュースキャス
| ター)、滝谷節雄(画家)、多田鉄之助(食味評論家)、中村武志(作
| 家)、林謙一(作家)、兵藤節郎(日本学校給食会・常務理事)、大和
| 勇三(評論家)、十返千鶴子(評論家)。
|
| 初会合は77年3月10日に開かれた。クジラ好きの人たちばかりであった
| ため、種々のクジラ料理を用意した
628 :
コピペ@急進的外人原理主義者 ◆CByzlSeA0w :03/02/26 04:20 ID:SKvL4Dxf
| 「捕鯨懇」の運営で、われわれがもっとも留意した点は、捕鯨協会の応
| 援グループではなく、自主的な、独立した機関という性格を持たせること
| であった。[そ]のため、「捕鯨懇」の結成に、もっとも熱意を示した、
| 清宮竜、大和勇三両[氏]に、代表世話人に就任してもらい、会合の座長
| を口語に務めてもらうことに[し]た。捕鯨協会と国際PRは事務局とし
| て、あくまで裏方の役目に回ったので[あ]る。
|
| (捕鯨懇の活動内容について。略)
|
| 捕鯨懇は79年11月までに7回の会合を開いた。当初、捕鯨問題に関して
| は漠然とした知識しかなかった各メンバーは、いまやこの問題の専門家で
| ある。そして、結成以来3年間で、重要な機能を発揮するようになった。
|
| (以下略)
| (文責・国際ピーアール(株))