1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/23 16:21 ID:eiUJe2dM
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/23 18:21 ID:T0fX.0w2
86歳じゃ戦争終わる頃には死んでるような・・・
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/25 01:59 ID:V4.FMAp.
1933年即位の王が未だ健在ってのに驚き。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/25 17:00 ID:PqwU47cg
>亡命中のアフガン元国王が暫定政権樹立を宣言
>亡命中のアフガニスタンのザヒル・シャー元国王はブッシュ米大統領に送った親書で、
>テロリスト支援で国際的な孤立に陥ったタリバンに代わる暫定政権樹立の意欲を宣言し、
>関係各方面からの「待望論」を背に、混乱が続く同国の民主政権の担い手として名乗りを上げた。
>米政府はこれまでも元国王の活動に10万ドルの財政支援をするなど、元国王が将来の
>政権づくりの受け皿になる可能性があるとにらんできた。
>親書はテロ根絶を前面に据え、米国でなく国連の新政権作りへの関与をうたうなど
>「米国好みの内容」(米政府筋)で、「アフガニスタンの政権づくりにはタッチしない」と
>明言している米国にとっては、ちょうど良いシナリオと言える。
>米国としては新政権が失敗した際に、国連に責任を押しつけられるわけで、米国との
>非公式な接触の末の産物の可能性もある。
>アフガニスタン専門家の間では、元国王を各派統合の象徴とする民主政権樹立の
>シナリオがこれまでも有力視されてきた。1999年11月には反タリバン各派が集まった
>会議が、元国王の亡命先のローマで開かれ米政府も代表を送った。
>1973年に追放された元国王は86歳と高齢で不安感は否めず、アフガニスタンの軍閥グループを
>統治する能力を持つか不透明な部分もある。同時テロ発生の2日前に暗殺された
>マスード北部同盟司令官への注目の方が大きかった。
>一方で、各派入り乱れての内戦再発も予想されるポスト・タリバンのアフガニスタンで、政権の形を
>整えられるのは、元国王以外にいないとの見方も強い。(共同)
やっちゃいましたね、ザーヒル元国王
5 :
sage:01/09/25 17:59 ID:???
やはり立憲君主性は安定度が高い。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/25 20:11 ID:BacHbfJ6
つーか息子はおらんのか?
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/25 21:42 ID:KtZwQDAc
>>5 そりゃそうだろ。カンボジアと同じさ。
バカが銃を持つと、国が滅びます。
国をまとめるには、一般国民には無いカリスマ性が必要です。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/25 23:09 ID:Hz6AuPp2
>>6 アフマッド・シャー皇太子
ビルキス王女、同王女夫君ワリー殿下
アフガニスタンは当分の間、アフガニスタン人以外の「できる」人々に
よって治められた方がいいと思うんだけど。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/25 23:45 ID:fB.bjVFU
ザーヒル元国王はパシュトン人?
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/25 23:48 ID:Hz6AuPp2
>>10 アフガンを統一したのは支配種族ドゥッラーニ族だが王家はどうなんだろうね。
さらに言うと・・・
アフガニスタン人以外の「できる」人々というのはアメリカやイギリス
やドイツや日本や・・・今の先進国のなかの「できる」人々のこと
を指します、というか言いたかった。
元国王が在位中に国民からどういう評価を受けていたか知ってる人いますか?
教えて欲しいんですけど。
14 :
地雷機雷:01/09/26 01:40 ID:Xq36VH3k
ザーヒル元国王の進退でアフガンが変わるかも。
カンボジアの状況に似ていますね。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/26 02:11 ID:A/jFqhbw
>>13 西洋化を勧めた為、軍事クーデター。
評価はわからん。
>>15 ありがとう。
そのク−デターの首謀者が国王の甥っ子なんだよねぇ。
西欧化に国民が違和感を持ってたりとか、王族が堕落していたとかだと
元国王が戻っても新たな混乱を招くだけだと思ってね。
もうちょっと探してみるわ・・。
>>16 ダウド将軍は63年に首相を更迭されたんだよ。
翌年二院制議会を定めた新憲法により立憲君主制となる。
ソ連との関係では56年に道路、武器購入などに関する協定を締結、
陸軍、空軍はソ連製武器とソ連人顧問によって強化された。
この辺が73年7月のダウド将軍と親ソ派青年将校のクーデターに
つながると思う。
ダウド将軍が社会経済の近代化に着手し、アメリカ、イラン傾斜を深めると
またもや78年12月の人民民主党・親ソ派軍部のクーデターが起こる。
最終的にソ連はアフガン全土を占領することになる。
>>17 事実関係は追えるんだよ。その間の国民感情を知りたいんだよね。
国民感情はわからないが、そのころパキスタンのプシュト語を話す
パタン人を統一してパフトニスタンをつくろうという動きがあった。
必ずしも国王の下でまとまっていたわけではないだろう。
また参考になるかわからないが王制時代は婦人開放も行われている。
ダウド更迭後の首相は王族でも部族長でもないユースフだった。
ダウド政権は王族で固められていたことを考えるとクーデターは
必ずしも国民感情と一致していたとは想像しにくい。
ダウドはトルコのケマル・アタチュルクに憧れを持っていたらしいが
婦人解放や農地解放は主にソ連共産党が進めようとして失敗と聞いた。
女性解放→花嫁持参金の平価切り下げ→花嫁の家の主のプライドをも踏みにじる
農民と地主の階級対立を煽る農地解放→地主様の持ち物を盗む盗賊行為
場合によって殺した地主から土地を取り上げ貧農に5haずつ与えても
その先の種や水の手配など、理想?主義コミュニストには山岳地帯における
農業指導の具体的な能力が欠如
結果草の根に及ぶ事のない改革はあらゆる階層から憎悪のみを招いていった..