アメリカの教科書の中の太平洋戦争

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1名無しさん@お腹いっぱい。
http://www.isei.or.jp/japanese/America.html
History of the United States, volume 2 : Civil War to the Present
 日本の陸軍大臣東条英機は、合衆国との戦争は避けられないと考えた。
彼は、合衆国軍が行動する前に、先制攻撃を行うべきだと主張した。
1941年秋、日本は、ワシントンでの会談を続ける一方で、戦争の準備を
していた。(しかし、)アメリカの専門家が日本の暗号を解読していたと
いうことを日本人は知らなかった。合衆国は、日本の無線通信を盗聴し、
日本の戦争の準備をしていることを知っていた。しかし、来るべき攻撃の
正確な時刻と場所は不明のままだった。・・・中略・・・
・・・何年か後に、ジーン・ラロック提督はその日の朝のことを回想している。
最初、私は合衆国の陸軍空挺部隊が誤って我々を爆撃しているのかと思いました。
我々は、それほど思い上がっており、うぬぼれが強く、日本の力について無知でした。
・・・・・・彼らがいかに優秀かを理解するに長い時間がかかりました。
American Voices: A History of the United States
日本軍は、最初の6ヶ月間連戦連勝だった
・・・前略・・・
 連合国軍は、戦争の初めの6カ月間は、日本軍が見せた冷酷さに驚かされた。
日本の戦争マシンは、ドイツの電撃的集中攻撃を思い出させ、たちまちグアム、
ウェーク島、香港、タイ、マラヤ、ビルマ、シンガポール、フィリピン、
オランダ領東インドを攻略した。日本軍は、軍艦を1隻も失わずにこの
勝利を収めており、最も恐るべき敵となり得る証拠を十分に示した。
http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~jon/adv96/group1/US.html
2名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/21 09:29 ID:VLoYWJBI
そのまま日本の歴史教科書に載せてもよさそうだな。
3屁の草さ:01/09/21 10:56 ID:GFXzNH7c
小泉は、するさ。きっと。
4名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/24 23:25 ID:vsWyIyx.
http://www.fusosha.co.jp/senden/2000/030157.html P77
 日本本土上陸戦が現実になりつつあったこの頃、米軍は戦略の練り直しを
迫られていた。 中国大陸での日本と中国の戦闘を無視し、太平洋の島づたい
に北上する飛び石作戦は 順調に進んでいたのだが、死傷者の数は欧州戦線に
比べてかなり多かったのである。 米国防省の記録では、欧州方面での戦死者
が十三万五千人であったのに対し、太平洋方面は十七万人を超えていた。
 いずれは本土上陸を決断しなければならない米総合参謀本部は、激しい
抵抗を 少しでも弱める必要から、OWIなど政府機関に対し天皇への攻撃
的言動を禁じていた。 同時にこの頃から、ソ連軍参戦による上陸作戦の負担減、
および早期の日本降伏の 可能性を探る考えが芽生えつつあったのである。
 ソ連の対日参戦と日本の早期降伏という二つのアイデアはその後、
ルーズベルトの掲げた無条件降伏についての解釈に加え、スターリンや
蒋介石の思惑も絡んで複雑な経緯をたどっていく。
5AGEMAN:01/09/29 10:30 ID:???
必読善 !      (必要悪?)
6_:01/10/07 19:01 ID:u.b6kpHc

<中国産しいたけ>

砒素(ひそ) 2.98PPM
鉛 3.69PPM
カドミウム 1.76PPM
水銀 0.32PPM
この数字は、<中国産しいたけ>から検出された重金属です。
7_:01/10/07 19:30 ID:u.b6kpHc

8_:01/10/07 20:56 ID:pEZ7dyto
9名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/07 21:08 ID:???
日本は自衛戦争だったのです。
欧州のユダヤの命と引き換えに、沢山の日本人、米国軍人も17万人も超えていたそうです。
すべてユダヤを救う為に。

歴史は正しい扶桑社の教科書を採用しましょう。
10_:01/10/14 11:04 ID:CGobkYmd
>>9
偉大な祖先にアゲ
11名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/14 13:10 ID:dmCA7FYH
>9
扶桑社のどこが正しいわけ?偏りすぎなんじゃない?
12名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/14 13:29 ID:???
日本書籍の教科書は中国政府の意向で作ったようです。
なぜ、文部科学省が認めたか不思議です。
こっちは偏りでは片付けられない大問題ですね。
13そのアメリカの教科書だけどさ:01/10/14 14:37 ID:WC+8Dx17
>>1
南京事件とか原爆を落とさねばならなかった経緯については、どう説明してあんの?
そのまま日本の歴史教科書に載せてもよさそうだな。(藁)
14名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/14 14:38 ID:V6hyfDOg
>>11
朝日新聞もまた左に偏っている。
中道なメディアなぞ存在しないという理解すらしていないのか?(藁
15名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/14 14:40 ID:???
朝日新聞はありゃ宗教だろう
16名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/14 14:47 ID:???
>>15
禿げ同!
17ponta:01/10/14 14:56 ID:16jbj/Ke
テスト
18名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/14 23:26 ID:QB3NsIcB
>朝日新聞はありゃ宗教だろう

確かに煽動的な面もあるが,いい記事も沢山出してる。
朝日文庫でも「ノモンハン」はおすすめ。
19名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/14 23:55 ID:tjA9Gqt1
そもそも、他国の者が教科書云々、ウザイんだよ。
でも、言うならどの国も同等に発言しろ。
中国の教科書の事は皆知っているよな。
対等な友好条約なら、日本もビシバシ言え!
20名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/14 23:58 ID:KAgVm44b
>>19
たしかに、国定教科書しかない国からは、
とやかく言われたくはないな。
国定であるってコトは、国益重視の内容ってコトでもあるし。
21名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/15 00:04 ID:???
日本の教科書が1>>の内容を載せた場合は抗議されます。
22名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/15 00:19 ID:Romiba9+
朝日新聞は、、、、

記者は一流。
編集委員は二流。
論説委員は三流。
23えーちゃん:01/10/15 00:25 ID:???
◆誰も知らない真珠湾攻撃に至る経緯
天皇自ら「米国との外交的和解に全力をつくせ」と政府に注文。
天皇に絶対的忠誠心を持つ東条首相はこれまでの交渉を全面的に見直し
日本が米国に譲歩出来るギリギリの条件の詰めを行なった。
10月30日に外務省に届いた野村大使からの電報内容は以下の文面だった。
「三国問題と通商問題は米国の了解が取れたので、後は仏印と支那からの撤退のみ」
そして東郷外相によって下記の内容に纏められた。
「国民政府との和平協定を結び、2年以内に支那から撤兵する。仏印からは共同防衛の必要が
消滅した時点で撤兵する」
このままだと昭和17年6、7月頃には民需用も含めた石油の備蓄がゼロになり、
戦争しようにも海軍は石油無しには戦えないので交渉決裂の時は戦争しか選択が無かった。
12月4日、東郷外相は野村大使宛てに「本交渉は最後の試みにて、わが対案は名実ともに最終案なり」と
電報を打ったが、この電報は米国に傍受されていた。
しかも日本の意図を悪く解釈した誤訳となった。後にハル国務長官は回想録に
「これの意味する事は明白だった。日本はすでに戦争の車輪を回しており、12月5日までに
我々が日本の要求に応じない場合はアメリカとの戦争も辞さない事に決めているのだ」と書いている。
米国側は通信傍受から日本が25、29日に期限を決め、それを越えたら
戦争に踏み切る事は解っていた。だが軍幹部はハルに「抵抗の準備をするために
もっと時間が必要である」と訴え、交渉を引き伸ばす必要があった。
ハルは21日に政府関係者と各国大使と会談したが中国の胡適大使が強く反対。
ルーズヴェルト大統領も和解する気はなく、日本に先に攻撃させ、アメリカが
参戦する口実を得る事にしか関心がなかった。
26日、ハルは日本との和解を諦め、スチムソン陸軍長官に、
「私の仕事は終わった。後は君達の仕事だ」と語った。
その数時間後、ハルは野村に最後通牒の別名「ハル・ノート」を手渡した。
これを受け取った日本は米国の強い戦争の意思を読み取り、一気に戦争を決断した。
24 :01/10/15 01:11 ID:???
内容に色々注文をつけたい向きもあるだろうが、
とりあえず立派な教科書使ってんな、アメリカって。
年表を書き下しにしただけな日本の歴史教科書とは質が違う。
25名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/15 01:12 ID:???
>>23
教科書に載せるべし
26それでさ:01/10/15 01:32 ID:dYo4mEUO
南京事件とか原爆を落とさねばならなかった経緯については、どう説明してあんの?
27えーちゃん:01/10/15 01:45 ID:???
◆誰も知らない太平洋戦争前夜
・幻の日米首脳会談
1941年7月28日、日本軍は南部仏印に進駐。米国は在米の日本資産を凍結し、日本への
輸出制限措置に踏み切った。米国との和解はいっそう遠退き、戦争は時間の問題だった。
8月初め、内閣書記官長の富田健治は近衛文麿首相に「もう電報のやりとりでは埒があきません。
公爵、ひとつ米国に乗り込んで、ルーズヴェルトとさしで話し合いましょう」と提案。
この時、近衛首相は迷ったが8月1日、木戸幸一内大臣から「陛下は日米関係にたいへん
御心痛あそばされており、何とか打開の方策はないのか、とお尋ねになされた」と伝えられた。
これは前日の7月31日に、永野修身軍令部総長が天皇に謁見したさいに、天皇から、
「日米戦争になった場合、海軍は米国に勝てる見込みはあるのか?」と聞かれ、
「日本海海戦の如き大勝はもちろん、勝ち得るかどうかもおぼつきません」と答えた。
天皇は大変驚き、木戸に、「海軍は米国に勝てぬと言っておる。かくなればいかなる譲歩をしても
和解の道を探らねばだめだ」と仰せになった。そこで木戸は近衛と会い、中断している
交渉を進め、米国と和解するように促した。
そして近衛首相は会談を決意し、4日の朝、富田に、「僕はルーズヴェルトと会談する事に決めたぞ。
会談場所はホノルルがいいだろう」と伝えた。
近衛は東条英機陸相と及川古志郎海相を招き、ルーズヴェルトとの会談を伝えた。
及川は賛成したが、東条は条件をつけた。
1.ルーズヴェルトではなく、ハル国務長官が会談の相手をするのでは困る。
2.会談が失敗しても内閣を投げ出さない。対米戦争を先頭にたってやるぐらいの
  気構えを持つ事。
いっぽう近衛は会談の事が世間に知れればテロや暴動が起こるかも知れないから、
伏せておくようにと述べた。
近衛はこれまでに何か思いついては、難しいと解ると引っ込めてしまう、悪い性癖があった。
そのことに東条は釘をさしたのだが、こんどは体を張ってやると断言した。
彼は内大臣の木戸幸一と連絡を取り、「どんな譲歩をしても必ず交渉を纏める。
米国から電報を打ちますから、陛下に上奏し、陛下がこれで良いとおっしゃれば
陛下の御命令で支那から軍隊を撤兵致します」と伝えた。
28えーちゃん:01/10/15 01:46 ID:???
8月6日早朝、近衛は政府・大本営会議を開き、ルーズヴェルトとの会談の
決意を披露した。この後、彼は参内して天皇に拝謁し、やはり自分の決意を披露した。
7日、米国国務省から在日大使館への外交暗号電報を傍受した海軍は、米国政府が
対日石油輸出禁止を準備している事を知った。永野軍令部総長から、これを報告された
天皇は、近衛を宮中に呼び、「ルーズヴェルト大統領との会談は速やかに行なった方が
よろしいと思うが」と伝えた。そこで近衛は閣議を開き、米国政府に会談を申し込む事に決めた。
これに基づいて豊田外相は野村大使にあてて次のような訓令を送った。
「近衛首相自らホノルルへ出張、ルーズヴェルト大統領と親しく会談いたしたきに、
ついては貴大使は右の我が方の太平洋平和保持のためにする真摯なる希望に基づくものなることを
強調し、先方の意嚮を直ちにサウンドせられたし」。
野村は8日にハル国務長官に面談し、訓令に従って首脳会談を提案した。これに対しハルは、
「私がホワイトサルファで静養している時、日本がインドシナに武力侵攻することを決定した
という報告を受けたが、それがそのとうりに実行されている。これは貴殿がこれまで述べてきた
ことと矛盾するではないか。日本の政策が変更されるのでなければ、話し合いをする必要はない」と
答えた。会見に同席したバレンタイン参事官も「武力を行使することと、太平洋の平和を維持する事
とは両立しない。日本は米国の包囲政策を云々しているが、それは見当違いも甚だしい」と言った。
野村は「米国政府の主張は日本において武力行使を止めるならば、初めて話し合いをするというにある。
その点、米国政府において決して後退するとは思われないから、我が政策に変更なき限りはもはや
話を進める余地なしという印象を得た」と言った。
29えーちゃん:01/10/15 01:48 ID:???
ルーズヴェルトはイギリスのチャーチル首相と大西洋上で会談する為にワシントンを離れていた。
有名な「大西洋憲章」が発表された会談だが、ルーズヴェルトはチャーチルに日本側の提案を見せて、
「日本の提案はどれも受け入れがたい」と述べ、「これ以上、日本に好き勝手なことを
させないために、日本に厳重な警告を与える必要がある」と言った。
またルーズヴェルトは米国政府が日本に送った逆提案を見せ、「これで日本が次の戦争を起こすのを
30日間は引き伸ばす事が出来るだろう」と漏らした。
「30日ですって?そんなに早く戦争が始まっては困る」とチャーチルが言った。
「いいや。3ヶ月間は日本をあやしておけると思うね」と、ルーズヴェルトは言い直した。
彼は日本との戦争は避けられないと考えていた。日本政府をまったく信用せず、野蛮な全体主義国家で
嘘で塗り固めていると思い込んでいた。
特に彼は少女時代を支那で過ごした母親から、支那や支那人の素晴らしさを聞いて育ち、
その支那に侵略した日本人は絶対に許さないと考えていた。
なおこの会談では、米英軍部の最高指導者達が日独伊に対する共同防衛の作戦を検討した。
彼が日本と外交交渉を続けているのは、ドイツと戦っているイギリスに対するてこ入れが
完全になるまでの時間稼ぎであった。
30名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/15 07:25 ID:bGCZaWNN
南京事件と原爆投下の記述は?
31名無しさん@お腹いっぱい。
>>30
>>1にとって具合の悪い部分の記述を転記するわけないだろ(笑)。