☆ 中東問題を簡単におしえて ☆

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1名無しさん@お腹いっぱい。
だれか簡単に教えてください。
2名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 11:21 ID:???
1948年
3名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 11:22 ID:???
簡単なわけがない…
4名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 11:24 ID:PSXz0ffQ
心配するな。ゴルゴとブルースウィルスがいる。
5名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 11:39 ID:ga5.N6M6
中東ではイスラム教とキリスト教の争いが続いている。
つまり、アラブ人VSユダヤ人ね。これで4次にわたる中東戦争が起こった。

ここでの利害関係は複雑。アメリカは結局両方に武器を売って大もうけしたからだ。

まァどっちかっていうとユダヤより。
イスラエルというユダヤの国の建国に関わったからだ。

だからイスラム勢力から反感を買ってる。パレスチナ奪還を目指し争っている。
仲裁なんてことに手を出したのも火に油を注いだ。

以上、お父さんのためのワイドショー講座でした。
6名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 11:59 ID:ga5.N6M6
age
7名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 12:11 ID:???
>>6
ユダヤ人はユダヤ教だろ。適当なこと言うな。
8名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 12:16 ID:???
>>5
ほとんど全部間違いですね。
9名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 12:18 ID:ga5.N6M6
まァそうだね。ちょっと間違ったゴメン。
でも、簡単に言うとこういうことでしょ?

真剣に書き始めたら大変な事になるからね。
10名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 12:19 ID:ga5.N6M6
>>8
説明して下さい。
11a:01/09/12 12:22 ID:???
8は間違いを訂正する義務がある
12名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 12:27 ID:e9cuiFo2
聖地の奪い合い
13名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 12:29 ID:V5NEFGyQ
>>7
おもろい
14名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 12:35 ID:VY6LkvuA
やっぱ宗教ってマジで何も産まねえな
どうしようもねえ
15liar:01/09/12 12:38 ID:s2v0Ayvw
ユダヤ教からキリスト教がうまれ、ユダヤ教とキリスト教からイスラム
教がうまれた。パレスチナはユダヤ教の経典である「旧約聖書」において
聖地であるとされています。よって、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教
の共通の聖地です。聖地をめぐり、十字軍の派遣や中東戦争といった
争いが繰り返されています。宗教のからむ問題であり、お互いが「自分
が正しい、妥協はできない」と考えており、なかなか解決しません。
石油に対する利権、戦争により利益を得る軍需産業、そのバックである
アメリカ、資本を持ち、アメリカにおいて強い発言力を持つユダヤ人など、
様々な勢力がからんでいます。
どうだろう?添削よろしく
16名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 12:45 ID:5.5MS/Tc
>>15
 惜しい!聖地はパレスチナではなくてエルサレムだよね。
 でも大体こんな感じでいいと思う。◎
17liar:01/09/12 12:50 ID:s2v0Ayvw
>>16
どうも、勉強になったよ
18名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 12:56 ID:V5NEFGyQ
>>15
これに付随して
バルフォア宣言とフサイン=マクマホン協定に言及するのもよろしいかと。
19名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 12:57 ID:dzmfm/9Y
>>15
んで?>アメリカ、資本を持ち、アメリカにおいて強い発言力を持つユダヤ人など、
>様々な勢力がからんでいます。

今回の事件で重要なのはそこでしょ?何でアメリカがあんな事やられたか。

>>5の「キリスト教」を「ユダヤ教」に変えればいいんじゃ…(?)
20無名武将@漢(おとこ):01/09/12 13:12 ID:rZpcZDOI
>ここでの利害関係は複雑。アメリカは結局両方に武器を売って大もうけしたからだ。

PLOは共産ゲリラ。武器・資金供与、訓練は旧ソ連が施した。
21名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 13:37 ID:hTFoYcEE
http://tanakanews.com/islam.htm

とりあえず、ここで勉強すれ。
マジ、オススメ。
22名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 14:45 ID:???
fdsa
23a:01/09/12 14:46 ID:ofM24olQ
中東問題は、ユダヤ人とアラブ人がパレスチナ(現在のイスラエル)を
めぐる問題である。
第一次世界大戦中にイギリスは、敵の同盟国側であるトルコで、アラブ
人に戦後の独立を約束してトルコで反乱を起こさせた。これがフセイン=
マクマホン協定(1915年)である。一方、ユダヤ人にはパレスチナ復
帰運動(シオニズム)を援助する約束(バルフォア宣言、1917年)を
して、ユダヤ人とアラブ人の協力を取り付けた。しかしパレスチナ地方に
ついてアラブ人とユダヤ人と二重に契約したため、双方が権利を主張した
。これが中東問題の引き金である。
1948年、パレスチナにユダヤ人によってイスラエルが建国されるが
、アラブ諸国連盟がこれに反対、第一次中東戦争が起こる。結果は国際連
合の調停によってイスラエルの独立が確保された。しかしパレスチナから
100万人以上のアラブ人が追放されて難民となったため、これによりユ
ダヤ人とアラブ人との対立が強まる。
24名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 14:58 ID:???
さっぱりわからん..
25名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 15:02 ID:6FJSCURM
紀元前からの因縁ってコト?
26名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 15:03 ID:Ia3or4BU
今週号のSPAの福田の連載で簡単に指摘してたぞ。
(かなりはしょって)
27名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 15:05 ID:???
>>24
情けないけど同意です
28名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 15:09 ID:Env1cfXc
29:01/09/12 15:16 ID:MQ6Gx0Zw
>>23
参考になったよ
アリガトゥ−!
30名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 15:22 ID:J9TAvJL.
要するに石油はみんなのもんちゅうことですわ。
31無名武将@漢(おとこ):01/09/12 16:22 ID:rZpcZDOI
23に補足。

聖書にあるように、もともとユダヤの民は今のパレスナに住んでいた。
当時(聖書の話のころ)、ユダヤ人は、ローマ帝国と共にキリスト教を迫害していたのだけど、後にキリスト教を公認したローマ帝国に故郷パレスチナを追放されるという憂き目にあう。

追放されたユダヤ人たちは、いつの日かわれらが約束の地である「シオン」に帰還することを願いつつヨーロッパを中心に世界に散らばっっていった。

ここで>>23の冒頭につながる。
WWTで戦争資金のスポンサーが欲しかったイギリスは、経済的に実力者であったユダヤ人に「シオニズム」をエサに、出資金をとりつけた。
同時に、アラブ人に「同じ土地」をエサに反乱をおこさせた。
32名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/12 16:51 ID:BMhIWoQg







>>23
完璧!
33猫電波:01/09/12 16:57 ID:???
>>23ただし、イスラエルはパレスティナ人の追放の事実を否定している。
ただし、当時の資料が最近公開され出したことで明言されないにせよ
実質的に放逐活動を行っていたと見なす意見もイスラエルの歴史家の間で出ているらしいが
34 :01/09/12 17:31 ID:???
ついでに湾岸戦争のことも教えて欲しい。
35 :01/09/13 21:25 ID:9UR/koG6
いろんなテロリストについて詳しく説明しているサイトってありませんか?
36名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/14 02:20 ID:sBbVYFTg
37名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/14 02:53 ID:ai5uk8.o
>>31
さらに鬱なことにいまイスラエルにいるやつらは本物のユダヤ人じゃないんだよ
ハザール汗国とか言うトルコ系白人の末裔らし〜ぞ
http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/texts/textA2F3/a2f1000.html
38名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/14 03:26 ID:HwGZSG8I
>>34
・イラク、クウェートは本来、自分の州の一部だったと主張し、進出・併合。
・国際社会(特にアメリカ)は、これを侵略と反発、撤退を迫る。
・イラク、これはアラブの問題であると拒絶、パレスチナ問題とリンケージを図るが失敗。
・アメリカ、イラク侵攻。フセイン政権を潰しはしなかったものの、クウェートを解放する。
・その後は思い出したように晒し上げ。今なおヲッチ中。

 簡単にまとめるとこんなとこ。これ以上は世界史板へどうぞ。
39名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/14 03:34 ID:yQX4GZKU
イスラム問題は、東西冷戦もからんでるんだよな。
整理するのは難しいよな。
40 :01/09/14 03:48 ID:3Ci31RZI
>>38
すっごくわかりやすかったです。
ありがとうございました。
41名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/14 04:06 ID:Cr5jqVpY
>38
それは単純すぎる
せめてイランイラク戦争あたりから説明しないと。
42名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/14 04:41 ID:???
うっ、それも触れる?

とりあえず、イランイラク戦争は冷戦時代。
親ソのイランと親米のイラクとの間に起こった
いわば中東版代理戦争。(8年続いたんだっけ?)

で、イラクのフセイン大統領ってのは米国の番犬みたいなもんで、
散々働いた。その傍らでクウェートは石油で大儲け。
ならば、少しはこっちに還元しろとイラクが要求したが、
クウェートは拒否。これでイラクが切れて攻め込んだ。

 イラク側としては、今まで散々尽くしたんだから米国も
黙認するだろう、という読みがあったし、またイラクと
クウェートは確かに元イギリス領で、元々は一つだった。
ただ、フセインが読み違えたのは、すでに冷戦が終わっていたこと。
米国としては中東方針をすでに転換していて、無法は許さないとイラクを非難。
ヨーロッパ諸国と協力してイラクを叩いた。
イラクが今でも米国を恨んでいるのは、これのせい。

 湾岸戦争は他にも、情報操作とか米ロ協調とか、日本の厨房外交
とか色々ネタはあるんで、添削&突っ込みたい方はお願いします。
43名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/14 21:13 ID:ai5uk8.o
age
44名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/17 09:17 ID:???
>>42 イラクはアメリカがあんなに上手く情報操作できるとは想像してて無かったとか……?
45名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/17 09:51 ID:???
イランは、原理主義。
代理戦争とは違うよん

>44
 つーか、フセインは冷戦のときの発想で動いてしまった。
冷戦の時だったら(下手にソ連サイドにつかれてると困るから)、
口では非難しても戦争にはならなかったと思われ。
46名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/17 10:05 ID:24RAYdGc
>>45
現代史では最初に冷戦の舞台となったのはイランとなっていた。
あの辺りは共産主義の浸透とそれに対抗するイスラム原理主義、
そして支援する米中の図式があったんじゃないか。

今の混乱の直接的原因はベングリオンが国境を定めずに建国したことだろう。
47名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/17 10:45 ID:???
それが、けっこう微妙なとこで、
イランは革命起こるまで、バリバリの親米だったんよ。
ただ上層部はそうなんだけど、民衆は近代社会嫌い。
アメリカ追い出せ、で革命が起こった。
アメリカ嫌いだけど無神論のソ連にもあまりつきたくないわけで、
(多少の援助はあったろうけど)ソ連サイドというわけじゃない。

>共産主義の浸透とそれに対抗するイスラム原理主義
は、アフガンならまさしくその通りです。

>ベングリオンが国境を定めずに建国
確かに
48名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/17 10:54 ID:???
バーチャルネットアイドルちゆでわかりやすい解説がありました。
http://tiyu.to/
9月13日のテキストです
49名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/17 11:05 ID:24RAYdGc
はっきりいって今言われているパレスチナ問題はみんな後付の理由
というきがしてならない。やはりシオニズム運動、そして多くのユダヤ人が
シオニズムに反対していたにもかかわらず、英国の後押しにより建国、
そこに問題の根がありそう。
50名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/17 11:21 ID:???
 プラス、その後の血みどろの50年ね。

 せっかくPLOが穏健化路線とってるのに、
 下手すりゃ、自治もふっとぶぞ。
51名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/17 13:06 ID:???
>>23
フサイン=マクマホンでは?
52名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/19 12:24 ID:75NldR1k
>49 それはもう、(少なくとも日本では)共通認識だと思われ……
53名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/19 16:23 ID:hufyba9U
>49

大間違いだね。
パレスチナ問題は純粋にイスラエル人とパレスチナ人の土地を巡る
争いなんだよ。
なんで何の関係もないほかのアラブ諸国が口を出すの?
パレスチナ問題がここまで泥沼化しているのは、直接的には
何の関係もないアラブ諸国が関与してきたからなんだよ。
アラブがちょっかいを出さなければパレスチナ問題などとっくに解決
している。
54名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/19 16:27 ID:aY.O.LDA
>>53
>なんで何の関係もないほかのアラブ諸国が口を出すの?

ベングリオンが建国と同時に事実上の宣戦布告をしたのはご存知ない?
55名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/19 16:43 ID:yv9PMv.Q
家のおっかさんの話によると
なんでも、腋臭が臭い人間はよくないらしい。
56名無し:01/09/19 21:40 ID:ryuh2Vxk
>1
日本人なら、知識と同時に国家としての対応を考える。要するにアラブを
日本の生存と発達にどう利用できるかだ。
赤軍派のようにアラブの下男、下女になるのは最低だ。
人間は民族に生まれ、民族に帰る。
他民族に浮気しても利用されて棄てられるだけ。
57名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/21 21:56 ID:vbtglOmY
「パレスチナ」問題ってなに?

● 「パレスチナ問題」は第一次世界大戦時のイギリスの三枚舌外交に始まる。
第一大戦後、パレスチナはイギリス委任統治下に入り、ユダヤ人の移民・
入植者に反対するアラブの蜂起を抑えようとした。そして第二次大戦に突入。
混乱は収まらず、イギリスはこの地の紛争解決を国連に預けてしまった。

● 1948年イギリスからの統治が終了すると5月14日にイスラエルは独立宣言を行う。
翌日アラブ諸国軍からの侵攻で第一次中東戦争に突入。その後、イスラエルは
シリア、エジプト、ヨルダンとの戦いで、占領地や入植地を広げてきた。
度重なる戦争で大量の難民が発生し、パレスチナ人は周辺諸国に逃げたり、戦乱の中
故郷に残る人もいた。このアラブ諸国周辺に逃げた難民の支持を集め、武力闘争を
行なってきたのがアラファト率いるPLO(パレスチナ解放機構)だった。

● 87年からガザで自然発生的に起きたインティファーダは、長期間にわたる占領に対するイスラエル
に対する抗議である。投石するパレスチナ人に対して発砲するイスラエル兵士に対して、国際社会
からの批判は強くなった。また、イスラエル住民の占領に対する反発も高くなり、政府はPLOとの交渉を
迫られていた。一方西岸・ガザではイスラエルのよる封鎖政策や闘争での負傷者(死者1200人)
が続出し、経済的な打撃の他、社会が疲弊してきた。

そしてこの西岸・ガザの政治的な空白を埋めるためPLOは88年にアルジェで行われたPLOの国会である
PNCで「パレスチナ独立宣言」を行う。この独立宣言はパレスチナ全領土の解放よりも、
ミニ・パレスチナ国家の現実的な枠組みを主張したという事でイスラエルとの交渉を持つ妥協点となった。

 ●マドリード中東和平会議
91年秋、アメリカとロシア(形式的に)の主導でイスラエル、ヨルダン、レバノン、シリア、そして
パレスチナ代表団とともにスペインのマドリードで中東和平会議が開催された。9月13日にはワシントン
でパレスチナ暫定自治に関する合意を締結。その後94年5月にガザとジェリコでの先行自治が開始。
パレスチナ暫定自治政府が創立され、7月アラファト議長はガザに帰還する。

 ● 先行自治の開始後、95年秋には西岸での自治拡大の合意がなされ、95年末にはイスラエル軍が
西岸の6主要都市から撤退。96年1月西岸・ガザでパレスチナ暫定自治政府とパレスチナ評議会の代表を
決定する初めての総選挙が行われ、アラファト議長が首長に選出された。
選挙の結果、自治政府の内閣は5月に組閣され、立法府、行政府を含めた政治機構が整えられていった。
この国政選挙では故小渕元首相をはじめ選挙監視団の派遣と80万ドルの支援を行っている。
ttp://www.jca.apc.org/jvc/join/palestine/What.htm
58名無しさん@お腹いっぱい。
 米国で同時多発テロが発生しました。

 ハイジャックされた飛行機に突っ込まれて、世界貿易センタービルが倒壊。国防総省も燃えました。
 今後どのように事態が発展していくか分かりませんが、とりあえず、この事件に深く関わっているだろうパレスチナ問題
について、振り返ってみようかと思います。

 そんなわけで、今日は「ネットアイドルちゆのパレスチナ問題入門」です。

 パレスチナ問題の大元は、宗教にあります。
 ユダヤ教の聖書(キリスト教の旧約聖書)によると、ノアの子孫にあたるアブラハムという人が、神の命に従ってカナン
(パレスチナ)にたどり着き、次のような神の啓示を受けました。

 わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与
える。わたしは彼らの神となる。

 (創世記17章8節)

 アブラハムの子孫たちは、その土地に王国を作って栄えます。しかし、やがて他国に滅ぼされてしまいました。
 その際、上流階級や知識人はバビロンに連行されてしまいます。彼らはそこで奴隷生活を強いられながら、預言者を
中心にユダヤ教をまとめ、ユダヤ民族として団結していきました。

 その後、どうにか彼らはパレスチナに帰れましたが、他民族に支配される生活は変わりません。ユダヤ教の神殿も作
ったり壊されたりで、信仰を捨てさせられるユダヤ人もいました。
 それでも支配に抵抗し続けた人たちも多くいましたが、やがてパレスチナを追い出され、ユダヤ人は世界中に離散し
てしまいます。

 特に、キリスト教の国へ移り住んだユダヤ人への差別や偏見はひどく、十字軍の遠征の際など、ユダヤ人は片っ端か
ら殺されました。
 その他、「天災はユダヤ人のせいだ」と言われては殺され、「ペストをばらまいたのもユダヤ人だ」と言われては殺
されました。

 そうした中、ユダヤ人の中で「神と約束した土地に戻って、自分たちの国を作ろう」という運動が起こります。
 そこに第1次世界大戦が起こって、イギリスが「戦争に協力してくれたら、パレスチナに国を作らせてあげる」と約
束してくれました。

 ところで、ユダヤ人が追い出された後、パレスチナにはアラブ人が住んでいました。彼らもまた、アブラハムの子孫にあ
たる民族です。
 ただし、こちらはイスラム教徒。ユダヤ教やキリスト教と同じ神を信じていますが、ユダヤ教徒・キリスト教徒は神の言
葉を誤解しており、自分たちの信仰こそ神の本当の教えだと考えている人たちです。

 そんなアラブ人たちはオスマン=トルコ帝国に支配されていました。しかし、イギリスは彼らにも「戦争に協力してくれ
たら、独立させてあげる」と約束します。
 つまり、パレスチナにユダヤ人の国を作る約束と、アラブ人の独立国家を作る約束。イギリスは2つの矛盾する約束
を交わしたわけです。

 結局、イギリスは戦争に勝ちましたが、アラブ人の国もユダヤ人の国も作られず、パレスチナはイギリスの植民地に
なりました。
 そうしてアラブ人が植民地支配されているパレスチナに、「ここは俺たちの土地だ」と大勢のユダヤ人が入り込んで
きます。

 片や、1000年以上の流浪生活を経て、ようやく約束の地に帰ってきたユダヤ人。片や、すでに1000年以上そこに住
んでいるアラブ人。
 イギリスの二枚舌外交に端を発した両民族の対立が、パレスチナの地で激化することになります。

 この辺り、主に悪いのはイギリスですので覚えておきましょう。
ttp://tiyu.to/title.html#13_09_13