日本初? 擬古文スレッド

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71名無しさん@1周年
のたまふやうに、いにしへのラティウム人の書きけむやうに書く人は
今もあまたあなれど、おのが国々の言葉をいふやうに読むならひなれば、
かなたこなたの人つどひてもの言はば、げにかたみに心えがたかるべし。
書けるを見むには、さもあらざらむ。シーザー、キケロなども心得まし。
ただ、今作れることばもあれば、見知らぬことも多からむかし。

紫式部などはかくものは言ひけむととかく思ひやりてCDに入れたる
人もおはすれど(近代知!)、まことさやありけむと、おぼつかなくなむ
思ひたまふる。
まことや、「見たまふ」を「見たもー」といふは紫式部のころには
なかりけるならひなり。

通釈
おっしゃるように、昔のラテン人が書いたであろうように書く人は
今も大勢いるそうだが、自分の国の言葉を発音するように音読する習慣なので
あちらこちらの人が集まって話をしたら、たしかにお互い理解しにくいに違いない。
書いたものを見るなら、そうでもないであろう。シーザーやキケロなどにも
わかるであろう。ただ最近作った言葉もあるので、見てもわからない言葉も
あるだろうね。
紫式部などはこんな風にしゃべっただろうとあれこれ想像して
CDに入れた人もいらっしゃるが、本当にそのようであったのであろうかと
気がかりに存じます。
そうそう、「見たまふ」を「ミタモー」というのは紫女のころには
なかった習慣である。