古典文学研究の役割。

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6不一
多少ずれる話題かもしれませんが、このスレは続くべきでしょうし。

自国の、永遠不滅の古典、というような形での「正典化」(canonization)
は批判されるべきだということが最近言われますが、事実は研究者が自分はカノンを扱っている
という優越感を持っているだけで、一般社会ではカノンどころか、無用物扱いである(なぜ古文やる
んですかぁ)。

源氏のような文章のすごさを体感できる人はハピー・フューであり、これは致し方ない
ということは事実でしょうが。もっとも、そういう人は実社会ではアンハピーでしょうから、バランスは取れる?