源氏物語の現代語訳

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24名無氏物語
>>21
舟橋聖一訳は、6年ほど前に祥伝社ノン・ポシェットから文庫化され上下2巻で出ていました。
これは、源氏物語のいわゆる第1部と第2部のみで、宇治十帖を含む第3部はありません。
登場人物の心情や背景などかなり本文中に補って書かれており、
また、登場人物の名前も後世の読者が付けたあだ名で呼ばれているため、
読み易さ、分かり易さという点では現代語訳の中ではかなり上位に来るかもしれまん。
ただし、文体がわりと砕けていて、原文の奥ゆかしい雰囲気がそうとうが損なわれているのと、
訳者の主観が強く押し出されている箇所がたまに目につき、作品の重層的な深さが欠けて
しまっているのが大きな欠点です。また、ところどころ出てくる、ファンだのシルエットだの
といったカタカナ言葉が著しく雰囲気を害してしまっています。
源氏物語をとりあえず一通り知りたい、という目的にはいいでしょう。
2524:2001/07/07(土) 15:00
引き続き。
あまり源氏に馴染みの無い最近の人が最初に何を読むのが良いかというと、
私の考えでは、円地文子訳か瀬戸内訳がいいのではないかと思います。
円地訳は、もちろん新潮文庫からでている全5巻の方で、
集英社文庫「わたしの古典シリーズ」全3巻の方ではありません。
田辺さんのは、源氏を素材にした小説なので、最初に読むにはお勧めしません。
三度目の谷崎訳は、ついていける人にはお勧めですが、ちょっと最近では難しいかも。

まず、円地訳あたりで入門して、その後に原文に手を出すも良し、
窯変に手を出すも良し、あさきゆめみしに手を出すのも良いのではないかと思います。
2624:2001/07/07(土) 15:08
さらに。
珍しいところでは、

中井和子 『現代京ことば訳 源氏物語』 全三巻
大修館書店 1991年6月1日初版発行

という、たいへん面白い試みをしたものがあります。
残念ながら、私には現代京ことばは原文と同じ程度に難しいので、
どなたか綺麗な声の女優さんが朗読したCDが出ると良いのにと思っています。

こんな感じの訳です。

  …   何やら所在がのうて、物思いにばかり沈んどいやすけど、ちょっとした
御忍び歩きも面倒にお思いやして、出かけようとも思い立たれず、姫君が、何事につ
けても申し分のうすっかり成長されて、ほんまに結構におみえやすし、それに不似合
いでもおへん年ごろともお見えやすので、それとのう気を引くようなことなど、折々
は試しにほのめかしたりもおしやすけど、いっこうにお分かりにならへん御様子どす。
2724:2001/07/07(土) 15:13
それぞれの現代語訳がどんな感じかちょっと比較するために、
同じ個所をどういう風に訳しているか文体比較をしてみましょう。
比較した個所は以下の有名な一節です。

●原文

   …   姫君の何ごともあらまほしうととのひはてて、いとめでたうの
み見えたまふを、似げなからぬほどにはた見なしたまへれば、けしきばみたる
ことなど、をりをり聞こえ試みたまへど、見も知りたまはぬ気色なり。
 つれづれなるままに、ただこなたにて碁打ち、偏つぎなどしつつ日を暮らし
たまふに、心ばへのらうらうじく愛敬づき、はかなき戯れごとの中にもうつく
しき筋をし出でたまへば、思し放ちたる年月こそ、たださる方のらうたさのみ
はありつれ、忍びがたくなりて、心苦しけれど、いかがありけむ、人のけぢめ
見たてまつり分くべき御仲にもあらぬに、男君はとく起きたまひて、女君はさ
らに起きたまはぬあしたあり。人人「いかなればかくおはしますならむ。御心
地の例ならず思さるるにや」と見たてまつり嘆くに、君は渡りたまふとて、御
硯の箱を御帳の内にさし入れておはしにけり。人間に、からうじて頭もたげた
まへるに、ひき結びたる文御枕のもとにあり。何心もなくひき開けて見たまへ
ば、
 あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに馴れしよるの衣を
と書きすさびたまへるやうなり。かかる御心おはすらむとはかけても思し寄ら
ざりしかば、などてかう心うかりける御心をうらなく頼もしきものに思ひきこ
えけむ、とあさましう思さる。
2824:2001/07/07(土) 15:15
● 谷崎潤一郎訳 「源氏物語」から『葵』  中公文庫

               …   姫君は何事をも申し分なく
身につけられて、すっかり立派におなりなされましたのを、もはや不
似合いともいえぬ年ごろと見てお取りになって、それとなく言い寄り
などしてお試しになる折々もあるのですけれども、とんとお悟りにな
らない御様子です。退屈しのぎに、ただこちらの対で碁だの偏つぎだ
のをなさりながら日をお暮しになりますのに、すぐれた技倆をお示し
になるという風ですから、この年月はさようなことをお考えにもなら
ず、ひとえにあどけない者よとのみお感じになっていらっしゃいまし
たのが、今は怺えにくくおなりなされて、心苦しくお思いになりつつ
も、どのようなことがありましたのやら。幼い時から睦み合うおん間
柄であってみれば、余所目には区別のつけようもありませんが、男君
が早くお起きになりまして、女君がさっぱりお起きにならない朝があ
りました。女房たちが、「どうしてお眼ざめにならないのかしら。御
気分でもお悪いのであろうか」とお案じ申し上げていますと、君は御
自分のお部屋へお帰りになろうとして、おん硯の箱を御帖台の内にさ
し入れてお立ちになりました。人のいない折にようよう頭を擡げられ
ると、引き結んだ文がおん枕元に置いてあります。何心もなく引き開
けて御覧になりますと、
     あやなくも隔てけるかな夜を重ね
        さすがに馴れしなかの衣を
と、いたずら書きのように書いてあります。こういうお心がおありに
なるとは夢にも思っていらっしゃいませんでしたので、こんな嫌らし
い御料簡のお方を、どうして心底からお頼み申し上げていたのであろ
うと、情なくお思いになります。

------ (頭注) ------
幾度となく一つ臥所に寝て、馴れ親しんで来ながら、不思議にも
今までは衣一重を中に隔てた水臭い間柄であったことよ。「重ね」
は衣の縁語。
2924:2001/07/07(土) 15:15
● 与謝野晶子訳 「全訳 源氏物語」から『葵』  角川文庫

  …    女王がもうりっぱな一人前の貴女に完成されているのを見ると、もう
実質的に結婚をしてもよい時期に達しているように思えた。おりおり過去の二人の間
でかわしたことのないような戯談を言いかけても紫の君にはその意が通じなかった。
つれづれな源氏は西の対にばかりいて、姫君と扁隠しの遊びなどをして日を暮らした。
相手の姫君のすぐれた芸術的な素質と、頭のよさは源氏を多く喜ばせた。ただ肉親の
ように愛撫して満足ができた過去とは違って、愛すれば愛するほど加わってくる悩ま
しさは堪えられないものになって、心苦しい処置を源氏は取った。そうしたことの前
もあとも女房たちの目には違って見えることもなかったのであるが、源氏だけは早く
起きて、姫君が床を離れない朝があった。女房たちは、
 「どうしてお寝みになったままなのでしょう。御気分がお悪いのじゃないかしら」
 とも言って心配していた。源氏は東の対へ行く時に硯の箱を帳台の中へそっと入れ
て行ったのである。だれもそばへ出て来そうでない時に若紫は頭を上げて見ると、結
んだ手紙が一つ枕の横にあった。なにげなしにあけて見ると、

 あ や な く も 隔 て け る か な 夜 を 重 ね さ す が に 馴 れ し 中 の 衣 を

 と書いてあるようであった。源氏にそんな心のあることを紫の君は想像もして見な
かったのである。なぜ自分はあの無法な人を信頼してきたのであろうと思うと情けな
くてならなかった。
3024:2001/07/07(土) 15:16
● 円地文子訳 「源氏物語」から『葵』  新潮文庫

          …            姫君は何事にも申し分なく成長な
さって、ほんとうに見事な女君にお見えになるので、夫婦になってもふさわしい年頃
になったと君はお見取りになって、時々、それらしいことなどをおっしゃって試みて
ごらんになるけれども、まるで見も知らぬ御様子である。
 所在のないままに、ただ姫君の部屋で碁を打ったり、偏つぎなどをして、日を暮し
ていらっしゃるが、姫君は気立てが賢しくて、その上愛嬌がおありになり、ちょっと
した遊び事のうちにも、正しい筋をお見せになるので、相手が若すぎて男女の交わり
は思い放していられたこの数年の間こそ、ただ子供々々した可愛らしさ一方ですませ
ていたものの、今はなかなか我慢出来なくなられて、まだ無邪気なおとめの姫には可
哀そうかと思われもするが、その辺りはどういうことであったのか、……もともと一
つの御帳の内にお寝みつけになっていて、人の目にはいつからともはっきりお見分け
出来る御仲合ではないのであるが、男君だけが早くお起きになって、女君はいっこう
起き出していらっしゃらない一朝があった。女房たちは、「どうしてこんなに遅くま
でお寝みになっていらっしゃるのかしら」「御気分でもお悪いのでは」などと御様子
を見て心配していた。
 君は東の対のほうへお出でになる折に、硯の箱を帳台の内にさし入れて行ってしま
われた。人のいない暇に女君はやっと頭をもたげて御覧になると、引き結んだ文が枕
元にあった。何心もなく、取り上げて開けてごらんになると、
  あやなくも隔てけるかな夜を重ね
    さすがに馴れし中の衣を
 と書き流しになさったように読める。このようなお心がおありになろうとは、ゆめ
にも思いがけなかったことなのに、こんなひどい方とも知らず、どうして心底から分
け隔てなく頼もしいと思ってばかりいたのであろうと、女君はわれながら浅ましくお
思いになるのだった。

------ (頁末注) ------
*今まで起き臥しを共にしながら、よくも耐えていたことよ。
3124:2001/07/07(土) 15:20
● 円地文子の源氏物語 から『葵』  集英社文庫 わたしの古典シリーズ

その後も、何となくもの憂いままに、外へお出かけになることは少なくて、姫君を
相手に 碁や偏つぎをしたりして時を過ごしていらっしゃった。姫君は、すっかり大
人らしくなられて、子供っぽくあどけなかった昔のごようすはなくなり、お若いなが
らに整った女君とお見えになる。君も、もう男女の交わりをしてもよいころかな、と
お思いになって、ときどきそれらしい色めかしい話をしてごらんになるが、まだいっ
こうそういうことはご存じないごようすである。
始終同じ御帳の内でいっしょにお寝みになっているので、いつがいつとはっきりわ
かるわけもなかったが、ある日、男君ばかり早くお起きになって、女君はいつまでたっ
てもお起きにならない朝があった。硯 箱の中に、 夫婦の契りをかためた歌を入れて
おいて、東の対のほうへ行かれた君は、お昼ごろ、もとの部屋へ帰ってこられた。帳
台の中をのぞいてご覧になると、さっき書いておいた文はそのままになっていて、返
しの歌らしいものが見ななかった。
3224:2001/07/07(土) 15:21
● 舟橋聖一訳  「源氏物語」から『葵』  祥伝社 ノン・ポシェット

 もっともそれには、別の理由もあるにはあった。紫君の、あの見事な御成長ぶりが、
光君にとって、一つの新しい関心事になろうとしていたからである。じっさい、紫君
は、御容貌といい、おん物腰といい、いつの間にか、非のうち所もなくお整いになっ
て、もうそれは、美しく成長された、ひとりの女性のお姿だった。それに、……今年
は、もう十四におなりだ。結婚ということを考えてみても、決して不似合とはいえぬ
お年ごろではないかと、光君は、お思いになったりする。で、折につけ、気をひくよ
うな言葉の、ひとつ、ふたつを仰有ったり、またそれとなく言い寄ったりなどして、
試して御覧になったが、紫君は、一向に何ンであるかをお悟りになる風もなかった。
お暇にまかせ、光君は、ただ西の対で、碁うちだの、偏付けだののお遊びごとをなさ
りながら、日を暮らしておいでになったが、お生まれつき発明で、愛敬も十分備えて
おいでになる紫君は、つまらぬお遊びごとをなさっても、相手を外らさぬだけの機転
や、知恵をお働かせになり、その間にも、あざやかな腕前を次々とお示しになるとい
う風だから、まだ子供だとして、余分の感情をお交ぜにならなかった此の年月こそ、
可愛い、あどけないものばかり、お感じになっていらっしゃったものの、今はもう、
この上の辛抱が、おつづきにならなくなって、心苦しくお思いになりががらも……。
 ……どのようなことが、おありになったのか。おさない頃から、御同衾のおん仲で
あってみれば、傍目には、そのへんの区別のつけようもないのだけれど、男君が、は
やくお起きになって、女君が、さっぱり、お起きにならない朝があった。女房たちが、
「どうして、おめざめにならないのかしら。御気分でも、お悪いのであろうか」
 と、御案じ申し上げていると、光君は、東の対にお帰りになろうとして、御硯の箱
を、そっと御帳の内にさし入れて、お立ちになった。
 おそばに、人の気配のなくなった折に、紫君が、ようよう頭をお上げになると、結
び文がひとつ、おん枕元に置いてある。何気なしに引きあけて御覧になると、
   あやなくも隔てけるかな夜をかさね
     さすがになれし中の衣を
 と、戯れ書きのように、書かれていた。こういうお心が光君におありになろうとは、
今まで夢にもお思いにならなかったので、あんな御無体な、いやらしい御料簡の方を、
自分はまた、どうして心の底から御信頼申していたのだろうと、紫君は辛くもなさけ
なくもお思いになる。

------ (巻末注) ------
幾夜となく、御一緒にねて馴れ親しんで来ながら、不思議にも今までは、
中に衣一重をへだてた水臭い間柄であったことよ。「重ね」は衣の縁語。
3324:2001/07/07(土) 15:22
● 中井和子 「現代京ことば訳 源氏物語」より『葵』


  …   何やら所在がのうて、物思いにばかり沈んどいやすけど、ちょっとした
御忍び歩きも面倒にお思いやして、出かけようとも思い立たれず、姫君が、何事につ
けても申し分のうすっかり成長されて、ほんまに結構におみえやすし、それに不似合
いでもおへん年ごろともお見えやすので、それとのう気を引くようなことなど、折々
は試しにほのめかしたりもおしやすけど、いっこうにお分かりにならへん御様子どす。
 所在のおへんままに、ただ、こちらで碁をうったり偏つぎをしたりして、日を暮ら
しといやすと、お心づかいもあり愛敬がおして、ちょっとした遊びごとの中にも、す
ぐれたとこをおみせやすので、結婚ということをお考えやさへなんだ年月の間は、た
だ、幼い方としてのいとおしさはおしたのどすけど、今はしのび難うて、心苦しいこ
とどすけど、どういうことやのどっしゃろ、よそ目には、お二人はいつからちゅうけ
じめの見分けられるような御仲でもおへん睦まじさどすけど、或る日、男君は早うお
起きやして、女君はいっこうに起きやさらへぬ朝がござりました。女房たちは、「ど
うおしやして、おやすみになっといやすのやろ」「御気分が、おわるいのやろうか」
と、お案じ申してると、君は東の対へお渡りになろうとして、御硯の箱を御帳台のう
ちへさし入れてお立ちやした。人のいぬ時に、やっとお頭をもたげやすと、ひき結ん
だ文が御枕のとこにござります。何気のう引きあけてお見やすと、

   あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがになれし中の衣を

と、いたずら書みたいにしてござります。こないなお心がおありやすとは、お思いも
よらなんだので、
「何でまた、こんな嫌らしいお心やったのに、 何にも思わんと、 頼もしいお方に思
うてきたのやろう」と、あさましうお思いやす。

------ (脚注) ------
そうはいっても、幾度となく馴れ親しんできましたのに、それでも不思議な
ことに、中の衣を隔ててきたことです。
3424:2001/07/07(土) 15:22
● 大野晋・丸谷才一 「光る源氏の物語」より 丸谷才一訳 (部分訳)中公文庫

 源氏の君はまことに心さびしくもの思いに耽りがちで、女人を訪ねるのも億劫
な感じである。とてもそんな気にはならない。姫君は万事申し分なく成人なさっ
て、花やかな娘ざかり、夫婦の契りを結ぶのにふさはしいときが来たと判断なさ
つて、ときどきそれと匂はすやうなことをおつしやつても、全然おわかりになら
ない様子である。
 源氏の君は無聊なままに、西の対で碁を打つたり偏つぎ(漢字遊び)をしたりし
て日をお過しになるのだが、姫君が利発な気性で魅力に富み、他愛のない遊戯の
際にも感心させられることがあるので、女として意識してゐなかつた長い歳月は
少女としての愛らしさだけを感じていらしたのに、もうこらへきれなくなつて、
不憫ではあるけれど、とお思ひになる。いつも御一緒ゆゑ、いつからが御夫婦と
傍の者に見分けがつく間柄ではないわけだが、どういう事情だつたのかしら、あ
る朝、男君は早くお起きになり、女君はいつこうお起きにならぬことがあつた。
女房たちは、「どうしたことでせう。御気分がすぐれないのでせうか」と案じて
ゐるが、源氏の君は東の対にいらつしやるとき硯箱を御帳のなかにお入れになつ
た。かたはらに女房たちがゐないとき、姫君がやうやく頭をおあげになると、引
き結んだ文が枕もとにある。何とはなしに開いてごらんになると、
  隔てを置いた仲でゐた
  理由がわからない
  幾夜も幾夜も
  共寝して着なれた
  夜の衣なのに
とさらりと書いてある。かういふことをなさるお気持だつたとは、姫君は予想も
していらつしやらなかつたので、こんな厭らしい心の方をどうして疑ひもせず頼
りにしてゐたのかと、くやしい気持ちにおなりになる。
3524:2001/07/07(土) 15:23
● 吉本隆明 「源氏物語論」より (部分訳)  ちくま学芸文庫

所在ないままに、ただ西の対へきて碁を打ち、扁附などをしながら、日をお暮しに
なったが、若紫の心ばえはあでやかに可愛らしくなり、何ということもない遊びご
とのなかにも、美しい手筋などを考え出されたりするようになったので、気にもか
けなかった歳月のあいだこそ、たださり気ないあでやかさを感じただけであった。
もうこらえきれなくなって、心苦しい思いはしたが、どういうことがあったのか、
他人には区別がわかるような間柄でもない二人なのに、男君(源氏)のほうがはや
く起き出されたのに、女君(若紫)のほうがとても起きてこられないような朝があ
った。人々はどうなさったのでしょう、御気分がすぐれないとお思いではないかと
案じて心配されるのに、源氏はじぶんの部屋へ戻られるとて、若紫の硯箱を御帳の
内に差入れてゆかれた。若紫は、誰もいないあいだに、かろうじて頭をもたげてご
覧になると、結んである文が、御枕の下にあった。なに気なくひきあけてみると
 あやなくも隔てけるかな夜を重ねさすがに慣れし夜の衣を
と、書き流された歌があった。こんな心をお持ちとは、ゆめにも思いおよばなかっ
たので「どうしてこんな嫌らしい気持を抱いておられたのを、心底から信じて頼も
しい方と思ってさしあげたのか」と口惜しくおもわれた。
3624:2001/07/07(土) 15:23
● 田辺聖子 「新源氏物語」より『めぐる恋ぐるま葵まつりの頃の巻』  新潮文庫

 小さいときから、一つの御帳台のうちに、ひとつ衾を被って、添臥しする習慣になっ
ていることとて、紫の姫君はいまも、源氏に抱かれて眠ることをなんとも思っていな
いらしかった。
 そうして、たのしくとりとめもない話を交しているうちに、姫君は、いつかすこや
かなねむりに落ちるのきまりだった。
「おやすみなさい、お兄さま」
 と姫君は、重そうな瞼を、もう開けずにいう。
「私を愛しているかい?」
 と源氏がいうと、姫君は半分、とろりと睡ったまま、ゆるんだ愛らしい花の唇から、
「だい好きよ」
 と、ためいきとともにいう。
「ほんとう?」
「ほんとうよ、お兄さま」
「その証拠をみせてくれるかい?」
「証拠って---?」
 姫君がそういったなり、うつつに寝入ってしまう。源氏の手枕が重くなった。姫君
の愛らしい重みが、源氏にはもう堪えられない。
 こんな無垢のおとめには、もうすこしの間、ときを与えて、おもむろに開花をまつ
べきかもしれない。しかし若い源氏はもう待てない。
 長いあいだ、心からいとしんだものを、もう待ちきれない気がする。源氏は姫君に
そっと唇を重ねる。やわらかい少女のままの唇。
「私の愛に免じて、私が何をしも許してくれるね?」
「いいわ、お兄さま……。何を?」
 姫君は夢うつつのやさしい声音でいった。けれども、それにつづくものは、源氏の
若々しさを示す性急な男の動作だった。

「今朝は、お姫さまはおめざめが遅いのね」
「殿さまはもう、早くに東の対へいらっしゃいましたわ」
 と女房たちが、言い合っていた。
「ご気分でも悪いのかしら」
 と姫君を案じていたが、姫君は寝所にひきこもったきり、声もしない。
 姫君の枕元に、硯の箱がおいてある。
 これは、源氏が、朝早く、自室へゆく際に、そっと置いていったものである。
 人のいない暇に、姫君は辛うじてあたまをもたげてみると、引き結んだ文があった。
  <あやなくも へだてけるかな夜を重ね さすがになれし 中の衣を>
 源氏の手蹟である。(今までなんというよそよそしい二人の仲であったことか。あ
んなに馴れ親しんだようにみえながらね。……これでやっと、二人のへだては、なく
なったわけだよ)というような心であろうか……。
 こんな気持ちでいる人とはつゆ思わなかった、と姫君は打撃を受けて混乱していた。
(こんな、ひどい人とは思わず、なぜわたくしは、心から頼っていたりしたのかしら)
と思うと紫の君は、なさけなく悲しくなった。
3724:2001/07/07(土) 15:24
● 瀬戸内寂聴 「女人源氏物語」より『紫 − 紫上のかたる』 集英社文庫

 …  あなたの御心痛が思いやられて、ことばより涙があふれたのでした。あな
たは、殊の外喜ばれて、
「しばらく逢わないうちに、すっかり大人になったようですね。あちらで泣いてばか
りいた目には、あなたの若さと美しさがまばゆいようですよ。どんな弔みのことばよ
りも、あなたの真珠のような涙が今のわたしには最上の慰めになります」
 とおっしゃって、その日は、宵のうちから、早々とおやすみになられたのでした。
わたくしもそれが習慣になっていて、なんの不安もなく、あなたと帳台の中へ入って
いきました。
 その夜あなたのなさったことに、どんなにわたくしが愕かされ、恨めしく思ったか
は、とうていあなたの御想像も及ばないことでしょう。あんな浅ましいきたないこと
を人間どうしがするなんて、どうして想像できたでしょう。こんな醜い振舞いをなさ
るお心をずっとかくしていらっさゃったのを、長い歳月、ただもう清らかなお気持で
可愛がってくださるとばかり信じこみ、つゆ、疑いもしなかった自分の幼稚さが情け
なく、口惜しくてたまらないのでした。どうしてこんな汚れた躯になって乳母や女房
たちに逢えましょう。自分の顔にも、躯にも、昨夜のことのしるしがあからさまにつ
けられているようで恥ずかしく、消えてなくなりたかったのです。
 あなたがいつもより早く起き出されて行かれた後も、わたくしは死にたい想いで袿
をひきかずいて汗にあえながら、日が高くなっても恥ずかしくてとても起き出して行
けないのでした。
 昼ころ、様子を見にいらっしゃったあなたが、
「気分が悪いそうですね。どんな具合なの。今日は一緒に碁も打てないので、退屈な
ことだ」
 など、しらじらしくおっしゃるのが、情けなく口惜しくて、涙があふれてくるので
した。
3824:2001/07/07(土) 15:26
● 橋本治 「窯変 源氏物語(第3巻)」より『葵』  中央公論社

 それからの私は、二条の院でまるで病後の養生をするように、のんびりと暮らした。
 喪中のことといい、宮中に参内する訳にもいかない。左大臣家に妻を訪ねる必要は
ない。六条の邸に無沙汰を詫びに赴かなければならない義務もない。私を縛るものは
何もなく、私はただ西の対の姫の相手をして日を送った。
 不思議なことに私が帰った夜に見せた恥じらいは、次の日にはもう姫の中から消え
ていた。
 さすがにもう人形遊びをしようとはしなかったが、あどけないだけの少女から一歩
だけ脱皮した筈のその人は、なんの屈託も見せぬ顔をして、碁を打ち、筆を執っては
無邪気な様子で“偏つぎ”の文字遊びに興じていた。
 私は「この人はどこまで男女の事を承知しているのだろうか」と思い、そんな遊び
の合間合間にそれとなく色めいたことを匂わせてはみるのだけれども、「なんのこと
やら?」と拍子抜けのするような反応しか見せない。
 側に仕える女童や女房は、この姫の気を削ぐようなことをしない。姫の打つ碁石の
先を見、姫の指し示す漢字の様子に一喜一憂している。「昼の遊びの主導権を握って
いるのはこの私ですもの、あなたが何を仰言っても、誰も答えたりなんかしませんわ」
と言わぬばかりの表情を見せて、再び幼さを纏ってしまった姫は、平気で無垢のあど
けなさを見せる。
 あどけなさを見せて、そしてそれを釣餌の媚態にして、私をこっそり誘っているの
だ。
「なるほど、男と女にはこのような駆け引きもあったのか」と、幼さを装った姫の、
半ば以上は無意識のさせることに違いない筈の拒絶を、私は不思議なものを見るよう
にして見ていた。
 彼女は、わがままを公認された幼い女主人としての特権を捨てたくはなかったのだ。
 幼いままでいる彼女に私が充分すぎるほど惹きつけられているのを知って、そのこ
とを元にして私を押さえこもうとしているのだ。
 今まで以上に幼い素振りを見せて、私の紫の“上”は、私を翻弄しようとさえする。
 自分の中に芽生えてしまったものが、もう少女の時に後戻りできないような種類の
ものであることを、彼女は充分に承知していたのだろう。私の導く方へではなく、自
分の導く方へ私を連れて行こうとして、充分に熟知した幼さとあどけなさを前面に押
し立てているのだ。「私をお好きなら、私のわがままを認めて。私の知っている世界
でだけ遊んで。だって、あなたはそういう私がお好きだったんでしょう?」と言わぬ
ばかりに、もう幼いとは言えない姫は、私に駆け引きの手管を仕掛けて来る。そのこ
とが逆に、彼女が不安に思う、そして私ばかりが熟知する、彼女にとっては未知の領
域へ誘うことになるのだということを知らずに---。
3924:2001/07/07(土) 15:28
(窯変つづき)

 最早幼さに逆戻り出来ないことを知ってしまった彼女は、それ故に、自分の未知の
領域へ引き込もうとするこの私を、恐れるようになっていたのだ。
 なんとも微笑ましく好ましく、そして、心と体をときめかす戦いの日々であったこ
とか。

 或る日私は一人で起きた。まだ夜も明けきらぬ暁の頃おいだった。彼女は床の中で
じっと眠り、私はその傍らを抜け出して、東の対へ戻って来ていた。「さァ、あなた
は大人になってしまったのですから、ご自分のなすべきことはご自分でお考えなさい」
とばかりに。

 私が彼女に添い寝をするのはそれ以前からの習慣で、その夜とても同じことだった。
ただ、彼女の髪を撫で、肩を抱く手が、彼女の胸を撫で下ろし、裾を掻き開いて袴の
紐を解いただけのことだった。
 その夜、帳台の中で起こったことを知っていたのは、だから私達二人だけだった。

 その朝、西の対の姫はいつまで経っても床を離れようとはしなかった。何も知らな
い女房達は「どうなさったのかしら、ご気分がおよろしくなくてらっしゃるのかしら」
と首を捻った。
 帳台の枕許には硯箱が人目につかぬように置いてあった。私が置いたその硯箱を、
西の対の姫は女房達が側を離れた隙にそっと開けた。
 中には私の文が恋文の体裁を取って、きちんと引き結んで入っていた。

   小 夜 衣 重 ね し 夜 の そ の 中 に
      あ や な く 胸 を 隔 て け る か な

 越えてしまえば、どうして今までそうならずにいたのかが不思議なくらいのものだっ
た。私はそう思ったが、しかし子供の時を破られてしまった姫の心はまた別だったの
だろう。昼になって、再び西の対へ渡っても、私の姫は目を覚まそうとはしなかった。
4024:2001/07/07(土) 16:12
● 田辺聖子 『春のめざめは紫の巻 − 新・私本源氏』より 集英社文庫

 伴男の進言によって、ウチの大将はまたまた、お姫さんに言い寄る。何しろ「つづ
きをはじめる」ということができないので難しい。
 うっとりと姫君の顔を見ながら、
「私の呼びかたについて、ゆうべ考えたんやけどねえ。もう、あなたも子供やないこ
とやし--- 『お兄さま』もおかしいね。私のことを、どういうふうに思っていますか」
 と蕩けそうな声でいわれる。
「黒ん坊におなりになってよ」
 姫君はつけつけといわれる。
「何もそんなこと聞いてえへん。これは須磨明石で潮やけしたのです。明石にはええ
オナゴがおって、これは潮汲み女やったが、私に美味しい魚を食べさせてくれたり、
溺れかかるところを救うてくれたり、よう尽くしてくれました。そのため私も、折々
は潮汲みを手伝うて、それでこないに日焼けして……何をいわすねん、そんなこと、
どっちゃでもよろし」
「それより、私は、あなたの何ですか、何や、思わはりますか」
「お兄さまでしょ、きまったことじゃないの」
 姫君はくっくっと笑っていられる。
「私が本当のお兄さまでないことは、あなたもよう知ってはるはずどす。 ---その、
呼びかたがいかんのやな、これから私のことを、お兄さまと呼んだらいけません」
「では、お殿さま、と呼べばいいの? それとも、ヒゲの伴男が、少納言たちとこっ
そり呼んでるように、『ウチの大将』と呼ぶのがいいの?」
「それは、美しい姫君のいう言葉としては、ちょっとふさわしくないと思うがね。ど
うやろ、『あなた』と呼んでみてくれはらしませんか。紫ちゃん。あなたのその可愛
い声で『あなた』と、私のことを」
「フン! あなたの大将」
「大将は余計どす」
「余計の大将」
「このやんちゃ者」
 大将は姫君に見とれて息はずませ、
「あなた、と呼んで頂戴。ほら、こういう風に。『あなた』 --- と」
 大将は「あなた」を色気たっぷりの声使いをして、お手本を示される。
「いやあねえ、あたくし、何がきらいったって、その『あなた』とか『あァた』なん
ていう、不潔たらしい言い方が、最も怖気をふるうくらい、いやなんです!」
 姫君はきっぱりといって、つんと横をお向きになる。
4124:2001/07/07(土) 16:14
(新・私本源氏 つづき)

「何が不潔。色っぽい言葉と言い方やおまへんか。それにその、どうして紫ちゃん、
あんたの語尾はそう、切って捨てるように強いんどすか、何でも『!』がついて、そ
ばへ寄るとつきとばされそうや。オナゴというもんはすべて、語尾に『……』がつく
ように、余韻嫋々と、しおらしく、やさしく、物をいう、こうでないといけまへん。
何や、お姫さんとモノいうてると号令かけられてるようや」
「しぜんに、こんなコトバになっちゃうんです。お兄さまのお顔みてたら!」
「どうして、私の顔みてたら、そういうキイキイ声になるのどす」
「鈍感だからよ」
「私が。私が鈍感」
「いかにも美男顔してるからよ。美男美男してるところが、あたくしは、好かないわ
け」
「そやけど、これは私のうまれつき。親を怨まな、しようがないのどす。いったい、
どんなのやったら、お姫さんの気に入りますねん」
「もっとぶさいくになってほしいのよ、絵に描いたような色男なんて、全く、魅力な
いわ。若い者の気持ちもわからないのねえ。お兄さまって」
「ぶさいくになるったって、そう、都合よくいくものですか。無茶をいうたら困りま
すがな」
「いっときますけどね、むやみやたらとそばへ寄らないで下さいね、そしてその、あ
たくしの顔を見て、ヨダレを垂らすのはやめて頂戴!」
「むかしは可愛い、面白い、かしこい、お早熟のお姫ちゃんやったのに、えらい、怖
うなりはって……。あのころは『なぜなぜなーぜ』なんか読んで、お兄ちゃんをやり
こめていたもんどす」
「あっ! 低劣、愚劣、陋劣! 『なぜなぜなーぜ』の本が、どうしたっての、まあ、
聞くだけでも耳のけがれ。お兄さまの顔なんか、もう見たくもないわ! 絶交よ!」
 ウチの大将はひとこともいえず、黙って涙を流していられる。姫君はというと、怒
りのあまり顔は桃色に紅潮し、くやしさで息をはずませ、足音もあらく奥へはいって
しまわれる。
 大将と伴男、私は顔を見合わせ、
「手のつけようもおまへんな」
 と伴男はいった。
「私はきらわれたんやないやろか、せっかく、心こめて育てたのが裏目に出ました。
お姫さんにきらわれたのでは立つ瀬がない。いまは、あのお姫さんだけが生き甲斐や
のに」
 大将は涙にくれていられる。伴男は、
「あれは、つまり獣でいうたら、さかりのついたときに、相手かまわず咬みつく興奮
状態とちゃいますか」
「さかりはないでしょう。清らかな処女の潔癖性、というものではないでしょうか」
 と私は美しくいいかえた。
「わからないでもありませんよ、あのお気持ち。男女の仲について、手を触れると飛
び上りそうになる鋭敏な感受性で、トゲトゲしくなっていらっしゃるだけで、殿さま
がきらいになって、というものではないと思いますけど」
「そやろか」
 と大将は涙を拭き拭き、聞いていられる。
   (以下略)
4224:2001/07/07(土) 16:15
● 大和和紀 「あさきゆめみし」より 講談社

…紫の君…
…正直 あなたの重さが わたしにはすこし 苦しくなってるんだ…
このまま じっと…  あなたが 花開くのを 待っているのが つらいんだ…
もう… 待ちたくない …!
「紫の君…?」
「…う…ん なあに? おにいさま…」
「わたしを愛している?」
「…ええ… …大好きだわ…」
「わたしも あなたを 好きだよ  かけがえの ないほど 愛しているよ
 …だから 許しておくれ わたしがなにをしても …」
「… いいわ…?」
「紫の君…」 …愛おしい人…

「…!」「…おにいさま…」「いや…!」

「姫さまはまだ おやすみで ございますか?」
「…ああ…」
「まあ おかしなこと いつもは いっしょに 朝げを 召し上がるのに
 ご気分でも お悪いのかしら…」

   あやなくも隔てけるかな夜をかさね
       さすがに馴れし夜の衣を

…ひどい…!  ひどい…!  おにいさま…!
おそろしかった…!  まるで おにいさまではない人のように…
いままで やさしくして くださったのも… このためだったというの…?
なんて おろかだったの だろう… そんなことも 気づきもせずに
まるでほんとうの おとうさまか おにいさまのように 思っていたなんて…
ああ… いや…! ぜったいに許さない おにいさまなんて大きらい…!
4324:2001/07/07(土) 16:16
● 川原泉 「笑う大天使」 第一巻より 白泉社

月日がたつにつれて幼かった紫ちゃんは
益々「年上のあの女」に似て美しくなります。

それを見る 光くんの目に不吉なものが…

それで ある晩とうとう 光くんは理性が ぷっつん消失して
本能だけの人になってしまいました

  最低です

ゆーなれば 大学4年の男が 中学2年の女の子を
手籠にしたも同然の 淫行罪でタイホされるふるまいです

そーゆー いやらしー人を 今まで信頼して いたなんて…!
いくら若くて ハンサムで お金持ちでも 許せません!
「ちくしょおーっ」

…朝になってもフトンを被ったまま出てこない紫ちゃんに
光くんが何つったと思う?

「これこれ」
「気分が悪いそーですがどんな具合ですか?」   <とぼけた野郎だぜっ>
「いつまでもすねていたら皆が変に思うでしょう?」<変なのはおまえだ!>
「そーゆー態度は大変縁起の悪いことです」 <てめーが一番
 縁起悪いんだよっ>

3人は光源氏とゆー架空の人物に対して真剣に腹を立てている

ふ… 藤壷や紫の他にも山ほど恋人作ってさ
この平安人は色恋沙汰以外にな〜んも考えとらんぞ
あ〜… 人間としては考えることは他にも沢山あるのにね
国家の権力構造に対する疑問とか〜 社会的な矛盾に対する怒りとか
一度…光くんにマルクスの「資本論」読ましてやりてぇな〜
4424:2001/07/07(土) 16:16
これにて文体比較終了。書き逃げ御免。