哲学としての易経を語ろう(アンチ儒・老厳禁)

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172名無氏物語
↑色んなアプローチができると思う。近代以後、日本では易というと封建的な思想
という単純な見方がなされていたと思う。しかし実際読んでみるとそうでないことが
わかる。俺としては、変転する環境に対応する処世術としての易がもっと見直されて
いいと思う。最近環境や教育の問題に対応するために易を見直している哲学者も
でてきている。西洋哲学が内面、理性を無制限に信頼するのにたいし、易は変転
する環境に処するための思想である。
そうした意味でおれは期待しているのだ。
173名無氏物語:02/04/19 16:27
流行ればよいのだな。
「日めくりカレンダーで“易経”が大人気!おうちにひとつ!」
みたいな現象でもおきれば。
常識的に入ってくればよさげ。
174名無し:02/04/19 21:08
コンピュータの起源は、ライプニッツが考案した二進法が原点だが、
この発想の元となったのが、易経に描かれる陰陽の思想であることは
確かである。

よって東洋思想と西洋思想をバランス良い所で着地させる事ができる
のが易の役割だと思うし、このことをもっと世間にアピールすべき
である。

<蛇足>
今の中国人は泥棒と嘘つきばかりであるが、いやはや古代の中国人は
やはり偉大なのである。