ちょっと書道やってます^^
臨書するのにおすすめの書家、拓本などあったら教えて下さい!!
>>1 やっぱり、王羲之、欧陽詢、顔真卿あたりが良いかと・・。
珍さん、白さんがお勧めでつ
珍て人っあんまり知らねぇなあ。
白だったら、李白・・逆か
米フツなんかも個人的には。けど鈍吟に云わせると王のパクりな罠。
まあ素人は王羲之でもやってろってこったな
まあ、毒も有るが呉昌碩を挙げておこうかね。ついにageておくか。
>>9 呉昌碩の喫煙は有名だね。如何にも鴉片の力を借りたと思わせる造形が
作品の随所に見える。長命したあたり、恐らく高級品を常用していたのだろう。
(晩年、鼻腔より脳漏したという尺牘があるが、多分蓄膿症。
これと少々呆けた程度で息災だったのには驚き。最後は中風だったようだ)
この当時、喫煙者はかなりいたようだね。
馬国権の『近代印人伝』の王福庵の解説に「喜吸烟、凡刻印寫字、
唇間必含一烟斗」とあるが、王のこれは鴉片や否や?
福厂大人も片中だったとは知らなかったす。
呉篆王印、ヤフオクで出てたの見たけど、
本物かな?呉は今も出とる。
>>14 ヤフオクの印、探せなかった・・。呉昌碩の臨石鼓文ならあったよ。
70年の文物商店で20元?ほんとかね。複製かもしれぬが筆法は
間違いなく呉昌碩。
弘法にも筆の誤り。
弘法は筆を択ばず。
っていうか
弘法大師って、本当にそんなに書が上手いのか?
少時、大師の書を国博で観た。手で書いたもの
には見えなかった。化け物かと。。。
漸く壮となり、再び拝観の機会を得る事ができた。
「なんだ、やっぱり手で書いてるじゃん」
目は肥えたが、手は上がってない典型かと・・・
我が情性の頽唐たる、これも如何ともするなし。
でも、誰でも観られる、よい時代だね。
>>19 いい事言うねぇ。。
>「なんだ、やっぱり手で書いてるじゃん」
だから凄いよね、逆に。しかし若き時、これを観て「化け物」にみえた
あたり、あなたは只者じゃない証左だと・・
・・思われ。
伊都内親王願文(藤原平子願文)を、上野で見て感激し、
新幹線で京国博まで追っかけたことがある。
京都のケースの方がゆっくり鑑賞できた。印刷ではよく
わからないとこも見えて面白かった。
後年、奈国博で出展された時は、それこそ毎朝のように
通った、ほんとに橘逸勢ならいいなって。
なんだか好きだったなあ。
興福寺の南円堂の灯扉銘、あれも逸勢?
もう何年も訪れていない。国宝館の灯銘の釈文、いまも
間違えたまんまだろか。
>>22 呉昌碩、危ないですね。構成、書、自用印ともに。
王のは早速入札入ってるけど、
呉のは興味深々だなあ。
王のは5〜6万くらいまで行くかな?
>>24 >王のは5〜6万くらいまで行くかな?
多分行かないと思う。恐らく35000止まり。否、30000行くか行かないか。
逆に呉の物はもう少し行くかもしれないね。なんとなく勘なんだが・・。
ヤフオクの呉、未だ動かず。さてどうなるか。
王福庵、14000円少しで終了しましたね。
物産店とか、中華図書専門店なら、平気で
10倍くらいしそう。考えればお得かも。
本物ならいいけど。
呉もようやく入札が入りました。
斉白石と呉昌石をかなり集めてる人みたい。
ヤフオクは近代もの(真贋とも)手に入れるには
便利かもしれませんね。
>>27 あの龍門二十品ね、劉景龍所長のから直接聞いてます。摸刻です。
でも下手な影印本買うよりいいね。
>>28 王福庵、14000円はいい買い物ですね。私はちょっと怖い気がしますが、
冒険の価値あり。
缶翁の10000円、正解。あれは全くの贋作。入札者、よく見ている。
>>29 おっと危ない。「所長の関係者から」に訂正。
http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d35786537 が鄭孝胥の真筆なら30000円は行くでしょう。彼の事については
詳しくはありませんが・・。
鄭孝胥(1860〜1938)
福建閩候人,字蘇戡,又字太夷。清光緒八年(1882)舉人,
曾歴任廣西邊防大臣,安徽、廣東按察使,湖南布政使吏等。
辛亥革命後以遣老自居。1932年任偽滿洲國國務總理兼文教部總長等。
1935年下台。書法工楷、隸。尤善楷書,取徑歐陽詢及蘇軾,
而得力於北魏碑版。所作字勢偏長而蒼勁樸茂。亦能詩,著有《海藏樓話》。
鄭孝胥(1860〜1938)
福建閩候の人。字は蘇戡、太夷。清光緒八年(1882)の舉人。
曾て廣西邊防大臣、安徽、廣東按察使、湖南布政使吏等を歴任。
辛亥革命の後は遣老を以て自居す。1932年偽滿洲國國務總理兼文教部總長等に任ぜらる。
1935年台(台湾)に下る。書法は楷、隸に工なり。尤も楷書を善くし、徑を歐陽詢及蘇軾,
に取りて、力を北魏碑版に得。作る所の字勢は偏長にして蒼勁樸茂。亦た詩を能くす。著に
《海藏樓話》有り。
(季咸 訳)
いい加減でスマソ。
>>35 あん!もっとちゃんと書き下せばよかったなぁもう。。後悔。
>>37 蘇戡の筆法は大陸では推奨されているようですね。私の周りには蘇戡に関心
を集める者はいませんが・・。
>楷書は大蘇の表忠観碑とかちょっと似てると思った。
確かに坡公の匂いが色濃く出ていますね。歐陽詢と言うより寧ろ坡公。
さて、ヤフオク見て見て見っか!
まずは高鳳翰。こりゃ面白い。八怪の中で一番地味だが今から来るかもしれない。
しかし、日本では未だその書法の全貌を捉えるに至らないため尻込みしそう。
篆刻は頗る下手だが・・。
斉白石。これ印刷かもよ・・。手を出さぬが吉。
何子貞。うーっ、これは難しい。やや、筆が動きすぎる感もあるが、どう思う?
はい。出ました粛親王。いいね。文句無しだと思います。
呉湖帆。西泠印社社員。海上四大家の一人。こいつは最後に来そうな悪寒。
徽宗痩金体。石版は台北故宮蔵なのかどうかわかりませんね(重い、嵩張る
、は北京に置いて来たようですから)。
寒食帖の拓本!石版はあちこちにあるかも・・。そういえば西安のマーケット
でなんと空海の風塵帖の拓本が!アター。
>そもそも呉蘇って同じか・・・
うまい!
最後につまらん笑い話を一くさり。
「これ、貸してー!(何子貞)」「正気か!(紹基か)」
スマソ
>>41 あん!空海の風塵帖だって。風信帖じゃん!
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
**山崎上げ**
さて、ヤフオクも落ち着いたところで・・
李邕(北海)についてどう思う?
私はこのキツイ書風が大好きです。
李北海、僕も好きです。あの手足が長くって派手目のところ。
聞くところによると、弘法大師は真筆を彼の国より将来したとか、
橘逸勢ともに、その影響を受けたとか・・・ただ単に欹側しているが
為の偶然似だとか。本家もあんなにこねくりまわした筆使いだ
ったのでしょうか?
趙子昴は碑版に取り入れ、梁聞山は力を注ぎ、巻菱湖は学び・・・
出版物などで容易に見る事ができるのは下記のものくらい?
ただ個人的には、李思訓以外はゆるくってどうも・・・
少林寺戒壇銘 葉有道碑 李思訓碑 娑羅樹碑端州石室記 麓山寺碑
東林寺碑記 法華寺碑 李秀碑
他に古詩?(だったけ)を書いた書巻の真筆も近年発表?(以前からかも)
されてましたが、なんだかしょぼかった。
李思訓も明拓くらいまでなら、なんとか市場に出てくるのではないですか?
見た事あります。近拓はちょくちょく見ます。最初のあたり、序の字に改刻
されたやつ。神保町の誠●書房のHPにもしばらく前から在庫分の写真があり
ます。
でも、わくわくする書風だよね。紙墨の色良ければ、近拓でも良いから
一冊欲しいかなあ。
ありゃりゃ、↑誠●堂書店さんだったかな、間違えちゃった。
↑あんれま 趙さんの字も間違えちゃったみたい。読み返してみるもんだなあ。
李北海は、かなりのお爺ちゃんになっても、性格の悪さがアダになっ
て、鞭打ちの刑かなにかで死んじゃったんじゃなかったですか?
ほんま、きっつい人やなあ。
高邕さん、名前がいっしょなの偶然ですか?同名の偉人は、やっぱり
意識しますよねえ。李邕は蔡邕を意識したんだか、どうだったか?
ここのところ、手元になんも資料がないので、すべてウロ覚え。
確認もできず違ってたら申し訳ないです。
*李思訓の碑は、陝西?かどっかにあって、わりかし拓本は採りやす
かったんじゃなかろか?また、おっしゃるように宋人をはじめ、清末
耽美派、近人に至るまで、結構需要があり、近世数多く採拓され、逆
にわが国では人気がない(笑)為、今でも市場によく流れている?
*古書店で見る近拓は、出版された旧拓に比べて太った印象のあるもの
が多い?(と思う)これは拓の採り方か、彫り直したか?或いは覆刻が
あるのか?
*校碑随筆等を検すればよろしいのでしょうが、首行あたりの「序」字
→「文」に改刻され、もう一度「序」に戻ったんじゃなかったかしらん。
李碑なら、明拓でも15諭吉くらいで出るんじゃないかなあ?題跋の良いの
が付いてれば別だけど。ああ、ほんもの見たいなあ。
>>52 >*李思訓の碑は〜市場によく流れている?
頼もしい推理。近拓なら廉価でありそうですね。
模刻、剜改多いようです。二玄社の『書跡名品叢刊』において伏見冲敬氏もそのこと
について触れてる模様。
明拓、15諭吉もしないかも・・。手配すれば10諭吉で何とか手に入りそう。しかし名人の
跋があるものは目玉が飛び出るかもしれませんね。
>ああ、ほんもの見たいなあ。
私も・・。根岸の書道博物館が一本所蔵しているはず(二玄社所載のもの)。
特陳されたら逝きましょか。
根岸の博物館、いったことないんですよ。 学生時代ずっと東京にいたのにね。
公営になったんですよね 泰山刻石や礼器碑は古いものって聞いた事はあります。
醴泉はもしかしたら覆刻であるとか、有名な告身帖は 裁判になったとかたいへ
んなこともあるんよね・・・
先日上京した時、なんとか王献之の特集展にいけたらと努力したんですが、
時間切れアウト。苞竹記念館の開通褒斜道刻石の特集を観てきました。
陳列の情報入るんですか?観にいきたいな。
古拓本は、学生時代は東国博の東洋館に見にいってました。 三井文庫の特別展
にもノコノコ出かけた事もあります。奈良の寧楽美術館では、欧の化度寺とか出
てましたよ。
三井文庫の展観に、李碑が出てたかどうか、なぜか記憶がない! メモもどっか
しまっちゃった。ま、あそこは他が凄かった から・・・
でも拓本で一番印象に残ってるのは、そんなすごい唐明拓ではなく、学生のころ、
神田の飯●書店で、今は亡くなったおばあちゃんが、顔碑の旧拓(明拓っておっし
ゃってた)をわざわざ見せて下さった時の事です。
手の届かない、一番上の棚から出して来られました。
なんだか、墨の色は深いみどりに、文字は銀色にみえましたよ。それにすごく
よい香りがしてました。
初めての経験(笑)って、強い印象を残すものなんですねえ。
後年、中●書店で、中国拓本の名品展みたいなのが開催され、喜んで出かけたん
ですけど、西川寧博士が突如現れたのを遠巻きに見物してた記憶しか残っていま
せん。
拓本、何が出てたんだっけか?
>>54 >でも拓本で一番印象に残ってるのは、そんなすごい唐明拓ではなく、学生のころ、
>神田の飯●書店で、今は亡くなったおばあちゃんが、顔碑の旧拓(明拓っておっし
>ゃってた)をわざわざ見せて下さった時の事です。
良い思い出ですね。あそこの先代のおばあちゃんは熱心な研究者には必ず声をかけて
名品を見せてくれたそうです。友人は皆、あのおばあちゃんに思い出を貰っています。
私はその娘さん(といってもやはりおばあちゃんですが)としか会話したことがないので、
すごく羨ましいです。
ところであの店、最近一階部分をテナントに出して二階だけで営業しているのご存知?
雰囲気は保っていますが・・。上京した折には覘いてくださいまし。
店員と大声で喋り捲り(ここだけの話)陰でコソーリ(-。-)y-゜゜゜いている香具師がいたら
それはきっと私です。
>>55サン
元の書き込み、唐明拓→唐宋拓の間違いです。まあ、別にいいか。
以前はあのお店、二階は倉庫?か何かでした?階段の降りた
トコに、ある時、王夢楼の幅が掛かってて、ずいぶん眺めてた事
を思い出します。
おばあちゃんの独特の髪型、今でも目に浮かびますよ・・・
誠●堂書店のおじいちゃんも、ずいぶんやさしくしてくださり、学生の
僕等を哀れんでくれたのか、いつもいくらかをまけてくださったのを思
い出します。「この○○号は、もうなかなか出ないんでございますよ」
って・・・
水道橋の南●堂さんもおやさしかった。
ただ、けっこう厳しい(当たり前か)ご主人もいらして、翌日まで取り
置きをお願いしてたのに、行ってみたら棚に戻ってたりのお店もあり
ました。奈良の老舗、古●園では「ご予算がたちましたら、お越し下さい」
ってかなり冷たくあしらわれたこともあります(笑)
美術館、博物館に限らず、ほんものの書に囲まれて、書店で語り合うのも
素敵かもしれませんね。
>>56さん
王夢楼・・王文治ですか!清朝帖学派の第一人者であると私は思っております。
と言いますか、右軍より出でた清流の極みであると認識しております。
憧れですね、彼は。
暇があると神保町に入り浸りです。特に美術館めぐりの後は必ず神保町へ
立ち寄ってしまいます。自分を取り戻すために。
あの街はまだまだ人情がありますね。八年ほど前になりますか・・例の店で
『荃廬先生印存』(二玄社刊1500冊限定の影印本)を見つけて散々悩んでおりましたら
(なにせ当時でも75000円しましたから)、二代目のおばあちゃんが
「その本は足が早いからね。一週間待って上げるからよく考えておいでよ」
って言ってくれましてね。翌日には引き取りに行きましたっけ。
あと日本●房だったかな、店先に山積になった線装本に人が集っていましたもので
気になりましてね、人を割って何気なく下になっていた帙を引っ張りだしたら
四帙二十四本の石印版『十三経注疏』がありまして価格をみたら1500円なのです。
急ぎカウンターへ行きましたらご主人が( ̄ー ̄)ニヤリッ 。そのまま売ってくれました。
目玉商品だったのか、価格間違えていたのか、今となっては解りませんか・・。
あの街は常に根っこの大切さを教えてくれるような気が致します。
>右軍より出でた清流の極みであると認識
わあ、うれしい、ほんとに思いますか?
例の王夢楼の幅は、同郷の士、潘蓮巣との応酬、暁起の詩だったような気がします。
何かのインタビュー記事で、こちらのお店の若主人が、旅行先の金毘羅山で王文治の書
に気がつかれた・・・様なのを読んだ事もあります。(記憶ちがってたらごめんなさい)
僕は王夢楼の書は好きで、名品叢刊の題跋とかをコピーして一冊にまとめて楽しんで
たことがあります。台湾で出てる王夢楼の行書帖とかも取り寄せたり(むちゃ粗末で安
かった)、たっかい珂羅版?の多宝塔碑(実はあんまり好きじゃない)も、それぞれに別の
王の題跋がついてるため複数購入したり・・・「書苑」の特集号の不空和尚碑の臨書に似せて
本碑を臨書してみたり・・・特集組んでくれたの書苑くらいなの?かな
国博の高島コレクション?自筆の詩巻、ガラス越しに食い入る(笑)ように見たり。苞竹
記念館では、楽毅論も出てたなあ、三井の礼器碑にも書き入れがあった。。。
もう止まらんわ、結構マニアだったかも(笑)
でも、一般には董の亜流の扱いぽくて、濃墨宰相劉石庵さまの評価の方がまったく高くて
上ですよねえ。なんだかフンころがしみたいなのになあ・・・
貫名菘翁さまが、あれだけ人気の高いわが国なんだから、もっと人気でても
ええんでないの???がんばれ淡墨探花どの!
ホンコンに掲げられているという「三文治」の看板の事を聞くと、いつも貴公
のことを思い出しますよ!
関西の、ある年の“二十人展”の併催の即売会場で、王文治の真筆の
臨書帖が出てたことがあります。後ろに識語もついており、装丁も簡質
。ほしかったああ。45まんって。信販会社に連絡したげるよってしきり
に言われたんですけど、あきらめました(TT) 今に至るもこれを思うて
鬱々たり・・・
>>57サン
あのごっつい本、買われたんですねえ!
実は僕も買いましたよ(笑)・・・僕は誠●堂書店で、もう15〜6年くらい?前。
4.5だったような気がします。通し番が123の冊。
河井翁の呉センセ宛のお手紙とか、あの小さい文字も好きかも!
上で、フンころがしみたいって、暴言はいちゃったけど、前に四日市
の澄懐堂美術館で、劉氏の小楷を見たとき、思わず覗き込んで「これ
いい!」って。。。古意もあり、黒い墨色、愛すべき風に感じました。
有名な「劉石庵相国専講魄力、王夢楼太守専取風神、時有濃墨宰相、
淡墨探花之目」の言葉、前から「風神」ってなんの意味だろって思い
ながらずっと調べてないまんま。なんだろ。
諸氏、こぞって称える中でも、特に比田井南谷氏は石庵を絶賛されて
いましたよね・・・
>>58-60さん
夢楼ファンなのですね!
王文治、私は本気でそう思っていますよ。結体の完成度、意識の澄明度においては恐らく
彼の右に出るものはいないでしょうね。私はもともと碑学趣味の人間でして帖学派
をどこか軽んじていたところがあったのですが、彼の書を意識して後、己が蒙昧さに
気づく事が出来ました。特に細字において彼の書法の丹髄を見る思いが致します。
(東博の『墨池鼎足巻』などはしびれますね。見るだけで清々とした気分になります。
尺牘の書は既出の北海先生の風でカコイイ!です)
梁同書もいいですが彼に比べるとやや俗気を感じてしまいます。
石庵先生はあのポテポテした感じが私もフンコロに見えて・・困ります。
(実は包世臣の書にも・・趙之謙も若い頃は包世臣が風邪引いたような
字を書いていましたが晩年は見事に変身しましたね)
『荃廬先生印存』、123とは羨ましい。私のは1004、追加版です。
西川博士は荃廬先生の字を字典にして使いたいと仰ったとか・・。気持ち解ります。
缶廬宛ての尺牘、和習が見えますが(書き損じのもの)、独特の平べったいやや
写経生風の書きぶり(?)はいいですね!
『荃廬先生印存』もうあんな大冊もなかなか出ないのでしょうね。
中西慶爾氏は、ある原印の事について申し入れっぽい文も書かれてたかな。
あの尺牘にも和臭があるの?若い頃の印款には「祝御開業」ってやってしま
たり、「三井家蔵」の「家」字は、実は和臭だったって聞いた事はあります。
臨川の名宝にも捺されてたりして!
彼の西冷印社にも刻石を残し、中林悟竹の漢文を真っ赤に朱入れしたと聞く
河井翁にも和臭は逃れる事の出来ないものだったのか。
白紅社の荃廬印譜続集、ヤフオクに出てますわ。
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e29150979 『荃廬先生印存』、かの神保町でみつけた時分、なぜか立て続けに数冊売りに出さ
れたのです。そのうちの一冊を、なんとかとりおきして貰える様、その頃の“二代目”
(あの、おじいちゃんの次)ご主人にお願いしたのです。
(実はけっこう渋られました)
...おじいちゃんが亡くなってからは、ホントはあんまり行ってなかったんです。
が、苦労してかき集め、翌日閉店間際にお金持っていきました。重かったけど、手に
入れた時はうれしかったなあ。
今は8〜9まんはするんでしょうか?
張即之の書も、王氏が力を注いだと聞いて、だいぶ出版物を買い集めました。
軽佻との風評なんぞ、まったく気にせず!
梁同書、成親王も好きです。張得天は・・・・好きじゃないです。
風神とは、新字源(今は、これしか持っていない)によると、《人がら、人品。
〔晋裴楷伝〕「風神高邁」 同・風采 おもむき気品 同・風致》
こうしてみると、“魄力”の方がわかりにくいかも。
>>63さん
>あの尺牘にも和臭があるの?
例の尺牘第一葉の第五行目、「固過褒不敢當」この過褒は和習でしょうね。
過稱、或いは過譽というべきところ。十五行目「銘肝」恐らくこれも和習。
銘心で十分。しかし、この黒星、荃翁の缶廬に対する畏敬の念と訪中の意気込み
が感じられて<どんまい!>といったところ。
『荃廬先生印存』、現在、飯●書店で9マンと少し。ネット売り狙ったほうが
いいようですね。
白紅社の荃廬印譜、他の同社刊行のものと同様、頗る印刷が宜しくないですが、
この一連の印譜集は労作ですね。
>>67さま
樗寮先生の書、わが国宝への指定、ミョーに多い?のはなぜでしょうか。
一括されたんだとは思いますが、作品が真言のお寺にも残ってる。
ま、そんなもんなのか・・・
最初は、趙子昂を目的で中公の書道芸術を手に入れたところ、張さんが
くっついていた(笑)のが、きっかけ。
最初は、「ヘンな字」って思いました。
杜甫詩の大字も好きですよ。金剛経は、台湾等から別本も出てました。
白紅社の印譜や、篆隷の法書類、僕の学生時代にはまだ在庫が九段の玉●堂
さんとかに残ってて、ちょくちょく購入していました。でも奥付けには紙が
貼り直してあったかな。
松丸氏もいろいろご苦心なさったんでしょうね。
>>69さん
>樗寮先生の書、わが国宝への指定、ミョーに多い?のはなぜでしょうか。
実は私も不思議に思いました。この辺の事情は全くわかりませぬ。
(文化庁に対し睨みが利く著名書家の仕業か?)
彼の書は実物を見たことが無いため写真のみの評価になってしまいますが、小字の
線の痩肥、特に肥部のややもすれば不細工になるところをギリギリに保っている
あたり、恰も田舎の女の子の「危なげな」可愛さ(語弊がありますが)を思わせるようで、
(ジーッと見ればやっぱり所々不細工なのですがw)痩部がこれを見事に補完している・・。
奈辺に魅力を感じますかね。
白紅社の印譜の印譜、私のにも価格変更のシールが貼ってあります。
松丸氏、愛好者に安価で提供しようと腐心なさったようです。
この当時はまだまだ文人趣味を持つ方々がいたのでしょうね。
否、まだ残っていますね、このスレには・・。
>>71 「白紅社の印譜の印譜」
最後の「印譜」は衍字です。すみません。
>>70さま
詳細な分析評価、これはありがとうございます。
何に魅力を感じているかは、自分でわからないことが多いもの!
張の李伯嘉墓誌銘、打ち込みと払いはどんな筆の入れ方、出し方してるのか
不思議で、ずいぶんまねしたものです。この人の右払い好きです。
(李(山+喬)百詠断簡の右払いはもっと不思議!)
この前の大阪の展覧会にも一時出陳されていました・・・
写真と実物では少し違うものがありますよね。紙、墨色、照明等の条件も?あり
一概にはいえないですけど、趙子昂は実物を拝観して意外にがっかりした事があります。
董其昌は思ったりも生き生きとよく感じた。でも、これも、西川博士の書物などを読んだ
先入観があるのかもしれません。
文人としての行き方、先賢にもそれぞれのきっかけがあったのでしょうね。
それを習って行くのも面白いものです。
>>73さん
樗寮先生の線の痩肥は本人かなりの美意識を注いだ筈。肥部の配置が絶妙ですから。
しかし、あの起筆部は穂先のよく利いた筆をほぼ垂直に落とし、すぐさま幹頭を右に
傾けたのでしょうか?(所謂、俯仰法)起筆に限らず随所に不思議な運筆が見えますね。
書作品(印影も含めて)は
実物>印刷と印刷>実物
とがありそう・・。これらの違いはどうもよく解りません。だいたいに於て、
造形で見せている作品は印刷に堪え、線性や匂いを旨としている作品は実物が
勝る、と考えているのですが。
書道博物館で告身帖の実物を初めて拝観したときは、あまりの生々しさに思わず本物?
と訝しく感じたものです。つくづく、印刷物に飼いならされてしまっています・・。
大(中)字の法を、過去の成功例から取り入れるのはうまいやり方ですよね。
趙の李北海、蘇の顔魯公。張樗寮の題額の書、大字が、禅門に非常に好まれ
たというのは親交のゆえのみではなく、大きく書いて見栄えがよかったから?
あれだけ、用意の書と見えるのに・・・禅機(ほんとはどういう意味だろ)と
は面白いものですね。
でも、しばらくのところは、南宋に現れたアダ花的な扱い(言い過ぎ?)を
されていくのではないでしょうか?ちょいと残念。
昨日、ほんの偶然に京の智積院の脇を車で通過しました。なかなか、不
思議に感慨深く思ったことでした。
>>75さん
用意と禅機。わが日本人が考える禅機とは、ちと違うのかもですね。
巧みな書ですよ、あれは。徹底して理性的で抑制的です。
禅家が好むのはこの静謐さと厳しさでしょうか?
己が潜在するところの美意識に適う古典を渉猟して奪胎しつつ再び己に沈潜する・・。
どこを切っても彼自身。斬れば血の出る書。そんな風に見ています。
徐三庚(特に篆刻)も昔は、やれ末期趣味的だとか行き過ぎだとか言われていましたが、
最近は評価もすっかり変わって参りました。時の権力者の評価でベクトルが変わるあたり、
何だかいやですが、現実ですねぇ。
(呉昌碩なんかも叩かれていましたしね、昔)
張先生の書もその内、評価が変わると思います。でも出来れば草莽(?)の力で
盛り立てて行きたいものです。
たしかに、評価のあるなしでは、まったく人気も変わってきますよねえ。
本の売れ行きも違うでしょうね。後を継ぐ力とはなんと大きいものなので
しょう。
徐袖海の下で勉学に勤めた信州の秋山白巖氏の事は、西川博士の本で
知ることができました。(もしかしたら、西川氏が書かれなかったら、
秋山翁の事は伝わらなかったんじゃないでしょうか・・・)
白巖書の習字本を学生時代に古書店で買い求めた事があります。けっこう
普通っぽい文字で、意外(笑)に感じました。実際にはどんな書や印を作っ
た方なのでしょう?信州を歩けばその遺跡に触れる事はできるのかなあ。
徐の華麗をさらに発展させた、というような事ではないのかも。
書道東遷といえば、宮島詠士氏をすぐに思い浮かべますが、後世への影響
は徐〜秋山氏とはパターンが異なるのでしょうか・・・・
徐三庚、書も印もけっこう好きです。はでやかでかつ行き届いた繊細な雰囲気
・・・頽廃の香りも。印稿なしであの印を刻んでたって、脳味噌かちわってみたいわ。
目に浮かんで来るのか、夏目漱石の運慶だか快慶みたいに、石の中に埋まった文字
を彫り出すのか・・・
でも、なんで、中国での書風の紹介文ってあんな杓子定規なんだろ。徐書なんか
の特殊な風を微妙に表現して欲しいなあ。逆に漢字の持つ限界でしょか?
それとも、僕が漢字読めてないだけか・・・
徐の書碑はないのかなあ、もしあれば、どんなのだろ。
王文治の碑もあるってきいたことがあります、見てみたいなあ。
>>77さん
秋山白巖氏の篆刻なんてあるのでしょうか?見てみたいものです。
やっぱり徐三庚ばりなのかなぁ・・。
>後世への影響は徐〜秋山氏とはパターンが異なるのでしょうか・・・・
執筆法が違うと何かに書いてありましたね(西川博士だったかな)。
白巖翁は廻腕法の変形バージョンだとか。当時の大陸で流行って(?)
いた方法なのかな?張廉卿→宮島詠士、徐三庚→白巖翁の道統の違いは研究に
値しますね。
昔、中国書法家協会の招きで北京全聚徳へ参りましたが、張廉卿直系の書家で
同協会理事の張●範先生と仰る方の席上揮毫を拝見致しました。執筆法はあの
中国独特の肘を張り出し、手首をほぼ直角に曲げて固定するやりかたです。
運筆が実に遅く、所謂「外方内円」を出す所では殆ど塗り絵かと思うほどの
筆遣いでありまして、逆に妙な感動がございました。
私もこの執筆法を用いていますので、後で同先生にチェックして頂いた事を
思い出します。
布字なしで刻したという徐の逸話はちょっと眉唾に受け取っております。
出来たとしても恐らく四字止まりなんじゃないかなぁ。多字印を布字なしで
刻し、然もあの完成度というのは・・・ねぇ。
>なんで、中国での書風の紹介文ってあんな杓子定規なんだろ。
どんな文章なのですか?まあ、何でも前例主義のお国柄(人様のことは言えませんが)、
特に文章は古典剽窃上等ですから、5.4運動後の文学革命で散々叩かれたような無味乾燥
な言葉をつなぎ合わせたのでしょうか・・(胡適の文学改良芻議は笑えますね)。
>どんな文章なのですか?
よく思えば、不用意に書き込み過ぎました。
また、漠然としすぎてますね。今、事情で日文、中文とも手元にまったく
資料がないので、これも比較して説明できないのは、ごめんなさい。
ま、読解力のなさに尽きます。
ネットで徐についての論文で見やすいのは↓でしょうか?貼り付けていいのかな。長っ!
http://web.ntntc.edu.tw/gac620/book/91%E7%B4%9A%E5%AD%B8%E7%94%9F%E5%B0%88%E9% A1%8C%E6%96%87%E7%AB%A0/%E8%98%87%E5%8F%8B%E6%B3%89%E6%95%99%E6%8E%88%E6%8C%87%
E5%B0%8E/%E6%B7%BA%E8%AB%87%E5%BE%90%E4%B8%89%E5%BA%9A%E7%9A%84%E7%AF%86%E5%88%
BB%E8%97%9D%E8%A1%93.htm
なんか中国語の書風とかの解説って、どれも博物館の解説文の長いのみたいに感じるんですよ・・・
それはわかった、だからどうしてそうなった?どういうふうにやってるん?・・・・みたいな
王も欧も虞も楮も、海彼の文には、みんなそう感じたことがあるんです。
(少時本で接した西川氏の文章のうまさってのが、先にあって、素人には、
他を蔽うてるよに見えるだけなのかしらん)
↑スイマセン、ごおgえで検索して当たった、某氏の「淺談徐三庚的篆刻藝術」
小論文です。
>執筆法
あのヘビの鎌首みたいな執筆法ですね?下腕の上(甲)側が攣ります・・・笑
82〜3年?頃に、渋谷の東●プラザで、香港の書王、故「余雪曼」(姓のシャ字がない)氏の席上揮毫を拝見したことがあります。
まず、彼の右腕が変形していたのには驚きました。親指は上向きに筆管に当てるせいか、関節がぐんと反対向きに反っている。
その右肘は右前方に蟷螂のカマのように、否、カニの足のように突き出てオールのように傾斜している・・・
さらに驚く事に、それが飛龍電撃のごとく、目にもとまらぬ速度で、一気呵成に文字を作られるのです・・・蓮体と呼ばれる
その華麗な書体が花びらを散らすように次々と紙上に現れる。
でもでも、それよか、くわあ〜って、肘がこっち向いて飛んでくるぞ!!(中国の人の執筆が遅いって誰がいったのお?
・・・スターシップトゥルーパーズって映画ご覧になった事あります?)
しかし、すぐ後に続けて披露された“左手書”と“双手書”において、もう一本の筆を執られた左手指と左腕は、右とは違い、
常に異なることなく、反ってないし突き出てもないし、まったくもって普通でした。
書かれた双手書が対照的(左手側は反左に、二行に飛馬と書かれた)であるのに比べて、書かれる時の姿勢は、右がでっぱって
るのが大変面白く見えたのを思い出します。
左手双手は中年以後に始められたと聞きました。やはり、長年の修練により右は変形したのでしょうか?
それにしても、書き上げたあとに、早撃ちの銃を回すように筆をクルって回されるしぐさは、とってもかっこよく見えました!
(僕が艶媚な書を好むようになったのは、この時の印象が強烈だったせいかもしれませぬ)
上に述べられた張氏伝来の遅筆とは、少し異なるんでしょうか?僕が中国の方の執筆を実見したのは、
この時だけです。余氏には描模の様な動作はまったく伺えませんでした。(補筆はなさってましたが)
しかし・・・真似すると、腕の甲側の筋がやっぱ攣るわ(笑)
「二玄社」の「書道技法講座」の九成宮の解説写真で、氏の親指の反り具合を多少なりとも見る事ができますよね。
>>81さん
私の書き込みにより、お手を煩わせてしまったようですみません。
<(_ _)>コノトオリ<(_ _)>
ああ、良く分かります。なんか確信に触れないというか勿体ぶっているというか、
だからなんなの?というか・・。ということですね。
文言なら兎も角、現代文に於いてさえこうなるのは、按ずるに彼らにとって、
文章とは未だに「よそゆき」なのでしょうね。体裁第一、内容第二みたいな
ところがありますものね。一見、えらく仰々しい物言いなのに実は大した事
いってないYO!てなことが散見致しますものねー。科挙の八股文もびっくり
というような、「ミテクレ」必死の文章よく書くなぁ。。
と思うことは私にもあります。逆にその辺が面白くもあり、魅力でもあるのですが・・。
「精一杯の威張り」
彼国の特に文章における威張りは世界一でしょうね(笑
こんな文章を例の北海先生風に書かれた日にゃもうあんた、いちころですゼ(爆
氏との語らいは勉強になりますし楽しいです!
つづきは日をあらためて・・。おやすみなさい。
>>85サマ
唐突ですが、題跋等で時々見る「以此冊為観止矣」(いばってるネ)
と、現代文のニュース記事で見る「令人嘆為観止」って、意味は
異なってきてるのでしょうか?後者はもし慣用表現なら、なんて
日本語がぴったりなのかなあ?ご存知ないですか?
スレ違いならお詫び、
詫びついでに・・・彼の靖庵西川寧氏の書の展覧会が昨年上野でありまし
た。そこに、よく知られた文人佳話としての「無鬚寧」の印と題識が
出ていました。あの、呉翁(だったけ)をもじったヤツです。
その識文の中で、何十年ぶりの先方に気がつかなかった所に「詫曰」
って文字があるんですが、これって、お詫びする意味で使われてない?
後生がむやみに先賢を批するのは戒むべきでしょうがずうと疑問。
「詫」字は西川氏が私淑された趙之謙の印款(陶山避客4文字)
の中には見えますが・・・
(学完白山人作。此種在近日已如絶響。俗目既詫為文何派刻印家〜云々)
僕の辞書には、“わびる”の欄には“国”マークが付いてるんです。
ここまでくると、2ch〜ここで書き込んでいいのやら(笑)
詫!侘!侘!
でも、ああいう風雅交際は素敵ですよねえ。
いや、実はいつかは、自分が手に入れた古碑帖に、
古墨のよいのをユクーリ磨って“爲觀止矣!”
なんて威張って(笑)書き込めたらいいなあなんて。
李北海風でいこか!
それが無理でも、(自分の)「曽在●●××処」の蔵印が、
くっついた書物が、数十年後に神保町の飯●書店に並ん
でる様子を静かに空想するのもいいかなって・・・
>>86サマ
レスしたいのですが時間の余裕が・・。ちゃんと書きたいので暫くお待ちを!
季咸 ◆SDL//zxd5k 様
お忙しい中レスありがとうございます。ぜひぜひご教示ください!
僕も思い立って、今日は図書館に行ってきました。
で、辞書を引いてみたのです。そしたらあるある。
「驚詫」・・・・驚き訝るとの意味で、各中国語辞典に載っていました。
驚異.詫異.驚訝詫異、(文言用語)jingcha
別に「驚詑」ってのもあり...発音も違ってた
「嘆為観止」・・・・中国語辞典、成語辞典に載っていました。最高のものを
観て感心し、褒めたたえる、芸術方面に使う事が多いtanweiguanzhi
両方とも、普通の漢和辞典ではよくわからず、載ってない辞典も多かった
です。“モロカン”にはさすがに載っていましたよ。
季咸 ◆SDL//zxd5k 様
図書館の書架にあった西川博士の著作集をひらいてみました。
「六一年四月。余到広州坫頭。迎接人中有呼余名求握手者。
問其姓。曰容。盖昔日之希白先生矣。余驚且詫曰。先生昔
無鬚。而今有之。是以看錯。容翁曰君昔無鬚今亦無之。所以
不錯。一座絶倒。六五年又到広州。馬君国権諗余云。尓来
容翁廔以此事為談柄。戯刻此三文以解嘲。寧」
「みだりに先人を批するととんでもない事になる」とはよく言ったもので、
安叔先生、ちゃんと「驚且詫曰」って書いておられました。話の流れで
「お詫びして言う事には...」の意味として読んだのは大間違いという
事になりそうですね。...詫侘咤
ところで、この文の終わりにある「馬君国権諗余云」の「諗」は、どんな
意味なのでしょう?辞典で引いたのですが、「勧告」「いさめる」でいい
のかな?それなら、最後の「解嘲」(あざけりを弁解)にかかってくる?
とすると、僕が誰かから聞いた「佳話」や著作集の解説にある、“鬚にか
かわる楽しい思い出話”、的な解釈は少し違うのやもしれませぬ。別に書
かれた書道代表団の訪中の記の中で、鬚の話題も合わせて、先方の歓迎色
に関してすこしひねた書き方をされてたのも気になるかなあ。
(容庚氏は反日感情が強かったと、別のどこかで読んだ事も思い出されます・・・)
馬国権氏「先生あのことずっと言われてまっせ・・・」で、佳話や、楽しい思い出
どころか、衆前で彼の国独特の切り返しを食らった、恥かしい思い出でもあった
のではないでしょうか?大先生に対して詮索が過ぎるかな?
で、もともとは「無鬚呉」でしたっけ? 散書が悔やまれるなあ。頭に入っ
てないもの。
>>89サマ
今夜はゆっくり出来そうです。
>ぜひぜひご教示ください!
いえいえ、教示できるほど知識はありません。胸を借りるつもりで鄙説を開陳いたします。
「令人嘆為観止」 人嘆(人の嘆き)をして観止たらしむ。
観止は御説の如く「最高でありこれ以上のものはない」
(これ見ちゃったらあとは見るのを止める の意から)
つまりこれは最上級の褒め言葉ですね、普通。普通と申し上げたのは、どうもこれを皮肉に使われる
ことがあるようです・・。
私の手元に『歐文觀止』(錢濟鄂著 書林出版)という台湾本があります。
一見、欧陽脩のベストセクションに見えますが(私もそのつもりで手にしたのです)、豈にはからんや、
文忠公の文章を「逝ってよし!」とばかりに叩きまくった本なのです。
つまりここでの観止は「つまらないからこれ以上見る必要なし!」という意味ですね。
「観止」の対義的バージョンは他にも見た覚えがあります。
科挙くずれの飲んだくれを”孔乙己”と呼ばしめた魯迅のアイロニーの如く、(ちょっとチガウカナ?)
文人達が好んで使う「観止」(これ以上の物はない)の語を逆手にとって揶揄したものでしょうね。
勿論、正規表現(褒め言葉)がほとんどを占めますが。
悲惨なニュースの見出しがもし「令人悲為観止!」だったら「これ以上の悲しみがあるか!」と言うことなのかも
しれませんね。
>いや、実はいつかは、自分が手に入れた古碑帖に、
>古墨のよいのをユクーリ磨って“爲觀止矣!”
>なんて威張って(笑)書き込めたらいいなあなんて。
うっ、羨ましい!私の場合は多分、「逝って良し!」の意味(笑)になるかと・・。
ったく、ろくな物はないのです(´・ω・`)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
六一年四月。余、広州坫頭に到る。迎接する人の中、余の名を呼びて握手を求むる者有り。
其の姓を問わば、容と曰く。盖し昔日の希白先生たり。余、驚き且つ詫(いぶか)りて曰く。先生は昔、
鬚無し。而して今はこれ有り。是(ここ)を以て看(み)錯(たが)うと。容翁曰く、君は昔、鬚無く今も亦、これ無し。
錯わざる所以なりと。一座絶倒す。六五年、又、広州に到る。馬君国権、余に諗(つ)げて云う。尓(爾)来、
容翁、廔(しばしば)此の事を以て談柄と為すと。戯に此の三文を刻して以て解嘲す。寧
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【季咸 訳】
(拙訳すみませぬ。”詫”は「いぶかる」と読んで見ました)
いや、恐れ入りました!実は私も以前、この”詫曰”について(洒落ではありませんが)訝しく思ったことがあったのです。
まず「誇る」は論外。「告げる」にしてもこのことを強調するシュチュエーションではなく、余驚曰で十分なところ
(こちらの方が緊迫感があります)。これを尚「余驚且詫曰」というのならば”且詫”は贅語ということになります。
”驚且詫”「驚き且つ詫(つ)げて」という並列もおかしい。このような場合、目的語”之”を加えて”驚而詫之”という
形式を取る方が自然です(私は不覚にもこの時点で「驚詫」の語を知りませんでした)。結局、よく調べずじまい
(モロカンさえ引かずの放置プレイ)で今日に至ったのでした。氏がこの事に言及なさったのを機会に改めて調べて見ました。
「驚き、また訝しく思いこう言った・・」で大正解だと思います。ありがとうございました。
私も危うく先賢を辱め、己が恥を晒すところでした。一見、和習?と思いましたもの!
(しかし、仮令安叔先生に和習ありとても、曩の荃翁同様、その光が翳ることはありませんね、決して)
”諗”は勧告、忠告することにより、「告げ口」の意としてお使いになったのだと思います。
「あいつ(容庚)、あれ以来、君から一本取ったことをいつも話の種にしてるよ!(笑)」と彼(馬国権)が告げ口した、
と言うくらいの意味でしょう。
この話柄が決してネガティブなものではないことは「一座、絶倒す」で明らかだと思います。
ご自分を叩かれ役にしてお話を面白く豊かなものにする、蓋し安叔先生が文人であったことの証左なのでしょうね。
容庚氏の『金文編』、多少、時代が抜き去った感もありますが、未だ重要工具書の地位は揺るぎませんね。
呉昌碩の自用印、「無須呉」ですね。款拓が激しく見つからない・・。確か、無須呉無須呉(鬚無し呉さん×2)
とからかわれたんじゃなかったかなぁ?
季咸 ◆SDL//zxd5k 様
ありがとうございます。ざっと読みすごしていた西川氏の
小品の面白さがよくわかったような気がします。容庚氏の
「金文編/続編」東●書店で、いつも見上げていました。
文字はすべて模取されたって聞いて、すごいなあって・・・
今はだいぶ安く手に入るようになったのかな。
また、「嘆為観止」。あの9.11事件に関する雑誌記事か何か
にこの言葉を見つけて、目を蔽うような事件にも使うのかな
って思っていたのでした。「欧文観止」とは「古文観止」と
かのもじりですか!?
ボクももじってお礼、
・・・兼恵観止妙門、頂戴供養、不知攸厝!・・・
僕の集めたものも、ハタから「観止」モノです。でも捨て
るには惜しい(笑)。欧陽永叔公も、「物は好む所に聚まる」
って言って下さってますから!いつかきっと!ですね。
季咸 ◆SDL//zxd5k 様
「物聚於所好」って言葉も、実例は手元にはないですけど、
現在では別な意味で使われてる様な事はないですか?賄賂と
か金銭に関する表現っぽい..酔翁亭記の「酔翁之意不在
酒」ってのも「敵は本能寺にあり!」なんて聞いた事があり
ます。欧先生たいへん。これはまた図書館行ってみよう。
ああだこうだ考えると、欧氏の「集古録跋尾」の文字もなか
なか味わい深い書と思えてきました。
先に話題となった秋山白巌氏の書をなんとか見たいと思い、
本をいろいろめくってみました。芸術新聞社「近代日本の書
−現代日本の書を訪ねて-」の204頁に、朱熹の詩を書かれた
横幅の小影があります。印は自刻かなあ。
また、上條信山氏の自伝、展望社「硯上の塵 信山自伝」中に、
氏が秋山氏に内弟子修行をされた事を記しておられ、与えられた
「張廉卿魏書千字文」の秋山氏自筆と思われる隷書の題簽が載
っています(12頁)。
徐・張両統に縁がおありとは、数奇な出会いをされた事ですね。
図書館で同朋社の千文の複製解説も見てみよう。
そこで「宮島詠士・人と芸術」を披いてみた所、若き日の
宮島翁と、清国の駐在官の間に交わされた筆談中に・・・
うえっ、ここにも「詫」って字があるぞ・・・
曰く、「若必欲在保定学院、当詫之何人則可。必非要請之
貴政府則不可乎。」曰く「別有与黎公語者一巻。此巻総
詫弟之留学貴国。黎公之語曰必為周旋即可作介紹函。家君請
閣下為此巻之跋語。」
これは「告」でいいかな。明治のヒトはよく使ってたんでし
ょか?
これまで大変マニアック?な書き込みばかりになってしまい
ました。公開スレッドでこんなんでいいかなって思います
が・・・季咸氏のレス、ほんとうに楽しく勉強になります。
一昨日、映画の「HERO 英雄」(チャンイーモウ監督)
を観てきましたが、趙〜秦の文字統一、書と剣の極意が作品
の重要なモチーフとされており、大変面白く感じた事でし
た。
あの、秦王に献じられ掲げられた擘窠の書、いったい何に書かれ
たんだろか?絹?あの時代あんなでっかい筆あったん?
そして・・・剣字の小篆は趙で作られたのか・・・・
これもマニ的。映画スレ読んでも載ってないよなあ。
(でかい筆といえば、やっぱり豊道春海翁、上條信山翁が
松本の某祠で揮われた、秋山白巌翁遺愛の巨筆ですか)
100ゲット!
>>100 ようこそ!こんな深いところまで足を運んでくれてありがTon。
>>96-97サマ
『金文編』9000円位でしょうか?容庚先生、「可謂勤矣!」ですね。
「鶏肋」と申しますか、寒齋を埋め尽くすガラクタも役にも立たずの二束三文、
しかし棄てるに忍びず・・イトオシイのですよ!これが!
「物常聚於所好、而常得於有力之疆・・」手の届かないものは得られない・・
当たり前の一文ですが、力と言うより「縁」も問題とも受け取れますね。
物って多分、いちばん愛してくれる人の所へ集まると思いますよ。きっと!
思い続けていけば縁も繋がる・・。思い続けた物が来たときにはカコイイ跋を
物が嫌がらない程度に附したいものですね。私の文章の勉強は生涯に一度
だけ、これはと思う物に跋を加える為だけのものなのかもしれません。
でも、それでいいんです。
「物聚於所好」を、お金や賄賂に使うような香具師(一応、2chっぽく)、いますねぇ。
断章取義も甚だしい、「可謂誤用矣!」誤用と謂いつべし!(めっちゃ和習w)ですね。
>>96-97サマ
・・・兼恵観止妙門、頂戴供養、不知攸厝!・・・
おお。意味深長。今ひとつご教示を!
暫く出張いたします。つづきはその後に・・。
季咸サマ
「可謂勤矣。」孜々おこたらず細かい仕事をやりとげた書物等を評する言葉
でしょうか?20年ほど前、某書肆の王右軍の行書字典が出版された時、後ろ
になんと、漢文の跋文がついており・・・それを編者が王書を集字されてる・・・
「これまた、なんと大時代的な!力の入った事だなあ!」なんて思いながらも、
「今の日本にも、お弟子さんの書物に漢文で寄せる人がいるんだ。書肆もわざ
わざページを割いて・・・・大したもんだなあ」なんて思った事がありました。
たしか、その文中にも「可謂勤矣!」て・・・・あったかな
こんな所に使う言葉なんだって感心した記憶がありますよ。
>>・・・兼恵観止妙門、頂戴供養、不知攸厝!・・・
ごめんなさい。→
ttp://www.nezu-muse.or.jp/97-11-09/toji-img/huu.jpg 以前にここで弘法大師の風信帖の画像を貼り付けてくださってたので・・・・
・・・・・・・・・「止観」を「観止」に・・・・・・入れ替えた・・・・・・だけ・・・ですです。
下手な洒落で、もうしわけなし!
物の本によれば空海さんと、最澄さんの綱引きがこのお手紙には伺えるとか。
いろいろ昔っから、みんなたいへんだったんだなあ。
伝教大師の書も、国博ではじめて拝観しました。初めて見た時はなんともい
えず心を打たれた記憶があります。それは弘法大師の書を見た衝撃とはまった
く異なる感覚・・・
今は叡山に登れば大抵陳列してあるのかなあ「山家学生式」。前は「照于一隅」
の有名な箇所が開いてありました。
「照千一隅」と読めましたけど、これも、いろいろたいへんらしいなあ。
いまも昔もたいへんだ。
季咸様
もしご覧になってれば、ひとつお聞きしてよろしいですか?
千年将来されたという張猛龍の墓誌銘って、あれホンモノ
なんですか?学界ではどういう扱い?
(ちなみに僕は張猛龍碑は習ったことはありません。嫌いじゃないよ)
煩悩
東急
警察
111ゲット!
>>107サマ
張猛龍墓誌銘については真贋両論あるようですが、詳しい事情は不勉強です。
申し訳ありません(学界での扱いも解りません)。
また、時間を作って参りますね。
>>98サマ
>「張廉卿魏書千字文」の秋山氏自筆と思われる隷書の題簽が載
>っています(12頁)。
ほう、見てみますね。
「当詫之何人則可」この詫は告げるで問題なしですが、
「此巻総詫弟之留学貴国」この詫は託の譌誤じゃないですかねぇ?
そういえば西川博士の全集の挟みこみに例の印跋の書き下しがありました。
そこにはなんと「驚き且つ詫びて」とやっておりましたよ。
訳者、穿鑿しなかったのかしら?それとも穿鑿し過ぎて私たちが郢書燕説
しているのかしら?なんて思っちゃいました。でも深読みした方が面白いです。
面白そうといえば「HERO 英雄」。まだ観てないのですが期待できそうですね。
>そして・・・剣字の小篆は趙で作られたのか・・・・
ほんとに?いま『説文詁林』あたって見たのですが、諸家の皆さん剣の寸法
だとか、説解の「人所帯兵也」について述べるだけで、とんと解らず・・。
あの映画でそう言っていたのでつか!?
(興味津々!)
ひょっとして李斯が趙に滞在中に作ったとか?そこで金文の金に从う字を
刀に从わしめたとか?問いたい。問い詰めたい。小一(ry
「可謂勤矣」封面などに良く見ますね。本を出すならやっぱりオエライ先生に何か
一筆。そんなときの常套句なんでしょね、多分。
>20年ほど前、某書肆の王右軍の行書字典が出版された時・・
ひょっとして同じくらいの年代です。私めと氏は。(日本語変?)
私が二玄社の『書道講座(篆書)』買ったのは25年前です。工房でした。
呉譲之の書が怖かったのを覚えています。んで、授業中に見てたら先生に
没収されてしまいました(;´∀`)
徒に馬齢を累ねるばかりで学問は一向に進みません・・。
こんにちは
>秋山氏の隷書・・・僕の買った本は「同朋舎」のものだったような気がします。
再版・出版社を変えての再々版があったかどうか調べていませんが、写真は同じ
ように載ってるんじゃないかと思います。
>詫→託、なるほど筋がよく通りますね。ありがとうございます。この当時の詫字、
南方方言ってことはないですよね。また、古風な言い方の口語であるとか。
>「驚き且つ詫びて」・・・昨年の国博の会場でも左のように解説をされてるのを耳に
したのですが、その方がどういった方なのかわからないままで、その場ではさすが
に聞きそびれました。もしかしたらお弟子さんを連れた門流の先生であったかも。
解説担当の先生ではなかったかもしれません。
>剣の字・・・劇中、当時「剣」は19種の書き方があり、主人公が所望した大字書に、
新しい字体と字(の大きさ)にふさわしい朱書を以って応じる場面があります。
金偏の字も一瞬出てきますよ。背景の部屋の中にも篆書で文があるのですが、一瞬
で読めません。不勉強が残念。趙は学問の国で、命?を賭けて新しい字体を編み出す
のです。秦王は秦王で「なんと不便なことよ、統一の暁には文字は一種類に・・・」
と述べる場面も見られます。
それと、もしご覧になるなら・・・後半にやはり文字を書くシーンが出てきます。しかし
文字自体は見えません。文字はじきに解明がありますが、動作からどんな書きぶりだっ
たか、後で類推してお分かりなら教えていただけませんでしょうか?(笑)
>二玄社の『書道講座(篆書)』買ったのは25年前
本は新しい方ですか?あれたしか旧版もありましたよね。僕は新しい方で揃え、中国書
にはまっていったような気がします。また同時に近・現代作家をだんだん知ることができ
ました。ちょうど、上の「行書字典」に跋文を寄せた先生が大部の字典を出されたころで
す。その先生が自己紹介をわざわざ古文で述べられているのを看て噴き出した記憶があり
ます。何も知らない工房。その後、わが東遊と同時くらいが寿蘇の壬戌の年ではなかった
かしらん。
>先生に没収されて
しかし、授業中の没収が該書であるとは面白い、エ●本どころか・・・!
>郢書燕説
面白い言葉ですね。最澄の「照千一隅」はこれには当たらないのかもしれませんが。
>呉譲之の書が怖かった
・・・いったいどう言う・・・怖い程のテクニック?それともホントに怖かった?
僕は孫秋生造像記だったか、あれがある晩とても怖くて気持ち悪くなり本閉じて
布団被ってブルブル震えた事がありました。今も北涼系の書や、明王像もも〜う
ダメ、何がだめなんかわからんわあ。
龍門には行けんかなあ。
よく思い出したら、孫秋生ではなく魏霊蔵造像記でした。
ええ書だと思うんだけど・・・・ブルブル
二度目の還暦
>>177大兄
@゚ー゚)つ旦~
今日はユクーリしてます。書道スレでは失礼致しました。
当時の詫字が南方方言かどうかは私のcapacityを超えております。ごめんなさい。
「HERO 英雄」は近々、観に行くつもりです。
>動作からどんな書きぶりだったか、・・
雅命、果たしてかなうや否や?
『書道講座』の没収事件(笑)は厨房の頃でした・・。
「呉譲之の書が怖かった」
ホントに怖かったのです。白状しますと、私は物心付いた頃から漢字(墨書)
が怖いのです。特に篆隷が怖かった・・。幼児の頃は酒のラベルに恐怖しました。
あと、店の墨書看板などに。篆隷の事は父親に教えられました。小学校に上がる
前です。怖い漢字の中に特に変な奴が二人いるなって。
「これ、なんて言う書き方?」「篆書と隷書だ」「なんて怖い字なんだろう・・」
親父は教員でしたので知っていたのでしょう。時は高度成長期の終焉にあたり、墨書文字
が漸漸と廃れてデザイン文字が街を埋めていくのを見て心から安心しておりました。
その後、中国文化全般が怖いことを気づくに至るのですが・・。あるとき(小学4年位)、
デパートで「明清歴代宝物展」(だったかな)がありまして、怖いもの見たさに友人を
誘って観に行ったのです(一人じゃ行けませんでした)。
入り口に萬暦帝の巨大パネルが展示されているのを見た途端にパニック起こしてしまい(笑)、
友人の手を引いて逃げ出してしまいました。ショックで二、三日学校休んじゃいましたっけ・・。
(当時のキャセイ航空のCM、香港版は怖かったなぁ)
しかし、両価性というのでしょうか?恐怖しながらも惹かれて行く自分がいまして、
そんな自分が嫌でたまりませんでした。自分は病気に違いないって・・(爆笑)
まるで自慰行為を覚えた少年がこれを繰り返すたびに後悔する様な・・。
気が付けば竹簡のレプリカや、封泥もどきの焼き物作ったり、漢文もどきの文章書いたり・・。
ですので授業中にコソーリ見ていた『書道講座』はエ●本となんら変わらないわけでして(大爆笑)
(当時封泥の存在は知りませんでした。ただ金印「漢委奴国王」の模刻?を土粘土に押し付けたら
面白かったので。机の上の竹簡とこれとが結びつくなんて思わなかった。後に『篆刻編』で封泥
と言うものを知ったときもさほど驚かなかったです)
いまでも篆隷は恐ろしいです。曹全碑なんか駄目です。龍門は比較的大丈夫なのですが、
魏霊蔵造像はかなり来ますね。文字が湧いて(?)いますから。文字一個一個の顔が怖い。
並び方も怖いです。
ttp://www.shubi.jp/takuhon/girei.jpg これで言えば最初の五文字、最終の六文字の密処、「必表光大」の欹勢、「必」の顔。
第二行の「之」、「敷」、「亦」の顔、「希」の異体が特に怖い。
また参りますね。今日はこのへんで。おやすみなさい。
季咸様
いろいろおもいました。脳の使用する領域がおそらく僕らより広い方・・・
というのは、幼時少時より、異常な感覚を抱いていらっしゃるのではない
でしょうか?それは、凡庸な僕らのなかなか持てぬ喜びと同時に深い憂い、
悲しみをも呼び起こすものではないかとお察しします。
(あ、こりゃ蘇東坡か)
幼少時の西川寧博士、またどこかで読んだ神田喜一郎博士(だったかな)の
お孫さんのエピソード〜小学校上がったばかりに「麤」字を弄び、学級担任に
保護者がたしなめられた〜そういった事も思い出しました。小さい頃に、
この摩訶不可思議な文字の世界に接する環境があるかどうかは、きっと大きな
意味を持つことなのだと思います。歴代の名書法家も、ほとんどがみな
「早熟」ではなかったでしょうか?だいたい「晩成」は、なぐさめの言葉
である事が多いもの。萌芽は幼少時のエピソードに現れるような気がします。
>>季咸様
僕なんぞ老蘇にあやかろうかと三十前でも大丈夫!なんとか読書始めようか・・・
「蘇老泉、二十七、始発憤、読書籍、彼既老、猶悔遅、爾小生、宜早思」
でしたっけ。
で、結局やらずじまいです。じゃ文字くらいは・・・それもさっぱり。行書すら
満足にいかない!印も刻せない、詩も文も・・・知らぬ間に不惑を越えました(笑)
ただきっかけって大きいと思います。種々取り沙汰されるこの掲示板群も、
今後少しなりとも、庸愚とはいえこの自分を起たせるきっかけとなれば、
意義なしとはしないと・・・なんとも独り合点。ほんと自己完結かな。
で、そんな自慰行為にならないよう勤めていきたいと・・・思うに至りましたのはっ、
まさに一字の師とはよく言ったものだと考えておりますよ。季咸様、師恩と
感謝いたします次第。
日本にいるのにね、相手が中国の書家だってんだから。
(よく考えたら早熟の才も、やっぱり晩成を期するものね、まして鈍機の
人は!)
ここまで来るとこりゃこりゃ脱線、このスレッド上げられたらえらいことに
なりそう。そうなったら逃げ出さなあかんわ。
>幼児の頃は酒のラベルに・・・
僕の従兄弟が、小さな頃、松ぼっくりが恐くて恐くて泣き叫んでいたのを
覚えています。実妹は煮魚の目が恐いと震えていました。そういう幼稚で
単純な恐怖と、文字を初めとしたもっと大きな何か深邃なるものに対する
恐怖とは、異なったものなのでしょうか・・・
魏霊蔵造像の恐ろしさ、説明していただくと、成る程とひざを打つ所があり
ます。僕はいまだに赤いよな色が付いてるよな気がしていけないんですわ、
この文字。 うへぇ、思い出してきたわ。ブルブル
>曹全碑なんか駄目です・・・
一般にはその優美さで名を売っていませんか??? しかし、たしかに・・・
むむうう・・・実を言いますと僕は、君子のごとき、玉のごとき「孔子廟堂碑」が
恐くて気色悪いんですよお。特に西安本のところが・・・これも、思い出してきた
わ。ブルブル
なんか赤まむし(なんじゃそりゃ)の色思い出すんだよなあ。
治療が必要かも(笑)
>>大兄殿
いえ、私は単なる変態です。仲間から変態と呼ばれております。基地guyとも。
んで、知識もぜんぜんです。ですから、勉強させてもらっているのは私の方で、
ホントに感謝しております。正直、大兄のレスは己が欠を補うに余りあるものです。
家には本が沢山ありますが、手付かずのまま私も不惑を越えてしまいました。
学に遅参なし。キッチリ勉強したいです。師恩を感じているのは私のほうですよ。
>僕はいまだに赤いよな色が付いてるよな気がしていけないんですわ、この文字。
赤い色って、丹書のこと?じゃあないですね。赤い色、どういう風に赤いの?
魏霊蔵造像はねぇ、文字がねぇ、あちこち向いているんですよ、文字が・・。
(こわっ!)
>>大兄殿
文字って、唯物論的に言えば単に色と形の違うものが並んでいるだけですよね、そこに。
例えば西川博士が書こうとも私が書こうとも、物の世界から言えば何ら変わらない筈です。
「意識」と言うものが存在しなければそこには何の物語性もない。つまり私たちが普段
「文字」と認識しているものは実は「文字」でもなんでもなくて、ある形が広がっているだけです。
私たちがそれを意識のスクリーンに投影したとき、はじめでそこに”文字”が立ち上がってくる。
その意味のない形を”文字”として見立てる。そこで私の書は×ということになる。
ですので、西川博士の書が凄いと認識出来るのは個々が見立て直しをした結果であり、
その「凄い」という感情、もろもろの情緒の発生源は・・つまり・・。
そして同時に我々個々をして「凄い」と見立てしむ装置としての博士の書はやはり「凄い」わけで・・。
そのようにつらつら考えておりますとやはり”文字”というものは精神世界の出来事なのかと
思います。文字精霊というように、私たちにとって文字は精霊として振舞っているのではないかって。
(演繹しちゃうとこの世の一切の現象もすべてそうなのでしょうね)
見かけ(最初にそう見えてしまうもの)、見切り(一旦物語性を捨象する)、見立て(新たに創り出す)。
そうやって私たちはこの物理世界と戯れているのかなぁと思ったりします。
大兄の意識の中の「赤い文字精霊」ってなんでしょうね。大兄の精神を不安定にしちゃいそうで
心配なのですが、宜しければ少しだけ教えてくださいな。
変な事を書いてしまいました。ごめんなさい。
さ〜てと!暫くお仕事しちゃいま〜す。またそのあとで。
季咸様 こんにちは
>変態・機知guy
少し前に放置プレイをされたとお聞きしましたので、よっぽどのヘンタイさんかと
感心いたします(笑)。前、かの有名なバクダ〜ン先生、が“男”でなくなってから
「女」と言う文字をよく書くようになった云々・・・
みたいな事を言われていました。あの先生のプレイとは・・・・いったい・・・
また、お仲間の評、奇趣に赴くのも、雅狂を抱くのもこれすべて文人であると言う
ことでしょう。
「見かけ、見切り、見立て、」これわかりやすいですね。「”文字”が立ち上がっ
てくる」これ面白い。僕はいくつかの書き物を読んでもどうしても、最初の“書とは
なんぞや”、で、けつまずくのです。(要は容量オーバーでわけわからなくなるだけ。
某寧楽I名誉教授の“書とは書かれた文字”だったかな、ああよかったって一瞬
安心した事があります)
同じ西川氏の書でも、印刷でしか見てなかったものが展覧会で実際目の前にあると、
それだけで墨色が本当に生き生きと飛騰しているわけです。でも、それが例えば
「大江東去」であれば、それはそれで思わず長短読み解こうと目を凝らしてしまう。
東大寺を訪れれば、必ずあの秋草道人の巨碑の前に佇み、それで何をするかと言
えばやはり歌を口ずさみながらなんどもなんども碑面の文字を撫してしまう・・・
この辺の事はあまりに語り尽くされたテーマを孕んでいるのでしょうか?
>意味のない形を”文字”として見立てる
僕はその文字を見立てることのできる漢字文化圏に生まれる事ができてよかった
なあって思うことはあります。もちろんやってることは中途半端ですけど。
季咸様
>「赤い文字精霊」
これが実際自分でもよくわからないんですが、黒い拓本であるのに、怖いやつは
何か別の色が付いているような錯覚があるんですよ。小さい頃、科学の絵解き本の
「地球の誕生」の溶岩の絵とかが怖くて堪らなかったんですが、あれ、真っ赤じゃ
ないですか、あんな感覚。あと、もしかしたらヘビやナメクジの腹が嫌いだったの
かもしれません。田舎で追っかけられたし(笑)
龍門造像記の朱拓とか観てみたいわ。ちょっと怖いもの観たさですう。
>「英雄 HERO」の主題歌中、後半サビのところに、「染紅整個天空」また
「染紅了誰天空」って部分があるのですが(ほんとの意味がよくわからない)
夕焼けなら美しくていいのですけど、真っ赤に燃える空なんてあんまり考えた
くないかな。前後がないとわからないですよね、スミマセン。フェイウォンさん
って方がなんだか切なく歌っています。 ありゃまスレ違い。
「文字精霊」って本もありましたよね。青山杉雨氏でしたっけ。百鬼夜行の如き
文字の群れを季咸様、もし幼時ご覧になってたらいかがでしたでしょう。
青山って文字見ると、赤羽雲庭氏のお名前も思い浮かべるなあ。赤が入ってるからか。
青山氏著の「江南遊」学生時代よく披いて眺めていましたよ。
>>133 う〜んこれ「文字性霊」ですわね、自己レス失礼しました。
>>135 ご指摘ありがとう。
あなたもお話に加わりませんか?
>>大兄
また週末に参ります。
>>137 うわきれいですねえ、これ!
英語解説しか見えないけど画冊帖装のうち「清代 無名氏 刺繍翡翠蓮華の
図」みたいなんでいいのかなあ。故宮博物院いってみたい!
いつも思うんですが(い、いかんもう穿鑿癖が・・・)学術誌の「故宮文物」
の題字は欧陽詢(おそらく九成宮?)の集字ですよね。HPの
「国立故宮博物院」の文字はどうなんでしょう。
(実は院の字が気に入らないんですよ・・・・・・やば・・・あくまで個人的に・・・)
万が一集字なら原典検する時間が取れるかなあ。
>>いいでしょ、この絵。カワセミと蓮華ですね。
(この程度でも私にはちょっと怖いんです)
「故宮文物」は全部九成宮(たぶん)ですが、これは混ぜこぜですねぇ。
ザット見てみました。(角川書道字典)
國:温彦博碑
立:蘇慈墓誌?
故:皇甫誕碑
宮:九成宮
博:?
物:九成宮
院:道因法師碑
「故宮文物」の故の字は皇甫誕碑かな?
「院」はオーヨートーですね。(単発スマソ)
>>139〜141 レスありがとうございます。
>140、おお!そうか。うろ覚えのままあやふやな事申しました。
‘故’の字はもしかしたら醴泉銘には無いのか・・・ありがとうございます。
>141、これも、そうですね。よく見れば欧陽通の道因法師碑だ!
さすが季咸様。
>>139 僕も複製本に当たって、「故旧博物院」の表紙と比較してみました。以下のように
当てはめてみました。
國:皇甫誕 〜強踰七國、勢重三監 (温彦博の在乎經國、大業之始もよく
似てる)
立:皇甫誕 〜昔立効長丘
故:皇甫誕 〜故得馳令問於碣館
宮:九成宮 〜随之仁壽宮也
博:?
物:温彦博 〜必擇善以利物
院:道因法師 〜院宇凋廢
それにしても、僕が不思議に思った事(まさに愚考)は、
・国、右下がすぼまっていてなんだかしょぼい。
・宮、本来冠の点が横画を突き抜ける所を通常の形に修正?
しかし、口の右縦画の内側は欠け?を放置。行書みたいに見える。
・物、なんであえて勿の中身が破損してるようなこの場所選んだの?
・院、最終画なんかヒョロヒョロじゃん、原刻もっとシャキっとしてるよな・・・
拓本から白黒反転しただけではなく、人の手も入っているんでしょうか?なん
となくもともとから破損やつぶれ多い文字を選んでいるような気がして、天下
の故宮たるもの、はっきりした拓はなかったのか?と疑問を抱いた事でした。
比較的字画のよく見える九成宮を使えば、国、立、宮、物の4文字までも用意
できるのに・・・
バランスや集字者の好みなどが理由としてあったのかなあ?
逆に‘院’の文字が道因法師にしかなかったので、書風の似ている皇甫誕、
温彦博を選ばざるを得なかったとか?いっそほんとに「故宮博物館」って名称
であれば‘館’字はしっかり皇甫誕中にあるのに・・・・
きゃ!長カキコスマソ
‘博’字はどこから持ってきたのでしょうねえ?欧碑の楷書碑のうち、九成宮
、化度寺には、博字を見つける事ができませんでした。道因法師の博は少し形
が異なります。皇甫誕は“博韜胥産”の箇所にはありますが、宋拓といえども
摩滅甚だしく、字画もよく見えません。温彦博は、碑の主の本名に入ってるか
ら、もともとは碑文中にあったはずなのに、残念ながら複製本中には見えない。
ただ欧陽通の「泉男生墓誌」に“標置宏博”とあり、あったあったと思いながら
比べてみると・・・・・形はどうも違うような気がする。
他に搏、傳、轉などの使えそうな文字は、詢の書いた碑文中にはあるので、偏
旁の組み合わせかなって思ったりもしましたが・・・・
ま、でも市場には不損本(なぜか全部の文字が見える本!)の皇甫誕や温彦博の
複製も存在しますから、それらにはもちろん博字はあるでしょうし、「温彦博墓
誌銘」や、「姚辯墓誌銘」ってのも伝わってるし、ひょっとすると、日本では見る
ことのできない文字資料が他にもあるかもしれないかなあ。上のヤツらどれも
今、しまい込んじゃって手元にないのが残念。
もともと父の詢の文字は並ぶとみんな左上をにらんでいますよね。息子の通の
は左下を見てるよな印象があるので・・・そのせいか‘院’の文字が何か違和感が
あったのもかもしれないです。
そしたらどうだろ、‘博’は左上を見てるから父の文字の系統でしょうか?
あ、文字の印象だけで語ってはいけませぬ、いけませぬ。
ところで(笑)、まだ続く〜
“故宮文物”って金字になってるんでしたっけ?今は残念ながら目にできない
ので・・・九成宮の文字を切り取って集字したものは、毎字が右に傾いてひっくり
かえりそうなモノが多い(もともとが左につんのめってるせい)のですが、まさか、
故宮はそんなことはしていないですよね。
今、ちょうど奈良国立博物館に「長谷寺法華説相銅盤図銘」が出陳されていて、
日本における欧法の名品を目の当たりにすることができます。その年代が近年
なお論議の的になっていますよね。講談社選書メチエの「書と漢字」和様生成
の道程、という本の中では著者氏がこれも有名な「金剛場陀羅尼経」との同筆
説を提示されています。
金剛場陀羅尼は、僕が大学入ったばかりのころ「奈良朝写経」という奈国博編
の本が出るという事で、そのチラシの上に何行分かの写真が載っており、いっ
しょうけんめいチラシを臨書した記憶があります(笑)。
懐かしい〜
そういえば以前、某書肆から「欧陽詢 楷書字典」って出ましたよね。
あれの元になったという比田井天来氏の「欧法字彙」も、もちろん
あわせて台湾では売られてたことでしょう。あれも調べてみよかな?
でももう絶版かも。
>>大哥先生
レス、ありがとうございます。
(大兄という言葉は聊か軽薄ですので”大哥先生”<お兄ちゃん先生>と言うことに・・。
あ、これも軽薄だなぁ・・。趙之謙尺牘集『悲盦手札』にこの称謂がありましたので)
前レス
>>128の「大兄のレスは己が欠を補うに余りあるものです。」
と言う表現は不穏当でした。
「己が欠を補うに」を「己が蒙を拓くに」に訂正させて頂きます。
う〜っ、大哥先生の篤学に晒されてだんだんと私の底が見えてまいりました(笑)
深淵を臨むが如き考究、恐れ入りました。
私も碑碣法帖類は悉くしまい込んじゃってて(しまう程、数はありませんが)、
類推の域を超えません。
こっちの方が見やすいかな?
ttp://www.npm.gov.tw/english/update/pictures/topa.gif 國、立は明らかに皇甫誕碑、物は温彦博碑ですね。う〜ん、全体的に手を加えているような・・。
印刷物はもっとちゃんとしているかも。博字、どこかにあるのでしょうがカッコ悪いねぇ。
宮の点は僅かながら横画を貫いていますが起筆(頭)が低く不恰好。例のグサリ感がない。
おまけに第二画の方が打点が高い。明らかに手が入っています。
物字、九成宮を用いず、旁が扁平な温彦博碑を選んだのは、立と呼応させた為でしょうか。
これらを考慮して新ためて「國立故宮博物院」題字集字者の意趣を忖度して見ますと・・、
「宮」字を中心に両翼を広げ、「故、博」で頭を出し、「立、物」で抑え、「國、院」で強く
殿最を衛る、という効果を企図したのでしょう。
>なんとなくもともとから破損やつぶれ多い文字を選んでいるような気がして、・・
古拙感を狙ったんでしょうか。それにしても潰れすぎ。
「故宮文物」の題字は箔押しでしたね。と言ってもいま手元にないのですが・・。
>もともと父の詢の文字は並ぶとみんな左上をにらんでいますよね。
詢先生の字は頭部が正中線より左に傾ぐ(ずれる)感じがありますので、私には右上方向に
視線を感じます(右仰)。
ああ、そうだ。ねぇねぇ、文字の向き(睨み)と表情(顔)ってのは見る人によって違う
のでしょうか?例の「國立故宮博物院」で行くと
國:(右上を厳しく睨みつける。表情は或字に従う)
立:(前方を下から軽く睨みつける。視線やや左)
故:(古は左下、文は右を見る。全体の表情は古に従う)
宮:(やや威厳を込めて前方左下を見下す)
博:(表情に乏しい。十は左下、甫寸は右下を軽く睨む)
物:(牛は右上、勿は左下。相殺して穏やかに前方を見る。表情は牛に従う)
院:(小首を傾げて'したり顔'で右上を見上げる)
というように見えるのですが。
【ちょっとお遊び】
大哥先生の感覚でアラビア数字「123456789」のうち、一番'したり顔'している奴は誰ですか?
(にやけている奴?です)
雄山閣『欧陽詢 楷書字典』は激しく絶版。私も買いそびれてしまいました。
奈良国立博物館、行って見たいなぁ。そういえば今井先生も奈良でしたね。
私の書家の友人は若い頃、今井先生の講義に参加し個人的にお話をするという榮に与り、
そこで、
「古典は何をやればいいのでしょうか」という聊かドキュンな質問をしたそうです。
すると今井先生、間髪を容れずに
「何をすべきかを考えずに、何をしたいかを考えなさい。君は何がしたいのかな?」
と仰ったそうな。今も草ぐさにこの言葉を思い出すそうです。「君は何がしたいのかな?」・
>>大哥先生
話が前後致します。すみません。
>>131の機知guyの称、基地guyとは霄壤の差。ありがとうございます。
>それが例えば
>「大江東去」であれば、それはそれで思わず長短読み解こうと目を凝らしてしまう。
>東大寺を訪れれば、必ずあの秋草道人の巨碑の前に佇み、それで何をするかと言
>えばやはり歌を口ずさみながらなんどもなんども碑面の文字を撫してしまう・・・
私もそんな友人が欲しい。書家の友人は文言を解せず、漢文野郎は書が見えず。斯く云う
私は両つながらの中途半端。纔に石をほじくるに其の能を見るのみ。う〜っ、無聊。
八一の歌碑を撫するような友もおりません・・。網上での親交、鄙生、ホントに有り難く
存じております。縁あらば、どこかでお会いできるかも知れませんね。
九成宮で思い出しましたが、香港の佘雪曼先生の執筆法、実際にご覧になったとの事。
私は二玄社の『書道技法講座1:九成宮』での写真でしか存じないのですが、初めてあの
写真を見たときには感動しましたね。所謂「撥鐙法」でしょうか?あれ以来、私の握り方も
これです。どうぞこの時(佘雪曼先生の席上揮毫)の様子を更に詳しくお聞かせください。
偶に友人の誘いで書展に出向きますが、受付の帳面に署名するときは必ず奇異に見られます。
そこまで極端な手首の反り返りになってしまいました。で、肘を張り出すものだから、
机の小物が甚だ邪魔になります。
謝晋監督の映画『阿片戦争』(原題:鴉片戦争)はご覧になりました?非常に出来のいい映画でした。
その中で林則徐が広州の学校を訪れ、国の行く末を案じるシーンがありますが、その教室で
子供たちが見事にこの執筆法をやっております。
「隷部(ci,ze?)文、四百里快馬逓送、直隷総督g善〜!」
「礼部劾?票、五百里快馬逓送、湖広総督林則徐〜!」
冒頭、道光帝が勅令を出すシーンが好きで全編通して20回は見ました(笑)
(確か勅令に捺されていた印文は「辨理事務所之印記」でした)
林則徐のお付きの者が「差!cha(了解!)」と返答するのも面白かったし、
林が道光帝に謁見する際に文言で心情を述べ(「罪莫大焉」とか言っちゃって。帝は口語で喋っている)、だんだんと
そのうち口語に崩れていくシーンなんかも興味深いものでした。ああ、スレ違い・・。
そういうわけで明日『HERO 英雄』、観に行って参ります(笑)
でわでわ・・。長文カキコ失礼しました。
ああ、連カキ&激しくスレ違いごめんなさい!スターシップトゥルーパーズ、
観た事ありますよ!あの近未来で巨大昆虫と白兵戦やる奴でしょう?
「兵器は整った!乗り物もある!後は君が必要だ!」みたいな宣伝かます
ところがヨカータ!あのナンセンスぶりは必見ですね!ナンセンスといえば
「決戦!紫禁城」。あれは好きな映画です。龍龍九カコイイ!スンマセン。
季咸様
こんにちは
>集字者の意趣を忖度・・・
おお!これはもともと横書きだったのですね。さすが分間布白を常に考慮されてる方は見
方が深い。眺めてのバランスが大事か。やっぱ、考えて集めてるよなあ。慣れてくると、
だんだん違和感がなくってきちゃった(笑)。
>文字の向き(睨み)と表情(顔)ってのは見る人によって違うのでしょうか?・・・
これも、考えてもみなかったです。そうか、ここまで細かい感覚で見てる人もいらっしゃ
るのだなあって、ううむ、なるほど、そのように見えてきたぞ。アラビア数字の顔につい
ても、幼少時に受けた感覚を、なんだか思い出しかけましたよ。どんな感覚か、はっきり
思い出せないのがもどかしい。改めて見つめてみると“9”がいちばんにやけてる気がしま
す・・・今の僕にはそう思えるかなあ。
>阿片戦争
観ていないんですよ。だいたい映画自体よく観始めたのって30半ば超えてからなんです。
これは観てみたいなあ。でも、よくここまでせりふがお聞き取りになれますね!いいよな
あ。漢字の文字幕ついてないかしら。友人がブルース・リーの執筆法が“例のやつ”(友人
曰く)だったと教えてくれたことはありますが・・・
>そういえば今井先生も奈良でしたね・・・
以前、二月堂のお水取りのクライマックスの日に、奈良を訪れた事があります。時間つぶ
しに東向き商店街の喫茶店で一人座っておりましたら、どうも隣のグループが書道につい
て談笑されている。思わず耳ダンボ(もう死語?)。お一人の先生を囲んで日本の教育書道
界についてのことを穏やかに語り合っておられました。僕のすぐ左席、数10センチの所に
お座りの方が今井先生だったんです。
どうもそわそわした僕の気配を察しておられたのか、席を立ち前を横切られる際、先生は軽
く会釈されました。彼のやんごとなき方をすこし彷彿させる穏やかな表情と銀の髪・・・僕は
グループの最後の女性に思わず「今井先生でいらっしゃいすよね、はじめてお目にかかり
ました!」って声をかけてしまいました。その女性は上品に“につこり”と笑みを浮かべ
られ、一礼され立ち去られたのです・・・・・(莞爾とはこういう事を言うのか??その後僕は
二月堂下で群集将棋倒しに巻き込まれかける・笑)
ちなみに茶店の名は「おしゃ●りな亀」
>会津八一の巨碑
あの歌碑の池を挟んだ反対側に日下部鳴鶴の大字の楷書巨碑もあります。拓本で見るより
は現物の方が魁健俊爽に見えます。(多胡碑を見た時もそう感じました・・・)
>偶々「撥鐙法」でぐぐって見たのですが
こんなサイトもあるんですね、少し窮屈そうに見えますね・・・どのように揮われるのでし
ょうね。僕は「技法講座」の泰山、石鼓編の「曽紹杰」氏の執筆も参考にした事があり
ます。
目が痛くなるよな連カキ、長レスします、先に、っごめんなさい。
>「書道技法講座1:九成宮」
僕がはじめて自分で購入した書関連の本は「書道技法講座1:九成宮」でした。紀伊国屋の
レジで所持金が50円足らず取置いてもらったものでした。高校の教科書に載ってた「泰を
窮め侈を極め、欲を以って・・・」の頁に目を奪われ、別頁に拡大された「風」という字の端
正な顔や、その一画目のとめが不思議に見え、街中を自転車で走って探したのでした。キ
ュウセイキュウレンメイ、オウ・ヨウジュンだと思っていました。なんで黒白逆かはわか
らなかったし、記載の拓(故I氏蔵)が覆刻かもしれない事を知ろうはずもなかった。化度
の敦煌本なんてキョウデンボンとかキョウコウボンなんて読んでたくらい。その技法講座
の解説に今井氏の文も載ってたのですよね。じきに「書道を志す人へ1・2」も購入しまし
たよ!そのへんからです、中国書に興味を持ち始めたのは。
>佘雪曼先生の席上揮毫
佘雪曼氏の席上揮毫は、その数年後の事です。台風の前後、9月だったかもしれません。渋
谷の百貨店で行われた書画展覧会は、たまたま寮が近かったので気がついたのですが、席
上揮毫には一度だけ行く事ができました。その日は台風接近による雨天。机には筆・硯・印
等がすでに用意されており、通訳の男子学生と関係者の男性と3人(と思う)で現れた“蓮
裔先生”はあの本の写真よりは少しお年を召されたようで、痩躯、眼鏡、またたいへんロ
●パリのお顔をされていました。観者は台風のせいか4、5名。先生、揮毫前ご紹介時の待
機中、親指と人差し指を擦り合わせていらしたのですが、親指が異常に反っているのが見
て取れます。その揮毫の印象は
>>84に書いた事もあるのですが、肘は右前に出るくらい張
っており、手首はあくまで上を向き、筆軸の上部を持たれ、神速、花びらを散らすような
華麗なものでした。指法は薬指が自在に動くような感じで、右上への跳ね(例えば“先”字
の最終画)は筆をぱっと跳ね上げて、穂先が上を向き、懸針勢などは、穂先は下を向くよう
な筆法でした(技法講座の1でも竪法の筆軸の角度で伺える)。前側から見ると掌が見え、
小指は上がり気味のような気がしました。小字も懸腕でしたためられ、その場では手を机
に付けられた瞬間は見られなかった。
色紙に蘭、竹、その題字と、別に双手書などを書かれましたが、竹図の幹の部分は墨の後
で穂に水を含ませて逆筆気味に、後で別の筆で濃い部分を付け加えられました。蘭は近い
葉は水の含みを少なく、遠い葉と花は特にたくさん水を含ませた筆で描き、花芯は最後に
濃い筆で付け加えそのまま題字に移られました。書画ともに、筆法はまったく同じだった
と思います。書き終わった瞬間クルっと筆先を前に返して、緩めた指の間で筆がからんと
弧を描く様も大変華麗なしぐさに見えました。仕上げの印は両手で体重をかけるように押
されました。色墨を使われたような気もするのですが記憶が定かではないのです。
観客中、傘とゴム長靴姿のおじさんが、もともと招かれていたらしく色紙を貰われて、為
書きをお願いされました。その為書きの小さな文字が懸腕で、あっという間にどうしてあ
んな華麗に出来上がってくるのか目を瞠った事です。通訳の学生さんも色紙を貰っていま
した。その時は何も感じなかったのですが、あとでうらやましく思いました(笑)。
展覧会場では、美しい絵画はもちろん、得意の蓮体書、創意の新痩金書、痩金書、対聯、
大幅、小幅、蘭亭の臨書が数種、寒食詩巻の臨書などがありました。一番安いのが寒食の
半切3行で8マソだったかな。著書を数冊購入したにとどまりましたよ。
>佘雪曼先生の席上揮毫3 上は2です ところでよく“佘”が出せましたね。
その後、三李(太白、後主、易安)詞の注釈書や、書画集、書の技法書、書譜雑誌合冊など
を東●書店や中●書店にお願いして取り寄せで購入しましたよ。アルバイト始めた頃、飯
●橋にあった中●書店に書軸の取り寄せを問い合わせましたが、書店から返事は返ってこ
なかった。上記書画展の受け入れをされた某書道団体にもたずねましたが、電話で非常に
ゾンザイな対応をされた記憶があります。「しばらくお待ちください」(・・・めんどそうな相
談声が聞こえる・・・)「あ、そんなのやってません!」って。(テメとこの代表の先生が金字
で出品しとったろうが!ゴルァ!!・・なんてとても言えなかった)
広尾に、氏の教え子さんの中華キッチンがある事(今はどうかな?)は知っており、知人か
ら「作品があった」とも聞いたのですが、ひとり中華餐庁に行く勇気がどうしても出ませ
んでした。二年後、ある縁で訪れた埼玉の某寺の筆供養法会で、壁面に掲げられた双蘭の
図?(だったかな)を目にする事ができたのが氏の作品を目にした最後になります。もう20
年前です。都落ちをしてから後、二玄社の再刷版の後付けに亡くなった事が付け加えられ
ているのを見て心を傷めた事でした。
>>139 あのカワセミの図、図書館で本ひらいたらありました。「清繍線閬苑長春 峰頭十丈冊」とのこ
とで、藍地の絹地に岩絵の具の群青で彩色がしてあるんだそうです。月ごとに合わせた花卉図と
題詩が12枚24幅1冊にされていて、それぞれに篆・隷・楷・草・七律の題詩がついています。こ
れは篆書の刺繍文字、閉館間際に急いで読んだので誤読があるかもしれません。
「峰頭十丈」
碧流浩E蕩晴空。十畝芙蕖吹曉風。フ蓋翻珠凝露白。游魚弄景啑波紅。
霞標灼爍窺明鏡。玉質嬌嬈搖畫槞。長日光華浮太液。香飄靄靄對蘆叢。
(晴は夝、畝は田+毎、フは手偏、槞は龍の下に木)
書道スレで、趙印の「定光仏再世隊落娑婆世界凡夫」の話題がありましたが、ケ散木にも
「大梵天隊落凡夫」の印があるのを見かけました。定番の称なのですかね。印にはよくみ
かける語なのかなあ。この印款は造像記風で、梵天像?とともに陽文の楷書が刻されてい
ます。
「大梵天隊落凡夫」
「中華民國二十有七年■集戌寅、厠簡子敬造大梵天象一區。伏蘄、自今以後、
吾所思念愛慕、一切如願、吾所厭惡憎疾、一切如願。」
■は龍の右に己で、読めませんでした。なんの字なんでしょ?
しっかし都合のいい願文だこと。僕なんかどうしよかな
“蓮花謝後成花子”(くわ、ヘタ)くらいにしとこか・・・・
>>160 >「あ、そんなのやってません」って。
これは“展覧会”を後援、協賛なさった事がありましたよね?ってたずねたのです。
(その会の会長さんは、賛助(でよかったっけ。寄祝)で、紫紙金泥(だったと思う)の
集字聖教序の臨書(だったと思う)をご出品なさってたのでした。
長カキコ 失礼しました。
>>162 「・・・吾所厭惡憎疾、一切如願。」→「一切遠離」の間違え。
もう寝とる・・・
>>大哥先生
ええっと、「HERO英雄」観てきました。そのご報告を。
最初、残剣の書いた字は「巠」でしたね。あと、金に従う剣字。
あの後ろの文字群は一瞬で読み取れませんね。鬲、以、西、等々あったような。
如月?と残剣の濡れ場での屏風は甲骨文でしたねぇ。まさかあの時代まで甲骨文の
記憶が残っていたなんてのは・・。
最後の方の「天下云々」は何を書いていたのか全く解りませんでした。
書き終わりに点(長点)を加えたような・・。
秦王、カコヨカータなぁ。李連杰の秦バンダナの字、いまいちですた(笑)
咸陽宮の再現見事。剣(劔)の小篆朱書も良かったです。
刃の加点はホントは突き出ないのですが。
因みに「剣」は『説文偏旁攷』(刃下)に「剣本从刃、隷譌从刀作剣」
と言い、「劔」の隷変(隷譌)であるといいます。
ではまた、週末に。失礼します。
あ、『阿片戦争』是非ご覧ください。ビデオ屋にあります。
ああっと、ケ散木の「龍の右に己の字」の己は本「巳」で一部の金文に見られる
龍字ですね。糞翁はこの体が好きだったようです。因みに楚王戈では兄に从って
おり、龍はバリエーションに富んだ字であったようです。
季咸様
>>167 ありがとうございます。身近な字書に見当たらず、お手数をおかけしました。
だいたい“龍集”って“歳在”、“歳次”と同じ事ですよね。ぐぐったら下の方に例
が見つかりました。記憶から飛んでおり自信がなかったので辞書を調べたので
すが、竜集とか歳次の見出しに出にくい語はなかなか見つからない。普段から
読書してれば目にしてる筈。
(これくらいが脳からすっぽ抜けるのがいかんなあ)
藤原博士の「款識叢例」以前は手元においていたのですが、今はボックス行
き・・・・
>>165 “残剣”が無名に贈る文字、最終画はかなり横長でそれも元の方向にさっと
だいぶ戻すような書き方をしたので、篆書の書き方ってああなのかなあって
不思議に思ったのです。専門家の書き方の指導?でああいう方法を取ったの
かしらん?まさか蔵鋒ではあるまい・・・
台東の書道美術館の始皇刻石165文字本には“天下”って小篆が残っているの
で(既平天下)、あれを参考にしたのでしょうか?これによれば“下”字の小篆
たしかに横棒で終了しますよね。でも、残剣のは権量銘あたりの書き方に近い
のかなあ(笑)?
濡れ場に甲骨文なんてすごいですね。ラブホに篆書や隷書のカーテンが下がっ
てたら萎えるかな。今の中国、台湾、香港などの寝室や居間、見てみたい気
もします。あ、もちろんホテルも。
大哥先生
>>168 いま、仕事に息詰まってて・・チョッと逃避しに参りました。
藤原博士の「款識叢例」はいい本ですね。あれだけは書架に挿しております。
ケ散木の龍字はちょっとやりすぎですね。ご存知の如く当時は説文準拠の楷書
(小篆崩し)をやるのが一種のオシャレでしたので、これによって金石家は
こぞって学を衒いましたが、金文まで持ち出されたんじゃもう、何がなんだか
解んなくなっちゃう。そんなら、甲骨文さえやっていいのかと小一・・(笑)
(章炳麟先生、黙ってません、きっと
>>169 実は私は当時(戦国〜秦)、すべて篆書なるものをホントに蔵鋒で書いていたのか
甚だ疑問なのです。戦国簡や帛書を見ておりますと、変な言い方ですが我々は
つくづく説文、否、始皇刻石(小篆)に毒されてしまったな、と思うくらい卒意のまま、
露鋒で書かれているものがありますよね。といいましてもあれは早期の隷書である、
とも言えるのですが・・。
(楚帛書はかなりの直筆で、巻き込むように書かれているので、
まだ蔵鋒の匂いが致しますが)
>最終画はかなり横長でそれも元の方向にさっとだいぶ戻すような書き方を
>したので、篆書の書き方ってああなのかなあって不思議に思ったのです。
寧ろあの砂箱に書いていたやり方の方が本当なのかもしれませんね。
起筆、終筆に何の造作も加えずそのまま書く・・。私はどうもそうだったんじゃ
ないのかなぁ、という気がしてならないのです。ただ金文はその限りではない
かもしれません。起筆終筆に作意を感じます。つまり文字によって露鋒と蔵鋒とを
使い分けていますね。泰山、瑯琊をはじめとする始皇刻石などはこの時の蔵鋒の気分
を継承したのかな、とも思っています。それでも針金で書いたような権量銘、ちびれた
筆で書いたような酔虎地秦簡などの方がが正直な姿だとは思いますが。
でです。筆匠がわざわざ神経を使って命毛まで仕込んだ筆でもって、やれ蔵鋒だ、
逆入だなどとやるあたり、どうなんでしょ?凄く素朴な感想なのです。
(私のやるのですが・・全く世話ないです・・笑)
ラブホに篆書や隷書のカーテンが下がってたら激しく萎えます(笑)
でも愛する人が文物に興味があり、ひとつベッドの中で名人の扇面
やら尺牘やらを一緒に鑑賞できたら、そりゃもう、言うこと梨。ですね!
季咸様
>ひとつベッドの中で名人の扇面やら尺牘やらを一緒に鑑賞できたら
いいですね。故事にそんなのなかったかしらん。李清照、管道昇なみ
の閨秀、今でもどこかにはいらっしゃるでしょうか。寝室で書画鑑賞
・・・小説の中にはあるのかなあ、紅楼夢とか金瓶梅とか。
見たような気がするけど思い出せない。
鑑賞印に、誰かが“他家の女性と共に鑑賞する”みたいなのが残ってて
いったいどういう頭の構造だなんて解説で突っ込んでたのを見たような
気はしますが・・・これもよく覚えていないや。
うろなカキコでスマソ。
大哥先生
>>173 ええ、どこかにありましたが激しく失念しました(笑)
鑑賞印は「○○▽▽同心賞」とかやってますね。
え〜っと、河井翁の場合、「九節欣欣同心賞」でしたっけ?
「それにしても他所様の女捕まえて来て同心賞などとやに下がるあたり、
荃廬というおやじ、全くたいした玉だ」
とか何とかカキコしていたのはゴクアクニンの爺さまですね。
「佘雪曼先生の席上揮毫」
有難うございました!これについては後ほどユクーリとレスさせていただきます。
季咸様
レスありがとうございます。そうそう、河仙翁のに突っ込まれていたのでした
ね。このじじいさまの書物の検印がけっこう面白い気がしたので時々みてたの
ですが(もちろんわからないのもあった)、ある時突然、花押(多分合文)で書か
れてたのが出されて唖然とした記憶があります。
そこまでやるんかい?って
>>159 佘雪曼先生の席上揮毫2 1行目
>墨の後で穂に水を含ませて
ごめんなさい。これ逆です。清水を先に含ませて墨をつけられました、お皿の
水を、筆を横にしてなするように穂に含ませ、その後で墨を含ませたと思いま
す。その後、竹幹へ・・・
「梅」の図もその場で書かれましたのを思い出しましたので、やはり色墨も使
っておられたような気がします。
大哥先生
>>175 >そこまでやるんかい?って
ホントに。でもあまり(・A・)カコイクナイ!!
凄く変な話ですが、消防の頃、よくクラスメイトに花押を作ってあげてました。
適当に二合体で組み込んで袋付けて地画で出来上がり!
奇妙なガキでした・・。
季咸様
>消防の頃、よくクラスメイトに花押を作ってあげてました。
それもすごいですね。おもしろい。芸能人・漫画家のサイン真似たりする子供
もいますけど。花押とは・・・・
今も(印と同じように)作成したりするんですか?花押って高いんですよね。
花押の書き方本を80年代初に買ってみましたけど、自分では作れなかったですよ。
徽宗皇帝の花押は目にしたことあります。花押印なんてもありましたっけ。個人
的には道風、行成、佐理の草字のやつが好き。空海の海が水+毎で上下に並ぶ
やつ真似した事あるけど(実は本名に氵サンズイがあるので)、ただ異体字の
根拠はないし、これが何よりまったくカコイクナイ!! これ絶対センス要るよなあ。
>>170 秦以前の文字資料、まだまだ出てくるでしょうね。僕らがいなくなった時代に
も出土・研究は続くんでしょね。タイムマシンほしいわあ。
今日は、時間をみて「薬師寺」「唐招提寺」を観てまわりました。萩の花が
なお残っておりきれいでしたよ。唐招提寺は金堂大修理中。秋艸道人の歌碑
も、工事用に特設されたコンクリ土台〜通路のぎりぎり傍から観る事ができ
るようになっています。
オフシーズンに当たるのか、参拝者は少なかった。
中国の宋版の経典の展示もされていました!
鑑真和上御廟の前に石刻された趙樸初氏の詞を写してきました。元は書幅でしょう。
像立如人在
喜豪情 歸來萬里
浮天過海
千載一時之盛擧
更是一時千載
添不盡 恩情代代
還復大明明月舊
共招提 兩岸騰光彩
兄與弟
倍相愛
番番往事回思再
歴艱難 舎身爲法
初心不改
民族脊梁非夸語
魯迅由衷感慨
試瞻望 是何意態
堅定安詳仁且勇
信千廻 百折能無碍
仰遺コ
迎風拜
調寄金縷曲
鑑眞大師像回國巡展禮讃 趙樸初
語には80〜81年の巡回展覧当時を反映したり、典拠を持つものもあるかもしれ
ません。薬師寺においても趙氏の書字を幾つか目にすることができました。
三度目の還暦!
大哥先生
>>177 花押も父親が教えてくれましたっけ。「なにか変なものがあるなぁー」
って気になっていましたもので。んで、「花押と言うものだ」と聞いて早速
百科事典めくりました。それを教室中に流行らせて。記名の後にさり気に書いて、
( ̄ー ̄)ニヤリッ って。
「なんやそれ!」「花押って言うったい」「俺のも作っちゃりぃ!」
(博多出身なもので・・)
ということで流行っちゃいました。年賀状に書いてくるヤシもいたりして・・。
でも所詮ガキの遊び。後年、それ以上精通したわけではありません。
20年程前に一度、お坊さんの花押作りました。実作はそれだけです。
しかし、花押製作依頼って高いですね!これなら自分で作るに越した事は
ありませんね。
道風、行成、佐理の草字は粋でいいですね!何より美しい!武家の花押はやはり武骨。
でも足利尊氏のものは好きです。空海はブー!といいますか、仏門、特に禅家の
花押はなんだかなぁ、と思いますね。中国の花押印、「由」字の皇帝誰でしたっけ?
あ、調べれば解ります。
>>178 薬師寺は行きましたよ(そこの文鎮あるからいった筈です)。でも随分昔で
記憶がかすんでいます。唐招提寺は行ったかなぁ。「唐招提寺」の題額でしたっけ?
あの字には惚れぼれいたします。あれは和上の書ですよね。ありゃ凄い。
趙樸初師の拓本採りたいなぁ・・。
師の書、いまヤフオクに出ています。どうでしょ?これ。
私は直に観た事が御座いませんので。
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/60282458 これよりも前のオークションで観たものの方が良かったような・・。
この詞、気を遣われていますね。和上こそ日中交流の架け橋!と言わんばかりに。
「民族脊梁非夸語」民族の背骨であるというのは決して大袈裟ではない!
この場合の民族とは・・魯迅に聞くしかありませんか・・。
>>182訂正
そこの文鎮あるから「いった筈です」→「行ったはずです」
なんだかなぁ、もう。
>>179 兄與弟
倍相愛
当然、こちらが弟ということですね。
唐招提寺の字、ありゃ、思い違いだったかなぁ・・。時の天皇だったっけ?
季咸様
>(博多出身なもので・・)
博多ご出身ですか?! それで漢委奴国王の印が身近に・・・・?
>趙樸初師の拓本採りたいなぁ・・。
師の書、いまヤフオクに出ています。
しかるべき筋を通せば採拓は可能なんでしょうか?自分で採拓できたらうれし
く楽しいのでしょうね。
学生時代、薬師寺を訪れた時に東塔露盤の擦銘の拓本をもとめた事があります。
売店で販売してました。あれほんものかな?中国人の書ではなく、日本人の書
ですかね。その頃、山田寺の山田公雪冤碑も拓本を売っておられ「もう残り
少ないですよ」って言われて購入。今考えればそんな高くはなかったけど、帰りの
電車賃がなくなった記憶があります。前回タイガース優勝の頃かな。
法華寺の秋艸道人の歌碑の拓も別の時に思わず買ってしまいましたが、今も各寺、
拓本販売あるのかな?
でも、ほんとはずっと神護寺鐘銘の拓が欲しかったんです。徐浩にちょっと似てる・・・
河井翁→缶翁のお手紙中にも見えますよね。
おおっと、中国の書家じゃなくなってきた。
ヤフオクの趙樸初師の書軸、たしかに前のものより冴えないような気がします。
5000円のまんまで終わるのかな?だったらお買い得? ・・・この出●者、別板で吊●●
げで・・・晒されてました・・・今は止んだのかな。
趙師の作品は学者さんの書巻の気みたいなもの感じます。日本人でいうと鈴木豹軒博士
とかおんなじよな印象です。
>中国の花押印、「由」字の皇帝誰でしたっけ?
中国の皇帝の花押、徽宗帝は「天下一人」の合文と聞いていますが、他の
資料はあるのですか?今度調べてみたいなあ。
>20年程前に一度・・・
今もそのお坊さん、花押使われてるのですか?
形だいぶ変化してたりして。
>「民族脊梁非夸語」
おそらく魯迅が、“有舍身求法的人……這就是中國的脊梁”(〜ぐぐってみました)
列挙した人物のうちに鑑真和上が入っているのではないでしょうか?玄奘三蔵が挙
げられてるのはわかりました。
番番(はは、bobo)、大明→大明寺??
上手にまとめられますよね。全編に和上の壮挙、人徳を讃えながら、前半は友好を讃え
後半は民族精神を高揚させる。いきなり魯迅って固有名詞が現れ目をむきましたが(笑)
当時、中国各地の参観者もきっと感動された事でしょう。日本人は何か出したり寄せたり、
次韻したりしたのかな?東山画伯の絵が渡ったんでしたっけ。
>「唐招提寺」の題額
孝謙女帝の宸筆とおききしました。この前、金堂薬師像とともに奈国博に展示されて
いました。壮大ですね。集王聖教序とそっくりだとか・・・
200位のスレッドにカキコ!
大哥先生道鑒
敬粛者:
レス遅れまして寔にすみません。今週来週と仕事が重なってしまい、
身動きがとれません。一段落しましたら参りますゆえ、ご寛恕ください。
大哥先生へのレスには時間をかけ度く存じております。何卒。
伏乞 鑒察 敬請
学 安
晩 季咸叩啓 九月廿三日
>>188 擡頭出来ませんでした。(´・ω・`)ショボーン
>>188 季咸様
ご丁寧にどうもどうも!
横書きの擡頭ってのも、あるんですねえ。一般に右端には相手の名前は置か
ないほうがよいのかな。学生の頃、「尺牘探求 洪樵榕著 二松学舎大学出
版部」、購入していっしょうけんめい読もうとしたけど、ものになりません
でした。(悔)
「款識叢例」と、この「尺牘探求」はいつも手の届く所に置いていましたよ。
懐かしい!手紙の書はなかなか解読が難しく僕には手に余ります。
草書も勉強せな!
季咸様
趙樸初師の詞を写していて思い出したのですが、はじめて詞に接したのは
佘雪曼氏の書物によってだったかもしれません。、同じ亡国の君主ってい
うんで徽宗皇帝の書の影印本集めてみたり・・・でも、詞を読んだりはしなか
ったんです。長短があって難しいなあ、くらい。
ところがある日横浜の中華街で、ケ麗君〜テレサ・テンのあの名盤と言わ
れる「淡淡幽情」を、「こんなん出たヨ!」お店のおじさんが紹介してく
れたのでした。
唐宋詞12首、李後主・蘇軾・欧陽修等々を彼女が唱っているんです。
(一部はフェイ・ウォンがカバーしてるみたい)
当時、このテープにはまったんですよ。詞が好きになったのはこの時です。
それから唐宋五代の詞、幾首かを覚えたりしましたが、いつの間にかまた
テープも失くし忘れかけていました。でも、ここのところ思い出したように
ネット検索かけてみたのでした。けっこう当たる当たる。
大哥先生
>>192 朝晩冷えて来ましたね。私にとって秋は大好きな季節。
涼風が机を払う秋晴れの朝。陽を遮り青く染まった机上に墨のかおり・・。
これだけあれば、あとはもう何もいらない・・。
ケ麗君見ました!いいですね、これ。彼女の揮毫姿、昔の婦女子は肘を張らずに
左手で袖を制して楚々と筆を運んだんでしょうね・・。でもシッカリ五指執筆法。
う〜ん、彼女、才女でしたから雰囲気出てます。あの字はまぁ、別の人が書いた
のでしょうが、彼女に任せた方が仮令、下手であっても婀娜とした字を書いたでしょうに・・。
しかし、あの字は外し過ぎ!筒子のチンイツやってんのに索子のドラ抱えこんだような(笑)
文人国主の詞を書いており、しかも江南の春であるのに、なぜ北朝のフェルト
臭い字を選んでんだYO!李Uが見たら怒るぞきっと。。(激笑)
(実は詞は勉強不足、でも曲が付くとやはり生きますね)
うpされていた曲、映像は全部頂いちゃいました!ついでにスナップまで!
テレサ、好きですので・・。
このHPの管理人は金陵の人なのですね。理由が判りました。
んで、祭壇にも行って参りました。この事についてはここでは触れないでおきましょう。
これをめぐってはもっと透明なコミュニケーションが必要かと思います。
仕事、一段落したら参りますね。
>>194 季咸様
気に入っていただいてよかったです。
あのアルバムの詞は「白香詞譜」という、詞のお手本集から選んだのかなとも
思いますが聶勝瓊の鷓鴣天〈有誰知我此時情〉は、粤語バージョンも別にある
ので発音の違いが聴けて面白いです。
映像の中に、麗君の遺作と言われる自筆の詞が載っていますが、ちょと読み取り
づらいですかねえ。昔、東●書店で見た歌曲本(多分、大陸での解禁後)には、
彼女の自筆が出ていたような気がします・・・あれだけの方ですからどこかで見る
機会もあるかなあ。遺作の詞が、「星願」という詞に書き換えて体裁を整えられ
た?のか?もよくわからないのですが。もとの詞の方を読んで見ようと出典を探
したら、あの一首だけで、江総、王勃、李白、杜牧、李後主、蘇軾、欧陽修、
柳永、晏殊、秦少游、辛棄疾、朱淑真、文天祥、果ては崑劇まで、あるわあるわ・・・
口に慣れた成語もあるとは思うのですが、才女といわれるのもなるほどと思っ
た事です。
>>194 季咸様
「蘇子美嘗言、明窓浄几、筆硯紙墨皆極精良、亦自是人生一楽。」(欧陽修)
これを引いていいのかな。なんだか、銀座の某店の看板みたい(笑)。秋の訪れを感じ
ると、上記、ケ麗君の歌曲に入っている蘇軾の水調歌頭「但願人長久」を思い浮か
べます。フェイウォン嬢がカバーして人気になったらしい。
あそうそう、東坡先生といえば奈良の三条通りの筆墨店。通りに面してもう多分20年近く
I 先生の色紙が掛かってるんですが(この前久しぶりに歩いたらまだ掛かってた)、その
落款印が“東坡同日生”。先生、東坡癖なんですかね。どこかご自分の書物にも載せ
られてたかしらん。
辛棄疾も蘇軾と同じ詞風と言われますが、書は少し違うような気がします。でも、粗い
印刷で一回書幅を見たっきり、でも、この人の詞も麗君が歌ってる。
今は気持ちこっちの方かも
少年不識愁滋味 愛上層楼 愛上層楼 為賦新詞強説愁
而今識尽愁滋味 欲説還休 欲説還休 却道天涼好箇秋
前はよく東大寺二月堂の舞台に上り、夕日を見やったものでした・・・
ありゃ、自分詠ったんだっけか。梅田のスカイビルも風が強かったかな
>なぜ北朝のフェルト臭い字を選んでんだYO!
李Uが見たら怒るぞきっと。。(激笑)
“氈裘氣”でよかったですか?誰が最初に北朝の書をこう評したんでしたっ
け?天上の後主も、「またこれは睨みつけた文字で書いて・・・・」と思ってお
いでかも。
南唐からは「説文解字」の二徐も出たんですねえ。
大哥先生
>>195 粤語は入声を残しているので、詞を作った当時はこんなんだったのかなぁ、と
いろいろ空想します。中国人(内蒙古)の知り合いと卡拉OKに行きますと
嬉々として粤語バージョンで歌います。普通話ネイディブは粤語で歌うのが
カコイイと感じるらしいです。
麗君自作の詞はサイトの管理人さんが簡体字でファイルに記録してくれてますね。
う〜、書き出す時間が欲しい。細切れの時間なら捻出できるのですが。
(と言いますか、実は仕事から逃避しているに過ぎないのですが)
>>196 「筆硯紙墨皆極精良」銀座某店の扁額、頼山陽ですねー(あ、だんだんスレ違い)
しかし、ヤフオクでも散見致しますが・・。「頼に本物なし」といいますけど、ネ。
印文の「東坡同日生」は良く見ますね。呉昌碩も依頼印刻してます。嚆矢は
誰かなぁ?なにやら色んな古人の名前を列挙して「お誕生日おなじー ♥」
なんてのも確かありましたか。
あん!時間なくなっちゃった。。
<(_ _)>コマギレデスミマセン<(_ _)>
>>季咸様
ご多忙中にありがとうございます。コピーして貼り付けてみました。
字は繁体字に戻しました。
往事不堪思
世事難預料
莫將煩惱著詩篇
夢短夢長同是夢
一切都是了 年少的野心
身世浮沉雨打萍
天涯何處有知己
只愁歌舞散 化作彩雲飛
一切都是為了 如水的柔情
不妨常任月朦朧
為何看花花不語
是否多情換無情
燭火無語照獨眠
愛情苦海任浮沉
無可奈何花落去
唯有長江水 黙黙向東流
遺作なのに本人の声?で朗読されているってのは、どういう事情なのかなあ・・・
と思っていましたが、遺作とは即絶筆じゃないですよね。早とちり。
ただ、そのように書いてる記事もあるみたい。
前闋の最終句、典拠の李白は5字、5字ですが、麗君の朗読は「散化作」って聞こ
えます。「只愁歌舞 散化作彩雲飛」
>>199 後に少し手を加えられて曲を付け、ほかの歌手達が歌ったのかな?下のように
区切りましたけど、違うかも。
「星願」
花影入水 人入夢
風雨浮沉中
星海深處 不勝寒
幽幽獨眠愁
不堪回首 望年少
人間難預料
莫將煩惱 著詩篇
淡淡紅顔笑
天涯人 悲歎皆夢
寂寞路 知己難逢
無奈時 不妨隨風
月朦朧
莫辜負 似水柔情
在水一方 歌声裡
願 化作彩雲飛
千言萬語 花落時
默默水東流
>>198 季咸様
銀座の彼のお店といえば、一代の閨秀と言われた“K女史“の遺作展に伺っ
た事があります。中国書ではなく仮名作家の方ですが、絶筆が「ありがとう」、
有名な作と思いますが、思わず流涕いたしました。
麗君の遺稿、「星願」もいずれ絶筆として語り継がれていったりして・・・
あの扁額は京都のお店のはどうなってたかなあ?頼氏・・・春水は小弟母校の
教授であったと聞いたことがあります・・・
>>199 一切都是了 年少的野心
→一切都是爲了 年少的野心
大哥先生
>>199 実はこの詞を見ていて悲しくなってしまいました。人間はどうやら自分の死期
を悟るようです。
夢短夢長同是夢(夢短きも夢の長きも同じくこれ夢なり)
天涯何處有知己(天涯何れの処にか知己あらん)
燭火無語照獨眠(燭火は語ること無く独眠を照らし)
愛情苦海任浮沉(愛情は苦海に浮沈を任す)
読み下し合ってますか?(全部やりたいのですが、特に心に佇んだものを)
彼女をしてこれを書かしめた心境が『香港』とダブってしまい・・(この曲大好き!)
早とちりではなくこれは絶筆だと思いますよ。しかも彼女自身で詠じているとは!
つね先生の「ありがとう」もう一度見たいなぁ・・。両つながら感涙いたします。
>>197 上のレス番、思い切り間違えてます。すみません。
“氈裘氣”(だったと思う)誰だったか忘れちゃいました。
私は実は鄭道昭が良く解らんのです。雲峰山右闕字の良さは解りますが
鄭羲碑上下は皆、風化の妙を面白がっているようで・・。
鄭羲下碑題額の文字「熒陽鄭文公之碑」は解るし好きなのですが、本文に至っちゃ
なんとも・・。「あのやわらかい字がいい」なんていわれると「ホントかね?」
と思っちゃいます。もとはあの題額の如き筆勢であったはず。どうなのでしょう?
(但し面白いのはこの碑の写真を縮小すると宛然として当時の切れが蘇ってくるようで、
これならイケるかなぁと)
私は矢張り「張猛龍碑」の方が断然好きですね。
この墓誌銘の事についてはレスにありましたね。実は私も気になって先輩に
伝えたところ、その先輩が先日或る中国の学究に問うたそうです。
それによるとこの方は偽物と判断されたということでした。
まず、内容が張猛龍碑を元にした作文になっていること、墳墓も発見されないで
墓誌銘だけが一人歩きするのはおかしい、文字が張猛龍碑と比べ出来が悪い。
等を理由になさったらしいです。
(日本人によるコメントは『修美』78号,36〜39頁にあるようですが私は未見です)
まあ、明人か清人の悪戯じゃないか、とまで言っていたとか。
あ、先輩に断り無しに書いちゃった!まぁ、いいや。実名出してないし・・。
今度は執筆法の事を書こうと思っています(佘先生をもとに)。
でわでわ!
あ、因みに私の友人は琉璃廠でかの鄭羲下碑を30万(日本円)で買ってきました。
この友人は鄭癖があり即決したとか。本物かどうかも解らんのにもっと値切らんかい!
と言ったんですが(はぁと
>>季咸様
>この墓誌銘の事 >『修美』78号
こんばんは。僕も前に該誌を読んだ事がありおたずねしたのでした。ほんもの
なら楽しいですね。昔からこんなのはよくあったのでしょね。
王献之の保母誌とか・・・、
以前、蘇軾の集を読んでいる時にこんなお話に当たりました、「閑座説玄宗」、
また「落花深処説南朝」ならぬ・・・・
「洞仙歌」 (コピペ)
余七歳時見眉山老尼、姓朱、忘其名、年九十餘、自言嘗隨其師入
蜀主孟昶宮中。一日、大熱、蜀主與花蕊夫人夜納涼摩訶池上、作
一詞、朱具能記之。今四十年、朱已死久矣、人無知此詞者、但記
其首兩句。暇日尋味、豈洞仙歌乎?乃為足之云。
冰肌玉骨 自清涼無汗 水殿風來暗香滿 繍簾開 一點明月窺人
人未寢 倚枕釵鬢亂 起來攜素手 庭戸無聲 時見疏星度河漢
試問夜如何 夜已三更 金波淡 玉繩低轉 但屈指西風幾時來
又不道流年 暗中偸換
蘇軾が、失われた蜀主の句を補ったとの佳話ですが、この後に宮址より
蜀主の原詞を刻んだものが出土したらしいとの事です。今、その文は網上
検するに至りませんでしたが、夢のあるお話と思えばばよいのでしょうか・・・
光武の金印が出土する国もありますし・・・
あ、旧●器も埋もれてたそうですが・・・
>>季咸様
>琉璃廠でかの鄭羲下碑を30万
どんなに素晴らしいものでしょうね!本物ならいいよね。
なんだか、自ら散書の憂き目に遭い、深更の流浪・・・果ては半ばハナ子さんに
為りかけの身には(獨白やば)・・・
但願其長久!遠くよりお祈りするのみです。
鄭書については、最近なにか画期的な新説が発表されていましたけ?
僕は鄭書のほとんどが苦手なんですよ〜ただ多胡碑も同じようにめちゃイヤだっ
たのが、実物拝観して大変好きになりましたから、どう転ぶかは不明(笑)。
(「瘞鶴銘」は比較的好きなんです・・・)
先生の説かれし所、僕も風化だろうと一人?合点などしておりましたので心を強
くいたしました。思而不學則殆!
どこぞでは、嘗てテレサ発禁時「不愛老ケ、只愛小ケ」「白天聴老ケ、晩上聴小ケ」
とささやかれたとの事ですが・・・・・・ あ、おおっと、「鄭」「ケ」は違う字だった。
得々と書いて気づかぬとこだった、あ〜よかた(汗)。
季咸先生、僕カキコ、今より疎になる(泣)かもしれませんが、今後ともよろしくお願い
いたします。
>>203 レスありがとうございます。悲しいですねえ。落ち込むわあ。
首句は李Uに・・・
往事只堪哀 対景難排
そして、
無可奈何花落去 の対はもと晏殊
似曽相識燕帰来 なんです・・・・
大哥先生
私もハナ子さん同然ですよ。だいたい、斯様な世界に耽溺呻吟するような
時代遅れの者は貧寒と相場が決まっております。
「不合時宜那得不貧」(時の宜しきに合わざれば那んぞ貧ならざるを得ん)
たしか白石翁の刻するところのものでした。印文の出所は審らかではありませんが、
(不合時宜は『漢書哀帝紀』『東坡志林』等に見えます)
この文言はいつも肚に収めております。
御本散逸は如何なる理由で?差し支えなければさわりだけでも・・。
>僕カキコ、今より疎になる(泣)かもしれませんが・・
お忙しくなるのですね。先生のカキコに対するレス漏れが沢山あります。すみません。
少しずつ遡って書きますのでどうぞマターリしてください。どうぞお気遣いなき様。
しかし・・偶々このスレの何気ないカキコから・・。
孤剣飄零四十餘年。乃得知己於網上専欄。宛如鳥鳴嚶嚶不厭・・
そんな気持ちで一杯なのです(あ〜、先生の印、刻したいなぁ。印跋もギッシリと入れて)。
改めて、ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくおねがいします!
季咸様
おはようございます。雑談スレではありがとうございました。
早速の次韻の玉作を御示し下さり感謝に堪えません。
実は他の方に批正をお願いしたのは生まれて初めてで恥ずかしい限り。
一句目なんか、無理やり烏造でやっつけましたから、なんとかならないか
なあと思います。
詩をいただくのも初めてでとてもうれしいです。盤をおいて感に堪えません。
今日は少し込み入った用事にでかけてきます。もし中国の書家、なにか手●し
たり、▲り払ったりする事になれば、先生の分を何か隠しておこう。
鄭書一榻分でよかったのに・・・まあしゃないわ、●●の報い・・・
「流離苦海與倶尋!」 よかった
ありがとうございます。
大哥先生
>>211 実はモデムがいかれてしまいまして、外から書き込んでいます。
玉韻賜りまして本当に感謝です!さて、あの詩のやり取り、お互いの詩の中に
それぞれの網上名を隠したことは恐らく悟られないでしょうね。しかし、「季」を
禾と千で隠すとは流石です!私のはそのままでしたから。
●と▲が激しく解りません!でも後日談楽しみにしておりますね!
鄭書一榻分。。まさかとてつもないお買い物とか!!
暫くご無沙汰しますがモデム交換次第、馳せ参じます!でわ!
大哥先生
ネット環境やっと復帰しました。
そして●と▲、解りました。う〜っ、つらい・・。
季咸様
こんばんは、お身体大丈夫ですか?皆さんもご心配なさっていました。
ご無理のないように。僕は、結局某親戚の家に身を寄せて重来を計って(笑)
おります。本、重いだろうなあ、運ぶのイヤだあ!
コアな部分だけは何とか密かに確保せねば・・・ヤフ●クに出せる余裕はないか
も。今回も二束三文(泣)
蕪詞・・・切りがなくなるので、今後は控えたいと思うのですが、今回はお許し
下さい。実は十数年前の都落ちに際しても同じようなことやらかしてるんで
す。王夢楼の複製や各種法帖、秋艸道人の限定版、辞典類はすべてそのとき
にほうりました。その時のやつ、お時間がおありの時にでも、措辞のヘンな
ところどうかご批正下さい。
散書西下踏舊韻
蒐得寳書三四千
一朝散盡似浮煙
知明入室雖探海
機鈍守株難致田
夢短空齋還寂寞
眼親緗秩尚留連
悲歡那限人離合
莫若忘懷更學仙
奇可小弟録舊草 伏乞
季咸詞兄先生大仁 大斧
旧韻は東遊の少作、小序(笑)つけたおふざけのやつでした。
西下時に2首踏んだのですが、もう一つは激しく失念。
いまは新しいのつくる気力や臆面のなさはもうないなあ・・・・
季咸様
なんだか、このスレッド読んでくださってる方もいるんですねえ。一緒にお話
ができると楽しいのに、僕が甘えて偏り過ぎた話題にしちゃったから・・・
>>214大哥先生
ご心配いただき本当に有難う御座います。
いやぁ、やっちまいました!禾に从う千の声は「年」でした!_| ̄|○
ああ、ご親戚の元に・・。聊か失礼な表現ですが安心致しました!
どうぞ暫く風月に親しまれ浩然なる英気を養われんことを鄙生、切に願います。
玉韻、拝見致しました。いや恐れ入りました!
「眼親緗秩尚留連」
御本との別れを惜しむ先生の姿が浮かんでまいります。
得魚忘荃・・。私は万巻の書物の精萃を先生の肚中に感じます。
それに引き換え私はただ荃にしがみついて苟安をむさぼっているに過ぎません。
そろそろ魚を得ねば・・。この会話で改めて己が無学さを痛感致しました。
重ねて失礼な謂いですが、先生には近い将来に必ずや伯楽が現れるはずです。
どうぞ節を守られマターリと構えられんことを!私もガンガリます!
でわでわ、一仕事やっつけて参ります!(`・ω・´) シャキーン
季咸様
拙藁、雅意お受けして改稿させていただいています。下へ録しました。
遅れて申し訳ありません。ただし一行目の「琴心」からの胡造はいまだに
そのまんま。酬歌も和習か、歌手のギャラっぽい語かも。
(ま、もともとは怱卒に〜網又親・・・にしており、韻が違うのに気づいて大慌
てで別字を拾い、しかしなお「時」も重出のひどいもん。ただ・・・良会忽ち散
じ画面すでに動かぬまま余韻覚めやらず、而して夜は沈沈と、否、蕭蕭と
更けて行くのに心動かされ、欄に随って文字を拾い思わずカキコしたの
でした。)
燈火親時挑意琴
好秋不減夜千金
酬歌忽散歸無語
恍似夢中何處尋
一昨夜、昨夜と雑談スレの話題の通りこちらも月が凄く、火星もよく見えま
した。近隣の旧道を徙倚しつつ、ホント覚えてるのは蘇東坡の詞やら賦やら、
李太白の「時當大火流」とかほんの少し、って思いながら、更には大江千里
とか(笑)、秋艸道人とか・・・まったく “ベタ”(関西弁?)やなあ・・・
あ・・・大火はベテルギウスか?アンタレスだったか?火星ちゃうちゃう(冷)
>浩然の英気
ありがたく頂戴し養いたいと思います。・・・・・・・・・・・実は僕、・・・・・・・・・
徐季海と同名なんですよ!もともと勝手に字か別号にでもしよかとおもて
たくらい!なんだか不思議にうれしい言葉。見るべし天地間の正気を!
「千里相逢」って、漢字のクイズでしたっけ。先生の驥尾もおっかけて行く
つもりですので、何卒よろしくお願いします。
・・・欄に乖離せぬようなんとか中国の書家の話題入れておきました(笑)
季咸様
>風月
良い言葉ですね。我が「新字源」を検したところ、南史「初秋涼夕 風月甚美」
とありました。
「一榻春風摩詰畫」
「四時花鳥杜陵詩」
って王夢楼の拓本の聯を得て、うれしがってた事あります。高くなかった。
あ、しまったこれ月が入ってない。鳥、月に変えたりゃぁ良かった!
観月といえば唐招提寺・・・「山川異域 風月同天 寄諸佛子 共結來縁」
長屋王が喜捨したもうた御袈裟の銘文を思い出します。鑑真和上も感じ入ら
れたとの事でした。和上の親筆は残っていますよね。将来された大小二王の
書はどうでしょう?
関西では映画開始の前に、同名のお好み焼き屋の宣伝がありますよ。必殺の
御大が出演されてます。ん?・・・おお・・そうだ、僕、季咸先生の朱を得た事が
あったあったあります。・・・隠密同心の・・・・あれのとき!
でも僕はやっぱり麗君の「千里共嬋娟!」がいいかなあ。
あ、大哥先生!わざわざ御製を・・。ありがとうございます!
徐季海と同名!そ、そうなのですか!
そして隠密同心のあれは・・先生でしたか!!
再読系助字を重ねてしまって「ああ、こりゃ叩かれるわ・・」と思いきや
お褒めの言葉!文章を褒められたのは初めてでとても嬉しかった・・。
驥尾に附すのは私のほうです。
但願人長久 但だ願わくは 人長久に
千里共嬋娟 千里 嬋娟を共にせんことを
さて今宵の月は・・。
220 :
名無氏物語:03/10/11 11:24
季咸様
上のやつならなんとかお名前全部入ったかなあ。
先生の御作には“歌”の他にも“麗”の字や“苦海”が入ってたので一人で納得
していました。エール下さってるなって。断金の契にはあらためて御礼申し上げま
す。隠密のやつは4文字4句、入声でやっつけたのを先生に直していただきました。
銀座へはお仕事ですか?それともご用事?僕は西下直前まで木挽町界隈で働いて
いました。八重洲経由で毎日某大書店に立ち寄って帰宅。土曜は半ドンで東銀座
駅から神保町へ直行、法帖類や書籍に週の給金すぐにつぎ込んでたかも。
筆は物産店にある「衡水新華大狼毫」って狼毫の小筆が好きでそればっか使って
いました。黒い軸で、先がよく効いたのです。今は見ないかなあ。
いつも、素敵な斎号や印が欲しいなって思います。
あちゃあ、なれないPCであげちゃった・・・・・
先生ごめんなさい。・・・・・
ごめんなさい。
>>220 大哥先生
御製(これは天皇専用の文辞ですが・・まぁ・・)、確かに私のHNありましたよ!
ああ、あの入声の・・。いや、その節は失礼いたしました!
玉韻、書き込みが確か午前4時ごろでしたか・・。あの静寂の中にあの詩は佇んで
おりましたね。まるで一幅の画を見ているような感じでした。翌日に気づいて
拙速をやらかしてしまいまして、ん〜、もっと推敲すれば良かったです。
秋 宵 靜 坐 獨 攜 琴
迥 想 知 音 契 斷 金
網 上 驪 歌 恐 不 免
流 離 苦 海 與 相 尋
輒を迥に、倶を相にしてみました。
先生に倣い、刻鵠類鶩となればいいのですが。あ、鵠って言う字、いい字ですねぇ。
しかし、重ね重ね失礼な謂いですが・・
豊かで醇雅な情緒をお持ちですね。その情緒を知識がシッカリと資していらっしゃる。
知識は情緒の賓。あくまで情緒に資するものであり、知が先行し情緒の縁起を阻害
してはならない、これは私の持論なんです。
木挽町にお勤めでしたか。銀座へは友人の社中展がありまして、それで。
「衡水新華大狼毫」は存じませんが使ってみたいですね。私は専ら李鼎和の鶴甲、
邵芝巖の写巻小楷です。素敵な斎号探しましょう!!
>>221 どんまい!!
大哥先生
ケ散木が『篆刻学』で例の撥鐙法を解説しております。
今度、雪曼先生の話題と共に書いてみますね。
大哥先生
例の如くコマギレデ申し訳ないのです。
やや板違いですが、ヤフオクのあの中国書画出品者の品物に対し潮が引いたように
入札者がいなくなりましたが何かあったのでしょうか?先般、この方が叩かれて
いたと伺いましたが・・。
>>222 季咸先生
222番御GET!です。おめでとうございます(笑)
また、玉作拝受激動、なおいまだ措く所をしりません。
僕は写巻は使った事がありますが、鶴甲は初めてお聞きします。大狼毫が入手でき
なくなってからは、大七紫三羊をよく使っていました。上海工芸?だったかな。
>>223 『篆刻学』、邦訳ニ書、今でもありますか?一は絶版ともおききしました。
先生のは原書ですか?是非ご解説下さい。楽しみにしております。
僕の手元にあるのは、今、沈伊黙の執筆解説のみです。これなら取り出せそう。
たしか、張廉卿の残した執筆法の短文への跋みたいなのも載っていました。
>>222 「鵠」の字で僕が思い出すのは、彼の「黄鶴楼」。黄鵠機、どんな所でしょうか?
西望夏口、東望武昌。山川相繆、鬱乎蒼蒼 ...一時多少の豪傑ぞ!
付近にはいっぱい石刻文字がありそうだ。
〜煙波江上使人愁!
あとは烏孫公主のあの詩ですねえ。中に「氈」の字が出てきますよね。
先日のフェルトの件、併せて連想していました。
昨日は少し物を整理していましたが、忘れかけてた詞(お笑い)を書きつけた
紙が出てきてなんだか懐かしかったですよ。
前に先生がおっしゃった通り、節を守っていきたいですね。
千字文くらいしか出てこないけど、はあ。
節義廉退、顛沛匪虧!
欧陽詢の行書千文は一時いっしょうけめい臨書しました。
>>224 話題になっていたのは、美術鑑賞スレのいくつかの欄です。
だいたいは陶磁器の話題ですが、お一人、書について(と思います)の
書き込みっぽいのをされていました。で、なにか動きをされたみたい?
なのか、別の業者さんではIDも変更したとかしないとか。
評価はそんな悪くはないですよね。でも、みんな手を出さなくなったのか、
サクラがいれてただけなのか・・・呉譲之も出ていますね。まだ安い!
呉昌碩のですんごい高いのも見ました。
季咸先生
上で、僕が使った、もと“不知所措”って、漢語では誤用でしょうか?
僕は喜びをどう表したらよいかわからないのだと思ってたのですが、実は
マイナス的な表現で、おろおろどうしていいかわからないよって意味では
なかったかと不安に思って、思わず(笑)戻ってきました。
空海さんの風信帖での「不知攸厝」も、まさか、とまどいの現れではないので
しょうかねえ。
>226のメモで見つかった分、え〜いついでだ、恥かきついでにカキコしちゃう。
どうせ埋もれてたんだし!笑って下さい、寂しい20代の都落ち当時の思い。
「虞美人」の詞譜を填めた、もとい埋めただけです。
銀燈夜色清秋老
客次親朋少
仰看天上一流星
那處微光飛沫 盡蒼瞑
徘徊幾度公園裏
但念三千里
悄然纔到小池邊
水映心中明滅 舊清漣
季咸様
>>222 「鵠」の字、そういえばエールを送ってくださってるのかなあって、
楽しく想像しています。ほんとは徐氏に当たらなくては。
正鵠を得ていればよいのですが・・・燕雀安知哉!
以前よく遊んだ湘南鵠沼の辺に“鵠洋”との名称を持つ施設があり
ましたが、雅名なのかなあ、江ノ島は江島?江洲?でしょうか?
「細雨春帆雙鷺洲」といえば、瀬戸内海の鷺島を言うみたいに・・・
たしか雅名のアンチョコ辞典ってあるんですよねえ。濹水、刀水、
澱江とか、いつか欲しいなあ。“武江銀座路”もかっこよかった。
湘は相州に水ですよね。あ、激しくスレッドの趣旨に違うてきた。
ここで、遅まきながら辞書に当たると・・・鵠企、鵠立、鵠望ってのも
ある!鶴企(立・望)に同じだって・・・なんか、必殺ならぬ劇画の二?十手
使う人思い出しちゃった。週間ポ●トだっけか。
で、倉庫を検索しましたら、「馬国権編 沈伊黙論書叢稿」ってのが
なんとか出てきました。時間見てちょいと読んでみます。
うわっ、漢字ばっかりや。当たり前か
>>225 大哥先生
ヽ(・∀・)ノ東京地方、今夜は朧月です。今日はマターリ。
222ゲトご祝辞、有難う御座います!!(´∀`*)
糞翁の『篆刻学』は人民美術出版社の影印本です。ご存知糞翁の手書き本ですが、
なかなか感じの良い筆法です。
訳本は二種ありましたね。片方のはだめだめ本でしたねぇw
>是非ご解説下さい。楽しみにしております。
とても解説する力量はありませんが、折を見てちょっと触れてみますね。
沈伊黙の執筆解説、是非ご教示ください!興味津々です!
>>226 大哥先生
烏孫公主の悲愁歌ですね!
吾 家 嫁 我 兮 天 一 方
遠 託 異 國 兮 烏 孫 王
穹 廬 爲 室 兮 氈 爲 牆
以 肉 爲 食 兮 酪 爲 漿
居 常 思 土 兮 心 内 傷
願 爲 黄 鵠 兮 還 故 郷
(コピペ)
だいたい、「○○公主」って聞くと和親に使われたり殺されたりで悲しくなっちゃう。
和親に使われた王昭君を詠った王安石の明妃曲もありますね。私は欧陽脩の再和明妃曲
の方が好きです(って、たまたま読んで知ってるだけでつ)。
漢 宮 有 佳 人 天 下 初 未 識
一 朝 隨 漢 使 遠 嫁 單 于 國
絶 色 天 下 無 一 失 難 再 得
雖 能 殺 畫 工 於 事 竟 何 益
耳 目 所 及 尚 如 此
萬 里 安 能 制 夷 敵
漢 計 誠 已 拙 女 色 難 自 誇
明 妃 去 時 涙 灑 向 枝 上 花
狂 風 日 暮 起 飄 泊 落 誰 家
紅 顏 勝 人 多 薄 命
莫 怨 春 風 當 自 嗟
明妃出塞図
ttp://www.city.osaka.jp/museum-art/selection/img/c_cal/ccal_06.jpg >前に先生がおっしゃった通り、節を守っていきたいですね。
偉そうなことを申し上げてしまいました・・。ご寛恕を。
>>227 大哥先生
>話題になっていたのは、美術鑑賞スレのいくつかの欄です。
ありがとうございます。
なるほど・・。いえね、悪くはないと思うんですよこの出品者。一割程度は当たりでしょうか?
中にはたまに「とんでも書画」もチラホラ見えますが(笑)
注目はしています。
>>228大哥先生
「不知所措」、ASCCで調べてみました。まず、十三経には用例なし。
/新校本三國志/吳書/卷六十四 吳書十九/諸葛恪
皇太子以丁酉踐尊號,哀喜交并,<不知所措>,・・・
/新校本晉書/列傳/卷七十三 列傳第四十三/庾亮
夫富貴榮寵,臣所不能忘也;刑罰貧賤,臣所不能甘也.今恭命則愈,違命則苦,臣雖不達,何事背時違上,
自貽患責邪?實仰覽殷鑒,量己知弊,身不足惜,為國取悔,是以悾悾屢陳丹款.而微誠淺薄,未垂察諒,
<憂惶屏營不知所措>.願陛下垂天地之鑒,察臣之愚,則臣雖死之日,猶生之年矣.
/新校本宋書/列傳/卷六十四 列傳第二十四/裴松之
・・・慚懼屏營,不知所措,・・・
/選自【諸子】/墨子韆e/附錄/胡非子佚文
公懼,不知所措,・・・
/選自【古籍十八種】/通典/兵典凡十五卷/卷一百四十八 兵一/兵 (注)
則軍士疑惑,不知所措
etc・・
これらを見ると按ずるに不知所措の語は、御明察どおり、心中穏やかならず、心の置き所がない、
或いは、なかばパニクリ状態を表現するものが多いようですね。
しかしこれも先の「観止」逆バージョンの逆用法(?)でってことで。
ありがとうございます!
>>228 大哥先生
>寂しい20代の都落ち当時の思い。
いいなぁ・・。私もできればなぁ。文才って才だからなぁ。
私のように長じてジタバタシテモ徒労にお(ry
悄 然 纔 到 小 池 邊
水 映 心 中 明 滅 舊 清 漣
情景が浮かんできますね。
纔の使い方がいい!「やっと池のほとりにたどりついた」の呼吸がいい!!
私も菲才もていつか郢正願うかもしれません。その時は
<(_ _)>どうかおながいします<(_ _)>
>>299 大哥先生
広告の志←なんやこの変換は!(ビルゲイツめ!)モトイ!
キタ━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( 鴻 鵠 の 志 や ! )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━!!!!
お互いこの勢いで行きましょうや!!
>たしか雅名のアンチョコ辞典ってあるんですよねえ。
あるんですよ。激しくあるんです!
『東藻会彙』
萩野求之輔撰 地名箋 小本 (東都 : 須原屋伊八 , 明治4刊,安永8重刊)
しかし、長年捜し求めて未だ激しく手に入らない!もうこうなりゃ国会図書館でコピるしかないか!
(ってあるのかなぁ、ありますよね)
先生もご一緒に是非お求めになりませんか!
馬国権編 『沈伊黙論書叢稿』
特記すべき部分をカキコおながいします!
あ、先の玉韻、為書きを擡頭して戴きありがとうございました!
また、しばらく細切れ攻撃になると思われます←どこかで見た表現w
今後ともどうぞよろしくおながいします。←天然にミスタイピング!
大哥先生
>>231の欧陽脩の再和明妃曲、五五をべたに連記してしまいました。
すみません。
大哥先生
『東藻会彙』、京都あたりの古書店にありませんかねぇ・・。
東京は今のところ見当たりません・・。もし、手に入れた暁には(仮令コピーでも)
小冊でしょうからこのスレに張り込んでみようかなぁ(ああ、スレ違い)。
季咸様
>広告の志←なんやこの変換は!(ビルゲイツめ!)モトイ!
いえいえ、激しく小弟の体を現してるじゃないですか!広告はできないけど。
“不知所措”ご解析いただきありがとうございます。お手数をおかけ致しま
した。こんなにまでして頂き、恐れ多くて措く所を知りません!!
でもなんだかとても嬉しいです。
>『東藻会彙』
!!!!! これも書名がわかって、とっても嬉しいです。
よっしゃよっしゃ、もし手に入ったらこれで句の中に地名をバリバリ入れたるど!
曰く「●京空晴秋気深!」、「○○山畔○○寺!」「●●池辺春色遍!」
「○○街上緑風多!」・・・・ ・・・・ああ、そこらここらで見た句になりそう。
でもコピーでもいいから欲しい!今国会図書館を検索してみたけど、なぜか繋がら
なかったです。
>231
明君詩、うpありがとうございます。
王昭君のお墓って確かいまもあるんですよねえ。境遇は異なるけど蔡文姫みたいに戻
った人もいるのに。そういや『臥虎藏龍』では砂漠からお嬢様戻ってきましたっけ。
あ、これもパターン違うか。
>>237 京都、今度時間見て捜してみます。あればお送りしましょう。
季咸先生
>>210 >孤剣飄零四十餘年。乃得知己於網上専欄。宛如鳥鳴嚶嚶不厭・・
続きも読みたいんです!今度教えてくださいね。
これ・・・先取って戯れに先生に贈ったら怒られちゃうかも。
孤劍飄流四十年
悠悠終日仰蒼天
如今夜月彈琴後
定有知音使不眠
・・・・センスなくって転結がうまくいかん、
鈴鹿のF1GPの放映を見ながら、ぼそぼそ埋めてみました。そういや琢磨クンっ
てお名前、論語から取ったのかなあ。
>>240 大哥先生
早速のレス、ありがとうございました。
>定有知音使不眠
お気遣いいただいて・・。そろそろ寝ますノシ
あらら、王昭君の場合は和親じゃないなぁ。
うわ、6:20!寝よ。
季咸先生
>>242 よくお休みになれましたか?こちらはあんまり天候はよくないです。
あの、“必殺”の欄、もう落ちたんでしたか?激しく見つからない。
僕がカキコさせていただいたのは、(笑)あの趙悲庵の時のと
質問欄の纏足の歌のうp、例の軍人さんの絶筆、何かの詩序の書き下し、
あと、すっごく下の方にあるYO!で終る欄に1回・・・多謝。たいていは
季咸先生のお名前を見つけて、立ち止まる。
博雅篤醇なのは先生の方と思いますよ
>>243 大哥先生
お気遣い、忝く存じます!やっと目が覚めました。
東京地方、大雨、のち快晴です。
>博雅篤醇なのは先生の方と思いますよ
不敢當不敢當、慚懼屏營、不知所措!
白状しますと、先生について行くのがやっとで・・。
勉強させてもらっています!
“必殺”の欄はたしか「宿題スレ」の前スレでしたか。
と言いつつ雑談してしまっております。
実は友人が文字考証の問題である方より個人的に激しく攻撃を受けておりまして、
何とか牽強付会して反撃に打って出る準備をしなければなりません。
詳しいことは書けませんが・・。
(はぁ、めんどくさー。ここでマターリと勉強したいのに・・)
やっつけて来ます!沈伊黙の執筆解説お聞かせくださいませ!
大哥先生
■古文or漢文→現代語訳■
拝見しておりますよ〜!
季咸様
>博雅・・・昨日、カメラとレンズうぱらたお金で気晴らし(笑)に
映画行ってきました。『陰陽師2』。晴明の相方の名前が源博雅で
なんだかおかしかった。
文字はだいぶ出てきましたが、今ひとつどうも・・・
題名は誰の書だろ。去年くらい『阿弥陀堂だより』は南都I先生
でした。正倉院展、今年は「鳥毛篆書屏風」出るそう。雑体っぽい
面白い字ですね。書いたのは日本人かな?まさか御書ということは?
あそこの各献物帳の書は、唐風でけっこう好き。
■古文or漢文→現代語訳■、適当にごまかした所や、自分でよく分ら
なかった所を鋭く指摘していただきました。「従」ってずうとなんの
こっちゃって思っていましたもん。
孫文のあの「夙夜匪懈、主義是從」は、「日夜おこたらず、三民主義に従え」
でよろしいんでしょうか。僕はここがあやふやで「日夜おこたらなければ、
主義はついてくる」みたいに漠然と読んでいましたよ。
文字考証、うまくいきそうですか?
>>248 大哥先生
正倉院の「鳥毛篆書屏風」、あれは激しく唐人の筆でしょうね。
あれは怖い・・。あの胡乱な篆書体が醸し出す匂いは、鼻を思いっきり
ぶん殴られた時のあの幻臭に似て・・(なんのこっちゃ?)
しかし名品ですね。晋の神道闕や唐の墓誌蓋に通じる筆法、それに情緒。
空海もあの篆書の呼吸を得たと見えて書き振りが頗る怖い。
「夙夜匪懈、主義是從」
夙夜懈るに匪ず(んば)、主義是れ従う この從は自動詞なんでしょうかねぇ?
倒置の場合の是は動詞と目的語に挟まれますから「従える」と解すのでしょうか?
あとで全文対照して考えてみましょうよ。
>文字考証、うまくいきそうですか?
実は難しいのです。だいたい、いい加減な仕事しちゃった友人が悪いのですが・・。
これを叩いた某老先生、子供みたいな相手つかまえて鬼の首取ったような勢いで
某誌にカキコしちゃった。あの質問スレの名台詞、お借りしたい心境ですよ。
「先ず削除依頼出して来い!話はそれからだ!」
あとこれも欲しい。
「必 死 だ な w」
あ、これ以上書いちゃうと逆に私が言われそう。
もともと非は友人にあるわけですが、でもこれじゃあんまりだから名誉挽回を期すべく、
何とか牽強付会して少なくとも相打ち相抜けするまで反証しなきゃならない。ハァ・・。
まあ、何とかします。学は無いかわりに、キバヤシばりの堅白同異、白馬非馬の類は得意ですから。
でもくわしい報告は・・ごめんなさい。ことが大きくなるとこのカキコと現実が
リンクしちゃいますから(しかし未だ反証資料が見つからなry・・ハァ)。
是は或いは倒置の助詞ではなく接続詞なのか?
まぁマターリと。
季咸先生
三民主義、吾黨所宗、以建民國、以進大同。
咨爾多士、為民前鋒、夙夜菲懈、主義是從。
矢勤矢勇、必信必忠、一心一コ、貫徹始終。
検索をかけたらあっさり文白対照に掲げてある所にもヒットしました。
もと軍学校での訓示との事なので、やはり“主義に是れ従え”
みたいです。古書の用例もあるの?検索で当たりました。
(司馬子期・左史倚相) でも「是」の品詞って何なんでしょ、「菲」っ
て否定詞??僕の辞書、野菜とか薄いとか草履しか載ってな〜い。
後の「矢」もわからなかったです。誓うって意味ですよねこれ。
「一」は動詞?一徳ってなんて訳せばいいんでしょ?学徳の行を
怠った僕などは理解はできないのかもしれませぬ。徳を一にす???
徳ってなんじゃ?昔の勅語の結びにもあったっけ。
勉強勉強。正して下さったあの方に感謝感謝。どちらかというと、
書き下しの際、意味より対偶を重んじる傾向が僕にはあります。
季咸先生
大同って文字見るといつも思い出すのですが、かつて、中華街の「天下為公」
って横額の掛かったお店で、ご主人、中国語でダ〜っとその字を説明してくだ
さった事があります。文字はびょ〜んとした康南海の楷書(これも頭の中で創
り上げてるかも)ではなかったかと思うのですが、聴き取れたのはほんの僅か。
「たーたおちひん、てぃえんひゃういこん」って発音でした。
「てぃえんひゃういす」ってのも頻りに仰っていました
今考えると「大道之行(也)」「天下為私」かなとも思います、が、さっぱり
意味はわかりませんでした。
あの纏足歌も、台語を話される年配の方に意味をお聞きしてみたい
です。まだなんかすっきりわかってない
康有為話題で、中国の書家スレ繋ぎ止められましたか?(笑)
沈伊黙さん、まだ読めてません。がんばりまっす。はあ、やっぱ漢字
ばっか・・・執筆の挿絵は載っていますよ。
>>251 >>252 お笑いでっさ。
そりゃ、野菜とか薄いとか草履しか載ってなくてあたりまえですう。
寝ながらカキコするとだめですね。ま、いつも随眠のうちにあるよな
もんか。すみません。「菲」じゃくて「匪」ですよね。
上の方で千字文の同じ文字引いたりしたわりに気づかなかった。
コピペ先自体が誤植でしょうか?まさか本来通用するとか?
「王菲」嬢の話題とか出したせいかしらん。「雨の御堂筋」を
歌ったのは欧陽菲菲さんでしたか、欧陽率更との関係はあるのかなあ?
>菲菲
よく似た文字あったよなあ、って
思い出したのは、あまりに人口に膾炙した
韋莊 金陵圖
江雨霏霏江草齊
六朝如夢鳥空啼
無情最是臺城柳
依舊煙籠十里堤
今の烏衣巷の夕日は如何でしょうか?
王謝の子弟も今に至るまで撥鐙法を用いているのでしょうか。
季咸先生
そういえば、『明妃出塞図』ありがとうございました。天王寺にあるんですねえ。
遠くはないのですが、怠け者でなかなか尋ねていません。「東坡先生」の『李太白仙
詩巻』や、「米顛どの」『草書四帖』、特別展以外でも出してくれるのかなあ。
大哥先生
こんにちわ!
三民主義のお話でこんなのがありました。
〜。而最後提醒大家要「一心一コ」以「貫徹始終」的又是什麼呢?
這兩句就籠罩了全篇,包舉以上各句。因國父要大家同心同コ、團結一致,
以從始至終、不達目標、決不終止的,乃是以三民主義為宗,建設民國,
並提攜世界其他國家民族,以進於世界大同之至境。
ttp://163.26.9.12/noise/hcjh-ca/1-04.htm ここから引っ張ってきました。
主義に是れ従え、ならば「是」の品詞は強調の助詞なんでしょうが・・。
主義を目的語と見ていいのかなぁ。この語、五柳先生式にしちゃおうかなぁ(笑)
「矢」は誓うでいいと思います。
「一コ一心」は「同心同コ」と同義。矢勤矢勇と対偶関係ならば「一」は動詞。統一する。
徳は漢辞海に「社会において正しいものと評価される行動規範」とありました。
>>253 大哥先生
>すみません。「菲」じゃくて「匪」ですよね。
>コピペ先自体が誤植でしょうか?まさか本来通用するとか?
激しく気になったので調べてみました。
菲、通匪。見正字通。段注、烝民、匪一作菲、亦古今字也。
なーんてことを期待したのですが・・(これは冗談が過ぎました!嘘です嘘です!笑)
調べてみました。棐と匪の通用は
『漢書・武五子傳』:”毋作棐コ”。顏注:”棐、古匪字”(古字通假會典)
とありますが、同じ『漢書・武五子傳』の”毋作棐コ”に服虔は「棐,薄也」としており、
即ち菲義ですがもとより否定詞ではなく、衛風・淇奧の釋文には”匪本又作斐”とあり、
『説文假借義證』に「詩巷伯萋兮斐兮・・釋文斐本作菲、是菲爲斐之假借」としておりますが、
この菲も否定詞ではありません。
といいますか既に”匪本又作斐”で破綻しているわけで・・。
いろいろ見てみましたが菲が否定詞として匪に通じる事例は見つかりませんでした。
(こうなりゃとばかりに菲字でASCC全検索やりました!無かったでつ。。一件も)
即ち誤植でしょうか?(って誤植でしょ?性懲りのない私です)
今日はこれにて失礼しまーす!
>>257 あん!顏注と服虔のカキコ関連性ないやん!あーあかんわ。
季咸先生
>>257 これは面白い!先生ご考証の作業の一端を垣間見る事ができ楽しいです!
書作にはかくまで楽しい校字の仕事があるのですよね。釣行前夜の釣り師
みたい・・・ちゃうか。
徳高い先生が上記出典を順に抄出し、匪を菲となすも不可なる無し矣!
とおっしゃったならば、僕は信じる所でした。
しかしお手数をおかけしました。淵明先生どころか!
義心侠骨、廻瀾の功成し遂げられんことを!(あれ、廻瀾って誤用かな)
コピペですが・・・
ttp://163.26.9.12/noise/teacher/noise/hb-1/1-04.htm ここってなんだか面白いので、時々読んでいました。そこにあった。
【文白對照】──要顧及到文言文的本來意義與白話文的語氣順暢
三民主義 三民主義
吾黨所宗 是我們全國國民所共同信仰遵從的;
以建民國 (我們要)用三民主義來建立並建設中華民國、
以進大同 用三民主義來促進大同世界的實現
咨爾多士 啊!諸位愛國的志士們、
為民前鋒 (你們)要做全民的楷模、表率;
夙夜匪懈 從早到晩都不懈怠、
主義是從 (並且)遵從三民主義(的指導)。
矢勤矢勇 大家要立誓勤奮努力、勇往直前、
必信必忠 一定要精誠信守、一定要盡心盡力;
一心一コ 大家要團結一致、一起行動、
貫徹始終 自始至終都要不斷地努力、徹底地實行(三民主義)。
ついでに、
ttp://www.naturelife.org/phpBB2/viewforum.php?f= 10&sid=f576c972aebd63ad0f50ab6710f54422
これは、古音(閩南文言音)での古典吟唱が聴けるので・・・
上の“国歌”って、本当はなかなかいい事を言ってるような気がします。
かなり微妙な話題ですが、義●軍行進曲は、訳してみようと思うと
さすがにちょいと憚ってしまう気持ちがある。大変勇ましいけど・・・
上の12句、ネット上では隷書(八分)体で掲載してあるところもありました。
たしかに隷書はこの荘重たる雰囲気にはぴったりかもしれません。
漢碑なら、どれが合うかなあ。
>>260 ずれちゃったし
後の台古音サイトには、国歌はないんです。あせってしまってごめんなさい。
>>259 大哥先生
昨日は誠にいい加減なカキコをしてしまいスミマセンでした!
いや、なんとか菲を匪に通じせしめようと攷較しましたが、出てくる菲字は悉く形容詞ばかり。
では菲は否定詞として匪には通ぜざるを論証しようと致しますと、これは言うまでもなく時間がかかるわけで、
斯様な中途半端な失態をお見せすることになってしまいました。
(だいたいこんなことを始めますと途中必ず迷子になるわけで、突破口を見出すまで数日かかったりしますが、
正直、楽しい迷子ですね)
こうなると家柄の良い順風満帆に育った字にはもう興味がなくなっちゃう。
なんと言いますか、場末の小料理屋の女将みたいな字、身の上話を聞きたくなるような字を選びたくなったり・・。
>釣行前夜の釣り師みたい・・・ちゃうか。
まさに!これでたまに人が釣れたりします。たまにですけど。擬餌針で(笑)
「徳高い」はどうぞご勘弁を!玩人喪徳玩物喪志。最早悔いはありません。
>廻瀾の功成し遂げられんことを!
もう、狂瀾に巻き込まれていたりして(笑)「之を退く」しかないかも・・。
>>260 大哥先生
義●軍行進曲の作曲者、聶耳は江ノ島近くの鵠沼海岸で遊泳中に土用波に飲まれて溺死してしまったそうですね。
鵠沼海岸・・。聶耳記念碑
ttp://www.cityfujisawa.ne.jp/~kassy/2chome/2niearu.JPG 閩南文言音・・いいですね!!先生は音韻に精通されていると拝察。折々にお教えください。
(実は『韻鏡』の等の概念が・・よくわからないのです)
高明誠先生ってどんな方でしょ?詩の権威でいらっしゃるようで。
まるで文章が作られた当時の士大夫の朗読を聞くような。
ではお約束どおり(笑)、スレ違い除けのひとことを。
以前テレビに右軍の末裔という少年が取材されてましたね。勿論撥鐙法。
でも隷書やら篆書やら書いていてちょっと興ざめでした。字もあまりうまくな(ry
ζ
[ ̄]'E 大哥先生にもあたたかいコーヒーを。
あ、もしご迷惑でなかったら、先生、コテになさいませんか?◆付きの。
>>265 季咸先生
今からハロ●ワークいきます。
実は音韻には通じていないんですよ。勉強したいと思ってます。
音韻論の本はたしか、読み始めで売り払っちゃったかもなあ。
PC自分のでなくても、コテにできますか?
なんせ、「・・・辞家見月両回円、今夜不知何処宿・・・」
浮浪をマンキツしましたので。
また来ます。
かの平沙万里の磧中、神舟号飛び立ちましたねえ。酒泉でした?
今も簡牘残紙類埋まってるのかな、あの辺り。
>>266 大哥先生
>PC自分のでなくても、コテにできますか?
トリップキー忘れなければ平気ですよ。でもトリッパー使ってカコイイトリップに
しちゃうとキーが複雑なので忘れちゃうかもです。
http://www.2ch-trip.com/ >今からいきます。
はい!お気を付けて!でも私にはもう見えていますよ。
「吾 見 其 杜 権 矣 !」
なにせもとは占い師ですから!(へっぽこの)
季咸先生
レスありがとうございます。今帰ってきました。久しぶりに大教室に入った
みたいな感覚、大勢の中で並んで説明を聞き、学校の講義を思い出しました。
>「吾 見 其 杜 権 矣」 僕にも天壌の相や、善者機の働きを得る事ができ
ますでしょうか?やっぱりよく読んでいらっしゃるのですねえ。
コテの件、“トリップキー”すら何かよくわからないまんまでしたので、
色々ガイドからまず読んでみたいと思います。僕もなにか出典がほしい
わあ(笑)
季咸先生
>「徳高い」はどうぞご勘弁を!玩人喪徳・・・・
なんだか色々想像してしまいましたよ。
そういえば、『徳州の二高』は今いかがなのでしょう?
>鵠沼海岸・・。聶耳記念碑
それは初めて知りました。ありがとうございます。
でもこの方ってお名前「耳」が四個もありますよね。すぐに“四耳壷”を
連想しました。壷なら水をお腹イパーイ飲んでしまわれたのも、まあ、
しゃーないのかなって思ってしまいました。
先生が季咸先生なら、僕は列禦寇ですか?壷子はどちらにおいでなので
しょう?
湘南海岸は、大学2年次、憧れていた女性(歳上の女性が4人来た)に誘われ
て泳ぎに言った思い出があります。男子は僕一人でなにもできず、オイル
塗らされたりどきどきしながら、結局一人波打ち際の陶磁器の破片を拾っ
ていました。四耳壷の破片もあったかなあ。
その女性の影響で寧都・鎌府を尋ねたりうろついたりするようになったの
です。北鎌倉のお寺の般若心経の版木についている読み(唐音?)と、洛南
の万福寺の読み(明音?)は異なるのが面白かったですね。
上の高氏のサイト、般若心経の文言読みもあるので珍しいですね。
北鎌倉では『建長寺』の『比田井天来碑』を尋ねた事をふと思い出しました。
あれは褚遂良の書風を参考にされたのでしたっけ。
大哥先生
おかえりなさい&おはようございます。
応帝王の壺子と季咸の方術合戦は大好きなお話です。
壺子の術にパニックになって遁走する季咸の姿も面白い。
列子に「奴を追え!」と命令する壺子も笑えます。列子、追いつきませんでした。
季咸、逃げ足の速いこと!
「鄭有神巫曰季咸」って言うんだから、やっぱり女なんでしょうね。
『淮南子/地形訓』の釋文には「姓季名咸」とあります。
>僕にも天壌の相や、善者機の働きを得る事ができますでしょうか?
ええ、ええ。でも「未始出吾宗」だけはご勘弁!w
この板の「壺子」はステハンでたまに私をいじめに来ます(笑)
荘子は列禦寇篇の屠龍の話も好きですねぇ。
大哥先生
>そういえば、『徳州の二高』は今いかがなのでしょう?
高貞碑、何故割っちゃったかなぁ。ほんと、いまどうなっているのでしょう?
>先生が季咸先生なら、僕は列禦寇ですか?
いえいえ、それでは私が誑かしたことになりますからねぇ(笑)
でも「風に御りて行く」列子ってカコイイなぁ・・。
ぜひぜひコテハンになってください!
>結局一人波打ち際の陶磁器の破片を拾っていました。
なんだか光景が浮かんでまいります。私もそのクチでした!
陶片と言えば近年(と言ってももう10年以上)発掘された筑紫鴻盧館ご存知ですか?
今は無き福岡平和台球場の違法工事の際に発見されたのです。
私は小学生の頃、地元福岡の海岸線の推移を空想するのが好きでして、
郷土史関係の本を読み漁り、各種古地図の地形や地名はほぼ記憶しておりました。
鴻盧館についても九大の中山平次郎博士により場所の推定までは為されておりましたので、
小生意気にもよくあのあたりのフィールドワークをやっておりました。渡来磁器(越州窯?)
の陶片や太宰府様式の瓦片を拾ったものです。後年、発見されたときはもう、
((;゚Д゚)ガクガクブルブルものでした!
ttp://www.amateras.com/trip/japan/wajinden/nakoku.htm 鎌倉にはよく遊びに行きます。でも建長寺にはまだ行ったことなかったなぁ。
今度行って見ますね。天来碑も見て来ます。
季咸先生
鴻臚館、表面採取ですか?掘ったの?
すごいですねえ。今もお持ちなんですか?
僕、以前勤務した会社の会報に、ある日埋め草を求められ少しだけ書いた
事があります。題して曰く「倭人沈没す」
水●教室の会報でしたので・・・日本人は何時から泳いでいたのかとか、呉の
地方でも潜っていたとか、呉の太伯の子孫と自分で称したとか、倭人伝の
あの辺です。彼らの観た玄海灘、見上げる水面、青い空、どのような海だ
ったのでしょうか?
多分みんな読み飛ばした事でしょう(笑)
粉体工学で有名なD大の元教授先生が、玄海灘にも鳴き砂が存在した事を説か
れていて、はるか古代に想いを馳せた事もあります。
寄せては返す波、白い砂、青松の浜べ・・・いったいどなたがあの印綬を埋めたの
でしょう?
季咸先生
同僚の外国人スタッフと梅ジュースを飲みながら「実はニッポンには、フライ
ングプラム伝説ってのがあるのだ」「おお、からかってはいけませ〜ん」
「いやほんとなのだ」
神妙な顔つきで菅公のお話を拙く訳したことも思い出します。菅公はお習字の
神様でもありましたっけ?
高貞は厄に遭っていたのですね。石鼓や化度や李秀も昔やられていますものねえ。
すでに痕も残していないものも多いのでしょうか?
そういえば鴻臚って文字、不空和尚の碑で見かけたよな気がする・・・
季咸先生
列子といえば、泠然として善し!
僕が思い出すのは、東坡先生(これしかないんかい!)
念奴橋 (おお、国名が入ってる!) の「我欲乗風帰去!」
赤壁賦 (上司があかかべって読んだ) の「●●乎如馮虛御風而不知其所止・・・」
ありゃ文字が化けました(笑)
馬王堆老子みたいな古写本は、荘子・列子には発現していないのかなあ。
あとで、書店で荘子屠龍読んでみます。ネット上にあったけど語釈がない
と読めなさそう。
僕が昔読んだ音韻論の本は藤堂氏のものだったと思います。
中原音韻までの時代変遷、またそれ以降、思えばなかなか面白いですよね。
めったになかった客家語のテープまでわざわざ買いましたもの、あのころ。
倭人伝中の北九州地方?の地名は、邪馬台国問題で著名なY教授の書物で
上古音、中古音に基づいた解読を試みられていますが、藤堂氏の字書を
活用されてたかな。漢音呉音のみで恣意的に読み下すのでは、あれらの
地名は確かに読めないのかもしれません。書中引用された天満宮蔵の
「翰苑」の写本は9世紀のものとの事です。
将来のものなのか邦人の写本なのか、一度行って見てみたいなあ。
(もしかして鴻臚館、大宰府、志賀、玄界灘、もしかして僕の地理感覚
はちゃめちゃ?)
季咸先生
鎌府といえば、立●正明氏の小説・随筆が好きでよく読んだものでした。中に
篆刻・印について述べられたところがいくつかありますよ。
骨董、特に古陶磁への大変な目利きを自認されていた氏ですが、印は「落款」
と称していらっしゃいました。刻の浅いのはお嫌いのご様子です。ここでも
妄りに先人を批するのは慎みたいと考えますが、よくみなさんおっしゃるの
「印鑑、烙印」等の連想でしょうか。
あれ、確か“落成款識”のことですよね。印のみで落款に代えることはあるか
もしれないけど・・・
ヤフオクでも「落款あり」って印の事がありますものねえ。
そういえば、篆刻専欄上がってました。
愙齋先生とおっしゃたかな。
大哥先生
『漢委奴國王』なぜ埋められたのでしょうね。あの印は蛮夷印中、否全ての漢印の中で
最も巧みなものだと思いますね。全く異例です。鋳込んだあと針鏨で仕上げていますが
転折の部分の処理などは実に見事。拡大してみますと小刻みに鏨の痕が残り、何度見ても
見飽きません。
気になるのは「漢の委の奴の国王」と読んだこと。
私には「漢/委奴/國王」としか句読を打てないのです。倭奴を何と発音するのかは諸説
ありましょうが、これは切っちゃいかんのではないかと思うのですがねぇ・・。
>高貞は厄に遭っていたのですね。
高貞碑のみならず新出の碑が初拓数枚採ったあとで破壊される話もありますね。
拓本の希少価値を期して文字を破砕しちゃう。もうたまらんですね。
>馬王堆老子みたいな古写本は、荘子・列子には発現していないのかなあ。
郭店、上海博物館蔵楚簡あたりも面白いですね。私は未着手ですが資料は近々求めようと
思います。
大哥先生
>書店で荘子屠龍読んでみます。
朱泙漫學屠龍於支離益,單千金之家,三年技成而無所用其巧【一】.
【疏】姓朱,名泙漫.姓支離,名益.殫,盡也.罄千金之産,學殺龍之術,伏膺三歳,
其道方成,技雖巧妙,卒為無用.屠龍之事,於世稍稀,欲明處渉人間,貴在適中,苟不當機,雖大無益也.
逸話はこれだけですが味わい深いものがあります。この後、説明が続きます。是非お読みください。
>立●正明氏の小説
私も数冊読みました。エロイところもイイ!あんなヒロイン、いませんて。
「落款」は落款印の略なのでしょうね。らっかんらっかん言われると斯道の未来を悲観的に感じてしまいます(笑)
>そういえば、篆刻専欄上がってました。愙齋先生とおっしゃたかな。
趙之謙で一句やってますね。確かに趙の白文は涼しげではある・・。
呉大澂の金石コレクション、『愙齋集古録』欲しいんですがねぇ。
あと羅振玉のコロタイプ版『三代吉金文存』も・・。友人は確か香港で70で入手しましたよ。
でわでわ、仕事に戻ります!
大哥先生
おっともうひとつ。
>藤堂氏の字書を活用されてたかな。
古音の研究なら矢張り、欠かせないでのしょうね。
この方のお師匠さん、実は私、あまり好きではな(ry
学はあっても識は(ry
ああ、書いててこわいわ!(;´Д`)ハァハァ
季咸先生
>>277 人魚がおるいうてるじゃないですか!
硯は古瓦のもなかなか好もしいですよね。
う〜む、先生もしかしたら神話中の神懸かる方の遠孫でいらっしゃるとか・・・
もしかして、海の中つ道で瞑想されたことがおありですか?当時、無言の行の
ごとく石で印綬を覆われている様子が、先生眼裏に浮かんでおられるのでは?
(トリプ鍵って↑入力試しましたが・・・・昔の句入れましたよ)
季咸先生
今日、太宰府のフライングプラム思い出しながら、梅田の古書店回りました。
残念ながら「東藻会彙」なかったです。しかし
某先生(木偏)の原ツ、欧陽修の秋風賦の印譜が3マソ
ばくだーん先生の折り帖が6.5マソ
こんなんも出るんだ、と思いながら、紀○国屋の古典書コーナーへ
これがさぱーり数が無い。書道の棚もなんだか端に追いやられて減っ
てたかも。
季咸先生
荘子、語釈まで付していただきありがとうございます。
無用の用の事なのでしょうか?たしかにこれ玄妙。もう少し読み込んでみたい
です。丹田に意識集中せねば。
執筆の前は、意識集中、経営布置ですよね!
で、先生、もうばっさりやっつけてくださいネ。性懲りもなく・・・またやっちゃった(笑)
季咸先生、一日眷我以示南華眞經名篇。尋味半日、未得至其意境。今強節語句、謹呈
先生机下、伏乞更爲撃端。
千金用盡學屠龍
長歳伏膺無所逢
勿説區區苦雕琢
奏刀一閃快風從
季咸先生大斧叱正 二可小弟拙稿
>>284 あんりゃ?場所変えたらキーが変ってるう。
秋声賦、高明誠氏の分聞いてこよっと。
季咸先生
>古音の研究なら矢張り、欠かせないでのしょうね。
むしょうに音韻論の本が読みたくなりましたよ。
昔の人はどんな声であの文や詩を読んでおられたのでしょう。
どんな声調だったのでしょう。欧陽詢が索靖の石碑に留まった時、
どんな風に口ずさんだのでしょうか?
激しくしりたい。
特に声調については、当時の声調がどうだったか、結局知る事ができない
まんまほうりっぱなしです。
詞研究の大家である、M博士のご本(李U)に、
春去也 ・・・上声の字であるが、ここではとくに重く読まれるべき・・・
鎖清秋 ・・・とくに「鎖」の字が絶妙、この字は重い響きをもつ上声の
字であるが、ここではそれがことに効果的である。・・・
・・・前二句の「断」と「乱」はするどい去声の韻を踏んで
絶望的な響きがあり、第三句の「離愁」が平声であるのは、
これらをつつみこんであきらめの嘆息に似・・・・
(原詞は剪不断、理還乱、是離愁)
同博士の別のご本(宋詞の世界)に
無可奈何花落去・・・更に何よりも「無可奈何」という四字のもつ音色(トーン)
がここではすばらしい効果を発揮している。この四字は、声調
の上からいえば、平声、上声、去声、平声という組み合わせで
あり、その高低の落差がありながら粘りつくような、独特のな
よやかな抑揚の調子が「どうしようもない」という詠嘆の情と
緊密に結合して・・・・ (原詞は晏殊)
たまたま、テレサが歌ったり、朗読してる曲なので親しみ深かったのですが
これ、季咸先生が前おっしゃった、「江南の春であるのに、なぜ北朝のフェル
ト臭い字を選んでんだYO!」って言葉そのまんまじゃあないかしらん。
M博士は“北方音”でおっしゃていますよね、これ・・・
あ、素人が何いってるのかしらん、やばやば。
しっかし、もしあの高氏の古音で李後主よんでいただいても・・・・ごっちんごっちん
だよな。僕はテレサが朗読する「剪不断、理還乱」の個所がすごく好き、不は声調
が平声に変わってしまってるけど・・・なぜか一番そこが好きなんです!
いらんこといぱーいカキコしましたが、詞に関しては北方音の方が似合ってるよう
な気がします。M博士お説ごもとも。
秋艸道人に
「あせたるを ひとはよしとふ 頻婆果の ほとけのくちは もゆべきものを 」
ここではちょと違うかもしれませんが、何を風すると言うわけでなく、(ホントです!)
以前心に残った歌だったので思い出しついでに録してみました。
>>283 示以にしてたんですが、なんだかよく分らなくなっちゃって入れ替えました。
謹呈机下なんて言い方あったかしらん。
名篇なんて和習ですか?
節なんかも、もっときちんとした字や言い方がありそう。
お時間があれば見てください。あ、でも思いっきしスレ違い。 うんむ、
擦れると言えば、擦拓と撲拓と、味わいは違えど、双方なかなかよいもの
ですなあ!
大哥先生
千 金 用 盡 學 屠 龍
長 歳 伏 膺 無 所 逢
勿 説 區 區 苦 雕 琢
奏 刀 一 閃 快 風 從
これ、いいですね!!ありがとうございます!!
すぐにでもご返杯せねばならないのですが・・。
己が仕事で・・九仞の一簣を虧いてしまい・・。
落ち込んでおります。私事を書いてしまいすみません。
暫く「齋」しようかなぁ。ああ・あかんわ〜。
大哥先生
あ、トリップおめでとうございます!!
>某先生(木偏)の原ツ・・
これ、まんまですなぁ〜(笑)
海ノ中道で瞑想したことはありませんが(笑)、あのへんはよく行きました。
金印を封じたのが倭奴国の者であるならば、何かの意思を感じますね。
当然、印文は読めたでしょう。吾が国が属国であるとされていることも分かった
はずです。光武帝に叩き返すわけには行かないとすれば葬りさることしか
できないわけで・・。私は彼等に「よくやった!有難う!」って言いたいですね。
大哥先生
私は中国語はろくすっぽ出来ないのですが(せいぜいお買い物程度の語彙力)
現代音はいい加減ながらほぼ理解しております(声調はほんと適当です)。
文言はこのいい加減な音や時に我が国の音で直読しますが、お陰で訓読が
へろへろになってしまいました。最近になって漢文訓読もいいなあ、と
感じ竊に復習しておりますが、詩や文章を作った場合、最後に直読して、
何と言いますかリズムと言うか流れと言うか、そんなものがスーッと通らないと
必ずどこか文法的に不備があったり和臭を混ぜたりしているんですね。
特に詩(と言ってもほんとに寡作なのですが)の場合は絶対に最後に直読して
見ないとなりませんね。出来ればそれぞれの古典をその時代の音でやりたいですが
これは叶わぬ注文ですね。東京の某大学の清朝考証学の研究者たちは、その
頃の音で直読しているとか・・。
大哥先生
中国語は語彙力不足でろくすっぽ出来ませんが発音は徹底的にやりました。
んで、ネイディブが聊か驚いてくれます。一二三の三を発音したときには
感心してくれました。あと「車」ですか。指摘されたのは「文(wen)」の
音。韻腹を「エ」と発音していたのです。これ、ウェード式でないと、
ピンインだとわからないんですね。あ、ぜんぜんスレチガイな話題だ!
>>287 大哥先生
「烏夜啼」の「不」音、いいですね。「理還乱」もいい。乱の韻尾も。
テレサは台湾の人だけあってやはり捲舌が浅いけれど、そこが上品。
台湾で本をゴッソリ買った時「何`ぐらいかなぁ」っていったらお店の
おばちゃんが「si(2)」って言うものだから「ei?si(4)ma?」って
言ったら指を交差して「si,si(2)」って。shi(2)のことですね。
ありゃ、スレ違いの軌道修正できんなぁ。スレ治外法権って・・ないよね。
ああ、今日はマターリしよ。
大哥先生
擦れると言えば、擦拓と撲拓と。(笑)
印款は擦拓で烏金摺を得ますが、しごきつける棕櫚刷毛(老虎椶)、輸入の
ものが使えないので、私のは自作です。ん〜、この話題を続けるとカナーリ
特定されちゃいますので・・書けません( ̄ー ̄)ニヤリッ (笑)
でも巨碑の烏金摺ってどうやって採っていたんでしょうね。
最近の中国の拓本は仕事がいい加減でいけません。
こんな物にウンジュウマンも払う気にはなりませんねぇ。ん〜、やっぱり
旧拓がホスィ。でなきゃセルフで採らせてホスィ。
どうもこんばんは。
ちょっとおじゃまします。
高貞碑、高慶碑は補修されて済南にあるそうです。
>>288 大哥先生
>謹呈机下なんて言い方あったかしらん。
>名篇なんて和習ですか?
作文の場合、この文言語彙を調べるのが大変ですよね。
文言語彙逆引き字典なんてありませんから私は虱潰しにやるんですが、
日ごろの読書不足が祟ってしまいいつも泥縄なんです。
偶に本読んだり辞書を検じた時に「あ、このフレーズ使えるなぁ」と思った
言葉はφ(。。)メモメモ しています。例えば本を出す場合、「上梓」でも
いいのですが「附剞劂」(剞劂に附す)としたほうがカコイイですものね。
しかし、偶の読書も絶対量が足りませんから暇なときには辞書読んでます。
旧版新字源は堅牢ですので持ち歩いて暇を偸んではチラチラ眺めています。
一度でも通読するとあ〜ら不思議!霊験アラタカです。
先の「不知所措」は私自身、大変勉強になりました。センテンス調査ならASCC
最強ですね。でも尺牘なんかの通俗文言語彙は役不足(誤用)なんだよなぁ。
>>295さん
あ、貴重な情報、ありがとうございます!そうですか、安心しました!
>>295さん
うわっと・・。
あなたも是非お話に参加しませんか?とてもお詳しそうだ!
(´-`).。oO(書いてると少し楽になった来たな・・)
>>287 大哥先生
>M博士は“北方音”でおっしゃていますよね、これ・・・
>しっかし、もしあの高氏の古音で李後主よんでいただいても・・・・
経典なら高氏の古音でおながいしたいけど、詞の場合はやっぱり北方音の方が
艶やかですね!音韻学的精査はさて置き、ですけど・・。
いつか見た映画で中国の質屋が没落していく作品があったのですが、そこの
坊ちゃんが学校で習っていることをパパに報告するシーンがあるんです。
ママが「今やっていることをパパでやって見せてご覧」というとその坊や、
独特の面白い節をつけて「初 九〜 潜 龍〜 勿 用 !」って謡うように
やるんですね。学校の先生の調子がこうなのでしょう。なんか、羨ましく
感じましたね・・。
ということで・・。
今だ!300ゲットォォォォ!!
(´⌒(´
≡≡≡ (´⌒;;;≡≡≡⊂ ´⌒つ@゚ー゚)つ
(´⌒(´⌒;
ズザーーーーーッ
>>297 実は魚屋でした〜。(もう一つの方は書かないで。大丈夫だと思うけど、特定
される可能性があるんで)
いやいや、お二人には足元にも及びません。
なにしろ徳州へ行ったのに、高貞碑のことすっかり忘れてたぐらいですから。
あとで友人に「なぜ済南へいかん」といわれてやっと気づいたんです。
高貞碑も高慶碑もヘンな倉庫みたいなところに入っているそうです。
>>295様
こんばんは、ありがとうございます。
徳州の三高ってのもありましたけ。高堪墓誌??思い出せないや。
済南の済字は、地名の時は声調が違うってどなたかおっしゃってたような・・・
季咸先生
キーの前でうたた寝してて、カキコ消えちゃった。
ええとなんだっけ・・・
お仕事たいへんそうですね、ご修正はききそうですか?
昨日叔父に借りたNHKの中国語会話の課本になんと「不知所措」あっさり
載っていました。意味は先生ご検索の通り!よく使う語なのかなあ。
スキットの説明補足部分に・・・(手里拿着 被推回的礼物 不知所措)
ネイティブのお知り合い、うらやましいです。
「車」の発音は、現代音だいぶ変化してますよね。韻脚、違「蛇、斜、耶」とか。
古典詩「ju」って読んでるのも以前お聞きしました。(魚韻?)
季咸先生
某先生の(木編)、つけようかとろうかすごく迷ったんですう。
よけいな事ですた。この字季咸先生には絶対うけるよなと思ったのですが、“某”
ってやるとあざといし・・・・
やっぱり(まんま)なら最高。
印譜が垂涎のものかどうかは、素人の僕にはわかりません。
蝉翼拓は墨が薄いだけなのではなく、烏金拓は墨が濃いだけではない、立体的に
見えるもの、みたくどなたか書かれていましたっけ?「氈蝋」の字の謎とともに。
独特の風韻ですよね。
烏金拓の諸葛武候の碑を手に入れた事があります。三絶という割に文字自体はアレ
でしたけど、なかなか愛すべき墨色にみえました。あ、でもなんだか、白い粉が吹
いてたぞ・・・。
宮島詠士翁の回想に、張廉卿師が夜杜甫の蜀相詩を吟ずる声を聞き、高古なる音韻
の妙を悟られたようなような事を読みましたが、張氏の吟唱はどのようだったのでしょ
う。ある本には、「出師未捷身先死」の出師は“chui shi”とルビが振ってありました。
僕の字書にはchuiがないよ〜。
“蜀賊諸葛”と書かれた碑文、“賊”字を後世の人が激しく毀した碑もありましたっけ!
魚屋様
>>302 ありがとうございます。
眠りながら書いてるうちに、いつの間にかみなさんご登場。
更新キー押してびっくり。
>>302 おう!魚屋さ〜ん!いやいや合いの手(愛の手)を頂きありがとやんす!
今後ともご贔屓に〜!(himituni surukara matakitene-)
大哥先生
>ご修正はききそうですか?
激しくききません。ご心配おかけしてすみません。
烏金拓は棕櫚か何かで刷り込んで拓紙を殺さなければいかんようです。
殺すといいますか拓紙表面をツルツルにして紙自体を半透明にする、
そうしますと厚めに上墨しても墨が浸透しない。墨が浸透しちゃうと
光沢が出ないんです。尚且つ碑を汚してしまう。実はこの碑の擦拓って
よく知らないのです。先生は擦拓ってどのようにお考えですか?
「出」”chui”は私の辞書にも・・ありません。音韻屋さんの降臨きぼん。
あ、そろそろ寝ますね。ノシ
>>278補遺
私が句読を切れるのは「漢/委奴/國王」か「漢/委奴國/王」。
後者の方が印制に近いかも・・。
季咸先生
“殺す”わが郷音にては、“このす”っていいます。のしたり、なめしたり
イリコを湯で戻したり・・・すみません、こちらまで持ち込んで。
「郷音無改鬢毛衰」
>>306 擦拓って、まさにあのフェルト状のものに墨含ませて、さっとやるんじゃな
かったでしたっけ?東国博の高島の雁塔聖教序の宋拓ってあれでした?
僕の持ってるやつにも、上墨が刷毛目みたいなやつがありましたよ。
でもほんとにできるんかしらん?
>>307 後漢書の方はあれどう句読してるんでしょうか??
いまからPCのない奥地に向かいます。数日間です。
しごと探さな。
>>308 大哥先生
『新校本後漢書/本紀/卷一下 光武帝紀第一下 』
東 夷 倭 奴 國 王 遣 使 奉 獻 .
『新校本後漢書/列傳/卷八十五 東夷列傳第七十五』
建 武 中 元 二 年 , 倭 奴 國 奉 貢 朝 賀 , 使 人 自 稱 大 夫 ,
倭 國 之 極 南 界 也 .
光 武 賜 以 印 綬 . 安 帝 永 初 元 年 ,
倭 國 王 帥 升 等 獻 生 口 百 六 十 人 , 願 請 見 .
なのです。「倭 國 王」という表現も気になりますが・・。
いってらっさ〜い!私も動かにゃ!
>>308 大哥先生
>擦拓って、まさにあのフェルト状のものに墨含ませて、さっとやるんじゃな
>かったでしたっけ?
ああ、私、認識まちがってたわ〜。印款の場合は撲拓だわ・・。
>>309自己レス
倭 奴 國 = 倭 國 之 極 南 界 也
これだと「倭/奴國」で切れるのか・・。
素人がシッタカ判断しちゃあかんなぁ。
>>283 大哥先生
この玉韻、私の宝物です。誠に嬉しゅう御座いました。
愚生、生涯、屠龍を学んで行く覚悟ができました!
季カン先生
こんばんは。あれ、わ でしたけ?
巴士降りたとこです。9時間半。
手機によっています。
>>大哥先生
>手機によっています。
あら、それは大変だ。んで、9時間半も!そこは「不知有漢」「無論魏晋」
なところでつか?
>>312 なんだかとてもうれしいです。
ありがとうございます。
獅子は何やら鼠さんくらいのを
獲えるのにも全力を尽くすとか
最高速200キロの車で60キロだすのと80キロの車で
60キロだすのはどちらが安定してるか。
だいぶ屠龍の話から逸脱しちゃって
たらすみません。
方寸といえども龍は潜んでいるでしょう?蘇黄のガマ
やうわばみっつうのもありましたか。
>>315 私はこのスレでは最高速40`の旧式エンジンで80`出しておりまつ!(笑)
もう、煙が出る出る!
>>316 「香印成煙」
先生のお名前文字もでないし、テン書のテンも変換しない!
code表なんて説明書の後ろにあったけどどこかやっちゃったし‥
と言うわけで印はもとテンにしようとも思ってました。
>>315 どうぞ、ご無理なさらぬよう!杜権、自ずから顕れておりますゆえ。
おやすみなさい!
「香篆成煙」!ありがとうございます!
くれぐれもお気をつけて!
一応〓除け。
>>314 ありゃ見落としてました。ごめんなさい。
「隠隠飛橋隔野煙‥ 洞在清渓何処辺」みたいな所でつ。
草草として張草を発くにも暇あらず。
おやすみなさい。
>>321 しかし、即座に詩が出てくるのは凄いなぁ・・。
暗誦できる詩なんて、ほんの数首だもんなぁ・・。
季咸先生
>>322 おはようございます。
今は教育上否定?されてるみたいな、背誦ってのけっこう
大切かもしれませんね。
僕、詩も文も覚えていません!検索エンジンのおかげです(笑)。だから
席上分韻なんて即製を要する風雅なお遊び、いやプレシャーにはたえら
れんだろうな。
「巷語街談総入詩」といきましょう!
「香篆」艶に過ぎましたか??
“巷語街談〜”って、缶翁の周辺に出てこなかったですか?
(スレ違い除け)
あ、電車や電車や、もういかな。またきます。
>>323 大哥先生
>僕、詩も文も覚えていません!検索エンジンのおかげです(笑)。
私も激しくそうでつ!でないと先生とまともにお話できません!
検索エンジン使ってもまともじゃありませんが・・。しかし・・
ちょっと安心したかも・・(笑)
>“巷語街談〜”って、缶翁の周辺に出てこなかったですか?
缶翁の書にありますね!
天 驚 地 怪 見 落 華
巷 語 街 談 総 入 詩
遺山の句だそうです。それにしてもよく覚えてはるわぁ・・。
>「巷語街談総入詩」といきましょう!
はい!
>「香篆」艶に過ぎましたか??
いえいえ。色気が重要でつ!芭蕉のさびを喜ばず!
大哥先生
仕事が狂瀾の如く押し寄せてまいりました!これを季冬(?)に廻らせなければ
なりません!カキコスコーシだけ少なくなるかもしれませんが、後漢書を!
先生もお仕事がんがってください!!
>>324 おっと!
天 驚 地 怪 見 落 筆
筆字譌作華字。先生恕之恕之。
季咸先生
>>324 >>326 季咸先生事業日忙、而就網上親授其識学漸疎者、
應是求其印書者甚多、門前接踵若市不暇應接乎。今幸
先生所以引缶翁元遺山聯句示教、豈是江文通故事之謂也。
文事之起我也、得而難者矣。因不顧粗才怱怱草來一韻謹呈
先生云 先生勿咎其罪幸甚也
求書屨滿鐵門家
蒼古風神艷自加
字有淵源人有殖
到底無怪筆生華
先生これフォローになってます?(笑)
前書き、いかめしすぎるかな?
電車ん中で考えました。文をなしていないかも
しれません、へんなトコご指摘くださいねえ。
>>327 ありゃりゃ読み直したら「字」を「文」にしないと
お話が通らないかも(汗)
すみませ〜ん。
>>262 >>325 お体にはご留意を、
そういえば、牛鬼蛇神、氈裘之気いぱーいの書を書かれた
故I氏。書展で「字曰引之」って印(だったかな)をお使いに
なってるの拝見したことがありまっす。
お名前が「伸」だからかな。荘子かなあ。それとも字書経書にあります?
先生はたとえお疲れになっても、階段は踏み外さないでくださいね。
(お気の毒な話です)
以前ペキン放送の潮州話プログラムの「電台」の「台」の声調がもの
すごく高いのを聞いて、濁音・重唇音、古音の名残なのか????などと・・・・
自分語りになりますが、例の散書の原韻、第一句「東去茫茫路八千」(笑)
もろ韓文公のぱくり。その文すら読んでもいないのに、アホや。
蘇軾の『潮州韓文公廟碑』って自筆でしょうか?以前肆上で拓本を見たような
気がします。記憶違いかも・・・・スレ違い避け(笑)
>>321 自己レス
今日たずねた求●先
中途の地名に「大穴」ってあって、一人で笑ってしまいました。
水がきれいでした。
先方の名前に阜、車、が含まれていて、「かくのごとき高地、国の古名を反映した
なかなか由緒あるお名前ですなあ、うんうん」
などと面接者に一席ぶちあげてやったわい、わはは・・・・なわけないです。
スレ違いやばやば。
>>327 あっちゃあ、底は上声だった!
いかんいかん、う〜む
求書屨滿鐵門家 ○○●●●○◎
蒼古風神艷自加 ○●○○●●◎
字有淵源人有殖 ●●○○○●●
無驚到底筆生華 ○○●●●○◎ 平仄あったかな、やっぱ打油だよなこれ・・・
到頭だと、筆、華が語尾であるのにかからんぞ、とか
艶亦加、とか艶又加、かなあ、いや、先生ご自分でエロ
だっておっしゃったよな、とか(え?おっしゃってない?)
愚考愚考、しかし、校正はよくよくせんにゃいけん典型でつ。
>巷語街談総入詩
ふと、蘇軾に関する言葉じゃなかったかと思い立ち、
かなり時間かけて検索したんですが、だんだんわけわからなくなってきちゃった。
いわゆる四字熟語にもあるみたいですので(街談巷説)
なにかわかるかなと思ったら、
巷語街談/街談巷説・巷説街談/街談巷説・
巷語巷言巷説巷段・・・わあ!? 順列組み合わせみたいでぐちゃぐちゃ。
漢書、文選、出てきたけど、もうダメ。・・・・ダウンでつ。
>>327 「謂語助者 焉哉乎也」(智永千字文!みんなで臨書しましょ)
こんな基本すら身についていないままなのがよ〜くわかりました。
読みかえすと自分でも激しく理解できない。
改めてもヘンみたい。
季咸先生、事業日忙、而就網上親授識学之漸疎者、
當由求其印書者甚多、門前接踵若市、不暇於應接焉。今、幸受
先生、引缶翁元遺山聯句示教、豈是江文通故事之謂乎。
文事之起我也、得而難者矣。因不顧粗才、怱怱草稿一韻。謹呈
先生云。 先生勿咎其罪、即幸甚也。
求書屨滿鐵門家
蒼古風神艷自加
字有淵源人有殖
無驚到底筆生華
季咸先生大斧 弟二可叩頭九拜
もう今日はネグラに戻ります。超連カキ、すみませんでした。
大哥先生!!
うわあああ!!たくさん頂いた!!うれしぃーー!!
ありがとうございます!!
しかし激しくほめ杉!(笑)
>就網上親授識学
お教え戴いているのは私のほうですってば!
>當由求其印書者甚多
実のところ、雑用ばかりでして・・。なさけな。
>門前接踵若市、不暇於應接焉
実は出張ばっか!いつかは斯くありたいと・・。
>文事之起我也、得而難者矣
おお、この部分、稍難解・・。誠に無作法ながらご解説を!謙辞でしょうか?
しかし、詩境愈々高く、且つよくここまでのご推敲を・・。
「蒼 古 風 神 艷 自 加」
こうなるともう、向かうところ敵無し!
盡善盡美。無不服膺。愚雖不敏。睹此思齊。然嬾固難醫。嗟吁奈之何!
怠惰を嘆く中也の気持ちがチョト分かる。
「字 有 淵 源 人 有 殖」
素敵なフレーズですね。文と字は対異散同で良いと思いますよ。
「無 驚 到 底 筆 生 華」
筆を譌りて華に作った私の粗忽さをフォローして余りあるものです!
これは打油詩なんかではなく、私に対する加油詩でつね!
私の如き末技游食の一散人をここまで評していただき、恐れ多くて
正に措くところを知りません・・。ありがとう・・。
大哥先生
>故I氏。書展で「字曰引之」って印(だったかな)をお使いに
>なってるの拝見したことがありまっす。
>お名前が「伸」だからかな。荘子かなあ。それとも字書経書にあります?
引之は
周易・卷七/繫辭上・六左
「十有八變而成卦八卦而小成引而伸之」
の疏に
「引而伸之者謂引長八卦而伸盡之謂引之為六十四卦也」
とあります。
王引之の字は伯申。申は伸の初文。I先生の逆バージョンですね。
字の易から持ってきたものは結構見ますね。河井翁所刻の
白石健、字は子彊なんか、わかりやすー!
「謂語助者 焉哉乎也」で思い出しましたが王引之の『經傳釋詞』
は偶に読むと面白いです(何が・・っと言われると困りますがw)。
>蘇軾の『潮州韓文公廟碑』って自筆でしょうか?
どうでしょう?(スレ違い除けw)
>「かくのごとき高地、国の古名を反映したなかなか由緒あるお名前ですなあ、うんうん」
風雅を解さぬ俗人どもに、一発かましてくだされば良かったのに!(笑)
いまも桃の里なのですか?もう戻られた?不慣れな環境にあっては、さぞご不自由でしょう。
精神的にも。日々是れマターリと参りましょう!
本当に有難う御座いました。行き届いた神経の繊細さ、情緒の深さ、凄いです。
でわそろそろ、動きます!
季咸先生
こんにちは、お返事ありがとうございます!うれしいです。
>>334 “起我”なんて、子曰くみたいにえらい先生でないと言わないですよね。
これはものすごく失礼しました。あの、質問スレの源二千石の文から
適当に剽窃して、あんまり、意味もなくさしはさんでいました。
ご指摘ありがとうございます。で、性懲りもなく改稿しました。
季咸先生、事業日忙、而就網上親授識学之漸疎者、當由求其印書者甚多、
門前接踵若市、不暇於應接焉。今、幸受
先生、引缶翁元遺山聯句示教、豈是江文通故事之謂乎。文事之寓意也、深而博、
實且華。今見之於此、可爲難得哉。因不顧粗才、怱怱草稿一韻。謹呈
先生云。 先生勿咎其罪、即幸甚也。
もと改稿
文事之寓意也、深而博、實且華。今得之於 先生矣。如此機會、眞可爲難得哉。
これを長いのでちょんぎっちゃいました。作るのって、むづかしいですね。
それも一種外国語ですもんね。でも楽しい。いつかきちんとしたの作って、
中国の書家みたいに書けたらいいなあ。
また時間がおありの時にでもみてやってください!
嗚呼、〜飲腐古蔬菜葱葱糟糕噎鬱〜
文字化けあるかな・・・・(米羔)、ヘタなだしゃれに追記無粋か
>>335 季咸先生
ご解説ありがとうございます。
易経だったのですね。やはり学者先生、拠る所があるものだなあ。
お名前「健」さんって方、字か号が「天行」ってのも拝見したこと
あるかなあ。
>王引之の『經傳釋詞』
以前、東●書店?かどこかで購入して、座右においていたことがあり
ます。手ごろな大きさの本でした?おっしゃるように、面白くって
・・・手元においていた。薄紫か薄黄のような表紙だったかも。でも、
内容を覚えていなくって、なさけなあ。
西下の際、たぶん、隠しボックス行きかなあ。
他にも「操觚字訣」とか色々買うだけ買い込んで、寝かせていました。
王引之って、王羲之の一族みたいなお名前ですよね。
あ、また、電車のります!「千里江山寒色暮〜車如流水馬如龍」
・・・後主です。
大哥先生
>ご指摘ありがとうございます。
いえいえ、決してそんなつもりじゃぁありませんよ。
しかし、更にお示しいただき、よく理解できました。
>嗚呼、〜飲腐古蔬菜葱葱糟糕噎鬱〜
こんどはこれが・・わ、わかりましえん。こ、これは??ネギネギ?
>他にも「操觚字訣」とか色々買うだけ買い込んで、寝かせていました。
「操觚字訣」いいですね・・って未入手なのです。そのうち買おう。
『經傳釋詞』私のは世界書局版です。助字辨略もついてのお徳用。
わ!激しく眠たくなってきた〜。お先に失礼します。
季咸先生
こんにちは。こちらは雨が降っています。レスありがとうございました。
>盡善盡美。無不服膺。愚雖不敏。睹此思齊。然嬾固難醫。嗟吁奈之何!
ご評語、格調高古、まさに老成の方(先生怒らないで!)のようで心に染み入
ります。善美を尽くし、王右軍にあやかって、龍虎の勢いを得たいものです。
色々動いてはおりますが、なかなか、性粗笨のため・・・わはは。
そういえば、世に多くおいでの“竹本さん”、中国でなにか連想されたりしないの
ですかね。来日して“我孫子”には笑ってしまったって書かれたエッセーは読みました。
僕が少し心配したのは宮島詠翁、かの地で「大八」ってのはだいじょうぶだったの?
ああ、すみません横道にそれて・・・・いったい何を書こうとしたんだけ。
雨といえば「三余」、冬、夜、雨、読書に励みたいと思う次第です。
帰りの車に乗るの、明日に延びました。
「載不動許多愁」 李清照
季咸先生
>嗚呼、〜飲腐古蔬菜葱葱糟糕噎鬱〜
こんどはこれが・・わ、わかりましえん。こ、これは??ネギネギ?
すっみませ〜ん(汗)。けきょーく、僕が作ったの、どっかからひっぱて
来た語句連ねて、「いったい何がいいたいの?」
の典型のようで・・・・先生が雑談スレでソーメンの良媒のことも述べられた
りしておられたので・・・
これ「〜因不顧粗才、怱怱草稿一韻。」のところが、自分で一番きにいら
なかったので、よく似た(違うかも)音を連ねたのです。
古いネギネギ、飲んでこりゃひどい、おえっ・・・とでもお解き下されば
助かります。
季咸先生
そういえば、かつて幼馴染の紹介で、一度台湾からの留学生とお話した
事があります。
彼らが通う学校付近の地名で、「下見」(けっこう場所バレバレになるかも)
を、発音したところ、女の子二人、顔を見合わせて笑いました。
次に植物の話題になりネムの木を「合歓花」とかいうと、
「教育的指導!」って頭をつっつかれた。
「含羞花」っていいましょうって・・・・
もしかしたらなにか(多分)誤解があったやもしれません。
(下見はおそらく下賎と発音が同じと思うのです・・・)
おっと、で、彼女らに請われて、なぜか篆隷楷行で色々書かされました、
中国の書家風に・・・(篆・隷は適当にでっち上げましたよ、完白山人の丹字が、
ヘアピン風であるように)
季咸先生
雑談スレで、解凍のお話が出ていました。ヘンなこと書いちゃった。
ところで中国の文人の書画の落款では、寒いときにつきもの?の「呵」の字を思い出し、
思わず検索してみました。学生時、寒いのを「はあ〜」って手を温めながら書くなんて、
けっこうかわいいじゃんみたいに思ったりして・・・ました。
[呵手]・・・・どうも、閨情に関する詩詞に使うよな事が多い?
紅箋向壁字模糊、憶共燈前呵手為伊書。 納蘭成徳
清晨簾幕卷輕霜、呵手試梅粧。 欧陽修 この詞は有名かもしれません。
[呵硯 呵冰硯]・・・・ぐぐではあまり用例に当たらなかった。
[呵凍 呵凍取暖]
呵凍筆、呵凍記、呵凍寫、
呵凍漫書、呵凍成之、呵凍弄筆、呵凍捉筆、呵凍走毫
呵凍作此、呵凍而作、
鐙下呵凍刻、呵凍遂成此、
呵凍草草藏事、呵凍書此以贈
遂呵凍録于飛霞箋上
いぱーいありました。前後はぶいて貼り付けちゃったけど、季節や気候をいれて
からでないと、唐突だろな。もちろん印款にも使っていますよね。でも走毫とか
走筆は????? 墨汁、かなり渋りますよね。特に小字。
「篝燈呵凍」 お、成語もあったぞ。
「擁裘呵凍」 なんだか冬山登山みたい。
「盛暑揮汗、嚴冬呵凍」 あ、聯句もある。そうかそうか夏は“揮汗”かあ、また調べな。
きっと楚水先生のご本には載っていますよね。ゴクアク人先生の本にもありそう。
大哥先生
.こんばんわ!今日は雨。漸々と水も冷たくなってまいります。
「載 不 動 許 多 愁」
.以 一 言 蔽 其 心 ・・
先 生 起 居 何 如 ? 定 光 佛 之 墮 於 娑 婆 也 、 蓋 如 此 。
.愚 聞 雖 伯 楽 不 常 有 、 而 定 千 里 馬 必 得 時 、 使 奇 士 知 其 名 、
.竟 爲 伯 楽 輔 之 。 愚 且 猶 有 之 。 況 奇 頴 之 人 哉 !
.愚 雖 僭 敢 告 之 先 生 。
.可 謂 天 理 也 !
大哥先生
>>340 ねぎねぎ、解りました!(笑)
因不顧粗才、怱怱草稿一韻にかかっていたとは!
いや、無粋な質問を・・。すみません!斯様に頭悪いのです、私。_| ̄|○
>次に植物の話題になりネムの木を「合歓花」とかいうと、
>「教育的指導!」って頭をつっつかれた。
ありますねー!私には「含羞花」の方がエロい感じがします。(・∀・)
あ、そうそう。え〜っと、文言を現代文として訳すとどうなるのかなって
思いまして、お遊びで私たちの今までの文章、エキサイト翻訳で翻訳かけたのですが
すごーく笑えます。先生のもかけちゃいました、もう、死罪死罪!失礼千万!
ttp://www.excite.co.jp/world/text_cn/ ←中国語バージョン。繁体字でやってみて!
大哥先生
>>342 「呵凍」って面白い表現ですよね。あれって季節表現以外に二つの意味が
あるんじゃなっかって竊に思っておりました。ひとつは
「寒い中、ハァハァしながら書いたんだぞ!」
っていう恩着せ(笑)と
「かじかんだ手で書いたんだから下手でも文句言うなよゴルァ!」と!
印なら「揮汗」が多いようですね。
「汗でヌルヌルなんだから、刀が滑ったところもあるぞゴルァ!」(激笑)
「呵硯 呵冰硯」硯にハァハァするケースは少ないのかもしれませんね。
想像すると笑える!
>きっと楚水先生のご本には載っていますよね。ゴクアク人先生の本にもありそう。
後でユクーリ見てみますね。
大哥先生
あ、昔、知り合いの中国人の方に「文言で(あなた、これ知ってる?)って
どういうの」と尋ねられたので、「汝知之乎?」って書いたら、
「汝 知 之 乎 ??哈哈哈哈哈哈!!文言很有意思!」だって。
おまえんとこの古文でしょうに!!もう。
こんばんは。おじゃまします。
寒いと、墨が固まってぷるんぷるんになりますよね。
あれ美味しそうじゃないですか?
篆刻やってると、印材が芋羊羹に見えてきたりしません?
ところで、お二人の書いたものをみていると印款ってかいてありますよね。
これって印の側面の側款のことですか?
中国では辺款っていうそうですが、地方とか流派によって違いがあるんで
すかね?
こんな質問しかできなくてすみません。
>>347 おう!魚屋さん!こんばんわ!トリップおめ!
>ところで、お二人の書いたものをみていると印款ってかいてありますよね。
>これって印の側面の側款のことですか?
ええ、そうです。最近の本には「辺款」というものの方が多いですね。
印款はチョッと古い表現ですね。地方流派というよりは時代性でしょうか?
印款の語は彼の浙派の祖、丁敬の印跋集『硯林印款』が嚆矢でしょうか。
『治印雑説』には「旁款」なんて表現使ってます。
>篆刻やってると、印材が芋羊羹に見えてきたりしません?
芋羊羹!まさに!でも純正芋羊羹の青田、昔は馬鹿にしてましたが
今ではは貴重ですよ!
>寒いと、墨が固まってぷるんぷるんになりますよね。
>あれ美味しそうじゃないですか?
膠分に富む墨は”にこごり”になりますねー。魚屋さん!
(風邪引いちゃってて頭、痛〜っ)
>>348 今ではは貴重ですよ!「は」一字衍字。はぁ。
>>348 季咸さんありがとうございます。側款より印款の方がカッコイイので、
これからこっちを使おうっと。
昨年杭州へ行ったんですが、夜市で美味しそうな芋羊羹がたくさん売ってまし
たよ。ニセモノでしょうけど。
あっちでは、パラフィンでグルグツ煮ちゃうんですね。まさに料理。
もっと貴重な田黄はキャラメルだし、どうも食欲をそそられていけません。
そうえいえば、上の方に出てきた『篆刻学』にナンカの石を油で揚げて、田黄
にするとあったような・・・。
ケ散木の『篆刻学』って結構トンデモなんじゃないかと思うんですが・・・。
どうも天候が不安定でいけません。お体お大事に。
季咸先生
>>343 ありがとうございます。心を強くしましたよ。なんせ牝牡二頭の三冠馬が生まれ
ようかという年ですものね。あやかりたい。
なんせ、当地で昔詠んだ句が「無邊曠野闇江流」
こりゃ暗すぎるわい。せめて、「烏江暮色正茫茫」くらい英気を持たないと。川も泣くわ。
ありがとうございます。でわ、さっそく先生の文もエキサイトにかけてみたいと思います。
>>350 魚屋さん、レスありがとうございます。
>側款より印款の方がカッコイイので、これからこっちを使おうっと。
私は普段、「印跋」っていってます。まあ、これは文章に焦点を当てた言い方
になりますけれど、カコイイです。
>ケ散木の『篆刻学』って結構トンデモなんじゃないかと思うんですが・・・。
だいたい、ケ散木自体、トンデモだったりしますよね(笑)
なにせヽ(・∀・)ノウンコーですものね!
印泥の油は露天の揚げ物やさんの使い古しの奴がいい、なんて、ホントかしら?
でもこのトンデモぶりがよかったり・・。
たまに膝を打つものがあります。道はナントカに在り、なんてね。
『篆刻学』の「石粉は印刀で怪我をしたときに傷口に付けておけば血は止まるし
痛みも去る。これぞ廃物利用だ罠。。」なんてのも笑えて(・∀・)イイ!
>どうも天候が不安定でいけません。お体お大事に。
お気遣い、感謝です!でわ、おやすみなさい!
魚屋先生
>>347 こんばんは。
側款と印款は、僕よくわからないまんま使っていましたのでありがたかったです。
すぐに季咸先生がお答えくださるだろうと思っていました。
それなので、僕は、墨のニカワにかけて煮魚の話題に振ろうと思っていましたら、
もう季咸先生が書いちゃってる。うう・・・
美しい田黄を厄せぬが為、懇願された款識を石のテッペンにちょこんと名のみで
済ませた印人のお話もありましたっけ。誰だったかな、呉氏?
季咸先生
わ、かぶっちゃった。ごめんなさい。
どうぞお大事に!
>>351 大哥先生
あ、リロードしたら先生登場!
どうも体調を管理できません。
今日はこれにて。おやすみなさい!
>>352 >「石粉は印刀で怪我をしたときに傷口に付けておけば血は止まるし
痛みも去る。これぞ廃物利用だ罠。。」
あ、それ学生の時真似てたの思い出しました!「粉は息で吹くな」って
の彼でした?
大哥先生
かぶっちゃってごめんなさい!
>美しい田黄を厄せぬが為、懇願された款識を石のテッペンにちょこんと名のみで
>済ませた印人のお話もありましたっけ。誰だったかな、呉氏?
ええ。確か。実際、見たことがございます。
これに引き換え趙古泥だったかな、自分が刻した印材を火で焼いて再刻不能に
しちゃってたとか。大した玉だぜ!弟子が弟子なら師匠も師匠でつ。
>どうぞお大事に!
ありがとうございます!
大哥先生
>>356 >「粉は息で吹くな」っての彼でした?
そうですそうです。肺病の原因になるって・・。
見てきたようなことかいてますねぇー。
季咸先生
おやすみなさい。お大事に。
電車まで少し時間があるので、いらぬことカキコしてたの載せます。
魚屋先生のおっしゃった「側」って字を見ると、僕思い出す事があります。
北宋の朝廷、遼使が対を求めた「三光日月光」にわれらが東坡先生、いとも簡単に
「一陣風雷雨」「四詩風雅頌」「四コ元亨利」とやりかえす。
「おおノー!トンボシーサン、四徳に貞がアリマセン。」
「貴国は恐れ多くも我が廟諱を冒されるのか?」
「オマイガー、不好!恐怖恐怖、死罪死罪(汗・・・)」
しかしながらそこは東坡先生、一発かましながらも、最後は「兩朝兄弟邦」
などと大団円におちつかせる、という東坡癖、否、東坡迷の随喜しそうな説話
であります。
続く
承前
これに、近時「四声平上去」と対した方がいらっしゃるとの事。(ペキン語では入
が消え、平が陰陽に分かれる) 僕、前から自分で考えついたと思ってたら、ある日、
ゴクアクニン教授が何かの書物に書いておられるの見て大変悔しく思った事でした。
考えたのも多分教授ご本人でしょう。
それで僕、また愚かにも考えたのが、
「四書孔孟礼」→大学・中庸だけが礼じゃないので×
「四霊徐翁趙」→こんなの、詩史の専門家でないとわからん×
(僕はもちろん辞書から引っぱりました)
これらとは別にある晩、天恵のごとく、夢にあらわれたものがあったのですが、
書いておかなかったら朝起きたら忘れていた。書家の故事に関するものか、地名
だったような気がするのですがこれが思い出せない。
最終回
で、結局出来上がったのが「四面(壁)前後側」→・・・・・・・僕なんぞどうせこの
レベルだわなあ。
「側」字の連想はこういうわけなのです。
そこで、季咸先生、魚屋先生、もしお時間がおえりの時にでも知恵を拝借でき、
遼使を、否ゴクアクニン教授をたたきのめしたい(世に所謂ギャフンといわす)の
です。なにかよい対句はないでしょうか?
みつかれば、やはり東坡先生風に一気に書き上げて、教授に寄稿しましょうか。
(この結び、スレ違い除けには苦しいか・・・・)
季咸先生
>>358 あ、ごめんなさい。もうおやすみにならないといけないでしょうに。
ありがとうございます。そうそう肺病って書いてあったような気がする。
でも、これって、僕なにで読んだのか?
日本語だったかな?手書きだったよな気もする。
ダメダメ本?それとも、デッカイ方の訳本?
>>359 「三光日月光」→「三光日月星」ですね。
>>360 >>361 あ、平ソクの事忘れてた。
「四書孔孟礼」→下三連で最初っから×
「四霊徐翁趙」→「四霊徐趙翁」
「四面前後側」→「四辺前後側」
ほんま以前も同じ事忘れてました。忘れてた事を忘れてた。‥眠
大哥先生
平仄合わないですがひとつ。
日本人である私たちが彼の国の方に対を求められたら、ここは坡公風に
「四夷戎蛮狄!」と返してやりましょうよ。その心は言わずと知れた
「我が国を愚弄するおつもりかゴルァ!」
でも東夷ってここだけじゃないのかも・・。
魚屋さんならばさしずめ「四季春夏冬」でしょー。(下三連w)
商売商売。。
(平仄合わせるの難しいよー)
それにしても王献之の「中秋帖」はいいねぇ・・。スレ違い除け(激笑)
213KBとは、重たいスレッドですね・・・
あ、214KBになってしまった・・・
>>365-366 ああ。ほんとですね。このまま行くとKBオーバー。
限界515KBぐらいでしょうか?
>>364 >(下三連w)
あら、夏は仄字じゃがなにか?と自己突っ込みしてみる。
書き逃げ失礼しました。
だんだん記憶がよみがえってきました。傷に石粉をつけろって書いてあり
ましたね。たしか、「肺病になるから吹くな」の次に、「彫った溝に詰める
と線が見やすくてよい」みたいなことが書いてあったような・・・。
「言われなくても詰まっちゃうよ」とツッコンダ記憶があります。
(みなさんのマネして)大哥先生
いえいえ、魚屋先生じゃヘンです。やい魚屋、せいぜい、魚屋さんぐらいに
してください。
>>356 本当に石の粉、傷に塗りこんだんですか?朱墨、印泥なんかついてたらヤバ
そうで、そんな恐ろしいことできません。
私は東方書店刊の訳本で読んだんだと思います。アレでもたしか端折ってあ
ったと思うんですが、果たしてナニが書いてあったのか?もしやもっとトンデモ?
季咸先生
>>354 いや〜一瞬なんのことか分かりませんでした。
春夏冬二升五合ともいいますね。
平仄のこと、さっぱり分かりません。お二人の書き込みを見て勉強します。
私、なにしろ東坡先生といえばトンポーローですので。
もっぱら、スレ違いよけの方にまわらせていただきます。
一応〓ソシ
すみませ〜ん
重くしてるの僕です。
なんせ、うれい重くして車が動かないんだもの・・・・笑
以後慎みまっす。1スレに偏ったらあかんよね。
>>364 これはすごい!おもしろい一瞬考えこんで絶句。で、笑いがこみ上げてきました。
外交の切り札にしときましょう。どこかにはっぴょうしたいくらい。
>>魚屋さま
なんでもお話してして。軽妙で楽しいご文章です。
バスに乗ります。
魚屋さん
>>369 始めに石を平らにするのに紙やすりでごしごししたやつを
冬のあかぎれが一緒になった所へ塗り込みました。あ●らしくなって
すぐやめちゃった。
魚屋さんの春夏冬ってはじめてお聞きしました。 バスで〜す
手機で失礼。失敗が怖いのでトリップ省略。
それなら安心。でも、かえってカサカサになりそうです。
あれは、商いますます繁盛です。二升でますます、五合で
一升の半分なんではんじょうと読みます。
今、蒲団で〜す(失礼!)。おやすみなさい。
魚屋さん
僕も手機です。
う〜む、マスマスの意味、激しくいまころわかってしまった。
福の字がひっくりかえってるよなあれか‥今東土皮、あなどりがたし!
熱発(これは馬)、もとい、発熱はひかれたのでしょうか?
今、女夷を捨てるとの地で停車中。せまいよ、固いよ。
>>364 季咸先生
東国博に中秋帖の連れみたいな米公の尺牘がありましたっけ。
>>360 僕も自己突っ込み
昨夜バスの中で少し思いだしたかも、なにが>天恵だ。
多分「四○篆隷楷」とか「四○篆隷眞」○字が激しく思い出せない。
「體」だとヘンだよなあ。だいたい楷行草とあと一体ですもんね。
季咸先生
・・・・・・もう医するものがありませぬ。容量の件も・・・
ちょいと悪ノリしすぎました・・・・
僕頃日自爲離家、坐車冒長途、覓職於北關、所以者無他。僕本浪人、
志常在、欲卜居於山光快爽、溪水清涼之間。蓋是古毛地也。今
季咸先生、引伯樂之説、講天理之心、眷僕慰僕、甚懇深切、如肉親情。
僕雖不敢當、可以服膺、又命心不忘也。寸草癡心、何報三春之暉、
片網斷機、難資一字之恩。然而、
先生自稱季氏、誠有故矣。僕見 先生書中數語、恰如群中相馬、
奇士定光等意。豈是顯示當地、逗有僕輩者乎。馬者自是縣名。
亦有相馬原、陸師屯也。奇士者古多胡吉支即是。別是拆謂大可、稍似呼弟。
定光者見於舊碑文中、曰、記定文也放光寺僧、云々。
嗚呼、神哉偉哉、見異知兆、如運掌上。應當心醉、敬之仰之者、
先生一人而已矣。正一掃愁思、提燈前路、凡夫極感涙焉。拙韻成。
蹉跌何須問幾愁 感時走馬正如流 相人相事歸天理 好説好風傳萬秋
弟二可 恐懼敬上
季咸先生座下
伏乞
大喊
お風邪だいじょうぶですか?
「四夷戎蛮狄!」まだわらけマス。
>>369 魚屋さん
季咸先生はご勘弁!いやね、大哥先生とはお互いをそう呼び合っているだけで、
これが罷り通っちゃうと、ね。チョッと具合が悪い。二可(大哥)さん、季咸さん、で
ひとつ、おながいします。
>本当に石の粉、傷に塗りこんだんですか?朱墨、印泥なんかついてたらヤバ
>そうで、そんな恐ろしいことできません。
二可さんの代理でお答えしますね。印材の粉はタルク(滑石粉)と成分が殆ど
変わりませんから安全です。(私も相当トンデモ野郎!でもほんとでつよ)
印材の殆どは葉臘石系(広東緑、山東石を除く)で、滑石に似た組成です(共に含水硅酸)。
(因みに広東緑は絹雲母岩、山東石は緑泥岩属)
【葉臘石主成分】H₂O,Aℓ₂O₃,4SiO₂
【滑石主成分】H₂O,3MgO,4SiO₂
酸化マグネシュームとアルミナの含有が微量に違うだけです。
(タルク)
ttp://www.natural-lab.com/goods/powder/talc.html 滑石、葉臘石の鑑定法もありますがご要望があれば・・。
しかし、鶏血の血の部分は印泥の朱砂と同じ硫化第二水銀ですのでご用心。
まあ、純鶏血粉を傷口に付けるような輩はそうそういないと思われます(笑)
>杭州の夜市で美味しそうな芋羊羹
この綺麗な芋羊羹系青田で持ってみて軽いものは新疆産の石。ガサガサした雑石です。
私も騙されました!!いやぁ、美味そうな色だもの!
大哥先生
>>337 うまいなぁ・・。あ、失礼しました。先生、ほんとに凄いや・・。
あ、すみません!いやぁ、私の知る限りに於いて、書家印人中文野郎は数々
あれど、ここまでの文章を繰り出せる方はいません。私の駄文中の伯楽を
演繹し、地名へと進ましめ、そして多胡の碑の文中にまで及び・・。
途中、奇士と吉支を諧音させ、奇字拆して大可となるの意を察して戴き・・。
ここまで文章を深く仔細に精密にお読みになり、且つこれを展開、新意を
創出させることができる方を私は他に知りません。
蹉 跌 何 須 問 幾 愁 感 時 走 馬 正 如 流
相 人 相 事 歸 天 理 好 説 好 風 傳 萬 秋
ああ、これも凄い・・。転結はみごとな対偶だ!何かお返しせねば。
ああ・・プレッシャー!
そ、そのうちに・・必ず。
(先生の文藻に弟季咸、聊か得意の遁走を考えてしまいました!怖いよぅ)
大哥先生
>>337 >お風邪だいじょうぶですか?
ありがとうございます!もう恢復いたしました!
>「四夷戎蛮狄!」まだわらけマス。
今度はもう少しまともなものを考えます。でもワラテ戴いて安心しました(´∀`*)
>マグネシューム
普通、マグネシウムと書くなぁ・・。自己レスばっか!
あっと、ここでティータイムクイ〜ズ!
印泥でおなじみの「箭鏃」。名の由来はな〜に?
(この答え、人聞きなもので裏取ってません。ご勘弁!)
>>371 >512KBと思われ・・・
情報ありがとん!512か・・。いまは・・222!!
連カキスマソ!
大哥先生
>>375 >今、女夷を捨てるとの地で停車中。せまいよ、固いよ。
長野県千曲市!!一体ドチラマデ!
ああ、連カキゴメンゴメン!!
>>382 とりあえず箭鏃の回答だけ先に。答えが早く知りたいんで。
矢とヤジリですよね?
矢が刺さったときのブシューと出る血の色に似ているからですか?
いや、もっとなんか故事があるんでしょうね。楽しみ。
>>388 う〜ん!惜しい!(惜しいかぁ?)
故事までは行かないですがナルホド的回答です。
よけ
>>382 こんにちは
やじりは「要利」とか「求利」ですので、儲ける為の商品として
開発!他のは儲けなしもってけ商品。・・・・なわけないよなあ。
>>391 美麗は「没利」で、やぱーり、儲け度外視か????
・・・なわけないよなあ。
季咸先生
>>379 >聊か得意の遁走を考えてしまいました!怖いよぅ
「溢美之言」って荘子だたーのですね。・・・・両喜必多溢美之言・・・うう〜う
・・・・ひつーかまえてこい!・・・かしこまりますた・・・
・・・・だめでつ、確信犯(誤用?)でつ
贈 季咸先生
巫匠遁逃何所思 果然列禦不能追
吾宗在我如虚誕 憑據實求應笑嗤
す、すみません、切りがないわ、せっかく普通のスレに戻ったのに。
空気乱してすみません。で、今朝帰ってきますた。
季咸先生
>>394 キレイな結晶。毒?石器みたい。また上の方で胡説八道やらかしてしまいました。
実は竹前金族ってなに????ってウンウンうなっていた所です。印社の『古色』っての
も前使っていました。茶色ぽいやつ。 ではおやすみなさい。魚屋さんもおやすみなさい
論文書き上げて、一風呂浴びてきたら、アレみなさんもうお休み・・・。
季咸さん
>>369>>394 博識ですねぇ。そんな分野まで・・・私はもうローセキの親戚ってことで満足
してたのに。これが、朱砂ですか。こんなきれいなものだったとは。
二可さん
>>前に中国で、電源入れるとデカデカと倒福マークが出るテレビをみましたよ。
福臨門というメーカーで、そんなの出なくていいから早くテレビ見せてくれって
感じでした。
じゃああっしもこのへんで。
魚屋さん
>>396 論文!(笑)、 おもしろいテレビですねえ。
むこうの人々実はみんな喜んでたりして。
>>397 カキコ寝ボケてます。
論文!学者さんで通ったり魚屋さんで通ったり、一休さんの食道みたい。
一風呂浴びて2CHの構図がとても楽しく思えたのでした。
「漁父打網図」ならぬ「魚舗打網図」・・・・
>>385 季咸先生
遅レスでごめんなさい。僕愛用の絹糸号とか、絹線号とか、絹特快、絹直球
みたいな名前の車は、あの辺まで迂回、夜行驀進して流光に似ております。
季咸先生
東土皮、女夷は、手機に文字がなかったせいもあるのです。
捨はさすがにありました、手舎ってやると意味かわっちゃう?
「手不舎書」なら文人の故事にできるかな・・・・スレ違い除け
「四夷戎蛮狄」まだわろてるんですが、シツコイ?
>>397 電源入れると真っ赤な画面に緑で倒福マークが・・・壊れてんのかと思った。
あくまで想像なんですが、一時期日本のテレビで画王とか漢字の名前が流行った
ことがあったでしょう。それと、ウインドウズなんかのスタート画面の影響かと。
>>398 いや、最初途中まで書いていたんですが、途中で注釈書が見つかってしまい、
思わぬ大論文になってしまいました。自分で言うのもナンだけど意外とよく
書けたんじゃないかと。
今更ですが、今東土皮って私のことですか?
いや、アタシ沈みっぱなしですんで、そんな恐れ多い。
魚屋さん、こんばんは
>>401 >真っ赤な画面に緑の倒福
なんだか、とても見たくない気が・・・・
昔はTV画面、消えても虫みたいな光がずっと残っていましたよね、
いつから無くなったのだろう。だいたい脚も扉ももう付いていないし。
魚屋さん
つつしんで沈魚子(笑)の号と、下の詞(ヘンかも)を
さしあげます。今東坡みたいな方は
何人もいたらいいなあ!
漁父(漁歌子) 今東坡
赤鼻磯邊駕小舟
網魚攜酒復遨遊
文思罷
月光浮
松仙乘鶴過江頭
みまさまごむばんわ!
>>魚屋さんこと沈魚子さん
真っ赤な画面に緑の倒福は私的に(←チョトやな表現)激しく怖いです!
それも”むくむく”した倒福だったら卒倒します。だいたい「福」字は怖い。
いつか巨大なこいつが目の前に現れて<fu〜>なんて言いだすかもしれない
などと想像すると・・。
眠れませ〜ん!(目を瞑ると出てくるもん!)
あの論文には【古漢板学術喜念ッ賞】授与が内定致しました。
>>402 大哥先生
詩興絶好調!
「松仙乘鶴過江頭」松仙、鶴に乗りて”えがしら”を過ぐ、と読んで
しまった私を叱ってください〜!
>印社の『古色』ってのも前使っていました。
散木先生が好きそうな色です。臭遺萬世。
>「四夷戎蛮狄」まだわろてるんですが、シツコイ?
そんなにウケましたか?(先生ったら!乗せ上手!)
んじゃ、ここでお遊び下三連。
「四方東西南」!(私のお部屋でつ)
もう一声!
「四職士農工」!だめな私のことでつ。
鄭
ありゃ、キー間違えちゃった。
鄭?
>>407 季咸先生
すみまっせん〜
>>403鄭巫何無北
>>404商頌自藏西
よからぬコト考えてたので、指がうごいちゃった。
僕の頭のお掃除も必要でつ、どうしょうもない句になっちゃたです。
>>408 無→失です
だいぶ考えたけど、通りがわるいわあ。
やめりゃよかった。
>福臨門テレビのこと
◇の中にゴシック体で福のひっくり返ったやつが、思いっきりハレーション
おこして・・・
そうなんです、それを見てから数年経っているんですが、いまだに目に焼きついて
離れません。あまりにヘンなんで、なんども電源入れたり切ったりしたからかも。
>>402 ニ可さん
号と詞、有難うございました。これって古詩でいいんですか?
特に沈魚子気に入りました。なんか「チン」って言う音もいいし、久しぶりに篆刻
したくなってきました。
あつかましいお願いですが、解釈に自信がないので、ヒマがあったら解説お願いします。
もちろんボケまじりで。
>>403 謹んで受賞させていただきます。(や、よく見たら内定だったか)
そういえば季咸さん九州のご出身でしたっけ。「エガシラ」って九州(特に佐賀あたり?)
に多いような気がするんですがどうでしょう。
あと、二松スレでニセ学長が書いていた俗謡って九州では一般的なんでしょうか?
>>403 神田で本あさりの帰り、万世橋まで歩いて肉入りのラーメン食べたことを
思い出しました。
>>403>>404 爆)・・・・反応遅い?
いえ、ワラケタからこそ先生に切り返ししたれい!って思って
聯句ひねっていたのです。(でも40分かかってる、笑)
>>410 魚屋さん
こんばんはあ、もう朝近いですよ。またご論文ですか?
お腹へってきちゃった、落雁かなにか食べたいなあ。
これ詞譜から拾いましたので、少し新しい形の体です。
唐〜五代〜宋に、粋筋はべらして、飲み会で唄ってたらしいです。
>赤鼻磯辺駕小舟 「赤いハナして、海苔みたいなチョビヒゲはやした
先生がフネこいでいます、あれきっとよぱらーいでしょ。」
>網魚携酒復遨遊 「ネット上で魚屋っていってるけど、魚捕って酒もってまた
お遊びしにいったらしい」
>文思罷 「本人はさっき論文書き終えたっていってたけど・・・・
なんだか自分で沈没してるっていってるし」
>月光浮 「いや、ニンジャ部隊みたいに浮かびあがってきたきたきたあ」
>松仙乗鶴過江頭 「まとめ。●●スレで仙人のよなボケかましてる先生、鶴はカーッ
てなくけどハ●ハ●とは鳴かないのかしらん、/
実は撲の箋疏本、ザイセンチュウにやられ、ここで破れちゃってます。
以下の部分は季咸さんに解説してもらえるよう交渉中ですので、ちょいお待ちくだ
されば助かりますです。
おやすみなさ〜い!
>>412 しまつたああ、彼への依頼ルートが私にはこの専欄しかないことに
気づいてしまつたあああ!「季13型塩漬機、購入に意あり!」
季咸先生おながいしまつ。
「・・・・」
「俺はそこまで自信家じゃない」
・・・・香印成煙・・・・
「用件を聞こうか」
「おお!引き受けてくださるのでつか?頓首死罪」
しまつたあ、依頼人には二度と会わないんじゃなかたか!!!
季咸先生
>>344 エキサイトやってみました。
これは・・・さらに音声付になった日には・・・亦亦爆爆亦爆爆
で、前からわからなかった、ごるご13号、の漢訳
はなんだろうと思って翻訳かけてみたけど、英語で
表示されてしまいました。
彼の毛筆字をみてみたいよ〜どうせ経書からマオ語録、
通俗小説の類まで、ぜんぶ頭に入ってるだろうし。
季しょっぱい先生
>>344 いまここ、13って名の駅です。明の十三陵、先生が手に
入れられた十三経注疏、十三の湖・・・・伊丹十三、沖田十三・・・・
あれ、何がいいたいんだっけか。
僑居の地名がでますた・・・・
>>412 二可さん
いや、そんなに論文ばっかり書いているわけではありません。
解説有難うございました。なかなか頓知効いててイイです。勉強になります。
「季13型塩漬機」大爆笑!私ゴルゴファンなんです。
十三の湖行った事ありますよ。
虫見の密猟者がたくさん自動車の中でねてました。違うかな?ちょっと遠すぎるか?
しもた!!魚屋なのに肝心な字を間違えてしまった!
密猟者→密漁者
>>416 魚屋さん
三三七拍子みたいな詞で、けっこう好きなんです、この形。もと玄真子の詞
「・・・世上如儂有幾人?」だって。
でも、北宋の頃には、曲調はもう失われていたとか・・・・
十三の湖・・・・女臣示申ってシンセの曲を作る方?隊?、の版の中に、そんな
名前の曲があったなあって思い出しました。どんな所なのでしょう?
故郷の川、50年くらい前は、ヒトがイパーイ折り重なってたそうですが、
キタナイ川原に下りると、ちっちゃいカニが一斉に踊ってたり、泥から
ピュー(山崎ちゃうよ)って潮噴くので、掘るとシジミが出てきたり・・・
橋の上から高校の同級生が僕をみつけて怪しいヤツと思ってたらしいです。
あの川べりの詩碑や修路碑なんか、漢文でさぱーり読めなかった。
やっと帰ってまいりました!
大哥先生
>>408 鄭巫何無北
商頌自藏西
書巻の気が致しますなぁ・・。
>>412 >以下の部分は季咸さんに解説してもらえるよう交渉中ですので、ちょいお待ちくだ
>されば助かりますです。
やってみましょうです!(素人ですのであんまり面白くないですよ・・)
魚屋さん
>>410 江頭姓は佐賀に多くみられるようです。
>二松スレでニセ学長が書いていた俗謡って九州では一般的なんでしょうか?
博多では「でんでらりゅうなら・・」となっておりました。どうも長崎が発祥
らしいです。
>しまつたあ、依頼人には二度と会わないんじゃなかたか!!!
「季13型塩漬機」より季印しょっぱい13號に通信あり。
「今回は用件聞きまつ」
”過江頭”これは古来より難解であるとされる言葉であるが、この度ようやく解明された。
江頭とは何か?これは「えがしら」などではなく「江」と「頭」とを分割して考えるのが訓詁の学である。
「江」とは長江、つまり揚子江のことであり、”揚子”が隠しれていることに今まで誰も気付けなかった。
今度はこれを分割すると、「揚」は揚げる、「子」とは餃子のことであるのは言を俟たない。
酒春性『設問痛苦ン訂正』餃子、本祇作子。
太古より伝える餃子の種類は斯くの如し。
「孔子」・・・穴あき餃子。この穴の部分に旨味のタネ<仁>を入れてわさび醤油でいただく。
「孟子」・・・季節の初めに食べる餃子。食べ過ぎると矢でも鉄砲でも持って来いという気分になる。
「墨子」・・・イカ墨の餃子。食べると染物を見て泣いてしまうくらいやさしい気持ちになれる。
「荀子」・・・筍入り餃子。荀はもと筍に作る。ちょっとエグイお味が自慢。
「韓非子」・・韓国風薄焼き餃子。非はもと菲に作る。食べ方に細かな決まりごとが・・。
「荘子」・・・店売りの餃子。イートインが特徴。店内で食べるのは<内編>お持ち帰りは(ry
「老子」・・・敬老の日にいただく餃子。小魚の煮たやつがイパーイ入っている。
※詳しいことは古典餃子レシピ集『諸子集成』を参照のこと。
次に「頭」とは何か?これは言わずと知れた”饅頭(マントウ)”のことである。
弾玉砕『設問開示厨』・・頭、饅頭也。
つまり江頭とは揚げ餃子と饅頭。「過」は過失の過。あやまる。過江頭とは
「揚げ餃子と饅頭を見誤る」が真意となる。
さて問題は「乗鶴」。鶴は”雲中白鶴”でおなじみ「雲」の謂いである。「雲」とはここでは
雲呑(ワンタン)のこと。ここを以ってこれを観れば
乗鶴過江頭の意は「ワンタンに乗じて揚げ餃子と饅頭を見誤る」つまり松仙はめちゃくちゃ
疲れていることを示している。転じてこれは「松仙、乙〜!w」という意味となり、以って
【古漢板学術喜念ッ賞】授与がケテーイしたことを暗示するものである。はぁ・・。
ということで趙之謙はいいねぇ・・(爆
>>423 なんかリアルタイムで読めて、むちゃくちゃワラいました。
ありがとうございました!
趙氏の“字”も易経からですよね。
>>424 趙氏の“字”も易経からですよね。
え〜っと、書、大禹謨の満招損謙受益だったかなぁ?
あ、益甫は号かぁ・・。
大哥先生
>>424 こんなん出ました。
周易/卷二/謙
六 四 不 利 ヒ 謙
象 曰 不 利 ヒ 謙 不 違 則 也
季咸先生
>>426 >>427 ありがとうございます。
無悶、冷君はどうなんでしょ? 無悶は詩句にもあったかなあ。
悲庵の由来はよく書かれていますけど・・・
芝の東京美術倶楽部で開催された、逝世100周年(だったかな)記念展、
会期中2回みにいきました。2回目は最終日の最後の最後、西川氏が現れ
金印の論文でも有名なK氏をいじめておられた(笑)のが印象的でした。
「これ以降は関係者以外の方はご退出くださ〜い!」
て言われるまで、取り巻きの皆さんの陰に隠れて話きいていましたよ。
内容はもう覚えていないです・・・券(ハガキ?)は一枚は自分の、
ニ枚目のは誰からもろたか忘れちゃった。
大哥先生
>>428 >無悶、冷君はどうなんでしょ?
あ、調べておきますね。
「苦兼室」の号は謙の半切を取ったのだと弟子の銭式が治印併記しておりましたね。
この弟子、なかなかいい印をやります。でも彼についての詳しいことは
どうも判りませんね。(ぼけのあとはスレに沿った話題でつ!イイ!)
>>428 >金印の論文でも有名なK氏をいじめておられた(笑)のが印象的でした。
ほう!あの”らくだ爺”(私にはそう見えるの)、叩かれておりましたか!
痛快(タンコヮイ)!
無悶は易でしょうか?
冷君は??「泠然而善」?「冷眼観人」?
>>430 はい、つっこまれては、毛のない頭(失礼)に手をやられて、汗かきかき
「いえいえ」って。周囲からはけっこう笑い声が起きていました。
>>431 ありゃま「泠然善也」だたかな。
>>432 毛沢東は、和尚打傘〜無髪(法)無天でしたっけ。
あ〜脈絡なくなてきた、おやすみなさい。
>>431 冷君は後っぽいですねぇ。
>>432 禿藁!あ〜、見たかったなぁ・・。
でわでわ、この辺で。おやすみなさい!いい夢を!
今日本屋に「古本 神田神保町ガイド」毎日新聞社 (だたかな)ムックが
平積みにされていてました。パラパラめくってみたけど、面白そうでした。
漢詩書の松●堂書店さん、も載っていましたね。
そちらで、二●詩文って雑誌を創刊から古書でそろえたりしましたが、西下の
際うぱらちゃった。
あの辺は玉●堂に伺ったついでによく歩きましたよ。魚屋さんって
あったかなあ?
季咸先生
>>394 >私も詩をもう一度最初から学ぼうと思いました!
今は皆さん(国内外・学生さんたち)詩はどうやって学ばれてるんでしょか?
自分の事もいわずぶしつけ、ごめんなさい。 ああっ、移動せな。
季咸先生
>>427 鉄斎翁の周辺にこんなお名前の方いらっしゃらなかったかしらん?
で、蘭台翁?の印にこんな木印?がなかったですか?けこうでかいやつ。
あ、あれは子謙か? 違うかも、ううああ、激しくもの忘れが激しい。
100位のスレッドにカキコ!
439 :
魚屋 ◆3ZF57qLDxk :03/10/28 03:14
ニ可さん
>>418 十三湖って青森ですよね。
全然観光地化されてなくって、茶色く濁った(汚いわけではない)どよんとした
感じでした。たまたま、天気が悪かったせいもあるかとは思うんですが。
>>435 松●堂書店って一時期まるでヤル気なしでしたが、数年前から復活しましたね。
芋屋はあるけど魚屋はなかったかと。
そういえば、神保町スレとかあってもよさそうな気が・・・
東京ローカルだからだめかな。
季咸さん
>>419 でんでれと江頭について、ご教示有難うございました。なんとなく気になって
いたのです。ちなみに私、九州出身ではありません。
ボケ解釈、笑えると同時に勉強になります。
いや、レベル高すぎ!!諸子百家のところなんか教科書にしたいぐらい。
で、レベルの低い私が一番笑ったのは、「趙之謙はいいねぇ・・」だったりします。
やっぱり逆入平出だなぁ・・・。
誰もいないと思いますがオヤスミナサイ。
うああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
ごめんなさーーーーーーーーーい
寝ぼけてageちゃいましたーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。
魚屋さん おはようございます
>>439 >逆入平出
うまい、うまい
十三湖、みてみたいです。イモ屋のトンかつとテンプラ
よく食べました。蜆汁。今も人並んでるのかな。
>>440 すみません、笑ってしまいました
偸閑偸閑・・
おはようございます!
大哥先生
>>435 >二●詩文って雑誌を創刊から古書でそろえたりしましたが、西下の際うぱらちゃった。
あらあら。叱られますよー。と言う私も持ってな(ry
別スレにも書いたのですが、あそこのグラマなおねえさん、気になるー!
>>436 >今は皆さん(国内外・学生さんたち)詩はどうやって学ばれてるんでしょか?
私は独学でした(学校ではホンのさわり程度)。今はどんなんでしょ?
これは魚屋さんの方がお詳しいと思いますね。中国の知り合いは平仄式に則った
ものは殆どやりませんね。所謂新詩って奴でしょうか?それも文白夾雑なもの。
高齢の方はさすがにその限りではないようです。で、ちょっと教えて君ですが、
「古詩」の概念って何なのでしょう?韻さえ踏んでいればいいわけじゃないですよねぇ?
今ひとつ漠然としちゃって・・。
>>473 「子謙」初世蘭台の木印です。二顆印で片割れが「元譲印信」。
西川春洞の自用印ですね。譲を字したのでしょう。謙譲の語は『周易/卷二/訟』
の疏にも見えますし、その他イパーイ。解りやすいですね。
ところで先生の字、こんなんどうでつか?
『禮記注疏/王制/卷十二』
喪 祭 用 不 足 曰 暴。有 餘 曰 浩。 暴 猶 耗 也。 浩 猶 饒 也。
魚屋さん
>>439 お褒め頂きありがとうございます!
いやぁ、所詮、玄人には敵いません。あの餃子の説明の老子のところにこれ
入れ損なっちゃいました!
「小魚の煮たやつがイパーイ入っていて”食べると骨が強くなる”」
>>440 どんまいどんまい!
と言うことで、伊秉綬ってどうよ?(笑)
あ、神保町の「いもや」w
あ、444ゲト。(気付くの遅っ!)
季咸先生
いかにもお姿を隠されていらしたので、僕こんなん作ってましたわ。
おふざけもたいがいにせえ!撲僕復殴殴! ってか。
故事うまくはまらなかたかも・・・
憶 季咸先生
咸師逃網忽消姿
列子頻煩更慕思
縦是蒼鷹奮威日
休吟潭畔向清漪
ボケ裏のあるのばかりでなく、きちんと詩情をたたえたのに
しないとあかんなあ・・・・
でも、心配(笑)の気持ちがつたわってくるでしょ。(笑)
ビールとお堀の水うまかたですか?
季咸先生
↑かってにダイエーファンにしちゃって、すみません。
西鉄以来のシシトウでしたらお詫びします。
ありゃりゃ、野球ではなかつたか・・・向こう拝見しまつた。
大哥先生
咸師逃網忽消姿
列子頻煩更慕思
縦是蒼鷹奮威日
休吟潭畔向清漪
おお!うまい!これはダイエーファンにならんとあかん!
しかし・・。うまいなぁ・・。並々ならぬご愛顧とご温情、
ありがとうございます!(ほんきよ)でわそろそろ仕事に戻り松w
また、今夜あたりに(来れるかなぁ)
>>442 >「古詩」の概念
“古意”なんでしょうかねえ。いくら古詩の形で吟じても、内容が
あまりに今様だったら・・・・でも、相聞、時事を託することはできます
ものねえ・・・韻律については、逆に崩すほうが難しくなりそうで、
近体よりも意を注ぐことになっちゃうかも。
また、今の我々では古詩組み上げるだけの、構成力、構文力、意志力
に力及ばないないのではと悲しくおもいます。
七言の一韻到底格は、たしか平仄の決まりがあるんですよね。
てな事考えてますと、思いついたの、まさに「蒼古風神艶自加」(笑)
でしょうか。欧陽詢の書なんか、あまりに近代的でありながら古意をも
濃厚にあわせ残すという不思議。あれは時代性でしょうか?
現代人の作る古詩、そこまでの境地に至れるかなあて、どうでしょ??
あ、書も。
あ、季咸先生、レスありがとうござい松松!
>>443 >伊秉綬
あの大きさは古意なのでしょうか?意外に現代的だとも思うのですが。
先学はどう評されてるのでしょ?日本人には書けそうで実は及ばないの
では?
>>442 文法ネーサン、ちょと、ぼ雲興味あり松、スレ検索してみ松。
>文白夾雑なもの
例の、転句にすぐ、一衣帯水とか、日中友諠とか両邦友諠とか
出てくるタイプの様なやつでつか?
>二●詩文
創刊の頃に齊藤荊園とおっしゃる学者さんの文が出てたのでそれが読みた
かったのでした。氏の詩集激しく読みたくて未見。国会図書館ならあつたかも。
齊藤氏の漢詩の本と、安岡瓠堂氏の漢詩読本は読んで面白かった記憶があります。
でも、ホント眺めただけかも・・・・
季咸先生
>>442 >『禮記注疏/王制/卷十二』
おお、ありがとうございます、蘭台の印もご教示ありがとうございます。
餘なら、子餘、餘生、伯餘、餘卿とかでつか?
饒なら、子饒、饒餘、饒之、饒卿???
二字くつけて餘饒は、自ら余剰と処し周囲をあきれ返させた私にpたーりかも(笑)
お、熟語もあるあるけど、餘裕や有餘なんざあ、端から無いし、また可餘!って天仰ぐ
ばかり。餘夫は長子にもと合わず、殘餘の身、餘事の詩(笑)を弄ぶが如し??
拆して食余ってのは尾や足食うウナギやタコみたいだし・・・餘卿な事ばかり、饒舌に過
ぎますか?? 逝って餘子!
次いで饒を引く・・・饒字、寛饒、廣饒、豐饒、って、名にし負う先人の開拓地みたい!、
人には使わないのかな。拆して聖なる堯帝食ってだんだん太ったら肥饒にしよか。でも
伯饒すれば、下手くそなだじゃれで自分を茶化すのって余裕がない証拠でつよね。
先生、よろしければお知恵を何子貞ください!まだホンのちょpり紹基は残ってまつ。
うわああああああああ、連カキ長レスやちゃったあ。士農工厨房。
>>422 「雲中白鶴 天半朱霞」
京洛S教授が、秋艸道人の漢字作品に関して、いろいろ考察されてた
のを読んだ事ありまつ。
ところで、日下部鳴鶴の号の由来って、世説の
「雲間陸士龍 日下荀鳴鶴」と何か関係あるんでしょうか?
「日下部鳴鶴伝」他にも号の由来はっきりとは書いてなかったかも
(見落とし?)
いや、本当にすみませんでした。順調に下がっているようで、ちょっと安心。
>>442 すみません、詳しくないっす。実は専門が・・・
>>443 伊秉綬って実は天然なんじゃないでしょうか?行草なんかは明らかに顔真卿
なんだけど、あんなんなっちゃうし。隷書も何か基づくものがあるのに、ああ
なっちゃうとか。
でも、現代美術っぽくってカッコイイですよね。
>>453 蒙求にも「鳴鶴日下」ってありますね。案外そのへんかも。
すれ違い避けは・・・必要ありませんね。でも一応、
「ちんまんせい」って言っても、「ちんこうじゅ」って言っても笑われちゃうのは
なんでだろう。
>>454 魚屋さん
>「ちんまんせい」
彼の壺って「マンセイコ」曼生壺でよかったでしたっけ。
茶人垂涎の的とか。「チンマンセイコ〜」でなくてよかーた。
ぐうっ・・・あまりにあさましいので・・・このカキコ僕じゃありません。
ほんとです。トリプも違うはずでつ
魚屋さん
>>454 すみません、詳しくないっす。実は専門が・・・
にしては、金石書画家、印人に至るまでお詳しくていらしゃる。
中国も何度かいかれたのですよね。僕なんか一回もないです。いいなあ。
>>443 ん、今気づきました。伊秉綬って号は墨卿だ。
つまり、季咸さんはドンマイ!ドンマイ!といいつつも「なにageてんだぼっけぇ〜」
とおっしゃりたかったのですね。
うああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。
>>457 それはもう昔取ったきねづかというやつでして、ノーミソの錆びを落しながら
書き込んでいるのです。
中国にはそれほど何度も行ったわけではないのですが、行きかたがちょっとディープ
だったものですから・・・。
で、揚州八怪ですが・・・
と書いたら、揚州炒飯食べたくなってきた・・・。
魚屋さん
>>458 ぼっけ〜って、故郷にちかいクニでは、非常に怖いこといいます。
ブルブル。
揚州八怪って名前聞くと、あの羅両峯だったかな、誰だっけ妖怪みた
いなジサマの画を思い出すんです。八人のバケモノみたいなイメージ。
字もバケモノっぽいですよね。
揚州チャーハンっておいしいの?
ズザーーーーーッ除け
揚州炒飯ならぬ牛丼を食ってきました。
>>459 今ちょっとググッてみましたが、中洲師の故郷ですか?
ちょっと誰の作だったかピントこないんですが、そんな画ありましたね。
揚州にも行ったことがあります。揚州八怪記念館も行ったのですが、そこは
複製ばかりなり。結構このパターンは多いです。
紹興なんか王羲之故居なんてあるんですよ。
揚州炒飯は五目炒飯のことです。揚州で食べたらうまかったけど、揚州だから
うまかったのか、たまたまその店がうまかったのか・・・。
魚屋さん
>>461 中洲滴水氏の故郷よりは畿内よりではないかと思います。三備のうち、前中の辺?
ぼっけ〜ってVERYの意味かなあ。
犬養木堂は中国の書家でいいかなあ。
王羲之故居!王仁博士の故居や阿部仲麻呂の故居、海師澄師留学滞在中の故居とか
あったりして。かんいちおみやの松があるくらいだもんねえ。
ヤキメシ食べたくなった。
>462
ぼけぼけのレスでしたね〜
中つ国、中洲の号と西海道、紅燈の巷をごっちゃに
してました。たしかに備中のご出身、お名前も木堂翁と同名とは‥
勝手に水につけちゃってゴメンナサイ、季●先生。
こんにちは、いや〜、はろわく、混んでるう。
ほんとお仕事手伝ってあげたいくらい。
いまから正倉院展に行ってみま〜す。正語蔵からも
出てるかなあ。
中国書はあるかしらん。
>>463 季咸先生ゴメンナさい。字が出なかったので伏字にしちゃった。
お詫びに別号、堂号さしあげまつ。まんまやん(笑)
曰く、『滴水樓・主人、滴水堂・主人、曰く滴水郎!』
おお、彷彿当年、劉郎滴滴!
「滴水之恩、湧泉以報」←適当にぐぐった。
ちょいベタかな〜雨漏り心配・・・・ 連カキもゴメンナサイ
大哥先生
この中洲滴水氏って、私のことだったのでつか!三島先生の別号が滴水だとばかり!
どおりでぐぐっても出で来な(ry
♪きょ〜ぉも〜ひとりで〜なかが〜わぞ〜いを〜w
の中洲でしたか・・。いや、気付かなんだ!
あ、みなさまこんにちは。何だかとてもいそがしのよ〜!
魚屋さん
曼生壺、ある爺はこれを「曼壺曼壺」という。「おい爺!曼壺はやめなされ!」
と申し上げると「曼壺のどこが悪い!名器を希う気持ちに変わりはあるまい!」
私、返す言葉を失いました!不肖、ふたつながら激しくきぼんぬ!←当板罕見なる言葉!
大哥先生
>>465 おお、室号まで戴いて・・。滴水郎!カコイイ!
なんか浮名を流せそう・・。
「十年一覚揚州夢」遊びすぎて歳トタ〜!
魚屋さん
>>458 いやいや!深読み鱶読み不可読みでつ!お〜、ここまで読んでくれるとは!
>うああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
>すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。
まるで”金冬心”のようなw
>>469 あ0!、揚州にかけるとは。あなにくし!
>>470 爆) もしかして、じゅもんでつか???
>>471 >あなにくし!
”あな”は可愛(ry
>>472 正解〜w
でわでわ、がんがってください!
_、_
( く_,` ) n
 ̄ \ ( E) jobget!!
フ /ヽ ヽ_//
>>474 ありがとうございます。
室号に「滴水洞」加えといて下さい(笑)
>>475 「滴水洞」!
こ、これは・・。●●春洞のようで・・やば!(笑)
入りた・・激やば!
>>476 目黒不動に碑がありますよね。春海翁でした?
駅前の弁当屋さんの子に「お不動さんどちらへいけば???」て問うたところ、
遥か不動産事務所を指してくれますた。ああ、「不覚(に)して処を知らず。」
季咸先生
別スレで奈良のこと書いちゃった、って、実はあれ続きがあるんです。
悪い癖で長くなちゃた。読んでくださいます?
続き
「不東」
三蔵は西を顧みる時もおありだったのではないでしょうか?「不」って・・・・ねえ。
李後主にも、「独自莫憑欄 無限江山」、自分にいいきかせるような否定詞が
ありますし・・・・例の辛嫁軒「欲説還休!」、柳耆卿「執手相看涙眼 竟無語凝咽」、
人は事において躊躇逡巡し、語らない、語れない事が多いのかもしれません。
陶淵明にも「欲弁已忘言」ってあったか。
彼、好きなんだけどちょいインチキくさい(ひねくれてる?)。
「不東」っておそらく不退転の決意で出国西行された、玄奘三蔵の強い意志
をあらわされたのではないかと思います。東夷たる我々は一瞬????
>慎んで語ることなかれ って面白いですね、「はじめに言葉ありき」じゃなかった
かしらん?「教外別伝 以心伝心」みたい
ありゃ、なんか前後混乱しちゃた、
下、引用注つけときました(笑)
正倉院展みてきました。
・・・・古き都に来てみれば・・・・(今様)
しっかし人の多いこと、屋台もあるぞ!鹿も多い!
・・・・にほふがごとく今さかりなり・・・(小野老)
でも、展覧はすばらしい!あれほんものかな、でも
複製作るのにも莫大な資を必要としますもんね。
げにげに・・・・みれどあかぬかも・・・(無名氏)
ああ、しかしすでにして行遊闌珊、金烏西舎に臨み(大津皇子)つ、まさに
・・・・いこまたかねにくもぞかかれる・・・・(防人)
・・・・いこまがたけにくものかかれる・・・・(西行)
・・・・いこまがたけにひはおちむとす・・・・(八一)
でもでもさすが観光地若い娘も多い!
・・・・折●博士は美童好みだったというが・・・
・・・・をとめごは出で来ぬものか よき耳を聞かさぬものか
吾はもよ忍ぶ ふぢはらをとめ・・・・!!(死者の書)
おお、『依水園』とか、水門町ってあるある、滴水琴の如く洞泉を汲まむ・・・・!!
で、正倉院展、あの『鳥毛篆書屏風』、みてきますた。うーーーーむ。
すごい、何が??よくわからんけどすごい。
曰く「明王致化 務在得人」、曰く「任愚政乱 用哲民親」
ニホンキジの羽使ったそうで、国産かもしれないとの事ですた。な〜んか
御書の楽毅論とかに似てるよな気もします。
他に「丹」の実物があって思わず除きこんでしまいました。結晶じゃなく
粉末でした、包み紙も反故紙で字があり、おお、天平! 紙も未使用のが
出てて、きれいな絵紙と軸、吹絵紙も。こんなんもたーいなくてとても書
けないや。(誰がかけるちゅうねん、てつっこんでおく)
もちろん、聖語蔵からは中国の書家が書いた(笑)、唐経も出ていましたYO!
東大寺の例の「おほらかに もろての・・・」の碑と鳴鶴翁の谷川氏の碑もしかーり
撫でてきますた。
ちょっと、モロモロの締め切りがせまり、こんな時間に・・・
>>468 私の話も壷がらみなんです。
そうあれは、知り合いが陶芸で個展をやっていたときのことでした。
「箱書きがうまくいかないんだよね〜」
「どれどれ、ああこれはチンマンセイ風だね」
「チンマン・・・なにそれプッ」
「いやいや、チンコウジュともいうんだけど」
「今度はちんこか・・・ぶへへ・・・」
私の日ごろの言動が悪いせいか、チンマンセイ先生は私が作った架空の書家ということに・・・。
中に入っていたのは、やっぱり曼壺かなぁ。
今、ちょっと調べてみたら曼公っていう号もあったみたいですね。いやマジで。
「滴水洞」って何か妖怪が住んでそうな・・・
>>480 折●博士の男色は有名ですが、前に出てきたK(コバですよね)氏も美少年大好き
というウワサが・・・
>>477 ●●春海が書いた、●●春洞の碑ですよね。むちゃくちゃでかいやつ。
でも、あんなはじっこにある奴よく見つけましたね。有名なんですか?
いつ倒れるかと楽しみにしてたんですが、最近修復されました。
正倉院展行きたいなぁ。
やっと帰宅しました!
魚屋さん
>>470 なんだか問題横からとっちゃったみたい、ごめんなさい。
季咸先生
>>468>>476 禿同と申しておきます(w
季印仙人弄石汲泉圖
撫弄凝脂情欲癲
紅裙香篆自含縁
偸閑出入後庭徑
滴水如琴汲洞泉
>>480で適当に思いついた句を元に無理に組み合わせました、
こんども打油、はあ〜もうやめな。詩情、詩情!!
印人の尊称が激しくわかりません、印兄とか印師とか印長でよい
のでしょうか?印契だと加持祈祷だし、印史はまんま歴史か・・・・
印跋いろいろ見たいなあ。
>>483 あ、魚屋さんだ!おはようございます。
>●氏の美●●好き・・・・
そうだったのか!!!これは、スルーさせてもらった方がよかたかも・・・怖い!!
そうだったのか!!!何故ずうと独●なのかと思ってたけど・・・
そうだったのか!!! やぱ独●はそう思われるよなあ!や、やばい!!!
>私が作った架空の書家・・・
爆・茶人憧憬の壺もこうなるとカタナシ
>●●春洞の碑・・・
倒れかけてたんですか?あんなん倒れたらたーいへん。
あそこの水、今でも飲めるの?お近くですかあ。
>正倉院
むちゃ込んでます・・・でも綺麗・・・な子(妄−亡よ)も多かった、好・好
二可さんおはようございます。
>>484 スルーは認めません。
ある展覧会で、私が行く直前にK氏が来て、たまたまそこにいた数人の私のセンパイ
方をネコソギ家に連れて行った・・・しかも、女子もいたのに・・・男子でも・・
ムニャムニャ・・・・まあ、すでにお年だったので云々。
あの水、今でも飲めますよ。地元の人はわざわざ取りにいくみたい。
昔から比べると、ずいぶんきれいになっちゃって、それは違うぞって雰囲気になりました。
好きな場所なんで、よく行くんですよ。
何か私が書き込むと急に下卑てきますねぇ。スミマセン。
金冬心問題、まだ解決してないのに・・・(スレ違い避け兼)
魚屋さん
おはようございます。書き物、お仕事ですか?お疲れ様です。
>>485 >ネコソギ・・・
うう、心緒乱れて糸のごとし・・・
>昔から比べると、ずいぶんきれいになっちゃって・・・
名残り雪の歌詞みたい、なつかしい! あの碑文、最後の銘の所が本人の5言絶句
かなにかで充ててあるんですよね、面白いなあって感じた記憶があります。
>急に下卑てきますよねぇ・・・
なんだか鄭道昭の“下碑”を思い出しました!!!
>>485 >金冬心問題・・・
僕、彼がある塩商をフォローした逸話が結構好きなんです。
名士高官連中を集めた宴席上、酒令で「紅」字を詠じるとはめとなり、塩商主人、
苦し紛れに「柳絮飛来片片紅」ってやっちゃった。柳絮って白いのにい!・・・
満場大爆笑「ご主人、罰酒ですぞ罰酒!」、商恥ずかしくて顔も真っ赤になり、
身の置き所もない。
ところが冬心先生、一人うむうむと・・・杯を置き「おお、なんとふさわしい、
元人がこの堂を詠じた古詩を引用なさるとは、ご主人、学殖深遠さすがでござ
います」
「!?」「!?」
先生、満場注視の中、立ち上がり高らかに吟じて曰く、
「廿四橋辺廿四風 凭欄猶憶旧江東 夕陽返照桃花渡 柳絮飛来片片紅」
拍手喝采、賛嘆やまぬ中、冬心先生おもむろに着席、塩商意気回復、盛んに
箸もて勧め、杯を交わし、宴さらにもり上がりを見せたといいます。
面目を施された(この用法合ってる?)塩商、後日冬心先生に多くの贈り物を以っ
て謝礼したとの事。
冬心先生、時々ヤフオクにも出てますが・・・・
で、魚屋さん、あとから家にいかれたのでつか?
激しく聞きたい、たずねたい。
>>483 またやっちまいました。印はハカマですわな、スカートちゃうちゃう。
で蟹行いや改稿しましたです。
撫弄凝脂情欲癲
錦牀香篆擁紅褰
偸閑出入後庭徑
滴水如琴汲洞泉
玉床が好きだったんだけど、印床って玉だとすべっちゃうかな?
擁の字は、ホントは脱(脱紅裙ってのは拠あり)、捲、掲、剥、
とかにしよかとも思いましたが、どうぢても勇気がなかったでつ。
どうかお好みで入れ替えてください。
連カキ、スンマソン。こりゃ・・・寂しさ勝りける・・・かなあ。
〓除けとこ
うわ〜ぁ、また出遅れ〜!
大哥先生
>>479 「不東」なるほど、三蔵法師のご決意でしたか・・。わたしゃてっきり
「佛教東漸、毋臻於夷」の意かと思っちゃいました。見るなと言われると
見たくなるのが人情。そのへんを狙ったのかと。いや、凡夫の勘ぐり情なや。
「名残り雪」一瞬、立原正●のタイトルかとおもたーよ。
>>483 いや、この詩は萌えますなぁ!「季印仙人弄石汲泉圖」見てみた〜い!
「撫 弄 凝 脂 情 欲 癲」情欲癲!こりゃ、個人特定されたか!
「紅 裙 香 篆 自 含 縁」うまやば!!
「偸 閑 出 入 後 庭 徑」ええ、閑さえあれば後庭の徑に出入なのでつ。
「滴 水 如 琴 汲 洞 泉」この滴水っつーのは・・。え?あん?
先行黄水の謂いか!ひょっとして?しっかし、馬杉神策!
因みに私は「白芙蓉」が好きです!膩滑たるその印面に戛然と
金錯刀もて鐫鏤せば、ああ、肉も砕けよ骨亦折れよ・・。もうやめとこ。
>で、正倉院展、あの『鳥毛篆書屏風』、みてきますた。
いいなぁ・・。あの海鼠篆(?)も見てみたいなぁ。
あと、もろもろお目の保養もなさったようで、何よりでつ。
私は美術館観覧の二大眼目は当該文物と
http://www.mojikyo.gr.jp/gif96/096/096131.gif なのですなぁ、これが。ハオ・ハオ・ハオ・・・
大哥先生
>>483 >禿同と申しておきます(w
ハオ・ハオ・ハオ・・・w
>印人の尊称が激しくわかりません
印人に尊称などありませんよ!だいたい印人など社会不適合者の
最たるものですからねぇ。損傷なら激しくあります!
魚屋さん
>>482 「チンマン・・・なにそれプッ」
いやあ、私たちは「チンマン」言いますよ。でももっとヤバいのは
◆陳 衡 恪◆
陳師曾って言わなあかん。が、ついつい言っちゃう!
余談ですが(って余談ばっかですが)むかし、上海でこの曼壺をタイ米ハタイテ
買ったのですがこれが月経でして・・w
>>485 興味深いお話を!ありがとうございますw
先輩方は無事だったのでせうか?
魚屋さんは俎には上らなかったのでつか?
>スルーは認めません。
ああ!!そ、そこはデンジャーゾーン!!でも
真 実 で つ !
コバ話、ほんとにやば!(笑)あ〜ぁ、もし関係者がこの専欄見てたら言うに違いない!
う ち の 師 匠 は ●● で す が な に か ?
いやぁ、知ってる話したいのですが・・これやっちゃうと
ほんとに「おまえだろ」されちゃいそうで・・。
大哥先生
>>489 >印はハカマですわな、スカートちゃうちゃう。
ス、スカートにしてくだされ〜!どうぞそのままで!
季咸先生
>>493 笑)、「印奴」でつか。まるで我邦黎明期を表わすような称。
>>492 「不東」いやあ、たしかに最初は目をむきましたよ。
「四夷戎蛮狄!」
>>494 僕は「滿江明月・・・」なんて目の前で詩吟されたりすると
思わず引いてしまうかもしれないでつ。
>>名残の雪って舞台鎌府でしたっけ??
〓除けときます、あ、500だ。
大哥先生
500ゲトおめ〜!(笑)
印奴は趙之謙ですね。あと王福庵は印傭、呉昌碩は印匃。
印痴ってのもいたかなぁ。
み〜んな単なる「印フェチ」。
話変わります。久方ぶりに書道専欄見たのですが、えらいことになってますねぇ。
ありゃ、いったい何なのでしょ?先生チョト見てくださいな。
大哥先生
>>496 「印奴」でつか。まるで我邦黎明期を表わすような称。
ああ、私、数冊所有しております。
季印仙人様
>>501 うあっ、手机ではとても読み切れないので、どこかで見ます。
>>502 茶色か季色の細いほんでしたけ?飯●さんで零巻を数冊手に入れた事があるかな。
あ、一〜三巻目くらい
でした
手机テンプレ消えちゃったので、宛名すみません。
>>488>>494 真実でしたかぁ・・・。
誠に残念ながら、数分遅れで俎上に上ることを免れました。
家もどこにあるのか知らなかったんで行ってません。
後に残された女子と、選抜されなかった不幸な男子数人から話を聞いたのであります。
先生、選り好みが激しかったようで・・・。
後日談はコワくて聞けませんでした。
なんか、そういう話を聞いた後だと、どうしても作風と結び付けてしまうものですねぇ。
505i
魚屋さん
>>482 「滴水洞」って何か妖怪が住んでそうな・・・
そいえば降口博士の死者の書って「したしたした」みたいに暗い羨道に滴る水の音で
始まるんじゃなかったでした?妖怪って八怪もそうだけど、印人に多/ (虫損
ああ、季印先生ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!
>>499 「残りの雪」ですね。ぼけぼけぼっけえ。
>>504 >作風と結び付けてしまうものですねぇ
スルーしていいでつか、ブルブル。
季咸先生 叩端
季咸先生、嘗覔某書于江都諸肆、經年猶未得。僕、亦以在乎畿内、毎出街上、
未曾不爲搜索、而竟無耳。不自意得知、在公共圖書書目中、顯然有之。
即欣然請附複照、兩部就成。而受渡之時、始覺嚢中本空。余駭然自失矣。
乃戲託思郎詞、代
先生述懷云。
悶著牀邊好夢稀
無情幾月總依依
今朝獲得一書信
知子窮途爲典衣
自注 某書即是東藻會彙纂(ry
弟ニ可拝草、萬死萬死、可逝耳矣。
季咸先生
上記の件、再度ご連絡します。あ、沈伊黙の執筆論・・・・(汗)・・・スレ違いよけ・・ ・・
季咸先生
>>492 お読みくださりありがとうございます。おおっ首句が・・・
>因みに私は「白芙蓉」が・・・・
>膩滑たるその・・・・
>金錯刀もて鐫鏤せば、ああ・・・・
ううっ、団●六か、松●慶子の豪華写真集か!!!!
>りんくワラケました、幼婦外孫、・・・ロリちゃいます(笑
東藻會彙一巻。本朝地名箋。作詩治印時雅便。
愚嘗聞之單刀直入齋先生。爾来覔之訖不獲矣。
大哥先生愍之自赴公共圖書複寫之以下、併錫 玉韻一首。
先生爲人敦厚周愼。恩誼之大亦如斯也。愚庶
先生不記其居所、祇署其圖書之地址與 先生網上名、
以所謂宅急便日時指定及郵費後付、寄諸江都神田神保古籍坊飯●書店。
此肆傭愚之友有年。名曰虎蟲齋。愚豫告之。爲受信人名虎蟲齋先生、
必可臻愚。又、
先生或有昵近之書肆、自此郵寄之、乃愚亦可以菲敬一顆、使其肆充
先生文房、以謝。何如。
大哥先生閣下鈞安伏乞
亮照不荘 弟季咸謹啓 十月三十一日
大哥先生
>>506 >妖怪って八怪もそうだけど、印人に多/ (虫損
いえいえ、印人は妖怪みたいに良いものではありませんよ。
単なる厄介ものです。狷介なのにお節介だし、そのうえ老獪なのです!
結界が破壊するのを警戒し、そのくせ宴会には限界まで付き合って後悔し、
誤解、曲解、破戒が好きで、愉快、痛快、奇奇怪怪だと思われたがる・・。
カイより始めてカイに終わる、千篇一律万古千秋、そんな輩ばかりでして・・。
だから魚屋さんの先輩を誘拐して本懐を遂げようなどと考えるのでしょうなぁ。
515事件
>>514 ウワ〜季咸さんのラップだ〜
YOYO!
季咸先生座下
弟二可拜復、伏想台候勝常。
先生昨日書、文辭明K、情味懇切、啓愚發蒙、格調高絶。使弟無頼之徒、
眼界初開、能登初地之天。風雅横溢。共結翰墨之縁。今、弟誤蒙
先生之高語、見勞弟之所爲、過深過密、亦不敢當矣。弟自意欲報
先生厚情、一心不轉、獻呈所得者、是當然而已。況是爲
先生机邊、文雅之備具乎。交往道理、來自至情也。所複冊子、實有兩種、
寄贈之主、恐非一人。亦少有損蟲害、雖然袖珍、殊是可愛。
複冩用紙、A4白色。此冊各超二百頁、依蝶開之状、紙數都合二百二十餘張。
假為甲乙、相較兩冊、稍有出入。印字濃薄、可以補之。甲冊首尾完結、
乙冊似有亂丁、由来原冊耳。而且、紙片放縱、尚未装丁、寛恕爲幸。愚思、請
先生忙中得小閑、自爲校讎、亦是清雅一興也。乃期下禮拜、第三或四、
即來月初五六日、將寄之于彼肆。
先生當日、本務如何、再示幸甚。 謹拜復不備。孟冬寒至、切冀
保重
十一月一日 弟二可頓首再拝
再者、所呈複冩、皆是第一冩、可耐重冩、宜充
先生親朋、竝好事文士之所求。
至于日常用詞、交往書式、弟最不能爲、果有失禮之處、一一賜教示幸甚也。
>>437 自己レス
>鉄斎翁の周辺にこんなお名前・・・
鉄斎翁の令息で古鏡の研究等に功績のあったという、
富岡謙三(謙藏)、字君ヒ、号桃華という方がありました。
>>516 魚屋さん、こんばんはあ。僕は貝を見習います。
『貝義淵』は『蕭澹碑』の書者、南朝梁の人
>>501 書道専欄、読みました。う〜ん、むずかしくてよくわからん。勉強してはるわあ。
僕は鑑賞もせず先に読もうとしちゃうかも(笑)。でも楷書・行書以外は解読なん
てほとんどできないよ〜
>>512 季咸先生示教
試作一韻到底古體、意在問飯先生齋号
征帆萬里東復東
當年好漢如乘風
誰言神仙不可接
化影出没蓬壺中
二可再拜呈稿
>517
>來月→今月です。すみません!署名する頃には日が変わっていました(汗)
あ、それと
>>509 余駭然 ここだけえらそうになってる、僕駭然自失にしてください。
旧字体に直すのにけっこう時間がかかったのですが、よい方法って
あります?見落としもあるし(笑) いつもIMEパッドの
手書きです。ミッキーちゃんがなかなか言う事聞いてくれませ
ん。ショボン
昨日、思わず映画館にシケ込んでしまいました。
カ●ドも●り上げられたので、割引にできなかったぞあああああ!
ほんと「無間道」・・・・・思わず泣いちゃった・・・・粤語ようやく
「一将功成万骨枯」の一句のみ聴き取れたくらいでした。
しかし、女優さんとても綺麗。ケリーチャンさん見たの2回目、
(前はあの“アオイ”って・・・やつ)お手紙に、あの
>>483「●●凝脂・・・」
書き付けて送ったろか・・・「ボ、ボ、ボク詩つくったんです、どぞ四でくだつぁい!」
ほんと「無間道」
で、なんと、梁朝偉の揮毫(笑)シーンを再び目の当たりにする
ことができるのです!・・・・単に書き付けるだけかも
僕、初めて書いた文言(笑)お手紙が、友人の代筆で香海のジャッキ/鎖氏宛で
した。(ていうか、現代漢語表現がさっぱりできなかった)
この友人、ジャッキ作業事務所での仕事欲しさにある筋を辿って突如渡航、
今はなき九竜街を、なにもわからずサングラスかけたままほっつき歩いてたと
いうおっそろしい奴。
一世一代の気持ちでつくりあげたあの尺牘、先方来日時の現場コンタクトまで
取ろうと図ったのですが、どうもイタイファンレターと見なされたみたい。
(奴コピーしてるみたい、今度見せてもらおう)
で、しばらくの間は、先方からクリスマスカード&年賀状が届いていましたとさ。
季咸先生
>>521ごめんなさい!
傭の字、ニンベン見落としてました。わはは、やっちゃた。
お友達がいらしゃるのですね、季咸先生を庸愚と誤った
罪、万死にあたいします。
とりあえず訂正「意在問友人先生斎号」
>>525 どとうの10連チャンになりました、すんまそn。
あれ、検索でhuchong当たったぞ、
季咸先生あれまんまでよいのでつか?
大哥先生
朶雲拝誦。ありがとうございます。私如き者にここまでのご温情、大感謝です!
またまた風邪をぶり返させてしまいました。昨日から寝込んでいます。頭イター
仕事も溜まって来ているというのにあかんなぁ。
>>526 私の友人がおります。あ、これにまで玉韻を賜り・・頂く一方でほんとに
すみません。
>季咸先生を庸愚と誤った罪、万死にあたいします。
いえいえ、私の書き方に問題がありました。
>>522 >旧字体に直すのにけっこう時間がかかったのですが、よい方法って
>あります?
これはどうでしょう?
【旧漢字変換ツール】はこちら
http://www.vector.co.jp/soft/win95/amuse/se205078.html ただし、Unicodeは不対応。一人称の「余、予」は容赦なく
「餘、豫」になっちゃいます。変換後の校正は不可欠です。
>>524 成龍さんのもとへ・・。いいですね!香港ならまだ文言を解する方は大勢
いらっしゃるでしょう。大陸のそれも若者はもう、サパーリです。
初めて大陸に渡ったとき、筆談OKっていうから文言でやったのですが、
通じませんでした。私の不文なるがゆえなのかも知れませんが・・。
しかし、台湾は大丈夫でしたよ。逆に面白がってくれて茶館で半日遊んで
くれました。最近はどうか判りませんが通俗文言でしたから、台湾。
お店のレシートの裏の抽選要項もそうだったと思います。面白いですね。
>>517 大哥先生閣下
初五六日、恐愚無暇。七日、少有務隙。欲當日即趨此肆、
拜領之。
先生之恩愛、不知所謝。愚企踵而待之。
吁千載之一遇、此之謂乎。
弟季咸 再拜敬叩 十一月朔
大哥先生
不知所謝、以爲和習。請恕請恕。
>再者、所呈複冩、皆是第一冩、可耐重冩、宜充
>先生親朋、竝好事文士之所求。
ここまでお気遣いいただいて・・。(´Д⊂
是非そのようにさせていただきます!
季咸先生 千萬以時自厚
十一月朔、拝欄悉意、弟聞
先生得風傷。臥床頃日。既入霜月。寒気愈烈。万事珍重、安静養生。複写両部、
期以明旦、或在翌日、将託宅急送便。勿責処事甚遅、幸々甚々。今、弟拝
先生語、何以、謂千載之一遇乎。因縁所結、實不思議。弟實先有事、当以、
来六日赴江都、於代々木要件。事罷本思、行行神田、重訪国博。序、坐
翌七日夜行便、就西下途。儻
先生、有少暇赴彼肆、使得窺其潜姿、弟之幸莫過於此矣。請、
先生、諒恕弟痴心。 伏念下情
弟二可悚息再拝
季咸先生
>>527 人偏抜いたら、「ひとでなし」ですよね!
昔、ゴクアクニンの先生が雑誌に、目と月の編をうっかり誤った某先生を(まんまやんけ!)
めつきがちがう云々、ボ●カスにけなしておられたのを読んだ記憶があります。
あと、別の方が木と手を間違えたのに、てちがいでなければき●がいだ!(これは印人の名前
の文字だったか・・・・)
ご友人そのまま三文字で書いてよろしいですね。例えばhuzhongの諧音かなって思っていました。
あちら沈静化しましたみたい?
ここもたいがいすごいことになってきました、簡潔簡潔!いつも
すみません。
>>528 これも昔、日本の大家の先生の漢詩文の注釈書(岩●)を“誤訳”としてボロクソ
に叩いた台湾の先生がいて、これがキワモノ(恐らくM裏氏)っぽくて、けっこう
面白かった。でも正鵠をつく部分は多かった・・・のかな。
そこに、台湾では学校で文言を習得するって説明したおられたような覚えがあり
ます。尊敬する先生を叩かれて、かなり感情的になった吟詠家もいらしたとか。
季咸先生奔走、この辺と事情似てるのでは?と案じておりました。
>>536 >(恐らくM裏氏)=すみませんキワモノって言葉を使われた・・・・という意味
ええとスレ違いよけって・・・・僕が買った恐らく一番古い拓本は孔宙碑です。
竹ダ(朱氏?)の印、『隷篇』の(躍-足)雲升の印、何正気かい?の朱跋がついてました。
でも字がめちゃ痩せてるんだよなあ。墨がかぶってるのかどうか、翻刻かもしれま
せんねえ。あ、そんな高くなかったです。印記もニセかな(笑)
大哥先生鈞鑒 敬覆者
光輝仰望、思慕時深。又、辱錫 佳什、感激無已。愚聞
先生近近以事赴江都、途過神田古籍坊。因縁所結、寔常如斯。
七日星期五正午、愚欲舎業企佇以待 先生於此肆、後與虎蟲齋君
喫佳茗談讌、須臾忘俗塵之些事。正是苦海之尋、拝謁之秋、今就其願也歟。
請教江都之旅程。儻 先生聴之、幸甚。又時可聞 先生之居所及雅號、
愚亟謹刻印石、以郵寄之。 先生何如。愚傷風甚氏A一日呻吟牀蓐。
乃修坡公所遺之行氣吐納、嚥津丹田之法、今纔小差。請安。
耑肅奉達 不盡依依 伏祈 垂鑒 敬請
教 安
弟季咸肅上 十月二日
大哥先生
>>534 >例えばhuzhongの諧音かなって思っていました。
huzhongが想起できませ〜ん。なんでしょ?
>>536 ありましたね、そんな本。吾妻タクシーが来る、とか三平食堂がどうとか、
かなり笑いました!あの先生、文言と現代中国語が同じって主張でしたか?
私は遊び人から学究まで数人の中国人に話を伺いましたが、皆、口を揃えて
「激しく違う!」と言っていましたね。「汝知之乎」を見てあひゃひゃひゃ
とワラタのは重点大学の美術の副教授の方でした。
>>536 友人の問題は単なる言いがかり、いちゃもんの類です。
一知半解の勇み足。朝●●鑑さえ見てないお粗末。あ〜朝●●鑑なんて
本の名前、出したくないなぁ。こんなもん、考証のネタにもなんないよ〜。
>>537 翟雲升の自用印ですか!印泥の色、マッカな美麗だったりして。
竹ダ(朱氏?)の印がちょとわかりません。お教えくださ〜い。
>>525 遅追加レスですー。
>季咸先生を庸愚と誤った罪、万死にあたいします。
いえ、間違いではありません。全くの庸愚なのです。もうじき判ります(笑)
加うるに無学です。しっかし、あの単(pi-)入の(pi-)爺、愚に謂いて曰く、
「無学ってぇのはな、ちったぁ学問のある奴が言う台詞なんだよなぁ」
だと!んじゃぁ、学問の無い奴はなんと言うんだYO!と申しますと、
応えて曰く、
「そんな奴ぁナ、何も言わなくっていいんだよ」だと。このく●●(pi-)が!
不肖、このとおり、やっと元気になりましたとさ(笑)
季咸先生
おはようございます。お元気になられたようで安心いたしました。
導引の法まで身につけておられるとは・・・!坡公ですか!!!
>>540 >マッカな美麗=
>>494曼壷の月●の意味と同じですか??
う〜ん、ありえる(笑)!まるで、権蹟朗詠(あれ?野蹟だった?)、
右軍千文のように・・・
そういえば、最近知り合いの子と会話中「ありえへん!」をやたら連発するので、
こりゃまた流行語かいなと思ったんですが・・・・
時間的に間に合えば、隠し倉庫に赴いてみます。看ていただこうかなあ。
>竹ダ (字が出なかった)
「竹陀」(出た)みたいな朱(まんまやんけ)文印があり、朱彝尊かなって思った
事でした。
>>539 >huzhong
秋草道人が師の坪内逍遥氏に贈られた額があると聞きました。
骨董ぽいし、先生が網上はばかられてご友人のお名前を、もうひとまわり隠され
たかなって思ったのでした。
いやあ、ただたんに無学なだけです(笑)、お手数をおかけしちゃって・・・
すみません・・・・でも辞書にトラムシがないんですう。
(あれ、大虫ってあった????) フコ関連ではないですよねえ。
当日、是非ともあわせてご由来をお聞きしたいです。
今日は叔父のお供で、初めて高野山を訪れる(筈)ことができそうです。
今から出ます。また夜にでも戻ってきます。
292KB…
重いぽ!
大哥先生
>>544 >導引の法まで身につけておられるとは・・・!坡公ですか!!!
実は私が嗜みにやっております呼吸法とあの坡公の法がよく似ておりまして。
適宜、応用させていただいておるのです。私の場合は背骨に息を通すのですが。
>
>>540 >マッカな美麗=
>>494曼壷の月●の意味と同じですか??
これは失礼な書き込みをしてしまいました。ご容赦を。
私の周りで「物の良い書画を手に入れたのだがねぇ、ツ印が美麗なのが(笑)」
というのがネタとして使われますもので。
>朱彝尊かなって思った事でした。
ああ、朱彝尊ね!知ってますとも!ええ。(朱彝尊の号、知らなかったなんていえないよぉ)
>>544 >huzhong
骨董品店「壺中居」の壺中ですか?
おお、そういえばあの「虎蟲」、激しく見当たりませんねぇ。
この由来は聞いておりませんでした。なんでしょ?ぐぐったら、
”虎蟲の斗”なんてのがありましたが、問いたい、問い詰めたい、小(ry
季咸先生 こんばんは
>>547 失礼でもなんでもないです!おもしろなあ、って思っていました。だからこそ
「権跡朗詠」。←故事ほんとのとこどうだたか調べよっと。
偽作の印泥って、いっぱんにはどんなん使ってるんでしょうか。
>>547 そうそう、そのあやしげな孔宙、「曽経滄海」の印もあるんです。
まさか、夢楼先生のわきゃないよな!って思ってました。やっぱ
日本に渡ってきてから捺されたのかなあ。
>>538 ほんとにありがとうございます!
雑誌[Zhuanke]は一そろいでお持ちですか?
思い出したのですが、12〜3年前、空前絶後(笑)の連載コーナー●謎に
一回だけ正解zheとして地址氏名載った事ありました。もちろん今は
浮浪者ですので、ところは異なりますがほかはまんまです!
>>548 ご友人の号の件、すみませんでした!ヘンに深よみすることもあれば、
あっさり流すこともあり、まったくイイカゲンです。
明日(今日)、またきます。
>>550 >12〜3年前
激しく引き算まちがえました、
7〜8〜9?年前(いったいいつやねん)と思います。
大哥先生
>>549 >失礼でもなんでもないです!
すみませ〜n!安心。
>>550 >「曽経滄海」
こりゃまた不思議なものが捺されていますね。
跋の部分でしょうか?なんでしょね。
>雑誌[Zhuanke]
実は最初の15くらいと臨増10くらい・・カナ(笑)
>空前絶後(笑)の連載コーナー●謎に
>一回だけ正解zheとして地址氏名載った事ありました。
すごいなぁ。あれ全然わからなかたーよ。
>7〜8〜9?年前(いったいいつやねん)と思います。
いまから神保町に行きますので東●堂で拝見しま〜す。
四苦生病死!打清代一書人
(もういいっちゅうねん!あ、例の如く単なるダジャレです)
私も●謎などひとつ。
「神不死」打清代考証学家
謎底:
あ、私●謎判らないから問題出さないでくださいね〜(笑)
今だ!セクースしながら555ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
>>549 >偽作の印泥って、いっぱんにはどんなん使ってるんでしょうか。
とにかく若い、なぜか判りませんが「美麗」なのですよ、これが。
仕立て直しの軸の巻いた裏側に印泥が写っているなんてのもあきませんね。
あ、表具の古いのは写っててもいいのですよ。
>>552 おそらく当時、一番簡単だった回に投書したのではないかと思われます。
当たったの一人じゃなかったとおもいますよ。
>>553 考えますので、待ってください!あのへん、とくに昧いんです。
>>552 >四苦生病死!打清代一書人
丹徒の快雨堂主人でよいのでしょうか?(笑)
あ、 季咸先生こんにちは
そうそう、無漏といえば・・・・初めて尋ねた高野山〜すごいですねえ。
李北海風のあれあれ、若書きのやつがでかでかと掲げてもあり、有名人の
お墓もあり杉!杉もでかい
渋滞で7時間半かかりましたよ、ついたらもう日がくれた、用件すませて真っ暗な
奥の院拝観、裏道使ったら帰りは3時間でした。
え、詩ですか?できるわけないです。詩心がない・・・しゃない
高野山前野辺火、大師廟下師走風
行過御墓又多過、真暗之中西復東
フザケ杉
いまから発送しまっす。書き漏らさんよにせな。めちゃ雨です。
一応ゲッター除け
このレスで300KBになるか?
残念!まだ、299KB・・・
しばらくごぶさたでした。ラップが思いつかなかったんで(ウソ)
ニ可さん
その孔宙碑とよく似た拓本、根岸の書道博物館で見ました(と思う)。
これがウサン臭い代物で、中国のどっかの夜店で、不折翁がみつけて、「これは
掘り出し物だ!」って言って買ったんだそうです(このエピソードだけは自信アリ)。
たしか孔宙碑だったと思うんですが・・・間違ってたらすみません。
>>559 いいなぁ。高野山行ってみたいです。
一度、那智勝浦から歩いて行こうとしたことがあるんですが時間がなくて行けま
せんでした。
季咸さん
やっと「月●」の意味が分かりました〜。
>>556 そうなんですかぁ。あの暗い感じの色がちょうどいいんでしょうかねぇ。
古色じゃちょっと、わざとらしいし・・・
でも、単に「美麗」って名前で決めてそうな気もします。
しまった!
大哥先生
>>559 到着日(多分5日)、オソラク休日らしいのです。私の手回しが遅かった!
(友人不在で着払いできないか・・まあ翌日配達になるなら没問題)
有難うございます。コピー代、直接お支払い致しますね。
>>558 東●堂、行けませんでした。あ、今日は神保町の古書まつり最終日でしたよ。
年に一回なのについこの前にあったような気がします。
>丹徒の快雨堂主人でよいのでしょうか?(笑)
正解!(笑)
>>559 高野山、空気が違うでしょうね。して、高野山行きの目的は・・観光ですか?
魚屋さん
>>563 >あの暗い感じの色がちょうどいいんでしょうかねぇ。
真に美麗かどうかは判りませんが、この色です。書画鑑定は印泥の色が
ポイントのひとつだと思います。
七日、魚屋さんも何如ですか?
これで最後!(チョトマトモナ●謎)
朱文「良馬嘶」打清代考証学家
謎底:
大哥先生
今しがた品物届いたと飯●より連絡ありました。
有難う御座いました!明日立ち寄りたいと思います。
季印仙人様
今は所用で里火女臣から北廻りで抜け、西に向かう所です、電話で指定日変えてもらいました。
また5日にカキコできるかと思います。クイズ雑誌は39ですた。
魚屋さん
こんにちは、レス、またします。魚屋さんこられます?
大哥先生
>>569 >電話で指定日変えてもらいました。
おお!ありがとうございました!何から何まで!!発払いして頂いたそうで・・。
あの並びに「上海朝市」って言う飲茶屋があります。そちらで不肖、私メが
ご馳走いたしますよん。
>>魚屋さん
魚屋さんの分もね〜!
>>569 >クイズ雑誌は39ですた。
ヽ(・∀・)ノは〜い!拝見しますー。
大哥先生
やはり、明日は休業だそうです。あさってに出かけます。
>>569 >里火女臣から北廻りで抜け、西に向かう所です
長里予でつなぁ。
おはようございます。
魚屋さん
>那智勝浦から歩いて行こうとした
それそれ、車中でずっとそれ話してました。昔は歩いて上った
んだよねえ!って。ま、たしかに、当日は歩いた方が早かった
かも。「停車坐愛楓林晩!」なんてうそぶいていましたわ。
>ウサン臭い
一昨日、倉庫から出してみました。わ、カビくさい!。手に入れた時は
それでも、防虫のいい香りがしてたかな。やっぱ、文字細い・・・
でも夜店で拓本なんてとてもたのしそう。
季咸先生
>高野山、空気が違うでしょうね。
いやあ、たしかに空気ちゃいますよ、居並ぶ車の排気ガス・・・!
漂う線香の煙煙煙!踵を接する人の群れ。ちゃうちゃう、
先日比●山にも登りましたが、すこし雰囲気はちがいますねえ。
有名人のお墓の数には圧倒されました。叔父、主家(笑)の墓所(芸藩)みつ
けるといきなり手を合わせて拝礼。神妙な顔してそれに倣う・・・しばらく歩く
「叔父さん、ここ、タクミノカミっつぁんのもありまつ」
「おおっ、そりゃ今まで知らんかった」・・・またもや神妙に拝礼。
しかし、あっというまに日が暮れ、真っ暗けで参道迷ってうろうろうろうろ。
たまに暗闇から若いカップルが現れる・・・コノヤロー、
いや煩悩煩悩。
季咸先生
>して、高野山行きの目的は・・観光ですか?
どうも、会社の創業者の菩提所と会社に在職中に亡くなった方の
供養塔を合わせて作るらしく、その完成法要の下見らしいです。
今回下見しなかったら、法要本番に4時間以上遅刻したと思われ。
>長里予でつなぁ。
(笑) 長かったです。蕎麦の仕入れに同行しました。
今晩またバスで登上、6号下午13点にインタビュ。後はフリーにしました。
7号12点に伺います。ありがとうございます。あまりお気遣いなく。
謎宿題、考え中です。
大哥先生
こんにちわ!
>謎宿題、考え中です。
へたくそな問題出してしまい・・ちょっと後悔。
上京、お気をつけて!
お会いしたいです〜。上海朝市行きたいです〜。
昔おばあちゃんがゆ〜っくり本を包んでくれた店ですよね。
ドゥカティの単車が入っていた店ですよね。
7号12点かぁ。行きたいなぁ。
でも、ちょっとムリそうです。すみません・・・。
今だ!セクースしながら580ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
大哥先生
先ほど品物受け取ってまいりました!いや〜ぁ、お手数だったことでしょう。
誠にありがとうございました!先生の字もカコイイです!
あ、そうか!もう東京ですね。朝方は降っておりましたがようやく晴れて参りました。
クイズ見ました。一問目はまだしも、二問目などよく正解なさいましたね!
私、全く判らんかったです。でわ明日、例のところで。
魚屋さん
>>539 暫くは朝市にいると思います。お時間があれば覘いてくださいな。
あ、二可さんは帰りは夜行ですので多分それまでは付き合っていただけると
思います。もし動けるようならばこのスレにご伝言ください。
(と言っても私は手機ありませんが、多分二可さんがお持ちと思われますので)
季咸先生
>「無学ってぇのはな、ちったぁ学問のある奴が言う台詞なんだよなぁ」
さっき立ち読みした雑誌のインタビューに斉白石翁を評してか、このようなせりふ
が載っているのを拝見しました。ゴ●アク●ン/(pi-
しかし、東京って本多いなあ・・・・いいなあ。
魚屋さん
ぜひお時間みてきてください。たしかに僕は最終夜行便です。
上海朝市っておそらく新しいお店のようですねえ。
ホンマおのぼりさんです。
季咸先生
>>581 無事到着いたしましたようで安心いたしました。
まだあまり内容をみていないのですが・・・
木挽町でお世話になった女主人、今はなくなった方が「純江」さんと
おっしゃったのですが、コピーを見て今になってはじめて「隅田川」
の意味をかねておられた事を知ることができました。道理でチャキ
チャキの江戸っ子・・・
後ろのほう、「張三李四」に「ジロべエタロベエ」みたいな訳があって
笑ってしまいました。
本日、代々木で用事済ませた後(実は面接)、いきなり駅前から電話して
彼の「詠帰舎」の見学の可否を問い合わせしましたところ、ご先方快くOK
との事でした。で、ノコノコ行ってまいりました。
院長先生御自らのご案内でなにやら恐縮してしまいましたが、ご丁寧に
淡々と作品についてもお話いただきました。
壁には詠翁のみならず、張師の肉筆も懸かっていました。
詠翁のは「絶大漠」って代表作(っておしゃったと思う)の横額が正面に据えられ
、張師のはその「經磧鹵、絶大漠」って語を含んでる(漢書?)小字など。
両師作品とも非常に濃墨であったのが印象的でした。でも、にじみがあるんよねえ、
おもろい。
帰り、ついでに中国語学校で使われてる教科書も見せていただきました、
で「中鋒書法に就いて」って小冊子も下さいましたよ!
院長先生は詠翁のご令孫に当たられるとの事で、たいへんご親切な
大人君子先生でした。またお伺いしたいです。
季咸さん、二可さん
いろいろお気遣いありがとうございます。
私、夜の仕事なんで(ミズじゃないですよ)、ちょっとムリです。
んー上海蟹、食べたかった(そんなことはおっしゃってないですね)。
たまたま昨日神保町へ行って、新世界菜館の前で上海蟹が入っていたと思しき
竹篭をみて、そんなことを思ってしまいました。
>>583 上京、お疲れ様です。
上海朝市、最近できた店です。私も行ったことありません。
美味しいのかなぁ。感想を聞かせてください。
季咸先生
今日はありがとうございました!
今は双葉SAです。
同心何必要多年
一刻猶知契合全
高邁文章懐印象
談来不覚欲登天
車上草々作、憶
季咸先生
魚屋さん
こんばんは、
上海朝市、美味しかったですよ、壁に蘭亭序の複製も
掲げてありました。ほんとに時間が立つのを忘れましたよ。
魚屋さんにお目にかかれなかったのが残念です。またお話して下さい。
大哥先生
>>587 は〜い!今帰ってまいりました(寝過ごしちゃって歩きました)。
今日はありがとうございました&おつかれさまでした!
とても楽しい一日、時間が来るまで書のお稽古。「此」の字の書き順は
マスターしました!あと、撥鐙法懸腕による小字の感覚も!
「外孫」以下が未だわかりません。宿題です。
佳什、賜り感謝です!これからもよろしくお願いします!お気をつけて!
魚屋さん
>>586 楽しい一日でした!いやぁ、二可さん、いい男でしたよ!
また時間が合えばそのときはご一緒に。
>>589 季咸先生
昨日はいろいろとありがとうございました。
まさに時の移るを忘れました。
欲しかったものも手に入れられ、感謝の限りです。
季咸先生
せっかく(笑)作ったので、あの分もカキコしときます。
季咸先生一粲 弟二可初稿
邂遘
坡谷稱狂米自癲 三公會在茗溪邊
談書論帖多諧謔 莫放蟾蜍脚下偏
贈 虎蟲齋先生
藍紅輝色在分岐 教道何違清品姿
雖復被稱蟲技小 飄然指似令無私
自述
青雲傲氣去又還 流光幾度過函關
中原今日改人事 何堪回顧阿房山
大哥先生
>>592 昨日はほんとにありがとうございました!!
撥鐙法懸腕の名指、小指による筆幹操作には大いなる可能性を感じました。
わがままなお願いですが・・。
沈尹黙の撥鐙法解説と示意図のコピーをお閑な折に頂けませんでしょうか?
彼の揮毫写真もお願いします。いつでも結構ですので・・。
さてさて、例の仕事(拓本)やっつけちゃいます!
季咸先生
>>593 >「沈尹黙の撥鐙法解説」
先日話題といたしました、
「中鋒書法に就いて」富永覚(宮島詠士)
「執筆法」秋山碧城(楷書九十二法附録)
「沈伊黙論書叢稿」馬国権編
各氏少しずつ見解が異なるところがあるのかもしれません・・・
コピーお送りいたします。先生、御考えをお聞かせください。
理解力がおっつかずあまりはっきりせず申し訳ないのですが、
富永氏は宮島氏直伝の中鋒書法、親指と薬指による微妙な作用をもって転筆させる、
秋山氏は撥鐙法をおそらく李後主の七字法説に基づき解説、薬指小指での送筆、を
それぞれ説かれています。(西川氏の訪問記に見える徐氏伝来?の秋山氏自身の執筆法と
は異なる?)
沈氏は執筆法(五字執筆法)と撥鐙法(撥鐙四字訣・転指法)とを分けて説明をしようとされ
ているように思えます。(李後主説は執筆と運筆がまざってる等)転指、転筆には不賛成、
張廉卿草稿の跋ではすこし疑問を呈されているような気も・・・
ぜひご教示ください。はよ送ります!
大哥先生
「中鋒書法に就いて」富永覚(宮島詠士)
拝見しました。いや、宮島詠士の親指の爪を伸ばしたそれを食指に拮抗させ
筆幹を支持するという、度肝を抜く方法は張氏伝来なのでしょうかねぇ。
あれは凄杉!起筆、転折部での提筆、捻筆もディープ。斯様な技術論の展開は
昨今の書道界ではとんと見られなくなりました。
私の執刀法はこれぞと思う型を墨守実践しております。今度お会いできる時にでも披露
いたしますね。私のこの執刀法は私自身<最強>と自負しており、周囲の者にも折々話を
するのですが、ん〜、今の方たちはこのような微妙な技術論にはご興味ないようで・・。
そして一方では「どうやればうまく刻せるの?」を連発しちゃうのですから全く困りものです。
>>596 「私の」が多杉!んもう・・失礼致しました!
>沈氏は執筆法(五字執筆法)と撥鐙法(撥鐙四字訣・転指法)とを分けて説明をしようとされ
>ているように思えます。
沈氏、昨日拝見した限りでは近人はこれらを混同している、となさってましたね。
めちゃ、面白いので今度仲間にもこの話振って見ましょう。
季咸先生
いままで日本の出版物と中国の出版物をいろいろ読んだ印象では、
どうも中国の習字本の方が執筆法に重きをおいているような気がします。
(ただ、そういう気がするだけですので・・・・あまり根拠自信はないです。)
佘雪曼氏にも、何冊も習字本があり、以前かなりの数を買い込んだので、
その辺を書かれた部分があるかなとも思うのですが、田舎に避難させたもの
に入っちゃったようで、今見られません。絵もついてたような気もする・・・
残念。
〓よけ
学生時代、クラブに入り最初に指導を受けたのが筆の持ち方でした。上級生がかなり
きっちり教えて下さいました。僕はそれが好きでなかったので、いう事をきかず練習
にも出ず、けっきょく上達はしませんでした。いまだに条幅かけませんもの。
額翁直系の側●らしいですが、あの斜めに当てる方法が最初抵抗があったんですよ、
線にがさがさ、潤いがない(ような気がした)し、秦も漢も唐も一緒の線(に見えた)で、
宋以降はやらないし、誰も知らないし・・・
ある日、王夢楼(多分孟法師の跋)を臨書したら、「今の中国にこんな書き方する人
いないぜ。(中国の書はこんな書き方しない)」って大先輩。
「ほんじゃこれを中筆や大筆で、千篇一律に斜めに45度とか60度で当てるんかい?」
とはいえませんでした。
でも、後にまた少しずつ顔だすようになってからは、後輩には「きちんと持ち方を固め
なさい、僕はできないんだ」って言ってましたね(笑)
すきな作家で、持ち方にはこだわらない旨(不自然にしゃっちこばったのは取らない様の
意味か)を本に書かれた方があったのですが、今、僕自身は、必ず最初に執筆法固めた方が
いいという風に思っています。
魚屋さん
>>563 おそレスになりましたが、上京して二氏に孔宙みていただきましたよ。
へへ、予想通りあやしげなものでした。不折翁の、今出陳されてるのかなあ。
あそこ醴泉銘も実は翻刻って言われてませんでした?
歎孔宙碑舊本
陋舗得珍誇有功
帶來漫記笈中雄
搨墨枯蒼似眞黒
鑑章美麗正鮮紅
あ、これもちろん不翁のことでつ(笑)
せめて美麗にうまく対する語(双声・畳韻語とか墨名)があれば
教えてください。
あ、似→疑でもだいじょぶだったみたい。その方が双関
になるかな、打油打油、自戒自戒
お二人とも話が一層濃くなってるっ。
お会いしたかったですが、話にぜんぜんついていけなかったかも・・・。
でも、また機会があれば誘ってください。そのときは何かオミヤゲでも。
季咸さん
>>596 季咸さんは印刀はどんなのをお使いですか?
私は、以前8ミリぐらいの薄いのを使っていたんですが、最近10ミリぐらい
で軸が正方形(斉白石タイプ?)のを勧められて使うようになりました。
中国ではそれがスタンダードらしく、最初はこんな重いの使いこなせるかな、
と思ってたんですが、意外に使いやすく、こればっかり使っています。
(といっても、そんなに刻っていませんが・・・)
二可さん
>>599 留学生から聞いた話だと、文革前に書道を始めた人はかなり持ち方にこだわり、
文革以後の人はいいかげんな人が多いそうです。ひどいのになると、机に肘つ
けて書く奴までいるそうな。
ただ、中鋒に重きを置くことは、わが国の比ではないそうです。
>>603 ちょうど去年の今頃、書道博物館で漢碑展なるものをやっていて、そこで見たん
ですよ。常設ではないと思います。
中国で売っている拓本はまさに玉石混交で笑えます。一番笑えるのが、観光地で
売っているやつ。「本物、本物」なんていっているくせに、すぐ裏でせっせとニ
セモノ作っていたり、思いっきり展示してある本物から取ってたり(これは田舎
に多い)します。
魚屋さん
こんばんは
文章にすると濃いけど、実際には単純に紙ナプキン
にコーヒーで書きまくってただけです。〜あ、やっぱヘン?
魚屋さん
お話について行けなかったのは私ですた(;´∀`)
二可さんとはメアド交換しましたので、またの機会にはお知らせしますね。
私の印刀は
刀身16.8cm 刃幅7mm 厚さ3mm 角度40°
工具鋼をステンレスで爆着させた薄刃の刀です。特注ですが似たような規格
のものは市販されています。これを#8000の仕上砥で仕上げ、最後に刃尖に
アールをつけハマグリ刃にします。
この刀で小印から二寸五分の大印まで斬り散らかしております。
印刀は大約20本ありますが他は殆ど使いません。
これがないともうだめぽ。です(笑)あ、一度、中国旅行で手荷物の中に
この刀を入れていまして、危うく没収されかかったことがありました!!
現地添乗員の果敢なる抗議で事無きを得ましたが・・。
もう、泣きそうになりました(笑)鄭小姐、魏小姐、激しくありがとん!
大哥先生
>>606 あ、お疲れ様でした!ってこれ手機からかなぁ?
こんばんは〜
今もお蕎麦やさんでつ(笑)
明朝、能登方面にちょいと…
秋山碧城氏著書もコピーしますた、本が分解しちゃったぁ〜
手機です。
>>609 >本が分解しちゃったぁ〜
あらあら。ごめんなさい。
当方、採拓がうまく行かずかなり苛ついております。
伯紙なのですが、んも〜う!脆いなぁ!
魚屋さん
>書道博物館
ずっと行きたいと思ってるんですが、まだ一度も・・・
12月までの展示いっぺんいけるかなあ。
10/7は午前中、上野の国立博物館にいってきました。
東洋館の中国書は、宋元明清の名品が出陳されていました。置き場所に
迷って雨傘持ち込んだ所が、警備員さんの対応がめちゃ横柄だった(笑)。
ごっめんなさーい。
あ、出ていた作品は、名品叢刊にも収載の米元章の三帖、趙子昂の臨独孤本蘭亭、
鮮于伯機尺牘、董玄宰羅漢讃等詩巻、等々でした。
魚屋さんあのへんの作家お好きですか?
「煌きのダイヤモンド」ヨーロッパの宝飾400年、特別展に見とれていて、
東洋館ゆっくり観る時間なくなっちゃった。
季咸先生
採拓うまくいきましたか?湿度とかの関係でしょうか?
向こうずっと雨でした、眠い〜
みなさん、おやすみなさい。
大哥先生
>>612 紙に悩まされています。湿度は良好なのですが。
(これでかんかん照りならば最悪)
東洋館、今週末にでも逝って見ます。
(逝ってみます、ってこのスレには不相応w)
季咸先生
いえいえ
子曰く、「逝者如斯夫 不舍晝夜」
頼氏曰く、「十有三春秋、 逝者已如水」
しかし東坡の曰く、
「逝者如斯、而未嘗往也」! え・・・いかないの???
ありゃりゃ、しかし、さらに曰く
「小舟從此逝 江海寄餘生」
秋艸道人は、しかし
「みとらしの あづさのゆみの つるはけて ひきてかへらぬ いにしへあわれ」
う〜
で、米の三帖のうち、一つはまるで「中秋帖」を彷彿させるよな
連綿のぶんです!
僕川上村ってとこの出です、したがい、孔夫子にならって、号
「可逝亭」「可逝亭長」「爾可氏」(ニ可逝)とかにしよかなあ。
大哥先生
>>615 はははhー!めっちゃうけました!坡公のあの文章で須臾って言葉覚えましたっけ。
「哀吾生之須臾、羨長江之無窮」応えて坡公、「自其不変者而観之、
則物与我皆無尽也。而又何羨乎」いいねぇ・・。
こんど、「逝ってよし」って言われたら「逝者如斯夫・・」ってやっちゃいましょか。
そのあとで「逝者如斯、而未嘗往也」逝ってよしと言われて逝った奴はいない、
って談笑主義、否、断章取義しちゃいましょ。
あ、「不舍晝夜」を「不舍畫夜」に作ったアフォがおったなぁ。しかも白文。
処置なし。「舍」は始夜切で「絵に描いた夜には泊まれない」
とでも読むんでしょうな。わけわ〜かめ。
[不舍畫夜]
おもしろいですね。
僕には「畫堂夜臥(枕)、不能舍。あるいは不能捨」みたいに
みえまする!また、白文であれば、
[何拘白晝]
ってことでしょうか??? ああ、色っぽい。
上のコテの記号化けました。
>>617 季咸先生一咲
詠意亂如絲
誤聞幾度信書声
得字可憐無奈情
入夜畫堂何不舎
應知白晝結交成
[何拘白晝]ええ、ええ。谷崎の陰翳美を想起しまする。
莫譴看華晝夜無
●●○○●●○(・∀・)ニヤニヤ
採拓やっと、見えて参りました。これが終わったら印稿60枚。はぁと
大哥先生
>>619 いらん事考えてたら輒ち佳句なる。斯くなるはこれ七歩才。
ああ、後が出ない。
おおっ、やられた。電車です。
「逝者如其斤夫」の「其斤夫」ってゆきおって読むのかなとか書こう
としてた所、先生登場。
し、しかし、よく詩が出てきますね、凄いです。
酒嚢飯袋いろいろ在れど・・。あ、私は飯袋だそうです。ゴクアクによれば。
で、いくらでも喰っちゃうから私は飯橐(十口ワ石木)と自称しておりまする。
底なしの袋ですなぁ。
飯袋?おもしろい、先生に飯袋あり、天に石炭袋あり、士に別腸、女にケーキ穴あり。
深院何拘尽漏壷
交杯不舎写歓娯
対床共賞金屏画
莫責看華昼夜無
適当につないじゃった。言遣が出ない〜ごめんなさい!
あ
>>619 は裏読みしてつかぁさい。またふざけ杉。
>>624 いいですねぇ・・。まるで長恨歌の玄宗気分。
「春風桃李花開日、秋雨梧桐叶落時」このフレーズ泣けます。
何時だったか、中国の女の子に印を刻して「印跋、何か書こうか?」って
言ったら「長恨歌ぜ〜んぶ書いて〜♥」なんて言われ、激しく(!)断りました。
あ、ハート♥は手機では化けるかなぁ。
うあ!葉が簡体字になってるー!コピペばればれ!
>>625 五時角柱!イイ!(答え書いちゃうとギャラリーさんに悪いからね、
っているのかな?ギャラリー)
季咸先生
♥・橐は手機では化けてました。
字解をつけてくださってたのでわかりました。
「天地之間 其猶橐龠乎 虛而不屈 動而愈出 多言數窮 不如守中」
の橐字はすこし違うのかなあ。
>>620 >印稿60枚。♥はぁと。
インコウ60ですか?いったい何????
>陰翳美
僕が今期待してるのは、杉●彩主演の「花と●」
来春公開でつ。週刊誌でよくタイアプ記事みまつ。
>>629 ・而不屈→コピペしたら化けちゃった。・・・・虚而不屈
ゴクアクニン爺にも屈しないでください。口が悪いやつ數々窮す
って書いてるし・・・
あ、老子は趙子昂のを臨書したかなあ・・・・
馬王堆のは書いたことないやあ。
季印仙人様
手機では激しく閲覧できません!
女優さん団作品、どなたが似合うかなあ。
季咸さん
>>607 詳細なご回答ありがとうございました。オーダーですか。カッコイイですね。
ハマグリ刃っていうのは、どういう効果があるんでしょうか?
なんとなく、線のキレが悪くなるんじゃないかというような気がするんですが・・・。
私は成田で、もっとマヌケなものを没収されそうになりました。
自転車のペダルレンチ・・・
他の工具は機内預かりだったんですが、一本だけ忘れてたんです。結局、これ一本だけ
別に預かってもらいました。
ビンラーディンめ!
>>620 印稿60枚!作るんですよね。スゲー!
「インコウをスイコウする」
「インコウを見てもらう」
「インコウの写真が載った本」
キャー!!
二可さんこんばんは
>>611 私も去年の漢碑展のときに久しぶりに行ったんです。
前のあやしい感じもよかったんですが、区営になって、ずいぶんきれいになりました。
宋代はあんまり詳しくないのですが、去年、上海博物館の国宝展に行ってから見るように
なりました。今更ながら、米元章、蘇軾に関心してます。
ちょっと言い訳がましいですが・・・実は国文出身なんですよ、私。
魚屋さん
こんにちは、国文出身でいらしたんですね!
わからないことあったら、魚屋さんに密かにお聞きしよう!
ちなみにぼくは、英文です。やめちゃったし「大草原の小さな家」と
「ムーミン」(英訳)しか読まなかったけど・・・
蘇、黄、米、面白みはありますよねえ。
「宋人は意を尚ぶ。」
で、検索してみたら、商、漢、元明清までゾロゾロ出てきた。
晋、唐、宋以外は知らなかった。
「商周尚象、秦漢尚勢、晋人尚韻、唐人重法、宋人尚意、元明取姿媚、清人論質」
「漢尚氣、晉尚韻、南北朝尚神、隋唐尚法、宋人尚意、元人尚態、明人尚趣、清人尚樸」
「商周尚象、秦漢尚勢、晋代尚韻、南北朝尚神、唐朝尚法、宋代尚意、元明尚態、清代尚質」
「晋尚韻、唐尚法、宋尚意,元明尚態」
「晉尚韻、唐尚法、宋尚意、明尚態、清尚質」
ひえっ〜いったい誰が最初書いたんだっけ?李後主???
わかんなくなっちゃった。上のヒットしたやつも、出典を明示してる人はいなかった
・・・・日本で書かれたものには確か記してあったよなあ。何かの書論でしたっけ。
「書家」って何ですか?
今だ!セクースしながら640ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
米の逸話で『海嶽名言』に、
蔡京不得筆、蔡卞得筆而乏逸韻、蔡襄勒字、沈遼排字。
黄庭堅描字、蘇軾畫字。
彼自身は「臣書刷字!」と臆面もなく言い放つやつもありますねえ。
だいたい中国語って、こんな言い方するのに合ってるよね。
王国維は『人間詞話』の中で
温飛卿之詞、句秀也、韋端己之詞、骨秀也、李重光之詞、神秀也
とか・・・・かこいいねえ。
で、僕らはなんていいましょう?
「晉尚韻、唐尚法、宋尚意、明尚態、清尚質」
「倭尚古」・・・おもんない
「倭尚和」・・・没
「倭尚賞」・・・やばやば
「倭尚範」じゃ、まんまやんけ。
みなさんよい対をお示しさい!
あ、「倭」があかんか?「四夷戎蛮狄」
>>640 やられた!
>>639さん
こんにちは、これは簡単なようで難しいご質問!
諸氏の降臨をお待ちしましょ。
魚屋さん
>>636 ハマグリ刃にするひとつの理由は刃毀れ防止なのですが、ほんとの理由は
「石の”さばけ”を良くする」ことでしょうね。線が出来る方を刻腹、
ギザギザになる方を刻背と称しますと、刻背が良くさばけないと刀が進んで
行き辛いのです。つまり喰いこんじゃう。このまま突き立てて進めていくと
刻背部が大角度に弾けてしまいます。少しずつザクザクと刻むようにやる浙派
の様式ならいいのですが、ケ派の流れるような息の長い線が表現しにくい。
この両方を満たすとなるとアールをつけて切っ先だけをハマグリ刃にする必要があります。
もうひとつ、研いだばかりの刀も矢張り喰いこみ過ぎてしまい動きに欠けます。
且つ、線性も”板”つまり薄べったく、ヌラッとしたものになりがちです。
私はここで不要な印材を以てガリガリやって刃を多少落としにかかります。
では最初から買いっぱなしのままのものを使えば適当にアールが付いていて、
しかも刃も落ちているんだからいいんじゃ?と思われるかもしれませんが、
アニハカランヤ先ず砥石で完全に直刃に研ぎ出して後でアールを付けないと
全く使い物になりません。これは面白い現象です。アールは刀尖部0.3mm以下。
これはつまり「刃付け」という事ですね。
刀面に光を当てて刀尖にずらして行き、最後にキラッと照り返す程度です。
それから刀の角度を考えて見ましても、最初から直刃45度の鈍刀を使うより直刃35度、
刀尖部45度の刀の方が抜群に切れて、しかも鈍刀硬入の気韻を醸し出せる、
とも言えますね。中国製の超合金や白銅製の印刀は最初から二段研ぎになってますが
砥石を受け付けません。しかも二段目の研ぎが強すぎて息の長い線を刻する時に
滑ってしまいます。
魚屋さん
>>636 私の事件もビソラディソのアフォのせいでした。
大哥先生
>>638 この、「氣」「韻」「神」「意」「趣」や「象」「態」って
具体的にどう違うんでしょうねぇ?これが中国文の面白いところでつ。
魚屋さんは国文、大哥先生は英文。さあさあ、身元を明かす時でつ!
ちょっと言い訳がましいですが・・・
・・・・・・実は高卒なんですよ、私。(;´∀`)
大学受験寸前に転向してしまい
「息子は4年間、大学に逝ったと思って自由に勉強やらせてくれい!」ってんで
親不孝しちゃいました。それからはもうあんた、やりたい放題!
>>643 うぅおっと!大哥先生登場!
「倭尚骸」これでいきまひょ。
>>639 >「書家」って何ですか?
ちょっとマジレス。
もともと書は文人の余技ですよね。そりゃ、宮廷書家もいましたがそれはさておき。
書も詩も画もみんなそう。んで、時代も清末になるとこれらを鬻いで生活する
香具師等が現れた。所謂職業文人。当然の事ながらオールマイティーにやった。
んで、またまた分業の時代、近代書家の登場ですね。でもむかしはみんな勉強していて
たいそう学があったのですが、今となっちゃもう、字書き屋さん同然の方も大勢いらっしゃる。
みーんな、変わっちゃったんですねー。んで、私は専らハンコヤさん。このままじゃ
いかんから勉強しまつ。おわり。
>>647 あはは!だいじょうぶですか?抹●粛●されませんか?
僕は「倭尚雅」でいきます!
うう
「倭尚靈」あの大俳優ぽいか?
「倭尚閑」ひまそう
「倭尚品」ありゃ、規格っぽい
「倭尚心」・・・・
「倭尚情」・・・・
「倭尚魂」やばやば
だんだんズレてきた。
〓阻止
>>648 あ、季咸先生のレス!
「書家」って、西川靖庵氏が自作の詩中に使われてるのありましたね。
もしかしたら何かの対にするのに、引っ張っただけかもしれませんが・・・
それについて一講釈されてたような気がします。
今度ちょいと読んでみよう。
>>651 連カキ すみません
図書館で西川氏著作集をひもといてみました。4巻は貸し出し中!おお、どなたか
勉強中?晋代墨跡の研究か!
題三十八歳自写真二首(己卯春)
鬢糸誰道早 意気尚烝烝 鏡影君看取 半生閑葛藤 其一
書家吾未敢 学者豈其倫 弔影猶偏咲 随波逐浪身 其二
題三十八歳自写真。安叔。双樹屋左个。
昭和己卯五月下浣。東魚先生。来遊北平。相共捜訪金石書画。奇賞疑析。日夕無間。
一日於吾斎壁上。閲及此幅。誤加嗟賞。即殷殷索之。乃挙以奉贈。詞蕪字劣。不足当
大雅一粲也。寧又識。 (著作集第9巻P270 『双樹屋回想』)
また著作集第6巻P180、『燕京通信』には、奥野凱南と言う方への4月6日付けの
手紙の中に二首同じ詩が書き付けられており、「題三十八歳自写真。」という題が付して
あります。続く手紙の結びには・・・「第一首の結句最俗なれど思直すはメンドウ。書家・学者
の二語、浅露甚だしけれどチエがなし。奚翁に見せ候処、敬服敬服とか二つ三つのオジキで
ほうむり去られ候。この二語だけは未だに直してみたい気がなきに非ず。ひとつチエをお貸
し被下まじくや。」
続き
別にどこかで、二首目(書家〜)を席上揮毫する彼の写真(後年?)と、思い出を語る
中国の大家の紹介文を読んだのですがすぐに思い出せません。
と、ここまで書き写しておきながら、西川氏が書家をどう考えておられたかなどとは、
実は僕考えも及ばないんです。彼の戦前のエッセーに、
「書法八手」(1、真の書家たらんとせば−・・・) 書家について
「驢車売字記」(「隣の家のジンタ味噌」云々・・・) 字売り空想のエピソード
というのを読んでもみましたが、う〜ん。
よ〜わからん。
なんかトリプ鍵化けるなあ。
で、あの詩です。自ら「浅露甚だし」などとはおっしゃてるものの、結局人に譲られ
たり、後年中国人の前で揮毫なさったり、面白く感じたことでした。“随波逐浪”、
“書家”の語は董香光由来だとは思うんですが・・・
え?次韻でつか?そんな大それた事・・・・・・ばちあたりな。
五言なんてめったにつくった事ないし、そもそも無理無理。
次韻して「書家」「現代書への思い」など表わせれば最高なんだけど、
才がともなわない・・・
・・・て言ってる先から(笑)
臨池何限境 東漸自烝烝 風雅有遺緒 更宜參野藤 其一
執筆思蒙將 披箋感蔡倫 如無古人苦 何敢樂吾身 其二
けきょーくすごく呑気なものになてしまいますた。次韻の為の次殷でつ。
>>638 この評の中で清は「質」とか「樸」とか、いかにもこいつら評語、
清の人間が書いたんじゃないかとおかしくなりました。
言い訳めいてるというか、妙な矜持というか・・・
なんせ前代の元明が「姿」「態」「媚」「趣」だもの。
>>645 季咸先生
>この、「氣」「韻」「神」「意」「趣」や「象」「態」って
>具体的にどう違うんでしょうねぇ?これが中国文の面白いところでつ。
どう違うんでしょうか?二字熟語にでもなおしてみますか(笑)
面白いご指摘です!ぼくは・・・さっぱりわかりません。
大哥先生
>>652 あ、この「奇賞疑析。日夕無間。」のフレーズ、趙悲庵の印跋に似たものが
ありますね。「日」が違うけれど有名なものです。調べます。
え〜っと、アタアタ。仲良し四人衆の審定印。
「績谿胡澍川沙沈樹辮m和魏錫曾會稽趙之謙同時審定印」
跋:余與荄甫以癸亥入都。沈均初先一年至。其年八月稼孫復自閩来。
四人者皆癖嗜金石。奇賞疑析晨夕無間。刻此以志一時之楽。
さすが「趙家の狗」なる印を治せんとなさった安叔先生、悲庵の印跋を
臨書するくらいですからね、でもな〜んか、ホットします。彼をしても
これですから。まぁ、わかった上でしょうが・・。
臨池何限境 東漸自烝烝 風雅有遺緒 更宜參野藤 其一
執筆思蒙將 披箋感蔡倫 如無古人苦 何敢樂吾身 其二
いいじゃないですか!私は特に其二が好きです。あ、安叔先生のお弟子の方に
今度お見せしようかなぁ。もし差し支えなければ・・。
大哥先生
>>656 >どう違うんでしょうか?
これですねぇ、なんだか人によって若干ニュアンスが違うみたい。
面白いから今度、何雪漁(だったかな)の文章引っ張って見ましょう。
清は「質」「樸」。ほほほ。我田引水、自画自賛。
樸学っていう言葉もありますね。しかし、ここまでシャーシャーと書けるとは
羨ましい。私なんか「倭尚骸」だもんなぁ。あ、これ、現代の、という意味でつ。
季咸先生
>>656 !!そうだったのか、ありがとうございます!こんなん引っ張って楽しむのが
文人の楽しみなんでしょうねえ。で相手もわかってくれるとさらにうれしい!
世に良く見る「挨」字には深い意味があるんかも。
>>657 さすがに碑龕先生は道風や行成/佐理にたとえられないので困りました。
次韻するなら原作者をまず持ち上げないとねえ・・・・これじゃあさってだもの。
おみせくださってぜんぜんかまいませんよ(笑)、すでに公開スレですので。
でも、上記のあたりを批正いただければいいなあ。
>>658 >「倭尚骸」
「倭尚骨更」、先生はこっちでは??
今は「倭尚派」でせうか???
〓阻止
季咸先生
>「倭尚骸」
禊帖に
>或因寄所託。放浪形骸之外。・・・先生応に何か思うところあるべし??
南華経に
>豈唯形骸有聾瞽哉。 ・・・・・・おお、大師をも等閑に付す!豪なるかな!
いや、違う、これ李北海を謂うか?
又
>子與我遊於形骸之外、而子索我於形骸之内、不亦過乎。
>脩行无有、而外其形骸
うう、先生かなり世に向かいご辛辣では??嗚呼骨骨更の人たるかな!
(笑)
>>661 >子与我遊〜
おわっ、よけいな事言い過ぎとの事ですね(汗)
最近皆さん辛口で・・・。
>>639 書家ってなんでしょうね。私もこのスレタイ見たときに、中国の近代書家の
ことだとばっかり思ってました。
日本では近代以前は「能書」なんていいました。書家っていうようになった
のはいつからでしょうね。「能書家」の能が取れちゃったのかな?
季咸さん
>>644 なるほど、分かりやすくいうと鉋の裏金みたいなもんでしょうか。
奥が深いですね〜。印刀についてそこまで考えたことありませんでした。
そこまで仕上げるのにも相当なテクニックが必要なんでしょうね。篆刻家って
大変だなぁ。
あ、やっぱりビンラディンのせいでしたか。
ペダルレンチでダメじゃ印刀は絶対むりですね。
ちなみにペダルレンチとは長さ20cmぐらい、厚さ5mmぐらいのスパナのこと
です。ハイジャックには印刀以上に役に立ちません。
>>646 よもや中文出身がだれもいなかったとは・・・。高校卒業されてすぐ師匠に
おつきになったんですか。
でも、なんとなくわかります。この世界、書道やっているっていうだけで、
疎まれちゃうんですよ。で、結局どっちつかずになっちゃうんですよね。
私は、書の方を切ったんですが、不思議な縁があってどうしても離れること
ができません。
ニ可さん
>>654 なんでトリップ変わっちゃうんでしょうね。
まさかニセモノ?いえいえ、そんな文章書ける人は他にはいません。
素朴な疑問なんですが、西川氏って自分を書家だと思ってたんでしょうか?
>>649 ならば国文の私が
倭尚湿 湿ってるような気がするんですが・・・
なるほど、言われてみれば「倭尚派」が一番のような気がします。
日本人の場合、古くから流派意識がつよかったようですね。
しかも、どういうわけか時代が下るとだんだんヘンになっていっちゃう。
冷泉家流なんてそりゃもう・・・。
?
今だ!セクースしながら666ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
魚屋さん
こんちは〜
いまからマトれぼ、観ます。キアヌて二十今●●先生と
同じ…妖しい美丈夫??わくわく
>「倭尚湿」!
さすが魚屋さん。じゃぼくも「倭尚潤」…潤子ってヒロインを登場させたいわぁ。
でわでわ。
大哥先生
>>667 潤子ってだれやねん!(笑)
拓本届けて参ります。
季咸先生
>>668 潤子って、むかし好きだった娘の母親/(ry
じゃあなくって、一昔前のエ●小説に出てきそうな名前でしょ。
拓本おつかれさまでした。ヘンな拓本じゃないよね。
〓阻止
魚屋さん
>>664 >西川氏って自分を書家だと思ってたんでしょうか?
これ、どうなんでしょ?どなたか書かれてるかなあ。雑誌の追悼号とか
読めばわかりますかねえ。僕の想像では、葛藤の後に(いや、最初っからか・・・)
自分は書家であると思われてたと思います。
ご自分を語る・・・なにか必ず一講釈あるじゃないですか。ジレンマですよね、
あれ。
なんでトリップかわっちゃったんだろ、????
魚屋さん
>冷泉家流なんてそりゃもう・・・
冷泉家ってあの歌の?書もそうなんですか?
近所に散歩いくと、樹木に「テイカカズラ」ってのが巻きついてますよ。
なんでテイカ??
しかし、歌の相伝なんて・・・かこいい!京●の旧家のコなんて、すこし
雰囲気違うもんなあ。これは野人といえども歌なかるべからず
傳へ來し 雅の道を辿るとて 行方蔽ひぬ 野邊の草かな
紅葉を 賞でし御園も 風たけて 早迫り來る 峰の雪雲
はは(汗)・・・魚屋さん・・・・
2ch風?に“逝く”をいれてみました・・・・
魚屋さん
>>663 『書道故事成語辞典』大修館書店、を本屋さん(笑)でひらいて見たのですが
“書家”っ言葉自体は随分昔からあるみたいではありますよね。
ただそれを職業書家としての意味に使うかどうかは、季咸さんが上で書かれた
ような経緯を経て・・・・
上の辞典、T氏の労作、僕欲しいなあ。補遺は『書論』誌上の連載でしたっけ。
沙孟海氏の御弟子さん?で知られたM氏の著書に、呉昌碩の潤例についての
小文があり、職業書家についての考察をたいへん面白く読みました。
(トリプまたヘンかも、ほんものです・笑)
大哥先生
>>661 いえいえ、そんな深〜い意味はありませんよ〜。
しかし我々は始めから形骸の外に漂っているものでしてね。
からだを形骸であるとするとこれは間違いなく、魂の夢の結晶でしてね。
そして大塊假我以刻石ならば與刀終生固無悔でいいのかなと思います。
書家か否か?西川先生は周りの認知に従って已む無く”書家”或いは”学者”
の語を受諾なさったのでしょうね。ご本人はきっと”文人”であると自認
なさっていたはずです。でも改めて思うに抑〃”文人”ってなんでしょ?
>>661 >嗚呼骨骨更の人たるかな!
牛乳飲んでがんがります!あ、この場合は鶏卵かな?(笑)
魚屋さん
>>663 >篆刻家って大変だなぁ。
篆刻家なんて所詮子供の遊びの延長だったりしますよ。
泥だんご作って真円にして磨きをかけたりして遊んだ、あの感覚ですよ。
ワクワクしながら印刀を研ぐ。大変ちゃあ大変ですが興味があるならワクワク
ですね。しか〜し、これが一旦義務になっちゃうともう地獄!あ〜めんどくせ〜!
になっちゃいます(笑)
「ねぇねぇ、印刀研いで〜」自分でやらんかヴォケ!って(笑)
確かに印刀の研ぎは難しいです。手首を決めてかからないとナマクラになります。
その方の印刀を見れば大体刻印の仕事の出来が判りますね。
下手な方に限って印刀もナマクラなのですよ、これが・・。
印刀に限らず、ちょっとした道具を見ただけで、もう手の内バレバレです。
>>663 >ペダルレンチ
どうしてそんなものを飛行機に・・。これでハイジャックできれば天才!
大哥先生
>>669 >拓本おつかれさまでした。ヘンな拓本じゃないよね。
ええ。甚だ変な拓本でつ!
でも種楡仙館主人の款拓ではありませんのでご安心を(笑)
大哥先生
トリップキーの前に空格ありません?#の前とか?キッチリ左詰めにしないと
変化するかも。
>>672 >これは野人といえども歌なかるべからず
うゎぁ。。反省〜。
連カキスマソ
魚屋さん
>>663 印刀を研ぐ砥石に凝っちゃったりする人、いますよ。そこまでやるんかい!って。
しかし、印刀より砥石が可愛くなるような主客顛倒しちゃった場合はもうこれ、
野狐下乗。こんなタイプの方に名人はおりません。
大哥先生
>>661 ご飯が喉に詰まっております(笑)
あ、そういえは酒の席で先輩がノタマワッタ字義が間違えていまして、帰宅後わざわざ
ゴルァ電入れたことがありましたねぇ。最近はいい子ですよ、ええ。
こんにちは
季咸先生
>>677 われらが魚屋氏、機場でゴ●ゴ13氏流と思われたのでは?
いつか中●本土あたりを舞台に、危機一髪のわれらがヒーロー
机辺にあった印刀でズバッ!(死語?)と敵の眉間を・・・・なわけないか・・・・
G氏も愛銃をカスタムにしたり手入れには入念な意を注いでいますよね。
名人とはそんなものか・・・
欧陽通の筆の逸話は有名でしたっけ?
ボクは・・・鳩○堂いったけど・・・・けっきょく300円の
七紫三羊にしちゃった。当たり外れはけっこうあるかも。
>>674 >大塊假我以刻石
やはり対は「陽春召我以煙景」でつか??これはどう解釈するんだろ・・・・
印人はやはり煙癖があるのか。
もうもうたる“煙景”はもとより“煙影”なんって、やぱりスパスパ・・・
癖は医する所なし????
“水泡煙影”なんて、儚なそうで、やぱーり水タバコのことか!
王氏の煙癖の件、未解決でしたっけ(笑)
(トリプ・・・わかりません□は入ってないです)
>>678 「楡」なんて、なんか素敵な文字ですよね・・・・
「星楡」・・・・
いやいや、「楡莢銭」ってカネや、
でも、李長吉の残糸曲なんて浪漫としていいじゃん・・・・
「楡莢相催不知數 沈郎青錢夾城路」
やつは鬼火なんやろ?
堀辰雄は「楡の家」、北杜夫は「楡家の人々」・・・・
読んだかどうかも覚えとらん
えっと、何が言いたいんだか、そうそう、ケ翁がウ●コー
こりゃ逝ってしまってるんでしゃないですが、種楡仙館主人の
マソホは「運がわるいよ」なあ、故郷では「マンがわるい」と
いいます。
しぐれのあめ いたくなふりそ こんだうの
はしらの まそほ かべ に ながれむ 八一
昔、●ョン●ョンでしたかアイドル歌手が全盛のころ
全身に黒いの塗って紙にベタ〜って拓本したこと
ありますよね。魚拓の間接拓ならぬ直接拓でしたね。
ミョーな想像したものです。
石碑や印款は直接拓だとエライことなりますねえ。
●ョン●ョンって、今なら誰に当たるんだろ。
間接拓時間かけてとってみたいと思いませんか(笑)
>野狐下乗
おお、すごい言葉!やぱーり硬骨の人やあ。ゴル●や
(ヤフーかと思った)
揮刀一閃!一乗で成仏させるとは宮本バガボン流か
あ、お使いなのは一本でしたっけ(汗)
100位のスレッドにカキコ!
季咸先生
>>674 西川氏を凌ぐ文人は今後出てくるのでしょうか?
後を継ぐ方はもちろんたくさんおいでとは思いますが・・・
文人墨客っていいますけど、書にかかわらない文人って
存在するのかな。文人の定義、おもしろそうですね。
西川博士留学の際、文部省に「文人主義云々・・・」と提出した
ところ、“西川のとんちきがまた・・・・しゃないなあ”みたいに、しっかり
“人文主義“と訂正されたのだとか言われていましたねえ。
〓よけ
西川氏の場合は、こういったら失礼かもしれないけど、書家からは学者、学者
からは書家と見られていたような気がします。
私、ちょうど西川氏が亡くなられたとき、ある高弟の先生に書品はどうなるん
ですかって聞いたら、アレは西川先生の雑誌だから廃刊にしますって言われま
した。
私の中ではそんな位置づけじゃなかったんで、なんかそれ違うんじゃないかな
と思いました。
ちなみに文人の定義ですが、「自分で言っちゃダメでしょ」ってのが私の主張
です。
ニ可さん
>>672 近代の冷泉家流の書って、なんだかおたまじゃくしがのたくっているような
感じです。画像探してみたんですが、残念ながらありませんでした。
テイカカズラって、謡曲が出典だそうです。慕っていた式子内親王の墓に
定家がテイカカズラになってまとわりついたって話だそうです。
>>673 その事典初めて聞きました。勉強不足かなぁ。今度神保町に行ったときにでも
見てみます。
水煙草の道具持ってますよ。でもどう使えばいいのか、さっぱりわかりません。
季咸さん
>>676 いやー私、絶対季咸さんに印刀は見せられないですね。どうも上手く研げなくって
結局新品買ってしまいます。どうしても、別の意味でハマグリ刀になっちゃうん
ですよ。
砥石に凝る・・・。絶句ですね。石フェチかな。書道関係って石フェチ多いです
もんね。
私、中国旅行は自転車なんですよ。自転車そのものは現地調達なんですが、
中国製工具はそれこそナマクラなんで、自分で持っていくんです。
で、他の工具は全部預けていたんだけど、ペダルレンチはかなりどうでもいい
工具だったので、入れ忘れちゃったんです。
魚屋さん
>>691 去年の国博の展覧は“書の巨人”でしたね。
展示会の名称も、決まるまでいろいろあったのでは???
>「自分で言っちゃダメでしょ」
あっはははははは!
じつは、このまえの面接、気鋭の若社長から「一生、これと打ち込みたいものは
お持ちですか?」とたずねられた時に(“書”じゃ一般的じゃないよなあ、別に師匠
もなし、展覧会もやってないし“書道”っていうほどきわめてもないし・・・・・・
お習字じゃどうもあかんよなあ・・・・)と一瞬考えたのですが、気取られぬよう、
いかにも用意できた態度で
「はい、昔からのいわゆる、文人としての生き様、生き方を自らの基調として
生涯貫いていきたい云々(なんでこんな恥ずかしいこと自分でいわなあかんの・・・
しかし、会社人ちゃうよなあて内心ヒヤヒヤしながら)」
いけシャーシャー言った手前もあってか、帰りの電車ん中、慣れぬ漢文、漢詩を
転職情報誌の端にかきつけながら揺られてましたとさ・・・え?
もちろんすぐに不採用通知が届きましたよ!
魚屋さん
>>692 >テイカカズラ・・・
なにやら淫靡ですねえ。
>冷泉家流の書・・・
あんな、古筆たくさん残ってるのに不思議。
この前は、西京は随分と由緒あるという老舗にうかがって、
こりゃまた数年ぶりに筆紙墨をもとめたのでしたが・・・・
「雁皮の半紙が欲しい・・・」とたずねたところ、女性店員さん
「何を書かれます?」
「はあ、漢字・・・」
「雁皮っていうのは、こんな色のついた料紙になってて仮名用ですよね」
「はあ、そうですか、何年も使ってないんで・・・」
すると横にいた別の女性店員さんが、助け舟を出してくれました、
「試し書きしていただいて結構ですよ、筆と墨お持ちしますので」
「え、いいんですか?ありがとうございます」
平たい箱に入れた筆数本と硯2枚をわざわざ目の前に出してくださいました。
ところが
続
すこし年配の男性店員がやってこられ、その箱を他へ持っていこうとされる、
「あ、少し先によろしいですか?」男性店員(上司?)
「あの、こちらの方がお試しで・・・」女性店員
「いや、あちらの方が表書きをなさるので」男性店員
「お客様、申し訳ございません」女性店員
「いえいえかまいませんよ」僕
みれば、なにか大きな買い物をなさった女性の方が
自ら表書きをなさっている。男性店員の方が前でかしこまり控える・・・
続2
自分でいっちゃ(笑)あかんけど、ちょ〜っと待ちました。
ようやく僕のところに回ってきたのですが、先ほどの女性店員さんの恐縮される
ことされること、もう気の毒なくらい。
で、僕がいざ試そうとすると、新しい筆(七紫三羊)までおろしてくださったのでした。
申し訳ないので、一緒にその筆も購入すると言ったのですが、聞き入れられず、
結局別の筆を購入しました。いつまでもいつまでもお詫びされるので心苦しかっ
たくらい。ご親切な対応でした。
ただ・・・雁皮の半紙ってやっぱり売ってるような気がする・・・・前使ったし、
硯や筆にしたって・・・二組載ってたなら、これ使えっ!て一組おいていくぐ
らいの余裕は・・・・なさそうなのは御気の毒でした。
京の雅とはやはり幽幻かつ深遠なものなのだなあ。野人にはどうも夢及ばぬ
ところであります。
あ、僕が着てたのは、阪●優勝セールの19●●円の上着、ずぼん
ダ●エー優勝セールの激安シャツですた!
えらそなこといってすみませんすみませんすみませんすみませんすみません
あ、これ本人じゃないです、トリプ違うはずです。
容量ってまだだいじょぶかしらん?
次スレって、もしあるならどんななりますん?
1さんいまもいらっしゃるの?
700
よけておやすみなさい
>>699 今、359KBだから・・・
あと150KBくらいかな?
おお、ブルカニロ博士か、ありがとうございます!
こんばんわ
>>629魚屋さん
>どうしても、別の意味でハマグリ刀になっちゃうんですよ。
ああ、たぶんそれは印刀を横に研がないからだとおもいますよ。
竪方向に研ぐと是が非でも丸くなってしまいます。
中国自転車旅行、いいですね!いい自転車だと盗難に遭いそう。
>>698大哥先生
雁皮の半紙、普通にありますよ。雁皮100%の薄手の書写半紙でしょ?
一〆6000円ぐらいですね。にじみが少なく私も好きでよく使います。
それ、あまりにも上品すぎる店だったのでは?
しかし、お話、面白かったです。
季咸先生
>>704 レスありがとうございます。
楮は繊維がすこし荒いというか、長いのかなあ?
みつまたか雁皮が目が細かいし、墨が滲まないよう加工してあるし、
僕、小楷(それも短かいの)しか書けないので・・・・
小楷は趙子昂の漢汲黯伝が好きです。
大哥先生
>>705 趙子昂の漢汲黯伝の影印本、何をお使いですか?私も保水。
大哥先生
>>705 >墨が滲まないよう加工してあるし、
蝋箋、お好きでしょー。乾隆箋欲しい!あ、書き損じてもすぐに濡れ布巾
で拭けばOKでつ。
季咸先生
>>706 漢汲黯伝、この前のエリオットコレクションの展示の時も
出てました。
↓これも別の時の
ttp://www.miho.or.jp/booth/html/imgbig/00005289.htm 僕は、「マール社」の
『書聖名品選集15 趙子昂 漢汲黯伝・天冠山詩・蘭亭帖跋』 1009円(980円)
が、手ごろで、解説も比較的詳しい(読み下し・解説あり)ので、便利ではないかと
思います。漢文の勉強にもなります。字はすこしみえにくいかな。
「中央公論社」
『書道芸術 第七巻 張即之 趙孟兆頁』は中に部分拡大の個所もあり、筆道が
よくわかります。ただ、文徴明の補写部分は省いてあったかもしれません。
昔の出版本や、中国から出てるものとかもいくつか見ましたが、印刷の良いのに
当たったことがないですねえ。中公のがいちばんよかったかなあ。
ご存知でしたらお教えください。以前中国の書法雑誌(書法??)にカラー版が
載りましたが、なんか紙に茶色つけただけみたいで笑ってしまった。
僕はもともとは、工房の時に、伏見冲敬氏の「二玄社」『書の歴史 中国篇』
に載ってた挿入図数行をみて、一生懸命真似したことでした。
併載のは両種とも拓本の影印です。天冠山詩には、もともと2種あり、清雅堂で
出ているほうが真筆ではないかしらん?十三跋は肉筆影印本も出てますね・・・
ただ、この「マール社」のは、すべて読み下しがついていますしコンパクト
なのがいいですね!
707
>>蝋箋お好きでしょー。
好きです好きです!
昔、百貨店で見た、佘雪曼氏の聯や、中●書店で見たケ完白の幅に蝋箋があり、
華やかでいいなあって、思いました。またにじみでごまかすこともできないで
すしね!青山氏の『明清書道図説』だったかなあ、王夢楼の聯で乾隆の蝋箋
かなにかに書いてある分が出ていませんでした?
解説は例のごとく王を誉めた調子でないので、僕は気にいりませんでしたが・・・(笑)
〓よけです
紙といえば思い出す
学生時代・・・
夏休み訪れた伊豆で、一度だけ会った子・・・
車に忘れていったテープが“浜田省吾”でした。
一人運転しながら聞いたその曲の中に「MONEY」ってのがありました。
最後の方に、「・・・純白のメルセデス、プール付きのマンション、最高の女
とベッドでドン・ペリニョン。欲しいものはすべてブラウン管の中、
まるで悪夢のように・・・・」
その後、僕は都落ちします。文事を語る相手もおらず・・・金もなく・・・
しかしながら京洛の風光はどこまでも美しく
「便縦有千種風情 更與何人説」柳永(テレサ・テン歌)
あれ、紙の話ちゃうかったけ???
続く
すみません・・・しょーもない話で、そういえば、スレの最初の方で
文房スレのお知らせあったよなあ。
で、ある日会社の飲み会で苦手なカラオケにいくことになり、
同僚と歌わされたのが、あの「MONEY」
みんな「カネ〜」なんていってました。
声出んし、歌のように歌えなのはもうしゃないんでマイク持って
口パクしました・・・・最後のところまできた、そこで何を思ったか僕は
いきなり
「純白の古綿連、乾隆墨、古端渓、醴泉の宋拓に、蘭亭の定武本。
欲しいモノはすべて博物館の中〜!」
とやってしまったのです。
え、もちろん誰もわかるものなく・・・・シ〜ン・・・・も一発・・・シーン
「ああ〜今宵酒醒何處・・・・」白白白、カクヤシテキナシ
さてさて、もし季咸先生であれば、“純白の古芙蓉”でしょうか???
魚屋さんはどんな紙お使いなんでしょう?
大哥先生
>>708 ありがとうございます!是非求めます。
>>709 ある時、先輩が長尾雨山旧蔵書の書画を義理で買ったのですが、ある業者
の方がその軸箱(黒檀製)に張ってあるラベルにしきりと感心しておったのだ
そうです。そのラベル、乾隆梅花玉版箋。あ、どなただったか幼いときにこれを
千代紙にして遊んでいたとか・・。時代ですねぇ。
いま玉版箋と称して売っている紙とは雲泥の差。こんなものを使うよりもっと
いい方法は、紙(普通の紙でいいです)の表面を何かすべりの良いもの(石や鯨の骨)
でピカピカに磨くとよい玉版箋になりますよ。長崎の蘭学者が洋紙の代わりに
和紙を子安貝で磨いて使っていたとか(司馬遼太郎の『胡蝶の夢』にありました)。
大哥先生
>>711-712 激笑!!そ、それは引きまくりでしたでしょう!(再笑)
私はカラオケ大好きでして、浜省も好きですのでMONEYは地で歌うのですが
それでも引かれちゃう。だいたいあの歌はタブーですよね。さらに乾隆墨だの
古端渓だのやっちゃうともう、あんた・・(笑)
あまつさえメロディーに合ってないし・・!
♪この街のメインストリートわずか数百メートル〜
寂れた美術館と筆屋が一二軒ン〜書塾を出たやつらは〜次の朝〜硯を〜
抱えて出て行く〜!
おお!
♪純白の古綿連、乾隆墨、古端渓〜、醴泉の宋拓に、蘭亭の定武本〜
メロディーに合ってた!こりゃいい!
CyfQRVmtUDA
Ztmu7TxgJuA
3Cd5x8IWKoc
UMxZUla4v.6
何かきましたね〜
こいつ、ほかのスレでも見るけど、一体何がしたいんだろう?
kzp5ChSGRaE
C8lNPNUYMRQ
UIX6CEo8Tks
おお、魚屋さん、お会いしたいわあ!
そろそろ僕書き散らしたやつ控えとかないと(笑)、落ちちゃうのかな
自分で作ったのってけっこう忘れます(笑)
季咸さん
>>703 そうだったんですかぁ。たしかに縦に砥いでました。ナサケナイ・・・
こんどやってみます。
自転車で旅行すると、地形とか気候とかすごく実感できていいです。
私も盗難が怖くって、現地調達しているんですが、いつも宿の中に入れて
もらっているんで、盗まれたことはありません。
ただ、最近知ったのですが、ナンバープレートをとらないと、有無を言わ
さずタイーホできるそうです。知らないで走ってた・・・コワー。
もしよろしければ、中国自転車旅行で雅虎(ry
そういえば、吉●松石氏亡くなりましたね。
二可さん
>>695 そのお店って寺町通りですか。貧乏な家とかいうわりに高いものばっかり
売っている・・・。
東京の方は、なにか粗相されたら、家に帰ってから電話すると、面白いこ
とになります。イメージ大切にするお店って大変ですねぇ。
>>712 とてもはずかしいんですが、私がよく使う紙は、
二番唐紙、毛辺(これ、もしかして同じもの?)
が一番多いですね。貧乏なので・・・あの匂いがたまらない。
たまに四尺単箋もつかいますが、あのにじみがどうしてもうまく使えません。
玉版箋って、使ったことないんですが、もう少しにじまないんでしょうか?
蝋箋なんて、こわくてとてもとても・・・。
>>721 おう!魚屋さん!今度の22日って空いてます?
あ、みなさんこんにちは。
すみません。●●学会なんで、だめです〜。
どうしても出なくちゃいけなくなってしまって。
季咸先生
>長尾雨山、この前ヤフオクで出てて欲しかったんですが、
あきらめますた。といっても安かったですよ。
今の僕には手が出ん(笑)・・・(泣)
「貧士耐寒 何怕衣単」、だったけな、彼の有名なセリフ。
やば、面接に着てくコートねえぞ。
>>730 二可さん。
東京で面接ですか?
実は私も22日●●学会とは名ばかりで、面接です。
あ、かぶっっちゃった。こんにちはあ。
魚屋さん
>>727 毛辺って、学生んときクラブの練習で使いました。
今はなき?(ないよね?ある?)ア●●ヤの営業の方がこられてたなあ。
あれって、竹紙で、繊維柔らかくするのに、当地では月+巴+水+留とか、
厂+則+戸+斤にどっぷり・・・漬かってる、いえ浸かってるんじゃなかった
でしたっけ?
都市伝説なのかな?
(金城武の「不夜城」のワンシーンというよりはスチールカットの背景の壁に、
ア●●ヤのお店の看板がみえてたなあ、懐かしかった)
魚屋さん
>>731 そうです六●木。散髪(この語はOK?)もいきました。
へへ「乱頭粗服」で乗り込んでみたいわあ!ブンジンどころか、ヘンジン
だろうなあ。
あ、ちなみにこのまえまだ「乱頭粗服」に近かったころ、担当者に即日ハネられました。
そのため、Fわんではハンダのほうを応援することにしています。
魚屋さんの面接たいへんですか?
ア●●ヤ、バブルの崩壊とともに倒産したんですが、その後債権者が店
をやってます。「共和」になったんだったかな。
色とニオイがあれだから、ありそうな話ですが、多分都市伝説でしょうね。
澄泥硯も実は人造硯で、ンコ混ぜてるっていう話もありましたね。
>澄泥硯
その伝説はじめて知りました。色がなんとなくそうかなあ。
>>727 そうです、あの黒っぽい老舗です。「乱頭粗服」ではあきませんなあ。
せめてバ●ダンナ、ワカランナ(byゴクアク翁)風でないと・・・
しっかし、最初っからないと否定されるとは思わんかった。よほど
ものを知らん輩にみえたんやろか(笑)
でも、お一人の女性が非常に丁寧だったので・・・
っていっても・・・優1:可2(二可ちゃうよ)
>733
散髪、NGです。通じるけど関東ではあまり使いません。床屋ですね。
カッター(シャツ)、衛生ボーロ、フレッシュ、モータープールも使いません。
私の面接、内容はちょっと言えませんが、得るものが少ないのにかなり面倒
です。正直、憂鬱。でも、がんばりましょう!!
>735
あの店、イメージをかなり大切にしてますので、後から電話してゴルアすると
おもしろいことに・・・(東京の場合)
大阪ア●●ヤ(なくなってたとは知らなかった)で
『集古求真』の印刷版買って、えっちらこっちらもてかえった思い出あるなあ〜
あのお店もいつもおば●ん達でにぎわってたのに・・・
>>736 >散髪
ありがとうございます。わかりました。「あんたの頭スズメの巣みとうなで!」
ってしかられた記憶はあるんですが(これ標準語?)・・・ハ●ではないようで・・・
頑張ります。頑張りましょう!
ゴルア電話・・・やってみようかなあ(笑)
スズメの巣は聞きませんね。小さすぎのような。鳥の巣とはいいます。
ゴルア電話すると、一年ぐらい定期的に御用聞きに来るようになるので、やめ
た方がいいかも・・・。
これからちょっと出かけてきま〜す。
〓よけ
おお!出遅れた!!
魚屋さん
>>727 >そういえば、吉●松石氏亡くなりましたね。
いやぁ、驚きました!ご遺族の方、密葬ののち新聞に報告なさったようです。
そういえば今年の●展に作品無かったもんなぁ・・。しかし、ご長寿大往生!
あ、ここだけの話、むか〜しですが、あの先生のお弟子の方に弟子入りを薦められた
ことがあったのです。丁重にご辞退申し上げましたが・・。
ひとつの時代が終わりました。
大哥先生
>>732 毛辺、ほんとでつか?あれ・・・な・め・た・よ。
魚屋さんの仰るように都市伝説でありますように。
あの紙は実は好きです。滲まないから。しかし・・。
昔の粉連は良かったなぁ。ありゃ、良い紙でしたよ。白連よりも・・。
>>730 >長尾雨山、この前ヤフオクで出てて・・
ありましたね!いつの間にか最終落札日過ぎてた・・。
「貧士耐寒 何怕衣単」
大丈夫でつ!これぞ吾等の生きる道。富貴不能移、貧賤不能淫、威武(ry
LR/bmHo5Vd6
○石氏って二●社の講座のテンコクで腕組(懐手?)んで眼鏡かけた方ですか?長寿そうなお名前!
石のつく方って、師匠も石の方が多いのに…
僕の先輩で●石、飲み会でイン石だの胆石だの散々いわれてる人いたなぁ。
季咸さん
>>741 そういえば吉●氏って九州の方でしたっけ。
篆刻にかぎらず、一時代を築いた人がどんどん亡くなっていきますね。
世代交代だからしょうがないんでしょうけど、新世代が(ry
>>742 毛辺なめたことあります。
大丈夫ですよ!!ンコに竹突っ込んでるところなんか見たことないですもん。
でも、あのニオイがなぁ。
粉連って万能ですよね。仮名も書けるし、印もきれいに捺せるし。
やっぱりアモイ製になってから悪くなったんでしょうか?
私、長尾雨山の名刺持ってたはずなんだけど、どっかいっちゃった。何かの
本に挟まっているはず。
二可さん
>>745 あとから見たら、鳩●●ゴルアの話二回書いてました。すみません。
澄泥硯のンコの話は蘇易簡の『文房四譜』にあるそうです。
それによると、黄河の泥に「黄丹団」なるものを入れて練ったものを焼いたり
蒸したりして澄泥硯を作るんだとか。
で、『文房四譜』には肝心の「黄丹団」が何かは書いてないので、ンコなんで
はないかと言われているようです。たしかに字面がンコっぽい・・・。
魚屋さん
>蘇易簡の『文房四譜』
こんど読んでみたいです。本あるかな。
だいたい澄泥なんて妙な名前ですよね。
>粉連
思い出しました。今はもうないのですか?
長尾雨山の名刺珍品。みたい!
>大丈夫ですよ!!
季咸先生、僕けっこう期待したんですが・・・(笑)
だいじょうぶそうですね。歌までつくったのに
「薬味とや にがみにゆがみかみ嘗めし 欝金の色ぞめでたかりける」
大哥先生
>>745 腕組み眼鏡、目の辺りが修正入りの○石氏の師匠、正真正銘の魚屋さんですた。
>僕の先輩で●石、飲み会でイン石だの胆石だの散々いわれてる人いたなぁ。
どなたか失念しましたが胆嚢結石に刻印を目論んだ印人がおりました。
材質がぼろぼろしていて刻せなかった。実は私も試みました(勿論自家製)。
駄目でした。
KRSScl36mSQ
魚屋さん
>>746 >世代交代だからしょうがないんでしょうけど、新世代が(ry
新世代が頼りなさ杉!敢えて(ry取り消し!
>大丈夫ですよ!!ンコに竹突っ込んでるところなんか見たことないですもん。
ああ、チョト安心。でも製紙法って極秘なんでしょ?あの『紅いコウリャン』のように
シコ混ぜて「好酒好酒〜」なんてやってるの見ると・・。ンコぐらい・・。
あ、毛辺に箭鏃はつきものです・・その心は?
(大哥先生出番ですよ〜w)
>やっぱりアモイ製になってから悪くなったんでしょうか?
私もそう思います。途端に駄目になっちゃいました。
白鷺牌が泣いてます。
長尾雨山の名刺、見たいなぁ!特に商印時代のものを。
e0lFkLIeLX.
澄泥硯の黄丹団の話、今度マニアに聞いてみましょう。
>>748 旧粉連はもうどこにも見当たりません。あ、今度サンプルお持ちします。
>薬味とや
毛辺、確かにニガ。
季咸先生
>>754 粉連あのころはいっぱいあったのに・・・・あれが一番唐紙でしたよね。
借詠物七言體、爲
沈魚子先生魚屋仁兄大人重臨 并供同好諸子一咲
假題曰洒裸師 否否 再曰“SARASHI”
當時漂母笑慇懃
教此丈夫雄六軍
磧曠未収枯骨散
世平擬掲鼻褌燻
胡街技妙旋飛碟
洛舗簾高碾白粉
庖氏奥藏人見否
一刀俠氣重千斤
>>751 あ、レスしなきゃ。その心たるや
「鑑章美麗愈深紅!」
季咸先生
>>749 >胆嚢結石
どっかで読んだのおもいだしました!(笑)
先生いたかったでしょう。
>>756 あ、二句目が物から離れてるわ、あ、あかん
でも時間がない、面●いきま〜
ゲタよけ
U2VFG4RkbqY
2wSYjB5co7c
0cENF7km8Iw
kiPfZ1h3W7k
fkZ1rqlaGSc
VEhcP6tJHN6
ZmBi38J65tQ
ClXh6JRQDTU
yLPgI9.EV7A
yhiNIBC9JwA
何じゃこりゃ?
だいぶいっちゃったね。
>>756 あかんかったところ、とりあえず縁語入れておきます。
“暴軍”の語あるも、うまく使えなかった。また
とくに後聯は打油も打油です。さすがに律ともなると、
一貫したものにならず、力量不足を痛感しますなあ。
當時漂母教慇懃 包恥丈夫雄六軍
磧曠未収枯骨散 世平擬掲鼻褌燻
胡街技妙旋飛碟 洛舗簾高碾白粉
庖氏奥藏人見否 一刀俠氣重千斤
文字化けるかも・・・
>>743 “大丈夫!”
ということでつか?天地に正気あり
浩然の気満つとのことでつね。
774(名無し)ゲット!
なんか、だんだん悪電波が増えてきました。
このままじゃ、いつスレが埋め立てられるか分からんので、捨てメアド取得しました。
篆刻家でいきます。
呉昌碩の弟子、京都の人、河◎○○、美少年拉致の◎◎●●。
○○●●@hotmail.com
折り返し送ります。よろしくお願いします。
二可さん、ばっちりです!!
季印13号から魚屋さんへ発信完了!
魚屋さん
一応、証明のため、私のトリップキーをお知らせします。
季咸さん、ばっちりです!!
トリップキーまでありがとうございます。確認しました。
後ほど、メール送ります。
げたよけ
変なスレッド?
いやあ、六●木ヒ●ズすごかったす。
足すくみました。上まで上って面●して。せれぶれいてっどすごいわあ。
でも野父たるもの、少し早く着いたので、こけずに有名な竹○ぶって
有名な御蕎麦屋さんにもいってきました・・・・
しっかし、道の説明受けてもなお間違えちゃった。
迷〜子たちの六●木ですわ。昔バイトした放送局が小さくみえた。
六樹巷
遠到江街巷
山召嶢六樹臺
繁華凝粹美
結構劃從來
眼下青煙點
席中星樂催
野人何過分
煩悶又徘徊
季印先生鬼斧
東叡山遇過馬杉新作行蹟
感慨爲詠
自古心高壯士中
安仁懷徳最推公
維新大業回天運
寧在三千界裏終
大哥先生
>>783 ◆◆◆!!多謝!!◆◆◆
いまから出ます。
みなさま、本日は誠に有難う御座いました。清談不終。楽在其中。
ごゆっくりおやすみください・・。
東叡山下旗亭會友讌飲。參者四子。
季咸先生、沈魚子先生、有魚子葛的確先生、二可先生。踏前韻。
交歡猶不必多年
參集如期又萬全
文雅清流新四友
風神韻度欲衝天
ありがとうございました。いやあ、昨夜は感動しました。席上のやつ
改稿しましたのでみなさま、ご批正をお願いいたします。
>>785 昨宵好会収後、
季咸先生見示玉詠。今車中無耳卯、乃以拙句継之。
清談不終
楽在其中
翰墨良友
心揚気同
大哥先生
>>787 無耳卯は無聊でしたか!
何故、文雅清流新四友なのか・・。それは秘密です。
お気をつけて!
季咸先生
こんばんは、今は八岳〜不岳の間、しかるに無山の国とはなんじゃらぽい。
のあたりです。窓外の流光、留住むを得ず!
あ、ちゃうちゃう、今日は中央列なんで窓なんざ見えないんだった。
無耳卯なんで、うどんすきなんぞ欲しい気分ですわ。あこりゃ関西ネタか。
根岸の書道博物館、展覧おもしろかった!
西川博士に八岳登はんの漢文の紀行文もありましたね!
あれ、実はみんな来てたんだ!
二可さん、おつかれさまです。
どうも、おとついはありがとうございました。
そして、おやすみなさい。
おお!魚屋さん〜!
楽しいひと時を有難う御座いました〜!今後ともご贔屓に〜!
大哥先生
お気をつけて〜!
魚屋さ〜ん
こんばんは。
改めて御礼を申し上げます!で、おやすみなさい!
手機、電池切れてきちゃった。
季印先生
おやすみなさ〜い!
季印仙人さま
>>751 >>757では不中だったのでつね。
滅法海先生(っだったっけ?、
二ホハムの前スレでどなたかが紹介してた狂詩)の2首目
欲低臨雪隠 雪隠中有人 咳払尚未出 幾度振吾身と
一夕飲燗冷 忽為腹張客 不聞透屁音 但見○●色
ぐぐっても出てこないので・・・うろ覚えでごめんなさい。
明治書院の新釈漢文大系のどこかで昔拾い読みした記憶が・・・
また、老将軍の晩年(コピペ)
廉頗居梁久之、魏不能信用。趙以數困於秦兵、趙王思復得廉頗、
廉頗亦思復用於趙。趙王使使者視廉頗尚可用否。廉頗之仇郭開
多與使者金、令毀之。趙使者既見廉頗、廉頗為之一飯斗米、肉
十斤、被甲上馬、以示尚可用。趙使還報王曰:「廉將軍雖老、
尚善飯、然與臣坐、頃之三○●矣。」趙王以為老、遂不召。
続く
新宿中○屋のカレーうまかったです。その晩、やたら鼻のよい
実妹に一発でばれました。これこれとこれこれの臭いがする!
スパイスの名前をばーって挙げてました。
欝金もさぞかしたくさん入っていたことでしょう。
大学んとき海につれていってくれたお姉さん、そのころの彼氏が贈って
くれたのが欝金染の風呂敷、「悪い虫除け?」って笑っていました。
あの秋丱道人「那可無樂哉」額、出典はなんでしょうねえ。ガクかラクか。
秋丱道人晩年のお弟子さんが書かれた“自失”、南華内篇の南郭子葵の、
「我喪我」であったのかどうか・・・
あれはたしかに天籟を聞いておられたのではないでしょうか。
すみません欝金攻めになりました。
徽宗帝“痩金書”のむこうを張って、“欝金書”を標榜したろかな。
雲崗石窟の書ってどんなだったか。
「我喪我」→「吾喪我」でした、すみません。
また上の狂詩、原作と字いくつかちがうとおもいます。
山男のみなさんはキジを撃つんちゃいましたっけ?
もう散木翁話題いいってか(笑)
鳥毛屏風、キジの羽根だったかなぁ!
余以爲一飯恩義莫大也。因借詠物韻體、些題米飯。謹謝
季咸先生厚情、并言志。
八十八村神護森
豊田瑞穗讃黄金
碎身粒粒交悲喜
運氣悠悠任霽陰
昔習河邊報恩意
又聞馬上應徴心
男兒本感一天義
逢着仙人妄犯淫
ありゃりゃ最終句
妄→莫の間違えです。
「逢著仙人莫犯淫」
800になりました
あと199
二可さん
>>786 ありがとうございます。気分いいですねぇ。仲間に入れてもらえて光栄です。
>>794 滅方海銅脈先生ですね。あのスレ保存してあります。
欲低臨雪隠 雪隠中有人
咳払尚未出 幾度吾身震
と、蜀山人の
一夕飲燗曝 便為腹張客
不知透屁音 但有遺矢跡
です。
>>795 マンセイコの次は・・・
山男のキジウチはあの姿がキジを撃つときにそっくりだからだそうです。
絶対に誰も来ないところでのキジウチは気分最高ですよ。
魚屋さん
こんばんは。あのスレ傑作なんで、また読んでみたいですう!
>但有遺矢跡
ありがとうございます!これ下記の回答だそうです!(by季氏)
>>751 >毛辺に箭鏃はつきものです・・その心は?
狂詩ウpありがとうございます。
滅方海銅脈先生の句、
人と震だと韻があわないので、
もしかしたらホントは「幾度震吾身」かもしれません。
震は両韻も平声の真韻の時は、娠に同じ、また震旦の震。
でも、狂詩としては「ワレ身震ヒス」の方がおもろいですねえ。
>誰も来ないところでのキジウチは気分最高
むちゃ笑いました。寓意あります?
そうか鉄砲構えに似てるんか。G13号キジウチす・・・
例のスレは適当に編集して送ります。圧縮しちゃっていいですか?
>>803 なるほど!やっと分かりました。
>>805 寓意ありません。経験からです。
ある山中の、「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた柵の中でしたことが
あるんです(日本で)。電波の中継所があるところなんで最高に見晴らし
がよかったんですよ。
キジは歩いているところを撃つんで、身を低くしてヤブにかくれて銃を構
える様子が似ているんだそうです。
ご存知かもしれませんが、女性の場合は「お花摘み」って言います。
キジウチのコツは次のとおりです。
●黄色いンコは目立たないように土に埋めなくてはいけません。
●山では人目につかないところでしましょう。
●谷でしてはいけません!下流の民家などで飲料水に使っている場合があります。
スレ違いよけでした。
魚屋さん
>>806 魯直の臨書するたんび思い出しそうですわ(笑)
今上野に出てる文衡山はいかにも黄風の詩巻です。
おもろい、僕もできるかなあ。
●米もなくなった
●元金減らへん
●章魚の足くっちゃおうか、もう・・・・
あ、やっぱあかんわ(汗)
おはようございま〜す!っと!
うわ!誤爆!
私もキジウチの経験がありますが、ありゃ、なんですね、
地面に矢がつかえますな(笑)んで、少しずつ前進しなきゃならない。
鉄砲なら問題ないのですよ。矢は撃ち損じる。んで、たまに折れる!
ですので矢を操る道、すなわち弓道を修めなければならない。
弓ならば小李広花栄に教えを蒙ることですね。花が栄えて、即ちおなごにもよろし。
季咸先生
うう、パケ死になりますた・・・
水滸伝ですか? 調べたら“聖水将”単延珪
ってのもいますが、どんなプレイ?
●小娃なれども矢の稽古
●李下でやる時ゃちょと注意
●広場でやってはいけません
●花摘み笑う早乙女が
●栄覧願い矢継早
スレ違い除けになってな〜い!
黄易の印はいいなぁ(笑)
大哥先生
>>803 >但有遺矢跡
ああ、うまくまとまっているなぁ。。私はただ矢と通じたものとしただけ
でしたが・・。こりゃやっぱ才能だわ。
季咸先生
>>814 黄易字大易、字つけるのに困ったのかしらん?
号小松、うう、G13型・・・とは違う・・・
なんやろ、旧京畿もすでに草木色黄移となってはおりますが。
松って常緑樹ですよね?なぜ黄?
印風があまりわからないのでへんなカキコしかできなかった。
花摘みってやっぱりしぐさからですか?いやさか〜
>>816 ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
i!f !::::: ゙、i 臣亮言ス
i!ゝ!:::: ‐/リ
i::/:、 :::、 /''ii'V 「危急存亡ノトコナリ!」
 ̄ハ:::::\ "''il|バ''
>>798 読んでみたら題の文めちゃへんですね。訂正せな。
〓排除
>>818 ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
i!f !::::: ゙、i 臣亮言ス
i!ゝ!:::: ‐/リ
i::/:、 :::、 /''ii'V 「疲弊しますた」
 ̄ハ:::::\ "''il|バ''
しっかし、亮ちゃんAA流行ってますねぇ。
魚屋さん
>>806 例のスレ私にも転送おながいします。
大哥先生
>>786 遅レスですが
>參集如期又萬全
ほんとにそうでしたね。恰も以前から約束したかのように・・。
>>810 前進しながら撃つのは素人です。玄人はキジウチセットを常に持っています。
内容は、トイレットペーパー、スコップ、ライター。
まず、矢を分解するバクテリアの多い10cmぐらいの深さの穴を掘り、そこに撃ちます。
尻を拭いた紙に火をつけて矢の上の置いて埋めます。
最後に合掌。G13のように平然とその場を去る。
ただし複数で行ってキャンプサイトから近い場合は、目印の木の枝などを
立てておかないと発掘される恐れがありますので気をつけましょう。
これが、正しいキジウチの作法です。
>>817 そうです。花を摘むときにかがむ動作と似ているからだそうです。
>>823 了解しました!
編集しますので、ちょっと遅くなるかもしれません。
魚屋さん
お待ちしてます!よろしく。圧縮ってなんでしょ?
ふつうに再生できますか?
そういや、立原正明の「春の鐘」の韓国での一シーンに、
現地で“ハーモニカを吹く”っていうと骨付きカルビを
食べることなのだ、ってなことがあったのをふと思い出しました。
すんません、おもしろくもなんともないけど。
隠語って、やっぱ、雅でないとねえ。
“撥鐙”なんかももともとこのたぐいかしらん?
季咸先生
黄易って、なにかしら頭の片隅に記憶があったので
倉庫ボックスあさってみましたら、あったあった(笑)
“古硯”って名で、ヤ●オクで落とした(落ちてしまった)
硯の裏に黄易って署名があるやつのことでした。
「石墨相著而K耶、心讒言無得汚白」
そのころ、銘入りの硯がいくつか出てて、みんな高くなっちゃ
のに、こいつだけは誰も手を出さなかったのでした。
(あたりまえや!)
この前の“金冬心”といっしょパターン。
両件とも5●●●円、ああ、携帯が停まることになるのは、
このせいかああ!!!
今日は「再見」って邦題の映画を観てきました。
前どこかのニュースで見かけたジジリョンが可愛かったので
思わず出かけたのですが、
泣いた泣いた、あんなんあかんわ。ドラマに免疫のない、僕み
たいな単純なやつを泣かせるだけの作品やんかあ。
可愛い弟の詩の背誦もあります。(語句出入りあるかも)
煮豆燃豆箕 豆在釜中泣
本是同根生 相煎何太急(曹植)
花非花 霧非霧 夜半來 天明去
來如春夢幾多時 去似朝雲無覓處(白居易)
残念ながら(笑)揮毫シーンはありませんでした。
>>795、僕が惚れてたお姉さんの風呂敷
ウコン染めだとばかり思っていたのですが
黄檗染めだったかもしれません。虫除け〜
ま、いいさ、男児は可憐の虫よ。
そのころ、彼女から示されたのが下の読み
これが万福寺の明音???
謹白大衆(きんぺだーちょん)
生死事大(せんすすーだ)
無常迅速(うーちゃんしんそ)
各宜醒覚(こーぎしんきょ)
慎勿放逸(しんうふぁんい)
後に彼女を想いながら独り雨の中黄檗山を訪れました
わうばくに のぼりいたれば まづうれし
もくあんのれん いんげんのがく 秋艸道人
うれしいどころか、圧倒的な数の額や聯で、胸が一杯になったことでした。
たぶん中国歩いたら目が回ることでしょう。
〓よけえ
あと容量どれくらい?
>>830 今、397KBだから・・・あと100KB強ですね・・・
魚屋さん
>>825 まとめてみました(って、まとめんでもいいけど)
沈魚子撃雉訣
鏟 壙 放 矢
焚 紙 塡 壙
佇 立 合 掌
大哥先生
>>827 その硯、今度拝見致したく。
>>829 >ま、いいさ、男児は可憐の虫よ。
男児可憐虫 出門抱死憂
って、詠ミ人知ラズだったでしょうか?
魚屋ことニセ学長!
二松学舎スレッドにキヤガレ!
>>834 ん?人にものを頼むときの言葉ではありませんねぇ。
ニセ学長降臨希望、とでも書くのでは?普通。
補
季咸先生沈魚子撃雉訣
追思白雉御宇世也
鏟 壙 放 矢
焚 紙 塡 壙
佇 立 合 掌
彼 醫 王 像
遙 哉 白 雉
巍 巍 蕩 蕩
追 懷 景 仰
不 覺 停 杖
うあああああ、ごめんなさいごまんなさい
季せんしえい。またふざけたことをやっちゃったあ。
季咸先生
>>833 北朝人の詩だとのことです。もと胡語(こんな言い方いいの?)
二首?のうち其二
<企喩歌>
男兒可憐蟲 出門懷死憂
尸喪狹谷中 白骨無人收
他に有名なんは
<瑯邪王歌>
新買五尺刀 懸著中梁柱
一日三摩娑 劇于十五女
なんか、男の子なんていつの時代もおんなじ。
しっかし十五のムスメなんて・・・・
これテンコク家のことみたいじゃない? あ、五尺は長すぎか?
新買五寸刀・・・・
季咸先生
>>827 了解です!僕が拓本取れればいいんですが・・・・コピーして
お送りしました。
>>58 >>61 啓功氏の論書絶句に“我所不解劉諸城”ってあり面白かったので、
これもコピーしました。で、帰ってきたら本がない。また置き忘れちゃったかなあ。
大陸の出版でおそらく随分最近に注釈つきで再版されたものです。
学生ん時買った前の版もどっかやっちゃった。邦訳も出てたと思います。
啓功氏の自筆図版つき。しっかし・・・わあん(泣)
げたよけ
無名氏で好きな詞は
<醉公子>
門外猧兒吠 知是蕭郎至 剗襪下香階 冤家今夜醉
扶得入羅幃 不肯脱羅衣 醉則從他醉 還勝獨睡時
まるで小説かドラマみたい。男女(男)って唐宋の時代からずっとおんなじこと
やってきたのかなあ。
・・・じゃ、僕らも唐宋人とおんなじ様に書けないわけない・・・ないか
一応すれちがいよけ
>>835 ものを頼んでるんじゃなくて・・・挑発してるのでは?
>>839 コピー機の中に本まんまあったとの由、マー●ィの法則みたい。
お騒がせしまいた。
>>841 ギャラリーいらっしゃるなら、簡単に意訳だけしときます(笑)責任上
「外の犬が鳴く・・・、彼が帰ってきたみたい。迎えに出てみると、
また飲んでるし。やっとのことで部屋まで連れて入れば、私の服に
手をかけようとする!・・・と思ったら、何時の間にか寝込んでしまってる。
まあいいか。一人で眠るのよりは随分いいかな。」
靴下のまんま階を下るって、やっぱご帰還心待ちにしてたのかねえ。
あ、ちなみに僕はまったく下戸ですから艶な縁はとんと・・・ありません。
大哥先生
だんだん、難しくなって来ておりますぞ〜(笑)
>>836の補遺、全く判りません。医王像?仏像?白雉?
何か故事ありましたっけ?
>>837 おお!抱くは懐でした!ありがとうございます。懐、最近使ったよなあ。。
しかしこの歌、死して屍、に似ておりますね。
「隠密同心心得の条、男児可憐虫・・」あ、やっぱカコワル!
>>837 私なら激しく十五女を一日中摩娑して新買五寸刀(これでも長!)
はカエリミマセン!(当然でつ)
>>838 <敕勒歌>は私も存じております。いいですねぇ。馬頭琴の音が聴こえます。
ついでにホーミーも!
大哥先生
>>839 あの鍵、返しておきますた!傘、無かったです(笑)
詩韻含英、そのうちお送りしま〜す。作詩の秘鍵までは無くされぬよう!
>>841 その詩、羨ましい〜。ギャラリーさんもおいでのようですので、今後も是非
解説付きで(笑)私も助かりま(ry
>>842 そこの辺りがミソ。これ、挑発と目したら私が釣られた事になりますからね。
だから「依頼」と是認したんです。でも言うまでも無く煽りですね。
まぁ、魚屋さんもその手は桑名の天津甘栗、でしょう。
大哥先生
あ、五寸刀は約十五センチか・・。ちょっと短めだったです。
でも私はやっぱり十五(ry
今日ある筆墨店で呉大澂と王懿栄の尺牘譜を見てきました。
良かったですよ!で、いくらよ?と聞きましたら85マソですって。
王は少し六朝臭い字で呉は基本的に帖学派の字。共に見事。
詩箋もいい!
なかに呉が友人のために青銅器をなんとか値切っているという
報告の尺牘がありまして、興味深かったです。
「●●、非○○○銀不售云々」なんてね。
〓除け
季咸先生
>>845 鍵、お手数をおかけしました。ありがとうございます。
>>846 昔、教科書にスーホの白い馬ってありましたっけ?
>>845 隠密の条、今度ウpしましょうか(笑)
僕、先生のやつもう一度見てみたい。あれ元々どなた
が提案したんだろ。
季咸先生
>>849 その尺牘譜みてみたいです、特に呉氏のやつみてみたい!
昔、白紅社の呉氏の尺牘買ったよ〜、なつかしい。
>>843 本、取りに行ってきました。中に啓功氏の執筆についての
小文もあった(ほんと少し)ので今度送ります。
>>845 矢”と“雉”が同韻、“合掌”と目印に枝(“杖”)立てるのから、安直な
連想したんですう。ごめんなさいごめんなさい。
・奈良の薬師寺は白雉31年に天武帝により建立されたとお聞きします。
・医王は薬師仏のことをいいます。医王山●●寺っていうとたいていは
ご本尊お薬師様。
・「巍巍蕩蕩 藥師如来」ってのが、薬師寺の東塔擦銘のまんま
です。もとは論語??
・“佇立”してるのに“杖”を停むとは何事?っておっしゃるなら、
「拜醫王像」でもなんでもしますう、ひえ〜
愛親覚羅啓功氏の本戻ってきましたので
・・・・まだフンコロについて話すんかい!ってつっこんで言い訳しときます。
>>58 >>61 彼の論書絶句第十九の詩に・・「刻舟求劍翁北平、我所不解劉諸城」
その注に・・「劉墉書只是其父之法・・・又自飾之以矯揉偃蹇、竟成莫名其妙之書」
“翁北平”翁方網のこと
“驕恣偃蹇”おごりたかぶりいばりくさった
“莫名其妙”わけわかめ
論書絶句第九八の自注に・・「劉墉書驕恣偃蹇、了無足取」
また「題劉石庵書小楷袖巻」という題跋中に・・「蓋巻摺功深、而未能自脩
邊幅、甚者偃蹇驕恣、以致翻得剥剥落落之趣。王夢樓謂其書出自家學、傳
劉文正統勲筆法、其説至確。石庵雖亦雜題臨鍾王、仿顔柳、倶不過用乃翁
筆意寫各帖文而已。又喜用重墨、故所書生紙則筆致澁、箋紙則墨光顯。」
“劉文正統勲”劉墉の父
石庵劉墉先生の文字がき●いな僕としては、覚羅先生に、ほんま“膝を打っ
て一献差し上げたい!”(byゴクアク翁)ほんま、日本の本ってみんな石庵先生
褒めまくりだし、ベタホメ惚れ込みの本もありますもの。
季咸先生
>馬頭琴の音
哀愁ただようんでしょうかねえ、あの大草原。
どんな星空か!
>氈臭酪味・・・自己レスあかんか・・・(笑)
西川寧博士の有名な作品に、
題自刻「碑戡侍者」印 (著作集第9巻P291)
早歳氈裘嗜 老來無所醫
祭龕爲侍者 金石氣盈墀
己未六月、刻此四文。老眼模糊、如霧中看花。鼓努奏刀、
纔到于而已。拓訖、曼繫廿字。安叔
“氈裘”の出典がいまだわかりません。なんとか調べたいと考えてはいるのですが・・・
“戡” この字は?蘇戡鄭孝胥氏なら見たことがあります。
觸目撫臨癖 憑誰爲可醫
法書徒到棟 尚未整階墀
これは決して次韻ではありません。ほんとうです。決して不敬罪は犯し
ません。しっかし含英なくしたんで、末句が思いつかない。たしかに
“墀”みたいな僻字にゃお手上げ!(笑)
丹墀に雑ふるに沙礫を以ってす・・・・はレイセンメイ。
丹墀は皇帝さまか!あははは・・・・
土間なんでもあればいいなあ、家なしだもの。
“墀”って“階”に縁があるの?(適当にくっつけた)
美女が降りて迎えてくれんかなあ。
>>841
>>855 ありゃりゃ脱字だ、すみません。不敬罪。
纔到于而已→纔到于此而已
ついでに、法書→堆書に改稿しときます。どっちもえらそうな謂いか。
じゃ、法書=カーマ修多羅!どうだ!
觸目撫臨癖 憑誰爲可醫
堆書徒到棟 尚未整階墀
「碑戡侍者」って、印にすると字を借りられたのかしらん?もしかして
「碑龕侍者」のこと???
季印仙人
>>849 >あ、五寸刀は約十五センチか・・。ちょっと短めだったです。
>でも私はやっぱり十五(ry
なにげにメチャやばいことおっしゃってません??
>>846 ホーミーって、ネットでも聴けそうなんで、こんど
マン喫でやってみます。一人で二重の音を出す????
一人で2行いっぺんに書く人はいらっしゃいましたが・・・・僕が観たのは
何回も書いたし何度もご登場、佘雪曼先生・・・・スレよけ
すみません、なかなか忙しくて、書き込みも、例のスレの編集もできていません。
二可さん、相変わらず絶好調ですねぇ。
白雉云々、何とか解読しようとしましたが、徳が足らずだめでした。
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか(薬師如来真言)
圧縮ってのは・・・説明が難しい・・・OSは何ですか?
魚屋さん!こんにちは
>>858 おいそがしくてうらやましい!
おお!ピルグリマー拆米字!ぼくも打ってみたい!
回ってみたい、逆打ちヒロインの栗山千秋、今や秘密殺○兵器。
目で殺すか!
オムフルフルチャンダリーマタンギースヴァハー!(あってる?)
のうぼうばきゃばていばいせいじゃくろべいるりやはらばあらんじゃや
たたぎゃたやあらかていさんみゃくさんぼだやたにゃたおんばいせいぜい
ばいぜいぜいばいせいじゃさんぼりぎゃていそわか!(あってる?)
わけわかめで宗教板誘導されそう。
薬師寺の大般若経は、吉備真備の入唐時にむこうでしっかりよいことして
できちゃった隠し子の朝野魚養が書いたそうです。
魚●さん?はだいじょうぶ?
下駄よけ
薬師寺といえば思い出します。
なんだか学生時代にうろついたよ、あのへん。
・・・・べつにもともとお寺がすきだったんじゃなく、
憧れの女性を追っかけて・・・
煩悩煩悩。でも好きだった。
佐々木信綱博士の
「逝く秋の 大和の国の 薬師寺の
塔の上なる ひとひらの雲」
秋艸道人の
「すゐえんの あまつをとめが ころもでの
ひまにもすめる あきのそらかな」
(水は“すい”とも聞いたけど・・・・)
「くさにねて あふげば のきのあをぞらに
すずめかつとぶ やくしじのたふ」
(最初かっとぶとしか見えず、そのころ人気の
あった銀蝿一家を連想しておかしくてしゃあ
なかったなあ)
>>858 OS????
うああああIT難民なんです僕!!!
オーエス?オーエス?綱引き?語源のエッセイどっかで読んだ。
ヘーラーホップ、チロンヌップ、薬師寺の塔(タップ)
わけわかめになりました、ちょいと調べてみます。解凍が必要でつ。
梁塵秘抄にたしか
「薬師医王の浄土をば 瑠璃の浄土と名づけたり
十二の船を重ねきて われら衆生をわたいたまへ」
みたいな歌があったと思います。十二の大願をお持ちなのね医王さん。
この本、「哥」の文字がいぱーいあったよな気がするの不思議。
(違ってたらごめんなさい)
明日、愛親覚羅家のドラマがあるとか…
昔ある時、紀○国屋で検索していただいたら担当氏
「エイセイ関係ばかりですねぇ」
「慧生??!」
「…不潔って字にみんな当たっちゃうですよ〜」
やんごとなき方々にすみませ〜ん。すみませ〜ん。死罪死罪。
今は検索機能もよくなりました…
皇弟のお書きになったの独特の書風ですね。
二可さん
>859
あってるものなにも・・・
最初のは「おんころころ・・・」の原音ですね。
もうひとつは何ですか?妙に長いですね。
>862
梁塵秘抄まで!すごいですね!
「十二の船を重ね得て」となっていますが、これじゃ解釈不能なので二可さん
のが正しいのかもしれません。
>863
品川エトワール女子高等学校の表札?がなんだか癖のある字だったんで、よく
みたら、フケツさんの字(落款あり)でした。
清朝皇帝の字ってそんなに癖がないものが多いと思っていたので、意外でした。
現在突貫工事につき、なかなかカキコの時間が出来ません。
大哥先生
>>857 ホーミー、少し出来ます。コツはピンインの<r>の音を伸ばすこと。舌を
スプーンの形にして口蓋との間の空気を響かせるようにすれば倍音が出ます。
あとは唇の形を変えると音程が変わりますよ。でも人前でやると変なおじさん
と思われます。あ、我々はもう十分変なおじさんですた。
アイシンギョロフケツさんのお嫁さんはヒロさんでしたねぇ・・w。
魚屋さん
>>864 映画『帝都物語』で土御門一門が唱えていた真言?
「のうばうばぎゃばていはらじゃはーらーみーたーえいおんぎしろだえいそはか」
って、何でしょ?これも大般若経でしょうか?
あと、おもかげ神社の娘が
「おんしろだえいそわか」
なんてやってましたが、あの映画、神仏混交でよー判らんかったです。
(´-`).。oO(すれ違いも甚だしいなぁ・・ごめそ)
魚屋さん
>女子高等学校の表札
!!!今度みんなで観にいこうか?
ほんま変なおじさんになるかな(by季氏)
魚屋さん、自分だけ違うと思っちゃいませんよね???
「四人者皆癖嗜金石。奇賞疑析晨夕無間」って上にもあった。
成親王、粛親王(ヤフオクでしか写真見てないんかも・笑)
また啓功氏とも、みなさん高雅な書風ですよね。人気もあるし。
溥傑氏のも独特ですよね、習うには難しそう。兄帝のはどのような
書だったのか・・・
時々溥傑氏の幅をヤフオクで数百万円スタートで出してる方が
いらっしゃるけど、あれ売れるかなあ。
よけ
>>864 >もうひとつは何ですか?妙に長いですね。
薬師大呪というやつと思います。お正月に薬師寺におまいりした時
聞いたことがあります。上の読みいいかげんかも。
湖北の辺?のお寺(湖西の浮き御堂??)で見たら読みが少し違って
たことがあった。ビセイゼイビセイゼイみたく。天台系?とか真言系
とかあるのかな。
>>867 季咸先生
画像ありがとうございます。突貫?“突”も“貫”も
微妙な文字ですね。
「真言陀羅尼」という某出版社から出てた本を読んだことがあります。
その中のお地蔵様のご真言の所
「おんかーかーかびさんまえいそわか」
このかーかーかーって笑い声なんだって。好・好・好!
それで、覚え方のコツかな、
「おんニコニコニコ腹たてまいぞソワカ」
「オイかかあ!紙三枚。」「そうかい。」みたいなん書いてあった。う〜
昔、弘法大師様、応天門の額をかかれました、ところが点を入れ忘れたの
に気づき、下から筆を投げて見事hit! 衆人賛嘆!合掌礼拝!
って伝説がありました。
これ、どなたかのエッセイに、お大師様がそんなア○するわけなく、あれは
実は最初から仕上げに筆を投げる事にしてたのだ、事成って唱えたご真言が
「ア ヤ マ リ シ」
近くにいた者は「誤りし・・・」とお大師様がつぶやくのを聞いちゃった!聞い
ちゃった!と噂を広めてしまった・・・
なんだって、出所は忘れまいた。
>>868 季咸先生
>張祖翼の封面
きれいな紙ですね。これコレクション?
この前の欧陽通の用筆に凝った故事、
ちょっと見かけたので下に書いときます。伏見氏の「中国書道の新研究」
の中に書品か名品叢刊に書かれた分も再録されてたと思うので、ついでに
今から図書館でも見てみます。もしかしたら「書道史点描」?
碑の解説ではなく“痩怯”という文字についての考察だったかもしれません。
これは三井文庫所蔵の
「王懿栄」
>>849の旧蔵、張祖翼
>>868の題箋がついた
「道因法師碑」旧拓本の解説に引かれていました。
(中国法書ガイド37、二玄社)
・・初唐の張文成『朝野僉載』に「唐欧陽通、詢子、善書、痩怯於父。
常自矜能書。必以象牙犀角為管、狸毛為心、覆以秋兎毫、松煙為墨、
末以麝香、紙必須堅薄白滑書、蓋自重其書也」・・略・・また用具の選択に
ついても、かなり神経質であり、工夫を労していたことが察せられる。・・・
お父さんはどんな筆でもよく書くと言われてたのに、偉大な父持つと
どこも大変ですなあ。
>>869 もちろん無間とは無間ジゴクを言います。スルーできません。
↑書き込みテストですね・・・
え、魚家さんなぜお見通し?魚眼レンズ?
図書館閉館でおんだされますた。めちゃ雨降り。
大哥先生
>>873 有難うございます。あ、「唐欧陽通」以下の文章、日本語と思って読ん
じゃった。疲れとる・・。しかし、読みやすい文章です。
「紙必須堅薄白滑書」はよく分かる。こんな紙使えば誰だってよく書(ry
先日は失礼な紙を持参してしまい、ご無礼仕りました!
え〜っと、現在差し上げるべき紙が御座いませんので、磨紙用の小物を印と
共にお送りいたしますよん。
大哥先生
例の硯銘、礼記には該当なしでした。
ただ、『詩経』小雅青蠅の疏に
營 營 至 讒 言 ○ 正 義 曰 言 彼 營 營 然 往 來 者 青 蠅 之 蟲 也。
此 蟲 汙 白 使 K 汙 K 使 白。 乃 變 亂 白 K 不 可 近 之。
當 去 止 於 藩 籬 之 上。 無 令 在 宮 室 之 内 也。
以 興 彼 往 來 者 讒 佞 之 人 也。 詩 人 喩 善 使 惡。
とありますがこれを典拠にしたものでしょうか?
「興」は箋に「興者蠅之爲蟲、汙白使K汙K使白、喩佞人變亂善悪也」
とあります。(季咸逗)
〓除け
季咸先生
>例の硯銘
礼記だのいいかげんなこと申してすみません。
“礼”の字をみかけたので・・・・
「石墨相著而K、邪心讒言、無得汚白」みたいです。
集書に引かれてるのはわかるんですが、
〜太公兵法逸文〜
〜太公金匱〜
〜《大戴禮》所謂石墨相著則K是也〜
こんな題名で出てくるんです
〔《初學記》二十一,《藝文類聚》五十八,《太平御覽》六百五,
《事類賦》注十五〕 研之書曰:石墨相著,(案《事類賦》注引下有
「而K」二字。)邪心讒言無得汙白。
藝文類聚は倉庫の奥で出せませ〜ん。
↓こんなページも検索では出るんですが、区切りが違う。
先父曾告誡云:『 石墨相著而K耶, 心讒言無得汚白。』
(意: 墨與石相磨一定K, 口無心有非清白)。 今ドラマ見始めました
宮島詠士翁がこの皇弟殿下に謁見されたときの写真、
見たことありますねえ。
詠翁は傅師への要請は固辞なさったとか。
書は献ぜられたのかなあ。
うわ!直リンしちゃった!もうだめぽ。
季咸先生
もともと黒かったらそりゃ染まることないですよねえ。
あれ、前、あの話どこかでしました?
夜目遠目傘のうち、色の・・・・の
“流転の王妃”ドラマ、だいぶ進みました。
高木氏の「成吉思汗の秘密」、学生時代に読みました。
天城山心中も小説中に出てきます。
鞍馬山の拆字の法も出てくるかな。〜賤や賤 賤の苧環・・・・
あれはもしかしてトン●モ本???
あ、映画「シャンハイナイト」にも、なにか成吉思汗伝来の
秘宝が出てきます。清の皇室と元のカーンは同系???
888ですわ
残下駄阻止
ここも阻止
おわ!義経=成吉思汗 ヌルハチ=蒙古人と主張する友人いまつ。
清の皇室と元のカーンはどうなんでしょ?
二可さん
>>871 湖北のお寺っていいですよね。観光地化されていないわりに、何気なく国宝が
あったりして。
どこだか忘れましたが、千手千足観音という仏像があるそうです。
想像すらできません。
浮御堂も一度だけ行ったことがあります。あのへんのんびりしていて好きです。
>>876 へぇ、画角180度、焦点距離15mmf3.5の魚眼レンズです。
魚眼レンズには円周魚眼と対角魚眼の二種類がありまして、私の持っているのは
対角魚眼のロシア製、ゼニット・・・板違いでした。
女子高の表札、T氏も連れて行って、得意の盗拓してもらいましょうか?で、アタ
シらは遠巻きに見ていると。
季咸さん
>>891 津軽の三厩(みんまや)というところに、義経寺という寺があります。そのすぐ下に義経が
馬をつないだという伝説がある岩(三厩という地名の由来)があるんですが、そこに解説が
あってこれがすごい。
「(前略)史実では義経は平泉で討たれたことになっている。しかし、実は義経は生きていた。
奥州から逃げ延びた義経は、ここ三厩で馬をつなぎ、北海道へ逃げたのである。」
こんなようなことが、高さ5メートルぐらいの板に思いっきりかいてあります。
で、地元有志が建てたのならわかるんですが、なんと建てたのは教育委員会。
いいのかそれで?教育委員会。
浙派の印って、昔はどこがいいのか分かりませんでした。
↑今気づいた。893(ヤクザ)ゲット!!僕だけは違うと思ってたのに・・・。
>>891 >清の皇室と元のカーン
高木氏の著書、熱におかされたように語りつくされてます。
あれ元ネタ(天下の奇書)ありですよね。たしか。
でも僕が一番印象に残ったの“拆字”謎解き。
再び一代天驕・・・・ ところで弁慶も実は架空の方だとか・・
季咸先生
でも、僕は元の書って好きです。
趙子昂、鮮于伯機、康里子山、ケ文原善之、柯九思丹丘、
湛然居士耶律楚材晉卿、鉄崖山人楊維貞
苦手な人もいるけど、まあいいか。
?
魚屋さん
>>892 湖北の観音巡り・・・・渡岸寺、石道寺、己高閣・・・
好きだった女の子連れて回りました。(やっぱ女かい・笑)
でも、あれはやはり一人で回ってもいいですよね。
井上靖氏の「星と祭り」も読んで。
わあ、型にはまりすぎ? 僕は渡岸寺の十一面観音様が好きかなあ。
近くの資料館、朝鮮通信使関連の資料とかもあったと思います。
夏にいきそこねた竹生島には、弘法大師、唐からの請来目録があると聞きました。
船が荒天で出なかったんです。舟沈むよねえ。
>>893 >>894 笑いました。突如浙派の印も出るし・・・893(青木雄二の漫画のベンツのナンバーみたい)
立原正秋の小説の中に、大学助教授の席を捨てて美術館長になる
男が自分を「ヤクザな商売」と称する場面がありました。
>>892 魚屋さんカメラお詳しいんですね、それもオロシャカメラとは!僕は先日短焦点から
長いのまでウッパライマシタ(泣)。一番まともなのが旧FD55asp。かなり黄色かったけど。
ほかはゴミ(まではいかんか)扱い。
好きだったのがトキナーの100〜300。重かったけど、鈴鹿でオネエチャンからフェラーリ
まで色々撮った。
ああ、黄色いラディオアクティブなレンズで多胡の碑と、横の鳴鶴の隷書碑をわけて
接写しようとしたのが懐かしい。
げたよけついに900
>>896 維貞→維禎の間違えですな。
苦手な人→この中にはあまりすきでない
900超えてる・・・・・
今日は空気がやさしい。空も鉛色。こんな日は大好きです。
大哥先生
>>895 >でも僕が一番印象に残ったの“拆字”謎解き。
存じません、お教えください。あ、例の外孫も未だ解けず。
魚屋さん
>>893 面白い!教育委員会というあたりワラタです。
>浙派の印って、昔はどこがいいのか分かりませんでした。
浙派の印って或る面解釈が難しいですね。藤原楚水氏はたしか
「漢印を色眼鏡でみたひとたち」と仰っていましたか・・。
あれは荃廬の意見だろうというのは私の師匠の言ですが、当時古銅印譜は
希少で皆、漢印はこういうものだろう、との想像、憶測でもってやった形跡
があるとのこと。汪関や趙凡夫に比して漢印の解釈が違いすぎております。
造形的にも今ひとつ面白くない。所謂ケ派に時代を譲ってしまったのも
わかる気がします。
しかし、ものには居場所がありまして、浙派には浙派しか醸し出しえない
情緒がありますね。特に浙派は印跋にその真面目を見ますので印影が拓款
を従えたような印箋を見せられますともう他派は物足りなくなってしまう。
まあ、日本情緒に即した印とは何かを問われれば先ず浙派でしょうね。
大哥先生
耶律楚材という人物は聊か出来すぎですねぇ。詩も書も一流。
友人に彼を卒論にしたものがいました。その反面、趙子昂は多少
屈折していましょうか?私は好きです。
竹生島、眠れおとめごやすらけく、って歌ありますね。琵琶湖周航の歌?
二可さん
>>898 渡岸寺の十一面観音いいですよねぇ。
管理されているのが地元の方で、入場時間に遅れると有無を言わせず店じ
まいしてしまうのが難点ですが、逆にあの素朴な感じがたまらんです。
竹生島にいらっしゃるときは、帰りの船に気をつけましょう。来た船と違う
船に乗ってしまうと、とんでもないことに・・・
>>899 ラディオアクティブ!!被爆しましたか?
ロシヤンレンズ、なかなかいいですよ。例の対角魚眼、なんと17000円!!
絞りが正六角形にならないという理由でディスカウントしたんですが、しな
くても20000円ぐらいかな。超望遠なんかも、その程度です。写りも申し分
なし。なにしろ兵器として作られてますので。
これで、ペンタックスSPあたりを買えば、格安で遊べます。
ひどい板ちがいでした。
季咸さん
>>903 教育委員会がヌケヌケと・・・
これを見た後で、太宰治『津軽』を読むとさらに笑えます。
浙派云々はスレ違いよけだったんですが、ご回答ありがとうございます。
あくまで素人考えですが、浙派は造形的に面白くしようとして外しているもの
が多いようです。丁敬身や黄易はかなり完成されていますが、洗練されていない
ですよね。所謂後四家になってくると、さらに洗練されてくるけど、面白みは
ないですね。誰が誰やらイマイチわからない。
初めから出来すぎていたのでしょうか?
ただ、刀意(この用語あってますか)の面白さが分かってきて、やっと理解でき
ました。
ケ派は造形がうまく進化しているように思います。
ケ石如もヘンなのはおもいっきりヘンですけど、その後の人たちはうまく進化し
ていますね。
ウチの師匠が、空海と最澄を例に挙げて、師匠が完成していると、弟子が育た
ないといっていました。
>>904 そうです。琵琶湖周航の歌ですね。
魚屋さん
>>906 誠に仰るとおり!わたしもそう思います。
この場合、洗練が類型化と殆ど同義でその後に決定的な作家が生まれなかった。
つまり「浙派とはこういうもの」という意識下で作意が蕩尽しちゃったので
しょうか。あまつさえケ派の台頭でひたすら頑なになっちゃた。
そもそも一本調子の刀法で一律の布置である浙派を印壇は見送ってしまった
ようです。僅かに鈍刀硬入を缶廬に残したとされていますが、さて、ほんとに
浙派は所謂鈍刀なるものを使っていたのか?趙次閑の側款などを見ますとかなり
鋭刀です。これは我々が今使っている刀を鈍刀と言ったのにすぎないのだと思い
ます。それまで(例えば徽派)の刀は恐らくペナペナの薄刃の刀だったのかも
しれません。
あ、刀意という言葉は良く使いますよ。
偉い師匠を持った弟子は大変です。
また、駄目な師匠を持った弟子は悲惨です。
師弟関係、難しいですねぇ・・。
季咸先生
>>903 あれ一種の推理小説形式なので・・・黙っておきます!ごめんなさい。
ホンカイ(判官)さんが渡ったってアイヌの説話ってホントかしら。
紫禁城の太和殿の和は日本だなんてのはどうかなあ。
魚屋さん
>>906 「津軽」、こんど読んでみます。
英雄の後日譚も鎮西八郎とか色々多いんでしょうけど、
僕の故郷には源三位頼政公の室“菖蒲の前”が逃げ隠れて
きたという伝説があります。高校の同級生にその直系という
友達がいて、誰ともなく若侍とか殿下って呼んでたくらい、
高貴な容貌(笑)をしていました。←これホント
>>904 >>906 「琵琶湖周航の歌」・・・調べたら作詞者、作曲者、26歳と24歳で
亡くなったのだそう。
こんな歌聴くと日本語ってきれいだなあって思うんですよ。
「坊がつる讃歌」とかも・・・・皆学生時代に作ったっていうから、
ねぇ。。。 難しい漢字並べていい気になって遊んでるの自省。
漢字ばっかで書を作るのジレンマになりそ。
硯林印款、西川氏の著作集からコピーしてきました、読めるかなあ。
魚屋さん
>渡岸寺の十一面観音
ぼくはこの菩薩さんがこれまでいちばんきれいに見えました。
ほかにも観音さんは多いけど・・・・
後に回ってお尻とか覗き込んじゃったよ。バチがあたっていま
にいたるのカ・・・・
>>905 魚屋さん
オロシャからのレンズ、FD用はないですのん?
今は50mmと85mmのみ残してます。放●能レンズの雄は、FL55/1.2
ホント、カンロ飴みたいでおいしそう!これ中古屋さんに交渉してくれた
カメラマンにあげました。モノクロでよい味わいが出せるとか・・・・
拓本も、紙質によってか文字の部分が字々黄玉、拓墨との対比が、えも
いわれない諧調、雰囲気をかもしてるものありますよねえ。
>>904 岳鄂王墓 趙子昂
鄂王墳上草離離 秋日荒凉石獣危
南渡君臣輕社稷 中原父老望旌旗
英雄已死嗟何及 天下中分遂不支
莫向西湖歌此曲 水光山色不勝悲
有名な趙氏の「岳鄂王墓」です。王族にして節を折ったといわれる
彼の代表作の一つが忠烈極まる岳飛を詠じたものであるとは・・・・
魚屋さん
>>892 >女子高の表札、T氏も連れて行って、得意の…
流転の王妃、ドラマ終わっちゃいました。
葛的先生に盗●の件よろしくお伝え下さい!僕らはギャラリーに
徹しましょう!
僕ある江戸の古碑剥離した石片があまりに沢山足元に落ちているので
持ち帰っ(ry
江戸ではスレ違い除けられんか。
大哥先生
岳鄂王墓、面白いですね。彼の胸中に去来するものは折節した我が身の
やるせなさなのでしょうか?元朝に身を寄せたのが確か33歳でしたか。
果たして彼はその半生を何に殉じたのでしょう。
>ある江戸の古碑剥離した石片があまりに沢山足元に落ちているので
あらあら、いけまちぇんねぇ・・。そのような採拓は私がやりますよ。
T氏には専らヤヴァイ仕事をやってもらいましょうよ。私らは陰に隠れて
缶コーヒー飲みながらマターリと彼がゴルァされるのを見物する・・と。
私は工事中の紫禁城で折れた龍の角を(ry
あと天壇公園の瑠璃瓦片を掘(ry
あと琉璃廠で麻雀やって見知らぬ現地人から150元巻きあ(ry
季咸先生
前記、劉書を持ち上げる方って、思い過ごしでなければたいてい趙書を低くみなされ
るような気がいたします。実は僕・・・・気にいらな・・いです。
彼の事、異民族の統治下、自国の伝統を守ろうとしたバランス感覚に優れた人物であったと
庇いたくなるんです。
聞くところによれば、まるで神仙中の人のような美青年であったとか・・・・また、そっち
話題振るとスルーできなくなるので(ry
と、昨夜の
ドラマの最後に出た、溥傑氏の悼亡の詩、早くて写せなかったし覚えられなか
った。ああ、記憶倍増のご真言唱えにゃ
ノウボウアキャシャキャラバヤ・・・・
或いは、・・・シツレエイシツレエイ・・・ もうええってか
大衍 同衾 嫁我・・ 顛沛流離 涙縦横 みたいな文字が拝見できたのですが・・・
しりたい調べたい!
随分以前、下関の神社の関係の溥傑氏の自筆色紙というのを会社で預かった事が
あります。僕が解説書いてしばらく館内にかけていました。倒産の前に持ち主
ご本人にお返しできてよかったよかった。決して言わなかったけど肉筆ではなか(ry
>見知らぬ現地人から150元巻きあ(ry
しらないですよ〜(笑)日本のロケッ●上がらないのそのせいちゃいますか???
>工事中の紫禁城で・・・
朱泙漫さんと呼ばせてください!
>瑠璃瓦片
みてみたい、僕、蜀宮瓦硯っつうの“落とした”(どこでとはいいません)
ことがあるんですが、これも、後悔も資も先立たずなにやらヘンな銘ありまつ。
詞の世界から蜀宮に憧れた僕はもちろん●ホ。
おお!書き込みがイパーイ!
大哥先生
例の黄易の硯銘、御説通り出典は太公金匱(佚書)でいいようです。
>>881でいいでしょうね。
先父曾告誡云:『 石墨相著而K耶, 心讒言無得汚白。』
は句読ミス、邪譌りて耶に作ったのでしょう。
すると、あの硯銘の得を待に作るあたり、真物とすれば黄易の勘違い。
或いは藍本の譌誤。或いは・・・?少なくもと藝文類聚は見てない・・と。
おやすみなさい!
>朱泙漫さんと呼ばせてください!
うまい!お〜い山田(ry
季咸先生
>>914 十年磨劒青雲士
一擊屠龍紫禁城 ・・・うぁへた・・・
壯士歌
篋裏誰知秘劒鳴
電光忽照古燕京
何妨壯士強豪氣
一擊屠龍欲蓋城 忽照→護照にしようとしてうまくいかんかった(笑)
>黄易の勘違い
と思っておきます(笑)
印の部分(作)があんまりショウモないんで・・・・
実はまだ墨を当てたことないので、今夜やってみます。
あれ石かなあ。
>>917 歌の方は屠龍→蒼龍(byモータクトー)とかの方がいいかなあ。連カキスマソ
二可さん
>>909 私の友人にはもっとすごい人がいますよ。
なんと、西海に沈んだ安徳天皇の子孫。
さる平家物語の大家に聞いたところ、九州に多いそうです。
季咸さん、もしや・・・。
琵琶湖周航の歌って、京大ボート部の人が作ったんでしたっけ。
>>910 たしか後頭部に暴悪大笑面がついているんじゃありませんでしたっけ。
あれが、あの観音様の特徴なんで、後ろにはまわられなれていると思います。
いつも思うんですが、G13ってだれがカリアゲにしてるんでしょうね。
散髪屋も命がけだなぁ。
>911
FDってCanonですよね。多分ないと思います。
ロシヤンレンズってPentaxスクリューマウントとライカLマウントがほとんどで、
ニコンFマウント、PentaxKマウントもあることはあるんですが、種類が少ないん
です。もしFDマウントがあったとしても、種類はないと思います。
書道と写真って通じるところがありますよね。
と、むりくりスレ違いよけ。
季咸さん
>>907 同意されたので、調子に乗って篆刻話。
たしかに、本当に鈍刀であんな側款刻れそうにないですよね。印面だって、切れな
くってああなったという感じは受けません。
もし、印刀が影響を受けていたとしても、呉昌碩に浙派の影響ってあるんでしょう
か?いや、ないはずはないんだけど・・・言い方が難しいな。
刀意(合っているらしいので使いまくるぞ)は異質のものだと思うんですが。
私は徐三庚の刀意は浙派に近いように思います。
しかし、きやつは天才ですね。あれだけひねりまくっても破綻しないってのはすご
いとしか言いようがありません。
ナマイキでした。スミマセン。
むちゃ連カキです。
>>917 篋裏→匣底の方がこなれてるのかなぁ。もしかして成語??
スレで推敲なんかしてすみません。
>>607 >>914 改稿
贈 季咸先生
題首
十年磨劍青雲士
一擊屠龍紫禁城
壯士歌
匣底誰知秘劍鳴 電光忽照古燕京
何妨壯士強豪氣 一擊蒼龍欲蓋城
伝説の越王句践の剣は実物が出土してますよねえ。
文字は鳥篆、「越王句踐、自作用劍」の銘文(句は鳩って字、践は何かまた違う字
だったけ)これはピカピカ。
呉王夫差の剣もあるみたい「呉王夫差」みたいな文字が見えるらしい。
呉王夫差の矛も出てて、「呉王夫差、自作用矛」の銘文、なんだか出来すぎたような
奇跡。「剣池」ってでかい文字は顔魯公でしたか??
始皇帝の地下宮殿、なにか残っているのかなあ。
おお、魚屋さんにかぶってしまった!こんばんは
>暴悪大笑面
じつは、このお顔のこと書こうかなあって思ってたんですよ!
G13のも、つい3日ほど前自分で刈り上げてるんかなあって思いにふけっていました。
>琵琶湖周航の歌
作詞者は京大、作曲者は東農大らしいです。詞を読んで思わず泣いてしまった(笑)
>安徳天皇も助かったんですかねえ。最期の場面悲しいですよね。みみなし芳一〜
>>783 「安仁懷徳」の語はまんざらはず(ry
>書道と写真って通じる・・・
うう、僕は彼女のEOSとのできを比べられ、もうボロク●にしばかれまいた。
・・・自作のできは確かに通じてるかも
>鈍刀
この問題(要は鈍刀とはなにか?訳語の付けかた)、フン翁著書の翻訳本批評かなにかで、
えらい攻撃の対象になってなかった?
こんばんは〜
今日は今津か〜、長浜か〜・・・えらい遠いじゃん。
安徳天皇、助かっちゃいないでしょう。三種の神器だって・・・。
いや、書道と写真って人知の及ばないところがどうしてもあるんで、そう書いた
だけです。
>923
う〜んワカラナイ〜。なんかあったような気がします。
呉ショウセキの印刀見たら、鋭かったとか・・・・。
すみません、明日早いので、これで寝ます。
おやすみなさい。
>>924 長浜駅に着いて、船の欠航を知った僕は、街に出てトンコツラーメンを食べました。
風情ただよう整備された街路・・・
「これが長浜ラーメンか・・・・、あ、いや違う違う」
しばらくたつと、また脳裏にささやく何者かの声
「これが長浜ラーメンか・・・・、あ、違うんだった」
頭たたいて振り払う
いつかとんでもない間違いを人前でやりそうです。だって、どこだってあるんだもの
あの替え玉方式・・・
董思白の替え玉話は有名ですよね。呉缶翁もそう?
大哥先生
>>921 おお!また佳什賜りました。ありがとうございます!
これを見ておりますとまるで映画『決戦!紫禁城』原題:決戦!紫禁之巓
を思い出します!紫禁城の天辺での決闘シーン、双方自慢の剣を抜いて対峙、
アンディラウ(だったかな)が「剣名巨闕」と粤語で言うところがカコヨカッタ!
巨闕って彼の越の刀匠、欧冶子作るところの名剣ですね。
こんな名人に印刀こしらえて保水・・。こんな腕じゃ名刀が泣きますが・・。
まだ寝てなかった・・・。
呉ショウセキってヨメさんに刻らせてたんじゃありませんでした?
ちょっとテンパッテるんですが、
「始めに勢いが盛んで、終わりは振るわないこと」
を意味する四字熟語ってなんですか?
魚屋さん
>>924 >書道と写真って人知の及ばないところがどうしてもあるんで
そうですよねえ。写真てすごいよなあ。“すごい”写真かどうかはわからないです
が、奈良高畑の入江泰吉の写真美術館、よくいきました。新薬師寺の近く。
萩の木を軸管にした筆は新薬師寺で売ってたかな?
書道を写真にするのも人知が及ばぬ所なのでしょうか?
>呉缶翁もそう?
替え玉って代行カキコのこと?
画の代行さんは趙紫雲、印の代行さんは主に徐星州、呉涵でしたか・・。
何やら三つ巴状態!皆さんこんばんわ!
季咸さんこんばんは
>>930 ぐぁー!こんなんが分からなかったとは情けなや・・・。
ありがとうございました。
他の問題が、
千年に一度しかないようなよい機会→千載一遇
みたいな、問題文に漢字が含まれていたので、ひっかかってしまった・・・。
これで枕を高くして寝られる。おやすみなさい。
こんばんはあ。
>>931 李太白の詩を思い出しちゃった、巴蜀っていいますよねえ。
そろばんの会社にもあったかしらん。またヘンなレスになった。
宣城見杜鵑花
蜀國曾聞子規鳥 宜城還見杜鵑花
一叫一回腸一斷 三春三月憶三巴
鈍刀は『篆刻鍼度』において早くから攻撃されてますね。
引用してみます。
【辨用鈍刀】
王基云。作印之刀。身須厚。而鋒須利。或云鈍刀製印乃古。
此非知者之言。若石印鈍刀猶可。銅印如何鐫刻。且工欲善其事。
必先利其器。未聞云鈍其器也。製印古樸。自人爲之。豈在刀鈍乎。
>>933 古封泥稍稍出於巴蜀・・。
羅振玉の『斉魯封泥集存』の冒頭ですー。
ってもうわけわかめ。。
大哥先生、魚屋さん
そろそろおねむします。もやすみなさ〜い!
>>926 ありゃ、もっと上にもレスがあった。
季咸先生
「巨闕」千字文にもでてきますね。いくつか名前あるんでしたっけ??
別に「干将」「莫邪」とか「属縷」とか、国やらなんやらごっちゃやあ!
「徐夫人の匕首」って謎の夫人もおるし・・・
名刀「村雨」(笑)ってのもあったか。書にも詩にも剣気は必要かなぁ。
>>926 欧冶子が作ったものは「湛廬」「巨闕」「勝邪」「魚腸」「純鉤」でしたか・・。
因みに鳩尾にある点穴も巨闕っていいますね。
>書にも詩にも剣気は必要かなぁ。
剣気と狂気と侠気と色気が必要でつ!先生にはもう儘之備矣!ですね。
>>935 貞松老人にも代筆の方がおいでだったと、
元祖魚屋さんのモコモコした名前の印譜の自序か自跋かに書かれていましたねえ。
近年、何かの雑誌でそのうらづけをされてたの立ち読みしました。
>>935 貞松老人?
モコモコ印譜持ってないのです。
あれはモコモコじゃなくてボコボコだそうです。
では、ほんとうの おやすみなさい!
季咸先生
ついに940超えました。よくきましたね。
僕は「食気」だけですよ、最近は・・・「呑気」だとも・・・やばやば
>儘之備矣
いえ、僕は「藝之人」にして備にはあまり行ったことがないんです。
うう、苦しかった(笑)すみませ〜ん
>>940 昔、山●書店で買った2冊組、売らなきゃよかったなあ。
持ってたら差し上げましたのに・・・
貞松老人が東国博の東洋館に寄贈された画像石、先日観ましたよ。
>>940 >あれはモコモコじゃなくてボコボコだそうです。
これもひとくさり講釈なさっていましたっけ・・・・
趙紫雲は趙子雲ダターヨ。
ん〜、卓見に目が冴えて眠れん・・。
魚屋さん
>>920 >私は徐三庚の刀意は浙派に近いように思います。
これは鋭い!鋭すぎる!!
刻むのですよ徐三庚の刀法は!徐印は原印イパーイ見ましたので判ります。
刻んでいます、点描画のような刀意なのですよまさに!
つまり切刀法でケ派の布置を用いたのが徐三庚なのです。
いや、これは魚屋さんに指摘されるまで意識しなかったです!
他に刻んでケ派の布置をやった人は王福庵でした。彼は刻点のつなぎ方
が緻密でツ印すると刀痕が露骨には出ないのですが、原印を見れば判ります。
いや、ありがとうございました!
もうすぐ、950ですね・・・・・
この板のトップスレッドになってる罠w
コレ、part2に移行するの?
除け
みなさまお疲れ様です。
どうしましょ。ここはいっちょ、
季印仙人!如何?如何?
う〜ん、アタシが立ててもいいですけど、果たして、三人で会話しているこの
スレのpart2を立てていいものやら・・・
魚屋さん
こんにちは、それはごもっとも!
文人スレッドみたくなってるし…
今日の〜仕事はつらかった・・・。
季咸さん
>>946 卓見でした?単なる思いつきなんですけどうれしいです。
王福庵、こんどじっくり見てみます。全然気づきませんでした。
で、もしかして、アク禁?単なる寝不足?
>>953 昼間は失礼しました。
次スレたてるとしたら、「中国の文人について語ろう!!」でしょうね。
立てちゃってもいいような気もするけど・・・。
とりあえず、季咸先生の降臨を待ちましょうか。
長浜ラーメン、実はわたしも滋賀の長浜だと思ってました。
初めて食べたのが京都(河原町だったかな)だったので・・・。
魚屋さん
昨日は京都の姉小路通りで食事(所謂おばんざい)
あとは某ユートピア系在来仏教のお寺に知人に誘われて、
ご住職の学生時代からのお話、愛読の日本霊異記のお話、仏教
美術、看板などのお話をずうとお聞きしていました。
次いで紅灯の巷へと・・・・
で、今になりました。茶ばかり1.5ℓは飲んだ、眠い・・・・
寺の書棚には晋唐宋の肉筆の複製本が多くあり、碑碣、造像記、墓誌銘の
手本はあまり入っていなかったです。
昼に時間待ちの間に立ち寄った書道関連専門の「文○堂」、
王覚斯の複製を求める年配の方がいらっしゃいました。
前回も王を予約する人を見かけた。人気?
趣味で撮影しておられる店店の看板の写真も見せていただいたの
ですが、中に長浜の文房具店の上田桑鳩の額もありました。
?
おはようございます。
昨日はガイシュツしておりましてブラウザ開けませんでした。
で、昼ごろから寝ます。あ、別に悪いことをしてきたのではあり(ry
え〜っと、今のところ三人だけのスレの次スレはどうかと思いまして、
利用出来る放置スレを探してみましたが、相応しいスレタイの放置スレ
が見当たりません。次スレ立てるのもいいかもしれませんね。
これまでの流れでは稍、話題がディープ杉なので、次スレは出来るだけ
他の方も書き込めるように心がけましょうか。
スレタイは魚屋さんの案が宜しいと思います。
現在、ホスト規制喰らっていますのでリアルなスレ立ては出来ないのです。
で、980あたりになったら魚屋さんか大哥先生におながいしたく存じます。
ここからは次スレのテンプレを考えましょうか?
中国を取って、日本の文人も含めちゃってもいいかも。
「文人について語ろう!!」
さらに、今思いついたんだけど、
「文人を騙ろう!!」
ってのも笑えるかも。いや、冗談です。
こんにちは
中国に限らず、江戸や明治〜現代の日本人を含めて「文人スレッド」にしてしまってはいかがでしょ?
小説家などとの区別ややこしい?
魚屋さんが先に書かれていた。もしかして、彼も神?フコ?
中国に限らずって私も思っていました。
賛成です。
じゃあ、僭越ながらアッシがテンプレのテンプレを。
【詩書画】文人について語ろう【悶絶】
王羲之から横丁のご隠居さんまで、古今東西の文人について語るスレッドです。
こんな感じでいかがでしょう。説明不足かな。
詩書画悶絶っておもしろい。文と印はいりませんか?
他板はりつけでOK?
ニセ学長、カモン!
おはようございますー!(って、もう昼やん!)
魚屋さん
>>962 OKOK!!詩書画悶絶、まさに。
「自作詩の発表も大歓迎!自慢の書や印を見せたい方も是非うp汁!」
なんてのどーお?うpろーだの良いの無いかな?リンク貼るのも一興。
大哥先生
>>963 ハロ〜!
>他板はりつけでOK?
奥床しく一二枚が宜しいようで。
変なところに貼ると祭りかとおもわ・・ry
ああ、最後のスペース空いちゃった!これ嫌いなんです。 ↑
季咸先生
>>968 おもしろいです!
>>966 よくわかりました。“祭り”になるのね。「差」(笑)「明白了」中国語に
「かしこまりました」なんてあったっけ。現地の店員さんなんていってるんだろ。
「わかりました」との微妙な違い。
ところで「御意」って日本語?
>>967 あれ僕しょっちゅうなるんですが、なぜ?ならないこともあります。携帯からはならない。
最後字の後に何か入ってるてことですよね。・・・□←この辺を削除して書き込み!→□
970です
大哥先生
>>969 ASCCに逝ってあちこち検索しましたが御意ってないですよん!
ぜ〜んぶ、找不到!ね。どうも日本語のようでつ。しかし・・・・・
・・・・・便利な世の中になったものです。僅か一分で厖大な書海を
一挙に見渡せるなんて!
中国語で御意、どういうんでしょ?差!っていうのは主に宦官や役人の部下
の言葉ですよね。「は!」ってな感じ。
最後のスペースは書き込みボックス右側の・・あ、なんていうんだろ?
スライドさせる爪が一番下にあり、且つボックス下部に空白があるときに
書き込むとそのまま空白が反映しちゃうんです。で、ポインタを空白の左下
に置いてBack Spaceで戻せば詰まりますよ。
ポインタ→カーソルですた。
季咸先生
>>971 ありがとうございます。むこうのTV時代劇とかみればわかるのかも、
でも聞き取れないか(笑)
気が早いかもしれませんが、新スレお祝いのカキコ!
措辞適当でないかなぁ・・・ボケたつもりがやっぱボケ足りないか
新欄開設恭祝寄首
天網有心 文星亙漢
地靈何機 人傑兩岸
>>973 漢は河漢?古漢の漢に掛かっていてイイ!
新天地、文人、共にカコイイ!
お出かけしてきます〜!
兩岸猿聲啼不住〜
むかし、女の子に「パイティー」って中華料理屋さんに誘われてホイホイ
付いていきました。2/14。あとで知った。彼氏にキャンセル食らった無聊を
慰める為だとさ。
・・・一重山、両重山、千万分岐無見関、単行心自寒。(口占)
>>179 趙樸初氏に「兩岸騰光彩」ってありましたね。
もうすぐ、終わりだ罠w
?
糞魚屋偽学長何処逝った!
今だ!セクースしながら980ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
ん?
1000鳥でつか?
記念カキコ!
985
マータリトシタ1000トリデンナ
あと13
988
?
今だ!セクースしながら990ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
あと9
ナルホド・・・・・
994
995
996
997
998
999
1000 :
名無氏物語:03/12/04 19:41
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。