正直、乱立する古典不要論スレッドの安易さにうんざりしてます。
それなりに説得力があればまだしも、試験に出ないとか役に立た
ないとか・・・。おまえらそうやって自ら自分の人間的深みをなく
してるっちゅうの。
かといって、正面から人類の叡智の結晶である古典を学ぶ意義
について説く説得力を持った発言もあまりみかけません。
そこで、このさいとことん古典を学ぶ意義について、積極的に
語りましょう。
これって、教育とか人間性の涵養などについて考える大事なこと
だと思います。
2 :
Ψ(`▽´)Ψ ◆25DQN.Ug :02/06/01 03:57
読んでると心が落ち着いてくる。
これだけじゃだめ?>1
>>1 泳ぎを習得するためには、まず水泳の意義を知らねばならない。
あなたが言っているのはこういう愚かなことなのです。
まず古典を読むことです。辞書を引き引きでもいいし、
現代語訳で読んでみてもかまいません。
その中からあなたが意義を見つけ出せればよく、
そうでなかったら古典との縁が薄かっただけです。
>>3 あなたには私の意図が伝わっていないようです。あなたの論理で言うと
古典を読む機会のないひとや意義を見出せないひとは古典を読まなくてもよい
ということになります。でも、相手が自分で意義をみつけだせないもしくは
そういう意識をもつ前の段階で、他者が古典を教える意義はあると思います。
あなたの意見は、古典をひとびとから引きはなすもので、先行者が後続者に
知的遺産を伝えるという教育的見地がまったく抜け落ちています。
私はいま、現に古典を若者に教える立場にいます。日々、古典を伝える重要
性を感じながらも、説得力のある言葉をつめることがなかなかできないでいる
のです。縁があるとかないとか、まず読むのだとかそういう傍観者的意見は
精神的豊かさをなくす原因にもつながります。
↑偉そうに。ろくに読んでも居ないくせに。のたまうなよ。
あなたのほうがえらそうですね。
古典によって人間性を涵養させたいならば
自分から模範例にならなければなりません。
壱さんの
>>7での発言は慎んだ方が良いかと思います。
古典を読む人間同士でこの様な不毛な言い争いになるのであれば
どんなに言葉を尽くしても
その人間性が見られてしまう故に説得力はありませんよ。
>>5 貴方自身が古典との関わりの中で得た意義を語ればいいでしょう。説得力
がないとすれば、それは貴方が若者を説得してやろう、啓蒙してやろうと
いう態度をとっていることに原因があると思います。貴方は大学の先生の
ようですが、もしそうならば大学の先生は学者であって教育者ではありま
せんから、説得や啓蒙の道具としてまず意義を探すというパターンに陥る
のも仕方ないかも知れません。
「学ぶ意義」とは中学や高校で学ぶ意義を指しているのでしょうか?
高校までは本人の意思とは関係なく学ぶ必要があり、
大学では本人に何らかの必要があって学んでいるのだから
双方を同じ前提で考えることはできないと思うのですが?
やっと語論の出来そうな書き込みがでてきたようです。
>>8 あなたのいうことはもっともですね。ここが古文漢文板だという
自覚と、すれの趣旨をわたしこそが忘れかけていたようです。あなたの
ようなかたのご参加おまちしています。
>>9 私自身の問題は当然あるのですが、このスレでの提案は、みなさんの
考え感じている、古典から得られるものを語りあうという点にあります。
あなたの主張をきていると、意義はあとからついてくるとか、自分でみつけ
出すという感じがみうけられますが、本来はそれでもいいと私も思い
ます。しかし、正面から古典を学ぶ意義を聞かれた場合にどう答えるのか。
個人で納得いく者はそれはそれでよいのです。ただ、公的機関、中学や高校
で一定の時間を費やし、教えられている現状で、なぜ古典を学ぶのかの大義
名分を時代にそったかたちで伝えられれば、学ぶものも全部とはいいません
が納得するのではないでしょうか。参さんの意見は、今までのところでは、
あくまでも、意義は個人的なものという感じですが、教育として現在、教え
ている点にかんしてどうお考えですか。ちなみに私は大学教員ではありませ
んよ。大学教員が学者であって、教育者ではないというのは少し偏見では。
自分は研究者であって、教育者ではないとご本人がいうぶんにはいいと思い
ますが。教育者としての面を意識されている教員のかたもいらっしゃいます。
>>10 基本的には中高で学ぶことも大学で学ぶことも共通する部分はあると
思います。これは、参さんのおっしゃる個人としての古典との接し方の面だ
と思います。しかし、好むと好まざるとにかかわらず、教育機関、たとえば、
中学校、高等学校などで、教えられています。古典に対する個人的な思いは、
それはそれとして非常に重要だと思いますが、そういう思いの自覚されない
生徒たちが、学ぶ意義について疑問を抱くのは至極自然な事だと思います。
これは何も、古典にかんすることだけでなく、他の教科もついてもいえるこ
とです。
議題を整理します。
古典を学ぶ理由、意義
@個人として読む意義。
A教育機関で学ぶ、言いかえれば、個人の意思とは関係なく
教えられていることの意義。
@は、それぞれの人によって違う。しかし、Aとおおいにかかわって
くるものでもある。
Aは本人の意思と関係なく、学校という場で学ぶ、教えるという点で
教育的、社会的にどういう意義があるのかということ。たとえば、江戸
時代ならば、体制側の都合から朱子学が学ばれたことがあった。しかし、
そういう都合以外に、朱子学を学ぶことに意義を見出す事はできるはず。
現代でも、学習指導要領に明記されていることをもっと深めたかたちで、
人間の精神面の発達や人間性の育成という面から、教える事に意義を見出
せるのではないか。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/02 14:24
占いとか迷信が満載の古典なんか、学校で教えるべき教科じゃないだろ。オカルトと変わらない。
廃止しようとすると、現場教師が反対するから惰性で残ってるだけだろ。
ほんとはこんなことやりたくないんです。でも、古典を学ぶ事でえられる
ことはわたし個人としては感じていますが、それが一般という点で弱い
とも思われる。で、周りをみると、古典を教えている側の人間で、学ぶ
教えるということの意義を個人的にも、教育的にも自覚していないひと
がいる。そういう人が、生徒から、「役に立たないから不要」と言われた
ばあい、なにも語りえないという事態が起こる。これは、悲しい。もし、
その機会を有効に使えれば、一人古典の世界に興味を持って接しようと
する生徒を増やせたかもしれないのに・・・。
私個人は、思い入れが相当強く、その面からのアプローチのしかたが
多いのです。でも、社会的に学ぶ意義を明確化できたら(もしかしたら
できないかもしれないが)、よいのになあと思ったわけです。
>>14 あなたは占いが古代においてどういう役割を果たしていたのか
ご存知ですか?科学というパラダイムにどっぷりつかった現代のわれ
われからみると、馬鹿らしいと思われます。しかし、当時としては、
それなりの役割があったのです。
>>11 あなたのスレはどう見ても意義を問うているのですよ。「みなさんの
考え感じている、古典から得られるものを語り合う」のならば、受験
で点を取るにはおいしい科目とかいうものでもいいわけでしょう。
古典と謂ふと,思想の類しか思ひ浮かばない莫迦發見.
>>17 こんにちは。そうです意義を聞いているのです。受験でおいしいも
意義のひとつです。でも、それだけですか?
>>18 思想のたぐいも古典のうちの一つであります。
受験勉強程度でトラウマになってるのか?
>>20 いや,別にアンタに謂ツたワケぢやないけど.
思想に詳しいのなら,ソレで説明してもらツても全然構はない.
>>21 受験勉強でトラウマになる人は、古文漢文を学ぶ事に興味関心
をもてず、なおかつ受験のための手段とも割り切れなかった人では。
>>17 むしろ、なぜ、受験に古典が存在するのかの問いにどう答えるのか
という問題が出てきますよ。あなたなら、どう答えますか?
また夜に来ます。
>>15 生徒から「役に立たないから古典は不要」と言われて何も答えられない
教師は指導力が不足していますね。「君が日常やっていることは役に立
つからやっているのかい?そして、君自身はどれだけ役に立っていると
自信をもって言えるのかな?」と返してやればいいんじゃないですか。
>>19 「受験でおいしい」を意義として認めちゃっていいんですか?あなたが
スレで書いている「人類の叡智の結晶である古典」を学ぶ意義が「受験
でおいしい」ということをその一つに認めてしまうのは、人類の叡智が
「受験でおいしい」という意義を生んだことになりますけど。
>>27 コテハン書き込み歓迎です。
う〜ん「君自身のやっていることが役に立っているのか」というのも
考えた事はありますが、それだとどっちも役に立たないからやっていて
楽しいことをやるっていう意見に有効性がありません。積極的に学ぶ
価値とでもいうものでしょうか。
「受験でおいしい」は方便で言います。接する機会がないよりはマシ
だからです。で、受けているうちに、じょじょに興味を抱けるような授業
を私自身ができるかどうか戦いがはじまります。でも、結局「おいしい」」
で終る生徒もいますし、それが多数です・・・。
>>27 意義は立場によって違ってくると思います。受験科目とう立場
から、点のとりやすさという意義を見出すのは個人の勝手です。しかし、
これは受験と直接かかわりのない場で古典を学ぶばあいに意義としては
無効です。そして、現在の古典不要論の人々が立つ立場が、この試験に
出るなどといった功利的面であるばあいが多いのです。しかし、受験や
資格などとは別の立場から、とくに教育的、社会的面から古典を学ぶ意
義考えようといっているわけです。
自分の場合を言うと、
「単に面白かったから」
ダメ?
>>28 27の内容がコテハンになるのが理解できないのですが・・・・。失礼とは思う
けど、あなた国語の先生なんですよね。
「受験でおいしい」とあなたが方便で生徒に言って、生徒が結果的におい
しいと実感できたらいいでしょう。それは古典が理解できてることなんだ
から。
>>29 受験と直接関わりのない場で古典を学ぶ場合というのは、入試科目に古典
がない生徒か、古典に興味を持つ一般人かでしょう。後者なら個人の趣味
に関わることだから、あなたが意義云々を言う必要なんかないですし、前
者なら入試に関係ない科目を他にもやっているんだから、あなたの学校の
そういう科目の先生にきいた方がいいんじゃないですか。あなたの学校の
特質と、あなたが担当している生徒の実態に即して考えるべきかと思いま
すけど。
今の学校教育の中で古典を学ぶ意義を見つけるのは難しいと思います。
なぜなら学校の授業で思想的、文学的魅力に触れることはないからです。
(古典に限らず、現代文でも文学性について触れることはありませんが)
結局は問題を解く上でのテクニックの教授に終始しているわけで
そのような中で学ぶ意義を見つけろといわれれば「受験のため」以外には
ないのではないでしょうか?
壱よ。あなたがどう古典や漢文をやってきたか知りませんが、易経にも書いてあります。
志しの無い人に何をいっても無意味です。
あなたは高校生に古文・漢文を教えているのかしりませんが、ほとんどの生徒は受験
で必要でやっていると思います。だからそうした志しに報いるように自分の使命を
果たせばいいのであって、大上段に構えて志しの無い者に自分の崇高な志しを説く必要は
ないと思います。そうした同志の者に語りかけたいのならそうした場もいくらでも用意
されています。
教育は下の者が上の者に教えを請うてやっと成り立つものですから、そうした関係が
なくしていくら上から押しつけても何にも意味はありません。
もし語るべきで無いのに志しを語っているとしたら、それは傍から見ればピエロです。
だから慎むのが良いと思いますね。
何を研究してるか知りませんが、同志を見つけてその志しを語るべきです。
それが智恵というものです。
受驗ツてそンなに害惡?
古文の先生ならさ,最初に歴史的かな遣ひとか教へた?
アレ知ツてるのと知ツてないのとでは大分違ふやうな?
その後,(現代かな遣ひで書かれていても)完全韻を踏ンだ詩を讀ませると良いと思ふ.
受験の為というのは
大学に進学した(若しくは進路が大学では無い)人には
意味が無いという事になります。
教育者が「ピエロ」になったほうが
潜在的に古文漢文に興味を持っているほんの一握りの学生にとって
意義があるのでは?
受験古文・漢文を教えるにしても、
徒然草や諸子百家の所だけでも
ピエロになってみたり。
>>35 そこまでやるなら
教→ヘ
歴の本字は出て来ないのですね。
>>37 ンま,ココでのはアソビだから(w>正字正かな
#シゴトのトキは別だけど.
因みにMacだと「教」の本字はバケる.
そもそも古典って、読んで面白かったから書き残されて、現在まで残った作品でしょう?
つまらなかったら淘汰されてますよね?
何が面白いのかは、人によって異なるでしょうけど。
でも古典や漢文を専門にやればやるほど 蛸壺的知識以外の教養が
なくなっていくようにみえるのは何故? 文学部(の教官)に知人
を持つ理系の素朴な疑問です。
>>41 理系でも似たやうなモノでは?
ンまァ,關聯分野が広いから”比較的”増しなのかも知れンけど.
嗚呼,あと,文系のはうが競争ハゲしいから,ソレで歪むヒトもゐると思ふ.
>>1,
>>41-42 マルチポストでスマンが
加地伸行「教養は死んだか」(PHP新書)でも読んでくれ。
>>43 うん、あの本は良いですな。
加地先生の本にしては分かりやすいです。
シカシ,ヴィエトナムのやうに國字を變へちまツたせいで,
國民の大多數が古典を讀めなくなツたら,ニホンはどうなるンだらう?
向かうのインテリが,一生懸命ムカシのコトバ勉強してンの見てて,
ちよつと可哀相になツた.
>>43 讀ンでるが?
だツたらナニガ謂ひたいか分かるだらう,つふ論法はナシよ(w
ちと文章がおかしいナ.
> 國民の大多數が古典を讀めなくなツたら,ニホンはどうなるンだらう?
は
> 國民の大多數が古典を讀めなくなツたのと同じやうに
> ニホン人も古典を讀まなく&讀めなくなツたらどうなるンだらう?
に訂正m(_ _)m
日本はもっと科学が進んで 良い国になるよ。
古典にしか求めることが出来ないもので 重要なものって
そんなにあるのだろうか。 読みやすい現代文学で普通の
社会人には充分ではないか。 余分な教養を誇るのは学者
と趣味人のみでよい。 もっと(文系も)物理化学生物を
学ぶことによってしか 日本は先進国の地位を保てない。
>>47 繰り返しでスマンが,
加地伸行「教養は死んだか」(PHP新書)でも讀ンで呉れ。
先進国の優位=文系人間への君の「優位」(which is imaginary)
、というようなことへの理解は「文系」てきなものがもたらす。
>そんなにあるだろうか。
少しはあると君すら認めている。じっさいにはもののawareは
もっとuniversal。
要するにほっとくのが一番。やりたい奴が必要に応じてやるので声高に古典
復興を唱えてもナンセンス。
>>50 さうかな?
もツと徹底的に教へ込ンだはうがイイと思ふ.古典に限らずネ.
後の祭りになりさうだ.
47みたいなヤツはァ,藝術とかどう捉へてるンだらうネ.
音樂とかは比較的増しだが,美術とかだと摸寫なンてほツとンど
やらないモンだからひどいモンだヽ(´ー`)
戦後出た日本畫の大家なンて數へる程しかゐない.
ソレにしても,最近の教科書見ると泣けて來るヨ...
#意外にも生活科の教科書は良い出來だツたケド.筆者が良かツたからか?
>>31 内容ではなくあなたが「参」というコテハンで書き込むことを歓迎した
という意味ですよ。
だから、個人は個人でいいと私もいったでしょう。あなたは人を中傷するまえに
何か建設的発言をしたらどうです。あなたの意見はないんですか?学校教育で教え
られている現状をどうお考えですかとお尋ねしたはずですが・・・。
>>32 たしかに現状ではそうでしょう。しかし、やはりなかには興味を持つ生徒
もいるわけですし。そもそも受験科目に古典があるという本来の意味を現代的に
考え直してみようという試みですが、所詮ムリなのでしょうか。
でも、逆にいうと内容的、思想的側面に触れられれば、興味は引くという事に
なりますよね。でも、古典の内容は当時の社会情勢に即した形での記述ですから
そのまま語ってもなかなか現代人には理解できないですよね。時代、社会情勢を
超えた古典のエッセンスを現代に通じる形で加工し伝える事はできないでしょう
か?
>>33 受験のための需要はいちおう満たしているつもりです。でも、寂しい気が
します。まあ、ほとんどの生徒が受験で必要だから学ぶわけですが、それは、他
の教科も似たようなものでしょう。でも、現状と理想があって、すこしでも、本
来の目的に近づけられれば・・・と思うのは甘いのかなあ。大上段に構えて言っては
いませんよ。スレは2ちゃん的に始めただけです。実際の授業で、そんなことは
いいません。でも、人間の苦しみや悲しみ、社会と個人、人生と死などについて
悩んだ時に、同じように悩んだ人間が過去にもいて、いろんな考えを残している
って知っていたほうがいいと思います。
>>48 加地先生の本はまだ読んでいませんが、何か古典の現代的意味について
述べられていますか?
>>50 古典復興を唱えているわけではありません。せっかくよいものがあるの
に知らずに過ごすのは惜しい気がするのです。おせっかいは承知で。でも、
現状は学校教育で教えられている。で、一方で役に立たないから古臭いからと
不要扱いを受ける。でも、それはカリキュラムや受験制度の問題もからんで
おり、十分内容を鑑賞することもない授業が行われてきたこともあるはず。
こどもに志やその気を求めても、なかなかきびしいのでは。
>>51 なぜ、もっと徹底して教え込んだほうがいいと思われますか。
>>47 先進諸国が陥っている生きがいや人生における目的意識の喪失
について、いったい科学がどこまで答をだせるのでしょうか。科学が
非常に大切なのは確かですが、科学は「どうなっているのか」の問い
には答えますが、「なぜなのか」の問いには答えられないのです。
>>54 ソノ答へはヒトツぢやない,と取り敢へず答へておかうかな,と.
餘り,一件落着を求めるやうな話題ぢやないと思ふので.
ソレにしても,分からない,ッて謂ツてキレ出す子,増えたやうな...?思ひ過ごし?
優等生程一件落着明快な答へを求めたがるしナァ...
>>52 「失礼とは思うけど、あなた国語の先生なんですよね」が中傷なんですか?
皮肉だと思うんですけど・・・・。
「学校教育で教えられている現状をどうお考えですか」って、どこで僕に
言ってました?19には、「そうです。意義を聞いているのです」とあるん
ですが・・・・。
先生、自分の質問内容の吟味もしないで、「あなたの意見はないんですか?」
はおかしいでしょう。生徒にもそんなふうにしているんですか?
>>56 目先の利益を追求する以外の知識は若いうちに有無を
言わさず教え込むほうが、将来的には本人のためっていう意見も
ありますが、どう思います??
一件落着じゃないから、あえてスレ立てたんですよ。安易な答は
最初から望んでいません。
>>57 失礼ですがあなたのレス全体がけんか腰で、意見をいうと言うより、
あげあしとりに終始している印象をうけます。皮肉も中傷目的でしょう?
>「学校教育で教えられている現状をどうお考えですか」って、どこで僕に
言ってました?
>>11 で聞いています。
>>58 > 一件落着じゃないから、あえてスレ立てたんですよ。安易な答は
最初から望んでいません。
了解.
コレまでのカキコミから,「アンタはどうです?」みたいなコトが...
ツて57も同じコト書いてら.
> 目先の利益を追求する以外の知識は若いうちに有無を言わさず教え込むほう(以下略
そもそも,教育にハナから合目的性を求めるやうな立場も偏ツてゐるのかな?と.
>>59 ンまァ,議論は熱くなツたら負け,つふのを信じて,
ひたすら相手を侮蔑するやうな書込を續けるやうなヤツがゐるのも
事實つふコトで.
>>60 東京大学などは官吏養成のためにつくられたということですが。
合目的性を求めるものは、教育とは呼べないのでしょうか?
>>62 もうチットちゃンと讀ンで呉れい.「ハナから」と書いてるぢやない.
> 合目的性を求めるものは、教育とは呼べないのでしょうか?
だとしたら,專門學校なンて要らないですね,なンて謂ツてみたりして(w
ンまァ,古典を讀むコトで人間のロジックを學ぶ,のかな?>一般的には
そもそも,ロジカルな思考を今の教育は餘り求めてないトコが問題かな?
>>64 失礼しました。
専門学校は、そもそもある技術なり、資格なりを得るための施設で、
それを全面に押し出していますよね。
それに対して、小学校、中学校、高等学校、大学などは今後どういう
位置付けをとるべきなのでしょうか。
>>65 ロジカルな思考とは、例えばベタですが、数学、論理学など?
いや、人間のロジックとはちがいますね。多分に比喩的ですね。
もうすこしわかりやすくお願いします。
今夜はこれで。みなさんお気軽にご参加ください。参さんもね。
>>66 つふかゴメン,けふはもうネルよ.
ンでも餘り話題を広げないはうが良いと思はれ.
> 小学校、中学校、高等学校、大学などは今後どういう
位置付け
はまだ早いだらう.
しかし,エイゴの古典(シェイクスピアとか)有り難がるクセに,
ニホンの古典はソッポ向くヤツ多いよナァ...
↑しかしむりと歴史的かなづかいで書くのも衒学的でむしろあほらくしく思われる
ね。やめろとはいわないが何か変な感じがしますね。
学者か文学者ぶってるんですか?
>>59 11にある「教育として、現在教えている点」のことですか?「学校教育で教え
られている現状」と同じには思えないんですが、まあいいです。この後19で意
義を問うていると先生が認めたんで、こっちの方はもういいのかと思ったわけ
です。じゃあ、こっちの方で考えたらいいんですね。改めてレスします。
72も僕が書いたんで。名前を参にするの忘れてて。
古典(古文・漢文)が言語と歴史という、国の二大財産を併せ持った文化
であることは確かですね。古語には現代語に残っているものも多いし、
熟語なんかは漢文の訓読ができれば意味が取りやすいです。ですから、
古典はまず言語として死んではいないですね。歴史としてももちろん
死んではいません。日本は断絶なく続いていますから。
国の財産である古典が、公教育の場で伝承されていくのも当然のことと
思います。公教育は国民教育のことだし、学校は国民育成機関ですから
ね。ただ、その教え方とかになってしまうと、もうひとつはっきりしな
いですね。このへんは先生はプロなんだから、先生の方からもう少し具
体的な問題提起がほしいと思います。
古典はその国(民族)の思想、文化の結晶であり
民族の魂のようなものです。
これがなくなれば、我々は今すぐにでも歴史の舞台から
姿を消すことができるでしょう。
>>72 アソビだ,と謂はなかツたツけ?
それと,普段でもシゴトで使ふけどネェ.
少なくとも衒學ではないわな,俺にとツては.
#ツて謂ツてもソレが業務の全てなワケぢやないけど.
嗚呼,間違ひ.↑上のは71ムケね.
合目的性のヒトツとしてはァ,「歴史」かな?
シカシ,古典に歴史を教へる目的があツたとしても,
今の教育は現代ですらキチンと教へてないからナァ...
何日かまへのワイドショーで
「私が学生の頃から第二次大戦あたりは自習でしたよ」
つふ發言があツてビツクリヽ(´ー`)
>>77 「ゆとり教育」等という物まで出て来て
歴史知らずも更に拍車がかかりますよね。
「日本と亜米利加が戦争した事があったんだって」
「へー、どっちが勝ったの?」
等というのもありましたよね。
「ゆとり教育」とやらの影響が
国語(古文漢文含む)や歴史に来るのでしょうかねぇ。
「生きる力」とかなんかも
国語に力を入れれば或程度何とかなりそうなんですがね。
>>73 その観念は「古典」ではなく「国語」に対するものではないのですか?
>>79 「その観念」とは、どこを指しているのですか?
ここでの古典は古文・漢文のことなので、古典は国語じゃないのですか?
古典なんて上流の一部の人間の娯楽に近い。 当時も今も。
日本文化のごく一部にすぎない。 いまの日本でいえば
芥川賞をとった小説で日本文化を論じるのと似ている。
アニメや漫画が日本文化の主流だろ。 漢籍や国学の流れ
が消えたところで 日本文化のよい所は失われない。
漢学者や国学者は浮世絵や浄瑠璃をばかにしてたけど、
どっちが日本文化に寄与したかは明らか。 古典を学校で
教えるくらいなら 漫画や映画を教えたほうがよい。
↑それでは聞くが、明治維新の時立ちあがった草莽の士はその多くが下級階級
の出であったが、松下村塾の例を出すまでも無く漢学を学ぶことによりその知力
・教養を高めたのであるが、それでも上流の娯楽といえますか?下級の人でも学ぶ
人は学ぶと思いますね。やる気があれば。
要するに少なくとも娯楽以上のものであり、精神力を高める役割を果たした。
明治維新を引き起こす言動力となった。また四書五経などの経学の学習によって
抽象的理解力を高めていたために西洋の哲学・科学もほとんど苦労することなく
受容する力が育てられた。
現在でも思考力を高めたり志しを高める点で漢文などには計り知れない
効果があると僕は思いますね。
他の言語のロジックを学ぶのは 現在では英語でよいということに
なるね。
>>81 漫画や映画を教えるぐらいなら学校そのものを無くせや(w
古文や漢文を教えるぐらいなら学校そのものを無くせや(www
>>81 貴方の話も小学館漫画大賞で日本文化全体を論じる様な物ですよ。
浮世絵・浄瑠璃や漫画・映画も日本文化の一面に過ぎないのです。
其れは古文漢文も同じです。
どちらも日本文化なのです。
どちらが良い悪いとは一概に決められません。
ただ、学校で漫画や映画を教える必要は有りません。
漫画は教わらなくても読めるでしょう?
まぁ、最近の殆どの漫画は昔に比べて面白く無いですが。
あ、其れは小説の類も同じですね。
あほー ぼけー かすー
古文も教わらんでも読めるワイ 漫画を読めるようになるのも
楽しんで数多くこなすから 自然にその文法(ロジック)技法を
体得してるだけ。 糞下らん衒学的な古典は変態しか のめりこまん
だけじゃい。 あほんだら。 読み本黄表紙とかは いまの
漫画と同じ。 連歌や俳句の会は2chにあたるの。
カビの生えたモンやらんで 2chやったほうがええで。
馬鹿ども はやく石鹸になれ。
>>87 古文を教わらなくても読めるのですか?
少なくとも文法等習わなければ普通は分かりませんよ。
漫画と違ってよっぽどの特別な環境が無ければ
自然に体得など出来ませんよ。凄いですねぇ。
ただ惜しむらくは其の文体。
それと、
>カビの生えたモンやらんで 2chやったほうがええで。
既にやってます。
更に、石鹸云々は別スレ。
残念でした。39点。
うぷ つれた つれた 文系馬鹿が
昔のひとも文法なんかやんないで 読書百篇意自から通じたの。
文法を教えてもらわないと読めないなんて 甘ちゃんは学問を
やる資格無いぞ。 だからODか しがない国語教師やってんだろ。
はやく石鹸になって 世間のお役にたてよ。
>昔のひとも文法なんかやんないで 読書百遍意自から通じたの。
おやおや、そんなんじゃあ独りよがりになっちゃうでしょ。
そんな事出来てトンデモさんじゃないのは一部の人だけでしょ。
>文法を教えてもらわないと読めないなんて 甘ちゃんは学問を
やる資格無いぞ
文法教えてもらって独りよがりを無くすのが学問でしょ。
>だからODか しがない国語教師やってんだろ。
違いますよん。
>はやく石鹸になって世間のお役にたてよ。
だから別スレだってばぁ。
・・・ってな風に反論(のふり)しようと思ってたら・・・
>>90 読書「百篇」て(w
それで意自ずから通じるんですかぁ。
すごおおおおおい。
・・・すみません。
3〜4レスも無駄にして。
まあ からかってるだけだからミスもするわな。
だからそういう一部の人以外は 学者にならないで
コンビニの店員でもやってりゃいいの
本気で漢文やれば絶対に好きになる。
そういうもんさ。
大学の貧乏教員かい 独立行政法人になって路頭にまよわないようにな
>>91 正確に言うと「読書百篇、『意』おのずから通ず」ではなく、
「読書百遍、『義』おのずから通ず」です。
『蒙求』出典の言葉です。ほら、漢文が役に立った(w
ということは あんたも間違えてたわけですな(笑
今はいい工具が多数そろっているのでおのずから探らぬとも辞書に書いてある。
ばかげたことをいっていてはいかんね。
揚げ足取りには役立ったね(藁
100 :
名無氏物語:02/06/07 01:44
100!
101 :
名無氏物語:02/06/07 01:45
さ 馬鹿をからかうのも 飽きたのでねるわ おやすみ
102 :
名無氏物語:02/06/07 10:03
>ンまァ,議論は熱くなツたら負け,つふのを信じて,
>ひたすら相手を侮蔑するやうな書込を續けるやうなヤツがゐるのも
>事實つふコトで.
103 :
名無氏物語:02/06/08 20:01
ここの住人って馬鹿馬鹿を連発するね。古典ヲタク気持ち悪い。
>>103 馬鹿馬鹿いうのは古典知識がそんなに無いのに書き込みしている
おまえやおれみたいな馬鹿のみです。
105 :
名無氏物語:02/06/08 20:17
にチャンネルをやめて大くぁんわをひいたほうがいい。
大漢和轢きたいが家に無い。
107 :
名無氏物語:02/06/08 20:54
少なくとも語彙索引だけは家に揃えておけ。
若輩ものですが少し思うところがあったので意見をば。
自分は理系で中学以来ほとんど古文漢文に興味がありませんでした。
しかしながら、古文漢文の全体の意味しているところには
興味があったと今ではおもいます。これは、学者、研究者が古文漢文を訳し、
それを読むことによってその古文漢文の論点をつかむというものです。
私は、漢文の儒家や道家の思想を訳本で読んだだけですが、それらの思想の中で
自分は納得できるところや、感銘を受けることができるところが多々ありました。
これを義務教育の過程でわかりやすく、古典文学、思想として教えてほしかったなぁと、
思ったりします。
今の義務教育では、古文漢文の原文から語句の意味をとり訳す、のような
「訳す」作業が多すぎだなぁとおもいます。
私が読んだ(読んだといえるのかは,疑問ですが)数少ない漢文の「孟子」では、
一つ一つの語句の意味を考えすぎて文の意味を取り損ねてはならない。
また文の意味を考えすぎて、作者が伝えたい真意をとり損ねてはならない、とあります。
今の義務教育過程の古文漢文は語句の意味をとることや、訓読みしたりすることが
主になっている気がします。若い人が興味をしめせないのももっともだ、と自分は思いますね。
論点が違っていたらごめんなさい。駄文失礼しました。
>>109 高校で倫理を履修していれば幾らかは思想の部分はやれたのにねぇ。
それは兎も角、古文漢文を学ぶ意義に就いてではありませんが
貴方の論も貴重です。
昔(戦前ぐらいまで)と今とでは
一般の人が古文漢文を学ぶ(主な)意義が変わったのですかね。
人間修養から受験勉強といった様に。
壱先生はどうしたのかな?
112 :
名無氏物語:02/06/09 23:03
>人間修養から受験勉
それはまずないだろう。その理由ははっきりとはしないが述べてみる。
まず今の受験は管理が行き届きすぎ機械のようである。目的自体が昔よりも卑しくなっている。
また内容も味気ない。
また志だとか道徳的なものを育てる部分が全く無い。要するに読書がない。
むしろ読書は暗記には役立たぬ無駄なものとされている。本など読まずに
いかに効率的に暗記するかとなっている。
人間修養に読書は不可欠だ。それがやる気や意欲や情熱を呼び覚ますのに
そうしたことがない。では国語はどうか、ということだが自由な解釈を
許さぬ厳格な管理読書が実質行われている。
もっと自由に愉しんで学問ができないものだろうか。
古文・漢文を自由に読める環境が必要だろう。
113 :
名無氏物語:02/06/11 04:50
>>82 >現在でも思考力を高めたり志しを高める点で漢文などには計り知れない
>効果があると僕は思いますね。
漢文を勉強していない人(例えばアメリカ人)と比べて漢文を勉強した
日本人は思考力が高いということでしょうか。
>>113 は少し煽りっぽかったかな。
要は「漢文は思考力強化に役立つ」という命題が真であるならば
それを証明するなんらかの客観的な根拠があるはずだということです。
115 :
?3?c?E´?E`?n?AE?E`?-?d:02/06/11 09:09
116 :
名無氏物語:02/06/11 12:13
漢文(漢詩)の重要性をとくのなら、江守徹みたいなド素人に
漢詩の朗読をやらせてる現状をどうにかしてください。
NHKですら、この程度ですが何か?
117 :
名無氏物語:02/06/11 12:20
高校生ですが、漢文や古文好きです。
幼稚な文章しか載ってない英語とは違って、
漢文や古文、特に漢文はとても大人の内容で
そこが気に入ってます。
118 :
名無氏物語:02/06/11 20:52
>113
欧米人でも古典的教養のある者は精神力が強靭だと思いますね。個人の強靭な
精神に古典を読む中で触れ、様々な事を知ったり考えたり感化されます。要するに
思考するに至る。では何が身につくか、と問われれば一言では云い尽くせないものが
ありますが、要するに総合的な人格が形成される。
例えば言葉を精確に理解する力や、内容を理解しそれによる思考力、現実の問題に
過去の前例を適用して思考する力、など諸々のトレーニングがなされる。そして
人格が完成していく。特に素晴らしい筆者の著したものを読むことでその志を
直接受け継ぐことができる。
119 :
名無氏物語:02/07/18 09:30
おかしいなぁ
周りの古文漢文の教師を見る限り、尊敬に値する人格者には見えない。
どちらかいうと人格破綻者に思えるんだが、
120 :
名無氏物語:02/07/18 11:48
>>120 人格者なんてまずいない。現実はそんなもんだよ。それは大学の文学科の教授を見ても
わかる。まあ、人格破綻者が多いっていうのは多分君の周りが偶然そうなだけだと思うけど。
121 :
名無氏物語:02/07/21 09:04
壱先生 夏休みですか?
古典不要論のスレの中、いろいろ見てきました。どうも、論戦になっておりません。
「〜削除せよ○○○」は、中でも混乱が混乱を招き、よいレスが埋もれているのが
残念です。以上前期まとめのレポートでした。
122 :
名無氏物語:02/07/21 20:35
>>121 こんな所で論戦はムリだと思うが。学問や教育について真剣に討論したいのならば、
現実の世界できちんとやるべき。
結局、人間性の涵養に役立つってことで結論出てるんじゃ
124 :
名無氏物語:02/07/23 18:07
あんまり 道徳的には 読みたくないす。
面白ければ読むし、つまらんければ読みたくないす。
んでも、がまんして読みこともあるす。 う〜ん、えらい。
正直人間性の涵養にそれほど直結してるとは思えないが。
精々その材料の一つになれば良いほうでは。
人間性を養うのに最も重要な要素はなんだかんだ言っても実践だと思うし。
ただ
古典研究なんて脆弱なものだから多分なくそうと思えばなくせる。
けれど、一旦途切れた後それを復帰させるには相当な時間・労力・資金が必要になるのは間違いない。
要らないと喚く人々はもしそうなった時に果たしてその責任を負えるのか、
または確実に復帰させることはない、と言い切ることでもできるのか、
とは言いたい。
とまぁ、とある偉い方の受け売りだが心底納得できた。
受験勉強どうこうには全然関係ないけど。
ただ、大学入学まで自国に古典があることさえ知らなかったという学生は想像すると寒いが。
必修から外せばかなりの確率で生産されそうだと思ってしまう。
>>124 えらい。心から応援する。がんがれ。
126 :
名無氏物語:02/07/25 21:57
ん、がんがる!
127 :
名無氏物語:02/07/28 16:57
まず、古典を学ぶ必要があるとしても、中高生の段階では現代語訳で十分。本物を理解するには現代語訳では無理だ、という反論が聞かれそうだが、いずれにせよ中高生でそこまでの水準に達する生徒は皆無に近い。せいぜい文法と単語を暗記して受験対策をするのが関の山。
また、漢文はともかく、日本古文には学ぶに値する内容はほとんどない。くだらない色恋物語や迷信の類がほとんど。また、当時の差別的な思想が反映されていて、現代の生徒に教えるにふさわしくない物が多い。
日本の知識階級が学んだ漢学というのは、今の言葉で言えば哲学や倫理だね。
何も中国古典でなくてもいい。アリストテレスとかでもいいではないか。
それと、国語の授業はもっと論理的思考力を養うことを目指すべきである。現在の教科内容は、名作鑑賞に偏りすぎ。
>>46 > ニホン人も古典を讀まなく&讀めなくなツたらどうなるンだらう?
別にどうもならないと思いますが。
韓国朝鮮人やベトナム人も漢字廃止で古典が読めなくなりましたが、それで民族性が失われたとはおもえませんね。そんなものですよ。
>>129-131 面白くないひとだねえ。
日本にも色々学ぶに値するものはあるでしょう。
徒然草だの何だのあるでしょうよ。
とりあえず、論理的思考能力とか言う前に
もう少し読みやすく書いてくれません?
一行一行が長すぎる。
復活age
掃除
掃除
掃除
掃除終了
>>129 あんた読んでないでしょ。正法眼蔵とか歎異抄とか
読んでみ。
>>138の云うとおりで御座います
先ず読んでみてから、良くないなど討論いたしましょう
ココで書かれる、学者・教授・助教授・非常勤講師にもう一度考えて
頂きたく存じます
あなた方がもし文句を云いたいのでしたら、実証してください
私は、半人前の学者として申し上げておきます
古典の必要性は、充分に『正法眼蔵』に書かれておりますよ
「仏道を習ふといふは、自己を習ふなり。自己を習ふといふは、自己を忘るるなり。」
につきますよ!
『かごめ』を書いている、しょぼくれ学者より
140>>
変なものではなく、論議を呼ぶ場にしたい!
142 :
名無氏物語:02/10/05 00:50
漢文=表意文字のみの世界
英文=表音文字のみの世界
現代文=表意表音混沌世界
比較してそれぞれ長所と短所を探せってこった。古文はワカラン。
>142 そりゃ、なに?文字の長所と短所をさがせってこと?
内容はいいんかい!それに漢文英文に対する現代文ってなんだ?
現代日本語のことか??
古典の必要性云々議論してるのに
古典に書いてあるから読め、だってよ。アフォか。
145 :
東洋史学者のヒナ:02/10/05 06:52
>また、漢文はともかく、日本古文には学ぶに値する内容はほとんどない。
>くだらない色恋物語や迷信の類がほとんど。
例えば、「近隣諸国が中国王朝といかに交際したか」を国際比較する場合、
鎌倉時代以降(特に室町期)の日本の状況を知るためには、「日本古文を学び」、
そのうえで当時の「日本古文で書かれた外交関連の文書」を読解する必要がある。
当時の外交関係を扱った文書の中には、「くだらない色恋物語や迷信の類」に該当する文面は「ほとんど」存在しない。
したがって、キミのカテゴライズは全く誤りである。
146 :
東洋史学者のヒナ:02/10/05 07:06
>>142 名前:名無氏物語
> 漢文=表意文字のみの世界
全っっったくの誤り。
試しに下記の漢文の傍線部を訳してみれ。
傍線部は固有名詞じゃないぞ。
四川総督策楞等奏「酌定西蔵善後章程。・・
一、各処喋巴等官、有管理地方、教養百姓之責。・・・
 ̄ ̄
一、卓尼爾・商卓特爾・曽本・随本各官名色、惟達頼喇嘛前有。・・
 ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄  ̄ ̄
>>146の出典は清実録(高宗実録巻三五八)、乾隆十六年三月乙丑の条。
関西人は「我」を「俺」みたいに発音しろ
わ↑れ↓ って発音するのは関東アクセント
古語は100年前の関西弁
今の腐った言語にそまるな
149 :
名無氏物語:02/10/06 00:54
150 :
名無氏物語:02/10/06 04:02
>「日本古文で書かれた外交関連の文書」
そういうのは99%までワシュウ漢文で書かれるんだが。
151 :
東洋史学者のヒナ:02/10/06 04:23
153 :
2チャンネルで超有名:02/10/06 07:59
154 :
名無氏物語:02/10/06 15:28
>>146 「全っっったく」は「まったっっったく」と読むのかい?
つまらん手品で素人を面食らわせて喜んでいるようでは
ホンモノの学者にはなれんよ。
155 :
kobune:02/10/06 15:54
156 :
名無氏物語:02/10/06 19:15
>151 紛れもない漢文。
漢文って、漢代に書かれた文章じゃないの?
157 :
名無氏物語:02/10/06 19:30
158 :
名無氏物語:02/10/06 20:49
>157 アフォが。そういう定義の「漢文」もあるんじゃ。
159 :
名無氏物語:02/10/06 20:57
そういう定義でない「漢文」のことを話しているんだろうが。
お前は話の筋が見えないのか?
160 :
名無氏物語:02/10/06 20:59
ネタにマジレスですか?
161 :
名無氏物語:02/10/06 21:04
ネタにマジレスしたふりのネタに「マジレスですか?」
とマジレスしないで。
162 :
名無氏物語:02/10/06 21:07
「ネタにマジレスしたふりのネタに「マジレスですか?」
とマジレスしないで」とマジレスしないでね!
163 :
名無氏物語:02/10/06 21:11
「ネタにマジレスしたふりのネタに「マジレスですか?」
とマジレスしないで」とマジレスしないでね!
とマ(以下略)
>>154 そんなこたぁ、どうでもいい(ワラワラ
>>142の「漢文=表意文字のみの世界」という珍命題を正しいと主張するデムパは、傍線部を「表示文字」として書き下し・和訳をしてみれ。
四川総督策楞等奏「酌定西蔵善後章程。・・
一、各処喋巴等官、有管理地方、教養百姓之責。・・・
 ̄ ̄
一、卓尼爾・商卓特爾・曽本・随本各官名色、惟達頼喇嘛前有。・・
 ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄  ̄ ̄
清実録(高宗実録巻三五八)、乾隆十六年三月乙丑の条。
165 :
名無氏物語:02/10/06 21:28
そんな電波さんはもういないと思われ。
だからあなたもそんな文章何べんも書かなくて良い。
166 :
名無氏物語:02/10/06 21:30
>>164 デムパはお前だよ。もう救いようが無いね。
167 :
名無氏物語:02/10/06 21:31
そうだそうだ。イタイよ。ヒナ。
168 :
名無氏物語:02/10/06 23:36
>>164 ほぼ表意文字のみってことじゃないの?
それに
>>142は1つの観点にすぎない。
いちいち重箱の隅をつつくようなこと言わない。
169 :
名無氏物語:02/10/07 00:05
>>164が言ってるのは「表語文字」かそうでないかでは?
170 :
名無氏物語:02/10/07 00:59
>1
つーか役に立たないことガキに教えているのならば、
古文教師には税金払う必要ないだろ。
171 :
名無氏物語:02/10/07 01:37
>古典はその国(民族)の思想、文化の結晶であり
>民族の魂のようなものです。
>これがなくなれば、我々は今すぐにでも歴史の舞台から
>姿を消すことができるでしょう。
明治時代の士族も「刀」は武士の魂だとか言って廃刀令に反対したんだよね。
民族の魂ではなく、古典ヲタの魂にすぎないね。
勝手に部分を全体に拡張しない(wwww
172 :
名無氏物語:02/10/07 01:48
>生徒から「役に立たないから古典は不要」と言われて何も答えられない
>教師は指導力が不足していますね。「君が日常やっていることは役に立
>つからやっているのかい?そして、君自身はどれだけ役に立っていると
>自信をもって言えるのかな?」と返してやればいいんじゃないですか。
社会の役に立たないことばかり教えられたら、
ますます役に立たない人間になってしまうヨ!
古典ヲタ、マジ痛すぎ!
173 :
名無氏物語:02/10/07 01:55
174 :
名無氏物語:02/10/07 02:02
>
>>47 先進諸国が陥っている生きがいや人生における目的意識の喪失
>について、いったい科学がどこまで答をだせるのでしょうか。科学が
>非常に大切なのは確かですが、科学は「どうなっているのか」の問い
>には答えますが、「なぜなのか」の問いには答えられないのです。
つうかこれって「哲学」の意義であって、古典を学ぶ意義とは別問題。
「科学」に限界があるのはこの世の全ての現象を「実証」できないため。
科学の限界を補うのは「文学」ではないのよ。
175 :
名無氏物語:02/10/07 04:43
>君自身はどれだけ役に立っていると
>自信をもって言えるのかな?
こんなこと平然と言える教師は人間性を疑われます(w
役に立たない人間が役に立たないことばかりを詰め込んでしまえば、
ますます役に立たない人間になるのでは?
と、不安になってしまう人の方がよほど人間らしいです。
176 :
名無氏物語:02/10/07 06:09
古文を学ぶ意義の一つ。
自分の言語野に時間的拡がりを持たせること。
私は古文を習っていて、それが自分の持つ言葉達に与えられていく過程で
非常に脳みそが気持ちよかったから、古文は好きだった。
「古文が役に立たないからいらない」と言う人も
「CD聞いたって役に立たないからいらない」とは言わない。
要するに 強 制 で あ る のがいやなのよね。
役に立つ立たないを持ち出すのは、なんとかして
「こんな古文なんか否定したい!」という感情の表れだと思う。
しかし強制がいけないという考えなら正しい。
古文の持つ本当の面白さに気づくためにも、強制はもうやめてほしい。
ていうか古文だけじゃなくて他の教科もそうだけど。
脳は一人一人オーダーメイドなのに
教科の種類も理解の進度も全員一律で強制されてさあ。
勉強の面白さがどんどん減っていってしまう。
読み書き計算程度を強制にして、残りは好きずきにして欲しい。
古文を知っておけば、数学でも何でも全ての教科に役立つことは申しておきます
しょぼくれより
178 :
名無氏物語:02/10/07 14:42
塵劫記とか?
だっせー
内容の良さ、人間性・感性云々を理由に持ち上げただけでは、
結局、趣味の問題となってしまうので、
いろいろな側面から考えた方が良いと思ったんだがなあ。
>>143や
>>146みたいな粘着は逆に古典離れを促進しているようにしか思えない。
180 :
名無氏物語:02/10/07 14:59
>>174 >つうかこれって「哲学」の意義であって、古典を学ぶ意義とは別問題。
>「科学」に限界があるのはこの世の全ての現象を「実証」できないため。
>科学の限界を補うのは「文学」ではないのよ。
まず、古典といったら文学という視点が狭すぎる。また、実証できるか
できないかは大して重要ではない。実証できないことだって、いろいろある。
古典には文学・哲学・宗教など、人間の精神活動のあらゆるものが含まれて
いる。そして、そこから何を読み取るかは個人の自由。古典から、科学の 限
界を補うようなものをうることも不可能とはいえない。もちろん、読み取れな
い人もいるだろう。ただし、読み取れないからって、その人が悪いわけではな
い。
>>179 ある程度の人生経験を経ると、しみじみと共感できるものが
古典にはある。若者のそれを求めるのは、無理といえば無理だ
し、必要ないとも言える。ただ、古典と言うものの存在自体を
伝えないと言うのは、文化の伝承、存続という点からも、また、
個人的に古典にかえるきっかけをもたらさないという点からも、
よくない。
>>176 あなたの言う事ももっともだ。強制はよくない。しかし、
たとえば、学校の授業がそれなりに興味を引き、生徒の関心
を喚起するようなものだったらどうだろう。日本の古典文学
についても、文法や無味乾燥な直訳調の現代語訳ばかりやる
のではなく、もっとその作品の作者の人間性や時代背景など
を、誰でもが持ち合わせているはずの、人間の共感性をくす
ぐるような視点から伝える、など。
正直言って、今までの学校の授業形態に古典嫌いの責任は
多分にあると思う。古典自体に責任はないのだ。ただ、それを
興味深く教えることの出来ないわれわれ教える側の技量と人間
洞察力の浅さが問題なのだ・・・。
184 :
2チャンネルで超有名:02/10/08 01:13
186 :
名無氏物語:02/10/08 02:36
>>142 反論できないアフォが悔しがっております。
>>178 「塵劫記とか?だっせー」とあるが、何がださいのか?
本文の内容を、しっかりいえないのでは「だっせー」と言うのはおかしい
学者としてあるまじき行為
「古典をやらぬものは、人間としてだめになる」と達磨はいっておこう
これは、柄谷行人氏も同様なことを述べているぞ!
喝!(汝自身を知りなさい!ソークラテースより)
188 :
名無氏物語:02/10/09 00:44
>古典には文学・哲学・宗教など、人間の精神活動のあらゆるものが含まれて
>いる。そして、そこから何を読み取るかは個人の自由。古典から、科学の 限
>界を補うようなものをうることも不可能とはいえない。もちろん、読み取れな
>い人もいるだろう。ただし、読み取れないからって、その人が悪いわけではな
>い。
「哲学」も含まれているならば「科学」を補うことにもなるだろうが、
それを別に古典として教えることもないだろうに。
内容が充実した文章ならば、直訳調の現代語訳でも無味乾燥とは言えない。
哲学・科学・宗教などの思想を古典として教えれば
かえって取っつきにくいものとなってしまうのでは?
学校だったら道徳や公民・倫理社会などで教えれば良いわけだし。
結局、内容より「文学」つまり表現技法や鑑賞に重点を置いて古文や漢文は教えるべきだね。
>183
授業内容がよくても強制になってるのはどうかと思うけど。
どんっっなに楽しいものでも「強制」になった瞬間、もう色を失うと思う。
あと授業がつまらないのは、教師自身が古文にほれこんでないから。
場合によっては古文は読めない人なんかもいて、
「うお〜〜〜、古文なんて面白いんだ〜〜〜」と思いながら授業してなくて、どうして聞いてる人が興味を持てるのかと思う。
ちなみに私は「うお〜〜〜」と思っているタチで、何度かそっぽ向いてた生徒の目がすうっと黒板にすいつけられるトコを教壇から見たことがあります。(まじです。それほどすごい訳じゃないけど、確かに何度か見た。イキテテ良かった、と思った。)
授業をする最低のラインとして教科に感動している・ほれこんでいるというのは必須だと思うので、
私には絶対社会の授業は兼ねられないわけですが、理数系の馬鹿な塾長なんかは社会と国語がいっしょだと思っていて、
1教科だけの人はダメとか言ってくるので私のような「生徒にそれを感染させてしまうほどの古文傾倒人」は教場からスポイルされてしまいます。
主観よりも客観が常に正しいと思ってる○○な頭の人は、
主観と「自己陶酔」をごっちゃにしているので、この「感動していなければならない」ということの意味を理解できません。
で、その「古文にほれこんでもいないのに授業しなければならない人」ほど
古文を学ぶ意義を問われたときにどこかで聞きかじった哲学系の話を持ち出すのね。
裏打ちがないから、変な理論武装に走る。
難しいこと言ってなんとかごまかせ、という発想がだんだん
「いや、ほんとにそうなんだ。そうそう。俺はそうだと信じてる(ことにしてしまえ!)」
となってった気がして危険を感じる。
「ことにしちゃえ」は危険だ。
古文を学ぶことに反発を感じている生徒を理論武装ではじき返してしまえば自分は楽かもしれないけど、
ますます「ったく訳わかんねえよ、やっぱ古文やるやつはセカイが違っちゃってんだなー」とか思われて意味がない。
古文を学ぶ意義はただ、「お も し ろ い か ら」だけで十分。
「強制してもいいくらいおもしろい授業をする」のではなく、
「強制しなくても聞きにきたくなるくらいおもしろい授業をする」のが正解です。
生徒に哲学めいた「建て前」を差し出して「これでいいのだ、これで分からない奴はばかなのだ」と扉閉めちゃうのではなく、
「ほんとは強制はいけないと思うけど、今の制度ではしょうがないから。。。」
とか、「本音」を言った方が信頼が得られると思う。
(生徒に本音が言えないのは、生徒を信頼してないってこと。それで信頼されるわけがない。)
その上で、思わず感染しちゃうような古文への情熱を込めて、
かつ受験に必要な知識もわかりやすく押さえて授業をすれば、
生徒はだんだん「古文、いいかも・・・」と思うようになる。
古文て長文読解に関しては教え方の体系もできてない訳だし、生徒が反発心を感じるのは当り前。
そこに驚異を感じるあまり理論ではじき返したりしないですむように、
まず古文をだーい好き♪になって勉強して裏打ちを持たないとね。
そして胸をはって「おもしろいから!」と言う。
>>188 なんでそう目的論的に考えるのしょう。「古典で哲学を教える」
のではなく、古典にそういう要素が含まれている。ということなのです。
そして、それは、人類の精神活動の歴史のなかで生み出されてきたという
歴史を学ぶ事にもなるのです。
>>189 教育というものは、多かれ少なかれ強制が伴うものです。
ほおっておいて自分から学ぶものなどは、ごく少数です。
強制は強制される側にとっては、嫌なものですが、ある共同体
や文化の中で生きてゆくためには、そこで行われているルール
に従わなければならない。それは、言葉であり、社会制度であ
り、人間関係であるわけです。そういうものを歴史的にとらえ
ると、古典を学ぶ意義もおのずと理解されるでしょう。
たしかに強制しなくても聞きにきたくなるくらいおもしろい授業
をするというのは、理想です。しかし、理想ばかり高らかに歌い
上げても、現実的に教育したり、文化を前の世代が後の世代に伝
えるという責任を果たす役割は果たせない。
わたしも、古典にほれ込んでいるところはありますが、それは
それとして別問題です。個人として好きであることと、教育という
場で、教えるということは違う面もある。まあ、重なれば一番よい
とは思いますがね。
それから、私は生徒に対して古典を教える意義を理論的に整備し
ようと思っているのではない。そんなこと生徒が受け入れないのは
現場にいる人間としてはわかりすぎるくらいわかっている。しかし、
教育として現に教えているし、知性や教養を身につけるという観点
からきちんと、教育機関で古典を学ぶ意義を再確認しておくのが必要
ではないかと思うのです。
そういう意味では「おもしろいから」だけでは十分ではないと思い
ます。
194 :
名無氏物語:02/10/10 22:42
古典を学ぶ意味ねぇ...
ここは一つ、温故知新といきましょう。
「...名不正、則言不順。言不順、則事不成。事不成、則礼楽不興。
礼楽不興、則刑罰不中。刑罰不中、則民無所措手足。故君子名之、必可言也。
言之、必可行也。君子於其言、無所苟而已矣。」(論語 十三、子路 三)
で、今使ってる口語は、元々は学校で習ってる文語や古典だったわけですよね。
だったら、今使ってる日本語を学習する上で、口語の成り立ちとして文語文学や古典を学習するということは、とても意味のあることだと思います。
それは数学で言えば、連立方程式(古っ!)やグラフ、果ては微分積分などこれらを学習するのには、まず、四則計算が出来なくては駄目なのと同じです。
今、私たちがもっている知識というのは、結局は歴史の積み重ねによって成り立っているものですから、
知識を身に付けようと思うのならば、今までの積み重ねを学ばなければ本当の意味で学問を修めることにはならないと思います。
そういう意味で、古典を学校で習うということは、意味のあることだと思います。
>>194 古文を学ぶ意義に語学的な面があるのはたしかだと思います。
こどもたちはあまり興味を持ちませんが、現代語と違った表現形
式をとる古文を語学的に学ぶことは、思考力の養成という面で、
実に有益です。古文を読みつつ、主語、目的語を自分で補うとい
う作業は語学を学ぶ上で有益です。
また、たとえば、平安仮名文では、しばしば主語や目的語が
省略されますが、それは、敬語という、動作主を特定する別の
手段が現代語よりも非常に発達していたからです。ここでこの
敬語を使う相手はこの人物しかありえないというふうに。主語
はおのずと決まるのです。また、読者が非常に限られた人々、
たとえば宮中の女房や一部の男性貴族などなので、それほど説
明的な表現をせずとも、宮中の人物関係や貴族の行動は察しが
つくという理由もあります。こういうふうに言葉ひとつからも
当時の社会情勢や、それを反映した言語とはどういうものかと
興味深い事は多くあるのです。
ほかにも、古文ではあれほど言語主体の心情を表す助動詞が
発達していたのに、どうして現代語ではそれほど多くなくなっ
たのかなど、興味はつきません。
>>195 じっさい、平安仮名文の読解力は英語の読解力の上を行く
ばあいが多々あります。英語は発音はむずかしいが、文法は
比較的きっちりしており、論理は明確です。まあ、俗語表現
や、高度に文学的な文章は別ですが。
しかし、平安仮名文も、当時の教養層の使った洗練された
口語表現なのです。体系も実にととのっている。だから、鎌
倉、室町、江戸時代に到っても擬古文が書かれたのです。ま
あ、一種の尚古主義もあったのですが。
戦前まで文語体で公式の文章を書いたのも、それだけ文語
表現が体系的に整っていたからです。古いものに権威を感じ
たということもありますが。
197 :
名無氏物語:02/10/11 01:32
>187
カラヤンは、「日本の」古典全般に関しては
素朴、のひとことでばっさりやっている。
探究などで見るところ、源氏は別扱いのようだがね。
>>197 カラヤンて、柄谷行人のことですか。ソースを教えてください。
以前、このスレで読めと言われた、加地伸行先生の『<教養>は死んだか』
を読みました。う〜ん、正直、昔ながらの意義を再確認したという感です。
それが、悪いと言うわけではないのですが、どうも、現代の若者にはなかなか
すぐに、受け入れられるような気はしません。漢文だからなのか・・・。
古典への思いは伝わってきますが、それはある程度古典の必要性を実感して
いる人間に対して有効であって、それに気づいていない者には、伝わりにくい
ような気がしました。
お読みになった方いましたら、何かご意見を。
>>189さんの授業が受けてみたくなった。
漏れが工房の頃の教師もそこそこよかったんだが、なんかそこまでの情熱が感じられなかった。
漏れ自体は漢文古文好きなんだが・・・も一回受けてみたいもんだ。
200 :
名無氏物語:02/10/15 05:01
>>191。
>「古典で哲学を教える」のではなく、
>古典にそういう要素が含まれている。ということなのです。
>そして、それは、人類の精神活動の歴史のなかで生み出されてきたという
>歴史を学ぶ事にもなるのです。
現代語訳にもそういう哲学的要素は当然含まれているし、
人間の精神活動の歴史も現代語から学ぶことができる。
高校だったら倫理社会や歴史の授業で現代語で教えた方が、
生徒は内容に取っつきやすいし、教える側にとっても効率は良い。
内容を十分教えた後にこれらは昔こんな文章で書かれましたよ〜
と、紹介程度に教えるのならば良いのだが。
古典で教えるから諸子百家なんて聞いただけでうんざりということになる。
まあ、現代語で書かれていても日本人は歴史はあまり勉強しないけどね・・・。
201 :
名無氏物語:02/10/15 06:17
>>191 で、結局その含まれている要素を古典で教えるというのがおまえの考えだ。
>>143辺りでやたら内容にこだわっているのがその証拠。
>古典には文学・哲学・宗教など、人間の精神活動のあらゆるものが含まれて
>いる。そして、そこから何を読み取るかは個人の自由。
自由ならば学校で教える必要などないね。個人が好き勝手に読めば良いこと。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
>>201 >自由ならば学校で教える必要などないね。個人が好き勝手に読めば良いこと。
言葉と言うのは、個人の意思を、不特定多数に伝えるためにあるのです。
個人の自由で好き勝手に好きなところだけ勉強すれば良いというものではありません。
>194 の漢文の意味は、
「言っていることと実際が一致していなければ、言葉は真実を語れない。
言葉が真実を語れなければ、事を成し遂げることは出来ない。
事を成し遂げることが出来なければ、礼節も文化も生まれない。
礼節、文化が生まれなければ、法律は効果を発揮しない。
法律が効果を発揮しなければ、国民の安息は無い。
ゆえに君子が名と実を一致させれば、共通の言語を確立できる。
そうすればすべての発言は当然、実行の責任を負うことが出来る。
君子にとって、言語問題はそれほど大切なものなのだ。」です。
此処にこそ、語学を学ぶ意味があると思います。
204 :
名無氏物語:02/10/15 14:28
>自由ならば学校で教える必要などないね。個人が好き勝手に読めば良いこと。
まあ、なんつーかさ、最初のうちは強制させなければ駄目ってのもあるよ。
赤ちゃんに言葉教えるのだって強制だしな。
その上でやっぱりツマランと思ったら仕方がない。
私は学校で教えるべき、教えるべきじゃないってことよりも、
選択する自由があるべきなんじゃないかと思うね。
ところで、古典に触れるってのは先人達と直接話したいって言う欲求だろうね。
現代語ってのはやっぱり翻訳であって生の声じゃない。
まあ、どんなに頑張っても先人の生の声を聞くことなんて出来ないんだけどさ。
それでも、誰か他人の翻訳よりも、自分の翻訳で読みたいんだね。
>>203 語学を学ぶ理由じゃん!
古文漢文を学ぶ理由とはほど遠いような気がするが、、、
それだったら代わりに中学高校で第2外国語教えてもいいわけだし。。。
>>204 つーか現代語訳だけだと古典を100%正確に翻訳しているかどうか、
疑わしく思えてくるからじゃないの?
>>200-201 現代語訳から学べないなどと一言も言ってはいない。当然そういう選択も
あるだろう。しかし、やはり原文で読むということと現代語に翻訳された
ものを読むということは違うのです。
内容を教えてなにが悪いのです。古典からいろいろなことを学びうる
といっているのです。これを学ぶためにこの科目だけでいいなどと限定的
にとらえる必要はないのです。古典に触れ、ある程度の基礎的理解を経て、
自分なりにいろいろなものを感じ取る事ができるわけです。
あなたはまだ、先に行くものが後を追うものに対して持つ責任という観点
にどうしても立てないようですね。あなたのレスを読んでいると、嫌な事は
やりたくない。必要なこと以外したくない。なるべく楽したいということし
か感じられない。つまり、教えられる側の立場しかないわけです。まあ、
そんなに嫌になるような体験しか古典を学ぶことから得られなかったという
事実として、わたしは謙虚に受け入れ、あなたのような主張をする人にどう
やったら、古典の面白さやかけがいのなさをつたえたらよいか考えます。
おそらく、いくら理屈で説明しても、なかなか通じそうにありません。なぜ
なら、あなたは古典を読んでいないから。読む前から、いらないもの、つまら
ないものと決め付けている感じがします。
207 :
2チャンネルで超有名:02/10/16 05:40
古文・漢文が嫌われる理由に、どうしても聖典として扱われやすいという点が挙げられるかと思います。
「徒然草」に書かれていることは「素晴らしい」「風流な」こと、であり、日本人の精神の源流がある、とするのは、確かに古典の価値の一つであるようには思うのですが、一方で、吉田兼好という人間を埋没させてしまっている現状があるのではないでしょうか?
誰かに向かって書かれた文章である限り(己に向かって、でも同様かもしれませんが)、そこにはなんらかの意図があるはずです。
兼好の場合であれば、自分の考えを相手に認めさせたいという思いや、仏教観のある種の否定であったりするでしょう。
孔子や孟子も、純粋な思想家ではなく、政治的な側面があったことも押さえるべきでしょう。
そして、これらのことは遠く離れて、ある程度客観的に見ることが出来る古典が有効であるように思うのです。
210 :
名無氏物語:02/10/30 01:52
まあ、内容に関しては教わることもあるだろうが、最終的に自力で読み取れるように
なることが一番大事だろう。
「聖典扱い」ってのはまあ言えてるだろうね。読む作品に関しては、何だっていいんだよ。
それを「面白い」と思った人は、なぜそれが面白いのか、「つまらない」と思った人は、
なぜそれがつまらないのかを、論理的に説明できるようになれればいいと思うのだが。
211 :
名無氏物語:02/10/30 02:24
じゃあ、古文は黄表紙からはいればばっちりだな!
212 :
古典廃止論者:02/10/30 05:37
>>194 >だったら、今使ってる日本語を学習する上で、口語の成り立ちとして文語文学や古
典を学習するということは、とても意味のあることだと思います。
>それは数学で言えば、連立方程式(古っ!)やグラフ、果ては微分積分などこれら
を学習するのには、まず、四則計算が出来なくては駄目なのと同じです。
これは全く間違った比較ですよ。四則計算ができないと微分積分も理解できません。
でも古文が読めなくても現代語は理解できますよ。
比較するとすると、「和算を知らなくても微分積分は理解できる」と言うべきです。
「基礎的なものからより高度なものへ」というのが「四則計算から微分積分」であ
って、「古文から現代文へ」というのは、「時間的に古いものから新しいものへ」
です。前者は必要ですが、後者は必ずしも必要ありません。
>今、私たちがもっている知識というのは、結局は歴史の積み重ねによって成り立っ
ているものですから、知識を身に付けようと思うのならば、今までの積み重ねを学
ばなければ本当の意味で学問を修めることにはならないと思います。そういう意味
で、古典を学校で習うということは、意味のあることだと思います。
そんなことはありませんよ。現代の数学者で、ピタゴラスとかの原点を読む人がい
ますか?数学史の研究者しか読まないでしょう。
知識が積み重ねられてきたのは事実ですが、それを時間の経過に従って学ばなけれ
ばならないということはありません。現代の理論を学べば十分です。
213 :
古典廃止論者:02/10/30 05:41
>>191 >「古典で哲学を教える」のではなく、古典にそういう要素が含まれている。という
ことなのです。そして、それは、人類の精神活動の歴史のなかで生み出されてきた
という歴史を学ぶ事にもなるのです。
古典では哲学は教えられません。日本の学校で学ぶ古典は日本古文と中国古典漢文でしょう。
日本にも中国にも、哲学の名に値するものはありませんでした。四書五経など哲学ではない、幼稚な人生訓でしょう。
哲学の名に値するものは、アリストテレスにはじまる西洋哲学です。
214 :
YAHOOO情報:02/10/30 05:45
215 :
古典廃止論者:02/10/30 05:49
>>132 >日本にも色々学ぶに値するものはあるでしょう。徒然草だの何だのあるでしょうよ。
徒然草って読むに値する?
高校の授業で読まされて、あまりのくだらなさに腹が立って仕方がなかった。
大学入試や高校教科書で取り上げられるような文章には、読むに値するものは一切ないと言って過言ではない。
くだらない古文の授業をやめて、その時間を哲学に振り向けるべきではないか。アリストテレスやヘーゲルやマルクスなどを取り扱い、
考えることを教えるべきだろう。
216 :
名無氏物語:02/10/30 07:34
>>211 いいんじゃない?
仮にオイラが国語教師だとしたら、自分の好きな、興味のある作品ばかりを用いて
授業をしてみたいね。もちろん、絶対に触れておくべきと言われる作品については、
最低限取り上げるが。それで、それぞれの作品のどの部分が面白いか、またなぜ
面白いのかを、
自分なりの意見を混じえつつ、論理的に説明していく。そしてその過程を通して、文意を
正確に解釈し、作品の内容を読み取る力を養成し、最終的には生徒が自力で古典作品の面白さ・
つまらなさを論理的に説明できるようにさせる。そんなことをしてみたいね。
217 :
名無氏物語:02/10/30 13:41
自国の古典を知らない人=自国に対してのアイデンティティが欠如している人
と思われてしまうよ〜
特に国際化の時代には・・・ねっ。
まっ、確かに日本人であることを自覚している人は
このスレのレスを見ても
少なくなっていると考えられるが・・・
>>217 あなたの意見は、まったくもっての正論です。
古典が必要ないと言ってる人の大多数に当てはまることでしょう。
>>212 では、現代語として使われている故事成語の意味を知るにはどうすればいいんでしょうか。
意味だけを知っていればそれでいいんでしょうか。
それは違います。
日本語は、ほぼ同じような意味で異なる表現を多数もつ、かなり特殊な言葉です。
では、同じような意味なら、いつ、どんなときに異なる表現を使ってもいいのでしょうか。
それも違います。
異なる表現が多いということは、各表現ごとの使用方法が異なるということです。
では、どうやって、その表現ごとの使い方を学ぶのか。
確かに現代語を学ぶことも必要でしょうが、どうやっても、古典を学ぶことを避けて通ることは出来ないはずです。
他の言語にはほとんど見られない、表現の豊かさこそが日本語の突出した長所であるはずです。
その一例が、俳句や短歌です。
語句の数をかなり少なく制限されている中で、あれだけの素晴らしい表現をすることが出来るのです。
俳句や短歌のようなことが出来るのは、日本語だけです。
古典が要らない云々言う前に、古典がどのようなものなのかをよく知ってから発言しましょう。
>>212 まっ、元々、文化だの歴史だのは無駄なものさ。純粋に生きていくためだけならな。
でも、それじゃそこら辺の山にすんでる猿と変わりないじゃないか。
使わないから無駄とか、実用的でないから学ぶ必要ないってことじゃないと思うぞ。
精神的に豊かでない人間は何をやっても上手くいかないし。
(主な理由:周囲の協力が得られないから)
220 :
最後のお願いです。どうか聞いて下さい。:02/11/03 10:10
一般論はどうでもいいから、なぜ君が古文・漢文を学ぼうと思うようになったのかを聞きたい。
かつての君は古文・漢文なんて大して興味無いといった雰囲気だったと思うが、
一体何が原因で古文・漢文に関心を持ち始めたのか、教えて欲しい。
それから、古典作品や国語の先生の中で君に影響を与えたもの(人)についても教えて欲しい。
それと、本当は俺達は同じ進路(=国文科)を目指していたことになるわけだけれども、
なぜ君は自分が国文科志望であるということを隠して仲の良い俺に言わなかったのか、
その理由についても聞かせて欲しい。
どうか質問に答えて欲しいです。お願いします。
>>222 220の本文中「一体何が…」とあって、それ以降細かい要求を大きく分けて三つ書いたけれども、
それぞれの要求に対して具体的な答えを書いて欲しい。あとそれに付け加えて、いつから
古文・漢文に興味を持つようになったのか、日本近・現代文学及び外国文学については
どう思うか、(学問上)俺のことについて気に入らないor改善した方がいい点があるとしたら
それは何か、についても述べて欲しい。以上六点。具体的に書いて下さい。お願いします。
結局古文は殆ど(間違いなく99%以上)
の学生について将来何の役にも立たないって
思うのだが?
>>220 >一体何が原因で〜
古文、漢文の成績が良かったから。
>古典作品や国語の先生の中で〜
片桐洋一著『古今集以後』笠間書院
>なぜ君は自分が国文科志望であるということを隠して〜
お前なんか知らん。
>いつから古文・漢文に興味を持つようになったのか〜
高校卒業後
>日本近・現代文学及び外国文学についてはどう思うか
わかりにくい。
>(学問上)俺のことについて気に入らないor改善した方がいい点が〜
文体が統一されておらず、読みにくい。
要求にこたえる義務がない人に対してモノを尋ねる態度が悪すぎる。
改めるべきである。
さて、何でこんな質問をしたのか聞きたいね。ネタor煽りかい?
>>225 ありがとうございます。謎が解けてスッキリしました。
これで俺は心置きなく消えることができます。
今まで長い間ご迷惑をお掛けしました。
そして色々とお世話になりました。
もう二度と逢うこともありませんね。
それではごきげんよう。さようなら。
227 :
名無氏物語:02/11/03 23:45
てめえらの家のまわりに江戸時代の石碑が立っていると思う。
これらが読めると先人のことが分かって面白い。儒者の徳を称えたものなど
は面白い。いずれも同じような用語、文法で書かれているのでいくらかの
修練を積んでいれば読める。時折碑面に刻まれた文字を手でなぞってみる。
彫り込まれた文字の質感。いわば大人の愉しみである。
儒者の墓石に彫り込まれた墓銘でもいい。これらも大体読めるものだ。
こうしたことにより古典精神、個人への感慨などが涵養される。
こうした愉しみはお金にもならないし役に立つ知識でもないかもしれないが、
徳性という面で多大な感化がある。青少年はもっと漢文を勉強すべきである。
228 :
名無氏物語:02/11/03 23:56
>>227 石碑立っていませんが何か?
マンションなら沢山立っていますが何か?
家から2kmぐらいの所の公園に、昭和37年製の石碑なら立っていますが何か?
229 :
名無氏物語:02/11/04 00:00
プッ! 子供
230 :
名無氏物語:02/11/04 00:24
日本語コンプレックスの最後の砦ではないか
232 :
古典廃止論者:02/11/07 11:34
>>218 >では、現代語として使われている故事成語の意味を知るにはどうすればいいんでしょうか。意味だけを知っていればそれでいいんでしょうか。
辞書を見て意味を調べれば十分でしょう。
>日本語は、ほぼ同じような意味で異なる表現を多数もつ、かなり特殊な言葉です。
そうか?語彙数は英語に比べるとかなり少ないと思うが。
それに語彙数が多すぎるのが日本語や英語の欠点ではないか?ドイツ語のような基本語彙数が少なくて造語力に優れた言語の方が便利で幅広い表現力があると思う。
>では、同じような意味なら、いつ、どんなときに異なる表現を使ってもいいのでしょうか。
>確かに現代語を学ぶことも必要でしょうが、どうやっても、古典を学ぶことを避けて通ることは出来ないはずです。
できると思いますけど。古典を学んで文章がうまくなることは全く無いと思いますよ。古典が役立つのはせいぜいもっともらしい引用をして教養ありそうに見せかけることだけ。
必要なのは衒学でなく簡潔でわかりやすい文章を書くこと。その目的のためには古典はむしろ有害でしょう。
>他の言語にはほとんど見られない、表現の豊かさこそが日本語の突出した長所であるはずです。
>その一例が、俳句や短歌です。
>語句の数をかなり少なく制限されている中で、あれだけの素晴らしい表現をすることが出来るのです。
>俳句や短歌のようなことが出来るのは、日本語だけです。
俳句や短歌って、何の役に立つの?趣味としてあってもいいけど、学校で教える必要性は全くないでしょう。
>古典が要らない云々言う前に、古典がどのようなものなのかをよく知ってから発言しましょう。
知ってますよ。学校でくだらないお化け物語や恋愛小説を読まされて、そのくだらなさに辟易した。
233 :
名無氏物語:02/11/07 20:05
心配せんでも、学校で古典を学ぶ時間はどんどん減ってきているよ。
それが良いか悪いかはわからんが。
学校で教わる程度を強制と感じるのはなんなんだ?よほど酷い教師に出会ったとしか思えん。
古典が悪いんじゃなくて教師が悪いんだな。古典の面白さを伝えられない教師が多いってことだ。
しかし、このスレを見て思うことは、
「学ぶ意味がない」っていうことの意味って何?
っていうことだな・・
235 :
名無氏物語:02/11/07 21:45
古典学は万学を修めぬとできぬのであるが、やってみないと分からない。
本格的に訳・注でも自分で作成してもみない限り、面白いとか面白くない
とか簡単には結論できない性質のものである。
ただ単にストーリーが面白いとかそういうものでもない。
珍しいテキストを探し出して解釈するとか、色んな古文書館、図書館を
巡り歩いて調べるようなのも面白い。面白いといっても複雑な面白み、醍醐味
があるのだ。
236 :
名無氏物語:02/11/08 08:21
>>227 うちのマンションの石碑に「定礎」って書いてるんだけど
どう読むのですか?どう解釈したらいいですか?
質問ばかりですみません。当方、小学生
好きの37歳です。
237 :
名無氏物語:02/11/08 17:00
今やあの京大ですら2次国語に漢文が無い
なぜなんだろう
238 :
名無氏物語:02/11/08 22:36
定礎
定は動詞で定めるの意。礎は基礎の礎でもといの意で目的語。
だから(マンションの)基礎を定めるという意味となる。
239 :
名無氏物語:02/11/10 20:40
>>235 >古典学は万学を修めぬとできぬのであるが、
読んだ途端にブッと噴き出して、大笑いしちゃったYO!!
でも後半部分の記述に関しては、頷ける所がある。
万学を修めぬとできないのは歴史学だと思う。
241 :
名無氏物語:02/11/10 21:12
242 :
古典廃止論者:02/11/11 00:53
>>233 >古典が悪いんじゃなくて教師が悪いんだな。古典の面白さを伝えられない教師が多いってことだ。
面白い古典なんてないでしょう。
アリストテレスとかヘーゲルとかに匹敵するとまではいわないにしても、それなりの思想家が日本にいましたか?いないでしょう。
日本古典はくだらない説話と恋愛小説。あんなの何をどうしたって面白いわけが無い。
ぼくは古典の授業は聞かないで哲学や政治思想の本を読んでいた。
243 :
古典廃止論者:02/11/11 00:59
>>235 >古典学は万学を修めぬとできぬのであるが、やってみないと分からない
そのレベルに達するのは専門家だけで十分。
高校以下で教えるのは、せいぜい明治時代までの文語文で十分。
244 :
名無氏物語:02/11/11 02:50
>>242 面白いと思うか否かは、人によるだろう。自分の感覚を他人に押し付けても仕方がない。
>>243 言わせておけばいいじゃない。ただ、
>>235の言うような、未知の文章を解釈するという
面白さは高校生レベルの古典学習にも存在するだろうから、それについてはうまく
教えることが出来ればいいと思う。
245 :
名無氏物語:02/11/11 10:02
イギリスのエリート階級で
シェークスピアを軽んじている人など
聞いたことがない。
彼らにとって古典は必須。
ハリーポッターも
古典を重層的に踏まえている。
先人の知恵を学ぶことは
大切だけど
それを必要としないDQN階級がいるのも事実
>>242 > ぼくは古典の授業は聞かないで哲学や政治思想の本を読んでいた。
こんな奴が、なぜ
> それなりの思想家が日本にいましたか?いないでしょう。
なんて事を断言できるのだろうか。
きっと「自分の知らない事柄は、この世に存在しない事柄だ」と
信じてるんだろうな。
>>242 なんか前も出てきたことでまた言うのアレなんだが。
「古典」っつうのは洋の東西を問わず使えるので、
アリストテレスにもピタゴラスにも使える。
「日本古典」なり「古文・漢文」なりと使い分けてくれんかな。
「古典廃止論者」じゃあ、西洋の古典も全部不要って聞こえるよ。
実際そういう論者もいるしな。
んで日本の思想が欲しかったら、「歎異抄」などはダメなのか?
ぼーさんは実に色々書いてるが?
吉本隆明・梅原猛・中沢新一『日本人は思想したか』新潮文庫 なんてのもあったな。
まあ、こんなタイトルが成り立つんだから日本人に思想はないっつう意見もアリだと思うが。
別に思想が他より偉いわけでもない。
日本人には「心理」ってもんが大昔からあったしな。
> ぼくは古典の授業は聞かないで哲学や政治思想の本を読んでいた。
そのくせ古文漢文板にきて古典(おそらく日本)を不要だとかのたまっているようじゃ
政治思想は知らんが、哲学が身についてないのは明らかだな。
249 :
名無氏物語:02/11/11 20:39
日本の思想家いっぱいいるぜ。聖徳太子、空海、最澄、鴨野長明、兼行、
一休、法然、道元、日蓮、親鸞、世阿弥、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、
太宰春台、伊藤仁斎、近江上人、良寛、吉田松陰、佐久間象山、佐藤一斎、
藤田東湖、福沢諭吉、夏目漱石、柳田國男、・・・・・いっくらでもいるぜ。
>アリストテレスとかヘーゲル
の何処が素晴らしくて、日本の思想家(具体名を挙げて)何処が下らないのか、
具体例を挙げないと説得力がないな。
つーか、古典が必要か不要かなんて議論は他の板でやってほしいんだが。
この手のスレは一種の煽りであり荒らしだろう。
文学なんてのはいる奴にはいるし、いらない奴にはいらない。
哲学について語りたいなら哲学板に来い。学校教育で必要ないと思うんなら
教育か大学受験板に行けばいいだろ。
251 :
名無氏物語:02/11/16 18:54
三流理系の人ってさ、生産性が無いものは存在意義が無いと思ってるのかな?
文化的な継承の無い世界がどうやって発展するの?
そういう感性の無い人間が創り上げた世界に耐えられない人間もいるの。
古代の人から連綿と繋がってきた感覚とか文化を理解できないんだろうね。
ルネサンスが黄金時代だと言われる理由が分からない?
まあ、理系でも一流の人なら分かっているからね。良いけど。
253 :
名無氏物語:02/11/17 01:36
ネタにマジレスしても仕方ないのだが・・・。
世界など発展しなくてもいいだろう。皆が人間的に、平和に暮らせればそれで構わない。
「文化的な継承→世界の発展」そういうものではないだろう。それは妄想に過ぎない。
「古代から連綿と受け継がれてきた感覚や文化への理解」それがあるだけでは何にもならん。
大事なのは、真に人間的なものの見方・考え方を身に付けるということだろう。
そのための材料となるものは、もちろん古典もそうだが、何もそれに限ったものでもない。
254 :
名無氏物語:02/11/17 09:12
>>251さんはおそらく、「これだけ古典の力は凄いんだ」ということを言いたくて、
方便のような感じで上記の発言をしたのだと思うが、もしそうでないのだとしたら、
少し寂しい感じがする。人によって考え方は様々だからどうだとは言えないが、
「世界の発展」という言葉を使ってしまうと、古典というものが政治や何かの道具に
なっているようで、とても安っぽく感じられる。文化の継承の結果として世界の
発展という現象が付随することがあるかも知れないが、そういう堅いことは抜きにして、
純粋に古典を楽しむことが大切ではないかと思う。
255 :
古典廃止論者:02/11/18 01:04
>三流理系の人ってさ、生産性が無いものは存在意義が無いと思ってるのかな?
誰がそんなことを?アリストテレスやヘーゲルだって、狭い意味での「生産性」はありませんよ。
西洋哲学には人類の知の精華が反映されている。でも日本古典には学ぶに値するものなんかない。
>文化的な継承の無い世界がどうやって発展するの?
誰が「文化的な継承は必要ない」なんていいましたか?
価値ある文化は継承しなくてはなりませんよ。でも日本古典に継承するに値するものなんてあるのでしょうか?少なくとも学校で取り上げられる古文には、読むに値するものは全くないですよね。
それに、継承するに値するものは、現代語でもできますよ。西洋思想にしても、かつてはラテン語で書かれたわけですが、現代ではそれを翻訳で読んでいるわけでしょう。古文そのものを学ぶ必要はないのです。
>そういう感性の無い人間が創り上げた世界に耐えられない人間もいるの。
>古代の人から連綿と繋がってきた感覚とか文化を理解できないんだろうね。
だから、価値あるものを継承すべきだといってるでしょ。
>ルネサンスが黄金時代だと言われる理由が分からない?
それは偏見というものです。これまでの歴史観では、中世が「暗黒時代」で、ルネサンスが黄金時代だったことになっていましたが、近年では「中世が暗黒なのではなく、中世に関するわれわれの知識が暗黒なのだ」という反省が生まれています。
それに、ルネサンスが「黄金時代」だったのは、まさに宗教的な束縛を離れて自由な創造が行われたからではないですか。悪しき伝統を捨てたからこそ「黄金時代」になれたということではないか。
>>255 >誰がそんなことを?アリストテレスやヘーゲルだって、狭い意味での「生産性」はありませんよ。
>西洋哲学には人類の知の精華が反映されている。でも日本古典には学ぶに値するものなんかない。
そうやって、西洋が良いだの日本古典が良いだの言ってる内は、まだまだ上辺だけしかみてない証拠だぞ。
哲学的な書物の価値は、「人の究極的な真理の追究」の姿勢であって、そこに文化や人種の違いなど関係ないと思うがな。
そこに、文化の違いや人種などの違いによって評価を下すなんてことは、非常に無粋なことだ。
すばらしい作品を求めてそれを読んでるようじゃ何を読んだって無駄だね。
考えるのは手前ですることだ。いいものを得ようと思って読むほどばかばかしいものはないぜ。
でも古文を学んでいない人は、そもそも読むことさえ出来ないわけで。(w
259 :
名無氏物語:02/11/19 13:57
260 :
古典廃止論者:02/11/20 08:50
>>256 >哲学的な書物の価値は、「人の究極的な真理の追究」の姿勢であって、そこに文化や人種の違いなど関係ないと思うがな。
>そこに、文化の違いや人種などの違いによって評価を下すなんてことは、非常に無粋なことだ。
誰も「文化の違いや人種などの違いによって評価を下」したりしてませんが。
私は、「日本古典の思想には、西洋哲学に比べて深みがなく、現代において学ぶほどの意義はない」といっているのです。
日本古典の思想と西洋哲学を具体的にあげて深みの程度を論証できない香具師は
何を言っても説得力なし。
やっぱどの部分に下らない思想が著されてるのか書いてくんないとな。
っていうか、古典をすべて思想書だと思って読んでるなんて馬鹿げだな。
まあ、西洋哲学(はて、誰のどういう哲学やら教えてくれないが。名前を挙げるだけだし。名前が哲学かい?)
を批判的に読むことも出来ないようじゃ深い思想性は期待できないが。
私は、日本の古典を読んだことがないので、日本の古典に
深い思想性があるなんてことは知りません。
すなわと、日本の古典の中に思想性など存在しないのです。
日本の古典を学ぶ値打ちなどありません。
みんなで西洋の古典を読みましょう。
263 :
名無氏物語:02/11/21 18:58
現代語訳を読めば原文を読まずともいいという馬鹿がいるが、訳して
みれば分かるが訳とは一つの解釈であって訳者が異なれば千差万別
の訳が生まれる。特に思想哲学書となればそれこそ術語の解釈から
始まって九尾の尾のように解釈は分かれるのである。
いってみれば訳し注釈をつけることが即ち訳者の思想の表出となっている。
訳は訳者の思想を如実に反映するのである。
よって原文を読むことが必要なのである。
だから訳などというものは絶対でないしよっぽど厳密に訳しても完璧
とはいいがたいというのが実情であろう。
もっとも原文と称するものも過去になればなるほど伝わる過程におい
て無数の異本があるのだ。
一体完璧な訳をだれが用意するというのだろうか? そんな責任を
持てるのは原本の著者のみであろう。
別に思想性なんて求めてないよ。
面白いか、面白くないかだけ。
読んでどう感じるかも、何に気付くかも、人それぞれ。
元が「読み物」なんだし。深いかどうかなんて別にいいよ。
十把一絡げにすんのはなぁ・・・
>>262 >私は、日本の古典を読んだことがないので、日本の古典に
>深い思想性があるなんてことは知りません。
>すなわと、日本の古典の中に思想性など存在しないのです。
すなわち?
>日本の古典を学ぶ値打ちなどありません。
>みんなで西洋の古典を読みましょう
目をつぶって本をめくって、「読みますた!」と言ってるようなものだぞww
266 :
名無氏物語:02/11/21 23:41
日本人の思想書はいくつも存在する。が、いまいちはっきりしないのは
それが中国・印度・ギリシアローマといった大文明を踏み台にしている
ためであって、独自の思想はそれらの上にわずかに築かれたものだから
だ。
267 :
名無氏物語:02/11/22 12:57
大文明は、それこそ他の文明の礎になったり、他国の文明に影響を与えたりするほど壮大な文明だから、「大文明」と言うのではないのか?
べつに、他の文明の影響を受けたから独自の文化ではないとはいえないし、他の文明を踏み台にしているからこそ、元の文明にはない独自性が生み出されると思うのだが。
268 :
名無氏物語:02/11/22 20:25
日本独自の思想について明確にはっきりと多くの日本人が理解してい
ないのは、それが中国印度ギリシアローマなど大文明を踏み台にしており
影響下にあるためはっきりしていないのだ。いわば大文明の思想を翻訳し
解釈する中で生まれてきたから、全くの別物というわけにはいかないのだ。
だから真に日本思想を理解するためにはその背景にある中国・印度・
ギリシアローマの思想などを理解しなければならないと思う。
だからといって日本思想が駄目な思想だといっているわけではない。
あぁ、そういうことね。うん、確かにそう言えるな。
でもまぁ、そこら辺は世界史の分野だし、研究したい人が学習すればいいと思う。
さすがにここまで高等な話になってくると、みんながみんな学習しなければならないこととはいえないしね。
こうして考えると、数学と理科とが密接な関係をもつのと同じで、歴史と語学とは、やはり密接な関係があるって事がよくわかるね。
(^^)
271 :
名無氏物語:03/01/13 02:03
読んだけど、古典廃止論者さんの圧勝ですね。
まあ、勝ち負けを強調するのは良くないかもしれないけど。
古文や漢文は中学・高校の有限な授業時間の一部を占めるという
特権的な地位を与えられているわけだから、存置論者は
「何故古文や漢文でなければならないのか」を社会に対して
説明する義務があると思いますよ。
「自分で考えろ」とか果ては「古典を読めば分かる」なんてのは、
思い上がりも甚だしい。
ふだん生徒という自分より目下の存在とばかり接しているからかもしれませんが、
一般社会に対してそのような説明で通用すると本気で思ってるんでしょうか。
272 :
名無氏物語:03/01/13 05:28
俺は古典漢文教育には賛成だが、現在のそれには反対。現在の教育法は理念もやり方も
間違っている。
もっと探求的でなければならないし、もっと厳密なものでなくてはならない。
効率主義、試験対策主義の現在の古典漢文には大反対。
273 :
名無氏物語:03/01/13 13:18
>>271 もう一回はなから読み直したほうがいんでない?この人肝心なこと全然答えてないよ。
>西洋哲学には人類の知の精華が反映されている。でも日本古典には学ぶに値するものなんかない。
>私は、「日本古典の思想には、西洋哲学に比べて深みがなく、現代において学ぶほどの意義はない」といっているのです。
の根拠とかね。どうして一方に「人類」の知が反映されてもう一方にはないと言い切れるのか。
アリストテレスと荀子やらゥ子なんかと例えば比較して、程度としてどれくらい違うんでしょ。
これ説明してくれないとこの人の言ってること全体が成り立たないでしょ?
まぁ、ぶっちゃけ本人の言う西洋哲学についても大して読んでないのでわ、と思えたりするね。両者の優劣を競ったりしてる時点でかなり怪しく思えるよ。
>>256の>そうやって、西洋が良いだの日本古典が良いだの言ってる内は、まだまだ上辺だけしかみてない証拠だぞ。
てのはそんなに間違ってなさそうに思える。(後半は知らんけど)
それに「哲学」という名前の思考はもしかしたら無かったかもしれんけど、「=昔の日本人(等)が思考してない」訳じゃないしねぇ。
あと「読めばわかる」とまで言っちゃうのはどうかと思うが、読まなきゃ良いか悪いかわからんでしょ、とは言えると思うけど?
教室で中高生に向かって言うのではなく、廃止の是非を議論するならね。
まぁ、スレタイと大分ずれてる気がする話だけど…
274 :
名無氏物語:03/01/20 01:15
東洋思想に学ぶ意義がないとは思いませんけど、倫理で教えれば十分でしょ。
>あと「読めばわかる」とまで言っちゃうのはどうかと思うが、読まなきゃ良いか悪いかわからんでしょ、とは言えると思うけど?
じゃあ、仮に日本の中学・高校のカリキュラムで古文・漢文の代わりに
サンスクリット語が必修だったとしたら、
「サンスクリット語なんか中学・高校で教えなくてもいいじゃん」
と主張する人は、サンスクリット語が読める人でなくてはいけないわけ?
そうは思わないなあ。
この場合のサンクリット語の必要性は、サンスクリット語の社会的必要性etc.
から客観的に決まるのであって、別にサンスクリット語が読めなくても
判断できる事柄だと思うけど。
>>271 正射影ベクトルを学ぶのと同じ理由です。
276 :
名無氏物語:03/01/20 03:52
正射影ベクトルは普通に日常生活で使うと思うが?
まあ名前自体は出てこないけどな。
>>274 仮に日本の中学・高校のカリキュラムで古文・漢文の代わりに
サンスクリット語が必修だったとしたら、
「サンスクリット語なんか中学・高校で教えなくてもいいじゃん」
と主張する人は、中学・高校程度のサンスクリット語は読める人でなくてはいけない。
そう思うね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
サンスクリットを使えない人は、サンスクリットを使う機会がない。
故に当然、サンスクリットがなくても生きていけるし、サンスクリット
なしで今まで生きてきたはず。
こういう人が「サンスクリットの必要性」を論じた場合、出る結論は
最初から決まっている。
「サンスクリット」を「古文漢文」「ブール代数」「政経I」などに
置き換えても同様。
279 :
名無氏物語:03/01/20 23:24
古文漢文を習って役に立った事がないのだけど、どなたか習って良かったと
思う人って居ますか?
習って良かった?いるよ!おれだけど、あんたは良くなかったのね?
かわいそうとは思うが、他人を恨んだり羨んだりしないようにね。
君が立たなかっただけなんだから、別のもんを役に立ててまんぞくしなさい。
>>279,280
街頭で百人位アンケートとって見たら。
>>280 脊髄反射カコワルイ。もちつけ。
282 :
名無氏物語:03/01/21 02:04
>>277,278
じゃあ聞くが、仮に
「古文漢文とサンスクリット語、どちらを中高のカリキュラムで教えるべきか」
という問題の立て方をした場合、
この問題について意見を述べることができるのは、古文漢文とサンスクリット語
双方ができる人に限られるわけ?
「古文漢文、サンスクリット語とタガログ語、いずれを中高のカリキュラムで教えるべきか」
という問題の場合はどう?
>>274 議論する人間が議論の前段階として、その対象について下調べしておくことは最低限必須だと思うが?
文が拙くてわかりにくく、悪かったが
>教室で中高生に向かって言うのではなく、廃止の是非を議論するならね。
と言ってるとおり中高生が実際にどうすべきかを言ってるのでなく、賛否を議論してる人間について言っている。
それとも井戸端会議をするつもりだったのか?(まぁそれのが2CHの使い方としてむしろ真っ当だと思うが)
それと、サンスクリット語とは意味が違うだろ?
英語とサンスクリット語なら言ってるように扱えるかもしれん。その場合は明らかに英語が優先されるわな。
でも中高で漢文習うのは↑のほうかどっかで言ってるとおり国語の延長なんだろ?
外国語としてでなく、あくまでこの国で使われてきた言葉、この国で読まれてきた書物として学ぶんだろ?
だから訓読として学ぶんだと思うが。言ってしまえば中国の古典ではなく日本の古典として読んでる、てことだろ。
国語教育として中高でどれ程自国の言葉について教養を身に着けておくべきかについては俺は知らん。
その程度によっては古典の類は一切切り捨てるべきものかもしれん。が、その比較が根本的に間違ってるのだけは確かだな。
サンスクリット語はただの例で、別に哲学や心理学だって構わんよ。
273、282で私が言いたかったのは、
有限の授業時間の中で中高生に何を教えるべきかを考えた場合、
選択肢となる教科は無限にあり得るということ。
そして、全ての分野について知っている人などいないのだから、
選択肢となる教科の具体的内容について知っていなければ選択肢の検討が
できないという立場は現実的には採りえないということ。
抽象的に書いてしまったけど、分かりますか?
別の説明の仕方をしたほうが分かりやすいかな。
例えば、ある外国語の全くできない人が、
英語、独語、仏語のいずれを学ぶべきか考えている、というシチュエーションを
考えてみよう。
この時、彼は英語、独語、仏語の内容を知らないのだから、当然のことながら
内容でどの言葉を学ぶかを決めることはできない。
しかし、彼は、社会でどの程度使う機会があるか、企業でどの程度重視されているか、等
の外形的事実を基にして、どの言語を学ぶか決めることはできるだろう。
このように、
「ある教科を学ぶべき必要性」は「当該教科の具体的内容」とは
独立に判断できるということ。分かっていただけましたか?
あなたこそ全然理解できてないよ。
私は「漢文は外国語とは違う」と言っているんだが。「日本語を学ぶ延長上にある」といっているんだが。
漢籍は訓読として訳され、殆ど日本の古典と同様・同価値に読まれてきた。日本では中国語のまま読まれた訳ではない。
日本語の中にも深く食い入り、言うまでもなく普通に日本語として使用される語彙も数えられるものではない。
だから外国語を教育するのとは同列に並べて比較する訳にはいかない、国語の範疇で考えられるべきだ、と言っている。
漢文のテキストが国語の教科書に含まれているのはそういう意味だろ?
それとも…あなたは母国語を学ぶこととサンスクリット語・英語・独語・仏語やら他国語を学ぶことは同じだ、とでも言うのかい?
母国語を選択科目にしろとでも?
ここまで理解してもらったうえで、国語教育として漢文が必要かどうかを考えていただきたい。
母国語の理解・表現力がどこまで必要なのか、日本語教育の中に漢文を入れるべきか、とね。
(まぁ私個人は残念だが漢文が必要というに結論はならないだろう、と思っているが…)
あと、これも繰り返しだが、実際に教育を受け、受ける教育を選択する人間(中高生)が具体的内容を理解せずに
自分の受ける教育を選択するのは結構だ。が、どのような選択肢を用意すべきか、という判断はそうした中高生の現場における選択とは異なる。
その全体について議論する人間は少なくとも検討するための材料となる最低限の予備知識を持っておかねばならんだろう?
「ある教科を学ぶべき必要性」について判断するのは何も中高生に一任されるべきことではない。
結果的に中高生の嗜好に迎合する形になったとしても、結果に至る前段階の議論では知識は必要である、てこと。
あなたのような誤解による誤判断を避けるためにね。
以上、「分かっていただけましたか?」
あらら、怒らせちゃった?随分プライドが高いんだね。
284でも書いたけど、サンスクリット語は、別に「外国語」の例として
挙げたわけではない。従って、「古文漢文は外国語ではない、国語なのだ」
という貴方の主張は、それ自体の妥当性とは関わり無く、
私の主張に対する反論になっていない。
私がサンスクリット語を挙げたのは、
「古文漢文以外で、中高カリキュラムに採用する余地のある教科」の例として。
そして、このような教科は、サンスクリット語のほかにも、哲学、心理学をはじめとして、
無数に想定される。
そして、これら無数の教科の具体的内容について知っている人などいないのだから、
「教科の内容を知らない者は教科の必要性について語ってはならない」という貴方の
主張は現実には採り得ないということを私は言っているわけです。
285ほかで述べたように、
「ある教科の具体的内容」と「当該教科の社会的必要性」は独立に判断できる。
そして、私は、中高カリキュラムにいかなる教科を採用するかは、
後者の観点から判断されるべき問題だと言っているのです。
289 :
名無氏物語:03/02/04 16:03
あげ
教える教科を「社会的必要性」だけで決められたら楽だろうなぁ……
もちろん俺は、何が「社会」にとって必要かってことを
独断で決められるほど視野の広い人間じゃないけどさ。
291 :
名無氏物語:03/02/17 02:56
あげ
>>290 禿同
274の言いたいこともわかるが
古漢をやりたくないことの言い訳にも見ることができる
っていうか、昔の考え方にも学ぶ所は多いから
それを原典から学ぶためって行ったら社会的にも必要性があるともいえるし・・・
ちなみに自分の意見では中高教育で学ぶべきは人間性、モラルとか・・・
でもって社会的必要性なんていったらどの教科が残るの?
各々の意見が知りたい
293 :
名無氏物語:03/02/21 22:52
>>1 つか、ガッコの授業なんぞに「人間性の涵養」なんか求めるなよ。
294 :
古典廃止論者:03/02/22 00:09
>>292 >昔の考え方にも学ぶ所は多いからそれを原典から学ぶためって行ったら社会的にも必要性があるともいえるし
だから、そんなの専門家で十分でしょ。
高校で取り上げるような主要古典はいずれも現代語訳されている。
>ちなみに自分の意見では中高教育で学ぶべきは人間性、モラルとか
古典じゃそんなの無理だよ。偏見や迷信や差別のいっぱい詰まった古典はむしろ有害。
>でもって社会的必要性なんていったらどの教科が残るの?
現代日本語
外国語
数学(現在の数学は無駄な部分が多いので、もっと現代的な内容を教える)
理科(基本的な科学的知識)
近現代史・政治経済(主権者としての素養を身に付ける)
295 :
名無氏物語:03/02/22 00:48
将来古文・漢文の必要性を理解できる一握りの人材を
発掘するためにその他大勢も学ばされてるの。
これは別に古文・漢文に限らず、文系・理系問わずそう。
高校でやらされてることの半分以上は実生活で必要なし。
但し将来、古文、漢文、数学、物理、化学‥‥の学術的深淵に
触れようとする能力・意志のある者を埋もれさせないために必要なの。
その他大勢はその犠牲者、ご苦労さん。
まあ、自分は学問には無縁の人間だったんだ、無駄骨だったなあ
てことであきらめてくれ。
296 :
名無氏物語:03/02/22 01:41
>>294 > 現代日本語
ホントこれ切実。現代日本語の時間削ってまで、古文漢文やる理由がわからない。
社会に出てからの敬語の使い方、実用文の書き方の
再教育にかかる負担をもっと減らして欲しいのよ。
実用文は、報告書、提案書、業務/製品のマニュアル、裁判の書類、
製品の仕様書、ISOなどの規定類、プログラム設計書なんかを想定してる。
授業では、序破急とか、起承転結とかよりも、先に結論を書け、というのを
徹底して教えておいて欲しいのよ。
「および」・「ならびに」、「または」・「もしくは」の使い分けも教えておいてくれよ。
古文やっても、変体仮名交じりの連綿体を読めるようにはならないでしょ?
漢文やっても白文読み下せるようにならないでしょ?
こんな中途半端なカリキュラムに時間を割く余裕は無いはずだ。
297 :
名無氏物語:03/02/22 01:46
>>70 だってシェイクスピアは現代文で読めるし。
298 :
名無氏物語:03/02/22 02:02
>>138 歎異抄はともかく、正法眼蔵は読めといわれて、「はい読みました」といえるような代物じゃないでしょ
299 :
古典廃止論者:03/02/22 14:17
>>295 >将来古文・漢文の必要性を理解できる一握りの人材を発掘するためにその他大勢も学ばされてるの。
これは確かにありますね。
しかし、高校で時間を割いて学ぶ以上は、「なぜそれが必要なのか」を納得させる必要があります。
古文や漢文の場合はそれが非常に難しい。
「将来それを専門的に学ぶ人材を発掘するため」というのなら、古文漢文以外にもたくさんの科目が思い浮かびますよ。それに比べて、古文漢文は必要性が薄いことは否めない。
いくつか理由がありますが、古文漢文というのは現代や未来ではなく過去を研究対象にしているわけですね。
いま研究しなくても、いつの日か研究できる日が来るかもしれない。史料が消失するわけでもない。そういう意味で、著しく緊急性が薄い分野なんです。
まあ数学で言えば古典幾何みたいなものか?研究しようと思えば深い内容があるけど、現代的意義がほとんどなく、発展性もない。そんな分野の研究者がたくさん必要か。
まして高校で学ぶほど必要か。
>これは別に古文・漢文に限らず、文系・理系問わずそう。
>高校でやらされてることの半分以上は実生活で必要なし。
>但し将来、古文、漢文、数学、物理、化学‥‥の学術的深淵に
>触れようとする能力・意志のある者を埋もれさせないために必要なの。
これはちょっと違いますね。
数学に関しては、受験数学はむしろ有害で、数学的才能を潰していると思いますよ。
板違いですが、『崩壊する日本の数学』という本を読んでみて下さい。
300 :
古典廃止論者:03/02/22 14:27
>>296 論理的思考力・読解力を養う訓練をすべきだと思うんですよ。
現代文の教科書に載っているのは「名作鑑賞」みたいな内容が多すぎる。小説や評論ではなく、学術的な論文や報道を読むほうがよほど必要。
文学的鑑賞力なんて万人に必要ではないし、学校の授業程度では無理。
それよりも「文章を正確に読み理解する」「自分の言いたいことをわかりやすく正確に書く」ことのほうがどれほど大事かわからない。
かろうじて「小論文」でそういう内容を学ぶくらいか。
>実用文は、報告書、提案書、業務/製品のマニュアル、裁判の書類、製品の仕様書、ISOなどの規定類、プログラム設計書なんかを想定してる。
そういうのは必要ないんじゃないかな。そういう具体的すぎる教育をしても、社会に出てから役立つかどうかわからないし。
「わかりやすく論理的な文章」を書く訓練をすれば、そういう具体的な必要にはすぐに対応できるだろう。
301 :
名無氏物語:03/02/23 12:45
実際のところ、「古典なんか要らねーよ」と思っている人は結構いるとしても、だからといって
古典を勉強しない、或いは「古典を教育内容から外せ」と主張するような人は、
まず殆どいないという罠。
「古典とは何か」とか「古典をなぜ学ばなければならないのか」とか、普通はあまり深く
考えないし、考えても多分いい答えは見つからない(この問い自体が難しいので)。
とりあえず、与えられたことだけちゃんとやっておけばそれでいいんだよ。それで興味が
湧いてきたら、自分で読んだり文学部に行ったりすればよい。
貴方達は深く考え過ぎ。
302 :
名無氏物語:03/02/24 00:35
>>301 > まず殆どいないという罠。
おまえの周りには、だろ。
303 :
名無氏物語:03/02/24 04:30
>「なぜそれが必要なのか」を納得させる必要があります。
んな必要ねえよ。てゆうか無理。10代で分かるはずもない。
中には分かるのも一人や二人はいるかもしれないが。
大体ここには20代・30代あるいは40代もいるだろうに
まだ分からないのがいるんだから、工房に求めても無駄だし必要もない。
なぜか分からないがやらさられるのがお勉強。
俺だって英数理国社、何であそこまで細かいことやらなきゃいけないのか
納得・理解出来たのは大学入ってから何年かしてからだよ。
>数学に関しては、受験数学はむしろ有害で、数学的才能を潰していると思いますよ。
これも数学にかぎんねえよ。全科目そう。功罪両方ある。
はやい話古文・漢文だってそうだよ。あれで好きになるやつはなかなかいない。
むしろ子供のころ好きだったのに嫌いになるやつだっているだろうさ。
しかし100パーセントの教育なんて無理。将来学問目指す者もいれば
そうでない者もいるんだから、前者向けだけの教育するわけにもいかない。
結局ああなるのもしょうがない。
だいたい高校にしろ大学にしろ最近子供に媚びすぎ。
面白い授業だとか、分かりやすい授業だとか
勉強なんてのは面白くないし、わかりにくいもんなの。
面白かったら誰だってやるよ(w
304 :
名無氏物語:03/02/24 05:12
>>303 >>「なぜそれが必要なのか」を納得させる必要があります。
>んな必要ねえよ。てゆうか無理。10代で分かるはずもない。
生徒に理解させろと言っているのではありません。社会(有権者や教育界)に対して理解させる必要があるのです。
>>数学に関しては、受験数学はむしろ有害で、数学的才能を潰していると思いますよ。
>これも数学にかぎんねえよ。全科目そう。功罪両方ある。
これはちょっと誤解がありますね。数学に特に言及されているのは、受験数学と大学に入ってからの数学の内容が
かけ離れているというか無関係なものが多いからでしょう。
受験数学は応用問題を解くことが中心となるので、受験生はたくさんの問題を解いて解法を覚える。
でも大学に入ってからの数学は原理を理解することが中心で、入試に出てくるような問題を解くことはない。
そういうことを言っているのです。
305 :
bloom:03/02/24 09:04
>>304 どうも。
廃止論者さんの意見には100%賛同です。
数学についての話も含めて。
世の中にはやはり似たようなことを考えている
人がいるのだなあと思いましたよ。
フランスの国立高等研究院やパリ大学では、日本文学の専門コースで漢文の訓読が
必須科目で、そこでもやはり学生(勿論フランス人)に何故、漢文訓読が必要かを
納得させるのが一苦労だそうだ。
ー国際日本文化研究センター。日文研フォーラム(二十一世紀の漢文ージャン ノエル
ロベール)より引用。
じゃあ、古典の必要性を言ってみるか。思考するというのは言語に頼るところが大きいよな。
日本人はまあ、大抵日本語を使うわけだ。で、日本語って言うのは論理的ではないとか言われることが多いくらい
省略と飛躍が多い言語だ。まあ、外山滋比古は点的論理とかいうけどさ。
それが西洋のくどい論理をもった言語と比べると非論理的のように感じられるわけだ。
最近は外国語との接触も多いし、日本語も変わって来ているとはいえ
それこそ何百年も続いて築かれてきた日本語の論理はそう簡単には変わらんよ。
まあ、西洋式の論理が優れているって訳でも無い。一本通った明快な論理は却って飽きやすいうえに、対立する事象を同時に含みもつ事は出来ない。
だけど、日本語のようにある種曖昧な論理を持つと、矛盾するような事象も共存できたりする。
日本語の論理ってのは実は解明されてない事の方が多い。
今までは西洋文法に無理やり当てはめて何となく理解しているだけだな。
だから非論理的だという誤解を受けやすい。古典を学ぶことによって自分達が使っている言語の論理性を学ぶってのは重要だと思うぜ。
日本語の、外国語には無い可能性を探るという点でね。日本語の論理による思考が何を生み出すのか。
例えば、「古池やかわずとびこむ水の音」
これが面白いと感じるのは何故か。外国語的な論理ではわからないわけだ。
外国語的な論理で行くと、蛙が一匹なのか沢山なのか気になってしょうがない。おかしい。
ところが、実際は蛙の数なんか気にしなくたって面白いと感じるし、却って、そんなことを言い出す奴は野暮だといわれたりする。
ここに日本語の論理の一端があるんじゃないかな。どうやら日本語ってのはこういう面白さを作り出すことに向いているらしい。
それじゃ、その日本語で物を考える俺たちの思考法にはどんな可能性があるんだろう。
それを学ぼうと思ったら古典は外せないだろう。そんな事考える必要ないと思っても日本人に生まれて日本語を母語としちまったんだからしょうがねぇ。
自分の話す言葉の正体くらい掴んで置かないと自分の思考の正体も掴めねえやな。西洋的なかっちりとした論理的思考をもとめるのなら情緒の染み付いた日本語よりも
英語を学んだ方が良い。外国語は母国語にくらべて情緒が染み付いてないから純粋な論理で思考しやすいしな。
309 :
名無氏物語:03/02/25 22:29
>>308 長文ですが、要約すると
1)日本語の論理は西洋の論理と異なる
2)日本語の論理を学ぶには古典の学習が必要
ということでよろしいですか。
1)については「日本語の論理」なるものの内容が問題ですね。
少なくとも論理学でいうような論理が使用言語に依存することはあり得ないので、
もっと広い意味で「論理」という語を用いているということは分かるのですが、
それ以上の具体的内容は正直良く分かりません。
「蛙」の例からすると文法的差異のことを言っているようにも思えますが、文法と論理は別ですよね。
「日本語の論理」の内容が明らかでないと、2)の当否についても検討できません。
>309
よくもまあ、こんな酷い悪文を読んでくれました。
論理という言葉が論理学でいう論理を連想するのであれば
思考の作法とでも読み替えていただきたいです……
日本語の論理の内容=我々が日本語を使って考える場合の発想の仕方
とでも言いましょうか。
311 :
名無氏物語:03/02/26 00:45
まあ要するに人間は言葉でもって物を考える。我々の場合は日本語。
学問てのは結局我々はどこから来てどこへ行くか。
現代日本語は古文・漢文の要素を多く含んでいる。てゆうかそれ無しでは成り立たない。
従って先の問を突き詰めるには古文・漢文は欠くべからざるものである。
308さんと俺の言ってることは同じだと思う。
上の文はかなり論理的段階を省いたからわからんやつにはわからんだろう。
つまり世の中、人間とは人生とは、言語とは記号とは、なんてこと考えずに
一生終わる人間も多いわけだ。もちろんそれは悪くない。
そんなこと考えなくても満ち足りた一生は送れるんだから。
そんな人達にははっきり言って古文・漢文を学ぶのは無駄なことだ。
古文・漢文に限らず、学問てのは実生活には役に立たないし、役に立つ必要もない。
しかし無ければ社会は崩壊する。だがそれを社会全体に理解させるのは難しい。
そんなこと考えたこともない人間が大多数なんだから。
結局、何かわからんが強制的に学ばされる、てゆう現状がいい
てゆうかしょうがないと俺は思う。勉強なんてそんなもんだ。
将来役に立たない大多数の人にはご苦労さんとしか言いようがないな。
ま、学問と無縁の人生を選択したのはあんたなんだから諦めてくれと。
312 :
乱交は日本の文化です!:03/02/26 00:57
313 :
古典廃止論者:03/02/26 01:59
>>308 >じゃあ、古典の必要性を言ってみるか。思考するというのは言語に頼るところが大きいよな。
論理は共通です。だからこそ世界の古典は世界の主要言語に翻訳されている。
>まあ、西洋式の論理が優れているって訳でも無い。一本通った明快な論理は却って飽きやすいうえに、対立する事象を同時に含みもつ事は出来ない。
意味不明。「西洋式の論理」など存在しない。論理は世界共通。
>だけど、日本語のようにある種曖昧な論理を持つと、矛盾するような事象も共存できたりする。
できません。
>日本語の論理ってのは実は解明されてない事の方が多い。
>今までは西洋文法に無理やり当てはめて何となく理解しているだけだな。
>だから非論理的だという誤解を受けやすい。古典を学ぶことによって自分達が使っている言語の論理性を学ぶってのは重要だと思うぜ。
まだ解明されていないものをどうやって学ぶのか。
314 :
名無氏物語:03/02/26 02:09
>じゃあ、古典の必要性を言ってみるか。思考するというのは言語に頼るところが大きいよな。
>論理は共通です。だからこそ世界の古典は世界の主要言語に翻訳されている。
じゃあ、「古池や〜」を翻訳してみな。
ってゆうか、文章を理解しようとしない奴に何を言っても無駄だと痛感した今日この頃。
…それに、解明してないから解明しようと学ぶんだろうが。
きみ、学問の世界から遠い人だね。
315 :
名無氏物語:03/02/26 02:18
古典廃止論者のDQN振りにはマイッタ。
まあ、だからこそ古典廃止なんて考えるんだろうけど。
ツッコミどころ満載な>308にそんな見当はずれなことしか言えないとはね。
>だからこそ世界の古典は世界の主要言語に翻訳されている。
翻訳というものをしたことが無い人間だからこういう事がいえちゃうんだろうな〜。
言語学、記号論の基礎も理解できてない椰子がいるんだね。
308さん、こんなのに何言っても無駄だよ。
315さん、本当にその通り。
翻訳って言う作業がどれだけ大変なことか、そしてどういう意味があるか
単なる言葉の置き換えじゃないんだってことすら分からない人間がいるんだよ
こんなのに何言っても無駄。自分で物を考えようとしたことがないんだろうね。
317 :
名無氏物語:03/03/02 00:16
つか、なんでうちらを「東夷」と蔑んだ連中が言ったことを有り難からにゃならんのだ?
別にありがたがる必要はない。
むしろ学問的批判の対象として相対化する必要すらある。
そのためにも漢文を学ぶことは有意義なこと。
319 :
名無氏物語:03/03/02 12:20
>>318 批判にさらされた結果漢文は不要ということになったのでないの?
>>1は「人類の叡智の結晶」とゆっとるぞ。
320 :
名無氏物語:03/03/02 13:09
某地方紙より。
「現代文の中で、果たして数百年経過した後も良作として残っている可能性のある作品は、どれだけあるのだろうか。
古文は、すでに数百年以上経過しているにもかかわらず良作として評価され続けている。
すばらしい表現力、感受性、文章を読み取る力を養う上で、どちらがよりよい教材なのかは、火を見るよりも明らかだ。」(要約)
古文漢文不要論の人も、これぐらい説得力のある言葉で論じてほしいものだ。
まぁ、この文からいけば、不要論の人に表現力が備わっているとは言えないので、期待するほうが馬鹿なのかもしれんが。
>>320 その痴呆紙の記者は来年のことを言うと鬼が笑う、というのを知らないのだと思われ。
今まで残ったからって、古文がこれからも残るなんて誰にも言えない。
古文、漢文なんてどんどん先細りになって、象牙の塔にしか残らないかもしれない。
>すばらしい表現力、感受性、文章を読み取る力を養う上で
実用文書くときに、古文、漢文の素養は桎梏になっているとまだ気がついていない
ようだな。
現在流通している実用文/論文の書き方のハウツー本が、古文、漢文の影響の排除に
少なからぬページを割いている事実をどう見る?
>火を見るよりも明らかだ
ロジックの積み重ねで相手を説得できない香具師の決り文句だよね。
実用文や論文では、まずお目にかかれない。
なるほど、古文を学ぶとこんな珍しい表現にも精通するわけだ。結構なご利益だ。
322 :
名無氏物語:03/03/02 15:57
>320>322
俺も>320が説得力あるものとは思えんな。古典の価値を見出すのは読者だ。
素晴らしいから残っているというのは語弊がある。
有名なところではガリバー旅行記はもともと風刺小説だったが
途中、その価値は失われ今では冒険小説として読まれている。
作者の意図した風刺小説としての素晴らしさは消滅して、後の読者が見いだした
冒険小説として素晴らしいと評価されるようになった。
古典として後々まで残るとはこういうことだ。つまり、後の読者によって
埋もれていた作品が突然素晴らしい古典になるかもしれないし、
一顧だにされずに消されるかも知れない。
子規の古今批判のようなものにさらされるかもしれない。
古文を学ぶ重要性は>308や>311と同意見だが
表現力、感受性、読解力を養うために、古典だけを盲目的に読もうとする態度は
滑稽だ。良質な現代文を探し、読む力をつけるべきだ。
話は変わるが、現代に於いて、所謂実用文を学ぶ大切さを説いているわりにはちっとも
判りやすくない文章が多い。漢文の素養があった明治知識人の文章の方が
よほど簡潔で判りやすいことがしばしばある。
良文を書く秘訣を尋ねられた鴎外が経書を読む事を勧めたという話も興味深いことである。
324 :
名無氏物語:03/03/02 17:03
>>321 >その痴呆紙の記者は来年のことを言うと鬼が笑う、というのを知らないのだと思われ。
>今まで残ったからって、古文がこれからも残るなんて誰にも言えない。
>古文、漢文なんてどんどん先細りになって、象牙の塔にしか残らないかもしれない。
あなたも十分、鬼が笑いそうなことを言ってますが。あと、先細りなのは当たり前。評価されないものが振るいにかけられるんですから。
>実用文書くときに、古文、漢文の素養は桎梏になっているとまだ気がついていないようだな。
>現在流通している実用文/論文の書き方のハウツー本が、古文、漢文の影響の排除に
>少なからぬページを割いている事実をどう見る?
それと、古文漢文を学ぶこととは別次元の話ですが。(と言うか、文学でもないものを理由に文学の古文漢文を否定されてもねぇ)
>ロジックの積み重ねで相手を説得できない香具師の決り文句だよね。
>実用文や論文では、まずお目にかかれない。
>なるほど、古文を学ぶとこんな珍しい表現にも精通するわけだ。結構なご利益だ。
まぁ、ここは問題外w論理性のかけらもないしw
325 :
名無氏物語:03/03/02 17:09
>>323 読むことは自由ですが、学ぶのは義務教育なので。
言いたいことは分かるが、「古文漢文を学校で教えることについて」のスレなので。
326 :
古典廃止論者:03/03/03 01:28
>>314 >じゃあ、「古池や〜」を翻訳してみな。
そんなもの翻訳できないし、翻訳する価値もありません。
翻訳するためには論理がなくてはならない。「古池や〜」なんて論理も糞もない戯言です。
翻訳というのは、ある言語で表現されている論理を別の言語に移し替えることです。論理がない文章は翻訳のしようがない。
将来的には世界の言語を統一しなければなりません。論理は一つしかない(国毎の数学や論理学なんて存在しない)のだから、人類の言語は一つで十分です。
327 :
古典廃止論者:03/03/03 01:34
>>320 「現代の科学書の中で、果たして数百年経過した後も読まれている可能性のある作品は、どれだけあるのだろうか。
聖書は、すでに数千年以上経過しているにもかかわらず良作として評価され続けている。
どちらが人類にとって有用であるか、火を見るよりも明らかだ。」
古いから価値があるわけではない。古いから正しいわけでもない。
迷信や差別が一杯の古典や聖書は有害でしかない。
達磨やMMと同じタイプのデムパだったか。
>将来的には世界の言語を統一しなければなりません。論理は一つしかない(国毎の数学や論理学なんて存在しない)のだから、人類の言語は一つで十分です。
こんなバカには何を言っても無駄。
329 :
名無氏物語:03/03/03 04:40
>>326 なんだ、そうだったのか。
漏れは、言語を奪うことはただ言葉を奪うだけでなく
その民族を滅ぼすことに等しい、なんて教えられて
大日本帝国が朝鮮にやったことはひでえことなんだなあ
なんて思ってたが、そうじゃないんだね。よかった、よかった
大日本帝国万歳!
330 :
名無氏物語:03/03/03 04:59
∩
∧_∧ | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´Д`)// < 先生!こんなのを発見シマスタ!
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http://saitama.gasuki.com/kaorin/ __| | .| | \
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>>326 あのね、仮に一つに統一したとしてもね
30年もすればバラバラだよ。100年もしたら元の木阿弥。
言葉ってのは生き物なの。パロール、ラングってわかるでしょ。
変化して止まないもの、それが言葉、ひいては人間社会なわけ。
あんたみたいなファシストがいくら世の中一つにしようとしてもね
自分の思い通りのままに固定、永久に無変化のままにしようとしてもね
人間社会は多元・分散、様々な言語・民族・文化が存在するのが健全なわけ。
一元・純潔を求めると数十年前の極東の某国のようになるの。
まあ、せいぜいヒトラー2世目指して頑張って下さい、反動保守思想家さん。
(^^)
333 :
名無氏物語:03/03/14 18:41
333ゲット!
>>327 古典廃止論者ということは、現代文が重要ってことでしょ?
あんた、現代文さえわかってないじゃん。
書き込みの意味を理解できないようなやつが、現代文が重要だといっても説得力なし。
335 :
名無氏物語:03/03/27 03:41
数百年後・・・
327家の家訓
「古いから価値があるわけではない。古いから正しいわけでもない。
迷信や差別が一杯の古典や聖書は有害でしかない。」
子孫「まったくそのとうりだ!この家訓を残してくれたおかげで、
先祖の時代の迷信や差別で一杯の古典を読まなくてすんだ。」
336 :
セーラームーン:03/03/31 00:24
古典を学ぶことをいろんな理由をつけてやらないよりも
ちょこっとの努力を使って古典が読めるようになれば
この世の中を認識する世界が広がるからおすすめです。
正直、生徒に対して理論武装する時点で悲しい。それでも教えざるをえないが。
338 :
名無氏物語:03/03/31 20:06
漢文などを読むと、当時の人の方が現代人より優れている点がものすごく
あるのに驚かされる。
339 :
名無氏物語:03/03/31 20:34
340 :
古典廃止論者:03/04/01 04:55
>>336 それはその通りです。しかし、「この世の中を認識する世界が広がる」というのは、
古文漢文だけでなく、たとえばアラビア語や古代ギリシア語やラテン語などの言語も同じことですし、
また哲学や数学や物理学も同じです。
あらゆる学問は「この世の中を認識する世界を広げ」てくれるでしょう。問題は、中等教育で教えるほどの
重要性があるかということです。
341 :
名無氏物語:03/04/01 17:46
>>340 意外と古文って使ってるもんだよ。
たとえば漢字の熟語。あれって、古文表現と同じだし、故事に習ってる言葉もけっこうあるからね。
古文がわかれば、けっこう知らない熟語でも大体意味はわかる。
現代文とまったく関係ないわけじゃないのがよく分かる。
「天地無用」(天地スコト用イル無カレ)とか。
342 :
名無氏物語:03/04/01 18:45
>>340 重要性なんて人によって違う。
極論を言えば読み書きそろばん(計算)以外中学までは
やる必要ないともいえるし。
343 :
名無氏物語:03/04/01 21:01
>>342 ごもっとも。
国際社会において多種多様な文化が入り混じる昨今、お互いの文化を尊重することは大事なことだ。
自国の文化さえぞんざいに扱う人間が、国際社会での文化の違いや様々な文化に対する理解を示せるかどうかは怪しいものだ。
344 :
名無氏物語:03/04/02 00:13
345 :
古典廃止論者:03/04/02 04:52
>>341 そんなのは中等教育で扱うほど必要とはとても思えない。
古代ギリシア語やラテン語を知っていれば、英語もわかりやすくなるだろうが、中等教育で古代ギリシア語やラテン語を教えるべきだろうか?
「ひっくり返すな」と書けば誰にもわかるのに、「天地無用」なんていう表現が残っているのも、古文漢文の悪影響としか思えない。
346 :
古典廃止論者:03/04/02 04:57
>>343 >自国の文化さえぞんざいに扱う人間が、国際社会での文化の違いや様々な文化に対する理解を示せるかどうかは怪しいものだ。
こういう主張はよく聞くが、全く的はずれだと思う。
異なる文化や社会への理解というのは、所詮はそこに入って学ぶしかない。日本文化を学んだからといってどうなるものでもない。
むしろ、自国文化を学ぶと言うことは「偏見を身につける」ということであって、自国文化を知らないほうが異文化を理解しやすいのではないか。
どんな宗教も持たない人間はさまざまな宗教を客観的に見ることができるだろう。それと同じだ。
グローバル時代には、脱民族・脱文化こそが求められている。
347 :
古典廃止論者:03/04/02 05:00
>>329 植民地支配で言語を奪うというのは、「もともとあった民族性を否定して占領者の民族性に変えさせる」ということでしょ。
わたしが主張しているのは、「脱民族の時代になってきている」ということですよ。ある民族を占領して、別の民族の言語や文化を押しつけるということではありません。
全世界的な脱民族を主張しているのです。
348 :
古典廃止論者:03/04/02 05:05
>>331 >言葉ってのは生き物なの。パロール、ラングってわかるでしょ
>変化して止まないもの、それが言葉、ひいては人間社会なわけ。
言葉は変化していくでしょう。しかし、それと「複数の言語に分かれる」ということとは別です。
日本語は変化してきましたし今も変化していますね。でも日本語が複数の言語に分かれつつありますか?明治維新いらい、日本語は統一されてきましたね。
交通や通信の発達に伴って、日本国内の言語は統一されてきたし、この傾向が逆転することはないでしょう。
>人間社会は多元・分散、様々な言語・民族・文化が存在するのが健全なわけ。
さまざまな人間集団があることは当然ですが、それぞれが独自の言語を持たなくてはならない理由は?
これまでの世界では、交通や通信がそれほど発達していなかったために、地域ごとに民族や文化が形成された。
しかしこれからの世界では、地域ごとに民族が存在するのではなく、日本にいるAとアフリカにいるBが共通の趣味で結びつき、北米にいるCとインドにいるDが共通の生活様式で結びつく、というようになると思います。
「さまざまな人間集団が存在する」ということは、「民族が存在する」ということを意味するものではないと思います。
349 :
(´-ω-`):03/04/02 06:38
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/_~,,..::: ~"'ヽ
(,,"ヾ ii /^',)
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>>346 それは、異文化を学ぶことだろ。
理解を示すことと異文化を知ることは、まったく別物だ。
相変わらず日本語が読めてないな(苦笑)
古典廃止論者の意見は、一見まともだが、
要するに、人間は機械的になれといってることと同じだな。
不必要な知識は切り捨てるべきってことだしな。
まぁたしかに、社会の底辺には要らんであろう知識は多いが、
その底辺の文化水準がその国の教育水準であり、国の評価基準のひとつであることもまた事実。
そんなの国際化にはじゃまなだけだと反論しそうだが、
仮に地球に統一国家が発生したとしても、地域文化はなくならないよ。
文化ってのは、地理と歴史と社会から生まれるものであって、
人間は、異なる地理条件、異なる社会情勢があるかぎり、異文化は何度でも発生する。
つまり、文化は生活するには必要ないが人間が人間として生活を営む以上、必ず発生する無駄なことなんだよ。
無駄がない、すなわち生きるだけの生活を営むのだったら、何を以って、類人猿と人間とを分かつつもりだ?
352 :
名無氏物語:03/04/02 15:29
>>351 >古典廃止論者の意見は、一見まともだ
全然まともじゃないだろ。
自国文化があるから、『異』文化が存在するんだろ。
自国文化に無知な奴は『異』文化は学べない。存在しないものは学べんぞ。
地球文化なんつーものがあるのか?
おまえらマジ馬鹿だな。
353 :
名無氏物語:03/04/02 15:58
古典廃止論者は真赤ッ赤って感じだな
まず日本語使うのを辞めなよ。
“英語漬け”の小中高一貫校 太田が特区を申請
来春まず“幼稚園”
特定地域に限って規制を緩和する国の「構造改革特区」の認定申請受け付けが始まった一日、
太田市は内閣府構造改革特区推進室に対し、授業のほとんどを英語で行う小中高一貫校を
置くことなどを内容とした「太田外国語教育特区」計画を正式に申請した。今月二十日前後の
認可を見込み、来春のプレスクール(幼稚園に相当)設置に続いて、二〇〇五年四月の開校を目指す。
同市内には海外に法人を持つ企業が多数あるほか、外国人住民が多く、市は「子どもたちの
外国語能力を育て、外国語の意思疎通能力を身につけた国際人の育成のため、外国語による
学校教育が必要」として、この特区構想を打ち出していた。
計画によると、学校は市と民間の出資で設立する「公設民営」を基本とし、当面は
学校法人化を目指すが、株式会社化も視野に入れている。
授業は、検定済み教科書の英語訳版を使って国の学習指導要領に基づいて、
国語以外の授業をすべて英語で行う。小学校課程の終了段階で英検準2級、
中学課程の終了で英検準1級程度を身につけさせるとしている。
授業は三十人学級に日本人と外国人の教師二人を置き、クラスの中でも少人数制のグループ学習を行う。
市は“英語漬け”教育を行っている静岡県沼津市の私立校「加藤学園」と提携する予定だ。
用地は同市西本町にある市有のサッカー場を充てる。当初は小学一年の二学級と
小学四年の一学級でのスタートを目指す。
>>354 >国語以外の授業をすべて英語で行う。
国語も英語で教えなきゃダメだな。
356 :
古典廃止論者:03/04/02 23:07
>>354 こんなのはばかげたことだ。英語はあくまで外国語でしかない。
世界共通語による民族語廃止には賛成するが、自国語のかわりに外国語を教えるのは論外である。
357 :
名無氏物語:03/04/02 23:15
>>356 英語が世界共通語になればいいではないか。
まったく人工的にゼロから世界共通語を作って
民族語を廃止する、などというのは
実現性に乏しく、百年河清を待つがごときものである。
一刻も早く世界共通語状態を作るには、デファクトスタンダードで、
現在広く行われていて有力な言語を起用するのが最も
現実的だ。
358 :
古典廃止論者:03/04/02 23:28
>>357 ちっとも現実的ではない。
英語は合理的な言語ではない。また発音も難しいので、非英語話者が身につけるのは非常に難しい。
また、英語はアングロサクソンの言語であるから、それを世界語にすることは非アングロサクソンの民族的な反発を招くため、不可能である。
だから、合理的であり発音も簡単なEsperantoを世界語にすることこそ現実的である。
359 :
古典廃止論者:03/04/02 23:35
>>351 >要するに、人間は機械的になれといってることと同じだな。
>不必要な知識は切り捨てるべきってことだしな。
そんなことは主張していない。
>まぁたしかに、社会の底辺には要らんであろう知識は多いが、
>その底辺の文化水準がその国の教育水準であり、国の評価基準のひとつであることもまた事実。
だから?
数学や哲学や外国語の知識より、古典文学のほうが意味があるという根拠は?
>そんなの国際化にはじゃまなだけだと反論しそうだが、
>仮に地球に統一国家が発生したとしても、地域文化はなくならないよ。
「地域文化」の程度が変化しますよ。
江戸時代の日本の地域文化と、現代日本の地域文化はどれだけ違いますか。
仮に江戸時代における東北と九州の文化的差違を100とすれば、今日のそれは10か5くらいでしょう。
それと同じことが世界的規模で起こります。
>文化ってのは、地理と歴史と社会から生まれるものであって、
>人間は、異なる地理条件、異なる社会情勢があるかぎり、異文化は何度でも発生する。
同上。
明治維新以後、日本で新たな方言は誕生していない。それと同じことが世界的規模で起こる。
>つまり、文化は生活するには必要ないが人間が人間として生活を営む以上、必ず発生する無駄なことなんだよ。
だから、その「文化」が民族や地域単位である必要がないと言っているのです。
360 :
名無氏物語:03/04/03 00:12
>>358 エスペラントは、かなりラテン語系欧州言語をベースにしていますよ。
「エスペラント」という名称自体が、「希望」を意味するラテン系
(イタリア語、フランス語、スペイン語など)から由来した名称では
ありませんか。合理的とはいえません。
それとも、あなたのいう「合理的」とは、単語や文法構造が簡素貧弱で
複雑精妙な表現に不適切なことを意味しているのですかね?(藁
>また、英語はアングロサクソンの言語であるから、それを
>世界語にすることは非アングロサクソンの民族的な反発を
>招くため、不可能である。
インド、フィリピンなどは英語を公用語としていますが。
また、その他の地域でも、英語を公用語とはしないまでも
事実上、さまざまな分野で実際に補助的に使用しています。
361 :
名無氏物語:03/04/03 00:17
>>359 >「地域文化」の程度が変化しますよ。
>江戸時代の日本の地域文化と、現代日本の地域文化はどれだけ違いますか。
>仮に江戸時代における東北と九州の文化的差違を100とすれば、今日のそれ>は10か5くらいでしょう。
>それと同じことが世界的規模で起こります。
興味あるお話ですね、詳しくお聞きしたいです。質問させてください。
何を基準に文化的差異を数値にしているのですか?
具体的に教えていただけませんか?
それと、文化的差異を数値にして比較することの妥当性を示して欲しいです。
また、世界各地の文化的差異の基準をどう定めて、
世界共通語が導入された場合に、その基準とする物がどう変化していくと考えられていますか?
世界共通語を使うには、それが実際の日常生活・経済活動・
政治活動・科学・さらには文学や哲学(や宗教)にまで
使用できるだけの表現が可能な言語でなければなりません。
エスペラントのような人工言語は、今のところ、あくまでも
一種の運動家が日常生活以外の限定された特異な情況で
使うにとどまっており、それが一般の社会生活全般で使用するに
耐えられるのかどうか、さだかではありません。
従って、まず、現に日常言語で世界的に最も広く(単に人口比
という意味ではなく、多くの国の多くの局面で)使用されている言語を
そのまま世界共通語にするのが合理的です。
「英語そのものの発音・文法その他が合理的かどうか」という問題と、
「現に世界のあちこちで広く使用されて実績のある英語を
世界後にするのが合理的かどうか」の問題は、
まったく別次元の話です。
古典廃止論者氏には、残念ながら、その両者の区別がまったくついていない
ようですが(笑)
なお、エスペラントを仮に世界語にするとしても、
上述のように、英語をまず世界語としたうえで、
その英語におきかわりうるように単語・熟語を慎重に
対応させ、エスペラントの表現の幅を広げていきながら
(=エスペラントをより緻密な言語に作り変えて)
英語におきかえる、という作業をしたほうが合理的です。
エスペラントは欧州系言語ですので、英語から対応させて
移行する方が、いきなり日本語やアラビア語などから直接
エスペラントに移行するよりは、簡単なはずですから。
>>359 >明治維新以後、日本で新たな方言は誕生していない。それと同じことが世界的規模で起こる。
明治維新以降、新たな方言が日本で発生していないのは、
日本が統一的近代国家となり、沖縄を含めて、学校授業で完全に
「共通語」を教育し、さらに全国統一のマスコミがそれを広めているからです。
ほおっておけば自然に言語差が消えてなくなるわけではなく、
「公教育」「マスコミ」の2つの要素、特に前者がなければ、言語が完全統一される
ことなどありえません。
ちなみに、戦後成立したイスラエルの例を考えてみれば、新たに誕生した国家が
その新国民に、従来使っていなかった新国語を強制し、新たな言語分裂が起こる
ことなど、今後もいくらでも考えられますよ。
イスラエルは、ヘブライ語を使っていますが、これは戦前までは完全な死後で、
旧約聖書や典礼の古文献に存在するだけでした。欧州のユダヤ人たちは、
ヘブライ語を日常は使うことなどなく、欧州各国の系統の言語を用いていたのです。
しかし、戦前、ベン・イェフーダという学者が、ヘブライ語に現代生活で使用できるような
単語などの補充を加え、人工的に現代化し、それをパレスチナの地に移住していく
ユダヤ移民に習得させ、子どもには生まれたときから教え込むようにさせたのです。
そして、新たな国民言語のヘブライ語が、イスラエルの国家成立とともに生まれたのです。
365 :
古典廃止論者:03/04/03 00:47
>>360 >エスペラントは、かなりラテン語系欧州言語をベースにしていますよ。合理的とはいえません。
だから何?ラテン系言語を基盤にしていたらどうしていけないの?「中立的」でないと言いたいの?
純粋に「中立的」な言語など作れない。
>それとも、あなたのいう「合理的」とは、単語や文法構造が簡素貧弱で
>複雑精妙な表現に不適切なことを意味しているのですかね?
全然そんなことは言っていませんが。
Esperantoに関する限り、複雑な表現は可能です。
あなたの言う「複雑精妙な表現」とは、非論理的な文学的表現のことではないですか?
>インド、フィリピンなどは英語を公用語としていますが。
英国の植民地でしょう。またこれらの国では多くの言語が存在し、全国的な統一言語はなかったし、
また母語による学術や教育も発達していなかったから植民地支配者の言語を受け入れたのですね。
今後の世界でそのようなことが起きるとは思えません。
ところであなたは本気で英語を世界語にすべきという主張なのですか?
366 :
古典廃止論者:03/04/03 00:48
>>361 かなり奇妙な質問ですね。数値というのは例えで持ち出しただけだということがわかりませんか?
367 :
古典廃止論者:03/04/03 00:52
>>362 >「英語そのものの発音・文法その他が合理的かどうか」という問題と、
>「現に世界のあちこちで広く使用されて実績のある英語を
>世界後にするのが合理的かどうか」の問題は、まったく別次元の話です。
同じ問題であるとは主張していませんよ。
別次元の問題ではあるが、密接に関連する問題です。
というのは、合理的で学習しやすい言語でなければ、世界語となることが不可能か極めて困難であろうからです。
言語の世界統一を真に実現するためには、やはり合理的で学習しやすい言語でなくてはなりません。
余談ですが、古典擁護論者や漢字擁護論者は同時に英語崇拝でもあることが多いですね。
日本語を合理的にし学習しやすくするために漢字を廃止するという主張に反対する連中が、同時に英語帝国主義を支持するのは興味深いことです。
368 :
名無氏物語:03/04/03 00:53
>>365 >あなたの言う「複雑精妙な表現」とは、非論理的な文学的表現のことではないですか?
言語は論理的命題を伝達するためだけのものではないのですから、
非論理的な文学的表現も可能な言語でなければならないでしょう。
エスペラントがそういうことができないと決め付けるわけではありませんが
現に実績がない以上、実績のある英語に任せるほうが賢明です。
植民地化されなかった国でも、英語を多くの場合に、対外的な共通語として
利用しています。
英語もエスペラントも「中立的でない」のなら、現に広く使われている英語を
世界語にするほうが、日常生活でまったく使われていないエスペラントを
ゼロから膨大な手間をかけて世界語にするよりも、はるかに楽なはずです。
369 :
古典廃止論者:03/04/03 00:57
>>363 Esperantoは欧州系言語ではありません。文法的にはインド・ヨーロッパ語族と根本的に異なります。
基本語彙が欧州系であるというだけです。
また英語は欧州系言語の中でもかなり特殊であり共通語の基盤にはなりません。
古典用語論者がどうして英語崇拝なのかというのは興味深い点であります。
370 :
古典廃止論者:03/04/03 01:00
>>364 もちろん、地球市民革命以後の地球では、世界的な教育や通信が発達するので、言語的差違は急速に消滅します。
また、現代ヘブライ語の例はどういう意図で持ち出したのかわかりません。むしろ言語の統一が可能だという例証になると思います。
「イスラエル」に移住してきた人々は欧州・北アフリカ・西アジアなどからやってきたわけですが、それぞれの出身国の言語やイディッシュ語を話していたため新たに共通語を制定する必要があったのです。
限定された地域の特殊な経験ですが、数世代で共通語を普及することが可能であることを教えています。
>>365 >また母語による学術や教育も発達していなかったから植民地支配者の言語を受け入れたのですね。
>今後の世界でそのようなことが起きるとは思えません。
根本的問題として、なんらかの上からの国家による公教育を通じての強制、
社会生活での共通語を学ぶことによる有利さがなければ、共通語など広まりません。
あなたの主張は、「各国の人間が、意思を通じ合うために、エスペラントを(母語とは
別の共通言語として)使う」ではなく「エスペラントが各地の母語を絶滅させてとって
かわる」というものですよね。
ということは、旧来の植民地国家をはるかにしのぐ、世界的強制権力がエスペラントを
全世界的に強制的にカリキュラムとして教育し、地域語の教育や出版を禁止し、
地域語を用いる者は進学や就職で排除されるようなシステムをつくりあげ、しかも
方言分化が起こりえないように、常に「エスペラント標準文法」を社会の変化に応じて
統一的に見直して全地球に伝達する中央組織がなければ、到底、エスペラントなど
普及しないことになります。
あなたが「インドやフィリピンは、植民地権力が強制したから英語を習得した」
というのであれば、エスペラント語は、それをはるかにしのぐ超巨大権力が
成立しない限り、広めることは不可能だという証明になりますね。
372 :
古典廃止論者:03/04/03 01:04
>>368 ただEsperantoは文法が合理的すぎて非論理的な文学的表現が難しいとは思いますが、それを「欠点」とするのはおかしいと思います。
373 :
古典廃止論者:03/04/03 01:05
>>371 各地の母語を絶滅させる必要はありません。Esperantoが共通語として普及すれば、自然に廃れていくでしょう。
>>370 イスラエルの例は、国家権力が全地球で完全統一されない限り、
新たな地域の国民語が常に新規に発生する可能性が
ある(=世界統一の反対)という意味で出したのです。
また、セルビア語とクロアチア語、ヒンドゥー語とウルドゥー語のように
もとは明確に分化していなかったのが、国民国家の形成とともにどんどん
国家語として明確に分裂していった例があります。
>>373 >Esperantoが共通語として普及すれば、自然に廃れていくでしょう。
「自然に」廃れることなどありません。
共通語として普及させるには、公権力による国語教育の標準の統一、
共通語を用いない者への不利益(逆に用いる場合の利益)という
インセンティブ、これらがあって初めて統一されるのです。
方言程度の差異なら、もともと共通語と地域方言は類似ですから
吸収されて「自然に廃れる」という言い方ができるかも知れませんが、まったく
構造の違う人工言語ですよ、エスペラントは。
独自の諸言語が「自然に」廃れることなどあるものですか。
たとえばアラビア語はコーランの神聖な言語とされており、
イスラム教が殲滅されでもしない限り、エスペラントに「自然に」
とってかわられることなどないでしょう。
読んでみたけど、英語でもエスペラントでも
なんでもいいけど、
何かが「世界共通語」になるかどうかは
言語それ自体の問題じゃなくて、
結局、政治的社会的問題ってことだろ。
エスペラントが文法単純で覚えやすいっていう面では
ひとつ有利な点があるんだろうけど
エスペラントが実際にうけいれられるかどうかは
別でしょ
英語は良くも悪くもビジネス用語として広まってるから
覚えるメリットがある
エスペラントはそれがないから、結局、観念的運動に
とどまってるんだろ
377 :
古典廃止論者:03/04/03 01:22
>>376 >エスペラントはそれがないから、結局、観念的運動にとどまってるんだろ
そうです。だから、英語帝国主義に危機感を抱く諸国や諸団体が、Esperantoを世界語として採用することを決定して広めるべきだと思います。
望ましい展開としては、イラク戦で躓いた米英が経済崩壊し、ユーロが世界の基軸通貨になることです。
欧州は単一言語の支配下にはありませんから、欧州中心の世界秩序の場合、Esperantoが世界語として採用される可能性があると思います。
378 :
古典廃止論者:03/04/03 01:27
>>375 >共通語として普及させるには、公権力による国語教育の標準の統一、
>共通語を用いない者への不利益(逆に用いる場合の利益)という
>インセンティブ、これらがあって初めて統一されるのです。
地球市民革命後は、世界的規模で公教育が行われますので教育を通じた言語統一が進められます。
また経済的必然性から、世界語を用いることの利益は明白なので、多くの人が世界語を話すようになることは明らかだと思います。
>たとえばアラビア語はコーランの神聖な言語とされており、
>イスラム教が殲滅されでもしない限り、エスペラントに「自然に」
>とってかわられることなどないでしょう。
日常言語としてのアラビア語と宗教的言語としてのアラビア語は別です。
イスラームではアラビア語が神聖な言語ですが、礼拝などは別にしても日常生活でもアラビア語を用いる必要はありません。
現に世界のイスラーム教徒の中でアラビア語を日常的に用いるのは少数派です。
かつてのヘブライ語も、宗教的言語であって日常言語ではありませんでした。ユダヤ教ラビはヘブライ語を学びヘブライ語で礼拝しましたが、ほとんどのユダヤ教徒はヘブライ語を知りませんでした。
将来のアラビア語も宗教的言語として残ればよい。日常生活や学校(イスラーム学を除く)ではEsperanto,礼拝ではアラビア語を用いればよい。
>>377 だから、その運動が成功したとしても、
エスペラントはせいぜい(運動が広まっての)
国際会議などの言語になるだろうってだけでしょ。
そこからは、土着言語が絶滅するっていう結論は
全然出てこない。
単に、国内では日常使わないよそいきの国際会議語・教養言語として
エスペラント語が広まる可能性がある、というだけだ。
國際的な教養言語といえば、近代以前の欧州のラテン語や
東洋の漢文もそうだったね。
そういえば
漢文は、表意文字であるゆえに、発音にかかわりなく、
日本人と中国人が共通の教養として、筆談で意を通じたり
共通の話題を作ったりするのに利用された。
日常言語では使われないが、特殊な局面の人工的に
磨かれた言語として。
そういう過去の遺産として、漢文も一定の意味はあるわけだ。
つまり、エスペラントの偉大なる先駆者だったわけだね。
>>378 地球市民革命ってことは、
全地球でエスペラントを強制し
土語を滅ぼそうとする教育統制権力が
支配するってことだね。
>>367 >余談ですが、古典擁護論者や漢字擁護論者は同時に英語崇拝でもあることが多いですね。
>日本語を合理的にし学習しやすくするために漢字を廃止するという主張に反対する連中が、
>同時に英語帝国主義を支持するのは興味深いことです。
・「英語帝国主義」を、「英語が各国語を駆逐して世界統一する」という意味で
とらえるなら、君の言ってることは矛盾していて意味不明。
・単に「古典擁護論者・漢字擁護論者は、英語を国際語として喜んで学んで
使いたがる」という意味でいっているなら、それは、戦後の情況で、親米保守的な
路線が日本の体制の基調だったから、それに対応する現象が国語に関する
言説の世界でもたまたま目立っているに過ぎず、別に興味深いというほどのこと
でもない。
戦前だったら、英語のかわりにたぶんドイツ語がその立場になっていただけ。
>>378 >イスラームではアラビア語が神聖な言語ですが、礼拝などは別にしても日常生活でも
>アラビア語を用いる必要はありません。
「日常生活でアラビア語を用いる必要があるかどうか」は
それこそ、各国・各地域(あえて「民族」とはいいませんが)の
人間が自ら決めることです。
エスペラント運動家が決める問題ではないでしょう。
各国を完全統一し、日常生活でアラビア語を用いては
日々暮らすのが困難で、エスペラントを使用せねばやっていけない
情況に追い込まない限り、あなたのいうようにはなりません。
久しぶりに来たら、もりあがってますね。
384 :
古典廃止論者:03/04/03 02:37
>>382 誤読しているようです。
わたしが「礼拝などは別にしても日常生活でもアラビア語を用いる必要はありません。」
と言ったのは、「イスラームではアラビア語が神聖な言語だからイスラームを殲滅でもしない限りEsperantoに統一できない」という主張があったため、
「確かにイスラームではアラビア語は神聖な言語だが、日常生活でも使う宗教上の義務はないから、
世界のムスリムで大多数を占める非アラブ人のように、日常生活をアラビア語以外の言語で行うことは可能である」
という意味です。
385 :
古典廃止論者:03/04/03 02:41
ついでながら、アラブ世界で反英米感情が高まっている今こそ、Esperantoを普及する好機であると思います。
また日本も、対米従属をやめて、親欧州・親アジア的な立場を取るべきです。そのためには
Esperantoの普及(学校教育での必修化)
日本語のローマ字化
を進めていくべきだと思います。
386 :
古典廃止論者:03/04/03 02:49
>>379 >国際会議などの言語になるだろうってだけでしょ。
>単に、国内では日常使わないよそいきの国際会議語・教養言語としてエスペラント語が広まる可能性がある、というだけだ。
グローバル化(全球化)の進展により、「国内」と「国際」の垣根は加速度的に消滅していくでしょう。
Esperantoが世界語として確立すれば、ほとんどの人がそれを学ぶようになり、使われる機会も増えていくでしょう。
教育やマスコミはEsperantoになるでしょう。そうなれば、ほとんどの人がEsperantoを話すようになることは明らかでしょう。
387 :
名無氏物語:03/04/03 03:00
古典廃止論者氏は匿名の掲示板などで発言して貴重な時間を潰すより
実際に政治家などの権力を持ちこの世界を動かす事ができるような人達に
働きかけるのが良いのではありませんか?
あなたの理想に共感してくれる人が必ずいます。
行動に移してください。世界を変えてください。
388 :
名無氏物語:03/04/03 03:01
389 :
名無氏物語:03/04/03 03:14
一連の議論の前提である「グローバル化」について、
誰が、どのような目的で、推進させようとしている流れなのか、よく考えれ。
少なくとも俺はそんなもんに期待なんかしないね。
地球の裏側の某さんなんかと関わらなくとも、同じ文化的土壌でそだった気心の知れた人間は
身近なところにたくさんいるではないか。
ナンカ、夜中に盛り上がったのねw
>>386 >グローバル化(全球化)の進展により、「国内」と「国際」の垣根は加速度的に消滅していくでしょう。
>Esperantoが世界語として確立すれば、ほとんどの人がそれを学ぶようになり、使われる機会も増えていくでしょう。
>教育やマスコミはEsperantoになるでしょう。そうなれば、ほとんどの人がEsperantoを話すようになることは明らかでしょう。
エスペラントが国際的な共通語として広まるということと、国内での言語もエスペラントになるかどうかと
いうことはまったく別問題です。
インドの例で言えば、インドの公用語として英語が用いられているからといって
ヒンドゥー語やパンジャビ語やベンガル語が消滅して英語にとってかわられないのと同じことです。
あなたの妄想では、「インドに反英米感情があるから英語が地域語を駆逐しないのだ。インドの公用語を
エスペラントにすれば、ヒンドゥー語やパンジャビ語やベンガル語は消滅する」ということになるのでしょうがね。
古典教育はともかくとして、漢字の廃止は暴挙、愚論ですね。
同音異義語による混乱、新語造語力の低下、過去の文献が読めなくなる
(全部書き直す)などのマイナスが大きすぎます。
韓国の廃止の例があるように思えるかも知れませんが、韓国は根本的に
日本語の場合と違う点が2つあります。
(1)ハングル表記では、一漢字=一ハングル文字が原則。
たとえば「大韓民国」をカナ書きすれば「だ・い・か・ん・み・ん・こ・く」で
8文字になってしまうが、ハングルでは「テー・ハン・ミン・グク」というふうに
それぞれがもとの漢字に対応した一文字におきかわります。
(2)日本語よりも音韻が複雑で、漢字語の同音異義の問題が小さい。
たとえば、日本語では「行」「江」「光」「公」「校」はすべて「コウ」ですが、
韓国語ではすべて発音が違うので区別できます。
以上から、韓国の場合は、すべてハングルになっていたとしても、漢字語を
識別するのは日本で同じことをした場合よりは遙かにたやすく、潜在的に
漢字が隠れているといってもいい状態なので、そこからハングルだけで
新たに漢字該当部分を組み合わせて新漢字語を作ることもたやすいのです。
ついでにいうと、日本も旧かなづかいを残していれば、
「こう」「くゎう」「かう」などで、多少の分別はできたはずですが
戦後の変更で、すべて「こう」になってしまいました。
言うまでもなく、もともとは元祖の中国での発音の違いが
中→韓→日と来るにつれて単純化し、差異がわからなく
なっていったのですが。
>385
>また日本も、対米従属をやめて、親欧州・親アジア的な立場を取るべきです。そのためには
>Esperantoの普及(学校教育での必修化)
>日本語のローマ字化
>を進めていくべきだと思います。
アメリカ産のグローバリズムで、反英米を語るのはなんだか重要な見落としがあるような気がしてなりません。
使用言語の統一は、その使用者に対して少なからず影響を及ぼすかと思います。
日本語だから可能である思考。
日本語だから感じられる思い。
こういったものへどのような配慮が行われるのでしょうか?
395 :
古典廃止論者:03/04/04 00:25
>>394 >日本語だから可能である思考。日本語だから感じられる思い。
そういうものはないと思います。あったとしても価値のないものです。
「日本語だから可能である思考」つまり「外国語に翻訳できない思考」というものは、要するに「非論理的な文学的表現」のことです。
論理的な表現は翻訳できます。翻訳できず、その言語でしか表現できないというものは、論理ではないのです。
396 :
古典廃止論者:03/04/04 00:55
>>391 >インドの例で言えば、インドの公用語として英語が用いられているからといって
>ヒンドゥー語やパンジャビ語やベンガル語が消滅して英語にとってかわられないのと同じことです。
>あなたの妄想では、「インドに反英米感情があるから英語が地域語を駆逐しないのだ。インドの公用語を
>エスペラントにすれば、ヒンドゥー語やパンジャビ語やベンガル語は消滅する」ということになるのでしょうがね。
インドの公用語は英語だけではありません。ヒンドゥー語やパンジャビ語やベンガル語も公用語でしょう。
インドで英語以外の言語が消滅しない理由は、ご指摘の反英感情のほかに、
英語は合理的な言語ではないから習得するのが難しい
インドの経済発展の水準から言って、まだまだ地方ごとに言語が違ってもそれほど不便ではない
平均的な教育水準がそれほど高くなく、英語が上流階級またはインテリの言語という感覚がある。
というような理由があると思います。
397 :
古典廃止論者:03/04/04 00:57
>395
>そういうものはないと思います。あったとしても価値のないものです。
? 思考は言語から生まれるところがあるのはソシュール以来確かだったと思うのですけど?
だとすれば、言語が変化すれば自ずと思考も変化すると思うのですが、妙な考えでしょうか?
……っと、文化的な差異(あまり一元的に考えない方が良いのでしょうけど)、言語間相互の違いであるとかは、あなたの文脈ではグローバリズムの動きに則って消えるべきと判断すれば良いのでしたね?
とすると、なるほど理解できます。
言語が異なっている限り、そこに共通の「論理」なるものは幻想でしかありえないのですから、まずは言葉を統一して「論理」という各国間の対話ツールを作ろうというのは卓見ですね。
399 :
名無氏物語:03/04/04 03:10
>>397 >
>>392 >この点に関しては、
http://www.age.ne.jp/x/nrs/nazehitu.htm をごらん下さい。
読んでみた。ちょっと引用する。
> 漢字は日本文化に大きく寄与しましたが,日本語はもともと母音・子音がそれぞれ独立にはたらく性質をもっていますので,
>これを音節文字の仮 名と表意表音文字の漢字で表わすことは,日本語の性質にそわない無理不自然が表われます。
>漢字は字で書けばわかりますが,耳で聞いただけ ではわからないことば(同音異義のことばなど)がふえていますので,
>日常の話さえ思わぬ行き違いがおこります。
> これを救うのに,表音文字であるローマ字で綴れば,口でいうまま書けますから,
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
>日本語がたやすく分かりやすく表わされ,美しく育っていきます。
>このことを ’大和ことばのよみがえり’と言います。これで文字学習の負担は軽くなり,
>わが国民の言語生活は豊かさを増します。
同音異義語を口で言うまま書いたら区別付かないんでない?
例えば、「こうこう」は、高校、航行、煌々、後攻とかもっとあって、
俺の住む地方では、みんな同じ発音で、アクセントも一緒だし、どう区別しろっちゅーねん!
文脈で判断しろとかは無しよん
まあ、文字学習の負担は軽くなって文脈から同音異義語の意味を推測する技法が発達して
「わが国民の言語生活は豊かさを増します」ですな。
p.s.
漢語廃止とか言い出したらもう別次元の話ですね。
400 :
名無氏物語:03/04/04 09:02
学校古典廃止がなぜか日本語論に逝っているような気がする。
まあ、いいけど。
日本語ローマ字化運動は戦後すぐにはやって
自然消滅してます。
エスペラントも昔流行したが最早趣味のレベルでしょう。
今本気で世界言語化を考えている人など狂信者以外いないと思う。
と、書いてみて思ったんだが
古典廃止論者さん、あんた歳いくつだ(w
401 :
bloom:03/04/04 09:11
>>395 >そういうものはないと思います。あったとしても価値のないものです。
>「日本語だから可能である思考」つまり「外国語に翻訳できない思考」というものは、要するに「非論理的な文学的表現」のことです。
>論理的な表現は翻訳できます。翻訳できず、その言語でしか表現できないというものは、論理ではないのです。
つまり、1行目から3行目まであわせて読むと、あなたは「文学無価値論」を
主張しておられる、ということですね。
あなた(=古典廃止論者)にとっては、文学表現が(論理的表現に還元できないゆえに)
無価値である、ということはわかりました。
そして、文学表現に価値を感じている者が、あなたのいうようなエスペラント言語置き換え統一論に
賛成しないであろうことも、予想がつきます。
世界各国で、文学表現や情緒表現に一切興味を持たず、論理的な表現しかしない人間同士の
間では、エスペラントによる統一・旧母語の抹殺が可能かも知れませんね(笑
403 :
395ではないが:03/04/04 10:20
>>402 >世界各国で、文学表現や情緒表現に一切興味を持たず、論理的な表現しかしない人間同士の
>間では、エスペラントによる統一・旧母語の抹殺が可能かも知れませんね(笑
文学表現に何の価値があるのですか。
全世界の人間同士が、論理的に徹底的に意思疎通をできるようにすることのほうが
大切でしょう?
もちろんそれでも対立はあるでしょうが、従来よりはコミュニケーションが
よくなり、全世界の平和的発展につながります。
(すぐ戦争がなくなるとか、そういう意味ではありませんが)
その上で、もし人類にとって文学表現が必要なら、新しい統一言語の枠の中で
生み出せばいいのです。
新統一言語は私はエスペラントにはこだわりません。エスペラントに欠陥が
あるというなら、誰かが別なものを提案すればよろしい。
ともあれ、人工的に考案される言語ですから、試行錯誤的に研究を重ねて
充実させていくことになるでしょう。
404 :
395ではないが:03/04/04 10:23
なお、過去の文学遺産にどうしても価値を見出したい人にとっては
そういうのが耐えられないかも知れませんが、そういう人は
新統一言語とは別に、学問なり趣味なりで、旧各国言語を
勝手に学べばいいのです。
今だって、ラテン語を学んで古代文学を読んで楽しむ人は
いますよね。
一般に日常が現代の言語で営まれていることと、ラテン語を
学びたい人が勝手に学べばいいということは、矛盾しません。
それと同じです。
>403
>全世界の人間同士が、論理的に徹底的に意思疎通をできるようにすることのほうが
>大切でしょう?
>もちろんそれでも対立はあるでしょうが、従来よりはコミュニケーションが
>よくなり、全世界の平和的発展につながります。
思うのですが、母語を捨てて統一言語を使用しなければならないと全ての国に「覚悟させてしまう」力の方が恐ろしいのではないですか?
全ての国が自発的に統一言語を使用することはないでしょう。
中には、状況に飲まれて、圧力に屈して「仕方なく」統一言語を使用する国が出てくるのだろうと思います。
文学と論理の二項対立でこの問題を捉えようとは思いません。
そもそも2つは対立する概念では決してありませんし、どのような言語であれ文学的表現は存在し得ます。(確かエスペラントにも言葉遊びがあったはずですね?)
引っかかるのは、やはり言葉の変更が人間自体を造り替えてしまうという点です。
言葉への強権的な(全ての人が自由意志で統一言語を学んでいくというバラ色の構想があるのなら別ですが)言語の統一は、恐らくは一部に身体への影響すら生じさせていくでしょう。
それは、明治以来日本で行われた言語統一・身体改造のイメージと合致します。
でこぼこした各国を、ローラーで平らげた後に「さあ平和的にコミュニケーションしよう」と言うのは、やっぱり違和感があるのですけれども、どうなのでしょうか?
406 :
395ではないが:03/04/04 11:56
>>405 >中には、状況に飲まれて、圧力に屈して「仕方なく」統一言語を使用する国が出てくるのだろうと思います。
確かに、強権的な国家や勢力が世界に押し付けるという形での
統一は望ましくありません。
古典廃止派氏がいうように、英語帝国主義は、まさにそういう問題があるわけです。
だからこそ、地球市民革命的に、全地球の諸国の人間が、なんらの強制もなしに
喜んで受け入れ、母語とおきかえるような人口統一言語が急務なのです。
納得のいう統一言語ができれば、強制されなくても、全人類が統一言語のもとに
結集し、文化的差異は解消されるでしょう。
407 :
名無氏物語:03/04/04 12:20
古典廃止とか統一言語とか論理とか言いながら
結局できるだけ頭使わなくて良いようにしたいと思っているだけなんでしょ?
脳味噌が退化していきますよ。
ところで、
論理的な世界統一言語が出来たとしてテッテ的に意思疎通できると考えている、
またコミュニケーションが取れたからと言って平和になると短絡的に考えている
その思考は「(あなた方の言う)論理的」なのですか?
408 :
名無氏物語:03/04/04 18:42
このスレッドの表題を思い出して欲しい。
ここで、エスペラントやらローマ字化とか
このスレッドで議論する題目では無いはず。
どこか、他所でやるのが道理。
無駄な知識ほど面白いとはよく言ったものだ。
410 :
名無氏物語:03/04/05 05:35
古典廃止論者は、出来の悪い大学入試小論文程度の論しか述べていない。
411 :
名無氏物語:03/04/05 14:10
古文漢文の知識が無きゃあ万葉集は韓国語だなんて思っちゃうんだよ。
北一輝が、いずれ日本がシベリアの一部などまでも
支配するようになったとき、日本語をひろめることは
無理なので、エスペラントを大日本帝国の公用語と
することを提唱していたことは、有名な話です。
広大な帝国を安定的に支配するには、
異文化集団にとっても受け入れやすい言語で
なければなりません。
エスペラントは、大日本帝国支配にとって
理想的言語と考えられていたのです。
実際の戦前の日本では、そこまで達観した人物が
いなかったので、日本語を押し付けるだけに終わりましたが・・・
413 :
名無氏物語:03/04/05 18:22
現実主義にかこつけた破壊主義にしか聞こえてこないよ。古典廃止論者さん。
仮に、現代語のみで話せといわれて、あなたは一体どういう会話をするんだろうね。
故事成語も使えない。古文からそのまま続く文法・熟語も使えない。
想像すればわかるだろ?いかに貧困な表現しか出来ないかが。機械的日本語といっても過言じゃない。
表現の幅が広がれば、それだけこと細かく表現できるし、相手に明確な意思を伝えられる。
使いこなせれば相手を傷つけずに苦言を呈することも出来る。相手を心服させられれば、言論で自分を守ることだって不可能ではない。
下らん目先のことだけ考えて、これから国語を学ぶ子供たちに貧困な表現力しか与えないで
それで良しと思ってること自体、破壊主義的だし、自己中心的だ。
414 :
名無氏物語:03/04/05 20:38
エスペラントの話はどっか他でやってくれ
もうこのスレッドを荒らすな
>文化的差異は解消されるでしょう。
全くその通りです。
地球には一つの言語、一つの民族、一つの文化があればいいのです。
それを受け入れない者には強制するしかありません。
ブッシュさんにもっと頑張ってもらいましょう。
あなたも精々頑張って立派なブッシュ3世になって下さい。失礼、ヒトラー2世と言うべきか。
>日本にいるAとアフリカにいるBが共通の趣味で結びつき、
>北米にいるCとインドにいるDが共通の生活様式で結びつく、というようになると思います。
そうですね。コイサン語族(いわゆるブッシュマン・ホッテントットなど。いずれも蔑称)の
人達も共通の生活様式になるといいですね。砂漠の人達は生活上、
雨や水その他自然界の諸事象・事物を、日本語なら一つの単語で済むものを
形状や性質、あるいは事項、季節などによって、あたかも別の単語の如く
様々に呼び分けますが、そうゆうことは辞めるように教えてあげなくてはいけませんね。
そうそう、日本語もお湯なんて言い方しちゃいけませんね。熱かろうが冷たかろうが
waterですね。出世魚もそうですね。同じ魚を稚魚・成魚で呼び分けるなんて
ことしちゃいけませんね。英語もアイロンと鉄とアイアン(ゴルフ)を一語で
表してもらっちゃ困りますね。グラスとガラス、コップとカップ、ゴムとガム‥‥
言葉は生活・文化と切り離せませんから、コイサン語族の人達も
今のような気候・風土の中で、今のような生活をしてしれば
いずれまた間もないうちに、自然科学的同一物象に複数の名辞を
与えたりしちゃうようになっちゃうでしょうから、早急に生活様式を変えてあげなくちゃいけませんね。
日本もそうですね。この温暖湿潤なモンスーン気候の中で今まで通りの
暮らしをしてると、どうせすぐにまた元に戻っちゃいますから、何とか
しなくちゃいけませんね。とりあえず近海漁業はやめましょう。いや、いっそ、
海産物の摂取を辞めましょう。そうすれば出世魚の呼称も消えるでしょう。
ともかく、地球上を一つの言語、一つの文化、一つの生活様式、一つの思考様式、一つの‥‥
のみの存する世界にしなくてはいけませんね。
せいぜい頑張って下さい。そして立派なファシストになってください。
話がずれてるみたいだけど、
中学高校で必修で教える必要はないな。
あるとすれば、雇用対策としての意義くらいか。
それほどエスペラントの話が本題からずれているとは思えないのですけどね。
古文漢文の類は、恐らくはこういった統一言語の動きと真っ向から反抗する動きでしょう。
それに対して反論していく中で、対照的に古文漢文を学ぶ意義が見えてくる可能性は皆無ではないと考えます。
>417
>中学高校で必修で教える必要はないな。
高校では必修ではないですよ? 選択必修ではありますけど。
419 :
古典廃止論者:03/04/06 04:15
>>413 >仮に、現代語のみで話せといわれて、あなたは一体どういう会話をするんだろうね。
>故事成語も使えない。古文からそのまま続く文法・熟語も使えない。
全く意味不明です。現代に使われる故事成語は現代語ですし、「古文からそのまま続く文法・熟語」がどうして現代語でないのか。
420 :
古典廃止論者:03/04/06 04:30
>>416 >そうですね。コイサン語族(いわゆるブッシュマン・ホッテントットなど。いずれも蔑称)の人達も共通の生活様式になるといいですね。砂漠の人達は生活上、(略)
あまりにくだらない。
特定の環境下にある人々が特殊な言葉を使うことは当然です。例えば一般人が「砂糖」と呼ぶものや「小麦粉」を、菓子職人はたくさんの言葉で区別しているでしょう。しかしそのことは、菓子職人が別の「言語」を必要とするということを意味するものではありません。
将来の世界語においても、同じようになるでしょう。
421 :
古典廃止論者:03/04/06 04:34
>>420 >言葉は生活・文化と切り離せませんから
生活・文化と切り離せないのは「言葉」ではあっても「言語」ではないと思います。
生活・文化の必要性から「言葉」が生み出されますが、言語(謬着語・屈折語など)が生み出されることはないと思います。ですから言語そのものの統一は可能であり、それに生活・文化の必要性から生じた「言葉」を追加していけばよいことだと思います。
422 :
古典廃止論者:03/04/06 04:38
古文漢文を学ぶことに何の意義もないとはいいません。最大の意義は、現代の相対化ということだと思います。
かつての日本や中国(もろこし)の人々が何を考えどういう風に感じていたのかを知ることによって、現代(現代日本)の社会制度や価値観が唯一のものではないことを知ることです。
しかしこれは、古典を学ぶことよりも哲学・社会政治思想や歴史を学ぶことによってよりよく達成されます。ですから古文漢文を教える必要性はこの点からは論証できません。
423 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/04/06 08:14
古典を学ぶ意義としては、世界共通の意義として
自分たちがその一員である「社会の組み立ての基礎」を学ぶということがある。
全ての文明社会は言葉の概念とそれによって書かれた文章の積み重ねだから。
ところが現代の日本は西欧起源の近代社会・近代国家であって律令国家ではない。
一見、現代日本語は漢語だらけのようだが、
その主要部分は明治期に日本人が西欧語を翻訳したものであることが
これを雄弁に物語っている。
漢文や儒教の知識など全く無くとも現代日本語の漢語群を扱う上ではほとんど困らない。
だから現代の日本人が本当に学ぶべき古典があるとすれば、
漢文ではなくてラテン語やギリシア語になるはずだがこれは現実問題として難しすぎる。
だから英語を勉強してその意義に当てるということが行われているともいえる。
ということで、古典中国語(漢文)を学ぶ意義は本当は無い。
日本の古文については、平安時代以来「公的な社会の組み立て」には
伝統的に関わっていないから、上述の「古典」ではない。
趣味で読む一種の慰み物。やはり「学ぶ」意義はないだろう。
(面白いとおもう香具師が趣味で読めばいい)
424 :
名無氏物語:03/04/06 14:08
そんなんだから、先進国の底辺なんだよ。日本は。
425 :
名無氏物語:03/04/06 14:13
使わない の否定を表す「ない」が後ろにつくのに
「不使用」てなんで使うという意味の「使用」の前に否定の「ない」にあたる「不」が先にあるの?
と聞かれて、
そういう決まりだから
と答えるんだね。君たちは。
そういうのを思考の停止というんだな。一般的には。
思考の停止を前提とした教育の弊害は、既知の事実です。
>>422 歴史と古文の関連性をまったく無視したすばらしい意見ですね。
>>419 >故事成語は現代語
( ´,_ゝ`)プッ
現代文において、文語をそのまま流用してるんだから、古語だろ
現代文の古語表現=現代語ですか?
現代文であることは認めるが、現代語じゃない。
>>410はもっともかと思ってたが、
レベルはそれ以下かもしれんな。
428 :
名無氏物語:03/04/06 15:28
>>422かつての日本や中国(もろこし)の人々が何を考えどういう風に感じて
いたのかを知ることによって、現代(現代日本)の社会制度や価値観が唯一の
ものではないことを知ることです。
しかしこれは、古典を学ぶことよりも哲学・社会政治思想や歴史を学ぶこと
によってよりよく達成されます。
古文や漢文から、哲学や社会政治思想や歴史を学ぶことができるだろう。
そもそもキミのいう古典の定義が狭すぎるし、一部を見て全部を知った
ような視野の狭い意見はいいかげんやめろ。必要と思うことしかやりたが
らない人間に迎合していると、個人の思考力、人間性やはては文化にまで
よくない影響を及ぼしかねない。
429 :
aaaaa:03/04/06 16:50
>将来の世界語においても、同じようになるでしょう。
そうですね。文末に動詞が来たり、否定語が来たり、主語のない文章なんてとんでもないですね。
疑問文は主動の入れ換えによって示すべきですね。「か」を付けるなんてとんでもないですね。
状況によって文末が「です」だったり「だ」だったり「や」だったり「である」だったり
なんて非合理的なことは直ちに辞めるべきですね。
お湯なんて言わずにhot waterにあたる世界共通語を使うようにしなければいけませんね。
水と聴いたら冷たいと思うようじゃダメですね。熱い水だってあるんだと。
一〜三人称に様々な語を当てはめるなんてこともやめなければいけませんね。
I、you、he、sheなどにあたる一語に統一すべきですね。
それから何と言っても敬語ですね。あと男言葉、女言葉なんてのも無くさなくちゃいけませんね。
家の中に上がるなんて以ての外ですね。靴を脱いで室内に入るなんて
野蛮な習慣は辞めなくちゃいけませんね。とにかく非西洋圏の人は
ただちに西洋式の生活様式・思考様式をしなければいけませんね。
和歌や俳句なんてクソくらえですね。古文・漢文学ばなくてもすむ素敵な世界になりますね。
せいぜい頑張って立派なファシストになって下さい。
431 :
古典廃止論者:03/04/07 00:33
>>428 >古文や漢文から、哲学や社会政治思想や歴史を学ぶことができるだろう。
ですから、それは「回り道」であり実効性が薄いといっているのです。
外国語を学ぶのに、文法書をやる代わりに、映画をたくさんみるようなものです。もちろん映画からも外国語を学ぶことができますが、あまりに効率が悪いでしょう。
>>431 じゃあ、実効性の高い勉強とはどういうものか?
それから、文法書ばっかり見ていても外国語は出来るようにはならん。
それと同じで、他人の分析や解釈したものを読んで、分かったように
なってるのも、歴史や政治思想を知ったことにはならん。
434 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/04/07 02:26
漏れは「古典廃止論者」とは別人だが(彼/彼女に賛同もしない)。
でも428はイタいよ。
>古文や漢文から、哲学や社会政治思想や歴史を学ぶことができるだろう
古文や漢文から「学べる」「哲学や社会政治思想や歴史」は、
423で言ったように、現在の日本の社会の組み立てとは本当は関係が極めて薄いんだ。
それよりも「政治」「自由」「民主」「権利」「義務」といった
明治期に西欧から取り入れた系列の「哲学や社会政治思想や歴史」を学ぶことの
重要性のほうがはるかに高い。
「もののあわれ」や「仁」や「礼」を知らないことと、
「自由」や「民主政治」や「選挙」や「議論」などの意味が分からないこと、
どちらの方が重大な問題を引き起こすかは明らかだろう。
漏れは別に古文や漢文をやるなとは言わないけれど、
それよりはるかに重要なことを先にやらなくてはいけない。
そしてこれをやるだけでおそらく少なくとも高校までの課程では時間切れだろう。
ちなみに「古典」もclassicの翻訳なのだが(w
>>434 べつにイタいことは言っていない。
古文や漢文からも、学べる事はあるという意味だ。古文や漢文から、
そういったことをまるで学べないという論調の古典廃止論者に対して
言ったまでさ。
私は、政治思想や歴史を古文漢文からのみ学べと言っているのでは
ない。そこのところ誤解なく。
どうも、ここのスレでは何か主張すると、それ以外はすべて否定する
という意味に取られがちだな。古典廃止論者の言もそういう面もあるな。
かれは古文漢文の価値を否定するのではなく、相対的に実用度が低いと
言っているわけだが、その根拠とするところがあまりに独断的で視野が
狭いところが問題なのだ。
あとな、西洋流の思想を学ぶ事も大事だが、自国にもそういう思想が
あったことを知っておくことも大事な事だ。
人工的統一言語なんて不可能です。
例えば、信じる、思う、願う、とbelieve, think, guess, hope, wish, trust
なんて、日本語と英語で対応しないのはもちろん、どこまでがthinkで
どこからbelieveなのかなんてことは、人工的に決められません。
どのくらい確信度が強くなったらかとか、どこで区切るかとか、いくつに区切るかとか、
そんなことはとても人工的に決められません。
>「日本語だから可能である思考」つまり「外国語に翻訳できない思考」というものは、要するに「非論理的な文学的表現」のことです。
あなたは翻訳という作業をしたことがないのですか?
どんなに論理的な表現でも、完全に翻訳できないことなんて普通のことです。
完全に翻訳できるなんて、数詞とか、せいぜい万人に共通の自然現象とか
幼児レベルの文章程度でしょう。思考なんて完全な翻訳は出来ません。
それとも思考なんて表現する必要はないですか? 客観的事実のみを
口にして生きていきますか? 私たちの日常会話の大半は、翻訳不可能な
思考形式によって成り立ってるんですよ。英語を話すときは英語によって
日本語を話すときは日本語で、各言語体系によって物を考えてるんです。
日本語には冠詞もなければ完了形もない。いや正確に言えば完了形があって過去形がない。
他の言語にも各々特徴がある。どれが論理的でどれが非論理的だなんて
決められないし決める必要もない。
437 :
名無氏物語:03/04/07 13:17
>>434 あなたのほうが痛いね。
「仁」や「礼」と
「自由」や「民主政治」や「選挙」や「議論」
を同列にして比較を求めること自体、
あなたの中の何かが根本的に間違っていることを物語ってるよ。
で、結局古典廃止論者は
>>425のような意見は無視ですか。
>>413に対しては、「現代文に古語は含まれる」的な意見は述べてますが、
>>413の意見の本質についてはまったく触れていない。
しかも、「意味不明」の一言で片付けている。
たいした論理ですな。
自分の意見は一見論理的に見えるように組み立てる。
自分の都合の悪い意見は答えない。
自分が不利になると、また違う論理テーマで攻める(つまり紛らわす)
いかにも30代〜40代が取りそうな方法ですな。
439 :
名無氏物語:03/04/07 19:48
30代〜40代か・・・。
エスペラントとか地球市民とか言いそうな歳ではあるかも。
議論が噛み合ってないな(禿藁
言語統一化に賛成です。日本語は論理的な文章に非常に適した言語です。
(日本語とはいわゆる和語のことではありません。漢語その他外来語も多く含む今の日本語です)
助詞・助動詞、文末決定制、漢字・仮名などの素晴らしい特徴を持つ
日本語を世界語にすべきです。習得もそんなに難しくありません。
すでに戦前、文法体系の似ている朝鮮はもちろん、中国にも
かなり広く受容され、今でも年輩の方に日本語を話せる方の多いのは
周知の通りです。確かに感情や細かいニュアンスまでを完璧にという
わけにはいきませんが、それも3世代100年もすれば、話しているうちに
日本語式の感情や思考が自然に習熟されることでしょう。
大東亜共栄圏なんてケチな話ではありません。世界共栄圏目指して
全体主義者の皆さんがんばりましょう。
>>437 価値の比較なんかしてないよ。現代の日本国民として
どちらのほうが「当然知っている必要性が高いか」を論じているだけだ。
そしてその必要性の高いものから優先的に学校では教えるべきというのも当然。
教育を受けることに費やせる時間とさける労力は限られているからね。
一応言語に関する専門板なのだから頼むから日本語くらい正確に読んでくれ。
>>443 「当然知っている」ってそういうことをいうんだ。知識として
知っているだけでいいのか?仁とか礼なんかは、知識として
知っていることよりも、実際に実行することまでいくのが理想的
なんだよ。そもそも、キミは「仁」や「礼」を知っているのか?
知っていたら、どっちを当然知っていなければならないかなど
という馬鹿な比較をするはずがないんだよ。
もう一回言うけどな、古文や漢文から歴史も政治思想も学べる
東洋人が古来そういう倫理観念を持っていたのか、そして、それが
文化や民族性にどういう影響を与えているのかも知れるんだ。
上っ面だけの西洋の近代文明を導入したって、根無し草じゃあ、
ものにならんのだよ。そんなこと明治の昔に夏目漱石がとっくに
憂慮してるぞ。
あぼーん
上訂正。1行目「そういうことをいうんだ」(誤)
↓
「どういうことをいうんだ?」(正)
8行目「そういう倫理観念」(誤)
↓
「どういう倫理観念」(正)
ちなみに「当然知っているべき」といったが、
残念ながら現状では多くの日本人が「自由」や「政治」などについて
正確な知識があるとはいえない。
(だからこそ改善の余地がまだまだたくさんあるといえる。)
「夏目漱石」というのは重要な指摘ではあるのだが。
幕末から明治初頭に始まったギリシア以来の西欧の社会の組み立ての
理解と受容、そして母国語である近代日本語での表現の生み出しは、
数多くの先人の壮絶な苦しみの末夏目漱石においてなんとか完成したといわれるが、
彼自身は英国留学以来七転八倒の末、
「私は現在ここまでしか西欧を理解できませんでした。しかしここはまだまだ入り口であります」
と正直に告白した。この正直さが彼が偉人である理由なのだ。
決して「あっちもいいけどこっちもいい。両方勉強しようね(はあと)」といった
単純な価値相対主義者なんかじゃない。
晩年の彼の東洋回帰とも見える発言は、この苦しみと挫折の果ての意識であって、
そんなにあっけらかんと理解できるような代物じゃないんだよ。
>>446 少し意地悪なことをつけたすと、
「倫理(りんり)」は英語ethics(もしくは相当する他の欧州語)の翻訳語だよ。
「政治」はpoliticsの訳、「思想」はthoughtの訳、「観念」はconceptの訳だ罠
現代の日本語というのはこれほどまでにギリシア以来の西欧の知性の枠組みを受け入れているんだ。
前にも述べたような明治の先人の苦しみと努力を追いかけるべく、
福沢諭吉や中江兆民に始まる明治期の文語文を丁寧に読み解くことこそが、
おそらく本当に必要な「古文の教育」なのだと漏れは思う。
>>449 古典廃止論者に言ってやりなよ。
たしかに、自由や政治などについても、昨今の若者たちの多くが
正確な(何が正確かはまた問題だがね)知識を持っていないだろう。
でも、それを言うなら、自国の歴史や文化についても同じこと。
そして、そのエッセンスである自国や隣国中国の古典を学ばない
のが当然などという主張は、逆に国際社会で名誉ある地位を占め
ようとする国の発展には、寄与しないことは明らか。
>>450 それは同意。
だがね、西洋語を翻訳できたのも、漢文を日本語に組み入れた結果だ。
漢語があったため、西洋の抽象度の高い概念を翻訳しえた。そういう
歴史的背景もなにも、知らずに漢文は不要とか言うべきでない。
漢文訓読800年の歴史だって、西洋語を翻訳する困難さに負けず
劣らずの文化的事業なんだ。
>>451-452 漏れは「古典廃止論者」に対しては「スルー」なので(2ch語です)。
それはさておき、
ここまで来るといよいよ問題の本質に入ってくる。
板違いと怒るかもしれないけれど、重要な話なので。
「知る」ということがどういうことかという話になってくるんだ。
古代ギリシア起源の「学問」は、それを行う主体の精神(mind)が自由(liberty)を得ている
ことが前提になる。だから自由な個人が組み立てる自由で民主的な社会がないといけない。
この自由人が、自由人やその社会を考察するのが「政治学」もしくは「実践哲学」である。
他方客体が自由な個人・社会でない「ヒトやヒトの集団」の場合は、あたかも「サルの群れ」を観察するように
「科学的に」観察するしかない。これが「人類学=霊長類学」というもの。
ところが、ギリシア式にいえば古代の中国人や日本人はもちろん「自由ではない」。
したがって「サルの群れ」のように観察されるほかは無い。
これが「中国学」「日本学」というものになる。
この「日本学」の金字塔がルース=ベネディクトの「菊と刀」であることは有名。
453の続き。
というわけで、西欧式の「知性の枠組み」を受容した以上は、
江戸以前の日本史や日本文化、19世紀以前の中国文化は、
「中国学」「日本学」式に(サルの群れとして)理解するほかはない。
という厳しい現実があるのだ。
漏れは明治以降の日本語・日本史については450のとおりだが、
果たしてそれ以前の話をどう「知る」べきなのか
答えは出ていない。とりあえず明治以降に全力投球すべきと今は思っているが。
455 :
(σ・∀・)σ:03/04/09 04:46
457 :
名無氏物語:03/04/09 07:36
>古代ギリシア起源の「学問」は、それを行う主体の精神(mind)が自由(liberty)を得ている
>ことが前提になる。だから自由な個人が組み立てる自由で民主的な社会がないといけない。
>この自由人が、自由人やその社会を考察するのが「政治学」もしくは「実践哲学」である。
「サルの群れ」の様に観察できるのは自由人であることよりも
異邦人であることが重要だと思う。
というのはさておき、日本人は自由人になれないと思うよ。
まさに古文漢文を脈々と受け継ぐ日本語を使ってるから。
西洋式の「知性の枠組み」を受容しているようで実は受容していない。
これは無知のせいというんじゃなくて日本語の性質だろうと。
まさに、漱石が
「漢学に所謂文学と英語に所謂文学とは
到底同一定義の一括し得べからざる異種類のものたらざるべからず」
といっているように、二重言語生活になっているだけだと思う。
明治期の文語文を学ぶっても、
明治の知識人は膨大な漢文の知識があったのに
それを学ぶ我々は漢文の知識は必要ないの?
明治期の知識人が苦労して得た「結果」を学ぶよりも
「過程」を学ぶ方が重要だと思うんだけど。
明治・大正・昭和初期は、現代文の黎明期とも言えるでしょうね。
(今はおそらく初期になると思う)
黎明期というのは、えてして以前の文法と新しい文法が交じり合ってるものだし、
実際、文語と口語が混ざってる。
その黎明期の文学を学ぶには、やはり文語の知識は必要になる。
少なくとも、今を知るにはひとつ前の状態を学ぶのは、どんな学問でも必須。
まぁ、さすがに漢文は、中学校なら日本文化の一端として入門程度に学べばよいかと。
459 :
bloom:03/04/09 09:09
ナンカ必死ですね(禿藁
461 :
名無氏物語:03/04/09 23:09
>古代ギリシア起源の「学問」は、それを行う主体の精神(mind)が自由(liberty)を得ている
>ことが前提になる。だから自由な個人が組み立てる自由で民主的な社会がないといけない。
まあ論点がハッキリしない文だが、ギリシアに関して云うと。
ギリシアでは奴隷や女に労働をさせている裕福な者にしか暇はなかった。
庶民は相変わらず日々の仕事で忙しかった。
libertas(奴隷でないこと)とschola(暇)が前提の「学問」だった。
つまり、「ars liberalis」なんざ現代でも金を持っていて
時間のある人間ぐらいしか身に付かないってことだ。
民主的とかについてだが。
クレイステネスは氏族による政治を解体し、
地域をデモス(区)に分けてそこから代表を選び政治を行った。
いわゆるこれがデモクラシーと呼ばれる。
だが、代表になったのは地元の有力者だった。
ペリクレスの時代になると、18歳以上の自由民男子全員が政治に参加できるようになったが、
投票にやって来るのは有権者の八分の一ぐらいしかいなかった。
アテネ市郊外の有権者などは、遠くて投票に来れなかった。
本家本元のギリシアがこうなのに、
後の時代のヨーロッパ人が作った、上っ面の理想化された「民主主義」って感じだ。
「民主主義」に期待しすぎなんだよ、君は。
>>461 ギリシアの政治制度について厳密に論じるのは明らかに板違いだから、
あえて分かりやすく「自由で民主的」とある意味いい加減な言葉を使ったわけだが。
ここで厳密な話をすすめたいですか?
どうしても進めたいなら板違い批判覚悟で応じますけど。
他の板で進めたいなら誘導して呉。
461は古代ギリシアの政治をcriticalに論じようとして
突き放したらドツボに嵌ってしまった典型的な日本のギリシア学の論述なのだが・・・
>>454 >というわけで、西欧式の「知性の枠組み」を受容した以上は、
>江戸以前の日本史や日本文化、19世紀以前の中国文化は、
>「中国学」「日本学」式に(サルの群れとして)理解するほかはない。
>という厳しい現実があるのだ。
んなこたあない。「西洋的知性の枠組みを受容した」って、いったい
誰が?研究者?一般人??われわれは、紛れもなく日本語を母語とし、
日本文化の中で育ち、日々暮らしている。純粋な西洋式知性の枠組み
なんか受容していない。
むしろ、日本人固有の文化的性質にのっとって暮らしていると
考えるほうが自然だろう。
日本人の文化的特徴の例に宗教がある。例えば、仏教は、インド
にその源を発するが、中国、朝鮮と伝わり。極東日本で、独自の発展
を遂げた。日本人は土着のアニミズムと融合させて、独自の仏教を作
り出したりもした。
また、キリスト教の伝来の時も、いくら宣教師が熱心に教えても、
なかなか西洋の「GOD」の観念が理解できず、結局、宣教師たちは
一応、便宜とはいえ、神道や、仏教の概念を借りて、キリスト教の
教えを広めた。
>>463のつづき
こういうふうに、日本人というのは、外から取り入れた文化を
自国向けにとらえ直し、発展させることが非常にうまい。
漢文を取り入れたこともその一つ。現代中国人に訓読を教えると
非常に感心する。訓読技術のおかげで、現代の中国の大学生ですら、
読めない古代中国語である漢文を、日本の高校生は少しの訓練で読む
ことができるんだ。
こういう文化的伝統は今でもいきてるよ。技術を生み出すことでは
ヨーロッパやアメリカにはかなわないが、それをうまく加工して、
さらに、独自の技術に高める事ができる。
ちょっと途中、急いで論が飛躍したが、日本のことをより深く
知れるのは、やはり、日本人のほうに分がある。外国人には、
外国人独自の視点で日本を捉えられる利点があるがね。
言語化しにくい、微妙な心理の機微や文化的伝統なんかは、
なかなか外国人には理解できないよ。それを学ぶことと、
実用的な外国語や政治知識を学ぶ事はどっちも大事だが、
時間がないから、どっちかを選ぶとかいう理由で優先順位を
つけるべきものではないと思う。
>>463 >純粋な西洋式知性の枠組みなんか受容していない。
といってしまったら、現在日本の大学で行われている「高等教育」の99%を
否定することになるよ。これは極論ではなくて本当の話。
453-454がここの板の住人の多くにすさまじい不快感を催させることは
分かっていて書いているのだが、これは事実なんだ。
現代日本人の日常ではほとんど意識せずにすごせるので、
460のように「必死だな(w」と藁っているのが一番幸せではあるのだけどね。
ちなみに漏れが言っている「西欧の知性の枠組み」は、中世に一回断絶しているから
欧州人にとっても「異物・異文化」であって彼らも数百年間格闘している。
ドイツ人などは未だに受容できているのかどうか悩んでいるくらい。
>>464-465 レスが行き違いになってしまった。
「学問」の系統や系譜の話も深くすると板違いだけれど、
日本人が明治以来130年でほぼ完全に体得したのは
「技術(technology)」の分野に限られる。
それを支える「科学((natural) science)」は分野によりけり、
それとはやや系統を異にする「人文学(humanity)」はまったく駄目。
(文芸作品が高い評価を得たというのはまた話が違う)
技術の習得が上手なのは全く批判されることではないのだけれど、
それだけでは決定的に何かが足りない。
これは漏れの意見だが、今の日本の苦境とこのことには関係があると思う。
グローバル化といいながらグローバル化とは何なのか理解できていない
(だから有効な対処も出来ない)
>>457 前後しますがこれは457へのレスです。
明治期の知識人に漢文の膨大な知識があったというのは事実なのだが、
まさに457氏の取り上げる夏目漱石の言葉どおりで、
漢文の世界と西欧の「学問」とはまったく相容れないものである。
上手に混ぜ合わせると日本風になるとかいう話じゃない。
だから、極端なことを言えば、翻訳する際に、
彼らは漢字の音と文字を借りただけともいえる。
(republicの訳「共和」は「史記」から持ってきたものだが、
「史記」をいくら読んでも翻訳→現代語の「共和」の意味はわからない)
これは言いすぎだが、実際にこの翻訳過程を理解するうえで必要なことは
江戸時代における漢籍の読まれ方・漢字漢語の意味のほうで、
これはむしろ江戸後期の日本史の相当深い理解が必要になる。
(しかもこれをどう認識するかがやはり大問題。一般素人の手に負える代物ではない。)
469 :
名無氏物語:03/04/10 01:54
まあ、難しい話はいいけどさぁ
漢文やっとけば中国の膨大な量の情報源が使えるようになるし古文もそうだよね。
西欧のものに手を出すとラテン語とギリシア語が絡んでくるから、お手上げじゃない?
結局情報量の得やすさから見れば古文と漢文のコストパフォーマンスはかなりいいんでない?
必死だな(禿藁
471 :
名無氏物語:03/04/10 16:05
>ちなみに漏れが言っている「西欧の知性の枠組み」は、中世に一回断絶しているから
>欧州人にとっても「異物・異文化」であって彼らも数百年間格闘している。
>ドイツ人などは未だに受容できているのかどうか悩んでいるくらい。
という事は、その「知性の枠組み」自体が理想に過ぎない
体得不可能なものであるってことじゃないかなぁ。特に日本人にとっては。
現在の日本の「高等教育」が「西洋的知性の枠組み」を
前提とするからこそ
>技術の習得が上手なのは全く批判されることではないのだけれど、
>それだけでは決定的に何かが足りない。
>これは漏れの意見だが、今の日本の苦境とこのことには関係があると思う。
>グローバル化といいながらグローバル化とは何なのか理解できていない
>(だから有効な対処も出来ない)
こうなるんじゃないかな。
現代の日本語自体が変容しているとはいえ
「もののあわれ」や「仁」や「礼」の影響は根強く残っているんじゃないかな。
明治期に取り入れられた翻訳語の思想よりもおそらく強固に。日常生活には仏教語も多いし。
これらは日常で意識しない程我々の思考に溶け込んでしまっているから
それをハッキリと見える形にすることが必要ではないかと思う。
「西洋式知識の枠組み」を受け入れる受け入れない以前の問題として。
現代では「西洋式知識の枠組み」を表面上受け入れているけど、
表面化していない「古文漢文的思考」のせいでやっぱり阻まれざるを得ない。
ならば、古文漢文を学んで彼我の思考、「知識の枠組み」の違いを明らかにしていく事が
真のグローバル化に繋がるのではないかなと思う…
「グローバル化」という概念に疑念は無いのか?
学校古典廃止云々の前にそちらを考えて欲しい。
>471
「古文漢文的思考」ですが、これが本当のところ、どの程度日本人の思考(思想?)に影響を与えているのかは、十分な吟味が必要なことのように思います。
純粋な西欧の知性の枠組みを、日本は受容「しようと」しました。
しかし、その際に日本の伝統的な(と言ってよいのかは疑問ですが)風土が、すんなりとした受容を行うことを阻んだのは、多くの事例から明らかだと思います。
例えば、デューイの経験主義は戦後直後に日本でも脚光を浴びたわけですが、その受容の内実は日本風のアレンジが大きく、歪み果てたものでした。
例えば、テクスト論の数々は、神の複数性を容認する風土(?)の影響によって、本来生じる筈ではなかったテクストの「実体性」を生じさせてしまいました。
現在の日本社会を支える多くの思想は、西欧の知の枠組みを享受したものであるように思います。
そこには、目に見えて「古文漢文的思考」が表れているわけではありません。
しかし、その知の枠組みの中に、やはり「変数としての日本」が隠れているように思います。
この変数としての日本の正体が、古文漢文的思考の影響を、どの程度受け継いでいるのかは、やはり要検討、というところだと思いますが。
>>474 「古文漢文的思考」が日本人の思考に影響を与えているって
いうよりも、「古文・漢文」のなかに「日本的思考」をさぐる
要素を見出しうるってことだよ。
>>466 私の言う「知る」や「受容」と言う言葉の意味と434氏のいうそれとに
ズレがあるようだな。私のいう「知る」は、たんに知識として知っている
ということよりも、それを自分の社会生活や人生に生かすために学ぶとい
うことだ。だから、学校教育で教える事も、知識としてもあるが、何らかの
形で自国や日本人そして、その中で生きる自分というモノを考える契機に
なることが望ましいと考える。
そういう意味からいうと、「受容」もたんに学問的方法論や、知識の枠組
みとして知るというのでなく、実際にどう考え、どう生きるかを視野にいれて
どれほど西洋的思考が日本人に身に付いているかまで考慮した。
だから、大学で行われている高等教育が西洋的知性の枠組みに基づくか
どうかは全くべつの問題だ。
近代的知性の枠組みと社会や国や民族の文化的伝統はべつに相容れないもの
でもないし、完全に一致せねばならないものでもない。
私の主張はべつに高等教育を否定する事にはならんのだよ。
>>473 そうだね。グローバル、グローバルって安易にいう
やつに限ってなんもわかってないことが多い。
外国と対等に渡り合っていくには、かなりしっかり
した民族や国家のアイデンティティーを持たねばならん。
そうせねば、かえって外国人に馬鹿にされるし、外国
人の愛国心や宗教的習慣を理解する事もおぼつかない。
>>473 どうも漏れが「グローバリスト認定」されそうだが、
漏れはそんなんじゃなくてむしろ反グローバリズムの側だよ。
グローバリズムなんて知らずにすめばずっと幸せなものなのだけれど、
押し寄せてきているというか現に嵌められているのだからどうにか対処しないことには仕方ない。
そして、敵を知らずに敵に適切に対処することはできないだろう?
漏れに言わせればグローバリズムというのはここ10年の米国の話などですむ話ではなく、
古代ローマの外交政策の直系の末裔といっていい息の長いもの。
普遍化、繁栄、自由、同盟、文明などをキーワードとしながら
内実決して対等な関係などどこにもつくられないというものなんだ。
でも、それは例えば秦が韓を属国にしたとか、
明に李氏朝鮮が朝貢したという話とはまったく違うし、
今川義元が松平家康を臣従させたというのともまったく違う。
これ以上は板違いだから書かないけれど、切実度が違うんだ。
香具師らは野蛮人を手篭めにする術にも長けているから、
知らずにいるとやられてしまうんだよ。
478 :
名無氏物語:03/04/11 01:34
古典廃止論者がいるとスレが伸びるね。
必死だな(禿藁
今だ!セクースしながら480ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
481 :
名無氏物語:03/04/13 16:26
つーかさ。
読み継がれる古典って普遍的だからでしょ。
歴史を紐解くのとある意味同じなんだよ。
いつの時代も歴史も男と女の業ってね。
それに、日本で漫画が発展したのも古典が豊かだからだよ。
貴種流離譚、異類婚姻譚、みたいなストーリーの
源流は古典にありだよ。
あぼーん
485 :
名無氏物語:03/04/13 17:56
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487 :
名無氏物語:03/04/16 05:38
古典廃止論者どこー?
488 :
名無氏物語:03/04/16 07:08
面白いから読むんだよ、バカ!
読みたくない奴は読まなきゃいい。
必要ないってムキになってる奴は、読みたくても読めねぇんだよ!
490 :
bloom:03/04/16 09:07
古典廃止論者は、その論法から年代を推測され、それが見事に当たってるものだから、
ヽ(`Д´ )ノウワァァァァァン!!モウコネェヨ!!
だそうです
必 死 だ な ( 禿 藁
493 :
名無氏物語:03/04/17 02:26
ageまき
(^^)
495 :
名無氏物語:03/04/18 00:24
「山崎渉おそるべし」あげ!
古典廃止したい人は、和泉式部の恋愛の解説
を読んでみてよ。
和泉市式部日記を読みたくなる、と思うよ。
余談ですが、資本主義の高度化によるグローバル化、文化の均一化に
反対する市民運動を唱道し、各地域の「文化の独自性」をする人が、
漢字やかなの廃止、各地域の独自言語の絶滅、エスペラントによる文化の
塗りつぶしを主張するのは、実に興味深い現象です。
498 :
古典廃止論者:03/04/18 12:25
>>497 私は反グローバリストではありません。「グローバル化」という名の「アメリカ化」に反対しています。
499 :
古典廃止論者:03/04/18 12:27
>>496 ですから、それを学校教育で取り上げる意義があるかと問うているのです。
素晴らしい古典は世界中にあるだろうと思いますが、中等教育で時間を割いてまで教える必要があるか?
また、現代語訳があるのに、古典文法を教えてまで読ませる必要があるか?ということを議論しているのです。
500 :
古典廃止論者:03/04/18 12:28
>>488 その通りです。ですから、中等教育で取り上げる必要はありませんね。
501 :
古典廃止論者:03/04/18 12:30
>>481 普遍的だから読み継がれているのだ、という論法であれば、日本古典を学ぶ必要は論証できません。
別に日本古典でなくても、ゲーテでもゴーゴリでもいいでしょう。
また、現代語訳でなく古典文法を教えて読ませる理由は、やはり説明できません。
502 :
名無氏物語:03/04/18 13:20
>>499 そのとおりです。
現代の目からみて優れた作品だというのなら、
古典とか古語文法ではなく、現代日本語訳で読ませれば良いだけです。
あなたのいうように遠い将来エスペラント語で世界が統一されるのか
どうかは知りませんが、さしあたっては現代日本語で教えれば済みます。
また、専門的にやりたいのなら、ラテン語やサンスクリット語を大学で
やっているのと同じように、大学の専門課程で興味を持った学生に
教えれば良い。
中学や高校でラテン語を教えないのと同じように、古文漢文も中学・高校で
教える必要はないのです。
仮に日本の古典を原文で読みたいというニーズが結果的に広がるのなら、
それは大学の講座の対応人員を増やすなり、社会人向けなりの教材や
公開講座をたくさんやれば良い話ですね。
私は − おそらく古典廃止論者氏も同旨とおもいますが −
別に古典の作品そのものに価値が無いとか無意味とか有害とか
いっているわけではなく、義務教育レベルで強制的・一律に
他の科目にかける時間を犠牲にしてまでやる意味が認められない、
という考えです。
(選択科目としてやるならまた別論でしょうが)
このグローバル化でしかも複雑化した時代、限られた時間を
教育に使うのですから、もっと現代にふさわしい最低限の
現代語・英語(かエスペラントか知りませんが、現状ではさしあたって
英語を教えざるを得ないでしょう)、理数教育を徹底的に教え込むことに
専念すべきです。
現代の言語を操作して論理的に考えたり表現したりする能力さえ
未熟な生徒に、古文漢文など教えたら、余計混乱するではありませんか。
なお(「非論理的」な表現が無価値だとか存在すべきでない、という意味では
ありません。ねんのため)
なお、「現代の日本語にも故事成語や古い言い回しが生きている」
という反論があるかも知れませんが、それはそれで教えればよろしい。
たとえば「五十歩百歩」「朝三暮四」などの表現を説明する際に
そのもともとの由来を教えることも結構でしょう。
ただし、それはあくまでも「古い由来があるコトバが現代語として
使われている例を、現代語として教える」ことです。
現代語教育の一環にすぎません。
(現代語も、現代になって突然できた単語ばかりでできているわけでは
ないから)
古典それ自体を詰め込むこととは何の関係もありません。
基本的に、古典廃止派の人の論法は大学の小論文程度のレベルにも到達していない。
必要ないから教えない。だったら勉強自体必要ない。
最低限度の言語と、職業訓練だけしてればよろしい。
言葉というものが、最終的には人の気持ちを表したものであり、
過去の例をとってどういう風な成り立ち、使われ方を知り、
当時の人の心持を知ることで、己の感情の豊かさ、それをあらわす言葉の表現力を養う。
人間的に心服出来ない人間についていく人はいない。
労働者の底辺なら必要ないが全員がそういう人間になるわけではないし、それから一歩上に行きたければ、
言語の充実や豊かな感情の育成は図るべきである。
よって将来学ぶべき古典の基礎として、義務教育に古典を組み込むことは必要だし、
高校でいきなり教えたところで理解できずに挫折する人がはるかに多くでてくることを考えれば、
それは合理的である。
507 :
古典廃止論者:03/04/19 00:41
>>505 >必要ないから教えない。だったら勉強自体必要ない。最低限度の言語と、職業訓練だけしてればよろしい。
古典に必要がないとは言っていません。中等教育で教えるほどの必要性がないと言っているのです。
何もかも教えるわけにはいきません。教えられる量には限りがあります。従って必要性の高いものを優先し、必要性はあるが低いものは除外することになると思います。古文漢文は除外されることになると思います。
必要性のある学習は山ほどあります。まず現代日本語・外国語・数学・理科・政治経済など。
現代日本語ですが、現在の教科書を見てわかるように「文学鑑賞」に偏りすぎています。必要なのは鑑賞よりも、論理的に読み考え書く能力だと思います。
最近、『論理トレーニング101題』などの良い本が発行されていますが、ああいうものこそ高校の日本語教育で教えるべきものなのではないでしょうか。
外国語は2つ教えるべきです。英語だけでは足りないし、また英語に偏った見方を持つ人間を作ってしまいます。日本の記者には英語しか読めないものが多く、そのことが知らず知らずのうちに英米的な観点からの報道を増やす結果となっています。
数学・コンピュータは現代社会には必須です。現在の受験数学は数学の本質からかけ離れ無用な内容が非常に多いので、もっと現代的な内容を教えます。
こういう教育に時間を割いていれば、古文漢文に割く時間はないと思います。ですから中等教育では必修科目としては廃止すべきです。選択科目として残すことは否定しません。
508 :
古典廃止論者:03/04/19 00:48
>>506 反論しようがないほど非論理的な主張ですね。
>言語の充実や豊かな感情の育成は図るべきである。
それなら、それがどうして古文や漢文によってしか達成されないのか論証すべきでしょう。
509 :
名無氏物語:03/04/19 00:48
私の経験から言うと、役に立つか立たないかというようなことを
やる前からうんぬん言ってるやつは、なにやらせてもダメなことが
多い。
英語は必要で、古文を義務教育でやるのは時間の無駄なんて言っ
ているやつは、結局英語もたいしたレベルに達しない。
本当に出来るやつは、必要とか必要じゃないとか、時間があるとか
ないとか、ごたごた言わないで、実行するだけなんだよ。
自分の狭い経験や判断力で、時間という試練に耐えて残ってきた
古典に必要とか不必要とか安易に決め付ける、その見識の狭さこそ
次世代を育てる教育を語るものとしての資格の欠如を表している。
古典廃止論者は恥を知れ。
基本的には
>>507に同意です。
なお、古典的な表現がいろいろと現代の語彙として生きていることは
事実ですし、論理=ロジックだけでなく修辞=レトリックの面も言語の
機能として軽視すべきでないことは私は認めています。その限りで
「古典的表現」「古典的語彙」を教える意味があるとは思いますが、
それはあくまでも「現代日本語」の一要素としてでしょう。
いわゆる古典的表現にこだわりたいのなら、妥協策として、たとえば、斎藤孝氏の
「声に出して読みたい日本語」のような本を教材の一つとして利用すれば
いいでしょう。あれにも古文漢文の要素が一部使われていますよね。
古文漢文を独立教科として教えなくても、あのような教材を子どもに何度か
朗読暗唱させれば、一定範囲で記憶に残ります。
そうすれば、将来高校なり大学なりで古典分野に興味を持ったときに
その記憶がいかせるでしょう。
511 :
名無氏物語:03/04/19 00:56
>508 きみこそ、一体いつ古典の不必要性を論証したんだ?
教える価値がないとか、他にもっと必要な事があるとか
すべて自分の主観的価値判断ではないか。
論証をうんぬんするなら、アリストテレスの論理学
から勉強しなおせ、青二才が。
>>511 508ではありませんが、さしあたってのここでの論点は
「世の中一般論として古典が必要かどうか」
ではなく
「中等教育レベルで古典(古文漢文)をわざわざ独立教科として
時間を割いてまで教える価値があるかどうか」
だと思いますが。
513 :
名無氏物語:03/04/19 01:01
>512 いつそんなこと決まったんだ?
514 :
名無氏物語:03/04/19 01:03
>512 何かについて発言するなら、最低限の知識を仕入れてから
にしろ。中等教育では古典は独立教科として教えられては
いない。
515 :
名無氏物語:03/04/19 01:11
議論する気のにもならんな…。
517 :
名無氏物語:03/04/19 02:06
古典ってその国の文化だよ。
言葉、というのは人格を表す手段だよ。
明治から昭和初期にかけて、自分たちの血肉になっていない文化の上に
文化を築こうとして失敗した文壇のなんと多いことか。
結局消化不良を起して、西洋のキリスト教文化圏の文化は稚拙だ、
という風潮がはびこった。
この外国の血肉を何とかして、自分の血肉としようとしたのが
故遠藤周作氏、なわけだが、やっぱり彼も日本的アジア的な
血肉にしてしまった所もあるんだな。
それほど、自分たちの育った風土や歴史っていうものからは
逃げられない、ってこと。
言葉は歴史や民族性を顕著に表しているんだな。
「たまゆら」「あえかな」「あわれ」といった
淡雪のように刹那的で、徒花のように嫋々たる言葉が多いのは
日本の文化だよ。
例えば、日本語では「やっと」「ようやく」
と言われれば、「苦労の末に」という言葉が略されている
のは誰でも承知しているけど、英語じゃ
「Finaly」とか「At last」で、略されているのは時間的経過
だよ。これだけ文化が違う国とお付き合いしていかなければならない
時代だからこそ、自分達の背景をきっとりと学ぶ必要があるのではない
かな?それにはまず、言葉を習得しなければならない。
自分達の歴史とお付き合いするコミュニケーションの手段もやはり言葉
なのだろうから。
518 :
名無氏物語:03/04/19 04:49
もうごちゃごちゃ言わないでさ、
小中高では様々な学問を一通り教えて、
大学辺りから各自自分の興味ある分野に特化する、それでいいんじゃない?
比較生産費説が常に成立する訳ではない、幼稚産業を育成するためには保護貿易も大切なんだし。
519 :
名無氏物語:03/04/19 05:00
時代によって教育内容が変わっていくのは必然だ。
趨勢を見るという事も必要だろう。
ただ民族・国家の「核」となる文化や伝統は政策的に保護するべきだと思う。
他スレにも書いたことだが、第三世界の最たる不幸の一つは、
歴史や文化を奪われた(守るだけの力を持っていなかった)ということだ。
520 :
(´д`;)ハァハァ :03/04/19 07:07
521 :
bloom:03/04/19 07:19
>>519 それはそのまま、イラクでのメソポタミア遺跡の遺物の略奪ということに結びついていると思う。
523 :
名無氏物語:03/04/19 12:08
>>508 >>言語の充実や豊かな感情の育成は図るべきである。
>それなら、それがどうして古文や漢文によってしか達成されないのか論証すべきでしょう。
ここに古典廃止論者の決定的な読解力の欠陥が見えている。
>過去の例をとってどういう風な成り立ち、使われ方を知り、
>当時の人の心持を知ることで、己の感情の豊かさ、それをあらわす言葉の表現力を養う。
過去の例をとって=古典を学ぶこと
どういう風な成り立ち、使われ方を知り=現代文と古典とのつながりを見出す=原因としての古典、結果としての現代文を両方学ぶこと。
でしょうに。こんなのは大学入試レベルだ。
524 :
名無氏物語:03/04/19 12:12
もっと言うなら、
過去の例をとる=現在を検証する
では、ここでの現在とは何か。
無論、現代文についてだろうが。
読解力に欠けた人間は、どんなに正しい論法をもってきても、必ず曲解する。
結論を言うと
基本的に古典を軽視する人は、そうでない人よりも読解力に欠けていることがほとんど。
それはなぜかと言うと、古文・漢文には、言外に匂わせるような表現が、現代文と比べるとはるかに多いという点にある。
こういう点のみからいっても、古典を学ぶ意義は多大であると言い切れる。
古典は、読解力の向上にとてもよい教材だからだ。
526 :
名無氏物語:03/04/19 12:36
今、すでに相当な数の外国人が日本で暮している。
「いずれの御時にか女御更衣あまた侍ひ給ひけるなかに〜」
「春はあけぼの、やうやう白くなり行く山際」
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」
「智に働けば角が立つ。情に竿されば流される。」
などと言う古典の名文を義務教育の構造的な理由で、
暗記どころか、全く知らない世代が大量にできてしまうっつーのは、
文化財の散逸と同じ。国つ民の心を売り渡しているのも同然だと
思う。古典廃止論者って、それを狙ってる?
527 :
名無氏物語:03/04/20 00:32
古典廃止論者や502はもっと勉強しようね。興味あることしかやらないと、
あたまの回路が単純になっちゃうよ。
528 :
古典廃止論者:03/04/20 00:49
>>523 曲解しているのはあなたのほうでしょ?
私は
> 過去の例をとって=古典を学ぶこと
>どういう風な成り立ち、使われ方を知り=現代文と古典とのつながりを見出す=原因としての古典、結果としての現代文を両方学ぶこと。
ということを問うているのではなく、それによってしか
>言語の充実や豊かな感情の育成は図るべきである。
ということが達成できない論証を求めているんですよ。それくらい理解して下さいよ。
529 :
古典廃止論者:03/04/20 01:15
>>519 だから日本はそういうものにこだわらなければならない必要性がないんですよ。
ベトナムやモンゴルであれば、民族性を強調しなければ中華に吸収されてしまう。(それが是か非かは別として。)
朝鮮はかつて植民地化され言語を奪われた。
東南アジアやアフリカの多くの国々も植民地支配の遺産に苦しみ国民の一体性と認同の確立へ努力している。
しかし、日本はそういう地位にはない。日本が植民地化されるとは考えられないし、文化的に外国に同化されるとも思われない。日本は世界で希有な「脱民族」をはかれる国だ。
530 :
bloom:03/04/20 01:16
531 :
名無氏物語:03/04/20 01:20
別にやりたくない奴はやらなくていいよ。
大学だけが人生じゃないだろうが。
(^^)
533 :
名無氏物語:03/04/20 02:01
こういうレッテル貼りは本当は良くないんだろうけど、
古典廃止論者氏は左翼・世界市民主義者に見えるなあ。
「グローバル化の時代」「脱民族」などという単語を聞くとそう思ってしまう。
「民族性」「日本人性」を消滅させたい、なんて欲求持ってない?
534 :
名無氏物語:03/04/20 02:06
古典不要論者も別に学ぶこと自体は否定してないんでしょ?
古典研究の存在自体は肯定するんでしょ?
古典研究を存続させるためには義務教育課程で
一通りのことを教える必要があると思いますよ。
古典に接触する機会がなければ興味も湧かず、研究する人も当然いなくなって、
結果古典そのものが消滅してしまうということになってしまうのではないかと。
>>528 そもそも古典肯定派が、いつ古典のみ学べと言った?
国語を現代文だけにすることに対しては反対してるが、
古典だけ学べばよいとは誰も言っていない。
あなたの発言は、屁理屈の多さ、曲解のひどさを露呈してるだけです。
あなたの中で、
国語を現代文のみにすることに反対する=古典のみ学ぶ
という思考回路が平気で成り立っているということですよ。
だいたい、太宰治やら、夏目漱石やら、
明治期前後の文豪の作品がすんなり読めるのは中学校の古文の知識があるからでしょうが。
538 :
533=534:03/04/20 02:57
最新50読み直してみたけど、533で言ったことは些か固定観念的だったかな。
英語以外の言葉も教えるべきだとかアメリカ化には反対という意見には
私も激しく同意。
古典不要論者も一意的に古典教育を反対している訳じゃないんだと思う。
要するに「効率主義者」なんじゃないの?
人の収容能力には限界がある、だから教える内容に優先順位をつけざるを得ないと。
そういう考え方が必要な時もあると思う。
明治時代に先人は一部民族性を捨てて長いものに巻かれた。
そのお陰で近代化を果たせたという側面もあるのだろう。
ただ帝国主義も過去のものとなり
弱小民族を好き放題搾取できる時代も終わった今、
「伝統文化を保護する権利」を世界的に確立する努力をしても良いのでは?
>534
そのアプローチには少し無理があるかな?
確かに義務教育段階で古典を学ぶことが、研究人口への影響を与えているところはあるでしょうが、義務教育で学ばなくなったがために、研究の世界自体が消滅することは少し考えにくいかと思います。
それでしたら、日本の仏文・独文研究者はすでに絶滅して久しいということになるでしょう。
明治初期文学の研究者も、存在しない筈です。
学校教育は、研究者の育成を目指して行われるべきではないと考えます。
わずか一部の人間に対してしか意味を与えられないのであれば、選択科目で十分な筈でしょう。
540 :
名無氏物語:03/04/20 03:17
>539 研究の世界は消滅はせずとも、かなりヤバイよ。古典研究者
のくせに古文読めないとか。
あと、日本の仏文・独文研究者も絶滅寸前だよ。東大の独文
なんか入学者自体いないんだから。
541 :
名無氏物語:03/04/20 03:24
542 :
名無氏物語:03/04/20 03:28
でも興味を持つきっかけを与える、ということは必要だと思いますよ。
理数系科目大嫌いだったけど、授業受けているうちに
だんだん面白くなって来たなんてこともあるでしょ?
まず接触する機会がなければ始まりませんから。何事も。
543 :
bloom:03/04/20 04:17
改めて過去レスを読んでみたが、
「古典廃止論者」って今時エスペラソトとか言っているキティじゃないか。
漏れがこんな香具師と一緒にされている(ノД`)
グローバル化には賛成だが米国化には反対とか言っているし(こんな香具師どうしようもない罠)
ちなみに漏れは
中学から明治文語文の徹底習得→アフォ化している現代文と有機的に一体化させて叩き直し
と考えているので古典廃止じゃないよ。
サラダ記念日レベルのアフォ現代文と、あさきゆめみしレベルの同人まがい古文とに
劣化分断されている現在の中高の国語科の課程よりはるかに厳しい内容のはず。
545 :
名無氏物語:03/04/20 10:52
>544
明治文語文を学習するのは厳しいと思うよ。
俺の高校時代(へっぽこだが一応進学校)
鴎外の舞姫をやったが、読める奴…というか、読もうとする奴がいなかった。
546 :
ネットdeDVD:03/04/20 10:54
>>545 もちろん。それも狙いのひとつだともいえるわけで。
日本の高校教育の病巣ともいえる、
「数学・物理が出来ないから文系に逝く」という考えを
完全にあぼーんするという意義もある。
日本の現行の課程は文系科目が甘すぎるからね。
古典廃止論者がいないと実に論理的で建設的な論議がすすむなw
リストラケテーイ古典教師のオナニースレはここですか?
550 :
古典廃止論者:03/04/20 13:15
>>534 >>540 ラテン語だって古代ギリシア語だって、大学に入ってから勉強して研究者になれるんだから大丈夫です。
古典というものは、研究対象が消滅することもなく、研究に緊急性のないことが特徴です。ですから研究者の数はそれほど必要なく、細々とであれ研究の継続さえ保証されれば良いと思います。
高校で教えなくても、興味を持つものはいるはずです。書店で古典文学は売られているのだから。
>>541 中文は当然入学者います。最近は中国語人気ですから。
東大の独文に入学者がいない(もしくは極めて少ない)のは、入学後に専攻を決定する仕組みになっているからです。東大では最初の1.5年が前期課程であり、その後が後期課程(専門課程)になります。
同じような仕組みを取る大学はいずれも独文を専攻する学生が極めて少ないことに悩んでいます。
東大の場合は、他大学からの編入を取れば定員は埋まると思いますけどね。
551 :
古典廃止論者:03/04/20 13:20
>>547 「数学・物理が出来ないから文系に逝く」というのには、受験数学の問題点があります。受験数学が本来の数学からかけ離れた内容になっていることが問題です。
数学・コンピュータは文系も含めて入試で必修とし、そのかわり出題内容は基礎的なものに限るべきです。
高校で取り上げるものとしては、
『論理トレーニング101題』(産業図書)
のようなものがふさわしいでしょう。
また現代文については、「論理的思考力・表現力の養成」を主眼に置くべきです。
552 :
古典廃止論者:03/04/20 13:22
>>550 ついでながら東大は学部を廃止し、大学院大学になるべきだと思います。
板違いですが。
553 :
古典廃止論者:03/04/20 13:23
>>551 すみません文章の順序が入れ替わってました。
また現代文については、「論理的思考力・表現力の養成」を主眼に置くべきです。
高校で取り上げるものとしては、
『論理トレーニング101題』(産業図書)
のようなものがふさわしいでしょう。
>>540 古典廃止論者はスルーで540へのレス。
確かにそうなのですが、まあいいのです。たいした問題ではない。
日本に特異なことですが(灯台の場合)法学部がほぼ完全に代替している、
ということがあります。これは日本の明治期の西欧学問の受容の特異なあり方によるのですが。
古典古代から中世欧州、近代欧米各国まですべて網羅しています。
文学部独文の研究者より法学部ドイツ法の研究者のほうが
カントをはるかに正確に理解しているという、笑ってしまうような本当の話もあります。
古典廃止論者の発言は突っ込みどころが多くてうずうずするが、
我慢して無視して
>>554へのレス
それは、ドイツの民族性からきてると思われる。
ドイツは自国文学芸術を相当誇りに思ってるからね。
文化人は、シェークスピアを知っててなんぼみたいだし。
漢文を学ぶ意義は哲学を学ぶためじゃないですか。
ドイツ語についていえば、日本の大学で独文がこれほど
今まで優遇されて教養でドイツ語を選ぶ者が多かったこと自体が
異常ですね。
言うまでもなく、戦前の旧制高校・大学のドイツ語至上主義の名残であり、
さらにいえばドイツに学んだ明治時代の反映だったわけですが。
独文に来る学生が激減したというのは、それがさすがに正常になってきた
ということでしょう。
558 :
名無氏物語:03/04/20 23:38
研究者もすそのが広くないと、トップの水準も保てないよ。
ほそぼそと続く研究の水準が低いのは困るね。
必死な奴が2人程、いるな(禿藁
今だ!セクースしながら560ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
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∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
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パ ∧∧ ∧∧ パ
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ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
561 :
名無氏物語:03/04/22 01:50
そのコピペいいかげん飽きた。他のにしろ。
今だ!セクースしながら562ゲットォ!!
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アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
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パ ∧∧ ∧∧ パ
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(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
古典を学ぶ意義そのものが無い、などというのではありません。
(というか、そういう意味での「意義」は各人各様なのですから
意義のあると思う人は学べばよろしい。ただそれだけのことです)
すべての生徒に一律にやらせる中等教育で時間をさくには
ふさわしくないのではないか、といっているのです。
たとえば、今の中等教育で、大多数の生徒が十分な余裕をもって
現代国語や数学や英語その他を消化しきっていて、まだまだ時間に
余りがある、というのなら、古文漢文を必修に入れるのもいいかも知れません。
しかし、現状では、落ちこぼれが多く、しかも学習させるべき量を削減するかどうかとか
学力低下がどうとかいう話で激しい論争になっているありさま。
そんな余裕はないでしょう。
だとしたら、少なくとも、すべての生徒に古文漢文をやらせるという時代では
ないと思います。
源氏物語が小説としてすぐれているのなら、現代日本語の読書指導の一環として
現代訳で読ませればいいでしょうし。
故事成語が必要なら、これも現代日本語の一環の漢字語として教えて、必要なら付随する
事項として、その由来する故事をついでに教えればいいだけです。
現代日本語でしっかりした読み書き・表現ができるようになれば、興味のある子どもはそのうち
成長して自分で選択する段階になったあとで古文漢文に興味を持って学んだとしても、
十分やっていけるのではないでしょうか。
「古典廃止論者」氏も、名前で誤解されていますが、「この世からすべての古典が消滅させられる
べき論者」という意味ではないでしょう。
現代日本でいまだに実用上生きている最後の文語文の世界
それは 民法、商法などの文語体条文である
(刑法は数年前に改正されて脱落した)
もちろんいずれは消え行く運命であるが
566 :
bloom:03/04/22 23:17
>>564 まあねえ。でも高校の現国の時間はみんなヒマで寝ていた記憶があるが。
(真面目に授業を聞いてもテストの点も学力も変わらないわけで。
数学の問題でも隠れて解いていたほうがいい罠)
>>564 >古典を学ぶ意義そのものが無い、などというのではありません。
>(というか、そういう意味での「意義」は各人各様なのですから
>意義のあると思う人は学べばよろしい。ただそれだけのことです)
んじゃ、意味がないと思うから、地歴も必要ない。
数学も必要ない人が過半数だから学ぶ必要はない。
義務教育というのは、客観的に観て最低限度の文化レベルにまで
子供の知識・思考力・能力などを向上させるためにあるんだよ。
本人の感じる意義なんてのは二の次。
世界がいまだ、自国文化の尊重=自己同一性の一部分と捉えている上に、
日本社会において同じ能力なら伝統的文化に深い造詣がある人間が
どちらかといえば優位に扱われている現状を見る限り、
自国文化としての古典を学ばせることは、義務教育としては至って合理的なんだよ。
>>568 まあ大筋では認めるけれど。
>世界がいまだ、自国文化の尊重=自己同一性の一部分と捉えている上に、
>日本社会において同じ能力なら伝統的文化に深い造詣がある人間が
>どちらかといえば優位に扱われている現状
まず1行目「いまだ」は不要。あと2行目3行目は疑問。
この部分(2・3行目)は理由としては弱いな。
削除しても意味は通るし結論には影響なしだから
削除して読みたいところ。
でもそうすると「何を古典として教えるか」が問題になるよね。
現行の日本の教育はこっちのほうが問題のような気がするが。
570 :
名無氏物語:03/04/23 00:08
>>569 「いまだ」
世界がその意味を捉えなくなったら、別に理由にする必要はないが
今のところはまだ必要としているという意味じゃないのかよ
表面的に読みすぎだ
571 :
名無氏物語:03/04/23 00:13
「伝統的文化に深い造詣がある人間がどちらかといえば優位に扱われている現状」
実社会では、不必要のものとはしていないということだろうに
実効性・必要性で古文や漢文をはかってるんだろ?
十分理由になるし、それを弱いとするあんたの論理性に疑問を感じるぞ
572 :
名無氏物語:03/04/23 00:16
そもそも、義務教育の意味(憲法的な意味)自体わかってないから
ああいう発言をするんだろうな
>>568 >日本社会において同じ能力なら伝統的文化に深い造詣がある人間が
>どちらかといえば優位に扱われている現状
仮にそうだとしても、前提となるのは「(伝統的文化以外のことについての)同じ能力なら」
ということですよね。
つまり、まずは前提となる能力(実用的分野での能力)がないと、話がはじまらない
わけです。
ところが、現状では、その部分で、すでに基礎力が落ちていたり、学習時間の配分が
問題になったりしているのです。
だからこそ、「他の能力が同じなら、古典文化も知っておいたほうがいい」というのが
事実だとしても、その前半の部分がまさに問題なのです。
つまり、「他の能力が同じなら」という段階になる以前の話なのです。
たとえば、「数学が同じ程度にできるなら、古典文化も知っておいたほうがいい」
とはいえるのかも知れませんが、その数学そのものを徹底的に教え込むだけで
精一杯だと思います。
574 :
名無氏物語:03/04/23 00:27
義務教育時代の成績が、実社会の能力に影響を与えるということですか
少なくとも、日本ではありえませんね。
577 :
名無氏物語:03/04/23 00:40
>>564 悪いけど、まったくの素人考えだね。
中等教育で、英語や数学を余裕をもって消化することなんかできない。
古典を教える時間を削減したってそれは無理。学力低下だってな、詰め込
み教育はよくないからという理由で、「ゆとり」の名のもとに授業時間や
内容を削減したことから生じたもので、それを古典を削る事で埋め合わせ
られるわけがない。結局、自国の文化も知らない、英語も出来ない、数学
もだめ、っていう人間ができあがるのがオチだ。
だいたい、中等教育でどれくらい古典を教えているのか知ってるのか
おまえは。
それにな、本当に古典を読もうとしたら、すごく論理性が必要なんだよ。
省略された主語を、文脈から補い、人物関係を把握するってのは、たんに
古文単語覚えたり、文法勉強したりしただけじゃできないんだよ。高度な
論理性と類推力、語彙力が必要なんだ。大学入試の古文だって、そういう
文脈把握力を見るものが年々増えているんだ。 古典を読解するには論理性
を身につけなきゃならん。しかも、自国の文化も学べる。
要するにだ、古典教育を削減するのでなくて、やり方を変えるべきなん
だよ。
>>577 >それにな、本当に古典を読もうとしたら、すごく論理性が必要なんだよ。
>省略された主語を、文脈から補い、人物関係を把握するってのは、たんに
>古文単語覚えたり、文法勉強したりしただけじゃできないんだよ。高度な
>論理性と類推力、語彙力が必要なんだ。
それは事実でしょうね。
でも、そうだとすれば、なおさらのこと、現代日本語の「論理性」「類推力」を
鍛える訓練が必要では?
中途半端に古文をやっても仕方がないと思います。
現代日本語の操作能力を徹底的に鍛えれば、古文はもっと成長してから始めても
(興味があるのなら)学ぶことはできると思います。
もっとも、現代日本語でも、古典廃止論者氏がいっていたように、文学鑑賞に
偏重しているのを改める必要はあるでしょう。
579 :
名無氏物語:03/04/23 00:52
あれはいつだっけ?3年と1月ぐらい前だっけ?
僕は君に「じゃあ友達で」と言った。
あれは本心から言えていたのだろうか?
今ではその時の気持ちはよく分からない。
あれが、今ならきっと言える。・・・かもしれない。
自分が一番大切な人が自分を大切に思ってくれれば、もちろん嬉しい。 でも、もし、自分が相手にとっての本当の一番でないのなら、
そしてその人にとって一番大切な人が、その人を一番大切に思ってくれるのなら、
たとえ、自分を大切に思ってくれなくても、それでいい。 ・・・いや、それでも、十二分に嬉しい。
もちろん、これを言うまでには 自分が相手の一番になれなかった、ちょっとの残念さ、ちょっとの悔しさ、
そういった、ちょっとの気持ちの整理がきっと必要だろうけど。 そして、ちょっとの時間と、ちょっと大きな溜息が。
・・・あとは何と続けようか。
君の「一番」が、君を「一番」にしてくれるのをどこか遠くから、 それともどこかの陰から
(思わず勢いで「草葉の」を入れそうになってしまった。 いけない、いけない。ちょっとまだ死にたかないからね…) 見守っていてもいいだろうか。
今では君は僕の大切な友達だ。 少なくとも僕はそう思っている。
ここで、君が僕をどう思っているかは関係ない。 これは僕の問題だ。
だから君が幸せなら、たぶん、僕も幸せだ。
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife/2240/index0.htm
>>577 これには反論せずにはいられない。もちろん全面反論ではないが。
漏れが569末尾で誘導したかったことはここに関わる。
漏れは、日本の中等教育で学ばれるべき古典は、前のほうのスレで述べた
「現代文と有機的に一体化した明治文語文(とくに政治経済法律社会に関わる評論)」、
これは高等教育での学問の習得・研究に直結する能力になる。
ただこれだけでは日本固有の宗教意識に近い思想の枠組みに暗い内容になるから、
平家物語を主軸とする鎌倉以降の精神性の高い古典群を加えるべきだろう。
(まともに仏教思想を扱うのはさすがに政教分離とかかわるが)
逆に何を排除しようとしているかは分かるよね。
>省略された主語を、文脈から補い、人物関係を把握する
これを読み解くために必要なのは論理性なんかじゃない。
一種の当時の宮廷内での内輪のジャーゴンを理解する、
まあ一種の同人ヲタ的な能力に過ぎないわけで。
万人に分かるように洗練された鎌倉以降の古文をやることの意義のほうが
はるかに大きい罠
581 :
名無氏物語:03/04/23 00:52
だから、古典を読解するもの現代日本語力なんだよ。
あとな、人間ってのは、どうしても、やすきに流れる
ものでね、興味がわくのを待っているなんてこといって
たら、自分の好きなことしかやらないよ。読解に論理性
の必要な古文を自分から読もうなんて思うのはもっと
へるよ。
それからなあ、論理性を養うって非常に大変なこと
なんだよ。論理トレーニングとかやれば身につくよう
なもんじゃないんだよ。
語学だってそうだ。本当に語学を身につけたかったら、
起きてる間はずっと、その言語に接していなきゃあならん。
義務教育程度で語学を身につけようって考え自体甘いんだ。
582 :
577=581:03/04/23 01:02
>>580 >これを読み解くために必要なのは論理性なんかじゃない。
>一種の当時の宮廷内での内輪のジャーゴンを理解する、
>まあ一種の同人ヲタ的な能力に過ぎないわけで。
こういうこと言うやつはな、大学受験でしっかり古文を
勉強しなかったやつだ。オタ的知識で解くもんだから必要
ないって思っているんだろ。アホか。そりゃ、背景知識が
あるほうが有利にちがいないが、脚注や書かれている内容
から、客観的に考えて、どう解釈するのが妥当なのか、し
っかり考えれば、ある程度は解けるように出来てるんだよ。
少なくとも、大学入試はな。そういう文脈把握力や、推理力
と、決められた期間できっちり必要な知識を覚えるっていう
仕事をしっかりやっている学生を、大学もとりたいわけ。
論理性がないやつは、初出の古文なんか読めんよ。
>>580 源氏を筆頭に、平安期の王朝物を排除しようとしているのは
わかるw
というか、源氏は、誰かさんが言うように、現代語訳で
読ませたほうがいい。
ところで鎌倉期以降といっても、平家は良いとして、
徒然草や方丈記は学校教育でやらせる価値があるのだろうか。
古典を読むのに論理性とかは必要だが、やっぱり語学の基本は感受性だよ。
言外に匂わせる表現の多い古典の言葉の端々から、いかに登場人物や筆者の主張や心理を読み取るか、そこにかかってるんだよ。
それは、そのまま相手の発する言葉に対する理解を深めることが出来る。人間の心理と表現の方法も経験的に学べる。
そしてこれは、論理性を身に付ける土台となる。あくまで論理性というのは、対外的な力なのだから。
血の通っていない、相手の意向とは関係ない、表現に乏しい論理性なんてまったく意味はない。
585 :
577=581:03/04/23 01:11
>>584 論理性だけが必要とは一言も言ってないぞ。古典を読解するのに
も論理性が必要だと述べたまでだ。
あとね、言葉の端々から、登場人物の主張や心理を読み取る力と論理
性とはどう違うのか??
586 :
577=581:03/04/23 01:15
>>584それからな、下手な感情論はやめてくれ。
相手の意向と関係ない論理性とはどういうものなのか、
きちんと説明してくれ。それから、意味があるとかない
とかってのも、具体的にどういうことなのか。
仮に古文をやるとしても
平安期の古文をやるよりは
明治時代の樋口一葉とか尾崎紅葉とかの
近代的な文章の文語文をしっかり読ませたほうが
いいと思う
源氏物語や王朝物語は、原文で読ませるには
今となっては、あまりに特殊だと思う
588 :
動画直リン:03/04/23 01:17
私も、論理性だけが必要とはいってないが。
(例)
うちの犬が笑った。
論理的
犬が笑いことはないから、犬が口をあけてあたかも人が笑ったかのような表情になったのだろう。
感受的
犬が笑うことはないし擬人化してるから、きっと飼い主がこの犬をとても愛していて、
飼い主から見て何か犬が喜びそうなことがあったに違いない。
感情論と精神論をいっしょにしないでね。
そういうのが、相手の意向を無視した論理性という。
いや、論理性以前の問題かw
>>589私も、感受性だけが必要とはいってないが の間違い。
正宗白鳥先生は
「ウェイリーの英訳で読んで、始めて源氏物語の面白さがわかった」
と言われました。
中村真一郎先生は
「あまりゆっくり読むと、小説は効果を発揮しなくなる。源氏もまずは現代語訳で
読まなくては無理だ」
と言われました。
吉本隆明先生も
「源氏を原文で読もうなんて思っちゃいけない。それで一生潰すことになる。
現にそういう連中が大学にいくと教師をやっているんだ」
と言われました。
「論理」の話か。
論理はlogicの訳でギリシア語logosに起源を持つ語だよ。
まあ細かいことは言わないけれど(板違い)、
このことだけは明らかにしておく。
論理は、精神(mind)の話であって身体(body)の話ではない。
したがって、感情や感性とは関係が無い。
なぜかhumanityとは反対の意味で用いられている
日本語の「ヒューマン」「人間性」とも関係が無い。
これらは身体の領分だから。
論理→筋道立てて考える
んじゃ、その筋道立てる基準は?
それは外からの情報や経験もあるだろうが、
最終的には本人の精神が決めることだ。
ここに論理性が、各人の精神性に関係があることがわかる。
では、その論理性は、何に働くのか?
自分の精神内で人間としての筋道を立てて考えを律するのは、理性の役割。
結局は、理性という土台に経験や情報という要素を組み込んだ基準によって
自分の行動や言動に筋道をつけるためのものなんだよ。
>>594 それは、「論理」単体での意味。
ここで持ち上がってるのは
(人間の)論理性=論理的思考
つまり、「logical thinking」
言葉の端々をかいつまむようなやり方は、ほめられん。
>>596 かいつまんでなんかいないよ。
596では、
thinking が logical によって限定されている。
もちろん日本語でも「思考」が「論理(的)」によって限定されている。
やはり「論理」の枠に限定される話なんだ。
598 :
古典廃止論者:03/04/23 02:26
>>577 >それにな、本当に古典を読もうとしたら、すごく論理性が必要なんだよ。
>省略された主語を、文脈から補い、人物関係を把握するってのは、たんに
>古文単語覚えたり、文法勉強したりしただけじゃできないんだよ。高度な
>論理性と類推力、語彙力が必要なんだ。
この主張を認めるとしても、
古文から論理性が学べる
という命題が成り立つだけで、
論理性を学ぶためには古文を学ぶことが必要
という命題は成り立ちませんね。
だいたい論理性を身につけるのならばそのための教育をすべきで、古文でやる必要性は何もないではありませんか。主語が省略されたり複雑な敬語表現なんていう難解な文章をどうして学ぶ必要があるのか。
それに、古典文法や語彙や文学史の知識を前提としたうえでの論理的読解力なんていうのは現代文で十分みにつくものです。
高校教師ならわかるでしょうが現代文で読解力がある生徒は古文でも(古典文法や語彙や文学史の知識を前提としたうえで)読解力があるのです。つまり古文で論理的読解力を身につける理由はないのです。
599 :
古典廃止論者:03/04/23 02:29
>>585 >古典を読解するのに論理性が必要だ
その通りでしょう。ラテン語や古代ギリシア語を読解するにも論理性が必要だし、現代英語を読解するのにも論理性が必要です。
日本古文を教える必要性を主張するのならば、日本古文でなくては学べないものを示す必要性があります。
600 :
古典廃止論者:03/04/23 02:34
>>582 >そういう文脈把握力や、推理力と、決められた期間できっちり必要な知識を覚えるっていう仕事をしっかりやっている学生を、大学もとりたいわけ。
>論理性がないやつは、初出の古文なんか読めんよ。
あなたは、「古文を入試に課すことによってある能力を測ることができる」と主張していますが、「古文でしか測れず、かつ大学生が身につけていることが望ましい能力がある」とは主張していませんね。
「文脈把握力や、推理力と、決められた期間できっちり必要な知識を覚えるっていう仕事をしっかりやっている学生をとりたい」のであれば、外国語や現代文でそのような出題ができるはずで、古文でやる必要性はありません。
601 :
bloom:03/04/23 03:17
602 :
577=581:03/04/23 04:20
>>600 おまえ頭悪すぎるぞ。オレは古文で論理性を学ぶ必要性など
説いておらん。古文でもそういう能力が身に付けられるし、読解の
うえで必要だと言っているのだ。
おまえは、古文の必要性の根拠を必要に追求するくせに、お前の
主張する、論理性の訓練を古文からも学べるという主張には、
「それは古文である必要性がない」と論点をずらして反論する。
アホか。論点をずらすなボケか。論理性のないお前に論理性を身に
つける必要性を主張されても、説得力がまったくないんだよ。
前からいってるように、古典を学ぶ事で、論理性もみがけるし、
自国の文化や歴史も学べる。これは、前々から、あんたが主張し
ている論理性を身につけることが現行の国語教育でもできるという
ことを意味しているんだ。
それを、「古典から論理性を学ぶ必要がない」という主張は、
じゃあ、なんで、古典から学べる事を、別のことでやる必要が
あるのかっていう意見と同等のものなんだ。
つまり、あんたは、最初から根拠のない堂々めぐりの
主張をくりかえし、他人の意見には、自分の主張に欠い
ている根拠の論理的証明を強いているわけだ。
603 :
(´д`;)ハァハァ :03/04/23 06:03
604 :
古典廃止論者:03/04/23 10:55
>>602 >論点をずらすなボケか。
ちっとも論点をずらしてなどいません。ここの議題は中等教育や大学入試で古文を課す意義ですから、「古文でしか学べないもの」を示す必要があります。
>前からいってるように、古典を学ぶ事で、論理性もみがけるし、
自国の文化や歴史も学べる。これは、前々から、あんたが主張し
ている論理性を身につけることが現行の国語教育でもできるという
ことを意味しているんだ。
ですから、それが古文を通じてしかできないか、あるいは古文を通じてすることが優れているかを論証しなくてはなりません。
私の考えでは、「古文から論理性を身につける」なんていうのは「映画をひたすら見て外国語を学ぶ」というようなものです。映画から外国語を学ぶのは効率が悪いし、間違った単語や発音もみにつけてしまうかも知れません。
>なんで、古典から学べる事を、別のことでやる必要があるのかっていう意見
繰り返しになりますが、論理性を身につけるというのならそのための教育をすべきで、古文から学ぶというのは「外国語を学ぶのに、文法をやらないで映画ばかり見る」ようなものです。論理性を養うのならそれにふさわしい教材があります。
たとえば
本多勝一『実戦日本語の作文技術』
野矢茂樹『論理トレーニング101題』
野崎昭弘『詭弁論理学』『逆説論理学』
また古文には迷信や差別がいっぱいで、現代の教育にふさわしいとは言えません。その点も考慮しなくてはなりません。
変な日本語・・・・・
朝鮮人か?
606 :
名無氏物語:03/04/23 15:13
>>587 >明治時代の樋口一葉とか尾崎紅葉とかの
>近代的な文章の文語文をしっかり読ませたほうが
>いいと思う
明治に入ってから公用の文などは「普通文」と言う
平安時代の口語の語法に従って書く文章が正しいものとされたんだが、
明治などの時代に書かれた物は必ずしも文法などが正しいとは限らないし、
明治の人もそうしたようにやはり平安時代の物を手本として学ぶのが良いのではないのか?
明治の物を手本とするにもよほどしっかりとした物でないといけないし、
近代的な文章と云われるが近代の文章のほうがかなり特殊な部類に
入ると思うが・・・
607 :
bloom:03/04/23 15:18
608 :
名無氏物語:03/04/23 15:29
大体論点が変
古文漢文を習う時間は国語の時間で
国語を学ぶのが主で、論理性云々などは従のはず。
国語を学ぶのだから古文漢文を学ぶのは当然。
古文を教える必要性云々はまったく論点がずれてる。
論理性、必要性、何々性とかどんどん論点をずらしている。
そもそも国語を学ぶのが目的なのになんでそれ以外の事が必要なんだ?
まあ、「あなたの云う国語とは具体的に何ですか?」とか云われそうだが・・・
国語は、まさに日本語であり
日本語の操作能力を養うのでなければなりません。
言語の操作能力を考える上で、論理性はまさに
重要な基礎ではありませんか。
国語=母国語
日本語を学ぶ=日本語を言語として使えるように学ぶ
母国語=自国の文学と言葉とその変遷を通じてその国の歴史や文化としての言葉を学ぶ
ぜんぜん意味は違うんだな。
英語でも同じ。
国語はThe national language
アメリカ人にとっての国語を、アメリカ人が"English"とは言わないのだよ。
>>608 肯定派が、廃止派の論点にたって廃止論を否定する
↓
廃止派がまた違う論点で攻める
↓
肯定派が、またその論点に立ってその論を否定する
の繰り返しかと。
ログ見れば分るが。
>>608 このレスが一番衝撃的だ、漏れには。
このレスがついたことが、
漏れがわざわざ(さびれていると噂の)この板で書いたことへの
最大の収穫かもしれん。
言語=論理=精神(理性)が
自明でない考え方というのがあるのだなあと驚嘆した。
あまりに衝撃的なのでレスはもう少し待ってくれ。
614 :
名無氏物語:03/04/23 23:30
寂れた板でここだけ議論活発だね。悲しいことに。
国語=母国語と単純にいいますが
ここでいう母国語というのは「日本国家によって
定められた標準語=国家語」でしょう?
違うんですか?
現代日本で国家による標準語とされた言語と
漢文、古文(これも多様なはずだが)とを、
漫然と時代を超越させた一体の「国語」として
とらえるような考え方は、時代遅れですよ。
「国語学会」が「日本語学会」と改称したそうですが
その背後にも、「国語」という言葉が、過去から日本国が
統一的実体として言語を継続的に保持し続けてきたような
曖昧な幻想をかきたてることへの批判があったのだと思います。
そして、中等教育で教えるべきは、まさにその想像の共同体意識を
植え付けるような意味での「国語教育」ではなく、現代の日本国民として
操作すべき日本語の教育なのです。
616 :
577=581:03/04/24 01:12
>>604 古典廃止論者さま
他人に論理性を学ぶ本を薦める前に、ご自分でそれを使ってお勉強なさって
はいかがでしょう。いや、あなたには講談社学術文庫『考え方の論理』あたり
が適当かと存じます。どうぞ、お達者で。さようなら。
>>615 母国語っていうよりも、母語として、つまり、思考を行う言語としての
日本語を学ぶべきだと思う。あんまり、日本人とか日本とかにこだわらな
ほうがいい。
しかし、言語にも言語生活とも呼びうる文化の面がある。それは、日本
人としての精神的、文化的、民族的要素に多大な影響を与えているか、
もしくは、そういう要素を考えるのに非常に重要な手がかりにもなる。
そういう意味で日本語を学ぶことも大事。
いままでの国語教育というのは、言語としての国語という面と、文学
鑑賞などの情緒的、精神的側面との両方を担っていた。
どっちも大事だと思うよ。いくら論理性や言語運用能力を磨いても、
中身のない人間は相手にされないよ。自国の歴史と他国の歴史、文化、
政治、経済など、いろんな知識や教養を身につけた人間が本当に実り
ある精神活動や高度に抽象的な対象を扱う事が出来ると思う。
>>582 608はおいておいて、これにだけレスをしておこう。
平安王朝文学の大学入試問題が依然として存在するのは、
文科省の指導要領にあるから、だけだよ。
入試作成者は指導要領の範囲から一応満遍なく出題しようとする。
そこらへんは無意味に律儀だからね。
センター国語の2番(小説)や、灯台文系前期の旧5番(随筆)も同じ。
こんなジャンルから問題を作ったところで、
受験生の高等教育への適性を測るのには何の役にも立たないことは分かっているのだが、
まあ仕方なく出しているのさ。
もしも平安王朝古文が指導要領から削られたところで、
最近の『円周率およそ3』のときのような非難などは全く無しに
誰も異議を唱えないままするりと姿を消してしまうだろう。
618 :
動画直リン:03/04/24 01:18
619 :
577=581:03/04/24 01:28
>>617 学習指導要領にあったって、出題しなくてもいいんだよ、
べつに。現に、志願者の集まらない大学は、古文や漢文を
選択性にしているよ。
620 :
577=581:03/04/24 01:35
ようするに、古文や漢文はさ、やっぱり、ものごとを安直に
考える人(例えばおおくの若者)が、面倒なこと(勉強など)
は役に立つことしかしたくないって思う現状を考えて、かえって、
そういう教科を出題する事で、そういうものでも、やらなきゃいけ
ないなら、しっかりやるっていう、しっかりした人間をえりわける
のに使えるから、出題するんだよ。まあ、自国の文化や歴史を学べる
っていう、表向きの理由もあるけどね。
621 :
577=581:03/04/24 01:41
けっきょくさ、論理性とかなんとかいってるけどね、
仮にも、大学で学問をやろうっていうんなら、広い視野
と筋道だてて物事を考える力が必要なわけで、そういう
力っていうのは、厳密にやることなら、何だって必要な
んだよ。論理性を身につけるためなら、論理トレーニン
グうとか、語学を身につけるなら文法書おとか、いって
るやつは、結局しっかりしたもんは身につかんのよ。
>>616 落ちる前にもうひとつ。
608とも通底するのだが、616のような話はよく耳にするのだが
漏れにはサパーリその意味がわからないのだよ。
どうして、
「情緒性」が「精神性」になって、それが「人間の中身」に直結するのか?
前にも書いたけれど、
「情緒」あるいは「感情」は、「精神」ではなく「身体」の問題。
漏れが明治文語文に加えて鎌倉以降の宗教的古典を教えるべきというのは、
古代ギリシア以来の知の営みでは足りない何かがあって(前レスで誰かが指摘した)、
西欧ではキリスト教で補うわけだが、日本ではそれが典型的には平家物語に滲み出る
仏教的な宗教精神なのではないかと思うから(「戦前式忠孝」ではなくて)。
そしてこの意識はもちろん身体ではなく精神の領域になる。
学校で教えられるべきはこれで十分であって、何故情緒だのが割り込んでくるのだ?
(情緒を養うには「書物を捨てて街へ出た」ほうがずっといい罠)
623 :
577=581:03/04/24 01:55
>>613 キミはけっこうまじめな人だからいうけどね、
結局世の中
>>608みたいな人間が多数を占めている
わけ。そういうことなんかどうでもいいと思って
るし、そういうことが頭の片隅をよぎることも、
ほとんどないんだよね。
でも、それが普通の世の中だし、厳密な思考とか
自国の文化とか、そういう抽象的なことは善良な
一般市民には、あんまり関係ないんだよ。
昔は、知識や教養などは、一部の特権階級が独占
していて、庶民には無縁のものだった。でも、時代が
進むにつれて、学問が一般市民にも開かれるように
なった。これは、本来喜ぶべきことだった。でもね、
やっぱり、必ずしも知識や教養が多くの人々に不可欠
て、わけじゃあなかったんだなあ。現に、ひとは、
楽な方へ、楽なほうへ・・・、「実用的じゃない」という
名目で勉強はしたがらないし、とにかく楽して何かを
手に入れたいって思うようになった。
昔の人々が苦心して手に入れた、知識、教育、権利、
自由なんかも、ちっともありがたいと思っちゃあいない。
でも、それが悪い事だとは、いちがいに言えないけどね。
624 :
577=581:03/04/24 02:05
>>622 オレは情緒性と精神性とを同一にあつかってはいないよ。
言語に表れるものにもいろいろあって、その中でもニュアンス
の違いで両者を例の一部として出したまで。
情緒が身体的なものであってもべつにかまわないよ。それと
精神が別のものとされても、いいわけ。でも、どちらにしろ、
言語にそれらが表れているし、「そういう言語」を身につける
過程で、日本語を母語とする人は、「そういう言語」に従って
対象を分節して、認識するものの見方、考え方を身につける。
あとさ、キミがなんで鎌倉以降の仏教的宗教精神にこだわる
のか教えてくれるとうれしいのですが。
今日は、もう寝ます。
補足ですが
>>608 >古文漢文を習う時間は国語の時間で
>国語を学ぶのが主で、論理性云々などは従のはず。
>国語を学ぶのだから古文漢文を学ぶのは当然。
「古文漢文という分野を中等教育で必須として学ばせるべきかどうか」を
議論しているのに、「国語を学ぶのだから古文漢文を学ぶのは当然」
というのは、何も問いに答えたことになりませんよね。
ところで、「古典文学作品を学ぶ」という視点で見ても、なおさら古文ではなく
現代語訳で読ませたほうが好ましいと思われます。
たとえば、「源氏物語」は読んだことがないが「罪と罰」(などの割と定番の西欧の小説)
なら読んだことがあるという生徒は、かなりいるのではないでしょうか。
その逆は少ないでしょう。
誤解されると困りますが、私は、「源氏」が西欧小説より価値が低いといいたいわけでは
ありません。むしろ、「源氏」が西欧小説よりも生徒たちに読まれないとすれば、それこそ
まさに古文教育が元凶になっている場合が多いのではないかといいたいのです。mns
すなわち、源氏のごく一断片を、原文で授業で生徒に強制的に読ませているとすれば、
苦痛に思って、そのあとの人生において、苦手意識をもって、「源氏」を敬遠してしまう生徒も
かなり多いのではないでしょうか。
(もちろん、古文が得意になって興味をもっていく生徒もいるでしょうが)
そして、源氏を原文で全部読むような生徒はほとんどいないでしょうし、ひとたび苦手意識を持つと
現代語訳のさえわざわざ読もうとしなくなるわけです。
一方、西欧小説は、最初から現代日本語で訳してありますから、古文のような問題は起こらないので
そのまま読む。
つまり、なまじ古文授業で苦痛を与えているために、多くの生徒は、(現代語訳ですら)古典作品を
かえって読まなくなってしまっているに違いないのです。
だとすれば、源氏物語などは、現代語訳のみを教えて、課題図書にでも指定して、全文をさっさと
現代語で生徒にどんどん読ませていけば良いのです。(もし本当に教えるべきならば)
以上のように、古文をなまじ教えているために、苦手意識を持った多くの子どもが、古典作品を
なおさら読まなくなる、というパラドックスに注目するべきなのです。
すべては現代語教育の一環に統合すれば、「源氏」も西欧小説も同レベルで生徒は読むように
なるはずです。
627 :
名無氏物語:03/04/24 18:15
提案。和算や算術を学ばせればいい。関孝和など優れた文献はいろいろある。
古典文法も学べるし論理性も鍛えられるし、日本の文化も学べる。一石三鳥。
あっそ
古典が嫌なら、英語圏の国に行けば?
そしたら、古文・漢文習わなくてすむから。
ただし、むこうにも古典はあるがな。
そもそも、余計なことは習わないほうがいいというのは、
基本的に怠け者だよ。そして理系。
数学は、いかに問題を簡単に解くかという怠ける学問らしいし。
だったら国語(または言語)は勤勉の学問だね。
ふ〜ん
632 :
名無氏物語:03/04/24 21:50
628とか629みたいなのはいい加減やめてほしいな。
板のレベルが下がる。
633 :
577=581:03/04/25 00:56
502さま。
きみはもっと現実に即した意見を言いましょうね。
この活字離れが叫ばれるご時世に、ドフトエフスキーを
読んでいる中高生がどれくらいいるというのか?そんなに
多くないよ。
あとね、「源氏物語」を現代語訳で読ませることと、原文
で読ませることの意義には、共通する部分もあるが、やっぱり
違う部分もあるわけ。内容を伝えるだけなら、現代語訳でもい
いけどね。そして、内容を伝えることも目的の一つだけどね。
でも、原文を読解するってことにこそ意味があることもあるんだよ。
やっぱり、実物を自分の手でじかに感じ取るって大事だよ。それに
源氏の現代語訳だって、訳者によって、そうとう違った訳になって
いるよ。全文もちろんむりだけど、部分だけでも、原典で読んで
もらいたいね。
634 :
577=581:03/04/25 00:57
502さま。
あとねえ、キミ源氏源氏っていうけどさ、君自身、原文でも、
現代語訳でもいいけど、「源氏物語」を全部読破してるの?
読めばいいってもんじゃないんだよ。現代語訳だって、今の中
高生には、全部読ませるのはつらいと思うね。まだ、部分的に
原典を読ませて、あとは重要なところを解説したほうがいいと
思う。原文を一部でも読むのならば、あとは解説や要約でも、
いいと思う。でも、全部現代語訳とか、あらすじだけとかは、
よくないと、オレは思う。
古文にうんざりしてる生徒は、多くの場合、英語にもうんざり
しているよ。数学にはなおさらさ。だから、論理学は数学的な面
もあることから言えば、もし、古典廃止論者のいうような論理性
を養う事を純粋に抽出した授業を実施したら、それにうんざりす
る生徒もきっとたくさん出てくることだろう。だから、結局同じ
ことだよ。
>>632 >>628はわかるが、
>>629は別にかまわんと思うがな。
どこに行っても古典はある=先進国の必須教養
という認識をもつべきだということじゃないのか?
もう少し発言の真意というものを考えよう。
古典廃止論者のほうが遥かにレベルは低い。
636 :
577=581:03/04/25 01:06
>633 ドフトエフスキーじゃないや、ドストエフスキーだね。
>577=581
結局のところ、本人が嫌と言えば
現代文も古文もそう変わらないということか...
638 :
動画直リン:03/04/25 01:18
639 :
名無氏物語:03/04/25 01:26
>どこに行っても古典はある=先進国の必須教養
そりゃそうだろうが、
その「必須教養」を原文で教えるかそれとも
現代語訳したもので教えればよいかが問題なわけだ。
それにしても、欧米での古典教育事情について
誰か正確に説明してくれる人おらんかな。
群盲象を撫でる状態でどうにもならん。
>>634 源氏物語は谷崎訳で全部読みましたよ。
原文を一部で読ませてあとを解説すればいい、という
意見のほうが理解できないのですが。
源氏物語は長編小説でしょう?全部一定の速度で読破してはじめて
意味があるのではないですか。
全体を読んで初めて意味のある大長編のごくごく一部だけを切り取って
原文で読ませて、あとは解説だけやって、それがいったい何になるのですか?
古典文法教育の自己満足ですか?
要は、源氏物語を、全体を読むべき長編小説としてではなく、文法教育のための
例の一断片としてだけ読ませようというわけですか。
肯定だろうと否定だろうと、
>>640のようなあまりにも極端な考え方は、いずれにせよ有害でしかない。
1を知らない人間に10を教えることは不可能という
教育の根本が分ってない発言だ。
数学だって、一次関数から始まって、2次、3次、連立3次と、
段階を踏んで教えていくことが重要なのであって、
一足飛びに教えたところでついて来れるのはごく一部だけ。
そんなのを教育とは言わないのだよ。
>>641 >1を知らない人間に10を教えることは不可能という
源氏の例で言えば、古文で「1」(=断片)を教えようと教えまいと
古文での「10」(=全編)を教えるのは、物理的にも子どもの能力的にも
ほとんど不可能かつ無意味だと思いますが。
源氏を全編古文で読む生徒が出る可能性など極めて稀でしょうから、
どのみち「10」を教えることなど無いのです。
(稀には読破するのもいるかも知れませんが、稀な例外をもって必須科目に
することを正当化することはできません。)
むしろ、源氏で「1」=断片を教えたがために拒絶反応を起こして、かえって
現代語訳ですら読まなくなってしまう弊害の方が大きいといっているのです。
なお、「現代文によって訳された西欧の近代小説だって読まない生徒が多いのではないか」
というのなら、なおさら、現代文の授業に余計に時間をかけるべきだということになるわけで、
源氏を古文でやっている余裕などますます無いのです。
現代文においてもそれは同じだ。
教科書を開いて全文が載ってる中・長編小説なんてあるか?
>>642 >一足飛びに教えたところでついて来れるのはごく一部だけ。
私の主張にはどこにも「一足飛び」はありませんよ。
源氏を現代語訳で読ませるのは、現代文の読書指導のレベルの行為でしか
ありませんから、「一足飛び」ではありません。
そういう割には、源氏を教えるなら全文教えなければ意味がないなどと平気で発言するんだな。
いかに矛盾してるかがわかる。
>>644 読書指導の話ですよ。
教科書に「源氏」全部を載せろなんていってやしません。
なお、私は
「源氏物語が仮に生徒に読ませる価値がある作品であると
するならば、それは現代訳で全編読ませるべきである。」
という主張です。
仮に源氏の全体を読ませること自体を否定するのなら、それはそれで結構。
現代訳で読むのもやめましょう。
もちろん、原文で一断片だけやらせる理由はなおさら無くなるだけです。
>>646 どこが矛盾しているんですか。
全体を教える前提として、一部を教科書などで紹介するんだったら
それはそれでいいと思いますよ。
もちろんそれも現代語訳でやるべきです。
言葉遣い、文章から現れる当時の風習・風俗・流行・時代背景等はまったく無視ですか。
それを無視して現代語訳で読ませたところで、某著の「源氏物語」の漫画以下ですよ。
>>649 当時の風習や風俗を知るべきなら、現代語で解説をつければ
いいではありませんか。
>それを無視して現代語訳で読ませたところで、某著の「源氏物語」の漫画以下ですよ。
古文を知らずに谷崎訳や円地訳で源氏を読むと、漫画以下になるのですか。
なりますね。
古文を読むに当たって、現代語の知識は邪魔になることがある。
下手に現代語訳で読んだところで、いざ本文をやってみるとあまりにも難しい。
現代語の常識は通用しない。返って古典嫌いになるんだよ。
それに、注釈が多い文章が面白いと思いますか?
わからない語があった、注釈見る、分らない、注釈見る
明らかに効率が悪い。文章を読み取るにも個人差がでてくる。
教えるとなれば、一つの作品、一つの時代であることは少ない。
また時代背景から教えなければならない。
これだったら、一目で画像によってわかる漫画のほうがましであることは、自明である。
>>651 ならば、なおさらそんな効率の悪いものを古文で教える意味は
ないってことになりますね。
〉それに、注釈が多い文章が面白いと思いますか?
〉わからない語があった、注釈見る、分らない、注釈見る
〉明らかに効率が悪い。文章を読み取るにも個人差がでてくる。
〉教えるとなれば、一つの作品、一つの時代であることは少ない。
〉また時代背景から教えなければならない。
古文教育がいかに労多くして効乏しいかを論証してくださって
ありがとうございます。
時代背景から教えなければならないという意見に反論しそうなので予知レス。
古文文法には、明らかに対象がはっきりしてる使い方というのがある。
対天皇とか、対皇后、士族、僧侶、それらの関係がわかっていれば、
あとは日本史の知識と簡単な推察で大まかな内容は読める。
結局、現実論ですか。
そんなのは中学生が
「かったるいからやってらんねぇ」
と言ってるのと同じですよ。
文化の本質が分ってるなら、そんなことは決して発言できません。
655 :
577=581:03/04/25 02:46
502も、古典文法の本来の意味を知ることなく終った被害者なんだね。
古典文法には、古文を読解するという目的があるんだよ。源氏全部
読まなくても、それは出来るんだよ。きみは古典文法を誤解してるね。
谷崎訳で全部読んだんなら、原文も読んでみればぁ?
所詮502も古典廃止論者と同等かそれ以下だな。
>>654 で、ちゃんと教育すれば、中学生たちは
かったるさを克服して、源氏全編を原文で味読するという
正宗白鳥もできなかった行為ができるようになることが
だいたいの傾向として、期待できるわけですか?
一般論として可能なのですか?
一般論として可能であることが期待できないことを
無理にやらせようというのなら、文化本質論なんか意味ないですよ。
どうも廃止派は、最後には現実論で逃げるようだな。
と言うわけで、廃止派が現実論を口にしたらそれは敗北宣言と言うことで。
>>656 やっぱり君は跳躍するね。
一番最初に私が話したことに逆戻りですか?
私に2度も同じことを言わせたいのですか?
659 :
577=581:03/04/25 02:52
大体教育に効率をうんぬん言ってるやつは、教育を語る資格
なんかないね。
長期的視野にたって、いろいろ苦労して、本当に大事なことって、
さんざん苦労して、それでも、あきらめず続けて、それでようやく
身につくもんなんだよ。
効率、効率って、教育なめてるね。
あなたがいかに、現代文さえろくにやってないかを自分でさらすのですか?
そんなあなたが古文についてとやかく言うのですか?
661 :
577=581:03/04/25 02:57
434氏も、オレの疑問に答えてくれないかなあ・・・。
もう寝よう。
ここだけ、随分、伸びてるな(禿藁
663 :
bloom:03/04/25 03:18
ナンカ、不毛な議論だな・・・・・
レス数・上位スレ
1【1】・古文・漢文は無用の長物・・・・・834(3)
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今だ!セクースしながら666ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
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〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
和算・算術・支那数学の問題を文法書片手に解こう。
東洋数学の偉大さを宣布しよう。
国文科の学生は数学史必修ということで。
>>657 > 長期的視野にたって、いろいろ苦労して、本当に大事なことって、
>さんざん苦労して、それでも、あきらめず続けて、それでようやく
>身につくもんなんだよ。
それが多くの生徒にとって「本当に大事なこと」なのかどうか、
現に「さんざん苦労して、あきらめず続けて身につけさせる」ほどの
労力をかけるほどの優先度があるのかどうか
それが問われているわけですよ。
あなたのおっしゃる言い方によれば、古文の勉強には凄まじい膨大な労力が
必要だということになるわけですから、なおさら教えるべきことの多い
中等教育の中での優先度が疑問視されることになるでしょう。
>>668=502
今ざっと読んで思ったんだが
あなたは
(1)一つの小説作品としての『源氏物語』を理解させるには、いきなり古文に取り組ませる
のではなく、現代語訳でまず全体をさっと読ませたほうがいいのかどうか
(2)そもそも古文教育をしたほうがいいのかどうか
この2つの問題をごっちゃにしていないか?
(1)はある程度同意できるが、(2)とは別次元の問題だぞ。
たとえていえば、「英国の名作の小説を生徒にいきなり原書で読ませるのは無理だから
翻訳で読ませるべき」ということと、「英語教育をするべきかどうか」ということを
混同しているようなものだ。
「ディケンズの長編を英語で子どもに読ませるのは無理だ、だから翻訳で読ませるべきだ。
だから、英語教育は必要ないし、そのディケンズの一節を英語教科書で使うのも無意味だ」
といってるのと同じだぞ、キミの理屈は。
やりたい奴だけやりゃいいじゃん
671 :
古典廃止論者:03/04/25 13:02
>>669 そもそも、私はくだらない迷信と色恋の『源氏物語』に何らかの価値があるとは思わないが、あるとしても、文学作品から何を感じるかなどということは教育できるようなものではないと思う。
MozartやBeethovenから何を感じるかを教育できないし、する意味もないのと同じことだ。芸術はあくまで趣味とするしかない。
672 :
古典廃止論者:03/04/25 13:09
>>668 まさに、それだけの価値があるかどうかを問うているのです。中等教育で教えるべきことはたくさんあります。現在の中等教育に欠けているが教える必要があることもたくさんあります。
673 :
古典廃止論者:03/04/25 13:11
>>667 和算などは今日的意義がなく、数学史の研究対象にはなってもそれ以外で取り上げる必要はないと思います。
674 :
古典廃止論者:03/04/25 13:19
前にも触れたように思うが、古典教育に意義があるとすれば、それは「現代の相対化」ということであろう。
現代とその価値観が人類にとって唯一のものでないことを知ることは極めて必要なことである。
しかしそれは、古典文学を読むよりも哲学や社会思想を学ぶことで成し遂げられるであろう。くだらない色恋物語を苦労して読むより、哲学史や社会思想史の本を読むほうがどれだけ意義があるか分からない。
それに、古いものに何でも価値があるわけではない。現代の価値観が相対化されるべきだとしても、迷信や差別が一杯の古典に価値があるとはとうてい言えない。
その意味で、日本古典に学ぶに値するものがあるかどうか。
学ぶ価値がある文学なら、たとえばドストエフスキイのようなものがある。ロシヤ文学の多くは、現代を相対化する思索の手がかりを多く提供している。
>>674 日本の古典に関するその考えは私とはちょっと違いますが、ただ、
おっしゃるとおり「現代の相対化」という意義は確かにありますし、そのために
読むとすれば、現代語訳で十分だということがいいたいのです。
ドストエフスキイについては、同感します。そして
「罪と罰」「カラマゾフ兄弟」を中学生や高校生に読ませるなら、ロシア語ではなく
現代日本語訳で読ませますね。
それと同じように、日本の古典で読むべきものがあるとすれば、現代日本語訳で
読ませれば良いということです。
古文漢文の必要性についてですが、それらは僕のためにあるものだと思います。
>>674-675 「小人は天を知らずして畏れず。大人に狎れ、聖人の教えを侮る。」
の言葉のまんまだな。
聖人の言を侮る
のまちがい。
>>664 不毛な論議じゃなくて、
廃止派の論理性が不毛なだけ。
>>640-649 までを見れば、いかに廃止派の論理性が無いかが判るでしょう。
廃止派が、きちんと説明しろと言うから、こっちが譲歩しても、
廃止派はまったく自分達の根拠とその原理を説明しない。
他のものを習ったほうがいいと言うだけ。
根拠と思しき単語は出てきても、それがどう適用されるのかさえ説明しない。
結局は、主観にそった発言のみの自己満足的な戯言にしか過ぎない。
680 :
名無氏物語:03/04/25 20:19
こういう問題って
(古典を含めた)文学という学問の一分野を
認めるかどうかでしかないと思うが。
千日手だな(禿藁
682 :
名無氏物語:03/04/26 01:22
スレタイが「学ぶ意義」だから誤解を生むけど、
いまのところ議論になってるのは
「中等教育で教えるか否か」だよね。
そうだとすれば、やはり存続派が立証責任を負うのではないかな。
中等教育の限られた教育時間の中で
一部を占めるということはそれだけで特権的なことだからね。
>>661 すまんかった。
昨日の源氏物語の議論には漏れが参加する意志も資格もないので
ちらっとみてスルーでしたので。
624末尾の質問に答えます。
580の枠の「西欧式学問で足りないもの」を補うものが
なぜ「鎌倉以降の仏教思想・作品群」となるのか?という質問でいいと思うのですが
『漏れはこれが日本人の多くに通底する一種の精神的倫理規範だと思うから』、ではいけないかな?
これは漏れの意見なので、批判あれば受けます。
鎌倉仏教の各宗派の内容とかいう話ではなくて、
もっとおおきな、行為の因果は巡り巡って来るとか、所業は無常であるとか、
苦しみの中で人間は七転八倒しているとか、そういった話のことです。
儒教は江戸期を通じて、結局教養としてしか受容されなかった、
(だから中国や朝鮮が「国家の道徳性」を言うのが日本人にはサパーリ分からない)
神道はどこまでも儀式中心の宗教で、
それは明治期に試みられたにもかかわらず、
国民普遍のバックボーンになるほど大きな精神規範となるのは困難だった、
キリスト教というのは、長崎の古いカトリック地域を除いて、
ここにはめるには違和感が大きすぎる、
(内村鑑三はJesusとJapanを並べたが国民大多数に違和感が強く広まらなかった)
ということで、やはり仏教なんじゃないの?ということです。
684 :
名無氏物語:03/04/28 15:55
ウンコども、もう終わりか?
>>683 そういう方面のことも教える意義があるかも知れませんが、
教えるとしたら、古文ではなく社会(倫理というか思想史というか日本史というか
最近の名称は知りませんが)で解説して教えるべきことのように
思います。
686 :
577=581:03/04/29 22:30
>>683 仏教はもっと早くから日本に伝わっているし、因果応報の考え
なんかは源氏物語にも表れているよ。
鎌倉以降の仏教とそれ以前の仏教とをどういう視点で区別して
いるのか?平安貴族が浄土宗の考え方をつよく受けているのは、
ちょっと古典文学読めばすぐわかるだろう。
687 :
577=581:03/04/29 22:45
>>502 おまえ教職とってる大学生なんかじゃないよな?
もし、そうだったらさっさとやめちまいな。
オレは、教育に効率を求める考えかたに異議を唱えた
のであって、古典教育だけに労力がかかるなんてくだらない
ことを述べたんじゃないんだよ。数学だって、英語だって
教育の中に入るんだ。単に技術や知識だけを身に付けるのが
教育の目的じゃあないんだよ。
その中でも、とくに国語ってのは、文学作品を扱うことから
人間について、人生について考える機会が多くなるんだ。
まさか、これを重要なことじゃないとは言わないだろう?
古典廃止論者、おまえな、いいかげんにしろ。古典がくだらない
色恋沙汰だって?それは、おまえの皮相な理解からくる思い込みだ。
それからな、差別があるから、教えてはいけないだと?たしかに
差別は良くない。だがな、そういうものが確かにあったという事実
をしっかり伝えて、そこから、どうするべきか考えさせたほうが、
はるかに有益だろ?そこが教師の腕の見せ所なんだよ。教材研究を
重ねて、何を、どういうかたちで、生徒に伝えるか。毎日、考えて
るんだ。まあ、考えてない教師もいるだろうがね。
>>686 そこで、漏れが前に言った
「単なる宮廷内だけのジャーゴンで書かれた作品なのか、
それとも、全国行脚する琵琶法師によって洗練された、
当時の日本人の多くが聞いて理解できた作品なのか」
の問題が出てくる。
そして、この全国行脚が、作品を洗練させたことに加え、
聞いた側の当時の庶民を含む多くの日本人に影響をあたえたことも重要。
実際、宮廷から離れた全国のさまざまな階層に
仏教思想が広まったのは院政期以降であり、
それが現代の日本人の思想の直系の源流になるわけで。
作品の言語も洗練されているし、その洗練化の過程による思想が
現在に至る自らの思想の源流になる。
学ばれるべき古典としては理想的なのです。
689 :
577=581:03/04/29 22:54
きみらの意見を聞いてるとね、「人間に必要な栄養素はこれとこれで、
それを効率よくとるには、ビタミン剤やプロテインをとるのが一番です。
なんで、効率の悪い食物を食べる必要があるのでしょう。」って言ってる
のと同じに思えるよ。
人はそれぞれ違っていて、同じ対象からも、それぞれいろんなことを
感じ取る。教える側が、意図したことが伝わらない場合もあるし、逆に
教える側が意図しないことで、しかも、もっと深いことを自ら感じ取る
生徒だっている。特に文学作品にはそういう面が強い。そして、その
解釈の違いは、点数には結びつかないが、何らかの形で、個人の考えに
残る場合がある。もちろん、残らない場合もあるけれどね。
そういう題材として、自国の祖先が残した古典を学ぶって事は、
いろんな含みもあり、非常に有益なんだよ。
ただ、さっきから、言ってるとおり、有益なものを感じ取れない
生徒もいるし、そういう工夫をしない教師もいる。きみらは、きっと
そういう教師にめぐり合えなかったんだろ。
690 :
577=581:03/04/29 23:01
>>688 きみ、問題点がごっちゃになってるよ。
じゃあ、聞くけど、琵琶法師の語る平家物語が鎌倉以降の思想
だってのは、どういう根拠がある?諸行無常なんて、考え方は
鎌倉以前からあるよ。あとね、琵琶法師の語る平家物語が日本
の民衆に仏教思想を広めたって、なんでそう簡単に言うの?
ほかも視点は無視?
仏教思想の流布と文学作品に仏教思想が与えた影響と、日本人
の思想とぜんぶごっちゃまぜにしてるよ。
>>690 もちろん日本史の宗教史の話を全体で考慮するなら
688の話は単純に過ぎることくらい分かっている。
実際にはいくつかの思想系統の勃興があって、
新しいタイプの宗教者の行脚があって、
社会的動乱があってそれに対応する思想が求められて・・・
と複雑ですわな。
それでも688の過程がひとつの大きな道筋であることは事実だろう。
古典を読んで知るということは概説史とは違うのだから、
典型的な一つの道筋に沿った作品を教えるということは
それは素晴らしいことだと思わないか?
院政期以降の、宮廷から離れた作品を重要視しようという
漏れの考えは、一言で言えば、
「あったかどうか」より「広まったかどうか」を重視する
ところから来る。
だから平安時代(院政前)の宮廷や宮廷に近い宗教界に
浄土思想や仏教思想が存在したわけだけれども、
それがそこにとどまっている限り、
「広がった話」よりは残念ながら重要度が劣ると考える。
平安期の作品はどこまでいっても平安京の宮廷内の話であって、
その宮廷内プロパーの文化は直接的には
現代の日本人大多数とは繋がりが薄いわけで。
692 :
577=581:03/04/29 23:44
>>691 あのねえ、まず、仏教思想は宮廷内だけってのは言いすぎ。
文学作品で、見るべきもの、もしくは現存しているものが、
平安女流文学だってだけ。今あること、分かっていることだけ
を事実を思っては、いけないよ。
あとね、なんで庶民に仏教が広まらなかったのか。それは、
庶民には、仏教の難しい思想的な面は、理解できなかったから。
第一庶民それどころじゃないし。
で、それは、鎌倉時代も同じ。庶民に思想としての仏教が
いったいどこまで理解しえたのか。まあ、ほとんど理解でき
なかったはず。だから、こそ、鎌倉仏教の開祖の法然、親鸞、
日蓮は苦心して、一般庶民が救われるにはどうすればよいか
考えた。で、出たのが題目や念仏を唱えるという易行。
だから、平家物語は民衆受けしたかもしれないけど、それは
純粋に人生や運命に翻弄される人間や勇敢な武士の姿に、共感
したり、感動したり、悲しんだり、興奮したりしたからじゃな
いか。それとともに仏教思想が民衆に広まったっていうのは、
ちょっと、軽率ではないか。
平家物語を創作した側は、その根底に仏教的無常観なんかを
感じていたかもしれんが、聞いてるほうはどうかなあ。
693 :
577=581:03/04/29 23:52
ただね、オレも思想面としての仏教には感心があってね。いろいろ
調べてるんだ。だから、えらそうな事言ってるけど、まだ、勉強中。
そんなに詳しくは知らんのだよ。
そう言う面から、文学作品に仏教思想の与えた影響にも感心ある。
たんなる色恋沙汰じゃないよ、源氏物語は。
>>692 まあ漏れも平家物語を偶像視するつもりは無いわけで、
むしろ広く聞かれた(読まれた)という点をみるなら
太平記の方が上だったという話もあったりしますが。
まあ仏教思想の一般的な(庶民層への)浸透は時間をかけたものであって、
ほぼ中世の間をめいっぱいかけてゆっくりと、
といったところなのでしょうね。
もちろん692の2・3パラグラフの批判は分かりますよ。
民衆がほとんど分からなかったとは漏れは考えないけれど。
以上を考慮したとして、
それでも典型的に、広く伝わった作品で、言語が洗練されていて、
現代につながる思想のエッセンスをよく含んでいて・・・と考えれば、
行き着くのは平家物語や太平記などの中世戦記物、
となるのではと思うのですが。
(もちろん当時の宗教文献そのものを教えるのには政教分離の問題がある)
あと、漏れはいわゆる「文語文」として明治文語文と連携させることを
考えているので、和漢混交文という文体も考慮に入れています。
「平家」以降のこの文体の作品なら、
明治文語文読解に必要な文語文法と連続したものとして教えることができますし。
(やはりここでも平安と鎌倉以降で断絶があるように思う)
戦記じゃなかった軍記だった。
戦記ではローマになってしまう。スマソ。
軍記ものはともかくとして
「方丈記」「徒然草」はなぜ古文の定番になっているのか
よくわからん。
江戸期に至るまで広く読まれていたのだろうか?
なんだか明治以降、なにかの偶然で中等教育に入れられて
それが単に定着してしまっただけのような気がするんだが。
これじゃあ577=581氏に話を聞いていないと怒られるかもしれないので、
平安女流文学について少し。
例えば源氏物語がハーレクインロマンスまがいの通俗読み物というのではなく、
例えば当時の宮廷内の権力闘争を皮肉を込めて書いている面がある、
ということは知っていますよ。
ただ、現在において「あさきゆめみし」あるいは「桃尻」式解釈が
幅を利かせているということにはそれなりの意味があって、
現代の日本社会においては、
源氏物語のストーリーから
権力闘争や社会への警鐘を引き出すことが難しくなっている、
つまり、この作品(とそれが前提とする社会の成り立ち)と
現代社会とがあまりにも縁遠くなっている、ということだろうと思うわけで。
だとするなら、よりシビアに社会と向き合える種を持つ他の作品のほうが
教えられるべき古典として優先されてもいいのではないか、と思うわけです。
というのは、
現代の古文の教育は、なぜか「源氏物語・平安文学至上主義」で、
平安期の文法語法から平安期の文章を規範として教えて、
あと時代が下るものはその応用で崩して教えてゆく、という
ことが明らかにあるわけで。
(この方向でのやり方は意義が乏しいと思うわけ)
漏れが主張するのは反対に、明治文語文から始めて、
江戸、中世と遡ってゆく、同時に、
文明普遍の原理から日本固有の考え方に遡ってゆく、
おそらくとりあえずの終着点が平家物語になる、という考えです。
698 :
古典廃止論者:03/04/30 00:53
>>683 >儒教は江戸期を通じて、結局教養としてしか受容されなかった、(だから中国や朝鮮が「国家の道徳性」を言うのが日本人にはサパーリ分からない)
これには断固反論させて頂きます。
確かに日本と中国・韓国朝鮮の間には国家観に差があるでしょう。しかしそのことがいわゆる「歴史観の相違」をもたらしているのではありません。
近年になってようやく性奴隷問題が取り上げられるようになったり、いまだに南京大虐殺を否定する歴史修正主義者が存在するように、日本人の大多数が「日本人がやったことを良く知らない」ということが根本的な要因です。
アメリカ人の大多数が「アメリカは正義だ」と信じているのも、アメリカがやってきたことを知らないからです。
もし、日本人が日本がやった犯罪をきっちりと知ったうえで、それでも中国・韓国朝鮮との間に歴史認識の差が出るのなら、それは儒教などの文化的思想的差違によるものかもしれません。
しかし残念ながら「日本人が日本の犯罪行為を知らない」ために、そのような比較はできないと思います。
699 :
古典廃止論者:03/04/30 00:56
>>685 その通りです。日本思想史として教えるべきで、古文として教える必要はないと思います。
現代日本の風俗について知りたければ、それについて述べた本を読むべきです。現代日本の映画やテレビ番組をたくさん見れば、ある程度は知識を得られるでしょうが、効率も悪く、誤った知識をたくさん吸収するでしょう。
>>698 古典教育の話とは違いますが
性奴隷というか従軍慰安婦というか、この問題については
マスコミでもとりあげられていますので、「日本人の大半が知らない」
という状態とはもはやいえないでしょう。
知った上でどう感じているか、という問題に帰着します。
たとえば、日本人がロシアに同じようなことをされても、ロシアに
道徳的悔悟や謝罪など要求するとは思えません。
(日ソ中立条約廃棄およびそれに伴ったできごとについて、旧ソ連・ロシアに
「悔悟」「道徳的謝罪」を求める声がほとんどなかったことを想起すべきでしょう)
それは、もともと「他の国に道徳的謝罪を求めても意味が無い」という観念が
あるからです。
たとえば朝鮮の場合、一般に、日本と朝鮮を同一の道徳秩序の中にある存在としてとらえ、
その同一の道徳秩序に反したことを、両者の共通する道徳規準で非難する、という思考
方法が強く感じられます。
701 :
古典廃止論者:03/04/30 01:04
>>687 >古典がくだらない色恋沙汰だって?それは、おまえの皮相な理解からくる思い込みだ。
少なくとも源氏物語はくだらない色恋小説でしかないと思いますが。
ほとんどの人は文字に触れる機会すらなかった時代に、宮中でくだらない遊びと色恋に興じていた連中の話を読まされてうんざりした人は多いはず。
>それからな、差別があるから、教えてはいけないだと?
教えてはいけない、とまでは言っていません。教材としての価値が落ちると言っているのです。
戦前に書かれた英語参考書なんかを見ると、そのアングロ中心的で傲慢な世界観に吐き気がしたことがあります。(旺文社『英文標準問題精講』)もっと現代的な良い文章が英語の教材にはふさわしいと思うでしょう。それと同じことです。
>たしかに差別は良くない。だがな、そういうものが確かにあったという事実
>をしっかり伝えて、そこから、どうするべきか考えさせたほうが、はるかに有益だろ?そこが教師の腕の見せ所なんだよ。
だから、それは歴史や思想で学ぶ問題でしょう。
少なくとも現在の古文の授業では現代語に訳すのが精一杯。大学入試でも直訳できるかどうかが問われる。そんな授業では差別的・迷信的な内容が垂れ流しになるだけで、あなたが求めるような高度な授業は望むべくもない。
>>698 第二次大戦の話ではちょっとわき道にそれてしまいますので
「古典」にふさわしく古い例をあげましょう。
たとえば、豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に、朝鮮側資料では
日本軍を「賊軍」と呼んでいるのがめだちます。
「敵」ではなく「賊」と呼んでいるのは、まさに、自分と相手とが
共通の道徳・文化秩序の中にあり、相手方がその規範に違反して
いることを前提として始めて成り立つことです。
(たとえば元寇のことを日本側が「賊」などと呼ばないのは、
もともと自分達と同じ道徳的基盤がない、単なる異質者=外部から
くる敵だとしか捉えていないからです。日本にとってはあくまでも
元寇は「賊」ではなく「敵」なのです)
>>701 色恋沙汰は別にくだらないことでもなんでもないでしょう。
それを描いた小説もくだらないというものではないでしょう。
描く文章表現や構成の巧拙の問題があるだけです。
色恋がくだらないというのは、何か恋愛抑圧主義的な
イデオロギー、一種の反個人主義的・社会運動動員主義的な
先入観が意識化にあらわれているようですな。
戦争中の源氏物語排除思想とか、あるいはプロレタリア文学運動あたりが
そのようなことを唱えていたのが想起されますw
704 :
古典廃止論者:03/04/30 01:15
>>700 日ソ中立条約については事実誤認です。
まず日本政府はこの条約を紙切れとしか考えておらず、閣議で「隙があればソ連に侵攻する」と決定しているし、ドイツのソ連侵攻に呼応して偽「満州国」で関東軍大演習を行っています。
また、日本はソ連を含む連合国に対してポツダム宣言を受諾して無条件降伏しているので、ソ連を非難することは降伏を否定することになりかねません。
しかし日本政府は、自らが正当と考える問題(北方領土)に関しては詭弁を弄してまでソ連を道徳的に非難していました。
きちんと歴史を見ればわかるとおり、日本政府が要求している4島のうち少なくとも2島は、サンフランシスコ条約で放棄した「クリル諸島」に含まれており、日本政府の主張は成立しません。
このように、詭弁を弄しても相手を道徳的に非難するという伝統は日本も共有しているものです。韓国朝鮮が主張する獨島領有論は成立しないと思いますが、お互い様ということです。
あぼーん
>>704 >詭弁を弄しても相手を道徳的に非難するという伝統は日本も共有しているものです
詭弁かどうかは別として、日本が行っているのは「道徳的非難」ではなく
単に「条約違反」「法的レベルの違反」の話ですよ。
(そのうえで、あなたのいうように、事実と違うかどうかは置いておきます)
詭弁にせよ、そうでないにせよ、日本は旧ソ連に対して「道義的に悔い改める」
ことまではなんら要求していないことに留意すべきでしょう。
707 :
古典廃止論者:03/04/30 01:20
>>703 色恋はくだらないとは言っていない。しかし教育に値するものとは思えない。
その理由は、
当時の宮廷での色恋は庶民の生活からかけ離れた享楽的なものである
また当時の家父長的・差別的イデオロギーに満ちている
色恋を教えるのならば現代の映画でも見た方がよいし、またちゃんとしたAV(男性中心的なものでなく、きちんとした愛情のこもった性交を描いたもの)を見せるのがよい
最後の「ちゃんとしたAV」をぼくは是非作ってみたいと思っている。それを学校で使って欲しいとも思っている。
>>707 庶民の生活から離れているのは当然です。文化の先端というものは
もともと庶民から離れた高度なレベルのものなのですから。
そして恋愛に関する小説を教えるのは、恋愛そのものを教えるのとは
違うことであり、文学・言語表現のひとつのあり方を教育することですから、
AVの話をするのは、まことに笑止ですね。性教育と文学教育を同次元で
考えるような即物的発想こそなんとか矯正の必要がありそうですな。
709 :
577=581:03/04/30 01:31
あんたはな、自分の意見を絶対視しすぎだ。
「歴史や思想の役目」とか「古典は現代を相対化する」とか、
自分の意見として持つのはよい。でもな、それを一般化して
教育論を云々するな、ぼけ。うんざりしたのはお前であって、
源氏物語を興味深く読んでるものもいるんだ。
いくら論理的思考が出来ても他者の意見を理解せず、
持論を強行に展開するだけでは、だれも話を聞かんぞ。
あとな、反論するのに都合のいい意見だけに、レスするの
は卑怯だぞ。
710 :
577=581:03/04/30 01:32
上は古典廃止論者に対するレスね。
711 :
577=581:03/04/30 01:36
古典廃止論者は、根本的に文学にたいする個人的思い込み
がありすぎる。あんたそんだけ勉強してるんなら、もっと
文学とか、人間とか、理屈どうりにいかない世界を知ったほうが
世界が広がるよ。
712 :
名無氏物語:03/04/30 02:20
>古典廃止論者
Партия Ленина - сила народная
Нас к торжеству коммунизма ведет!♪
(レーニソの党、塵民の力、共惨主義を症利に導け)
アヒャヒャヒャ(禿藁
あぼーん
廃止論者氏は、思ったより年配だったりしてね。
715 :
名無氏物語:03/04/30 12:15
アツイ! アツイヨー! イヤァー!!
タスケテーー!! シィィィィィィィィィィィィ!!
((∩∧_,,,゚ 。
_ ヽ (*T0゚)゚。゜_____ がんばれ、がんばれ
/ ナ ナ ヽ ;; ; @ ナ ナ ナ ナ ナ//|| ∧_∧
/ ナ ナ ナ O-、 )〜 ナ ナ ナ.// || (・∀・ ) ∧_∧
/ ナ ナ ナ ナ ナ ∪ナ ナ ナ ナ // || ( ) (´∀` )
/ ナ ナ ナ ナ ナ‖‖ ナ ナ ナ //;;)) [] │ │ │ ( )
/__________//;;))ボウボウ (_(__) │ │ │
|| 人从人从人从从人 ||;;)) (_(__)
|| ( (;;;;) ) (;;;) ) (;;;) );;;) ;;)||ボウボウ
|| ( ));;;))(;;;))(;;))(;;;) || 必死で踊ってる714ちゃんを見ていると
[] ///[]////[]//[]\\ [] モナもなんだか頑張ろうって気になるモナ
ここで廃止論者氏を叩いている連中より
廃止論者の方がかなり年上で人生経験豊かである可能性が
あると思うよ。
エスペラントを通じた平和運動みたいなことを
長年やってる人とかじゃないかな。
717 :
名無氏物語:03/04/30 23:23
現在の地球市民思想は全体主義の枠を超えていない。
718 :
名無氏物語:03/04/30 23:31
それに、地球市民思想にとって文化の違いは
弊害になるだけだと言う意見もあったようだが、
そんな精神活動の表面だけを論じてるようじゃ話にならん。
一つの機械にもいろいろな部品があるように、
いろいろな文化があってもよろしい。
ただ、全ての部品は一つの目標を持って協力し合っているように、
みんなが地球という一つ屋根の下で暮らす仲間として、
お互いの権利と自由を尊重する、
衝突しそうなら互いに一歩引いて争いを避けるといった、
人倫の根本としての思想がなくてはならない。
そういう意味での地球市民思想なら賛同できなくもないが、
今叫ばれてるようなものに賛同する気にはならないし、
賛同できるだけの理由も見当たらない。
719 :
名無氏物語:03/04/30 23:40
人倫の根本というのは、
結局は身近なものを大事にすることから始まるんだよ。
親兄弟を思い、土着の伝統文化を大切にし、地域社会を考える。
それが出来たなら、一歩踏み込むことで関東・関西といった地区の人・文化を思いやることが出来る。
それが出来たなら、一歩踏み込むことで日本の人・文化を思いやれる。
それが出来たなら、一歩踏み込むことで地球の同じ文化圏の人・文化を思いやれる。
それが出来たなら、一歩踏み込むことで地球全体の人・文化を思いやれる。
何事も一足飛びでは始まらないんだよ。
720 :
名無氏物語:03/04/30 23:44
まぁ、これは(
>>717-719)ほとんど古典廃止派が忌み嫌う
中国の漢文の引用ですけどね。w
>>720 そうなんですか?
元は漢文だったのを現代文訳してアレンジした文章なんですか?
別に嫌いじゃありませんよ。結構じゃありませんか。
古典に立派な思想があるというのなら、漢文じゃなくて、
あなたが今書かれたような、こういう現代文で子どもに教育すれば
済む話ですよね?
「古典に教えるべきものがあるのなら、古文漢文ではなく、現代文で
教えればいい」
という命題をさっそく証明してくださって、ありがとうございます。
文学作品として教えるべきものがあるなら、現代国語で教えればいいし、
思想として教えるべきものがあるなら、社会科(思想史)で教えればいいのですよ。
722 :
名無氏物語:03/05/01 00:20
>>721 う〜〜ん実に頭の悪い発言ですね。
どうやら、読解力にも欠けてるようです。
揚げ足を取ったつもりでいるようですが、
逆に自分の醜態をさらしてることに気づかないとは。
いやはや。
723 :
名無氏物語:03/05/01 00:38
>>721のような反論の仕方はお子様のそれと同レベル。
>>721 文学作品や思想として読むとしても
原文そのものを読む必要がある。
現代語訳で読む事だけで満足するのは問題がある。
そもそも、ガキを甘やかしてどうするつもりだ?
俺は全く逆でね。今ぐらいの古文・漢文なんかじゃダメだと思う。
中学卒業で訓点付きはスラスラ、高校卒業時点で白文を読めるくらい、
古文も辞書無しで8割方は理解できるくらいの教育をやって欲しい。
これは古文・漢文だけじゃなくてね、他の教科もそう。
数学も高校時点で群論やフーリエ変換に踏み込んで欲しいし
物理だって相対性理論や量子論をコラム的にではなく、きちんと
カリキュラムとしてやって欲しい。もうすでにやられているなら結構。
当方30代半ばだが、自分の頃にはやられてなかった。
哲学や経済学・法学もね、なぞるようなのではなく、これまでの思想史を
各々の意義や変遷・展開を歴史的に意義付けて、現代における意味、
議論などに及んで欲しい。ソフィーの世界の類が流行るようでは困る。
>>724 プラトンもドストエフスキーも翻訳で読むのに
なぜ古代の日本や中国のものを原文で読まねばならないのですか。
(おそらく、ほとんどの英米人も、プラトンはギリシア語では読めず、
ペンギンブックスの英訳などで読んでると思いますが。
ドストエフスキーはなおさら)
>>726 原文に親しみやすいというのが理由の一つ。
本当はプラトンでもドスちゃんでも原文で読めるにこした事はない。
>>725までとは言わないが、
教えられる時間があるのに、ゆとり教育とか言って
ガキを甘やかすシステムや
>>502が気に食わない。
あと、ヨーロッパの学校では古典語をやっていたような気がしたが、
現在どうなのかはよくわからない。
その辺のこと誰か知りませんか?
729 :
名無氏物語:03/05/03 01:45
>>723 どう考えても「お子様レベル」は722でしょ。
>>724 ゆとり教育全般には漏れも反対だけど、別の論点だよね。
学校での古典教育を廃止すべき積極的な理由なんてないんだよね。
他の教科に費やすべきだというのも
ゆとり教育をやめればいいだけだし。
現代文で読めるからどうとか言うのは知的に怠慢。
あぼーん
732 :
名無氏物語:03/05/03 03:40
>>728 二年前漏れがラテン語習った先生はオーストリアで
ラテン語の授業が必修になったとか
アメリカなんかでは州によるらしいけど
ラテン語劇を高校でやっているとか
イタリアでは翻訳でなく原文のラテン語の本が
普通に売っていると話されてましたよ
まあ、国によってさまざまじゃないんですか?
あぼーん
>>729 あれをどう読んだらお子様になるのやら。
主張とまったく関係ないところでわけわからんこじつけをして
揚げ足を取ったように振舞うとは恥ずかしいやつだな
という発言がお子様レベルなら、
それを読み取れないあなたはミジンコレベルですな。
735 :
古典廃止論者:03/05/03 15:18
>>709 >源氏物語を興味深く読んでるものもいるんだ。
だから何?芸術や文学の感じ方は人それぞれだから、源氏物語を興味深く読むものがいるのは当然。
しかし、中等教育で取り上げるとなると、それなりの普遍性が必要になってくる。ごく一部のものしか興味を感じないか、あるいは多くのものが興味を感じるにしても教育的価値がないものには時間を割くことはできないだろう。
736 :
古典廃止論者:03/05/03 15:23
>>711 >文学とか、人間とか、理屈どうりにいかない世界を知ったほうが世界が広がるよ。
そういう世界はある。だがそういうものは教育できないだろう。
教育で教えられるのは、思考や表現の仕方や知識。感性や芸術なんてものは教育できないか、著しく難しい。
恋愛小説をたくさん読んでいるものが恋愛をよく知っているかというとそんなことはない。教育できないものは教育から外すのが合理的だろう。
737 :
古典廃止論者:03/05/03 15:27
>>724 >文学作品や思想として読むとしても原文そのものを読む必要がある。
>現代語訳で読む事だけで満足するのは問題がある。
だから、大学での教育や専門的な研究の話をしてるんじゃないんだよ。中等教育の話だよ。
大学で専攻するのなら翻訳ではなく原文で読むだろう。しかし中等教育で教養として取り上げるのなら、そこまですることは可能でもないし必要でもない。
738 :
古典廃止論者:03/05/03 15:31
>>730 ゆとり教育をやめたとしても、古典に割く時間はないと思うのよ。
私が考える教育では、
現代日本語
数学・コンピュータ
哲学・思想史
外国語2つ以上
自然科学の基礎的素養
なんかをやることになっている。
これを考えると古典あたりに残す時間はない。
739 :
古典廃止論者:03/05/03 15:43
>>725 >数学も高校時点で群論やフーリエ変換に踏み込んで欲しいし
無理でしょう。ただし数学は教える内容を大幅に増やすべきだろう。
現在の数学教育は大学入試によって歪められている。難しい入試問題を解く訓練は不要だ。
入試問題はごく素直な問題だけを出題し、そのかわり内容は増やして現代的な内容にすべきだ。
>物理だって相対性理論や量子論をコラム的にではなく、きちんとカリキュラムとしてやって欲しい。もうすでにやられているなら結構。
無理だ。
私が思うのは、理科ではもっと「科学的思考」というものを重視すべきではないか。
高校生に知識を詰め込んでもそれほど意味はない。それよりも疑似科学や迷信のたぐいを取り上げたほうが意義があるだろう。大学院で物理を学んだ連中の中からオウム幹部がたくさん現れたことを忘れてはならない。
理科は大学入試において数学以上に無意味な分野である。理科で応用問題を解くことは数学以上に無意味である。理科は大学入試から追放するべきかも知れない。
>哲学や経済学・法学もね、なぞるようなのではなく、これまでの思想史を
>各々の意義や変遷・展開を歴史的に意義付けて、現代における意味、
>議論などに及んで欲しい。ソフィーの世界の類が流行るようでは困る。
『ソフィーの世界』は中高生に読ませるにはよくできた本ではないか。
>>739 数学的思考は聞いたことはあるが、
科学的思考とは何ぞや?
>>739 大学院で物理を学んだ連中の中からオウム幹部がたくさん現れたことを忘れてはならない。
こういう発言を平気でする人が
他人の教育に口出ししてほしくはないな。
大学院で物理を学んだことと
狂信者を生み出すこととがどう関係あるのかをお聞かせ願いたいものだ。
>>739 で、あんたのいいたいことはわかったが、
その根拠は?
それがなきゃ誰も納得しねぇよ。
あんたの言いたいことを
大学の受験担当に言ってみな。
鼻で笑われるから。
現実論重視の割には現実的にそぐわないことばっかり言ってるな。
典型的な電波2ちゃんねらーだな。
>741
それは誤読だろう。
物理を学ぶ=物理学の知識をつける→科学的思考ができる=迷信に惑わされない。
という社会通念がある、(少なくともそう言う通念があるという通念はあるだろう)。
がオウム事件の発生は、これを疑問視させる。
したがって、科学知識よりも迷信を取り去る教育をした方がいい。
っていう論理展開だろ。
これだけ書くと叩かれるから、一応疑問点も二つ書いておくと
科学的知識を多く詰め込もう、という主張の眼目は、迷信の打破ではないのではないか?
と、迷信を取り去る教育とはどんなものか?
744 :
古典廃止論者:03/05/04 01:01
念のため言っておくが、私はオウム真理教がカルトで犯罪集団だから否定しているのではない。
カルトとか犯罪とか言うのは、科学とはまた別の問題だ。
問題は、オウム真理教は「超能力」を信じる集団だったということ。
宗教の教義というものはオウム真理教であろうがキリスト教であろうが科学的検証の範囲外にある。だからどんなに馬鹿げた教えであろうが信じる科学者がいてもかまわない。
キリスト教だってイスラム教だってそうとう馬鹿げた教えである。
しかし、オウム真理教が主張する「超能力」は科学の検証の範囲内にあるわけで、そういう意味でオウム真理教を信じる物理学者が登場したことは重大な問題なわけだ。
>>743 誤読じゃないね。
そもそも大学自体、専門知識を教える場でしょうが。
疑問視以前に、人間教育を期待してるほうが間違い。
そういうのは義務教育、どんなに遅くとも高校までだよ。
>>744 だから何?
狂信者を生み出すような教育をした
大学が悪いとでも言いたいのでしょうか?
そんな単純な問題じゃない。
いかに高校までに人間教育をなおざりにしてるかという方が問題なんだよ。
三つ子の魂百までと言うだろう?
746 :
名無氏物語:03/05/04 02:34
古典を学ぶことと外国語を習得することは根本的に変わらないけど。
脳みそ使ってる部分はあまり変わらないよ。
古典やってる方が翻訳のときとかに、便利だけどね。オレの仕事では。
翻訳の先生(外国人)もオレによく幅広く本を読め!古典読め!って
言うよ。通訳していても、思うもん。
>745
大学と義務教育や高校との違い、なんてことは話題になっていないんだが…。
>747
どこをどう見返しても、誰もそんなことを話題にはしてないと思うが。
>748
747にはしてないと書いてあると思うが
750 :
古典廃止論者:03/05/04 18:55
>>745 >狂信者を生み出すような教育をした大学が悪いとでも言いたいのでしょうか?
どうしてそうなるのだ?
知識ばかり教える前に、「ものの見方・考え方」というものを教える必要があると言っているのだ。
大学院で高度な物理学を学びながら、麻原彰晃の超能力を信じるというのは「ものの見方・考え方」というところが抜けているからだ。
ぶっちゃけ高校レベルの理科などあまり役には立たない。大学で専攻するものはどうせ大学で学ぶ。大学で専攻しないものには、最低限必要な科学的知識があればよく、高校レベルの物理など教えても役に立つとは思えない。
本当に必要な知識とは「詭弁とは何か」「科学的検証とは何か」というようなことだろう。
751 :
名無氏物語:03/05/05 02:24
>>750 漏れは工学部化学科卒だが
ぶっちゃけ高校レベルの物理ぐらいできないと
大学の授業についていけないと思いますが・・・
最低力学と波動とか分かってないと相当困るんですが・・・
ちなみに数学と化学も
いったいどこの大学を・・・
752 :
名無氏物語:03/05/05 07:40
>>751 微積を使わない高校物理なんて時間の無駄。無意味だから大学で1からやればいい。ってこと。
753 :
名無氏物語:03/05/05 15:21
>>734 「お子様レベル」は不適当だったな。訂正しよう。
何ら根拠を示さず「頭が悪そう」とか「読解力がない」とか
他人を中傷するのは人間以前のサル以下だ。
あぼーん
あぼーん
756 :
名無氏物語:03/05/06 07:23
古文も漢文ももちろん、二次方程式の解の公式とか
卒業後実生活で使わないものを、義務教育でやりすぎ。
古文・漢文に限らず、数学や理科も、もっと内容減らすべき。
>756
激しく同意。
義務教育でない高校に、とりあえず逝っておく、無意味な慣習やめるべき。
義務教育も幼稚園と小学校の九年制にして読み書き算盤、しつけを徹底すべき。
759 :
名無氏物語:03/05/06 19:13
>>750 ものの見方・考え方なんてどうやって教えるの?
「詭弁とは何か」「科学的検証とは何か」
なんて難しい事国語も分からないような奴に
中等教育として教えられるの?
レベルの低い議論ですなw
>>760 程度の低い奴に付き合っているから自然とそうなるのだよw
>>753 解説しないとわからないような問題じゃあるまいし。
まぁとにかく、古典廃止論者には古典を教える前に
現代文をみっちりやる必要があるということだけははっきりしてるな。
古典廃止論者の正体が明らかになったことだし、落ちようと思っていたが
その後のレスが面白すぎるので再参戦。
>>725 亀レスだが、これには同意。その後に反論が続いているのでそれに再反論。
理系の香具師が変な新興宗教に騙されたという例が物語るのは、
現行の理系の教育が無駄だということじゃなくて、それだけでは足りないということ。
高校段階の物理、特にニュートン力学の初歩というのは、
あれは科学の学問系統全般を支配するものの考え方の骨組みを、
基本法則の演習を通じて理解習得するという哲学的な意味がある。
本当は、問題演習だけじゃなくて、その哲学的意味を著した書物を読み解く必要があるわけ。
ニュートンのプリンキピアをラテン語でというのはさすがに無茶だが、
デカルトの方法序説くらいは(日本語でいいから)読んでおく、それで車の両輪になるわけだが、
日本の理科教育にはこちらが欠けているということ。
だから公式をいじる技術だけしか知らないから、下手な魔術に騙されやすくなる。
魔術と科学は歴史的にきわどい位置関係にあって、やもすると先祖帰りして混同しかねないからね。
ちなみに基礎の微分積分学と古典物理学はほとんど一体だから、
現行の数学と物理の過程の時間関係は良くないね。
764 :
古典廃止論者:03/05/09 12:18
>>763 >古典廃止論者の正体が明らかになった
何だね「正体」って。
まるで怪しい人間か何かのように。
765 :
bloom:03/05/09 12:20
工学部→メーカー設計で仕事はコンピュータ漬けですの理系人間
ですが、家に帰ると四書五経など中国の古典を読んでます。
でも具体的な効能とかを求めるのは筋ではないと思いますが、
会議やメールや報告書で表現の幅が出たという気がします。
そもそも、何千年も残ってる先人の業績であって、これは
もう素直に敬服できます。反面、自分のやってるような
工業製品作りが数千年後残ってるような仕事とは思えないので
ちと身が入らなくなるのが副作用ですか(W
767 :
577=581:03/05/13 03:21
議論は立ち消えか?
>>764 古典廃止論者は、院浪人なんだよね。
削除依頼も良し悪しだなw
ログが詰まるとレスを再取得しなきゃならないし・・・・・
|
>>1を迎えに来ました。このバスは三途の川までノンストップです。
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┏┳━━━━━━┳┓|__________________________________.|
┃┃直行三途の川┃┃|___...┏━━┳━━┳━┓/_______┏━━┳━━┳━━┳━┓ |
┣┻━━┯━━━┻┫|| ̄|| ̄|| ┃三途┃ ┃ ┃|| || || || ||┃ ┃ ┃ ┃ ┃ |
┃. ∧∧ .| ┃|| || || ┃の川┣━━╋━┫|| || || || ||┣━━╋━━╋━━╋━┫目|
┃ (゚Д゚ )_ | ┃|| || || ┃ ̄ ̄┃ ┃ ┃|| || || || ||┃ ┃ ┃ ┃ ┃目|
┃⊆⊇⊂..| ┃|| || || ┗━━┻━━┻━┛|| || || || ||┗━━┻━━┻━━┻━┛ |
┣━━━┷━━━━┫|| || |||出口| ̄ ̄ ̄ ̄.. . .|| || || || ||入口| 地 獄 交 通 |
[|□| ̄ ̄◇ ̄ ̄ ̄| [] || || ||  ̄ ̄ ロ || || || || || / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|_|______|__|..|| || ||_,/⌒ ヽ_________.|| || || || ||/ /⌒ ヽ.. |
|ロロロ|┌―┐.|ロロロ .||| || ||_| ∴ |___________|| || || || ||___| ∴ |────── .|
| ̄ ̄...└―┘  ̄ ̄ ̄_|||___||_||_| ∵ | .|| || || || ||___| ∵ | |二〕
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゞゝ ̄ノ ̄  ̄ ̄ ゞゝ___ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ゞゝ___ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今だ!セクースしながら770ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
>『ソフィーの世界』は中高生に読ませるにはよくできた本ではないか。
むしろ中高生に読ませるのは問題だろ。
いちおう大卒程度であれば、批判的態度もとることは出来ようが
中高生の判断力では、毒されるのが落ちだろ。
中高生のときにこそ良書を読ませるべきであって、中高生だから
といってレベルの低いものを読ませると、結局あとあとになっても
なかなかその害毒から抜け出せないのが一般。
それとも、あれかい。あんたも、あの本は非常に良くできた概説書だ
なんて思ってる口かいw まあ、だったら何も言うことはないが。
でも、そんなんだと、また院に落ちるよ。
772 :
古典廃止論者:03/05/14 14:34
>>767 >古典廃止論者は、院浪人なんだよね。
塾講師で大学院生だが何か?
773 :
古典廃止論者:03/05/14 14:35
>>771 >それとも、あれかい。あんたも、あの本は非常に良くできた概説書だなんて思ってる口かいw まあ、だったら何も言うことはないが。
いや、概説書としてはよくないだろうが、中高生が興味を持つための導入にはなるのではないか。
>>773 ならないならないw
中島義道のほうがまだまし。
マジかよ。院生にもなって古典廃止なんて言ってんの?
もう、あんたの先は見えたね。
精々頑張って、新自由主義の片棒を担ぐ曲学阿世の徒になってくらはいw
?
今だ!セクースしながら777ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
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何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
778 :
577=581:03/05/15 03:18
>772 塾講師で大学院生だが何か?
やっぱりな・・・。予想はしていたが。安易な効率至上主義といい、
教育に関する無知といい、社会人とは思われなかった。社会の荒波
にもまれないアマチャン院生ごときに古典の良さなど分かるはずも
ない。それに、源氏物語をくだらない色恋沙汰などといってはばか
らない痛さも、人間関係、それも異性との関係の限られた院生の発
言だというのなら納得いく。
779 :
577=581:03/05/15 03:20
>772
キミね、もし、文系で、まだ修士で、研究職志望なら、
悪い事言わん。 あきらめて就職しなさい。
人とまともに議論もできず、自己の知識を絶対視し、しかも、発言に
論理性がないってのは、研究者としては致命的だ。百歩譲って、専門分野
の知識があること、研究に必ずしも議論の上手さが必要でないことを認め
るとしても、客観的根拠も提示できない意見の主張をしているようでは、
良い論文をかけるはずがない。
「大学院生ですが何か」だって?自分の社会性のなさと、論理性の欠如
を晒して、えらそうに教育を語り、なにを馬鹿なことを言っているのか。
「塾講師」だって?塾講師だってな、生徒のメンタル面に対する考慮が
必要なんだ。それに、自己の人間性が生徒に何らかの影響を与えている
ことに気づいてるのか?その責任の重さをどれくらい自覚しているのか?
人間性の教育はできないなんて暴論は二度と吐くなよ。
いくら知識があっても、あんまり幼稚なこと言ってると、賢い生徒は
そのうち見抜くよ。表面上は慕っているようでも、すぐ切られるよ。
成績向上や面白い話にも生徒は惹かれるが、人間性が薄っぺらだと、信頼
されないよ。
もと院生で、今教育に携わっている私からの、おせっかいながらの忠告
だよ。バイバイ。
あぼーん
あぼーん
782 :
古典廃止論者:03/05/15 13:16
>>778 >やっぱりな・・・。予想はしていたが。安易な効率至上主義といい、
どこが?安易な効率至上主義者が哲学を重視するか?
>教育に関する無知といい、社会人とは思われなかった。社会の荒波
にもまれないアマチャン院生ごときに古典の良さなど分かるはずも
ない。
まあこういう発言には反論のしようもないので言われっぱなしだけど、人を説得する力はゼロである。
>それに、源氏物語をくだらない色恋沙汰などといってはばか らない痛さも、人間関係、それも異性との関係の限られた院生の発言だというのなら納得いく。
源氏物語は単なるヤリチン貴族の物語としか思えないし、大多数の人がそう考えるだろうが、別に私は異性との関係が限られていない。
私が塾講師をしているのは中高生の女の子が好きだから。毎年中高生の女の子とつき合っている。
20歳以上の女性とつき合ったことはないが。ってそんなことどうでもいいが。
あぼーん
あぼーん
子供に古典を教えるのは、日本人としての教養を身につけさせるため。
必要ない、と思うのはおそらくそう考える人が、
自分の日本人としてのアイデンティティーを問われる機会を持ったことが無いためではないか。
西洋哲学を学ぶのも非常に大切なことだと思う。
が、我々の祖先が大切にしてきた文化を学ばずに、
西洋哲学を学ぶわけにはいかない。
我々は日本人である。西洋人ではない。
また古典を学ぶ上で古の日本や中国の思想を学ぶことは非常に有意義なことと考える。
海外でもリベラルな物の見方を持った知識人は、
西洋哲学以外の思想哲学文化にも興味を示している。
それが偏らない知識教養につながることを理解しているからだろう。
(エキゾチックなものへの傾倒もなくはないだろうが)
あと、782のコメントは成熟していない人間性丸出しなので恥ずかしいですよ。
現代語訳でなくて翻訳で読ませる必要について。
現代語訳は訳でしかないから。
俳句の英訳なんて俳句の良さまるつぶしだし、
漢文の現代語訳も、音韻の美しさが損なわれるのではないか?
(漢文読みしてる時点で駄目かもしれないが)
あと、古典廃止論者さんに御聞きしたい。
外国語2つ、というけれど、
どれとどれですか?
英語と西語?それともヒンドゥー語とタガログ語?
787 :
名無氏物語:03/05/16 00:00
>782 お前たんなる馬鹿だな
788 :
名無氏物語:03/05/16 00:11
>782 20歳以上の女性とつき合ったことはないが。
限られてるじゃねーか。世間知らずのこどもしか
相手にできてないし。しかも条例違反。
おまえみたいなの、成熟した女は相手しないよ
789 :
bloom:03/05/16 00:20
>源氏物語は単なるヤリチン貴族の物語としか思えないし、
これって厨房・工房のゆうことじゃん。
俺文学の素養ゼロだけど、でも源氏物語の古典としての意味ぐらいは
理解できるよ。もちろんここにいらっしゃる文学専攻の方々には
かなわないけど。いったいこの人は何を勉強してきたのだろ。
彼も又哀れな、文部省の教育政策の被害者なのか。
源氏はやりちんの話し、枕はわがまま女の独り言、
八犬伝はくだらんSF、記紀は嘘ばっかし,
西鶴もやりちん・やりまん、芭蕉は他人の旅日記、
まなんでもしょうがない。古典廃止論者さんに賛成。
?
>>791の住む世の中には、学ぶ価値のあるものは
何一つとして存在しないようだね。
幸せそうでいいなぁ。
794 :
名無氏物語:03/05/16 23:29
古文、漢文って、学問のための学問だから、必要ない奴には一生必要ない。
でも、必要な奴にはなるべく早くから馴染ませておいたほうがいい。
大学入ってから、連綿体の勉強始めるのってキツクねえ?
かといって、全員が全員お家流を勉強する必要もないと思うんだ。
とゆーわけで、古文漢文はお勉強秀才様に任せた。
795 :
名無氏物語:03/05/16 23:34
796 :
古典廃止論者:03/05/16 23:45
>>786 >現代語訳でなくて翻訳で読ませる必要について。現代語訳は訳でしかないから。
そんなことは分かってます。しかし、原文で読ませるにはそれなりの労力がいります。中高生にやらせるには負担が大きすぎる、と言っているのです。
>俳句の英訳なんて俳句の良さまるつぶしだし、
日本で俳句を教えるには英訳する必要はないので、翻訳の弊害のことをいっておられるのだと思いますが、「原文を読む」という労力を補ってあまりある教育意義がなければ中高生に教えることは正当化できないと思います。
>漢文の現代語訳も、音韻の美しさが損なわれるのではないか?(漢文読みしてる時点で駄目かもしれないが)
中国古典を「訓読」するのは方便です。中国古典をきちんと学ぶなら外国語として学ぶべきです。
>あと、古典廃止論者さんに御聞きしたい。
外国語2つ、というけれど、
どれとどれですか?
英語と西語?それともヒンドゥー語とタガログ語?
英語ははずせないと思うので、英語を必修にしてもう一つを選択制にします。
Esperanto、中国語、朝鮮語、ドイツ語、ロシヤ語、フランス語、イスパニア語、アラビア語あたりからの選択がいいでしょう。
797 :
古典廃止論者:03/05/16 23:47
798 :
名無氏物語:03/05/17 00:37
>古典廃止論者
>しかし、原文で読ませるにはそれなりの労力がいります。
中高生にやらせるには負担が大きすぎる、と言っているのです。
これが779がいうあんたの「安易な効率化」ってやつじゃないのか?
若いうちはなるべく頭を使ったほうが良いんだ。進歩するためには
負荷をかけなきゃいけない。その負荷もいろんな方面からかけたほう
がいい。楽になるほうに変えていいことはない。
799 :
名無氏物語:03/05/17 01:00
>>798 だから、その「進歩するための負荷」に古文漢文がふさわしいか否かを議論してるんでしょ?
同じ負荷なら、もっと学ぶに値するものがいろいろあるのです。
800 :
名無氏物語:03/05/17 01:49
今だ!セクースしながら800ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
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〃 (>_<*)Д-)
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〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
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パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
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ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
>>795 まさか。ただ哲学思想がもっとも華やかな結実を見たのは西洋ですのでね。それで、
西洋に限ったまでです。だからと言ってアジア西洋以外の思想を軽視してるわけではありませんが。
>>796 日本の古典を学び、日本人としてのアイデンティティーの確立のために、
「日本古典をきちんと学ぶなら古文として学ぶべきです」と考えます。
古典で負担が大きいと言っておきながら英語ともう一つの外国語を強いるのはどうでしょう?
英語だけでも充分な負担になっている現況を考えると、
もう一つやらせるのは無理があるような気がします?
だから古文を選択にして第二外国語を必修にすれば、
負担は変わらない、とお考えでしょうが、
古文と第二外国語では、どちらが日本人の義務教育に必要なんでしょう?
私の考えでは古文です。日本人として日本をよりよく知ることが、
英語以外にもう一つの言語を学ぶよりも重要と考えます。
と、まぁ、書きたいことを書きましたけど、
古典廃止論者さんのおっしゃりたいこともわからなくはないのです。
これだけ時代が速く速く流れているご時勢に、
いつまでも昔のままの教育システムで良いはずはない。
ただ、至便性であるとか有用性ばかりに重きを置くのはまずいと思います。
とりわけ、中学校の教育では生徒の可能性を広げられるような、
幅広いカリキュラムが必要だと思います。
最後に本当の蛇足ですが、日本の場合、もっとも変えなければいけないのは、
大学教育ではないか、と思います。
削除依頼も良し悪しだなw
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今だ!セクースしながら803ゲットォ!!
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アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
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し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
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チョコチョコ削除依頼出さないで、纏めて出せよ!ゴルァ!!!
805 :
名無氏物語:03/05/18 23:54
一回廃止してみて、不都合があるようならば
復活すりゃいいんじゃないの?
806 :
名無氏物語:03/05/19 00:47
>805
馬鹿ですか?
古典の価値がわからない馬鹿がますます増えて
不都合が起きてることがわからない馬鹿だらけになるぞ。
>>805 古文も読めないくせに偉そうなことを言うな!
808 :
名無氏物語:03/05/19 23:24
>>806=807
可哀想な人達ですね。
社会の大多数の人間が価値を認めないのであれば、
それは即ち無価値ということなのですよ。
少なくとも民主主義社会ではね。
809 :
古典廃止論者:03/05/19 23:38
>>808 そんなことはない。学問の価値など多数決で決めることはできない。
ただし、中等教育で教えるためには、社会全体の理解が必要である。
中等教育はおのおのが好きなことを専攻するものではないからである。
810 :
古典廃止論者:03/05/19 23:55
>>801 >日本の古典を学び、日本人としてのアイデンティティーの確立のために、
日本人としてのアイデンティティなど必要ない。必要なのはグローバル地球市民のアイデンティティである。
そもそも民族性などというものは思いこみの産物でしかない。かつては交通や通信が発達していなかったため、各地域でそれぞれの人間集団ができ、それが民族となった。
交通や通信が発展し全球化していく今日では民族は消滅する運命にある。
被抑圧民族が抑圧民族の同化圧力に抗するために民族意識を必要とする場合や、国民的発展のためにまだ民族意識を必要としている諸国(中国など)ならともかく、日本にはもはや民族意識などまったく無用である。
>「日本古典をきちんと学ぶなら古文として学ぶべきです」と考えます。
もちろん「きちんと学ぶなら」そうであろう。しかし中等教育でそこまでする必要があるかということが問題である。
>私の考えでは古文です。日本人として日本をよりよく知ることが、英語以外にもう一つの言語を学ぶよりも重要と考えます。
仮に「日本をよく知る」ということを肯定したとしても、古文はそれにふさわしいとは言えない。
日本古典文学に素晴らしいものがあるとしても、それから「日本をよく知る」というのは著しく難しい。Shakespereを読んでBritainを知るというようなものである。
それに日本人の精神性というものは明治維新によって断絶しているから、それ以前の日本文学を学ぶことの意義は小さい。
日本をよく知るというのなら歴史を学ぶことが最良である。
救いようがないな。
もういい歳なんだろうから、今さら固定観念変えさせるのも無理だろう。
長い人間の歴史においてなぜ文学というものが存在し続けるのか
考えたこともないんだろうね。言葉は意思を完全に表せる、異なる言語間での
翻訳も機械的置き換えで可能である、なんて本気で思ってるんだろうね。
ちょっと考えれば分かることなのにね。シミュレーションすれば。
要するにヴァカなんだね。
812 :
名無氏物語:03/05/20 00:34
>>809 そーですね。私の言ってるのはカリキュラムとしての価値であって
学問としての価値ではありません。
>>811 論点ずれまくり。噛合った議論をする訓練をしてないんですかね。
>>810 考え方が相当違うようなので、
少しすりあわせが難しいようですね。
僕としても一番のメッセージは、
中学校の教育では生徒の可能性を広げられるような、
幅広いカリキュラムが必要だと思います、にあったのですが。ま、いいですけどね。
これ以上の書き込みは不毛のようですが、
最後に一言。
海外で一度でも暮らしてごらんなさい。
日本人としてのアイデンティティーというものを強烈に問われますから。
そして、あなたの言う、
「グローバル地球市民のアイデンティティ」がちり紙程度の現実味も無いことを知るでしょう。
自国文化をないがしろにした国が長続きしないということは、
歴史的にもはっきりしている事実だがな。
別に理論なんていらんでしょ、研究したいからしてるだけで
非生産的であろうがなんだろうが、それでお金もらえるんなら俺には何の問題もない
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
817 :
古典廃止論者:03/05/22 00:51
>>813 >海外で一度でも暮らしてごらんなさい。日本人としてのアイデンティティーというものを強烈に問われますから。
おれは日本人じゃないし生まれたときから海外で暮らしてるんだよ。日本人じゃないのに日本で生まれ育って日本語で教育を受けたわけだからな。
おれのような根無し草(日本人ではないが日本語で暮らしている)にとって、「日本人としての認同」なんてものはうっとうしい限りなんだよ。
あ、それにおれは日本以外の国で何年も過ごしたよ。欧州の大学に在籍したんだよ。
818 :
古典廃止論者:03/05/22 00:57
>>813 >中学校の教育では生徒の可能性を広げられるような、幅広いカリキュラムが必要だと思います、にあったのですが。
そりゃ分かってるよ。しかし、「生徒の可能性を広げられるような、幅広いカリキュラム」といっても、科目の数を無限に増やすことはできない。
優先順位を付けて、どこかで切り捨てる必要性がある。
古文・漢文というものは、社会的にみて必要ではあるが緊急性が薄く、「ある程度の研究者が途絶えることなく存在すればいい」という程度の存在。
この研究対象が消滅するわけでもないし、緊急性がまったくない分野と、第二外国語を比べた場合、第二外国語を選択するのは当然である。だから「古文・漢文なんてやってる暇があったら第二外国語」という結論になる。
819 :
古典廃止論者:03/05/22 01:02
>>811 >考えたこともないんだろうね。言葉は意思を完全に表せる、異なる言語間での翻訳も機械的置き換えで可能である、なんて本気で思ってるんだろうね。
翻訳というのは、「ある言語で表現された観念を、他の言語で表現する」ということで言語そのものを翻訳するものではない。
翻訳は難しいが原理的にできないものではない。
論理的なものは翻訳できる。非論理的なものは翻訳できない、というかそれ以前に理解できない。
たとえば「古池や蛙飛び込む水の音」というような非論理的な表現は翻訳できないし理解もできない。
非論理的な文学的表現にも価値はあるのかも知れないが、中等教育で教えるほどの価値はない。
820
>古典廃止論者さん
日本の義務教育は日本人の教育の為のものですから、
日本人以外の方には不必要と思われるものも含まれているでしょうね。
古文以外にも書道とか。
私の発言は日本人に向かって発せられたものですから、
すべて御忘れになっていただいて結構です。
最後に少し言わせていただきますが、
日本人でないのに日本の教育にけちつけられても困りますよ。
道理で日本語がおかしいと思った。
子供に教える価値のないものが、
大人に価値があるわけがない。
>古文・漢文というものは、社会的にみて必要ではあるが緊急性が薄く
それだったら学校教育自体、ほとんど緊急性はないよ。
社会にでて必要なときに教えればいいだけだ。
てか、何回読み直しても、
自分に必要がないから他人にも必要がないと言ってるだけなんだが。
いかにもアメリカナイズって感じにしか聞こえない。
他人における個々の状態における技能の必要性、多岐にわたる可能性、
長期的な教育の必要性、学問の自由を妨げない程度の教育水準の維持、
国家レベルでの知的財産の維持を理解してないし、
自己中心的な意見ばかりで他人に思いをはせられない人間が
世界市民思想なんてのが笑えますな。
それこそカルト的思想と言うのではないのか?
まぁ、それ以前に、
地域の特殊性がなかったら、
そこで勉強する必要性はないからな。
必要性が薄いから切り捨てると言うことは、
先進国のどこで学んでもほとんど同じと言うことだし、
ついでにそこにしかないものも学べる点で、
他の国のほうが学ぶのによい環境と評価されるだけだがな。
826 :
古典廃止論者:03/05/23 00:07
>>813 >海外で一度でも暮らしてごらんなさい。日本人としてのアイデンティィーというものを強烈に問われますから。
これだが、海外で暮らして「日本人意識」に目覚めちゃう人っていうのは、要するにコンプレックスなんだよな。
渡部昇一とか西尾幹二なんて典型的じゃないの。
>おれは日本人じゃないし生まれたときから海外で暮らしてるんだよ。
>日本人じゃないのに日本で生まれ育って日本語で教育を受けたわけだからな。
あの〜、揚げ足を取るつもりはないのですが、ちょっと教えていただきたい。
「日本で生まれ育った」という方が、「生まれたときから海外で暮らしてる」
なんてことが、どうやったら可能なんでしょうか?
828 :
古典廃止論者:03/05/23 00:16
>>821 >日本の義務教育は日本人の教育の為のものですから、
>日本人でないのに日本の教育にけちつけられても困りますよ。
このグローバル時代にこんなことを平然と言うなんて。
子供の権利条約にしても、教育基本法にしても、教育は自国民のためのものなんていう思想とは対局にある。
>日本人以外の方には不必要と思われるものも含まれているでしょうね。
>古文以外にも書道とか。
書道なんてどう考えても無用の長物だと思うが。字をきれいに書く訓練ならどう考えてもペン習字をすべき。
硯やら筆を買ってまでやる必要はない。どうしてもやるなら学校で備えておくべきだね。
あれって書道用具業界と文科省の癒着の結果じゃないの?
高い書道セットを買って、小学校を卒業してから使う人がどれくらいいるの?
修学旅行と並んで、無駄の代表格みたいなもんだ。
829 :
古典廃止論者:03/05/23 00:22
>>824 >それだったら学校教育自体、ほとんど緊急性はないよ。社会にでて必要なときに教えればいいだけだ。
いや、「緊急性」っていうのは数年単位じゃなくて、世代単位なんだけどね。
ある世代が、たとえば数学ができないとか、基本的な科学的知識がないとか、言語能力が劣るというのは社会の衰退につながる。そういう次元の話。
日本古典や漢文の研究は必要だろう。しかし、細々と継続されていればいい。そういう意味で緊急性がない。
830 :
名無氏物語:03/05/23 00:23
>827
在日。
831 :
名無氏物語:03/05/23 00:23
> 書道なんてどう考えても無用の長物だと思うが。字をきれいに書く訓練ならどう考えてもペン習字をすべき。
字が下手な香具師の遠吠え
832 :
名無氏物語:03/05/23 00:27
「日本で生まれ育った」っていうことはつまり、こいつは生まれた時点では「日本」にいたんだよ。
でも「生まれたときから海外で暮らしてる」んだから、生まれた時点で既に「海外」にいた。
つまりこいつにとって、「日本」イコール「海外」なんだな。
>教育基本法にしても、教育は自国民のためのものなんていう思想とは対局にある。
「教育」は「自主的精神に充ちた心身ともに健康な 国 民 の育成を期して行われるもの」ってのが
「教育基本法」の規定(第一条)だと思っていたんだが、古典廃止論者の国では、別の教育基本法が
施行されているみたいだね。
834 :
名無氏物語:03/05/23 00:35
>>833 この書き込みは、古典廃止論者の脳内で削除
836 :
古典廃止論者:03/05/23 00:48
>>833 「外国人」にたいする「国民」という意味でない。peopleという意味。
教育基本法には、外国と異なる「日本的価値を教育する」という思想はまったくない。憲法にもない。
あ、ついでながら憲法で「公務員を選定し罷免する権利は国民固有」という条項があって、これを根拠に外国人参政権が違憲だと言う奴がいるが、ここでの「国民」もpeopleの意であって、外国人参政権は合憲である。
>>836 あ、そうなんだ。ま、あんたやあんたの民族がそう解釈するのは勝手だけど、
だとしたらたとえば「国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を
受けさせる義務を負う」(第四条)なんてのは、日本国民だけじゃなくて、
あらゆる people に対して「義務」を課す規定なんだね。(藁
あと「教育は、(中略)国民全体に対し直接に責任を負つて行なわれるべき
ものである」(第十条)なんてのも、全世界の people に対して責任を
負ってるんだ。
大変だね、君の国の教育部は。
839 :
名無氏物語:03/05/23 01:01
なるほど。
自分の勝手な主張が法律の明文規定に反する場合には、法律の読み方のほうを変えてしまえばいいんだな。コペルニクス的転回。
「『国民』とは『日本国民』ではなく『韓国民』という意味である」とか。
これだからグローバル地球市民は。(w
841 :
名無氏物語:03/05/23 01:08
>>836 > 「外国人」にたいする「国民」という意味でない。peopleという意味。
「国民」辞書では、
infoseek 大辞林
(1)国家を構成する成員。また、その国の国籍をもつ人々。国家の統治の主体として国政に参加する地位にある場合は「公民」、君主国などにおいて統治の客体である場合には「臣民」とも呼ばれる。
(2)平安時代、国衙領(こくがりよう)の民をいう。
(3)中世、大和国春日社・興福寺領内で末社の神主をつとめていた地侍。
lycos
こく‐みん【国民】
国家を構成し、その国の国籍を有する者。国政に参与する地位では公民または市民ともよばれる。
「「国民」」カッコつきだから意味が違うのかもしれないが
それとも新しいtechnical term か?
842 :
名無氏物語:03/05/23 01:11
おいおい・・・法律の文言を解釈する時に
国語事典を根拠に使おうとするなよ。
>憲法で「公務員を選定し罷免する権利は国民固有」という条項があって、
>これを根拠に外国人参政権が違憲だと言う奴がいるが、ここでの「国民」も
>peopleの意であって、外国人参政権は合憲である。
これも理解できないね。
だとしたら、アメリカに住むアメリカ人が日本の公務員を任免できるってこと?
日本に住む日本人がたくさん署名を集めたら、韓国の公務員をリコールできるのか?
憲法十一条以降にいう「国民」が、十条に「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」と
定められている所の「日本国民」であることは常識として行われている解釈だし、もしも
国籍法の規定を無視して「国民とは people という意味」だと主張するんなら、論拠を示すべき。
それとも、何の根拠もない自分勝手な主張を押しつけるのが「グローバル地球市民」の
やりかたなのか?
なんせグローバル地球市民ですから。
ちなみに日本国民に、グローバル地球市民は含まれません。あしからず。
どう見ても、古典廃止論者は
地球市民思想と全体主義を混同しているとしか思えないよねぇ。
846 :
名無氏物語:03/05/23 01:45
あらゆる地域差をなくして、地域に固有の文化も根絶して、どこの国でも均一な文化・教育が行われるのが
古典廃止論者のいう「グローバル化」だろ。
その手の思想は必ず大きな戦争を起こす原動力になってると
歴史は物語ってます。
848 :
名無氏物語:03/05/23 01:49
古典廃止論者は、古文漢文そのものを根絶させろなんて言ってないぞ。
ただ中等教育で全員に強制する必要はない、って言ってるだけ。
そのように論点を絞った上でなら もっときちんと議論すべきなのは思うのだが、
>>836みたいな電波を飛ばされると
正直なところ萎える。
>850
それはそうなんだが、
古文を中等教育からなくすという主張の根底に、
あやしい地球市民思想があるのが問題。
地球市民思想が正しいのか怪しいのかは知らない。けどこいつは、それ以前の問題だと思う。
自分の主張の正しさをアピールするために、よく知りもしない憲法とか教育基本法とか振り回しておいて、間違いを指摘されると
「法律にいう『国民』とは『日本国民』のことではない!」なんて小学生みたいな言い逃れするメンタリティがイヤ。
概念規定もマトモに出来ない論者を相手に、マトモに噛み合った議論なんかが出来るわけがない。
いや、こいつの思想があやしいと言ってるのであって、
この手の考え方全般をあやしいと言ってるのではない。
「それ以前の問題だと思う」ってのに禿同
854 :
名無氏物語 :03/05/23 03:33
古典廃止論者はほとんどすべてを語っているじゃないか。
どこの国籍か知らんが日本以外のどこか。
なのに日本語で日本式の教育を受けてこれが気に入らない。
要するに教育内容と自分のIdentityとにずれを感じない、
まわりの香具師にそねみを抱いている("Envy")。
結果、日本式教育の最良の部分を受け取るのに失敗した。
香具師なりにいろいろ考えて、エスペラソトとか地球市民とか、薄っぺらい思想を遍歴したあげく、
○糞主義に嵌って頭が単細胞化し、まともな議論の出来ないDQNとなった。
残念だが同情はしないよ。
同じ条件でももっと優秀な香具師を漏れはたくさん知っているから。
855 :
名無氏物語:03/05/23 04:01
>>850 >>852 教育基本法でいう「国民」はnationじゃなくpeopleだというのは電波でもなんでもない。普通の解釈。
だからこそウヨクは教育基本法を改正して「愛国心」を盛り込めとか言っている。
廃止できるもんなら廃止してみな の一言でかたがつく
857 :
名無氏物語:03/05/23 04:12
>>855 憲法の話ならば、
「peuple主権」を突然持ち出すあたり、禿しく特定の思想が臭う罠
もうこんな説は「枯れた旧説」だよ。
しかも外国人参政権全面肯定論に直接つなげるあたり、
勉強不足はバレバレ。この板の住人の多くは気づかないかもしれないけれど・・・
858 :
名無氏物語:03/05/23 04:29
>外国人参政権全面肯定論に直接つなげる
「合憲」というのは「全面肯定論」なのか?
たとえば、「死刑は合憲だが廃止すべきだ」という論はどうよ?
859 :
名無氏物語:03/05/23 04:44
>>858 ネタなのか無知なのか何なのか。
一応板が板なのでマジレスしてみるか。
政策論と法解釈論を混同するな。法学のイロハだよ。
まあどう考えても板違い。
2chでは司試板くらいしか逝くところはないけどね。
ちなみに、peuple主権とnation主権の対立という枯れた論点は、
フランス革命時の主権論争に起源があって、
外国人参政権の可否とは直接にはつながらない。
司法板で藁われるのが一番なんだろうけど、一応マジレスしておいた。
860 :
名無氏物語:03/05/23 05:06
英語(スピーキング)なんてね、本来学校がやることじゃないんだよ。
そんなのはノヴァにでもまかせとけばいい。コンピューターもそうでね。
その他、とにかくいわゆる実用的な技術なんてのは、それ専門の
ところがあるんだからいいんだよ。学校はむしろ非実用的な学問をやるところでね、
読み書きそろばんを覚えたら、次は文学・文法、方程式・因数分解といくわけだ。
英語だってね、昔みたいにリーディングとグラマー、ライティング中心でいいんだよ。
いわゆる語学じゃなくてね、英語学・英文学をやってくれたほうがよっぽど有り難いよ。
861 :
名無氏物語:03/05/23 07:49
>>860 >学校はむしろ非実用的な学問をやるところでね、読み書きそろばんを覚えたら、次は文学・文法、方程式・因数分解といくわけだ。
因数分解はともかく、方程式は実用的ですが?因数分解は、解の公式を教えればすむことだから無用の長物だけど。
>英語だってね、昔みたいにリーディングとグラマー、ライティング中心でいいんだよ。
リーディングとグラマー、ライティングは極めて実用的ですが?
文法軽視の教育を批判するという趣旨なら分かりますが、「文法=非実用的」「会話=実用的」というのがそもそも根拠なき思いこみなんです。
また、コンピュータの使い方は、これからの時代は「読み書きそろばん」の内に入ります。
862 :
名無氏物語:03/05/23 07:54
>>814 これからは「国」という枠組み自体が廃れていく時代です。これからの時代に自国文化なんて必要ないのです。
文化なんてのは思いこみの産物でしかないわけで。
名古屋では結婚式が派手でしょ。民族文化なんてのはそれを大きくしたようなもの。
863 :
名無氏物語:03/05/23 07:57
>>859 >政策論と法解釈論を混同するな。法学のイロハだよ。
混同しているのは
>>857の方だろ?
外国人参政権は「合憲」という発言を「外国人参政権全面肯定論に直接つなげる」と歪曲したわけ。
合憲か違憲かというのは法解釈論。合憲の場合に、導入するかしないかが法政策論。混同してるのはそっち。
864 :
名無氏物語:03/05/23 08:02
>>857 >憲法の話ならば、「peuple主権」を突然持ち出すあたり、禿しく特定の思想が臭う罠
誰もそんな話はしていない。「国民」という言葉の意味を論じているだけだろう。
言葉の意味は文脈によって変わる。「国民と外国人」という場合。「国民と政府」という場合。「国民と天皇」という場合。
「国民」の意味するものはまったく違ってくる。
日本の教育基本法の特徴は、その普遍主義にあって、どこにも「日本民族教育」という観点はない。
そこを見れば、教育基本法の言う「国民」が、「国民と外国人」という文脈の「国民」ではないことははっきりする。
ついでに日本国憲法も「普遍的な政治道徳の法則に従って世界平和を実現する」という普遍主義にたっていて、「日本的価値観」はどこにも見られない。
865 :
名無氏物語:03/05/23 08:11
>>843 「公務員を選定し罷免する権利は国民固有」という規定の意味だが、これは要するに政府や公務員は「国民」によって統制されるということだ。
この規定の意味は、統治権が天皇に与えられていた明治憲法と対比すればはっきりする。要するに「国民」と「外国人」を対比して「外国人に与えることができない」と言っているのではない。
国民の意思によらない政府は存在できない、公務員は国民の意思に反するときリコールできる、ということを定めている。
だからこの条項は外国人参政権を禁止する趣旨のものではない。
866 :
名無氏物語:03/05/23 08:30
なんだか自作自演の予感。。
でも古典廃止DQNの議論、つまり憲法から外国人参政権へ短絡する議論を素直に信じるなら、
「(日本の)公務員は(韓国の)国民の意思に反するときリコールできる、ということを定めている。」
と解釈されるんだが。
868 :
名無氏物語:03/05/23 20:49
870 :
名無氏物語:03/05/23 23:33
>>863-865 >国民の意思によらない政府は存在できない、公務員は国民の意思に反するときリコールできる、ということを定めている。
>だからこの条項は外国人参政権を禁止する趣旨のものではない。
2行目は国会議員を選ぶ選挙権(参政権)という意味だよね?
ということは1行目の「公務員」は国会議員のことだよね?
ほら、peuple主権論そのものじゃないか。
peuple主権→命令委任=リコール可能、は直接つながる。
これは日本の現憲法の解釈では枯れた大昔の少数説という罠。
現憲法の解釈では、少なくとも国会議員については
全国民の代表(43条1項)を文言上の根拠に、
自由委任(リコールは無し)、ただし次の選挙で落とされ得る(半代表)が通説。
ただし地方レベルでは「住民自治」の観点から必ずしもこの限りではない。
でも明らかに板違いだなあ。
ちなみに古典廃止論者氏はこの話はしていないみたい。
もっと変な解釈論を展開しているけど・・・
憲法解釈は板違いなのでどうでもよい。
864、865は廃止論者氏か?
廃止論者氏の地球市民主義は確かに極論だが、
そこまでいかなくても、やはり古文漢文は中等教育では不要。
古文漢文を教えるのと「日本の文化・伝統」を教えることが
どうしてイコールなのか全く論証されていない。
そもそも、そこでいう「日本の文化・伝統」の内実が
曖昧すぎて、議論にならない。
あと、書道も確かに不要。タイピングでもやらせた方がよほどまし。
872 :
古典廃止論者:03/05/24 01:03
>>871 >古文漢文を教えるのと「日本の文化・伝統」を教えることがどうしてイコールなのか全く論証されていない。
その通り、古典文学で出てくるものは「日本の文化・伝統」にほど遠い。
「日本の文化・伝統」というのなら明治期の文学やら、内村鑑三の『代表的日本人』でも読んだ方がよほどマシではないか。
古典文学に出てくるものは、貴族のくだらない王朝文学やら、迷信と差別でいっぱいの説話集など。
873 :
名無氏物語:03/05/24 04:12
>>862 >これからは「国」という枠組み自体が廃れていく時代です。これからの時代に自国文化なんて必要ないのです。
文化なんてのは思いこみの産物でしかないわけで。
名古屋では結婚式が派手でしょ。民族文化なんてのはそれを大きくしたようなもの。
名古屋の何が悪い!派手だからなんだっつんだよ!
東京大阪より田舎だからってバカにすんのか、このたぁけが!
人バカにせんと「「国」という枠組み自体が廃れていく時代」」
ちゅーんがこんのか?
てめーに名古屋の地は踏ませねえし、くるな!!!!
「あの人ら」の戯れ言は放っておけ。
876 :
名無氏物語:03/05/24 13:37
>>872-873 そりゃ後世に伝えるべき歴史的文化で
最も基本なのが言葉の文化だからに決まってるじゃん。
文学もしくは史記が生まれなかった文明は、文字がなかったインカぐらいだよ。
ほとんどの文明・文化で生まれているという普遍性にもかかわらず、
文明・文化ごとに異なるものって言葉の文化だけだから、
世界において各国文化の基本は言葉なんだな。
>>877 「言葉の文化」というタームの意味が不明確。
文法体系を指しているのか、語彙のことを指しているのか、
それとも表される内容のことを指しているのか。
>古文漢文を教えるのと「日本の文化・伝統」を教えることが
>どうしてイコールなのか全く論証されていない。
日本語は日本の文化であることは間違いありませんね?
日本語(現代語)は古代から綿々と受け継がれて現代にいたっているわけです。
ある日突然できたつくられたものではありませんから。
よって国語教育の一環として古文漢文を学ぶことは十分に意義があります。
古文漢文を教えることが
(言葉以外の)日本の文化伝統を教えることに直結はしないけれども、
日本語をよりよく知ることなくして日本の文化伝統を学ぶことは難しいですから。
>>881 > 日本語(現代語)は古代から綿々と受け継がれて現代にいたっているわけです。
> ある日突然できたつくられたものではありませんから。
ここと
> よって国語教育の一環として古文漢文を学ぶことは十分に意義があります。
ここの間に繋がりがないなあ。単なるcredoじゃん。
言葉足らずのようですね。
失礼いたしました。
ですから言葉の成りたちや現代語で使われている言葉の元々の意味などを
古文漢文を学ぶことで学習できるわけでして、
それは国語の学習の一つの大きな収穫になると思うのですが。
>単なるcredo
でしょうか?
下の3行にもつっこみお願いします。
884 :
名無氏物語:03/05/25 09:19
>>883 >ですから言葉の成りたちや現代語で使われている言葉の元々の意味などを
古文漢文を学ぶことで学習できるわけでして、それは国語の学習の一つの大きな収穫になると思うのですが。
意味があるのか?
「言葉の成りたちや現代語で使われている言葉の元々の意味」なんて、出てくるたびに辞書ひけばいいだろ。
英語にはギリシア語やラテン語から来た語彙があるから、英語を深く理解するためにはギリシア語やラテン語も学ぶべきだってことになるのか?
885 :
名無氏物語:03/05/25 09:54
イングランドではギリシア語は知りませんが、中学校でラテン語やってますよ。
欧米では少なくともラテン語を教える国は多いですね。
かれらには、ama-とか、phil-とか単語に現れたらある程度意味が推測できるらしいですね。
それくらい、言葉の中にギリシア・ラテン語が入り込んでいますよ。
英語勉強してると何かとラテン語は出てきますよ。ことわざとかいろいろ
それに英検では辞書引けないから、語源から意味を推測するテクニックもありますしね。
ラテン語教えてもらった先生は、「英語だけができてもねぇ」と言ってましたよ。例えが悪いんじゃないですか? 884さん
高校世界史を習ってみれば分ると思うが、
歴史に出てくる文明・文化には、
ほとんどの解説に使用言語やその文明・文化における代表的文学書が出てくるものだよ。
そしてその変遷が、そのまま歴史の変化に直結している面もある。
それぐらい文明・文化の歴史と言葉の文化(文法、使用文字、文学)の結びつきが強いと言うことだよ。
だったら日本文化の基本として言葉の文化である古文・漢文を学ばせようというのは至って自然でしょう。
それに、間違っても
能や雅楽や浄瑠璃や歌舞伎を必修にするわけにもいくまい。
逆を言えば、必修にするのに適したものは他にはないということでもあるかも菜。
>>879 ちょっとミスって書き込んだあと気づいたが、
まぁ誰かが突っ込んでくれると面白いかなと
自己放置プレイ。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
890 :
東大文三生:03/05/28 23:02
ただのお勉強をするのに意義も何もあったもんじゃねーだろ?このヴァカ!
与えられたことをきちんとこなしてりゃそれでいいんだよ。
そんでもって、俺みたく古典文学に興味を持ったヤシが、大学の文学部で学べばいい。
まあ、そういうことでしょ。
>>890を良い方に解釈すれば、
物事の価値を最初からわかっている人間はいない
と言いたいのだろう。
892 :
名無氏物語:03/05/30 22:06
数学者藤原正彦氏の著書を読んだことある人いる?
氏は熱心に国語教育の重要性を説いておられるね。
国語が全ての知的活動の源泉だと。彼の言う「国語」には当然古典も含まれている。
実利志向・世界市民志向な古典廃止論者さんは
文系オタクの言い分など情緒的で非論理的で聞いていられないと思っているのかも知れないけど、
もしそうなら理系の識者の意見を是非聞いてみてよ。
あなたの言う「グローバル地球市民」「民族意識不要」論が如何に陳腐であるか
少しは感じ取れるかもよ。
人格攻撃・レッテル貼りになってしまうけれど、
在日だか日教組だか知りませんが古典廃止論者さんは思想的に偏向しているように見えます。
「グローバル地球市民」なんて、口にするのに憚られる言葉の最たる例だと思うのですが。
893 :
名無氏物語:03/05/31 00:19
>892
俺読んだよ。つってもエッセイだけどな。あの人エッセイしか書いてないか。
共感する部分は多々あるが、非論理的なので古典廃止ドキュソが読んでも無駄でしょう。
(誤解の無いように言っておくが、決して氏の主張を貶しているのではない。
氏自身が書いておられるように、論理的に説明のつかない部分だということね。
わからん人間にはわからん。ということ。)
895 :
名無氏物語:03/05/31 02:31
>>892 古典廃止論者は哲学の重視を主張している。実利志向ではない。
896 :
名無氏物語:03/05/31 04:54
>>895 騙されちゃいけないよ。彼は哲学なんて触れたこともないよ。
そのへんの哲学書1頁でも読んでりゃ、古文・漢文が無用なんて
貧相な考えが出てくるわけないからね。
?
佐藤正彦?
?
今だ!セクースしながら900ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
901 :
名無氏物語:03/05/31 14:27
ミナイデェ
900超えたなw
903 :
名無氏物語:03/06/03 19:53
なんか知らんけどきました
八木は神
905 :
名無氏物語:03/06/03 19:54
神様 八木 3連続タイムリー
/'" ̄ヽ ヽ!!|||||||||||||||| ||||||||||!!"ヘ
│ / ̄ ̄/ ――───‐ヽ ゙!!!|||||||||||| |||||||!! iヽ───────────
─┼─ /──/ |||||||||||||||||||||||||l ゙゙ヽ、ll,,‐''''"" | ヽ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
─┼─ / |||||||||||||||||||||||||l ____ ゙l __ \||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
│ / ||||||||||||||||||||||||!' /ヽ、 o゙>┴<"o /\ ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
\ / |ミミヽ──‐'"ノ≡- ゙'──''彡| |、 |
906 :
名無氏物語:03/06/03 19:55
古文はおもしろいけど
漢文は・・・正直おもしろくなかったな
個人的には。
ヽ( ・∀・)ノ ウンコー
よくワカランが記念書き子
?
今だ!セクースしながら910ゲットォ!!
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∧∧
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アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
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〃 (>_<*)Д-)
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〃 > y ) /〜))
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ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
911 :
名無氏物語:03/06/03 19:57
頼むぞ真中 まず同点にしてくれ
???
チェッチェッコリッ♪
\\ チェッコリッサ ♪ //
+ + \\ /+
+
. + /■\ /■\ /■\ +
( ´∀`∩(´∀`∩)( ´ー`)
+ (( (つ ノ(つ 丿(つ つ )) +
ヽ ( ノ ( ノ ) ) )
(_)し' し(_) (_)_)
てめーウザイから色んなスレで宣伝すんなヴォケ。
死ねマジで。
?
>>916 お願いします。
もうすぐ1000なので、このスレッドを埋めるのを手伝ってください!!
とかいう書き込みを連続してるアフォがいるんだよ。
滅茶苦茶ウザイ。
スレの住人には関係ない。正直すまん。
高校までは古文勉強してたけどなあ
卒業したらしないな
919 :
名無氏物語:03/06/03 20:03
ちむこ もみもみ
920 :
名無氏物語:03/06/03 20:12
ノノノハヽヽ
∩ 从‘ 。‘从 ♪あじぃ あじぃ だん ぱ でぃー だ ばん でぃー はぁぉ
ミ ´ !、......,! )
◇ `´ ノ カランコロン
|氷|⊂ノ
 ̄
ノノノハヽヽ
__从‘ 。‘从 ♪しゃ でぃー ぱ でぃー か ぱ か でぃー か くん くん あー
つ:::l:::l.ロ !、......,! )
 ̄ ̄ ヾ. `´ ノ トクトクトクトク トクトク…
|:::::|⊂ノ
 ̄
ノノノハヽヽ
从‘ 。‘从 ♪あしゃだっば ばだっだ ばだっだ まだ あぁぉ
(つ|:::::|⊂) (ゴクッ)
l  ̄ / ハー! ぁゃゃアイスティー(゚д゚)ウマー
実況からきたYO!
ちなみに昔センター試験古文漢文計90点だった
現代文は38点だったんで計128点(´・ω・‘)ショボ-ン
923 :
名無氏物語:03/06/03 21:11
結局文学部のお偉いさんの圧力のせいで
古文をさせられてるのかなぁ。
924 :
名無氏物語:03/06/03 22:05
文学部のお偉いさんはせいぜい教科書を作ったり、
指導要領を作ったりしてる位だよ。
文科省に苦情を言ってくれ。
つっても、古文漢文なんてどんどん削られてるけどなー。
亡国の危機さ。
926 :
動画直リン:03/06/03 22:19
今だ!セクースしながら930ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
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ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
コレが1000に一番近いスレッドか・・・・・
進まんなw
933
消化
935
936
議論はどうなった?
392KBか・・・・・無駄なことをw
?
今だ!セクースしながら940ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
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∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
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〃 > y ) /〜))
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何見てんだゴルァ!!
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パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
942
943 :
名無氏物語:03/06/10 09:51
あげ
944 :
名無氏物語:03/06/10 20:14
祈念カキコ
945 :
名無氏物語:03/06/10 20:15
∧_∧
( ・∀・) ドキドキ
( ∪ ∪
と__)__)
946 :
名無氏物語 :03/06/10 20:16
このスレ何?
947 :
名無氏物語:03/06/10 20:16
大学の頃、呂后本紀やらされてイヤだった
古典大嫌いだったのに文学部なんて入るもんじゃねーな
948 :
名無氏物語:03/06/10 20:18
ほえ?
949 :
名無氏物語:03/06/10 20:19
あとウチの教授が広大の小林ヨシノリ(漢字忘れた)と
えらい仲が悪かったことを思い出した
950 :
名無氏物語:03/06/10 20:20
今だ!セクースしながら950ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
あと48
953 :
名無氏物語:03/06/10 20:34
ヽ( ´∀`)ノ < 勝った〜勝った〜また勝った〜♪
へノ /
ε ノ
>
ヽ( ´∀`)ノ < よわ〜い厄√にまた勝った〜〜♪
へノ /
ε ノ
>
954 :
名無氏物語:03/06/10 21:29
∧_∧
ピュ.ー ( ゜∀゜) <これからも僕を応援して下さいね(゜∀゜)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 達磨
957
| /\ | /|/|/| ドッドッドッドッドッド!!
| / / |// / /|
| / / |_|/|/|/|/| (´⌒(´⌒`)⌒`)
| / / |文|/ // / (´⌒(´祭だ!!祭だ!!`)⌒`)
|/ /. _.| ̄|/|/|/ (´⌒(´∧ ∧⌒`)`)`)⌒`)
/|\/ / / |/ / (´⌒(´(,゚Д゚ )つ `)`)
/| / / /ヽ (´⌒(´⌒ (´⌒( つ |〕 /⌒`)⌒`)
| | ̄| | |ヽ/| 遅れるな!! ( | (⌒)`)⌒`)
| | |/| |__|/. ∧_∧ ⌒`).ドし'⌒^ミ `)⌒`)
| |/| |/ (´⌒(´( ´∀` )つ ド ∧_∧⌒`)
| | |/ (´⌒(´( つ/] / ォと( ・∀・ ) 突撃――!!
| |/ ( | (⌒)`) ォ ヽ[|⊂[] )`)
| / (´ ´し'⌒^ミ `)`)ォ (⌒) |
|/ .  ̄ (_)`)`)
?
今だ!セクースしながら960ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
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(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
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(_´∀`)_ わっしょい!
/,/-_-_-_-_-_\ わっしょい!
( ( /,, /― ((神輿))―\ わっしょい!! //
(。'。、。@,。,。,。,。,。,。,。,。,。,。,。@ ) )
∩ヽヽ∩ヽXXXXXXXX/ .∩
i||i ∩i||i:||::::¥_][_¥::::||. i||i
†人=†††¶┌┐¶††††
/■\/■/■\[/■ /■\/■\] /■\■\/■\
( ´∀(´∀(□二二( ´∀( ´∀( ´∀`).□´∀` )∀`)□∀`)
( |つ⊂|_ | | ノつつ|祭)~| |祭) ̄||祭) ̄|つ ⊂|_((|祭)~ノ | ) )つ
〓_| |__〓」 〓_|=|_ 〓__ノ 〓二ノ〓二ノ) ( / (L〓|〓二|〓=〓ヽ
し'し' (_(_ し(_) (_)_)し(_)し(_)(_(_,(_)(_)し' (_)
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/ /_/ | \ ./ /_/ | \
| _/ \/ | | _/ \/ |
| / ___ /\ | | / ___ /\ |
| _____. | | _____. |
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 ̄ | |  ̄お祭りワッショイ!. ̄! !  ̄
\\ │ | お祭りワッショイ! │ | //
\\ │ | お祭りワッショイ! | | //
. + | ∧__∧ ∧__∧ ∧_∧ | +
|( ´∀`∩(´∀`∩)( ´∀`) O
+ (( O ( ノ(つ 丿(つ | | )) +
| ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) )│
|__|(_)し' し(_) (_)_)_.|
まもなくここは 乂1000取り合戦場乂 となります。
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 1000取り合戦、いくぞゴルァ!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,, \ (・∀・)カエレ!! /
//三/|三|\ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∪ ∪ ( ) ( ) ( ) )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( ) ( )
_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_
デケデケ | |
ドコドコ < 1000まだぁああーー!!! >
☆ ドムドム |_ _ _ _ _ _ _ _ _ _|
☆ ダダダダ! ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
ドシャーン! ヽ オラオラッ!! ♪
=≡= ∧_∧ ☆
♪ / 〃(・∀・ #) / シャンシャン
♪ 〆 ┌\と\と.ヾ∈≡∋ゞ
|| γ ⌒ヽヽコ ノ ||
|| ΣQR .|:::|∪〓 || ♪
./|\人 _.ノノ _||_. /|\
965 :
名無氏物語:03/06/11 17:59
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< 俺 >
< 予 し >
< か >
─────────< .感 い >──────────
< な >
< !!!! い >
/∨∨∨∨\
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966
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今だ!セクースしながら970ゲットォ!!
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アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
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ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
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何見てんだゴルァ!!
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パ ∧∧ ∧∧ パ
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ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
971
972
300番台まで読んだが、ちと疲れた‥てか900番台はもう議論ないのね‥
古典廃止論者さんのは、途中までは フムフム と読めたけど
あるところから急に こいつぁヤバイだけの人だったのねん
と思いますた。世界の言語を一つに??まだ こんな人居たんですねえ。
マジで考えてるんなら ご苦労様!!!
あと26
もう少しね‥
今日中に逝くのか?
あと23
逝く〜!!!
カウントダウン!!
今だ!セクースしながら980ゲットォ!!
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(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
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ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
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〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てんだゴルァ!!
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パ ∧∧ ∧∧ パ
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ミナイデェ > y ) /≡〜
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981
982 :
名無氏物語:03/06/14 17:03
こら0000
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名無氏物語:03/06/14 17:03
こら000091
984 :
名無氏物語:03/06/14 17:04
こら000092
985 :
名無氏物語:03/06/14 17:04
こら000086
986 :
名無氏物語:03/06/14 17:05
985
987 :
名無氏物語:03/06/14 17:05
987
あと18
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今だ!セクースしながら990ゲットォ!!
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(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
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∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
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何見てんだゴルァ!!
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パ ∧∧ ∧∧ パ
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ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
991 :
名無氏物語:03/06/14 17:07
last9
8
いよいよか?
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何でとまってんだ
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。