完全に時効になったので長くなるが語ります。
中学の頃の夏休み、米国に住む親類の家に居候させてもらった。
で、誕生日に中型のナイフをプレゼントしてくれた。
当時ではまだ珍しいオールメタル製で(アルマーのシークレット
サービスに似ている)どうやら地元のナイフショップの親父さんが
趣味でつくったのを親類が買ったものらしかった。
後日、ショップに行ったら親父さんニコニコしながら、
ハンドルに自分のイニシャルと俺の名前をリューターで刻んでくれた。
で、帰国してからもずっと大事に持って使っていた。
ある昼休み、それで鉛筆を削っていると、右後頭部に衝撃をくらって
椅子から吹っ飛んだ。背中と尻に追い撃ちで蹴られる感触。
見上げると体育教師「汚穢」がそのナイフを手に取っている。
汚穢「お前、何飛び出しナイフもっとるねん、俺でも刺す気か?」
(まさにこの通りのことを言った)
俺「えっ????」(あまりの突飛な発言に反応できず)
汚穢「没収や」
大事なモノを取られて悔しくて悲しくて3日3晩泣いた、ついでに
学校も休んだが、当時、普通の大人しい中学生だった俺には
どうしようもなかった。
まあ、そうやって諦めようとしていたある日、
汚穢がそのナイフを自慢げに鍵束にキーホルダー代わりに付けて
ベルトからぶら下げているのに気がついた。
生まれて始めて俺は明確な殺意を覚えた。
続く
汚穢は焚き火が好きだった。
体育の授業中でも気が向けば運動場の隅で落ち葉やゴミを
うずたかく積んでは燃やしていた。
まさに馬鹿ほど火遊びが好きな好例だった。
で、燃やすポイントは決まっていた。必ず、その地点で燃やすので
地面に黒焦げが残って年中消えない。
ある日、日がとっぷりと暮れてから
学校の用具倉庫から持ち出したカセットボンベ3本を「その地点」に
浅く埋めた。
数日、何事もなく過ぎた。
数日後、2時限の後の休み時間汚穢が焚き火を始めたのが窓から見えた。
内心、わくわくしながら3時間目の確か数学の授業に突入。
授業も半ばに差し掛かった頃、
「ぼっ、ぼっかーん」と鈍い轟音が校庭に響き渡った。
「ちりんぱりーん」とガラスが割れて落ちる音も。
何事かと窓に駆け寄るクラスの香具師ども。俺も。
そこに見たのは、高さ5mほどの白いキノコ雲と校庭に放射状に
撒き散らされた落ち葉とゴミ。
オカマみたいな横座りでへたり込む汚穢。
消防車や警察もやってきてその後の授業は中止。帰宅となった。
まあ、俺も内心ビクビクしながら帰った訳だが。
しかし、驚いた事に汚穢自身が「きちんとゴミの中身を確かめずに
積み上げて燃やした」と証言した。
汚穢は警察と消防から厳重注意、今後二度と校庭で焚き火はしないと
誓約させられたらしい。
破片が体のあちこちに刺さったらしく、病院へいって手当もされたらしいが
「市ななかった」ので、今ひとつ、俺の復習心も満足しなかった。
それからしばらくして、汚穢の愛車ツティのタイヤの溝が消えかけのツルツル
なのに気付いた。
当時、「その手のクラブの部員」だった漏れは
クラブの備品から針付きの注射器と○ロロ○ォルムを失敬した。
で、再び、日が暮れてから行動開始。
汚穢の愛車の前輪に注射器で○ロロ○ォルムを注入。
数日後の朝、1時間目の体育は自習。朝礼でも汚穢の姿を見なかった。
しばらくして出勤途中の高速道路で汚穢が事故ったとの知らせが入って
校内は騒然となった。
走行中に前輪がバースト。中央分離帯に激突したと翌日の
新聞の地方欄に載っていた。
愛車は全損、汚穢は肋骨と胸骨を骨折、片肺は潰れて摘出したらしい。
この時も汚穢は「前タイヤの磨耗が限界を超えていたがもったいないので
パンクするまでそのまま乗るつもりだった」と証言したらしいというのが
後で噂で伝わってきた。
市にはしなかったのが残念だったが、さすがにこれ以上はヤバイと思い
勘弁してやる事にした。
ちなみにそのナイフ、何年もたってから親類が里帰りに帰国した時に、
「取り上げられて、汚穢が自分で使っていた」と話したら。。。。
いつもは温厚な親類が鬼のように激怒。
翌日、汚穢の転勤先の学校へ行って、校長教頭立ち会いの元で汚穢に謝罪させた上で
取り返してくれた。
見る影もなく傷だらけで汚穢の手垢まみれになっていたが、
灯油で洗って磨いて砥ぎ直してくれた。
わざわざハンズまで行ってアーカンサスの砥石を買って砥ぎ直して
その砥石もくれた。
今も大事に使っている。
長文スマソ。