コピペ図書館~伍~

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347呪術師メッサーラ
いまや500億円の規模に達する小室ビジネスの実態
  '95年の音楽市場を席巻した小室哲哉。
  そして、'96年に入っても、小室の勢いは弱まるどころか、さらにその加速度を増している。globeの400万枚に続き、華原朋美のアルバムも、200万枚を突破した。
  しかし、小室を取り巻くビジネスが規模を拡大するにつれ、その「利権」を求めて小室に近づく人間が増えていくこともまた、事実なのである。
  5月16日、恒例の「長者番付」が発表された。小室哲哉は、納税額2億8590万円、推定所得約5億8000万円と、歌手、タレント両部門のトップをしのぎ、予想どおり堂々の芸能界トップであった。
  が、単純に計算(作詞・作曲およびプロデュース印税から計算)しても、小室の収入は、カラオケの2次使用料などを含めると、印税収入だけでざっと30億8600万円に達する。実際には、ここからアンティノスマネージメントのエージェント料(約15%)などを差し引いた約26億円と考えられるが、それでも推定所得の5億8000万円とは大きな隔たりがある。この差額はいったいどこから来るのか?
  結論から言えば、小室はTKの冠をつけた4つの会社を経営し、結果的にそれが節税対策に結びついているのだ。個人事務所であるTKステイトのほか、TKシークエンス(スタジオ管理)、TKエンターテイメント・サーブ(映像制作)、TKライズ(プロダクション)。その他、いまでは実質的に活動はしていないものの、映画制作のグラデミー、さらに、かつてディスコ行脚のイベントを企画したTKトラックスも小室が参画している会社のひとつだ。
  不動産関係では南青山に100坪(評価額4億円)の土地をTKステイト名義で所有。スタジオ付きのバリの別荘に、約4000坪といわれるロサンゼルスの別荘、フェラーリ3台。今月に入ってからは、スタジオ兼住居としても使用している芝のオフィスビルのワンフロアに、9000万円はするという98チャンネルのミキサーを日本で初めて購入……と、まさに長者ぶりを示す資産内容である。
  しかも小室の収入はこれだけではない。パイオニアLDCと手を組んで、制作だけでなく販売や宣伝にまで権限のある総合プロデュース契約を結んでオルモック・レコーズの売り上げや、小室自身もしばしば登場し契約金だけで6000万円から1億円と言われるCMやイベント・タイアップの売り上げを考えれば、小室を取り巻くビジネスは、もはやひとつの「業界」と言っても過言ではない。
  その規模はCD売り上げとCMをあわせただけで推定で約500億円…。レコード業界の全売り上げが約7000億円ということを考えれば、いかにその帝国が異様に膨張しているかがわかるだろう。
  むしろ本当に見なければいけないのは、個としての小室哲哉の陰で無限大に広がろうとしているこの「小室という名の業界」、あるいは「小室ブランド=帝国」の姿だ。しかもその数字に惑わされずに帝国の内部を凝視すると…。CMでの利権を求めて“小室参り”を繰り返す広告代理店の人間たちに加えて、いつのまにかチラホラと、魑魅魍魎が跋扈する古い体質の「芸能界」の影が見え始めていることもまた確かなのだ。
348呪術師メッサーラ:2001/06/04(月) 11:34 ID:UTmqIdAY
定例の朝会で流した松浦の涙の意味

「……すみません、本当にいろいろなことがあって……。つい思い出しちゃって……」
  3月最初の月曜日。レコード会社エイベックス・ディー・ディーの若き専務、松浦勝人は、社員を前にした定例の朝会で、突然言葉を詰まらせて涙をこぼし始めたという。
  この時期、松浦にとっての懸案は、実は小室に関する仕事の仕切りにあった。今年の正月から2月にかけて、小室帝国はいくつかの事件に激しく揺さぶられていた。水面上に現われたのは、一部新聞に報道された華原の元マネージャーの大麻所持事件、あるいは華原との恋愛関係といった小さなスキャンダルでしかなかった。だがその水面下では、余りに膨張して複数のレコード会社の利害が錯綜してしまった「創作活動」、いくつもの営業窓口ができてしまった「CM、タイアップ活動」、そして各種「マスコミ対策」等が沈滞し、小室のマネジメント業務が頓挫してしまっていた。これはエイベックスにとって非常事態だった。
  そういった苦しい状況の中で、松浦は、結果的に400万枚という史上に残る数字を記録することになるglobeのデビューアルバムを作り上げる作業にも追われていた。
  松浦は、インタビューでこう語った。
「エイベックスの小室さんに対する依存度は確かに高いと思います。年間売上高300億円のうち、邦楽が75%、さらにその中の70%が小室さん関連の売り上げだから、全体では半分以上は小室さんに頼っているということになりますね」
  この言葉通り、エイベックスの8年間の躍進を支えてきたのは小室ブランドであることは間違いない。逆に言えば、小室帝国の最大の基地は松浦率いるエイベックスであり、互いが互いの存在を支え合い、共存しているというのが両者の関係だ。
  その小室のマネジメントが崩壊してしまったら、それはエイベックスの崩壊も意味することになる。松浦がこの問題と真剣に取り組んだことは想像に難くない。
  そもそも'93年から、小室はソニー・ミュージックエンタテイメント系列のアンティノスマネージメントに所属して「ワン・アーティスト、ワン・マネジメント・システム」と呼ばれるシンプルなスタイルを通していた。ところが、あまりの仕事の量とスキャンダル報道への対処の煩雑さからそれが崩壊。1年契約を結んでいたパーソナル・マネージャー菊地政利も離れ(契約更新せず)、新しいスタイルを模索しなければならなくなった。
  だがひとことでマネージャーといっても、小室を担当するとなればただ音楽業界に精通していればいいというものではない。元アンティノスマネージメント代表の丸山茂雄はこう語る。
「最近の小室の活動を見ると、CM関連で代理店との仕事は膨大に多いし、自らTVやCMにも出演する。これだけ露出が多くなれば芸能マスコミ対策もしなくちゃならない。これは当初ウチが考えた仕事の範疇を超えてしまったわけです。ウチのシステムはシンガーソングライターをイメージしたものだったから、いわゆるテレビやマスコミ対策という芸能界的な部分は苦手なんですよ」
  この頃松浦は、丸山と頻繁に打ち合せを重ねていた。丸山はTMN当時からの小室の後見人。松浦は現在の最高のパートナー。ともに小室をカバーし、最高の制作環境を作っていきたいという点は一致していた。だがその具体案をどうするのか。誰かが小室の首に鈴をつけなければならない。
  このときふたりの間から出てきた結論が「松浦がリーダーとなってチーム体制でマネジメントに当たること」だった。エイベックス・グループの音楽出版社、プライム・ディレクションの中に「TKルーム」を新設。生活の多くを小室哲哉の制作活動に捧げることのできる「小回り」の利くスタッフが集められて、新しいマネジメント・システムのスタートが切られることになった。
  しかし同時に、「マスコミ対策」が重要な活動の柱となったTKルームの中に、小室の側近を固める通称「四天王」と呼ばれる「参謀群」が形成され、帝国に流れ込む膨大な情報と金銭、あるいは「利権」をも含んだ小室ブランドの管理が始まった。これまでのメンバーとは異質の「芸能界」の影がちらつき出し、次第に小室の「利権」に手を伸ばし始めていくのである。
  その4人とは、まず松浦、次にTKステイトの専務取締役・道免友彦、ピムコーポレーションという芸能事務所代表の山田衛志、さらにもうひとり、主に華原まわりを担当することになる遠藤正則というメンバーだ。が、遠藤は、プライム・ディレクションと契約を交わしてはいるが、元々の所属は芸能事務所バーニング・プロダクション。それが芸能界の実力者と呼ばれるあの周防郁雄率いる事務所だということは、もはや語るまでもないだろう。
349呪術師メッサーラ:2001/06/04(月) 11:34 ID:UTmqIdAY
小室との出会いとglobeの結成

「ボクは、小室さんとは出会ってから3年くらいになると思います。ラップ担当のマーク(globe)とはもう10年以上のつき合いです。マークを小室さんに紹介したのはボクです。ボクとマークも気が合っていろいろ仕事を始めていたんですが、小室さんもマークを気に入ってくれて、globeが誕生する前にラッパーと女性ヴォーカルというユニットを考えた時に、まずマークをイメージしてくれたようですね」
  山田衛志はインタビューの冒頭、小室やマークとの出会いについてそう語った。
  3月31日に発売となったファースト・アルバムを、受注だけで200万枚売ったグループglobe。その一員であるマーク・パンサーの所属事務所が山田の持つピムコーポレーションだ。山田はさらにオルモックからデビューしたdosとH.A.N.D.というグループが所属するエージーコミュニケーションという事務所も持っている。最近はそのうえに、小室がアマチュア(ときにはプロもまじる)のアーティストをオーディションでデビューさせて売り出すという企画「コムロギャルソン」で人気のテレビ番組、『ASAYAN』(テレ東系)のプロデューサーという顔まである。小室まわりの人間の中でも、最近になって急に力をつけてきた存在と見ていいはずだ。
  つい数年前までは、山田は飲食店の総合プロデュースが仕事だった。小室が昨年まで行っていたシークレット・ライブの会場として使っていた青山のカラオケ・クラブは彼の経営する店だった。この時もマークは小室のステージでDJを務めたりしていたが、マークが表舞台に出るにつれ山田もまた、広い人脈と小室との繋がりを生かしてその仕事の領域を広げ、現在の地位を確保した。が、やがて小室がマークと、400万枚を売り上げ単純計算でも120億円ものビジネスに発展するグループを結成することになろうとは、予想だにしなかっただろう。
  ささいな出会いの中から才能を見出して、それが市場にマッチすると思った時に一気にプッシュする。それが小室のやり方であり、その出会いや潜伏期間に貢献があった人間は徹底的に大切にするというのも、小室のスタイルになっている。
  たとえば、マークとともに彗星のように表舞台に登場してきたglobeのヴォーカリストKEIKOが所属するホワイト・アトラスの社長、千葉龍平もこのパターンだ。かつてディスコ回りの広告代理店のいち営業マンでしかなかった千葉は、TRFデビュー前からの貢献が評価されていまではTRFのマネジメント事務所の社長になっている。もちろんその移籍には前事務所クリエイティブ・マックスとの複雑な事情もあったわけだから、小室と松浦の理解と協力がなければ事務所は持てなかったはずだ。
  その千葉が、KEIKOを発掘したオーディションも仕切り、globeのブレイクの仕掛人のひとりとなっている。
  さらにヤマハ時代、小室の機材の担当だったのが縁で小室がスカウトし、いまでは代理店との交渉窓口になっているTKステイトの道免友彦もまた同様の存在だろう。
  ところがこのパターンに馴染まない人間が、ひとりだけ四天王の一角をしめている。'96年のデビューから華原の担当となったバーニングの遠藤だ。彼だけは、このパターンとは違う出会いの中から小室との絆を深めている。そもそも小室とバーニング・遠藤は、いかにして出会ったのか?
350呪術師メッサーラ:2001/06/04(月) 11:34 ID:UTmqIdAY
バーニングの狙いは出版権の確保?

「うちもとうとうバーニング系になっちゃいましたよ…」
  今年になってエイベックス若手社員が苦笑まじりにこう呟いたことがある。
  バーニングプロダクションとは、現社長の周防郁雄が'71年に設立した芸能プロダクションで、'95年の申告所得は、約3億7000万円(芸能プロダクションの中では13位)。細川たかしの活躍で一気にメジャー事務所の仲間入りを果たし、その後もジャニーズ事務所から移籍した郷ひろみ、小泉今日子、内田有紀などのタレントを送り込んできた。現在では、ライジング・プロダクション、フロム・ファーストプロダクションなど、独立のれん分けや、業務提携などを含め、いわゆる“バーニング系”と呼ばれる事務所が数十社にもおよぶとされ、芸能界に一大勢力を築いている。加えて、マスコミ対策の巧妙さも、多く語られているところであり、このことも同プロが業界内で“一目置かれている”要因でもある。
……なぜエイベックスの中にバーニングの人間が入ってこないといけないのだろう。
  この社員の言葉のニュアンスこそが、まさに「芸能界」に近づきつつある小室帝国のジレンマを語っている。
  あえていえば、小室哲哉という新しいエンタテイメント・シーンを切り開く可能性の極めて高いアーティストと芸能界は似合わない。バーニングのビジネスのやり方は、マスコミへのブッキングや防波堤になることへの報酬として、たとえば華原やdosの出版印税の一定割合を押さえていくものになっている。つまりユーザーが支払ったCDの代金の中から何割かを手にしていくわけだ。言いかえれば、小室帝国の「利権」を求めたバーニングと小室の利害関係が一致したのである。それはいままでもアイドル歌手への曲提供は少しはあったにせよ、いわゆる旧来の芸能界的なあり方には染まっていなかった小室自身のスタイルとは相反するものではにだろうか?
  なぜそうなってしまったのか。
  小室のひとつの誤算は、’95年の6月に遡って考えないといけないようだ。
351呪術師メッサーラ:2001/06/04(月) 11:36 ID:UTmqIdAY
華原のマスコミ対策がバーニングとの接点に

「TKライズを設立して華原を所属にはしましたが、ボクはプロデューサーでありミュージシャンであってプロダクション業務はできないんです。ましてマネジメントのノウハウも持っていない。それに、女性タレントのマネジメントということは、ほとんど彼女にベタにつかないと難しいでしょう。それでお手伝いしていただくところを探していたんです」
  いつものように小室は芝のスタジオで、マネジメント変遷の経過を落ち着いた口調でそう語った。
  ではなぜTKライズというプロダクションを設立したのか。華原のマネージャーが、なぜTKライズの者でなくバーニングの遠藤なのか。聞きたいことは山ほどある。
  だが、事態の根元がひとつの誤算から来ていてなし崩し的に現在の状況を招いてしまったことは、小室の言葉の端々から窺えた。
  小室は言う。
「華原のデビュー('95年9月)に関しては、とにかくフライング気味にスタートしてしまったというのがあります。本来の自分の予定でのリリースタイミングというのは、もっと後だったと思いますから。そのタイミングをコントロールできなくて、デビュー当初はそのズレをどう修正するかという作業ばかりしていました」
  小室が語るフライング=誤算とは華原のデビュー前に出てしまった『FRIDAY』の一件を指している。小室がフジTV関係者の紹介で遠峯ありさと出会ったのが3月中旬。この時期にはすでにパイオニアLDCとオルモック・レーベル成立の契約を交わし、その第一弾として遠峯ありさ改め華原朋美を選ぶことはほぼ決まっていたとはいえ、小室も知らないところで撮影されていたふたりの写真の存在は小室を慌てさせるには十分だった。まだ販売戦略が立っていない。レーベルの発表もされていない。当然楽曲があるわけでもない。ないないづくしの中で、小室の恋人という華原のイメージだけが先行していく。
「その時とっさに考えたのは、イメージが先行してしまったのはしょうがないから、そういう報道の記憶が一般に残っているうちに音楽的な部分をしっかりと出すということでした。1発目のシングルでは前々から結果は出せないと思っていましたから、1ヵ月遅れのセカンドでは楽曲的に絶対の自身があるもの、タイアップ的に可能なものを出さなければいけないと。そこでミナミスポーツが決まったわけです。華原のクライアントに対しては、それ以前に安室が『TRY ME』でタイアップしていて、実績のあるところだったんですよ」
  年間130曲もの楽曲を作るという小室の場合、CMタイアップへのウエイトはかなり高い。むしろ、初めにタイアップありきというケースも多いという。
352呪術師メッサーラ:2001/06/04(月) 11:36 ID:UTmqIdAY
「タイアップ企業が決まって初めて新曲が生まれるという状況も、正直いってあります。これだけ量が多いと、ネタ探しというか曲のモチーフがすごく欲しいんです。そんな時にCMのほうからアイディアが湧くこともあります」
  幸いにして、楽曲は1曲目の『keep yourself alive』から新人アーティストとしては十分過ぎる数字が残った。ところがフライングの余韻が後々まで消えなかったのは、最初の写真誌で決定的になったふたりのスキャンダラスなイメージだった。いつまでも執拗に追ってくる芸能誌。海外レコーディングから帰国するたびに空港で迎え撃つスポーツ新聞。土地を買えば「結婚か」と騒がれ、楽曲ができあがるたびに小室はプライベートな質問に答えなければならなかった。
……マネージャーなんだから、もう少しはマスコミ対策も考えて欲しいな……。
  10月頃、まだ菊地が小室の側近として位置していた頃、菊地に対し、叱責する小室の姿があった。
  だがカッとなった小室も、それを黙って受け止めた菊地も、アンティノスにはそのノウハウがなく、菊地ひとりのマネージャー・システムでは業務が飽和状態であることは百も承知だった。その時ふたりが選んだのは……。キラ星のような所属タレントと系列事務所の数の論理で芸能界を席巻し、巧みなマスコミ操作で知られる周防郁雄=バーニングに相談することだった。菊地自身、ニッポン放送時代に渡辺美奈代のラジオ番組の担当ディレクターとして、バーニングの周防とも面識があり、むしろ親しい間柄だった。さらに、周防の下にいた遠藤は、偶然にもかつて遠峯ありさ時代の華原に目をつけていたこともあって、話はトントン拍子で進んでいった。
  すべての状況を見ている丸山はこう語る。
「華原のようなアイドルにはやっぱりバーニング的なノウハウを持ったマネジメントは必要だと思いますよ。それがロック系のアーティストに対して必要かどうかは、わからないけれど。小室君に関する業務としては、ボクは確かに松浦君と相談して、とにかく飽和状態の小室君の仕事を仕切る最良の方法を探していたんですが、とにかくいまは乱暴に言えば、テレビやCMへの出演依頼がオーバーブッキングなんだから、それを上手に断るために、バーニングさんの力を借りているという感じじゃないかな」
  もっとも遠藤正則という男の経歴を調べると、意外に松浦や小室に近い存在だったことがわかる。いまから3年ほど前、遠藤が小泉今日子を担当していた頃、彼はクラブ系のリミックスや12インチシングルを扱っていた。この頃、すでに松浦とは業界のパーティーで出会い、クラブシーンの話題で盛り上がっている。松浦にしても、クラブノリの小泉今日子の仕掛け人には注目していただけに、その出会いは忘れられないものだったという。また、昨年のTRFの日本レコード大賞受賞には、周防の応援もあったという。小室にしても、以前に小泉今日子に楽曲を提供していたこともあったし、バーニング系列所属の事務所「ライジング・プロ」所属の観月ありさや安室奈美恵へのプロデューズ活動もある。
  つまり現在の芸能界にあって、アイドルタレントと仕事することになったら、バーニングの影を踏まないで前進することは不可能なのだ。
353呪術師メッサーラ:2001/06/04(月) 11:36 ID:UTmqIdAY
菊池マネージャーは何故辞めたのか?

  最初はささいな案件が遠藤に託され、次第に小室帝国の奥歯にその影が伸びるようになり、さまざまなトラブルに直面するたびにその影響力は強くなっていった。
  ところが、皮肉にも、バーニングと小室が急接近するにつれ、逆に小室と菊地の間には距離が生まれ始めた。12月頃には、小室にとっては菊地よりも山田や遠藤ら四天王のほうが、密な関係になっていた。そして3月、菊地は小室のもとを去る。
「単に契約が満了したということだけですよ。まあ、小室の活動の幅が広がり、僕の仕事の許容量を越え始めたということもありますが……」
  菊地はマネージャーを辞めた理由をこう語った。
  いままで自分のことをもっともよく理解していた菊地が、小室のもとを去らねばならなかったことは、小室にとっては誤算であったのか。あるいはバーニングという力強い味方を引き入れるきっかけともなり「不幸中の幸い」だったのか。
  いずれにしてもプロモーションを任せるかわりに、華原の楽曲に対する出版権の50%は、デビューの時からバーニングに流れるようになった。
  オルモックレコーズ・小川義章の説明によると、
「華原、dosに関しては、デビューが決まった時からテレビやCMへのブッキングも含めたプロモーションを、バーニングさんに協力をお願いしているので、当然、出版の代表権も渡しています」
  総額500億円にのぼる小室帝国の利権ビジネス。そしてその利権に食らいついた芸能界の「巨人」バーニング。もちろんその全貌はまだまだ奥深いものがある。だがこうして細部を見てみると、小室ビジネスがひとつの大きな曲がり角にきていることは間違いない。
  小室哲哉はまた日本の芸能界の仕組みに取り込まれてしまうのか。小室帝国があまりに肥大化しすぎたために、逆に身動きが取れなくなってしまうのか。しかし、日本のミュージック・シーンに、フリー・プロデューサーというまったく新しい地位を確立した小室哲哉には、旧来の芸能界が脈々と培ってきた単純な数の論理と根回しの世界に安住してほしくはない。(文中敬称略)