アメリカ映画がクソになった時期を387抜きで特定

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946 (ニューシネマについて 2)
こうした流れをすごく判りやすく表してるものに、「フレンチ・コネクション」
の1と2がある。

最初の「フレンチ・コネクション」はもう典型的なニューシネマ的スタイルで
製作された。低予算、インディ出身の監督主導、あんまり知られてない役者、
ゲリラを含めたオールロケーション撮影、台本は現場でどんどん書き直すし、
スタジオも殆ど現場に口は出さない(出し様が無い)。

そうやって作られた「フレンチ・コネクション」を、今度は完全スタジオ主導の
「フレンチ・コネクション2」が模倣する。
海外ロケと大掛かりなセット撮影、名の売れた役者を看板に使い、練られた脚本を
職人監督が念入りに撮影する。

そうやって作られた「2」が駄作になったかっていうと、全然そんな事は
ないんだよね。きちんと「1」のスタイルを受け付いだ傑作になってる。
監督のジョン・フランケンハイマーがフリードキンの前作に心酔してたって事も
大きいんだけど、これはハリウッドの「スタジオ」がインディペンデントの
技術を吸収して自家薬籠中のものにすることに成功した、って事の証明でもある訳。

スピルバーグ達が登場するのは、そうした舞台が出来上がってからなんだね。
扱える土壌もスタイルも広がって、制約が極端に少なくなった所に登場して、
「自分の撮りたい題材を選びやすくなった」所にやって来たのがスピルバーグや
ルーカス達第9世代の監督達な訳。

スピルバーグ自身はテレビ出身で、ニューシネマ作家達とは全然無縁な所にいる。
「コロンボ」の一話やってた様な人だから。

硬直しかけたハリウッドが一度壊れかけて、新しい血が入って持ち直した丁度
その時にやってきた事は、スピルバーグにとってもハリウッドにとっても運が
良かった事だと思う。

てことで、>86の言う「ターニングポイント」っていうのは、
ハリウッドが「持ち直した」ポイントって事でしかなかったりするのね。

ちなみにこうした事は節目節目で起こってる。
トーキーやカラー化、大スクリーン化、CGI導入みたいな技術革新が起きた時
だったり、戦争による移民大流入や赤狩りみたいな外的要因で変わる事を
余儀なくされたり。
で、その度にハリウッドは貪欲に変化を取り込んで自分のものにしてきた。
異物が入って来た時にそれを拒否しないで、端から受け入れちゃうのね。
(まぁその理由は「なんか流行ってるし売れそうだから」なんだけども。)

そういう貪欲さと、貪欲に吸収した結果を「使いこなせる」だけの
人材を常に抱えておける所が、アメリカ映画界の最大の強みなんだろうね。