シベールの日曜日

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934無責任な1:2009/04/27(月) 15:26:25 ID:tuMW6gUE
ちょっと思うところあり、上げておく
あまり気にしないでくれたまへ
935無名画座@リバイバル上映中:2009/04/27(月) 16:58:57 ID:YVUv15LP
>>934
ん?
936無名画座@リバイバル上映中:2009/04/28(火) 23:24:57 ID:2YIpHx2J
祝 DVD〜
937無名画座@リバイバル上映中:2009/04/29(水) 14:53:10 ID:dPuHj6Mc
>>936
  /\___/\
/ /    ヽ ::: \
| (●), 、(●)、 |    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|  ,,ノ(、_, )ヽ、,,   |  < ま〜た始まった
|   ,;‐=‐ヽ   .:::::|    \_______
\  `ニニ´  .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\
938無名画座@リバイバル上映中:2009/04/29(水) 22:34:24 ID:bmMq7j/S
一種の愛情表現でしょ?
保守代わりと考えれば、可愛いものでは…
939無名画座@リバイバル上映中:2009/04/30(木) 11:38:46 ID:kjSxcdrm
祝 DVD (^O^)
940無名画座@リバイバル上映中:2009/04/30(木) 22:31:14 ID:kjSxcdrm
マジで
941無名画座@リバイバル上映中:2009/05/01(金) 01:04:42 ID:w9aXtSyg
買います!
942無名画座@リバイバル上映中:2009/05/02(土) 13:04:39 ID:RFuqJDaG
ついにか
943無名画座@リバイバル上映中:2009/05/03(日) 06:59:58 ID:JCtcbKXP
買います!
944無名画座@リバイバル上映中:2009/05/03(日) 07:00:29 ID:JCtcbKXP
買います
945無名画座@リバイバル上映中:2009/05/03(日) 07:07:22 ID:rPapRe+i
ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ
946無名画座@リバイバル上映中:2009/05/03(日) 07:13:47 ID:rPapRe+i
どーも(゜ε゜;)
アンパンマンです!
PS3を新しく購入したんですけど、
今まで使っていたアカウントのサインインパスワード等
メモってた紙を紛失してしまってサインインできなくなって
しまいました(゜ε゜;)(泣)
なので新しいアカウント作ったので
再登録お願いします!
すんません(>_<)
947無責任な1:2009/05/04(月) 14:02:09 ID:1eY8CR1E
まあ、いずれにせよ確実なソースで確認がとれてからだな
948無名画座@リバイバル上映中:2009/05/04(月) 18:23:36 ID:qGJDGTG0
これは買いだな
949無名画座@リバイバル上映中:2009/05/04(月) 18:49:15 ID:yiaQ+TbY
カルロス「いや、黙っててくれ。これで儀式が終わるんだ。彼らは宇宙に呪文をか
けたんだ。チベットでの話だ。どうだ、《軍隊》を感ずるだろう…昔、こんな音をきい
たはずだ。何も思い出さんか?」
ピエール「いや、何にも。だが、ぼくは好きだ」

ようやくシナリオを入手したので、気になっていた部分をチェックしてみた。
そのひとつ。カルロスがチベット仏教をピエールに吹き込むシーンは、正確には
このような台詞になっていた。
チベットはインドシナ戦争の舞台ではないし、ピエールがチベット仏教の聲明を
聞いて軍隊を思い出す理由も考えられない。さらに、チベット仏教が呪術を用い
ていたと示唆する話など論外だ。はっきり言って支離滅裂な話である。
恐らくは、監督ないしは原作者の勉強不足が生んだ誤解ではなかろうか。
この支離滅裂な台詞を真に受けると、カルロスは似非インテリ芸術家気どりとい
う新たな解釈も成り立ってしまったりするのだが、そんな無粋なことはやめておく
としましょうw

950無名画座@リバイバル上映中:2009/05/04(月) 20:02:24 ID:yiaQ+TbY
シナリオの掲載された「映画芸術」1963年7月号をめくっていたら、
いやあびっくりしましたね。だって、こんな内容なんですよ!

「天皇映画について―『拝啓天皇陛下様』論―」 鶴見俊輔
「ジョワン・ウッドワード論」 寺山修司
「ティーン・エージャアの夢」 丸谷才一
「残酷礼賛」 栗田勇

そうそうたる顔ぶれ…としか言いようがありません。
そして、実はもっと大きな驚きが、詩人・清岡卓行のシベール論
なのでした。清岡氏といえば、戦後現代詩を代表する詩人ではな
いか。で、その内容は――



もったいなくて書けませんなw
951無名画座@リバイバル上映中:2009/05/04(月) 23:17:24 ID:25gj9GWp
そのオチはないだろ!w
952無責任な1:2009/05/05(火) 12:08:27 ID:Qo3o6nyz
「人間関係のグロテスク」か
清岡の著書には再録されていないのかな

私はそういう方面には詳しくないんだが
953無名画座@リバイバル上映中:2009/05/05(火) 15:12:54 ID:HppWdf/B
「人間関係というグロテスク」清岡卓行(1)

同じ時期に見たというだけの理由で、二つの映画作品を並べて何かを語ることは、
決して好ましいことではない。32歳のフランス人であるセルジュ・ブールギニョンの
「シベールの日曜日」と34歳のイギリス人であるトニー・リチャードソンの「蜜の味」
とこれら二つのフィルムは、主題上ある微妙な共通点をもつもののようにぼくには
思われたのであった。
「シベールの日曜日」を見た日、そのはりつめた切ない美しさのようなものにぼくの
胸は病んだが、その翌日、まるでその反動のように、ぼくはその物語の異常さを恥
じた。
「蜜の味」を見たとき、その寒々としたラストに、ぼくは試写のホールから出て行く
若い女性たちの顔の表情をまともに見る気持がしなかったが、時がたつにつれ、
そこからにじみ出てくる主人公たちの生命力のようなものを感じた。――こんなこと
は、映画を見る習慣の中でごくありふれた体験であろうが、二つの作品の後日にお
ける感銘の方向がたまたま逆なものであったので、いわばそれらの二つが交錯の
スパークをこちら側に残したようである。ここで述べる批評めいた言葉は、そこから
自然に浮かび上がってきた感想に過ぎない。
「シベールの日曜日」では、インドシナ戦線で墜落した飛行士、それ以来記憶喪失
となっている男が登場する。開巻早々その戦場の有様、特に低空でおそいかかる
飛行機に怯える現地の少女の顔がストップ写真など特殊効果によって映し出され
る。これは、物語の伏線となっているわけだが、「かくも長き不在」などにくらべると、
記憶喪失が戦争によるものでなければならないという設定上の強い必然性はない。
これと、男を負傷以来世話して愛している看護婦が、彼を金銭上養っているかどう
か、生活の条件がはっきり出ていないところが気になる。しかし、それ以外ではまこ
とに美しい、時としてきらめく光のようなものを覚える画面の連続である。(続く)
954無名画座@リバイバル上映中:2009/05/05(火) 18:03:38 ID:HppWdf/B
「人間関係というグロテスク」清岡卓行(2)

舞台はパリ郊外の静かな町ヴィル・ダブレーで、池や林や野原の美しい風光を捉える
カメラが優れているが、そこの寄宿学校に父から捨てられるようにしてあずけられた少
女と、主人公の男は親しくする。日曜日ごとに遊んでいる二人の姿を眺めていると、少
女が父の代用物、それも年数がたてば結婚の可能性もある男性を求めているというこ
とは素直に感じられるが、男の方の心はかなり複雑なもののように思われる。強いて一
言でいうならば、それは幼いゆえに純一である生命への憧れでもあろうか。分裂してい
る自己の魂が求めてやまない完全な単純さである。そこに、インドシナの少女のイメー
ジが重ねられてもいるわけであるが、それはすでに動機でしかあるまい。主人公にどの
ような男性的欲望が秘められているのか、世間の人たちはそこに胡散なものを嗅ぎとろ
うとする。
並んでいる二人の姿が池の面にうつす、それはふしぎな生物のようにゆらめく。投げ込
まれた小石の波紋がしばらくそれを消すが、再び現れる影はいっそう濃やかである。し
かし、それは美しいのだろうか、それともグロテスクなのだろうか? 映画表現というもの
はそうした場合まことに恵まれている。見るものに注釈のないイメージを残したままで消
えて行くのだ。このようなことは、少女が男からもらった透明な石で林を眺めるとき、同じ
木立が雲のようなものを纏っていくつも現れる画面にも感じられた。それは夢のように楽
しい! しかしまた、これは異様だ!
男の友人にアヴァンギャルド風の美術工芸をやっている芸術家がいるが、その工房の
画面がまた輝かしい。主人公は大きな鳥籠制作を手伝ったりするが、奇妙な作品やその
断片、それらはたぶん映画の物語の奇妙さに対応しているのである。脇役にこの芸術家
をもってきたことは、原作によるものかどうか知らないが、作品に素敵なふくらみを与えて
いる。もともと、アヴァンギャルド芸術とは深く記憶喪失にかかわるものなのだ。(続く)

955無名画座@リバイバル上映中:2009/05/06(水) 10:03:44 ID:VGIcbqEY
「人間関係というグロテスク」清岡卓行(3)

この映画の頂点は、二人だけの素朴なクリスマスで、少女がはじめて自分の本名を男に教える
ところだろう。小箱に入れられた、シベールと書かれた紙片が男への贈り物なのだ。名前がこん
なに眩惑的に用いられるのを、ぼくは映画ではじめて見たが、このときばかりはいささか興奮し
た。この映画の主題から見て、それ以上に素晴らしい贈り物はないのだ。男の方は、前からねだ
られていた風見の鶏を取ってくるが、そのとき誤解する人間もいる周囲の連絡で警察が彼を捕え
にやってくる。しかも、彼が手にしていたお伽話のための刀を危険視して彼を射殺する。
彼の死体を見て泣きぬれている看護婦や放心している少女を眺めながら、女たちそれぞれのエ
ゴイズムの恰好の対象となった男について、ぼくは特有的に異常なものではなく、むし一般的に
異常なもの、いわば人間関係というもののグロテスクを感じていた。
ブールギニヨンの画面では、そのグロテスクは同時に美しいものであり、ある渾然とした人間的
な味わいをもっていた。そこにこめられた生の充実をこそ彼は描きたかったのであろう。たまた
ま映画の物語は悲劇に結末しているとしても。
「蜜の味」はこれに対して、渋いリアリズムをもっていわばグロテスクを突き放して描いている。
主要な人物たちがドライヴに出かけ、遊戯場で歪曲鏡に自分の姿を映したりするところがあるが、
そのグロテスクな姿を見て観客たちは笑うだろう。「シベールの日曜日」における水面の影が、ど
んなに間のびしても観客たちを笑わせないのとは対照的に。(続く)
956無名画座@リバイバル上映中:2009/05/06(水) 10:07:57 ID:VGIcbqEY
「人間関係というグロテスク」清岡卓行(4)

リチャードソンのタッチは、現実の底辺への微妙な触覚をもっている。ふとした汚い道路
やどぶ川を写すときにも、いかにも人間の現実は承知していますといった調子で、そこ
からつまらぬ飛躍などはやらない頼もしさのようなものが感じられる。浮気な母と気の強
い娘の二人の貧乏暮しの描写からはじまるが、窓からの夜逃げにしろ、落ちついた先の
部屋の裸電球にしろ、神経の行きとどいた、切ればそこらが血が、しかし微かににじんで
くるようなスタイルである。ブールギニヨンのようにきらきらしたものはなく、そのかわり重
層的にくすんだ何かがある。
40歳になって厚化粧する母は金持ちの男の好餌となるが、娘はその男の義眼や素性を
問いただして、男から敬遠される。母はその男と同棲するために娘を捨てて出て行く。娘
はそれまでに、引越しのときに荷物運びを手伝ってくれた黒人水夫と仲良くなっており、
秘かにその子を宿しているが、彼も長い航海に出てしまう。――このへんまでは月並み
な筋書きで、取り立てて言うほどのものはないが、そこからの展開がいささか変っている。
娘は靴屋で働き、一人で住むアパートを見つける。靴を買いに来た客のある青年、それ
をマーレイ・メルビンという俳優が好演するが、彼は娘が誘うままにアパートで一緒に暮
す。きわめて中性的な感じで、娘のせりふを借りれば、「姉のように」生活のこまごました
所まで世話してくれる。――ぼくにはこれが、なんともグロテスクに思われてしかたがな
かった。男として、他の男のたねを宿している女を何の義務もないのに一心に世話する
ということは、先づ異常である。そこに、無償の愛とでも言ったような深刻な雰囲気があ
るわけでもない。すべては穏やかに、ごく日常的な時間の流の中で運ばれて行くのだ。
娘のお腹すでに大きく、彼は産婦人科にまで一人で行って、赤ん坊のモデル人形を借り
て来たりする。娘の方は、黒い赤ん坊が生まれることを怖れて、その人形を投げつけたり
するのであるが。(続く)

957無名画座@リバイバル上映中:2009/05/06(水) 10:13:34 ID:VGIcbqEY
「人間関係というグロテスク」清岡卓行(5)

「蜜の味」とは、こうした平穏な生活を指しているのだろうか? それとも、後日
辛い思いをしなければならない一時の快楽を指しているのだろうか? 原作の
演劇の場合なら、恐らく、気の強い娘と優しい青年の生活がかもしだしている
気分の意味、生活すること自体によっても絶えず変質されて行く愛のようなも
の、いや、愛と呼ぶよりは孤独と孤独の触れ合いとでも呼んだ方が好ましい
ような感情について、言葉を足がかりとする何らかの解明を行うことができる
だろう。
映画を見ていて、はっとのどかな夢から覚めたような気持になるのは、母が
再び現れてからである。彼女ははじめ娘の出産を心配してやってくる。二度
目は金持ちの男と別れてやってくる。そして娘の世話をしている青年を追い
出し、娘が黒い子を生むかもしれないと聞いて、何のためか酒を買いに行く。
映画表現としては、このへんから娘と青年の奇妙な愛がはっきりする。それ
は、失われることによって意識される愛に近いが、その象徴であるかのよう
に、アパートの前で子供たちが奇妙な人形を焼く遊びをする。火が大きく燃
え上り、娘は大きなお腹の苦しい歩き方で、それを見物にやってくる。それ迄、
家から追い出されてその遊びを眺めていた青年は、そっと物かげに隠れる。
彼は立ち去って再び戻らないであろう。母がそこへ酒を買って戻ってくる。こ
のあたりの人物の交錯は、かなり舞台的ではあるが、生の方向を暗示してい
て手がたい。ぼくがグロテスクと呼んできたもの、それを踏みしめて、人間た
ちは生き抜いて行くようである。
ある特殊な人間関係の異様さを描くことは、それほど困難なことではない。
真の困難さは、そうした異様さが決して特殊なものではなく、少なくとも可能
性として、誰にとっても真実であるということを描くことである。「シベールの
日曜日」と「蜜の味」は、この課題を充分に果たしているとは言えないとして
も、かなり見事な達成を示していると思う。(了)
958無名画座@リバイバル上映中:2009/05/06(水) 10:20:43 ID:VGIcbqEY
読んだあなたも書いた私も、お疲れ様でしたw
959無名画座@リバイバル上映中:2009/05/06(水) 19:16:25 ID:hA6kFv6i
略して「シベ曜」
960無名画座@リバイバル上映中:2009/05/06(水) 21:00:56 ID:l2x5GbPZ
この映画論が書かれた1963年の前年62年に、評論家・吉本隆明は「清岡卓行論」を
清岡の詩集の解説に寄せている。そこには、ちょいと意地悪で、しかしこの詩人の身
体性とも呼ぶべき部分に触れた生々しい詩人論が展開されている。
吉本は次のような詩の一節を引用しながら、彼の詩法を論じる。

そのとき、ふと吹き抜けて行った
競馬場の砂のように埃っぽく
見知らぬ犯罪のように生臭い
季節はずれの春。
それともそれは 秋であったか?
風に運ばれながらぼくの心は歌っていた
――もう 愛してしまった と。
(「思い出してはいけない」)

これは、一見韜晦のようで、実は「日常生活の下を歩いて」おり、「自分をただそれだ
けにしてしまおうとする」心の筋肉なのだ、という。要は、「かれは壮大な理念を追うの
ではなく、じぶんのアドレッセンスの純潔の論理を追う」のだ。
この頃、清岡は40歳を過ぎている。「いい年をしたおっさんに向かって、純潔もあるま
い」などと茶化すのは無意味だ。このシベール論は、吉本の評論の結論を、絵に描
いたようになぞっているのだから。
961無責任な1:2009/05/08(金) 12:13:16 ID:kGJ3lmyB
>>960はなかなか鋭いな
まあ、私としては清岡卓行という人物にはさして関心はないが
962無名画座@リバイバル上映中:2009/05/10(日) 13:10:24 ID:2hF8AX0W
>>950
>「ジョワン・ウッドワード論」 寺山修司
これがヒッチコックの裏窓論だったら面白かったのに
963無名画座@リバイバル上映中:2009/05/10(日) 22:00:11 ID:Sa9rtsxS
>>953
>その翌日、まるでその反動のように、ぼくはその物語の異常さを恥じた。

うーむ、申し訳ないが、恥じたのは「物語の異常さ」ではなく、「物語に喚起
された欲望の異常さ」ではないのか。
清岡の解釈は、シベールとピエールの関係を現実的な男女関係として捉
えるところから始まる。ピエールの記憶喪失は捨象され、それに連なる戦
争は関係が希薄とされてしまう。あくまで、問題は「現実の男女関係」なの
だ。これはねらーの純愛派と近いようで、対極の立場である。ピエールの
ことを「サチュロス」と呼んでいた市民と同じなのだ。それでは、グロテスク
にも感じられるでしょうねえ。
ところで、芸術というのは、何も現実の相似物をわざわざ創造するまでも
ないのだから、基本的にありえない事象を描きだして、実はそれが現実の
写し絵だったりするところが、真の価値だと思う。
シベールとピエールの関係を「現実」と捉えた瞬間、これはエロオヤジ物に
堕するしかなかろう。その意味で入口を間違えると、永遠に評価の契機は
見つからない。
この映画から人間の欲望のありように思いを馳せるもよし、欲望とは異なる
美しいシンボリズムを読み取るもよし、ではある。しかし、それは「ありえない
おとぎ話」の関係と捉えるところから始まるしかなかろう。
964無名画座@リバイバル上映中:2009/05/13(水) 20:12:22 ID:rY0IuNaM
詩人のシベール論に続いて、今度は映画監督のシベール論を
聞いてみましょうか。語るのは、あの「大島渚」氏である。大島氏
は、来日したブールギニョン監督と対談した経緯を、実につまら
なそうに語り、オーシマ氏らしさを遺憾なく発揮している、。
ただ、基本的には礼儀正しく接したようで、議論に怒って無意味
に相手を怒鳴りつけたり、靴で殴りつけるなどということは、この
ときはなさらなかったようである。まずは、めでたいw

はじめは、批評文の導入部分。
「『シベールの日曜日』と日本語の題名がついたらしいが、原題
は、『ヴィル・ダヴィレイの日曜日』である。インドシナ戦線?で
飛行士として戦い、原住民の少女を射殺したことから、一種の
記憶喪失症というか、頭がおかしくなった青年ヴィル・ダヴィレイ
の物語である」

ん? 何なんだ、これは??? どーやら大監督、他人の映画
にはあまり関心がないようで、まずは主人公と舞台の名称を取り
違えてしまいます。さすが、大物であるw また、普通なら編集者
が校正するものですが、この評論ではしてないんですな。怖くて
校正できなかったのかもしれません。というわけで、オーシマ氏
の評論で、主人公はずっと「ヴィル」さんになっております。

大監督がブールギニョンと対談するきっかけは何だったのか。
「私はフジテレビの『スター千一夜』の担当のプロデューサー達
が今度(第三回フランス映画祭のため)来日したフランスの映画
人たちのこのブールギニョンという監督はあなたと話が合いそう
だから会ったらどうかとすすめてくれて、会う約束をし、そのため
にその前に映画を観たのだが、観ると全くよく判ってしまって、何
だか会う必要もないと思われる位だったのである」

凄えなあー、人気テレビ番組のプロデューサー様と顔なじみなん
だw 特に会いたいわけでもなかったけど、誘われたから、何とな
くしょうがないかと思って会ってやったんだwww

ちょっといじわるが過ぎるかもしれませんが、この台監督の文章は
小生にはこんなふうに聞こえてしょうがないんですな。
この爆笑編は次回に続く、ということで…乞うご期待w
965無名画座@リバイバル上映中:2009/05/16(土) 11:47:52 ID:cLd/UN7n
えっと、オーシマ大監督の続編ですw

大監督の尊大ぶりは今に始まったことでもないので、茶化すのは
これくらいにしておくとして、実はこの批評でオーシマ氏は、貴重
な情報を提供してくれているのである。

ブールギニョンが来日したのは、1963年のフランス映画祭のため
だった。その3日目に「シベール」が上映され、終了後、監督の挨
拶があった。壇上に立った彼は、「作品については映像と音という
ものが話す言葉よりもはるかに大きな表現力を持っていることを
信じているから何も述べたくない」と語っている。

ところが、である。その後、オーシマ氏と対談したブールギニョン
は、自ら、この映画の二つのテーマに語ったというではないか。
以下、その部分を全文収録しておこう。

「それによると、一つのティーマは、戦争というものが如何に人間
を悲惨のなかにおとしいれるかということ、もう一つのティーマは、
単に周囲の人々と違っているというだけで、そうした人間はいかに
残酷な仕打ちを受けるかということ、この二つについて訴えたかっ
たのだ、ということであった。
私は、それについては映画を観てよく判ったが、どちらかといえば
第二のティーマが主であり、主人公は戦争による記憶喪失者?
でなく、他のものでもよかったのではないか、と尋ねると、彼は、
その通りであると言い、ヴィル・ダヴィレイ(オーシマ氏の脳内では
ピエ−ルのことですw)はたとえばアヴァンギャルドの芸術家でも
よいと言ったが、どうやら、これは本音らしかった。
しかし、戦争の問題は、アルジェリア戦争のこともあり、現に、ヴィ
ルのような人物が存在しよりアクチュアルな問題としてこのテーマ
を理解されるために、どうしてもそれにしたかったのだ、とつけ加え
た」

ブールギニョンのリップサービスとオーシマ氏の我田引水とが交
差するのが、目に浮かぶようではある。恐らくはかなりきわどい
部分を含むこの映画に対し、当然予想される社会道徳的質問が
あった場合、対外的にはこのような二重のテーマ論でかわすことに
していたわけだ。その説明を真に受けるかどうかは別の問題である。
966無名画座@リバイバル上映中:2009/05/18(月) 22:33:26 ID:MWP19QD4
これだけ聞いてしまうと、もうこの作品については何も言うことがなくなり、
あとは、やたらに見事で、私などにはどうして撮ったのか判らぬ部分さえ
あるすばらしい撮影(アンリ・ドカエ)を賞めたりしたが、最後に私は、この
作品を観てあなたは愛というものについて、非常に心優しい人であると思
った、と言った。するとブールギニョンはいささか照れて赤くなったが、す
ぐに喜びに弾んだ口調で「そう言われて私は大変嬉しい。私は、愛する
ことをおそれてはならない、と思う。また、愛することをおそれてはならな
いと言うことをおそれてはならない、と私は思う。」と言った。どうやら、この
あたりに、『シベールの日曜日』とブルーギニョンを解く一つの鍵があった
ような気がした。

オーシマ氏の批評中、オーシマ氏自身の考えらしきものは、この部分しか
ない。例えば、清岡氏が「グロテスク」と呼ぶものについて、それを包摂す
るブ監督の作品は「心優しい」というのである。これは面白い対照だと思う。
ただ、自分の映画作品にはことさらな政治性を持ち込みつづけてうんざり
させたオーシマ監督が、他の監督作品の鑑賞では政治性を捨象してかか
ったのは何故か、やや不思議に思う。
967無名画座@リバイバル上映中:2009/05/19(火) 20:16:42 ID:d/zu4xBn
それにしても『シベールの日曜日』はブールギニョン監督の長編第一作なのだが、
多年アンリ・ドカエの助けを借りたとはいえ、その表現技術の多彩さは驚くべきもの
がある。撮影だけでなく、音や音楽の使い方にも細心の注意がはらわれ、しかもそ
れは日本映画一部作家に見られるような単なる技術的完全主義ではなく、一人の
芸術家の微妙な感受性に貫かれた厳しさと優しさに溢れたものとして彼の言う言葉
にまさる映像と音の世界を形ち造っているのである。
私は多少の嫉妬とひがみを感じ、冒頭に発したこの映画はフランスのどういう観客
層に迎えられたかという私の質問に答えてもらえなかったせいもあって、日本にお
ける映画が企業的ストーリイ主義の枠とそれに対応する観客の映画の受け取り方
の枠に如何に縛られているかをいささか雄弁に語ると、私は、うなずきながら、しか
し世界的にどこでも若い世代はそれとは違う考え方を持っている、映画の未来に変
って行くだろうと、楽観的に答えてくれた。そして、翌日には『飼育』を観て、これを是
非フランスに持って来いと言い、私には遠いと感じられる外国の映画監督と何か話
が通じすぎてつまらないような思い、しかしそれこそ当り前なのだという反省とを残し
て、『シベールの日曜日』が受賞候補となっているアカデミー賞のパーティに出席す
るためアメリカへ飛んで行った。そして、それは外国映画賞を受けた。「受賞を祈っ
ている」と言う私に、「賞を取ることは重要ではない」と答えたブールギニョンであった
けれど。

えと…お終いです。何と言いましょうか。ブールギニョンはまだ、アカデミー監督に
なる以前に対談に臨み、オーシマ氏は普通の監督と対談してたら、原稿を書き終え
る前に相手がどえらい監督になっっちゃった、という感じなのでしょうか。
そうそう、この頃の流行の「アクチュアル」な感覚がとても感じられますねw
968無責任な1:2009/05/20(水) 17:18:14 ID:ssY1jZvN
なんというかな、いかにもオーシマ氏らしい話ではあるな

暇があれば、公開当時の一般紙の映画評なども少し探してみようかな
969無名画座@リバイバル上映中:2009/05/24(日) 10:43:05 ID:hpGbrIAL
セルジュ・ブールギニョン監督のプロフィル

他のところではあまり出ていないようなので、当時の雑誌記事から
簡単に紹介しておきましょう。

ブールギニョン監督は、まだ、ことし32歳の新進。もともと絵画を
愛し、映画の美術面を学ぶために映画高等学院(IDHEC)に入学
したが、やがて映画演出に興味をもつようになった。
在学中、ジャン・ピエール・メルビル監督の指導を受け、50年、卒
業と同時に、同監督の「恐るべき子供たち」の助監督をつとめた。
この映画(「シベール」のことかな?)には、撮影のアンリ・ドカエを
はじめ、このときの若手スタッフが大いに協力している。
ブールギニョンはこののち、9年間にわたる世界各地への旅行に
出発した。まずサハラで科学記録映画をつくり、ついで、ボルネオ
に約1年半滞在、55年から翌年にかけてはヒマラヤのシッキムで
長編記録映画「シッキム」を完成。
このときに「シッキムまたは微笑の言葉」と題する著作を発表、同
時に現地で録音したチベット音楽がディスク大賞を授けられた(こ
のレコードはこの映画の中にも用いられている)。
つづいて中国で「若い家長」、ビルマで「微笑」、マラヤで「影を見
せる者」、シンガポールで「ひとで」、香港で「寄港」などの記録短編
をつくった。
これらはいずれも各地の映画祭で受賞しているが、とくに「微笑」は
60年のカンヌ映画祭でグランプリを授けられた。
このほか、メキシコ、インドにも何度か旅行したことがある。こうした
旅行から自然と人間とのドラマを身をもって学んできた彼がその成
果のすべてを結晶させたのが、この「シベールの日曜日」ということ
ができよう。

あのチベット音楽はブールギニョンが録音したものだったんですね。
ちなみにシッキムはチベットでの権力抗争でダライラマに敗れたチ
ベット仏教の僧侶が建国した小国でしたが、のちにイギリス、次いで
インドに併合されています。
ということは、ブールギニョンはチベットに精通していたと考えられ
カルロスがピエールに語った台詞は、その体験に基づくものだった
のでしょう。残念ながら、その真意はわかりませんが。
970無名画座@リバイバル上映中:2009/05/24(日) 10:51:31 ID:GgtRlKJN
971無名画座@リバイバル上映中:2009/05/24(日) 12:58:00 ID:pzgumHA2
>>970
NHK BS版だろ。
VHSからのコピーじゃなくかったら、ラッキーってとこじゃね?
972無名画座@リバイバル上映中:2009/05/27(水) 19:37:08 ID:xZXwgU3g
あら、ピエール妬いてるの?
973無名画座@リバイバル上映中:2009/05/30(土) 23:56:44 ID:r6/qSFD9
974無名画座@リバイバル上映中:2009/06/02(火) 21:02:16 ID:6CWDhJIV
これは、映画が芸術の高みに登り詰めた稀有の作品だ。
975無名画座@リバイバル上映中:2009/06/03(水) 15:51:17 ID:kqrsy8QX
>>969>>949の訂正の意味も含んでおります。
念のため。
976無名画座@リバイバル上映中:2009/06/07(日) 18:28:47 ID:esQegmWR
原作を国会図書館で検索してみたところ


「見当たりません」


との回答だったorz
977無責任な1:2009/06/08(月) 12:38:42 ID:51h5xV8s
>>976
あちらに行く機会があれば、探してみる

フランスにはこのところご縁がないんだけどね、
お隣のドイツには近々行く機会があるかもしれない
978無名画座@リバイバル上映中:2009/06/22(月) 09:48:49 ID:mQ2xpvwb
パトリシア・ゴッジは今、どこに…
979無名画座@リバイバル上映中:2009/06/23(火) 00:22:42 ID:M9VUpJEI
>>978
たぶん、パリ在住
980無名画座@リバイバル上映中:2009/06/23(火) 17:59:17 ID:IOVNToNf
かもめの城の方が成熟してて良かった。
981無名画座@リバイバル上映中:2009/06/25(木) 19:38:43 ID:yYDsBaeE
このスレの人たちなら気に入ってもらえる作品。
明日放送されますので録画の準備を。
悲しいことにDVDは廃盤です

衛星映画劇場 まぼろしの市街戦 1967年・フランス LE ROI DE COEUR
BS2 6月26日(金) 午後1:00〜午後2:43
982無名画座@リバイバル上映中:2009/06/25(木) 21:17:20 ID:08bDBDu9
↑お〜待ってました。
久々だねえ。絶対観るさ、録画して。
983無名画座@リバイバル上映中
>>982
「シベール」ではないぞ

わかった上での録画なら、よいのだが