[NHK大河] 国盗り物語 [テレビ東京] [転載禁止]©2ch.net
117 :
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第一回 美濃の蝶
応仁の乱以来、下克上の風潮に乗って、日本の各地に実力者が台頭した。
一介の油商人から身を起し、ついに美濃の国主となった斎藤道三。
政略結婚によって、道三の娘、濃姫が嫁いだ尾張の織田信長。
道三から軍略、政治を学び、学才並ぶものなしといわれた明智光秀。
ドラマは新しい統一秩序を求めて歴史に挑戦した三人の武将を中心に、
信長と光秀が、天正十年六月、本能寺で宿命的対決を迎えるまでを
ダイナミックに描く。
原作司馬遼太郎、脚本大野靖子、演出斎藤暁、村上祐二、伊予田静弘。
天文十八年二月、美濃鷺山城から、隣国織田信秀(千秋実)の長男
信長(高橋英樹)に嫁ぐ斎藤道三(平幹二朗)の愛娘濃姫(松坂慶子)の
行列が華やかにくり出した。行列を見送る人々の中に、道三がわが子のように
教育し、自らの後継者と見なす濃姫の従兄明智十兵衛光秀(近藤正臣)の
姿もみえる。本能寺の変からさかのぼること三十三年前である・・・・。
《1973.01.07 朝日新聞朝刊番組欄より》
118 :
コピペ:2015/02/19(木) 01:07:11.64 ID:???
第二回 廃城に立つ
不敵な野望を抱く乞食・松波庄九郎(平幹二朗)が、知略と天才的戦術を
駆使して着々と地を築いていく過程を中心に描く。
《1973.01.14 毎日新聞朝刊番組欄より》
松波庄九郎(平幹二朗)は、かって妙覚寺本山で「知恵第一の法蓮坊」と
うたわれた若者である。ただ一つ欠けているのは氏素性であった。
寺男赤兵衛(山谷初男)とともに、妙覚寺を飛び出した庄九郎に、一つの
幸運が舞い込む。京一番の油問屋奈良屋の荷頭が、盗賊青鳥帽子に切られた。
盗賊を切れば、自分が奈良屋の荷頭になれると、庄九郎はそれを実行する。
《1973.01.14 読売新聞朝刊番組欄より》
119 :
コピペ:2015/02/19(木) 01:10:45.83 ID:???
第三回 有馬狐
有馬温泉を舞台に庄九郎(平幹二朗)とお万阿(池内淳子)が繰広げる
恋模様が見もの。京の油問屋・奈良屋の荷駄隊をひきいた松波庄九郎は
有年備中守(湯浅実)の襲撃を独特の集団戦法で撃退して荏(え)胡麻の
買いつけを無事にすませ「もう護衛はいるまい」と荷駄隊と別れる。
庄九郎に恋したお万阿は荷駄隊が京に帰る日を待ちわびていたが、途中で
庄九郎が姿を消したと聞いて必死で行方を探させる。
永正十五年春、赤兵衛(山谷初男)から庄九郎が有馬の湯で湯治していると
聞いたお万阿は、浮立つ心を胸に有馬に出かけて行った。
《1973.01.21 毎日新聞朝刊番組欄より》
奈良屋の荷駄を率いた庄九郎は、有年備中守の襲撃を独特の戦法で打ち破る。
炎上するとりでをながめていた伊賀の下柘植次郎左衛門(伊藤雄之助)は、
その鮮やかな戦いぶりに「あの男 ひょっとすると天下を取るかも知れぬ」と
つぶやく。《1973.01.21 読売新聞朝刊番組欄より》
天下をめざす手段として、京随一の富と美貌(ぼう)を手中にしようと
はかる庄九郎と、次第に彼に心をひかれてゆくお万阿の、男と女の戦いが
くりひろげられる。《1973.01.21 朝日新聞朝刊番組欄より》
120 :
コピペ:2015/02/19(木) 01:13:18.31 ID:???
第四回 歓喜天
奈良屋の入ムコになった庄九郎(平幹二朗)はその日から油商人に変身、
新しい商法で身代を増やしていった。だが、それは油の専売権を持つ大山崎
八幡宮の神人たちを刺激した。神人頭・宿河原の小えん(谷村昌彦)らは、
行商に出ている庄九郎を襲ったが、逆に彼にたたきのめされる。
《1973.01.28 毎日新聞朝刊番組欄より》
庄九郎は、この機をみごとに利用して新たに山崎屋をおこし、ひそかに
あたためていた野心を実現すべく動き出す。
《1973.01.28 読売新聞朝刊番組欄より》
121 :
コピペ:2015/02/19(木) 01:14:24.19 ID:???
第五回 美濃へ
美濃にはいった庄九郎(平幹二朗)は、京での学僧時代の友人日運上人
(鈴木瑞穂)を常在寺に訪ねる。そのころ土岐頼芸(金田竜之介)は、
鷺山城でうつうつとした日を送っていた。庄九郎は日運上人の手引きで、
美濃の実力者長井利隆(安井昌二)にあい、利隆のはからいで土岐頼芸に
近づく。頼芸は、教養豊かな庄九郎との出会いを無心に喜び、彼を美濃に
引取るため、名家西村家の名跡を継がせる。かくて油売りの山崎屋庄九郎は
西村勘九郎となった。《1973.02.04 朝日新聞朝刊番組欄より》
122 :
コピペ:2015/02/19(木) 01:15:32.18 ID:???
第六回 京の夢
美濃入りの翌年勘九郎(平幹二朗)は鷺山城の頼芸(金田竜之介)に、
しばらく京都へのぼりたいと願いでる。京のお万阿(池内淳子)は突然
帰京した勘九郎におどろき喜びながら、夫の分身としての西村勘九郎の
野心を認めていた。《1973.02.11 毎日新聞朝刊番組欄より》
美濃の名門。西村家の名跡を継いだ西村勘九郎は、美濃と京を往復する。
京で彼を待つお万阿は彼に「わしは二つの人生を生きている。お万阿の
亭主・山崎屋庄九郎と、天下をねらう美濃の西村勘九郎だ」といわれ、
とまどいながらもいつしか西村勘九郎の野心を認めていった。
《1973.02.11 読売新聞朝刊番組欄より》
123 :
コピペ:2015/02/19(木) 01:16:43.26 ID:???
第七回 虎の目
京で勘九郎(平幹二朗)の帰りを待つお万阿(池内淳子)に、美濃から
使いが来る。飛騨の耳次(谷啓)だ。いよいよおれの出番だと喜んだのは、
赤兵衛(山谷初男)である。勘九郎は、彼らを使って、守護職政頼(仲谷昇)
がいる川手城乗っ取りを指示する。鷺山城では頼芸(金田竜之介)が、
勘九郎のヤリに深芳野(三田佳子)を賭(か)けていた。
《1973.02.18 読売新聞朝刊番組欄より》
124 :
コピペ:2015/02/19(木) 01:18:10.62 ID:???
第八回 府城乗っ取り
川手城攻略に打ち込む西村勘九郎(平幹二朗)は、土岐頼芸(金田竜之介)の
使者として敵城に乗り込み、その目で城内を確かめる。そして、頼芸からの
下知状を持って国中の豪族を訪ね歩き、美濃経営の下準備も兼ねて、彼らを
味方に引き入れてゆく。《1973.02.25 読売新聞朝刊番組欄より》
第九回 嵯峨野の恋
大永七年八月、西村勘九郎(平幹二朗)は川手城に美濃守護職土岐政頼
(仲谷昇)を襲い、これを乗っ取る。政頼は越前へ逃げ、弟頼芸(金田
竜之介)は、ついに念願の国主の地位についた。その秋、深芳野(三田
佳子)は男児を出生、吉祥丸と名づけた。
《1973.03.04 読売新聞朝刊番組欄より》
第十回 乞食道三
新九郎 (平幹二朗)は、内親王香子(生田悦子)を連れて美濃へ戻る。
その年、美濃に大洪水がおき頼芸(金田竜之介)から相談を受けた新九郎は、
好機きたると、ことば巧みに城を北方三里の枝広に移すことを進言する。
だが、枝広築城の公表は、新九郎に対する反対派の敵意に火をつけた。
《1973.03.11 読売新聞朝刊番組欄より》
第十一回 美濃の嵐
国盗り半ばで京へ逃げ帰った新九郎 (平幹二朗)は、長井藤左衛門の子
白雲(田村亮)に襲われ、危うく難を逃れる。そこへ、尾張の織田信秀
(千秋実)が美濃へ攻めこんだという知らせが入り、彼の運命を再び
変えた。なお岐阜県の無形文化財「伊自良(いじら)の雨乞い」が登場する。
《1973.03.18 読売新聞朝刊番組欄より》
第十二回 妖怪
美濃土岐家の家老となった道三(平幹二朗)は、稲葉山城の設計に
とりかかるが、その資金を集めるため、楽市楽座(自由商業)を始める。
だが、これによって既成の専売権をおびやかされた「座」は、復しゅうの
手段に出た。《1973.03.25 読売新聞朝刊番組欄より》
第十三回 蝮と虎
道三(平幹二朗)は、頼芸(金田竜之介)の子・小次郎頼秀(亀谷雅彦)の
反乱を機に、深芳野(三田佳子)の子・吉祥丸を立て、頼芸を尾張に追放する。
この日のために彼は、その出生の秘密を知らぬ顔で押し通したのだ。
天文十一年、道三が美濃へ流れてきてから二十一年目で、国盗りは完成する。
《1973.04.01 読売新聞朝刊番組欄より》
第十四回 華燭
道三(平幹二朗)と信秀(千秋実)との果てしない攻防は、信秀に新しい
攻略を考えさせた。「力では美濃は取れぬ」。信秀は、長子信長(高橋英樹)の
嫁に、道三の娘(松坂慶子)をと申し出た。《1973.04.08 読売新聞朝刊番組欄より》
(以下第一回より再掲載)
天文十八年二月、美濃鷺山城から、隣国織田信秀(千秋実)の長男
信長(高橋英樹)に嫁ぐ斎藤道三(平幹二朗)の愛娘濃姫(松坂慶子)の
行列が華やかにくり出した。行列を見送る人々の中に、道三がわが子のように
教育し、自らの後継者と見なす濃姫の従兄明智十兵衛光秀(近藤正臣)の
姿もみえる。本能寺の変からさかのぼること三十三年前である・・・・。
《1973.01.07 朝日新聞朝刊番組欄より》
第十五回 会見
濃姫(松坂慶子)が尾張に嫁いで二年目、美濃、尾張に不幸が起きる。
濃姫の母・小見の方(山本陽子)、信長(高橋英樹)の父・信秀(千秋実)が
相次いで急死したのである。葬儀の席上、信長は、驚く家中の者を背に、
位はいにまっ香を投げつけて去った。《1973.04.15 読売新聞朝刊番組欄より》
史実でもただ一回だけだったという道三(平幹二朗)と信長(高橋英樹)の
同席シーンが登場するほか、戦国史を彩る青春群像のひとり、若き木下藤吉郎
(火野正平)が今回から姿をみせる。
【掲載写真説明文】国境の正徳寺で運命的な対面をする道三(平幹二朗=後ろ
向き)と信長(高橋英樹)《1973.04.15 毎日新聞朝刊番組欄より》
第十六回 暗雲
信長(高橋英樹)に希望を見出した 道三(平幹二朗)は、半生かかって得た
おのれの体験のすべてを伝えようとする。だが、道三から家督を譲られ、
稲葉山城で国主となっている義龍(若林豪)との微妙なくいちがいは、道三の
生涯を悲劇的な方向に狂わす運命をはらんでいた。
《1973.04.22 読売新聞朝刊番組欄より》
第十七回 崩るる日
いいなずけを殺されたお勝(泉晶子)の願いをいれて、斎藤義龍(若林豪)は
かたきを討たせてやったが、折りしも、義竜は、側近から自分が道三の
実子ではないと聞いて衝撃を受ける。《1973.04.29 読売新聞朝刊番組欄より》
義龍(若林豪)は、側近から自分が道三(平幹二朗)の実子でないともらされて
強い衝撃を受け、川手で尼となっている母、深芳野(三田佳子)をたずね、
真実を問いただした。そのとき、彼女の示した激しい動揺は、義龍をひとつの
決意に踏みきらせた。義龍は重病とふれこみ、見舞いにきた道三の二児を殺して
兵をあげる。《1973.04.29 日経新聞朝刊番組欄より》
第十八回 道三逝く
己れの出生の秘密を知った義龍(若林豪)は、道三(平幹二朗)が追放した
父、土岐頼芸の仇(あだ)を討つ名目で兵をあげた。自らの終末を予感した
道三は、娘婿信長(高橋英樹)の援軍申出もことわり、長良川畔で義龍軍との
対戦にはいる。弘治二年四月二十日、戦いは夜明けとともに始まった。
小ぜりあいは道三軍の勝利だったが、一万二千対二千の差では、合戦の天才
道三をしても敗色は時間の問題だった。彼は「美濃一国を譲り渡す」との
信長への遺書を耳次(谷啓)もたせ尾張へ走らせた。また、陣中で明智光安
(光秀の叔父=久米明)に「天下を動かす器は、信長と光秀(近藤正臣)」と
感慨をもらす。ドラマは道三の死で前半のヤマ場を迎え、それに続く若者の
時代の幕開けとなる。
【掲載写真説明文】信長(高橋英樹)は妻濃姫(松坂慶子)に「おまえの父の仇は、
わしが必ず討つ」と約束する《1973.05.06 朝日新聞朝刊番組欄より》
第十九回 出発
美濃を去り天涯の孤客となった 光秀(近藤正臣)は、流亡の将軍足利義輝
(竹脇無我)を擁立して幕府を再興することにより、己の力を天下に示そうと
決意する。一方、弟勘十郎(日吉としやす)の謀反を見破り、尾張をわが手に
した信長(高橋英樹)の前に、今川義元(花柳喜章)が上洛するという
知らせが入る。《1973.05.13 読売新聞朝刊番組欄より》
道三の遺志を継ぎ天下制覇をめざす若き二人の武将、織田信長と明智光秀の、
それぞれの動きを対照的に描く。また、竹脇無我が若き乱世の将軍足利義輝の
役でNHKテレビに初出演する。《1973.05.13 毎日新聞朝刊番組欄より》
第二十回 田楽狭間
永禄三年五月、東海の覇(は)王今川義元(花柳喜章)は、京へのぼり自ら
天下の政治の実権を握るべく、兵二万五千を率いて駿府を進発した。
その軍団が尾張に接近、国境の砦(とりで)を囲んだとの報が清洲の信長
(高橋英樹)のもとに寄せられた。籠城(ろうじょう)論をとなえる
重臣たちの評定を一蹴(しゅう)した信長は、妻濃姫(松坂慶子)の鼓で
ひとり「敦盛」を舞う。彼は藤吉郎(火野正平)からの情報で、義元が馬を
きらい、本隊の行軍も速度が遅くなることを知っていた。
《1973.05.20 朝日新聞朝刊番組欄より》
今川義元(花柳喜章)に率いられた大軍団は、尾張に接近した。戦えば信長
(高橋英樹)の敗北はだれの目にも明らかであった。だが、信長は義元が馬を
きらい、その本隊の行軍も速度が遅くなることを知っていた。そして本隊の
所在をつかんだ信長は、折からの風雨の中を山中のう回路をとって、めざす
田楽狭間を見おろす丘の上に立つ。《1973.05.20 読売新聞朝刊番組欄より》
第二十一回 遥かなる野望
光秀(近藤正臣)の越前一乗谷の生活は、こと志に反し、失意と窮乏の日が
続いていた。一方、尾張の信長(高橋英樹)は、ひそかに京へのぼる。将軍
義輝(竹脇無我)に会うためだが、その途中で立寄った堺で、信長は、海の
彼方に壮大な世界があることを知り、目を洗われる思いをする。
《1973.05.27 読売新聞朝刊番組欄より》
桶狭間で今川勢を破り、東からの脅威をのぞいた尾張の信長(高橋英樹)は、
永禄四年正月、猪子兵助(常田富士男)らを連れひそかに京へのぼる。途中で
立寄った堺で彼は南蛮の品々に魅せられ、海の彼方に壮大な国々のあることを
知った。京で、信長は将軍義輝(竹脇無我)に拝謁(えつ)、側近細川藤孝
(伊吹吾郎)を前に将軍家を擁し天下統一を期す意志を明らかにする。
その年の五月、美濃攻略をねらう信長に幸運が舞いこむ。斎藤義龍(若林豪)が
稲葉山城で急死した。彼は怒とうのように美濃に攻めこんだが、若き美濃の
軍略家竹中半兵衛(米倉斉加年)のさいはいに苦しめられ、かろうじて尾張に
逃げ帰った。《1973.05.27 朝日新聞朝刊番組欄より》
第二十二回 二条館炎上
信長(高橋英樹)は、三河の松平元康(寺尾聡)と同盟を結び、また近江の
淺井長政(杉良太郎)に妹お市(松原智惠子)を嫁がせることにより、京に
上る道を確保しようとはかっていた。一方、光秀(近藤正臣)は、越前に
来襲した加賀一向一揆に見せた武功を機会に、朝倉義景(浜畑賢吉)の客分
として召しかかえられる。《1973.06.03 読売新聞朝刊番組欄より》
信長(高橋英樹)が松平元康(寺尾聡)と同盟を結んだといううわさを聞いた
光秀(近藤正臣)は、敗れても敗れても美濃の地にむしゃぶりついていく
信長の執念に、ひそかに舌を巻くが、ようやく病のいえた彼にも、悲境から
浮かび上がる転機が訪れた。北陸の一向一揆が越前に来襲してきたのだ。
光秀は、弥平次光春(三ツ木清隆)と目ざましい働きを見せる。
《1973.06.03 日経新聞朝刊番組欄より》
松永彈正(永井秀明)の二条館攻撃で、再び窮地に陥る光秀(近藤正臣)の
姿を中心に描く。《1973.06.03 毎日新聞朝刊番組欄より》
第二十三回 修羅の道
将軍義輝(竹脇無我)が二条館で討たれて五ヵ月後、光秀(近藤正臣)と
細川藤孝(伊吹吾郎)は、ひそかに新将軍擁立をはかって動く。後継者は
義輝の弟で奈良一条院門跡の覚慶(伊丹十三)。光秀は、厳重な松永兵の
監視の中から、覚慶を奪還、近江甲賀郷に落ちのびさせる。一方この十年、
美濃攻略に執念を燃やしてきた信長(高橋英樹)は、敵領墨股に出城を
築くことを決意した。《1973.06.10 読売新聞朝刊番組欄より》
「これで世の中が変わる」――光秀(近藤正臣)は、覚慶(伊丹十三)救出に
命をかけた。信長(高橋英樹)が桶狭間に進撃した時も一か八かの正念場
だったろう。光秀は、奈良一条院から覚慶を背負って走りながら、ふとそう
思った。二月堂前で、 細川藤孝(伊吹吾郎)とバトンタッチした光秀は、
追っての松永兵の鉄砲を奪い取り、ただひとり獅子奮迅(ししふんじん)の
働きをみせ、近江甲賀郷への脱出を成功させた。
《1973.06.10 日経新聞朝刊番組欄より》
第二十四回 嵐を衝く
世を捨てた美濃の軍略家竹中半兵衛(米倉斉加年)を味方につけるため、木下
藤吉郎(火野正平)は彼のもとを訪れ、ねばりにねばってついにくどき落とす。
こう着状態にあった美濃・尾張の情勢は急激な変化を見せ始めた。
一方、地元豪族の寝返りでおびえる足利義秋(伊丹十三)は、ついに越前
朝倉家を頼る。《1973.06.17 読売新聞朝刊番組欄より》
将軍後継者足利義秋(後の義昭=伊丹十三)は、地元豪族の裏切りで危機に
立つ。越前からかけつけた光秀(近藤正臣)や細川藤孝(伊吹吾郎)の働きで、
琵琶湖を支配する堅田水軍を味方につけ船ごと北上、若狭を経て越前朝倉家を
頼る。【掲載写真説明文】義秋を守って琵琶湖を乗切る光秀(近藤正臣=右)と
細川藤孝(伊吹吾郎)《1973.06.17 朝日新聞朝刊番組欄より》
足利幕府再興に奔走し、京と越前を往復する明智光秀(近藤正臣)は、
朝倉義景(浜畑賢吉)をはじめ重臣を動かすことが、しょせんむなしい
努力であることを痛感した。《1973.06.17 毎日新聞朝刊番組欄より》
第二十五回 信長と光秀
のちに本能寺で宿命的な対決をする信長(高橋英樹)と光秀(近藤正臣)の
劇的な対面を、濃姫(松坂慶子)に再会した光秀の心情をからませながら
描く。《1973.06.24 毎日新聞朝刊番組欄より》
永禄十年、信長(高橋英樹)は風雨をついて美濃に攻めこむ。竹中半兵衛
(米倉斉加年)から間道を聞き出した藤吉郎(火野正平)の決死的な活躍で、
二十年間不落を誇った稲葉山城はついに落ちた。光秀(近藤正臣)は、義秋
(伊丹十三)の推挙を受けて尾張に行く。彼は、己の夢を果たすため、最も
避けていた男、信長に仕えようというのだ。
《1973.06.24 読売新聞朝刊番組欄より》
第二十六回 上洛
永禄十一年春、信長の妹お市(松原智惠子)は、北近江の淺井長政(杉良太郎)
のもとへ嫁ぐ。越前から迎えた足利義昭(伊丹十三)を奉じた信長は、淺井軍と
共に西上を開始、ついに京に入る。その先ぽうとなって一番乗りをしたのは
光秀(近藤正臣)であった。
祝賀に集まった人々の中に出家したお万阿(池内淳子)の姿があった。
《1973.07.01 読売新聞朝刊番組欄より》
第二十七回 陰謀将軍
事あるごとに信長(高橋英樹)と張りあおうとする義昭(伊丹十三)を中心に
将軍家と織田家の間に立って両者を立てようと苦悩する光秀(近藤正臣)の
姿を描く。今回から伊賀の女忍者・木さるの役で小鹿ミキが登場する。
《1973.07.08 毎日新聞朝刊番組欄より》
京へ上り三好党を追った信長(高橋英樹)は、みずから総奉行となって新将軍
足利義昭(伊丹十三)の館造りに熱中する。信長の威光を天下にひろめ、
人心を鎮めるためには、雄大華麗な将軍の館が必要であった。京の人々は、
久しぶりの太平に酔う。岐阜に帰るに当たって信長は木下藤吉郎(火野正平)を
京都守護職に任じた。これは"自分こそ守護職"と思っていた光秀(近藤正臣)は
もとより、光秀を信頼していた義昭にとって衝撃だった。今回から伊賀の
女忍者木さる(小鹿ミキ)が登場、越前朝倉の諜(ちょう)者として暗躍する。
《1973.07.08 朝日新聞朝刊番組欄より》
第二十八回 孫市見参
元亀元年春、岐阜城下に、日本一の旗をかつがせたひとりの男があらわれた。
当時、三千丁の鉄砲をもつ戦国切っての鉄砲集団、雑賀党の若き頭目・孫市
(林隆三)である。孫市に興味をいだいた寧々(太地喜和子)は巫女(みこ)に
化けて近づき、首尾よく目的を聞き出す。そのころ、京の 光秀(近藤正臣)は、
義昭(伊丹十三)から信長への謀反をもらされてがく然とする。
《1973.07.15 読売新聞朝刊番組欄より》
第二十八回 孫市見参・補記
元亀元年(一五七〇)の春、岐阜城下に紀州の鉄砲集団・雑賀党の頭目、雑賀
孫市(林隆三)が現われた。このうわさを耳にした信長(高橋英樹)は藤吉郎
(火野正平)に孫市を味方につけるように命じる。藤吉郎は、孫市が京で見か
けたという女を織田家の姫といつわり、その姫を与えるといって孫市をくどく。
将軍義昭(伊丹十三)が再び反信長の動きを見せ始めたいま、信長にとって
雑賀党の鉄砲がどうしても必要だった。
京では、義昭が反信長の諸大名をうしろだてに幕府を開き、信長を倒そうと企て
ていたが、守護職にある光秀(近藤正臣)は義昭を見限り、光春(三ツ木清隆)
を岐阜に走らせて陰謀の事実を知らせる。こうして光秀は多年の夢をみずから
消し去った。《グラフNHK1973年7/15号より》
第二十九回 越前攻め
越前の朝倉氏を攻めた信長(高橋英樹)が、淺井長政(杉良太郎)の裏切りで
戦いを放棄する姿を中心に描く。元亀元年春、信長は雪どけを待って越前の
朝倉氏を討つために大軍を近江に集めた。名目は京の将軍館落成祝いと遊楽
である。《1973.07.22 毎日新聞朝刊番組欄より》
元亀元年春、織田信長(高橋英樹)は雪どけを待って越前朝倉氏を討つため
大軍を近江に集めた。徳川家康(寺尾聡)も五千の兵をひきいて参加した。
かって朝倉家につかえたことがある明智光秀(近藤正臣)の知略と雑賀孫市
(林隆三)の働きがめざましく、信長軍は異常な速さで越前へ攻め入った。
《1973.07.22 朝日新聞朝刊番組欄より》
(・・・朝日と重複する部分略・・・)
信長の胸中には、妹お市(松原智惠子)を通じて手を結んだ淺井長政
(杉良太郎)が、事が起これば織田との同盟を守り、淺井家を押さえて
くれるという計算があった。だが、読みははずれる。
《1973.07.22 読売新聞朝刊番組欄より》
信長(高橋英樹)の越前奇襲を懸念する淺井長政(杉良太郎)の苦悩は
大きかった。彼は信長に反感を抱く家中の動きを心配する妻お市(松原
智惠子)をいたわりながら、ひそかに信長の友情を信じようとする。
だが、信長軍は異様な速さで越前領に侵入し、手筒山城、金ヶ崎城を下した。
そして朝倉苦戦の報を知った淺井家中の怒りは大きかった。
《1973.07.22 日経新聞朝刊番組欄より》
第三十回 幻の姫
具足は破れ、物ごいの姿のようになった一団の武者が京の街を行く。朝倉勢の
追撃を振り切って越前から奇跡的に生還した藤吉郎(火野正平)、光秀(近藤
正臣)、家康(寺尾聡)、孫市(林隆三)らである。
一方、織田家の姫を欲しいという孫市の要求はいよいよ強い。藤吉郎は、
尾張の神官の娘小えん(左時枝)を京に呼び、茶をさせるなどして加乃姫に
仕立てあげ、孫市抱きこみの計画をすすめた。だが"あすはいよいよ念願の
姫に"と心底から喜んでいる孫市の顔を見ると気が重い。
【掲載写真説明文】雑賀孫市(林隆三)は思いをかけた加乃姫(=実は小えん
=左時枝)と対面したが・・・・。《1973.07.29 朝日新聞朝刊番組欄より》
第三十回 幻の姫・補記
藤吉郎らの働きで織田軍は壊滅の危機から脱し、無事京にたどりついた。この
戦いで活躍した孫市のために、藤吉郎はかねて約束の姫を与えなければならな
かった。藤吉郎はさっそく織田家の加乃姫に仕立てた娘・小えん(左時枝)を
孫市に近づけたが、たちまちニセ者と感づかれ、怒った孫市は、紀州に引き
上げてしまった。
それからまもなく、信長は軍の立て直しのため、京から岐阜に向かったが、
伊賀者・葛籠重蔵(露口茂)に雇われた根来者の鉄砲にさらされるなど命
からがら撤退した。一方、紀州では一向宗の嵐が吹き荒れ、雑賀衆も次々と
本願寺の門徒に加わっていった。《グラフNHK1973年7/15号より》
第三十一回 鉄砲守護神
各地に吹き荒れる一向一揆(いっき)に手を焼く信長は(高橋英樹)は、その
総本山。摂津石山本願寺に立ち退きを迫り、信長と本願寺との合戦はもはや
時間の問題にみえた。《1973.08.05 読売新聞朝刊番組欄より》
紀州に帰った雑賀孫市(林隆三)は念仏講の席で、長年捜し求めていた姫が
紀大納言の息女萩姫(本阿弥周子)と知った。嫁にもらおうと姫をくどいた
茶室で姫から「信長を討つため、本願寺の侍大将を引き受けて」と切り出されて
驚く。自由闊達(かったつ)に生きようと願う孫市は、己れの信条を守るため、
恋をあきらめて堺に行く。《1973.08.05 朝日新聞朝刊番組欄より》
鉄砲鍛治の娘・小みちと運命的な出会いをする孫市(林隆三)の姿を中心に
描く。田島令子=写真=が小みち役で初登場する。
《1973.08.05 毎日新聞朝刊番組欄より》
第三十一回 鉄砲守護神・補記
各地に一向宗の反乱が激しさを加えてきたころ、機をうかがっていた信長は
一向宗総本山・石山本願寺に立ち退きを命じ壊滅を策す。一方、本願寺では
信長に対抗するため孫市を侍大将に迎え、勢力を固めようと雑賀領内にある
性応寺の僧・信照(萩島真一)らが動き出していた。
こうしたさなか、孫市は清水寺で見そめた姫を性応寺で見つける。この姫は
紀大納言の娘・萩姫(本阿弥周子)とわかるが、萩姫はすでに信照と恋仲
だった。ある日、孫市は信照を通じて萩姫と対面するが、萩姫から本願寺の
侍大将を引き受けてくれるよう嘆願されるばかりで、孫市の恋は一向進展
しなかった。
それからまもなく、孫市は鉄砲あさりのため堺へ出たが、鉄砲・火薬の売買を
押さえようと堺へ来ていた藤吉郎(火野正平)と、ばったり出くわす。
久しぶりに藤吉郎と酒を飲んだ孫市は泥酔し、小みち(田島令子)という
見知らぬ娘に介抱される。
翌朝、目をさました孫市はそこが鉄砲鍛治の名人・芝村仙斉(佐々木孝丸)の
家と知って驚く。仙斉は「愛山護法」と金で刻字された銃を孫市にみせ信長打倒
の悲願を明かし、本願寺門徒であることを告げる。その折り、孫市は小みちが
仙斉の子ではなく、鉄砲伝来の祖・種子島時尭の弟・時次の子であることを
知る。鉄砲に命をかける孫市は種子島の血を引く小みちを守護神のように思い、
この美しい娘にひかれていく。《グラフNHK1973年8/1号より》
第三十二回 巨大なる城
雑賀三千丁の鉄砲をひきいる雑賀孫市(林隆三)は、堺で出会った小みち
(田島令子)の説得で、ついに本願寺の侍大将を引き受ける。孫市が
本願寺側についたという情報は、たちまち全国に伝わった。
越前から敗退後二ヶ月、三万の兵をひきいた信長(高橋英樹)は、準備万端
整えて近江に攻めこんだ。家康(寺尾聡)の奇跡的な働きで、信長はこの
姉川の合戦に大勝利をおさめ、さらに一歩、天下制覇の道を進める。
《1973.08.12 読売新聞朝刊番組欄より》
総攻撃をあすにひかえた軍議で、信長(高橋英樹)は三河衆をひきいる若き
家康(寺尾聡)の心理を巧みにつかんで先陣を志願させ、光秀(近藤正臣)や
藤吉郎(火野正平)をうならせる。元亀元年六月、大河をはさんで後に姉川の
合戦と呼ばれる戦闘が始まった。この戦いで信長勢は総くずれにみえたが、
家康の決死的な働きで戦況を逆転、姉川は無数の将兵の血で染まる。
《1973.08.12 日経新聞朝刊番組欄より》
第三十二回 巨大なる城・補記
仙斉(佐々木孝丸)に「愛山護法」の試し撃ちをすすめられ、小みちと信太の里
にとどまっていた孫市は、ある日、小みちから「愛山護法」の刻字は信長打倒を
めざす門徒衆の合言葉だと聞かされ、小みちの切ない願いを入れて、本願寺侍
大将の役を引き受ける。
元亀元年(一五七〇)六月、信長は近江の淺井に攻撃をかけ、京への道を確保
しようとするが小谷城で苦戦してしまう。そこへ越前朝倉軍一万が浅居の援軍
にかけつけ、あすにでも姉川を渡り、織田勢を攻める形勢になった。その夜、
信長は陣営で横山城の攻めを丹羽長秀(北村晃一)に、三河からかけつけた
家康(寺尾聡)を朝倉勢への先陣に決めた。合戦がはじまり、淺井・朝倉勢は
優勢に戦いを進め、信長は苦境に立たされた。それを救ったのが家康だった。
機敏に朝倉勢の側面を突いて勝機をつかみ戦況を逆転させた。
合戦に勝った信長は、小谷城攻略はやめ、すぐ京へのぼった。そして将軍義昭
(伊丹十三)に拝謁し、京都代官を光秀(近藤正臣)に命じて、岐阜へ帰城
した。京を預かった光秀は信長の要請に従い、義昭に反信長勢の追討を承諾
させる。そのころ、孫市を味方に引き入れた本願寺は打倒信長の旗をかかげ、
挙兵を企てていた。《グラフNHK1973年8/1号より》
第三十三回 四面楚歌
兵三万を率いて京へ上った信長(高橋英樹)が、雑賀孫市(林隆三)指揮の
本願寺勢を相手にてこずる間に、淺井、朝倉勢が近江でほう起、叡山に立て
こもる。これと対陣する信長勢は、叡山山ろくにクギ付け。
《1973.08.19 朝日新聞朝刊番組欄より》
元亀元年八月、摂津・石山本願寺が信長(高橋英樹)に反旗を翻した。信長は
さっそく光秀(近藤正臣)に命じ、反織田勢を背後で操る将軍・義昭(伊丹
十三)に本願寺討伐の陣頭に立つことを迫った。光秀の強要に従い、義昭は
藤孝(伊吹吾郎)の守る中ノ島城に入った。
一方、本願寺では、孫市(林隆三)に戦略のすべてを任せ、信長の勢力に
立ち向かった。信長は続々と兵を繰り出すが、そのたびに孫市にたたかれ、
信長自身も危ない目にあい、予想以上の苦戦となった。ちょうどそのころ、
本願寺に呼応して、淺井、朝倉軍がほう起し、信長の留守をついて宇佐山城を
攻め落としたが、信長は攻め返し淺井・朝倉軍を叡山に包囲した。しかし、
叡山の籠城は淺井・朝倉の策謀だった。こうして信長は叡山を包囲したものの、
四方を淺井・朝倉・三好・本願寺、それに甲斐の武田という大敵に囲まれ、
動けぬ状態となった。《グラフNHK1973年8/15号より》
第三十四回 叡山焼打ち
元亀元年十二月、没落がだれの目にも明らかだった信長(高橋英樹)は、天候を
戦略化することにより辛うじて危機を脱する。翌年再び伊勢長島の一揆(いっき)
討伐に動き出した織田軍は、紀州からかけつけた雑賀孫市(林隆三)と、信長
勢力の拡大を恐れる伊賀の葛籠重蔵(露口茂)らの力を借りた本願寺派のゲリラ
戦法の前に、手痛い敗北をこうむる。そしてその年の秋、信長は果断すぎる性格を
もって、過去の歴史への挑戦を試みた。《1973.08.26 読売新聞朝刊番組欄より》
信長(高橋英樹)が叡山を囲んで三ヶ月、戦局はこう着状態。その間に反織田
同盟の力は伸びてゆく。やがて信長が待っていた雪が降り出した。信長は光秀
(近藤正臣)に秘策を与え京へ行かせる。光秀は将軍義昭(伊丹十三)に会い
「叡山の朝倉勢は雪のため本国からの補給路を断たれて自滅は必定」と説く。
驚いた義昭が仲介に乗り出し、和ぼくは成立した。信長の策に簡単に乗って
くる義昭に、光秀は「とても信長を倒せるお方ではない」と複雑な目の色となる。
岐阜に戻った信長は、近江、京の騒乱の根を断つため、叡山をなんとしても
おとさねばならぬと思う。そして翌年秋、史上に名高い叡山延暦寺の焼き打ちが
始まった。
【掲載写真説明文】焼き打ちを止めようとした光秀(近藤正臣=左)は、信長
(高橋英樹)と口論になる。《1973.08.26 朝日新聞朝刊番組欄より》
紀州に帰った雑賀孫市(林隆三)は信長(高橋英樹)の伊勢長島攻めを知らされ、
伊賀一族から派遣された葛籠重蔵(露口茂)と前後して願証寺城に入る。
一向一揆(き)の百姓たちとの合戦は織田軍にとって泥沼に入ったようなもの
だった。そして九月、延暦寺焼き討ちの命を受けた光秀(近藤正臣)は、「正気の
さたではない」と信長と口論、泥田の中に転がされる。
《1973.08.26 日経新聞朝刊番組欄より》
第三十五回 信玄動く
信長(高橋英樹)は叡山焼き打ちをめぐっていさかいをした光秀(近藤正臣)に、
近江十万石の領地を与えるとともに坂本に築城を命じ家臣を驚かす。抜てきに
こたえた光秀は琵琶湖の地形を生かしながら城づくりに専心、岐阜からお槙
(中野良子)ら妻子を迎えて久しぶりにくつろいだ一時をもつ。
《1973.09.02 朝日新聞朝刊番組欄より》
(・・・朝日と重複する部分略・・・)
だが、事あるごとに起こる二人の微妙な食い違いは、信長の光秀を見る目を
次第に変えていった。《1973.09.02 読売新聞朝刊番組欄より》
元亀三年秋、甲斐の武田信玄(大友柳太朗)がいよいよ上洛(らく)を開始、
織田家は最大の危機を迎えた。三河三方ケ原で決戦をいどんだ信長の同盟者
徳川勢は、甲州軍団の精鋭に一蹴(しゅう)され、かろうじて逃げのびた。
《1973.09.02 朝日新聞朝刊番組欄より》
第三十六回 信長を討て
家康(寺尾聡)を三方ケ原で一蹴(しゅう)した信玄(大友柳太朗)は駿河に兵を
止めたまま年を越し、不気味に動く気配を見せない。織田方、反織田方の中で
さまざまな憶測が生まれ、信玄病気といううわさも出始める。
やがて信長(高橋英樹)は、信長討滅の策謀に狂奔する将軍義昭(伊丹十三)を
討つ決意をかためた。《1973.09.09 朝日新聞朝刊番組欄より》
家康(寺尾聡)を三方ケ原で破った信玄(大友柳太朗)は、駿河に兵を止めた
まま年を越し、不気味に動く気配を見せない。「わしを北と南からはさみ討ち
するため、朝倉が兵を動かす時期を待っているのだ」と推理する信長(高橋英樹)
に、竹中半兵衛(米倉斉加年)は「戦略的におかしい」と調査を進言する。
暗躍する間者の中に甲賀忍者・小萩(佐藤友美)の姿もあった。
《1973.09.09 日経新聞朝刊番組欄より》
徳川軍の野田城を水源攻めで落とした武田軍は、その勢いで西上するかと
思われたが、信玄は義昭らの期待を裏切って陣を長篠へ戻した。
この信玄の動静をめぐって織田方に雇われた甲賀者・小萩(佐藤友美)と、
依然として信長をねらう伊賀者・重蔵(露口茂)、木さる(小鹿ミキ)らの
動きも活発となってきた。《グラフNHK1973年9/1号より》
第三十七回 将軍追放
信長(高橋英樹)は、公然と反旗をひるがえした義昭(伊丹十三)方の兵が
たてこもる近江石山、堅田の城攻めを光秀(近藤正臣)に命じた。
光秀は古い主君に対するためらいもみせずめざましい働きをして信長を
驚かせた。だが、沈痛な彼の胸中を、お槙(中野良子)だけは理解した。
《1973.09.16 毎日新聞朝刊番組欄より》
第三十八回 小谷落城
天正元年、将軍義昭を追い、越前で宿敵朝倉義景を滅ぼした信長(高橋英樹)は、
さらに軍をめぐらし、淺井久政(郡司良)、長政(杉良太郎)を小谷城に
囲んだ。この四年、固い結束で戦い抜いてきた淺井側も、「城を明け渡せば、
大和一国を与える」との信長の申し入れに大きく動揺し、これを押さえるため、
長政は死に装束でみずからの葬儀を行い、城中に覚悟を示す。
《1973.09.23 読売新聞朝刊番組欄より》
第三十九回 長篠合戦
朝廷から参議に任ぜられた信長(高橋英樹)は、天子の名によって天下統一を
進める名目を得た。彼は事あるごとに光秀(近藤正臣)と秀吉(火野正平)を
ライバルとしてかみ合わせ、丹波、中国への攻略に乗り出そうとしていた。
《1973.09.30 毎日新聞朝刊番組欄より》
天正二年春、織田信長(高橋英樹)打倒を目ざす勢力は、東に武田勝頼(石山律)、
西に中国の毛利と同盟する石山本願寺、南北には本願寺とつながる農民集団、
一向一揆 (き)があった。今回は光秀(近藤正臣)、秀吉(火野正平)という
二人の武将をライバルとしてかみ合わせて丹波、中国方面の攻略に乗り出そう
とする信長の戦略や、信長の河内進出、次いで勝頼と長篠で戦い、勝利を
おさめるまでを描く。《1973.09.30 朝日新聞朝刊番組欄より》
第四十回 安土へ
天正三年夏の盛り、 光秀(近藤正臣)が着々と丹波を攻めているころ、藤吉郎
(火野正平)は、中国攻略の手がかりもつかめずにあせっていた。そんなある日、
妻の寧々(太地喜和子)と長浜城に移った藤吉郎は、諸国から集めた十人もの
婦女子を城に連れ込んで寧々のしっとを買った。藤吉郎の女道楽にたまりかねた
寧々は、藤吉郎を戒めてもらおうと信長(高橋英樹)のもとへ出かけた。
ところが、信長は夫婦両成敗の手紙を藤吉郎に書く。寧々が持ち帰った手紙を
みた藤吉郎はびっくりし、まもなく二人は仲を取り戻す。
その年の夏、播磨攻略をすすめる藤吉郎を訪ねて、小寺家家老・黒田官兵衛
(江守徹)が長浜城下に現われる。織田と毛利にはさまれた播磨では小寺家が
実権を握っていた。藤吉郎と会見した官兵衛は、藤吉郎の人柄にほれ、織田家に
つくことを約束する。こうして播磨が織田家につくも同然となり、中国攻略に
見通しが立ったころ、信長は、丹羽長秀(北村晃一)に安土へ築城を命じた。
翌年春、信長は完成途上の安土城へ移った。そこへ光秀が病に倒れたとの知らせが
届く。心配した信長はさっそく家臣に光秀を見舞わせ、数々の品を送る。
まもなく光秀は、妻・お槙(中野良子)の必死の看病で死地を脱した。
天正四年の終り、信長は依然として敵対し、本願寺を後押しする孫市(林隆三)ら
雑賀党一派を討伐しようと各地の配下に命じる。《グラフNHK1973年10/1号より》
第四十一回 雑賀川の決戦
信長(高橋英樹)が孫市(林隆三)ら雑賀党討伐にやっきになっていたころ、
越後の武将・上杉謙信がにわかに上洛の動きをみせた。翌年、信長は七隻の
鉄張船を造り、毛利の水軍に対抗していたが、謙信の動きを懸念して、何と
してもここで孫市と決着をつけようとした。この信長に対し、鉄張船と戦う
不利をさとった孫市は、地上戦にもっていこうとして戦略を練っていた。
二月、ついに信長は十万の兵を河内、和泉に集め、雑賀党を攻める構えを
みせたが、海上には雑賀党の援軍・毛利勢三万が待機し、信長の背後を
囲んでいた。数日後、雑賀党の鉄砲隊と織田軍の決戦が始まった。戦術に
巧みな孫市は、雑賀川の底につぼやおけを沈め、押し寄せる織田軍の足を
奪った。こうしてさしもの織田軍も鉄砲隊のねらい撃ちに総崩れとなり後退
した。しかし、孫市は、後退する織田軍を追撃する途中、藤吉郎(火野正平)
の鉄砲隊に撃たれ足を負傷する。
この戦いで強大な織田軍を相手に一歩も譲らなかった孫市は、"尻啖え孫市"と
その名を全国にとどろかせた。《グラフNHK1973年10/1号より》
第四十二回 生か死か
信長(高橋英樹)が若いころから夢にうなされるほど恐れていたのが甲斐の
武田と越後の上杉である。その上杉が天正五年、雪解けとともに上洛(らく)の
動きをみせた。北陸の柴田勝家(宍戸錠)から援軍要請を受けた信長は、
藤吉郎(火野正平)の進言をきかず出兵を命じた。恐怖が信長の判断を
狂わせたのである。当時、織田軍の主だった武将は各地の戦線に散り、信長の
いる安土はから同然の状態だった。この形勢をみた藤吉郎は、独断で帰国、
長浜にこもった。万一に備え、おのれの兵だけでも信長の近くに置こうと
したのである。彼の軍令違反の行動は信長のきびしい怒りをかうが・・・。
《1973.10.21 朝日新聞朝刊番組欄より》
越後の上杉勢に大敗したうえ、松永彈正(永井秀明)謀反の知らせを受ける
信長(高橋英樹)の姿を描く。《1973.10.21 毎日新聞朝刊番組欄より》
第四十三回 波紋
天正五年冬、足かけ八年にもなる信長(高橋英樹)の石山本願寺攻めの陣中で
一つの事件が起こった。織田方の武将・荒木村重(新田昌玄)の家臣が、
敵方に兵糧米を売りつける現場をみつけられたのだ。しかし、信長は村重
事件を歯牙にもかけていなかった。翌年春、北陸から伝わった謙信急死の報は
信長に、つきにつく自分の天運と力を確信させた。
《1973.10.21 日経新聞朝刊番組欄より》
しかし、信長は謙信の死に心をゆるめていられなかった。毛利が播磨の奪回を
はかってきたからだ。信長は、毛利に攻められるままに、尼子勝久の上月城を
あっさり見捨てた。この上月城の話を聞いた村重は動揺し、信長を恐れはじめた。
そして謀反など考えていなかった村重は、伊賀者・葛籠重蔵(露口茂)の誘いに
のり、あっけなく毛利方へ寝返った。《グラフNHK1973年10/15号より》
第四十四回 村重謀叛
荒木村重(新田昌玄)の、信長(高橋英樹)に対する謀叛が明らかになった。
村重は光秀(近藤正臣)が巻ぞえになることを恐れ息子の嫁お静(北川美佳)
を離別させて光秀の坂本城にかえした。そのころ、中国攻めの総大将秀吉
(火野正平)の陣にいた黒田官兵衛(江守徹)は村重の説得に行き、逆に
地下牢(ろう)へ閉じこめられる。
【掲載写真説明文】無残な姿で救い出され信長に対面する黒田官兵衛(江守徹)
《1973.11.04 朝日新聞朝刊番組欄より》
第四十五回 伊賀圧殺
信長(高橋英樹)は朝廷を巧みに利用して、本願寺との長い争いに終止符を
打った。孫市(林隆三)は和解を不満としつつも、顕如上人(伊藤孝雄)を
おのれの土地に迎えた。信長は次に伊賀攻めを開始し、織田軍団は殺りくを
ほしいままにした。天正八年、信長は突然譜代の老臣、佐久間信盛(安藤三男)
父子を追放する。《1973.11.11 読売新聞朝刊番組欄より》
これまでしつこく信長を悩ましてきた石山本願寺が、ついに信長に降伏を申し
入れてきた。これによって十年来続いた本願寺との抗争に終止符が打たれたかに
みえたが、信長にとってもう一方の敵・伊賀がまだ残っていた。こうした矢先、
織田家譜代の老臣・佐久間信盛(安藤三男)親子が、これまで一度も功名を
立てなかったという理由で、高野山に追放され、さらに二十四年前、信長を
倒そうと企てた林通勝や安藤伊賀守親子も追放された。この一件は数日のうちに
織田家家臣団に伝わり、さまざまな波紋となって広がった。
信長の憎悪は休む間もなく、天正九年の夏、伊賀攻めに向けられた。突如として
襲われた伊賀衆は、織田一万二千の軍に抗し切れず、次々と倒れていった。
《グラフNHK1973年11/1号より》
第四十六回 亀裂
鳥取城落城報告のため安土を訪れた藤吉郎(火野正平)は、キリシタンの
セミナリオで、オルガンに聞きいる信長(高橋英樹)を見て、「信長様こそ
わしの神じゃ」とつぶやく。その年(天正九年)暮れ、織田家重臣の居並ぶ
安土城広間で、信長は、光秀(近藤正臣)の反抗的態度を怒り、わき差を
抜いて切りつける。《1973.11.18 読売新聞朝刊番組欄より》
第四十七回 殺意
天正十年、勝頼(石山律)を天目山で滅ぼした信長(高橋英樹)は、諏訪、
法華寺での戦勝本陣で地侍から祝いを受けている最中、同席の家康(寺尾聡)
にささやいていた光秀(近藤正臣)の声を聞きとがめ、いきなり頭を欄干に
打ちつける。光秀は、額に血をにじませながら「殺してやる!」と心の中で叫ぶ。
《1973.11.25 読売新聞朝刊番組欄より》
第四十八回 光秀無禄
天正十年春、光秀(近藤正臣)は安土を訪れた家康(寺尾聡)の接待役を
命じられた。そこへ中国攻めの藤吉郎(火野正平)から急使がきて、信長
(高橋英樹)自らの出馬と下知をこうてきた。出馬を決意した信長は、
光秀にまだ攻略していない毛利領の出雲、石見二国を与え、かわりに
これまでの領国、近江、丹波を召し上げてしまう。これでは事実上、
光秀は無禄(ろく)になってしまう。《1973.12.02 朝日新聞朝刊番組欄より》
169 :
コピペ:2015/02/20(金) 13:11:00.52 ID:???
第四十九回 本能寺前夜
天正十年五月二十八日、妻濃姫(松坂慶子)を伴った信長(高橋英樹)は
安土城を出発、京に七日間滞在の後、備中の藤吉郎(火野正平)の陣に
向かおうとしていた。京の宿舎、本能寺の警備はわずか七、八十人の
近習衆。三十日夜、迷いに迷った光秀(近藤正臣)は寝所に弥平次
(三ツ木清隆)と斎藤利三(亀石征一郎)を呼び、ついに、信長を討つ
決意を明かす。《1973.12.09 朝日新聞朝刊番組欄より》
170 :
コピペ:2015/02/20(金) 13:12:24.42 ID:???
第五十回 本能寺の変
天正十年六月一日、光秀(近藤正臣)は全軍を率いて丹波・亀山城を出発、
夜半、沓掛の宿で重臣を集め、「わが敵は本能寺にあり!」と初めて目的を
明かす。翌二日早朝、銃声とどよめきで目覚めた信長(高橋英樹)は、
光秀の謀叛と知り、ただ一言「是非に及ばす」とつぶやき応戦に出るが、
もはやこれまでと社殿に火をかけさせ、自害する。
《1973.12.16 朝日新聞朝刊番組欄より》
171 :
最終回:2015/02/20(金) 14:07:20.95 ID:???
最終回 夢と幻と
秀吉(火野正平)は毛利と和議を結び、はやてのように軍を返しつつあった。
光秀(近藤正臣)は「秀吉来る」の報を聞き、その予想外の早さに顔色を
変える。やがて決戦の日、霧深い山崎で天下を分けた合戦のすえ、光秀軍は
敗れた。光秀は坂本へ落ちる途中、土民の竹槍(やり)にかかって果てる。
本能寺の変からわずか十一日後のことだった。
《1973.12.23 朝日新聞朝刊番組欄より》
以上であらすじ全51話終わりです