test
780 :
名乗る程の者ではござらん:2014/11/04(火) 22:47:22.80 ID:qnD+uJJQ
淀君様がドラマに出ておる。相変わらず演技は上手いな。
和久井ってかなり太ってないか?
どうしても若い頃のイメージがある・・・
秀吉が市に惚れていたというのは俗説であり、史実ではない。
功名の柄本はすげーリアルだと思うけど。
茶坊主みたいな感じ。
リアルと表現するヤツは確実に間抜けだけ
リアルというか、自分も柄本の秀吉は理想の秀吉像にかなり近かった
(黄金の日々の緒形の次ぐらい)
あれでもう少し若ければ…でも、老醜を見せるくだりは年齢とぴったりあっていたし
周りの三傑も高年齢だったから、それほど浮かずに済んだとも思う
(天地人の笹野も良かったが、信長よりも相当な爺さんってのが辛かった…)
age
1584 西田敏行、西田敏行に小牧長久手の戦いで敗れる。
1598 西田敏行死去。遺児は後に西田敏行に滅ぼされる
1600 西田敏行、真田昌幸に進軍を阻まれ西田敏行の叱責を受ける
同年 西田敏行、上記にも関らす石田三成を関ヶ原に破る
1603 西田敏行、幕府を開き初代将軍になる
1605 西田敏行、西田敏行に将軍職を譲り、後に駿府城に移る。
1614 西田敏行が西田敏行を「関ヶ原には遅すぎ、大坂には早すぎる!たわけうつけ間抜けーッ!」と怒鳴り付ける。
1716 西田敏行、八代将軍になる
1745 西田敏行、徳川家重に将軍職を譲り、江戸城西の丸に移る。
1868 薩摩藩の西田敏行らと長州藩の西田敏行らが協力して幕府を倒す
1877 西南の役で、長州閥西田敏行総指揮の官軍に西田敏行軍は鎮圧され、城山で自刃。
1860 西田敏行、会津藩の家老となる
1869 西田敏行、五稜郭の戦いで新政府軍に敗れる
1883 西田敏行、共立学校の初代校長となる
1904 西田敏行、日銀副総裁として日露戦争の戦費を調達する
ワロタ
なるほど西田敏行は戦国時代以降の日本の歴史そのものともいえる巨大な存在なんだな
t
790 :
名乗る程の者ではござらん:2014/12/28(日) 17:58:58.99 ID:NH4U0tgn
秀吉役は歴代ハズレなしだね
山内一豊の関ケ原での功績は、南宮山に陣取った毛利の大軍を最後まで牽制(けんせい)、動きを封じたことだ。
東軍を取り囲むように布陣した西軍だが、3万3千の大軍が動かなくては優位な陣形も効果なし。
毛利勢の前に陣取り、大軍をブロックした一豊の功績大…なのだが、実は毛利勢の中で吉川広家が東軍に内応、ふもとの吉川勢が動かなければ、他の毛利勢も進路をふさがれ動けない。
徳川家康は、ちゃんと手を打っていた。
一豊は関ケ原後、大出世するが、ほとんど小山評定での功績といっていい。
評定で一豊は「わが城をお使いくだされ」と提案した。
一豊の城は東海道中の静岡・掛川。これに東海道筋に領地を持つ大名が「わが城も」と続き、
家康は安全に西に向かうことができた。
そもそも一豊は、豊臣秀吉にその忠実さ、真面目さを買われて掛川の領地を任されていた。
秀吉は、家康を東海から関東に領地替えさせ、なおもその西上に備え、
通り道の東海道に最も信頼できる忠義者、律義者を並べた。何重もの対家康防衛ラインのはずだった。
家康にとって、厚い壁を戦わずして突破でき、一豊への感謝の念は大きかったはずだ。
また、上方の情勢を伝える妻の手紙を未開封のまま家康に差し出したことも大きい。
城の明け渡しとともに家康に対する忠誠心を明確にした。
秀吉が若い頃から付き従っていた一豊だが、秀吉死後はきっぱりと割り切った。家康に味方するからには中途半端ではいけない。古参大名らしくしたたかさを発揮した。
■山内一豊(やまうち・かつとよ)1545〜1605年。
早くから豊臣秀吉に仕えた古参家臣。秀吉のおいで後継者、秀次(後に切腹)の宿老に任じられたこともあった。
関ケ原の戦い後は静岡・掛川6万8千石から高知20万2千石に加増。
【話題】「織田信長」役がもっとも似合う俳優といえば? 1位は小栗旬、2位は反町隆史★2(c)2ch.net
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1417925332/ ●1位/小栗旬(『信長協奏曲』/2014年)……12.8%
○2位/反町隆史(『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』/2002年)……10.0%
●3位/及川光博(『信長のシェフ』/2013年)……8.9%
○4位/渡辺謙(『織田信長』/1989年)……7.2%
●5位/渡哲也(『秀吉』/1996年)……6.7%
○6位/江口洋介(『軍師官兵衛』/2014年)……6.1%
●7位/木村拓哉(『織田信長 天下を取ったバカ』/1998年)……5.6%
○7位/豊川悦司(『江〜姫たちの戦国〜』/2011年)……5.6%
●9位/役所広司(『徳川家康』/1983年)……5.0%
○10位/緒形直人(『信長 KING OF ZIPANGU』/1992年)……3.3%
●10位/伊藤英明(『国盗り物語』/2005年)……3.3%
※単一回答式・12位以下は省略
http://woman.mynavi.jp/article/141206-29/
>>793 >また、上方の情勢を伝える妻の手紙を未開封のまま家康に差し出したことも大きい。
ドラマに出てくるアレは史実だったのか
796 :
名乗る程の者ではござらん:2015/01/31(土) 17:52:00.77 ID:E1SLjYM5
>>794 高橋幸治が入っていない時点で、全く信憑性無い。
若い人は高橋幸治知らんよ どうしようもない。
test
功名が辻を最後の輝きとして以降低迷が続く戦国大河
千代(見性院):仲間由紀恵
正直、思ったより仲間さん良かった。可愛かった。
このドラマ、何もかもが「千代ブラボー」で、中盤ちょっと飽きてしまったけれど、
(特に「ぽんぽこ ぽんぽこ ぽんぽこぽーん」とか「国主さまっ、国主さまっ」とか。)
総じて明るくカワイイ奥さんをうまく演じていたと思う。
でも、千代に限らず、このドラマの特徴のような気がするのだけど、数々の「死」に際し、
「よねーっ」
「ははうえーっ」(法秀尼)
「きちべぇーっ」
と、叫んで終了みたいなところがあって、あの嘆き方はちょっと観ていて感情移入しにくいかな?と思う部分あり。
特に吉兵衛の時などは、それまで散々盛り上がっていただけに、ラストの叫びはちょっとシラけたかも。
よね姫の時も、別に観ていて一緒に泣けなかったし。
しかし、「夫・対馬の守の言うことしか聞きませんわよっ」と、関が原の前に石田側の使者を追い返すシーンなどは、素晴しく良かった。
彼女にはコメディとか明るい演技がよく似合う。
千代(幼少時代):永井杏
この子の演技はヨカッタなぁ〜。
一部のネット記事では、成人姿の仲間由紀恵さんのハッキリした顔を思えば、地味とか何とか書かれていたようだけれど、この子の演技は、子供ながら上手いと私は思った。
幼少時代はたった2話だったけれど、父様を亡くした千代を、
「この弾(父上の命を奪った銃弾)が、お前を守る。」
と、六平太が抱きしめるシーンは、後の伏線にもなる大事な場面。
あの歳で大事な人を亡くした経験などそれほどあるわけはなかろーに、涙をボロボロこぼし、熱演。
成人形体と顔質が違おうが、それに何の問題があろうか。
もっと幼少時代があってもヨイくらいだ。
山内一豊:上川隆也
わが殿は芸達者ゆえ、何の不満があろうか。
演技うまいのぅ。カコイイのぅ。
不満があるとすれば、合戦まるっと割愛されちゃって見せ場があまり無かったとか、二言目には「千代千代千代千代・・・」どうしたことですか?みたいな。
それはまぁ、演ずる側には責任は無いので。
美しい殺陣の見せ場が少なかったのは、非常にもったいないことよ。
但し、芸達者な我が殿をもってしても、やはり『功名が辻』での「叫んで終了」みたいな死の扱いがいかがなものか。
『秀吉死す』の回のラストで、秀吉の死に際しての、
「ひでよしさまぁっ!」
の叫びは、正直「要らんな。」とおもた。
吉兵衛の最期、『功名の旗』の回の演技は、涙鼻水ダーラダラで素晴しくヨカッタのだが。
六平太:香川照之
歴史を動かすのは、六平太。歴史の陰に六平太。
香川照之さん、ブラボー。
最初から最後まで抜かりがなかった。
法秀尼:佐久間良子
法秀尼さま、最期に仲の悪い一豊・康豊兄弟を諭すシーン。
「意見の違うことは素晴しいことなのです。互いの性分の違うことを尊ばれよ。」
あぁ、名言&名演よ。泣いた。やはり彼女は大女優。
山内康豊:玉木宏
正直、これまで名前と顔くらいしか知らなかったのだけど、お若いのに、あんなにイケメンなのに、演技がしっかりとしていたので、かなり見直した。
時代劇でウマイ演技が出来る俳優さんは将来期待できるな。
五藤吉兵衛:武田鉄矢
吉兵衛の最期『功名の旗』の回は、功名が辻の中で私は一番の秀作だと思う。
それはひとえに、上川さんと武田鉄矢さんの熱演のお陰。
吉兵衛が「殿、功名を・・・」と倒れる瞬間の表情、それを見て敵を薙ぎ倒しつつ必死に駆け寄る一豊の表情、今でも鮮明に覚えているよ。
吉兵衛と六平太なくして、『功名が辻』語れず。
祖父江新右衛門:前田吟
最初の頃は吉兵衛との掛け合いが面白かった。
が、最後の方はボケボケになってましたなぁ〜。
五藤吉蔵:小倉久寛
顔濃いよ。
顔で笑わせてどうする。
祖父江新一郎:浜田学
彼も良かった。
新右衛門隠居後、殿の重臣として、クソ真面目で、時に融通が利かなそうにも見える堅物な新一郎をうまく演じておられた。
どのシーンか忘れたけど、彼演技ウマイなぁと思ったことがある。
新一郎という人は、恐らく幼少の頃から、新右衛門に殿への忠義の心を植えつけられてきたのだろうなぁと、浜田さんの演技を見るとそう思える。
彼の最期、新右衛門が「ようやった」と声をかけるところで泣いた。
808 :
名乗る程の者ではござらん:2015/02/13(金) 11:35:45.01 ID:W84Zsvnt
信長の小牧山城「当時の技術の限界超える石垣」
読売新聞 2月13日(金)9時29分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150213-00050010-yom-ent 戦国武将の織田信長(1534〜82年)が1563年(永禄6年)に築城した愛知県小牧市の小牧山城は、
3段の石垣(高さ約6メートル)で囲まれていたことが発掘調査で分かった。
同市教委が12日発表した。
市教委は「近づくと高さ6メートルの石垣がそびえ立っているように見え、
若い信長が、部下や敵対する勢力を圧倒する演出効果を狙ったのではないか」と分析している。
小牧山城の中心部を囲む石垣については、
これまでの城跡の調査で、上から1、2段目(高さ計約4メートル)は出土していたが、
3段目が確認されたのは初めて。
新たに見つかった3段目は高さ約2メートルで、下部の約1メートルは高さや幅が30〜50センチの自然石を積み上げていた。
今回発掘されたのは北東の長さ約25メートルにわたる部分だが、
市教委によると、3段の石垣は山頂の中心部を周回している可能性があるという。
信長は1563年に、居城を尾張国(愛知県)の中心地だった清須城(同県清須市)から小牧山城に移した。
4年後の67年に岐阜城(岐阜市、稲葉山城)を攻略して本拠を移したため、4年しかいなかった小牧山城は仮の砦(とりで)と考えられてきた。
しかし、2010年度に小牧市教委の発掘調査で2段の石垣が見つかり、
安土城(滋賀県)に先立つ本格的な石垣の城であることがわかっていた。
千田(せんだ)嘉博・奈良大学長(城郭考古学)は「当時としての技術の限界を超える石垣」で驚いた。
小牧山城は、常識にとらわれない信長の人となりが反映された城だったことが改めて分かる発見だ」と意義を語った。
中井均・滋賀県立大教授(日本城郭史)は「3段目には崩れを防ぐための基礎工事の意味もあったのではないか。
信長が築いた最初の城にもかかわらず、非常に計画的で、考えられていたよりも高度な技術が使われていたことが分かる」と指摘している。
なんかほんとに残念だな。
しかし、これでもかってほど、役者を投入した感じ。
日本にも名優が随分いることを認識させられた。
一豊は、もともとたいした所領も家来もなく、
信長、秀吉の子飼いから生き残り
20万石以上を拝領し、幕末まで存続。
そういう外様大名は少ないんじゃないかな。才覚に優れてると思うぞ。
他は上杉、佐竹、伊達、島津などもともと大勢力だし。
死んだ一豊を抱き寄せて
「馬鹿な男・・・」
とでも呟かせたら最高だったのにな
功名が辻
youkuにあった動画は全滅
しかし、まだまだ某サイトにはある
814 :
名乗る程の者ではござらん:2015/02/20(金) 15:24:13.26 ID:lCuaPmu4
関ヶ原の戦い
東軍、西軍という呼称は後世のもので、当時は双方ともに豊臣軍を名乗っていた可能性がある。
豊臣軍、関東方、大阪方、上方勢、関東勢、石田方、徳川方etc
815 :
名乗る程の者ではござらん:2015/02/20(金) 15:32:13.92 ID:lCuaPmu4
誤;大阪方
正:大坂方
浅井万福丸処刑実行犯
・『おんな太閤記』蜂須賀小六(※処刑シーンはなし)
・『功名が辻』山内一豊
大河ドラマ徳川家康を見ていたら、小山評定のときだけ山内一豊が出ていた
天正三年(1575年)の11月28日、織田信長が嫡男・信忠(1558〜82)に家督を譲り形式上は隠居しました。
この後も現実的な意味では信長が最高権力者だったのですが、既にこのとき42歳。
「人間五十年」を意識していた信長としては、そろそろ自分が死んだ後のことをはっきりさせておきたかったのでしょう。
819 :
名乗る程の者ではござらん:2015/03/04(水) 16:32:12.92 ID:hFiLcMsI
ロンドンブーツ淳
ノブナガブーツひろし
信長って最終的に鉄砲どれくらい揃えたんだろう。
長篠の時点では3000だっけ?これサバ読んでるのかな?
にしても、長篠から約7年後の本能寺時点ではもっと出回ってるのでは。
柄本秀吉、西田家康の方が、どう考えても見所あるだろう
ひろしは、いくらなんでも下手杉
最初の頃はネタとして笑ってられたけど、やっぱ見てられないレベルだわ・・・
今更な質問なんですけど、今回織田家の家紋が織田木瓜ではなく永楽銭をメインに用いられてるのは、
何か理由があるんでしょうか。黄黒の配色といい、既存の作品とくらべて新味があるとは思いますがそれ
だけの理由?
・いと(堀尾吉晴の妻)役 参院議員に転身
・明智光秀役 死去
・黒田長政役 死去
大河ドラマ初の横書きクレジット
お命の持ち帰りこそ功名の種にございまする