1 :
名無しの制作委員:
明智光秀が主人公の大河をNHKに作らせよう!
2ちゃんの皆さんの声をたくさん集めて、最終的には大河ドラマ「ときは今」の企画書を、NHKに提出する…
こんな壮大な夢の実現が、このスレッドの狙いです!!
■企画書第1部■
明智光秀を主役とした大河ドラマ「ときは今」における、<テーマ><骨格となるストーリ><キャラクターの基本設定>そして<時代考証>などを中心にまとめます。
プロが作成した企画書並みの、ドラマの原作にすらなり得るような、中身が濃くて完成度の高い企画書を目指します。
明智光秀ファンの方、ドラマや小説などの勉強をされている方、現在の大河ドラマにもの足りなさを感じている方…そんな貴方には絶好のチャンスですヨ!
■企画書第2部■
2ちゃんの皆さんの、<明智光秀を主人公とした大河ドラマ>についてのナマの声を掲載します。
キャスティングの希望、 演出やロケ地などの希望、大河ドラマに対する要望、そして当スレッドの「ときは今」への感想など…
視聴者の意見をたっぷり取り入れた、2ちゃんらしい企画書に仕上げたいと思います。ムズカシク考えずにどんどんご意見・感想を書いて下さい。
〜皆さまのご参加を心よりお待ちしています〜
2 :
の:2005/05/14(土) 00:42:57 ID:p1W4s3Ya
大河ドラマ「ときは今」制作委員スレッドとは??
2005年2月11日、大河板に一つの野心的なスレッドが建った。
<ハンドル名:明智のみっちゃん>
明智光秀が主役の大河をNHK作らせよう!
★本スレの狙い★
・最終的には署名を集めNHKに明智光秀を主人公とした大河ドラマ「ときは今」を作らせる。
・キャスティングを一方的に決めてあげる。
・演出やストーリ展開も決めてあげる。
目標に向けて地道にキャスティングやストーリを考えていきましょう!
この「明智のみっちゃん」の呼びかけにこたえて、
同年4月27日までに270を超えるレス(明智光秀に関する情報提供・人物分析・ストーリ原案など)が集まり、
大河ドラマ「ときは今」の企画書作りは少しずつ体裁を成してきた。
が…大河板は「実況板」という設定にあり、24時間書き込みが無ければdat落ちの運命にあった。
そして…制作委員(自称)・常連書き込みさんのわずかの油断から、「ときは今」スレッドは
あえなくdat落ちに…
しかーし、諦めるのはまだ早い!
「時代劇板」があったではないか!!
あらたに「ときは今」スレッドを時代劇板に設置、
<明智光秀を主役とした大河ドラマ>企画書設立に向け、
時代劇板住人の皆さまにも、ご参加・ご協力をお願いしたく思います。
…参考スレッド:大河ドラマ「ときは今」制作委員…
http://live14.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1108117826/ (dat落ち)
3 :
名無しの制作委員:2005/05/14(土) 00:46:18 ID:p1W4s3Ya
スミマセン、ハンドル名がおかしくなった!
…「ときは今」軍規(このスレッドのローカル・ルールだよ!)…
その1・age奨励、メル欄にはできるだけ何も書き込まないで下さい。
(メル欄に書き込みをするとIDが表示されなくなります。
発言者を明確にするため、IDが表示されるよう、メル欄は空欄でお願いします。特に
固定ハンドル使用者さんはageでお願いします。
またメル欄を空欄にしますと、掲示板において「ときは今」スレッドの表示が揚がり、
レスがつきやすくなります)。
その2・スレッドの狙いに合致した書き込みであれば、スレッドの話の流れとは関係
なく、情報提供・アイディア・感想・意見など、自由にどんどん書き込んで下さい。
その3・異論を恐れず、どんどん意見をだしていきましょう!
但し、NHKの関係者をはじめ、どんな方がこのスレッドを読んでいらっしゃるのか分
かりませんので、一定の品位は保つように…
その4・スレッド運営の統括責任者などは当面設けません。
スレッド運営に関して何か希望があれば自由に書き込んで、皆で話し合って、その都度
決めていきましょう。
その5・参加および脱退は自由です。ただ…固定ハンドル使用者さんが抜ける時は、
ちょっと挨拶してね!(ハンドル名の使用は、他のハンドル名と紛らわしい名前を使用しない限り自由です。名無しも勿論OK)。
前スレッドの書き込みなど、ぼちぼち紹介したいと思います。
全部で270以上もの書き込みがありましたので、
できれば過去ログで読んでいただきたいのですが…
長めのレスが続きますし、IDが表示されたので、ここからはsageでいきます。
前スレッド<明智のみっちゃん>発言より…スレッドの狙い
・母親と仏を尊び、妻を愛し(生涯側室なし)文武両道に秀で、民からもよき領主として
慕われていた彼がなぜ信長を殺すに至ったのか?
様々な説が存在しますが、すべての可能性を加味しつつ
独自の見解で新たな仮説を提唱する!
そんなドラマにしたいですね。
・案外、明智光秀の人生の前半部分って謎だらけなんですよ。仕官する前の放浪期間がね。
これはドラマ作りにとって有利ではないでしょうか。
かなり制作側の自由が許されますから。
・よくニュースなどで「とてもそんな人には見えなかった!」という犯人に対する証言ってあるじゃないですか。
そんな風に「こんないい人がなぜ、主君殺しに走ったんだ?」という印象を見る側に与えられたら幸いです。
それとともに「本能寺の変」を期に、泣いた者と笑った者とに武将が二分されたのは
承知の通りです。
そういった周辺の人物の成功劇または転落劇を描けたらなぁと、考えてます。
前スレッド<明智のみっちゃん>発言より
(なぜ「明智光秀」なのか?という質問に対し)
きっかけですか〜。なんでしょうねぇ?
色々ありますが、単純に「怨恨説は後世に作られたもの」だと研究書の類には記されているにもかかわらず、
小説やドラマの世界では、まったくその路線を採用していないという点に反発を覚えたことですかね。
歴史モノなど大方、歴史の流れや展開がわかってる人が見て楽しむものでしょう。
ですから、従来の設定のものを何べんも見ていても刺激がないでしょうし、面白みに欠けます。
だからこそ、あえて!ここで「怨恨説一切ナシ」でガチンコ勝負したモノを世に出してみてはどうだろうか?
と、常々考えていたのです。実際、彼に関して残る逸話(真偽はともかく)は、とてもドラマチックなものが多いんですよね。
秀吉が草履を温めて待ってるシーンを毎回も拝むより、光秀一向の苦難や愛情や友情を描いてみるのも、見る側にとっても一興ではないかな?
と思うんです。
そして、子供のころから「本能寺には諸説ある」といったような記述を受け入れられなかったという点もあります。
「真実は一つだけなハズ。例え、光秀の心中に様々な思いや心の葛藤があったとしても、最終的な理由はキチンとあったはずだ!」と考えていたので。
それらを解明することが、逆臣の汚名を返上す明智る道だと思い、
こうしてスレッドを立ち上げたのでした。
前スレッド<明智のみっちゃん>発言より
(なぜ2ちゃんねるなのか?の質問に)
「電車男」を映画化させるパワーを持った天下の2ちゃんねるですから・・・
何かご利益があるかなぁ?とあやかりスレを立ててみました。これからもよろしく(笑
前スレッド<織田ののぶちゃん>の発言より…「本能寺の変」の動機
僕のイメージする光秀は…
京洛での行政面で力を発揮する一方、武芸にも秀でた文武両道の名将。
和歌などの伝統文化に造詣が深く、伝統を重んじる。
妻・熙子や家臣たちを大切にする、穏やかで信心深い性格。
秀吉のように信長の機嫌を取るなどということは苦手だが、
仕事面できっちり結果を出す切れ者タイプで、また、実は信長のことを人一倍敬愛している。
常に天下国家のことを考えていて、日本に安寧の時代が早く訪れることを願っている。
そのため、天下布武により平和を実現しようとする信長についていこうと決心するが、
次第に権力を手にした信長は、自ら神を名乗るなどし、朝廷を存亡の危機に陥れる。
光秀は、信長を尊敬していながら、
この国の伝統を守る為に、
そして信長の悪名を残さないために、
自らの名が謀反人として後世に伝えられることをいとわず、苦情の決断を下した
正義感の強い、心の底に熱いものをもった男だと思っています。
大河ドラマでは、光秀が本能寺の門の前で采配を振るっていたり、
最悪の場合には信長と顔を合わせたりしていますが(利家とまつ)、
実際は斎藤利三が実行部隊で、光秀は遠くから見守っていたのだったと思います。
本能寺の方から炎が上がった時、実際の光秀はどうだったか分かりませんが、
このドラマでは一筋の涙を流してほしい。
信長を憎む光秀の復讐劇にするよりも、こちらのほうが余程ドラマチックだと思うのです
9 :
名無しの制作委員:2005/05/14(土) 01:18:49 ID:p1W4s3Ya
(続けて<織田ののぶちゃん>発言より)
朝廷黒幕説はちょっと違うと思います。
本能寺の変後、光秀は「謀反人」だったために味方を集めることが出来ず、秀吉に敗れた。
バックに朝廷があったなら、光秀はそれをアピールすることによって
味方を集めることもできたのではないでしょうか。
ですから、頭の中に朝廷のことはあったでしょうが、
あくまで光秀がひとりで決断したのではないかと考えています。
その方がドラマ的にもいいと思います。
比叡山焼き討ちの話が出ましたが、光秀があれに強硬に反対したのは俗説です。
光秀自身が焼き討ちの根回しのために、周辺の土豪に送った書状が残っています。
人質となった光秀の母が信長のせいで殺された事件、
近江・丹波の召し上げ事件、
家康接待に落ち度があって罷免された事件、
「お前がいつ骨を折った!」と言われて折檻された事件 など
いろいろな話がよく描かれますが、これらも全て江戸時代に創作されたものらしいです。
後世の人たちは、あの光秀がどうして謀反を起こしたのか理解できず、
「何か相当な恨みがあったに違いない」と考えて軍記物なんかに書き立てたのでしょう。
光秀の母の事件など、ドラマ的に涙を誘うようなものもありますが
(「秀吉」の時の野際陽子さんが印象的です)、
今回の企画では そういった逸話を描かずに、光秀謀叛の真相に迫ってみてはどうですか?
10 :
名無しの制作委員:2005/05/14(土) 01:22:08 ID:p1W4s3Ya
<明智のみっちゃん>発言…「本能寺の変」の動機について
「光秀は信長を敬愛してた!」いいですね。実際そうだったと思います。
朝倉家や将軍家にはなかった、自分が求めていたものが信長の野心にはあった!
光秀が信長を殺したのも後世のことを考えてのことかもしれませんね。
おごる平家久しからずや!ですからね。信長がこれ以上暴走すると日本国としても迷惑だし・・・
それ以上に信長自身の後世の評価を下げてしまいかねない・・・
叡山攻めの反対も意外とそういう思惑あってのことだったのかもしれません。
周囲の朝廷やら何やらはそれぞれの思惑で動いていたが、
最終的には誰の命令や脅しで動いたのではなく、彼の意思で決定したことなんだと思います。
11 :
名乗る程の者ではござらん:2005/05/14(土) 01:25:57 ID:WgSFGlM3
光秀主役の惟任(これとう)大河、大いに賛成!
つい先ほど偶然にも、ここが立ち上げられているとは知らずに、
「次代を担う若手時代劇俳優」への意見として、女優・木村多江の
名前を挙げさせて頂き、(光秀の娘である、明智 玉 こと)細川ガラシャ
演じる日が来るだろう、と述べたばかりだった。
木村多江は光秀の妻でガラシャの母である熙子(ひろこ)も似合いそうだ、
と今ふと思いついた。 熙子を演らせれば、・・・・・・・・
木村多江>>>有森也美(H.8 大河「秀吉」)>>>酒井のりピー
(H.17 テレ東/正月特別番組「国盗り物語」)
主役光秀は内野聖陽あたりがいいかな?←←まさに思いつきゆえに、
反対意見も歓迎!
12 :
名無しの制作委員:2005/05/14(土) 01:26:25 ID:p1W4s3Ya
<明智のみっちゃん>発言の続き
逆に言うと「罪」の意識があったのかもしれません。
「自分がこの男に近づき上洛をさせてしまった・・・。そして、
今その男は地球儀なんか眺めてるぐらいだから次は何を言い出すかわからない・・・
今ここでこの男を始末しなければ、日本の歴史に汚点を残すことになるかもしれない。
何よりこの男の名誉のためにも引き際を用意する方がいいかも・・・
自分がこの男を強大化させるキッカケを与えてしまった。だから、その責任をすべて負うことにしよう。
すべての泥を自分ひとりがかぶってすべての争いを終わらせよう。」
(読んでない人に対して非常に不親切な例えですが、浦澤直樹のマンガ「MONTER」のテーマっぽい感じを意識してるんです。自分としては)
次の時代を担っていく朝廷や秀吉や家康に迷惑がかからないように「信長は英雄。光秀は極悪人」であるという位置づけを自分で設定した。
これが信長を含め、これが優しい彼の最後にできた周囲の人への最大の「思いやり」だったのかもしれません。
そして従来のドラマや映画じゃ光秀が「信長の首はドコぢゃぁ〜!!」と気が狂ったように探し回っているシーンがありますが・・・
彼は信長に敬意を表し武人として葬ってあげたかったからこそ遺骸を求めたということにしたいです。
13 :
名無しの制作委員:2005/05/14(土) 01:32:40 ID:p1W4s3Ya
<まったけ館長>の発言…「本能寺の変」の動機について
まず静岡大学教授の小和田哲男先生の『明智光秀ー作られた謀反人ー』のご一読をお勧めします。
この書籍には、50にものぼる「本能寺の変」の説をまとめられています。
それからは、戦国時代史学の泰斗・高柳光寿先生と桑田忠親先生の書籍がお薦めです。
高柳・桑田両先生が、従来の俗説を丁寧に検証されています。
高柳先生は「野望説」、桑田先生は「怨恨説」の立場です。
この両先生のいわゆる「高柳=桑田論争」は、現代の「本能寺の変研究」の大きな起点となりました。
この論争が、数々の「本能寺の変」に関する数多くの説を生み出したことになる契機になったものと思っています。
また、桑田先生は、「丹波・八上城攻略の光秀の母の人質事件」や「せっかん事件」等の
いわゆる俗説的な「怨恨」を否定されたうえでの「怨恨説」です。
桑田先生の書籍は、廃刊になっていますが、アマゾン等でわりと安価で古本を入手できます。
(明智のみっちゃんの「俗説的な怨恨説を否定された上での怨恨説とは?…という
質問に対し) 桑田先生の説のこととしてお答えします。
桑田先生は、よく小説やドラマで演出される「丹波八上城における明智光秀の母事件」や「斉藤利三をめぐる稲葉一鉄との確執」、「徳川家康饗応事件」等の
「怨恨 」の否定されています。
先生は、明智光秀が織田信長によって武士の面目を潰されたため、「遺恨」になり旗揚げを決意したと説かれています。
具体的には、四国・長曽我部に対する政策の転換で、明智光秀の考えが否定されたため、決起に至ったとされています。
14 :
ピノコ:2005/05/14(土) 01:35:47 ID:p1W4s3Ya
>>11さん
わお…さっそくの書き込み、アリガトウございます!
アドバイスなど、これからもよろしくネ
15 :
名無しの制作委員:2005/05/14(土) 01:39:46 ID:p1W4s3Ya
<織田ののぶちゃん>の発言…「本能寺の変」の動機
まったけさんと同じで、僕も”俗説”のエピソードがドラマで描かれるたびに、
残念に思っていました。
史実が云々、ということではありません。
現実性のあるエピソードなら、たとえ一級史料に載っていないことであっても
やっていいとおもいます。
ただ、この種のエピソードを描くと、その時点で怨恨説になってしまう。
単なる殺人事件なら怨恨説でも構わない。
しかしこれは、1万3千の兵を率いた光秀による、軍事クーデターなのです。
1万3千の運命を背負って、光秀は信長を討つ決断を下したのです。
ひとつ間違えれば、1万3千人が路頭に迷いかねないし、命を失うかもしれない。
それほど重い決断だったはずです。
家臣思いの光秀が、そんな決断を個人的な怨恨が原因で下すような人物とは到底思えません。
全てを賭けてでも信長を討たねばならない、何かがあったのだろうと思います。
長宗我部問題は確かに大きいと思います。
光秀の重臣・斎藤利三の妹は、長宗我部家に嫁いでいますね。
信長が長宗我部と手を切ると決めた時、悲嘆にくれる利三を光秀が慰める。
悲しみを分かち合うことで、主従の絆がより深まる。
そんなシーンを描ければいいと思います。
本能寺の変の起こった6月2日は、信長配下の四国遠征軍が船出する予定日でした。
絶妙のタイミングで事件が起こり、四国遠征は中止になったわけです。
光秀が信長を討った理由は複数あると思いますが、そのうちのひとつが
長宗我部問題だった可能性はあるでしょう。
16 :
名無しの制作委員:2005/05/14(土) 01:49:13 ID:p1W4s3Ya
…という感じで、大河板で行しておりました。
その他、「明智光秀の人生の目標は??」などなど、いろんなことが議論され、
「琵琶湖渇水の時には、坂本城の石垣が見えた」「『唐崎の一つ松』は明智光秀と無関係だった」
「丹波における周山城建設の目的は??」「光秀=天海について」「竜馬は光秀の子孫??」etc…
いろんな意見が交わされました。
また、ストーリ案も書かれていました。
実は…大河板時代の「ときは今」のコテハンは、<2ちゃん慣れ>していないヒトが殆どなんで…
スレッドの運営方法なども、アドバイスお願いします!
新スレおめでとー♪
フレ☆(・∀・☆)(☆・∀・)☆フレ ピノコ☆
18 :
名無しの制作委員:2005/05/16(月) 00:21:04 ID:JBw+r17b
これまでの常連固定ハンドルさんの紹介
・明智のみっちゃん
この企画の最初の呼びかけ人。前スレッド「『ときは今』制作委員」を大河ドラマ板に建てたのも、この人。
名前は「明智のみっちゃん」だが、中の人の性格はむしろ織田信長。
前スレッドがdat落ちして以降は行方が知れず…。
・織田ののぶちゃん
明智のみっちゃんのなが〜い書き込みに対し、一番最初になが〜いレスを書いた人。
真面目で実直。こちらもハンドル名とは反対に、どちらかといえば光秀タイプのお方なのか??
最近は、書き込みに来なくなった。
・まったけ
亀岡国際秘宝館サイト
http://www.geocities.jp/f4_ttm/a_shuki.html の館長さん。
明智光秀関連のサイトの掲示板なら、あっちこっちで、このお名前を見かける。
本人によると、前世は明智光秀の小姓だったとのこと。
・ピノコ
ハンドル名の由来は「このスレッドにおける良き助手となれますように…」
とのことだったが、美濃守護代の地位に昇りつめた斉藤道三のごとく、
いつのまにかスレッド主(?)になってしまった人物。
こいつもハンドル名とはうらはらに、性格はむしろ「でじこ」。
普段話しをする時も語尾に「にょ」が付く。
実は…清水一彦の大ファン。
文責 名無しの制作委員&ピノコ
あれ、こっちに移ってきたの?
もしかしてここ2スレ目ですか。
20 :
名無しの制作委員:2005/05/16(月) 07:56:22 ID:JBw+r17b
最初の方にも書きましたが、以前は「大河板」にあったんですよ。
だけど「大河板」は実況板なので、24時間以内に書き込みがないとdat落ちづるんですよ。
…で、dat落ちを機会に、こちらに立て直した訳。
前スレッドで書かれたストーリとか史実への解釈・分析なんかは、いくつかコピペして持ってきた方がいいでしょうか。
それともストーリ創りなどは、大河板時代のものはチャラにして、一から議論し直したほうがイイかな?
おはよ〜ん♪
22 :
ピノコ:2005/05/18(水) 23:47:57 ID:tG2MqyBh
レスが来ないなあ…、どうすれば人気がでるのでしょっか、このスレッドは。
以前から考えてあるピノコ版「ときは今」のストーリをぼつぼつ書き込んでいきますので、
それを叩き台に、ストーリを議論しながら皆で創っていきましょうかね。
あと、皆さまかたの「これまでの(ドラマ・小説における)光秀の描かれ方のココが不満だ」とか
「こんな光秀主役のドラマを観たい」「こんな戦国モノを創ってくれ〜」というのがあれば、
どんどんここに書いて下さいな。オネガイします。
うーん、明智光秀は苦悩する教養人という意味でも
すごく好きな人物なんだけど、どうしても
「国盗り物語・異伝」的な内容になりそうなんだよね。
正月時代劇でもいいじゃん。
やっとみつけましたよ。これからも頑張って下さい。
みっちゃん、のぶちゃん、またっけさんお早いお帰りを!!!
25 :
ピノコ:2005/05/21(土) 00:43:43 ID:4k7AAumG
応援、ありがと。
前スレッドで、<明智のみっちゃん>から、『ナポレオンの転落劇としての明智光秀の物語』
という提案がありました。ピノコのストーリ原案も、この「ナポレオンの転落劇」の視点を取り入れたものにしたいです。
(前スレッドより)
貴族主体の独占的な旧体制を否定し自由主義をうたいフランスをまとめあげたナポレオンが、
統一後は皇帝を名乗り、次第に当初の狙いとは逆の方向に突き進んでいくような・・・
ベートーベンが「ナポレオンも自由だ平等のためだとか言いやがって!
いざ権力を手にしてみればタダの愚かな人間じゃないか!
あぁあ期待した自分が馬鹿だったな!」と嘆いたそうです。
このベートーベンを農民として描きたいんです。
光秀は最後は農民に刺されますし。
この意見をもとに、私のほうでも考察を進めました。すると…
童門冬二先生に依りますと、明智光秀どのの愛読書は「孟子」だったそうです。
(三笠書房 知的生き方文庫「人物歴史館戦国編【前編】」より)
孟子…「易姓革命」の人なんですね。
光秀どのは強烈な(易姓)革命思想を持っていた、そんな人物に描いてみたいです。
26 :
ピノコ:2005/05/21(土) 07:50:42 ID:???
それにしても、明智のみっちゃん・織田ののぶちゃんは。何所にいるんでしょ。
まったけ館長さんは居場所が分かって、ここのことをお知らせしたのに、来るのが遅いなあ…
27 :
お具:2005/05/21(土) 17:04:54 ID:uGkcCScZ
おおっ!また信長や家康などといったいわゆる「英雄」と違った見方から、
戦国時代も見るのも興味があります。
本能寺がひとつの戦国時代の区切りでもありますし…
あと、父が「我が○○家(←自分の本名)のご先祖は農民のふりをして、
あの明智光秀を討った武士だぞ!」
と、山崎合戦がTVで流れるたびに言って憚りません。
もし本当だとしても、皆さん討ち入りはやめてください。
28 :
名乗る程の者ではござらん:2005/05/21(土) 17:05:50 ID:uGkcCScZ
はじめまして!
おおっ!また信長や家康などといったいわゆる「英雄」と違った見方から、
戦国時代も見るのも興味があります。
本能寺がひとつの戦国時代の区切りでもありますし…
あと、父が「我が○○家(←自分の本名)のご先祖は農民のふりをして、
あの明智光秀を討った武士だぞ!」
と、山崎合戦がTVで流れるたびに言って憚りません。
もし本当だとしても、皆さん討ち入りはやめてください。
29 :
お具:2005/05/21(土) 17:07:32 ID:uGkcCScZ
すみません上二つかぶりました。
共に自分のです。
すいません。
ウザイから史板や三戦板に貼りまくるな
三戦板の「明智光秀総合スレッド」から来ました。
ずっと昔にあったレスで面白いものを見つけたので、こっちに貼ってきます。
参考にしてくらはい。
53 :無名武将@お腹せっぷく :03/12/27 10:07
西暦2213年
大日本帝國初代皇帝織田信長が死去して600年余り。
29代皇帝織田信槇の圧政に苦しんでいた人々は、一人の若者をタイムマシンで中世に送り込んだ。
歴史上に存在しない明智光秀という名前を与えられたその若者の任務・・・それは織田信長を殺害する事であった。
32 :
ピノコ:2005/05/25(水) 00:26:42 ID:/YSTClP6
>>31さん
未来人明智光秀…イイ! 昔の少年ドラマシリーズにありそうな設定だ。
前半のストーリ…(未来から来たので)居場所が無い、あちこち流浪せざるを得ない。
後半のストーリ…(未来から来たので)信長の優れたセンスに惹かれる。誰よりも信長を評価、
だけど、未来のことを考え、泣く泣く信長を討つ…
光秀どのを、これまでの小説で描かれていた保守家ではなく、むしろ現代人に近い感性の持ち主に描きたいですね!
いいヒントを、ありがとうございます。
ヨ ロ シ ク !
明日は時間がとれそうなので
前スレッドのストーリをこちらに移しつつ、できたら「越前編」の前半まで、書きたいです。
33 :
ピノコ:2005/05/25(水) 00:33:06 ID:???
なんか、パソコンの調子が悪い。
>>32の「ヨロシク!」が変な位置に来てしまったw
正しくは「前スレッドの(ry…)書きたいです」の次に
「ヨロシク!」を入れるつもりだったのに…
(単に自分のミスか?)
34 :
…ストーリ原案・その1…:2005/05/25(水) 14:23:18 ID:/YSTClP6
<明智光秀は確かに土岐源氏・明智一族出身、しかし嫡男ではなかった>
明智光秀の出自に関しては「土岐源氏出身」という説が有力です。
しかしながら、生前から「出自不明」とされていたようで、前半生に関する資料も殆んどありません。
また、「土岐源氏・明智一族」とする場合でも父親が誰なのか資料によってまちまちです。
これらのことから、「明智光秀は確かに土岐源氏・明智一族出身、しかし嫡男ではなかった」という仮説を立ててみました。
35 :
…ストーリ原案・その1:2005/05/25(水) 14:44:44 ID:/YSTClP6
光秀は土岐一族庶流・明智家出身の光綱の息子。光秀は幼くして実父と死別、
祖父・光継および叔父の光安(光康?)のいる明智城に引き取られる。
叔父の実子は光秀より幼く、光秀は長男めいた扱いを受けていた。
光秀は、10代半ばの頃、意外な事実を知る。
父・光綱は、これまで光秀が祖父だと信じていた光継の弟であった。
光継が家督を継いだ際、末弟の光綱を自分の養子にしたのである。
したがって、明智家の当主の座は、光継→光安→光安の実子(光春…後の秀満)の
順で受け継がれることとなる。
36 :
…ストーリ原案・その1…:2005/05/25(水) 14:52:57 ID:/YSTClP6
(上記の続きです)
そんなことがあれば、光秀にとって大変ショック!
一時はショックのあまり、性格がいじけそうになったし周囲を怨んだりもした、しかしギリギリ思い直して、
「家督が継げないのなら、文武で身をたて自分の居場所を捜そう」と学問と武道の修養に励み、
さらに「自分は『天』に用いられる人となろう」と決意、徳の涵養に努めた…。
そして、この時に…
・川原で木仏を拾う。周囲の人達に「この仏像を大切にすれば、将来、千人の頭となれる運命にある」
と教えられるが、光秀は敢えて木仏を火にくべる。
・快川和尚と出会い、自分の人生の目標について語らう。
…というエピを出すのもイイでしょ。
また信長に仕えるようになってからの光秀は、信長に協力し、すべての既成勢力と徹底的に戦います。
この辺り、「自分を受け入れなかった社会のシステムへの強い怨念」があったのではないでしょうか。
こういう設定にしてみると、その後の人生の「目標」や「動機」に一貫性をもたせることができます。
37 :
…ストーリ原案・その2…:2005/05/25(水) 15:00:53 ID:/YSTClP6
<土岐という姓には、すでに「土岐源氏がいずれ天下をとる」という願いが込められていた>
「岐阜」という地名の由来は、「周の武王が、岐山のふもとで兵を挙げ、殷の王を倒し、新たな王朝を興した」という故事にちなんで信長が命名した…そという話は、皆さまもご存知だと思います。
私は「岐阜」と「土岐」に同じ「岐」の文字があるということが気になって、
いろいろ調べてみました。すると…
日本文芸社「面白いほどよくわかる戦国史」P143三行メモ『岐阜命名の由来』には、
『信長が「岐阜」の名を用いる以から、「岐阜陽」「岐陽」という語の使用例があった』
書かれていました。
38 :
…ストーリ原案・その2…:2005/05/25(水) 15:09:10 ID:/YSTClP6
(上記の続きです)
そこで私は、「土岐」という地名や姓そのものに、
「ヤマト(日本)における岐山」という願いが込められていたのではないか…という仮説をたててみました。
土岐家の祖・清和源氏の源国房が、大昔、山ばっかりの美濃を「岐山」にみたて、
「いつか、あいつを討ち取って、京の都に返り咲いてやる〜」って心に誓って、
「土岐」という漢字を当てた(あるいは地名をそのように解釈した)とか…。
39 :
…ストーリ原案・その2…:2005/05/25(水) 15:12:16 ID:/YSTClP6
(上記の続きです)
また、童門冬二先生によれば、光秀の愛読書は「孟子」で、
「徳を失った王は、一人の匹夫にすぎない。これを討つ者は王を討つのではなく
匹夫を討つのである」という思想をもっていたのだそうです。
光秀はシナの「易姓革命思想」(王が統治能力を失えば天命があらたまり、
前の王統が覆され、新たな王統がおこること)の信奉者。
その思想は実は先祖代々から受け継がれた、土岐一族の「悲願」でもあった…
という設定にすれば、あとあと話がつながっていきますし、光秀どのキャラも
強烈なものとなります。
40 :
…ストーリ原案・その3…:2005/05/25(水) 16:04:43 ID:/YSTClP6
<斉藤道三と明智光継・光安親子は、『革命』をめざす『同志』の間柄だった>
<斉藤道三の父・松浪庄五郎は単なる油売りの行商人でなく、美濃の特産品の
一つである「エゴマ」を買い付ける「政商」というべき立場にあった>
油売りから美濃の守護代になった斉藤道三の物語は、実は親子二代にわたる物語だった
…という仮説があります。
この仮説から、以下のようなストーリを考えました。
道三の父・松浪庄五郎は灯油の原料であるエゴマの買い付けのため、美濃を訪れた。
次第に政商として発言権をもった庄五郎は、息子を長井家の養子とし、勘九郎と名乗る。
その後、灯油の原料は山地の畑作物のエゴマから、平地の畑作物であるナタネに変化、
長井勘九郎の実家は没落する。実家の没落をきっかけに、美濃の古くからの土豪たちは
勘九郎を追放しようとするが、勘九郎は美濃の新たな産業育成に力を入れ、
民衆の支持を得る。土豪との争いごとに、長井勘九郎は、
西村新九郎、そして美濃守護代・斉藤秀龍(道三)と出世の階段を登りつめる。
進歩的な明智光継・光安親子は、道三の産業育成政策に賛同し、最大の協力者となる…。
41 :
…ストーリ原案・その3…:2005/05/25(水) 16:08:17 ID:/YSTClP6
(上記の続きです)
「国盗り物語」では、道三は光秀の師だったとされてますが、こんな背景があったとすれば、
道三が土岐家を乗っ取った人物であっても、光秀は道三を師として仰ぐことができたでしょう。
なお…「松浪庄九郎が美濃を訪れたのは、エゴマの買い付けのため」
「エゴマは美濃の特産品」というあたりは、資料的裏づけが全然ないんです(ニガワラ)
この辺りも含めて、このストーリ原案に妥当性があるのか、
皆さまのご意見・ご批判を頂きたいのですが…。
42 :
ピノコ:2005/05/25(水) 23:28:27 ID:/YSTClP6
あちこちのサイト・掲示板巡りをしてますと、下記のような書き込みを見つけました。
2ちゃんねるの三国志戦国時代板の【常識を】本能寺の変の真相【覆せ!】(dat落ち)より
444 :政所執事 :04/07/06 00:33
基本的に本能寺真犯人は、
@信長体制が続いては、何かと問題があったりする人物。
A信長の死後、勢力を拡大できた人物。
の2つから考えていけばいいんじゃないでしょうか。
はっきり言って、光秀は単独犯ではありません。誰かと仕組んでいたようです。
《推測》
仕組んだ人→細川幽斎 (信長を排除し、室町幕府の再興を目指す)
加わる予定だった人→羽柴秀吉 (元々、天下を狙う気持ちがあったため、幽斎に唆されていた)
それを知っていて黙認→徳川家康 (基本的に信長の事を良く思っておらず静観)
この信長を排除する陰謀は、幽斎が秘密裡で進行中であり、その主力は光秀と秀吉。
しかし、まだ実施は先にも関わらず、信長本能寺滞在の報を聞き、光秀がこれ幸いと先走り信長を誅殺。
その後、幽斎は先走りした光秀を無視。知っていた秀吉は、転機到来とばかりに大返し。
家康は、その陰謀を知っていた為、ばらされては困る天下人秀吉とその後対等にわたりあえた。
家康もほとんど同罪なので、信長誅殺の経緯についておおっぴらにはできなかった。
(結論)→大規模な陰謀の計画中に、光秀の先走りが本能寺の変となった。
43 :
ピノコ:2005/05/25(水) 23:52:56 ID:???
個人的には、この推論、気に入っています。
ただ…光秀が信長を先走って殺害したのは、「野心」のためでなく、
「信長への忠誠心」そして「己の美学を貫くため」と
考えたいですねえ。
長曽我部問題もあって、1581年あたりから信長との関係が上手くいかなくなった光秀。
その関係の変化を細川藤孝・足利義昭ら反信長連合は、光秀にこの陰謀を持ちかける。
しかし…周囲の者が考える以上に、光秀は信長に強い忠誠心を持っていた。
「もし、ここで足利幕府を再興するのなら…これまでの自分の戦いは無駄ってことかよ!」
「だからといって、この陰謀の件を信長殿に告げて、細川氏らを敵に回して戦ったとしても…
あぁ、また戦の繰り返しか! 藤孝の頭蓋骨に箔濃にされるのか!」
さんざん迷い、ついに単独で信長を討つことで、信長と共に夢見た「革命」を成就しようとした。
光秀は信長を討った後は朝廷に工作し、秀満を征夷大将軍とし、自らは死ぬつもりでいた。
こうゆうのは、どお??
とにかく、ストーリ原案は、いろんな所から考えていきましょ。
合わせてキャスティングとか、音楽の希望なども、皆さんどんどん書いていって下さい。
44 :
明智のみっちゃん:2005/05/29(日) 22:41:06 ID:0AvhIz+p
dat落ち後、消息を絶っていたモノです・・・
新しい環境で忙しい上dat落ちのショックで立ち直れず高野山をさ迷っていましたが、
先日、無事保護され帰宅。上洛してまつたけ館長の掲示板から転生していたことを知り参上しました。
>「孟子」
つまり「易姓革命」というヤツですか?これはいいかもしれません。
家柄より実力を重視して、目立った働きをしなかった家臣は追放。逆に、多少問題があったとしても有能な家臣は保護する・・・
そういった考えでやってきた信長が最終的に、光秀に「これ以上の暴走はキケン!」と判断され倒されてしまう。そして、その光秀も滅びの道を歩む・・・
皮肉でもあり運命でもあるスジ運びだと思います。逆に信長に対し易姓革命を適応するにいたった光秀の心にも複雑なものがあったでしょうし。
あとは秀吉との関係。私としては光秀と秀吉の関係を、信玄と謙信のように描きたいです。
互いの実力を認め合った仲ということです。本能寺の変は光秀から秀吉へのある種のプレゼントだったのかもしれませんし・・・
山崎の合戦は秀吉が、光秀が信長を敬愛の末に討ち取ったように、光秀に対し武人として理解を示していた結果なのではないでしょうか?
切腹するなら俺が介錯してやる!といったような…光秀の「自分自身が全部泥をかぶる」という思惑を察知し協力してあげたのも秀吉なのかもしれません。
そして、もう一人の協力者は家康。後に明智家を身内として結婚させたことにより天海の説が騒がれるほどですからね。辛抱の人といわれる家康にも思うところがあったのでしょう。
もう一つ、放浪時代に堺で南蛮人と交流を持っていたというのはどうでしょう?
鉄砲の技術も彼らが習得しいたとすれば自然ですし、後に南蛮人から老眼鏡を購入していたという記録もあったらしいので。
そうすれば黒人奴隷のヤスケとの交流や、娘の細川がラシャが切支丹になったことへの伏線にもなるのではないでしょうか?
そして、欲を言えば、外国人勢力にも若干の影響を受けていたのかもしれません。「信長が天皇家を巻き込み、名実共にKINGになったら次は大陸に目を向けるに違いない!」という
南蛮人の懸念を察していたというのも「動機」のごく一部として組み込めるのではないでしょうか?
というわけで、またボチボチやっていきます。
45 :
明智のみっちゃん:2005/05/29(日) 23:01:20 ID:0AvhIz+p
>ピノコさん
というわけで現役に復帰しました。
長い間、不在で迷惑をおかけしました。
あとは、細川親子の心情の変化。筒井順慶の煮え切らない思い。
そういったものも大切にしていきたいです。マジメで律義者の光秀だからこそ、ついていくことにとも土井を感じたのも事実でしょうし。
そして、佐久間親子や山中鹿之助の悲劇を耳にしていった光秀が「滅びの美学」に目覚めたのかもしれません。
”妻の死”により、精神的に行き場を失っていたのですからなおさら。「信長様も殺して自分も死のう。あとのことは秀吉や家康がうまくまとめるだろう。」という感覚で。
落城後の厳しい放浪生活、戦に明け暮れる日々、自分は病弱な妻を見殺しにしてしまったのではないかと悔やみ続けた光秀。彼は徹底的な自己否定に陥っていたのだと思います。
天下万民の安寧のための”天下布武”とうたい、僧侶や女子供を焼き殺している自分への苛立ち。それまでは「変革には犠牲は不可欠!」と割り切ってきた彼だが、妻の死と老いからくる虚しさに苦しむ。
波多野家や長宗我部家の期待を結果として裏切ってしまった不誠実な自分への苛立ち。
自分がしてきたことへの疑問。足利義昭の暴走から信長の暴走…すべての混乱を招いたのは自分。
そんな心をうまく描けたらなぁと常々思っています。ハイ。
次回は以前のスレで出たキャステングの安を元に再構成したものを書き込みたいです。
46 :
ピノコ:2005/05/30(月) 00:10:20 ID:5ea6e1Vc
うわっ!!
明智のみっちゃん、復帰ありがd。
「もし、このまま誰からもレスがなかったら、自分も書き込みするのを止めよう」と、
敗北主義に陥っていたところだったんですヨ。
うれしい…(正直、「続・新選組!!」のニュースの何倍もうれしいデス。次の書き込み待ってますヨ)
47 :
明智のみっちゃん:2005/05/30(月) 00:20:44 ID:KNjlqDwu
しつこいですが・・・
津本陽氏の「本能寺」に
「光秀は野戦の素人のただのインテリ武将」と書かれていたのですが・・・
ものすごく腹立たしくなってきました。
一層、奮起してがんばりたいです。と初心表明。
>みっちゃん
いっしょにがんばりませう
亀山城の石垣の件はどう説明するんだ?
それに、清州会議以降の奴の所業からみて、その秀吉は頂けん
信玄と謙信みたいな関係? 笑わせんなって
50 :
名乗る程の者ではござらん:2005/05/30(月) 02:01:16 ID:5ea6e1Vc
>>49 亀山城の石垣の件って何ですか?
初心者の質問でスマソ
51 :
明智のみっちゃん:2005/05/30(月) 09:56:16 ID:KNjlqDwu
>>49 どうぞ笑いたければPCの電源切ってから笑ってください。
無理があるのはわかってます。
だから書いたんです。「新選組!」でも勇と竜馬が友達!といった荒唐無稽な設定でしたが一般ウケしました。
「大河ドラマ」といった大衆向けである以上、
面白みを持たせるための妥協は必要です。歴史マニアが薀蓄をたれるためのものを作るためにわれわれが書いてるわけではないことをお忘れなく。
どう説明するんだ?ってアナタ。それをムリにでもひねり出すのがココの趣旨なんですが…
こじ付けがキライならこれ以上ココを見ないほうをオススメします。
52 :
ピノコ:2005/05/30(月) 12:46:17 ID:???
そ…そんなにキレナイで下さいよ、みっちゃま。
これまでワタシは名無しの制作委員さんといっしょに寂しい思いをして、このスレを守ってきたのですよ…
せっかく書き込みにこられた方に「ここを見ないほうをオススメします」なんて…
>>49さん、お気を悪くされたでしょうが、またのお越しをお待ちしています。
あと、みっちゃま…自分の思い通りのストーリを書きたいんだったら、それこそ最初から2ちゃんじゃなく、
ご自分で作品を創作されたほうがよかったでしょうに。
実は…2ちゃんに一旦書けば、著作権などは自分のものでは無くなるんですよね。
それでも、私がここに参加することを選んだのは、
「ネットの特性を生かした、新しいカタチの作品」を創りたかったから。
長い間、「謀反人」の烙印を押され、ドラマではいつも脇役だった光秀どのが、
ネットを通じて不特定多数の人々の力によって、新たな伝説を纏って甦る…
そんな奇跡が起こってほしいと思っています。
だから、いろんな人にここに書き込んでいただきたいですねえ。
53 :
明智のみっちゃん:2005/05/30(月) 14:32:23 ID:KNjlqDwu
>ピノコさん
すみません。いいすぎました。
私だってそういったことを見越してこの2ちゃんねるを選んだのです。
より幅広い意見が集まる場所になるよう心がけます。
戦国の忠臣蔵みたいに本能寺への討ち入りを最高に盛り上げて欲しいね
55 :
ピノコ:2005/05/31(火) 00:00:06 ID:WysEg1h0
>>27さん
>>54さん ありがとうございます。
「本能寺の変」「山崎の合戦」はドラマの中での大きな盛り上げ処ですね。
この部分の見どころ・ストーリ展開については、スレッドが祭り状態になるぐらい、
いろんなご意見を集めて考えたいですねえ。
56 :
ピノコ:2005/05/31(火) 00:23:15 ID:WysEg1h0
ところで<明智のみっちゃん>の、
>>44「信玄と謙信のように描きたいです。 互いの実力を認め合った仲ということです」
…には、ワタシも反対です。光秀どのから観ると、秀吉は「おべっか使い」で「高い理想も志も無い俗人」に
過ぎなかったでしょうし、それ故、光秀どのは秀吉の長所や魅力(仕事の能力以外の面での)が、
全く理解できなかったんじゃないでしょうか。
そして秀吉にも光秀の良さが分からない…そういうライバル以前の関係にしてみるのは如何かと。
むしろ、秀吉と左馬之助(弥平次)との関係を史料や伝説などを元に、
しっかり描きたいと私は考えてます。
光秀どのライバルや親友としては「細川藤孝」や「吉田兼見」がいいと思います。
この辺りの人たちのキャラ設定や光秀との出会いなど、みっちゃまは、どうお考えですか?
>>50 信長が仏を大切にしなかったという根拠の一つに、二条城建築の時に
石仏や墓石を砕いて石垣の材料にしたという話が、持ち出されるけど
実は、亀山城の石垣も同じように、石仏や墓石を砕いた石が、
多数使われている。
光秀は、信長同様合理的な思考の持ち主だったのかもしれないよ。
58 :
ピノコ:2005/05/31(火) 22:09:20 ID:WysEg1h0
57さん…私もそう考えてマス。
ところで、皆さんにご相談したいのですが…「大河」の場合、どの程度までなら視聴者として、
「作者によるオリジナル・エピソードや創作キャラ」や「史実の独自の解釈」などは
許されるとお考えですか?
2ちゃんを観れば、「信長」「義経」などの作品における、オリキャラ・オリエピには批判が強いですねえ。
でも、光秀主役の場合、放浪時代や越前時代などは残された史料が殆ど無いし(特に放浪時代)、
この辺りは作者による空想に頼らざるを得ないんですよ。
しかも「本能寺の変」の動機のみならず、光秀どのの出生や光秀どのと秀満・光忠との血縁・姻戚関係などについて、
アイマイな部分がいっぱいあります。もちろん、ピノコ的には、この部分を自由に空想して書くのは大変楽しいけど、
受け手にとってはどうでしょうか。
もう一つ、困るのは…時代劇ファンの中には「お約束通りの展開」を期待する視聴者も多いんですよね。
しかし、今回の「ときは今」では「比叡山焼き討ちに光秀どのが反対する」「家康接待の際の、お魚腐っちゃった事件」とかetcは、
たぶん、企画意図から考えて使われないでしょう。
>>57さんがおっしゃるような「合理的思考をもった光秀どの」を、ワタシも描きたい…
しかし、それがどこまで視聴者に受け入れられるかを、2ちゃんの人達に自分の意見として伺いたいのですが…
59 :
F:2005/06/01(水) 01:25:13 ID:YfUSuaSs
初めて書き込みさせていただきます。
「光秀を大河で!」との趣旨に賛同する者です。
明智家記より参りました。2chは初心者ゆえ、失礼な点等はご指摘ください。
さて、ピノコさんの提起された問題について、私見を述べます。
@オリエピ(史料を基礎としない作者の創作の出来事)はあまり好きではありません。オリキャラは不要と考えます。
光秀について言えば、大部分を空想に頼らざるを得ない美濃・放浪・越前時代はあまり描かないでほしいと思います。
そうしたものがなくても充分面白いものが作れるように思うのです。
基本的に史実はそれ自体ドラマとして面白いので。。
A史実の独自の解釈は、ある程度信頼できる資料を基に想定しうる範囲であればよろしいかと。
というより、「お約束通り」なら新たに見たいとは思いません。
ちなみに、光秀は「保守的」「教養人」「理想家」というイメージでとらえられることが多いように思うのですが、
個人的には、一戦国武将として、俗っぽくて野心的な面を出してよいように思うのですが、如何でしょう。
60 :
ピノコ:2005/06/02(木) 13:53:07 ID:DyTW+ZWw
>>57さん、レスありがd
他にもいろんなご意見を聞きたいナ!
時は今、天も下しる、五月かな
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 信長の首 取りいくぞゴルァ!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
//三/|三|\ ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∪ ∪ ( ) ( ) ( ) )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( ) ( )
62 :
名乗る程の者ではござらん:2005/06/03(金) 04:04:42 ID:7kvbyQWl
藻前ら肝腎の事を忘れているぞ。
明智光秀公は斉藤道三候の息子で、
お濃の方の兄だったことが証明されておるぞよ。
鹿島昇先生と佐治芳彦先生の著作をキチンと嫁。
この二人の功績は師である高柳先生を超えているぞ。
だからこそ、藍より青い、脚本をキボンヌ!!
64 :
名乗る程の者ではござらん:2005/06/03(金) 05:58:09 ID:c9jqTME3
>>62 鹿島も佐治も、八切と同じで、ある意味トンデモ系の類じゃねーかよ。
どうせ、八切みたく、新五の待遇云々で信長に恨みを持っていたお濃も
実は本能寺の変の黒幕の一人で(だから彼女の記録も光秀同様少ない)と、
いう流れを期待しているんだろ?
>>60 根本的に、本能寺の変についてはどう思っているの?
光秀が率先して変の計画を進めていくのか、そうせざる負えなくなっていくのか、
はめられていくのか…
それから、フィクションの範囲だけど、織田家内での軽いお家騒動みたいなことや、
(信雄の信忠への態度や(第一次伊賀攻め失敗時の激怒書状や、武田攻め後の4月に
諏訪大社へ領主でもないのに、信雄からの禁制がなぜか出ている。)
勝長が戻ってきたことでの波紋)
水面下での家臣団の軋轢(信長派と信忠派)を要素に入れるとおもしろいかもと。
光秀は、信長からの密命もあり、常に中立の立場に立ちその間の調整役で、
合理的に処理していくが、変な誤解を招き苦労するとか…
66 :
名乗る程の者ではござらん:2005/06/03(金) 13:51:57 ID:s9HBThKS
家臣団の軋轢とは何か史実がありますか?
信忠は、信長の後継者として十分自覚しており、だからこそ岐阜と安土と
別々に住み何年かすれば家臣団が2派に分かれるのは自然な事だとおもいます。
気になります。
67 :
明智のみっちゃん:2005/06/03(金) 15:43:09 ID:+/T0a3Xk
どこまで視聴者に妥協するか?ってことですが・・・
結果的に、そう解釈されても仕方がないなという運びにすればいいのではないでしょうか?
例えば、「叡山攻め反対」に関しては、お寺に身を寄せていて、顔見知りのお坊さん多かった光秀を描く。
しかし、信長の「改革」を追行する必要があると考えてる以上、犠牲はやむをえないとも半面で割り切っている面もある。
その葛藤をうまく表現できないでいる彼の姿を描けばいいのではないでしょうか?
「お魚腐っちゃった事件」の描き方も一工夫・・・
信長は毛利攻めのプロセスとして「戦は秀吉、平定は光秀」という計画が念頭にはあった。
秀吉がうま〜く役をあたえるため、信長に「こっちきてくださいよ。」といってきているから自分も大将として行ってやらね互いの顔が立たない。
だが、秀吉の軍勢に自分が加われば毛利も落とせる。が、先のことをとりあえず任して自分は安土に戻らねばならない。
そこで先に頼りの光秀を派遣しといて、自分はさっさと役を済ませて秀吉と凱旋する。あとの処理は有能な光秀にさせるためにも早めに送って地盤固めをさせる必要がある。
そこで、いわゆる「領地召し変え」を宣言し、理想の高いアイツのことだから、より一層奮起する意欲がわくだろうと信長は考えた。
しかしながら、中国地方へ行かせる口実がない。家康の接待役に抜擢してしまったし、困ったな。
そこで、奇抜な発想で人を驚かせるのが大好きな信長は一芝居うつ!家康もろもろ武将のいる前で自分を怒らせるとコワいんだぞ!というパフォーマンスを見せたかった。
そして、光秀に「秀吉の加勢だ!いってこい!」と命令。だが実は、あとで下知としてわたされた書簡には、信長の真意が記されていた!というのはどうでしょうか?
本能寺へ来る際に朝廷と「暦はおれの地元の三河標準にしろ!」といったことなど、朝廷との軋轢ももはやピークだなと感じた光秀は、その信長の書簡を破り捨ててついに行動へ出る!
というのはどうでしょうか?以前、上杉家などに自分が信長を殺すといった内容の書簡を本能寺の一週間ほど前には送っていた?というのを聞きましたが、
自分が言い出してしまった以上後には引けないというのもあったのかもしれません。
少年漫画における光秀の扱いで俺的にインパクトのあるのはこれ。
その1
宮下あきらの「バラモンの家族」
信長は邪教集団魔修羅と結託していてその力で天下を狙う。
それを察知した破邪の集団バラモンは明智光秀を操り本能寺で信長を葬る。
光秀は「信長の首を取れ」と言いながら心の中では「なぜわしが主君の信長様を討たねばならんのだ。だが体が勝手に」と思う。
はっきり言って光秀はとばっちりを受けている。本当かわいそう。
その2
椎名高志「GS美神」の劇場版。
ここでは信長は最強最悪の吸血鬼で光秀は実は戦国時代の悪霊払いだった。
光秀は本能寺の変にかこつけて信長を封印した。
レスがつかないっていうから意見出したのに、礼も言わないわけー?
ここは同人スレですか?
>>64 馬鹿だなお前。内部告発本でも売るためには半分はトンデモネタを入れないと
売れないじゃねぇかよ。それともお前が吾郷先生の様な100%マジメなネタを
出してくるなら、荒らしでないと認めてやるよ。
71 :
名乗る程の者ではござらん:2005/06/04(土) 04:32:26 ID:gifcwqCF
>>66 >>65には、フィクションの範囲と書いてあるのだが…
軋轢があったかについては、記録が残っていない。あくまで推測ないし
妄想だろうと思う。しかし、かといって全く史実に反しているというのも
早計のような感じもする。残念ながらというか、歴史は勝者が残す。
しかも、己の都合が良いようにね・・・。
>>70 なぜ、
>>64程度の書き込みで、荒らしとなるのかがわからないのだが、
そこまでいうのなら、光秀が濃姫の兄と認められた(学会でもか?)経緯について、
まずは教えてくれないか?
72 :
ピノコ:2005/06/04(土) 09:25:29 ID:2LNbJwwW
書き込みが増えて、ピノコ、うれしい悲鳴でちゅ。
いわゆる「トンデモ」ネタの件ですが…
「トンデモ」が、皆で議論している内に大化けして「名案」になる可能性だってありますよ。
また、何をもって「トンデモ」とするかは人によって微妙に違うところ。
「武功夜話」や「明智軍記」なども「全然信用できないから用いるべきでない」と
考える人もいるでしょう。
だた、ここは史学のサイトではなく、「(大河)ドラマを皆で創ろう」ということを目的としたスレッド。
視聴者でもある皆さんにとって、「実際、放映されると面白いか(許せるか)」が基準になると思います。
みっちゃまは
>>67で、「視聴者にどこまで妥協するか」って書いていらっしゃいますが、
明智のみっちゃまも、ここでは「視聴者の一人」として「こんなドラマが観た〜い」って立場で参加されてるから、
「視聴者に」妥協も何も無いと思うんだけど。ただ「自分がイイ」と考えたことが
他の嗜好や考えをもった人にも「面白い」と受け取ってもらえるかが問題なワケで、
その点、2ちゃんは、ちょっとマニアックな視点は多いけど、いろんな意見を知るのに、いい手段だと考えてます。
信長と光秀の付き合いって短かったな
10年ちょっとか。 光秀は諸国行脚してたらしいからそっちもみたいな
74 :
明智のみっちゃん:2005/06/04(土) 17:34:10 ID:SL702jxf
わき目もふらずに改革を断行してきた自分が「何を得て、何を失ってきたのか?」そう振り返るたびに心を痛める彼の姿。後半は、よき伴侶であり理解者である奥さんも病死なさるので、
なお、自己の哲学にのめりこんでいくことになります。「自分はこの国に秩序を与えるためにやってるだって?後の世から見れば光秀のやらかしたせいでもっと悪くなったんじゃないか!」といわれる不安など・・・。
つまり、足利義昭のことなど「自分はよかれと思って今までのことをしてきたが、結局のトコ、更なる混乱を招いただけなんじゃないか?」という自信喪失。これに、同時進行で進んでいた朝廷などの「信長暗殺計画」。
当初は、秀吉に並ぶ家臣の自分とは無縁と思ってきたが、じょじょにその不穏な動きに耳を傾けるようになり、「堂々巡りを繰り返す世の輪廻を断ち切れるのならば…」と、「改革の改革」を光秀は考えうようになり、
志が高いがゆえの激しい自信喪失と自己否定。公家と武家の権力の分裂および、この国の行く末を思う気持ちと自分のせいで起きてしまった世の混乱への彼なりの”清算”の方法。
そして、「織田信長」という敬愛すべき天才を”英雄”として後世に語り継がせるため。暴走や国の分裂が生じる前に、自分が「よくしてくれた君主を討つ、腹黒い逆臣」という汚名をかぶることで、信長の偉業をさらに際立てる”影”の役回りを演じる。
くしくもこの語の混乱を収拾できるのは自分とは相反するタイプの秀吉。しかしながら、同時に「悔しいけど、あの野郎ならウマく人心をつかんで処理していけんだろうな。」という存在があったからこそ「本能寺の変」を起こせた。
秀吉のような有力勢力がなければ、彼も「本能寺の変」を起こさなかったと思います。なぜなら、また自分のせいで暗い歴史を繰り返してしまう恐れがあったからです。
75 :
明智のみっちゃん:2005/06/04(土) 18:20:43 ID:SL702jxf
創作キャラの是非ですかぁ・・・
これは「あってもいいが、なくてもいい!」ですね。うーん中井貴一のセリフじゃないか!これじゃ!
ただ、あまり深く介入させるとウサンくさくなりますから「新選組!」の捨助みたいなキャラにはしたくありませんね。
もし、いたほうが個性が出るじゃないか!という意見があるならば「長兵衛」と「天海」をだしてみたいかなぁ。
長兵衛はおぐるすで光秀を刺し殺す農民ですが、彼と光秀は放浪時代からの知り合いにするのはどうでしょう?
戦で親兄弟を目の前で虐殺された過去を持つ百姓の長兵衛。その生い立ちを知り心を痛め共感する光秀。そして、安寧の世を懇願するようになる…
「武士の中にもいい人がいるなぁ。」と感銘を受ける長兵衛だが、比叡山焼き討ちで光秀が世話になったお坊さんたちを殺していることを知り落胆。
一度は武士を信じてやろうと思った彼だが、「どうせ武士はみんな同じだったのか!」と激しく憤り、落人狩りの頭になっている。
そして、おぐるすで運命の再開!いつもの通り負け戦の将に狙いをつけていた長兵衛。いざしとめてみると光秀!サスガの彼の中にも複雑な念がよぎるが殺害する。
そんな彼に「今ここで殺してくれたほうがうれしい。お前に殺されるなら本望だよ。」と光秀に言わせるとか?その前に信長も「是非に及ばず!」と言うのでいいかなぁ?
あとは天海!
えぇええ!と思う皆さん。光秀と別人の天海です。天海説では「殺された光秀は影武者」というのが定説ですよね!しかし、そのまんまのオハナシじゃつまらない。天海になるぞと匂わせつつ
「殺されたのはやっぱり本人」といういい意味での「期待の裏切り」要素が欲しいですね。「影武者徳川家康」みたいですかねぇ?逆説の逆説を用意すれば、一年間見てくれた人には意外性というプレゼントがもらえます。
お寺に身を寄せていた頃に光秀と知り合うお坊さん。光秀に僧になることをススメるなどする。叡山攻めの際は光秀の配慮で生きながらえる。本能寺後は明智家に同情する徳川方に召抱えられる。
光秀の無念や痛恨の念を知る彼が彼をしのび、今に残る逸話の根拠を残していたとすれば…
まぁやりすぎには禁物ですからね。蛇足と言われればヤメますケド・・・
76 :
明智のみっちゃん:2005/06/04(土) 18:32:43 ID:SL702jxf
「放浪時代」を描き方についても一言・・・
第1回を「坂本城の主」というタイトルにして城主就任からスタートさせるのはどうでしょう?
つまり全盛期です。以前、引き合いにナポレオンを出しましたが、元ネタのフランス映画がありまして、これがナポレオンが士官から出世する話ではなく、戴冠で始まりその後の没落と死を描いているんです。
こういう「滅びの美学」をドラマのテーマの一つにしたいんです。
そして、毎回ふとしたデキゴトや発言で過去を振りけるのはどうでしょう?
城下の琵琶湖を眺めながら家臣と裸一貫だった頃の苦労話をするシーンから回想シーン人はいるなど。
現在進行形の「今」と「昔」をコレをからめながら描けばコントラストを提示し、よりドラマ性が浮き彫りになると思います。
信長の「改革論」に酔いしれた自分が、今はその男の暴走を恐れている…
百姓やお坊さんのお情けで放浪生活を支えられてきた自分が、今は寺を焼き民を殺してるなんて…
そんな運命の皮肉にさいなまれる知識人の光秀の葛藤。
なんか山南先生を彷彿とさせる役回りでウケるのではないか?と思っています。
ただ、あんまり時間軸を複雑にいじくると難解なドラマになるので、こちらもやりすぎは禁物ですね。
77 :
明智のみっちゃん:2005/06/04(土) 19:16:46 ID:SL702jxf
色々やりながら書き込んでいるので文章がめちゃくちゃですね。
すみません。そしてまた連続で書き込んでます。重ね重ねすみません。
オープニングは水戸黄門の葵の御紋のように桔梗の紋がバーンとでてくるんでしょうかぁ?
脚本はジェームズ三木さん。音楽はmusashiのエンリコ・モリコーネさん。なんて豪華!絶対にありえませんね。
キャスティングを考える前に結局、出る人は誰か?をまず、みなさんと決めたいです。
78 :
名乗る程の者ではござらん:2005/06/04(土) 19:44:46 ID:NIMrWkUC
>>1 この板ではなく、まずは三戦板でやった方が、いいのではないかな?
(類似スレあり)
あの板の方が、光秀や周辺人物に詳しい椰子たくさんいるし、
有意義な意見も聞けると思うぞ。
79 :
名無しの制作委員:2005/06/04(土) 20:13:30 ID:2LNbJwwW
三戦板には、案内を貼り付けておいた…
あんまり板を転々とするのはねえ。
あと、2ちゃん以外の明智光秀関連の掲示板にも、案内はしてある。
80 :
織田ののぶちゃん:2005/06/05(日) 03:14:09 ID:Gf6JvsUT
申し訳ございません。
諸事情により、しばらくインターネットを利用できない環境にあり、参加することが出来ませんでした。
今日から使えるようになりましたので、再び参加させて頂きます。
81 :
織田ののぶちゃん:2005/06/05(日) 04:16:19 ID:Gf6JvsUT
一読させて頂きました。
私の考えを述べさせて頂きます。
>>58 オリジナルのキャラクター、エピソード、新解釈がどこまで許されるか。
個人的な好みとしては、架空人物を使うことはあまり好きではありませんが、
物語の中での役割がしっかりしていて、「何のために存在したのか分からない」
ということにさえならなければ、許容されると思います。
歴史ドキュメントではなくドラマである以上、必要以上に史実に縛られることはないでしょう。
>>67 比叡山焼き討ちの描き方。
光秀が叡山攻めの前に、周辺の土豪を懐柔する裏工作を行っていた文書があるようです。
つまり光秀は、積極的に叡山攻めを推進する立場にあった。
こうした事実と「叡山攻めを止めるよう進言した」という一般的なイメージとを
両立させるには、信長に懐柔工作を命じられた時点で反対した、とするのがよいでしょう。
しかしそこで、信長から叡山攻めの真意を説かれ、光秀は、天下布武のために
必要なことと納得する。そして、叡山攻めを推進することになる――。
このような描き方はどうでしょうか。
82 :
織田ののぶちゃん:2005/06/05(日) 04:39:33 ID:Gf6JvsUT
>>59 史実はそれ自体面白いということも仰るとおりですし、基本的に大河というものは、
歴史上のエピソードに多少のアレンジを加えつつ描いていくものだと思います。
ただ、今回は光秀を主人公として描こうという趣旨ですから、
前半生に全く触れないというわけにはいかないでしょう。
歴史の表舞台に立って以降の光秀をしっかり描くためにも、
前半生をしっかり描いて魅力的な人物造形をする必要があると思うのです。
そのためには、前半のオリジナルエピソード中心のパートと、
後半の史実をベースにしたパートとの間に一貫性を持たせ、
筋の通ったストーリーになるようにせねばなりません。
それがこの企画の一番難しいところでしょう。
>>75 光秀≠天海説はいいアイディアだと思う。
光秀=天海説の作品は既に20年前に早乙女貢さんが描いている理由もあるが。
84 :
明智のみっちゃん:2005/06/05(日) 10:17:28 ID:zKWBCunp
>織田ののぶちゃん
おぉお久しぶりですぅ。
そうですね。光秀も堕落した僧の実態に苛立ちを感じていたのもまた事実だと思うんです。
それに当初は、光秀の世話になったお坊さんたちはまだ引き合いに出てこなかったのかもしれません。
これを機会に善良なお坊さんはピシッとしてくれるだろう。と考えていた。が、信長は根絶やしを命じるわけです。
85 :
名無しの制作委員:2005/06/05(日) 23:01:24 ID:UE5DDfJK
織田ののぶちゃん、お久しぶり〜
オリエピの件で私見をひとこと。
小説やドラマにおいて、リアルなキャラクターを造形したいなら、
その人物の過去・趣味や私生活の裏のウラ・体質や遺伝子まで考えろってのが、
ピノコの主義らしい(笑)。まあ、シナリオ入門みたいな本には確かにそう書いてある。
ピノコの香具師は、そういう訳で、必死こいで
>>37〜
>>41に、自分の妄想を書いている。
明智光秀の生い立ちやなんかは、他にもいろいろ考えられるので、
ピノコの妄想に突っ込み入れながら、史実や他の戦国小説を元に
いろんな仮説を皆で考えるコトだな。
86 :
名無しの制作委員:2005/06/05(日) 23:04:50 ID:UE5DDfJK
おっと間違い…
>>34から、すでにピノコの妄想が書き込んである(笑)
87 :
ピノコ:2005/06/06(月) 11:24:42 ID:IkPU7vHj
織田ののぶちゃん、復帰ありがとうございます。お元気でしたかちんもく?
>>85 >>86 …(沈黙)…
88 :
ピノコ:2005/06/06(月) 11:33:55 ID:IkPU7vHj
明智光秀の生い立ちについて…何でピノコはこんな憶測・妄想をしたのか??
明智光秀の出自については諸説あります。中には若狭の刀鍔職人の息子とか…
出自不明の人間で、出世欲が強く、没落した明智家の家系図を手に入れて、
勝手に「土岐一族・明智家の者」と名乗ったことにしてもよかったのですが…
光秀どのの教養の高さなど考えると、やはりそれなりの名家の生まれのように思われますし、
とすると、「土岐一族・明智家の者」という出自は信頼していいと思うのです。
但し、「嫡男ではなかった」「城主にはなれない立場だった」…のではないか。
89 :
名乗る程の者ではござらん:2005/06/06(月) 11:42:12 ID:IkPU7vHj
1556年の明智城陥落の際、光秀どのは28歳。すでに城主となっていても不思議ではない。
なのに叔父上の光安どのが城主(城代)だったという。なんで??って思うんですよね。
で、叔父の光安どのから、光秀どのにとっては甥に当たる光春・光忠の後見を頼まれる…
とすれば、光安ー光春ラインが嫡流で、光綱ー光秀ラインは庶流ではないか…
そんな考えが浮かんだのです。
90 :
ピノコ:2005/06/06(月) 11:59:28 ID:IkPU7vHj
おっと…
>>89で、ハンドル名を入れるの忘れてた(「中の人の性格は『うかつなでじこ』と言われるゾ)
もう一つ、光秀どのの性格から、「何だかの挫折を少年時代に体験している」と感じたからです。
例えば、西郷南州翁は、10代の始めに腕を怪我して剣が使えなくなり、それから学問にいそしんだ…
そして、「大事を成したい」と考えた少年時代の西郷どのは、徹底的に禅の修行に打ち込み、
「私」を捨てることによって「天命」に従おうとした…
それと似たことが光秀どのにもあったのじゃないか?
実際、西郷どのも光秀どのも、「大陰謀家」の顔を持ちながら、「人民思いの誠の人」という
二面性をもっていらっしゃる。そして「陰謀」を好むのは、己の欲望のためでなく、「革命」のためですね。
そんなコトから、「10代半ばまで、自分が城主になれる=嫡男だと思っていた、しかしそうではなかった」
という設定を思いついたのです。
91 :
ピノコ:2005/06/06(月) 12:33:21 ID:IkPU7vHj
あと「三宅弥兵次」と光秀どのの関係ですね。
私は「三宅弥兵次(後の明智秀)」イコール「明智光春(光秀の甥・光安の息子)」
という設定にしたいです。
明智城落城まもない頃は、光秀どのは「明智家再興」「明智城復活」を人生の目標にしていた。
甥の光春に対しても、光春こそが明智家一族の長であると考え、自分は目下のように振舞っていた。
しかし、いろんな経緯があって、光秀どのが朝倉家家臣となった、
光秀どのにいろいろ恩義を感じている光春どのは、光秀どのを明智一族の長として立て、
自分は遠慮して妻の姓である「三宅」姓を名乗ることとした(つまり光秀の長女を妻として迎える前に結婚していた)
こういう設定にしたいんですが…
どうでしょうか。
92 :
ピノコ:2005/06/06(月) 12:41:32 ID:IkPU7vHj
あと悩んでいるのが、斉藤利三の設定ですね。
・斉藤利三の母は光秀の妹という説がありますが、そうなる年齢が合わない(笑)
お母さんはわずか6歳で子どもを産んだことになる。
・斉藤利三と、石谷頼辰と、長曽我部元親の正室との関係が分かんない。
長曽我部元親の正室が斉藤利三の妹とされてますが、「石谷頼辰の妹」と書いてあることもあります。
斉藤利三は、もともと石谷家の人で斉藤家に養子に入ったのか? それとも斉藤利三の妹が石谷家の養女となったのか…
93 :
ピノコ:2005/06/06(月) 12:48:56 ID:IkPU7vHj
分からんついでに言えば、明智光忠。
光秀どの甥なのか、百姓出身だったのを、光秀どのの父・光綱が家来として取り立てたのか?
はっきり言って、光忠。弥平次は、シナリオ設定上、「甥」とするのか「家来」とするのか
はっきりさせないと、言葉使いとか席順とかが違ってくるので、
正直なハナシ、「本能寺の変」の真相の推測以上に重要なことだと思う。
…それともドラマの最後に「明智光秀の出自には不明な点が多く、このドラマにおける出自や血縁関係などは、
必ずしも事実ではありません」というテロップをつけるべきではないか??
と考えるピノコであった。
94 :
明智のみっちゃん:2005/06/06(月) 20:37:05 ID:i8+vLqoC
>ピノコさん
三宅弥平次はそれでいいと思います。おおむね、私もそういう風にしたいと思ってました。
明智光忠や斉藤利三は難しいですよねぇ・・・
どの説を採ったとしても、ファンの論争は絶えなくなるのは必須です。
ですから、非常に身勝手ながら、いっそ全部「血がつながってる説」を排除してしまったほうがいいかもしれません。
落城の際や放浪の際に、拾われた子供とか。そういう身分のものをとりたてたとか。
そのほうが光秀の心の深さや民衆との心のつながりを演出できますし。そうしてもらった者たちが必死に光秀に尽くす姿。
それらがより「崩壊のへの美学」に輝きを与えるような気がします。
95 :
ピノコ:2005/06/06(月) 22:25:46 ID:IkPU7vHj
>明智のみっちゃまへ
「斉藤利三」さんは、ぐぐったらスグ分かりました。
1534年生まれ(光秀どのより6歳下)。美濃斉藤家の生まれ。
(斉藤道三の「新」斉藤家ではなく、美濃守護代を務めてた「旧」斉藤家の出身)
で…長曽我部元親正室が斉藤利三の妹である件なんですが、
利三のママの再婚先が土岐一族庶流の石谷家で、そこで生まれた娘さんでした!
96 :
ピノコ:2005/06/06(月) 23:01:50 ID:IkPU7vHj
あと…明智のみっちゃまに、あえて異論を申し上げます。
みっちゃまは光秀どのの後半生を「暗いもの」として考えていらっしゃるようですが、
私はむしろ、後半生になってから、「自分の人生に満足し、感謝していた」と考えてたんですが。
ピノコ的憶測によりますと光秀どのの前半生は…
・幼い頃、産みの母と死に別れる。ついで父親とも死別。
・明智城の叔父夫妻の元でしばらくは落ち着いた、幸せな少年時代を送るが、やがて自分は城主になれないことを知る。
・斉藤道三や快川和尚との出会いにより、「自分の主君は『天』」と考え、学問や武術の修行に励み、足利家の足軽などを務めるが、
斉藤道三が討死し、明智城も落城。地位とかコネとか財産とかを一気に失う。
・斉藤義竜の妨害により、正式に仕官することはもちろん、定住すらままならない、命を狙われている?
で、放浪生活(というか、潜伏・逃亡生活に近い)を余儀なくされる。
(この時、光秀一行を追跡・監視し、命さえ狙っていたのが、義竜の命を受けた斉藤利三なわけ)
・ようやく、越前で定住することになるが(土佐で斉藤利三と再会、斉藤利三がとりなしてくれた)
朝倉家より捨扶持をあてがわれる生活。寺子屋の教師をしながら、志と違いすぎる人生に落ち込む…
こんな感じだと、妄想してます。
で…まだこの辺りのストーリは、こちらには書いてませんが、
・越前で暮らすうちに、「海の向こうの世界」「海運を利用しての外部との貿易」に関心をもつ。
(明智軍記に、このエピあり。「モンゴルはここから見えるか」と尋ねたり、アイヌとの交易に興味をもったり)
そのことからやがて、「現在の日本の主権者=元首は誰だ?」という問題意識をもつ。
・朝倉家でしかるべき役職地位を得たいと考え、一向一揆の鎮圧部隊に志願する。一向一揆の制圧に成功、
高位を得る。
で…やがて足利義昭の幕臣となり、信長の家臣となり…上り坂の人生を迎えます。
97 :
ピノコ:2005/06/06(月) 23:17:16 ID:IkPU7vHj
たしかに妻と死別するなど、悲しいこともありました。
でも、みっちゃまは嫌がるでしょうが、この後、妻木家より新たに妻を迎えているんですよね。
娘婿の荒木村重の謀反も辛いことだったかもしれない。だけど、このことで嫁いだ娘が帰ってきて、
うまい具合に、弥兵次の妻に納まってくれた。
家族にも家臣にも恵まれ、領民にも慕われ、特に丹波では自分の理想の政治が実現できた…
そういえば、子どもの頃は実の父母にも養父母にも、いろんな不満や恨みを抱いたけど、
自分が親となってみれば、親の恩がよく理解できるようになった…
さんざん辛酸をなめたが、その度に助けてくれる人・支えてくれる人がいたなあ…
自分の幸せを実感するとともに、周囲へ感謝と思いやりの気持ちをもち、
ますます情が深く、徳が高くなっていく光秀どのの後半生。
こんな描き方も可能ではないでしゅか??
98 :
明智のみっちゃん:2005/06/07(火) 09:58:45 ID:tLLn9q9E
>ピノコさん
あぁいいですね。そういうのも。
周りが暗くなればなるほど、中から明るくなっていかなければ生きていけない。
前半期の暗いできごとは、本当に彼にとってショックの連続だったでしょう。
ただ、自分が満たされていく過程で満足や周囲への感謝の念が高まったのも事実でしょう。
「もう自分には思い残すことはないな。」という一種の悟りの境地を開いていたのかもしれませんね。
情が沸いてくるうちに、今までの自分のやってきたことが何なのか冷静に過去を振り返るようになった。
私の言う「暗い」は何もノイローゼという意味ではありません。
「もうこれでいいかな。」という満足から来るあきらめなのだと思っていました。
新しい妻の件ですが・・・
いないほうがドラマとしては際立つでしょうが、いたらいるで光秀の心の深さをまた別の視点で描けるので、それもありだと思っています。
どちらがいいかは難しいところですね。それか新しい妻にも光秀やヒロコさんと以前から何かしらつながりがあったりなんてドラマを本筋とは邪魔にならない程度に作るのもいいかも知れません。
99 :
まったけ:2005/06/07(火) 20:16:34 ID:???
423年前、我等が明智光秀公が織田信長を討ち果たし、天下人としてこの国の采配を振るっていた本日に復帰を致します。
今年の大河ドラマ『義経』を見ていると敵役がいないのですね。源氏からすれば、最大の敵役である平清盛入道が、源義経の育ての親と
なっていました。さらに宗盛・知盛・重衡らに至っては兄弟!?。
後白河法皇は、むしろ平家の敵役でした。強いていえば、兄・源頼朝が、今後はその役を引き受けるのでしょうか?
沈黙の間、色々と考えました。
そこで、閃いたのが明智光秀公に主役でありながら「ヒール」を演じてもらうのはどうでしょうか?
ただ、ヒールといっても、明智城落城からは、臥薪嘗胆の放浪の日々。
そして、足利義昭・織田信長に臣従してからは、虎視眈々と天下を狙い続ける。合理的かつ伶俐なヒールです。
(しかし、家族や家臣に対する情は深い。)
もちろん、自らの野望は表立っては口には出さずに、黙々と鉄砲隊の組織化や近江水軍の支配等の軍事力の強化や堺衆との交流等に策謀を行い、
「ときは今」と京都と丹波国の境界・老ノ坂峠(注:1)で旗揚げを行う。
最近の大河ドラマは、某週刊少年漫画誌のように人間関係を情的(特に友情の強調が多い!)に描き過ぎる傾向を感じます。
敢えて、明智光秀公でやってみませんか?
脚本家にとってもやりがいがあるように思いますが・・・。
長い沈黙の後、突拍子もない提案・・・。ご容赦下さいませ。
(1) 旗揚げを「老ノ坂峠」にしたのは、土岐源氏の先祖であり、摂津源氏の始祖・源頼光が「大江山の鬼退治」を行った土地だからです。
(大江山を京都府北部の加佐郡大江町とするのは誤りです。)
また、足利尊氏(河内源氏)が、北条得宗家(平家)に篠村八幡宮(京都府亀岡市篠町)で旗揚げした後に、老ノ坂峠を進軍して六波羅を討ちました。
ィ─;;;-..-..--、
,,...-= ̄ /::::::::::〈
/  ̄ヾ、::::::ヽ
/ |::::::::::|
| |:::::::::ノ
〈ミ=、 、-ー^ レニY
. 〉=/ ,z=- ト ,ノ
lミ(__、 ├'
. l;ミ==、_ ハ
l;ミ⌒ /|;;L
>ェッッッ=ッ''" /::::::'、
,...-'"::::|:|彡''" /'::::::::::::::ヽ、
,...-'":::::::::::::::|.|'" /'::::::::::::::::::::::::::::ヽ、
. /::::::::::::::::::::::::::|.! /'::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ、
/:::::;┐::::::::::::::::::|,レ':::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ、
. /:::::::∪::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ハ:::::::::::::::::::::::::
100レス目おめでとうでござる。
まったけ殿の復帰、ありがたいでござる。
101 :
ピノコ:2005/06/08(水) 23:57:41 ID:???
おっと…
>>96で、「寺子屋こ教師」なんて、無教養マルダシの日本語書いちゃったw
正しくは、「寺子屋の師範」かな??
というより、「寺子屋」って言葉じたい、まだ無かったかもしません。
(光秀どのが、お寺で僧侶や百姓の子どもに読み書きを教えていたという伝説はありますが…)
ホカにもいろいろ書きたいが、疲れて眠いので日本碁がくるぴそう…vv別の日にあらためて
102 :
明智のみっちゃん:2005/06/09(木) 13:16:58 ID:NeVPrM+Q
>ピノコさん
そういえば「武蔵」で市川海老蔵も、チビッコに「いろは」を指南してましたね。(笑)
では、この辺で「出すべき登場人物」の整理でもしていきましょうか・・・
必須の人物はもちろん「この家臣出せ!」「この武将も出せ!」という意見お待ちしております。
最終的にはキャスト表のようなものができるようになるといいと思うのですが、どうでしょう?
103 :
名乗る程の者ではござらん:2005/06/09(木) 14:31:00 ID:mAEAisvZ
>>102 話の主軸すらできていないのに、なんでも有り的に意見求めるのは如何なものかと。
まずは、出すべき人物をそっちで提案してもらわないと、意見のしようがない。
これは、キャストに限らず、主なストーリーもそう。
意見を出し合って決めていくのは良いと思うが、
まずは、本能寺と彼の最期をどう書きたいのか?をある程度固めていった方がいいのでは?
それによって、変を起こすまでの光秀の描き方もかなり変わってくると思うから。
それから、変に良い人っぽい秀吉や家康はもうお腹いっぱい。
>>103 やめとけ、同人感覚なんだからさ
指摘されれば、クルナ扱いするような椰子には何を言っても無駄
105 :
ピノコ:2005/06/09(木) 21:46:30 ID:aUF4yZG0
>>104さん
同人感覚っていうご指摘、ありがとうございます。
…何とかこの体質は直したいです。
反 省 !
106 :
ピノコ:2005/06/09(木) 23:03:06 ID:aUF4yZG0
「本能寺の変」については
>>8 >>9 >>10 >>12 >>13 >>15 >>42 >>43 を参照。
基本的には
・「怨恨説」は扱わない
・(朝廷や足利義昭による信長抹殺の動きはあったかもしれないが)光秀の単独犯
というのが、大河板にこのスレが建ってた頃から有力な意見として出ていました。
ただし、「アフター本能寺の変」の話とかはまだなされていません。
107 :
ピノコ:2005/06/09(木) 23:52:44 ID:???
ピノコ的には第1話〜10話までのプロットは出来ていがいます。
第1話 光秀の少年時代の、父・光綱の法事の日を中心に描く
【導入部】 戦場で戦う光綱。対戦相手は尾張勢(大将;織田信秀)
深手を追い、死が間近な光綱は、幼い光秀に、祖父が城主である明智城へ行くよう遺言する。
【ドラマ前半部】父の法事のため、庭の花を切る少年光秀。遠縁でもある、妻木家の娘・ひろ子と
その妹てる子(共に後に光秀の妻となる)との出会い。(
焼香の際、光秀の義兄弟光忠は、本来は百姓身分だった自分を引き取ってくれた光綱への恩顧を思い
脇差も取り丸腰になる。「初心を忘れないのはよいことだ」と、光忠をほめる城主・光安(光秀の叔父)
法要の後、光安らは、斉藤道三(美濃守護職・光安の妹の夫)と談笑する。
【後半部】一族の幼い子ども達の遊び相手をしている光秀。しかし叔父・光安に呼び出される。
光秀に、光秀の父・光綱は、先代城主・光継の庶弟にあたること、光継が光綱を自分の養子としたこと、
従って、光秀は明智城の城主にはなれないことを伝える。必死に動揺を隠し、
光安にこれまでの恩への礼をいう光秀。
それでも、ショックは隠しきれず、ぼんやりと庭を眺める光秀。
その時、光秀の耳に、一族の幼い姫が倒木の下敷きとなり、助けを求める悲鳴が聞こえる。
必死に、全力で姫を救い出す光秀。無事、倒木を動かし、姫を助ける。
その日の夜、光秀は自分の思わぬ怪力に驚き、庭の岩を動かそうとするが、びくともしない。
様子を見ていた快川和尚に、「己の拘りを捨て、無心となり天命に従う心を持てば、
人は大事を成せる」と教える。
だが、数日後、光秀は、「これを大切にすれば千人の将となれる」という
大黒天の人形を竈にくべる。心配する叔母。
斉藤道三は、光秀のこの行為をほめる。そして「世間の人は自分のことを
下克上を体現した者のようにいうが、自分はただ『天の意』に従い、『革命』を
起こさんがために行動している」のだと話す。
【閉めの部】10年後、逞しい若者に成長した光秀。そばには妻のヒロ子がいた。
108 :
ピノコ:2005/06/09(木) 23:55:51 ID:???
続きはまた別の日に書きます。
ちなみに10話が、越前一揆鎮圧の話にあたります。
109 :
ピノコ:2005/06/10(金) 00:00:25 ID:???
ゴメン…
>>107訂正
様子を見ていた快川和尚に、「己の拘りを捨て、無心となり天命に従う心を持てば、
人は大事を成せる」と教える。
↓
様子を見ていた快川和尚は、「己の拘りを捨て、無心となり天命に従う心を持てば、
人は大事を成せる」と光秀に教える。
110 :
明智のみっちゃん:2005/06/10(金) 13:53:33 ID:bW8ZrVGW
>>104 無駄だとわかってる発言はハナからしないようのに。
それこそ無駄に発言が進むので、よろしくお願いします。
>>103 やはり時期尚早でしたね。
ここはピノコさんが毎度のことながら、がんばってくださっているので、みんなでバックアップしていきたいです。
というわけで、みんなで期待しましょう。
>秀吉&家康
そうですね。
光秀の「いい人」さを際立たせるためには、周囲の人間を腹黒く描く必要がありますね。
111 :
織田ののぶちゃん:2005/06/11(土) 01:38:46 ID:Z5ttqgNj
私は、基本的に光秀は「いい人」であろうと思いますが、
それだけだと薄っぺらくて嘘くさくなってしまうかもしれません。
律儀で誠実な人物として描くと同時に、光秀の負の側面もとらえる
必要があると思うのですが、皆さんはどう思われますか。
>>110 周囲の人物を悪く描く必然性も生じるでしょうが、単純な悪役ではなく、
その人物のよい面や人間らしい面にも目を向けていきたいですね。
主役にも敵役にも愛情を持って見られるドラマが理想です。
>>107 よくそこまで考えられましたね。
私は、信長や本能寺の変についてはある程度知っているつもりですが、
光秀の前半生や一族・家臣たちに関しては勉強不足なもので…。
是非続きを聞かせてください。
話が進んで私の守備範囲に入ったら、また自分なりの意見を書かせて頂きます。
112 :
ピノコ:2005/06/11(土) 11:11:18 ID:lHetUHvb
いや…実はこのスレッドに関わるまでは、明智光秀についてよく知らない者だったんですよ。
私の場合は偽史的なファンタジー分野が好きなので、少ない史料からいろいろ勝手に空想して、
ストーリを作るのはむしろ得意なほうです。…ただそれがどこまで大勢の人の好みに合うのかが
問題ですが。
113 :
ピノコ:2005/06/11(土) 11:39:05 ID:lHetUHvb
悪役設定の件ですが…
光秀を主役として描くと不思議なことに、
>>59さんがおっしゃるような、
「野心家」「俗っぽい」光秀に自然となってしまいます。
「インテリ」で「気品のある」光秀ファンにとっては、「イメージ違いすぎる!」に
なっちゃうでしょうが。
あと…ピノコ原案では、家康や秀吉は、出番があまりないですねえ。
浅井・朝倉連合との戦いでは、光秀・秀吉・家康の「揃い踏み」がありますが…
あと、「本能寺の変まであと○○日!」という頃には、この2人の出番は増えます。
しかし、光秀主役のドラマだと、出番が多そうな人物は…細川藤孝、吉田兼見、足利義昭、
三好勢の人たち、松永久秀、筒井慶順、荒木村重、長曽我部元親…etc
逆に武田信玄あたりは出番あるでしょうか??
114 :
ピノコ:2005/06/11(土) 12:15:42 ID:???
おっとw…
>>113は「悪役」ではなく、「脇役」「登場回数の多そうな人物」についての
書き込みになっちゃいました。
では、ストーリに沿って、光秀の敵役・イジメ役となり得る人物を、今度こそ、挙げていきます。
「美濃編」「放浪編」…斉藤竜義
「越前編」…朝倉義影(「敵」ではないが、光秀を困らせ、悩ませる役)
「信長上洛編」…六角氏 三好三人衆 松永久秀
「朝倉討伐編」…足利義昭 あと、敵がイパーイ。
なお、この辺りでは、信長を徹底して「善人」「正義の味方」として描きたいです。
実際、信長は人民思いでしたし。
「石山本願寺10年戦争編」および「丹波攻略編」
…石山本願寺編は一向一揆勢(つまり普通の農民達)が
丹波攻略編では「国人」「地侍」(農民を搾取する人)が
それぞれ敵となります。
「丹波治政編」…治水を行なうなら、「自然」が敵。
あと、農民から税を搾り取る悪い小領主とかも。
光秀はこれまでにない善人に。
「もうすぐ本能寺の変」「そして本能寺へ…」「本能寺の変・その後」編
…? ? ?(誰に味方すべきか、誰が潜在的な敵なのか、
すべての登場人物が悩み、迷う)
115 :
お具:2005/06/11(土) 16:34:46 ID:???
すごい詳しいですね。皆さん。
教科書・マンガ日本の歴史レベルの自分にとっては書き込みが詳しすぎて、
どういう風に書き込めばいいか…
どうしてそんなに詳しいのでしょうか?
なにか良いサイト・書籍を教えてください!
前レス読まないでカキコしますが…
山本薩夫監督の「続忍びの者」を見ていただくと
結構プロットのヒントになるようなものがあるんではないでしょうか
(私は俗説の光秀像寄りです)
あの映画は、形の上での主役は市川雷蔵演じる石川五右衛門ですが
実質の主人公、前半は光秀(山村聰)、後半は家康(永井智雄)です
この映画での光秀は、秀吉と並ぶ信長の有能な「片腕」ですが
気分屋(良く言えば直感重視)の信長の気持ちに先回りする秀吉と違い
あくまで信長の「支配者としての風格、面目」を重んじるがゆえに
諌言を重ねたすえ行き違う家臣として描かれています
その行き違いを、謀略のプロである五右衛門や服部半蔵に利用され
感情を扇動される形で叛乱に至るのですが…
117 :
ピノコ:2005/06/11(土) 23:37:42 ID:???
>>116さん、イイ提供、ありがとう。これからもお願いします。
映画「忍びの者」…
実はワタシの若い頃、「シナリオの勉強になる名作だから、よく観とけ」と言われた作品です。
今ではDVD化されてんですね。 正続合わせて1万円近いお値段。 山本薩夫監督作品。
>>115さん
サイトは「明智光秀」など人物名で検索したり、「明智軍記」「美濃諸旧記」「武功夜話」
などなど、書物名で検索したりすると、イロイロ見つかります。
書物では…「学校で教えない教科書・面白いほどよくわかる戦国史」(日本文芸社)が、
字が大きく初心者にも分かりやすい内容ながら、実はアカデミックで堅牢な本です。
また、最近、中公文庫より「日本の歴史」が出版されました。10巻「下克上の時代」
11巻「戦国大名」12巻「天下統一」
新書本では、中公新書の「信長の親衛隊」「信長軍の司令官」「織田信長合戦全録」
(いずれも谷口克広著)、KKベスト新書「織田信長 石山本願寺合戦全史」(武田鏡村著)
小説なら、「国盗り物語」(司馬遼太郎)「下天は夢か」(津本陽)
PHP文庫より、いろんな戦国武将の小説がイパーイでてます。
118 :
ピノコ:2005/06/12(日) 01:08:43 ID:???
第2話…斉藤道三の最期、そして明智城陥落(1556年。光秀28歳の頃)
【導入部】斉藤義竜が、自分の実父は土岐頼芸であることを知り、
斉藤道三への謀反を決意する。
道三が、自分や実子よりも、婿の信長と甥の光秀を高く評価していることに
激しく嫉妬する義竜。
【前半部】斉藤道三と義竜の戦い。義竜が圧倒的有利。
明智光安は石谷対馬守と共に道三側につく。
道三は信長からの援助を断る。道三が死ぬつもりであることを悟った光安は
光秀に、明智城を守るよう命じる。「自分は金庫番か!」と出番の無さを嘆く光秀。
義竜は、明智家が信長と通じることを恐れ、国境を固める。
道三は信長に「譲り状」の遺書を書く。道三、4月20日、長良川で討死する。
【後半部】道三の死から半年近く経っても稲葉城への出仕を断り続ける光安に、義竜は
明智城へ兵を送る。
信長と姻戚関係にある明智家が、外患誘致を試みているとの疑いを
強くもつ義竜は、光安・光秀に出家して土岐一族に二心が無いことを示すよう
求める。
光秀は、自分の首を差し出して、叔父光安を助けたいと光安に告げるが、
逆に光安に、嫡男・光春と共に生き延びて、土岐一族の悲願を達成するように
説得される。
(続きます)
119 :
ピノコ:2005/06/12(日) 01:14:06 ID:???
(
>>118の続きです)
光安は言う、土岐家は清和源氏の流れを汲む一族。京での栄達が望めず、
この美濃に流れ着いた。
しかし土岐家は中央政界に返り咲くことを夢みて代々努力を重ね続けた。
土岐一族の使命は「革命」である。京の政権が統治能力を失った時、
古代のシナにおいて、周の文王が理想の政治を夢見て偏狭の岐山に兵を集め、
悪名名高い殷王朝を倒し、新政権を打ち立てたように、土岐家も美濃の山間から
兵を起こし、新政権を興すのが一族の使命である。
しかし、土岐家の本家はいつしか、文弱に流れ、
自らの保身のみを考えるようになった。
そして斉藤道三こそ、土岐一族が忘れかけていた「革命」を
実現しようとした人物である。
自分の代では革命は達成できなかったが、光春と生き延び、
「ときは今」というべき時に、
先祖からの悲願を達成してほしい…
光春の言葉に従う決心をした光秀と光春。光秀は育ての母である叔母に礼をいう。
明智城に火を放ち、妻と刺し違える覚悟を決めた光安。
【閉めの部】身重の妻を背負って逃げる光秀。光秀の幼い息子の手を引いて逃げる光春。
120 :
ピノコ:2005/06/12(日) 01:15:42 ID:???
なんか改行がおかしくなって読みづらくなりました。ゴメン!
121 :
織田ののぶちゃん:2005/06/12(日) 02:36:21 ID:rq7sgYFK
>>118 信長の初登場シーンはどのような形になりますか?
第2回冒頭で「道三が、自分や実子よりも、婿の信長と甥の光秀を
高く評価していることに激しく嫉妬する義竜」とありますが、
道三がなぜ信長を評価するようになったのかが抜けていて、唐突ではないかと思います。
第1回と第2回の間にもう1回入れ、光秀・道三・信長の関係を
じっくり描いてもいいのでは?
>>115 私のお薦めはこの本です。
小和田哲男著『明智光秀 つくられた「謀反人」』PHP新書
価格も手ごろで中味も読みやすく、最も手っ取り早く光秀を知ることができるでしょう。
敗者・光秀を正当に評価し、復権を図ろうという本書の主旨も、
今回の我々の企画にピッタリだと思います。
122 :
ピノコ:2005/06/12(日) 08:19:11 ID:B0OgxlaE
そう言えば、大河ドラマ版にこのスレッドがあった時、織田ののぶさまの、
こんな発言をされてましたね。
もしも「うつけ時代の信長に会っていた」設定にするなら、こんな方法があります。
山岡荘八『織田信長』の冒頭で、信長が濃姫と結婚する直前、
斎藤家の家臣が道三から命を受け、信長がどんな人物なのか見に来る…という場面があります。
この「斎藤家の家臣」を光秀にしてはどうかと思ったのです。
道三と光秀がどれほど親しい関係にあったかは分かりませんが、
親戚であったことは確かで、接点はあったでしょう。
光秀が若き信長を見て、ただのうつけ者ではない何かを見いだす…というような
場面はどうでしょうか?
じゃー、こうしてみましょ。
第2話は大河ドラマでおなじみの「道三と信長対面シーン」をメインとする。
で、光秀は帰蝶が信長に嫁ぐ前に信長の様子を探りにいったことがあって、
信長を「うつけではない」と判断してたが、
道三から対面の話を聞き、信長の予想外のスケールの大きさに驚く。
で、光秀はなんか汗って、自分の限界を感じて、これまで以上に鉄砲の稽古に励む…
あと、第2話で、道三と義竜の関係も描こうかしら。
アドバイス、ありがとうございます。助かりました。
PHP新書の「明智光秀 つくられた『謀反人』」って、いまでも在庫あります??
このスレッドに関わり始めた頃、書店に尋ねると〈在庫ナシ〉って言われたんで…
>>122 うつけ時代の信長に会っていた設定をするなら、
正徳時会見っていうのはどうかな?
この会見時には有名な逸話が二つあって、一つが信長がやってくるのを
街道沿いの家で隠れ見ていたというのと、
会見後に、我が息子達は信長の門前に馬を繋ぐであろうと言ったというもの。
道三のお供で、一緒に盗み見る→会見時の変貌ぶりを見て信長の本質を見抜く
→道三の言葉を聞いて、信長に関して情報収集を始める。
特に後者は、後に二条城で信忠と運命を共にした猪子兵助もその場にいたと、
言われているし、猪子は信長に仕えるようになってから、秀吉もかなり気を
使った相手。あと、二条城襲撃時のやりとりも、おもしろく書けるのでは
ないかなと。
ただ、本能寺や二条城の死者は、大多数が齋藤縁者や美濃衆だけに、
光秀と齋藤家や美濃衆との関わりや心情の変化を、かなりうまく書き込んで
いかないと、多聞院ではないけど、ただの恩知らずになってしまうと
思うよ。
124 :
織田ののぶちゃん:2005/06/12(日) 17:42:39 ID:2i874kb4
>>122 >>123 なるほど。正徳寺の会見で会うことにすれば、自然でしょうね。
有名な逸話で、信長・光秀出会いのシーンとしてインパクトがあるでしょう。
そうするなら、以前私が出した「信長結婚前の光秀偵察」案はやめましょう。
45分の中で数年も話が飛ぶのは好ましくないでしょうから。
第2回は会見直前から話を始めて、会見をメインに描きましょう。
ただ、「なんだまたあの話か」ということにならないよう、
独自のテイストを加えたいものですね。
信長と光秀が直接関わるシーンを作るとか。
>>122 小和田さんの『明智光秀』ですが、Amazonで調べたところ、
「出品者から通常2営業日以内に発送します」と書いていましたよ。
本屋の店頭では見かけないので、インターネットで注文してはいかがですか。
125 :
明智のみっちゃん:2005/06/12(日) 18:48:30 ID:NXJLfa+a
>運命の出会い
正徳寺ですか。そうですね。
このときはまだ、ポカーンと歌舞いた姿にただただ圧倒されてるだけでいいのではないでしょうか。
まだ、信長のスゴさといったものは感じずに、本能的に「すげーなこの人…」と思わせるぐらいで、
人ごみの中から、馬にまたがる派手なカッコの信長をほんの一瞬、人の頭と頭の間から目撃!
あんまり劇的な関わり方をするのもわざとらしいし…
後日、人づてから織田家が鉄砲を買い占めてるだとか、そういった話を聞き、
「あぁこの前のあの人か、やっぱただモンじゃねぇな…」と徐々に意識していく…実際、人の出会いなどそんなモンですし。
道三と光秀をムリにくっつけすぎないのも一つの手かもしれません。
そのほうがオリジナリティーもでますし、とは言っても、そうするとまた難しくなってくるんですけどねぇ。
あとは細川藤考との出会い。
これもまた信長と並んで重要だと思います。
この描き方でドラマも大きく左右されるでしょうし、
いっそのこと、信長を見かけたときと同時期に京で面識だけは持たせておいたほうがいいかなと思います。
ストーリー展開上、藤考も光秀も信長を一緒に見ていれば、そのあとの織田家鞍替への話の運びもスムーズになるでしょう。
126 :
明智のみっちゃん:2005/06/12(日) 18:49:57 ID:NXJLfa+a
あぁ矛盾してる
「信長のスゴさ」とは内面的なもの。つまり気質や改革論のこと。
光秀が最初に持つ印象は見た目の外見的「スゴさ」です。
127 :
お具:2005/06/12(日) 22:32:25 ID:???
>117 >121
本当にありがとうございます!
メモって本屋巡りにでもいってきます。
128 :
ピノコ:2005/06/13(月) 05:46:19 ID:Ja1hJIVf
>>123さん
>本能寺や二条城の死者は、大多数が齋藤縁者や美濃衆
そうなんですよね。「信長の司令官」(谷口克広著 中公新書)によりますと、
信忠の家臣は旧美濃出身者が多い。で、信長に仕えていた時の光秀家臣には旧幕臣が多い。
これまであまり描かれなかった、「光秀と旧美濃出身の信長家臣との関係」など描きたいですね。
案外、両者の間には、葛藤とか、感情的な軋轢があったかもしれないと考えるピノコであった…
織田ののぶさまへ…もう一度、Amazonででも捜してみます。
129 :
ピノコ:2005/06/13(月) 06:10:11 ID:???
第2話・修正…正徳寺での道三の信長の対面がメイン。1554年、光秀26歳
【アヴァン・タイトル】織田家・斉藤家・明智家の姻族関係の説明
【導入部】信長との対面のために出かける道三は光秀に、「今日はお前が鷺山城の城主だ」
とか冗談をいう。留守番役を張り切る光秀。
側にいる光忠は「信長どのを『たわけ』と思うか」と光秀に尋ねる。
光秀は帰蝶輿入れの前に信長の様子を探りにいった話をし、
「たわけどころか英雄の器」と自信たっぷりにいう。
光忠、「しかし、今日の対面で道三どのが『たわけ』のご判断されたら、
光秀どのの面目は潰れますね」という。
ちょっと気にする光秀。
130 :
ピノコ:2005/06/13(月) 06:17:15 ID:???
(上記の続き)
【前半部】稲葉山城では、斉藤義竜が、ある老家臣と対面。
老家臣は、義竜の実父は道三が追放した土岐頼芸だと話す。
相手にしない義竜。
老家臣はさらに、道三が今日、信長と正式対面すること、道三は信長と組んで、
美濃を奪い取るつもりではないかと話す。
この話は真剣に受け止める義竜。
一方、あばら屋の隙間から、信長の様子を覗く道三。
信長のいでたち「うわさ通り」と失笑するが、
信長の家臣達の規律正しさ、そして鉄砲の多さに顔色を変える。
131 :
ピノコ:2005/06/13(月) 06:31:57 ID:???
(上記の続きです)
【後半部】道三と信長の正式対面のシーン。
道三は今度は自分を「たわけ」に見せるため平服のまま。
正装をした信長。
「いっさい口を利くな」と小声で側近に言い、黙って信長と食事をする道三
留守番役を無事終え、ちょっとほっとする光秀。
だが、帰ってきた道三がひどく不機嫌なのに驚く。
道三は「お前が言った通り、信長は英雄の器。
我が息子達は信長の馬の轡を取るだろう」とはなす。
驚く光秀。
いっぽう、義竜はラッパから道三の様子を聞き、
「我が息子達は…」の発言から、「もしや我が父、
外患誘致の謀反の疑い」と考え始める。
【閉めの部】信長に敗北感を感じ、鉄砲の稽古に励む光秀。
※なお、「帰蝶輿入れの前に光秀が偵察にいった時の信長の様子」は後で書きます。
すみませーん、かなりキショいので同人誌でも発行して
思う存分やって下さい。
気にするな!
婚前の信長偵察と会見の流れ、よく出来てる・・・
面白そう。ドラマで見てみたい。
135 :
ピノコ:2005/06/15(水) 13:44:48 ID:???
お褒めのお言葉、ありがとうございます。
ところで、皆さまにご相談…
一応、第3話〜第4話で、斉藤道三討死・明智城落城、そして家臣達と別れて、
光秀一家が京へ向かう話を書こうと思ってたんですが、ここで疑問が…
「明智城を無くし、牢人となった光秀は、なぜ尾張の信長の下に入らなかったのか??
例えば、森可成(森欄丸のパパですね)は、この時期に美濃から尾張に移っているのですよね。
なぜなのでしょう?
「敵に寝返るのは卑怯だから」「光秀の奥さんの実家・妻木家が敵になってしまうから」
「信長の下になるのはコンチキショーと思ったから」とか、そして「京へ行けば、細川藤孝や
石谷頼辰のコネを頼って、どっか仕官できる(幕府あたりに…)と考えたから」で
…このあたりで説得力がありますかねえ。
でも、結局、牢人して放浪生活(しかも妻子がいるのに…)することになるでしょ?
放浪生活するくらいなら、濃姫(帰蝶)とイトコである伝を頼って、
信長方に寝返ったほうがマシだと、凡人のピノコは思うのです。
136 :
ピノコ:2005/06/15(水) 14:09:12 ID:???
・第3話…斉藤義竜と道三の対立、道三の死、明智城陥落(1553年〜1556年)
・第4話…西美濃の小領主・山岸光信の所へ寄り、身辺整理し旧家臣と別れる話。
(妻のひろ子が、自分の髪を売って宴会の費用に充てる話もここで入れたいです)
・第5話…京で吉田兼見(吉田神社の跡取り。光秀の親友)、石谷頼辰(道三×義竜の戦いの際、
明智光安と共に道三側についた石谷対馬守の息子? 足利幕府の奉公衆。光秀のイトコ)
そして細川藤孝と再会。石谷氏や細川氏には仕官のコネを頼むが断られる。
さらに斉藤義竜の命を受けた斉藤利三が、光秀を捕獲しようとしていた。
やむをえず、放浪生活に突入。
137 :
ピノコ:2005/06/15(水) 14:24:10 ID:???
こういう展開にしたいのですが、無理はないかなあ。
あと、「放浪生活の実態をどう描くのか??」
放浪生活の内容は一次史料(日記・手紙など)にはもちろん、後の物語にも、
具体的には書かれていないのですよねえ。
司馬先生の「国盗り物語」では、諸国豪族の動静を探りつつ足利幕府再興のための
政治運動をしていたとありますが…
安部龍太郎先生の「信長燃ゆ」では、この時期すでに光秀は、将軍義輝に仕えている設定に
なってました。
あと、越前で寄寓してたとか、お寺で暮らしてたとか、小説や読み物によってイロイロですが…
138 :
ピノコ:2005/06/15(水) 14:45:32 ID:qv+NxUhk
このスレッドが大河板にあった頃、ピノコは「光秀の放浪時代」について…
「妻子が養えた」「あちこち移動できて、諸国の情勢を知ることができた」
「記録などには一切残っていない」「放浪生活の実態について、光秀は人に一切語っていない」
以上のことから「人に言えないことをしていた」=「諸国の情勢探索そのものを職業としていた」
と推測、そんなことから「植木屋や植物商のような仕事はどうでしょうか」と書いたのですが…
調べてますと、この時代の植木屋の社会的位置は「河原者」と蔑まれてたんですねえ。
造園や園芸には、光秀は造詣が深いので、その点では無理はないのですが。
あと、諸国の情勢を探るのにもって来いの職業なので、後々のストーリの伏線も
作れそうですが…
いったい「この時代、作庭に携わる人たちは社会的に蔑視されてた」って、
どの程度蔑視されていたのでしょうか??
作庭に携わる人たちの「社会的位置」と「経済力や生活レベル」および「教養のレベル」は
どの程度まで比例してたんでしょうか。(造園業なんて儲ける人は儲かりそうだし、
教養だってある程度は必要じゃないかとも私は思うし…。でもあまり賎業視されてた
職業につくのも不自然だし…)
正直なところ、あまり無茶な作り話は書きたくないし、
何かいいアイディア&情報提供お願いします。
139 :
まったけ:2005/06/15(水) 20:58:51 ID:???
『放浪生活』いわば、明智光秀公の全くの謎とされる時代ですね。
かつては、明智城落城等についても確証はないと言われていましたが、この辺りについてはある程度は
史実ではないかとの研究が増えて来ました。
しかし、明智城落城から織田家中仕官までは、新史料の発見はまずはあるまいと思います。
よって、我々が好き勝手に「我等が若き日の明智光秀像」を創りあげたらいいのではないのでしょうか?
『明智軍記』等よりも荒唐無稽にやりましょう!
そもそも『明智軍記』なんて、かつて高柳光寿先生は誤謬充満の悪書と説かれています。
現在では、元禄時代に庶民に囁かれる「明智光秀=南光坊天海」説を否定する為に、
徳川幕府が創作したという説まであるぐらいですから。
派手にやりましょう!
漫画ですが、武田鉄矢・小山ゆう『おーい!竜馬』では、坂本竜馬が上海に行っているぐらいですし。
例えば、ドラマでは、明智家の後胤と自称する才谷屋坂本家を登場させてはどうでしょう?
ナレーションの代わりに、竜馬の父・才谷屋坂本八平が、幼き日の竜馬に先祖の「明智光秀」について
語り教える中で、光秀のドラマを展開させるのは?
そして、最終回では「明智光秀」の話を聞き終えた竜馬が、偉大な先祖を目標にして生きるぞと決意して
終わらせる!
このスレにいる人って炎のミラージュとかも好きでしょ?
141 :
明智のみっちゃん:2005/06/15(水) 21:51:11 ID:0++VON/9
>まつたけ館長
ダブルで歴史を!それはすごい構想というか発想ですねぇ。
「ときは今」は竜馬脱藩決意の「その時」にもなるってことですかね?
>ピノコ先生
「コネ」を頼って京へ行ったことにするといいと思います。
142 :
名乗る程の者ではござらん:2005/06/15(水) 22:04:25 ID:qv+NxUhk
いや…あんまりやりすぎて、「新選組!」や「義経」なみの批判を浴びてはと…
確かに光秀放浪時代については「史料」はおろか「口承伝説」も無い。
空海や武蔵には、民衆レベルで「旅の途中の空海(あるいは武蔵)が、当地において…」って
感じで伝説があるのに、光秀にはないんですよ。越前に1563年頃には滞在していたことは
越前長島の「明智神社」の存在から確かなのですが。
放浪生活に入るきっかけ、その生活の実態など、当時の歴史的背景を考慮して
リアリティのある話(説得力のある話)を創りたい。
「光秀はあまり知らないが、戦国時代は大河ドラマを通じてある程度知っている」と
いう視聴者が、「どれが実際にあった話(あるいは昔から言い伝えられている光秀の逸話)で、
どこからが今回のオリジナルの創作なのか、全然分からない」ぐらい、
自然な展開にしたいのですが。
放浪生活=植木屋さんって、どお??
他に「放浪生活は、こんな風に描いては?」っていう意見ないですか?
143 :
ピノコ:2005/06/15(水) 22:35:53 ID:???
それにしても「『明智軍記』は、『光秀=天海』説を否定するため幕府が
創作した」って話、すごいですねえ。
初めて聞く話ですが、言われてみれば、そんな感じもする内容ですな。
>>140 ロム者だが何故そのやおい小説がいきなり出てくるのかとw
145 :
ピノコ:2005/06/16(木) 00:08:00 ID:???
>>142 おっと、大間違いを、ちまちたのて、訂正を…
「明智神社」は、福井市の東大味にあります。
なんか記憶が、ごしゃごしゃになって、凄い書き間違いをしました。
あまりにも面白いので、カキコさせて頂きます。ピノコサンに最敬礼!
>138
作庭を職にした人が良い扱いを受けたのは、足利義政が銀閣寺こと山荘・東山殿を建てた時ぐらいかも。
まぁ、『逆説の日本史(8) -中世混沌編-』からの情報ですが。
造園師の善阿弥たちを座敷に上げて、庭の造作について直接語り合ったそうな。
http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/history/ginkakuji_04.html 当時の河原者で一芸に秀でた者は、「●阿弥」と名乗っていたらしい。
後、放浪時代ですが、どんな人物に遭遇し感銘を受け、また影響を与えたんでしょうね。
個人的希望では大和で本多正信に出会っていて欲しいが、時期が違うか…。
147 :
ピノコ:2005/06/16(木) 23:58:08 ID:???
>>146さん
うんうん。造園に携わる人たちがよい扱いを受けず、座敷に上げてもらえなかった…って理由は
よく分かるンですよ。
造園師は城や館のあちこちを、年に何回かは歩き回る…自然に大名や豪族などの情報が
耳に入りますよ。
さらに困るのは、苗木や庭石・苔などの生産や運搬を扱う「植木屋」さん。
「松何十本、竹何百本…」なんて感じで受注を請け負うのですから、
どこでどの程度の城が作られるのかなどなど、植木屋さんに情報を読まれてしまいます。
しかも苗木の生産や庭石の採掘は、全国のあちこちでされてましたから、
造園屋さんと苗木や岩の業者さんが結託すれば、かなりの情報ネットワークができたわけで…
ちなみに江戸時代は、造園や植木の手入れを行なう人を「樹木屋」、
苗木などの生産・運搬・販売に関わる人を「植木屋」と呼んでたそうです。
江戸時代は、造園や庭木の手入れに関わる人を「樹木屋」
148 :
ピノコ:2005/06/17(金) 00:23:09 ID:???
で、なんで「放浪中の職業=植木屋」と考えたかと言えば…
放浪生活を終え、朝倉義景や織田信長に仕えた頃の光秀は、
諸国巡りの結果、諸国の情勢をよく掴んでいた…って、
「国盗り物語」をはじめ、いろんな小説に書いてあるんですね。
じゃ、「諸国の情勢を掴める職業」として「植木屋」を思いついた訳です。
それも「苗木の生産・運搬・販売」のほうの。これなら顔も見られないし。
「植木屋」に限らず、定住せずに諸国を放浪していた人たちのことを
職種に関わりなく、「河原者」と、この時代は呼んでたようです。
社会的な蔑視に関わらず、なんで「諸国放浪の生活」を選んだのか??
なぜ奥さんと離婚(離縁)しなかったのか??(これも不思議です。「お寺に
預けていた」とか「山岸家に預かってもらってた」とか小説などにはありますが、
よく婚姻関係が続いていたものだと。
このあたり、光秀本人が納得してても、視聴者が納得しなければ、
「何でこんな選択をしたの? 光秀ってヴァカじゃないの?」「話が不自然」と
2ちゃんで叩かれるでしょう…
また、時間に余裕のある時、ストーリを書きますので、
大河ドラマ板の「金子アンチスレ」並みの、重箱つつきのキビシイ視点で、
ピノコのストーリをけなして下さい!
放浪時代書くなら、造園師より猿楽士の方がおもしろいと思うよ。
当時の猿楽士は、特殊技術持っていた人が多ったというから。
快川国師の名が出ていたけど、光秀の放浪時代あたりはこんな感じ。
1555 甲斐の恵林寺の僧になる(その後、美濃に戻るー年代不明)
1560 義龍と宗教対立のため尾張犬山へ出奔
1561 義龍急死により、対立が終結。美濃へ戻る
1564 信玄の誘いにより、再び恵林寺へ(以後死ぬまで甲斐)
これらを絡ませると、1556に、道三の関係で懇意にしていた快川がいる
甲斐に行く。そこで、大蔵氏と出会い、猿楽士として、諸国をまわるとか…
朝倉への鉄砲披露も、武田で鉄砲について学んだという設定も作れるし、
(以外かもしらないけど、信玄は1555の戦の時点で、篭城相手に300梃もの
鉄砲隊を投入した。)光秀が信長に仕えだしたと言われている永禄7年あたりから、
武田を意識しだし、信玄へのゴマすりが始まり、翌年には養女と勝頼を結婚させているし。
信長ー光秀(快川)−信玄という意外な視点もおもしろいかなと…
因みに、大蔵氏は、金春流という猿楽系統から大蔵流として別れた一派の家で、
後に鉱山掘りや道路整備他等で有名な大久保長安の実家でもある。
この家は、猿楽士と同時に金山衆という鉱山関係の任務も兼ねていて、
黒川金山の近くに住んでいたから、近くに恵林寺もあるし無理に出会わせなくても
自然と出会える、建築技術とかの特殊技術もそこで学んという設定もできると思う。
大蔵家は信玄もお気に入りだったから、躑躅が崎にもよく出入りしていた関係で
京や朝倉の人間とコネクションができたり、京文化に通じるようになったとかも
できるかも。(実際信玄は、漢詩や和歌、茶に通じる文化人でもあって、
連歌会(発句もした)や茶会(館のすぐ近くに茶畑を作ったり、愛用の茶引き臼があるほどの
茶好きだったりする)をよく開いていた、もち京からも人を呼んだし、大蔵氏もその座に
いたことがある。
以上、乱文で申し訳ない
150 :
ピノコ:2005/06/17(金) 00:38:14 ID:nPXrXRc/
あと
>>146さんがお書きになった、本多正信さん…
光秀が放浪生活してた頃は、本多さんは「鷹匠」(これも社会的に蔑視されてたらしい?)を
生業としていて、一向宗の信者で、あちこちの一揆に参加してて、松永や三好三人衆にも
仕えたてたことがあって…と、これじゃ、光秀の敵役ですな!
実際、本多は光秀を悪く思ってたようですね。人物としては本多さんは魅力的ですが…。
放浪生活中に光秀と関わりを持たせたい人物としては、ピノコは長曾我部元親を
候補に考えてます。「うつけ」「ヒメワコ」と、元親は呼ばれてましたが、光秀とは
気が合いそう。
>>139さんも書かれたように「竜馬=明智家子孫」説を物語に生かすなら、
長曾我部と光秀の関係はしっかり書きたいですしね。
151 :
ピノコ:2005/06/17(金) 00:43:45 ID:nPXrXRc/
おおっ! 素晴らしい情報提供、ありがd!
書き忘れたけど、猿楽士というのはスパイ的な役目も成したり、
忍び等の裏ネットワークも、充実していたと言われている。
大蔵家も然りだし、武田の金山衆はある意味独立していたから、
家臣のような臣従関係ではなかったともいわれている。
金山衆(猿楽士)の家であれば、放浪といっても仕事だから、かみさんを
預けなくてもいいし、家来雇っていたり、京に家があったという
金持ちだったかも説も、納得してもらえるのではないかなと
>>149 大久保長安といえば、彼の嫁って村井貞勝の嫁と姉妹なんだっけ?
2人とも、確か恒興長女が再嫁した家の子だろ?
その関係で、池田輝政と長安って義兄弟の仲だったとか何とかw
146です。
非定住者のネットワークは凄いモノがあったようですからね。
河原者や木地師、猿楽士に金山衆の他にも修験者・雲水なんかも。高野山系の人物と出会えれば熊野水軍経由で土佐まで行けるかも。
快川国師を基点として京におけるネットワーク作りの過程で有職故実を学べる可能性もあるし。
また光秀の後見役のような商人も必要ではないでしょうか? 室町時代は商人の時代でもありますし。
鉄砲に関わるなら堺の納屋衆が有利だし、奇を衒うなら長府や博多の商人だし。
本人自身が道三を見習って商人になるのは何か違うしなぁ。
…でも149サンの説に拠るならば、全て解決しそうだな。
ピノコサンご存知よりの情報かも知れませんが、「まさるマニア」というhpが。
http://www2.inforyoma.or.jp/~ota/ その中の人物に「石谷光政(イシガヤミツマサ)」という人物が。
>「石谷頼辰の養父、通称は孫九郎、兵部大輔。入道して摂津入道空然と名乗る」
>「石谷氏は土岐氏で、本領は美濃国方県郡石谷郷」
>「永禄六年の段階で、室町幕府奉行衆、御小袖御番衆」
>です。これから推測するに、明智・斉藤らと同じく、室町幕府の人物であった事が伺われます。
>長宗我部家が明智と関係が深くなったのは、室町幕府の旧家臣と以前から交流があったからでしょうね。
明智家と長宗我部家を繋ぐミッシングリンクを埋める武将ですね。
本多正信ズキの私としては、
【どこかで光秀と出会いしばらく同行するが仲違いして別れ、その後一切出会わない】が、今の希望ですねw
>>153 義兄弟うほっ!
甲斐にいた頃、信玄に掘られる光秀キボン
156 :
ピノコ:2005/06/18(土) 00:11:40 ID:qWbS/ZhG
猿楽師ねえ…
光秀が舞や歌や芝居が得意だったという話は聞いたことがないから…
どうなんでしょう??
あと、あまり武田信玄と密接な繋がりを作りすぎると、「本能寺の変=光秀の
武田信玄・勝頼内通がバレたので謀反を起こした」説になってしまうし…。
それから…信長が「信玄へのおべっか作戦」をとるのと、「光秀が信長に仕える」のだったら、
どっちが先なんでしょ? まだはっきり調べた訳ではないが、光秀が信長に仕える前から、
「信玄へのおべっか作戦」は始まってたみたいだし、快川和尚との関係で、他の美濃衆が勧めたのかも。
でも、信玄や金山衆、それに快川国師の情報は大変参考になりました。感謝のきわみ。
(ついでに義竜と快川さんとの宗教対立ってなんなの? よかったら具体的に教えて頂戴)
154の補足です。hpの画面左メニューの「岡豊城」から入り「四国外」の「石谷頼辰」。
こんな繋がりでがあったんですね。
ふと斎藤利三を調べたいたらいつのまにかココに辿り着きました。
明智光秀が如何に長宗我部家との繋がりを大事にしていたのか、それが垣間見えた気がしました。
159 :
ピノコ:2005/06/18(土) 00:38:50 ID:qWbS/ZhG
足利幕府衆である石谷頼辰さんは、三好三人衆(本拠地は阿波)に手を焼いていましたから、
長曾我部さんの四国での伸長に期待が大きかったでしょう。
そんなことが、「1563年、長曾我部元親、石谷頼辰の妹さんとケコーン」に
つながったんでしょね。
それから、長曾我部氏は秦氏の流れを汲むと言われてますので、
歴史ろまんちな光秀どのにとって、「一目置きたくなる」存在だったでしょう。
その長曾我部氏が1581年における、信長の対四国外交政策の大変更により、
長曾我部氏が敵に、三好氏が味方になったというのは、光秀にとって辛いことだった
でしょう。
まあ、このことが「本能寺の変」の直接の原因では無いでしょうが…
160 :
ピノコ:2005/06/18(土) 00:42:53 ID:qWbS/ZhG
>>158さん、ありがd。
快川和尚さんは、光秀主人公の物語では重要な人物だと思うので、
こっちでも、図書館なんかでも調べときます(ヒマがあれば…)
>>153 149ではないが、そうだよ。あの本願寺にいた下間の家の娘。
ただ、2人とも恒興の娘との間の子なのかは不明。
恒興の長女が再家したのは、本能寺で前夫の飯尾が信長と共に
死んだため。下間は、あれほど対立した本願寺の重臣だっただけに、
和睦し、さらに信長死後とはいえ、多分手打ち同然で嫁いだのだろうね。
(といっても下間は、後年教如と対立して池田に出奔するしw、彼女も下間家では
大事にされた)
不思議なのは、村井貞勝妻記述。大久保は武田ー本願寺ルートがあるから、
まだわかるのだけど、村井は変で死んでいるから変前に嫁いだのは
確かで、もしかしたら天正8年の本願寺と信長の和睦の時に、養女にされて
差し出された可能性が高いけど、村井はいい歳だろうし、う〜むといった感じかな。
村井貞勝と同姓同名の人間が、後年にもいればまた話は違うのだろうけど
、調べた限りでは、今のところ出てきていない…
あと、輝政と長安が義兄弟っていうのはともかく、長安の次男の嫁が
輝政の娘って関係もある。しかし、この娘は出自がよくわかっていない。
輝政は、武田討伐時に従軍していて、親父も武田対策で長いこと東濃に置かれていたけど、
反面、池田の所領だった尼崎の某寺の勝頼の倅といわれる墓には、
池田に保護されていたいう奇怪な話もあるし、輝政の後尼崎に入った
建部は元六角の家臣で、妻は同じく村井妻の姉妹。不思議な因縁って感じ
162 :
連投スマン:2005/06/18(土) 02:44:05 ID:???
>>ピノコ
快川と義龍の対立原因は、もともとあまり相性がよくなかったところにきて、
妻の葬儀の為に、義龍が京から僧を招いたことに始まると言われている。
義龍は、竜興生母の浅井氏女(長政の姉妹らしい?)死後に
一条氏女(摂家なのか武田や土佐なのかは不明)を嫁に貰っていたんだが、
彼女との間の子が、生後まもなく死んでしまい、一条氏女も嘆きのあまりか
まるで後を追うように死亡。僧を京から呼んだのは、そのため。
後は、
>>158さんのレスに書いてあるとおり。
163 :
ピノコ:2005/06/19(日) 12:24:11 ID:hD0n5NcO
>>162さん
ありがとうございます。
斉藤義竜という人を知るのに大変参考になりそうです。
164 :
ピノコ:2005/06/19(日) 14:08:55 ID:hD0n5NcO
第3話をどうすべきか、悩んでいます。
第1話…光秀の少年時代を、光秀の父・光綱の法要の日を中心に描く。
第2話…光秀の伯父そして主君である斉藤道三が、道三の女婿である織田信長と、
正徳寺で正式対面する話。
そして第3話は…
前半:斉藤道三が、その息子である義竜と争い、討死する話。
道三は信長に「美濃の譲り状」を残す。
後半:明智城落城。
道三×義竜だけで1話を使ったほうがいいでしょうか?
165 :
ピノコ:2005/06/19(日) 14:36:35 ID:hD0n5NcO
斉藤義竜という人なんですが…
一般には義竜の実母は、前美濃守護職の土岐頼芸の側室・御芳野さんだと言われています。
御芳野さんが、道三の側室になって7ヶ月で義竜が誕生したので、
「義竜は本当は土岐頼芸の息子だ」って言われてた…義竜謀反の原因はそのことだとされてます。
ところが、最近、書店で立ち読みした本によれば、
斉藤義竜の実母は、稲葉一徹の娘とか…。斉藤義竜さんは大変大柄な方だったそうですが、
稲葉一徹の娘さんも大女だったと、その本には書いてありました。
明智家出身の小見の方が道三の正室となる前は、稲葉一徹の娘さんが、
道三の正室だったそうです。
166 :
ピノコ:2005/06/19(日) 14:49:33 ID:hD0n5NcO
斉藤義竜とその息子さんである竜興さんは、治りにくい持病(ハンセン氏病)があったそうです。
もしかすると、実母である稲葉一徹の娘さんも同じ病気になっていて、
そのため亡くなられたり(ハンセン氏病そのものでは死に到ることはないが、他の病気が合併して)
実家に帰ったりして、その存在そのものが忘れられた…
さらに「義竜の実父は土岐頼芸」という噂は、道三にとっても義竜にとっても
都合がいいので、ますます義竜の実母=側室の御芳野ということになってしまった…
167 :
ピノコ:2005/06/19(日) 15:20:01 ID:hD0n5NcO
斉藤義竜は、信長のことを「うつけ者」だと思わず、
むしろ早くから脅威だと考えていたのではないでしょうか?
斉藤義竜はたびたび、織田信安(信長の父の従兄弟)や織田信行(信長の実弟)を
つうじて、信長をやっつけようとしているのですよね。
だから道三が「我が息子達は信長の馬の轡をとるだろう」と口ではいいながら、
信長に援軍や武器を送ったことで、
斉藤義竜は「父(道三)は、外患誘致を試みているのではないか」という疑いをもち、
それが義竜謀反の原因だった…という話のほうが面白いように思うのですが。
そして義竜は、明智光安・光秀にも外患誘致と義竜への謀反の疑いを強くもち、
(義竜の実母が、道三の前正室だったら、ますます義竜の明智家への憎しみが強くなりそう)
そのため、光安・光秀は、落城と死を覚悟の上、道三の死後、絶望的な明智城篭城を試みた...
こういう解釈のほうが面白いように思うのですが。
少なくとも「国盗り物語」の2番煎じにならなくて...
168 :
153:2005/06/19(日) 17:34:46 ID:???
>>161 解説付きの返事アリガト、スゲー勉強になったよ
ついでといっちゃ悪いが、詳しそうなんで聞くけど、
武田の金山衆だった池田って、恒興の池田となんか関係あったのか?
一説に、六角のとこにいた池田氏云々って話もあるようなんだが、
その六角の池田も、実は恒興の池田とつながりがあったともいわれているしさ。
あと、明智と池田は、数代前には共に土岐氏の兄妹で土岐からわかれた支流だった?とかで、
池田が、齋藤家や東美濃衆(=土岐氏)と姻戚になったのも、その関係とか何とかって話を
かいてあるBBSを見たことがある。もし、このあたりで、なんか知っていたら
教えてくれるとありがたい
>>165 何の本を読んだのかわからないけど、稲葉の生年からして無理ありすぎかと
稲葉は1515生まれで、義龍は1527年生まれだから、当時稲葉は
12歳。それと、義龍や竜興が美濃を治めていた頃の連書でも、西美濃衆のうち、
稲葉だけはどれにも署名をしていないから、百歩譲って仮に稲葉の娘だったとしたら、
なぜ署名しなかったのか?という疑問が残るよ。
169 :
名乗る程の者ではござらん:2005/06/19(日) 17:48:14 ID:hFMZLz9R
こんにちは
170 :
名乗る程の者ではござらん:2005/06/19(日) 19:20:38 ID:wFh84/SH
↑しゃぶれよこのヤロウ
172 :
名乗る程の者ではござらん:2005/06/21(火) 23:53:25 ID:1ZEaKc6I
>>149 >>153 すまん、初歩的な質問させてくれ。
池田恒興(信長の乳兄弟)
村井貞勝(信長・信忠の家臣。二条城で光秀軍団と戦って死亡)
大久保長安(武田領の猿楽師の息子。家康に仕え金銀山の開発に活躍。
家康ブレーン時代は同じく家康ブレーンの本多信正といろいろ対立した。
兄は長篠の戦いで信長と戦って死亡)
この3人の嫁さんネットワークと、明智光秀はどう関係があるんだ。
何か面白い話が書けそうなのか?(本能寺の変と関わりがあるとか)
>>172 ざっと読んだ限りでは、こんな感じに思ったが…
149は、光秀の放浪生活を武田と絡ませてみてはという提案
153は、ただの便乗。長安の名が出たから、京都所司代で光秀とも懇意だった村井や
同じく懇意だった(というかある意味親戚)の池田が意外なところで
つながっているということの確認
嫁つながりやもぐら隊つながり話が盛り上がっているのは、唯の流れだろ
もしかしたら、板違いといいたいのかもしれないけど、
嫁姉妹話は別としても(というか下間だからほとんど関係ない)、
光秀の人間関係を描く上で、村井や池田との関わりも大切だと思うから、
漏れは、いいと思うけど。
『明智光秀』/吉川弘文館-人物叢書 新装版-、高柳光寿
↑で勉強を始めてますが、役に立つのやら…。
岐阜時代から光秀に付き従っているらしい、溝尾庄兵衛茂朝。光秀にとっての彼のポジションはどうなんだろう?
徳川家康にとっての鳥居元忠みたいなモンかな。
ならば、明智城篭城戦にも参加し、放浪時代にも付き従っていたんだろうか?
また脱線ネタかもしれませんが、蜷川氏も面白いですね。『一休さん』でお馴染みの新右衛門さんの血筋で室町幕府奉公衆の1家。
丹波・蟠根寺城を居城にし、義輝謀殺後に長宗我部元親に仕え、長宗我部家改易後は徳川氏に仕え旗本となった、蜷川親長。
微妙に光秀の事跡と被りますね。
175 :
ピノコ:2005/06/24(金) 22:23:27 ID:???
面白い内容の書き込みが増えてとてもウレシイ…
皆さま、ありがとう。
早くピノコ版ストーリの続きを書きたいが、近頃は仕事がハードで書く気力ナシ。
その上、書くためには本もイパーイ読まなくてはならないし…
今夜は早めに就寝して、疲れをとって、また続きのストーリ書きます。
177 :
まったけ:2005/06/25(土) 10:47:45 ID:???
178 :
まったけ:2005/06/25(土) 10:54:32 ID:???
179 :
まったけ:2005/06/25(土) 11:21:01 ID:???
3連続投稿失礼します。(何分、最近は時間が取れないもので・・・)
遅レスですが、明智光秀公の放浪時代の「猿楽師」は、面白いですね。
領国・丹波国での「丹波猿楽」は、戦国時代を通じて最も有名な猿楽の一つでしたから、運命的なものを
感じますね。おそらく、丹波猿楽と縁が深いと思われる梅若広長という武将が、明智公に仕えていました。
しっかし、178で紹介したURLは、一旦変なページに繋がりますね。(苦笑)
176サン、まったけサン、レスさんくすです。どちらも存知おり候。
…しかし探してみれば光秀関連のサイトって結構多いなぁw
「池田輝家」。確かに恒興と同族っぽい武将ですね。
オープニングロールで3,4人纏めで出てくるポジションのキャラですが。
136への亀レス
第6話以降の放浪篇で是非とも大和に行き、松永勢と戦って欲しいものですが…。
出来れば筒井勢の加勢で、本多正信率いる松永勢と一合戦!
でも正信が松平家を離反する三河一向一揆が永禄6(1563)9月から翌年2月まで。
『明智軍記』によれば、その頃光秀は越前にて、朝倉義景の所望により鉄砲の演習を行っている。
正信ビバ!党の私としては何とかならんかなと思うんですが…。
ダメですかね?
>175
ほんま無理せずに、されど粉骨砕身の物語を期待申し上げ候。
まぁ倒れない程度ってことでw
亀だけど、ピノコさんへ
義龍母の父、稲葉通貞は年代的からみても、一鉄本人ではなく
一鉄の祖父通貞の方だと思うよ。
通貞ー通則ー良通(一鉄)
武家では、齋藤新五朗と息子の新五朗みたく、親子や身内間で名を受け継ぐことが
あったから混合されやすいけど、稲葉家では、一鉄の息子が通貞を
使っている。
道三の正妻には、京都の女性→稲葉家女→小見の方って説が
最近は注目されている。稲葉家女が義龍を生み、直後に死亡したため、
深芳野が母同然で義龍を育て、深芳野が生んだ子と誤解されていったと
いう感じかなと。
182 :
ピノコ:2005/06/29(水) 22:54:46 ID:???
>>181さん
情報提供ありがとうございます。
「斉藤義龍の実母=稲葉一鉄の娘」説は、PHP文庫の「戦国武将の意外なウラ事情」
という本で知ったので、どこまで信頼できるのか…と迷っていました。
「斉藤義龍の実父は土岐頼芸」という風説を、道三も義龍も全くのウソと知りつつ、最大限利用した…
真実は義龍は道三の実子で、母は(歴史に隠されてしまった)稲葉家の娘だった…
こんな話のほうが面白いし、何より「義龍も道三に負けず策略家だった」という話が書けそうです。
この時代の女性のことは、史料ではよく分からないですねえ。
例えば「斉藤利三の母は光秀の妹」なんてことがよく本などで紹介されてますが、
光秀と斉藤利三は6歳ぐらいしか年齢が離れていないので、これもかなりヘンな話です。
183 :
ピノコ:2005/06/29(水) 23:28:23 ID:???
>>180さん
応援ありがとうございます。
本多正信は、いつ頃から家康に仕えていたのでしょうか?? 特に「桶狭間の戦い」直後は既に家康の下にいたのですか?
実は今後のストーリ展開として、1560年頃、「光秀が、松永・三好勢と『プチ桶狭間の戦い』をする」って
いう話を考えてました。
諸国を巡る「植木屋」一行に加わり糊口をしのいでいた光秀どの。
そんなある時、将軍義輝派の幕府衆から堺の今井宗久・津田宗及宛てに、
珍しい盆栽か草花を届ける仕事の依頼を受けます。もちろんその鉢の中には大切な密書か何かが…
ところが輸送の途中で松永・三好勢に大切な鉢を奪われてしまう…
敵は多勢、味方は寡勢、そんな中、光秀は噂に聞いた「桶狭間の戦い」を思い出し、
「敦盛」を謡ったかどうかは知らんが、とにかく勝って鉢を取り戻す…
歴史に名高い「桶狭間の戦い」を、視聴者に無理なく観せる手段として、こんなストーリを考えてました。
この時、本多正信を松永・三好側に登場させることは可能でしょうか??
184 :
ピノコ:2005/06/29(水) 23:48:38 ID:???
本多正信は三河一向一揆の後、松永久秀に仕えますね。
で、1565年に松永久秀が将軍義輝を殺害したことがきっかけで、
正信は「自分の本意と違う…」と感じ、加賀の一向一揆に加わります。
で、朝倉義景に仕えていた光秀とは、この後、正面衝突とまでは行かなくても、
小競り合い程度を戦いをする…こんな感じで登場させたいですね。
できれば早めに本多正信を登場させ、
松永による将軍殺害は、正信の視線で描きたいです。
自分なりの理想や志のため放浪していたという点では、光秀と正信は共通する部分もあります。
将軍殺害のシーンでは、正信を「ウラ・明智光秀」的なキャラを与え、その視線で義輝の死を描く…
そんな風にしたいのですが、どうでしょうか?
185 :
146改め 本多サド:2005/07/01(金) 22:01:42 ID:GrFySYp2
ピノコさん、ご復帰何より。
>183 本多正信を松永・三好側に登場させることは…
ちと無理でしょうね。他国と交わる事を得意としなかった三河者ですから、
一向一揆でもない限りは恐らく他国に出なかったのでは?
ただし正信を単なる鷹匠ではなく家康の個人的探索方として桶狭間を具に見て家康に報告、
その後に京畿に現れひょんな事から光秀と共に松永・三好勢と戦うってのはどうでしょう?
椎名桔平あたりが演じてくれると良いようなw
そして光秀と別れ、石山に赴き顕如と出会い、三河にて一向一揆に参戦とか。
三河一向一揆が惨敗に終わり、仏道による社会変革に疑問を覚え、力と合理的手法(無神論?)による方法に思考をシフトさせ
松永軍に身を投じるも、義輝の神々しい最後に心を打たれ、やはり王道こそが一番と考え直し再び加賀にて武家の覇道と対峙する。
で、その時に今度は光秀の敵として合いまみえる。
永禄3年(1560)5月19日、桶狭間の合戦。同年の夏に、プチ桶狭間の戦い。
永禄6年(1563)9月〜7年2月、三河一向一揆。正信出奔。
永禄8年(1565)5月19日、義輝自刃。
永禄9年(1566)〜10年、最後の越前・朝倉家VS加賀一向一揆。
永禄10年(1567)10月21日、近江・若狭・敦賀を経て義昭が一乗谷に動座。
上記の永禄9年からの最後の戦いにて、前半は朝倉軍が加賀に出兵し、後半は一揆勢が越前に攻め込みます。
ttp://okhome.hp.infoseek.co.jp/war/war052.html
3連投申し訳ないです。
分かりやすくするために「王道」⇒「旧来の権威、仏法」、「覇道」⇒「戦国大名による支配」
と、してみました。
ピノコさんによるプチ桶狭間ですが、正味の桶狭間の1月後の6月19日に、義輝が近衛新邸へ
移徙しています(『御湯殿上日記』による)。この後ぐらいが良いのでは?
すみません、186の年表の訂正です。福井県史年表によると、
永禄9年(1566)9月8日、足利義秋が敦賀に移る(『上杉家文書』)。
永禄10年(1567)11月22日、足利義秋が敦賀から一乗谷安養寺へ移る(『朝倉始末記』)。
永禄11年(1568)1月17日、足利義秋の仲裁により朝倉氏と加賀一向一揆の和睦が成立する(『多聞院日記』)。
同年4月、足利義秋が一乗谷の朝倉義景館において元服し,義昭と改名(『朝倉始末記』)。
同年7月24日、足利義昭が越前を立ち美濃の織田信長のもとへ赴く(『朝倉家記所収文書』)。
だそうです。史料検索は難しいですね。
正信と光秀が後半どうからむのかと…
そうなんですよね。189さんの仰るとおり。
時代の観察者として物語全体を語るってぇのも一つの手ですが。
以前に提案があった龍馬の父が息子に語るってのも捨てがたいですね。
ピノコさんが、物語を誰の視点で進めるのかによるでしょうね。
190の補足です。
終始、近代的思考に近い合理的思考(信長的思考?)により行動したと思われる光秀に対し、
護持すべき尊きモノを探し続け、最終的に家康と幕府を尊きモノにしようとした正信。
私はそう考えます。観察者・語り部としては正信は最適だとは思いますが…。
光秀活躍時期に全く活躍しなかった、正信。彼の表舞台は本能寺の変頃から始まりますし。
『光秀』物語において実に便利に使える人物だけに、上手くコントロールしないと。
物語を良くも悪くもする、調理時の塩加減みたいな存在かと。
連投失礼致しました。
192 :
ピノコ:2005/07/03(日) 22:47:40 ID:???
本多サド様、ご協力ありがとうございます。
私もはやく元気になって、書き込みできるようにならなくては…
193 :
ピノコ:2005/07/05(火) 23:54:18 ID:SXQn00cf
名前: ピノコ
E-mail:
内容:
明日は公休なので、腰を据えて書き込みする予定です。
「歴史街道」8月号の特集は、「本能寺の変」。
特に目新しいことは書いてありません。
一緒に掲載されていた「新発見! 『山崎丞取調べ日記』でわかった
新選組各隊の編成」のほうが面白かった。
194 :
ピノコ:2005/07/06(水) 17:30:25 ID:9AzxXsMw
本多サド様からの情報提供を元に考えたストーリ案…
永禄4年(1561年)5月 斉藤義龍死去。
このことがきっかけで光秀一家は放浪生活から足を洗い、
越前丸岡に定住する。朝倉義景から捨扶持をもらい、
称念寺で僧侶や百姓の子どもに学問を教える。
195 :
ピノコ:2005/07/06(水) 17:45:37 ID:???
永禄5年(1562年)秋 光秀、加賀一向一揆鎮圧に志願する。(もうすぐ玉ちゃんも生まれるし、
ちょっとでも活躍して出世したい気持ちから。「世の中を良い方向に
変えたい」とか、「百姓の持ちたる国」の実態を見たいという気持ちもある)
永禄6年(1563年)4月 光秀、朝倉義景の前で鉄砲の腕前を披露、義影から100人の鉄砲寄子を預かる。
始めのうちは、前途ある若者達に、最新のテクである鉄砲に関することを教えるのに
生きがいを感じていたが、しだいに自分達の出番が一揆鎮圧ぐらいしかなく、
「武力で一揆を抑えることが、民百姓の幸せにつながることか?」と悩む。
永禄6年(1563年)9月 三河一向一揆。本多正信、主君の松平元康と対立。
(光秀と対照的に、おのれの信念に一点の曇りもない)
196 :
ピノコ:2005/07/06(水) 17:55:47 ID:???
永禄7年(1564年)2月 正信、出奔。「プチ桶狭間」で出会った松永久秀の所へ向かう。
京を中心とした中央の政界に関わる仕事に携われることに、
正信は誇りと幸せを感じる。
永禄7年(1564年9月 加賀一向一揆鎮圧に朝倉義影自身が総大将として出陣。
南加賀を支配下に置くが…
光秀自身は自分の仕事に対し、(ちょうど近藤勇が「市中見回り」の
仕事を嫌っていたように)、欲求不満を持つ。「これが自分の本当にやりたいことか!!」
197 :
ピノコ:2005/07/06(水) 18:08:28 ID:???
永禄8年(1565年)正月 光秀、前日の大晦日より、泊りの当番に当たるが
自分の髪に白髪を発見し、任務を放棄して突然帰宅。
正月早々、「朝倉家を退転したい、今から旅にでる」と言って、
妻を困惑させる。(元ネタ…「一話一言」)
それで光秀、細川藤孝の所へ行くが…
藤孝も結構生活が苦しく、石ころだらけの土地を指差し、
「こんな土地しか知行地として与えることはできない」と言われる。
怒って帰ろうとする光秀。藤孝は、「自分と主従の関係を結び、いざと言う時、
力を貸して欲しい」と頼む。納得し喜ぶ光秀。
(元ネタ…「名将言行録」)
198 :
ピノコ:2005/07/06(水) 18:20:41 ID:???
永禄8年(1565年) 将軍義輝と松永・三好との間がキナ臭くなってくる。
藤孝は光秀に、「いざとなった時は義輝公をお守りするため、兵を貸して
欲しい」と頼むが…。光秀(まだ朝倉家に仕えています)は
朝倉義景に交渉するも、いい返事は貰えない。
一方、本多正信は、主君・松永久秀の方針に疑問を持ち始める。
永禄8年(1565年)5月 松永久秀に率いられた手勢によって、将軍義輝、暗殺される。
松永の手勢に加わっていた正信は、将軍の見事な最期を観て
松永の元を去る決意をし、加賀へ向かう。
199 :
ピノコ:2005/07/06(水) 18:36:45 ID:???
永禄8年(1565年)7月 細川藤孝、覚慶(後の将軍義昭)を一乗院より救出する。
(「国盗り物語」ではこの時、光秀は覚慶をおぶったり、
鉄砲で松永勢と戦ったりと大活躍しますが、これって司馬先生の創作?)
その後、藤孝は義秋のために尽くしますが、その活躍を横目で見ながら、
「自分は何をやってるんだ?」と汗ル光秀。
加賀一向一揆鎮圧の際、一揆軍に「三河訛りの男」がいるのを発見し、
ショックを受ける光秀。「三河武士でさえ、主君を捨て故郷を去り、
加賀一揆を支援するのか…。仮に加賀一揆を一時的に武力で抑えても、
世の中が悪ければ、あちこちで一向宗徒が暴れだす。悪くすりゃ、
一向宗徒が『革命』を起こすのでは…?
何とか足利幕府を再興し、とにかくしっかりした政府を作らなくては…」
だが、「三河訛りの男」こと本多正信も、加賀一向一揆を通じて、
「理想と現実の違い」に悩みはじめていた。
200 :
本多サド:2005/07/07(木) 21:39:25 ID:???
おお、正信がサブに定着♪ ピノコさん、恐悦至極に存候。…ええんかな?
力作に平身低頭、誠にお疲れ様に存じまする。
194の学問ですが、美濃時代の快川和尚には習えない有職故実は誰に教わったんでしょうね?
…と、疑問を持って調べてみれば、実に都合の良い人物がおりますね。
その名は、「三条西公条(サンジョウニシ・キンエダ)」。
天文11年(1542)に正二位右大臣なるも翌年辞官。天文13年に出家、詩歌吟詠の為に諸国行脚。永禄6年(1563)12月2日歿、77才。
父は『実隆公記』で名高い、三条西実隆。嗣子は細川藤孝に古今伝授した三条西実枝。
諸国を放浪をしたそうですから、放浪時代の光秀と近江辺りで出会って授業をするとか。
そうすれば藤孝とも親しくなり易いのでは、と愚考致しました次第。
201 :
本多サド:2005/07/07(木) 21:48:16 ID:???
で、どうでもいい話。
今週より始まりましたフジ月9の『スローダンス』を見ていて思いました。
藤木直人と妻夫木聡のコンビが、光秀と秀吉に見えるなぁ。
ここに参加させて頂いてから、役者を見る度にどの役が合うかと考えるように…。
202 :
名乗る程の者ではござらん:2005/07/09(土) 12:37:38 ID:ZPRPyYdq
敢えて言わせていただきたいのですが、
正直なところ、信長に仕える以前の光秀にあまり興味がないのです。
無論、ドラマを作るにあたって、出自・前半生の経歴等は設定として確定させる必要はありますが、
それを何週にも亘って描かれてるのは、ちょっと苦痛。まして、ほぼオリジナル・エピソードなら尚更。
できれば、そうした前半生は、過去の回想として挿入される程度にしてほしい。
個人の小説と違って、「大河ドラマ」なら約50話の枠があるので、エピソードは厳選する必要があると思います。
個人的には前半生に時間を割くより、信長に仕えて以降をより濃く描いていほしいのですが、
一般的にはどうなのでしょうね。
なるほど、そういう意見もあって当然だな。
ちなみに、このスレが大河板にあった頃の<明智のみっちゃん>の案では…
1月2月3月は落城後の放浪時代、そして、朝倉家への仕官。
4月5月ごろに京への上洛のくだりが描かれ信長と対面し…
6月7月あたりで、姉川の合戦などの主要な織田家の戦がポンポン出てきて…
8月9月はある程度落ち着き、丹波近江の領主としての姿が描かれ…
10月11月で朝廷がにわかに騒ぎ始め、光秀もその動きを察知し、信長を討つ決心を…
そして12月! 運命の本能寺の変! その後の山崎の合戦! そして長兵衛の一撃を
間髪いれず描きたいです。
とある。今後スレを進めていく方法として「本能寺の変」の動機などを考え、
最終回から逆算して話を考える方法もある。
また、<明智のみっちゃん>のペース配分案を元に、「○○編は※〜※話でまとめる」という構成案を作って、
各パートごとに話を作って、最後に49〜50話にまとまるよう、話をすり合わせる方法もある。
204 :
ピノコ:2005/07/09(土) 17:54:29 ID:???
>>202さんのようなご意見も、もっともなんですよねえ。
なるべく「放浪編」「越前編」を短くする方法としては…
第1話…光秀・信長の生前の話(美濃と尾張の関係)〜それぞれの(対照的な)少年時代
第2話…斉藤道三と信長の正徳寺での会見(
>>129 >>130 >>131参照)
第3話…斉藤義龍、父道三を討つ〜明智城落城
そして4話以降は信長が、岳父道三の敵討ちのため美濃攻略を進める話を『主』に
光秀が放浪〜朝倉氏に仕官し、やがて将軍義昭と関わりを深める話を『従』で描く…
そしてなるべく早めに2人を会わせる。
但し、
>>73さんみたいなご意見もあります。
ところで
>>202さんが描いてほしいストーリ案やエピソードは何でしょうか?
あと信長と光秀の関係(後半あたりで信長は光秀をいじめていたのか?
光秀はいつ、信長の存在を意識しだしたのか?)など、
>>202さんの仮説・解釈も教えて下さいナ
205 :
名乗る程の者ではござらん:2005/07/11(月) 23:25:06 ID:6ZPlwFtL
なかなかスレが進行しないのは困ったモンだナ。
皆の衆にお頼み申し上げる!
できるだけ詳しい年表(もちろん「ときは今」関連の)作って頂きたく候。
1560年(永禄3年)頃から、あるいはもっと前でもいいかな?〜1582年(天正10年)頃まで。
内容は各武将の細かい動き、歴史に残る名合戦から、事件、結婚、ちいちゃな事件などなどなど。
できれは西暦と元号の両方で、月・日が分かればそれも。
内容によってはソースも詳しく。
たぶん話を進める上で大変役に立つと思うので。
忙しいとは存ずるが、小生も出来る限り努力する故、よろしくお願い申しあげる。
206 :
ピノコ:2005/07/13(水) 16:44:10 ID:???
第3回…道三討死〜明智城落城まで
【導入部】斉藤義龍、密使より「父・道三が尾張の織田信長にしばしば武具や援軍を送っていた」
との報を入手する。「…『我が息子達はやがて信長の馬の轡をとることになろう」と言いながら、
武具・援軍を送るとは、敵を育て美濃の国を敵に譲るも同然の行為。我が父なれど許せん」と
怒る義龍。
207 :
ピノコ:2005/07/13(水) 17:02:37 ID:???
【前半部】斉藤義龍、稲葉山城に主だった家臣を集める。義龍、動揺を隠せない様子で家臣に問う。
「余は母が斉藤道三の側室となりて7ヶ月目に誕生した、すなわち余の実の父上は、
道三ではなく、前美濃守護職・土岐頼芸だと噂する者がある。本当のことか?!」
何と答えるべきか、困惑の表情を浮かべる家臣達。
義龍 「この中で一番正直者の稲葉一鉄、余の本当の父上は誰であるか、答えよ」
一鉄 「それは…殿の実の母上さまだけがご存知のことです…」
義龍 「では余の実の母とは誰じゃ!」
一鉄 「…宮津一色家の娘、深芳野さま…道三どのに嫁がれる直前までは、前守護職・
土岐頼芸さまのご側室であられた方です…。それ以上のことはお答え出来ませぬ」
言外に義龍の実父は頼芸であることを認めた表情の一鉄。
真実を知り、暫くは動揺を隠せない様子の義龍だったが、やがて…。
義龍、実父・土岐頼芸への敵討ちのため、道三を討つ決心をしたことを名言する。
義龍の挙兵に大いに同意する家臣たち。
(続く)
208 :
ピノコ:2005/07/13(水) 17:16:33 ID:???
【前半部】(続き)
家臣達が去った後、腹心の部下の前で突然、高笑いをする斉藤義龍。
「稲葉一鉄め、よう芝居をやってくれた…我が実の母は、稲葉家の娘じゃ!」
明智家の娘・小見の方が斉藤道三の正室となる前は、稲葉家の娘が道三の正室であった。
だが、義龍の生母は義龍出産後、重い病に罹った。
しかし人々はなぜかその病を、「前世の悪業の報い」と噂した。義龍の生母は実家に戻り、
人知れず、この世を去った。
義龍も早くから「義龍の実父は土岐頼芸」という噂を知ってはいた。
だが、父・道三はこの噂を肯定することで、美濃の古くからの衆の支持を取り付けようとした。
そして今度は自分が、この噂を利用する番だという義龍。
「信長への援助の件、我が実の父であれど許せん! 挙兵の大儀名分を、
卑怯な外患誘致への疑いとしなかったのは、せめてもの孝行心」という義龍。
209 :
ピノコ:2005/07/13(水) 17:43:43 ID:???
【前半部】(続き)
稲葉山城では…
鷹狩り姿の斉藤道三が部下達(石谷対馬守・明智光安・堀田道空ら)と戻ってくる。
光秀は、鎧兜姿ではないものの、すでに戦仕度のいでたちで、道三らを待っていた様子。
広間で話し合う道三ら。
光秀は義龍が弟の孫四郎・喜平次を殺害したこと、稲葉山城には斉藤家の二つ波頭の立波の紋ではなく、
土岐一族の桔梗紋の幟がたっていることなど伝える」
道三 「なぜ…突然に…」
光秀 「おそらく以前から準備を進めていた上での挙兵でしょう」
光秀、現在、織田家では織田信長と岩成織田家とが内戦中であること、
信長が内戦のため援軍を出せない今を狙って、義龍は挙兵したのではないかと分析する。
うなだれる道三。
光秀は道三が信長に武具・援軍を送った件を非難しようとするが、明智光安に強くたしなめられる。
広間をでて廊下を歩く光秀と光安。
光安は光秀に、自分は道三と古くからの付き合いある故、道三側につくが、光秀には明智家を守るため、
自分とは違う方針をとって欲しいという。
光秀、にやりと笑いながら、「では中立という立場はいかがでしょうか」
(続く)
210 :
ピノコ:2005/07/13(水) 23:22:35 ID:???
おっと…ココまでの話は、
弘治元年(1555年)10月の出来事です。
【後半部】
明智城の近くの野にて、軍事練習を行なう光秀。(背景は晩秋らしい風景に)
光秀指揮の下、鉄砲足軽が火縄銃を撃つ。
発射し終わるとすぐ後ろに下がり、今度は弓矢隊が矢を「矢継ぎ早」に打ち続ける。
その間、火縄銃に素早く弾を入れる鉄砲足軽。
弾を入れ終わるとすぐ弓矢兵と入れ替わり、鉄砲を撃つ。
遠方にあった藁製の人形は、火薬と矢で原型がかなり崩れている。
「おおっ!」と歓声を上げる兵達。
一方、年貢や金銀の勘定に忙しい明智光忠&溝尾庄兵衛。
光秀から、「なるべく年貢米を取り立てず、かわりに柿渋・栗・エゴマなどの農産物を、
現金を早く必要としている農民から速く安価で買い取り、それを早めに有利な条件で、
他国の商人に売り、それを塩・魚・火薬などの購入に充てる」という方針が出されている。
211 :
ピノコ:2005/07/13(水) 23:28:49 ID:LCi8VL+Q
おっと、
>>209訂正、【誤】稲葉山城では→【正】鷺山城では
212 :
ピノコ:2005/07/13(水) 23:36:50 ID:???
213 :
ピノコ:2005/07/14(木) 00:04:11 ID:???
【後半部】
道三×義龍の、戦闘シーンを挟んで、いよいよクライマックス…
翌年・弘治2年(1556年)4月19日
敗走し、山寺(南泉寺)にわずかな陣を敷く斉藤道三。
道三の「波紋」の幟も、明智光安・石谷対馬守の「桔梗紋」の幟も、ぼろぼろである。
遠方に、敵陣である斉藤義龍側の「桔梗紋」の幟が見える。
堀田道空 「…今からでも充分間に合いましょう、信長様に援軍をお願いしましょう」
だが道三、これを断る。これまでも「婿・舅がそろって敗北死するのは信長どのにとっても恥」といい、
信長からの援軍でさえ、断り続けていた。
「遺書」を書く道三。
自分の2人の息子に出家を勧め、美濃は信長に譲るとある。
最後の決戦に向かう道三。
4月20日、道三、長良川にて討死す。(「国盗り物語」みたいな、「甲虫の死骸に蟻が集まる」場面が使えれば…)
「どうさあん〜」と、泣く信長。
(この辺り、あまり時間をかけすぎず、テキパキと。道三も信長もあくまで「脇役」ですから…)
214 :
ピノコ:2005/07/14(木) 00:26:33 ID:???
第3回(まだまだ続きます…)
明智城に急ぎ戻る明智光安一行。迎え入れる光秀。
斉藤義龍 「何ぃ、明智はまだ中立を続けるとは!」
木曽川沿いに馬防柵を立て、火縄銃&弓矢で応戦する明智軍。
斉藤義龍 「なかなか考えたな…明智め。…だが所詮、○○石の領地、長くは持つまい」
・8月の八朔過ぎた頃、明智領の百姓達に、義龍側に従えば年貢を半減するという触れをだすこと。
・それまで織田信長が援軍を出せぬよう、信長と対立関係にある岩成織田家を援助する。
…という方針をたてる。
9月18日、長井隼人率いる義龍側の軍勢が、明智領の馬防柵を倒し、領内に入る。
そして運命の9月20日…
215 :
ピノコ:2005/07/15(金) 20:57:27 ID:???
おっと、また大間違いを…
【誤】岩成織田家→【正】岩倉織田家
どうも三好三人衆の「岩成」と、頭の中でごっちゃになってた(笑)
第3話の後半部、まだ続きます…
216 :
名乗る程の者ではござらん:2005/07/17(日) 21:51:08 ID:MYJ1KrHI
他の常連さんの登場期待してage!
思い切って、何の理由もなく信長を殺したってことにしたら?
精神異常みたいなかんじで。そのためには繰り返し繰り返し
神経の細やかな常識人という面を描いてさ。
大河の「秀吉」のときみたいに、秀吉の良き友人であるという
面を強調して、秀吉の無茶な計画の裏には光秀の助言がかなりあったとか
段々精神を破綻していく光秀というのも見てみたい。
朝廷黒幕説とか徳川とか秀吉黒幕説とかを抜きにして、信長によって精神
を蝕まれていくとかどうでしょうか?
>>217 ごめん。すごくつまらない。
狂ってたからやりましたってのは、あらゆるドラマツルギーの否定だからな。
同人女が考えたやつよりいいんじゃない?
発作的に殺したってよく実際の犯罪にもあるじゃん
220 :
名乗る程の者ではござらん:2005/07/19(火) 13:01:54 ID:bbwU01MT
妻の熙子について調べたが・・・
・光秀の看病をしていたら自分も病気が再発して死んだ。
(つまり、光秀の生きてるうちに死んで、葬儀に参加してる)
・山崎の合戦の敗戦を知り玉に手紙を送り自害。
の二つがあるのですが、同一人物でこんなチグハグな資料が出てくるとは
これいかに?
>>217 秀吉の影に光秀有り的な考えあたりに同人の香りが・・・
>>220 当時の女性に関しては、正確な記録があまり残らないせいもあり、そういうこともあるもんだよ。
で、最初から読んでみたが、結局どういう光秀を書きたいのか見えてこない。
光秀一生の中で、どこにポイントをおくか?誰が準主役なのか?
光秀の武功と文政どちらに重きをおきたいのか?信長重臣の中で誰らと主に絡ませ、
誰らとうまくいかないのか?誰の視点から見た光秀なのか?本能寺の変周辺はどうするのか?etc
最低限これらの骨組みをしっかり作ってから肉付けして、まず全体が見える
原作みたいなものを作ってから、コマ分けしていかないと、いきあたりばたこでご都合主義的
ドラマになりかねない。企画書なんて論外になる。
あと、気になったのが、みんなで作り上げるといいながらも、
自分よがりな印象があるように思う。
おもしろい提案や、意外な側面からの斬り込みをレスしていた連中が
来なくなったのは、そのあたりが関係しているかもしれない。
実際、このスレは何を言っても聞く耳持たなそうという意見が書かれている。
白土三平は、光秀が忍者というアイデアを忍者武芸帳でやってたな
223 :
名乗る程の者ではござらん:2005/07/20(水) 16:57:40 ID:EcT8SCET
>>221 ということはモデルとなった女性が複数存在したと言うことですか。
これをふくらませていったら、面白いドラマになるかもしれませんね。
224 :
名乗る程の者ではござらん:2005/07/21(木) 01:37:43 ID:UBqEEH+S
225 :
ピノコ:2005/07/23(土) 15:36:58 ID:W4fES0MN
やっと「人大杉」が解除された…
その間にレスが増えて、とてもうれしいです。
(「専ブラ使ってねえの」ってツッコミあるでしょうが…、現在は事情あって専ブラが使用できないんです)
なんか本格的に、人稲杉スレになってきたな(笑)
>>221氏のおっしゃること御尤も。
本来、その辺りは最初にこのスレッドを建てた「明智のみっちゃん」氏が、もっと書き込むべきなんだ。
だが、みっちゃん氏は途中からスレに書き込みに来なくなってしまった。
あと、みっちゃん氏は人から異論を言われると、キレたり逆に話をそらせたりして、
本当の意味での議論を、冷静に行なわないところがあった。
>>225 >>221の下4行ちゃんと読んだ?
独りよがりに傾いてることを忠告してくれてるんだよ。
ほんとに聞く耳をもたない人だね。
個人同人でもやってたら?
>>227 なんかここでレス書くと、変に喧嘩になってしまいそうだな。
「独りよがりに傾いている」…確かにそれはある。
一つは他の人から出されたアイディアを、ピノコが消化しきれないことがあるのだろう。
ピノコも最近、むなしくなったのか、書き込みに来なくなった訳だが…
例えば、以前あった「明智光秀公の放浪時代の『猿楽師』」のあたりは、ピノコの知識不足もあって
ストーリに生かすことができなかったのかも知れん。
ピノコが一方的にストーリを書くのではなく、他の人からのアイディアを脚本化する、
一種の技術屋的立場に徹してくれればいいのだが…。が、それを求めるのはちと酷か?
一番いいのは、誰かが(できれば複数の人が)、第1話から最終回までのおおざっぱなストーリ原案を書き、
それを叩き台にして考える…ってのがいいわけだが。
ただ「明智光秀を主役」にした小説は、プロの作家でも意外と少ない。
光秀を主役にした作品を作る場合、<生い立ちが不明><放浪時代が不明>そして<主君殺しの動機が不明>と
不明だらけ。結構難しい素材だな。
まあ、誰か才能のある人が手伝ってくれたら…と願うのみ。
もしもし大河化されたとしてもwww、
スレ主が脚本書くわけじゃないから、大丈夫だよ!
確かにそうだ。
だが、「主人公の生い立ち」「キャラ設定」「行動の動機」などはこちらで考えないといけないだろう。
ところが、これらのことが主役である明智光秀において「不明」だから、困ってんだ。
本能寺の変ですら、動機が不明、江戸時代は怨恨説で歌舞伎とかやってたらしいが、
今回の目的の一つが「怨恨説はできれば取り上げない」もあるのだから、他の理由を考えないといけない。
昔、ジェームス三木御大が明智光秀を大河でなさろうとしたが、局の意向でできなかったというのも、
この辺りにあるのだろう。
しかし、近頃の大河は宮本武蔵みたいなのも平気でやるようになったから、
しっかりした「生い立ち」や「行動の動機」なんかをこっちで(しかも名無しの作者不明で!)
ちゃんと考えてやろう…ってのが、そもそのこのスレの狙い。
でも、これって結構むずかしいな(朝忙しい時に書いたので推敲していない。誤字や変な表現、許せ)
>>231 宮本武蔵は無残な結果になりはしたが、
吉川英治描くところの武蔵というしっかりした原作があった。
その「しっかりした原作」をここで大河ドラマ用に創ろうってのが、このスレの目的の一つであるわけだが。
しっかし、スレが進行しない・人稲杉の理由は何なんだ??
一方的にストーリを書くヒトがいるためなのか、明智光秀という素材に問題があるのか、
それとも別のところに原因があるのか…。
ただこのスレは当面維持したい。<明智のみっちゃん>や<まったけ>さん、<本多サド>さんが
いつフラっと戻ってくるか分からんし。
幸い、時代劇板はdat落ちしにくいな。
同人でやればぁ。
大河にしたいなら地元の観光協会や経済団体、市役所に話つけて
陳情団があったら参加したほうがいいいんじゃない。
福知山市は誘致しないの?
終わってしまいましたか?
237 :
名乗る程の者ではござらん:2005/09/02(金) 00:20:24 ID:Ds2ksj5S
意味なく、age!
まあ、もし光秀主役で大河ドラマやるなら、
光秀の出自は謎のままにして、信長と義昭を引き合わせる所からスタート、
時間をたっぷりかけて、義昭側と織田側との暗闘やら、
松永久秀や筒井順慶たち畿内の連中やら、本能寺の原因やらをしっかり描いてほしいと思う。
個人的には本能寺の変は、斎藤利三説希望。
再来年の勘助が成功したら、大河になる可能性は高くなると思う
>>238さま…
スゴイ情報提供ありがとうゴザイマス。
そっか…ジェームス三木先生がすでにかなり「原作」をかいていらっしゃるんですね。
光秀どのの生い立ちとか家族関係とか、「本能寺の変」の真相とか、
ジェームス先生なら、どうされているのか興味深々…
(デモ、チョット…ジェームス御大ト、ワガミヲクラベルノハ、ミノホドシラズトオモイツツモ…)
242 :
名無しの制作委員:2006/01/03(火) 14:40:54 ID:T+kfSa44
新年おめでとうございます。
旧年中は、たくさんの方々から、このスレッドにレスを頂きながら、
中途半端のままにしてしまったこと、お詫び申し上げます。
さて…今年の大河ドラマは「功名が辻」。
あのドラマでの明智光秀どのの描き方について、
「もっと違う視点で描いてほしい」
「いっそう光秀どの主役の大河をやってほしい」
…と思われる方、でてくるのでは??
そんな方々のためにも、このスレッドを再開したいと考えました。
もちろん、われわれ自身、「せっかく手がけた物語を、流産させるのは残念」
って想いもありますし。
そこで、これまでの反省を生かし、皆さまのアイディアや意見が生きるような
「ときは今!」スレッドを運営したい決意です。
皆さまのご協力・ご声援お願い申し上げます。
243 :
名無しの制作委員:2006/01/03(火) 14:51:45 ID:T+kfSa44
さて…これまでのスレッドの流れを読んでの反省点。
●一部のコテハン(その中にワシ自身も含まれるか…)が一方的に
考えを述べる。運営が排他的。
●何が話し合われているのか分かりにくい。途中からの参加者は
どうやって話の流れに入ればいいのか分かりにくい。
●NHKに企画書送るって、どうやって送るんだ?? 本気度が
高い割には成功するわけないじゃん…って気になる。
他にもいろいろある。(書ききれない)。
…で、反省を生かし、、今後は以下のようなルールの元にスレッド進行を
進めたい。
244 :
名無しの制作委員:2006/01/03(火) 15:04:01 ID:T+kfSa44
スレッドを進める上での、おおざっぱな進行表を作り、
それに合わせて進行させる。
その進行表だが…
<その1>『明智光秀』とその背景となる『時代』についての情報・
知識を集める。史実・通説・逸話など。明智光秀に関して、
基本的な知識をみんなで共有する。
<その2>その1で集めた知識を元に、ストーリについて、いろいろ
イメージを膨らませる。明智光秀の生い立ちや、各キャラクターの
ドラマ向けの味付け、そして本能寺の変の真相など。
なお、この段階では、本能寺の変の真相などは、複数の説を考える。
<その3>テーマの決定。一番しんどい仕事となるが、皆で考えよう。
司会役であるワシの腕の見せどころ。
<その4>その3で決めたテーマに沿って、ストーリ展開を決定する。
各キャラの性格や本能寺の変の真相なども、この段階で決定する。
<その5>企画書の作成。作成された企画書は、このスレッドを読んで、
賛同された方々が各々コピーしてNHKに送る(メールでも郵送でも)。
245 :
名無しの制作委員:2006/01/03(火) 15:10:53 ID:T+kfSa44
あと、司会役はワシが務める。
司会役であるワシは意見を言わないように心がけたい…
(しかし、意見を言いたくなる時もあると思う。その時はコテハンを使用せず、
「名乗る程の者ではござらん」で意見を言おうと思う。
まあ、今のところ、こんな感じでスレッドを運営したいと考えている。
スレッドの運営の仕方など、ご意見・アイディアあれば教えて頂きたい。
この企画を成功させて、2010年の大河ドラマは「ときは今!」にしようぞ!
どうしたって国盗り物語風味の織田信長伝になっちゃうよ。
秀吉主役でも信長には食われるからなあ
248 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/04(水) 18:08:46 ID:wrMvSfqY
確かに、功名のPRでも、相変わらず”誇り高き反逆者”のレッテルだったしな。
光秀を主役にするということは、
そういった従来のレッテルや国盗物語な世界観を打破しないといけない。
また、どんなにスバラしい企画書を練り上げたとしても、NHKに直談判したトコロで正直ラチがあかないだろう。なので、
たびたび指摘されているように、明智光秀公顕彰会や福知山市の誘致団体との連携を密にとってアクションを起こすのが、実現化への一番の近道だと思う。
また、以前、細川親子を主役、光秀を準主役にすえ構想を練っていたというジェームズ三木氏に働きかけるのも方法の一つだと思う。
やはり、原作や脚本に価値がなければ、NHK上層部に一掃されてしまうに決まってる。
当時は却下されてしまった案だが、ここ最近の大河のトレンドからして、あながち受け入れてもらえるのではないだろうか。
ストーリー云々を論じると同時に・・・
実現化へ向けての具体的なプロセスについても平行して話を進めていくべきだと私は思う。
249 :
名無しの制作委員:2006/01/05(木) 06:15:32 ID:xLop9vzm
…なるほど
250 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/05(木) 17:04:18 ID:h9ugx/Sg
明智光秀=裏切り者 というレッテルを
皆様の力でどうか除いてやってください。
お願いします。
被害妄想意識強すぎで気味が悪い。
べつに、裏切り者なんて思っていない人も最近多いと思うけど?
裏の黒幕は誰か? 真の理由は?なんてとこに興味が移ってきてるんだよ。
252 :
名無しの制作委員:2006/01/05(木) 23:32:52 ID:VfiwbJdk
>>250さんのお言葉を、励ましのお言葉として受け取っています。
いい機会だから、なんでワシが、「明智光秀」「2ちゃんねる」「大河ドラマ」に
こだわって、このスレッドに粘着しているのかを…。
確かに自分のブログでネット小説みたいな方法で発表する方法もあるだろう。
だがその方法を取らなかったのは、
明智光秀という素材は、ホントに2ちゃん向け、つまり
不特定多数の人々が意見を持ち寄って、物語を作るのにふさわしい素材だと
考えたからだ。(つづく)
例えば…
丹波攻略の際、黒井城の波田野兄弟を捕らえるため、
光秀は自分の母親を人質に出すが、
安土に送られた波田野兄弟を信長が殺したため、
光秀の母は黒井城の人々の恨みをかって殺されたっって話
(今、手元にノートがなくて記憶だけで書いている。間違っ所あれば
スマソ)、これだって…
●光秀の生い立ちについて「実父母を早くに亡くした」という口承が
岐阜に残っている。この時人質に出されたのは実母? 伯母? 乳母?
それとも赤の他人…とか??
●黒井城側の記録によれば、この時、光秀が人質である波田野兄弟を
乱暴に扱ったため、兄弟のうち一人は安土に着く前に死亡、もう一人も
切腹した…とある。真相は??
●そして「本能寺の変」とのつながりは??
など、いろんな方向から考えられる。
だから、いろんな資料、地元の口承伝説、そして各自の推理など、
いろいろ持ち寄って、「明智光秀という人物」のストーリを
創りたいと、考えたんだ。 (つづく)
但し、あまり荒唐無稽なものにはしたくない。
それには「大河ドラマ」という枠組みがいいんじゃないかと考えた。
もし大河ドラマ化が無理でも、ここで作成された企画書の完成度が高ければ、
ひょっとして…民放大型時代劇で取り上げてもらえるとか、
NHKで「お〜い、光秀!」というタイトルでアニメ化してくれるとか、
まあ、そこまで行かなくても、ここで考えられたストーリに魅力があれば、
このスレッドを読んだプロの書き手さんが、コミック化・ノベライズ化
してくれるとか…。
まあ、「NHKに完成度の高い企画書を送る」ことを最終目標にすれば、
そして挫けずがんばれば、それなりのレベルのものは作成できると考える。
そしてNHKで採用されなくても、「何だかの形で陽の目を見る」方向には
もっていきたい。 以上!
255 :
名無しの制作委員:2006/01/06(金) 00:23:34 ID:sZ/JAhKD
まあ、いろんな意見もございましょうが、
まずは「本能寺の変」のみだけでなく、
光秀の生い立ちのこと…妻との関係…明智城落城こと…放浪時代…
越前での暮らし…細川藤孝との出会い…そして信長との出会い…
信長上洛後の信長と足利義昭との対立(このあたりは「功名」に
おける足利義昭より面白くなるゾ!)…そして朝倉・浅野との戦い
…例のハクダミを施した髑髏の件…比叡山焼き討ち…そして坂本城建設
と、前半だけでもイッパーイあるんで、皆で協力して、通説・新説・
原典・そして地元の口承伝説など、情報を集めたい。
ワシのほうもできるだけ自分の調べたことなど書き込む。
あわせて、この時代の衣食住とか社会制度とか、農業土木の技術とか
こっちのほうも、調べてみたいと思う。
ご協力、ヨロシク!
(もちろんストーリ案の歓迎。キャスティングの希望は、たぶん
NHKへの企画書には書かないほうがいいが、皆でイメージを
膨らませるのには、ある程度は役立つと思うよ)。
256 :
左馬之介:2006/01/06(金) 13:30:09 ID:O4kjo5bF
ラストが、本能寺を経て山崎の合戦になることは明白なのだが・・・
とりあえず、どのアタリから始めるのか?
というのがストーリー構成における第一の難関。
1 明智城落城からスタート
2 朝倉家家臣からスタート
3 織田家家臣からスタート
4 その他(青年時代or城主就任後とか)
遅い年代からスタートしたとしても過去の回想シーンを入れることは可能なので、
あまり難しく考える必要もないのかもしれない。しかし、これが決まらないことには始まらない。
始めにスタート地点を設定し、全49話の大まかなペース配分やガイドラインを決め、その要領にあわせたストーリー展開をハメこんでいくほうが、
ただ、漫然と壮大なストーリーを考えていくよりも、効率的であり不特定多数の参加者が飽きることなく意見交換ができると思う。
そういった意味でも、
上記の指摘にあるとおり、逆にキャスティングを早々と決め、
役者のイメージにマッチしたキャラ作りを進めることも、作業を効率化するには有効かもしれない。
ただ、そのキャスト陣が揃う保障はドコにもない。おそらく、ここで好き勝手にキャスティングを募っても、
ギャラの問題など壁にぶつかるだろうから、実現化された際に生じる、ある程度の失望を覚悟しなければならないが。
>>248に書き込んだ者
今後は”左馬之介”というコテハンを名乗ります。
257 :
左馬之介:2006/01/06(金) 15:18:18 ID:O4kjo5bF
ストーリー構成の参考となるよう、大まかな年表をまとめてみる。
・明智家落城(30代前半)
↓
〜約5年間ほど放浪生活〜
↓
・鉄砲の技量が評価され、朝倉家に仕官(30代後半)
↓
・岐阜城で信長に謁見。美濃を拝領される。(40歳前後)
※細川藤考と出会う。
・信長と義昭の仲介を果たし上洛。
・六角、三好との合戦に参戦。
細川藤考、羽柴秀吉、村井貞勝、丹羽長秀、佐々成政らと共に、
まつりごとに関与し始める。
↓
・坂本城主就任。義昭との縁を完全に切る。(45歳前後)
・浅井攻めに参戦
・義昭追放
↓
・細川藤考、佐久間信盛らと共に、本願寺および三好勢を破る。(40代後半)
・丹波丹後の平定を命ぜられる。また、日向守の官位を与えられる。
・羽柴秀吉、柴田勝家、滝川一益らと、一向一揆鎮圧に参戦。
・柳葉一鉄、羽柴秀吉らと共に先鋒として加賀へ出陣。
・荻野直正を攻め丹波国衆の大部分を平定していく。
258 :
左馬之介:2006/01/06(金) 15:23:54 ID:O4kjo5bF
・丹波亀岡、八上、丹波宇津、丹波黒井、氷上を攻略。波多野家降参。(50代前半)
・備中の羽柴軍に援軍として出陣。
・丹波を拝領。細川藤考は丹後を拝領。
↓
・京で馬揃えが催され、その奉行を任される。(55歳前後)
・坂本への帰国が命ぜられる。
・家康の接待役を仰せつかる。
・中国攻めのため亀山に戻る。
・愛宕神社を参拝。その後、有名な「ときは今…」の百韻を読む。
そして
・本能寺の変、勃発。
259 :
左馬之介:2006/01/06(金) 15:24:54 ID:O4kjo5bF
そして
・本能寺の変、勃発。
・細川親子、光秀に敵対の意を表明。秀吉、備中高松から引き返し始める。
・落人狩りをすすめ、山岡景隆に降参を持ちかけるも瀬田の橋を焼き逃亡。橋の復旧工事と安土城の財宝の分配を始める。
・各地の大名へ味方をするよう書簡を書きまくる。
・佐和山、長浜を攻略。
・筒井順慶のもとへ藤田伝五を送るも返答ナシ。
・安土で吉田兼見、誠仁親王に謁見。
・摂津攻めのさい京へおもむき、吉田兼見宅で細川藤考へむけ再度、覚書を書く。
・筒井順慶に洞ヶ峠を決め込まれ、その隙に秀吉に天王山を占拠される。
・山崎の戦いで破れ、逃走中に小栗栖で刺殺される
260 :
左馬之介:2006/01/06(金) 15:28:38 ID:O4kjo5bF
>>258 の前半部分が抜け落ちました。失礼。
・波多野秀治の猛反撃にあい坂本へ退却。(50歳前後)
・石山本願寺攻めの際、陣中で病に倒れまたも退却。
・紀伊へ出陣
・細川藤考らと共に松永家を滅ぼす。
・細川藤考と共に波多野を、滝川一益と共に荒木を攻める
・玉が細川忠興と結婚
261 :
名無しの制作委員:2006/01/06(金) 23:47:41 ID:sZ/JAhKD
左馬之介殿、ありがとうございます!! 歓迎します
>始めにスタート地点を設定し、全49話の大まかなペース配分やガイドラインを決め、その要領にあわせたストーリー展開をハメこんでいくほうが、
ただ、漫然と壮大なストーリーを考えていくよりも、効率的であり不特定多数の参加者が飽きることなく意見交換ができると思う。
うんうん。確かに。
ただ「スタートラインをどこにするか」だけでもいろいろ考えられるね。
とりあえずは、左馬之助殿か作られたような「年表」を、もっと詳しく、
(西暦や年号を入れたり、他の戦国武将の動きや事件も入れたりする)
その「年表」をストーリの叩き台にするってのはどうだろうか。
ワシの方も、一度自分の手元の資料を元に「年表」を作成してみるので、
他の皆さんも、どんどん付け加えて、「明智光秀の年表」を
完成させてほしいっす。
それから…以前、このスレの、
>>203あたりに、
ワシの考えたストーリ展開案が書いてあるので、そっちも参考になればと思う。
ストーリ原案については、現段階では1本に絞らずに、複数の原案を、
同時進行で考えてもいいんじゃないかな?
むしろ現段階では、いろいろアイディアを膨らませたほうが、
やってて面白いと思うのだが…
確かにストーリ作成は、慣れない人には難しいだろうな。
が、例えば、「ストーリ漫画を書いたことがある」とか
「2時間程度の上演用演劇台本を書いたことがある」とか
「長めの小説を書いたことがある」とか、そんなことの経験者なら、
全49〜50話のストーリプロットを作ることは、さして困難ではないと思う。
(実際、以前、こっちでコテハンだったピノコも、そういったことの経験者だったし…)
もちろんストーリ創りが「苦手」「やったことないし…」という人も
だぶん多いだろうが、そういう方には、
「ストーリÅ案よりB案のほうがいい」とか、「ここ、分かりにくい」とか
「このあたりは面白い」とか、率直なご意見や感想を書いて頂きたい。
まあ、今度の日曜にでも、手元の資料を整理して、
「明智光秀についてあまり知らない人にも、光秀の生涯が分かる年表」でも
創るとするか…。その他、いろんなアイディア、お待ちしてます。
あっ、それから…
今度の日曜日から、「功名が辻」はじまるんだね。「功名…」を観て、
「もっと違う戦国大河を観たい」「できれば自分で大河を創りたい」
という人たちに、このスレッドの存在を知っていただくには、
どうすればいいのか…(大河板で宣伝する。このスレを大河板に移転する等)
こっちのほうも、皆さまのご意見を伺いたいです。
ヨロシク!
264 :
左馬之介:2006/01/07(土) 00:34:03 ID:eeJUyKU/
>製作委員殿
いえいえ。これから投稿させていただきます。
というわけで、今後は「これは入れてみては?」というエピソードを思いつき次第小出ししていきます。
みなさんも、これに感化され批評なりして話を進めていきましょう。
まず、織田家家臣以前のエピソードで挿入したいのは・・・
・奥さん
疱瘡のデキモノの話や、剃髪してお金を捻出した話はウケがいいと思う。
俗説通り、光秀は側室をとらなかったという設定にしてしまうのも手だが…
ここは意見が分かれるところだろう。いたらいるなりに平等に女性を愛せる男として描けばいいわけだが。
(まつ、千代にならび煕子さんにも脚光を!!)
・放浪時代、寺に世話になっていた。
(このときの高僧を通しての人脈網が彼の出世街道を切り開く。が、
一方で、後の叡山攻めのくだりで、信長と僧侶の板ばさみに陥り苦悩する。
信長に寺ごと焼き討ちされる快川和尚を国盗における道三的な役割を
持たせるという案が以前書いてあったのでいいかもしれない。
叡山攻めに反対したのが本能寺の動機の一つという俗説があるが、むしろこれこそが信長へ服従する決意の現れであり、
寺を焼き和尚を殺すことで、光秀の忠誠心を試すという信長の仕掛けた踏み絵だったというのはどうだろうか?)
・朝倉家で鉄砲の腕前を披露し評価された。
(おそらく、これも放浪中に鍛冶屋なり南蛮人なりに教わったということにしておけば、
後々、信長との係わり合いの中で色々と役立つ小道具になっていくだろう。
実際、本能寺のときも近衛前久の邸宅から鉄砲を撃たせていたらしいので。
また、南蛮人をさりげなく出すことで、晩年、南蛮人から老眼鏡を購入したなど、
本能寺の際、黒人奴隷を殺さずに逃がした話への伏線にもなるかもしれない。
さすがに、ガラシャ云々につなげていくには無理のある話だが…)
…明智光秀年表…
1527年(大永7年)8月 西村勘九郎(後の斉藤道三)、美濃国主土岐盛頼を
追放する。美濃国主には、盛頼弟の頼芸が就任。
(この時、明智家は西村勘九郎側につく)
1528年(大永8年) 明智光秀誕生。父は明智光綱とされている。
※光秀誕生の地には
@岐阜県可児市瀬田明智庄
A岐阜県恵那郡明智町
B岐阜県山形郡美山町
の3説がある。
(つづく)
(上記の続き)
「明智軍記」「武功余話」などによれば、光秀の出生の地は@となる。
しかし、清和源氏・土岐一族としての明智家の記録では、光秀の記録は
はっきりしないところがあるらしい(父親が誰なのか分からないらしい)
Aは細川家側の記録によるもの。後に光秀が細川藤孝(後の細川幽斎)と
親しくなった時、自分の出身を「恵那明智」だと語ったらしい。
しかし、恵那明智は藤原氏の流れを汲む家系。武田領と隣接しているため、
しばし武田領となったことがある。
恵那明智には、光秀手植えの楓の木などがある。
ちなみに「遠山の金さん」の出自は恵那明智。
Bの地には光秀誕生のさまざまな口承伝説が残されている。
この地の口承によれば光秀の父は半農半武士の身分で、光秀は茅屋で
誕生したとされている。光秀の実父が明智光綱に仕え、実父亡き後、
その才を認められ、光綱の養子になったという話。
またBでは光秀の出生年は1526年となっている。
1538年(天文7年) 光秀の父・光綱死去?
このころ、れいの元・油屋さん出家して、
斉藤道三と名乗るようになる。
1542年(天文11年) 斉藤道三、美濃国主・土岐頼芸を追放し、
美濃太守となる。
1543年(天文12年) 種子島に鉄砲伝来する。
光秀、この頃元服か?
1548年(天文17年) 織田家との和睦のため、道三の娘・帰蝶(濃姫)が
織田信長のもとに嫁ぐ。
この頃より光秀、道三に仕えたらしい。
1552年(天文21年) いったん和睦し美濃大桑城への復帰を認められていた
土岐頼芸を、斉藤道三は再度討って追放する。
1553年(天文22年) 斉藤道三、織田信長と聖徳寺で会見する。
1556年(弘治2年)1月 斉藤道三、息子の斉藤義龍に討たれる。
9月 明智家、斉藤義龍との戦いに敗れ、陥落。
光秀の叔父・光安自害。光秀は妻子とともに逃亡。
269 :
名無しの制作委員:2006/01/08(日) 23:17:02 ID:JvHo1SwM
ぼちぼち続きは書きます。
この一年以内に「企画書」は仕上がるようにしたい!
ペースを上げて、まずは皆さまと、「明智光秀に関する事実」
「これまで小説・大河などで取り上げられた俗説的な光秀ストーリ」など
どんどんココに書き、それを叩き台にして、オリジナルストーリを考えましょ。
皆さまの加勢、お願いします。
合わせてスレの運営方法や、効果的な大河ドラマ化実現実現運動の方法など、
いろんな意見、お待ちしとります。 age!
第壱話 義龍、襲来
第弐話 見知らぬ、越前
第参話 崩れない、友情
第四話 信長、上洛した後
第伍話 義景、心のむこうに
第六話 決戦、金ヶ崎退却戦
第七話 比叡山の焼き討ちせしもの
第八話 所領、加増
第九話 瞬間、心、踊って
第拾話 出世頭ダイバー
第拾壱話 築城した坂本城の中で
第拾弐話 将軍の価値は
第拾参話 義昭、追放
第拾四話 光秀、丹波平定責任者の座
第拾伍話 惟任姓と日向守
第拾六話 死に至る病、そして
第拾七話 摂津の謀反者
第拾八話 婿の選択を
第拾九話 天目山の戦い
第弐拾話 鬼のかたち 人のかたち
第弐拾壱話 本能寺、炎上
第弐拾弐話 せめて、天下人らしく
第弐拾参話 逆襲
第弐拾四話 最後の手紙
第弐拾伍話 終わる覇道
最終話 山崎の中心で仇討ちを叫んだ猿
劇場版第25話 小栗栖
劇場版第26話 天下を、貴方に
エヴァネタでパロったのを空気も読まずさらしてみたかっただけだ。スマソ
272 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/11(水) 02:21:10 ID:6DJ/WQhu
どうでもいい話だけど…
舘信長すげぇな。
大河板とか反響がハンパない。
悪い意味でなwww
みつごろーはどんな演技するんかな。
同人誌作って意見交換するような事を、よくこんなとこでやるなw
275 :
名無しの制作委員:2006/01/11(水) 19:14:07 ID:wiXDm61K
雑談もOKだよ!
よかったら明智光秀や戦国時代に関する情報提供希望。
年表の作成、これまでの明智光秀や三傑主役の小説・ドラマのあらすじ紹介
その他いろいろ、雑談ついでに書いて下さればありがたい。
あと…ワシは当面、自宅のパソコンが使えない状態にある。
今日みたいに出先で書ける時もあるが、たぶん以前ほどは自由に書けない。
だから皆のほうで年表作成とか情報探しとか、やって頂けたらと思う。
276 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/11(水) 19:31:57 ID:wiXDm61K
ついでに…ストーリの作り方のコツについて
「ストーリ作りなんて、無理!」「断片的には浮かんだが、書けない」
という方へ…
@まず、素材(この場合は明智光秀)を自分に近づけてみて下さい。
明智光秀の生涯をよく知り、自分と共通する点、自分が憧れる点など
見つけて下さい。
(続く)
277 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/11(水) 19:39:23 ID:wiXDm61K
それから…
A明智光秀の生涯を眺めてみて、光秀の「人生の目的」は何だったか、
考えて下さい。出世・世直し・足利幕府の再建、それとも信長とともに
革命を起こす??
いろいろ考えられますので、ひとつに囚われず、自由に考えて下さい。
B次に、その「目的」をもつに到った「動機」を考えて下さい。
「動機」は「生い立ち」の中に隠されています。
明智光秀の「生い立ち」は不明な部分も多いので、
その分、自由に空想することができます。
C今度は「目的」を達成するため、
主人公はどんな「行動」をとったのか…
「目的」を達成するときに、「障害」「壁」となったものは
何なのか…、「壁」や「障害」に対し、どんな対応をしたのか…
考えてみて下さい。
D最後に…主人公は「目的」を達成できましたか?
「結果」に対して、主人公はどんな評価をくだしていますか?
※@〜Dまでは、「史実としての明智光秀」ではなく、
「大河ドラマの主役としての明智光秀」として、考えて下さい。
光秀は怒りと義憤に燃えて信長をぶっ殺さないと納得できないな
それにしても、
>>270さんの考えたサブタイトルって、いいねえ。
「見知らぬ越前」「最後の手紙」「せめて天下人らしく」etc…
実際に放送で使えそうだ。
>>270さんのためにも、この企画、成功させましょうや!!
光秀は信長なんかになんの思いいれもないと思うよ
秀吉や家康と同じくね
未だ謀反人の悪名が足かせになるのかねぇ
山内一豊よりもよっぽどネタあるし浪人時代から謀反まで
周囲を取り巻くメンバーも超豪華な筈なのに。
283 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/12(木) 00:41:38 ID:VYTKJ5yD
とりあえず出したい人物をまとめる
明智光秀、左馬之助
妻・熙子、長女・倫子
次女・菊子、三女・たま
斉藤龍興、斉藤道三
藤田伝五、斉藤利三
筒井順慶、細川藤考
細川忠興
織田信長、弥助
羽柴秀吉、安国寺恵瓊
徳川家康、朝倉義景
足利義昭
吉田兼見、近衛前久
津田宗及、里村情巴
快川紹喜、誠仁親王
荒木村重、波多野秀治
荻野直正、籾井教業
天海大僧正
小栗栖長兵衛
溝尾庄兵衛は?
>>283 信忠、勝長、斎藤新五、織田掃部、津田信澄、斎藤義龍、武井夕庵、猪子兵助
堀田道空、稲葉一鉄、池田恒興、同之助、同輝政、森武蔵、乱丸、万見仙千代
河尻秀隆、滝川一益もお忘れなく
濃姫は?
287 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/12(木) 10:12:56 ID:VYTKJ5yD
長宗我部家も
288 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/12(木) 13:24:51 ID:5F78uuSE
利休もどうかひとつ
>>269 若い放浪してた頃、甲斐の国武田家へ仕官しようとし、信玄や正室の三条や嫡子の義信に会うとか。
で、三条夫人の人柄に触れ公家が名ばかりだということを知ることや義信自身が継承争いに巻き込まれやしないか不安に思っている、世継ぎ争いで家臣同士がいがみあうことが無益だと言う話を書いていただきたい。
義信と友情が芽生え父信玄は天下を取りたがってるが、農民を兵士にしてまで戦を望んではいないと心情を吐露する場面や自害した知らせを聞いて武田も終ったというセリフを書いてもらえたらうれしい。
三条や義信はあまりにも悪く書かれ過ぎだし平和を望んだ友人の惨い死を書くのもいいと思いカキコしてみました。
時代考証にあえばうれしいのですが。
追伸
春日局(幼少期のふく、成人後の乳母になったふく)と天海は駄目ですかね?
一応、天海僧正として光秀は生き延びたという話も悪くないと思うので。
>>289 同じ武田を絡ますなら前の方にあった猿楽士兼金山衆案の方がおもしろい
天海も出すならこっちの方が辻褄も合わせやすいと思うよ
>>291 どんな話なんだろう。
さっそく読んでみます。
293 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/13(金) 18:11:20 ID:ii3gDSmo
>>292さん…
>>152 >>153 辺りをご参照に…
あと、以前もそうだったんですが、猿楽師兼金山衆の話を、
明智光秀が信長に仕えるようになった以降に、どんなふうに絡むのか
(絡ませたいと考えているのか)
今ひとつよく分からないのですが…
>>289さん…
信玄正室の三条夫人やその子義信と、明智光秀を出会わせたいのなら、
放浪時代よりも、1570年ごろのほうがいいのではないかと…。
1570年、東美濃一帯(岩村城・恵那明智城など)が、
隣国の甲斐の武田信玄の攻撃にさらされます。
このとき信長は、光秀らを東美濃救援のため兵として送ります。
で、甲斐武田信玄の元には、光秀と同じ土岐一族の快川和尚がいまして、
一説によりますと、光秀は快川和尚から学問を学んだそうです。
その快川師の伝手をたどって、三条夫人らと会ったということに
できるのではないかと…
だとしたらどう考えても信玄に心酔するよな
さて、この東美濃ですが…
東美濃の恵那明智氏と、明智光秀との関係はよく分かっていません。
現在でも、恵那市は光秀誕生の候補地の一つとされています。
いっぽうでは、恵那明智氏は光秀の出身と考えられている土岐明智氏
とは別物で、藤原氏の流れを汲むものだという説も有力です。
岩村城には、信長の叔母にあたる、通称「お艶」と呼ばれる女性が
嫁いでいます。
お艶とその夫・遠山景任氏との間には子どもがなく、信長の5男の
御坊丸(信房)を養子として迎えています。
1573年に遠山景任氏死去、その後武田氏の攻撃を受け、お艶は降伏、
敵将の秋山晴近(武田24将のひとり)の元に嫁ぎます。
これを「裏切り」とみた信長は、後に叔母であるお艶を逆さ磔にして
殺します。
あと…皆様にお願い…
脇役など「枝」や「葉」の部分についてのご意見もありがたいのですが
「幹」の部分にあたる明智光秀について、
「自分はこんなイメージをもっている」「こんなふうに描いてほしい」
など、書き込んで頂ければありがたいのですが…
299 :
289:2006/01/13(金) 20:11:50 ID:???
>>297 >>289です。
光秀は乱世を終らせ平和を求めた人のような気がします。
妻の煕子ただひとりを愛し、側室を持つことはなかったことも特異に思いました。
できれば煕子が天然痘で顔が変わってしまっても光秀はこの正室を愛していたことを書いていただきたいのです。
しかしその設定が無理に近いと思うので、例えばレイプとか何かの事情で破談寸前になりながらも煕子を妻とする経緯も描いていただけたらうれしいのですが。
甲斐武田家の一族に会わせたいと思ったのはあの継承争いの結果、武田家が弱体化し滅亡していった経緯を考えてもらいたかったこととが大きいかもしれません。
新田氏や井上氏の山本勘助や諏訪夫人を違う視点で描いてもらいたいと思いました。
勘助に対し光秀は妻の煕子を見る気分になる、勝頼の生母、諏訪夫人を知り何とも言えない闇を感じると設定もいいかもと思いました。
また、三条も義信も悪い人ではないこと、義信は光秀と同じように正室を愛し側室をもちませんでした。
そういう共通点がありましたので友情も芽生えるのではと思いました。
また、天海になり、春日局との対面で竹千代の窮状を知り家康に乱世は家督相続がもとで起きると助言する、信念のしっかりした光秀が見たいですね。
最終話 山崎の中心で仇討ちを叫んだ猿
warota
301 :
289:2006/01/13(金) 21:09:49 ID:???
追伸
>>293 >>294 色々なアイディア、アドバイスありがとうございました。
武田に思い入れがあるのは新田次郎さんの本をゴルゴ13のさいとうたかおさんという漫画家さんが書いた本を読んで三条夫人や義信があまりにもDQNや酷い扱いを受けていたことになんとかならないのかと思ったことがきっかけでした。
その後、三条の方の肖像画を見まり本で読みましたがとても綺麗な人であり、優しい人だったと知りました。
なんとか彼女の汚名をはらしてあげたいと思いました。
義信の同腹の妹見性院は将軍家光の弟保科正之を養育したのだから。
きちんとした養育を三条の方や信玄から受け、また障害をもつ兄の竜芳を見て育っている筈ですから。
弱い人の気持ちや障害を持つ人への配慮は正之に教えたと思いますし、井上氏の小説みたいに、三条が家臣の山本勘助を嫌がったとは私は思いません。
むしろ、我が子と同じ境遇にいる人だと思ったかもしれません。
スレ違いになってるのでこのへんで終りにしておこうと思います。
302 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/13(金) 21:41:06 ID:+4b9NDnQ
私のイメージする光秀って、
律儀で少しお茶目。
ちまきを葉ごと口にした話とか放送して欲しいです。笑
age
303 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/14(土) 06:59:13 ID:fWpIwNDz
信長の光秀妻へのセクハラはぜひ入れてくださいね
304 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/14(土) 09:48:07 ID:zhXZnfIq
セクハラは秀吉の専売特許ですが何か?
305 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/14(土) 10:38:16 ID:BxHXzCph
そうでもありませんが何か?
信長が煕子の美貌に惚れてごめにしようとして煕子が信長に肘てつを喰らわしたとかって話でしょう。
娘のたまがわざと天下人の秀吉の前で懐刀を落とす話もあるくらいだからあったかもしれないね。
功名が辻では、義昭と光秀の男色シーンがあるらしいが…
>>306 母子そろって美しかったんだろうね
武士の妻として辱めを受けるような時は自決するか
相手を殺す覚悟はあったんだろうね
それにしても信長に肘鉄喰らわす母上なかなかやるよな。
309 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/15(日) 22:00:30 ID:bakx0H8j
当時の美人ってどんな風貌だったんだろう
ガラシャの弟たちについて外国人の神父は、まるで自分たちの国の貴族のようだと表現しています。
また、ガラシャについても類稀な美貌と知性を兼ね備えた婦人と言っています。
お市とは違ったどちらかというとおいぬみたいな目鼻立ちがはっきりした美人だったと思います。
外国人が美人というんだから多少西洋人みたいな感じもあったかもしれません。
昔の美人は、一重瞼にカギ鼻、瓜ざね顔。
ちょうど、雛人形の京雛もしくは古い享保雛を参考にして見るといいかもしれませんね。
311 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/15(日) 23:55:50 ID:pL1ZqoGB
<(________)>
/⌒ヽ / '''''' '''''' ヽ
| / | (●), 、(●) |
| | | ,,ノ(、_, )ヽ、,, |
| | | `-=ニ=- ' |
| | ! `ニニ´ .!
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E⊂////WWWWWヽヽヽヽヽヽヽXl!
E//// ヽヽヽヽヽヽヽj
| | //WWWWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
312 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/16(月) 00:39:36 ID:u5pbZiR+
久我美子は公家出身の女優。あの気品と美貌は本物。まさに西洋風の貴婦人。
もしかするとガラシャ夫人も西洋的な美貌として似たティストかも?
>>310 現代に於いてもそうだが、外人がいう日本人の美人評価ほど
アテにならないものなんだがw
彼らのいう美人と日本人の目から見た美人は大きな隔たりがある。
それに美人=西洋的という考えもどうかなと思うし
宣教師達はキリスト教に理解をしめす人は過大評価するが
理解しないもしくは冷たくなると酷評に変わるから。
いい例が信長の評価だよ。
314 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/16(月) 08:49:18 ID:59jINApn
信長が煕子にセクハラしたという、かつて某局の歴史捏造バラエティー番組が
流したヨタ話なんて入れないで欲しいね。
そんなくだらんネタ引っ張ってくるぐらいなら、一次史料にも顔を出す
御ツマキを登場させるべきだろう
>>313 そうかもしれませんね。
芥川龍之介は糸女覚え書きで気品あるガラシャは描いているけれど美貌の方にはあまり触れていませんでしたね。
むしろあまり美人とはふれてなかったです。
日本の資料としては、三浦綾子女史の描いた細川ガラシャ夫人の上巻のある一片のこんなくだりでした。
ある資料では揚貴妃桜を思い起こさせるあでやかな容貌と書かれているというくだりだったと思います。
三浦さんがクリスチャンでなければもっと信憑性があるのですが。
久我さんという女優さんですが、細川家の血を引く元公家出身の女優さんです。
ガラシャの血を引いているかどうかはわかりませんが。
肘鉄を喰らわしたというのはエピソードであり後世の方の創った話かもしれません。
むしろ貧乏で妻が自分の髪の毛を売った話の方が史実っぽくてよいかも。
松尾芭蕉が詠んでいますし。
明智の妻が髪を売り
下の句しか覚えていませんが。
うろ覚えでスマソです。
みなさんに聞きたいのですが、春日局が徳川秀忠の側室となり家光を産んだと稲葉家資料からは出ていますがどうなんでしょうか?
ある説では家康の実子ではないかとも言われていますが、みなさんならどんな話にしますか?
史実のとおり秀忠と小督の子にしますか?
それとも春日局と家康か秀忠の間に産まれた実子にしますか?
天海が光秀ならこんな話があってもいいかなと思ったので、書いてみました。
317 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/18(水) 23:36:48 ID:P9Q1+Kfq
三条ヲタ降臨アゲ
大河板でも大顰蹙
318 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/19(木) 00:03:16 ID:iviu9za0
どうせ武田関係の一ヶ所だけだろ。
オタかどうかはてめえのアタマで考えろ。
つうことであげとく。
こいつって、ドラマの読解力が無いんだろう。
大河「武田信玄」での三条は、運命に翻弄される悲劇の女性として
きちんと描かれていたのに。
てゆーか光秀って実際は側室いたらしいよね?
あまり触れられてないだけで。
早乙女貢の小説では側室がでてきますね。
また別の作家の話では、若い頃、従妹に手を出して妊娠させてしまう話もあったことは記憶にありますが。
角川書店の文庫本だったと思います。
上、中、下と三巻で完結だったと思います。
側室がだれだったかは記録にないのではっきりしませんが、若い頃の相手は明智家の叔父にあたる人の娘だったようです。
さっきから、小説ネタしか浮かばん香具師が出没www
>>322 じゃあ聞いていいですか?
何かあなたは知っているのですか?
資料でもあるんですか?
なんでもいいですから教えてください。
お願いします。
324 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/19(木) 07:18:45 ID:llaxl2BG
糞スレ晒しあげ
大河板でも大暴れの僕ちゃんが糞。
>>323 そういえば以前、Yahooの掲示板歴史スレで、
光秀所生の子供や妻妾たちの話を真面目に一級史料示しながら語ってた人がいた。
よく憶えてないけど。でもまぁ大河なら純愛路線でいいでしょ。最近はずっとそうだし。
そういえば利家とまつも側室らしい側室はちょぼ一人だった気がする。
利家には実際、側室がもっといたみたいだけどあまりふれていないね。
利家とまつ(メインは主にまつだろうから)脚本の関係だろうと気にはしてなかったけれど。
328 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/20(金) 22:01:15 ID:0nQ2rQoQ
側室ゼロなら純愛路線
側室アリなら三角関係
どちらを描いてもトレンディードラマ
側室は一ヶ月に1回出ればいいな
しかも毎月違う側室
331 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/21(土) 16:29:31 ID:tbOq6v98
謎の多い勘介の若いころを来年は描くっつってるみたいだから
気長に待ってりゃ光秀もそのうちやってくれるかもな。マジで。
332 :
名無しの制作委員:2006/01/24(火) 18:53:00 ID:XmjYY3nS
久しぶりにカキコ!
但し、今日も出先から書く…
>>135さん…
「月さびよ 明智が妻のはなせしむ」だったと思うが…ウロオボエ
◎春日の局について
父親…斉藤利三
斉藤利三について「明智光秀の甥」という説がある。
光秀の妹が利三の母だという説。
しかしそれが本当なら、利三の母は幼女の身で
利三を産んだことになる(笑)
◎春日の局(続き)
夫…稲葉正成
稲葉正成は、小早川秀秋の家老。
秀秋を東軍に寝返らせたのは、正成の力によるものと言われている。
しかし、慶長6年(1601年)、正成は秀秋と対立、
正成は浪人し、美濃の田舎にひきこもる。
お福(後の春日の局)が家康の孫・竹千代の乳母となるのは、
その3年後の慶長9年。
歴史学者の小和田哲夫氏は、「お福が高札を見て、乳母に応募した」と
いう逸話には否定的。
家康が、お福の夫や父親のことを考慮し、お福をスカウトしたのでは
ないかという見解を、「人物編・日本の歴史がわかる本」(知的生きかた
文庫)の中で書いておられる。
◎比叡山焼き討ちについて
これについて調べていると、面白い史実にぶつかった。
その1・1536年(元文5年)7月、なんと比叡山延暦寺の宗徒が、
対立関係にある法華衆信徒の集中する京の下京の町を焼いたという。
延暦寺の宗徒のほうが、町人・おんな子どもを虐殺したらしい…
その2・比叡山坂本の北に堅田という所があるが、
その堅田こそ、1457年(長禄元年)、一向宗蓮如が、
最初の「御文」を広めた町なんだ。
一向宗の教えは琵琶湖の水運を握る堅田衆に広まったが、
それゆえ堅田衆は延暦寺と緊張関係にあった…
つまり「比叡山焼き討ち」は、
下京の人々や近江の人々にとって歓迎される行為だったんでは??
光秀もこの辺りの事情を知って、比叡山焼き討ちにむしろ積極的だった
ということも考えられるし…
(最近の発掘調査では、比叡山焼き討ちの規模は、さほど大きく
なかったという見解もあるし。これまでの「信長による延暦寺宗徒
無差別虐殺」って話も、見直してみてもいいんではないか?)
光秀の側室については、以前「おぼろ月夜」さんが、
ヤフー掲示板の情報を前の「光秀を大河に」スレに書き込んで下さってた。
過去ログが手に入る人は、そちらで読んで(ついでにこっちにコピペして)
いただきたい。
あと…
>>311さんみたいなAAもいいですねえ
もし、この企画が成功して、無事大河として放映されたら、
番組終了後の「来週をお楽しみ」切り絵の代わりに、AAを使うとか…w
…光秀・年表シリーズ…
1528年 明智光秀誕
1565年(永禄8年) 5月19日
足利義輝、三好三人衆と松永久秀に殺される。
1565年(永禄8年) 7月28日
細川藤孝、医師の米田救政とともに、奈良・一乗院の覚慶(義輝の
弟)を救出する。
その後、和田惟政の働きにより、甲賀の和田館に迎え入れられる。
1565年(永禄8年)12月
信長、覚慶支援表明する。
覚慶は、上杉謙信はじめ、諸大名に支援要請の手紙を出していて、
信長は、細川藤孝宛に「上意次第、すぐ供奉したい」と返事を送る。
和田惟政は、尾張で信長と面会する。
このころ、信長は美濃攻略で忙しい…
続きを書こうとオモタが、今日はこれまで!
また調べたこといっぱい書くので…
ここの人って、レベル低いんだね・・・
今さらなことを嬉々として書いてる。
338 時代劇板でなに言ってんだか見苦しい
だったらレベルの高いおもろいネタを提供してやれや
>>338 あんた、光秀様のことなら自分が一番知ってるとでも言ってるようできもいんだよ。
>>339いいよこんな人にネタ提供して貰わなくても。自慢オナニーレスなんて必要ない!
341 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/25(水) 01:25:02 ID:ONiKw3R1
レベルが低い?
光秀やその周辺のことを詳しく知らない人でも入っていけるようにとの配慮では?
嬉々として、ってPCの向こうにいる人の表情なんて誰にもわからないと思います。
よほど有能な作家の筋がとおった原作がないと、大河は無理だろうな。
昨今の脚本家のオリジナルでつくると、過去三傑大河のなぞりになるだけ。
338って感じ悪いね。
同じ蜜ヲタとは思いたくないww
345 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/25(水) 23:13:01 ID:BxbX3ROD
>>333 確かに下5行に出てくる某氏は戦国時代といえばこの人みたいな部分があるが
氏本来の専門である今川以外について書いている本は話半分で読んだ方が
良いように思うぞ。織田や光秀についての考証には少し痛い部分もあるんでなw
その先生、最近は山内の本まで書いてたな・・・
無功や苦笑寺のくだりを全面支持したような本を出している段階で
考証は痛いではなく終わっているよ
彼は織田も酷いが武田の考証もどうにかしてくれ〜と叫びたい
あの「俺は勝頼が大嫌いなんだ」と言わんばかりの私情を込めた
読む側を嫌な気分ににさせるような勝頼の酷評はいただけない
仮にも研究者が、自身の著書に私情を挟むのはいかがなものか。
あのお方は確かに判官贔屓な感じは否めないな
贔屓のためか名城をゆく躑躅が崎館・高遠城編では
史実捏造ですかみたいなことも書いているからさw
戦国研究者なら木曽や穴山が寝返った状況で勝頼が高遠に詰めて
一緒にアボーンしたらどうなるかってことぐらいわからんのか・・・
おわチャンの今川研究は読むべきものがあるよね。
んで、光秀はどうんなったん?
新橋演舞場で田辺誠一の光秀を見たが、役作りに苦労してるような気がした。
舞台台詞にもまだなれてないようだった。
光秀といえば近藤正臣だけど、実はマイケル富岡の光秀にも
わりと支持者がいるよね。
村上弘明たんを忘れていませんか?
田辺たんビジュアルは最高やった…
話ぶったぎっちゃってすみません。
光秀って何人くらい側室がいたのですか?
史実は何人いても構わないけど。
いない方がおかしいから。
教えてチャソですみませんが教えてください。お願いします。
それと光秀の娘に関してだけど系図には筒井順慶の息子に嫁いでるみたいだけど信長の娘になっているし、永井さんの小説では織田に嫁いだ菊子は生存してることになってます。
生存してくれてればうれしいのですが。
どうなってるのでしょうか?
338に答えてもらおうかw
ワシもそれがイイとおもう…
354 :
名無しの制作委員:2006/01/26(木) 18:00:18 ID:AiNsEF9a
実はdat落ちした、大河ドラマ板の「ときは今」スレッドに、
光秀側室の情報が書いてあったが…
今はワシは自分のパソコンを使えず、ネットカフェで書いているので、
その過去ログを取り出せない。
だから
>>388さま、お願いしま〜す。
355 :
名無しの制作委員:2006/01/26(木) 18:06:45 ID:AiNsEF9a
◎また三傑中心の物語の焼き直しになるんじゃないかっていう意見について。
実はワシは昨年、このスレッドが大河ドラマ板にあった頃からロムっていたが、
初めの頃は、
>>343さんのような感想をもっていた。
だが、自分なりに光秀どののことを勉強しているうちに、
光秀どのが主役だと、
これまでの戦国大河とは違ったものができそうな気がしてきたんだ
356 :
名無しの制作委員:2006/01/26(木) 18:13:12 ID:AiNsEF9a
光秀どのを主役にして物語を考えていると、
これまでのドラマではあまり描かれなかった、
しかし、あの時代の京の政治の実権を握っていた人々…たとえば
室町幕府衆とか公家とかの動きとか…
あるいは、蓮如・一向衆、地方の国人・地侍階級の人々との戦いとか…
そういったあたりも詳しく描けそうな気がしてきたんだ。
実際、われわれが知っている「戦国時代の物語」って、
江戸時代の小瀬甫庵の「太閤記」や「信長記」からの影響を受けているものが多いみたい。
司馬大先生の「国盗り物語」だって、
通説・俗説をもとに書いている部分もあるし、
だいいち、「国盗り物語」には、当然、司馬大先生の創作が入っている。
たとえば…
・夜学のため神社の灯油を盗んだ細川藤考に、
たまたまその神社で番をしていた明智光秀が灯油を恵んであげる。
・その細川藤考といっしょに、一乗院の覚慶を背負って助ける明智光秀。
・「唐崎の一つ松」が枯れていたのを知った明智光秀が、敵地に入って
松を盗んで植える。
こういうのって、みごとに司馬大先生の創作だったんだなw
(知らなかった。恥ずかしい…)
あの明智光秀が、「葉っぱごと粽を食べる」話だって、
「国盗り」やそのモトネタの大田牛一「信長公記」では、
本能寺の変の直前のできごととなっているが…
本によっては、本能寺の変の後の話だとされているものも多い。
本能寺の変の後、京の光秀の元へ、町人が粽の差し入れをもってきた。
光秀はお礼を言って、それを食べようとしたところ、
外で鬨の声がしたので、光秀は立ち上がって、
まるごと粽にかぶりついたって話。
こんなふうに、いろんな異説や、最新の史料とかを集めると、
まったく新しい光秀像、そして戦国ストーリができると思うんだ。
光秀の生い立ちだって、「明智軍記」にこだわる必要はないと思うよ。
その1・『若狭の刀の鍔職人の息子』説をとれば…
職人の息子・十兵衛は、子どもの頃から「太平記」「三国志」などの
物語が大好きな、夢見がちなオジサン。
親の跡を継がず、
越前のとあるお寺で子どもに学問を教えて暮らしを立てていた。
ある日、アヤシゲな家計図売りが、すでに絶滅した、美濃明智家の家計図を十兵衛に売りつけた。
この家計図を持って以来、平凡な日々を送ってた十兵衛は、
朝倉家に鉄砲でもって仕えることになるは、
将軍候補の義秋が越前に流れてくは、などなど
ウハウハな運命に見舞われるコトに…
なんてのも、面白いとおもうし…
光秀の生い立ち・その2
最近、「明智光秀は、足利将軍家の足軽だった」って説がある。
これを使うなら…
将軍義輝に仕えていた光秀。
しかし実家の明智家がれいの「道三事件」で没落。
その影響を受けて、将軍家からリストラされた光秀(トホホ…)
あちこち仕官して、朝倉家に仕えることとなった光秀。
ところが…その越前に将軍候補の義秋が流れてきた!
「オレはやる!! 将軍家、そして明智家を再興してやる!!」と
はりきる光秀…。「本能寺の変」も、この時の決意の延長上にあった…
まあ、いろいろあるが、ワシ個人としては、
以前、ここのコテハンのピノコが書いていた、
「光秀は土岐明智家出身、でも嫡男じゃない。本人、10代半ばで家督を
継げないと知り、大変な挫折感を味わう」
「明智城落城後、斉藤義龍から政治犯として命を狙われる光秀。
逃亡生活のため、武士の身分を捨て、植木屋さん(河原者)の一座に
紛れ込む」
なんて話もそれなりにオモシロかったが…
ほかにもいろんなのが想像できると思う。
いつも大河ドラマに文句言ってるヒトは、
こんなときこそ、「ときは今!」、いいチャンスですぞ!
まあ、皆で情報を共有できるよう、
次回こそ、この前の「年表」の続きを書くつもりです。
あとワシは昔から、「明智光秀イコール謀反人」っていう印象が薄かった。
皆さんや一般のヒトは明智光秀について、どんな印象があるのかとか、
そんなコトも教えていただきたい。
(あと、これまでの「戦国モノ」「三傑モノ」への不満とかも…)
363 :
351:2006/01/26(木) 21:21:22 ID:???
お〜い
>>338のキモ豚女、早くこいや。
光秀公のことならなーんでも知ってるんやろwww
煽っておいて今更逃げんなや!
365 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/26(木) 22:51:25 ID:gDhYAx9y
腐女子同人臭スレですね。
338の捨て台詞乙www
てすと
テスト乙www
光秀の居城はエスペラント運動の本拠 2004/ 7/26 7:14 [ No.263 / 453 ]
投稿者 :
tampopo_tampopo_tamp
opo
出口なをが開き、女婿の出口王仁三郎によって発展した大本教は綾部で誕生し、
現在は、光秀の居城のあった亀岡に本拠を置いて、城跡に大本教の建物が立つ。
世界で組織的に世界共通語であるエスペラント運動を応援しているのは、この
大本教ぐらいであるという。作家井上ひろしや評論家佐高信がエスペラントの
熱い支持者。
かつてヒットラーやスターリンは、外への窓を閉ざし、自分らの独裁的な主張
を信じさせるために、その”危険性”をアジり、エスペランチストを迫害した。
光秀とエスペラントの因縁は...?
宜保愛子さん 2004/ 4/25 1:08 [ No.217 / 453 ]
投稿者 :
queen_tsubaki
こんばんは。
力の限りゴーゴゴー!でしたっけ。あの番組で宜保愛子さんが比叡山の光秀さんのお墓の前で霊視したのは知っていますか?
「黒幕がいるんだけど武士だから言えないのね」と言っていました。宜保さんが生きている間にリベンジして意地でも黒幕を聞いてほしかったです。比叡山のお墓は縦に割れていますね。
光秀の娘(信澄の妻) 2004/ 3/16 14:07 [ No.204 / 453 ]
投稿者 :
takara_tuka2000
津田信澄の妻だった光秀の娘については、坂本落城時に一族と運命を共にしたという説が一般的ですが、以前ある資料で、実は生存し、その後身分を隠して豊臣秀次の側室になったという話を読んだことがあります。
うかつにも何の資料に出ていたか記憶にないのですが、どなたかこの辺りの事情をご存知の方はいらっしゃいますか?
光秀の妻(1) 2002/ 7/30 10:49 [ No.28 / 453 ]
投稿者 :
takara_tuka2000
光秀の妻としては熈子が有名ですよね。妻木広忠の娘とも、広忠の弟範熈の娘とも伝わっています。
いろんな逸話が伝わっていますね。結婚前に病気にかかり顔にアバタが残ってしまったので親が代わりに妹を嫁がせようとしたら、光秀が「私が妻に欲しいのは熈子殿だ」といって最初の約束を貫いたとか、自分の黒髪を売って生計の足しにしたとか。
(髪の毛が売れるのか?という疑問はありますが・・)
この逸話は江戸時代には有名になっていたようで、松尾芭蕉が「月さびよ明智が妻の話せむ」という句を詠んでいるくらいです。
一般的には熈子は山崎の合戦後、坂本城で明智一族と共に自害したことになっていますが・・・実はそれより前、1576年11月に病没したという伝承が、明智一族の墓のある近江・西教寺にあるそうです。
実際、西教寺にある熈子の墓は、光秀とは場所が離れています。また、兼見卿記の1576年10月10日の項には、光秀が吉田神社に妻の病気平癒を依頼したという記述があるのも、病死説の裏付けになっているようです。
物語的には糟糠の妻熈子は最期まで光秀に付き従ったとするのが美しいんですがねえ。
光秀の妻(2) 2002/ 9/10 13:35 [ No.56 / 453 ]
投稿者 :
takara_tuka2000
「多聞院日記」の1581年8月の項に、明智光秀の妹「御ツマキ」が死去した、という記述があります。ツマキは名前というよりは、光秀の妻の実家が妻木姓であることから、姓と解釈すべきでしょう。
一番ありえそうなのは熈子(西教寺の伝承が正しければ、この頃は故人)の妹ということなのでしょうが、光秀自身の妹で妻木某に嫁いだ女性がいた、とも考えられます。
よくわからないのはこの後に、信長が「一段ノキヨシ」であり、光秀はとても落胆した、という記述があることです。光秀の落胆はわかりますが、信長云々は一体何でしょうね?
本能寺の1年前の出来事だけに気になるのですよ。
光秀の妻(3) 2002/ 9/24 18:26 [ No.58 / 453 ]
投稿者 :
takara_tuka2000
以前読んだ歴史関係の本には、妻木氏の病死後、光秀は公家の「原仙仁」なる人物の娘を後妻に迎えたとありました。これについては、裏付けになる資料があるそうです(すいません、資料名は失念しました)。
・・・で、この「原仙仁」なんですが、素性・履歴がよくわからないのですよ。そもそも「原」という姓の公家は見当たりませんし。
柳原とか清原とか、○原ならいくつか存在します。特に「清原」なら、細川藤孝の母方の実家ですから、藤孝の斡旋で後妻を迎えたと考えられます。
一方「公家」という制約を外して考えると、武家で原姓はいくつか見当たります。信長旗下には「原長頼」というのがいて、旧齋藤家臣ということで光秀とつながりがありそうに思えます。とはいえ、これだけですが・・。
いずれにせよ、思いつきの域を出ません。何かご意見等ございましたら、よろしくお願いします。
光秀の妻(4) 2002/11/28 11:16 [ No.73 / 453 ]
投稿者 :
takara_tuka2000
mottthehooplejpさん、レスありがとうございます。史料名は「土岐系図」ですか。「群書系図部集」の土岐系図には出ていなかったので、たぶん別の土岐系図なのでしょうね。
原平内については私も調べましたが、よくわかりませんでした。
原仙仁についても依然不明です。先日「宮廷公家系図集覧」という資料に目を通しましたが、「原」という姓の公家はいませんでした。間違いなのか、絶えてしまった家系なのか、あるいは誰かの変名なのか、皆目不明ですが・・。
光秀の妻(5) 2003/ 2/25 15:40 [ No.113 / 453 ]
投稿者 :
takara_tuka2000
光秀の妻についてはもう1つ、伊賀の柘植(一説に名張)城主の服部(別姓・北村)出羽守保章の娘とする説が伝わっています。
出典となっているのは「明智系図(群書系図部集)」「幕府祚胤伝」「寛政重修諸家譜」あたりでしょうか(他にもあったら教えて下さい)。いずれも江戸時代半ばの編纂物です。
「明智系図」は1631年に光秀の50回忌に(光秀の息子らしい)玄琳が作成し、(やはり光秀の子孫らしい)喜多村弥平兵衛なる人物に提出したとの説明書きがあるのですが、この「喜多村」が服部保章の別姓「北村」と同一のようです。
伊賀の服部という姓、「保」という通字から、服部保長・正成(半蔵)父子の一族と推定されます。上記資料によると、家康の伊賀越えの際家康一行を誘ったものの、家康に随行していた服部平太夫正尚
(保章のイトコ;家康の側室西郷局の義父)に疑われ、成功しなかったとあります。
光秀の妻が伊賀の出身だった・・・本当とすると、本能寺の変の原因を含め、いろいろ想像をかきたてられるネタですが・
光秀の妻(6) 2003/ 2/25 16:02 [ No.114 / 453 ]
投稿者 :
takara_tuka2000
光秀の妻の父を伊賀出身とする説ですが、残念ながら「服部出羽守保章」なる人物が同時代の資料に見えないため、現時点では不明としかいいようがありません。
服部出羽守は「柘植城主」と伝わっていますが、史書に見えるこの時期の柘植城主は福地伊予守という人物です。この人物は天正伊賀の乱のおり同郷人を裏切って信長に通じ、本領を安堵されたとされています。
家康の伊賀越えの時は家康の警護に駆けつけたものの、裏切りの前科からその後同郷人にうとまれ、某所に隠遁したと言われています。
また、服部出羽守は名張城主とも伝わっていますが、名張城は1585年に筒井家によって築かれたのが最初ですから、それ以前には存在していなかったと思います。
もしかしたら、服部出羽守=福地伊予守なのかもしれませんが、単なる想像の域を越えません。ただ、かの松尾芭蕉は福地一族と言われていますので、彼が「月さびよ明智が妻の話せむ」の句を詠んだのは先祖の縁があってのことかなあ、
などと思ってしまいます。
アメリカはフリーメーソン(キリスト教の666の獣)が支配する陰謀大国
はじめに、ユダヤ教について触れたいと思います。
正統なユダヤ教は厳格な戒律(モーゼの十戒)があり、その内容は日本の神
道に似ています。ユダヤ悪魔教はタルムードという教義があり、その中に、
ユダヤ民族は神の選民であり、神の裁きによりユダヤ民族以外は滅亡する。
ユダヤ民族以外は獣であり、殺してもかまわない。悪魔的な血の儀式を行う。
ユダヤ悪魔教の秘密結社がフリーメーソンなのです。
9.11自爆テロはアメリカの自作自演事件
証拠
貿易センタービルには4000人のユダヤ人が勤務していたが、事件当日休
暇を取って無事であった。
ユナイテッド航空、パン・アメリカン航空の株を、メーソン系の投資会社が
事前に空売りしていた。
ペンタゴンに衝突した旅客機のジェットエンジンは、旅客機のものよりも一
回り小さく、旅客機が特殊軍用機にすり替わった。
オサマ・ビンラディン一族は事件直後、アメリカ政府の手助けによって逃亡
していた。オサマ・ビンラディンは初めからCIAの工作員である。
自作自演の自爆テロ(イラク空軍の軍人を黒魔術で洗脳)でアメリカ国民を
だまし、テロとの正義の戦いと銘打って、中東戦争、第3次世界大戦へと誘
導し、世界の国々を戦争に巻き込んで弱体化させ、世界を支配しようと目論
んでいる。今の世界は弱肉強食の世界でアメリカのエゴのために、貧しい国
々の人々が貧困と飢えに苦しんで滅びようとしている。白人帝国主義が植民
地の弱者を奴隷にして苦しめていた時代と何ら変わりがない。
昔から、アメリカとソ連は同じ仲間同士で八百長の喧嘩をしているだけなの
です。太平洋戦争で日本の抵抗にてこずったアメリカは、ヤルタ会談(米・
英・露)でソ連に参戦を頼んだのです。ソ連崩壊の時には、アメリカが各国
に働きかけてソ連を援助しました。朝鮮戦争、ベトナム戦争も、裏で戦争を
仕掛けさせたのはアメリカとソ連で、犠牲になったのは韓国、ベトナムなど
の国民でした。
日本政府はフリーメーソンが支配しているアメリカの日本人殺しの手先だ
名古屋中華航空機事故は1994年4月26日に起きて、多数の犠牲者を出した。
事故の概要を説明すると、自動操縦でエンジン出力を調整するATS(オート・スロ
ットル・システム)をオフにしようとしたところ、間違ってゴーアランド(急上昇)
・モードを作動させてしまった。ATSの解除に手間取っている間に機首が上がって
しまい。機首を下げようとしたため水平安定板が作動し、機首上げ限界となり失速し
て墜落したと結論している。
しかし、着陸する場合普通は自動操縦装置に降下させるべき高度を入力して、着陸
直前に250キロに減速し、手動でフラップと車輪を出せば着陸できる。どうして上
昇モードが作動したのか。なぜ、自動操縦が解除できなかったのか理解に苦しむ。
地上から遠隔操作出来るよう工作されていたと考えられる。副操縦士が飲酒運転し
ていたなどの情報(食中毒を警戒して、機長と副操縦士の食事のメニューは変えてい
る)は有り得ない。このような陰謀を実行し、情報操作できるのはフリーメーソン以
外は考えられない。
薬害エイズ事件はアメリカがエイズウイルスの入った血液製剤を日本に輸入して、
日本人を殺す陰謀(エイズ感染が疑われている同性愛者などの売血を抗体検査でチェ
ック出来ないのはおかしい)であり、安部英と厚生省が協力した。アメリカなどの日
本以外の国々で、表立った薬害エイズ事件が起こっていないのが不思議です。
平成12年ヨーロッパ全土が狂牛病のパニックに襲われた。牛肉が売れなくなり、
狂牛病の危険性のある食肉が日本になだれ込んだ。ちょうどその時期に、日本ではマ
クドナルドの半額バーガーや吉野家の280円の牛丼が出現した。これも日本人を殺
す陰謀です。
日本政府はフリーメーソン(ユダヤ悪魔教の秘密結社)が支配しているアメリカの
日本人殺しの手先になっており、アメリカ産の牛肉には狂牛病の病原体プリオンが入
っており、アメリカが輸入再開を日本に迫るのはそうした思惑があるからです。
自衛隊のサマワ駐留は、アメリカがイラク人を使って自衛隊員を殺し、自衛隊が先
制の武力行使が出来るように憲法改正して日本を戦争に巻き込む罠である。
フリーメーソンに騙されている平和ボケの極楽トンボさん。そのフリーメ
ーソンが牛耳っている学会の学者の間違った学説を鵜呑みにして、自分の力
で考えることが出来ないオメデタさん。次の質問に答えてください。
なぜ、牛は草だけを食べて肉で太るのか。ちなみに学者は腸内のバクテり
アがたん白質を作ると言っていますが、下等な生物が出来て、高等な動物の
体内で、なぜ出来ないのか。千島理論では食べた物が腸内で血になり、血が
肉に変化すると言っています。これは日本古来からの伝承です。この伝承の
ほうが正しいのです。
ボウフラは蚊の産んだ卵から、かえるのではなくて、汚い悪水からわくの
です。がん細胞も穢れた肉の細胞から発生するのです。これらの現象も科学
では説明することが出来ません。
>>377 >>377さん、
>>351です。
本当にありがとうございました。
そしてお疲れさまです。
明智さんの奥さんが妻木さんでない方の方を知り、知り合いと同じ姓だったのでびっくりしました。
お菊が生きて豊臣秀次の側室になってたとしたらなんか悲惨で可哀想ですね。
なってないことを祈りたいですが。
忍者が関わってる家と縁戚があるってすごいですね。
明智さんって。
みさくら語変換
光秀のぉおお妻としてぇぇぇぇ゛は熈子が有名れしゅぅぅぅよね。妻木広忠のぉおお娘とも、
広忠のぉおお弟範熈のぉおお娘とも伝わっていぃましゅぅぅぅ。
いぃろんにゃ逸話が伝わっていぃましゅぅぅぅね。結婚前に病気にかかり顔にアバタが残ってしまったのぉおおれ
親が代わりに妹を嫁がせようとしたら、
光秀が「私が妻に欲しいぃのぉおおは熈子殿ら」といぃって最初のぉおお約束を貫いぃたとか、
自分のぉおお黒髪を売って生計のぉおお足しにしたとか。
(髪のぉおお毛が売れるのぉおおか?といぃう疑問はぁあああ あぉりましゅぅぅぅが・・)
このぉおお逸話は江戸時代には有名ににゃっていぃたようれ、
松尾芭蕉が「月しゃびよ明智が妻のぉおお話せむ」
といぃう句を詠んれいぃるくらいぃれしゅぅぅぅ。
一般的には熈子は山崎のぉおお合戦後、坂本城れ明智一族と共に自害したことににゃっていぃましゅぅぅぅが・・・
実はそれより前、1576年11月に病没したといぃう
伝承が、明智一族のぉおお墓のぉおおぁあああ あぉる近江・西教寺にぁあああ あぉるそうれしゅぅぅぅ。
実際、西教寺にぁあああ あぉる熈子のぉおお墓は、光秀とは場所が離れていぃましゅぅぅぅ。またのぉおお、
兼見卿記のぉおお1576年10月10日のぉおお項には、光秀が吉田神社に妻のぉおお病気平癒を依頼したといぃう記述がぁあああ あぉるのぉおおも、
病死説のぉおお裏付けににゃっていぃるようれしゅぅぅぅ。
物語的には糟糠のぉおお妻熈子は最期まれ光秀に付き従ったとしゅるのぉおおのぉおおが美しいぃんれしゅぅぅぅがねえ。
383 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/28(土) 16:46:39 ID:ZDnbEhUx
みさくらって国税査察官窓辺シリーズに出てくるあのめがねっ娘?
>>382 大河でも最後まで生きているから煕子さんは回復して生かして本能寺の後、城を枕にして死ぬ方がドラマになるからいいんじゃない。
三浦綾子さんもそうしてたし、他の小説家もそうしてたね。
徳永さんは妹を後妻にしたけどね。
濃姫も本能寺で信長と死んだことになってること多いし。
界の商人として生きる濃姫よりインパクトあったから。
386 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/31(火) 22:50:38 ID:fOKnkPdD
とりあえずage!
(ネタ捜し中)
前のほうで、まったけさんという方が、
前世では光秀どのの小姓だったということですが
掘られていたのれすか?
明智殿にだったら掘られたいなぁ
魔羅どれくらい大きかったのかね。
390 :
名無しの制作委員:2006/02/07(火) 00:33:48 ID:7izaLqMs
おおー!
明智光秀の妻および娘の情報提供アリガトウ。
いまワシは、洋泉新書「信長は謀略で殺されたのか」(鈴木眞哉・藤本正行著)を
読んでいるところ。
ところでもうすぐ2月11日。このスレの前スレが大河ドラマ板に建ってから
ちょうど一年となる…
建国記念の日には、このスレ・前スレの一年間のまとめも兼ねて、
光秀の一生を、通説・新説およびこのスレの仮説なんかも交え、
まとめてみようと思う…
たいへんだが、ガンバロウ!
やっぱりマイケル富岡だよな。
書き込みいつも愉しみにさせていただいてます。
中傷に負けず、これからもがんがってくだされ!
私も影ながらお力添えできれば幸いにござりまする。
(妻子情報&エヴァネタ提供しますた・・・)
393 :
名乗る程の者ではござらん:2006/02/07(火) 18:33:43 ID:e9iaQMtB
来週の功名が辻で、いよいよ光秀様が本格的に始動開始!するらしい。
それに感化され、このスレに人が来ることを説に祈る。
394 :
名乗る程の者ではござらん:2006/02/08(水) 13:26:44 ID:TLMBFBzG
明智光秀が謀反人ではないという「是非に及ばず」山口敏太郎
が出てるね。
今よんでます。
でももともと歴史作家じゃないせいか、少々文章が読みにくい…
方言を積極的に導入したのはよいが、言い回しも微妙におかしなところが。
なかなか楽しめることは確かですが。
「是非に及ばず」「信長は謀略で殺されたのか」読みました。
「是非に及ばず」は、<取材の手法としてサイキックリーディング(霊視)を
採用>なんて書いてあったので、もっとキワモノの本を想像してたのですが、
実際読んでみますと、一種の怪奇ファンタジーのような印象を受けました。
あまり詳しく書くとネタバレになるのでやめます。実直で合理主義者な光秀が
面白い。
「信長は謀略で殺されたのか」
いわゆる「黒幕説」についての反論。
謀略の場合、「どうやって秘密が保持できるのか?」
もし公家Aが光秀に信長暗殺を持ちかけても、
光秀が信長に密告するかも知れない…
また、「6月1日に僅かな手勢で本能寺に泊まる」ことが、早くから
分かっていたわけではない…。偶然のチャンスを待っているうちに
機密が漏れてしまうかもしれない…。
著者は本能寺の変の動機について、
従来の「怨恨説」と「野望説」の二者選択は「人間の複雑な心理、
ひいては歴史というものの複雑さを理解する姿勢に欠けているように
思われる」としています。
ただ…この本を読んで気になったのは、
◎家康が息子の信康を切腹させたのは、家康が家中のヒキシメのため、
自らの意思で行なった。外聞が悪いので、信長の命令で泣く泣く…と
いう理由をつけた。
…とありますが、みなさまは、どう思われます??
それから
◎本能寺で大茶会が開かれたというのは俗説である。
◎信長の「鉄甲船」について、「資料的にも鉄甲船の存在自体疑わしい」
(実際に鉄で覆われていたのかどうか?)
…なんてのも、書かれていました。
399 :
名乗る程の者ではござらん:2006/02/11(土) 12:03:54 ID:t1kMDDNm
そういえば、トーナメント形式で相撲をとらせて勝ち残った上位2百名ほどで形成された
最エリート集団の信長馬周り衆が、京へどうこうした記録はあるが、その後パッタリいなくなってる件に、
かんしても、詳しいところがあんまりよくわかってないらしい。本能寺の前後は何をしてたんでしょうか?
>>398 それがこの著者の主張のひとつと思ってよむだけだよ。
信長関連の著作は玉石混交だし「ふーん」で終わるものが多いからね。
三傑をめぐる時代と人物の著作は未だにたくさん出ている。
みなそれぞれに考察したことを書いてくるのは当然なこと。
(本を売るためにも)独自な推察やうがった見方を入れるのも
企画編集の常套手段だし、
ましてや学者の論説ではないんだから
手垢にまみれた説を書いても出版する意味がないじゃないの。
べつに、指摘の著者の擁護ではないけどね。
学者の研究論文「ではない」多数の戦国本を読んで思っていることだよ。
401 :
名乗る程の者ではござらん:2006/02/11(土) 13:30:09 ID:wRxTavMT
あっ、「信長は謀略で殺されたのか」の著者の鈴木眞哉氏って、
歴史学者じゃなかったんですね(中央大学法学部卒・防衛庁や
神奈川県などに勤務…と書いてある)
あんまり手堅い論旨の進め方なんで、てっきり日本史の専門の
学者さんだと思っていました。
>>399さん…
息子の信忠のところにいたんじゃないの?
妙覚寺のほうには三千人の兵が、確かいたような…?
402 :
祝! 一周年:2006/02/11(土) 16:01:17 ID:5axTPPwo
このスレッドが大河ドラマ板に建って、本日で丁度一年となります。
光秀ファンの皆さまのご期待に応えるべく、
是非とも「企画書」を立ち上げるところまではもっていきたい!
皆さまのご支援・ご協力あれば幸いです。
名無しの制作委員
…で、これまでの復習も兼ねて、
明智光秀の一生についてまとめてみようと思います。
なるべく簡単にまとめたいが、結構書き込みが長くなると思います。
◎印は、これまでの通説
☆最近の新説
※このスレッドで提案された、明智ストーリ
だいたい、こんな感じで書いていきます。ヨロシク!
404 :
名無しの制作委員:2006/02/11(土) 16:16:23 ID:5axTPPwo
<光秀の生い立ち>
◎光秀の誕生年:1528年
誕生の地は…
・美濃恵那郡明智(現・岐阜県恵那市):『細川家記』などがソース
・美濃中洞(現・岐阜県山形市):「明智光秀産湯の井戸」「光秀ママが
安産祈願をした行徳岩」などがある。
ここの伝承によると、光秀は百姓の子
なのだそうだ。誕生年も1526年。
・美濃可児郡明智(現・岐阜県可児市):現在ではここが一番有力視
されてるが、多くの小説ではなぜか
「恵那明智」説がとられている。
<光秀の出自>
◎光秀は清和源氏の流れを汲む土岐一族の庶流・明智家出身と
言われているが、その父の名前については家系図によっていろいろ。
◎光秀の叔父・明智光安は、美濃太守・斉藤道三と深いつながりを
持った。道三の妻は明智一族の女。
その道三の娘が、のちに信長正室となった帰蝶(濃姫)。
だから光秀と濃姫は従兄妹の関係となる。
◎斉藤道三は、油商人の身でありながら、謀略により、
美濃国主の土岐政頼および頼芸を追放し、美濃太守となった人物。
「国盗り物語」では、幼少の光秀は、道三に仕えていた設定。
☆ところが最近、道三出世の物語は、道三とその父による、親子二代に
よるものだという説が有力視されている。
※以前、このスレッドのコテハンのピノコより、「道三は油の行商人として
美濃を訪れたのではなく、油の原料となるエゴマの買い付けのため
やってきたのでは? 一種の『政商』的立場にあったのでは?」という
提案があった。
406 :
名無しの制作委員:2006/02/11(土) 16:42:40 ID:5axTPPwo
<光秀の少年時代>
◎詳しいことは分かっていない。
数すくないエピソードは…
「光秀は河原で大黒天の人形を拾った。光秀はその人形に、毎日、
水や花を供え大切にしていた。ある時、『この人形を大切にすれば、
将来、千人の将になれる』と教えられた光秀は、『自分の望みは
そんなものでない』といって、その人形を火にくべた(或いは人に
譲った)
◎光秀は美濃の妻木家の娘・煕子との結婚がきまっていた。
ところが煕子が結婚直前に疱瘡にかかり…という話はあまりにも
有名なのでry…。でもソースは何なのだ?
<明智城落城>
◎謀略により、美濃太守となった。斉藤道三。だが、道三は息子の
斉藤義龍に討たれる。この時、明智家は道三側についたため、
明智城は義龍に攻められ、落城。光秀は妻そして甥の光春とともに
逃亡する。
☆これまでの小説などでは、斉藤義龍の生母は、以前、土岐頼芸の
側室だった美芳野で、そのことを知った義龍が「実父は頼芸」と
思い込み、実父の仇のため、道三を討ったという設定になっていた
(国盗り物語など)
しかし、「義龍の生母は稲葉家の娘」という説もある。
※義龍が道三を討った理由を、「道三が隣国の織田信長に接近して
いるのを知った義龍が、『道三による外患誘致』を疑い、
父を討つ決意をした」という提案があり。
408 :
名無しの制作委員:2006/02/11(土) 16:59:05 ID:5axTPPwo
<明智光秀の放浪時代>
◎明智城落城後の光秀の行方については確かな資料はもちろん、
二次資料や小説などでも全く不明。なんでも、この放浪時代に
「鉄砲」や「築城」の技術を身に付けたらしい…
※この「放浪時代」について、「いろいろな職業に就きながら、
庶民の苦労を知る明智光秀」という設定にし、ていねいに描いて
いきたい…という意見が、コテハンの「あけちのみっちゃん」よりあり。
409 :
sage:2006/02/11(土) 17:11:46 ID:5axTPPwo
<明智光秀の放浪時代>
※ピノコより、「放浪時代、光秀は『植木屋さん』をしていた」と
いう設定にしては…という提案あり。理由は諸国の情勢を探りやすい
仕事だから…ということ。当時、造園業者は『河原者』と呼ばれ、
まともな人間扱いはされていなかった。また、同じくピノコからは
「光秀はこの時、斉藤義龍から『政治犯』として命を狙われ、
そのため逃亡生活をしていたのでは…」という案もあり。
※それに対し、
>>149さんより、「能楽師」にしてみては?
という提案あり。詳しくは
>>149さんのレスを読むこと。
※いっぽうでは、「作者によるオリエピを描いても面白くないので、
放浪編・越前編はなるべく短くするか、いっそうのこと光秀が信長と
出会う場面(今日の「功名が辻」放映の話だ)から始めたほうが
いいのでは…という意見もあり。
(それに対して、「そうであってもウラ設定として『光秀の過去は
ある程度、こちらで考えるべきだ」という意見があり)
うわっ…打ち間違えた! スマソ…orz…
<明智光秀の放浪時代>
☆最近では、「光秀は足利幕府に足軽として仕官していた」という説も
ある。ソースは「永禄六年諸役人附」に、「足軽」として「明智」の
名があるということ。永禄6年とは1563年のこと。
一般には、光秀が足利義昭の幕臣となったのは、
義昭が越前に流浪してきた1566年以降のことと考えられているが、
中には「光秀は足利義輝の幕臣だった」という設定にした小説もある。
。 <光秀の放浪時代>
※ピノコより、「光秀は、短期間ではあるが、土佐の長宗我部元親に
お庭番として仕えていた。光秀の活躍により、元親は斉藤利三の妹を
正室として迎えることとなった」という案があり。
長宗我部元親は、1563年に、美濃の斉藤利三の実兄で幕府衆の石谷
頼辰の妹(石谷氏は光秀と同じ土岐一族)を正室に迎えている。
光秀は、当時、幕府を凌駕する勢いの阿波・三好家への対抗策として、
土佐の長宗我部氏と幕府衆とをつなげようとした。
ところが、1561年に斉藤義龍が急死、
政治犯であることを解かれた光秀は、斉藤利三のとりなしによって、
長宗我部の元を去り、越前に暮らすこととなった(越前は斉藤氏と
つながりが深い)
※まあ、ワシの案だが、光秀の出自について、
「若狭の刀の鍔職人の息子」という説もあるので、
そっちの説を生かすのも面白いと思うがな
<越前時代の光秀>
◎光秀は、1560年ごろには越前丸岡の称念寺というお寺で暮らしていた
らしい。ここのお寺の住職・園阿上人の勧めで、子ども達に学問を教えて
生計を立てていたという。
この辺りは史料というより、口承伝説みたいなもの。
◎元禄時代に書かれた「明智軍記」によれば、光秀は、永禄5年(1562年)、
加賀の一向一揆鎮圧のため出陣したという。
この時の鉄砲の腕前が認められ、光秀は朝倉義景に500貫もの俸禄でもって
仕えることとなる。同時に100人もの鉄砲名人が光秀のもとに預けられた。
…以上、ソースは明智軍記?? 「朝倉家記」にはないのか?
◎越前時代の有名なエピが、
「宴会の費用が足りないので、光秀の妻・煕子が髪を売る」お話。
光秀は、そんな妻をみて、「自分は一生、側室を娶らない」と誓ったという。
…但し、「髪売って、金になるのかあ」という声もありw
(ワシもそう思う。越前時代の煕子は女中も雇えない生活だから、髪だって
長く伸ばせなかったと思うぞ。煕子が越前和紙を内職で作って売ってた話が
「髪を売った話」に化けた…とか??
☆※なんと…光秀には側室がいたらしい!!
>>372 >>373 >>374 >>375 >>376 >>377 を参照
<越前時代の光秀>
◎そして1563年(永禄6年)、明智光秀の3女(または4女)として、
後の細川ガラシャ夫人、すなわち玉子タンが誕生する。
この頃には越前一乗谷の手前にある大味東というところに移っている。
現在の「明智神社」のある所だ。
(全然関係ないが、福井県には「織田つるぎ神社」ってのがあって、
織田信長の祖先は、そこの神社の神官だったらしい)
<話は相当飛ぶが…>
◎光秀の家族
長女:荒木村重の息子・村次に嫁ぐ(信長の命令で)
荒木村重の謀反のあと、光秀の意思により、
三宅弥兵次の妻となる。この時、三宅弥平次は、明智秀満と改名。
次女:織田信長の甥・織田信澄に嫁ぐ(信長の命令で)
詳しくは
>>731 三女:説明するまでもなく、細川ガラシャ。
四女:筒井順慶の妻となった…らしい??
ちなみにガラシャ以下は四女・五女で、
次女は光秀の家臣・光忠の妻となったという説もあり。
◎光秀の息子
・煕子と結婚する前に、美濃大垣の豪族・山岸家の娘との間に男子をもうけ、
光重と名付けられる。光重は山岸家を相続する。
・信長の命令で、光秀の息子・定頼が、筒井順慶の養子になった…らしい。
・光秀の嫡男・光慶。本能寺の変の時、12歳ぐらいだったらしい。
・本能寺の変の頃、まだ名前のない、生まれて間もない赤ちゃんもいた?
おっと…また間違えてしまったw
光秀の娘(長女)については、
>>371参照
<話は少しそれるが…>
◎明智秀満について
1579年、光秀の女婿となる。旧名は三宅弥兵次。
ところで、この三宅弥兵次だが…
・光秀の家臣・三宅藤兵衛の息子という説
・明智光安の息子で、光秀の甥または従兄弟にあたる、明智光春左馬之助と
同一人物という説
があり、はっきり分からない。
※以前、明智光春=三宅弥兵次=明智秀満と考え、
光春は叔父の光秀に遠慮?して、妻方の苗字である「三宅」を
名乗っていたのでは?という案があった。
<話は少し戻るが…光秀の出自と生い立ち>
※「光秀は土岐明智家出身ではあるが、嫡男ではない」
「しかも、ある時期まで光秀自身はもちろん、周囲のものもそれを知らず、
光秀を嫡男として扱っていた。ところが家系図の混乱が発見され、
ある時(光秀10代中頃?)、光秀は嫡男からはずされ、
嫡男は、光安の息子・光春とされた。
この時の挫折感は、光秀の人格形成に大きな影響を与えた…という案が
ありました。
話を戻して、越前編…
<越前時代の光秀>
◎光秀の越前滞在時代は、1560年(永禄3年)〜1568年(永禄11年)
◎「明智軍記」によれば、永禄8年(1565年)、光秀は皮膚病?にかかり、
園阿上人と一緒に山中温泉へ湯治に行く。
この時、光秀は、海を見ながら「ここからモンゴルが見えるのか?」と
尋ねたり、アイヌとの交易に興味を持ったりする。もちろん歌も詠む。
ゆったりとした、面白い話が書けそうだ。
※これを受けて、「越前時代の光秀は、『海の向こう』に興味をもった」
という話を入れてはどうかという案があった。
こちらのコテハンだった「まったけ」さんが、「光秀は、坂本城時代、『明智
水軍』の構想をもっていたのでは?」という内容のことを、ご自分のHPに
書かれていた。
「新しい光秀像」を書く上で大いに参考になりそうだ。
<越前時代の光秀>
◎しかし、朝倉義景に500貫の高禄で仕えるようになっても、
光秀の心は晴れない。
朝倉義景は、美濃斉藤家出身の娘、「小宰相の君」という側室に夢中で、
まつりごとを顧みない。
その上、朝倉義影に讒言する者もあり、光秀にとって越前は居心地の悪い
ところでもあった…。(まあ、越前には以前、斉藤道三に追い出された
土岐頼政が一時亡命してたことがあったから、光秀には居心地悪いわな)
※なお、
>>180 >>183 >>184 >>185 >>186 >>187 >>188 >>191にかけて、
面白いストーリ提案があったので、読んで下され。
<越前時代の光秀>
◎そして…1565年、5月19日。将軍足利義輝が、
三好三人衆と松永久秀に殺される。
この事件は光秀の運命を大きく変えることに…
(続く)
422 :
名無しの制作委員:2006/02/11(土) 22:29:44 ID:5axTPPwo
この続きはぼちぼち書くが、
皆さまのほうからも、情報提供およびアイディア提供を
お願い仕る。
…age!
しかし、明智光秀の築いた坂本城だけは違い、
湖畔に港と一体化した城郭である。その目的は、堅田だけでなく
琵琶湖における全ての水軍を掌握すること、
即ち近江水軍ともいうべき水軍を自らの指揮下におき、
日本海と瀬戸内海を結ぶ琵琶湖の制海権を握ったのだ。
明智軍の特徴として、いち早く大量の鉄砲隊を導入・組織化したことは、
すでに御承知のことと存じるが、
水軍までも組織していたのである。
なお、この近江水軍は、滝川一益の伊勢・九鬼水軍とともに
紀伊の雑賀攻略に参加している。
また、明智光秀は堺商人・茶人との関係も築いている。
一般的には、織田信長と今井宗久、羽柴秀吉(豊臣秀吉)と
千宗易(千利休)との緊密な関係が知られている。
明智光秀は、豪商であり茶人でもある津田宗汲と緊密な関係にあった。
堺商人と近江水軍が結びつくことを考えると、
明智光秀が大きな戦略を胸に秘めていたことが想像に難くない。
424 :
名乗る程の者ではござらん:2006/02/13(月) 11:25:52 ID:sh8EWoW3
光秀は信長にホレたというより、平手政秀にホレたとするのはどうだろうか?
実際、道三との和睦および濃姫との婚礼の件で美濃に足を運んでいただろうし。
周囲にうつけと言われようと、信長を教育係として懸命に尽くしている姿に感銘を受けたとか。
濃姫とは三角関係だったってのまたやってるけど、アレはやめたほうがいいね。
愛妻家としての光秀を描くわけだし、愛情のモツレでヒステリー起こしちゃいましたとかシャレにならん。
>光秀は信長にホレたというより、平手政秀にホレたとするのはどうだろうか?
>周囲にうつけと言われようと、信長を教育係として懸命に尽くしている姿に感銘を受けたとか。
そんでもって信長に仕えてからは礼儀作法を教えたり、比叡山焼き討ちの際は
信長を諌めたりしたわけか??
…で、信長の非道ぶりに「平手政秀みたいに切腹してお諌めしよう」と思ったが
結局、謀反にはしったとか??
そのあたり、アイディアあったら、もっと詳しくキボンヌ
426 :
名無しの制作委員:2006/02/15(水) 00:21:50 ID:aphBy/c/
レスが欲しいので、とりあえずage
427 :
名乗る程の者ではござらん:2006/02/15(水) 00:56:46 ID:aY93jCUm
そこまで平手フェチにならなくてもいいと思う。
ただ、彼を通して信長という存在を知り、うつけと酷評されてるが実は有能な男なんじゃないのかと考えたとかね。
始終、平手さんの事を意識してきたというのではなく、本能寺の前後にふと気がついたら自分も
同じようなことやってんなぁ。と、思う程度で。今川義元みたいな初回一発目の目玉俳優はこの人なら面白そうかなって。
秀吉の陽気さに隠されたコンプレックスのように、信長がウツケを演じてる中にジレンマがあったりするわけで、
光秀は思慮深い人だったから、そういうトコをいろいろ察したんだと思う。
信長の奇行に悩みぬいた末に自殺した平手政秀と、そういうことを漠然と理解しつつも生理的に受け入れられなたっか光秀というか。
一種の対立事項的な存在として出してみたらいいかと思いました。
428 :
名乗る程の者ではござらん:2006/02/15(水) 01:24:07 ID:EtNeSA7u
>そんでもって信長に仕えてからは礼儀作法を教えたり
>比叡山焼き討ちの際は信長を諌めたりしたわけか??
明智というより夕庵や猪子だな
いっそうのこと信長を諌められて信長も聞く耳を持った3大爺様トリオ
平手・夕庵・猪子を光秀と絡ますとおもしろいかも
(平手は兎も角も夕庵や猪子は道三生存時から実際には絡みまくっていたと思われ)
たまには夕庵や猪子が目立つのも悪くはあるまい
図式にすると↓な感じ
信長→平手←斎藤
信長→夕庵・猪子←美濃衆
信長→夕庵・猪子←明智
明智→夕庵・猪子←秀吉
うんうん。武井夕庵がいるから、信長に礼儀作法を教えたり、
比叡山焼き討ちに反対したりは、この人の役だな。
この前の大河の(光秀)「お廊下に」(信長)「オロ〜カ?」のシーン見て、
つい、平手政秀に成り代わり、信長に礼儀作法や世の常識を指南する光秀を
空想してしまったんで。
でも、光秀にも「自称・信長の教育係」的役割をさせるのも、面白いと
思うがな…
430 :
名乗る程の者ではござらん:2006/02/19(日) 22:58:50 ID:0XO1QN6d
足利義昭をただのバカとのキャラで終わらせてほしくないね。やるんだったら。
そうだよな。
あと、朝倉義景。あん人物も、小少将chanに夢中な、ただのロリオヤジじゃ
面白くねえや。
朝倉義影・足利義昭・顕如…この辺りはそれなりの「怖さ」と「正義」も
描かないと、信長&光秀マンセー調ドラマになって、つまんなくなるだろな。
問題は、どんなふうに描けばいいかってこと。
「バカ殿」はライターにとって書きやすいんだよ。
「それなりの聡明さと怖さがあって、この人なりの『正義』もあって」
ってのは、具体的にはどう書けばいいのやら…w
まっ、この辺りはプロのライターでも苦労するんで、
だから「最近の大河はつまらん」になっているんだろうな。
432 :
名乗る程の者ではござらん:2006/02/21(火) 10:22:46 ID:dHuWjERh
確か「キングオブジパング」だったかな。悠然と義昭が将軍職を退位し去っていくの。違ってたらすまん。
自分が政治の道具として翻弄されてる事に、非力ながら抵抗し意思を表したくもがいているとか。
ホンキで信長を倒したいというより、邪魔してやるぞといった感じで。世の中、なんでも思い通りになるとは限らないってことを教えてやるぐらいの勢いだと面白い。
そもそも、出家していた身から還俗させられ、将軍になれたかと思ったら、ハイ、追放!また出家という人生なのだし、
むしろ、諸行無常をかみしめるサバサバした人柄であってほしい。「なーんだ。元に戻っただけじゃないか。肩の荷が下りてせいせいしたよ。」と、
トチ狂ったきちがい殿様より、強欲な信長のやり方に一石を投じる立ち回りにしたほうが、光秀や藤考にも色々考えさせる場面ができていいかなと。
義景の描き方も一工夫必要だね。
一人っ子で父親に甘やかされて育ったというのが通説だけど、
むしろ、父親という巨大な壁のような存在にコンプレックスを抱き、
マツリゴトは全部、宗滴にもってかれてるという過保護な家庭環境に反発してるとか。
お坊ちゃま育ちゆえの苦悩を表現できたら、見方も少しは変わるかもしれない。
本願寺の僧も、光秀の放浪時代に寺でお世話になっていたころの知人ということにすれば、
彼らを光秀サイドのポジションにすれば、その彼らを焼き討ちしなければなくなった光秀の苦渋や、
正義とはどちらにあるのかを考えさせる演出ができるのではないかと思う。
433 :
名無しの制作委員:2006/02/22(水) 00:17:40 ID:piegdQqx
おおっ! アリガト!
徐々にではあるが、オリジナリティのあるストーリが出来始めてきたな。
これからも、いろいろヨロシクお願いしますよ、皆さま
こんなスレがあったんだね。
今ログ読んだだけでもすごい勉強になった。
自分も光秀の大河見たいよ!!
435 :
名乗る程の者ではござらん:2006/02/27(月) 01:23:30 ID:sEXz2Gtt
応援アリガd! ぼちぼちワシも、自分の調べたこととか書く予定…
3月中には、これまでの通説やら新説なんかを元にした、「光秀の一生」を
まとめる予定だ(急がなくっちゃ!)
それを元に、年表や史料にない部分を皆で一緒に考えたいな。
まとめサイトでもつくろうかの。
437 :
名乗る程の者ではござらん:2006/02/27(月) 20:11:58 ID:J0cFTB+Z
あぁいいね。
まとめ作っちゃったほうが、何かと主張もしやすかろうな。
438 :
名無しの制作委員:2006/02/27(月) 23:17:27 ID:sEXz2Gtt
是非、「まとめのサイト」作って頂きたいです。
お願いします。
439 :
436:2006/02/28(火) 16:32:10 ID:???
440 :
名乗る程の者ではござらん:2006/02/28(火) 18:58:30 ID:TY9Syc+l
>>439 働き健気であった!
本当に助かります。
キャスティングなんかを議論できるスレというか場があると、もっと盛り上がるかもしれませんね。
ソチラが進めば、じゃーその人がやるならキャラ的にこういう演出なんかどうだ!と話が進むかもしれませんし。
441 :
436:2006/03/01(水) 15:50:28 ID:???
436さん、ありがとうございます。
本格的に創ろうと思ったら、情報量がいっぱいで、
ここのスレッドだけでは鯖に負担かけてしまうから
ある程度、分散させないといけないだろうな。
あちこちの掲示板やブログ・HPを読むのは大変だけど…
ちなみに以前、ここのコテハンだったピノコは、
「自分でプロット書いていると、原稿用紙に何十枚…もっと多くなりそう」
って悲鳴上げてた。「自分でHPでも創るべきか…」と悩んでいた。
他にも、自分でストーリ書いたが、
容量の問題でこっちに書き込みできないって方がいれば
自分でサイトをつくって、こっちにアドレス知らせて下さればいいと思う。
もちろん、このスレッドも充分活用できると思うし。
>>421の続き…
◎永禄8年(1565年)5月19日 足利義輝、三好三人衆と松永久秀に殺される。
◎同年7月28日、細川藤孝は医師で公家出身の米田求政と共に、
奈良一乗院の覚慶(足利義輝の弟。後の足利義昭)を救出する。
とりあえずは和田惟政の助力により、甲賀の和田館に迎えいれられる。
☆この前の「功名が辻」で、『三谷』義昭が、『坂東』光秀に、
「そなたの背中のぬくもりが忘れられん(ウホッ)」って言ってたが、
これは覚慶救出の際、光秀が覚慶をおぶって救出したことを指している。
ところが、「光秀が覚慶をおぶって助けた」というのは、司馬御大の
「国盗り物語」の創作であって、史実では米田求政が背負ったらしい。
☆あまり知られていない話だが…
覚慶は、上杉はじめあちこち諸大名に「助けてください」メールを発送、
その中に当然、尾張の織田信長も含まれている。
ところが…なんと!! 信長は、永禄8年(1565年)12月の段階で
「上意次第、すぐ供奉したい」と覚慶救援の意志を表明してたんだ!!
この返事を受けて和田惟政は、尾張で信長と会っている(立花京子
「信長と十字架」集英社新書120頁より)。
実際には、信長は美濃攻略で忙しくて、覚慶救援どころではなかったが…
この信長の永禄8年での意志表明には、おそらく光秀は関わっていないかも
永禄9年(1566)〜10年、最後の越前・朝倉家VS加賀一向一揆(光秀も参加)。
永禄10年(1567)10月21日、近江・若狭・敦賀を経て義昭が一乗谷に動座。
光秀が、覚慶・細川藤孝と本格的に接するのは、
永禄10年以降のこととなる…
※永禄9年(1566年)〜永禄10年(1567年)の信長の動き
永禄9年9月 木下藤吉郎による「墨俣一夜城」作戦成功、
美濃攻略の大きな一歩を踏む。
(同年9月晦日 足利義秋、敦賀金ヶ崎城に入る)
永禄10年 稲葉一徹・氏家卜全・安藤守就の「美濃三人衆」に
内応勧める。あわせて竹中半兵衛にも内応勧める。
同年8月 信長、稲葉山城占拠に成功する。
(同年10月または11月 足利義秋、朝倉義影に迎え入れられ一乗谷に入る)
☆立花京子「信長と十字架」より…
>ところで、この日時に注目したい。
>義影は、義昭を庇護する決心をつけかねて、すぐ一乗谷にむかえず、
金ヶ崎に留めていたところ、信長が稲葉山城を占拠したことにより
その上洛が実現に一歩近づいたと観て、急遽、義昭をむかえいれることに
踏みきったのではなかろうか。
(同書120頁より)
さて、その頃、光秀は…(といっても、この時期はまだ、「一次資料」に
光秀の名前は出ていないんだけどね)
446 :
名無しの制作委員:2006/03/06(月) 00:28:04 ID:1vc7fbKX
遊んでばかりいて、ここへの書き込みを怠ってしまったことに反省!
できるだけ早く、自分の調べたことやドラマの骨組み部分をここに書く予定。
皆さんも見捨てないで応援してほしいっす。
初めて来たんだが、秀満について書いてあることが(
>>417)
間違え過ぎてるぞ?
まぁ、光秀についても同じようなもんだが・・・。
つっこんでいいんだか、悪いんだか。
ここの空気もわからんし、「違うだろ」とだけ言いっぱなしとく。
とにかくよくわからんが、何かやってるようなのでがんがってくれ。
ここの空気は、最初から読んでればわかると思う。
名無しの制作委員さんだってそれなりの参考文献を使ってるだろうし、
間違ってるならどこがどうまちがってるとか自分はどういう史料を信頼してるとか少しはアドバイスしてやってもいいんじゃない?
たまにこういう人くるけど(
>>338とか)、最初から空気察するする気なんてなくて、自分の知識をひけらかしたいだけの人が一番感じ悪い。
どういう気持ちでレスしてるのか不思議。
いいっ放すくらいなら最初からカキコしなくてもいいような気がする。
気分悪くするし無意味だし。
いや、わからないな。
真剣に事実を調べてるようにも見えるけど
「徐々にではあるが、オリジナリティのあるストーリが出来始めてきたな。」
とか、
>>338に対しても
「史版じゃない」とかいってるし。
事実が知りたいのか司馬みたいなのを考えたいのか分からないから、
とりあえず違うとだけ言ったんだ。
何か知識ひけらかしてるか?
一つわかったのは
>>448や
>>338の後のレス見る限り、自分達だけで楽しく
やりたいだけで、外部からの意見聞く気ないんだろうな。
どうせこの言葉も批判されるだけだろうが、そんなんじゃ実現しないぞ。
大きなお世話だよな?邪魔して悪かったな。
450 :
名無しの制作委員:2006/03/06(月) 21:14:45 ID:1vc7fbKX
反省…
>>447さんや
>>449さんのご意見も、ごもっともだと思います。
こういった意見がでてくるのも、初めてこのスレッドを読んで、
「排他的」「聞く耳もっていなさそう」みたいな印象を受けるようなところが
あるからでしょう。だから、こういった意見もありがたいです。
>>417の書き込みについて、間違えているところ、
ご指摘ください。そのほうがこちらも助かります。
正直な話、ワシは今の所、フツウの新刊書店やBOOKUOFFレベルの書店で手に入る
一般向けの新書本や小説、PHP文庫レベルの読みやすい本しか
読んでいないので…(はじゅかしい…orz)
本当は歴史的な史料を読むぐらいじゃないといけない!!なんてご意見も
あるかもしれませんが。
確かに現段階では「史実についての情報を集める」ことを
中心にするべきなんでしょが、しかしあくまで「ドラマ(創作)のための」
情報集め・史実の検証なんで、この辺りは「本能寺の変の『真相』を
究明しよう」というのとは、目的や視点がビミョ-に違うんですよ。
まあ、そういうことで、こちらの書き込みに異論があれば、
恐れずにおっしゃって下さいよ。
その上で、もしもアナタのご意見が否定されたからといって、
アナタの全てが否定されたわけじゃないんだし。
もし、こちらで採用されなくても、「じゃー自分なりに機会があれば
書いてやる!!」って意気込みもって下さいよ。
(これはワシ自身を含めた全ての参加者に当てはまることなので)
PS:三宅弥兵次さんについて、情報提供お願いしますね、
>>447さん…
452 :
名無しの制作委員:2006/03/06(月) 22:51:13 ID:1vc7fbKX
歴史や歴史モノの小説・ドラマに詳しいヒトにお願い…
よかったら「明智光秀の一生」について、自分なりに、簡潔にまとめて、
こっちのスレッドに書いていただきたいのですが。
もちろん自分も、「明智光秀の一生」について、まとめたことを早く
書こうと思う。
いろんな人の視点で、「明智光秀の一生」とはどんなのだったか、
考えたいと思うんだが。(そりゃ書くのは大変だけどね。「簡潔に」と
言ってもついあれもこれも書きたくなったり、いろんな説があって
どの情報を選べばいいのか迷ったりするんで)
そういうことで、
>>447さん、期待しているヨ!
453 :
名乗る程の者ではござらん:2006/03/08(水) 02:17:51 ID:8lGHNAMH
前のほうで、まったけさんという方が、
前世では光秀どのの小姓だったということですが
掘られていたのれすか?
454 :
名乗る程の者ではござらん:2006/03/09(木) 00:49:22 ID:zhgLAtep
放浪時代には足利義輝を出すべきです。
456 :
ピノコ:2006/03/09(木) 13:16:29 ID:6OSPNb/i
457 :
名無しの制作委員:2006/03/11(土) 00:10:15 ID:ONhdFj3K
おい、ピノコ!
個人でやっているサイトのアドレスを、2ちゃんのスレッドに直接書くのは
マナー違反だぞ。
この<よろパラ>さんの承諾は得たのか?
あと…
>>417の件、どこが間違いなのか分からん。
これをよんでいらっしゃる方で
>>417の間違いが分かった方は、
具体的に指摘してくれ。
458 :
名無しの制作委員:2006/03/12(日) 17:53:51 ID:zsyQxMQj
他にもワシのほうから質問…
明智光秀ストーリを考える上で参考にしてほしい。
>>456の年表をはじめ、いろいろな光秀の伝記を読んで、疑問に思ったことを
これから書く。
答えをいっしょに皆で考えてほしい。
なお、<答え>のほうだが、
「史実に対する推理」なのか、
それとも「ドラマのストーリとしてのアイディア」なのか、
読んでいる人が区別できるように書いてほしい。
それから…
現段階では「できるだけ視野を広げ、アイディアを膨らませる」ことを
議論の目標としたい。
だから「○○説には反対だ、納得がいかない」といった全面否定ではなく
「○○説について、こういった点で疑問を感じています」とか
「私は※※説のほうが、この点で納得がいきます」といった書き方を
していただきたいんだ。
では、自分の疑問に思ったことを書き始める。
他の皆さんも、疑問に思うことや議論したい点について書いてほしい。
もちろん、疑問に対する推論orアイディアも。
ワシも名無しで推論・意見を書くつもりだ。
459 :
名乗る程の者ではござらん:2006/03/12(日) 17:55:50 ID:zsyQxMQj
【ワシの疑問シリーズ】その1
◎光秀と、三宅弥兵次および斉藤利三との血縁関係について
三宅弥兵次も斉藤利三も、光秀の「家臣」に過ぎなかったのか
それとも、「三宅弥兵次=明智光春=光秀の甥or従兄弟」なのか
斉藤利三も、光秀となんだかの血縁関係があるのか?
◎濃姫との関係について
光秀と従兄妹説は本当か
「そうでない」説をとるなら、
越前の朝倉義景のところに身を寄せていた光秀は、
どういうコネを伝って、信長のところに行ったのだろう。
460 :
名無しの制作委員:2006/03/12(日) 18:09:50 ID:zsyQxMQj
【ワシの疑問シリーズ】その2
◎光秀の「放浪生活」
どんな人と出会い、どんな技能を身に付けたのか?
光秀が「放浪生活」をしたのは28〜35歳ぐらいの頃のようだが、
それまでは、どんな生活をしていたのか?
放浪生活に入る前は、どんな教育を受け、どんな経験をしていたのか?
◎光秀が、足利義輝に仕えていたという説をとった小説もあるが、
(例えば宮城賢秀『将軍義輝の死』)
もし、その説をとるなら、いつ頃に義輝に仕えていたとするのか
◎諸国を放浪していた(らしい)光秀は、なぜ越前に身を寄せたのか
朝倉義景を見込んでなのか? 何かツテがあったからなのか?
◎光秀=可児明智の土岐一族出身説を採るとして…
なぜ、明智城落城直後に、織田信長に仕官を求めなかったのか?
(森乱丸の父・可成は斉藤道三の死後すぐぐらいから、信長の家臣に
なっているようだし…)
461 :
名無しの制作委員:2006/03/12(日) 18:19:25 ID:zsyQxMQj
◎ワシの最大の疑問の一つなのだが…
細川幽斎(細川藤孝)には、
その1・実兄が幕府衆の三淵藤英という説
その2・実は幽斎は将軍のご落胤で、
足利義昭とは異腹の兄弟にあたるという説
がある。いずれの場合でも、
三淵藤英は信長の命令で坂本城で切腹させられるわけだし、
足利義昭は信長によって京を追放される。
細川藤孝は、もっと信長を恨んでもよさそうな立場なのに、
「本能寺の変」の後は光秀に与せず、信長を悼んで坊主になっている。
おかしくはないか??
そもそも将軍家復興をめざして、わざわざ覚慶(足利義昭)を救出したのに、
光秀のアドバイスで信長に頼った結果、将軍家復活はならなかった訳だ。
細川藤孝は、この点で光秀を怨んだり、不満をもったりしなかったのだろうか?
462 :
名乗る程の者ではござらん:2006/03/12(日) 18:30:26 ID:zsyQxMQj
◎足利義昭上洛の際、信長は…
・「一銭斬り」と呼ばれる厳しい軍規を出した。また二条城建設の際、
女性に卑猥な行動をとった人夫をその場で切り捨てている。
・二条城建設の際、石仏や墓石を建築材として使用させた。
・細川藤孝の家の庭にあった名石<藤戸石>を運ばせる際、
石を花や錦で飾らせたり、運搬する人夫の士気を高めるため
お囃子で賑やかしたりしている。
…これらの行動から、信長のどういう性格・考え方が覗えるのか?
また、信長に仕えたばかりの光秀や藤孝は、信長にどんな印象をもち
どんな評価を下したのか?
463 :
名無しの制作委員:2006/03/12(日) 18:35:09 ID:zsyQxMQj
これからもいろんな疑問を書いていくし、
ワシなりの憶測も書いていくつもりだ。
今年の6月ごろまでは、こういった感じで史実について検証しつつ、
ストーリのアイディアをどんどん膨らませていく。
そして、7月頃から「テーマ」について話し合い、
最終的には「テーマ」に沿って、さまざまなアイディアの中から
一つに選択して、しっかりとした物語の骨格を作るようにしたい。
では、ヨロシク!
日本史板より余程しっかりした考察スレになってるな…
465 :
名無しの制作委員:2006/03/16(木) 23:31:22 ID:lV3xrH3e
いや…応援ありがd
ワシもいろいろ中途半端にしているトコロを反省。
466 :
名乗る程の者ではござらん:2006/03/22(水) 17:38:04 ID:aQu6sTH3
このスレは中々読み応えがあって大変よろしいのだが・・・
本職の演出家や脚本家や作家がココを読み、作品化しようと本気で思ってくれたとしても、
ネット上に公表された内容だけに著作権の問題などの障壁ができてしまったりしないのか?
その辺はどうなっているのだろうか。
万事問題がないというのであれば、私の邪推であり話の腰を折ってしまい、大変無礼になってしまうのだが。
467 :
名無しの制作委員:2006/03/22(水) 23:35:40 ID:ydzgrycw
その問題ですが…ワシの個人的な見解を
まず、基本的には、ここに書かれたものは
2ちゃんねる=ひろゆき氏に、著作人格権は所属することになると思う。
だから、もし、ここで書かれていることが何だかの形で作品として実現されれば、
印税その他は、2ちゃんねる=ひろゆき氏のものになる。
確かにプロ・アマ問わず、ここにいったんアイディアや仮説を書けば、
自分の作品(小説やコミックなど)に利用できなくなくなる可能性もある。
この点に関しては、以下のように考えている。
まず、「作品化」された場合、そこで取り上げられたアイディア・説は
2ちゃんねる=ひろゆき氏のものとなり、自分の作品には転用できなくなる恐れがでてくる。
具体的に言えば、「本能寺の変」の動機にA説・B説・C説がここに書き込まれ、
そのうちB説が取り上げられたとする。
…とすれば、B説が独創的なものであれば、例えそのアイディアが自分が考えたものであっても
自分の作品には使えなくなる可能性は出てくるだろうな。
まあ、ありきたりな「怨恨説」を採用すれば、そうでもないかも知れんが…
(続く)
468 :
名無しの制作委員:2006/03/22(水) 23:46:42 ID:ydzgrycw
(上記の続き)
さて、問題は採用されなかったアイディア。
A案・B案・C案が出されてB案のみが採用された場合…
コレは著作権上、大変むずかしい問題だが、
ワシは「採用されなかったアイディアは、それを書き込んだ人はもちろん、
それを読んだ人も、自分で作品を書く際、利用してもかまわない」と
考えている。
もし「2ちゃんに書いてあることは全て2ちゃんに著作人格権があるので、
ここからの直接の引用はもちろん、似たようなことですら、他の作品などに
使ってはいけない」ことになれば、それこそ作品なんて書けなくなるし…。
まあ、これも程度の問題で、仮に作品本編に採用されなかったアイディアでも
独創的で素晴らしいものは、作品に採用されたアイディアと著作権上、
同じ扱いにしてもいいと考えてるし。
(続く)
469 :
名無しの制作委員:2006/03/23(木) 00:00:35 ID:ydzgrycw
最後に…
この企画が途中で続かなくなった時、
これまで書き込まれたアイディアは、誰のものになるのか?
これは「ひろゆき」氏と話し合ってみないと分からないが、
ワシ自身は、「この企画が万一、途中で続かなくなった時は、
ここに書かれたアイディアは、書き込んだ本人はもちろん、
これを読んだ人も、自由に自分の作品の中に利用してもいい」
ことにして欲しいんだ。
但し、それは最終的に「この企画は止めましょう」という
住民総意の上での「終結宣言」が出されたときの話。
まだ「終結宣言」が出されていない間は、
ここに書かれているアイディアを元に作品を作るのは、
プロ・アマ問わずやらないで欲しい。
まあ、以上はワシの個人的見解。
他にも意見があれば、出してほしい。
(本来なら「企画書」を出すことを含め、「ひろゆき」氏と話し合わないといけないのだが…。
まだ何のメドもたっていないので、「ひろゆき」氏とは全く相談していなかった。
反省…)
470 :
名乗る程の者ではござらん:2006/03/23(木) 16:42:58 ID:Y6at10re
つまり、レポートの末尾に添えられる参考文献の欄に「2ちゃんねるの時代劇板です。」とクレジットを明記すれば、
よろしいということかな。ここでアイディアを披露してる住人やはじめにスレを立案した人だって、
著作権や印税が自分の手に入ることより、一日でも早いドラマ製作の実現化を望んでいるのだと思う。(ていうか、そう願うw
だから、万一、どこかの作家や漫画家が「怨恨説」をキッパリ否定し、このスレで議論されてきたような光秀像を描いてくれたとしても、
スレ住民の方々は、のまネコ騒動のように、目くじらを立てて「おいゴラァてめーパクってんじゃねーよ!」と言わないだろうしなぁ。
むしろ、感謝感激御礼万歳三唱しると思う。もちろん、「ひろゆき」氏サイドとの手続きをキチンと踏んで作品化するのが望ましいワケだが。
スレ住民も、また「作品化してくれる人よ。我々は一切拒否や主張もしない。てか、むしろやってくれ。」
と意思表明を出してしまったほうが気が楽でいいのかもしれない。
471 :
名無しの制作委員:2006/03/23(木) 22:56:07 ID:jboiiddx
う〜ん…
いや、現段階では「この企画をすっかりあきらめます」という
「終結宣言」はしていないから、というよりまだ「新しい光秀像」すら
立ち上げていない段階でして…。
できれば、ここで出されたアイディア(特に放浪中の光秀が猿楽師になって
大久保長安とかと関わりをもつ話とか、同じく放浪時代は植木屋をしていて
そのため各地の情勢を知ることができたとか)は、あまり<盗まないで
欲しい>と思う。少なくとも「終結宣言」がでるまでは。
ところで
>>470さんは、もしかして、このスレにインスパイアを受けて、
自分なりの独自の作品(もちろん明智光秀が主人公)を書くご予定が
あるのですか??
それとも、こちらがシロウトばかりで、なかなか進行しないのを見かねて
「2ちゃんでの議論に参加したくはないが、これまでのこのスレの議論を
受けて、こっちで続きを書いてあげて、完成してあげよう」とか??
まあ、どっちにせよ、当分ワシなりに、ここのスレに自分なりに調べて疑問に
思ったこととか、仮説とか、年表のすき間を埋めるようなオリエピのアイディア
とか書いていく予定。
できたら
>>470さんも、このスレの企画にご協力いただければと思うがな。
472 :
名乗る程の者ではござらん:2006/03/25(土) 21:41:34 ID:1O/VwUDm
話豚切ってスマソ。
おもしろいレスがあったんで貼っとく。
67 名前:日曜8時の名無しさん 投稿日:2006/03/22(水) 22:06:43.64 bt/XRyDj
黒幕は細川藤孝…ってのは、どお?
藤孝に乗せられて、迷った末、信長を襲ったのに、
変の後は全く協力してもらえず、焦ってしまうという設定。
(実は朝廷から光秀を将軍に…という動きがあり、足利義昭復権を狙っていた
藤孝としてはそれが許せず、急遽、非協力的な態度を取ったとか)
あの近藤藤孝なら、そういう役が似合いそうな気がしますが。
473 :
黒幕は細川藤孝か?:2006/03/28(火) 23:17:18 ID:rxSUL//S
312 :日曜8時の名無しさん :2006/03/28(火) 02:26:30.44 ID:
腐女子ではありませんが歴史オンチなので質問です。
坂東@光秀が、公方様の復権=私の青春
と涙を流した場面、とっても腐女子ゴロシな演出と解釈ですが
どういう史実的な要素があったのでしょうか?
313 :日曜8時の名無しさん :2006/03/28(火) 08:50:02.11 ID:
>>312さん…
司馬遼太郎御大・作「国盗り物語」設定な明智光秀の話。
「国盗り物語」では、若い頃、光秀は室町幕府復興を夢見て、
諸国を巡り志士活動をしていた。
で、将軍義輝が松永久秀に暗殺されると、細川藤孝といっしょに
お寺で坊主になっていた義輝の弟・覚慶(後の義昭)を
背中に背負って救い出し、そしてああなってこうなる話になっている。
でも史実は別。
一乗院にいた覚慶を救い出したのは細川藤孝と米田求政。
実際に覚慶を背負ったのも米田求政。
光秀はその頃、越前の朝倉義景のところに仕えていた。
そこへ細川藤孝らが転がり込んできた訳。
光秀が細川藤孝に語ったところによれば、
その頃(1566年ごろ)、光秀のところに信長からスカウトの話があったらしい。
でも、光秀は思うところがあって断ったという。
光秀は将軍を手土産に信長の所へ行き、織田家で有利な立場を作るつもりだったんだろう。
あんまり将軍家には、光秀は愛着がなかったかもしれないと、私は思うのだが。
314 :日曜8時の名無しさん :2006/03/28(火) 12:29:55.78 ID:
涙すべきは細川藤孝か‥
>>472さんの「細川藤孝黒幕説」を書いたのはワタシです。
続きはぼちぼち書きますので、その折には「細川黒幕説」の欠点なんか
皆さんご指摘下さいネ
いやー、先週は「ハルとナツ」の再放送があったり、
ここんところBIGGOBEで「海のトリトン」だの「メーテルリンクの
青い鳥」だの、「ヤマトV」だの、その上「未来少年コナン」の無料配信が
あって…(そのうえ有料ですが「ジャングル大帝」まで!!
それで、こっちに書き込みする時間がすっかりなくなってしまったではありませんか。
BIGLOBEさん、間違っても、この先、「ワンサくん」の無料配信は
しないで下さいね!
…ついでに「悟空の大冒険」も(ry
…さて、「黒幕=細川藤孝」説について
考えるきっかけとなったのは、このスレの
>>42でも書きましたが、
以下のような書き込みが、2ちゃん・日本史板にあったためです。
444 :政所執事 :04/07/06 00:33
基本的に本能寺真犯人は、
@信長体制が続いては、何かと問題があったりする人物。
A信長の死後、勢力を拡大できた人物。
の2つから考えていけばいいんじゃないでしょうか。
はっきり言って、光秀は単独犯ではありません。誰かと仕組んでいたようです。
《推測》
仕組んだ人→細川幽斎 (信長を排除し、室町幕府の再興を目指す)
加わる予定だった人→羽柴秀吉 (元々、天下を狙う気持ちがあったため、幽斎に唆されていた)
それを知っていて黙認→徳川家康 (基本的に信長の事を良く思っておらず静観)
この信長を排除する陰謀は、幽斎が秘密裡で進行中であり、その主力は光秀と秀吉。
しかし、まだ実施は先にも関わらず、信長本能寺滞在の報を聞き、光秀がこれ幸いと先走り信長を誅殺。
その後、幽斎は先走りした光秀を無視。知っていた秀吉は、転機到来とばかりに大返し。
家康は、その陰謀を知っていた為、ばらされては困る天下人秀吉とその後対等にわたりあえた。
家康もほとんど同罪なので、信長誅殺の経緯についておおっぴらにはできなかった。
(結論)→大規模な陰謀の計画中に、光秀の先走りが本能寺の変となった。
もう一つ、ヒントとなったのは、
『天正10年6月9日付け 遊足庵(奥州蘆名家の使僧)宛て 上杉影勝
書状』 これによると…
・秀吉が中国方面で捕らえられ死亡
・救援に行った信長が、信澄に討たれ切腹
ひょっとして、これが、「黒幕」が当初描いていたシナリオだったんじゃ
ないかと思ったのです。
細川藤孝の場合、
>>472 や
>>473 のようなことを考慮に入れると、
信長を討つ動機は充分あります。
私は足利義昭を「バカ殿」だったとは考えていません。かなりの策略家。
だたし、この時点では、義昭自身は将軍の座に返り咲くため、積極的に
動いたとは思いません。
将軍を再び担ごうとしたのは、細川藤孝のほう。
細川藤孝が「将軍家のご落胤」というウワサが当時からありましたが、
藤孝は信長に忠誠を尽くすように見せかけながら、「将軍家ご落胤」ウワサを
積極的に流すことにより、反・信長勢力を、水面下で集めていたのでは…?
光秀と藤孝の間で、この件についての謀議が最初に行なわれたのが
天正9年(1581年)、天橋立の連歌会。ここには津田宗及や里村紹巴も
出席しています。
藤孝は、光秀の娘・お玉ちゃんを息子の嫁にしてますので、これは人質に
とったようなもの。もし、光秀が信長に陰謀の件を漏らせばお玉の命は無い
って脅しておけば、光秀も娘可愛さで漏らしはしないでしょうし…
まあ、こういう事態になったら、一種の2重スパイとして光秀は、
信長と藤孝の間を動いていたとしたほうが、私の考える光秀らしくて
面白いです。
…で、最初の謀議(天正9年4月)から一年過ぎて、
「秀吉の中国攻め」というチャンスが巡ってきました。
信長を中国におびき寄せ、そこで毛利と結託した藤孝・光秀・秀吉軍が
信長を討ち、足利義昭を救出し、将軍の座に復帰させるというシナリオ。
(これでいけば、秀吉も陰謀に加担していたことになる)
できれば公家を動かして、信長を「朝敵」として退治する大儀名分を
得たい…藤孝は、そう考えていました。
一方では、信澄(嫁が光秀の娘) 信忠(光秀と軍事行動を共にすることが
多かった)を上手く煽って、そちらに信長を討たせる…という作戦も
あったとか。
479 :
名乗る程の者ではござらん:2006/04/07(金) 20:40:29 ID:QHjcnxin
とりあえず、age!!
まだまだ続きます…
480 :
まったけ:2006/04/11(火) 13:51:30 ID:???
皆様
拙サイト掲示板に貴重なご意見をいただきましてありがとうございます。
僕が拙サイト掲示板で行いました提案は、皆様のご意見を拝聴し、撤回を致します。
皆様方におかれましては、この混乱を招いたことを深くお詫び申し上げる次第です。
率直に申し上げますと、これまで我々が行ってきた「大河ドラマ」の企画について、
僕の明智光秀像が皆様の考えと乖離し始めているのではと感じて始めていました。
その点については皆様に申し上げることができずにいて、かなり以前から随分と悩んでおりました。
かつて、拙サイトを利用していただくことを提案したことも、その自分勝手な悩みが為です。
改めて申し上げます。今回の混乱を招いたことを心から陳謝します。そして、冷静に自分の考えを取り纏めてから、再び皆様と楽しく議論をできる日々が来るように研鑽を努めますので、見守っていただきますよう宜しくお願い申し上げる次第です。
481 :
まったけ:2006/04/11(火) 21:08:09 ID:???
連続投稿すみません。制作委員会の掲示板を拙サイトとリンクしました。
482 :
名無しの制作委員:2006/04/11(火) 21:43:59 ID:QgjDaolv
モノを創るのは、苦しいことだと思うヨ!
でも、苦しくても続けていこうや。
苦しかったり、悩んだりするのは、物語作りの場合、
本物に近づきつつある証拠だよ。
何とか苦境を乗り越えると、やがで「これ、自分達が創ったの?」「オレ達、才能あったんだ」って所に到達する。
皆で力を合わせて頑張ろうや(正直、ワシも苦しみつつ、いろいろ調べたりしてる。一日も早くココに有意義なことを書けるようになりたい)
483 :
まったけ:2006/04/12(水) 00:32:26 ID:???
拙サイトの「都隣問答」では、来館者からの明智光秀に関する質問を
まとめたものです。
たまには、突拍子もない質問もありますが、光秀公への関心の高さが
わかります。僕は、あくまで「単独野望説」なので、書きたくなかった
のですが、今日は「黒幕説」に関する質問があまりに多く、ついに追加
アップしました。
愚説ばかりなので、あまり御参考になりませんが覗いて下さい。
http://www.geocities.jp/f4_ttm/akechimondou.html 追伸 実は、「2ちゃんねる」の使い方が不案内なので、数ヶ月もの間、
この掲示板の動向が分からなかったのです。
また、明智光秀大河ドラマ化に向けて、少しずつですが応援のメッセージ
も僕のサイトには届いています。
484 :
まったけ:2006/04/15(土) 00:23:45 ID:???
『大河ドラマ&時代劇 登場人物配役事典』というサイトを発見しました。
拙サイトでも明智光秀を演じた俳優のリスト・アップを掲載していますが、
比較にならないほど充実しています。
明智光秀に関しては戦前に制作された映画での俳優も記してあります。
また、戦国武将に限らず源平合戦や幕末まで網羅してあります。
配役については、まだまだ先の話になるとは思いますが、とても参考に
なると思いましたので、紹介しました。
い・・・今ごろ知ったの?
時代劇ファンには有名なサイトだぞ
486 :
まったけ:2006/04/15(土) 15:49:02 ID:???
え、そんなに有名なのですか(汗)?
いや、パソコンが苦手でサイトの情報はあまり詳しくはないのです。とんだ
失礼を致しました。
487 :
名乗る程の者ではござらん:2006/04/15(土) 23:03:31 ID:WdvH1PVC
…あの…ココダケの話だが、
2ちゃんねるではあまし自分から「2ちゃんに不案内」だの「パソコン苦手」だの、言わないほうがいいぞ!
「配役宝典」の件だって、「知らんヤシがいるかも知れんで書いたまでだ」と
開き直ればいいんだし。
あと、メル欄には半角で「sage」と書いてくれんかな?
488 :
名乗る程の者ではござらん:2006/04/25(火) 16:55:52 ID:JxxYYZ3/
光秀は、あまり有名じゃない人にやってほしい
>>488さん…
有名じゃないかどうかは知らないが、伊原剛志さまなんて、どお??
気品があって、文武両道って感じ。
>>478の続きです。
1582年5月…
信長の元に、中国出陣中の秀吉から、援軍要請の文が届きます。
もちろん、信長を呼び寄せて、光秀・藤孝そして毛利と手を組み、
信長を討ち、毛利の元にいた足利義昭を救出し、京へ連れて帰るというシナリオ。
裏で糸を引いていた細川藤孝は、信長追討の勅命を得るべく、
公家や朝廷と折衝をしていました(藤孝が直接したのではなく、吉田兼見とか
里村詔巴とかが、実際には動いていた)。
秀吉からの援軍要請を受けた信長は、光秀に出陣を命じます。
実はこの時、光秀は、家康の処遇問題を巡って、
信長と鋭く対立していました(※注)。
信長は光秀を家康供応役から降ろし、出陣を命じたのです。
信長への忠義と、藤孝らへの義理に悩んだ光秀は、
この時とうとう、藤孝らの「謀反」の件について、信長に告白します。
信長は、「謀反」の動きについて、すでに情報を得ていました。
そのことも知った上で、光秀に「謀反」につながるかもしれない「出陣」を
命じたのです。光秀の正直な告白に、信長は感謝します。
…その上で、信長は光秀に、意外な命令を下します。
「中国出陣の前に、帝の閲兵を受けるため、2万の兵を連れて、上洛せよ」
491 :
名乗る程の者ではござらん:2006/04/25(火) 22:30:02 ID:KowYlsyU
>>489 伊原はあんまり気品はないだろ。
むしろワイルド。
下から這い上がってきた成り上がり者の臭いのするような役の方が似合うよ。
492 :
490:2006/04/25(火) 22:42:48 ID:???
光秀は、信長の命令の意味をただちに理解します。
2万の兵を連れ、御所を取り囲むこと…
これは、2万の兵によってクーデターを起こすに等しい…
「謀反を起こそうとしているのは、私や藤孝ではない。信長どのなのだ!」
そして強い怒りの情に、光秀は駆られます。
理由は、「帝に対し兵を向け、武力で威嚇しようとしているから」では
ありません。
…私は光秀という人物を、徹底した「易姓革命」の思想をもった人として
描きたいと考えています。だから、場合によっては、相手が帝であっても、
倒すに値する理由があれば倒してもよい。そう考えたことにしたいんです。
この場合、光秀が怒った理由は、
「信長が、信長自身の兵ではなく、光秀に命じて、それを行なおうとしたこと」
もし、この謀反(あるいは武力による朝廷への威嚇行動)が失敗すれば、
信長はすべてを光秀一人の責任に押し付け、
「あれは光秀が勝手にやったこと」にするつもりではないか??
家康を裏切ろうとし(この件、後に詳しく書きます)、
長曾我部家を裏切り(別に裏切ったわけではないが、光秀の目にはそう見えた)
そして、もっとも忠義を尽くそうとした、この自分を、信長は使い捨てに
しようとしている…
光秀は、信長が、自分が忠義を尽くすべき価値のある人物なのか、
徹底的に疑います。
493 :
490:2006/04/25(火) 22:47:09 ID:???
>>491さん…
伊原さんは、「新選組!」では、幕臣の佐々木さまを演じた方ですから
それ相応の気品はあると思うのですが…
「気品」もあるし、「成り上がり」的なワイルドさもあるし、
なりより「チマキを笹ごと、ぱくっと食べる」のに、一番似合いそうな…
494 :
490:2006/04/25(火) 22:55:36 ID:???
信長を討つべく、中国へ向かうべきか、
それとも信長の命に従い、2万の兵を連れて上洛すべきか悩む光秀…
愛宕山で開かれた連歌の会での「ときは今」の歌は、
光秀が、信長を討つ側についたことを藤孝ら示すための、決意表明でも
ありました。光秀は、中国出陣に向け、武器や荷物の一部を西国に送ります。
しかし、その日の夜、光秀は、気がつきます。
「信長どのは、わずかな供回りで上洛している…
とすれば、わざわざ西国へ兵を向けるよりも、
このまま上洛し、御所ではなく、信長の泊まり処に兵を向けてば、
目的は達成できる…」
496 :
490:2006/04/25(火) 23:17:45 ID:???
※光秀は家康の処遇問題を巡って 信長と鋭く対立していた件
「謎とき本能寺の変」藤田達生著(講談社現代新書)
P68 「光秀が『言葉を返した理由』は何か」より
藤田氏は、光秀が家康供応役を中途で解任された件、
およびルイス・フロイス「日本史」や「本城惣右衛門覚書」の記載
(光秀の家臣達は、本能寺襲撃の際、攻撃対象は家康だと思っていた)
から、家康の処遇問題で、光秀と信長との間に対立が
あったのではないか、つまり…
『岐阜城にいる信忠は、近い将来に家臣団を監督する新たな拠点に
移る必要があった…(中略)…今や家臣となった家康に、信長が
国替えを迫ることは充分にあり得ることであった。
497 :
名乗る程の者ではござらん:2006/04/26(水) 13:52:42 ID:FyWPL71o
トヨエツがいい。
ただ、この人が主人公で1年は暗くて地味すぎるよね。
日本史板「本能寺の変の黒幕は朝倉義景」(笑)スレッドよりコピペ
…この年表を見れば、朝倉義景が、如何に名将・名君だったかが、分かるだろう。
2006/04/20(木) 15:10:08
悲劇の名将朝倉義景の生涯
1533年 越前の戦国大名朝倉孝景の嫡男として生まれる
1548年 朝倉家5代当主となる
1552年 足利義輝将軍より一字拝領。義景と名乗る
1559年 従四位下に叙せられる
1565年 窮地の足利義昭将軍を保護
1567年 家臣の堀江景忠の謀反を平定。一向一揆軍を撃破
1568年 若狭へ派兵
1568年 足利義昭将軍を傀儡とした信長と対立
1570年04月 信長本隊を金ヶ崎で挟撃粉砕。敗走せしめる
1570年08月 浅井救援に軍勢を派遣。信長勢を潰乱せしめる
1570年09月 下坂本の戦いで信長旗下の森可成・織田信治を撃破
1570年09月 若狭国を平定
1570年10月 比叡山に布陣後、上坂本を占領
1570年11月 比叡山穴田口で織田勢を撃破
1571年11月 樫田の戦いで織田方の坂井政尚・遠藤胤俊を戦死せしめる
1571年12月 織田方の要望を受け入れて和睦
1572年 足利将軍をして本願寺・武田・毛利に援軍要請。信長包囲網の盟主となる。このころ明智光秀ら旧幕府衆への誘降活動を開始
1572年07月 北近江で信長本隊と対峙。持久戦となる
1572年12月 積雪のため補給網を維持できず撤退
1573年07月 浅井の援軍要請を受けて、ふたたび北近江に出陣するも刀禰坂の戦いで敗北
1573年09月 逃亡先の大野郡賢松寺で自刃。享年41歳
これを参照に、バカ殿でない(そりゃ頭蓋骨にハクダミ施すほど、信長は怨み、恐れていたんだから…)朝倉義景像をキボンヌ
順慶たんとのからみぎぼんぬ
500 :
名乗る程の者ではござらん:2006/04/27(木) 12:14:26 ID:roGaOeTn
「その時」で光秀特集やったのは
「ときは今」スレの影響なんでしょうか?
…なワケないでしょ??
「その時」の影響で、「ときは今」スレへのカキコが増えると嬉しいが
功名が辻の番宣ですよ。
「へうげもの」や「 センゴク」「影風魔ハヤセ」にとってもウマー。
デアゴスティーニの「歴史を作った先人たち―日本の100人」の今週号は明智光秀です。
504 :
まったけ:2006/05/03(水) 23:17:11 ID:???
>デアゴスティーニの「歴史を作った先人たち―日本の100人」の今週号は明智光秀です。
亀岡の書店では、全て売り切れでした。そういえば、今日は「亀岡光秀祭り」
やったなあ。
505 :
505:2006/05/04(木) 23:35:41 ID:???
『細川藤孝関与説について』
確かに、本能寺の変から山崎の戦いまでの細川藤孝・忠興父子(以下:細川父子)の動向は、
明智光秀と羽柴秀吉の勝敗を決定づけたと思っています。
おそらく、細川父子が明智光秀に味方をしていたら、筒井順慶の寝返りもなく組下大名の
北摂の高山右近・中川清秀等や静観していた近江・河内・和泉・若狭・美濃の武将や紀伊の
根来衆はもちろん雑賀衆も明智方についたはずだと思っています。
私は、単独野望説の立場ですが、事前に明智光秀から細川藤孝へ計画を仄めかしたことは
ありうると思っています。
しかし、この説に立てば、一つの疑問をクリアできることに気付きました。
それは、織田信長討死の情報が、あまりにも早く羽柴秀吉に伝わったことです。
私自身は明智光秀が羽柴秀吉に同盟を持ちかけて書状を送ったのではとも考えていました
ぐらいです。(まず、信長討死と言うトップ・シークレットに値するような重要な情報を、
毛利陣中と間違えて羽柴陣中に入るような者を明智光秀が使者にするわけがない!)
本能寺の変後、明智光秀が味方を求める場合は、初めに細川父子になるのは、まず間違ない
と思います。しかし、その細川家の領国と羽柴秀吉の勢力圏は隣接しています。
山崎の戦いに至るまでの間、明智光秀は細川父子に味方を求め続けるため、細川父子は最新
の情勢が把握できる。しかし、細川父子は明智光秀からの情報を羽柴秀吉に提供を続けていた
から、中国大返しが可能となりうるものと感じました。
山崎の戦い後の秀吉の細川家に対する処遇を考えるとありうる話だと思います。
様々な黒幕・共謀説の中で、最も説得力がある説だと思いました。
506 :
名無しの制作委員:2006/05/05(金) 11:29:37 ID:eDR+3Xd2
連休終盤age!!
507 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/06(土) 23:41:51 ID:I0u3lxLz
明日はイッパイ書きこむぞ〜
予告age
珍説・本能寺の変 『じつは織田信忠も、父・信長の生命を狙っていた!!』
「本能寺の変」の光秀の動きを見ていると、どうもヘンです。
2万の兵で本能寺をぐるっと取り囲み、僅かな手勢の信長を討つ。
それから信長の遺体探しに時間をかけた後、信忠のいる妙覚寺へ向かいます。
一方の信忠の動きも、そうとうヘンです。
異変を知った信忠は本能寺へ向かいます。
そこへ京都所司代の村井貞勝父子がやってきて、
本能寺はすでに落去したこと、二条新御所へ移ったほうがいいことなど
進言を受け、信忠は二条新御所へ移ります。
そして信忠は、「光秀は自分を逃がすはずがない。逃げる途中で討たれては
無念だから、ここで腹を切る」といいます。
なんか…ヘンだと思いませんか??
そこで考えたのは、「同じ頃、信忠も、信長を襲おうとしていた」説です。
509 :
508:2006/05/07(日) 14:57:29 ID:???
妙覚寺の信忠には、自分の馬廻りをはじめ、兵は5000ほどいました。
一方、本能寺の信長は、女性も含めて50人あまり…
信忠の胸中には、ずっと「父・信長を討ちたい」という願望がありました。
信忠は、さまざまな「敗軍の将」を見てきました。
美濃の斉藤龍興… 甲州の武田勝頼…
彼等には、共通点があります。
この二人の父は、病気で突然死しました。父の死後、その地位を受け継いだの
ですが、古くからの家臣達から信頼を得られず、それが敗北につながったのです。
ところが、その勝頼の父信玄も、龍興の父義龍も、 その父を追放したり、殺害したりして、父の地位をてに入れたのです。
もし、父・信長が病気で突然死すれば、斉藤龍興や武田勝頼と 同じような思いをするかも知れない…
(もちろん信忠の場合、他の兄弟と違い、唯一「織田」姓を許され家督すら
受け継いでいるので、勝頼あたりと随分立場が違うのですが…)
そう考えた信忠は、兵を従え本能寺に向かいます。
…とそこへ光秀の兵がたくさん、妙覚寺にやってきます。
もちろん、光秀は、自分の兵を 、「信長を討つ」パートと「妙覚寺の信忠を討つ」パートに分けて、
それぞれを襲わせる作戦をとっています。
光秀の兵が妙覚寺に近寄るのを見て、信忠は驚きます。
そして「自分の目論見がバレタ」だと思い込みます。
信忠は、光秀が信長を襲ったことを知りません(…って、まだ襲っていないから)
「父に向けて謀反を起こそうとしたことがバレてしまった。
父は自分を許さないだろう」そして、「光秀は自分を逃がすはずがない
逃げる途中で討たれては 無念だから、ここで腹を切る」と、なります。
…いかがですか??
太十(絵本太閤記)
武智(明智)光秀の謀反から滅亡までの13日間を描いた前13段の作品で、現在上演されているのは「太十」と呼ばれる十段目。
「夕顔棚のこなたより現われ出たる武智光秀は…」の義太夫とともに蓑姿で登場し、傘を持ち上げ見得をする光秀の出が有名です。
武智光秀の母皐月は息子の謀反を嘆き、尼ケ崎の閑居に身を潜めていた。
光秀の妻の操が息子十次郎の許婚初菊とともに母の身を案じて訪ねてくる。
続いて一夜の宿を求めてやってきたのは、旅僧に身を扮した真柴秀吉だった。
皐月と操は、初陣のために暇乞いに来た十次郎と初菊との祝言をあげてやり、
戦場に送り出す。
真柴久吉を追ってきた光秀は、久吉を討とうと、襖越しに竹槍で突くが、
なかから現れたのは息子の謀反を諫めるために身替りになった光秀の母
皐月であった。
そこへ瀕死の重傷を負った十次郎が戦場から戻り、武智方の敗北を告げ
てから息絶える。部下の佐藤正清(加藤清正)を連れてきた久吉は、
戦場での再会を約束して光秀を見逃すのだった。
真柴久吉(羽柴秀吉)の身替りとなり光秀に竹槍で刺された母皐月が妻操と
暴挙に出た光秀を諌める場面が見どころのひとつ。
後半の見せ場は、初菊と祝言をあげて早々に出陣した息子十次郎が瀕死の
重傷を負って戦場から戻り、父に敗戦の様子を物語るところ。
クライマックスは母と息子を一度に失った光秀が大泣きをする
「大落とし」です。
(フルーベル館・ワーキングウーマンのための情報コレクションシリーズ「歌舞伎オペラ入門」
より)
>>509 今さら馬鹿か?
襲撃の報告を受けた信長がまず信忠を疑ったことなんて、
もう既に有名な逸話だろーが。
>>513 でも、明智光秀が本能寺の信長を襲おうとした時、
偶然、信忠も父を襲おうとしたって話は画期的でしょ??
たいていの小説なんかでは、光秀はまず、2万あまりの兵を率いて本能寺の
信長を襲い、それから信忠のいる妙覚寺に向かう…という筋になってますよ。
まあ、あなたがおっしゃるとおり、信長は真っ先に信忠を疑ったんですが。
515 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/08(月) 21:44:14 ID:NXrZXYVB
age! 鶏の唐揚げ
516 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/09(火) 11:28:04 ID:VnIq0Rhq
でしょ 〜ですよ あなたが
ここ、おばちゃん言葉が気持ち悪い。
わざわざ文句を書き込むお前がキモイwwwwww
もし、「信長は光秀軍を京に呼び寄せ、帝に対し『クーデター』もしくは
『武力による威嚇』を行なおう」説と、「信忠も独自に、本能寺の信長を
襲うつもりでいた」説の両方を取り上げた場合、村井貞勝の動きはどうなるんだ??
>>516さま…
どうせ、ワタシはリアルオバハンだから、言葉も発想もキモいでしょ、仕方ないわ。
で…自分がリアルオバハンだから、想像できないのが、光秀&煕子。
疱瘡で顔が醜くなっても「約束通り、娶る」とか、
放浪時代、髪を売った妻の心情を考え、側室を娶らなかったとか…
もちろん、この辺りは江戸時代の創作でしょうが、
ドラマの中では、どのように描くと面白いのか、腐女子には分からん。
男の人から観ても面白い(納得できる)光秀&煕子像って、どんなの??
(光秀には実は側室がいて、その側室の正体が、アノ「小宰相の君」、
すなわち朝倉義景の側室だった、あの少女…なんて無理??)
520 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/11(木) 18:16:35 ID:VX3pCXI6
レス欲しいから、ageて置くね!!
オバハンはお幾つなの?
>>521さん…
そんなコト知って、どうなるw
で、
>>519に自己レス
>>374さんの情報提供によれば…
『一方「公家」という制約を外して考えると、武家で原姓は
いくつか見当たります。信長旗下には「原長頼」というのがいて、
旧齋藤家臣ということで光秀とつながりがありそうに思えます』とあります
「原長頼」氏は土岐一族。本能寺の変の後は柴田勝家に仕えた人物です。
一方、朝倉義景側室「小宰相の君」は、美濃斉藤家出身だったんじゃないかと。
…う〜ん…この話は無理だったか
523 :
522:2006/05/15(月) 00:03:34 ID:???
さらに自己レス…
「小宰相の君」…朝倉義景の前妻。鞍谷氏の娘。光秀が義景に仕えていた頃は
すでに死去していたよう。阿君丸の生母?
「小少将の君」…義景の側室。斉藤氏の娘。この少女に義景が夢中に
なったため、朝倉家は滅亡したと言われている。
朝倉家滅亡後、信長軍に息子共々殺されたんだって。
524 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/15(月) 12:28:50 ID:rLC8ue8B
三角関係のモツレでクーデターってどうなの?
今年の大河
三角関係の当事者濃も含め、
みんなで光秀に「信長は…」と吹き込んでるからなw
挙句の果てに千代まで吹き込んでたな。
522オバチャンの愛読書は歴読なんだね
大河ドラマ板の「こんな『巧妙が辻』はイヤだ!」スレッドにあったお話。
面白いんで、こっちにも貼っておく。
信長「よろこべい。そなたの娘の嫁ぎ先が決まったぞ。細川の息子じゃ」
光秀「は。忠興殿と玉は幼馴染でございますが、
しかし玉の方が年上でございますが・・・」
信長「不服と申すのか?」
光秀「いえ、ありがたき幸せにございまする」
その頃、細川家では・・・
藤孝「よろこべい。明智の所の玉姫と婚礼が決まったぞ。」
忠興「やだ!」
藤孝「なぜじゃ?幼馴染で知らぬわけではないだろう。」
忠興「忘れたのですか、父上。子供の頃から私が玉にどういうことをされたか!
侍女たちの前で、フンドシ丸ごとハカマをずり落とされ、フルチンにさせられるわ、
かくれんぼしていたら、勝手に帰られて一人ぼっちにさせられるわ、
ケンカをしてもことごとく負かされるわ、勉強でも完璧負かされるわ、
各種秘密はばらされるわ、一度なぞ、父上の大事にしていた茶碗を壊したことを
ばらされて、それがしはえらく怒られましたぞ!それからそれから
(過去の思い出したくないことを小一時間)・・・というわけで、この婚礼は
絶対にお断りします!」
藤孝「忠興・・・」
忠興「はい。父上」
藤孝「人生の先輩として言う。諦めが肝心じゃ!というわけで、
もう全ての準備は終わったからよろしく。」
忠興「orz」
こんな場面があればいいんだがね。
528 :
522:2006/05/16(火) 16:41:06 ID:???
なんで「朝倉義景の側室が、義景の死後、光秀の側室になる」という、
トンデモ設定を思いついたかと言えば…
朝倉義景の側室「小少将の君」は、斉藤家の娘。
ひょっとして、美濃斉藤家ゆかりの姫君じゃないかって思ったので。
朝倉義景の父方祖母は、美濃斉藤利国の女。 当時は、美濃の土岐政頼(土岐頼芸の兄)が、後の斉藤道三に追放され、
越前に亡命していました。その政頼に従って来ていたのが、斉藤利国。
小少将の君が、朝倉義景の側室となった頃は、 美濃斉藤家は織田信長と最期の戦いをしていました。
そこで、「小少将の君」は、 斉藤家をはじめ、「朝倉家は美濃斉藤家を積極的に救援すべし!」派から、
義景を説得させるため、与えられた姫君じゃないかと、考えたんです。
しかし義景は、美濃に派兵して、織田家と戦う気など、全くありません。
そこで…
小少将の君「ねえ、義景さま〜。おねがい、尾張を攻めてぇ〜 織田家をめちゃくちゃにしてぇ〜」
義景 「おわりってどこ? (小少将の着物に手をいれながら)
…ここかな? 小少将ちゃんをめちゃくちゃにしたいな〜」
小少将の君「…違う…いやぁ〜ん…」
小説などでは、義景は、若い小少将の君を溺愛し、政治を忘れたように
書かれています。
しかし、案外、義景は小少将の君のことを好きでもなんでもなく、
しかし、「美濃を救援しろ!」派の目があるので、表面的には小少将の君を
可愛がり、一方の小少将の君も、実家の兄や父の命に従い、義景に対し
誘惑的に振舞いながら、美濃に救援の兵を出させようとした…
そんな関係だったら、面白いなと思ったのです。
(続く)
529 :
522:2006/05/16(火) 16:52:24 ID:???
信長の美濃攻めは成功し、信長は稲葉山城を岐阜城と名を改めます。
さらに、足利義昭を奉じて上洛します。
おそらく信長に帰順しなかった美濃衆の中には越前に亡命した者もいますし、
後に土岐龍興も、越前に亡命します。
戦嫌い(といっても、平和主義者じゃないよ。「臆病」とも違う)の朝倉義景も、
いつかは信長と雌雄を決する時が来ることを覚悟していたでしょう。
だから側室・小少将の君の人脈を通じて入る、美濃衆や信長に関する情報は、
義景には役にたったと思います。
義景が小少将の君を大切にしたのは、そういう背景があったんじゃないかと。
(というのか、個人的には、朝倉義景を「側室との愛に溺れた、タダのバカとの」には、したくないので…)
続く
530 :
522:2006/05/16(火) 23:37:03 ID:???
なんで、朝倉義景を「バカ殿でない」と考えたかと言えば…
まず、一向一揆対策の巧みさ。
義景は、永禄7年(1564年)、自ら総大将となって加賀に出陣し、南加賀の一部を支配下に置きます。
永禄9年には、家臣の一揆側内通によるモメゴトがあったものの、義景存命中は、大規模な一揆は起こっていません。
実は、越前には、昔、連如がきずいた「吉崎道場」があって、一向衆の力が強い所だったのですが。
朝倉家滅亡後、信長がこの地を支配するようになってから一揆衆の力が強まり、ついに天正4年、一揆鎮圧のため、4万人もの男女が、信長の兵に殺されます。
違う見方をすれば、義景を含め、朝倉家がいかに巧みに、一向宗徒を治めていたかが、分かると思います。
もう一つは、越前の経済的な豊かさです。
おそらく日明貿易に力を入れ、財力を築き上げていたのでしょう。
経済的には豊かだった越前ですが、「戦争向き」の豊かさではありませんでした。
今でも軍事力を持てる国とは、つまるところ「石油がある国」であるように、
この時代は「兵糧米が確保できる」国でなければ、長期の軍事活動は出来なかったのではないか?
その点、越前は、冬に麦の裏作が出来ず、(その分、製紙・織物など、家内手工業が盛んだった)、
いざ戦争となれば、年貢米の徴収が難しかった(下手すりゃ、一揆が起こる)のではないか?
もちろん、積雪による「補給」の問題もありました。
だから、対信長戦における「いい加減さ」は、
朝倉義景の性格によるものだけでなく、朝倉家全体の「厭戦気分」を反映したものではないか…考えてます。
(もし、義昭を奉じて上洛したり、信長軍を壊滅させて将軍の後見をしたりすれば、どれだけお金がかかったり、民に負担をかけ一揆を誘発したりして、たまったものじゃない!)
軍事活動に力を入れるかわりに、「文化」活動で、「国威発揚」を行なった…それが朝倉義景の「したこと」だと思います。
つまり、「現実的」「戦略的」な「平和主義者」。
もちろん理想の君主ではなく、光秀の目から見ると、「人民の生活をかえりみない為政者」でも、あったでしょうが。
531 :
522:2006/05/17(水) 00:02:42 ID:???
公式には、義景の実母および側室の小少将の君、そして嫡男の愛王丸は、
天正元年(1573年)8月26日、越前の今庄・帰里というところで、
丹羽長秀によって刺殺、お寺で焼き殺されてたことになっています。
(予定では、京に連行することになっていた。信長のことだから、
残酷な刑を、考えていたんでしょうな)
ところが、愛王丸には、「生存説」があります。
新潟県に「越前浜」という地名があり、朝倉家家臣の斉藤・小川・金子氏は、
愛王丸を連れ、その地に逃げ、越前を偲んで、その浜の名で呼んだとのこと。
(詳しくは新潟の、「巻高校同窓会・巻タリアンニュース」のサイトを
お読み下さい)。
と、すれば…
光秀が、美濃斉藤家ゆかりの女が信長の手によって残酷な刑で殺されるのを
恐れて、こっそり匿ったことだって、ありえるんじゃないかって思ったのです。
光秀は、坂本城とは別に、京にも邸をもっていたので、そちらのほうに、
この教養豊かな姫君を置いたかも、しれません。
で、信長に知られないよう、「自分は愛妻家だから、他に女性を置いていない」
ということを強調したり、その女性の出自を「公家の原氏の娘」と偽ったり
したのではないか…
別に光秀と派手なロマンスはなかったが、こういう話をちょっと考えてみたんですw
532 :
522:2006/05/17(水) 00:22:35 ID:???
なお、今回、朝倉家については、
「越前若狭歴史回廊」のサイトからの情報が、大いに参考になりました。
また、「巻タリアンニュース」の、「愛王丸生存説」も、涙無しには読めない、いい話です。
普通、朝倉家滅亡後のエピといえば、「信長が義景の頭蓋骨に金箔塗って器にし、
光秀に酒を飲ませる」場面が出てきますが…これもどうせ「作り話」でしょ?
個人的には、朝倉義景を「裏切った」、義景従兄の朝倉景鏡の最期なんか
ぜひ、感動的に描いてほしいですねえ。
朝倉景鏡は義景を「裏切って」、義景を自刃に追い込み、その首を手土産に
信長に下ります。その後、景鏡は信長の家臣となり、姓も「土橋」と改めます。
そして、天正3年(1575年)の越前一向一揆との戦いで戦死します。
これは個人的な見解なのですが、景鏡は、何とか朝倉家の血筋を残そうと、
信長に下ったのではないか?
しかし、かつて自分達が治めていた土地の民百姓と刃を交え、戦死する…
その胸中はいかばかりだったでしょうか?
533 :
522:2006/05/17(水) 00:24:38 ID:???
まあ、ツッコミどころ満点の話なので、手厳しいご意見、期待しています。
書き込みが少ないので私物化できて楽しそうですね!
535 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/18(木) 08:36:08 ID:N+AI9ssT
そう思うのだったら、オマエさんも書き込めヨ!
感想でも、情報でも、アイディアでもw
明智好きな人って、片寄っている感じがする。
光秀=悪逆人、という印象が現代ではすでに薄れつつあるにも関わらず
「誤解されてて気の毒。でも自分は理解してるから!」
というヲタ的自己満足に浸ってるような気がする。
学校の日本史なんかの授業で
このままいったら信長が天下とれたのに、光秀の謀反のせいでとれなかった。
ということしか教えない限り、
完全に悪いイメージを払拭するのは不可能かと。
538 :
名無しの制作委員:2006/05/18(木) 21:18:48 ID:N+AI9ssT
>>536さん
>>537さん、いいアドバイスをアリガd!
そうだよな。このスレッドの書き手さんも読み手さんも「光秀ファン」が
多いだろうから、ヲタ的自己満足な話の展開に陥る可能性は高い。
だから、
>>536さんや
>>537さんのアドバイスは肝に銘じて置かなくちゃ。
539 :
名無しの制作委員:2006/05/18(木) 21:24:57 ID:N+AI9ssT
それと…前からワシが気になっていたことだが、
他の板のスレッドでいいアドバイスがあったんで、こっちに貼っとく…
638 :日曜8時の名無しさん :2006/05/18(木) 15:13:37.14 ID:AeFDFKTm
明智光秀主役で大河をやって、「嫁さんが髪を売る話」だの、
「光秀は生涯側室を持たなかった」話だの、「母親を人質に出して、
信長のせいで殺された話」だの、ぜーんぶを「後世の捏造」だからって
やらなかったら…視聴者は納得するのか?
641 :日曜8時の名無しさん :2006/05/18(木) 16:14:47.74 ID:NEzPc9w3
>>638 史実うんぬんの問題じゃなくて、インパクトの話じゃない?
誰でも知ってる有名な逸話を、あっさり無視して脚本書くのは、
なかなかできそうでできない。
特に、山内一豊は、馬買いの話のみで知られてるようなもんなんだし。
そこに挙がってる明智光秀のエピソードは、なくても別に視聴者は
不満はないと思う。
むしろ、家康の接待役で信長の勘気を蒙ったとか、連歌で謀反を
示唆したとかの逸話や、「敵は本能寺にあり」の台詞がスルーされた
場合のインパクトに近い。
悪いイメージってだいぶ薄れてると思うけど?
後世の創作でも、歴史的に影響のないエピソードなら納得して見る。
「千代のヘソクリ」「三本の矢」の類なら似たことやった可能性だってあるだろうし。
何よりもそれがダメなら、会話自体全部、後世の捏造でドラマにならない。
「三本の矢」は三兄弟への遺言という設定は、歴史的に重大な間違いなので不可。
(遺言ではなく元就健在時の発言とすることや、隆元ではなく輝元なら可)
よって光秀の「嫁さんが髪…」は余程の事情がなければ可、
「光秀は生涯…」は側室の存在が史料に明記されてなければ可、
「母親を人質…」は微妙、母親の生存年代が判明すれば不可。
542 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/18(木) 22:01:30 ID:N+AI9ssT
ワシもそう思うw
最近のドラマ・小説では、朝倉義景をはじめ、
今川義元とか足利義昭とか武田勝頼とかがバカ殿にされ過ぎ。
ここの書き手さんはガンガッテ、その辺りのイメージを払拭して
くれそうかも〜?
「桶狭間の戦い」は奇襲じゃなかったとか、
「姉川の戦い」で徳川軍が奮闘したは、ウソだったとか、
「比叡山焼き討ち」は、実はそれほどの規模じゃなかったとか、
「長篠の戦い」は実は「設楽原の戦い」で、三段討ちはなかった(ry
…いろいろ新見解はあるんで、それらを生かすのもよし。
まあ、これまでの「型」にはまらず、自由に(しかし史実は大切に)
考えれば、いいんじゃないの?
543 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/18(木) 23:23:25 ID:N+AI9ssT
ここと現大河見てれば、腐女子発送の老害ババアは光秀にとってマイナスにしかなりそうにない罠。
ここの住人って、義経の正室や武田信玄正室・三条夫人とかも好きそう。
546 :
551:2006/05/19(金) 20:02:08 ID:???
殿に衆道の色はござらぬ。
547 :
名無しの制作委員:2006/05/20(土) 00:02:46 ID:miWFHjfn
…ここの「司会役」の権限で、発言を…
「明智光秀」という人物は、本当にまともな一次史料が少なくて、
謎の多い人物なんだ。
「生い立ち」も謎なら、「本能寺の変」の動機も謎。その間も謎だらけ…
ただし、ここは「学術的な明智光秀研究のスレッド」ではなく、
あくまで「創作ドラマ(いちおう大河枠)の主人公としての光秀」を考える
スレッドなので。
謎が多い分、江戸時代以降の「創作」「捏造」エピや、われわれで考えた
「オリジナル・エピ」「推測エピ」なんかも加えなければ、ドラマにならん
じゃろ。そんな「創作」も、楽しい部分ではあると思うが。
で、「創作エピ」「推測エピ」の採用基準については…
@「面白い」「感動的」なエピであること。ドラマなんだから、
下らん話やつまらん話は、江戸時代の創作であれ、われわれが創ったもので
あれ、却下。
A「テーマ」や「物語の流れ」「これまで描いてきた人物像」に対し、
破綻や矛盾を来たさないものであること。
いくら「有名なエピ」であったり、「その場では感動できるエピ」であっても
物語全体の流れからみて、浮いたり、矛盾を感じさせたりするものは、
いろいろ考えたり、練ったり、場合によっては却下したりする。
B他の歴史的事実とつじつまが合うこと。時代考証に合っていること。
この三つが基準になる。…で、何が「面白い」エピなのか、
はたして「テーマ」や「全体像」と合っているかなど、決定するのは
このスレッドの皆さんの声だ。
まあ、そういう結論で。
548 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/22(月) 11:37:49 ID:jc3l5c3L
舘ひろしが「光秀を好きか?」って聞いてたけど
ここの住人はみんなYESって答えるんだよな。
一流歌舞伎役者と人気女優が演じてるからなんだか色っぽいけど、
光秀50歳代、濃姫45歳。現代で言えば60歳代くらいの感覚だろうな。
550 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/23(火) 17:42:52 ID:Dx6djZFg
今回の大河の光秀、結構いい線いってるんじゃない?
役者も光秀の実年齢に近いし。
信長の改革路線に8割型賛同してその信頼を受けながらも、行き過ぎた残り2割に疑問を抱いていく。
古きものの中にもある良き伝統の守り手としてある意味信長と刺し違える男。
信長も本能寺で自分を討つのが光秀と知り、最も信頼した男に反旗を翻されたと知って笑うしかないって感じになるんだとか。
浅井長政の悪夢再びだな。
歪められたサディスティックな愛情があったように思う。
脇に昔の恋人だったお濃の方とのプラトニックラブという要素も盛り込んで、魅力的な人物に仕上げている感じ。
大人の純愛と男としての義・大分の狭間を演じられる大人の役者で良かった。
なにより肖像画にそっくりだよ。
551 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/23(火) 17:58:05 ID:iw1BJwCO
「功名が辻」の公式本前編の三津五郎のインタビューが結構気に入った。
近年、光秀のイメージもかなり回復されてきているようだ。
演じる役者も二枚目ばかり。
これまで光秀が受けたとされる辱めは、実は殆ど秀吉が受けたものだったのを、秀吉が後に作り変えて流布したと言う説まで出てるよね。
信長のあり方も、光秀の憂国の思いも、どちらも同じように歴史には必要だったと思う。
信長ファンも光秀ファンも共に満足できるような大河ドラマが見たいよね。
552 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/23(火) 22:00:14 ID:squJAovw
榎孝明が、明智光秀がすごく好きで、かなりイレ込んでるってね。
浅井長政役はすごく清廉潔白で良かったが、彼が光秀を演じたらどんな感じかね。
昔の大河の「国盗り物語」の近藤正臣・光秀の頃からすでに、
謀反者・悪逆者という単純な印象は薄れつつあるもんだけどね。
村上弘明とか2枚目役者も続けて演じるような人物だよ。
昔のイメージのまま固まってるのって、歴史に興味のないような人、
時代・歴史小説や大河に興味の無い人たちだよ。
光秀好きな人たちって、実は「いつまでも悪者扱いで誤解されてる人物」
というイメージが完全に払拭されたら、そらはそれで不満なんじゃないかな。
「自分達だけ」が理解してあげていた光秀がみんなに支持されたら
何だか冷めちゃうかも・・・wみたいな屈折した感情もあるんじゃない?
あなたも屈折した考えの人ですね。
556 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/24(水) 05:17:12 ID:wZ2EVjVx
子供の頃に初めて見た大河が国盗り物語だった。
今までと違った解釈という触れ込みで新聞にも特集記事があった。
当時には珍しく、現代人に近い感性を持った人物とあり、今の時代に生まれていたら良い政治家になってたに違いないとか言う内容だった。
生まれる時代を間違えたナイーブ過ぎた悲劇の武将と当時思ったものだった。
才能ある人なのに信長とウマが合わないというだけでこんな辱めをうけるのかとも思った。
しかし大人になってから光秀が信長にもっとも信頼されて異例の出世をしていた事を知った。
今では光秀は、信長と共に改革という事業の片腕を担って来たけど、信長が行き過ぎたので刺し違えたと思ってる。
信長は大きな歴史という手に選ばれて天下統一一歩前まで突き進んだが、用が済んだので歴史の手に寄って消されたという説もちょっと信じてる。
ナポレオンのように。
光秀を悪いイメージで見ている人なんて今じゃほとんどいないんじゃないの?
ドラマでも二枚目多いし、知的で風流人、愛妻家に描かれてるしね。
むしろイメージ良すぎるくらいだよ。
558 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/24(水) 12:47:36 ID:gfTCfCoC
この前のショーケンで著しくイメージダウンさせたがな
559 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/24(水) 12:48:01 ID:wZ2EVjVx
戦国無双2の明智光秀。
なんか「乱世を斬る!」とかってスゴイね。
乱世を終わらせるために信長は必要な人だと必死で守り、本能寺では行き過ぎた信長を倒そうとする。
それはいいが、何故にこういうのの光秀っていつもロン毛で美形の若武者・・・
何故か長篠の合戦に参加し、真田の城が取られたことから始まった小田原攻めでは人ごとのようにうらぶれてる真田幸村よりマシだが。
560 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/24(水) 12:56:41 ID:wZ2EVjVx
若い日のショーケンならいざしらず、なんかイメージじゃなかったね。年取ってても黄金の日日の内藤さんとか今回の三津五郎さんとか素敵なのに。
描き方もなんか「秀吉」と同じ作家と思えぬ描き方だったよ。
コーエーはダンディなおじさまの良さを理解できない厨房。
でも、コーエーのお陰でリアル厨房の光秀ファンが増えたりなんかして。
コーエーにかかれば
明智光秀も、浅井長政も、蒲生氏郷も、直江兼続も、真田幸村も
みんなジャニ系。
絵に描いたような美男子だけがカッコイイ男じゃないんだぞ。
肥には
しま さこんという渋親父キャラがいるのを忘れていないか?
>>560さん…
同感。たぶん『原作付きか、そうでないか』の違いでしょw
ケケ山さんは、「としまつ」「テンカ」以降、仕事してるの?
>>554 ああ、そういう気分みんな持ってそう。
「他人は誤解してるけど、自分だけはわかっているからね!」ってタイプ
それで、人気がでると嫌になるんだよね、きっとw
>>557 マイケル富岡もイイ奴だったよね。悩める光秀。
>>565 「とし松」「添加」以降の登場がなくて、ホッとしてるよ。
竹山さんも「秀吉」は良かったのに。
村上弘明の光秀好きだった。
渡信長も良かったし。
としまつも信長・秀吉・家康の描き方はすきだったんだけどねえ。
信長には類い稀な斬新性と時代の先駆者としての面と、残虐さの二面性があるから魅力もある。
その信長の「革命」の一番大将として活躍し、朝廷とも足利との連絡係も果たした光秀。
破壊神としての役目を信長が終えたときにその光秀が終止符を打ったってのは大きな歴史の流れから見た時に大きいと思う。
実は戦国末期の3傑より武田・上杉のような山の神のような豪傑が好き。
伝統美を感じるから。
明智の水色桔梗も、土岐源氏の象徴と聞く。
革命と伝統文化の保護は、バランスが取れていてほしい。
今の功名が辻の光秀はその辺が感じられて好き。
三浦綾子の「ガラシャ夫人」の光秀もなかなかいいみたいね。
ガラシャ夫人と言い、西洋の王子王女のようだったと言われた他の子ども達と言い。
子を見れば親が判るというが、いいかていだったんだろうなと想像。
568 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/26(金) 14:58:30 ID:H4YkviuN
毎回、途中で離脱していく光秀。
確かに、光秀メイン一年間てのも、おもしろそう。
てか、斬新な視点でいいね。
気持ちはわかるが、裏・織豊モノになるのが目に見えてるのね。
浅井三姉妹と同様だよ。
でも、光秀を主人公にした小説もいろいろあるし、大河で見てみたい。
光秀を主役にすれば斉藤氏や土岐氏や放浪時代や足利や朝廷の話が盛り込めて面白いかも。
572 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/27(土) 14:11:11 ID:A5j2OeNi
三津五郎いいこと言う!
やっぱり大河の影響は絶大だよね。
幼い日に近藤@光秀を見て以来、光秀には心優しき繊細な理想主義者のイメージを持ってた。
なんで価値観が合わないだけでこんなに人前で辱めを受けなければいけないのだろうと悲しくいとおしかった。
信長は信長で魅力的なだけにね。
今の三津五郎@光秀は、たとえどのようになろうと三秀殿の思うとおりになさいませとお慕いしたくなる。
574 :
名無しの制作委員:2006/05/28(日) 10:03:44 ID:Y4z9LnN5
…このスレッドを最近から読み始めた方へ…
冒頭にもあったように、このスレッドは最初は大河ドラマ板にあって、
「明智光秀を大河の主役にすべく、皆でストーリ展開からキャスティングまで
考えてNHKに企画書・要望書を提出しよう!!」という目的で建てられたんだ。
…で、その時点であった、有力な意見は、「本能寺の変の原因は、これまで
ドラマでよく描かれていた、信長の光秀イジメによる『怨恨説』以外のモノに
しよう」というものだった。
ところが、その頃のコテハンさん達は、
>>554さんのおっしゃる通り、
「ボクだけが光秀どのの気持ちを理解できる」状態になって、
しかも「ボクだけ光秀どの」のイメージが個々に違って、結局あまり有意義な
議論ができない状態になってたんだ。
…で、このスレッドを見守っていたワシとしては、
何とか皆の意見をまとめて、「光秀主役の大河ドラマの企画書」を
完成させたいし、大河ドラマ化が無理なら、せめてこのスレッドで集めた
意見・アイディアを元に、光秀主役の小説orコミックの形で、
「陽の目を見る」ようにしたいんだが。
575 :
名無しの制作委員:2006/05/28(日) 10:21:33 ID:Y4z9LnN5
もし、「明智光秀主役の大河を観たい」と思われる方は、
是非このスレッドにご協力いただきたい。
明智光秀という方は、皆さんご存知の通り…
・生い立ちが不明。前半生が不明
・その名を歴史に残すこととなる「本能寺の変」について、
動機が不明。変後の動きもワケワカランところが多い。
さらに…
・本当に史料が少ない。信長家臣になってからも謎多し。
・ウラ「織豊モノ」にしようにもあ、光秀は「姉川の戦い」をはじめ、
「長篠の戦い」など、織田家の大きな戦いには意外と参加していない。
・家族・家臣とのエピ、および民政に関しては、伝承レベルだが、
いい話がいっぱいある。
以上のことから、「皆でストーリ原案を考える」のに、ピッタリな
素材なんだよ、「光秀」モノは。
で…議論の方法としては、当面はアイディアを膨らませ、多角的に
観ていくため、「できるだけ、他人の意見を否定しないで議論する」
ようにしていきたい。
つまり、「私は、光秀の性格は○○タイプだと思います」
という意見に反論がある場合、「○○タイプ、違うなあ〜」と
切り返さず、「自分はむしろ△▼タイプだと思う」という形で
書いて欲しいんだ。
ある程度、意見が出たあとに、
その意見を絞る方向で議論を進めるから、
今は、発想を広げ、いろいろ書いて頂きたい。
以上!
今の大河で明智光秀を演じておられる三津五郎さんも昨日言っておられたが、歴史は勝者の歴史。
その中で敗者の言い分とそこにあった筈の美学と言うものを演じたいて言っておられたが。
明らかに忠臣だったり君主だった石田三成や武田勝頼は豊臣・武田の滅亡の責任をとらされてなかなか復権しないけど、光秀だけは割と昔から天海上人説があったりしてひそかに庶民に慕われて来ている気がする。
怨恨説も、光秀は逆臣の汚名を着せられたけどあの比叡山焼き討ち等した恐ろしい信長様にこんなに虐められていたから可哀相だったんだと弁護しようとした庶民によって形が整えられて行ったような。
秀吉も晩年信長の強硬なやり方を批判している(自分も晩年は横暴なのだが)。
歌舞伎などでも「武智光秀」は逆臣でありながらかなりかっこ良く見えるように描かれているとか。
本能寺も光秀による乱でなく時代の変革を意味する「変」であるのも面白い。
確かに今でも「信長が生きていたら日本の近代化はもっと早まっていた」とする説はあるが、逆に「天魔信長の暴走を光秀が止めた」とする説も有力。
信長の死は歴史の必然とする向きも高い。
(続く)
577 :
名乗る程の者ではござらん:2006/05/28(日) 11:30:31 ID:RQ5y2jL6
(続き)
光秀に関しては司馬の国盗り物語が一番影響力高そうだけど、「細川ガラシャ夫人」で三浦綾子もかなり光秀に関しては筆を割いている。
また黒幕説によってダ・ヴィンチコード並にいろいろその動機を推測されているね。
かの家康饗応事件のフロイスが見たという信長の光秀セッカン事件も、家康毒殺を明智が拒んだことによる騒動とする説が。明智光秀というテーマはかなりタイムリーかも。
まあ現代の企業体なら、ともかくあの戦世の時代に、信長みたいな部下のリストラやったら、アポーンされるのは当たり前だわな。
そもそも、林も佐久間も元々は土豪だから、現代のリーマンみたいに株式会社織田に就職して管理職まで出世したって連中じゃない。
系列企業の下請けのおやっさんだ。
だからリストラするにしても、元々の領地の分だけは本人かその親族に返すのが 当時の常識。
この原則は前田や柴田、丹羽、村重らには当てはまるんだな。
ただ、織田家の場合、秀吉、一益、光秀なんて連中は、純然たるリーマンだから、林や佐久間みたいな扱いをされても文句は言えない。
信長が大馬鹿なのは、リストラの仕方を間違えた点と、リーマン連中に、「下請け工場のおっさんの家も財産も年金も役に立たなくなったら奪い取るんだ」「ましてやただのリーマンの俺たちの末路は」って、思わせた点だな。
それこそ「危ない主人はぬっころすのみじゃぁぁぁぁーーー!」って光秀や秀吉は思ったはずだ。
そして光秀は「今がチャンスだ!ぬっころせぇぇぇ!」ってなったんだ。
…以上の引用文、歴史学的に見て、正しいの??
(これが「当時の常識」からみて正しければ、光秀も秀吉もビビッたでしょうね
579 :
001:2006/05/28(日) 21:09:33 ID:???
今夜も大河見ました。
今回の『功名が辻』の光秀像は、『国盗り物語』を脚色したもの。
また、考証の小和田センセ、二木センセとも明智光秀が専門だから、両センセが何か手を加えておられるかなあ?
次回は、『光秀転落』とのこと。察するに愛宕百韻?
580 :
002:2006/05/28(日) 21:13:09 ID:???
しかし、まだ本能寺までは時間がありそうだ。
「国盗り物語」の設定借りなんて、
みんなとっくに気付いていたわけだが。
583 :
003:2006/05/29(月) 00:54:50 ID:???
改めて書いたまで。ようは、大河で同じ演出が繰り返されていることが問題かなと。
でも、国盗りの設定をかなり膨らませてると思う。
大河板にまでスレ宣伝を書き込まないで欲しい
586 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/02(金) 20:34:24 ID:NSlk9BX6
光秀がなんでイマイチ冴えない評価しか得られないのかというと
「主君を殺した」から、というより
信長暗殺後、自分が天下を取る、というゲキを飛ばしたのに
誰一人それに従わなかったからだと思う。
「明智の三日天下」という言葉の情けないこと・・。
あの時期みんな、マジで信長に嫌気がさしていただろうに、
なんで光秀はその勢いに乗れなかったんだろう?
587 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/02(金) 23:02:53 ID:EpBN8LhE
どうなんだろうね。
準備のないまま、今しか機会がないと思いつめたからと言う気がする。
早くから計画していたら、毛利と組んで挟み打ちしたら勝てたと思う。
実際あの当時は信長が恐ろしかったから手が出せなかっただけで、信長さえ倒れれば、誰が正義でも悪でもとにかく強い奴について我が領土を守る日和見が多かったと思う。
で、負ければ三日天下も必然。
多分光秀って天下を取る為に信長を倒したんじゃない気がする。
弱肉強食の当時の多くの武将達とはもしかしたらヴィジョンが違っていたのかも。
588 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/02(金) 23:29:39 ID:uD7pFax4
秀吉が早く帰って来すぎたってのが一番大きいのかな。
下克上の世だ。
信長が倒れた後は勝ったもんがちでしょ。
みな、信長に逆らう勇気はなかったけど明智に向かっていく勇気はあったってことだ。
信長を倒した男を倒せば自分こそが天下取りじゃないか。
その新しい天下取りに逆らって、結局滅びたのが柴田勝家。
589 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/02(金) 23:57:27 ID:NSlk9BX6
>>587 光秀って天下取るために信長を倒したんじゃない気がする・・
・・そのわりには、本能寺の後細川忠興に出した書簡では
「あなたには攝津を差し上げます、望みなら但馬・若狭もあげます」
なんて、早くも天下人気取りの領土さばきをしているよ。
合戦で正面きってぶつかって信長を倒したんじゃなくて、
気に乗じてコッソリ暗殺した・・っていうのが
世間の指示を得られなかった理由なのかもね。
590 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/03(土) 00:20:04 ID:g6CS+yMF
そりゃ本能寺後は例えどうでもそう根回ししなければまずいだろう。
それに当時は正面切らなければどうのという考えはないと思う。
策略で寝返らせたり、そりゃもう色々。
桶狭間も長い事酔い潰れた今川の寝込みを織田が襲ったと思われて来たんだな。
その信長が同じ死に方をしたので油断して慢心したとも言われている。
そもそも信長が今みたいに注目されたのは太平洋戦争後で、比較的新しいんだな。
591 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/03(土) 00:31:01 ID:lGvpoc6W
江戸時代から「光秀=天海上人説」があったのは興味深いね。
徳川家康が「明智光秀に見習え」と水野に明智の紅槍を与えるなど、光秀を評価したからなのだろうか。
>そもそも信長が今みたいに注目されたのは太平洋戦争後で、
>>590 そうでもない。歴史自体が一般層に敷衍したのが近年だというだけでな。
幕末の君主、山内容堂が自らを信長の器だと法螺吹いてみたり、
かなり昔から信長が英雄という概念はあった。
信長に関しては、確かに今が一番ニュートラルというか狂信的な信者もいる代わりにワンマンで最後にツッ転ぶ代名詞としても使われるね。
最後に勝つのは忍耐の家康或はタヌキオヤジ家康。
明治以降は秀吉が圧倒的に持ち上げられたのかな。
太閤記を読んだりすると信長との関係が凄くよく書かれているから信長のイメージも一緒にあがる。
そんな秀吉も近年ではしたたかな政治家としての面が大分知られて来た。
太閤記の嘘も大分知れて来た。
明智に関する資料もどれだけ秀吉に潰され書き換えられたかわからん。
結局は私たちが教科書で学ぶ歴史は勝者の歴史なんだな。
日本は島国だからその謎はダ・ヴィンチコード以上だな。
国盗り物語では,信長に屈辱を与えられて殺意を抱いたり,精神的に
まいってたりしていたのが本能寺の変に至る主要因のように描かれて
いたけど,この大河の三津五郎の光秀は,信長に折檻されても「殺し
てやる」とか心の中でも言いそうにない感じ。
595 :
004:2006/06/04(日) 05:40:17 ID:???
信長人気が急速に上昇したのは、戦後であるのは間違いなく事実。
GHQが当初、時代劇の映画製作を禁止したのはご承知と思う。
明治から戦前・戦中まで圧倒的に人気のあったのは秀吉。
理由は海外進出を行ったから。秀吉は朝鮮・明だけでなく、
スペインのマニラ総督に通牒も出している。
GHQが敵視したのは秀吉人気。
時代劇解禁をしたGHQは信長と新選組をまず許可した。
様々な説があるが、米軍と同じく「日本人」をジェノサイドに
殺害したのが理由と言われているがほぼ間違いないだろう。
山内酔堂が自分を信長に例えたのは、吉田東洋の『日本外史』の
講談に影響されたもの。どうせ、酔っぱらって聞いていたから、
狂人・信長に惚れたという説がある。
司馬遼太郎は『国盗り物語』、戦後日本人が光秀を通して見た
戦後の信長像を描いたので消極説を採用している。
が、一方で司馬は『街道をゆく』では「丹波亀山城の城主となったもので、
天下なにするものぞとならないものは、詩的創造心がない。」とも記す。
連歌を好んだ光秀に詩的創造心はないはずはない。
これにより、司馬は「本能寺の変」は光秀・ノイローゼ説を唱えながら、
野望説をも考えていた可能性が高いと思われる。
その辺りを小和田哲男がどのように時代考証を加えたかで三津五郎の光秀は
影響を受けると思う。
>>594 譜代の忠臣みたいに捉えられてるよね、ちょっとイメージと違う感じ
光秀の性格は、仕えた奴が気に食わなかったら積極的に殺そうとは思わなくても
他の奴を立てようって感じだとは思っている
597 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/04(日) 12:46:30 ID:yNEU3bFo
三津五郎の光秀はまず天下万民の幸せありきで、その為にかつて足利将軍に忠節を尽くす。
次にこれからは信長こそが天下統一をして改革をしてくれるのだと信長の片腕として忠義を尽くす。
同時に日本人の心の拠り所である帝の忠臣でもある。
信長のやり方が日本という国をそれこそGHQばりに日本をブッ壊してミニアメリカ(当時ならヨーロッパ)にしてしまうことを怖れたのではないだろうか。
だから光秀の忠臣ぶりは、目の前の領主に対するものじゃなくて、もっとその奥の天下万民に対するものなのかなと思う。
598 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/04(日) 12:55:51 ID:yNEU3bFo
だから、自分がされたことについては何をされても耐えるんだと思うのよ。
だが天下万民のためによくないと思えば、懐いてくる将軍チャマ(三谷)も涙ながらに将軍職から下ろす。
そういう感じだと思う。
>>597さん…
禿同。光秀こそ、本当の意味での「公」「天下」というものを
知っていたと思う。
天正8年以降、光秀に大きな戦の機会がなかったことから、
「光秀は秀吉との出世競争に焦っていたのじゃないか」と
考えている人もいるが、そうとも限らないんじゃないかしら。
むしろ戦の機会が無いぶん、丹波の治政に力をいれることができた。
光秀は丹波を上手く治めることで、民政においてモデルケースになるよう、考えてたんじゃないかしらん。
光秀が日本の民政において福祉政策を取り入れた先駆者と言われているらしいね。
信長ってなんかパパブッシュとかぶるな。
強い国家を作る為には手段を選ばない感じ。
敵と見做せば虐殺を厭わない狩猟民族の匂いが信長にある。
602 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/04(日) 21:35:06 ID:Ah5T1Z0P
今日のNHKのど自慢は京都・福知山市からだったね。
最初に司会のアナが市の紹介で福知山城、そして光秀
のことに触れていたが、「地元では名君と呼ばれる明智光秀」
という言い方をした。「地元では」という前置きは、もはや要らないだろう。
603 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/04(日) 22:50:50 ID:yNEU3bFo
今日の大河じゃ「刺し違える覚悟」と六平太が説明してたね。
三津五郎の演技で判ったが、視聴者説明としては良かった。
最近は説明しなきゃ判らん人間も多いから。
高橋秀樹・信長の「国盗り物語」においての描き方で
すでにイメージ良くなってると思うんだけどね。
みな大和屋を持ち上げ杉。
いや、イメージがいいか悪いかより、今回の光秀像が気に入った。
イメージが最初に上がったのは確かに近藤正臣の光秀。
当時大きく「新しい光秀像」として新聞に取り上げられたから覚えているよ。
ただ、従来の光秀って守ってあげたくなるような繊細な美青年のイメージが強かった。
それはそれでいいんだけど、天下万民のために刺し違える光秀が今回の大河で描かれたのは大きいよ。
勿論、最近の海老蔵の舞台の光秀が天下の為に本能寺の変を起こした設定だったのも知ってる。
でも、美青年光秀も悪くないけど、実年齢に近いってのがいい。
このくらいの年齢の方が「天下万民の為に」と言うのが渋く伝わってくる。
冷静で風流人で領民にも非常に慕われていた「あの」明智様が何故って感じがよく出ていた。
三津五郎さん、大人の色気のある光秀だったね。
近藤さんが細川藤孝役で隣に並んでたのが不思議な感じだった。
近藤さんが光秀を演じた時は三津五郎さんまだ18歳だったんだなと思うと・・
607 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/05(月) 19:26:30 ID:Dz290Hgt
>>592 「敷衍」ってなんて読むんだ?
どういう意味なんだ?
無学なワシに教えてくれ。
608 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/05(月) 19:29:44 ID:NQm4FpQE
ふえん では?
609 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/05(月) 19:38:35 ID:Dz290Hgt
ふぇ〜ん(涙)
意味わからん
610 :
ドケチ光秀:2006/06/05(月) 22:04:30 ID:???
ぐぐるか、辞書引くか、すれば〜??
611 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/06(火) 00:00:00 ID:VI0qMXs/
敷衍には「言葉を加えて、詳しく説明すること」の他に、
「引き伸ばすこと」という意味がある…スレチガイスマソ
ところで…
一般に、織田信長は、商業重視の政策を推進したといわれている。
ところが、信長の跡を受け継いだ豊臣秀吉は、
「太閤検地」において、水田はもちろん畠・畑や屋敷にいたるまで、
米の石高で計算し、米で年貢を納める「近世のコメ本位体制」を作ったわけだ。
しかも、米の石高で土地を評価する検地は、信長生前にも少し行なわれていた。
コメ中心の「太閤検地」は、秀吉独自の案だったのだろうか??
もし、信長が「本能寺の変」で倒れなければ、「近世のコメ本位経済」とは、
違う体制になったのだろうか??
信長は「兵農分離」を推し進めた。
秀吉は「兵農分離」をさらに徹底させ、「在地領主」を廃止し、
さらには「商農分離」政策によって、ムラには百姓以外いない状態を作り上げた。
その上、百姓が商・工業に携わることを禁止した。
そして…「兵農分離」は江戸時代には武士階級の困窮化を招き、
かつ幕末になって、旗本を中心とする武士は、国防に何の役にも立たないことがはっきりし、
あちこちで農兵隊が組織された(例えば土方歳三故郷の日野など)。
結局のところ、もし信長が「本能寺の変」で倒れず政権を握り続けても、
この歴史の流れは変えられなかったのではないか…と、
ちかごろ、さまざまな本(文春新書「コメを選んだ日本の歴史」
新潮新書「金貸しの日本史」中公新書「秀吉の経済感覚」など)を読んで
調べているところ…
信長が本能寺で死ななかったら・・・
あくまで仮説だけど。
早い時期に朝鮮出兵が行われていたかも。
その場合秀吉のように失敗して引き上げればやがて信長の老衰を待った家康の天下に。
成功してアジア帝国を作り上げていたら、やがてイスラムか中国のような末路。
次々と独立戦争を起こされ、織田王朝は滅びて赤化していたかも。
ヨーロッパと戦争する可能性も。
エルバ島に流されていたのは信長になっていたかも。
いずれにせよ、朝廷のような間接支配じゃなくて絶体主義を目指したと思うので、その行き着く先は革命が起きて、社会主義国家か共産主義国家かな。
和の国日本の日本らしい大和の精神は失われていたかもしれない。
結局、信長のようなカリスマは一代限り。
せめて息子までは続いても、3代目でどうなるかは判らない。
天皇家が2000年続いたのは、ある時から自分で権力を行使する事をやめたから。
しかしお陰で日本は独裁者が出ずよかったのかもしれない。
栄枯盛衰。
この無常観を文学や茶道など芸術として今に伝えてきた日本の伝統文化。
大事にしなければと思った。
光秀はこのもののあわれを知る男だったと思う。
信長も、敦盛が好きでよく舞っていたのだから、当初は知らないはずはなかったのだが・・
614 :
ピノコ:2006/06/08(木) 00:07:30 ID:OEtdZZ4x
「あやべ市民新聞」の「あやべ西国観音霊場巡り(11)の記事で、
こんな話を見つけました。
”向田の観音さん”の通称で知られている長福寺に
観音さんが祀(まつ)られるに至った言い伝えを、
寺のお世話をしておられる真福寺(向田町)の大槻雅久住職が
話して下さった。
明智光秀が丹波攻略の際、家来の岡部山城守に今の別所を討伐させ、
戦賞として同地滝谷の聖観世音を与えた。
その像を持ち帰る山城守がこの長福寺で休息したところ、
像は地に根が生えたように動かなくなり、
霊験を恐れた山城守がここに観音様を泰安したという。
戦賞に観音像を与えた光秀さまって、いったいどんなヒトなんだ??
調べれば調べるほど、訳わかんねえ…
仏像マニアだったとか?
むしろ逆なんじゃないの??
どっかのお寺から戦利品として仏像盗んで、
「これを溶かして金にしろ!」ってコトじゃない??
昔の人の信仰心だと思う。
聖観音のご加護あれ!
>616 それじゃ信長のキャラじゃないか
619 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/08(木) 16:34:45 ID:OEtdZZ4x
でも、福知山城とかも、墓石や石地蔵が石垣その他に使われてるよw
まじ、思うのですが、もし「本能寺の変」のあと秀吉の大中国返しが失敗し、
その間に光秀が朝廷から
620 :
691:2006/06/08(木) 16:40:25 ID:???
しまった…事故った、スマソ
(上記の続き)
もし朝廷から征夷大将軍に任命されたら、
光秀は全国の仏像を集めて、それを鋳造して銭にしたかもw
そうなりゃ、「石高制」ではなく、「貫高制」になってたりして
621 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/08(木) 16:57:10 ID:ZPfl0kSU
つーか、光秀は信長を朝敵に貶めて討伐するようなマネは決してしなかったワケで
う〜ん…
大河ドラマ板の「坂東三津五郎」スレッドよりコピペ
もしも光秀が野心家であり野望の為に信長を討ったのなら…
信長を逆賊、朝敵として広く世間に喧伝し、自身の正当性を主張しただろう。
では何故そうしなかったのか?
光秀は誰よりも信長を理解し誰よりも信長を敬愛していた…
それ故に、暴走する信長を自らの手で食い止め、例え自分は謀叛人の汚名を着ようとも、信長の名誉と日本国の未来を守り抜いたのだと思う。
そうすることが…誠の忠義だと思ったのではないだろうか?
確かになんで光秀は、信長を「朝敵」とするような工作を打たなかったのか、大変不思議…
天皇の国師である快川和尚を信長が焼き殺した時点で「朝敵」にできそうなもの。
おそらく朝廷は、口先では信長に、「将軍・大臣・関白、お好きなものを」なんていいながら、信長を「朝敵」として追討する準備をしてただろう。
光秀は、信長に不満を感じつつも、一方では「朝敵」にしたくない気持ちもあった。
だから、先に「本能寺の変」を起こした…。
ただし、この仮説には欠点がある。
当時は「近代的な個人の人格の尊重」なんて観念はなかったワケで、
すべては「家」単位で考えられてた。
光秀個人の情念としては、「自分は謀反人の汚名を着ようとも」
「信長と刺し違える覚悟」はあっても、残された明智家のことを考えると、「謀反人」の汚名は着たくないよねえ。
ちなみに
>>614文中の「今の別所」とは京都府綾部市別所町のこと。
三木の別所氏のことではない。念のため。
結局、山崎の合戦で敗戦したのが全ての原因では。
勝てば官軍・負ければ賊軍。
その時点で歴史は塗り変えられる。
数100年経ってようやく見えてくる事もあるわけだけど。
夏以来、久々に覗いてみましたが、見事に復活されてますね。
読み応えがありました。
三津五郎さんの「光秀」は、現在の世間の一般的な「光秀」のイメージを最も体現しているように感じるのですが、
個人的には、もっと野心家で武人らしく明るい「光秀」も見てみたい。
光秀の人格や価値観は、必ずしも史実で明らかになっているものではないので、
時代背景を踏まえつつも、いま少し自由に解釈する余地があると思うのです。
敢えて光秀を主人公とするなら、人格的なイメージの「刷新」(「回復」ではなくて)も一つの方向性だと思います。
もっとも、今の光秀像を好んでいる方に受け入れられるかは難しいところですが。
627 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/09(金) 11:57:09 ID:UdRHGnco
後世から評価される際の“英雄信長像”を守りたい
これが、光秀の究極の理想であったとするのは面白い。
単なる戦後民主主義の観点で歴史を語るより、よっぽどスマート。
駆け出しのころは光秀も、また他の武将と同じ野心家であったと思う。
むしろ、その思いは秀吉や家康よりも純粋で強かっただろう。
それが、激動の戦国の世、多くの家の勃興を垣間見るうちに、丸くなっていったのだと思う。
もっとも、決定的だったのは足利将軍家に対する思いだったと思う。
自らの並々ならぬ野心が、信長という“破壊力”と足利将軍家という“権威”をめぐり合わせた。
後年の光秀は、自分のやったことが天下泰平のために正しいことだったのか、と悩んだと思う。
勝てば官軍なんだなというのを一番理解していたのは光秀だった。
それゆえに、保守勢力の破壊を押しす進めてきた信長が、このまま暴走を進め
朝敵に貶められること、ひいては海外の勢力と利害を争ううちに泥沼の戦争に突入する事態、
こういった後世から疎んじられる悪行を犯す前に、キレイな信長像のまま葬り去ろうと思った。
信長は十分、古い日本を破壊した。しかし、今の信長は暴走している、
今、彼の人生が終われば稀代の改革者と賞賛されるだろう。しかし、これ以上続ければ
“日本国を破壊せしめた天魔”と称されかねない。
この人間を魔物にしたのも自分、そしてその魔物の片棒を担いだのも自分。
魔物をせめて英雄として生かすには、自分自身がこの魔物の息の根を止める他ない。
いじめられまくってノイローゼになってやっちゃった。とか
三角関係のもつれでした。とか、そんなのよりよっぽど面白いと思うね。
結果として秀吉が大返しして来なければ土岐源氏の再興も叶ったんだものね。
正親町天皇の信頼も篤かったし。
一時でも水色桔梗の旗を京の都に旗めかせた。
なんか落ち着いたら自分は隠居して甥か息子に後は譲ろうとしていたという説もあるね。
まあ、実際そんな歳だしね。ただ、息子は事変前に夭折したのではなかったっけ。
>>629 嫡男の名は長五郎光慶。「変」のときは12歳。「山崎の戦い」のあと、
坂本城で自害。(たぶん、何か別の話か人物と記憶がごっちゃになってるのでしょ)
>>628 「変」の後、細川藤孝に出した手紙に、「自分は隠居して、婿である細川忠興
および嫡男長五郎に譲りたい。そのために『変』を起こした…」と書かれてた。
確かに隠居したい齢だけど、婚姻・養子を含め、
例え自分の「家」の中のことでも、信長の許可なしに出来なかったんでしょね…
>>623指摘の問題点を克服しつつ、
>>627の意見を生かす方法。
光秀 (秀満に)「ことが落ち着ちつき、征夷大将軍に明智家が任ぜられれば
お前は私を信長殺しの謀反人として殺せ。
織田家の遺臣から怨みを買わぬ、唯一つの方法じゃ」
秀満 「承知つかまりました」
その後、別室で…
斉藤利三 「私にはできませぬ! 伯父上の命を奪うことなど!」
秀満 「二条城で信忠とともに、美濃衆土岐一族をことどとく
討った。わが明智一族だけが、栄華を独り占めするのは
心苦しい。だからお前の手で私と兄者を討て。
そして兄者の本望である仁政を、お前が生きて行なえ」
利三 「今や、斉藤家は土岐一族も同然、どうしてそのようなこと、
できましょうぞ。伯父上には気を取り直していただいて、
ぜひ天下太平のため、働いていただきたい」
※言葉使い、カナリ変でスマソ
しかしあの下克上の世で、相手が足利将軍帝ならともかく、しかもその下克上の象徴とも言える信長に刃を向けたとて。
果たして主殺しとしてのどのくらいのインパクトがあったのだろう。
そもそも光秀は幕臣であり朝臣だった身だ。
多分足利義昭は自分の仇を光秀が黙ってても討ってくれたと喜んだろう。
比叡山の僧達も仏敵信長が退治されたと思ったと思う。
そもそも世が世ならまがりなりにも土岐源氏の末裔の源光秀が信長より位が上だ。
水色桔梗の旗が信長を倒すというのは血統主義的には正しかった。
夜討ちというのも戦国時代なら当たり前の戦法であり、逆桶狭間と言えた。
それに対して秀吉は稀代の政治家だった。
自分が信長の仇を討ったと吹聴することは、下克上の世を終わらせ百姓が天下人になるなど今後許さない世にすることでもあったと思う。
633 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/11(日) 13:22:30 ID:J753ZGe+
細川藤考の戦線離脱の理由も、
案外、朝敵として討伐したなっかことにあるのかもね。
藤考は、光秀なら当然それぐらいの朝廷との親密さがあるから、信長を殺すときは、
そうするだろうと踏んでいたが、しなかった。よって、光秀陣営入りを拒否したとか。
634 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/11(日) 17:23:36 ID:EmVYut33
>>631 ?
光秀の首1つで解決できることでもないのでは?
それに「ことが落ち着いた」後に光秀が殺害されたら、明智政権が瓦解するだけでは?
>>627 動機の1要素としては面白いですね。
ちなみに、天正10年当時の信長の「暴走」って何のことですか?
>>633 そういう見方面白いね
玉子を殺さずに様子を見たのは或いは待ってたのかな
>>633 ここのスレッドのレス400〜500までの間にだらだらと、
「細川藤孝黒幕説」が書かれていた。
藤孝は対毛利戦の際、信長を、秀吉を使っておびき寄せる。
そして朝廷に裏工作をして信長を「朝敵」として追討できよう取り計らう。
そんで光秀・藤孝・秀吉そして毛利が手を結んで信長を討ち、
そのまんま毛利の所にいた足利義昭を担いで帰る。
これらが藤孝の書いたシナリオ。
ところが勝手に光秀が信長を本能寺で討ち、
朝廷から光秀を、征夷大将軍にする動きがあったんで、
藤孝は腹立てて協力しなかったってこと。
光秀の「主殺し」ってのは後付のレッテルだと思う
秀吉の大返しだけが致命的な誤算で後はなるようになったんだと思うね。
案外、秀吉は情報握ってたんじゃないの?
638 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/11(日) 21:51:03 ID:5bkhlhJK
うんうん、そう思う。ましてや「山崎の合戦」の時ですら、
秀吉軍が勝てば秀吉の天下になる、
つまり秀吉が信孝や信雄から実権を奪い、「関白」になるなんて
予想できなかったでしょ。
ちなみに高山右近をはじめ、池田・中川らが光秀に味方しなかったのは
信長や織田家への忠誠心というより、自分の所領を守りたかったから。
当時近畿管領である光秀が征夷大将軍になれば、
近畿は明智家の直轄地になる可能性は高い。
光秀だったら「官僚制」を取り入れ、「知行地」のかわりに
「俸給制」にするだろうと、読んでいた。
高山右近にとっては、どんなに高い禄と地位を与えられても
領地を取り上げられることは自分のアイデンティティを失うことになる。
その点、織田家が政権を握り続ければ織田家は美濃尾張が本拠地だから
畿内の領有権は、かなりそのまま保てると読んだのではないか?
「ときは今〜」って、天下とる気マンマンじゃないか
640 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/11(日) 23:17:56 ID:1u1ZFFwP
のっけから天下狙って織田家に入ったんじゃねえの?
それで出世して師団長になって自在に操れるように鍛え上げて機会を狙ってたんだよ。
秀吉の支援のために接待役はずされたときは案外喜んだかもよ?
最大の障害がそこまで苦戦してて身動き取れないってことが確定したわけだから。
そのあとさらに国替え命令が出て自分の師団が自然に集合できる機会が転がり込んできたと・・
それで「ときは今」なんだからもう勝利宣言だっての♪
641 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/12(月) 17:50:59 ID:UT9DB0Sc
明智光秀:豊川悦司
左馬介光春:野村萬斎
父・光綱:マイケル富岡(特別出演)
母・皐月:桃井かおり
妻・康子:水野真紀
長女・倫:緒川たまき
次女・菊:深津絵里
三女・玉:山内明日
家臣・溝尾勝兵衛:徳重聡
家臣・藤田伝五:長瀬智也
細川藤考:片岡鶴太郎
細川忠興:元木雅弘
642 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/12(月) 17:53:54 ID:UT9DB0Sc
朝倉義景:長島一茂
斉藤道三:山崎努
足利義輝:福本清三(特別出演)
足利義昭:宮藤官九郎
平手正秀:千葉真一(特別出演)
園阿上人:温水洋一
快川紹喜:高橋克己
里村情巴:西島秀俊
吉田兼見:大杉連
織田信長:哀川翔
森蘭丸:松田隆平
弥助:ボビー・オロゴン
羽柴秀吉:阿部サダヲ
柴田勝家:渡辺哲
徳川家康:松尾スズキ
稲葉一鉄:麿赤児
斉藤利三:佐々木倉之助
赤井悪衛門:角田信朗
中村長兵衛:寺島進
ずいぶん大人計画出身者が多いじゃないか。
644 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/12(月) 23:32:33 ID:ztWpE6ob
市:夏川結衣
濃姫:鈴木京香
安国寺恵瓊:伊武雅刀
荒木村重:杉本哲太
も、ぜひ追加してくれ
キャスティングの話題がぼちぼち出るようになったのは、
皆の頭ン中で、イメージが固まり始めた証拠だなw
正親町天皇 中村福助
まあ、キャスティングの話もやりながら、本能寺の変をはじめ、
謎の多い明智光秀の人生について、我々なりの推理をぼちぼち…
若い頃から死ぬまでをやるなら、光秀役は榎木孝明も捨て難い。
何より本人が演じたがっている。
647 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/13(火) 07:13:05 ID:ZGOQLTPM
ハァ?お玉が何で山内明日なの。素人同然の何もできないマネージャーと出来てるエキストラ事務所放映新社大阪オフィスの唯一のスターさん
皆の頭ン中じゃ、明智光春=三宅弥兵次=明智秀満でOKか?
>>641 「妻・康子」って、どこからの引用? その名前は初めて見ました。
>>646 榎木孝明、好いですね。年齢的に言っても「浅井長政」は変だったし。
650 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/15(木) 20:20:09 ID:zoy6wioE
ネタ(史実とかいろんな説とか…)調査中なので、
とりあえずage…鶏の唐揚げ
651 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/16(金) 09:52:39 ID:ydi6H5J/
熙子だろ。
652 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/18(日) 17:10:44 ID:gywqGMHy
最終回は光秀が死んだかどうかわからない全くの謎のまま
ラストを迎えて欲しい。土豪に突かれて臨終ってのも何かあれだし
今日亀岡に行った。
観光の人が言ってるの聞いたけど、丹波辺りは昔から反骨精神たくましくまとまると大事を起こすと体制側は警戒してたってね。
その難しい丹波をまとめるのに成功し慕われた光秀公。
ひそかに匿う人がいたっておかしくない。
死ぬんだったら妙心寺で明智風呂に入った後ひっそり切腹したって良かった訳だ。
654 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/19(月) 11:31:00 ID:C3KP67Og
光秀は死ぬが、
光春は生き残り天海になるというのなら
いいと思う。
655 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/19(月) 21:37:21 ID:99pVINEU
「犬死に」ってのもまたカッコイイ死に方なんじゃないかな、と思う。
656 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/19(月) 21:55:01 ID:VHt/x/Vg
以前2ちゃんのどこかのスレで読んだのだが、
光秀は土民の竹槍に刺された後、
槍が刺さったままの状態で姿勢も崩さす数百メートル走っていった。
そのうち槍が抜け、そこから腸がはみ出ても、
表情を変えず馬を走らせた。
突然、光秀はどっと倒れ、馬から落ちた。
家臣が敵に首を奪われるのを恐れ、その場で光秀の首を落とし、
藪に埋めたらしい。
これだって、結構カッコイイと思うけど。
天海ってお坊さん、そんなにエラいの? よく知らないけど。
こっちの知識違いかもしれないが、
「参勤交代制度」とか「鎖国」とか、何か良からぬ制度は
天海の意見を取り入れてやったものだとかいうのを
聞いたことがある(誤解かも知れないが)
天海が日光東照宮を作ったのは有名だが、
「人」を「神」とする制度を作り、
そこに「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿の像を置いたのでしょ?
なんか人民思いだった光秀とは、ちょっと違うような気がするのだが。
天海について詳しい情報キボンヌ(特に光秀と共通する思想とか)
それは「良からぬ制度」などと一概に言えるものではない。
なんか最初の一行で釣りっぽく見える…
いや、「釣り」じゃなく、真剣に「天海=光秀」と考えてる人の
根拠とか想いとか聞きたいんだが。
自分が天海和尚にあまりいいイメージがなかったんで、
異なる意見を真剣に聞きたいと思ったんで。
個人的には「光秀の子孫=坂本竜馬」のほうが面白い。
(真実は違うようだが…)
「人民思いだった光秀」って疑問だわ。
謀叛で、近江・丹波を含め、織田家領国内の人民に多大な迷惑をかけているというのに。
尤も、正直なところ、「光秀=天海」説自体に興味なし。
仮に実際天海が光秀であったとして、光秀ファンの方は嬉しいものなのかな。
661 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/21(水) 19:19:43 ID:TsesyHFC
NHKの番組で見たが、天海と光秀の筆跡が
「他人のものではありえない」レベルで一致していたらしい。
また、東照宮に明智家の紋が隠されていたりとか
結構それらしき痕跡があるみたいだぜ。
662 :
名無しの制作委員:2006/06/21(水) 22:46:54 ID:RO7kqzfE
だから、ここは史実について論じるスレッドではなく、
「明智光秀主役のドラマを皆で創作しよう」スレだから
天海=明智光秀かどうか、ドラマとして妥当かどうかの視点で論じて頂きたい。
特に「天海=光秀」支持者は、どんな光秀像を描きたくて、そうしたいのか。
(おそらく、あのまま「犬死に」させるのは、かわいそうって想いなんだろう。
天海となって生き延びた光秀は、天海としてどんな夢を実現させたのか、
その辺り、もっと突っ込んで自分の想いを書いていただきたい)
663 :
662:2006/06/21(水) 22:53:43 ID:RO7kqzfE
あっ、それから、光秀はどんな世の中を望んでいたのかとか、
そのへん、ドラマなんだから皆で「説得力のある憶測・妄想」を
皆で考えて頂きたいなと。
明智光春=天海についてはwikiに面白い情報が書いてあった。
妥当性はともかく…(wikiの光春=天海説に従うと、光秀の出身地は、
岐阜県「可児」明智ではなく、岐阜県「恵那」明智になっちゃうんで)
664 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/23(金) 12:32:52 ID:zLjJUaEh
刺し違える覚悟で信長に天誅を食らわせた光秀が、
生き残ったんじゃつまらないと思う。
依然、
光秀を刺し殺した土民を「秀吉」のときの五右衛門のような、
創作キャラにして別の視点を持たせようって意見もあったし、
そちらを生かせるようにしたいから、光秀はラスト死んでもらいたい。
どうしても、天海にこだわるんなら光春か、まったくの別人であってほしい。
清廉潔白な良い人に美化しないでね
その丹波・近江の領民が、当時から300年以上も光秀公を慕って来たので昨今の復権や天海転身説があるわけさ。
668 :
名乗る程の者ではござらん:2006/06/25(日) 17:13:51 ID:ah7m4VjK
すみません…超基本的で初歩的な質問します。
「山崎の合戦」の直後、光秀は間道を通って近江坂本へ向かいます。
一方の秀吉は、「山崎の合戦」後、京に入れたのですか?
間道を通って近江に向かった光秀は、一旦京に寄る予定だったんですか?
「山崎の合戦」の目的が、
光秀にとって、京に秀吉軍を入れない=京の町を「賊」から護るって話を
2chのどっかのスレッドで読んだものなので…
越前編・後編(仮)その1
1566年(永禄9年)
足利義秋は、細川藤孝らとともに一乗谷に入る。
この時点での光秀と藤孝の夢は、義秋を将軍の座に就け、自分達の「傀儡政権」を作ること。
義秋は、長くお寺で暮らしていたこともあって世間知らずなので、二人は義秋を「自分たちの思い通りになる人形」とみくびっていた。
ところが、一乗谷に義秋が入ってまもなく、義秋は独自の政治活動を始める。
朝倉義景と対立関係にあった一向一揆衆を和解させ、さらに義景の娘を本願寺・教如のもとに嫁がせ、義景と本願寺が同盟を結ぶことを義景に提案したのであった。
これには藤孝も光秀も驚いた。
二人とも「武家の政権確立」を目指していたので、本願寺との同盟など、言語道断だと思った。
実は義秋は、決して世間知らずの元坊主ではなかった。
なるほど義秋は、武家のルールや理屈は知らない。
しかし、蛇の道はヘビの道。元僧侶だったため、本願寺の実力や想いを、義秋には読み取れていた。
義秋は本願寺と同盟を結び、これまでの武家政権でなく、武家・寺家・公家を一体化させた、
全く新しい政治体制を夢見ていたのである。
義景と義秋は、意気投合した関係となっていた。
光秀は、織田信長の力を借りて、義秋を上洛させることを提案する。
上洛編(仮)
まだ書けていません。
主な事件は…
・光秀と信長の出会いの場面
・義昭上洛直前の、義景の息子の突然死(毒殺?)
・義昭上洛。六角や三好勢との戦い。信長、「一銭斬り」の軍規でもって、上洛軍の風紀を正す。(永禄11年末〜永禄12年)
・信長の指揮下、石仏や墓石を用いての二条城建設が始まる。(1569年=永禄12年)
・信長と義昭の対立が鮮明になる。信長、5か条の条項を義昭に認めさせる。光秀が、その証人となる
前半については、これまでの小説などでは、光秀は信長の「一銭斬り」や「石仏・墓石の建築材転用」に対し、批判的な視点をもって眺めるような描写がありましたが…。
671 :
670:2006/06/27(火) 22:01:05 ID:???
「一銭斬り」については、むしろ光秀のほうが上洛の際…
光秀 「上洛に当たっては、軍規を整え、略奪・暴行行為がないよう、
くれぐれも…」
信長 「分かっておる! くどくど言うな!」
という感じで、信長は「一銭斬り」を実行、
光秀は「さすが! ここまで徹底させるとは」と、心から感心する…
というふうに、描いてみたいのですが。
また、二条城普請の際の、墓石・石仏の建築への利用についても…
当時は石垣などに使う程度の石なら、河原や山崖の天然石を利用していました。
しかしそのため環境が狂い、水害の被害が大きくなっていました。
光秀は、そんな状況を考慮し、墓石・石仏の「魂抜き」をした上で、
建築材に利用することを提言した…っていうのは、どうでしょか?
信長というのは、トモに改革路線を進めて来た片腕の明智光秀に最後の土壇場で反旗を翻されたんだなと最近思い始めています。
その光秀の人格を形成した半生と、信長に出会ってからの志と苦悩を描いたらいい物語になるのではないでしょうか。
国の形とかありよう、伝統を生かしながら改革を進めて行くことの考え方が現代に生きる我々のありようにも通じるテーマだと思います。
>>672さんに倣って…
最近おもうのですが、織田信長って、一見「改革路線」のように見えながら、
最後の土壇場で「保守回帰路線」に変わった。
それが「石高制による検地」。本格的な石高制検地は秀吉になってからだが、
信長の晩年に明智光秀が、大和や丹波で石高制検地を行なっている。
この検地に関して光秀が、「百姓の嘘はかわいいものだ」と言って、
隠し田に目をつむったり、裏作物は免税にしたりと、
「民衆寄りの名君」としての光秀エピが伝わっているが、
本当は「石高制検地」に内心反対していたのでは?>光秀
なるべく年貢を軽くして、その代り農民に商品作物や自給用作物を作らせ、
自由な交易により、百姓の生活が豊かになることを光秀は願っていた。
だが信長は、コメが貨幣の代わりになっている当時の状態を、
「農民が田んぼで貨幣を発行している」ように感じ、
米を貨幣の代わりに使うことを禁止し、年貢として米を取りあげ、米を武士の管理下に置こうとした…
そのことが全てでないにせよ、晩年の信長と光秀の対立・葛藤の一つになってたのじゃないかしらん??
674 :
名乗る程の者ではござらん:2006/07/03(月) 16:11:56 ID:PV1LY5qI
ときに皆さん、
全50回として、本能寺は第何回に持ってくるのがいいと思いますか?
本能寺後をどれくらい描くかによって、
全体の構成(光秀の思想、秀吉との関係など)が変わってくると思うのですが。
第48回 本能寺の変・信長の死
第49回 安土城占拠・中国大返し
第50回 山崎の合戦・光秀の死・坂本城炎上
あまり選択肢はないように思うけど。
去年の正月のテレ東の「国盗り物語」今頃DVDで見た。
明智光秀が丁寧に描かれてて感涙だよ。
信長に虐められてってのじゃなくてすれ違い的な感じで描かれてたのも良かった。
677 :
名乗る程の者ではござらん:2006/07/04(火) 12:50:50 ID:vXn379rg
全49回とかじゃなかったっけ?
洞
第40回「禁裏東門」馬揃え
第41回「明智軍法」軍法の制定
第42回「甲斐の地」武田攻め
第43回「つかの間の宴」家康接待
第44回「愛宕山の誓」本能寺前夜(連歌会〜おみくじ〜桂川)
第45回「本能寺、燃ゆ」本能寺、中国大返し前編
第47回「山猿奔る」中国大返し後編、洞ヶ峠、瀬田の唐橋
第48回「天王山」山崎の合戦前編、細川家の反応および玉
第49回「桔梗散る」光秀討死、落城(最終話)
678 :
名乗る程の者ではござらん:2006/07/08(土) 12:17:35 ID:jZahMgry
すみません…超基本的&初歩的な質問でゴメンナサイ
「山崎の合戦」の直後、光秀は間道を通って近江坂本へ向かいます。
一方の秀吉は、「山崎の合戦」後、京に入れたのですか?
間道を通って近江に向かった光秀は、一旦京に寄る予定だったんですか?
「山崎の合戦」の目的が、
光秀にとって、京に秀吉軍を入れない=京の町を「賊」から護るって話を
2chのどっかのスレッドで読んだものなので…
679 :
名無しの制作委員:2006/07/12(水) 22:34:46 ID:klMT0pDZ
とりあえずage
(今日はワシの誕生日なので)
680 :
名乗る程の者ではござらん:2006/07/17(月) 16:28:38 ID:rELelifj
大河で光秀が出なくなったとたんに書き込みが減ったな。
681 :
名乗る程の者ではござらん:2006/07/18(火) 11:57:41 ID:dhA46NlM
他の板のスレに面白いものがあったんで、こっちに貼っておく。
443 :日曜8時の名無しさん :2006/06/28(水) 19:12:44.07 ID:87hw7Jk7
明智秀満が天海になって、最後にお江戸を風水で固めていく
ところまでを描く…というのは難しいか。史実と認められていない
題材でも、大河ドラマ的にはOKなんだっけ?
444 :日曜8時の名無しさん :2006/06/28(水) 19:24:58.02 ID:0/cMQmMy
主役となると難しいんだろうな。
黒衣の宰相とか何とか言う立場の人間を描くと話が地味になるし、
日本人は、こういう人物をあまり好まないと思う。
このアイディアは、どお?
自分は天海について、よく知らないので。
682 :
名乗る程の者ではござらん:2006/07/20(木) 23:40:26 ID:JJJbv+7g
683 :
名乗る程の者ではござらん:2006/07/27(木) 02:06:25 ID:qFQ/84E/
てか何をどう書けと?
684 :
名乗る程の者ではござらん:2006/07/30(日) 12:34:35 ID:pOlo6pF+
こんなの放送したら自殺者がもっと増えるよ
685 :
名乗る程の者ではござらん:2006/07/30(日) 13:39:35 ID:2bLXYvsw
>>684 なんで?? まだストーリ原案も固まっていないのにw
信長厨乙
687 :
名乗る程の者ではござらん:2006/08/02(水) 16:26:21 ID:fcfP07UU
であるか、光秀
688 :
名乗る程の者ではござらん:2006/08/03(木) 21:47:35 ID:F0xBARfW
こちらの板の常連だった者のひとりです…
今、ちょっと夏枯れ気味なので…
決してこのスレッドおよび企画を見捨てたわけではないので…
秋になったらガンバロウと思うので…
(「篤姫」に期待してます)
天海云々なんて、もうほんとにガセなんだもの。
史実かどうか以前の与太話じゃん。
>>681 明智左馬助さんの方か。
湖水渡り伝説を映像化すると面白そうだ。
光秀の死後、天海となった秀満がドラマを閉めるという
手法もありか…。
時代劇板「勝手に大河ドラマを作ろう」スレに面白いネタがあったので勝手にコピペ
『美濃姫』
帰蝶/濃姫/鷺山/養華院・・・・・・松嶋菜々子
織田信長・・・・・・・・・・・・・・・・・・・阿部寛
明智光秀・・・・・・・・・・・・・・・・・・・柳葉敏郎
生駒吉野・・・・・・・・・・・・・・・・・・・涼風真世
お市・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木杏樹
浅井長政・・・・・・・・・・・・・・・・・・・風間トオル
おきえ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・国仲涼子☆信長側室:信孝生母
みよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安達祐実☆信長側室:前田利長生母
おなべ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊東美咲
お板・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・上原多香子☆信長側室:丹羽長重室生母
お碗・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・hiro(友情出演)☆信長側室:徳大寺実久室生母
692 :
691:2006/08/15(火) 22:37:31 ID:???
『美濃姫』ストーリー
斉藤道三の娘として生まれた帰蝶(松嶋菜々子)。
14歳で織田信長(阿部寛)に嫁ぎ、濃姫と呼ばれる。
嫡男信正を産むものの、稲葉山城攻略の際に行方不明に。
側室達にも素直になれない。
だが、信長にとって「癒し」の存在となっていた彼女。
元恋人の光秀(柳葉敏朗)が本能寺の変を起こし、信長と別れを告げた彼女は、安土城を光秀の手から救うために、
城に火を放った。
城と共に果てようとするも、仲の悪かった側室「足利晴子(藤原糊化)」に助けられる。
出家し、養華院となるものの、今度は秀吉(合田雅吏)の政治に利用されそうになる。
だが、織田信秀側室だった侍女の絵佐(大地真央)や、丹羽長秀室のお佐見(宮沢りえ)の助けもあり、魔の手から逃れる
ことができる。
秀吉没後、清洲時代の友人お市(鈴木杏樹)とまさかの再開を果たす。
更に死んだと思っていた息子、信正とも再会。
喜びに包まれながら、1612年に没す。
濃姫を師と思っていた淀殿(小池栄子)は、1615年大阪城にて豊臣秀頼(山下智久)共に自害。
お市も、お佐見の死を見取り、1630年に没す。83歳。
※断っておくが、これはワタシが考えたストーリではない…
結構面白い話でしょ??
693 :
名乗る程の者ではござらん:2006/09/04(月) 22:41:27 ID:fSeYDG3F
今日こそ何か書き込もうと思ったが…
まだ夏の疲れがとれてないんで、やめたw
小和田哲男先生の「戦国武将」(中公新書 1981年)および
鈴木良一先生の「織田信長」(岩波新書・青 1967年)を読んでるところ…
694 :
岡田正人:2006/09/04(月) 23:24:44 ID:???
吉乃厨もうっとおしいけど、最近は濃姫厨の活動が盛んだ。
本妻厨でもあるんだろうな。
697 :
名乗る程の者ではござらん:2006/09/16(土) 14:50:52 ID:5ptjRl4K
他の板のレスより転載
477 :日本@名無史さん :2006/07/01(土) 01:20:20
信忠が二条城に駐留していて、約二千の兵。
それに光秀の1万あまりの兵を加えて、京に織田の大軍を駐留させる。
それで朝廷に圧力をかけ、信長の養子にした正親町帝の皇子に譲位させる。
これが信長のクーデター。
それを阻止するため、光秀は本能寺を襲った。
当時、信長は光秀の軍勢を閲覧するため、京に呼んでいたが、これの本当の意図
は信長が朝廷に圧力をかけるために京都に織田の大軍を置くためだった。
そのため、深夜に明智の大軍が本能寺に向かってきていても少しも疑うものがなく、
光秀軍は何の抵抗もなく本能寺境内に侵入、信長に矢をいかけた。
まあ、こんな感じの事をテレビでは言っていた。
>>695 確かの吉乃妄想厨もやりすぎなとこあるんだけど、
濃姫復権厨も充分うっとおしい。
699 :
ピノコ:2006/09/22(金) 22:43:36 ID:iCUKlQMC
700 :
名乗る程の者ではござらん:2006/09/25(月) 11:44:32 ID:GO9lmUZd
>>696 どうやら、実現することで喜ぶ人たちがいるの確かなようだ。
ならば、なおのこと、この光秀ムーブメントを活性かさていきたいよ。
とりあえず、「ときは今」が実現すると発生しうる利点としては、
・福知山周辺の自治体および観光産業が潤う
・信長系の小説や漫画がよく売れる
・戦国武将モノの食玩がよく売れる
・Koeiゲームの光秀のデザインや数値が向上し、売り上げが増す
などの、
経済的なメリットも見込めるワケだ。
701 :
名乗る程の者ではござらん:2006/09/28(木) 16:11:11 ID:PhpjWdYZ
天海を天海ゆきの男役で一年
>>695 別にいいんじゃね?
虐げられていた時間が長い分反動もそれなりに大きいのは
仕方あるまいて。
でも、
>>692みたいなのは勘弁だけどな。全然おもしろくない。
703 :
名乗る程の者ではござらん:2006/09/30(土) 15:17:35 ID:lAWAhGnn
フジテレビ年末時代劇
明智光秀「神に愛されなかった男」決定
明智光秀 唐沢寿明
織田信長 上川隆也
羽柴秀吉 柳場利朗
柴田勝家 隆大介
丹羽長秀 本田博太郎
滝川一益 矢島健一
ひろ子 長沢まさみ
704 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/01(日) 00:26:33 ID:NpSW6jXs
うそくせー、ぐぐっても何も出てこねーぞ
>>703 ここは真面目な人が多いのに、
そんな自分勝手な妄想を書き込むなよ。
707 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/01(日) 08:32:46 ID:pNDzRHL9
>>706 ウソじゃないよ!
京都の撮影所にいる知人に聞いたんだよ!
708 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/01(日) 08:49:02 ID:pNDzRHL9
>>707 だからまだマスコミにも発表されてないんだよ
プロデューサーは?脚本は?監督は?どんな話を展開するのー?
こういうガセ書く奴ってキャストしか書かないよな。
柳場利朗てww
711 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/01(日) 13:18:06 ID:pNDzRHL9
>>708の質問には何もわからない。ガセだと言いたいのなら言えばいい。
スレ違いを承知で光秀ファンに少しでも速く知らせたかったんだ。
明智光秀 上川隆也
織田信長 隆大介
羽柴秀吉 ナイナイの岡村
柴田勝家 千葉真一
丹羽長秀 唐沢寿明
滝川一益 矢島健一
池田恒興 的場
足利義昭 西村博之
斎藤道三 高橋御大(高齢だから出れるかわからんが)
朝倉義景 平 幹二郎
浅井久政 水谷豊
浅井長政 相棒の亀山君役の人
武田信玄 役所
快川紹喜 ナベケン
武田勝頼 保坂尚希
上杉謙信 北村一輝
森 乱丸 要潤
ひろ子 長沢まさみ
お濃 池上希美子
お市 杉本 彩
ガラシャ 鈴木杏樹
朝倉の側室 夏木マリ
713 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/01(日) 18:36:15 ID:oYNK8QNd
水谷豊は相棒の右京モードで光秀をやらせたらすげぇはまると思う。
「神に愛されなかった男」か…
ここの「ときは今」よりも、ずっとセンスがいいなw
>>712 マジネタと信じようにも、あまりに総花的なキャストw
要潤の乱丸が、通常パターンの前髪姿だったらウェップだな。
織田信長 隆大介
斎藤道三 高橋御大
羽柴秀吉 ナイナイの岡村
武田信玄 役所
快川紹喜 ナベケン
実現したら神キャストケテーイ
717 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/02(月) 12:33:24 ID:9ZLqf+NT
キャストが地味というか、主役は、
「誰これ?」って感じの役者を発掘するようなのがいい
昔の、ナベケンや三木プルーんのように、
出ることでより一層お株が上がっちゃった!
ってのが、個人的にはベスト。
つまり、「役者の知名度より脚本、演出」の大河であってほしいな。
こういうシリアス路線は。
ただ、脇役や特別出演枠を豪華にしてくれる分には、
いっこうにかまわん。逆に、そこでバランスをとってもらいたい。
718 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/02(月) 16:20:43 ID:tXeX+3QF
>>712に便乗
武田勝頼 保坂尚希
武田信勝 神木隆之介
上杉謙信 京本政樹
上杉景勝 北村一輝
直江景綱 真田広之
直江兼続 谷原章介
六角義粥 六角精児
松永弾状 松尾貴志
三好長慶 八嶋智人
細川幽斎 石橋蓮司
細川忠興 渡部篤朗
北條氏政 田辺誠一
まて。炎ミラ系統の腐女子を増殖させてどうするw
組紐屋と南町奉行が…上様と柳沢が…春日山城を舞台に
あんなことやそんなことをハァハァ(AA略)ってか?
そして八嶋は松尾のペットと・・・・・。
>>717 来年の大河ドラマが、まさにそうでしょ。演出が清水一彦だし…とスレ違い。
722 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/03(火) 12:37:02 ID:svoSo/5+
>>717-
>>721 良識人が死滅していなかったことに感動
衆愚の極みスレになってきただけに、うれしい限りですな。
723 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/03(火) 12:53:56 ID:MbVdbHKB
「ときは今」っていうタイトルがなんだか
724 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/03(火) 13:23:23 ID:svoSo/5+
なんだかなんだよ。w
ま。(仮)って感じなんだし、
そこまで、名前にこだわらなくてもいいような
725 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/07(土) 20:54:27 ID:KNlv3VbT
Hしたかった
>>703 NHKの演出家・清水一彦の実弟が、フジテレビにいるってウワサがあるが、
年末時代劇のディレクターがほんとうにNHK清水さんの弟さんなら面白い。
これこそ兄弟対決!だ(未確認の、妄想の書き込みですからホンキにしないように)
727 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/11(水) 16:17:05 ID:kpWJ+geP
>>703に追加
蜂須賀小六 高杉亘
森蘭丸 浅利陽介
明智秀満 大泉洋
>>703の情報、別ルートで事実だと知ってるけど、
でもこれって年末じゃなくて年始の放送じゃなかったっけ?
明智 唐沢
信長 上川
おい、逆だろうって配役がミソだな。
730 :
京都:2006/10/20(金) 21:06:03 ID:WChMa4Iv
京都行って昨日帰ってきた者です。
やってましたよ撮影!!唐沢寿明と柳葉敏郎!!!
台本に、「明智光秀 神に愛されなかった男」って書いてありました
東福寺行ったら、偶然撮影していて、大河ドラマなのかな?と思ってネットで探してみたらココをみつけました。
ワロタwww
ひろ子=長澤ってww
明らかに書き込んだ奴の趣味だなw
せめて玉にしとけば良かったのに。
703の話は本当らしい。ロケ目撃したブログがあった。
どっちにしろスレ違いだが
734 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/21(土) 00:45:47 ID:6GKzu4ZI
カミさんには愛されてるのにな=唐沢
735 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/21(土) 02:20:30 ID:Zf5NRhQH
え〜!
唐沢は利家じゃないと嫌だ!
松竹って戦国ものやれんの?あそこ低予算で有名だよ?
江戸期の人情ものならともかく、派手な合戦や豪華な衣装セットが売りな戦国ものは東映のほうが得意
737 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/21(土) 11:06:42 ID:ND+Jqp1G
予算はフジテレビが出すんじゃないの
いや、松竹ならフジが金を出しても限界があるって。
戦国物の衣装はチャチイもんな。
合戦シーンも大砲をぶっ放した訳でも無いのに、背景には大爆発の硝煙があがって
10人程度の兵士が「ワー」って攻めてくるんだろうな。
森山未來が京都で時代劇撮影してたって目撃あったけど
これ
>>703なのかな?19日か20日
大泉洋ちゃんも追加
741 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/22(日) 08:21:21 ID:57jduN5N
742 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/22(日) 11:24:20 ID:oAk+wZEj
神に愛されなかった男 明智光秀
確定ですな
正月から不吉なタイトルだorz
発表あったの?
書き込んでる奴、一人だけじゃんww
神に・・・って、また曖昧で適当なタイトル付けだな。
あんまり期待しないほうがいいんじゃない?
じゃ、仏には愛されたのかとか、
でも神仏習合という観点から見たら、
神にも仏にも愛されなかったのか、とか
突っ込みやすい適当さ。
もしかしたらw愛宕神社の加護が無かったとかの理由付け?
発表はないが確定。
NHK正月時代劇のほうは昨日撮影の様子を流していたから、フジもそろそろか?
つーかNHK正月時代劇はもう撮り終わっている。
光秀が唐沢って言うのは考えても見なかったけど悪くないかも
あんまり強そうじゃないけどw、穏やかにもしたたかにもなれそう
もともと光秀って強そうじゃないと思うが
唐沢は利家のイメージが強すぎるね。でも、意外に良いかもしれないと思えてきた。
それより上川が信長っていうのが許せない。絶対にミスキャスト。
>>749 自分も光秀に強さは求めてないが、
演じる役者によっては「強い光秀」像になる事だって有り得たなあと思って。
信長にしても、渡、反町、舘、藤木とかいろんな人が演じていてそれぞれ随分違うし。
そういやキノコ信長なんてのもw
754 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/22(日) 23:08:03 ID:1JW8aDYS
755 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/25(水) 06:58:29 ID:EZNj9be5
さっきめざましテレビで流れてたよ!
歴代光秀役者も紹介してるね>めざまし
757 :
703:2006/10/25(水) 07:47:10 ID:cBNJknDF
年末じゃなくて新春ドラマでした、
スレ違い失礼します。
758 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/25(水) 19:51:41 ID:6z2Cn974
一番見ててやだったのは「利家とまつ」の萩原健一だな。何あの本能寺での声。
759 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/25(水) 21:24:01 ID:w17+ufpM
草薙の秀吉よりデキがよかったら、拍手を送りましょう。
760 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/25(水) 21:44:21 ID:/Y032Drl
たしかに草薙の秀吉は神だった。
フジのドラマ班が作る時代劇はハッキリ言って微妙だぞ。
キムタクのも草薙のも見たけど演技の前に演出の方がなってない。
草薙秀吉の明智(宮迫)に信長(藤木)が扇子投げるCGなんて凄かった。
まああれよりはマシになってると思いたいけど脚本家も微妙だな。
私もフジの時代劇は心配な口ではあるが、「鬼平犯科帳」は出来がいい。
こういうのも作れる筈と信じたい。
763 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/28(土) 04:19:54 ID:TgPkN178
唐沢が明智光秀?
絶対に信長タイプだと思う。
顔も信長にそっくりだし、見れば見るほど信長に見えてくる。
764 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/28(土) 20:07:53 ID:UQ0KFSJw
じゃ、信長と光秀の役者を入れ替えて…
765 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/28(土) 22:10:38 ID:GknNBSfg
ナベツネにも何かの役で出て欲しい
時代劇ならきっとピッタリはまる役があると思われ
766 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/28(土) 22:47:54 ID:0cFHl7mw
出演 唐沢寿明(明智光秀)
.上川隆也(織田信長)
柳葉敏郎(羽柴秀吉)
長澤まさみ(ひろ子)
大泉洋(明智秀満)
小西真奈美(おね)
谷原章介(足利義昭)
隆大介ー(柴田勝家)
本田博太郎(丹羽長秀)
矢島健一(滝川一益)
高杉亘(蜂須賀小六)
浅利陽介(森蘭丸)
政策委員的には、どうよ?
おのおのの希望で書き換えてみよ
男性俳優と小西真奈美には文句はない。
谷原章介(足利義昭)
個人的には、これがツボw
ヒロ子の長沢まさみって、どうなの。
年齢差がありすぎはしないのか?と不安になる。
771 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/29(日) 22:42:52 ID:SaDFjaXH
椎名桔平(明智光秀)
哀川翔(織田信長)
田中光(羽柴秀吉)
水野真紀(ひろ子)
小出恵介(明智秀満)
うんこりん(おね)
前川泰之(足利義昭)
渡辺哲(柴田勝家)
松田龍平(森蘭丸)
キモイ
773 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/30(月) 13:40:43 ID:p6wz/AVq
光秀が天下とってたら、今ごろ日本はアメリカ大陸を支配していた。
703の最初の書き込みを叩いてた大バカ達は
まだのうのうとスレにいたりするのですか?
775 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/31(火) 21:59:53 ID:BtFojIWc
ショーケンの光秀って、みなさん的にはどうだったんですか?
なんとなく自分は好きでした。
776 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/31(火) 22:22:14 ID:M3gtpifw
長澤まさみが妻のひろ子役だなんて、他にひろ子役をやる人いないの?
私的には、石田ゆり子とかに演じて欲しかった。
娘の役だったら、良かったのに。
テレビ朝日の太閤記のおね役といい、本当に旦那役と妻役の年が離れすぎているよ。
>>776 そりゃ、長澤や星野目当てで見る層に期待してるからだろ。
778 :
776:2006/10/31(火) 22:36:46 ID:M3gtpifw
>>777 確かに、ファンの人に期待しているかもしれないけど、どうせなら長澤まさみ
を娘のお玉役に、星野真理をお市の娘茶々(淀殿)役のほうが良いと思う。
779 :
777:2006/10/31(火) 22:42:18 ID:???
創るほうも視聴者を甘く見てるんだよ。
若手女優陣の配役に、適材適所なんて無視だろ。
スレ違いになるけど、
かつて佐久間良子や栗原小巻が演じた「風林火山」の由布姫を、
加藤あいにやらせるような適当さがまかり通ってるんだから。
780 :
776:2006/10/31(火) 22:58:06 ID:M3gtpifw
>>創るほうも視聴者を甘く見てるんだよ。
若手女優陣の配役に、適材適所なんて無視だろ。
ただ、作る方は視聴率さえ取ればいいんだね。
ファンの人は、それで良いかもしれないけど、史劇物のドラマが好きな人
二してみれば、適材適所も考えて欲しい。
781 :
名乗る程の者ではござらん:2006/11/01(水) 11:29:54 ID:n7ixJYYH
昨日の太閤記の風間光秀はどうだった?
歴史ドラマ好きは数字持ってないから仕方ない。
民放でやってもらえるだけありがたいって話だ。
784 :
名乗る程の者ではござらん:2006/11/02(木) 16:33:38 ID:Kstr2SY/
>>782 桶狭間のくだりしかやっとらんから、まだ何とも言えん。
従来のプロトタイプ型光秀だってのは確か。
「信長の棺」の光秀は誰だっけ?
光秀は史実では美形とされているので
変に歳食ったオッサンに演じられるよりは唐沢の方がいい
むしろ唐沢でよかった
ショーケンの光秀もよかったよ
789 :
名乗る程の者ではござらん:2006/11/05(日) 15:48:50 ID:mDHmfeAw
唐沢が光秀なら、ひろ子役はどーせなら松嶋がよかった。
790 :
名乗る程の者ではござらん:2006/11/06(月) 07:41:13 ID:m2d16Ljs
そこで山口智子を起用
>>790 ガサツでお行儀も悪く、
男言葉を使うサバサバ系の武将夫人はいらない。
>>776 本能寺時点のたまの年齢と、長澤の年齢ってぴったり同じなんだよな。
>>791 今時、役者の素の姿=演技と思ってる奴がいる事に驚き
794 :
名乗る程の者ではござらん:2006/11/08(水) 18:11:26 ID:pqPrcCxe
光秀の妻はもっと本格派の女優にやってほしかった。深津絵里とか。
せめて小西真奈美がひろ子じゃいけなかったのかね
長澤は可愛いけど、この子だけいかにもむちゃくちゃな配役じゃん
796 :
名乗る程の者ではござらん:2006/11/09(木) 22:40:22 ID:1DPbntzf
唐沢とかギバちゃんが良い演技をみせてくれたとしても、こういうめちゃくちゃな配役だと重みが軽減してしまう気がするなぁ。
個人的には光秀の妻は、和久井映見あたりがよかった。
797 :
名乗る程の者ではござらん:2006/11/10(金) 14:55:32 ID:eV2JCd7F
ていうか、あばた顔とホクロのエピソードや髪の毛売ったりした話もやんの?
やんないんだったら、NHKで大河化する際は、キッチリ描いてほしいね。
>>797 時間もないんだからそんな細かいエピソードやらないだろ
巷説や軍記物ネタだらけの光秀だけど
実際はそんなに面白い人物とは思えない。
800 :
名乗る程の者ではござらん:2006/11/20(月) 03:43:26 ID:sk6bB+eH
深津がよかったのに何故に長澤?
801 :
名乗る程の者ではござらん:2006/11/20(月) 11:22:03 ID:m2KNGsdh
長沢を否定する気はないが、
さすがに、この配役はないと思うね。
東京タワーをみたので
大泉洋にちょっとだけ興味。
しかし、あの顔にヅラ似合うのか?w
803 :
名乗る程の者ではござらん:2006/11/20(月) 17:30:28 ID:sk6bB+eH
利家は?
マジなストーリー妄想のひとは居なくなったのか?
フジの明智光秀終わったね。
なんか最後は山崎の合戦期待してたのに、いきなり小栖の明智藪で秀吉と対峙。
しかもラストサムライの真似事。
明智ファンとして描いて欲しいエピソードはテレ東の国盗りのが上で期待はずれ。
役者は良かったんだけど。
やっぱりNHKだな。
NHKに期待。
806 :
名乗る程の者ではござらん:2007/01/05(金) 14:26:04 ID:Q26qUwZ7
神に愛されなかったフジ
ギバちゃん秀吉が、黒いバンダナしてて
近所のラーメン屋のアンチャンに、そっくりで笑った。
そんだけ
>>805 自分がその人物が好きなら、テレビでの描かれ方なんて
気にもならないけどね。
なんでそんなにドラマでの人間像に期待するわけ?
NHKとて同じこと。
テレビ業界の人間が娯楽のために映像化した創作、
フィクションであることには変わりないんだぞ。
808 :
名乗る程の者ではござらん:2007/01/05(金) 20:10:25 ID:dHbQhQg+
(・ )(・ ) 寺壊す!
\\\\
ヽ(*∀* )/
ドラマなんだから、たとえ史実に沿っててもフィクションであることが大前提。
だけど面白くなきゃね。
あり得ない展開の連続だったなw
>>703の発言の直後、速攻で「うそくせー」と書いた者です。
ゴメン。俺が間違っていたよ。
812 :
名乗る程の者ではござらん:2007/01/27(土) 22:29:19 ID:5Rq8UvsE
>>804さま…
その、マジなストーリ妄想の人はワタシですが…
この企画、続けますか?? マジで。
813 :
名乗る程の者ではござらん:2007/01/30(火) 19:56:26 ID:bzujXsTn
光秀に伊藤英明ってのはどう?何年か前の12時間時代劇で信長やってたけど。
814 :
名乗る程の者ではござらん:2007/02/19(月) 01:20:04 ID:QExGAdMN
>>813 ◎伊藤英明=光秀公を演じるのに名前は、大変良い。いつか演じていただきたい。
(少し大柄なのが気になるが)
◎唐沢寿明もそれなりに良かった。演ずるにふさわしい役者さんだったと思う。
唐沢寿(明)+山口(智)子=明智
815 :
名乗る程の者ではござらん:2007/02/19(月) 03:30:03 ID:hH+Mt27v
唐沢は利家しかやっちゃだめ
816 :
名乗る程の者ではござらん:2007/02/20(火) 21:14:56 ID:mVNnFPXD
そう言う人、多いすね。
でも、好演していたじゃん。 良かったよー。
817 :
名乗る程の者ではござらん:2007/05/06(日) 01:47:58 ID:QxQu999s
全力で保守
湖水渡りage
秀満はもっとガタイのいい感じのひとが良かった
821 :
名乗る程の者ではござらん:2007/08/23(木) 03:13:40 ID:8XZs+96D
でも、楽しみ!
822 :
平山貴士:2007/12/07(金) 02:14:12 ID:VGzXhYYQ
明智光秀は田村正和、西郷輝彦、松本幸四郎、及川光博でいかがか?
デ・ニーロではいかがでござろう?
824 :
名乗る程の者ではござらん:2007/12/07(金) 13:17:06 ID:u6j7EFX2
及川光博は里村ジョウハが似合いそうだ。
825 :
平山貴士:2007/12/09(日) 17:37:33 ID:wnYSIFJc
823番様へ
ロバート・デ・ニーロ出すなら
アル・パチーノを徳川家康で
津川ばりの家康を期待
平山氏って、熟年世代なん?
他の板でも出す人物が爺むさかったりする
827 :
平山貴士:2007/12/11(火) 01:11:04 ID:+lYhXaeS
オレか?32歳だ
中途半端な年代(笑)
最近あんまTV見ないからかな。年寄りくさいのは。
オレのレス見てくれたか。ありがとう。
梅雀さんは いい俳優だけど、丸顔の惟任殿はいかがかと