裁判に対する不服は物語好きの勘違い、
あれは純粋な敵討ちだった
出直せ
これが587が長々と展開した末の結論だ
多人数での行動だ
一人が一時の興奮で起こした事件ではない
多くの人が十分な冷却期間を置いて行ったのが討ち入りだ
その間、多数の脱名者を出した
大石の思い、小野寺十内の思い、堀部らの思い、
個人の感情は、それぞれが微妙に違うであろう
裁判への怒り、殿様への一途な忠義、自らの武士道、
堀部ら新参者たちは先君が家計が苦しいのに武力を期待して
新たに召抱えられた人達、つまりこのときに戦わなければ何なんだとの思い、
内匠頭個人に愛され、当然追い腹を切るべきなのに切らず、
大石派に冷たい疑惑の目で見られながらも血盟し、
討ち入りに加わった悲しくも激しい思い、
寺坂吉右衛門信行という38歳の足軽は分限牒というのに載っていないという、
また小間小頭の金三両二人扶持に記される、名字も無く、ただ吉右衛門と書かれているのが
そうかも知れないのだとも言う、
そこにも我ら物語派は期待せずにはいられない
涙が出てくるのだ
その全ての思いが大石という大豪傑に指揮されて、
吉良の首を取るという快挙を成し遂げたのだ
浅野分限牒に載ってる浅野の家来は、
千五百石の大石を筆頭に、米二石とか銀六百五十目とかまでで、
四百数十名か
587の言う全く裁判に不服が無かったというのはむしろ
この義挙に加わらなかった赤穂浪士400名に多いのではないか?
それとわずか3人しか参加していない議論だ
もう少し穏やかに話そうではないか
ワハハ
討ち入りの前にも、
城で全員切腹、
篭城して徹底抗戦が議論された
はやくも吉良を討つという意見も出された
まだ、浅野大学を立てての再興への期待もあった
とにかく死にたくない赤穂浪士たちとっては、
切腹も、篭城も、吉良殺害計画も気が重かったに違いない
この人達は何を言っているのだろう
当然、それは全て上様の裁きに対する面当てになる、
そんなことをしてはならんと主張しただろう
結果は静かに城を空け渡すということになった
死にたくない派はこの時、後の吉良討伐という激烈な結末を予想できただろうか
ただ大石が引き続き、お家再興運動をやっていくという
方針は発表された
重要なのは、全員切腹、篭城しての徹底抗戦、吉良討伐、
このような意見が議論されたことだ
その一因に裁判への不服が全く無かったと言いきれるだろうか
また、吉良への処罰要求ということがあったのか、なかったのか、
吉良への処罰要求があったとすれば、
これは決定的な裁判に対する不服だ
その根拠に喧嘩両成敗があると考えられる
そして全ての望みが絶たれたとき大石一派は、
吉良討伐へと怒涛の進撃を開始する
それは人類史上に残る快挙であった
時代は武士の心が軟弱へと向かう時代だ
綱吉は武士の気迫というものを見誤ったのではないか
喧嘩両成敗という本質を理解できていただろうか
その後の吉良の悲劇を全く予想出来ていなかったのではないか
この判決は吉良にとっても不幸だった
綱吉は騒乱を望んだのか
両家にとっては決して譲ることの出来ない意地の勝負だ
俺の所の殿様は殺された
あいつの所は上様のお気に入りよ
やい、ちくしょう、なめくさるのもいい加減にしろ
幕府は武士を何だと思ってんだ
浅野家がこんな裁きに服すると思ってんのか
老中など重役連中は、当然心配したという
俺は綱吉の珍裁判は責められて当然だと思う
綱吉は587のように、ただ過去の判例によって裁いたのだろうか
それとも側近に587のような判例マニアがいたのだろうか
そうだとすれば587こそが吉良を不幸に招いた張本人と言えるのではないか
現代の法の精神ではない
武家の歴史が始まって以来の、
武士同士の喧嘩を仲裁する大親玉としての真価が問われる晴れ舞台だ
武家の棟梁としての重大な役目だ
事実を見ずに過去の判例にのみに頼ったのであれば
片手落ちとしか言いようが無い
綱吉が裁き、老中らが心配した
討ち入り後、老中、綱吉までもが感激したという
何か判決におかしなことがあったとしか考えられない
この事件、東照大権現ならどう裁いたか
俺には関心があるよ