【赤穂浪士は悪役】吉良側に立った忠臣蔵を作ろう!

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591パンツ ◆7vYOZotTDo
なんだこいつら?
人間のクズが揃ってるな
俺とやる度胸もねえくせに
一人前の口を聞きやがる
>>587
おめえだよ、おめえ
ぶっ殺すぞこの野郎
口の聞き方に気をつけろ小僧
592パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/28(水) 08:21:48 ID:???
おい、おめえらみっちり稽古つけてやってもいいんだぞ
しょっぱい板で寝言抜かしてると棺桶に叩き込むぞ阿呆が
まあ、あせらず、ゆっくりいこうぜクソどもよ
時代劇?
クソ素人が
活きのいいのが揃ってるじゃねえかよワハハ
593パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/28(水) 08:26:17 ID:???
俺の見たところ知識優先のクソが揃ってるな
知識誇りはクソの悪い癖よ
まだ八百屋の親父のほうが物を分かってるわな
まだ俺の実力の3パーセントしか出してない
ションベン漏らすなよ
594パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/28(水) 08:28:34 ID:???
あえてお前らを名付けるとするならば綱吉ファンクラブだな
脱会をお勧めするぜ
ヘヘヘ
595名乗る程の者ではござらん:2005/12/28(水) 11:18:49 ID:???
( ゚д゚)ポカーン
596パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/28(水) 17:26:54 ID:???
さてと、また来たよ
なんだ、たったの1レスか
偉そうに調べて出直せとか抜かす奴らってのはこんなもんよ
お前らののクソ知識を総点検して罵倒してやるって言ってんだ
臆せずジャンジャン書けアホンダラ
とくに>>587
大口叩いたんだから、せめてお前の忠臣蔵に対する考えをまとめて書いてみろや
597パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/28(水) 17:30:43 ID:???


579 名前:名乗る程の者ではござらん 投稿日:2005/12/27(火) 21:34:45 ID:???
>ALL
煽り&ヴァカはスルーでヨロスコw

582 名前:名乗る程の者ではござらん 投稿日:2005/12/27(火) 22:04:59 ID:???
(´-`).。oO(誰とは言わんが、このスレを最初から読め と。)

583 名前:名乗る程の者ではござらん 投稿日:2005/12/27(火) 22:06:21 ID:???
(´-`).。oO(うわっ!)

595 名前:名乗る程の者ではござらん 投稿日:2005/12/28(水) 11:18:49 ID:???
( ゚д゚)ポカーン


あとこの顔文字は同一犯か?
こんな板にも2chぶってるクソがいるんだな
どうしようもねえ奴らだな
しばらく引き締める予定だから
598名乗る程の者ではござらん:2005/12/28(水) 18:36:14 ID:???
これだから
史実と作り話の区別がつかない阿呆は

ちゃんと社会生活できてるのかねえ
599パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/28(水) 18:50:08 ID:???
>>598
たっぷり時間を与えてるのにそれだけか?
カラッポの頭でよく考えてみろ
書き直せ
600パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/28(水) 18:53:57 ID:???
お前らちゃんとやれよ
薄い知識を総動員して気合入れて書き込め
何も知らねえお子様方よ
社会生活?
関係ねえこと書いてんじゃねえよ
早くも逃げの一手か
吉良側から見たって何もでてこねえぞ
ハッハッハ
601587:2005/12/29(木) 01:45:38 ID:???
どうせ火病るだけでまともな反論は期待できんだろうが
釣られてみるか。せっかく御指名受けたんだしな。

>大口叩いたんだから、せめてお前の忠臣蔵に対する考えをまとめて書いてみろや
「忠臣蔵」
 もともとは寛延元年初上演の浄瑠璃芝居『仮名手本忠臣蔵』の略称。
 そこから転じて、元禄十四年の浅野長矩刃傷事件と元禄十五年の赤穂浪士討ち入り
事件から構成されるいわゆる「赤穂事件」を題材にしたフィクションの総称の意味でも
用いられる。
 武家法制よりも朱子学イデオロギーを重んじる儒学者・武家法制をろくに知らない文人の
思いつきがだいたいのモトネタなので、そのためまともに考証すると有り得ない展開多数。
 フィクションをフィクションとして楽しむ分には害がないものの、現実とフィクションの区別が
つかない人間が真に受けて電波を撒き散らすことが多々あり、良識ある日本史愛好者や
時代劇ファンの顰蹙を買っている。

 では、ここからは「忠臣蔵」ではなく史実の「赤穂事件」の検証といこう。
602587:2005/12/29(木) 01:47:43 ID:???
 武家法制史的に「喧嘩両成敗」の概念を確立させたのは、貞和二年発布の室町幕府法
追加法十五条並びに二十六条である。鎌倉時代にも原形となる概念は存在したが、これは
執行力を伴わないものであるからここでは考慮しない。
 この法令では、攻撃者側は道理にかかわらず有罪(所領没収・流罪)、被攻撃者側は
対処のしようによって無罪から攻撃者側と同等の処罰までケースバイケースで処理すると
規定されている。
 以後、室町幕府はたびたび追加で法令を発布してことこまかく規定を定めていくが、基本の
大原則は変わっていない。すなわち、
「攻撃者は理由にかかわらず、公権力が責任をもって処罰する。
 被攻撃者も、自衛の範囲を逸脱して応戦した場合は喧嘩と見做して処罰する」
というものである。
 室町幕府の権威が失墜するに伴い、幕府法もまた有名無実のものとなるが、「喧嘩両成敗」の
思想は公権力の主体が幕府から諸大名家に移る形で存続する。

「将又あひて取かくるといふとも、令堪忍、剰被疵にをいてハ、事ハ非儀たりといふとも、當座
をんひんのはたらき、理運たるへき也、兼又與力の輩、そのしはにをいて疵をかうふり、又は
死するとも、不可及沙汰のよし」(今川仮名目録)
「若一方手出於仕者、雖為如何様理、其者可行罪科事」(元親百か条)

 他の武家法制文献の規定も大同小異だから省く。要するに
「先に攻撃をしかけた側(加害者)が理由を問わず制裁を受けるという前提のもとで
 攻撃を受けた側(被害者)の応戦を制限する。」
これが現実に存在した「喧嘩両成敗」の趣旨に他ならない。
 留意すべき点は、この攻撃があくまで実力行使を伴ったものと規定されていることである。決して
「揉め事はどちらも等しく処罰する」などという安直なものではないのである。
 そして、こうした「喧嘩両成敗」の思想は江戸時代に至るも何ら変わらない。そのことは
江戸時代に起こった武家の刃傷事件の判例を確認すれば明らかである。
603587:2005/12/29(木) 01:51:41 ID:???
 江戸時代の代表的な武家の刃傷事件を集めたものとして『営中刃傷記』という文献がある。
 異本もあって、それぞれ収録されている件数に食い違いがあるらしいが、活字化されているものでは
十四例の刃傷事件とその判例が報告されている。
 掲載順に紹介すると、

 寛永四年  猶村孫九郎事件
 寛永五年  豊島信庸事件
 亭享元年  稲葉正休事件
 元禄十四年 浅野長矩事件
 正徳六年  多賀高國・川口權平事件
 享保十年  水野忠恒事件
 延享四年  板倉勝該事件
 正保三年  高島左近事件
 寛文四年  一色直正事件
 延宝八年  内藤忠勝事件
 宝永八年  前田利昌事件
 貞享元年  小島正房事件
 天明四年  佐野政言事件
 文政六年  松平外記事件

 紹介されていない事件でも朝比奈泰申の刃傷とか池田長頼の刃傷とかいろいろあるけれども、
きりがないから『営中刃傷記』で紹介されている事件だけで限定する。

 ここで考えなければならないのは、この十四例の中で、「忠臣蔵」を真に受けている人々が主張する
ような「喧嘩両成敗」がいったい幾つ実施されているかということだ。
604587:2005/12/29(木) 02:05:44 ID:???
 結論からいえば、「喧嘩両成敗」の実例はただ一例、正徳六年に多賀高國と川口權平が斬り合った
事件しかない。
 この事件はどちらもが実力行使に及んだわけだから、両方が罰せられるのは当然である。

 例えば猶村孫九郎事件や松平外記事件に関して、被害者側もいちおう罰せられていることから、
これを「喧嘩両成敗」とする意見もたまに見かける。しかし、猶村孫九郎事件の被害者二人が追放、
松平外記事件の被害者一人が追放、二人が隠居、十五人が左遷となったのは「仕方不届」、
簡単にいえば狼藉者が暴れているのに適切な対処を怠ったことを咎められたからで、これを「両成敗」とする
のはいかにも無理がある。
 なお松平外記は三人を殺害しているけれども、この三人については特に処罰はなく、問題なく遺児に
相続が認められている。
(ちなみに松平外記は同僚のいじめに逆上して刃傷に及んだ。被害者の側が全面的に悪い稀なケースだ)
 水野忠恒事件では直接の被害者の毛利師就が応戦したにもかかわらず無罪放免、たまたま居合わせて
何もしないで現場を離れた酒井忠衍が士籍を剥奪されている事例などを考えても、猶村孫九郎事件や松平
外記事件での被害者処罰を「喧嘩両成敗」とする意見には同意できない。

 また豊島信庸事件でも、被害者側の永井家(七万三千石)が取り潰されたことを「両成敗」とする説もあるが、
これも勘違いである。永井尚長が殺されたために「嗣子なきは家を絶つ」の幕法に引っかかってしまい、
取り潰されてしまったというのが事実である。幕閣もさすがに同情したらしく、このケースでは、直後に尚長の
弟の直圓を新たに一万石の大名に取り立てるという救済措置がなされている。
 板倉勝該に主君を殺された細川家、前田利昌に主君を殺された織田家に至っては本来なら取り潰されるべき
ところを急遽「末期養子」を立てて相続させることを認められている。
605587:2005/12/29(木) 02:08:24 ID:???
 従って『営中刃傷記』の判例十四例中、浅野の事件を含む十三例が「喧嘩両成敗」ではないと結論づける
ことができるが、そうなると、浅野以外の事件についても日本中が怒り狂い、被害者側に穏便な、こんな裁きが
許されるべきではないといった非難は集まらなかったのだろうか?
 確かに江戸庶民はおかみへの反発心からか、大きな刃傷事件が起こると、必ずといっていいぐらい被害者を
悪者にし、加害者を英雄視した。「世直し大明神」と絶賛された佐野政言が最も顕著な例だろう。擁護論が
出てこないのは水野忠恒ぐらいのものだ。水野忠恒の家系は譜代の名門だったことから、殿中刃傷の大罪にも
かかわらず罪一等を減じられて死罪を免れた。このことは人々の非難を集めた。逆にいえば、刃傷犯即死罪が
当たり前の時代だったのである。
 だから、「忠臣蔵」としてフィクション化した浅野の件を除いて、加害者に同情が集まることはあっても、
加害者側に過酷な判決そのものに非難が集まったという話は寡聞にして聞かない。
 
 他の判例から考えても、現実の武家法制から考えても、「吉良が無罪、浅野が切腹」の判決は妥当であり、
これを「喧嘩両成敗を破り」などとする主張は武家法制をろくに知らない人間の根拠のない空想でしかない。
 もちろん、江戸時代の武士たちは「喧嘩両成敗」のルールをちゃんと知っているから、浅野の刃傷に対しても
実にそっけない。

「殿中の喧嘩は是非を論ぜず、先太刀打つ者非分なる事なり」(鸚鵡籠中記)

 これが当時の武士の現実の認識である。
 だいたい、討ち入った当の赤穂浪士が口上書の中で「不調法至極に付切腹被仰付」「家来共迄畏入奉存候」
あんなアホなことやったんだから家来の自分たちも弁解のしようがないよ、と書いているのだから「吉良が無罪、
浅野が切腹」の判決が珍指令なんて発想はオハナシの中でしか成立するわけがないのだ。
606587:2005/12/29(木) 02:13:02 ID:???
 『浅野内匠頭家来口上書』は赤穂浪士が討ち入りに際して用意した声明文である。
 これは彼ら自身が自分たちの行為の正当性を主張したものであるから、これを否定してしまっては、赤穂
浪士の討ち入りの正当性そのものがぶち壊しになることは説明するまでもあるまい。
 以下、後で意訳したとかいわれたくないから原文のまま引用する。

「浅野内匠頭家来口上
 去年三月、内匠頭儀、伝奏御馳走之儀に付、吉良上野介殿へ含意趣罷在候処、於殿中、当座
難忍儀御座候歟、及刃傷候。不弁時節場所働、不調法至極に付切腹被仰付、城地赤穂被召上候儀、
家来共迄畏入奉存候。受上使御下知、城地差上、家中早速離散仕候。右喧嘩之節、御同席に御差留の
御方有之、上野介殿討留不申候。内匠頭末期残念之心底、家来共難忍仕合に御座候。対高家御
歴々、家来共挟鬱憤候段、憚り奉存候得共、君父之讐不可共戴天之儀、難黙止、今日上野介殿
御宅へ推参仕候。偏に継亡主之意趣之志迄に御座候。私共死後、若御見分之御方御座候者、
奉願御披見、如是御座候。以上。
 元禄十五年十二月 日
浅野内匠頭長矩家来 大石内蔵助以下四十七名」

 ここで重要なのは三点。
・浅野が吉良に斬りつけた動機について明確なことはいっていない。
(「難忍儀御座候歟」我慢できないことでもあったのか?=推量形)
・浅野が死罪になり、領地没収となったのは仕方がないと認めている。
・吉良を殺害するのは、主君の意趣を継いだからだと主張している。

 要するに赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは、吉良が悪いと思っていたわけでも幕府の裁きが間違っている
と思っていたわけではなく、主君が吉良殺害を企てて遂行できず、赤穂家再興の望みも絶たれてしまったから、
忠義の臣として主君の遺志を継承したものである。
 またこの「討ち入りの論理」は大石内蔵助や小野寺十内が家族に当てた書簡によっても裏づけられている。
 赤穂浪士を美化するにしても、本人たちの口上書や書簡の内容を不都合だからと黙殺してしまうというのでは
本末転倒というものだろう。
607587:2005/12/29(木) 02:29:58 ID:???
 以上のことから「忠臣蔵」とは、「喧嘩両成敗」に言及している武家法制関連の文献・他の刃傷事件の判例・
赤穂浪士自身の討ち入りの口上書といったものを無視しなければ成り立たないフィクションであるということは、
まあ現実と作り話の区別ができる人には納得していただけることだろう。

 最後に余談代わりに、元禄当時から現実と創作の区別がつかなくなっている人がいたという実例を一つ。
 儒学者の浅見絅斎は赤穂浪士の行為をもっとも肯定した論者だったが、彼の「四十六士論」によると、

「四十六人ノ者ノアトアトモ大ヤウニテ、族罪ニモ不及」
四十六人は忠義の士と認められたから、家族や親類に連座の罪が及ぶことがなかった。

 赤穂浪士の子供が十九人も連座制にひっかかって遠島を命じられたことを浅見先生は知らなかったようです。
 実際に伊豆大島送りになったのが四人(そのうち一人は大島で死亡)、後の十五人は元服を迎えてから執行
されるはずだったんだがなあ。
 まあ赦免はされるんだけれども、それだって家宣が将軍になった際の恩赦のおかげだし。

 しかし、浅見先生の後継者はこんにちに至るまでも絶えないようですねえ、ええ・・・
608587:2005/12/29(木) 02:52:06 ID:???
最後にいっておくと
俺は「赤穂事件」は大好きだよ。
フィクションの「忠臣蔵」もあれはあれで楽しめるからいい。

ただ現実とフィクションの区別ついてない連中がイタイと思うだけ。
609587:2005/12/29(木) 03:14:19 ID:???
読み返していて気づいた
×豊島信庸事件でも、被害者側の永井家(七万三千石)が取り潰されたことを「両成敗」とする説もあるが、
○内藤忠勝事件でも、被害者側の永井家(七万三千石)が取り潰されたことを「両成敗」とする説もあるが、

豊島の事件では御家断絶に加えて12歳になる長男が連座して腹切っている。
被害者側の井上家はお咎めなしで明治まで存続した。
610パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/29(木) 12:19:45 ID:???
じっくり読ませていただこう
611568=571=574:2005/12/29(木) 13:05:48 ID:???
わーい、パンツ ◆7vYOZotTDoの乱入で俄然面白くなったな。
しかし、喧嘩両成敗については、587さんの書いているとおりなんだろうね。
民衆が「喧嘩両成敗なのに」とはやし立てたというのは、それこそ「後世の作り話」だろうね。

では、パンツさんの書き込みを期待しています。
612587:2005/12/29(木) 23:14:38 ID:???
 一年の仕事から解放されて帰ってきた。
 なんかいまいち火つきが悪いようだし、また燃料でも投下しておくか。

 直接赤穂事件と関係するものでないから失念していたこと。
 江戸時代における現実の武家社会の「喧嘩両成敗」が実際はどういうものだったか、すなわち「忠臣蔵」の
フィクションの中の「喧嘩両成敗」が当時のリアル武士にとってはどれほど噴飯モノだったか、そのことを
示唆してくれる格好な文献がある。
 江戸時代の教養ある武士たちのバイブル・甲州流軍学のテキスト『甲陽軍艦』である。

 江戸時代の武士ならば誰でも知っていたであろうこの文献には
「喧嘩両成敗は悪法だからやめてしまえ」
という批判が堂々と論じられているのだ。もちろん、「忠臣蔵」の中でしか通用しない「喧嘩両成敗」ではなく
現実の武家社会のルールだった「喧嘩両成敗」に対する批判である。念のため。

 要約するとこんな内容である。
 ある時、内藤修理という武将が武田信玄に進言して、こんなことを述べた。
「暴力は理由にかかわらず成敗する、だから何でも堪忍しろという状況は、確かにうわべは平穏無事が
保たれるだろう。しかし、それでは決まりごとに従順であればそれでいいという風潮を招き、武士の面子を
損ない、皆を臆病者にしてしまう。暴力を振るった者を無条件に罰するというのはやめて、そもそも暴力を
振るわせる原因を作った者を罰するようにすべきである」
  『甲陽軍艦』には信玄がこの信玄を聞き入れて法を改めたと書いてあるが、史実であるかどうかは
疑わしい。『信玄家法』にはちゃんと「喧嘩両成敗」の規定が含まれているからだ。
 いずれにしても、江戸時代のリアル武士たちが実際の「喧嘩両成敗」がどのように認識し、どのように
議論したかは、この記事からだけでもお分かりいただけることと思う。
613587:2005/12/29(木) 23:17:11 ID:???
 ここまで書いて、ピンとくる人たちも少なくないだろう。
 内藤修理の論を採用すれば、フィクションとして扱う場合でも、当時の武家法制と矛盾することなく、
赤穂浪士の討ち入りをちゃんと正当化できてしまえるのだ。
 そもそも吉良が悪かったことにしてしまえばいいのである。
「先に切りつけた主君は切腹となり、抵抗しなかった吉良は無罪だった。だが、そもそも悪いのは吉良である。
喧嘩両成敗の原則は悪法である。悪い者が責任を負うべきだから、敢えて吉良を討つ」
 この論理展開なら、否定肯定は別として、当時の武士たちも「そういう論法もある」といちおう納得できる。

 ところが、フィクションの「忠臣蔵」における論理展開がどうだったかといえば、

>喧嘩両成敗、
>これが大前提だ
>浅野が切腹、吉良が無罪、
>この綱吉自らによる裁きに日本中が大不満を発したという事を
>無視しては決して忠臣蔵を理解することは出来ない

 これだけでもう「喧嘩両成敗」にかこつけて赤穂浪士の討ち入りを正当化しようとする人たちが、まともな
武家法制の知識を持ち合わせていない、「喧嘩両成敗」を字面だけで「揉め事はなんでもかんでも両方を
処罰する」と勘違いしている連中だったことは明らかといっていいだろう。
 「忠臣蔵」というフィクションを作り上げてきたのは、まさしくそういう「喧嘩両成敗」を勘違いした人々なのである。
 この点を無視しては決して現実に起こった赤穂事件を忠臣蔵と区別することはできない。
614587:2005/12/29(木) 23:19:22 ID:???
読み返していて、また気づいた
○亭享元年  稲葉正休事件
×貞享元年  稲葉正休事件

○ 要するに赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは、吉良が悪いと思っていたわけでも幕府の裁きが間違っている
○と思っていたわけではなく、主君が吉良殺害を企てて遂行できず、赤穂家再興の望みも絶たれてしまったから、
× 要するに赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは、吉良が悪いと思っていたわけでも幕府の裁きが間違っている
×と思っていたわけでもなく、主君が吉良殺害を企てて遂行できず、赤穂家再興の望みも絶たれてしまったから、
615587:2005/12/29(木) 23:30:50 ID:???
 そうそう、甲州流からの連想で思い出した。
 「忠臣蔵」を真に受けている人間は知らんだろうが、
討ち入りの際に叩いたのは「山鹿流の陣太鼓」ではなく
「甲州流の押太鼓」だったと書いた文献もあったはずだ。
 四十七士の一人吉田忠左衛門は甲州流の軍学者でもある
から有り得ない話でもない。

 いま書いた「内藤修理の論理」、ほんの思いつきだったんだが、
案外と見込みがあるかもしれんぞ。吉良が悪ければの話だけど。
616587:2005/12/29(木) 23:34:44 ID:???
>>614 は○と×が逆さまだった。スマソ

×亭享元年  稲葉正休事件
○貞享元年  稲葉正休事件

× 要するに赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは、吉良が悪いと思っていたわけでも幕府の裁きが間違っている
×と思っていたわけではなく、主君が吉良殺害を企てて遂行できず、赤穂家再興の望みも絶たれてしまったから、
○ 要するに赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは、吉良が悪いと思っていたわけでも幕府の裁きが間違っている
○と思っていたわけでもなく、主君が吉良殺害を企てて遂行できず、赤穂家再興の望みも絶たれてしまったから、

ついでに
×『甲陽軍艦』
○『甲陽軍鑑』
617名乗る程の者ではござらん:2005/12/29(木) 23:48:46 ID:???
話の都合上そういうルールの世界にしたんじゃなかろうか?
フィクションはどんなルールにしようが作者の勝手だから。
618パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 02:39:59 ID:???
また増えてるよ
ちょっと待ってね
ワハハ
619パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 02:46:09 ID:???
ただ最初に言う事は、
火病る、火つき、燃料投下、煽り、
俺の最も嫌いな言葉が多過ぎる
何を考えているのか
2chの連中は不愉快な奴らだ
620パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 03:25:50 ID:???
もう、いいだろう
587の暴言は聞き飽きた
長々と書きかわいい奴だとも思ったが、
度重なる無礼な振る舞い
クソ素人と断定せざるを得ない
まず、587なるクソ素人の最大の失敗は、
この俺との戦いを、自らを史実派と名乗り、
自分を代表とする史実派と俺を頂点とする物語派の争いと定義付けたことだろう
途方も無いド阿呆と言える
621568=571=574:2005/12/30(金) 03:30:43 ID:???
うーん、このままでは、パンツさんは負けを認めたことになるでしょう。
587さんを史実派だと決め付けているだけですから。

改めて、パンツさんの一撃を期待しております。
622パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 03:31:12 ID:???
この自らを史実派と名乗るド阿呆は、
松の廊下ただ一点に集中し、
2ch用語を盛んに使い、この俺に勝負を挑んでいる
そのなめ腐った態度が気に入らない
お前は一体何を言っているんだ?
素人が何を言っている?
もはや、俺と587との一対一になった今日においても
無用な火つき、燃料投下なるクソ素人用語を使い
俺を倒そうとしている
俺に勝ちたいのか?
それは大きな間違いだ
623パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 03:35:15 ID:???
>>621
馬鹿者、俺が一度動き出せば、こんな野郎殺すのは訳は無い
俺とお前と587の3人だけだろう
何を急いでいるんだ
俺が怖いのか?
せいぜい震えて小便漏らせよ史実派気取り
史実と物語というしょっぱい構図を出してきたのはお前らだろう
ならばその勝負を買ってやる
おれは物語派の頂点に君臨しよう
そしてお前と587を粉々にしよう
624パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 03:39:19 ID:???
587が盛んに書いているが何が言いたいのかさっぱり分からない
俺と意見が同じなのか
違うのか
忠臣蔵が好きなのだという
その一方で松の廊下、そのただ一点に固執する
そして物語と事実は異なると言う
だから何なんだ
物語の忠臣蔵は好きだが、事実の忠臣蔵は嫌いだと理解してよろしいか?
そんな区分けに意味があるのかね
625パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 03:44:20 ID:???
勝手に物語と事実を分けて息巻いてるが、
そこからは何のアクションも見つけられない
だいたい587という事実とは何だ
赤穂義士の討ち入りがフィクションだと言うのか
お前と俺の意見の食い違いは、
法解釈の違い、
そう、まさに綱吉と大石の違いと同じだと言える
我々がそこを議論しても始まらないのではないか
事実はどうなったか
赤穂義士の討ち入りと言う激しい結果が待っていたのだ
626568=571=574:2005/12/30(金) 03:44:59 ID:???
ひえー。
俺を粉々にするのは、後にまわしてくだせえ。
まずは、パンツさんの587さんに対する一刀両断を見たいのれす。
627パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 04:10:51 ID:???
裁判に対する不服は物語好きの勘違い、
あれは純粋な敵討ちだった
出直せ
これが587が長々と展開した末の結論だ
多人数での行動だ
一人が一時の興奮で起こした事件ではない
多くの人が十分な冷却期間を置いて行ったのが討ち入りだ
その間、多数の脱名者を出した
大石の思い、小野寺十内の思い、堀部らの思い、
個人の感情は、それぞれが微妙に違うであろう
裁判への怒り、殿様への一途な忠義、自らの武士道、
堀部ら新参者たちは先君が家計が苦しいのに武力を期待して
新たに召抱えられた人達、つまりこのときに戦わなければ何なんだとの思い、
内匠頭個人に愛され、当然追い腹を切るべきなのに切らず、
大石派に冷たい疑惑の目で見られながらも血盟し、
討ち入りに加わった悲しくも激しい思い、
寺坂吉右衛門信行という38歳の足軽は分限牒というのに載っていないという、
また小間小頭の金三両二人扶持に記される、名字も無く、ただ吉右衛門と書かれているのが
そうかも知れないのだとも言う、
そこにも我ら物語派は期待せずにはいられない
涙が出てくるのだ
その全ての思いが大石という大豪傑に指揮されて、
吉良の首を取るという快挙を成し遂げたのだ
628パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 04:20:44 ID:???
浅野分限牒に載ってる浅野の家来は、
千五百石の大石を筆頭に、米二石とか銀六百五十目とかまでで、
四百数十名か
587の言う全く裁判に不服が無かったというのはむしろ
この義挙に加わらなかった赤穂浪士400名に多いのではないか?
629パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 04:24:03 ID:???
それとわずか3人しか参加していない議論だ
もう少し穏やかに話そうではないか
ワハハ
630パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 05:29:00 ID:???
討ち入りの前にも、
城で全員切腹、
篭城して徹底抗戦が議論された
はやくも吉良を討つという意見も出された
まだ、浅野大学を立てての再興への期待もあった
とにかく死にたくない赤穂浪士たちとっては、
切腹も、篭城も、吉良殺害計画も気が重かったに違いない
この人達は何を言っているのだろう
当然、それは全て上様の裁きに対する面当てになる、
そんなことをしてはならんと主張しただろう
結果は静かに城を空け渡すということになった
死にたくない派はこの時、後の吉良討伐という激烈な結末を予想できただろうか
ただ大石が引き続き、お家再興運動をやっていくという
方針は発表された
重要なのは、全員切腹、篭城しての徹底抗戦、吉良討伐、
このような意見が議論されたことだ
その一因に裁判への不服が全く無かったと言いきれるだろうか
また、吉良への処罰要求ということがあったのか、なかったのか、
吉良への処罰要求があったとすれば、
これは決定的な裁判に対する不服だ
その根拠に喧嘩両成敗があると考えられる
そして全ての望みが絶たれたとき大石一派は、
吉良討伐へと怒涛の進撃を開始する
それは人類史上に残る快挙であった
631パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 05:49:00 ID:???
時代は武士の心が軟弱へと向かう時代だ
綱吉は武士の気迫というものを見誤ったのではないか
喧嘩両成敗という本質を理解できていただろうか
その後の吉良の悲劇を全く予想出来ていなかったのではないか
この判決は吉良にとっても不幸だった
綱吉は騒乱を望んだのか
両家にとっては決して譲ることの出来ない意地の勝負だ
俺の所の殿様は殺された
あいつの所は上様のお気に入りよ
やい、ちくしょう、なめくさるのもいい加減にしろ
幕府は武士を何だと思ってんだ
浅野家がこんな裁きに服すると思ってんのか
老中など重役連中は、当然心配したという
俺は綱吉の珍裁判は責められて当然だと思う
632パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 06:06:06 ID:???
綱吉は587のように、ただ過去の判例によって裁いたのだろうか
それとも側近に587のような判例マニアがいたのだろうか
そうだとすれば587こそが吉良を不幸に招いた張本人と言えるのではないか
現代の法の精神ではない
武家の歴史が始まって以来の、
武士同士の喧嘩を仲裁する大親玉としての真価が問われる晴れ舞台だ
武家の棟梁としての重大な役目だ
事実を見ずに過去の判例にのみに頼ったのであれば
片手落ちとしか言いようが無い
綱吉が裁き、老中らが心配した
討ち入り後、老中、綱吉までもが感激したという
何か判決におかしなことがあったとしか考えられない
この事件、東照大権現ならどう裁いたか
俺には関心があるよ
633名乗る程の者ではござらん:2005/12/30(金) 08:46:34 ID:f/oRJgSs
>松の廊下ただ一点に集中し、
浅野内匠頭が刃傷を起こしたのは
白書院の廊下だ、ド阿呆。
634パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 09:03:55 ID:???
>>633
よし、住所調べて殺してやるよ素人
635568=571=574:2005/12/30(金) 10:26:07 ID:???
パンツ氏の書き込みを読んで、これはこれで面白かったね。

そこで気付いたのだが、この吉良殺傷事件というこの珍奇な事件の原因は、一言で言うと、「時代の大きな変化」ということではないだろうか。
つまり、こういうこと。
戦国時代までは(あるいは、島原の乱の頃までは)、大名(殿)というのは、文字通り一国一城の主であり、一つの軍団(武士団)の絶対的な最高指揮官だった。
だから、その軍団(武士団)の構成員にとっては、殿は絶対的な親分であり、自分たちは絶対的な服従者だ。
しかし、いわゆる幕藩体制が確立していく過程で、この大名は、ある面で幕府という組織の「官僚」として組み込まれていくわけだね。
だから、浅野は勅旨接待役をさせられている。
武士団の殿としては、少々馬鹿でもいい。江戸時代はもう合戦がないからね。
しかし、官僚としては、馬鹿では勤まらない。
636568=571=574:2005/12/30(金) 10:31:14 ID:???
もうここまで言えば、俺が何を言おうとしているかは分かると思う。
つまり、幕府幹部(綱吉を含む、つうか綱吉の意思)と藩の下級武士の間の意識の極端なずれだ。
綱吉からすれば、浅野は、とんでもないことをしでかしたDQNである。
切腹は当然だ。
(ここで少し微妙な要素が出るのだが)勢いで藩もお取り潰しだ。
しかし、赤穂藩(浅野家)の武士、特に下級武士にしてみれば、そういう幕府的な感覚はないから、単に我らの殿だけが恥をかかされたという思いは強くなる。
それは、武士道の一面だわな。当時としては、当たり前だ。
637568=571=574:2005/12/30(金) 10:36:07 ID:???
浅野は、勅旨接待役が満足にできなかった。
つまり、官僚としては失格人物だったわけだ(と思う)。
吉良に逆ギレして、公の場で刀を抜くという行為は、完璧にアウトだ。
弁解の余地はない。
しかし、そんなことは、浅野家の武士にとっては、全然関係がない。
この当時は、まだ元禄で、武士は(特に、地方武士は)戦国時代的な感覚をまだ強く残していたと思う。
武士とは、こまごました役目を果たすよりも、敵をばさっと斬るのが役目だという感覚。
そんな武士からすれば、吉良は憎かっただろう。
638568=571=574:2005/12/30(金) 10:42:12 ID:???
大石レベルだと、話は違う。
家老だから、浅野の人間的な弱点を知っているし、幕府的な秩序感覚も持ち合わせている。
だから、殿の切腹は致し方ないことは理解している。
しかし、家老の立場としては、それは内匠頭が「個人的に」だめなだけで、浅野家(赤穂藩)それ自体の否定にはならないはずだと考える。
それをいきなり、家(藩)ごと否定された。
だから、必死にお家再興に取り組んだ。
大石にとっては、あくまで目的はお家復興であり、討ち入りは下級武士に(一部上級武士もいますが)死に場を与えてあげたいという温情のような気持ちだったと思います。
ここまで、考えますと、大石の思いには、涙が出るようなところもあります。
639568=571=574:2005/12/30(金) 10:45:06 ID:???
この大石の家老としての矛盾する複雑な思いの中で、討ち入りを実行し、幕府に自首し、下手な弁明は一切しなかったという美しいところが人々に感動を与えたのです。

だから、もし、討ち入りが下級武士だけで実行されば、物語としてここまで日本人の心をとらえたとは思いません。
この大石がいてこそ、この物語は(人々にとっては)感動的なものになったのでしょう。
640568=571=574:2005/12/30(金) 10:51:54 ID:???
俺は、一つのポイントは、浅野家おとりつぶしという判断にあると思う。

というのは、近代的な方向に向かっているのならば、
「内匠頭は死刑、ただし、藩は存続」
になるはずだ。個人と組織(あるいは人間集団)を(ある程度)別物として考えるのが、近代的な感性だからだ。
戦国時代的武士道の感覚では、
「内匠頭が切腹ならば、一族郎党が路頭に迷うのは当たり前」
だ。
つまり、綱吉の判断にある種の矛盾があるのだね。
641568=571=574:2005/12/30(金) 10:54:36 ID:???
もし、戦国的要素で対処するならば、ここで
「喧嘩両成敗」
をどう判断するかが、難しい。
この点については、綱吉は、近代的方向で判断した(たとえ、瞬間湯沸かし器的判断だったとしても)。

しかし、次に、浅野家の取り扱いについては、戦国的感覚で判断してしまったのではないだろうか。
642568=571=574:2005/12/30(金) 10:59:32 ID:???
大石にとっては、「お上」がそういう秩序重視で判断されるのならば、そうして浅野家はお取り潰しなのか、と思ったはずだ。

俺は、あまり史料には詳しくないが、江戸時代の例としては、大名が切腹になったが、お家は存続した(あるいは再興が許された)例はいくつかあるはずです。
秩序を重視する方向性からは、悪い個人を処罰し、一方で、社会的混乱を避けるために、お家の取り潰しには慎重になるはずです。

これがまだ家康や家光の時代ならば、取り潰しは強力に行ったのです。
まだ当時は戦国の世の中だといっても良かったのです。

近代的な方向に向かう中での、綱吉の判断の矛盾が事件のポイントでもあると思います。

643568=571=574:2005/12/30(金) 11:07:12 ID:???
642の一行目
× そうして浅野家はお取り潰しなのか
○ どうして浅野家はお取り潰しなのか
644568=571=574:2005/12/30(金) 11:10:18 ID:???
というこころで、つまり、この事件のポイントは、
「喧嘩両成敗」の判断と「お家お取り潰し」の判断のねじれ現象
だと思います。
言い換えれば、
戦国的感覚と近代的(秩序重視的)感覚のねじれ現象
だと思います。
近代的になり切れなかった綱吉と、戦国感覚のままだった浅野家の武士(特に下級武士)の微妙なずれがあるのです。
これがまた、物語としても面白いわけです。
645568=571=574:2005/12/30(金) 11:13:01 ID:???
言うまでもありませんが、「喧嘩両成敗」については、これはもう587さんが詳細に述べておられます。
つまり、幕府の最高レベルの判断と、もののふ的な感覚に相当のずれがあったようです。
646パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 11:58:37 ID:???
義士の半分以上は百石貰ってるよ
浅野家が五万石だろ
十倍にして大藩の感覚にすれば、
大石は、一万五千石、
半分以上の義士は、千石以上ということになる
藩が小さいから給料が少ないだけじゃん
647 ◆O1C/ywR1VI :2005/12/30(金) 12:10:19 ID:???
>パンツ
何が言いたいんだ?
スレタイ読めないのかw


あー池沼みたいだから「 レ ス 無 用 」だw
648名乗る程の者ではござらん:2005/12/30(金) 12:19:38 ID:???
>>646
幕藩制度勉強してから出直せ。

藩の規模が大きくなればそれだけ家臣の数を増やさなくては治政がままならない。
赤穂浅野家は成立時の事情から家臣数がむだに多く
適正な数の2倍もの家臣を抱え込んでいて
そのため藩士たちは全般に安扶持で苦しんでいた。
だから、2倍程度の藩の規模なら同じ家臣数でもどうにかなるし
その分扶持も増えはするだろうが
さらに藩が大きくなれば比例して家臣の数も増やさないと藩の運営ができない。
そんな短絡的な計算が成り立つわけないだろ。
だいたい千石以上といったら五十万石級の大名家でも重臣クラスだ、このド素人が。
649名乗る程の者ではござらん:2005/12/30(金) 13:12:32 ID:3gKFam0a
>この事件、東照大権現ならどう裁いたか
>俺には関心があるよ

東照宮御遺状百箇条は御存じ?
君が読んでも暴言にしか見えないと思うけど。
650パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 13:19:20 ID:???
なにこれ?
急に素人が増えてきた
知らない人ばかり
気持ち悪い
651パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 13:20:21 ID:???
全員ブっ殺してもいいんだぞ
横から入ってきやがって
殺すぞ
一人俺に憧れてる奴がいるな
ふざけた野郎だ
652パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 13:22:02 ID:???
揚げ足取ってるつもりかお前
根性もねえくせに
笑わせんじゃねえよ
気合入れて来いアホンダラ
これだから専門板のカスは始末に悪いぜ
653名乗る程の者ではござらん:2005/12/30(金) 13:25:05 ID:???
何も知らねえお子様が
カラッポの頭で薄い知識を総動員して
がんばって書き込んでるな
654パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 13:25:17 ID:???
俺の予想だと、
浅野家は武張った家柄で石高に比して家来が多い
その豆知識が披露したかっただけなんだろ?
分かってんだよお前の考えることは
こっちは粉々ちゃんと軽いおしゃべりを楽しんでんだよ
分かったかクソ野郎
だいたいここは俺の日記帳
無断でくだらねえ書き込みするんじゃねえよドサンピンが
655パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 13:26:28 ID:???
ほれ、もっとかかって来いよ
ミスター書き込みの恐ろしさを教えてやるよ
クソ素人がよ
656NGワードの有効使用推奨:2005/12/30(金) 13:27:49 ID:???
(´-`).。oO(禿しくレスが飛ぶワケだが…)
657パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 13:28:28 ID:???
ケンカ売るならID出せよ
いくらでも買ってやる
この俺の首が欲しいんだろ
658パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 13:30:38 ID:???
おいコラどうした
クソ時代劇厨
いつでもやってやるよ
ほい来た厨房
ほい来た厨房
ドンと来い厨房
ドンと来い厨房
ワッハッハ
659パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 13:33:01 ID:???
スレの流れ見ていつ俺の豆知識を披露するか
頃合を見てたのか?
今はスッキリした気分か?
笑わせんなよこの野郎
ハードに来い
ハードに
ドワッハッハ
ドワッハッハ
660p10040-ipbffx02hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp:2005/12/30(金) 13:36:23 ID:???
何も出来ないネット番長に喧嘩売るつもりもないが・・・
IDどころかIPを出してみるw
661パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 13:36:28 ID:???
おい小便漏らしてんじゃねえぞ
見てんだろお前
なにやってんだ?
とっとと書き込めやオラ
西村の掲示板をなめてんじゃねえぞ
662パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 13:39:42 ID:???
お前他から来たガキじゃねえだろうな
俺は時代劇ファンと熱いトークを求めてここに来たんだよ
くだらねえ戦いなら他にリングを作ってやってやる
とっとと書き込めって言ってんだろ
ネタ切れか弱虫が
663パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 13:41:45 ID:???
いくらクソ素人でも自分なりの忠臣蔵ぐらい語れるだろ?
はやく書けよお前
ぼくは忠臣蔵についてこうこうこう思いますって
ここまで面倒見てやらなきゃ駄目か?
664パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 13:45:18 ID:???
まあ、予想通り腰抜けばかりだったが
587と粉々ちゃんが誠意を示したから良しとしようわい
日本人なら忠臣蔵を自分の言葉で語れるぐらいの教養を身につけようぜ
ムハハ
665パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/30(金) 13:52:40 ID:???
うわっ本当に逃げたよ
ちょっと薬が効きすぎたか
過疎板はこれだから困るよ
666名乗る程の者ではござらん:2005/12/30(金) 19:35:38 ID:???
今年無かったね
667名乗る程の者ではござらん:2005/12/30(金) 21:06:06 ID:???
レス確認 >568 >571 >574
668:2005/12/31(土) 00:20:09 ID:5CQMHad5
とにかく、ドラマ化を実現しような。
NHK大河じゃなくても、金曜時代劇でも良いからさ。
669名乗る程の者ではござらん:2005/12/31(土) 01:39:45 ID:???
あぼ〜んだらけで何がなにやら。
670パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/31(土) 03:00:55 ID:???
美談とか集団暴力とか馬鹿じゃねえの
何で討ち入り後に吉良家の領地が召上げられ若殿は流罪になったんだ
討ち入らなければ吉良家は安泰
討ち入ったら義士の切腹直前に吉良家の領地召上げ決定
まだ分からんのか若ハゲどもが
671パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/31(土) 03:07:29 ID:???
脳みそあんのかお前ら
吉良の隠居の首を討ち、
吉良家の領地召上げで若殿が流罪
大石は勝ったんだよ
吉良にじゃない
綱吉に
訳の分からん吉良贔屓はやめんしゃい
672しつこいぞ:2005/12/31(土) 04:00:16 ID:???
どーでもいいことだが『>>585 >>634』←このレスは通報しといた
ttp://www.keishicho.metro.tokyo.jp/anket/other.htm
何を書き込むのも自由だが、自己責任だということを忘れずに

2ちゃんねる発の逮捕者
ttp://uguisu.skr.jp/recollection/2ch/


それでは再開
673名乗る程の者ではござらん:2005/12/31(土) 13:45:18 ID:???
太平記スレの逆賊厨といい勝負だなw
674パンツ ◆7vYOZotTDo :2005/12/31(土) 14:47:37 ID:???
つまり松の廊下では行われなかった喧嘩両成敗が、
赤穂義士の討ち入り後には行われた
綱吉の誤った裁きを大石が討ち入りによって糺した
私にはそのように見えますがね
ハハハ
675名乗る程の者ではござらん:2005/12/31(土) 22:39:07 ID:???
喧嘩じゃないんだから、両成敗じゃないのは当たり前じゃないか。
676名乗る程の者ではござらん:2005/12/31(土) 23:15:25 ID:???
スレタイの読めない池沼は放っとくが吉
677パンツ ◆7vYOZotTDo :2006/01/02(月) 13:25:28 ID:???
細ガキが喧嘩じゃないとか、スレ違いとか、
いい加減にしろよお前
クソスレを再利用してやったのに感謝の言葉も無しか
本気で殺すぞアホンダラ
678名乗る程の者ではござらん:2006/01/02(月) 16:04:56 ID:???
今年の通報初めは、このスレか・・・
679名乗る程の者ではござらん:2006/01/03(火) 20:06:43 ID:???
>>677
通報しました。逮捕されるかどうかは通報を受け取った担当者の気分次第です。
お覚悟を。
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/anket/thanks2.htm
680名乗る程の者ではござらん:2006/01/11(水) 08:13:49 ID:k8eC+P+J
タイーホ!タイーホ!