1 :
名乗る程の者ではござらん:
一番偉いのは徳川将軍、一番身分が低いのは百姓だが
だが、水戸光圀はどの編の地位なのか
奉行と代官はどちらが格上なのか
意外と解らないものだが
正確に解る人いる?
2 :
名乗る程の者ではござらん:04/08/25 23:56 ID:+irS328m
まったり2げと
徳川将軍>黄門さま>将軍の側近(家老など)>地方の殿様>地方の殿様の側近>
お奉行>代官>地頭>同心>岡引>商人>大工>農民>水飲み百姓エタ>非人
4 :
名乗る程の者ではござらん:04/08/26 00:11 ID:CXpX+nuU
一番上は当然天皇。
徳川光圀は権中納言(黄門はその中国名)。
5 :
名乗る程の者ではござらん:04/08/26 00:31 ID:uQCBYMXq
天皇や貴族も入れたら
>>3はメチャクチャになってしまうね
武家の頭領は将軍だから、綱吉>光圀
朝廷の位階はあんまり意味ないのでとりあえず無視
神官、僧侶、医者、浪人、やくざ、中間、捕方とかは?
>>1 奉行と言っても大名クラスの寺社奉行から旗本勘定・町・作事・普請・道中奉行、
下っ端の御家人クラスの畳奉行、普請方下奉行、添奉行など様々。
基本的に代官は地方職なので奉行の方が格上(藩の奉行などは除く)。
>>3 将軍の側近は側用人。次に偉いのが大奥のボス、老中、若年寄など
>>3 地方の大名より直参の旗本の方が格上。大目付は旗本だし
側用人の地位って、時代によりかなり違うんじゃ…
どなたか詳しく知っている人がいるのでしたら
詳しく教えて下さい
12 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/04 21:06 ID:uoC9auHS
age
日本史板で聞けば?
時代劇で描かれている身分制度はかなり後の世の偏見入ってると思うが?
>>9 地方の大名は将軍家直参だよ。
旗本なんぞより当然格上。
5000石の旗本が1万石の大名に立身したら格が下がるのか?
そんな馬鹿な話はねえだろ。
15 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/05 23:17 ID:35A0kQoz
武士の時代は身分関係がちょっと複雑。旗本の方が大名より上の場合もある。
あの有名な吉良だって旗本だが、朝廷における官位(5位とか4位とか)では
普通の大名より上だった。ま、吉良家は足利家(足利>吉良>今川)の傍流に
あたる家柄で、足利幕府を継ぐ資格さえあった家柄だから、そういう事もある。
16 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/06 14:18 ID:NnmqtFdc
>>14 旗本は将軍家直属の家臣なのだが・・・。大名と言っても老中、若年寄
寺社奉行などの重職に就いてなければいくら禄が高くても大身の旗本の方が
格上
17 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/06 14:21 ID:NnmqtFdc
>地方の大名は将軍家直参だよ
地方大名は外様が大半であって直参ではないが・・・
>5000石の旗本が1万石の大名に立身したら格が下がるのか?
旗本が大名に出世するときは(そういうことはほとんどないが)
寺社奉行などの重職に就きます
18 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/06 21:12 ID:n47D3Ih2
>>9から
>>17 >>14が正しい。
将軍の直接の家臣で1万石以上は大名、1万石未満は旗本(と御家人)。
親藩、譜代、外様を問わず、大名は将軍の直接の家臣という
意味で直参。それに対して、大名の家来は石高が高くても、
将軍の家来の家来なので陪臣となる。
誤解があるようだが、旗本には三河以来の直参以外に、多くの
家系のものが含まれている。大名になれなかった地方の豪族、
外様大名の分家、没落した名門の子孫、旧豊臣家の万石以下の
家臣の家なども含まれている。例えば、平野家は賎ヶ岳七本槍
の平野権平の子孫。平野家は豊臣家で万石以下で大名には
なれなかったが、大坂の陣後、徳川家の旗本となった。
武士の位は
天皇家から賜る官位で格付けされるんじゃなかったっけ?
20 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/06 21:23 ID:n47D3Ih2
一般に旗本は役について特別な出世をしない限り
官位はもらえない。それに対して、大名は従五位下の
最低でももらえることでも
大名>旗本
は明らか。ただし、高家については、名門の子孫であり
朝廷との関係の儀式を職務とする関係上、高い官位
がもらえた。
それから、大名の家格としては、親藩、譜代、外様
の分類のみしか頭に浮かばないようだが、これに
加えて領地の大小による、
国持(国主)、城持(城主)、陣屋
の区別が重要。とくに、大身の外様大名である
国持大名は他の一般の大名と比べて際立って家格が高く、
政治的にも独立性が高かった。この点で、譜代>外様
という理解は正しくない。
21 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/06 21:38 ID:SKIRePdQ
御家人から出世して
勝海舟は、安房守になったな。
>>21 たぶんこのスレは
仕事上の役職ではなくて
身分上の格付けを論じてるんだと思う
朝廷の位階が確実でしょう。
というかそういう格付けを発行するだけのために朝廷があると言ってもいいかも。
維新後の爵位、最近の勲章も同様。
(実際に決めているのは天皇や朝廷ではないという野暮は言いっこなし)
24 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/07 09:56 ID:CqKkS+Dh
時代劇ではそこらの大名より大身旗本の方が将軍の威光を笠に偉く描かれることが多いよ。
しかも大名は将軍の直参だとは聞いたことないし。
直参は旗本と御家人の二つだと思うけど。
朝廷の位階より江戸城の詰所(帝鑑の間とか柳の間とか)のほうが
身分秩序の実態を示してるんじゃないのかなあ。
高家が位階が高いといっても、たとえ小大名であっても
大名より上ということにはならんと思うが?
>しかも大名は将軍の直参だとは聞いたことないし。
あんたが無知なだけ。
時代劇の情報だけでモノを語るなよw
将軍家から直接、禄を食んでいる者、禄を保証されている者を
総称して直参というんだよ。
前田・島津・伊達の本家だろうが、お庭番・黒鍬者だろうが、直参。
直参家臣のそのまた家来が陪臣。
万石の家老であろうが5石の足軽だろうが、直参でなければ陪臣。
嘘だと思ったら百科事典で調べて。
28 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/07 12:29 ID:CqKkS+Dh
>>27 江戸期の話でいいんだよね?
将軍家から直接、禄を食んでいる者のうち、万石未満の者が直参。
そのうち将軍に謁見できる者(概ね200石以上)が旗本で、それ以外が御家人。
つまり旗本と御家人を合わせたものが直参なので、大名は含まれない。
鎌倉や室町なら分りませんが…
と言うか大名は半独立国の主であって将軍直属の家臣でないし。将軍直属の
家臣は江戸に在を置く旗本と御家人のみ。
なるほど。半独立国の主という見方をするなら
旗本の中でも、高家と交代寄合は別に考えたほうが良いかもね。
通常、旗本は若年寄の管轄だけど、高家と交代寄合は大名と同じく老中の管轄。
交代寄合の中でも屋形号(御三家及び国主大名にのみ許される称号)を持っている
山名・最上両家は格式だけなら小大名より上だろうし。
身分は禄高で決まるものじゃないよ。いくら禄高が高くても外様大名とかは
幕府の役職に就けず政治に口出しできないし
9000石の旗本は直参で10000石だと譜代大名でも直参じゃないのか?
ヘンなの。マジか?
>>32 幕府の要職にある譜代の小大名が、外様の大大名より身分が上、
とも言いきれんわな。
>>33 だから直参と言うのは旗本と御家人だけなの。大名は独立国の主で基本的に
幕府は領内の政治には口出しできない(謀反の動きがあれば別だけど)。
大名=地方の将軍だと思えば良いと思う。
>>34 少なくとも寺社奉行とかの職についてればどんなに録画少なかろうと権力を持ってる譜代の
方が上
>少なくとも寺社奉行とかの職についてればどんなに録画少なかろうと権力を持ってる譜代の
方が上
権力を持っているというのはその通りだけど、だからイコール身分が上、
という理屈がよくわからない。
たとえば尾張大納言家よりも寺社奉行のほうが身分は上なのか?
>たとえば尾張大納言家よりも寺社奉行のほうが身分は上なのか?
尾張大納言は徳川家ですが。徳川家が一番身分が高くて権力を持ってる
徳川家が一番身分が高いのは事実だが
幕府の政務の上では大老(がいれば)が一番上で、
たとえ将軍であっても、大老が政務上で決定したことは変更できない。
>>39 それって、東京都知事と法務大臣ではどちらが身分が上か下か?
と言っているのと同じなんじゃないかと。
41 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/07 13:39 ID:dpqq5FgS
実権を持ってるということでいえば、たとえば側用人のうちの何名かは
老中以上の権勢を誇っていたと伝えられるわけだが
彼らのほうが老中より身分が上なのか?
>>40 だって大名より寺社奉行のほうが身分が上なんだろ?
前田家だって大名じゃないか?
>>42 >だって大名より寺社奉行のほうが身分が上なんだろ?
寺社奉行=大名だが
>>43 じゃあ言い直す。
寺社奉行を務めている大名のほうが、幕府の公職を務めてない
大名より身分が上なんだろ?
>>44 >寺社奉行を務めている大名のほうが、幕府の公職を務めてない
大名より身分が上なんだろ?
その通り
>>45 でも御三家よりは下なんだな?
だったら寺社奉行は御三家より下で前田家よりは格上ということで
ファイナルアンサー?
>>46 >でも御三家よりは下なんだな?
だったら寺社奉行は御三家より下で前田家よりは格上ということで
ファイナルアンサー?
その通り
みんな江戸幕府の「身分」には4つあるのを忘れているようだが
官位
尾張・紀伊>水戸・田安・一橋・清水>前田>外様国持大名=寺社奉行クラスの譜代
家格
尾張・紀伊>水戸・田安・一橋・清水>譜代大名(奉行)>外様大名
禄高
外様国持大名>譜代大名
役職
幕府の公職についている譜代大名>(超えられない壁)>外様大名
御三家といっても、尾張・紀伊と水戸では家格も官位も違う
>>48 つまり状況によって違うわけね。江戸時代の身分関係は複雑だ・・・
48が正解、ってかほぼ結論でしょう。
身分、格(官位、家格等)、実権力などをごっちゃにしてる香具師は良く勉強汁。
余談だが、現代社会でも例えば会社内の階級と役職、報酬等の上下が必ずしも
一致しているとはかぎらないものだよな。
52 :
47:04/09/07 14:26 ID:???
>>52 あなたは前田より寺社奉行が上だと言ったんだろ?
>>48とあなたの考えは必ずしも一致してないよ。
官位や禄高や幕府内での役職などを勘案して一元化したのが
殿中の席次なのに、それを認めないのか?
認めないなら、代わるものを呈示してくださいよ。
>>53 >あなたは前田より寺社奉行が上だと言ったんだろ?
俺が言ったのは役職と家格の中では寺社奉行の方が上と言う意味。
禄高などでは前田家の方が上だが。
>官位や禄高や幕府内での役職などを勘案して一元化したのが
殿中の席次なのに、それを認めないのか?
認めないなら、代わるものを呈示してくださいよ。
直参は将軍の威光を笠に大名を強請ったりするが
>俺が言ったのは役職と家格の中では寺社奉行の方が上と言う意味。
キミ、ウソを言っちゃいかんよ。
寺社奉行のほうが前田家よりも「身分」が上だとキミは言ったんでしょ?
幕府内での役職が上なのは(前田家は無役なのだから)あたりまえのことで
そんなこと議論するまでもないだろ。石高や役職をもろもろ勘案した上で
「身分」が上だとキミは答えたのだろ?ウソはやめようや。ズルいぜ。
59 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/07 14:39 ID:dpqq5FgS
>>55 つーか家格は前田のほうが上だろ。アホですか?
いつまでもつまんねえことぐだぐだ言ってるんじゃねえよ
61 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/07 16:16 ID:XKE+4W0f
>>48は残念ながら間違いだな。武家の家格はもらえる官位の上限(極位極官)に
比例している。詳しく知りたければ朝尾直弘編『日本の近世 7身分と格式』
(中央公論社)に笠谷和比古が武家の身分と格式について1章書いている
ので、 読むことをお勧めする。
官位=家格
尾張・紀伊>水戸・田安・一橋・清水>前田>外様国持大名>その他大名
というのが正しい。(役職についていえば、老中になってようやく
従四位下侍従となるので、それでやっと国持ち大名(の最低)と
同じになる。)
なお、江戸城中の席は、官位とその大名の出自をあわせてその
大名の家格を表示するものとなっている。
大廊下>大広間>帝鑑間>柳の間>雁の間>菊の間
という順で家格が高い。大廊下は御三家、前田、
大広間は国持ち大名など、帝鑑間は由緒ある譜代大名、
柳の間は中小の外様大名、雁の間は後から出世した
譜代大名、菊の間は譜代の小大名。
62 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/07 16:22 ID:XKE+4W0f
それから、老中は役儀上は大大名であっても「その方」
と呼ぶことができたが、これは将軍の代理として
の役儀上の権威であることに注意が必要。
もう1つは、国持ち大名の多くは、島津、前田とか
名乗っていなかった。多くは、松平の家号と将軍の
名前の一字を自分の名前にもらっていた。
伊達であれば伊達陸奥守某とは名乗らずに
松平陸奥守、島津であれば松平薩摩守など
となのっていた。
時代劇板てレベル低いなぁ・・・・・
64 :
滑川左近:04/09/07 16:34 ID:OP6x+DOW
抜擢人事で上の部屋に新参が行くと
古株からいじめられることもあったらしいよ。
無役の大名は登城して部屋でひがな御歓談するのが主な仕事だから
まあ給湯室ののりだね。
>>61 会津松平が幕末に正三位になったのは例外なんだろうけど
鷹司は大廊下詰で前田より席は上座だが、これは例外?
帝鑑間や柳間には交代寄合もいたが、
彼らは一部の例外を除いて官位が五位未満のものもいたのも例外?
>>61 >武家の家格はもらえる官位の上限(極位極官)に比例している。
なら外様国持大名にプラス井伊家が入るんでないかい?
たしか極官が正四位上。
浅野(一応大大名)が吉良(高家)にいぢめられたのもそゆことですか
>>68 浅野長矩は大名としては最下層の従五位下、
吉良義央は高家筆頭なので従四位上。
年齢的なものもあったろうけど、そりゃいぢめられるわ。
ちなみに詰間は浅野が柳間で吉良が雁間詰だから、
やっぱり官位と家格(詰間)は一致しないね。
70 :
68:04/09/08 02:12 ID:???
内匠頭浅野は大大名というほどじゃなかったですね(広島と勘違いした)
ただ、やはり家格と官位に逆転がありましたか。
フォローありがと>69
比較的分かり易い武士階級しか論じられてないが
そのほかの身分はどうだろう?
公家の身分も上と下では天国と地獄だと聞いたことがある
また、百姓身分だが江戸の大店をいくつも買えるほどの資産家がいたとも・・
下級公家はほんとに貧乏だったみたいだな。
岩倉具視とか。
73 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/11 12:15:42 ID:U8yTbxtb
>また、百姓身分だが江戸の大店をいくつも買えるほどの資産家がいたとも・・
百姓・町人の方が武士階級よりそれだけ自由も利くし金を稼ごうと思えば
稼げると言うことだな
74 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/11 14:35:06 ID:kBd1feXJ
金・金というのは、昔も今も賤しい人間のいうことです。
地獄の沙汰も金次第って言うだろ。地獄だって金でどうでもなるんだから、
武士の身分ぐらいは金で買えたんだよ。まぁ、表向きは「養子縁組」とい
う形ではあるが、御家人から殿様の身分まで売られた実例あり。
東北に、本間家ってあるんだが、「本間様には及びもないがせめてなりた
や殿様に」というフレーズで有名な大地主だよ。ここら辺りは、身分は百
姓だが、実態は大名と同格!
12がレスしてから物凄い勢いで書き込みが増えたな
77 :
名乗る程の者ではござらん:04/09/13 11:02:46 ID:yeNTvlnz
奉行所の捕方、中間、若党とかはどのあたりの身分なの?
78 :
名乗る程の者ではござらん:04/11/03 16:06:47 ID:dMdflDWA
おい、部落差別問題の研究すべし。
79 :
名乗る程の者ではござらん:04/11/03 23:33:44 ID:kJtX6z8N
水戸黄門の水戸徳川家は将軍家、尾張徳川家、紀州徳川家につぐ四番目の存在だよ。だから水戸黄門は副将軍てことはないよ。
副将軍という役職も存在しなかったと聞いた事がある。
81 :
滑川左近:04/11/05 16:17:46 ID:???
>>69 安易に吉良のいじめが明瞭であると解釈するのは飛躍なのでは、
彼の母の兄内藤氏は増上寺法要で乱心抜刀し切腹という最期です。
多分家系的に短慮なのだと思います。
話によると吉良は赤穂一派が江戸に潜伏という噂を耳にした時点で腹が据わったそうです。
もう何か嫌なものに巻き込まれたと知っていたたまれない気持ちだったでしょう。
>>72博打の堂本、
でも昔の堂本って算学者とか雇って儲かる仕組みをはじき出してたのかな、
知れとも山勘。
>>75 謙信の家臣団に本間氏っていたけどあれとは無関係なの?
勝安房の祖父も検校だったしね。
82 :
名乗る程の者ではござらん:2005/05/05(木) 18:17:30 ID:wPxAa4Oa
無関係だろ
83 :
名乗る程の者ではござらん:2005/08/16(火) 19:08:45 ID:cTfG0nKa
ところで…
町人などが、〜の株(?)を買って侍に成ったという話を聞くが、
これはどういう仕組みになってるの?
場合によっては、身分は金で買えるわけですか?
84 :
名乗る程の者ではござらん:2005/08/16(火) 22:38:40 ID:c7Gn86LQ
>>83 町人がどうにかこうにかして「中間」、「小者」から「徒士」になる方法があったンですが、
チョット手元に資料がないので、それはどなたか識者に御任せして・・・
以下、稲垣史生・著 「時代考証の話」 早川書房(1964年12月31日・刊) 79−81頁から:
旗本株を売るといっても、別に形のあるものではなく、一口にいって相続権を金にすること。
具体的には、持参金のある形だけの養子を貰うことである。その金を手に入れ、自分は隠居して家督をその養子に譲る。
例えば、金はあるが刀を指して威張りたい町人が、この手を用いて旗本の家督を相続すれば、旗本株を売買したことになる。
それだけの手続きが必要なのである。
(中略)
では、それだけの手続きさえすませておけば、持参金づきの町人を養子にしても合法的かというと、実はそうではないのである。
五代綱吉将軍が天和二年(一六八三)に出した「武家法度」の中に次の条目がある。
養子は同姓相応の者をえらび、若しこれなきに於ては由緒を正し、存生の内言上致すべし。
五十以上、十七歳以下の輩、末期に及び養子致すといへども、吟味の上これを達すべし。
仮令実子たりとも節目違いたる儀、立つべからざる事。
(中略)
相続とは、それほど重いことがらである。
いかに幕末でも、目付という監察官が堕落しない限り、相続上の違法──旗本株の売買などそう簡単にできるわけがなかった。
85 :
名乗る程の者ではござらん:2005/08/17(水) 00:13:46 ID:qi2V/YI9
86 :
名乗る程の者ではござらん:2005/08/17(水) 01:28:45 ID:oScBaArO
83
≫84 勉強になりました。
忍者はどのあたりの身分なんだろか?
88 :
名乗る程の者ではござらん:2005/08/18(木) 14:12:50 ID:mZfZOpZT
>>87 一応武士。公の職業ではないので身分としてはどうだろうか?
89 :
名乗る程の者ではござらん:2005/08/18(木) 16:30:36 ID:rRS/5xmg
征夷大将軍は天皇の臣下。
90 :
名乗る程の者ではござらん:2005/08/21(日) 13:14:38 ID:bihwzcm3
例幣使(字がわからない)は朝廷?
尾張と、紀伊は大納言、水戸だけ中納言だが、水戸は副将軍のポジション。
だから水戸黄門では当時の老中柳沢吉保との対立を描いている。歴史上ではそんな記録がないらしいがね。
91 :
名乗る程の者ではござらん:2005/09/30(金) 17:00:48 ID:zdMLMyog
>>87 服部半蔵以降、きちんと録を貰う身分になったから、旗本や御家人と同じはず
公議お庭番
正確にいえば、忍者ってのは、忍術という技能者の総称だから、
身分とは関係ないんだけどね。
極端な話、町人でも将軍でも忍術を体得すれば忍者になる。
あと半蔵正成死後の伊賀同心が忍者として活躍することはなくなり、
実質、ただの下級武士に過ぎなかったらしい。
それと、忍者と混同されやすい隠密だけど、
これはスパイ、密偵の総称。
だから忍術の使えない普通の武士や下働きの女中であっても、、
スパイ的な役割をしていれば隠密になる。
93 :
滑川左近:2005/09/30(金) 18:28:36 ID:???
>>90 例幣使(字がわからない)は朝廷?
まさしく朝廷の使いです。あまり位階の高くない公家が請け負っていました。
特に日光礼幣使が有名で、街道沿いの村人や村役人は接待費の捻出に相当嫌気がさしていたらしいですよ。
わざと自分で籠を揺らして金子をせびり取ったり、いい金づるだったみたい。
詳しくは岩波書店の「国定忠治」を読んでください。
「ゆすり」の語源ですな。
95 :
調べない人:2006/09/28(木) 02:18:41 ID:???
ついでに「たかり」の語源も教えてちょんまげ。
96 :
名乗る程の者ではござらん:2006/10/31(火) 12:18:20 ID:qfc23yL5
『たかり』現代で言えば「金正日」のヤローだ
奈良の元清掃局員が所属する団体とかも…
98 :
名乗る程の者ではござらん:2007/05/01(火) 03:14:30 ID:Uk2z8lT4
( ゚д゚)ポカーン
99 :
名乗る程の者ではござらん:2007/05/06(日) 09:10:35 ID:vX3KthA/
越前松平家と会津松平家の家格比較はどうなんでしょか。あくまで以下は私的な比較ですが。
◇石高による家格比較
越前松平家>会津松平家
越前松平家が32万石、会津松平家が23万石であるため、越前家に軍配です。越前家祖の秀康や忠直の頃は68万石と高禄
でもありました。
◇将軍家との血縁にかかる家格比較
越前松平家>会津松平家
両家とも徳川家の家門大名ですが、越前松平家の祖は、家康次男の松平秀康であり、会津松平家の祖は、
秀忠庶子の松平正之です。将軍家との血縁では越前家に軍配でしょうか。
◇伺候席による家格比較
越前松平家=会津松平家
越前松平家は「大廊下の下の間」であり、会津松平家は「黒書院の溜の間」です。将軍家との親疎の差で考えれば
「大廊下」が最高格式とも考えられますが、一方、「黒書院溜間」は@将軍や老中の諮問を受け直接幕政に参与する。
A将軍家の名代として、天皇や上皇に拝謁する。B将軍家の名代として、紅葉山霊廟や日光東照宮へ参拝する。など
特別な存在であって、一概に、大廊下>溜間ではないと思います。但し、御三家が控える、「大廊下の上の間」は
別格中の別格でしょうが・・
◇極位極官による家格比較
越前松平家<会津松平家
越前松平家は「従四位下近衛少将」であり、会津越前家は「正四位下近衛中将」であるため、
会津家に軍配です。なお、幕末の京都守護職を務めた会津藩主松平容保は、朝廷との関係から
特に中将より数ランク上の「参議」の職を得ていますが、幕末の特例です。
☆結論
極位極官による家格の結論を尊重し、越前松平家<会津松平家と解釈したい
100 :
名乗る程の者ではござらん:2007/05/06(日) 10:16:31 ID:vX3KthA/
100 GET
101 :
名乗る程の者ではござらん:2007/05/06(日) 10:21:20 ID:vX3KthA/
今の会社でも、本社人事担当の平社員には、支社の課長が頭が上がらな
いような状況が幕府でもあったのだろう。
予算や人事の特権を得ると、それだけで、人は偉くなったと勘違いして
しまう。人事権・予算権に対して、頭をさげるんであって、平社員君に
頭を下げているわけじゃない。
数万石の小大名でも老中になれば、国持ちの大大名を呼び捨てに出来たって言うな。
時代劇の老中はどうも軽い立場(下手すりゃ爺に毛が生えた程度)
に扱われているように見える。
>>99 越前家は諸侯の上首・制外の家を自認し、それ(と幕末春嶽の功)をアピールして
明治期に爵位を上げて貰えた(越前家の附家老本多家も男爵になれた)
江戸時代の武鑑や系譜集で御三家より先に書かれる事もあるし
上下に御家門筆頭と認識されていたと見て良いと思う。
>>99 大廊下詰めは親類筋・お客扱い
溜詰めは仕事をする身分(初代の出自がややこしい会津・高松と、譜代大名)
系統が違うので「縁故を持つ家門の歴々(や外様国持ち衆)が大廊下入り」
「譜代の衆が溜入り」を目指す事はあっても、相互に格付けする事は無い。
福井松平氏は歴代(例外もあるが)将軍の偏諱を受けている(御三家や国主大名と同待遇)
104 :
名乗る程の者ではござらん:2007/07/28(土) 11:59:55 ID:hRd9lRR7
よく武士の株を買うというが、いきなり旗本や御家人譜代席の身分は買えない。
もと町人が旗本になるには、それなりの段階を経ることが必要。
105 :
名乗る程の者ではござらん:2007/07/29(日) 22:40:36 ID:X2tuFLzF
朝廷からもらう官位は役所(役職)ごとに四つの官位に分けられる(四等官)
例えば
かみ すけ じょう さかん
(長官)(次官) (判官) (主典)
…
内匠、掃部寮等 頭 助 允 属
左衛門府等 督 佐 尉 志
地方官(国司) 守 介 掾 目
それぞれの役所(役職)間の地位の上下はあるが、その中での地位は分かる。
井伊掃部頭(直弼)、浅野内匠頭、大石内蔵助
遠山左衛門尉景元(金さん)
松平伊豆守(信綱)、吉良上野介
106 :
名乗る程の者ではござらん:2007/07/30(月) 10:43:52 ID:ir9Pe3J3
面白いスレ発見!
2006年は4レスしか付いてないんだね!しかも息が長い!
さすが長寿大国、日本!
で、身分の高い人達は高校の参考書レベルで話ができる事だから、もっと
庶民階級の話の方が色々とネタがありそうで面白そう。
そうすると士農工商のウソが出て来るんだろうけども。
107 :
名乗る程の者ではござらん:2007/08/03(金) 00:42:45 ID:THZ/L2cB
>>106 でしょうね。金がものいう時期もあったみたいだし!
108とったぴょん
109 :
名乗る程の者ではござらん:2007/11/06(火) 20:23:59 ID:1WPTpZ+I
士農工商という身分制度は後世の創作
110 :
名乗る程の者ではござらん:2008/02/18(月) 20:59:41 ID:LS3JK7d9
あまり知られてないが、水戸徳川家の極官(大名当主が到達できる最高の官位)は正三位権中納言。
111 :
名乗る程の者ではござらん:2008/02/19(火) 07:18:36 ID:sdssSnLW
紀伊徳川家の極官は従二位権大納言だが10代藩主、徳川治宝は従一位大納言にまで昇進した。
112 :
名乗る程の者ではござらん:2008/06/29(日) 21:16:14 ID:qyKLnwAQ
いや、士農工商というのは、中国春秋時代の分類法だよ
それを明治の学者が江戸時代に当てはめた
北島康介と徳川家康どっちが上?
114 :
名乗る程の者ではござらん:2008/10/31(金) 18:55:56 ID:6ViDGsJf
農民のはずの豪農(名主クラス)は商売もやっているような場合
はどういう扱いなんでしょうか?
115 :
服部半蔵:2008/10/31(金) 23:02:18 ID:b5ssqL3g
我ら忍びは、世捨て人とはいえ、人間ぞ!
116 :
名乗る程の者ではござらん:2008/11/02(日) 07:21:37 ID:rO3UHrUp
水戸家は参勤交代がなく当主は定府(常に江戸在住)。
つまり江戸で将軍に次いでエライ人だということから
慣例的に副将軍と呼び習わされた。
いわば副将軍とはあだ名みたいなもの。
117 :
名乗る程の者ではござらん:2008/11/02(日) 23:42:32 ID:YDIAt0x8
オヤジの実家に先祖の墓があるんだが、天保とか元禄って彫られてる
石のお墓なんだわ。オヤジに聞いたらうちは武士だったんだぞ!と言ってた
んだが、やっぱり本当かな?
江戸時代に石の墓なんて生活に相当余裕が無いと出来ませんよね?
うちの先祖は田舎の農民。でも庄屋。
古い墓は江戸時代のものだが、石だよ。
庄屋とか裕福な商家なら石の墓だったんじゃね?
119 :
名乗る程の者ではござらん:2008/12/22(月) 00:44:11 ID:R09/qLK2
一石五輪塔や阿弥陀石仏を墓石として用いた例は江戸時代以前の農村にも広く見られる。
有力者はでっかい五輪塔やその他の形式の石塔が多かったと思われる。
過渡期的な形式としては板状の石に戒名や没年だけを彫ったものもある。
四角い墓石に名前や経歴を彫るようになるのは江戸時代の半ばから増え始める。
有力者や富裕層ほど名を残し経歴を誇ろうとするのでこの形式を好んだ。
地域にもよるが、文字を多く彫る墓石には現在のような花崗岩ではなく砂岩が多く用いられた。
ただし砂岩は長い年月が経つと表面が板状に剥落することが多く後世に残りにくい。
武士が月代を剃るのはわかりますが、百姓・町人が月代を剃るのはなぜですか?
単なる流行り
武士の月代だって、戦国時代過ぎれば形だけだしね
>121
なるほど。ありがとうございます。
髪型や服装はその人間の所属身分を大まかに表していたから
下手にボーボーにしてると無宿人か何かと間違われてタイヘン
>下手にボーボーにしてると
「下毛をボーボーにしてると」と読んでしまったw
そういや粋な江戸っ子は下毛も手入れしてたんだよな
125 :
名乗る程の者ではござらん:2008/12/27(土) 16:49:14 ID:nr/o0REt
前述に勝海舟の祖父が検校だったとの記述がるが。その検校の身分はどの位置づけなのか 前に総検校は10万石の大名と同格であるとの話を聞いたことがあるが
座頭
1000石の旗本男谷家株を5万両で買ったらしいから
かなりの金持ちだな。
座頭の金貸しは政府公認の官金だったわけだし安定経営。
男谷検校が世界初の盲学校、杉山流針灸修行所を
作ろうとしたけど京都の惣検校に差し止めをくらったと言う
逸話が有るから総検校は、さらに上だったんだろうな。
>>118 そんなに難しく考えないほうが
田舎なら昔のも石とか多いじゃん
田舎の本家なんて家系図見ればわかるけど先祖が生きてた時代ってかなり昔からの家系図じゃんw
雲助
女とセックスしまくったのかね(・∀・)ニヤニヤ
130 :
名乗る程の者ではござらん:2009/11/21(土) 14:30:40 ID:UBK+rxIW
検校の身分は朝廷に決定権があるんだよね?
131 :
名乗る程の者ではござらん:2009/11/27(金) 14:13:51 ID:sK42ySMK
後の世代が当てはめた江戸時代の「士農工商」に僧侶、神官、医者が
入ってないのは何故?
皆が世話になる人達なのに。
132 :
名乗る程の者ではござらん:2009/11/27(金) 17:11:55 ID:NupkpjZN
相馬氏から将軍側用人が出現したり、幕末に真田家が譜代に列していきなり
老中を出しちゃったりする現象について説明お願いします。
>>132 五代将軍綱吉の側用人に任命された相馬昌胤の事かな?
綱吉という人は相馬昌胤に限らず外様大名でも、その御眼鏡が叶えば積極的に幕政に登用させた
その登竜門が綱吉の代に新設され、後に廃止された奥詰衆に入る事になるのかな
奥詰衆とは譜代外様を問わず(数では外様が多いような気がするが)数人の大名から選抜されて
任命されると営中山水の間に隔日交代で詰めさせて、綱吉の話し相手や諮問に答えさせたりする。
外様大名が任命されると、その大名は一代に限って譜代の格式が与えられるらしい
あと、奥詰に任命された外様大名の代表選手はこんな感じ
金森頼時(飛騨高山藩主)その後に側用人、相馬昌胤(相馬中村藩主)その後に側用人、松浦棟(肥前平戸藩主)その後に寺社奉行
山内豊明(土佐中村藩主)その後に若年寄、前田利直(加賀大聖寺藩主)、田村建顕(陸奥一関藩主)その後に奏者番
鍋島元武(肥前小城藩主)など
なお、この奥詰の制度が出来上がる前としては南部直政(陸奥八戸藩主)側用人、加藤明英(下野壬生藩主)寺社奉行から若年寄という例もある
鍋島元武に至っては浜松に加増転封ばなしも有ったらしく、もしかして老中にでもしようとしていたのかな
真田幸貫の場合はしんどくなったので省略するけど
実質、その血筋においては松平定信の次男という事と
天保の改革では主に海防掛の担当だったハズだが、藩士に佐久間象山が居たり色々下地があったのかな
あとは水野忠邦と仲が良いとか…
なんか、相馬昌胤と違って大雑把な説明になったがw
135 :
名乗る程の者ではござらん:2009/12/08(火) 14:53:32 ID:PLR8qqKR
『JINー仁』の中で一ツ橋刑部卿を俳優が『けいぶきょう』と呼んで
『JINー仁』スレで話題になっていました。
私は歴史とかよく知らないのですが、これは『ぎょうぶきょう』なのですか?
ネットでちらっと見た限り『けいぶきょう』と紹介しているサイトもあるようです。
またこれが官位であるならば、もっと難しそうな呼び方もありそうですが?
正確なところを教えてください。
goo国語辞典では
>ぎょうぶ-きょう ぎやう―きやう 3 0 【▽刑部▼卿】
>刑部省の長官。正四位下に相当。
>[ けいぶきょう ]で始まる用語の検索結果 0件でした。
>他の辞書で検索、もしくはキーワードを変更して検索してみてください。
ってなるね
たぶん、単なる間違いと思う>ぎゃうぶきゃう
でも、官名や名前を、ワザと(気取って)別の読みで読む場合も
あるから、そういう読み方も可能性ゼロとは言えない気もする。
「とくがわ→とくせん」とかみたいに。TV製作者がそこまで考えて
いるとは思えないが。
221 :正式な読み方[]:2006/05/27(土) 22:38:22
刑部卿の正式な読み方は(うたへただすつかさのかみ)です。
ついでながら、その他の読み方では
中務卿(なかのまつりごとするつかさのかみ)
式部卿(のりのつかさのかみ)
治部卿(おさむるつかさのかみ)
兵部卿(つはもののつかさのかみ)
etc・・・
正式名称(和名)では、こう読みますが
刑部卿(ぎょうぶきょう)で問題ないとも思います。
太政大臣でも(だじょうだいじん)が一般的ですしね。
(和名)では(おおいまつりごとのおおいまちきみ)
例外ですが
蔵人頭は(くろうどのとう)と読みます。
蔵人所は令外の官職で、官位相当の規定があるわけではありません。
なので四部官(四等官・四分官)と言うふうに分けられてもいません。
139 :
名乗る程の者ではござらん:2009/12/08(火) 18:33:19 ID:RYe1BHn8
仁の劇中で「女形」(おやま)を(おんながた)としゃべらせていた。
これは視聴者が江戸時代の言葉を知らなさ過ぎるので、
わざと現代人にも解りやすくするためだろう。
テレビ時代劇では良くやるんじゃないか。
>>139 水戸黄門で登場人物が「それがしのミスで」って喋った…というのはさすがにガセネタかw
>>137 有職読みで身分の低い者が敬意を表したり直接名前を言うのを憚って
慶喜「よしのぶ」を「けいき」と実名(諱)を音読みしたりするなんてのも有るしね
実際本人もけいきを気に入ってたらしいとか
大河の「徳川慶喜」ではナレーションの大原麗子が親しみの意味でさかんに「けいき」と呼んでいた
そもそも一橋慶喜も通名みたいなもので、将軍家の家族扱いの一橋徳川家の当主なのだがら
正式には徳川慶喜になるのかな
しかし、今回に関しては問題のシーンはまだ見てないけど読み違いだろうね
武家官位の刑部卿については「ぎょうぶきょう」と呼ぶのがフツウかと思うし
大河ドラマや時代劇的にも一橋刑部卿、大谷刑部少輔の官名や武士の名前で兵部を
けいぶきょう、けいぶしょうゆう、けいぶと呼ぶのは聞いたことないし
兵部についても同じようにへいぶとは呼ばず、ひょうぶが一般的かと思うし
「ひとつばしけいぶきょう」と言ったのが、
時代劇は初めての若手男性俳優だから、多分読み間違いだろうね
だったら周囲の人が気づいてやれよってことなんだけど
演出家たちも、初時代劇の人たちばかりだから仕方ないな
143 :
名乗る程の者ではござらん:2009/12/11(金) 15:11:19 ID:xaBtJr49
一般的に御三家と御三卿どちらが挌上だったんでしょうか。
上の方にも記述が有ったような…
一般的には御三家が格上でござる
御三卿はチョット特殊な家で思いつくままに書くと
まず将軍家の家族扱いで、殿中席次の大広間詰といったようなものは無い
石高は10万石分だが具体的に何処かに城が有るわけでなく、
領地は各地の天領等に散らばっていて幕府が管理している
家来も幕府、つまり直参からの出向で家老も旗本から任命されて交代もしばしば有る
でも、将軍になれたのは
ほとんどが御三卿出身者なんだよな
146 :
名乗る程の者ではござらん:2009/12/16(水) 14:43:56 ID:kroymYJt
そうそう、吉宗以後は御三卿生まれかその養子が多いな
そりゃ、御三卿自体が、御三家に対抗して
吉宗が自分の子孫繁栄のために作らせたものなんだから
当然そうなるでしょ
>>145-146 御三卿出身者多いったって、吉宗以降宗家以外で継いだのが
一橋家:家斉、慶喜
紀伊家:家茂
の三人しか居ないからなあ