しかし、山南と土方の関係は今までと違った切り口で見せて欲しかった。
実際は、仲が悪いわけじゃ無かったようだし。
>>867 気にスンナ。だいぶ沈んでたから、ちょうどいいべ。
山南の声がカンに障る感じ、腕は立つにしても頭でっかちっぽいところ、
漏れにはカナーリツボw
今後いかに土方との合わなさ加減を出してくれるかが楽しみではある。
>>868 禿同。
正直山南と土方の関係はこれまでとさして変わらずといった感じでちょっと萎えた。
三谷曰くの「新しい新選組」にちょっと期待しすぎたかな。
明里ネタもやるなら、いっそ「九尾の狐」くらい言わせてみるとか。
うわっ、「九尾の狐」はさすがにゴカンベンをば・・・w
土方と山南、仲が悪かったにしろ、良かったにしろ、
どっちだったのか伺わせる記録ってあるのかな?
山村本によると山南は池田屋前から病気がちで引きこもっていたそうな。
江戸から旧知の知り合いが来た時も、病気を理由に一度も会っていない。
病名は不明だが、肉体的というより精神的なものではなかったかと書いて
あった。ようするにうつ病ではないかと。
>>872を見て思い出した。
自分もその話どっかで読んだ。
山南が脱走したというのも事実かどうか定かでない、ともどっかで読んだ。
切腹もわざわざ自分でそういう状況に持っていったという説もある。
急激に佐幕に傾いていった新選組の方針に次から次へと異を唱えるので
脱走が原因かどうかは解からないが切腹という状況になったことに
近藤はほっとした。というようなことも書かれてあったな。
土方と連れだって巡察してた時、
戦闘状態になって、
その時に怪我したんじゃないか・・・
しかもそれが重いもので、
それが原因で、総長という肩書きで隠居させてもらったのでは?
>>872の病気ってのは、コレじゃないか・・・
って話があったよな
連れだっていたんなら、そうそう毛嫌いする仲でもなかったのか?
切腹にあたって土方が全面的に汚れ役に徹したという説もあった。
粛清された人物殆どが土方とそりが合わなかったとしたのは司馬史観だし。
>>875 山村解釈にもあるが、江戸の旧知の友が壬生に尋ねてきた時
近藤、土方、沖田、井上、藤堂ら試衛館時代の人間が屯所でも
茶屋でも何度もあっているのに一度も面会もできないというのは
不自然。
怪我で寝ていても面会くらいできるはずなのに山南はそれさえも
しなかったらしい。
山南が土方と一緒に大阪の岩城升屋に出動した時のヤツな。
以来、第一線で活躍してないんだよな。
それまでバリバリ働いていた分、余計に辛いのではと思う。
あるいは、このような自身の存在が隊士の士気にも影響すると考えて
切腹にいたる行動をおこしたのかもしれん。
>877
刀を振るえなくなった状態を知られたくなかったとか。
>>878 そこで第一線で働けない分、幹部としての存在感を示すためにも
口出しすぎたのか。
決定的とも言われた西本願寺屯所移転の話にしても土方の言い分も
山南の言い分もどちらも正しいと思われるが、組織を維持しながら
組織としての役割を果たしていくには土方の意見を取り入れるしか
方法はなかっただろう。
うつ病ではなかったかと言われているが、総長といえども実権のない
閑職に追いやられ、意見も通らず絶望的な気持ちになっていったのでは
なかろか。
やっぱり、「きちんとした」(苦笑)尊皇攘夷主義者の山南には、
思想的にたえずグラグラしてる近藤ひきいる新選組には
居続けられなかったんでねか、と。同じ北辰一刀流の倒幕派と
敵対し続けるのは、そら苦しいわな。
>>877 「江戸の旧知の人間」って北辰一刀流つながりかなあ?
そういう人に、尊皇派を取り締まる立場になっちゃった今の自分を見られて、
「なにやってるんだ?」と言われるのは、そりゃ辛い。会いたくないよ。
今の自分に納得してないと、クラス会に出たくない気分って、あるじゃん。
つけが残ってる飲み屋のオヤジ、とかだったらヤだな>江戸の旧知の人間
>882
北辰一刀流つながりではないようだ。
旧知の友人は武州日野の名主、富沢政恕。
>> 885
飲み屋のオヤジじゃないのか、残念(なんでや)
変にイデオロギーある人間は現実と思想との葛藤でおかしな行動とあって
アボーンされる時代だったからな。
時代時代の空気読んでどちらにでも転べる奴が生き残って新政府の
幹部になっていった。そういう意味じゃ土方も山南も方向性は違えど
似たようなもんだったんじゃねえかな。それだけに余計ムカついたかも。
「現に近藤はこれを聞くより心中ひそかによろこんで、山南が法令にそむく
のゆえをもって士道の上から切腹せしめんと―」
永倉新八『新選組顛末期』