【新選組!】オンリーミー三谷だけをPart30【大河】

このエントリーをはてなブックマークに追加
227今日の三谷コラム
三谷幸喜のありふれた生活158-沖田総司が「僕」はダメ?-

 これまでにも、時代劇は何本か書いたことがあったが、どれも時代考証はそっちのけ、
かなりハチャメチャな代物だった。今回はNHKの大河ドラマ。そうはいかない。

 基本的には自由に書かせてもらっている。歴史的事実は踏まえつつも、それに縛られすぎると
僕らしさが出ないし、僕らしさが出ないと僕が書く意味がなくなる。だからとりあえずは好きに書いている。

 毎週、そのホンを元に、時代考証、歴史考証の先生たちによって考証会議が行われる。
そこでいくつか(というより無数の)問題点がリストアップされ、それを踏まえてまたホンを直す。

 使ってはいけない言葉というものがある。江戸時代になかった単語。例えば「人間」。
無意識によく書いてしまい、毎回チェックされる。「記憶力」という単語は「物覚え」に訂正された。
沖田総司が自分のことを「僕」と呼ぶのもNG。だけど「僕」って感じじゃないですか。青年剣士だもん。
「俺」ではイメージが湧かない。いろいろ考えて「自分」にしてみたけど、これもダメだった。
(結局、「私」で落ちついた)。

 ホンを書いている時、大事なのは「勢い」だ。一つ一つ時代考証を踏まえていると、
全然先に進まないので、書くときは何も考えずに、現代劇のつもりでやっている。
さすがに何本も書いていくうちに、使ってはいけない言葉が脳裏にインプットされていく。
でもたまに筆が滑って「僕は記憶力の悪い人間ですから」みたいなNGワード連発の台詞を書いてしまう。
228続き:03/05/21 18:59 ID:???
 考証会議の結果はいつも箇条書きにしてメールで頂くのだが、そこに並んだ
「僕はNG」「記憶力NG」「人間NG」の文字を見ると、「分からない人だ」と、
会議の席上で呆れ果てている先生方の姿が目に浮かび、冷や汗が出る。

 反対に、当時のことが分かっていないと書けないこともある。例えば、
「次の日の朝、布団の中で目覚める近藤」という卜書きがあったとする。もうここで筆が止まる。
小説とは違って、シナリオはあくまでも具体的記述で成り立っている。描写するしないは別にしても、
僕の頭の中でイメージができていないシーンは、書くことが出来ない。

 問題なのは、近藤はどうやって目覚めたのかということ。いくら僕でも、
当時目覚まし時計がなかったことぐらいは知っている。ならば彼らはどうやって起きたい時間に起きたのか。
それが分からないと一行も先に進まない。

 そういう時は、プロデューサーの吉川邦夫さんに昼夜問わずに電話をして疑問をぶつける。
吉川さんは僕とほぼ同世代だが、大河ドラマは何年もやっているので、昔のことは遙かに詳しい。
吉川さんでも手に負えないような難問の時は、すぐに考証の先生に連絡を取って調べてもらう。

 こんな奴にまともな大河ドラマが書けるのかと、お嘆きのお方もいらっしゃるだろうが、
こんな奴なんだからしょうがない。むしろ、こんな奴にしか書けない大河ドラマを書こうと思っている。

『朝日新聞・三谷幸喜のありふれた生活』/2003年5月21日夕刊12面