279 :
ミステリ板住人:
仕掛人藤枝梅安シリーズ第一話「おんなごろし」から、
いわゆる「殺しのシステムの初期設定」を確認しておきましょう。
人間の「殺し」が、金で取引きされる場合、依頼人は二人いることになる。
「何処のだれを殺してもらいたい」と、(暗黒街)の顔役へたのむものは一つ。
この依頼人を、暗黒街の用語で「起り」という。
いま一つは、依頼を受けた顔役が、しかるべき「殺し屋」をえらび、これをたのむわけで、
この第二の依頼人のことを、どういうわけか「蔓」とよんでいる。
「蔓」は「起り」から、或る程度、(どういう事情で、その相手を殺さねばならないのか…)を、
きいている。
なんといっても、自分が表にあらわれず、別の殺し屋にたのんで人命をうばうのであるから、
自分の体に火がつくようなことになってはたまらない。
(これならいける)と、見きわめがついたとき、はじめて、「蔓」は殺しを請負うのだ。
そして、自分の手もちの殺し屋に実行させる。この場合、「蔓」から見た殺し屋を、
「仕掛人」または、「仕掛屋」と、よぶのである。
仕掛人は、あくまで金ずくで殺人をおこなうのだから、くわしい事情を知らなくともよい。
いや知るべきでないのが定法であって、この場合はどこまでも「蔓」を信頼しなくてはならぬ。
そして「蔓」は、「起り」がよこした大金の半分をふところに入れ、残る半分を仕掛人へ報酬
としてわたすことになっている。
280 :
ミステリ板住人:03/05/03 18:47 ID:n78wxdQV
既に過去ログで間接的に指摘している人もいますが、「殺しのシステムの初期設定」は、
ドラマ上は、原作、テレビシリーズ等に共通して早い段階で崩れてしまいます。
仕掛人の仕置人化というか、殺しの理由を梅安等の仕掛人サイドが知っている展開ばかり
になってしまいます。
やはり、いかに殺し屋が主人公とはいえ、「理由も知らずに殺す」という物語は、
テレビどころか大衆小説のジャンルでも無理があったようです。
仮にこの初期設定が厳守されていれば、時代小説とはいえ、
日本では成立が難しいと言われているノワールの先がけをなすものになったと思うのですが。
この点は残念です。
なお、上記引用部分に続くくだりに笑えるものがあるので、蛇足ながら引用しておきましょう。
将軍のひざもとの大都会である江戸市中で、闇から闇へほうむられる殺人は、かなりの数に
のぼる。町奉行所や盗賊改方などの警吏の眼もとどかぬ場所で、こうした殺人がおこなわれる。
その大半は、藤枝梅安のような仕掛人のやったことといってよい。
熟練の仕掛人のしたことは、後に影も形も残さぬ。
犯罪の捜査に科学のちからがおよばなかった二百何十年も前のことなのである。
鬼平は何してるんじゃゴルァ!と突っ込んだ人、多数のはず(w
前にも書きましたが、正史無視の池波先生の飄々とした書きっぷりはお見事の一言。