必殺シリーズ総合28 許せぬ悪にとどめ刺す

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187ミステリ板住人
あまりに馴れ合いによる暴論が目に余るので一言苦言を呈しておきたい。
・レス145より
>必殺ファンと脚本家との間には、作り手・受け手のギャップがあるように感じます。
・レス146より
>最終成果物としての映像が素晴らしくあってこそ、脚本も「立つ」という事なのか
>と愚考しました。
>それに比して我々は「脚本通りに映像を創っていたらきっと素晴らしいものになったに
>違いない」などと言ったりします。そこには「脚本あってこその映像」という考えが根>底にあるように思えますが、お話を聞いていると、プロの脚本家の方は実はあべこべの
>事を考えておられる気がします。
・ レス148より
>>146
>卓見と思います。ドラマファンは往々にして「脚本至上主義」である
>ことが多いですから。自戒も含めて。
・ レス149より
>脚本は設計図だと言うプロデューサーもいます。
>シナリオ学校などでそう教えられた事もあります。
・ レス150より
>>146
>そーですね。脚本家にとっては完成作が全てです。
188ミステリ板住人:03/05/02 19:15 ID:yfxnEn2/
一番アホだなと思ったレスは、
>脚本は設計図だと言うプロデューサーもいます。
>シナリオ学校などでそう教えられた事もあります。
多くの利益しか頭に無いプロデューサーの設計図程度のシナリオじゃ、全くしよーもない。
こういうやっつけ仕事で良しとしてるから、ドラマがつまらないのだ。
シナリオ学校は、ある意味「現実主義」なんだろうが、「面白いドラマ」「良質なドラマ」の制作という方向性とは相反するものがある。
しかし、上記コピペした議論の一番の問題点は
当初必殺シリーズに限定してのシナリオ位置付けの話しが、明確な根拠も示さないまま、
一般論へと還元されていっていることである。
シナリオがドラマの生命線であるのは、今も昔も変らないし、プロのライター自身が
かなりの自負を持って同様に考えていることは、
桂千穂先生の力作「にっぽん脚本家クロニクル」(ワールドマガジン社)を読めば、
たやすくわかることである。
断言出来るのは、実は沖雅也ファンというコテは、定評があるこの本を読んでいないか、
仮に読んでいても自己の思う方向へ議論を誘導するために頬被りしていると考えられる
ことである。(この方がより悪質といえる)
私は必殺シリーズにおいては、映像効果の魅力等も認めないわけではないが、
アトラクションではあるまいし、物語部分が駄目なものは論ずるに値しない。
「実は沖…」のレスには、シナリオがヘタレというのが既に定説になっている後期擁護
の論調があり、前から気になるところだったが、
これには、やはり企みがあったんだなとわかったよ(w