934 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/24 01:49 ID:gisWb0f+
>>928 同じく森村誠一が書いた「吉良忠臣蔵」
でも、安兵衛は自尊心とエリート意識ばかり強くて
他の身分の低い同士たちを見下している結構ヤな奴として
描かれてる。
その安兵衛が、討ち入りの際に小林平八郎に子供の様に
軽くあしらわれて、散々てこずった挙句必死の思いで
討ち取る場面は、吉良方びいきのおいらには
すこぶる小気味のよいものだった。
935 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/24 11:29 ID:fnaFMgqh
昭和16年公開の「元禄忠臣蔵」は討ち入りの場面がないんですよね。
でもうまいことカバーしているのには脱帽。
まるでそこにいるかのようなカメラワーク。
河原崎長十朗演じる大石も物静かでいい。
ビデオ欲しいけど現在廃盤。DVD化してくれないかな〜松竹。
>>935 もともと戯曲だからね。
でも溝口監督はカメラに映らないところまできっちりセットくませたらしい。
松の廊下も実物大セットを組んだそうな・・・
>>932 『百箇条』そのものは持ってない。掲載されてる本も知らない。
ただ高木彬光の『万華の断片』の中でちょこっと触れられている。
そこのところを引用するよ。高木彬光の捏造だったら嫌だが(w
『喧嘩口論双方成敗す。ただしものにより仕除たるべし、場を去るのちは
相改むるも及ばず…』
但し書で例外はあるとちゃんとことわっているのです。また現行犯でなければ
処分しないというつかみどころもないおきてですね。こういう見地からもう一度、
事件をふりかえって見ましょうか。松の廊下の事件直前の各人の動きから言って、
その場の口論が昂じての喧嘩沙汰でないことは誰にもわかりますね。長矩は
走って来て刀をぬいて斬りつけたのに、義央は刀の柄に手もかけず、斬られて
その場にひっくりかえった。どう見ても『喧嘩』の現行犯とはいえないでしょう。
939 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/25 05:52 ID:700UW5NC
>>938 これじゃあ「喧嘩両成敗」が適用できる状況の方が少なそうだな。
現行犯以外だったら「あれは喧嘩でした」なんて言う奴の方が少なそうだ。
(実際、吉良は本当か嘘かはともかく『覚え無し』って言い張ったんだし)
そもそも「喧嘩」の定義が無い
941 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/25 10:56 ID:Lj1xoQJJ
日本史板の忠臣蔵スレ見てきたけど
喧嘩両成敗が成立するかどうかというのが論争になってて
「『公事方御定書百箇条』か『御遺状百箇条』を見ればわかるはずだ。
誰か教えて」という展開になった途端に書き込みが止まってやんの(藁
赤穂浪士擁護派も否定派も知らんのに論争していたらしい・・・俺も知らんけど(^^;
でも『長宗我部元親百箇条』の定義は出ていた。以下、コピペ
>「喧嘩口論堅く停止の事。善悪の手初めに謹みて堪忍すべし。
> 此の旨に背き互に勝負に及はば、理非に寄らず双方成敗すべし。
> 若し一方手出し仕るにおいては、如何様の理と雖、其の者罪科に行なふべき事」
942 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/25 11:08 ID:NmLDr5GN
943 :
山崎渉:03/01/25 12:14 ID:???
(^^)
944 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/25 17:03 ID:t3Fv2yA4
以下百科事典からの引用
喧嘩両成敗法の本来のかたちは,喧嘩をした者は双方とも, 〈理非〉つまり喧嘩の原因を問うことなく,
同等の処罰をうける (相手の被害と同じ害を罰としてうける) というもので,
この場合の喧嘩とは物理的闘争のみを指す。
したがって喧嘩を仕掛けられても応戦しない者は処罰されない。たとえば
A が B を怒らす原因 (侮辱,横領,債務不履行等々) を作り,B が実力行使に及んだ場合 (B :理,A :非) でも,
A が応戦しないかぎり,B のみが処罰される。
逆にそうした原因がないのに B が喧嘩を仕掛けた場合 (A :理,B :非),
A が応戦すれば A も罰せられる (B がその際殺されれば,A は死罪)。
(中略)
江戸時代には軍令として用いられたほかは,両成敗法が一般法として布令されることはなかったが,
慣習法として〈天下の大法〉の位置を保った。
(中略)
ところで 1701 年 (元禄 14) の江戸城内刃傷事件で,浅野内匠頭だけを切腹・改易に処したのに対し,
世間では喧嘩両成敗の原則に反すると批判した。前述した本来の両成敗法に照らしてみれば,
吉良上野介は応戦しなかったのだから処罰されなくて当然のはずだが,こうした批判がでたのは,
人々が刃傷の原因まで含めて喧嘩と考えたことを示している。
このように物理的な闘争だけでなく,紛争一般も両成敗という考え方は,
今日の日本人の意識を根強く支配しており,大平正芳と福田赳夫が首相を争った末,
三木武夫が〈椎名裁定〉によって指名されたとき、新聞は〈大福・喧嘩両成敗〉と評したほどである 。
945 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/25 20:15 ID:h6yjlgKH
やっぱり喧嘩両成敗は成立しないのかよ…
まっ、だから必死こいて脚色してるわけなんだが
946 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/25 22:47 ID:VyVJjCqH
>>928 個人的には最高のデキだと思う。
通常は単なる悪役(?)として描かれる
大野九郎兵衛や吉良家家臣達の苦悩がいいね。
山吉新八郎が四十七士を迎え撃つシーンが格好良くて、
必殺シリーズでは嫌いだった村上弘明が好きになった。
ただ好みの問題だがいわゆる定番シーンがイマイチだったかな。
>>946 >定番シーンがイマイチだったかな
解説キボン
>>945 >このように物理的な闘争だけでなく,紛争一般も両成敗という考え方は,
>今日の日本人の意識を根強く支配しており
ポイントはここだろ。別に脚色・小細工等するまでもないと思うが。
>このように物理的な闘争だけでなく,紛争一般も両成敗という考え方は,
>今日の日本人の意識を根強く支配しており
「テロを起こしたビンラディンよりもテロの原因を作ったアメの方がより悪い」って日本の論調もこの辺りから出ているのかね?
951 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/27 07:21 ID:8E5KYiK3
>本来の両成敗法に照らしてみれば,
>吉良上野介は応戦しなかったのだから処罰されなくて当然のはずだが,こうした批判がでたのは,
>人々が刃傷の原因まで含めて喧嘩と考えたことを示している。
>このように物理的な闘争だけでなく,紛争一般も両成敗という考え方は,
>今日の日本人の意識を根強く支配しており
ポイントは
刑法論→喧嘩両成敗は成立しない
感情論→喧嘩両成敗は成立する(だから不当な裁きだ)
だろうが?
吉良の嫌がらせ(畳替えやら精進料理やらフナ侍フナ侍やら)は史実じゃないよ。
こういう話が作られたことは「脚色・小細工」じゃないのかな?
忠臣蔵を史実そのままと思い込んでるなら日本史板で論争しておいで。
俺は、100パーセント作り話でも面白ければそれで構わない。
徳川吉宗は嫌いだけど暴れん坊将軍は好きだし。
作り話の中での畳替えやら精進料理は抜きにして、
嫌がらせがあったか、無かったかを立証することはできないんじゃない?
もし無かったとしたら、ホントに乱心による刃傷なのか?
そして、乱心にも関わらず乱心じゃないと言い張ったのか?
嫌がらせがあったとは言い切らないが、何かしらの原因が双方間に
あった可能性が高いと思うのですが。
原因がわからないからこそこれからも
いろんな解釈で話が作り続けられていくのでしょうね
954 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/27 14:58 ID:E3TKPoma
「原因の解釈」って点では「元禄繚乱」で桂昌院への従一位叙任と絡めたのは上手かったな。
>>954 「元禄太平記」もそうだっだったような?
956 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/27 15:36 ID:E3TKPoma
>>955 そうなのか・・・しらなんだ。原作はそれぞれ違うけど割りと知られている説なのかな?
つーか、幕府側から描くとしたらきわめて妥当な線だろうねえ。
958 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/27 21:26 ID:b4vKMgeq
赤穂浪士肯定派の室鳩巣は
刃傷の理由を「年齢の差」「性格の違い」に求めてます。
芝居やドラマのようなはっきりした理由が見つからないのは
実際には鳩巣のいうような、ある意味くだらない、
別に騒ぎ立てるほどのものでもなかったからなんじゃないかな。
げんに赤穂浪士も刃傷の理由についてはまったく語っていないし。
959 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/27 23:18 ID:b4vKMgeq
四谷怪談スレからコピペ
>刃傷の現場は「松の廊下」ではなく
>ホンマは「柳の間の前の廊下」もしくは「医師溜の前の廊下」
>・・・ではないか? という説がある。説得力はあるけど人気はない(^^;
>映画は「おやくそく」を避けてこっちの説を採用したのかもしれない。
怨恨説は事件の直後から結構広まってるし、
吉良がいかにもそういうことをしそうな(実際に嫌がらせをしたかどうかは別として)人間という
ような認識はかなりあった。
961 :
名乗る程の者ではござらん:03/01/28 17:00 ID:no3+brFf
刃傷〜討入の間の世評ってのは
ホントのところははっきりしないんだけどね。
リアルタイムに書かれた日記なんかだと
「浅野が狼藉はたらいて切腹になった」とそっけなく書かれてるだけだし
それが討入後の随筆やら論評やらになると
「不当の裁きということで批判の声が多かった」になるわけだし。
大映の忠臣蔵かりてきたが、一時間ぐらいでもう見る気なくなった
ベルーナといい、別に俺は「忠臣蔵」が好きなわけじゃなくて
一番最初に見た日テレの「里見忠臣蔵」が好きなだけなんじゃないか
と最近、気づき始めた・・
963 :
名乗る程の者ではござらん:03/02/01 17:13 ID:HDcbWDaS
誰か里見忠臣蔵をファイル化してダウンロードさせてくれないか?
965 :
名乗る程の者ではござらん:03/02/01 17:58 ID:HDcbWDaS
966 :
名乗る程の者ではござらん:03/02/04 09:16 ID:zc/XscGp
断る
ところでさー、江戸時代は官位のある大名は勅使接待のような
公式行事のときはお歯黒つけていたらしーけど、
史実どおりっていっても、浅野のお歯黒みたことないよね。
赤穂浅野は武家気風ゆえ、公家のごとき鉄漿はつけもうさず。
969 :
名乗る程の者ではござらん:03/02/11 09:06 ID:QmaJ2nrT
ほしゅ
>>968 浅野はちゃんと官職あったし、勤皇の家系を自負していたからキレたとき
鉄漿はつけていたはずだよ。
公家の官職と武家の官職は名前が同じだけで別系統だったわけだが。
正直、ネタ切れですか?
次スレは…どうなんでしょう
973 :
名乗る程の者ではござらん:03/02/14 16:12 ID:/E2z4taH
990過ぎたら立てて、年末までマターリ保守してみるとか。
なかったらなかったで困りそうだし。
>>970 勅使接待は宮中の慣例の延長線上にあった。
だから高家が指南役だったわけだが?
975 :
974:03/02/14 17:09 ID:???
>>971 別系統といっても大名のそれは、正式な官職としてもらっていたものだよ。
実質は京都行ってなんかするわけではないけど…
そういう意味ではないよ。所詮官職は実態がない名誉職なので、幕府が一元管理して
朝廷に申請し、改めて各大名に授けていた(大名が直接朝廷と結びつくことを禁止)。
その結果、武家側だけで官職が埋まってしまうと、公家たちが困るので、武家と公家の
官職は別系統(というか別々に2セット)とした。つまり、公家の内匠頭と武家の内匠頭
の2人が同時に存在した、ということ。
(公家諸法度「一、武家の官位は公家当官の外たるべき事」)
だから、浅野は武家側の内匠頭であって、
>>970の
「浅野はちゃんと官職あったし〜」というのは、鉄漿をつけていた理由にはならんということ
978 :
名乗る程の者ではござらん:03/03/03 16:28 ID:1FoZqhxj
980 :
山崎渉:03/03/13 15:50 ID:???
(^^)
981 :
名乗る程の者ではござらん:03/03/15 02:37 ID:ciugw0XD
下がってるじゃないか!
ホワイトデーは殿の命日だったってのに…(´Д⊂ヽ
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