大学1年のとき、旅行社の広告に、「ソウルの大学でハングル夏季40日間講習」 とあるのが目にとまり、、軽い気持ちで申し込みました。
母親が当時流行の韓流映画にはまっていたため、費用をすぐ出してくれました。
ソウル仁川空港につくと現地駐在員が出迎えて、大学まで連れて行き、登録や入寮の手続きを手伝ってくれました。
クラスメートは大半日本人で、その他台湾、シンガポールからきていました。
「入門コース」のはずが、日本人の多くはハングルに年期が入っています。
さっそくできる者ばかりでグループをつくって盛り上がっていました。
初心者のなかには、できる人に媚びへつらって、その仲間にいれてもらう人もいましたが、
超初心者の私はとけ込めずに隅っこに淋しく座っていました。
>>312 授業は私にはペースが速すぎました。
喧噪のソウル市街は土地表示も看板も読めず、数日で私は寮の部屋に引きこもってしまいました。
それを見通したように、仁川空港で会った旅行社の現地駐在員が訪ねてきて、
「大学にボランティアのインストラクター制度があるので頼んでみましょうか」 というので、ありがたくお願いしました。
翌日大学の国際交流センターで女性のボランティアを紹介されました。
いま三年生で、卒業したら日本に留学し、どこかの大学の大学院に入学する計画ということでした。
すでに日本語を学んでいましたが、「日本人学生の世話をすることで、もっと上手になろう」 と思ったそうです。
その日から授業の予習・復習はもとより、買い物から、携帯電話の購入まで、彼女がこまごまと教えてくれました。
「大学の食堂ばかりではあきるだろうから」、とアパートで夕食を作ってくれることもありました。
地獄で仏にあったような気持ちで、彼女の指示がひとつひとつありがたいでした。
>>313 講習期間がなかばすぎると、心のゆとりができました。
クラスメートに台湾から来た女子学生がいました。
あるとき、昼休みに大学前の郵便局で出会って、一緒にクラスに帰りました。
初心者同士ということで気が合い、おたがいおぼつかないハングルで話が弾みました。
数日後、彼女が台湾人のパーティーに連れて行ってくれました。
私は大勢の出席者から歓迎され、おめかしした彼女がまぶしいでした。
>>314 帰って、インストラクターに電話して、 「中華料理がおいしかった」 と話したら、ひどく怒り、アパートに呼び出されました。
日本人はいかに恩知らずか、「日韓併合」 まで遡って、私を罵倒しました。
感情がたかぶると、彼女は泣きわめきながらチンロ(眞露)をあおり、私もむりやり飲まされました。
酒に弱い私は酔いつぶれ、気がついたら隣に裸の彼女が寝入っていました。
そして私も裸にされていました。
翌日から毎夜、私は彼女のアパートに呼び出されました。
断ると寮にきて騒ぎ立てるので、しかたなくアパートについていきました。
そのたびに、彼女は眞露をあおって罵詈雑言をあびせ、私にセックスの相手を強いました。
>>315 台湾人の女子学生をクラスで見かけなくなった、と思っていたら、講習終了を待たずに帰国していました。
「インストラクターが彼女をつかまえて汚い言葉でののしっていた」、といううわさを
シンガポール人のクラスメート(男子)が伝えてくれました。
インストラクターに問いただそうとも考えましたが、思いとどまりました。
秋が来て、私は帰国しました。
翌年インストラクターは大学院入試のため短期間来日し、泊まっていたホテルに私を呼び出しました。
部屋に入ると待ちかねたように私にとびつき、ベッドに誘いましたが、私がかたくなに拒むと、泣き叫び、枕やバッグを投げつけました。
>>316 私は大学を卒業し、就職しました。
その頃、彼女からメールが入り、
「大学院入試に合格したが、入学せず、アメリカの大学に留学した」 と書いてありました。
また、シンガポールのクラスメートから
「台湾人女子学生は台湾の大学を卒業後、華僑の医者と結婚し、カナダに渡った」 という便りがありました。