http://www.asahicom.jp/sports/update/0618/images/NGY201006180017.jpg 現役最高齢61歳「競輪界の鉄人」、地元で最終レースへ
http://www.asahi.com/sports/update/0618/NGY201006180014.html 朝日新聞
還暦を過ぎてもバンクで走り続けてきた「競輪界の鉄人」が今月、地元で最後のレースに臨んでいる。
タイトルとは縁がなかったが、度重なる骨折を乗り越え、39年間に積み重ねた勝利は403。得意の「鬼脚」、最後も決められるか。
津市の竹田恵一選手(61)は約3400人いる選手の中で最高齢。全国に47カ所ある競輪場のうち、松阪競輪場(三重県松阪市)をメーンに走ってきた。
22歳で大垣競輪場(岐阜県大垣市)でデビュー。7歳上の兄が競輪選手だったこともあり、
「勝負の結果がその日の賞金にはね返るシビアな世界。努力次第でいくらでも上にいける」とあこがれた。
168センチ、68キロと小柄。筋力や持久力も「人並み程度」で、高校卒業まで運動部の経験はゼロ。競輪学校に入学できるまで3年もかかった。
競輪選手は年間1億円前後を稼ぐS級S班から、一番下のA級3班まで6階級に分かれる。
S級選手になったが、特別競輪(G1)では決勝に進めず、20回近く決勝に残った記念競輪(G3)でも優勝は手にできなかった。
それでも27歳の時には31勝を数え、全盛期の30代前半には、年間2500万円を稼いだ。
たばこ、酒は一切やらない。長く現役を続けてこられたこつは「妻の手料理をおいしく食べること」と笑う。
厳しいトレーニングを自らに課した。レース中に他の選手とぶつかり合う上半身はジムで鍛え上げ、体脂肪率は12%前後。
一般道での練習では、太もも回り50センチの足で、自宅から三重県伊賀市の青山高原までの往復60キロをこぎ続けるスタミナを今も保つ。
ここ数年、成績も芳しくなく、出場機会は少しずつ減っていた。昨年春のレースでは、先行する選手についていけなかった。
踏み込むべきタイミングで力をペダルに伝えられない。衰えを感じた。「命が続く限り走れると思っていたが、そろそろ潮時かな」
月に10日前後は全国を回る竹田さんを、家族が支え続けてきた。妻のみち子さん(61)は食事に細心の注意を払ってきた。
不惑を過ぎてからは主菜を肉から魚に変え、ビタミン豊富な野菜や果物を多めに出した。
松阪競輪場での最終レースとなった18日は3着に入った。23〜25日には大垣競輪場で走る。
みち子さんは「普段のレースと同じように、『いってらっしゃい』と送り出します。見に行くことはありません。最後の瞬間まで、夫は選手ですから」と話す。
竹田さんは「最後は、ファンの記憶に残るレースをしたい」と話している。(安田琢典)
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世界選手権のプロスプリントを10連覇した元競輪選手の中野浩一さん(54)
普段は穏やかな紳士だが、バンクに入ると雰囲気が一変して厳しくなった。
後輩の面倒見がよく、社会人として偉大な先輩。
かつて何度も戦ったが、相手を抜かなければ生きていけない世界で、
若手が嫌がるような厳しい練習を重ねてきた。競輪界の「鉄人」のような存在です。